ギドラの巣「新」映像作品掲示板
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シン幹線大爆破 - なんじぇい (?)
2025/02/14 (Fri) 20:08:17
https://www.cinematoday.jp/news/N0147284
https://www.oricon.co.jp/news/2368756/full/
樋口監督の『新幹線大爆破』リメイクですが、上のニュースを見る限り、JR東日本が全面協力で、主人公が車掌に変更されるそうです。
もう嫌な予感しかしません。
主人公を変える必要はあったのでしょうか。犯人側を主人公にしたことで、ある程度高倉健さんが演じる犯人たちにも同情できるスポットがあったことが面白さの1つだったと思うのですが……
また原作の国鉄側も運転手・上層部共に職務を全うする責任感あるキャラとして描いており(2つ目の爆弾があるかもしれないのに新幹線を停止させざるを得なくなったとき、宇津井健さん演じる責任者が辞任したり等)、双方ともに感情移入できるように作っていたのに、改悪としか思えませんでした。
多分見ないです。
Re: シン幹線大爆破
- なんじぇい (?)
2025/04/25 (Fri) 22:45:41
結局見ていないのですが、なんと前作の続編という設定で話を作っているそうです(高倉健役の犯人があの事件をやって死亡してることになってるらしい)。
今回は犯人側のエピソードはバッサリカットされてるそうで、『シン』シリーズを見る限りでは、樋口さんは必死で頑張る役人や仕事人みたいな設定が好きなのでしょうかね。
『日本沈没』は評判が悪すぎて観ていないんですが。
2025/04/24 (Thu) 18:52:19
本気なのか、タローマンが映画化されるというニュースが入ってきました。
『大長編タローマン万博大爆発』
https://taroman-movie.asmik-ace.co.jp/
僕も見るぞ、わたしも見るわ。
Re: 万博大爆発!
- 海軍大臣 (男性)
2025/04/25 (Fri) 07:07:17
おおっ、情報感謝です。
最近の国産特撮作品がらみの情報としては、珍しく嬉しいきがしますね。
でも「万博大爆発」とは何とも攻めたタイトル!万が一にも現行の万博会場でメタンガス事故でも起きようものなら、公開自粛にもなりかねない気がしてしまいました。
Re: 万博大爆発!
- エクセルシオール (男性)
2025/04/25 (Fri) 20:46:25
『タローマン』は存在自体が二重虚構の産物ともいえるので(そういう作品がかつて存在し放送されていたという設定で作られている)、もしかしたらこの映画化発表自体がフェイクなのではと一瞬疑ってしまいましたが、さすがにそこまではやらないでしょう。
ただ、どれくらいの長さの映画なのかは気になりますね。なにせ正規の『タローマン』はわずか5分の作品でしたから、「大長編」といってもどれくらいの尺になるのでしょうか。
ゴジラSPスパロボ参戦 - なんじぇい (?)
2025/04/20 (Sun) 20:45:07
https://x.com/famitsu/status/1913904662711074971?t=uyxpVFd29YFIoVcbb8isfg&s=19
ちょっと驚きましたが、過去には宇宙戦艦ヤマトやキャプテンハーロックも『スーパーロボット大戦』に参加していたので、「スーパー」どころか「ロボット」すら既に形骸化している以上、いつかは起きることだったのかもしれません。
因果律云々とか本気でやるんでしょうか……?(まあロボットアニメにはイデオンやらグレンラガンやらでトンデモ設定はいくらでもありますからどうにでもなるでしょうが)
ちなみにあくまでも本家スパロボでは初めてだったそうで、分家のソシャゲでは既にゴジラと機龍が戦っていました。
Re: ゴジラSPスパロボ参戦 - エクセルシオール (男性)
2025/04/21 (Mon) 21:26:11
『スーパーロボット大戦』ももう結構長く続いているゲームですが、年代も作風も設定も対象視聴者も異なる作品をクロスオーバーする点で、元から無理のある内容でした。一時的なお祭り的作品としてならばともかく、今となっては無節操なクロスオーバーの代表みたいになっていると言わざるを得ません。
個々の作品のファンが自分の愛したアニメが「ごった煮の闇鍋」みたいなゲームに放り込まれている状況に無条件で好意を寄せるとは考えにくい。そうなるといよいよ何のために作って続けているゲームなのか怪しくなってきます。
それにしても『ゴジラSP』のジェットジャガーとは。もとのアニメがわけのわからない大半の視聴者置いてけぼりの内容だったのに、それを突っ込んでどんな話を作るつもりなのか。元々がなんでもありなわけですから、話題性さえあればどうでもいいのでしょう。
そういえば『スーパーロボット大戦』にはオリジナルキャラだけの作品もありました(『スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION』)。結構何作も作られており、一定の成功を収めていたと言えます。正直、版権キャラの知名度に頼るよりもこちらの方が真っ当だと思います。
Re: Re: ゴジラSPスパロボ参戦 - なんじぇい (?)
2025/04/21 (Mon) 22:49:53
>個々の作品のファンが自分の愛したアニメが「ごった煮の闇鍋」みたいなゲームに放り込まれている状況に無条件で好意を寄せるとは考えにくい。
一応ですが、「完全に死んだと思われていた作品」ならば喜んでるパターンはありました。
電脳戦機バーチャロンあたりでは新作が何年も出ていない状況で(しかも当時最新作の『マーズ』が駄作だった)、スパロボに出てきただけで、「コンテンツが死んだと思われてなくてよかった」とファンが喜んでいた状況は見たことがあります。
スパロボには既に完全に終わった作品(『トライダーG7』とか『ダイターン3』とか)がサンライズの再生工場のごとく参戦するので、そういうファンの受け場にはなってそうな気がします。
尤もスパロボが切っ掛けで完全復活を遂げた作品など聞いたことがないので、コラボでなくともいいじゃんと言われたらそれまでですが……
無題 - 水戸李人 (男性)
2025/04/06 (Sun) 19:19:13
https://youtu.be/CaXRUi3HhVQ?si=UdV1K0eBdzYKPijW
もしも既にご覧になっていたら、申し訳ありません
面白い映像を見つけたので、紹介させていただきます。
2014年公開された「GODZILLA」の内容が、もしも昭和ゴジラシリーズの中で既に制作されていたら……っていう想定をして、アマチュアの方が3DCGで作ったアニメーション作品です
私は情弱なところがあるので「CGアニメーションは、ここまで実写に近いものを作れるようになったのか」と、素直に驚きました
それで、感じたのですが……
前のスレッドでなんじぇいさんが問題提起なされた「着ぐるみ特撮で多少クオリティを落としてでも、毎年ゴジラ映画を作るべきか」について、考えるための良い材料になっている気がします
今、映像作品を作るハードルというのは、CG技術、AI技術の普及に伴って急速に低下しています
既に動画サイト等には、アマチュアがAIを用いて自主制作したアニメーション作品が大量に発表されており、「5分でアニメを作れるAIサービス!」などと言う広告も、頻繁に目にするようになりました
声優の声質なども、AIを用いて安価に再現できるようになり、プロ声優の方たちが「声の無断使用」への抗議を連名で発表するような事態にもなっています。
それどころか、アニメ制作の現場でさえ、モブキャラクターの声はAIのやらせるのが普通になってきているという話すら聞きます。
このような時代においては、「プロが作る作品」というものに対して求められるハードルは、ますます上がってきていると思います。
「着ぐるみ特撮が必ずしも低クオリティとは限らない」というのは大前提として、昭和ゴジラシリーズレベルの映像表現で着ぐるみ特撮っ「ぽい」作品であれば、アマチュアでさえ容易に作れる時代は、すぐそこまで来ていると思います。
このような時代においては、東宝のような映画会社が「低クオリティなゴジラ映画を毎年公開し続ける」ということをわざわざすることに、意義があるとは思えません。アマチュアがCGやAIを用いて作った作品と大して変わらないか、もしくは負けてしまう可能性すらあるからです
これに関連する質問ですが、皆さんはここ1,2年で急速に発達・普及したAI技術が、いわゆる「特撮」と呼ばれる映像分野の政策に与える影響について、どうお考えか、知りたく思います
Re: 無題 - 水戸李人 (男性)
2025/04/06 (Sun) 19:28:30
補足
上記の動画のメイキングです
https://youtu.be/9AkyAfQjpDo?si=3Z3vjqcF_pOEtvzT
2025/04/07 (Mon) 18:46:03
ご投稿に感謝いたします。
初めまして、ですよね。
ご紹介いただいた動画、YouTubeを開くとおすすめ動画に出ていたのですが、未見でした。
ファン製作の動画はいくつか見ていましたが、これにはさすがに驚きました。
YouTube配信での画質では、着ぐるみ、ミニチュアにしか見えませんね。
作者のセンス(オブジェクトの動きをミニチュアらしくすることや人間が着ぐるみを着ているようなアクションをつけること、70年代低予算特撮風に安っぽくすることなどなど)が卓越していることはもちろん、
個人製作レベルでこれが作れる時代になったということですよね。
これに対して商業作品がどうあるべきかと考えると、映像のリアリズムで妥協するわけにはいかないでしょう。
(本物らしく見えるという程度の意味です)
そして、AIがどんな影響を与えるかと考えると、あまり明るい未来はなさそうです。
技術的には生成AIでまるまる一本映画を作ることも可能になってきたらしいので、コストカットで儲けを増やそうとなると、
シナリオからなにから何までAIに作らせる時代が来るかも知れません。
過去作のデータを膨大に学習させれば、それなりのストーリー、それなりの映像、それなりの音響を生成できてしまうでしょう。
AIが作ったものも名作のパターンを学習した結果なので、そこそこ面白くなることと思います。
特撮ジャンルだけの話ではありませんけれど。
ただ、AIには感覚はありませんし、おぎゃーと生まれて生活体験を通じて成長する過程もありませんから、果たして人間の心を打つ作品を生み出せるのか不明です。
しかし、ひょっとするとそれすらシミュレートしてしまう時代が来るかも知れません。
結果、もはや人間のクリエーターはお呼びでない、ということになるとしたら、嬉しくはないです。
そこまで先の話は考えず、特撮に絞るとしたら、映像そのものをAIに作らせるのではなく、特撮映像を考案するときに手間がかかる、あるいは知識が追いつかない部分をAIに補助してもらうという使い方がありそうです。
火山噴火を描こうとしても、どんな性質の火山なのか、山体の構造がどうなっているか、地質によって溶岩の質が違うとか、自分で調べようと思っても一から勉強するのは大変です。
そこで、AIによる支援で情報を収集したり、実在でも架空でも火山をモデリングすることが出来そうです。
そこから先はミニチュアを作るのか、CGIで描くのかはそれぞれということで。
そんな使い方ならAIの発達も悪くないかなと思います。
(「ゴジラ対ムートー」を作った方は相当なマニアですね。ラスト、ギャレス版でのムートー殺害シーンを再現したカットに伊福部昭「サロメ」冒頭部を使っていました。『GODZILLA』でそのシーンに使われた音楽は出だしの部分が「サロメ」に似ているのです)
一歩間違えば創作の破滅 - エクセルシオール (男性)
2025/04/19 (Sat) 21:37:42
私も生成AIが特撮に限らずおよそ創作活動に対してよい結果をもたらすようには思えません。既に不正や盗作、犯罪に悪用されている面を差し引いても、人間が頭を使って行うべき分野を人工知能に任せるとすると、人の能力はどんどん退化してしまうことになりかねません。
『ドラえもん』にアニメーカーという道具が出てくる有名な話があります。のび太が雑駁な要望を出しただけで脚本、作画、音楽、声優に至るまで全てこの機械がやり、素晴らしいアニメ作品を作ってしまうお話だったのですが、その落ちはエンドロールのスタッフ欄の大半が「アニメーカー」になっていて(唯一「ボタン押し」だけがドラえもん)、のび太は何もしていなかったことがばれてしまうというものでした。これは漫画の話ですが、作品のスタッフ欄全てが「生成AI」になったりしたら、もうこれは悪夢でしょう。
また、その気になれば既に亡くなった俳優をAIで復活させることも可能と言われています。例えばブルース・リーをAIで復活させジャッキー・チェンと共演させたり、『死亡遊戯』を「完全な」ものにすることもできるでしょう。でも、それは死者への冒涜であり、やはりしてはならないことと思います。
ゆえに、創作におけるAIの利用範囲には厳格な限定が必要と考えます。末端スタッフの負担軽減(もっとも、仕事を奪うまでいってしまうのはまずい)に利用するのはいいですが、それを超えて本来人間の頭で考えなくてはならないストーリー構成や、人間の役者がやるべき演技等まで代替させるのは禁止すべきでしょう。補助的に用いた場合はどこまでAIにさせたのかを公開すべきです。
『ゴジラ対ガイガン』のM宇宙ハンター星雲人はコンピューターを利用しているつもりで、その実は依存しているだけでした。AIがなければ何もできないような「クリエイター」が続出したら、あの巨大ゴキブリ達を笑えなくなるでしょう。
Re: 無題 - 水戸李人 (男性)
2025/04/20 (Sun) 22:28:22
エクセルシールさんへ
私のつたない記事に対して、コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、生成AIが創作活動に与える影響として、現時点においては悪いものの方が危惧されることには私も同感です
ドラえもんの「アニメーカー」の回は私も読んだことがあり、現状を予見していた藤子F不二雄先生の先見の明には驚かされるばかりです
ただ、残念ながら、「創作におけるAIの利用範囲への厳格な規定、禁止」は、難しいかと思われます。
歴史を振り返ってみれば、技術を民間において利用することへの「歯止め」というのはおよそ不可能であるからです。
クリエイターの現場と言えど、資本主義の論理からは逃れることは困難であり、コストカットに有用であると判断できる限り、金を出し、口も出す「偉い人たち」は、AIを使って安上がりに仕上げることを要求してくることは容易に想像できます
また、実は私は、「ストーリーの構成」に関しては、むしろAIに積極的にやらせるべき領域と考えています。それはすでに、ハリウッド映画における物語論の発見と研究によって半ばシステム化されており、人間の創造性が発揮できる余地は、そもそもないからです
むしろ、AIの時代においては、人間が頭を使うべき領域は、ストーリー構成以外の部分、つまりは独創的なアイデアをいかに出すか、テーマ性をいかに設定するか、というところにあると思います
同じゴジラで連綿とストーリーを続けられるか? - なんじぇい (?)
2025/04/15 (Tue) 20:22:53
『白いゴジラってアリ?』からの続きですが、昔から一番殿様ギドラさんの意見で気になっていた核心であり、創作論として良く上がる別物の話題なので、書いてみることにしました。
ウルトラマンや仮面ライダーが毎年違うものが出てくる理由として、おもちゃを売りたい等の問題もありますが、「成長しきったキャラクターで話を作り続けるのは非常に難しい」があります。
実際主人公が成長しきってしまえば変化が起きないわけですから、「別主人公で仕切り直し」の方が話を作る上では楽と言えます。
実際1主人公で無限に続いているアクション映画は『007』位しかなく、それですらいよいよ最新作ではネタがなくなったのか主人公が死亡すると言う結末で終わってしまいました。
マーベルのヒーロー物映画も、キャプテン・アメリカやアイアンマン等の初期からいるヒーローは殆ど死亡もしくは引退して、新世代にヒーローを渡すようになり、スーパーマンやバットマンも定期的に仕切り直しになっています。
『ドラゴンボール』みたいに次はもっとすごい敵を、すごい敵を、と敵をインフレさせて無理やり主人公をパワーアップ・成長させることも可能でしょうが、それも殿様ギドラさんの望むところではないと思います(ハリウッドゴジラはこれを地で行っている)。
『男はつらいよ』『水戸黄門』みたいに人情ものであり成長しない事が持ち味の主人公なら可能と言えるでしょうが、果たしてそれが怪獣バトル主題のスケールが大きいゴジラ映画に当てはまるかと言えば相当厳しいように見えます。
果たしてゴジラをパワーアップさせてもっとすごい敵を連発する等を除いて、同一個体のゴジラを映画でずっと続けさせることが可能なのでしょうか。
また仮にゴジラ映画をリブートさせるとして、虚淵やSPみたいに「アース」とか「ウルティマ」なんかを付けてウルトラマンと同じやり方をしようという考えにはどう思われるでしょうか(キングギドラもデスやらカイザーで似たようなことをしていますが)。
突き詰めたら本当に可能なのか気になったので質問してみました。
Re: 同じゴジラで連綿とストーリーを続けられるか? - なんじぇい (?)
2025/04/16 (Wed) 13:15:46
あと追記ですが、時々「円谷英二はマンネリを恐れていた」みたいなことがwikipediaやさまざまなネット文献で出てきますが、実際のところはどうだったのか、本当にマンネリを恐れていたら同じゴジラ映画を繰り返すのはまたそれもいけないのではないか(この場合はゴジラをいじるのではなくゴジラを畳んでしまう方が本人の意思に沿っていると言えそうですが)、という点も気になっていたので、できれば教えていただけると幸いです。
Re: 同じゴジラで連綿とストーリーを続けられるか? - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/04/16 (Wed) 19:40:53
この件、いろんな文脈で何度か書いてきたはずなんですが・・・
(掲示板のワード検索機能で、物語 ストーリー バリエーション 元祖ゴジラ あたりの語句で探してみるとそれらしい記事が出てくるかも)
結論から言うと、元祖ゴジラそのままで何の問題も無くシリーズを続けることは出来ます。
ゴジラには目的も使命もありません。もちろん、ゴジラが人格的に成長するなんてことはありません。
ですからゴジラ側の事情で行き詰まることはありません。
そして、ゴジラ映画はゴジラが人間社会と接点を持った時にストーリーが動き始めます。
人間社会は常に変化していますから、社会が変わることでストーリーに変化が生まれます。
(テーマを変えると言っても良い。怪獣事件に関わる人間の種類を変えることでバリエーションを作ることも出来る)
怪獣事件に巻き込まれた人間の視点で作劇することが大事です。怪獣と関係ない職種の人間がなんらかの接点を持って怪獣災害に関わることになる。
だから怪獣対策以外のストーリーを絡めることが出来るし、そこに主題を持ってくることができる。
映像面での新味はゴジラをどんなシチュエーションに置くかでいくらでも作れます。
対戦相手の工夫で変化を作ることも出来ます。
たとえ同じ相手との対戦でも、バトルの内容はその都度変わるでしょう。
対戦相手の強化だのゴジラの強化だのに走るとそれこそ袋小路に入って行き詰まりますよ。
(最終的に宇宙一、みたいなお子ちゃま発想になってしまう)
で、○○ゴジラとして、似ているけれど別の怪獣というやり方は、不当とまでは言いませんが、
前回書いたようにゴジラの安売り状態になるので避けた方がいいでしょう。
(○○ギドラはまあ、キングじゃないギドラね、という理解になったけれど)
付言すると、ダニエル・クレイグの007が行き詰まったのは、ジェームズ・ボンドやMI6という、物語の中心を成す人物や組織の「内面」に入り込んだからです。
結果、ストーリーが内向きになってボンドの存在を終わらせることになったのだと考えています。
円谷監督がマンネリを恐れていた、というのは一つの解釈としてどなたかライターさんが書いたことと思います。
本人が、例えば怪獣映画について、同じことの繰り返しはいやだ、などと発言しているのを見た覚えはありません。(カットを誤魔化すのはいやだ、とおっしゃっていますが)
しかし、同じことを繰り返していたわけでもありません。
ストーリー面でも映像面でも常に創意工夫していたと思います。
むしろ新しさを喧伝している近年の日本製ゴジラのほうが同じことの繰り返しでしょう。
結局ストーリーの主眼は「どうやってゴジラを倒すか」の繰り返しをやっています。
Re: 同じゴジラで連綿とストーリーを続けられるか? - なんじぇい (?)
2025/04/16 (Wed) 19:48:14
ありがとうございました。完全に納得できました。
といっても、最近のゴジラは「同一個体か別個体か」以前の問題ですから皮算用的なタラレバになってしまいそうなのが空しいですが、どこかでここの議論の結末が有効活用されたらいいなあ、と思うばかりです。
やっぱり続編 - なんじぇい (?)
2025/04/15 (Tue) 21:43:38
話題をぶったぎってすみませんが、やはり『ゴジラ-1.0』の続編とほぼ確定しました。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-04-14/SUPOOTDWRGG000
少しでも改善していることを祈ります。
GAMERA ―Rebirth― - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/04/15 (Tue) 18:58:21
TV版「ガメラリバース」第二話まで見ての印象です。
怪獣になにやら関わっているらしいナントカ財団がモナークっぽくて焼き直し感あり。
主役の三人の子供たちはステレオタイプというか、実在感がなく薄っぺらな人物像である。
時代を1989年にした意味はまだ見えない。そして、現実とは違う歴史(月面基地がある)をたどった世界らしいが、
日本に現れた怪獣に対して米軍が率先して出動した理由がわからない。自衛隊がいない世界かと思ったら第二話で自衛隊も出てきた。
現実とは異なる世界設定はきちんと説明して欲しい。
また、怪獣作品(映画かテレビか)がある世界らしいが、そこに現実に怪獣が現れたとなると、空想の現実化という話になってしまうので、話がぶれる。
(同じ欠陥はギャレス・エドワーズの「ゴジラ」も持っていた)
アメリカ人少年たちをことさらに悪辣で欠陥のある人間のように描く理由が解らない。なんらかの政治的主張が展開されるのか?
人物や怪獣をぎくしゃくした動きにしているのはわざとなのか。
ギャオスとされる怪獣が生理的に不快なデザインであり、それは私の怪獣観に反する。
さらに群れで登場させてしまってはスター性が薄れる。
全体に平成ガメラをベースにしているのが見える。
怪獣バトルを見せただけでも「ゴジラSP」よりはまし。
Re: GAMERA ―Rebirth― - なんじぇい (?)
2025/04/15 (Tue) 19:59:54
自分は既に昔第2話まで見ているので今回まで視聴しませんでしたが、当時は『SP』やら虚淵ゴジラレベルでハードルが地の底に埋まっていたので、怪獣が戦ってくれているだけでまだましと思っていました。
今結末まで見たらまた違うのかもしれません。
白いゴジラってアリ? - なんじぇい (?)
2025/04/14 (Mon) 21:32:27
https://dic.pixiv.net/a/%E9%9B%AA%E3%81%AE%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9
昔『シンカリオン』の映画で、雪のゴジラなるものが出たことがあります。
雪のゴジラの出自は粒子が合体してできた代物であるためゴジラでは全然ないのですが、一方で外見だけに関しては色が白いのを除けばVSゴジラチックではあります。
その為、「外見だけでいえば仮にヒト種なら白人やアジア系や黒人がいて、男女老若美醜がいるのでこんなゴジラもゴジラ種にはいてもなにも問題ないだろう」という声もありました。
確かにゴジラというものを種として考えたら理屈上は白いゴジラがいても何ら不思議ではないとはいえます。
個人的な感想ですが、VSとミレニアム(GMKを除く)、マイナ辺りまでなら、ヒト種の容姿を考えれば、「まあ同じ種だからこんな感じの外見の差異はありそうだ」は言えるとは思います。
老いまで含めたら、シン・ゴジラの第4形態は「これは老いた死ぬ間際のシワが多いゴジラなんです」と言い張ればギリギリ行けそうかもしれません。
第2形態や第3形態はどうにもならないでしょうが……
仮に近縁種までアリなら、カブトムシに例えるなら日本カブトムシ・コーカサスオオカブト・ヘラクレスオオカブト等を比べたら、外見だけでいえばシン・ゴジラの第3形態でもゴジラの近縁種とは言えるでしょう(第2形態は厳しいかもしれないが現実の近縁種でもっとキテレツな個体がいるでしょうからどうにかなるかも)。
というわけで、外見以外の設定は全て原作に忠実にした場合、生物学的に考えた種の差異でゴジラの外見を決めて良いのでしょうか。
また近縁種まで含めてしまっても良いのでしょうか。
漫画版ゴジラの腕のトゲトゲの件を突き詰めたらどうなるんだろうと思い質問してみました。
同種で腕にとげがある無しがいる種くらいはありそうだなあと思ったので……
Re: 白いゴジラってアリ? - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/04/15 (Tue) 18:56:21
ゴジラ族の一種であるという説明をつけたなら、色や形が少々違う者がいても不当とまでは言えないです。
しかしそれはゴジラが実在する世界の中で、あり得るかどうかという話です。
我々の現実世界にゴジラはいません。
現実においては、映画に登場する架空の生き物であるのがゴジラ。
そこにさまざまなバリエーションを増やすとどうなるか。
ウルトラマンの展開を振り返れば見えると思います。
種類を増やし過ぎた結果、ウルトラマン一人一人の存在が軽くなっています。
もはやウルトラマンという団体です。
(ウルトラマンはその方向を選んだということで、その是非は難しい問題です)
キャラクター保全の観点から、ゴジラにはそんな分裂をさせないほうがいいでしょう。
ゴジラは種の名前であると同時に登場個体の個体名でもあります。
作品によって微妙な差異が出来てしまうぐらいがぎりぎりで、ゴジラは唯一無二の存在にした方が良いです。
同一作品に複数の〝ゴジラ〟を登場させるのもよくないです。
(ミニラ、ベビー、リトルはまだゴジラではないという扱いだった)
最近のエピソードです。
とあるラジオ番組のクイズコーナーに二十歳前後の若者が参加していました。
クイズの答えは「ゴジラ-1.0」で、彼は見事正解。
そこでパーソナリティが訊きました。
「君はどのゴジラが好き?」
すると彼は完全に、きょとん。
「どのゴジラって??」
「ほら、ゴジラにもいろいろいるでしょう」
「え? ゴジラっていろいろあるんですか?」
「え、知らないの?」
「はい。マイナスワンしか見たことがないので」
というやりとりがありました。
その若者は「シン」すら見ていなかったのです。
ゴジラ事情に詳しくなければ、主役怪獣にバリエーションがあるなんて思いもよらないのでしょう。
ゴジラ映画が何本も作られてきたのは知っていても、全部マイナゴジラが出てくるのだと思っていたかも知れません。
さまざまなゴジラが一様にゴジラとして認知されているなどという意見もありますが、それは、ユルいファンの受け止め方を評しているだけで、
常識的には、主役を張る人気キャラに別物がウヨウヨいるほうが変なのです。
(上記ラジオ番組は「高田文夫ラジオビバリー昼ズ」。ちなみに高田先生の好きなゴジラはラドンが出てくるヤツだそうです)
BSP4K熱談プレイバック - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/03/21 (Fri) 18:33:35
NHK BS4K 3月28日午前11時17分から11時44分に
「熱談プレイバック 円谷英二物語」が放送されます。
https://www.nhk.jp/p/ts/R6VPV2Q1Y2/episode/te/9646JWKXZN/
講談師が円谷監督について語るようです。
さてどんな切り口でしょうか。
私は4Kテレビは買ったものの、4Kレコーダーまでは買う金は~無く~、いつも笑いの~ネタぁにした~(え?)
なのでテレビに付けた録画用HDDに予約録画しました。
4Kチャンネルをご覧になれる方は少ないかもしれませんね。
配信サービスのNHKプラスで見られるかどうかはまだわかりません。
Re: BSP4K熱談プレイバック - エクセルシオール (男性)
2025/03/21 (Fri) 22:27:24
観てみたいところですが、私は4Kテレビは持っていないので、いつか普通のBSに降りてくることを願っています。
正直、4Kにせよ8Kにせよわざわざテレビを買い替えてでも観たいと思えるような番組はあまりありません。個人的にはもとのNHKBS2(BSプレミアム)を残してくれた方がよほどよかったように思います。
Re: BSP4K熱談プレイバック - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/03/23 (Sun) 13:04:32
この手の企画物は地上波や通常のBSに降りてくることがよくあるので、
視聴のチャンスはありそうです。
私も保存用の録画はそのチャンスを待ちます。
で、4K放送はやはり画質が圧倒的でした。
セルソフトの4Kほどではありませんが、従来のハイビジョン放送とは映像圧縮の方法が違うようで、
地上波やBSのハイビジョンでは、複雑な映像になるとモスキートノイズやブロックノイズが頻出しますが、
4K放送ではほとんどノイズがありません。
4K放送で映画を数本(マトリックス3部作、ブレードランナーファイナルカット)見てショックを受けています。
Re: BSP4K熱談プレイバック - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/03/30 (Sun) 17:17:13
「熱談プレイバック 円谷英二物語」を見ました。
『ゴジラ』と『ウルトラQ』に絞った内容で、大事なことを簡潔にまとめた良質なものでした。
円谷監督の経歴を簡単に紹介しつつ、公職追放の話も省略せず、ゴジラについては水爆実験の影響で出現という説明の仕方で、
恐竜が放射線で変異などという誤解をしていないのが素晴らしい。
なにより特殊技術と特殊撮影を切り分けた説明をしていて、二つ合わせて今では特撮と呼ばれているという表現でした。
語りの中でもスタッフの声として「特殊技術ではこんなことが出来るのか」と言わせていて、安易に「特撮」という呼び方をしていませんでした。
これだけでも賞賛に値します。
そして、本多猪四郎監督の姿勢にも触れているのがお見事です。
『ウルトラQ』の路線変更がTBS側からの要請だったことを紹介していましたし、特撮ファンでないと知らないこともちゃんと伝える姿勢でした。
また、バルンガを大きく取り上げていて(珍しい!)バルンガが怪獣のバリエーションを増やすきっかけであったということでした。
このあたりの事情には詳しくないので、どの程度信憑性があるのかは私にはわかりません。
全体にエピソードを圧縮しているというか、『ゴジラ』製作時のエピソードとして語られるものに、別作品での話ではないかと思われるものもありましたが、
円谷監督の姿勢を誤解させるようなねつ造ではなかったので問題はなかったと思います。
(私の記憶違いで、『ゴジラ』での話だったのか??)
講談だけではなく、「現代の主役ウルトラQのおやじ」からの引用映像も使われていて、一さんの発言や英二監督の発言を直接聞かせる構成でした。
怪獣の性格付けの話を引用していたのも好判断です。
あ、「ウルトラマン前夜祭」からも引用されました。
そのときの円谷監督の日記を紹介していたのも良かったです。
地上波か2K放送のBSでも放送されることを望みます。
この4月からBS4Kでは「ウルトラQ」4Kの再放送が始まります。
「ウルトラQ」「ウルトラセブン」の4Kは何年か前に放送されていて、その後2Kダウンコンバート版が通常のBSでも放送されました。
(私は2Kダウンコンバート版を録画保存しています)
今回はついに「ウルトラマン」4Kも放送されるようです。
さらに「ウルトラマン前夜祭」も4Kリマスターされたそうで、ひょっとすると「ウルトラQ」4Kの放送後に「ウルトラマン前夜祭」4Kを放送して、
その流れで「ウルトラマン」4Kに突入してくれるのではないかと期待します。
以前WOWOWで放送された「ウルトラマン」2Kを見た時、特撮シーンの美しさ、とくに光線の色の豊かさに驚愕したので、4Kでどうなるのか期待が膨らみます。
ゴジラ連載漫画 - なんじぇい (?)
2025/04/08 (Tue) 21:29:30
https://x.com/g_comic_yc?t=J6WIimWddbM2FGhVMS4QoA&s=09
ゴジラの完全新作連載漫画が出るそうです。
轟天号が出てゴジラにSPのウルティマっぽい感じのクローが付くそうですがどうなるのでしょう。
Re: ゴジラ連載漫画 - 水戸李人 (男性)
2025/04/09 (Wed) 07:52:05
期待はあまりできそうにない
漫画やアニメにおける展開を続けることでゴジラというコンテンツを盛り上げ、本丸の実写映画につなげるというのがゴジラの戦略なのだろうが、いちゃんとゴジラを理解している作家が何人いるか?
2025/04/09 (Wed) 19:03:42
情報に感謝です。
予告動画(文字情報しかないけれど)を見ると、宇宙怪獣に対抗するためにゴジラを使うという筋らしいですね。
ゴジラ退治ストーリーよりはましですが、さてどうなることやら。
ゴジラデザインが西川伸司さんとのことですが、腕のギザギザは要らないなぁ。個体差で説明出来る範囲を超えてます。
轟天らしきメカがファイナルウォーズしているのも・・・。
轟天号は機械なので、同じ名前で形が違うことがあっても許容範囲ではありますが、ふぁいなる方向はやめて欲しかった。
(もし、『海底軍艦』の世界を引き継いでいるなら、小松崎デザインと同じでなければならない)
毎年ゴジラを出せるか、ぬいぐるみで『-1.0』に勝てるか? - なんじぇい (?)
2025/04/04 (Fri) 16:26:05
ある程度の人数のゴジラファンが「欲を言えばアニメを繋ぎにせずに実写ゴジラ映画を毎年やってほしい」と発言してたのを聞いたことがあります。
正直アニメの出来が悲惨な上に世間でもそんなに評価されていないからというのもありそうですが、実写映画に限ればレジェンダリーでも3~4年ごと、国産ゴジラに至っては『シン・ゴジラ』→『ゴジラ-1.0』にまで7年が経過しており、2代目やVSが毎年ゴジラ映画を出していた事を経験した世代では実写ゴジラ映画に飢えるというのも無理からぬことではあります。
しかし現在邦画で毎年実写映画を出すコンテンツは私は知らず(洋画でも莫大な予算をかけているディズニーのアメコミ系しかなさそう)、コナンやドラえもんのようにアニメ映画にしないと毎年出すことは今は難しいのではないかと思います。
またぬいぐるみにすれば出せるという意見もありますが、「着ぐるみで『ゴジラ-1.0』に匹敵する映像クオリティを出せるわけがない、アカデミー賞を貰ったんだし宣伝にもなったんだからCGで良いだろう」と否定的な意見も多く、これは私も分からないことですが、知る限りではぬいぐるみ特撮で映像クオリティに限れば『ゴジラ-1.0』に比肩できる怪獣特撮は正直見たことがない……と考えてしまいます。
『シン・ゴジラ』のCGには映像クオリティでは十分勝てると思いますが。
仮にぬいぐるみでゴジラ映画を作っても、『ゴジラ-1.0』に映像クオリティに比肩できないならぬいぐるみでゴジラ映画を作ったり、毎年ゴジラ映画にするのも厳しいのではないか、また縫いぐるみ特撮でゴジラ映画をするにはノスタルジーに浸るのではなく、ゴジラ-1.0に負けないクオリティにしないと無理だろうなというのも事実だと思います。
というわけで、ぬいぐるみにすればゴジラ映画を毎年出来るとして、映像のクオリティを落としてでもやるべきなのでしょうか。
あるいはぬいぐるみ特撮で『ゴジラ-1.0』に比肩する映像クオリティを出すことは可能だと思われるでしょうか。
Re: 毎年ゴジラを出せるか、ぬいぐるみで『-1.0』に勝てるか? - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/04/05 (Sat) 17:11:31
大前提として、『ゴジラ-1.0』の映像クオリティをどう見るかは判断が分かれます。
以前も書きましたので理由までは繰り返しませんけれど、私はヒクイチのスペクタクルシーンをさほどハイクオリティとは思っていません。
ということをお含み置きください。
技術の使い方、工夫次第で着ぐるみ怪獣のほうがCG怪獣より効果を上げると思っていますし、これはミニチュアとCGを比べても同じです。
CGIが実用化されて以来、とりあえず何でも描けるCGを便利に使い過ぎた結果、着ぐるみであれミニチュア撮影であれ、物体(実体)を撮影する特殊技術開発が停滞したのがまずいと思っています。
しかしながら、映画の質を上げるための3要素、才能・時間・予算のバランスを考えた時、CG中心でも着ぐるみミニチュアでも、現在の邦画体制で毎年世界標準をクリアした映像のゴジラ映画を作れるとは思えません。
そして、クオリティを落としてまでゴジラ映画を作る必要は無いと考えます。
じっくり練った企画で、世界市場に向けた予算規模で、3年か5年に一本日本のゴジラ映画を作ることが出来ればいいのですが、先に挙げた3要素のうち、ゴジラ映画を作る才能を見つけるのが先決です。
作れば良いってものではありませんから。
と言いつつ、ファンを育てるためには一年に一本ぐらいはゴジラ映画、怪獣映画があったほうがいいとも思います。
これは子供たちのためです。子供にとっての一年は長いです。
ゴジラ戦略会議総体として、どうやらゴジラや怪獣映画の本質論を突き詰めていないらしいのもひっかかりますが。
Re: 毎年ゴジラを出せるか、ぬいぐるみで『-1.0』に勝てるか? - エクセルシオール (男性)
2025/04/06 (Sun) 15:12:53
一応、テレビ特撮の御三家、ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊は尺の長短はありますが、毎年劇場版を作っています(これらの三つはCGも使っていますが着ぐるみ特撮が基本です)。それを思えば、東宝が毎年ゴジラ又はそれ以外の怪獣映画を製作公開することは不可能とまでは言えません。
着ぐるみのゴジラでは『ゴジラ-1.0』のクオリティに匹敵する映像は作れないという意見に対しては、そもそも怪獣映画の映像クオリティとは何なのかという視点も必要と思われます。「生き物っぽく見えるか」という一点に絞っても、果たしてすべてがデジタルデータでしかないCGが、生きた人間が入って演じている着ぐるみと比べて、あらゆる意味で生物らしくみえるかというと、必ずしもそうは言えません(第一、CGが本当に完璧なら人間の役者が人間のキャラを演じる必要もなくなるのではないか)。「マイナゴジラが全ての点で中島春雄を凌駕している」と言い切れる人はそうはいないでしょう。
私は着ぐるみにせよ、ストップモーションにせよ、それぞれの独自の良さがあり、ただ一つの物差しでその良し悪しを判断するべきではないと考えます。現在起きていることは各種の特撮技法を比較する公正で中立的な基準があるのではなく、圧倒的優位に立っているCGの中の最先端のものが全ての指標にされているだけではないかと思います。この基準によって作品を評価すれば結果は目に見えており、着ぐるみもストップモーションも最初から「負け役」を割り当てられている状態になるでしょう。
>ファンを育てるためには一年に一本ぐらいはゴジラ映画、怪獣映画があったほうがいい
私も賛成です。かつて東宝は毎年のように特撮映画、怪獣映画を作っていました。しかし、今では何年間に一回しかない。これでは怪獣映画というジャンル自体が埋もれてしまいます。その意味では特撮通から小馬鹿にされ続けてきた東宝チャンピオンまつりには功績も多かったと思います。毎年、一定の時期には「もうゴジラの季節だな」と思ってもらえることは非常に重要です。
毎年作っていれば出来不出来はあるでしょう。でも、ゴジラを知らない世代の子どもを4~5年単位で作り出していれば、いずれシリーズ自体が袋小路に陥ることになると考えます。
Re: 毎年ゴジラを出せるか、ぬいぐるみで『-1.0』に勝てるか? - 水戸李人 (男性)
2025/04/06 (Sun) 18:52:33
結論から言ってしまうと「クオリティを軽視してまで毎年ゴジラ映画をやる必要はない」と言えます
なぜかというと、それをやって、毎年どころか、一年に三回も劇場版を公開していた東映の仮面ライダーシリーズが、ずさんなシナリオ、しょぼい映像の映画ばかりを作ったせいで、確実にブランドイメージを後退させたからです
この辺、「春映画」という言葉で検索すればわかりますが……
毎年公開していれば、ファンは喜ぶかもしれないが、「特別感」が薄れてしまうという危険もあります。
むしろ、自分が考えるのは、賛否両論あれど、ゴジラが曲がりなりにも一時の不遇を脱して盛り上がってきた現状において、そろそろ東宝は「ゴジラ以外の怪獣映画」の復権を考えるべき時期ではないかと
例えば、「去年はゴジラを公開したけど、今年はモスラの映画をやった。来年はラドンだ」とか。
ゴジラだけにいろいろと背負わせすぎな気がします。
私個人の欲を言うのであれば、「フランケンシュタイン対地底怪獣」「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」のリブート、もしくは「フランケンシュタイン」サーガ、とでも呼ぶべきものを、やってほしいなと
「フランケンシュタイン対地底怪獣」は、広島を舞台にした、多分唯一の特撮映画だと思うのですが、今の時代にこそ、掘り下げるべき部分があると思うのですよね
ゴジラ映画で「怪獣対決」が封じられたら? - なんじぇい (?)
2025/03/24 (Mon) 06:17:36
虚淵氏のインタビューで、東宝からは「怪獣バトルはなし」という条件が出た結果「観念的怪獣映画」が現れたことが分かっています。
https://mantan-web.jp/article/20181108dog00m200048000c.html
それでも脚本がとんちんかんな言い訳にはなりませんが、どうやら『ゴジラ-1.0』でもハリウッドとは違うものにしてほしいという話があったとは言われています(怪獣バトルを禁止したかまでは不明)。
結果、「怪獣バトルを禁止されてしまっては人間vsゴジラ(ゴジラ退治)を書くしかないのではないか」という意見がマニアには多くあります。
もし東宝からは「怪獣バトルものはやめてくれ」という条件が出て、それを絶対に覆せない場合、人間vsゴジラやゴジラ退治以外の作劇は可能なのでしょうか。
尤も東宝の怪獣バトルものなしという条件が意味が分からないというのも事実なのですが、そこは現実に則した雇われ監督の悲しみということで、打開策は存在するのかという意見をお聞きしたいです。
現実でありそうな最も厳しい条件でも、良いゴジラ映画のテーマを成し遂げられるという実績を出せるかが大事だと思いますので……
虚淵ゴジラも最後はギドラと一応怪獣対決らしきものをしていたので、おまけ程度の怪獣対決なら認めるくらいの縛りでお願いします。
Re: ゴジラ映画で「怪獣対決」が封じられたら? - エクセルシオール (男性)
2025/03/24 (Mon) 21:50:30
「怪獣決戦はダメ」という条件をつけられても、人間vsゴジラやゴジラ退治以外の作劇は全く不可能というわけではありません。
一つ目は純然たるディザスタームービー(災害映画)としてゴジラ映画を作る事。怪獣災害にまきこまれた一般人の辿る過酷な運命や、社会の混乱に主なスポットライトを当ててドラマを作り、ゴジラと東宝自衛隊との対決は背景に留める(例えば作中のニュースで「護衛艦隊が壊滅したとか」「5個師団が文字通り全滅したとか」報じられるだけでもいい)。超常的かつ圧倒的なゴジラの力の前に主人公たちがひたすら翻弄され、社会が崩壊していく様を重厚に描けば、悪くない話になると思います。ただし、「地震でも台風でも描ける話であり、あえて怪獣でやる意味はあるのか」との疑問は避けられないでしょうが。
もう一つあるとしたらコメディ映画でしょうね。南の島にレジャーランドを作ってお客をよんだら、なんとゴジラが寝ていることが分かり、登場人物がゴジラを起こさないように奮闘する話とか、ゴジラを出汁にインチキな金儲けをしていたら(例えば「ゴジラ除けのお札」など)、本当にゴジラが現れて非常にまずいことになってしまうとか、いろいろネタはありそうです。
>東宝の怪獣バトルものなしという条件が意味が分からない
本当に意味が分かりません。怪獣同士の対決こそ怪獣映画やドラマの主流です。超常の存在同士が対決するから面白いのであり(ウルトラマンだってその一つ)、それを否定したらほぼ怪獣映画の否定と同じです。
もっとも、特撮マニアの間では怪獣同士の戦いを描いた作品を「怪獣プロレス」と小馬鹿にして(怪獣プロレスの何が悪いのかと思うが)、単体の怪獣のみが登場する話を讃える傾向にあります。昨今の日本製ゴジラ映画が怪獣決戦なしか、あってもおまけにしかしていないのは、この種のオタク的価値観を無批判に受け入れた結果ではないかと考えます。決定的に間違っています。
Re: ゴジラ映画で「怪獣対決」が封じられたら? - なんじぇい (?)
2025/03/25 (Tue) 13:35:01
ディザスタームービーという側面は確かにアリだと思います『クローバーフィールド』あたりと差別化する必要はあるでしょうが……
ただ虚淵ゴジラみたいな3部作や、ゴジラSPみたいな全12話(実質260分前後くらい、映画3本弱)のアニメで、ほぼ怪獣決戦禁止みたいな縛りを出されたら、人間vsゴジラ以外で2作持たせるのはものすごく厳しい気がします。
更に、もし延々と怪獣決戦を禁止され続けた場合、人間vsゴジラは確定になり、しかも大体同じような作戦になりそうなので(リアルに則すかメカゴジラみたいな超兵器にするかの違いはあるでしょうが)、そのうちネタが尽きてゴジラをリブートという名の改変をしないと無理な話になりそうです。
ポケモンのロケット団みたいに延々と人間がやられる話を書いても続けられはするでしょうが、ゴジラ映画でそれをやり続けるのは流石にリアリティがないと思いますので……
この変な縛りが今も続いてるかは分かりませんが、もしやっているなら一刻も早くやめてほしいものです。
Re: ゴジラ映画で「怪獣対決」が封じられたら? - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/03/25 (Tue) 19:00:19
親記事へのレスを途中まで書いていました。
しかし、エクセルシオールさんのご意見とまるで同じだったので投稿中止しました。
ひとつ付け加えるとしたら、
人間のいない世界で怪獣の生活や冒険(?)を描くストーリーでしょうか。
これは一応ストーリーを作れるというだけのことで、映画でやって面白いとは思いません。
(そんな人形劇がありますね)
そして、なんじぇいさんのおっしゃる危惧はまったくその通りでありまして、
だからこそ、元祖ゴジラシリーズは怪獣バトルに落ち着いたとも言えます。
書きかけの原稿から関連する部分を改稿して抜き出します。
「 本物のゴジラ=水爆でも死なない怪獣、そして、第一作『ゴジラ』で表現されたものを引き継ぐなら、
人間に倒されるゴジラは二度と描けません。(第一作におけるオキシジェンデストロイヤーと芹沢が象徴するものを考えよ)
本物のゴジラを使ってゴジラvs人間を描くとなると人間の負けを見せるしかないので、
怪獣バトルを拒絶して人間vsゴジラを描こうとする場合には改変ゴジラ(元祖ゴジラよりいろいろと体が弱い)を使って人間の勝利を見せる形になってしまうのでしょう。
まあ、私は人間の負けを見せても良いと思いますけれど。
とはいえ、それを繰り返すわけにはいかないので推薦はしません。」
まずは、ゴジラ(とそれに準ずる怪獣)が人間の傲慢をいさめる存在であり(といっても劇中のゴジラにそんな意識があったり、それを強調して説教くさくするのはNG)、人間は大自然には勝てないという観念を平易に体感させるものだという認識に立って欲しいです。
その上で、人間では対処しきれない大怪獣同士のバトルに娯楽性を生む作劇をして欲しいものです。
そこに
>怪獣災害にまきこまれた一般人の辿る過酷な運命や、社会の混乱に主なスポットライトを当ててドラマを
織り込むことも出来ます。
それこそ、充実期の元祖ゴジラシリーズがやっていたことです。
ハリウッドゴジラがバトルに特化しているとしても、日本流の怪獣バトル映画として別の方向に差別化することは可能です。
(改変されていない本物ゴジラを登場させるだけでも十分差別化になる)
ゴジラ映画の作家性について - なんじぇい (?)
2025/03/18 (Tue) 10:09:11
最近はゴジラファンの中でもゴジラそのものに作家性やオリジナリティを求める声が多いですが、どうやら制作者側もそれを求めているようです。
富山省吾プロデューサーからはこのようなコメントがあります。
https://www.shochiku-tokyu.co.jp/notice/detail/202410291200/
>庵野秀明監督が手掛けた『シン・ゴジラ』(16)と、山崎貴監督による『ゴジラ-1.0』(23)は、それぞれの監督による作家性を全編に込め、創作への熱意と類稀なイマジネーションによってアート性を高めた素晴らしいゴジラ映画になっていると思います。
これからも、作家性の強いゴジラ映画が生まれる期待と予感を抱いています。
これらのアートゴジラには、ルーツとなるゴジラの「怖いけど可愛い」という創作意図は見られませんが、それでも老若男女、国境、人種を問わずここまで愛されているのは、認知されたキャラクターとしてのゴジラの根源的な魅力によるとも言えるでしょう。これからも、新しい才能による新たな表現と装いを纏いながら、ゴジラは愛され続けることでしょう。
なんとなく実は腹に一物ありそうだな、という言い方はしていますが……
また庵野氏が『シン・ゴジラ』で東宝が脚本に条件を色々付けた時に、打ち合わせの度に毎回条件を付けられて想定していたものと全然違っていたものに変えられたことで嫌気がさして「この方向で進めるなら僕がやる必要はないから降板します、これまでの脚本も差し上げるしギャラもいりません」と降板されそうになり、東宝が折れたという話があります(庵野氏は本当に辞めるつもりだったらしく、東宝がビッグネームとケンカ別れするのを嫌がったのかそれ以降条件は相当緩くなった)。
しかし、その作家ならではのゴジラをみたいという声は後を立ちません。
というわけで、作家性をゴジラ映画で表現するとして、どうすればいいのでしょうか。
また作家性を求めるファンに関してはどう考えるでしょうか。
個人的には出来を除外すれば、『シン・ゴジラ』より前で一番作家性が出ていたのは『ゴジラ対ヘドラ』だったと思います。
あれは演出はカルト映画を思い起こさせるほど特殊でしたが、空飛ぶゴジラを除けばそれほど変なゴジラは描いてないよなあとは考えています。
Re: ゴジラ映画の作家性について - エクセルシオール (男性)
2025/03/18 (Tue) 22:26:43
作家性にせよ、オリジナリティにせよ、それ自体は問題ではないですが、それが許される範囲は事案によって異なるはずです。全く新しいキャラクターや作品を作る場合と、ゴジラのようにもともとの設定や確立されたイメージが存在する場合とでは話が全く違います。前者ならば基本的に自由にやればいいでしょうが、後者ならば超えてはならない限界線の枠内で作家性やオリジナリティを発揮するべきです。
限界線のたとえ話を一つあげますが、例えば時代劇の金字塔『水戸黄門』。この作品では黄門様ご一行が諸国を漫遊して世直し旅をする勧善懲悪の物語というのがコンセプトです。仮にクリエイターが暴走して「弱者を踏みにじり、悪代官の側につく水戸黄門」を描いたドラマを作ったらどう評されるでしょうか(コントやパロディなら格別)。「何が作家性だ。何がオリジナリティだ。ふざけるな。」ということになるでしょう。
ところが昨今のゴジラ映画では、キャラとしての最低限の枠組みさえ一切無視して、クリエイターが好き勝手な作品を作っています。そして、それらに対して作家性の発露であるとしてほぼ無条件の賞賛が浴びせられているという、極めて理不尽な状況になっています。これはもはや倒錯としか言えません。
Re: ゴジラ映画の作家性について - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/03/19 (Wed) 18:45:20
「作家性」という言葉がくせ者なんですよね。
難解だったり奇天烈だったりすると作家性の発露だなどと言って誉める例があります。
では、作家性とは何かと考えると、平たく言えば作家の個性ということになるでしょう。
作品作りは取捨選択の連続です。
作者によって何をよしとするかが変わってきます。
同じ題材を取り扱っても仕上がりが変わってくるのは作者によって考え方が違うからです。
平易でも難解でもどちらも作家性の発露なんです。
その作家性を大きく二つに分けると、(大げさになりますが)真理の探究を目指す人と、自己表現を目指す人に分かれるように思います。
前者は人間・社会さらにはこの宇宙の有り様を捕まえようとしますが、後者は自身の内世界を描こうとします。
どちらも芸術の方法として間違ってはいないでしょう。
劇映画であれば、前者は時代考証や科学考証、社会考証を行って、己の頭の中だけで想像するのではなく外界のあり方に沿った物語を作るでしょうし、
後者は己の中にあるイメージを優先して現実からの乖離もいとわないでしょう。
ゴジラ映画をつくる場合を考えるとどうなるか。
怪獣ゴジラはすでに先人が創作したものです。
最初にゴジラを作った人々の創意工夫が込められた作品なのです。
これから作ろうとする者のオリジナルではありません。
先人の意思を無視して自己表現することが正しいのか?
ストーリーをどう組み立てようと、どんなテーマを込めようと作り手の自由でしょう。
しかし、怪獣ゴジラは完成した創作物なのですから、意図的に改変するのは越権行為です。
(ここで現行法判例を持ち出して映画の著作権は映画会社が持っているのだから、会社が許可すれば何でもあり、などという無機質な主張はしないこと!法律がすべての倫理をカバーしているわけではない)
もちろん
>同じ題材を取り扱っても仕上がりが変わってくるのは作者によって考え方が違うから
なので、怪獣ゴジラにも揺らぎが生じるのは致し方ないところです。
しかし、極力元祖ゴジラの個性を守ろうとするのが誠実な態度であると思います。
結果としてちょっと違うところがあるよね、というのが許容範囲でしょう。
創作物とは作者が心血を注いだものです。(そうであるべき)
それを他者が自己都合で書き換えるなど言語道断。
また、観客側もそんな自己中心的な態度の作品を称揚してはいけません。
無知故に善し悪しがわからない人までも責めようとは思いませんが、知らないことの何が悪いと開き直るのはやめて欲しい。
繰り返します。
自己表現だけが芸術ではありません。
2025/03/06 (Thu) 18:24:57
意外なところで見つけた特撮(使用)作品です。
『美男天狗黨(党)』(1954松竹・内出好吉・なんちゅうタイトルだ)。
幕末の水戸藩。
勤王派の天狗党と佐幕派の書生党の対立を軸に、ノンポリだった剣豪青年(北上弥太朗)が、天狗党の幹部になっている親友の許嫁と知り合い、
書生党に両親を殺されたことがきっかけで天狗党に味方するようになるというアクションロマンス映画です。
書生党が起こした火災が実景(スタジオセットか)にミニチュアを合成して表現されていました。
燃える炎がチョロチョロでいまいち迫力はありませんが、合成の技はなかなか見事で奥行き感がリアルです。
そのほか空を作画合成、実景にミニチュアセットの爆破を合成、海上の船舶を作画合成するなど、なかなか力の入った特撮でした。
特殊撮影として瀧花唫一の名前がありました。別作品でも見かけた名前と覚えていますが、あまり情報がありませんね。
撮影監督としていくつかの作品はヒットします。
しかし、どうやら特殊技術にも進出していた模様です。
補足情報、エキストラとして渥美清さんが出ているような。
渥美さんは1954年に肺結核で入院しているようですが、『美男天狗党』は6月公開なので、入院前の仕事であってもおかしくないかも。
寅さんの頃とは印象が違いますが、あの細い眼と四角い顔の若い頃に見えます。違うかなぁ。
Re: 美男天狗党 - エクセルシオール (男性)
2025/03/08 (Sat) 20:22:01
>なんちゅうタイトルだ
確かに乙女ゲームみたいなタイトルですね。いったいどういう目論見でつけられた題名なのか、かなり興味があります。当時、チャンバラ映画というとどうしても客層が男性客に偏りがちだったと思われるので、女性客を取り込む意図があったのかもしれません。
特撮というと怪獣映画や、SF、ファンタジーといった超現実的な内容の作品で用いられるものという印象が強いですが、それ以外のジャンルでも少なからず用いられているものです。SF等以外の特撮についてももっとスポットライトを当てる必要があると考えます。
>エキストラとして渥美清さんが出ているような。
後の大スターが無名時代に無名の役で出ている場合、何とかして探したくなりますが、何分エキストラでは自力で見つけ出すのは難しいかもしれません。『美男天狗党』の資料文献とかが残っていても、エキストラではどこの誰かまでは分からない可能性もありますね。
2025/03/09 (Sun) 17:05:35
ちょっと訂正です。
主演の北上弥太朗氏、この映画では弥太郎の表記でした。
1954年だとまだまだ若手のころで、時代劇では未熟な若侍役をやることが多かったように思います。
この作品では主役でもあり、とにかくカッコいい役です。
そして、きりっとした細面の顔立ちでさぞや女性人気があっただろうと思われます。
まさしくエクセルシオールさんのおっしゃる通り、女性客を取り込む意図があったタイトルだと想像できます。
特撮(特殊技術)はさまざまなジャンルの作品に活用されていて、
意外な作品で見つけるとテンション上がります。
私はSFや怪獣・スペクタクルはもちろん好きですが、映画の特殊技術そのものにも大いに魅力を感じています。
特撮は映画という表現が持つ大きな特徴の一つと思います。
批評家たちはもっと特撮(特技)について語って欲しいものです。
(それに特化したライターさんがいるのではありますが)
渥美清さんにはものすごいマニアがいそうなので、そんな方なら浅草時代の細かい仕事も調べているんじゃないかと思います。
『美男天狗党』の写真をアップロードしたいところですが、このごろはいろいろうるさくてままならないのが残念。
(こっそりやっちゃおうか??)
寅さんマニアはここを読んでいませんか?
誰か教えてちょーだい。(そもそも別人ならどうにもなりませんな)
Re: 美男天狗党 - 海軍大臣 (男性)
2025/03/09 (Sun) 21:51:07
瀧花唫一は元々、日活(大将軍~多摩川)の撮影技師だった人物で、かの田坂具隆監督の義弟に当たる人物ですね。後に興亜映画を経て戦後は松竹に入社されていて、昭和34年版の日本映画人大鑑によると「現在は特殊撮影課に籍を置く」と書かれていました。
この『美男天狗黨』の翌年に当たる1955年には松竹大船撮影所内に特撮専門ステージが完成(珍しいことにスクリーンプロセス投影時の映写軸に当たるスペースが数mに亘って細長く建物内から伸びている構造)しており、東宝ゴジラのヒットもあって、特殊撮影に注力しようとの方向性が見え隠れしているようです。以前に触れた『八頭獣』(ヤマタノオロチの現代版怪獣映画)と云った企画もこれと連動していたのじゃないかと想像されます。
あと余談ながら1950年代の同社文芸作品(題名失念)に、ミニチュアで再現した熱海の夜景を旅館の窓枠に嵌め込み合成した場面がさり気なく使われていたりで、松竹作品はナカナカ油断なりません。
2025/03/10 (Mon) 18:27:43
ありがとうございます。
瀧花唫一氏は松竹の特殊撮影部に所属するのですね!
川上景司氏の独壇場かと思いきや、ほかにも特撮の出来る技術者がいたということですね。
特撮というと東宝・大映が真っ先に上がってきますが、その他の映画会社もそれぞれに特殊技術を磨いていて、
担当者不明で凝った特撮が見られる作品が時々見つかります。
松竹でわりと最近見た作品だと『空と海の結婚』というラブコメ映画に、嵐に翻弄される豪華客船がぎょっとするほど見事なミニチュア特撮で描かれていました。
これも担当者不明・・。
Re: 美男天狗党 - 海軍大臣 (男性)
2025/03/10 (Mon) 22:03:00
仰られる通り、松竹作品の特撮って担当者不明のパターンがあって、かの「皇帝のいない八月」もミニチュア特撮を誰が担当したのか判然としないようです。
あとフランキー堺主演の「瀬戸はよいとこ 花嫁観光船」というコメディ映画のクライマックスでは、暴風雨で難破しかけた観光船を主人公らが救助するくだりにミニチュア特撮が結構使用されていましたが、こちらも何故かノンクレジット…。
まだまだ研究の余地は大きいようですね。
子供向け・万人受けという評価について - なんじぇい (?)
2025/02/28 (Fri) 00:05:34
『シン・ゴジラ』や虚淵ゴジラなどの作品の批判に「万人受けしない」「子供向けじゃない」という言葉がよく使われますが、一方で「自分が子供の時はその作品が一番好きだった。過剰なエログロなどではない限り、決めつけはやめるべきだ」という批判も散見されることがあります。
ただ実は私は幼児や小学生時代の頃はミレニアムシリーズではGMKが一番好きだったので、気持ちが分かることがあります。
理由は、「ただのでかい蛾にしか見えないモスラがゴジラに毎回勝つのが忖度されてるようでムカついてたから」というしょうもないものでしたが(今でもこの感覚はあったりする)……
世の中には多種多様なので、本当に子供時代から前に挙げた山本弘氏のように特撮のお約束に我慢ならなかったり、ゴジラの上記2作品のおしゃべりが一番好きな子供が本当にいるのだろうなとは思っています。
幼児~小学低学年時代なら、物事を深く見れる知性も備わっていないでしょうし、感覚オンリーの感想でしょうから、なおさらそうなるでしょう。
「子供向けじゃない、万人向けじゃない」という批判の是非に関してはどう思われるでしょうか。
尤も、万人向け云々なら売れりゃ正義という尺度が入ってくるので、シン・ゴジラやゴジラ-1.0はある程度成功したことになってしまいそうですが……
Re: 子供向け・万人受けという評価について - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/03/01 (Sat) 18:10:10
子供であれ大人であれ作品の好き嫌いはそれぞれでしょう。
そして作品ごとに観客ターゲットを設定することはあると思います。
私の評価軸としては、表現内容の善し悪しを考えるのはもちろんとして、
それぞれの作品が目指したこと(喜劇?悲劇?スペクタクル?アクション?社会批評?一般向け?子供向け?などなど)に対して
上手く出来ているか、合目的になっているかも考えます。
万人受けを狙ったと思われるのに専門的な知識が無いと理解できないものは評価が下がります。
はじめから特殊な人に向けて作られているものなら、その枠組みで考えようとします。
子供向けであることが明白であれば、物事の単純化も必要であろうと考えます。
「万人向け」だから優れている(劣っている)、「子供向け」だから優れている(劣っている)と考えることはしません。
ゴジラ映画を考える時は、まずはゴジラを描けているかを問題にします。
言い換えると本物のゴジラを見せてくれたかということです。
その次にストーリーや演出の問題に入っていく感じです。
怪獣映画は子供に喜ばれなければならないというのは持論ですが、それは子供向けにせよという意味ではありません。
ゴジラに始まる日本の怪獣が見せてくれるのは、基本線として野生の解放であり、究極のアウトローを体現するので、子供が喜ぶのです。
大人にもその感覚を持つ人がいるので、大人の怪獣ファンもいるのだと思っています。
(最近は変わってきましたけれど)
では、怪獣映画は万人向けではないのかというと、十分万人向けになり得るものです。
怪獣映画は怪獣が巨大で退治が容易ではないことから、怪獣出現が社会問題になるストーリーにするのが自然です。(変化球もありうるが、それは原則ではない)
そこでは、怪獣描写の面白さだけではなく、人間社会全般の問題を取り込んで幅広いストーリーを作ることが出来ます。
その結果、怪獣に対して興味が無い人でもなんらかの興味を感じる題材を取り込むことが出来ますから、万人向けの怪獣映画を作ることが出来るのです。
出来の善し悪し(作品が目指したことに対する完成度)を別にすれば、ヒクイチは万人向けにしたことでヒットしたのでしょう。
しかし、怪獣の魅力は希薄でした。(ゴジラじゃないし)
商売の観点からはシンもヒクイチも大成功でしょうね。
しかし上記にある私の評価軸からはどちらも偽ブランド商品ですし、万人向け作品と考えても決して出来の良いものではありません。
鑑賞者の立場としては会社が儲かることなど作品評価とは関係ありません。
ゴジラは何も食べない……らしい - なんじぇい (?)
2025/02/23 (Sun) 06:04:14
https://natalie.mu/eiga/column/571037#NA_article_main_h2_2
ゴジラ戦略会議のインタビューですが、ゴジラの三大ルールには「捕食しない」「完全に死なない」「しゃべらない」があるらしいです。
補食しないは人だけかなあ、と思ったらどうもそうでもないらしいので、何をどう勘違いしたらそうなるのか気になるところです。
神だから何も食べないとか思っているのかもしれません(シンゴジで霞を食ってる仙人みたいな台詞があった)。
ゴジラウルティマは完全に死んだとしか思えないので、完全に死なないも気になってしまいます。
それ以外は、基本何やっても許してそうな書き方にも見えます。
ゴジラ開発会議の今の考えが伺い知れるので、読んでて興味深いとは思います。
Re: ゴジラは何も食べない……らしい - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/02/23 (Sun) 14:11:58
読ませていただきました。
いやー、なんと申しましょうか・・。
付け焼き刃でゴジラを学んでも芯を食う方針は立てられないわけで。
食事シーンを見せないというならまだわかりますが、ものは食べない、というのは、ゴジラ映画を分析した結果ではないですね。
完全には死なない、という言い回しには、一旦死んでも生き返ればいいという意味に取れますね。
(GMKや-1.0のやり方ということか)
ゴジラが死ぬのは『ゴジラ』(54)だけのことにしないと、芹沢の死が軽くなってしまうことに気づいていないのがイタいなぁ。
(『vsデストロイア』は病死なのでちょっと違う)
そして、ゴジラはしゃべりますよ。
人間の言葉を話さないだけです。
これも作品ベースで考えればわかることなのに。
映画作品の中で生きてきたのがゴジラなのに、ゴジラ映画の世界を考え抜かず、キャラクタービジネスの展開として方針を作っているだけなんでしょう。
Re: ゴジラは何も食べない……らしい - エクセルシオール (男性)
2025/02/24 (Mon) 20:33:21
現在のゴジラ三大ルールは過去のゴジラ映画を鑑みると全部間違っています。ゴジラ映画製作の中枢ともいうべき会議がこのような状態であるというのははなはだ深刻です。
まず、「ゴジラは捕食しない」。最初の『ゴジラ』(1954年)で「家畜の被害があった」という趣旨の台詞がありました。これはどう考えても「ゴジラに食べられた」と解釈するのが自然です(「ゴジラが現れると魚がとれなくなる」という伝承も同旨だろう)。『モスラ対ゴジラ』でゴジラがモスラの卵を狙ったのは、やはり食べようとしたからでしょう。『三大怪獣地球最大の決戦』ではクジラの群れを追いかけてゴジラが現れていましたが、やっぱり食べようとしていたと思われます。『怪獣総進撃』でも「怪獣ランドにはゴジラを含む怪獣たちの食べ物が豊富にある」ことになっていたので、やはりゴジラは何か食べているはずです。なお、初代ゴジラのラジオドラマ版をベースにした小説『怪獣ゴジラ』では、「ゴジラが別の安住の地を見つけるまで餌をやって懐柔しよう」という作戦が提案されたりしていますし、『ゴジラVSビオランテ』の原案小説ではゴジラが倒したデューテリオス(実際の映画には出てこなかったキャラ。哺乳類と魚類の合成怪獣)の肉を食らうシーンがありました。これらの要素を鑑みると「ゴジラは捕食しない」というのは無理です。
次に「完全に死なない」というのも妙ですね。初代ゴジラは芹沢博士の作ったオキシジェンデストロイヤーで完全に滅ぼされてしまったし、『ゴジラVSデストロイア』では倒されてはいませんが病死しました(ラストシーンに出てきたのはゴジラジュニアの生まれ変わった姿である)。確かにゴジラは不死身に近いですが、少なくとも完全に死なないわけではありません。
そして「ゴジラはしゃべらない」。どう見ても何かしゃべっているでしょうし、他の怪獣と意思疎通することも再三でした。『三大怪獣地球最大の決戦』では小美人の通訳で具体的に何を言っていたかが分かりましたし(「人間はいつも我々をいじめているではないか」は名台詞)、有名な『ゴジラ対ガイガン』でも吹き出し付きでアンギラスとしゃべっていました。どう考えれば「しゃべらない」などと言えるのか理解不能です。
結論から言えば今の東宝のゴジラ三大ルールは過去作を全否定しないと成り立ちません。いったい何の権利があってそんなことができるのか。今までの歴史を無視して勝手に作られた原則など何の価値もありません。ファンの側もこんな原則を安直に許容しないようにすべきです。
ゴジラSPのトンデモ設定とゴジコン小説 - なんじぇい (?)
2025/02/19 (Wed) 16:50:05
脚本家の円城塔氏が自ら補完として書いていたゴジラSPの小説をがっつり読んだところ、トンデモ設定の嵐で倒れそうになりました。
・ゴジラウルティマは紅塵の中心、特異点である
・ゴジラは時空間を通じてあらゆるものを見通す目を持っており、その上無数の試行の果てに得られる結果を一息に掴み、ありうる可能性のうち最良のものを後から選び出すことができる
・ゴジラウルティマの熱線は当たったところの時空が破れて宇宙の素が沸き立ち、果てには因果まで切り裂ける
・因果律を改変してダメージもなかったことにできる
・あらゆるゴジラの過去の記憶を保持している
・なお作中で選択を誤りダメージが通り消滅したのは、オキシジェン・デストロイヤーが「因果律を改変する究極の兵器」で、オーソゴナル・ダイアゴナライザーはそれよりは下ではあるが因果律改変兵器で、オキシジェン・デストロイヤーを過去に使われた影響もあり、結果的に未来が見えず選択を誤ったからからである
いやその、描写が伴ってなさすぎて空しい(そこら辺の不良がデコピンで惑星破壊できるみたいなこと言ってるみたい)……というか、勝手に過去のゴジラを巻き込まないで……というより、因果律云々はなんでもありすぎて、物語の矛盾も因果律が歪んでいたからでごまかせてしまう訳で、ずるいのでは……とげっそりしました。
史上最強のゴジラとオキシジェン・デストロイヤーをそれに伴うように強化したいのは非常に良く伝わりましたが、アニメの描写があれなので空しすぎて中二の自由帳に見えました。
ただ、一部のファンは初代ゴジラを倒したオキシジェン・デストロイヤーが因果律改変兵器なのは設定が上がっていて良い、みたいなことを言っていました。
実際初代ゴジラのそれよりは「設定」は強くなっているのでしょうが……
というわけで、仮にの話ですが、ゴジラSPの映像面の問題が完全に解決し設定に伴ったものになっていたとして、ゴジラとオキシジェン・デストロイヤーに因果律云々みたいな元とはかけ離れてはいるが明らかに強化する設定を後付けしても良いのでしょうか。
宇宙を破壊するゴジラを書こうと思ったら『メン・イン・ブラック』のラストシーンみたいになりそうですが。
余談ですが、『ゴジラ×コング 新たなる帝国』の小説版を英語ですが軽く読んでみたところ、キングギドラが氷に閉じ込められていたのはゴジラとシーモが共同して倒し、シーモが凍らせたからとなっていました。
確実に後付けでしょうが、キングギドラからしたら勝手に凍ったよりはシーモが凍らせた方が格も維持できて良いかな、とは思いました(結局爆薬程度で目覚めるのはどうしようもないですが)。
Re: ゴジラSPのトンデモ設定とゴジコン小説 - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/02/20 (Thu) 18:33:04
いつも興味深い話題を提供していただいて感謝しています。
いやー、思うことはいろいろありますが、総論としてまとめますと、
「科学の解説が何が驚異だ」ということになります。
ゴジラの存在もオキシジェンデストロイヤーも「不思議な現象」ということでまとめることが出来ます。
ゴジラは自然界の不思議ですし、オキシジェンデストロイヤーは科学技術が到達するかもしれない不思議なんです。
たとえ具体的な理論の裏付けが出来ないとしても、「因果律改変」という説明を付けた瞬間ゴジラやオキシジェンデストロイヤーの不思議は減少します。
なにもわからない、これが重要です。
一般的なSFは科学知識を援用して日常性を超えた不思議を描く物ですが、ゴジラシリーズに代表される怪獣映画は広い意味でのSFに分類されるものの、
科学が通用しない存在を描くのが本義であり、怪獣についての科学的な説明は少ない方がいいのです。
大自然の不思議を集約したようなゴジラを倒すのが、科学の極限(だから現在の我々には説明がつかないほうがいい)を体現するオキシジェンデストロイヤーであることは、
不思議対不思議という構図であり、怪獣対決ものと同じ構図を持っていると言えます。
現実にある不思議な現象に空想で説明を付けるのはフィクションの機能かと思いますが、
もともと不思議を感じさせるための空想にさらに空想の設定で説明を付けるのは愚の骨頂でしょう。
後付け設定を全否定はしませんが、ゴジラを強くしようとして余計な設定を持ち込むと角を矯めて牛を殺すことになりますよ。
いや、もともとゴジラは最強怪獣ではないのだからやたらと強化する必要は無いです。
あ、キングギドラがシーモに凍らされたとは・・、アメリカギドラなら仕方ないと思いますが、本家キングギドラには通用しないぜっ
Re: ゴジラSPのトンデモ設定とゴジコン小説 - なんじぇい (?)
2025/02/21 (Fri) 02:03:03
ありがとうございます。
哲学的・思考実験的な話ですが、もしゴジラやオキシジェン・デストロイヤー等の設定が「因果律改変」すら超えた「全能」ならどうなのでしょうか。
円城塔氏の思想を突き詰めたらそうなのではないかと思いました(彼の作品にも『Beaver Werver』や『self reference engine』で科学の力で全能の領域に到達したキャラがいて、全能同士が戦うみたいな話になっていた)。全能を越える存在も能力も存在し得ず、当然全能のなかには不思議な現象も含まれるからです。
全能を越えるものは存在しないので、つまり不思議は消えない……的なことを言われたらどうなるかは気になってしまいました。
Re: ゴジラSPのトンデモ設定とゴジコン小説 - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/02/21 (Fri) 17:18:26
いや、全能というのもひとつの説明になります。
どうして全能なのかを説明しなくても、あるキャラクターを全能者だと設定した途端、
それが何をやっても観客(受け手)にとって不思議ではなくなるのです。
だって全能なんだから何でも出来るんだよね、と納得するでしょう?
ゴジラはは虫類と哺乳類の中間型の生物と規定されているだけです。
それがなぜ身長50メートルもあるのか、なぜ水爆でも死なないのか、なにも説明されません。
そこに不思議が生まれます。
観客の鑑賞権利として、それぞれに裏設定を考えるのは自由です。
しかし、作り手がそんな二次創作的なことをやって、鑑賞の幅を狭め、不思議さを奪うのは間違いだと言いたいのです。
Re: ゴジラSPのトンデモ設定とゴジコン小説 - なんじぇい (?)
2025/02/21 (Fri) 19:31:25
ありがとうございます。完全に納得できました。
『ゴジラSPファンブック』の円城塔氏のインタビューにおいて、「ゴジラが戦車の砲撃に耐えられる理由なども考えなければいけなかった」という内容を話していたため、紅塵の特異点や因果律操作云々はそこから理由付けしようと生まれたのかもしれません。
まだ出来ていない! - なんじぇい (?)
2025/02/13 (Thu) 19:14:00
https://variety.com/2025/artisans/news/godzilla-minus-one-director-takashi-yamazaki-ai-ves-awards-1236305429/
2月12日時点で、山崎貴監督がインタビューで
・ゴジラ映画の新作で脚本とストーリーボードに取り組んでいること
・今回の映画は前作より予算が貰えそうなこと
を明かしていました。
シンゴジの時は最低1年はVFXにかけていた筈なので、本当に2025年に出来るのか? とは思いますが、まだ脚本が完成していないそうです。
というわけで、せめてどうしても「ここだけは変えてくれ!」という現実的な1点だけをお願いするとしたら、どうなるのでしょうか。
ちなみに私は、「ゴジラが人間に倒せないようにしてくれ」です。
話のなりゆきでたまたま生きたみたいな「倒さない」ではなく、確率上不可能にする「倒せない」です。
Re: まだ出来ていない! - なんじぇい (?)
2025/02/13 (Thu) 19:17:28
ちなみにまだ脚本にかかっていて、2025年内に完成させるとしたら、それは「マイナスワンゴジラのCGを流用する」以外はあり得ないんじゃないかな、と……
なのでもう99%続編だと思います。
Re: まだ出来ていない! - エクセルシオール (男性)
2025/02/14 (Fri) 11:54:08
映画を作る時に一番いけないことの一つが「シナリオが出来上がる前に撮影を始める事」と言われています。脚本ができたところから撮影していくという方法は不可能ではないですが、全体像が見えない状態で撮影していけばスタッフもキャストも五里霧中で動かざるを得ないし、さらには通常用いられる「一番労力のかかるところから撮影していく」ことができないので、制作は困難を極めることになります。
そうなると脚本の完成を待ってから撮影するのが無難なので、現実的には2025年中の公開は難しく、2026年にずれ込む可能性が高いのではないでしょうか。
>せめてどうしても「ここだけは変えてくれ!」という現実的な1点
ゴジラの設定を元々のものに戻してほしい、せめてVSシリーズくらいにはしてほしいというのが願いですが、『ゴジラ-1.0』の続編ならば前作の設定を無視して作るわけにはいかないので、よほどの力技を用いないと難しいでしょう。
続編ではないのならば多少の期待は持てますが、『シン・ゴジラ』や『ゴジラ-1.0』が傑作、成功作として扱われている以上、その軌道修正を図る動機が東宝にもメインスタッフにもあるのかはかなり疑わしいと思われます。
Re: まだ出来ていない! - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/02/14 (Fri) 18:22:08
現実的に考えた一点、ということになると、
前作で爆破されたので、再出現時には爆発への耐性を獲得したという形で不死身設定を作るぐらいでしょうか。
私もゴジラと名付けられた怪獣が人間に倒されるのは我慢がなりませんので。
(そんなことを言うと芹沢だのオキシジェンデストロイヤーだののことを持ち出す向きもおありでしょうが、
それは一作目のストーリーでしか通用しないものであり、
二作目以降は明確にゴジラは殺せないと規定されているのだよなぁ)
本当は、マイナゴジラは見た目も芝居もゴジラらしくないので、何もかも変えて欲しいところです。
ガメラリバース地上波 - なんじぇい (?)
2025/02/12 (Wed) 21:31:05
地上波で放送されるそうです。
ネトフリなので見る気は更々なかったのですが、これなら見てみようかなあ……とは思っています。
https://x.com/gamera_rebirth/status/1889600336525947312?t=URj-3om7_Jus1ILJ_N6PCw&s=19
Re: ガメラリバース地上波 - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/02/13 (Thu) 18:59:56
情報に感謝です。
おや、NHKなんですね。
時間帯からして「チ。」(実は見ている)の後番組のようで。
私も見ますよ。
Re: ガメラリバース地上波 - エクセルシオール (男性)
2025/02/14 (Fri) 11:17:25
情報ありがとうございます。ネットフリックス限定では広がりがないので、テレビの地上波、それもNHk総合で放送されるというのは作品にとっても良いことだと思います。私も視聴いたします。
邪道・アンチテーゼ作品について - なんじぇい (?)
2025/02/09 (Sun) 20:20:36
今年遂に、延期をしなければ『魔法少女まどか☆マギカ』(以下まどマギ)の正式続編が12年ぶりに映画で見られることになります。
どうやら私以外にも殿様ギドラさんやエクセルシオールさんも見ているような書き方をされておられたので、せっかくなのでこれをテーマにスレッドを立ち上げてみました。
一昔前は、アニメや特撮でも王道の作品に対するアンチテーゼ的な作品が流行っていたことがありました。
世界的に有名なものでは、『ザ・ボーイズ』、公式で明確にやってたものでは、『非公認戦隊アキバレンジャー』でしょうか。
仮面ライダーなら、『仮面ライダー龍騎』、戦隊ものなら『ジェットマン』なんかもある意味そうかもしれません。
アニメでは頻発しており、例えば魔法少女ものではまどマギ以外にも『魔法少女育成計画』等々いくらでもあります。
寡聞にも私は『アキバレンジャー』『龍騎』は見ていないので言及は避けます。
大体のアンチテーゼ作品は
・既存の王道作品に頻発するお約束や突っ込みを容赦なく入れる(例えば王道作品のシリーズではメインキャラが敵の罠に落ちても御都合主義的に切り抜けることも結構あるが、こういう作品では平気で死ぬ)
・リアリティを良くも悪くも出すのでギャグもの以外は基本陰鬱になる
が良くある感じです。
私個人としては、まどマギは「つまらなくはないかな、別に特定の作品をあげつらってるわけではないし不快にも思わないな、最後はなんだかんだで魔法少女は夢と希望を叶えるものだという帰結に戻ったので悪趣味って程でもないな」位の感覚なのですが、皆さんはどうなのでしょうか。
ただ悪いところを言うと、まどマギはストーリーに合うようにキャラが動かされているような感覚はある程度したのが欠点だとは思いますが……(これはアニゴジでもそうですが虚淵玄の作品ではよくあるなと)
ちなみにまどマギは嫌いではないですが、『魔法少女育成計画』は酷かった思い出があります(単に最後まで露悪的なだけで何が言いたいのか良く分からないし、黒幕はキュウベエみたいなまだ理解できる理屈ではなく軽薄極まりない動機でしかなく、そもそもまどマギの二番煎じが酷かった)。
アンチテーゼ作品においても、「まどマギ」みたいなそのジャンルの先行者か、もしくはジャンルに対するある程度の救いというか先行作に対する最低限の肯定がないものは、二番煎じか露悪的と淘汰されて、結局後の世では語られず消えてるような感覚があります。
Re: 邪道・アンチテーゼ作品について - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/02/11 (Tue) 19:17:27
「まどマギ」を見たといっても劇場版だけですので、あまり大したことも言えません。
そして、ご紹介いただいたその他の作品はひとつも見ていないんですよ。
なので「まどマギ」のあやふやな記憶で印象を書くと、善玉たる魔法少女が悪玉である魔女の元になっているというのがミソなのでしょう。
正義と思っていた物が悪の根源、みたいな。
「海のトリトン」がその先駆けかと思います。
(「海のトリトン」も本放送は見ていなくて、ずーーーっとあとで劇場版を見ただけです)
この手法は常識と思っていた物をひっくり返すという驚きはあるにせよ、空想上の設定でそれをやっても現実との接点がないために切実さは失われます。
戦隊ものや変身ヒーローの常識・定番をひっくり返しても、そもそも現実には戦隊も変身ヒーローもいないのですから全部が絵空事ということになってしまいます。
戦隊や変身ヒーローは現実にはいないからこそ、現実の中に投入することで正義や悪を描くことが出来るものだったのではないでしょうか。
あまりにも多くの人が虚構に染まりすぎなのだと思います。
空想でしかないものがあたかももう一つの現実のようになっていないでしょうか。
もともとは現実を照射するための空想が、非現実だったはずの空想をさらに批評的に照射するための空想になってきたように思います。
しかしそれは、空想の二乗であり、ベースとなる空想を知っている人にしか通用しません。
普遍性のないものはいずれ淘汰されますよ。
(近年のゴジラの酷いアレンジもここに含まれるだろう)
リアリティを削ぐようなお約束を排してみるというのはまた別の試みかと思います。
「まどマギ」の話に戻ると、世界設定が強引すぎて現実との接点が少なく(この宇宙からエネルギーが目減りしているなんて理論は聞いたことがない)、
魔法少女と魔女以外の大衆(地球人以外の生命体もちゃんと出せよ)の存在が希薄すぎて宇宙規模の話を展開する割にスケールの小さな話(少女たちの友情物語)にしか見えないのが痛いです。
Re: 邪道・アンチテーゼ作品について - なんじぇい (?)
2025/02/12 (Wed) 00:21:38
まどマギに関しては、現在は映画が本筋となっているので、TV版は見ずに論評しても全く大丈夫です。
10年前に公開された『新編 叛逆の物語』も、今年の新作も映画基準ですので……
余談ですが、私は新編以前の『前編』の映画版を見る前はTV放映版の続編かなにかと思っていたら、TV版の再編集に近いものだったので憤慨して「金返せ」と思っていました。
一方、たしかに宇宙規模の話でも魔法少女の友情物語と言う小さなものに収まってしまうというのは正しいと思います。『叛逆』に至っては、詳しいネタバレは避けますが、まどかとほむら2人の物語にまで収束してしまっています。
ただ、『STAR WARS』等も結局宇宙規模なのにスカイウォーカー一族の話に収束している感があるので、規模の大きな群像劇を描くのは難しいということかもしれません。
ちなみに宇宙からエネルギーが目減りに関しては、『宇宙の熱的死』を言ってるのではないかとは思っていました。
https://gendai.media/articles/-/114933?imp=0
新プロジェクトX - エクセルシオール (男性)
2025/01/31 (Fri) 22:30:19
NHK総合で2月1日19時30分から放送される『新プロジェクトX』で『ゴジラ-1.0』がアカデミー賞視覚効果賞を獲得したことについて取り上げるそうです。サブタイトルは「ゴジラ、アカデミー賞を喰う」という仰々しいものです。正直、内容に期待できるものではありません。
かつて旧『プロジェクトX』で『ゴジラ』(1954年)の制作過程を取り上げた「ゴジラ誕生」という回がありました。2001年の放送ですから四半世紀近く前のものですが、なかなか面白かった記憶があります。しかし、今回は仮に視聴しても寒々しい気持ちになるだけでしょう。
そもそも『プロジェクトX』という番組は「感動の押し売り」「過剰演出」「恣意的な事実の切り取り」等々で非常に評判が悪い。旧作時代にはネタ切れもあって最後にはやらせまでやってしまい打ち切りになりました。新作についても既におかしな点が指摘されているそうです。そうなると数々の問題のあるドキュメンタリー番組が「ゴジラの名を騙ったトンデモ作品」の制作者を礼賛するわけですから、我慢して観たりしたら「身震いするほど腹が立つ」事態になってしまいそうです。
あんまり関係ない話ですが - なんじぇい (?)
2025/02/01 (Sat) 00:30:45
実は私はCG系の学部がある学校に数年通っていた経験があるのですが(自分は別の学部なのでCGは作れません)、『シン・ゴジラ』や『ゴジラ-1.0』のVFXを担当している白組等の大手CG会社に入社できる人は学部でも上位10%位の優秀者だった記憶があります。
そういう人は大体血の滲むような努力をしているのを知っているので、話してくれたエピソード自体は聞いていて大変面白かった記憶があります。
変わったところでは、アクションのCGを作る為に、自ら実感できるようにと自分でバク中や側転をできるように鍛えたとか言ってる人もいました。なんだか中島春雄さんの熊の動きのエピソードを思い出します。
が、こういう番組では正直そういうエピソードより良く分からないベタ褒め中心になりそうでうーんな感じがします。
Re: 新プロジェクトX - エクセルシオール (男性)
2025/02/02 (Sun) 13:45:34
頑張って視聴してみました。ハリウッドから20年遅れと言われていた日本のVFX(視覚効果)のレベルを艱難辛苦の末に進歩させ、ついにアカデミー賞を取るという美しいサクセスストーリーを半ばドラマ仕立てで見せる内容であり、おおむね想定通りでした。
なるほど『ゴジラ-1.0』のVFXはハイレベルだったと言えます。しかし、映画の中身やゴジラの描き方に納得できない者としては「それがどうした」と言いたくなります。今回の『新プロジェクトX』はひたすら視覚効果技術の素晴らしさと、それに関するスタッフの奮闘にスポットライトを当てていたので、間違いとは言えませんが、「映像さえ綺麗ならストーリーはどうでもいいのか」と嘆きたくなりました(余談だが、最近はアニメ等でもストーリーを二の次にして些細な画の至らなさを「作画崩壊」として声高に喚く者が少なくない)。
また、今回の放送を見て、東宝内部には昔ながらの着ぐるみとミニチュアセットを駆使した特撮にこだわる人が、ほとんど消えているのではないかとも思いました。『シン・ゴジラ』でCGのゴジラはやってしまったのだから、今度は着ぐるみに戻そうという意見があっても不思議ではないはずですが、そういうスタッフが抵抗したという話は全く出てきませんでした。「恣意的な事実の切り取り」でカットされてしまった可能性もありますが、着ぐるみとミニチュアの支持者が著しく弱体化していることは間違いないでしょう。
一応、ここ最近毎年やっているゴジラフェスティバルで公開される短編映画が昔ながらの技法で作られ続けているので、全く技術の継承がなされていないわけではないようです。でも、VFX中心の映画で二回続けて興行的成功を収めてしまうと、着ぐるみに回帰するのは非常にハードルが高いのかもしれません。私としては着ぐるみとミニチュアにはCGとは異なる良さがあると思うのですが。
なお、再放送は2月8日の朝8時15分からあります。
2025/02/02 (Sun) 16:09:07
殿様ギドラは録画予約をしていた。
見た。
VFXで身を立てようとする者たちに、頑張れよと思った。
しかしCGによる破壊シーンは、やはりアニメだった。
スタッフが抱える人生の悲哀には同情した。
それが作品の質に関係したのかは疑問だった。
円谷英二と本多猪四郎が作り出したゴジラへのリスペクトを感じなかった。
そこにはハリウッドへの憧れしかなかった。
憧れていたのでは勝てないと思った。
オオタニさんの気持ちだった。
米アカデミー賞を有り難がる番組の姿勢は無様だった。
最後に1983年の実相寺昭雄氏による嘆息を思い出した。
「コンピューターのプログラマーが映画界を我物顔にのさばる日が来るのなら、私は落ちてゆく先を探さなきゃならない。」
(「円谷英二の映像世界」実業之日本社)
Re: 新プロジェクトX - なんじぇい (?)
2025/02/02 (Sun) 17:44:28
>「コンピューターのプログラマーが映画界を我物顔にのさばる日が来るのなら、私は落ちてゆく先を探さなきゃならない。」
(「円谷英二の映像世界」実業之日本社)
これ、元は実相寺昭雄さんはどういう意味合いで言ってるのか気になってしまいました。
一応ですが、マイナスワンのCGを否定するのかと怒っているとかそういう訳ではないです(私は確かにいいとは思うけどアカデミー賞レベルなのか?というくらい)。
昔、レイ・ハリーハウゼンの自伝を読んでいる時、『ジュラシック・パーク』には自分のストップモーションと違い生物感が失われているみたいな具体性のない批判を言ってるのを見て、「年代の差があるから仕方ないが、流石に横に並べたら『恐竜グワンジ』『恐竜100万年』と『ジュラシック・パーク』なら、100人中100人がジュラシック・パークの方をリアルだと思うだろうな」と虚しい気分になったのは覚えていますので……(実際老害の戯言みたいな言い方をしてる人もいた)
追記です - なんじぇい (?)
2025/02/03 (Mon) 23:18:01
実相寺監督の発言は1983年のもので、その時代で本格的にCGを使った映画は1982年の『トロン』(もしかしたら同年の『ゴルゴ13』も入ってるかも、いずれにせよ時代の関係でクオリティは非常に低い)位しかなく、CGがどうなるか分かるわけがない時代の発言を出すのは……と思ってしまったのです。
また実相寺監督も結局『ウルトラマンマックス』で怪獣にCGを使っています。
言いたいこととしては、私は決して『ゴジラ-1.0』を擁護しているわけではありません。
思ったのはもっと大きな括りの話で、殿様ギドラさんの引用は、CGクリエイターやCGそのものが、特撮に携わる人より劣っているみたいな言い方をしているように見えて、不愉快に思ってしまったということが主題です(例えば話はともかく『アバター』の映像を特撮で再現することは不可能でしょう)。
ちなみに自分は、今の時代ならクリストファー・ノーラン等がよくやっている本物をそのまま作るという例外を除けば、比率は場合にもよりますが、CGと特撮の使い分けは7:3位が理想になるのではとは思っています。大火災や洪水等の大掛かりな水や火絡みでは、特にCGに強さを覚えます。
まあ、実物でもいまいち迫力がでないこともあるのですが……
尤も、これは私がCGクリエイターが身近にいる環境の学校で育っているからこその発言かもしれません。もしご不快に思われたら申し訳ありません。
2025/02/04 (Tue) 19:09:17
実相寺さんの発言が1983年のものであることを明示したのは、CGが未発達な時点での発言であることを示すためです。
そして、CGだけを指しているのではなく、モーションコントロールカメラも含んだコンピューターのプログラマーが映画作りの主役になることを危惧している発言なのです。
「円谷英二の映像世界」は2001年に増補版も出版されていますから、入手や閲覧は容易と思います。
是非原文に当たって欲しいと思います。
40年前の発言で、現在とは状況が違うとしても将来を見据えた発言と思います。
まあ、私が全面的に実相寺さんの意見に賛成というわけではありません。
「新・プロジェクトX」ではコンピュータを使った映画作りの紹介しかしなかったので実相寺さんの言葉を思い出したということです。
これまでCGの利点と欠点の話はいくつも書いてきましたので繰り返しになるかもしれませんけれど、
CGはどこまで行ってもデータを元にしたシミュレーションであり、描画でしかないのです。
そして現在のCGはまだまだ物足りない。
将来は完璧なシミュレーションができる日も来るかもしれません。
それでも、そこには実体がありません。
実体(物体)にカメラを向けて撮影する作り方とは画作りが違ってくることでしょう。
また、コンピュータによるシミュレーションは物体を撮影するより容易にリテイクが出来ます。
それは1カットに賭ける緊張感の違いに影響します。
ぱっと見が本物っぽく見えるのでCGはありがたいのでしょう。
しかし実体にカメラを向けること、コンピュータ制御(3DCG空間で視点を動かすのも含まれるだろう)ではないカメラワークで被写体を捉えることの「現実感」を大事にするという考え方から、
私もコンピュータプログラマーが映画界を我が物顔に~はいやです。
(なんじぇいさんがおっしゃるように流体の描写に関してはミニチュアよりCGのほうが有利かもしれません。流体はサイズが変わると振る舞いが変わってきますので)
ハリーハウゼンの自伝は読んでいませんが、彼が『ジュラシック・パーク』のCG恐竜に生物感がないと思ったことをそんなバカなと切り捨てるのではなく、
何がそう感じさせるのだろうと深掘りする必要があると思いました。
(私は特撮とCGを対立するものとは思っていません。CGは特撮の一部門という考えです。もっと言うと、特撮という括り方はあまりしたくなくて、特殊技術=特技と言いたいところではあります)
Re: 新プロジェクトX - なんじぇい (?)
2025/02/09 (Sun) 19:51:43
その後、『円谷英二の映像世界』を読みました。
内容が難しいので咀嚼するのは大変でしたが、『スーパーマン』が平板だと思う理由は書いていて欲しかったなあ……とは思いました。
>また、コンピュータによるシミュレーションは物体を撮影するより容易にリテイクが出来ます。
それは1カットに賭ける緊張感の違いに影響します。
またこれに関しては、CG以外にもアニメやそれこそハリーハウゼンの人形アニメーションにも当てはまることであり、また容易なやり直しが可能な故に「自分の理想を極限まで追求できる」という長所もあるのではとは思います。
例えばぬいぐるみによる建物破壊などでは1ピクセルに至るまでは理想の崩れ方を実現することは不可能ですが、人形アニメーション・アニメーション・CGはそれが可能です。
尤も日本のアニメでその領域まで拘っているクリエイターは、恐らく宮崎駿、もしかしたら新海誠もあるかもって位でしょうが……
最後に脱線ですが、ハリーハウゼンの自伝である『ハリーハウゼン大全』を読んだところ、ジュラシック・パークの批判が違っていました。間違えたことを書いて申し訳ありません。
正確には「CGを使うとクリーチャーがリアルになりすぎて夢が失われてしまう。
我々人間は恐竜がどういう風に動いているかを知らないのだから、リアルではない方が生き生きとしてくる。
ストップモーションの生み出す動きは、人間が現実に目にするどんな動きにも似ていないから、CGよりファンタジックな映像が生まれる」
という理由でした。
結局あまり納得は出来かねる感じになってしまうのですが……
ですがそれ以上に驚いたのは、ハリーハウゼンが日本のぬいぐるみ特撮を相当嫌っているような文が見つかったことでした。
これに関してはまだ全部読みきれてはいないので、読破した後に別のスレッドで紹介しようと思います。
2025/02/11 (Tue) 19:15:16
早速のご対応に感謝です。
実相寺さんが「物へのフェティシズム」と表現なさっていることを、私は「物体へのこだわり」と読み替えて考えたりしています。
なんじぇいさんがおっしゃるとおり、モデルアニメーションとCGIには共通点があります。
どちらも物体の運動をムービーで捉えたものではなく、動かない物に人工的にモーションを付けたものになります。
(コンピュータによる演算で動かすことも物体の運動ではなく、それをシミュレーションしたものです)
作り手によるコントロールが行き届くので、作り手の理想を実現しやすいというのはおっしゃるとおりです。
それは同時に作り手のセンスを超えた物が出てこないということでもあります。
と書き始めて、CGと映画の関係について自分の考えをまとめようとしたものの、様々な事例が頭に浮かんで遺漏なくまとめるようとすると煩雑になってしまうので、
細かいことは今後に委ねるとして大まかなことだけ箇条書きにしてみます。
*すべてが描かれた物であるアニメ作品であればCGにはさほど問題が無い
*実写作品には物質世界の複雑さが含まれるので、CGによるシミュレーション、あるいは作り手によるコントロールがプラスに働くとは限らない
*実写作品ではCGをメインにせず支援的に使うのがいいのではないか
という感じです。
ハリーハウゼンがCGをリアルすぎると感じているのは、彼がモデルアニメーションでやろうとしていたことが、リアリズムではなく映画技術を使った「魔術」だったからではないかと思います。
これは各人の受け止め方によるのでしょうけれど、私の感じ方では、CGによる恐竜・クリーチャーよりモデルアニメのほうが、「変で面白い」です。
『タイタンの戦い』新・旧を比べるとその違いが顕著ではないかと思っています。
しかしながらモデルアニメは着ぐるみよりCGに近いというのも確かです。
実際、『ジュラシック・パーク』製作時にCG恐竜にモーションを付けるためにモデルアニメの技術者を呼んだのではなかったか、と。
それに対して着ぐるみ・ミニチュアの方が現実の物体の運動を撮影するので、より実写映画になじみやすいと思っています。
ミニチュアの弱点は、以前も書きましたが、撮影カメラのレンズ特性のせいで、どうしても大きさが出しにくいことにあります。
10分の1縮尺の高さ10メートルのミニチュアを10メートル離れて撮影しても、100メートルのビルを100メートル離れて撮影したような映像にはならないのです。
そこを克服する努力をすることで、ミニチュアはCGより重量感・複雑さを備えたリアルなものになるはずです。
着ぐるみも素材や内部に仕込むメカニズムの工夫で人間ぽさを軽減することができるのではないかと思います。
なので、ミニチュア・着ぐるみ、ついでに操演を諦めるなと言いたいです。
(アメリカの技術者はとにかく着ぐるみを馬鹿にしているようですね。私が以前見た映画ドキュメンタリーでも「着ぐるみなんかサイレント時代の手法だ」と切り捨てている人がいました。
現在アメリカの着ぐるみ恐竜映画はほとんど見ることが出来ませんが、『ゴジラの逆襲』米版に一部それらしいカットが流用されています。確かに酷い出来です。それは使いこなしの問題だろうと思います)
2025/02/09 (Sun) 18:07:49
私事で恐縮です。
よそでも書いたので、もうわかったよと言われそうですが、やっと4Kテレビを買いました。
これまで、4Kソフトは2Kにダウンコンバートして見ていましたが、ちゃんと4Kで見られるようになりました。
従来は42インチのプラズマテレビで、それを55インチの有機ELテレビに変えました。
4Kになるとより高精細なので2Kテレビより近づいて見ることが出来ます。
するとあら不思議。画面の大きさが映画館で見るのとほぼ変わらないところまでイケちゃいます。
そして4Kになると35ミリフィルムが持つ解像度や色表現、コントラスト比をカバーできているんじゃないかと思うので、
ついに自宅が映画館になった気分です。
まだ『キングコング対ゴジラ』と『ゴジラ』の4Kしか見ていませんが、
あと数本は4Kソフトを持っているので先が楽しみです。
従来の2Kソフトも4Kアップコンバートされるのでそれも楽しみ。
ただ技術的に何が起こっているのか理解していないものの、
4K再生すると映像が音声より少し遅れて再生されます。
(映像信号はHDMIでテレビ直結、音声は第二HDMIでAVアンプへ入力)
これは起こりうることのようで、プレイヤーの機能に画音同期調整というものがあり、私のシステムの場合、音声出力を100msec遅らせることで同期できました。
この調整をやらないまま4K『キングコング対ゴジラ』を見てしまったので、そのうち見直しましょう。
4K再生はお金や住環境(デカいテレビが必要)が関わるのでおいそれとはいかないものですが、
無理して良かったと思ってます。
2025/01/25 (Sat) 16:29:52
昨年に引き続きこの一年の間に見つけた円谷英二監督の関与が疑われる作品をご紹介します。
竹内博さんのリストにあるものとすでに紹介したものは除いています。
『ぜったい愛して』(1948大映・加戸敏)
特殊撮影として本多省三の名前はありますが、スクリーンプロセスを使っており、大映が独自のスクリーンプロセス機材を導入するのが1950年代である疑いがあるので。
特殊撮影は微速度撮影も行われています。
『春の饗宴』(1947東宝・山本嘉次郎)
演出補佐本多猪四郎で特殊技術部のクレジット有りです。
ミニチュア、作画合成など。
『喧嘩鳶』(1939東宝・石田民三・戦後再映短縮版)
スモーク効果、スクリーンプロセスも?
火災シーンは実寸セットを燃やしていますが、このカットを以前紹介した『燃ゆる牢獄』へ流用しているような。
『噂の男』(1948松竹・佐々木康)
松竹映画ですが、太泉スタジオで撮影。
ワイプを多用しているあたりが怪しい。
『サラリーマン目白三平亭主のためいきの巻』(1960東宝・鈴木英夫)
東宝技術部のクレジット有り。スクリーンプロセス。
『姉妹』(1953松竹・岩間鶴夫)
スクリーンプロセス。
『女体は哀しく』(1957宝塚・稲垣浩)
作画合成。
『月の船出』(1950大映・森一生)
作画合成、オーバーラップ多用、エンドタイトルがアニメになっている。
『処(ショは旧字体)女峰』(1950大映・森一生)
スクリーンプロセス。
『死美人事件』(1948大映・小石栄一)
ミニチュア・合成・スクリーンプロセス。
『激流』(1952東宝・谷口千吉)
東宝技術部のクレジット有り。スクリーンプロセスとおそらくミニチュアによる爆破。
東宝特殊技術部のクレジットがあるものはほぼ確定ですが、それ以外は製作年と映像の仕上がりから可能性有りと判断しました。
今月、2週間のうちに『妖星ゴラス』と『海底軍艦』を久々に映画館で見ることが出来て、やっぱり円谷特撮映像は(月並みな言い方ですいません)凄いと感じました。
ゴジラ・ウルトラマンだけで評価できる人ではないのだけれど、なかなか世間のイメージは刷新されませんね。
55周忌に思うのであります。
Re: 1月25日 - ルー等級つつ大臣 (男性)
2025/01/27 (Mon) 14:38:29
もう時期になってしまったざますねぇ。
ホント時の過ぎるのは早いものだと痛感致します。
(円谷監督が亡くなられた翌年にミーが生まれたざます。)
それにしてもギドラ氏の尽力で調べた作品群ってまだこんなにあるざます。
凄い量ざます。
(そろそろミーも頑張らねばと思うざます。)
竹内氏亡き今これだけの量を調べるのは実にありがたいし貴重な資料になっているざます。
ところでギドラ氏、今年になってゴラスと海底軍艦の4K版を劇場で見に行ったんですね。
実に羨ましいざます。
(やはり東京の人はいいなと思うざますよ。ミーのところではやらないものだからソフト購入になってしまうざます。)
ミーは昨日たまたま久しぶりに海底軍艦をBlu-rayで見ていたけれどもやはり円谷特撮は凄いと思ったざますよ。
恐らくは円谷監督はスクリーンでの上映を意識した画面作りをしていたと思うざます。
それだけに円谷特撮といえば未だにゴジラとウルトラマンのイメージしか評価されてないというのは少し歯痒いざますよ。
(そろそろちゃんと再評価すべき作品群だと思うざます。)
2025/01/27 (Mon) 18:47:46
恐縮です。
私の場合総当たり戦みたいなもので、1950年代以前の邦画を可能な限り見るようにしているだけなんです。
そこで見つけた円谷英二参加疑いのある作品をBBSに載せておけば、
ちゃんとした研究者の方が調査するヒントになるんじゃないかと思っています。
ルー等級つつ大臣さんもまた円谷特撮に魅了されていることは大変心強いです。
円谷さんの現役時代を知っているかどうかは問題じゃないのですよね。
Re: Re: 1月25日 - ルー等級つつ大臣 (男性)
2025/01/29 (Wed) 14:03:47
そうなんざますのよ。
何もリアルタイムにこだわりなくともテレビ放映やリバイバル上映、さらには今だとレンタルビデオやでーぶいでーという手段もあるから再評価出来ると思うざます。
(ミーの場合だと最初に見たのが美女と液体人間などの変身人間シリーズだったし最初に聞いた音楽は東宝レコードのゴジラに収録されてた怪獣大戦争マーチだったから自然と円谷特撮や伊福部サウンドが好きになったざます。)
確かにリアルタイム世代の証言は貴重ざますけれどもそれだけだと片手落ちになってしまうざます。
(レンタルビデオで作品に接した人も多いのでは?)
そうでなくても円谷特撮や伊福部サウンドって普遍的な魅力に溢れているので再放送などで見た世代の証言も大事ざますよ。
(レンタルビデオ世代をなめるな!)
やはり絶えず作品に接したということでギドラ氏の掲示板での作品紹介は凄いと思ったざますよ。
(今はサイト消滅したざますけれどもミーが以前詩や自作小説を更新してたと同時に円谷特撮やジェリー・アンダーソン作品を紹介してたのには実はマニア対象ではなく初心者にも分かりやすいように解説したざます。)
2025/01/29 (Wed) 18:07:23
私はぎりぎり円谷監督の現役時代に間に合った世代になりますが、
『ゴジラ』(54)を初めて見たのはテレビでのことですし、結局ほとんどの円谷特撮作品はリバイバルやテレビ放送など、後追いで見ています。
それでも新世代の作品より魅力的でした。
この普遍性をなんとかして伝えていきたいと思っています。
Re: Re: 1月25日 - ルー等級つつ大臣 (男性)
2025/01/30 (Thu) 16:13:15
そうなんざますよね。
ギドラ氏はぎりぎり円谷作品をリアルタイムで見た世代なんざますね。
それでも最初のゴジラを見たのがテレビ放映だったんですね。
(ミーの場合ですと初代ゴジラは1983年のリバイバル上映が最初に見た世代ざます。実際見て当時の新年が色褪せたほどのインパクトで見たと思うざます。)
やはりこれは大画面で尚且つモノクロだったから余計に印象に残ったざます。
以降、ミーがゴジラファンになるきっかけざました。
やはり円谷特撮は凄いと思いました。
(そのインパクトたるや同時期の黒澤作品と匹敵ざます。)
『空の大怪獣ラドン』について - なんじぇい (?)
2025/01/22 (Wed) 04:42:27
今回この映画を見直していたのですが、「ラドンは最初からゴジラ程の格を持たされていなかったのではないか」と思ってしまいました。
Fセイバー戦ではロケットにより一時海に落ち(墜落したと解釈している人もある程度いた、これは脚本でどう書かれてるのか気になりますが)、復帰した際も「命中弾により速力半減」という台詞があって、ゴジラとは違い通常兵器が結構効いている描写があります。
また多頭であり、明確に人を食べる示唆もあり、更にゴジラと違い人間に弱点を発見され殺されます。
無論SPの体たらくよりはずっといいのですが、作劇上終始「人間が頑張れば倒せる」程度の強さにしているように見受けられました。
バランあたりも明確に弱点を発見されて倒されていますが、そのあたりもあってラドンやバランは人類をものともしなかったモスラと違い、ピンでゴジラと戦う映画も作られなかったのかなあ、とは考えてしまいました。
追記 - なんじぇい (?)
2025/01/22 (Wed) 06:57:40
あと、口から煙みたいなものを吐いて建物を吹き飛ばしているシーンがあり、初代ラドンも飛び道具を持ってたんだな、と……
Re: 『空の大怪獣ラドン』について - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/01/22 (Wed) 19:08:18
初代ラドンの扱いはなんじぇいさんのおっしゃるとおりと思います。
東宝怪獣のごく初期のキャラクターであり、原作(原案)もゴジラとは違って黒沼健さんなので発想の違いがあったのだろうと思っています。
それでも阿蘇の噴火を利用してどうにか倒すあたりは、人間の力だけでは倒せないという表現であったと思います。
東宝怪獣映画の革命は『モスラ』が発端であったというのが私の見立てです。
『モスラ』ではネルソンという明確な悪役を登場させることで、ストーリーの主軸を怪獣退治からずらすことに成功しています。
ここで、殺されない怪獣を登場させること、怪獣を殺さないストーリーを作ることも出来るとわかったはずです。
さらなる展開が怪獣闘争ものとして花開いたとみています。
ラドンについては『三大怪獣地球最大の決戦』時にゴジラと同格に格上げされたようです。
金星人の予言は「阿蘇からラドンが復活する」と言っていて、これ、ストレートに受け取ればあのラドンが生き返ったことになります。
もう一匹はどうした?という疑問は残りますけれど、ラドンにも不死性を与えたかったんじゃないかと推察します。(どうなんだろうなぁ)
さらにゴジラとの闘いは互角であると描かれています。
そしてその後の作品でも複数のラドンを登場させることはなく、どうやらスター扱いになります。
あ、でも最初のラドンが使っていた口から吹く暴風をやめてしまったのはちょっと惜しい。
Re: 『空の大怪獣ラドン』について - 海軍大臣 (男性)
2025/01/22 (Wed) 21:53:11
ラドンは1950年代のハリウッド製モンスターのイメージをかなり引きづっている感じが強いですね。取り分け巣の入り口近辺に散乱する人骨の場面は「放射能X」からに影響(炭鉱内に出没するメガヌロンもそうかも知れません)が伺える気がします。通常兵器で撃退されてしまう(火山噴火を利用するとは云え)展開も、ゴジラの強大さとはまた一線を画していて、これも洋画クリーチャーに近い属性にも感じ取れます。
ギドラさんが仰るように「モスラ」は正に東宝怪獣映画の革命で、その内容のみならず本邦怪獣映画として初めて夏休み時期に公開された――即ち、従来以上に児童の集客を強く意識した作品だったとの見方もされていますね。
あと余談ながら黒沼健さんによるノベライス「ラドンの誕生」では、ラドンは冷凍爆弾なる新兵器によって斃されますが、当初のシナリオのラストではラドンは阿蘇火口に落ちることなく、噴煙の周囲を飛び回るままエンドマークが出される展開だったと伝えられています。
Su Se mu So ta Manda! - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/01/20 (Mon) 18:55:57
『海底軍艦』4Kを見てきました。
映像が鮮明になってディティールがよく見えるのは当然として・・・。
『海底軍艦』にはいろいろと思い出があり、何十年ぶりかに大スクリーンで見ることが出来て感激でした。
タイトルが画面一杯に映し出され、メインタイトル曲が鳴り響いた時には本当に目頭が熱くなりました。
今回は4Kレストア版のクオリティ云々は抜きにして、いま、『海底軍艦』を見て思うことをいくつか書いてみます。
以前もシナリオのうまさについては書きました。それを改めて強く感じます。
冒頭で誘拐される進藤技師がちゃんと後半で活きてくることに代表されるような周到さが物語を躍動させています。
天野兵曹が真琴につきまとっていることは最初から映像で見せてはいるものの、進が真琴をモデルにしようと後を付けていることに注目させることで、
楠見に真琴が「変な男につきまとわれている」と話したとき、観客には進のことかと思わせるようなミスリードを確信犯的に行っているのもお見事です。
のちに天野が捕まったとき、そういうことか、とわかる仕組みです。
(シナリオ決定稿ではそこまで凝っていないです。これは本多監督による修正の結果かも)
また、ムーの手先として23号を前面に出しておいて、海野魚人もまた・・・という二重の仕掛けがいい。
演出面では視線の芝居が巧みです。
楠見の秘書として海野にお茶を出す真琴が神宮司の話題が出たことに動揺する様、そして20年ぶり(映画公開年で考えれば18年ぶりか?)に再会した神宮司と真琴の視線の絡み合いは無言演技の名場面です。
それから、轟天建武隊の面々が見せる見事な軍人っぷり。
立ち居振る舞いが、厳しい規律の中で培われたものであることがよくわかります。
これはやはり本物を知る世代の俳優たちが演じていることが奏効しているのでしょう。
(近年の〝戦争物〟にこのような本物感はない。せめて昔の映画からでも学習してほしいと思う)
特撮面ではメカ描写の的確さが白眉。
ドックの水密ゲートが上がったとき、ゲートで断ち切られていたレールを補完する部分が横からスライドして出てくるところにはしびれます。
それを特にアップにすることはなく、当たり前のように機能させています。
轟天号の試運転で微速前進するときはドリルを回転させるだけ、というのも納得の描写。
ドリルにはネジを切ってありますから、回転すれば水を後方へ流すでしょう。
ほかにもいろいろあります。
そして、丸の内の大陥没は簡潔でしかも大迫力。
スクリーンに映るものすべてが下に向かって落ちていくので、大画面で視界を覆われていると、自分も落ちていくような錯覚に陥ります。
特撮シーンそのほかでは、ムーの今風に言うとドローン爆弾が避難船に当たって爆発する見事な合成カット、ムー潜航艇による船舶爆破シーンでの爆炎連続の「美」、ムー帝国大爆発で水平線一杯に吹き上がる爆煙のスケール感・・。
名場面だらけです。
しかし、と思うのは、現代の基準ではミニチュアのバレや合成のバレのせいでそれほど感心してはもらえないのだろうなということです。
想像力のセンスや構図・カット割りのセンスはまったく古びていないとしても、それを感知する観客ばかりではありません。
現代の技術にこのセンスを生かして『海底軍艦』のようなメカ特撮スペクタクルを作れないものかと煩悶します。
もうひとつ。
『海底軍艦』は反戦映画ではないとしても、反帝国主義の映画であり、戦前戦中に日本を支配していた思想をストレートに批判するストーリーであると言えます。
「お父様のお考えはムー人と同じです」
Re: Su Se mu So ta Manda! - 海軍大臣 (男性)
2025/01/20 (Mon) 21:37:22
私の方は漸く4Kゴラスを観ることができましたが、4K轟天はちょっと行けそうになくて残念です。
ゴラスで気になったのは作品中盤、池部良が白川由美と弟君を宇宙センターに案内して南極計画の説明をする場面で、長廻し気味な1カット分の画質が妙に不鮮明だったこと。レストア処理時の手違いなのか判りませんが、何とも残念に感じました。
レストアされて良かったのは、ゴラスの重力に捕まって動揺する隼号乗員を一喝して窘めた園田艇長が、騒動が収まった後に一人で涙を流しているのがハッキリ判ることです。映画にとって重要なイントロダクション部分を田崎潤が見事に支えていたことが実感されました。
このキャラを演じたことが恐らく翌年の神宮司大佐に繋がったものと推察されますので、4K轟天が観られないのは無念極まりないです。
Re: Su Se mu So ta Manda! - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/01/22 (Wed) 19:06:56
うう、海軍大臣さんは『海底軍艦』4Kを見に行けない感じなんですね。
なんとも残念です。
『妖星ゴラス』より原版フィルムの状態がよかったようで、ゴラスに見られたような画質の不安定さはほぼ感じられませんでした。
そのゴラスの長回しの不鮮明な1カット。ひょっとするともともとフォーカスが甘かったんじゃないかと思います。
ネガからの4Kスキャン(スキャンは8Kでやっている??)で全体に鮮明になっているため、従来はそれほど気にならなかった輪郭のボケが目立ってしまったのかも。
(もう一度見直さないと確たることは言えませんけれど)
艇長の涙、はっきり見えました。
田崎潤、日本映画史に残る名優です。(連想ゲームでも大活躍)
続編で怪獣を焦らす必要があるのか? - なんじぇい (?)
2025/01/20 (Mon) 18:20:37
昔ですが、『モスラ対ゴジラ』を初めて修学旅行のバスで見たとき、退屈で居眠りしてしまったことがあります。
恐らくその理由を考えると、旅行の疲れもあったのでしょうが、「もうゴジラが出てくるしどんなのが出るか分かっているのに、焦らす必要はないのではないか」という結論に行き着いていました。
『ゴジラ(1954)』や『ゴジラ(1984)』みたいに、そのゴジラがはじめて出てくるなら分かりますが、続編ならば客はどんなゴジラか完全に分かっているので、どんなのが出るんだろうというワクワクよりもう分かってるんだから早く出せというイライラが出てくるのではないかと思ったのです。
続編でゴジラを相当に焦らしたものは、モスラ以外は『ゴジラ対メガロ』『ゴジラvsビオランテ』あたりもそうですが……
尤も単に予算がないからそんなに怪獣を出せないという理由もあるでしょうが(低予算だと1分くらいしかモンスターや怪獣がでない等もよくある)、仮定として無尽蔵の予算が与えられたとした場合、続編なら怪獣はさっさと出すべきなのでしょうか。
一方、1作目でもさっさとゴジラ(ゴジラになる前の奴ですけど)を出し始めるのは『シン・ゴジラ』や『ゴジラ-1.0』等が挙げられ、最近のトレンドになりつつあります。
恐らく似たような理由でさっさと出せと言う客のファスト映画的な要望に応えたのではないか、もしくは王道をあえて外したと思われますが、1作目においても怪獣はさっさと出すべきなのでしょうか。
焦らし演出に関して、皆さんの意見をお聞きしたいです。
(間違えて別の掲示板で挙げてしまいました。できればそちらは削除していただけると幸いです)
2025/01/07 (Tue) 18:39:13
2025年一発目に見た映画は午前十時の映画祭で上映された『妖星ゴラス』4Kリマスターでございます。
内容についてはいまさらここで書く話でもないので、リマスターによってどんな変化が生じているかをブルーレイソフトとの比較で書いてみます。
(劇場で4K版を見てから自宅でブルーレイを確認)
まず冒頭、オープンカーで湖畔に来た水野久美・白川由美のシーン。
セルソフトより明度を抑えているようです。これはモニターの調整で印象が変わる部分ではありますが、私の場合映画を見るのが基本なのであまり明るくはしていません。
ブルーレイソフトの映像が明るめなのだろうと判断しました。
4K版上映ではちゃんと夜に見えます。ロケ映像に繋ぐミニチュアによるロケット発射の特撮カットも同様に夜の暗さを持っていました。
それから、上昇するロケットに対して「お父さんがんばってー」と声をかけるくだりで、セルソフトではコマに欠落があるのか、動きが不連続になるカットがあります。
しかし4Kリマスターではスムーズだったと思います。
別の原版フィルムを使ったのか、デジタル処理で抜けたコマを補完したのか、はたまた私の見間違えで4K版もコマ抜けしてた??
ちなみに全編終了後に「この映画のフィルム原版は国立映画アーカイブが保存管理しています」というテロップが表示されました。
東宝が所蔵しているフィルムではないということなのか??
そして全編にわたって感じるのは、色調の自然さと色の乗りの良さです。
ブルーレイソフトでは色がべたっと塗りつけられているような印象であるのに対し、4Kリマスターは被写体の色が「撮影」されている(それが自然)ように見えます。
これは明暗の階調表現が豊かになったことに起因するように思います。
それは色の乗りだけでなく被写体の立体感も強めています。
怪獣マグマの質感がよくわかる!
それから粒状ノイズを残す処理でした。
フィルムの質感を再現するためだと思いますが、公開当初の状態の良いフィルムだとあれほど粒状ノイズは出ないんじゃないかなと感じるところもあります。
音響はオリジナルの4chステレオ、多元磁気立体音響を使っています。
イベントなどで使われた従来の上映用プリントはモノラル音声でしたから、4K版で立体音響も再現されました。
(『モスラ』と同じです。『地球防衛軍』はパースペクタステレオで疑似ステレオでしたが)
しかし、立体音響版冒頭についていたはずの「多元磁気立体音響 パーフェクトステレオフォニック」のテロップは再現されていませんでした。
もうフィルムが失われているんでしょう。
1980年代に池袋東宝で上映されていたフィルムには残っていたのですが・・。
4Kリマスターでよみがえった『妖星ゴラス』ですが、UHDソフトは当分販売されないんでしょうね。
『モスラ』も『空の大怪獣ラドン』もまだ4Kソフトの発売がありません。
セルソフトの売れ行きが悪いんでしょうけれど、ファンならソフトも買ってよ~。特典映像ってすごいよ。
Re: ゴラス4K - なんじぇい (?)
2025/01/15 (Wed) 23:25:16
実は本作は観てなかったので、映画館に観に行きました。
意外にもテンポの速い展開と、さりげない風刺が重ね合わさっていて面白かったのですが、記憶喪失の下りは果たして必要だったのかと……
わりかしあっさりなおってその後も話に寄与してないので……
マグマがねじ込まれたという話はよく聞きますが、自分はそちらより記憶喪失の方が気になってしまいました。
来週には海底軍艦の4K、また『逆襲』『対メカゴジラ』『メカ逆』『vsメカゴジラ』の4Kも上映されるのが楽しみです。
https://www.tohotheater.jp/event/godzilla-theater20250110.html
Re: ゴラス4K - なんじぇい (?)
2025/01/16 (Thu) 17:39:08
あ、あとマグマに関しては、
・マグマの死に様が血が出て結構グロい
・マグマがいなかったら東京は水浸しにはなってなさそうなので無駄というわけじゃないのでは
みたいな、とりとめのない感想をちょっと思いました。
個人的にはなぜか飛行機でパイロット達が歌を歌うシーンが本作で一番好きです(いるのあれ? と言われたら映画論は素人なので分からないんですけど)。
2025/01/16 (Thu) 18:52:10
初めての『妖星ゴラス』が映画館、というのはうらやましいです。
大画面でこそ映える映画ですから。
あの記憶喪失は私も強引だったなと思っています。
クライマックスに向けてどうにか人間ドラマを組み込もうとした結果ではないかと思いますが、
それほど効果的でもなかったような。
亡き婚約者に思いを残す滝子が金井のほうを向くきっかけにはなっただろうと推察できますが、劇中ではそれもはっきりとは描いていませんね。
マグマの流血について以前から思っているのは、マグマはゴジラやラドンとは扱いの違う怪獣だったんじゃないかということです。
円谷監督は怪獣の流血を嫌ったと言われていますが、それも場合によるのではないか。
マグマはただ体の大きな動物で、超生物という存在ではないので、体を傷つけられれば血を流すというリアリズムに則ったものであろう、と。
このあたりにも円谷英二監督の変幻自在さを感じます。作品に応じて演出法を変えているのだと見ています。
ヘリコプターでの「おいら宇宙のパイロット」については、長年、レコードを売るための歌唱シーンだろうと思っていました。
しかし近年気がついたのは、そのとき画面に映し出される空撮映像に意味があるということです。
富士山麓の宇宙港を飛び立ったヘリは、山林から田園、住宅地、そしてビル街の都心へと飛んでいきます。
当時の日本の風景を一通り見せているのではないかと思います。
それがのちにゴラス接近による天変地異(地割れ・海水移動など)に見舞われていることになります。
日本ひいては地球の景色を見せているのでは??
という一つの解釈です。
『海底軍艦』4Kも楽しみにしています。
ゴジラ4K祭りの方は上映劇場が少なくて無理っぽいなぁ。
ゴジラ&東宝特撮OFFICIAL MOOK完結! - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/01/15 (Wed) 18:29:57
講談社のゴジラ&東宝特撮OFFICIAL MOOKが1月14日のvol.40で完結しました。
最終号は「行け!ゴッドマン/行け!グリーンマン/行け!牛若小太郎」でした。
約2年、書店での購入を貫いて完走です。
初めに買っていた書店は10号を過ぎて入荷しなくなり、別の本屋で買う形になりましたが、それも段々入荷冊数が減ってきて買い逃しの危機に見舞われたりして・・。
会津若松で本屋を探して買ったりもしました。(なにしてんだ)
全40号程度ではこぼれ落ちた作品も多く、東宝特撮を網羅というわけには行きませんでしたが、テレビシリーズには見たことのないものも多く、参考になったことも多々ありました。
全巻購入で、スクリプター鈴木桂子さん所蔵の『キングコング対ゴジラ』シナリオ復刻版がもれなくもらえます。←これが目的で全号購入したかもしれない。
また10号ごとに抽選でTシャツプレゼントという企画もありました。
私には21号から30号の応募券で当たるへドラTシャツに当選しちゃうというサプライズも。
Tシャツの発送元が講談社児童図書となっていて、講談社では特撮・怪獣は児童向けという扱いであることがわかりました。
いいんです。怪獣は子供が好むものであっていいのです。
画像はへドラTシャツ背中です。渋すぎるセンス!
ゴジラの問題は根深いのではないか - なんじぇい (?)
2025/01/09 (Thu) 16:26:00
「2016年以降から入ったゴジラファンにどう向き合うか」
「ゴジラ映画、究極の二択」
と一部被るのですが、殿様ギドラさんの言う
>私が責めたいのは、作り手側のゴジラに対する認識不足ですね。
に関して、もっと問題は根深いのではないかと思いました。
『ゴジラ迎撃作戦 オペレーションマニュアル』という本のインタビューを読んでいたら、関わっている東宝主要スタッフ及びゴジラ戦略会議の多くが、「『シン・ゴジラ』に憧れて入社し、ああいう映画やアトラクションを作りたいと思って働いている」みたいなことを言っていてひっくり返りそうになったことがあります。
憧れて入社なので、さすがにリップサービスではないなと……
しかしシンから9年近く経つので、いわゆるシンゴジ世代の受け手がそのまま社員になったというのは十分考えられます。
当然次は『ゴジラ-1.0』に憧れて入社し……となるでしょう。
未来永劫作られるという仮定をしたのは実はそういう経緯がありました。
しかし『シン・ゴジラ』『ゴジラ-1.0』に憧れて入社したゴジラ戦略会議のスタッフに、あれは駄作です、採用しないでなどと言ったところで、「憧れ」でしょうから、どうにもならないのは事実でしょう。
といっても上のループを止めない限り、恐らくこれは無限に続くと思います。
というわけで、皆さんは上の問題に関して、どのような言論及び方法で説得・解決が可能だと思いますでしょうか。
ここから余談です。
ただ、実は私は『シン・ゴジラ』の一部分はすごく好きなので、なぜハマるのかはある程度分かります。ゴジラの出自とかストーリー・矛盾の云々ではなく、一部の細部の描写に激刺さりするパッション的な問題だなと……
駄作だとは思いますが、個人的には好きな作品ということになります。
当時庵野作品をほぼ見てなかった私でも、初日朝イチで本作を見て、熱線シーンで「黒煙→熱焔→熱線」と熱線を生成する過程を初めて克明に描写したことにリアリティを感じた点と、それがちょうど溜めの演出になっていたこと、あと熱線のピーっと言う音がいかにも威力に説得力を与えて泣きそうになったのは覚えています。
細部に関しては、例えば空爆や熱線中に目を瞬膜で防ぐ描写で、「ゴジラじゃないのは分かるが、弱点である目を防ぐ方法として一定の回答を出しリアリティがあるのと、なんとなくカッコいい」みたいな細かい刺さりが積み重なってるだと思っています。
そのようにとにかく情報量を増やして、細かい刺さりを無数に設けることで、どれか引っ掛かって好きになるファンを増やしているんだろうなと考えています。
ただ、シン・ゴジラの好きなポイントはゴジラじゃなくてもできることで、それこそ熱線の段取りはサンダーバード2号の発進描写とかでも良いわけですから、上のような「段取り」や「リアリティを推し進める為の一瞬の描写」を敷き詰めたら、シン・ゴジラファンは喜ぶんじゃないかな、というのが私の個人的な結論です。
ちなみにそんな私でも、『ゴジラ-1.0』の何が刺さるかはさっぱり分かりません。
Re: ゴジラの問題は根深いのではないか - なんじぇい (?)
2025/01/09 (Thu) 18:17:05
追記ですが、『ゴジラSP』が『シン・ゴジラ』の物真似と化したのも、『シン・ゴジラ』に憧れて入社したゴジラ戦略会議のスタッフが大量に存在するからではないかな、と思っています。
Re: ゴジラの問題は根深いのではないか - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/01/10 (Fri) 18:14:20
説得、ではないけれど。
この掲示板でさまざまにやりとりされた『シン・ゴジラ』についての発言を読んでもらうのがいいですね。
その上でそれぞれに考えていただきます。
一点付け足すなら、作り手に回るということは、ファン意識のままではいけませんよ、と。
個人的な一案 - なんじぇい (?)
2025/01/11 (Sat) 01:37:14
実は、どうにかこうにか1晩考えて、これなら現実的にできるんじゃないかという解決案は思い付きました。
それは『シン・ゴジラ』『ゴジラ-1.0』に感銘を受けたメンバーに、何に感銘したのか・憧れたかを極限まで具体化させ、1つ1つ考えていただくことではないでしょうか。
単にリアリティがあるからとか熱線がすごいからみたいな大雑把なイメージではなく、「瞬膜」とか「熱線の背鰭ギミック」とか「タバ作戦の自衛隊のリアリティある描写」「無人在来線爆弾」とかです。
もっと細分化及び理由付けする必要はあるでしょうが。
その具体化させた刺さったポイントを取捨選択し、
瞬膜や背鰭ギミックみたいな一時的変形はゴジラにはありか? そもそもそれはゴジラという怪獣ならではの面白さなのか?
↓
無理なら敵怪獣にこういうギミックは面白いのでは
みたいな感じで丁寧にやっていけば、無条件崇拝からは脱却もするかもしれませんし、また仮に瞬膜を新規敵怪獣に設けてもなにも問題ないでしょうから(単に瞬膜を真似ても面白くはないので別のギミックでしょうけど)、ある程度意見を沿わせてより良い作品にできるのではないかな、とは思っています。
さすがにヤシオリ作戦で液体をチューチュー飲むゴジラが好きとか言われたら却下になるでしょうが、取捨選択はどの映画でもあることです。
無人在来線爆弾にしても、あれでゴジラを倒すのは説得力が無さすぎるしあの程度で倒れるゴジラは情けないと感じますが、もっとリアリティやディテールを詰めたら「敵怪獣を倒す際に人類側があれに似たようなものを作ってある程度役に立った」くらいなら可能だとは思っています。
あれが受けたのは、要するにターミネーター1のプレス機や2の溶鉱炉みたいな、身近なもので強い敵を工夫して倒す的なことだと考えているので……
いくらシン・ゴジラのフォロワーでも、『ゴジラSP』が本気で突き詰めて作りたかった作品とは思えない(仮にあの熱線がシン・ゴジラを改良した理想系だと思ってるなら恐ろしくセンスがない)。
それでも、ゴジラにごっつすごい熱線を求めるのはVS世代以降の本能にも似た性(多分ゴジラに神や圧倒的な破壊を求めてそう)を感じるので、完全に殿様ギドラさんの思いどおりにはならないでしょう。
ただ、シンやマイナの真似事をするよりは、分解して具体化と細分化を推し進め、それが本当にゴジラ新作でも行けるとなったら取り入れる等をすれば、現実的な路線としては可能じゃないかな、なんて思っています。
ちなみにこれを出した根拠として、「彼らはシン・ゴジラに拘っていない、恐らく愛着はないから」があげられます。
本当にシン・ゴジラというキャラクターが好きでたまらないなら、『ゴジラ-1.0』のゴジラはシン・ゴジラそっくりになるでしょうし、そもそも『ゴジラ-1.0』ではなく『シン・ゴジラ』の続編を作ろうとする筈です。
それをしないのは、彼らが『シン・ゴジラ』を好きな理由はなにか別のことだと言えるのではないでしょうか(イタコじゃないので何かまでは分からないんですけど)。
長々と書きましたが、どうなんでしょう……
Re: ゴジラの問題は根深いのではないか - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/01/12 (Sun) 12:56:36
ゴジラ戦略会議に参加出来るなら、という前提ですね?
それ自体難しい話ではあります。
そこをクリアしたとしても、大きな問題が残ります。
個々には様々な考えがあるとしても彼らの全体として、「ゴジラのアイデンティティを守る意思があるのか?」どうかです。
近年のゴジラ作品を見ていると、アイデンティティがないのがゴジラであるとでも言いたげです。
そのような解釈をする「文化人」がいたりもします。
ゴジラにはアイデンティティはいらない(背びれがあればそれでいい?)と考えている人には何を言っても無駄でしょう。
架空のキャラクターこそ作り手側がアイデンティティを守る努力をしないと元も子もなくなる、という話もすでに書いていますので、
やっぱりこのBBSを参考にして欲しいですね。
ミレニアム時代から情報が引き継がれているなら、ゴジラ関係者はここを読んでいるんじゃ?
また『ゴジラSP』や『ゴジラ-1.0』などの内容に関しては監督・脚本家の意思が反映したものと見るべきでしょう。
ゴジラ戦略会議が作り手に対していくつかの条件を示しているとしても、具体的な作品内容にまで干渉してはいないと見ています。
*注・私は自分の思い通りのゴジラを求めているのではなく、本多・円谷コンビが作り出した元祖ゴジラの復活を願っています。
元祖ゴジラから矛盾なく導き出される新展開であれば自分の好みに合わなくてもゴジラと認めます。
私はミニラの存在を認めますし、ミニラが嫌いではありません。
けれども、これからのゴジラ映画にミニラをもう一度出せとは思いません。『ゴジラの息子』は面白い映画と思いますし、好きです。
しかし、子育てをするゴジラを見たいわけではないです。
ゴジラ映画、究極の2択 - なんじぇい (?)
2025/01/07 (Tue) 13:08:02
少し前にゴジラから愛想をつかして卒業した人と話していたら、「シンゴジやマイナみたいなのが大ヒットし世間からも絶賛され、それが未来永劫続くくらいなら、『デストロイア』かせめて『ファイナルウォーズ』でゴジラ映画が終わった方がましだった」と言われて驚いたことがあります。
ただ、実際にシンやマイナは絶賛され、賞レースでも勝ち続け、商業的にも成功しています。
なぜか分かりませんがこれが初代ゴジラリスペクトでゴジラの最高傑作で……みたいな評が後をたちません。
新作も山崎貴監督なので、これが続いていく可能性が高いとは言わざるを得ないと思います。
辛い質問になるかもしれないのですが、「変なゴジラが延々と製作・絶賛され続け、ゴジラが歪み続ける未来」と「デストロイアかファイナルウォーズで終了」なら、どっちの方がましなのでしょうか。
あくまで仮定の話なので、前者は未来永劫毎回変なゴジラが出て絶賛され続けるとして考えてください。
ちなみに私はまだ前者の方が、なんでも褒める人は多分旧作も観賞するからましかな、とは思います。
Re: ゴジラ映画、究極の2択 - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/01/07 (Tue) 18:33:57
難しい設問ですし、もちろん確信はありません。
という前提で、私は「デストロイアかファイナルウォーズで終了」のほうがましと思います。
未来永劫おかしなゴジラが作り続けられてしまうと、本物のゴジラは忘れ去られてしまうんじゃないかと思います。
それよりは新作がなくても配信や放送・セルソフトでまともなゴジラが鑑賞されていく方がゴジラのためじゃないかと・・。
たとえ知名度が下がっても、ゴジラが正しい形で認識されていたほうがいいです。
Re: ゴジラ映画、究極の2択 - エクセルシオール (男性)
2025/01/07 (Tue) 21:06:04
仮に「変なゴジラが延々と製作・絶賛され続け、ゴジラが歪み続ける未来」が終わる時が来てまともなゴジラが復活する可能性が少しでもあるのならばともかく、正真正銘「未来永劫毎回変なゴジラが出て絶賛され続ける」のであれば、私は「デストロイアかファイナルウォーズで終了」の方がましだったと考えます。もう駄目な作品しかできないと分かっているのならば、ゴジラ映画ができるたびに絶望し続けるしかないし、管理人さんのおっしゃる通りいつか本物のゴジラは忘れられてしまうでしょう。
そうなるよりはまだかっこいいうちに終わってしまった方がゴジラというキャラクターのためによかったことになると考えられます。なお、デストロイアとファイナルウォーズどっちで終わっていればよかったかについては「デストロイア」を推します。私はミレニアムシリーズにはどうにも納得できない点が多かったので。
もっとも、人のやることに未来永劫はありません。『シン・ゴジラ』や『ゴジラ-1.0』が絶賛される状況には絶望したくなりますが、いつの日か正統的なゴジラが蘇る可能性があると信じております。