ギドラの巣「新」映像作品掲示板
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交わす笑顔の放射能~♬ - 海軍大臣 (男性)
2024/11/17 (Sun) 22:57:55
作品の成立プロセスについてファンからもイマイチ注目度が低い「ゴジラの逆襲」ですが、シナリオやピクトリアルスケッチ、それにノベライズ小説の段階ではアンギラスもゴジラ同様に放射熱線(白熱光)を吐く設定でした。ゴジラ初のキャラクターソングの一つ「うちのアンギラス」の歌詞も、きっとこれを忠実になぞった結果だったのかと思われます。
この能力は、アンギラスがゴジラと同様に核実験に出自の起源を持つことを強調するための筆法だったのでしょうけれど、しかし完成作品ではオミットされていますね。
ではこうした当初の設定を覆して、ゴジラのみが口から放射熱線を吐く特性を有するように変更したのは、誰の決定だったのですかね? もともとゴジラ続編の監督は初期の段階では本多監督が予定されていたところ、恐らくスケジュールの都合で小田監督に変更されてはいますが、どうも小田さんでは無い様子。この後もシリーズとしてゴジラ映画の展開を考える立場に居た人間だとすると、やはり田中友幸氏あたりじゃないかと推察される訳ですが、決定的な証拠は出て来ません。
「ゴジラの逆襲」はゴジラという架空キャラをメインに置いた作品をシリーズ化していくにあたっての重要な試金石に当たるのですから、当初の設定を覆してまでゴジラのキャラ強化に拘った経緯の詳細については、是非ハッキリさせて欲しいと思っています。
Re: 交わす笑顔の放射能~♬ - エクセルシオール (男性)
2024/11/18 (Mon) 20:42:27
確かに『ゴジラの逆襲』の小説版ではアンギラスもゴジラと同じように白熱光(放射火炎)を吐くシーンがあり、初めて読んだときに驚いた記憶があります。
何でゴジラだけが火を吐くようにしたのか?その理由は不明です。ゴジラ映画をシリーズ化するためにキャラクターを強化したかったとしても、次のゴジラ映画が7年も後になった事を思えば、いささか微妙な感じもします。私は単純に前作ほど特撮に手間をかける暇がなく(実際、ゴジラが白熱光を吐くときに背びれの発光がない)、ゴジラだけでなくアンギラスにも白熱光をはけるようにする時間が無かっただけではないかと思っています。
個人的にはアンギラスが飛び道具を失った事はかなり残念です。もしいつか再登場する日が来たらこの没設定は復活させてほしいですね。なお、ゲームとかでは「咆哮衝撃波」とか「背中の針からビーム」とかそういう設定が追加されているものもあるそうです。
Re: 交わす笑顔の放射能~♬ - 海軍大臣 (男性)
2024/11/18 (Mon) 22:15:52
よく「逆襲」は製作期間が短くて云々、といった語られ方をされますが、必ずしも当たってはいない様子ですね。
例えば「ゴジラ」は1954年5月24日に香山滋氏による初稿(いわゆる原作)が脱稿し、完成作品は名古屋地域で同年10月27日に公開されていますので、製作期間は概ね5カ月といったところ。一方の「逆襲」は同年12月20日脱稿で作品公開は翌年4月24日ですので4カ月となり、世に言われている程の差異はありません。第一作では肝心のゴジラの着ぐるみのデザインや原料選びのために試行錯誤があった分、多少余計に時間を費やしていることを考えれば、そこまで不利な条件とはならなかったと思われます。
事実、本編中には何気ないドラマ部分に驚くような作画合成があちこちで使われて(主人公らの勤務する水産会社の外見だとか)いたりしますし、スタッフのインタビューにも「(二作目で慣れてきたものだから円谷さんが)凝るは凝るは、バカみたいに」なんて証言も飛び出す始末です。
ですから「逆襲」が極めて短期間に作られたから云々とする言説は、70年代末に出版された某特撮研究本あたりの記述を鵜呑みにした固定観念じゃないかと考えられます。
最近ではその辺りを見直す研究者も居られたりで、一部では「特撮パートに関する限りでは、モノクロ怪獣映画の最高峰」とする再評価も出始めているようです。
Re: 交わす笑顔の放射能~♬ - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/11/19 (Tue) 19:06:53
アンギラスから白熱光の能力が失われた理由は謎ですね。
製作スケジュールの問題で作画合成の手間を減らすため、というご意見に一理あるようにも思いますが、
巷間言われているほど厳しいスケジュールではなかったというお話にも頷けます。
『獣人雪男』の製作スケジュールとの兼ね合いがどんな感じだったのかも知りたいところです。
白熱光とは別件ですが、成田亨さんによると『ゴジラの逆襲』ではビルの鉄骨鉄筋も作り込んだミニチュアを使った部分があったそうですが、
手間がかかるために撮影スケジュールの問題で一部だけにとどまったとか。
やれること全部をやりきったわけでもなさそうです。
推論でしかありませんが、ストーリーの流れを考えると、アンギラスとの闘いはクライマックスではなく、
ゴジラの強さを見せるための噛ませ犬的な扱いなので、
ゴジラとアンギラスの差別化を図るためだったのではないかとも考えられます。
そんな本論とは離れて、以前から結論を出せずにいるのは、ゴジラの白熱光(熱線)は水爆の影響で獲得されたものなのか?という疑問です。
作り手の意図は、香山滋さんによる検討用台本に「ゴジラを水爆のシンボライズと想定するために放射能を全身に帯びているということの具象化の意味」とある通り、
核兵器の熱線と同様なものをゴジラが発する、そして、水爆のせいでそんな能力を持つようになったと考えるのが自然かと思います。
けれども、劇中世界の事実として考えますと、『ゴジラ』において、怪獣ゴジラは水爆のためになんらかの生物が変容を遂げたものであるとは言っていません。
ゴジラが極めて珍しい生き物であるとしても、その「特殊性」は水爆でも死なないという一点に絞られています。
そして水爆から獲得されたのは「多量の放射性因子」(山根博士は白熱光の存在を知らない時点で語っている)であるとされています。
(これは水爆起爆のための原爆による放射性物質を浴びたためか中性子線を浴びて体が放射化した可能性もあるかもしれません)
作品の表現としてゴジラの白熱光が核兵器の熱線を思わせるものだとしても、
劇中世界の事実としては、水爆とは関係なくもともとゴジラが持っていた能力だと考えてもおかしくはないように思うのです。
私としては、ゴジラはもともと熱線を吐ける大怪獣であって欲しいと思っています。
Re: 交わす笑顔の放射能~♬ - 海軍大臣 (男性)
2024/11/19 (Tue) 22:38:23
ふと思い出したことですが、第一作「ゴジラ」で二回目の東京上陸の際、シナリオ各稿並びにピクトリアルスケッチの段階では、ゴジラは高圧電線をその巨体と怪力のみで突破する段取りになっていて、白熱光によって鉄塔がグニャリと溶け崩れる展開では無いのですよね。
そして市街地へ進入後に初めて熱線で建物を炎上させる形なのですが、観客に白熱光の威力をより強く印象付けるには、完成作品にあるように鉄塔を溶かして見せる演出が正解だったと思います。
ピクトリアルスケッチは絵コンテとは違って演出を練るためではなく、準備段階でスタッフ全般に作品イメージを共有させたりだとか、似たようなシークエンスを抽出して訂正する目的で描かれるそうですので一概には判断できぬものの、この変更は現場レベルの判断で実行(勿論、より高次な製作サイドへの許諾は必要でしょうが)されたと考えるべきかと思います。つまり特撮パートの演出にあたっては、この「熱線を吐く」という特性が如何に重要視されていたかが感じられてくるようです。
それとシナリオ初期段階ではゴジラは常時、全身から高熱(放射線?)を発していることになっていて、その影響で大戸島での登場シーンでは周囲の山林に山火事が発生する描写まで存在しています。
以前に取り上げた食人描写が改稿に伴って削除されていったのと同様、白熱線関連についても完全に定まっていなかったイメージが順次整理されていったものと考えています。
あと、ギドラさんの御意見にある「もともと熱線が吐ける大怪獣」としてのゴジラという捉え方は、私も大賛成ですね。
ハイレゾ!SF交響ファンタジー - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/11/16 (Sat) 15:50:29
ちょと前の話になります。
「伊福部昭SF特撮映画音楽の夕べ」SACDが届きました。
予想通り5.1chトラックはありません。
以前の投稿で、これまでレコードやCDで使われてきたマスターが、周波数特性20Hz~20000Hzのデジタル録音であることに不安を覚えると書きました。
>周波数特性に20Hz~20kHzと書いてあるので、サンプリングレートはCD程度の44.1kHzかもしれず、bit深度が24(CDは16bit)だったとしても、
>SACDの性能を十分に発揮できるかどうか不安なところです。
ところが、今回のSACDは、デジタル録音と同時に録音していたアナログ録音音源を使っているとのこと!
こまかいことは省きますが、初期のデジタル録音より同時期のアナログ録音を現代の技術でレストアしたほうが高音質になります。
というわけで、今回のSACD、強烈に高音質です!
ただし、SACDを再生する環境が無いと、ただのCDとして再生されてしまうので、リマスターの効果はあってもハイレゾ再生にはならないのですよなぁ。
しかし、この美しい高音質は多くの人に体験してほしい。
オーディオセットを揃えるのはお金もかかりますし、それなりの部屋も必要なので無理なものは無理でしょう。
それでもSACDを聴いてみたいという人向けに、私が知る範囲で再生のヒントを書いておきます。
CDやデジタル録音機は一般的にPCMという技術で音をデジタル化します。
CDであれば44.1kHz(44100分の一秒ごとに音圧データを取ってデータ化)、その他のデジタル録音では48kHzでサンプリングするのが一般的で、
そこにビット深度(データの細かさ)16btや24bit、最近は32bitが関わります。
CDより高音質なもの全般をハイレゾと呼んでいます。
48kHz24bitや96kHz24bit、192kHz24bitなどがあります。
それに対して1bitオーディオという技術もあります。
bit数がやたらと小さいですが、サンプリング周波数が桁違いです。
SACDでは2.8MHz(280万分の一秒)で、CDの63倍以上の細かさです。
PCMとは違い、瞬間の音圧を記録するのではなく、その瞬間の音圧変化を記録するものと考えるといいみたいです。
つまり、1bitで表現できる1か0かを使って、音圧が「来ている」のか「来ていない」のかをデータ化するものらしいのです。
(完全に理解できてはいないことをお詫びします)
音波エネルギーを量子化すると考えるといいらしいです。
これをDSD(ダイレクトストリームデジタル)と呼びます。
DSDには5.6MHz、11.2MHzもあります。
PCM録音では、音圧の変化を折れ線グラフで表現するのに対して、
DSDでは情報の濃淡(粗密)で表現すると言われています。
PCMよりDSDのほうが、実際の音波の振る舞いを模した物になるのでより自然な音になるのです。
そこでその再生についてです。
DSD信号から直接アナログの音声信号に変換する能力を持ったアンプを使っていれば、プレイヤーからDSD信号をそのまま流してやればいいのですが、
私のアンプはそこまでの性能は無くて、入力は昔ながらのアナログ入力か、HDMIを使ったデジタル入力のどちらかです。
デジタルアンプなので、内部処理は192kHz24bitで行っています。
ややこしいのは、DSD信号を直接受ける機能がおまけのようについていること。
しかしそれはDSDから直接音声信号を生成するのではなく、一旦44.1kHzサンプリングのPCMに変換してメイン回路に流してやるものでした。
そのため、私のアンプにDSDを直接入力するとCD程度の音になってしまうのです。
このあたりの使いこなしは自分の機材を熟知しないと間違えます。
そして、手持ちのDVDプレイヤーにもSACD再生機能がありますが、デジタルアンプへ出力するときにはDSDを88.2kHz24bitに変換して出力してくれるので、
単純計算でCDより2倍の情報量になります。
しかし、これでも不十分。
手持ちの初期型プレイステーション3にはなんとSACD再生機能があり、これを使うと、176.4kHz24bitに変換してくれるのでCDの4倍の情報量になるわけです。
開発者によると、簡易的なSACDプレイヤーだとDSD信号をすべて読み込まず、飛ばし読みして88.2kHzを作るらしく、PS3はすべての信号を読み取ってPCM変換するとのこと。
ゲームのための高性能なCPUを持っているから出来ることとのことでした。
まあそれも昔の話で、
今は4KブルーレイプレイヤーのSACD再生機能を使っています。
こちらも176.4kHz24bit PCMに変換してくれるので、DSD本来のクオリティではないかもしれませんが、CDよりはるかに高音質な再生になります。
聴感上192kHz24bitと同等ですが、元がDSDであるためか、低音の響きがより自然に聞こえるように思います。
192kHz24bitで録音されたものより深い音に聞こえます。(気のせいか??)
SACD再生機能のあるプレイヤーは少ないかも知れませんし、アンプやスピーカーもそれなりに高価な物を用意する必要があるかと思います。
しかし、私はオーディオマニアではなく、映画を見るためのAVアンプを使っているだけです。
(パイオニアLX-52←ぜんぜん大した物じゃないです)
それでも生演奏を思わせる澄んだ音が出てきます!
プレイヤーとアンプまでをなんとかして、スピーカーは諦めて高性能ヘッドホンで聴くという選択肢もあるかもです。
「伊福部昭SF特撮映画音楽の夕べ」SACD、すんごいので、ハイレゾで聴いてほしいなぁ。
(8月31日の「伊福部昭FANTASY WORLD」もCDだけでなくハイレゾ音源も販売してほしいよぅ)
仮にマイナスワンの続編を作るならどうすべきか - なんじぇい (?)
2024/11/13 (Wed) 23:50:26
どうやらこれを見るかぎりまだ映画は作っていなさそうです。
山崎貴監督 ゴジラ新作に自信なさげ「ハードル高くなっちゃった」「ゴジラ-1.0」が「うまくいきすぎ」と総括
https://news.yahoo.co.jp/articles/73dfd8fa718def8384fbd05a3cd26702352982d9
というわけで、もし『マイナスワン』の続編を作るとするなら、どのように軌道修正をすれば良いのかという現実を見据えた話にすれば、どうなるのでしょうか。
流石に絶対に不可能と思えるもの(例えば本物のゴジラを出し、マイナスワンゴジラが本物の出自のゴジラに倒されるみたいな)はなしにして、どうすれば見れるものになるのでしょうか。
とりあえずゴジラを熱線を連発できるくらいには強くはするかもみたいなことは言ってたので、あれほどの虚弱ゴジラではないことは最低限祈ります。
Re: 仮にマイナスワンの続編を作るならどうすべきか - エクセルシオール (男性)
2024/11/14 (Thu) 22:01:40
軌道修正を検討するにしても、続編である以上、前作を無視して作るわけにはいきません。そこに修正限界というべき制約があります。また、ストーリー上も前作の設定や結末を考慮して作っていかねばならないはずです。正直、この時点で「軌道修正なんか不可能だ!」とわめきたくなってしまいます。
以前少し触れた事がありますが、前作ラストで典子がゴジラ細胞に取り付かれているような描写があった以上、そのことに触れないわけにはいかないでしょう。だが、典子関連の話はどう考えても陰惨な展開しか想定できず(怪物化する、怪物扱いされて迫害される、ゴジラ細胞に耐えられず苦しんで死ぬ等々、ひどい話にしかなりえないように思える)、まったくもって何故「普通に助かった」という落ちにしなかったのかと、改めて疑問が湧いてきます。
ゴジラにしてもバラバラになった肉片から再生するような描写があった以上、そういう物体X的な存在として描かざるを得ません。この点を活かすとしたら破片から無数のゴジラが発生してしまい、人類が危機に陥るという話にするのが一番簡単です。ゴジラを倒して英雄扱いされていた敷島たちが一転「短慮な作戦で人類を危機に陥れた連中」と罵られるというドラマも並行でき、物語としては成り立ちます。ただ、唯一絶対であるはずの怪獣王がそのような種類の脅威として描かれるのは許しがたい。結局、ゴジラの名のもとに別種の怪獣を作った罪過が響いています。
そうなると前作の時代設定に近接した時代を舞台にすると面倒しか起きない可能性が高いです。そこで、時代設定を思い切って未来にしてしまうという方法があります。敷島達も多くは故人にして、あの時子どもだった明子だけが高齢になって登場することにしてしまえば、ある程度ごまかしが効くかもしれません。
>あれほどの虚弱ゴジラではないことは最低限祈ります。
強くするといっても結局「人間が倒せるレベル」にするつもりでしょうから、情けないことに強化にも限度があります。仮にかつてのゴジラのように現代兵器をものともしない強さを与えたら、もう前作のようなご都合主義のお涙頂戴ドラマは作れないからです。そう考えると期待できません。
なお、他の怪獣を登場させる可能性もありますが、ラドンやモスラやアンギラスやキングギドラが、山崎風味でゴジラと同じように滅茶苦茶にされるのは勘弁願いたいです。
Re: 仮にマイナスワンの続編を作るならどうすべきか - なんじぇい (?)
2024/11/14 (Thu) 22:33:16
仮にエクセルシオールさんのアイデアを取り、可能な限りマイナスワンの設定も保持する方向で行った場合、こうなるかなあという感じなら……
・マイナゴジラは原爆みたいな強力なエネルギーでダメージを受けたら異常進化するという設定なので、今回もさらに強大化し、通常兵器程度では通じなくなる。強大化した際にデザインも元のゴジラに近づける
・マイナゴジラはあくまで一個体しか登場しない
・敷島や典子は死亡した扱いとし、山崎貴監督が好きそうな20年後の1960~70年代くらいの話にする
・ゴジラに対して敬礼したということらしいので、それは維持してゴジラ側に立った演出を心がける
となりそうな気がしました。
できる限り軌道修正すれば2代目ゴジラに対するVSゴジラくらいの差異にはなれそうな気がします。
Re: 仮にマイナスワンの続編を作るならどうすべきか - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/11/15 (Fri) 18:43:32
お題をいただいて、ううーーーーーーんんと考えてはみたのですが、
さほど良い案は浮かびません。
お二人のアイディアに感心するばかりです。
ぎりぎりその線が限界か?と思いました。
やはり続編なら前作の内容を無視や否定するものではいけませんから、
マイナゴジラを真っ当な怪獣にするための変容を描く必要が出てきますね。
そうなると現実の兵器では殺せない(ゴジラと名乗るためには水爆にも負けない怪獣になる)怪獣になりますから、
怪獣退治を諦めるか、一作目『ゴジラ』の焼き直しをやって、作品全体のテーマを背負うような新技術を持ち込むかでしょう。
怪獣バトルを主軸にすれば、怪獣の生死を問わなくても勝ち負けで決着を付けられるので、不死身の怪獣でも扱いやすくなるのですが、
どうしても怪獣退治ストーリーをやりたいとなると、人間による怪獣退治は失敗するのが正しいです。
怪獣退治は失敗しても、並行して描く人間社会の事件?葛藤?が解決することでカタルシスを生むという作劇が考えられます。
怪獣の退場は、人間の努力とは関係なく、怪獣の都合で去って行くのがいいでしょう。
これによって大自然の振る舞いを象徴させます。(人間は大自然の力にはかなわない)
山崎さんは絶対にやらないでしょうけれど、
ヒクイチの続編として私が見たい内容としては、マイナゴジラ再出現による災害はあくまでも背景にして、戦後日本の庶民が味わったさまざまな苦難を群像劇の形で多角的に描くストーリーです。
戦災孤児の苦難、復員兵の苦難、被爆者の苦難、占領下での政治不全・・・・いろいろあると思います。それは現代日本の問題をあぶり出すことにも繋がるでしょう。
そんな社会性を持った物語は現代日本の大衆にはヒットしないでしょうね。しかも、それじゃ怪獣映画ではなくなるし。
まあ、もともとヒクイチは怪獣映画ではないので、続編なら有りだろうとも思います。
久々にVSシリーズを全て観ました。 - エクセルシオール (男性)
2024/11/10 (Sun) 16:09:41
今年はゴジラ誕生70周年だという事もあり、11月にけっこうあちこちの局でゴジラ映画をやっています。その中のBS松竹東急で平成のVSシリーズ6作品を一挙に放送していたので、懐かしさもあって久しぶりに全て観てみました。
確かに設定やストーリー展開に問題もあるし、強引に外連味と力技で押し切っている感じもありました。しかし、それでも娯楽映画としては非常に面白いし飽きさせません。昨今の『シン・ゴジラ』だの『ゴジラ-1.0』などと比べると圧倒的にいいです。とにかく派手で華やかだし、ゴジラだってきちんと心のある生きものとして描かれていました。なんだかんだ言ってもやっぱり好きです。
思えば、VSシリーズの頃はダメなところもあるなあと思いつつも、映画館を出たときに不愉快にはならなかったのです。しかし、ミレニアムシリーズ以降になると「ゴジラ弱すぎ」とか「自衛隊に遠慮しすぎ」とか「太平洋戦争の戦没者の魂の集合体ってなんだよ」とか、怒って帰る事が増えました。そうなると心情的に何かしら決定的な違いがあったのだと思います。そして今は「もうゴジラもおしまいか?」と本気で思うようになってしまいました。
なお、今回VSシリーズを観なおしてみて、少し面白いなと思ったのが、群衆が逃げ惑うシーン。よく見るとなんだかうれしそうな表情の人がいるような感じがします(出演できるだけで光栄だったのでしょうね)。後、実際のロケ映像と怪獣を合成したシーンでは、ゴジラなどがそばにいるのにそっちに向けて走る車とかいて、失笑してしまいました。これらは厳密に言えば欠陥なのかもしれませんが、大らかに見ていいところだと思います。
余談。『ゴジラVSビオランテ』を最初に映画館に見に行った時、子どもだったので母親同伴でしたが、怪獣映画とかあまり興味のない母の率直な感想が「高橋幸治(白神博士の事です)は無責任すぎない?」というものでした。なるほどそのように見えても仕方ない描き方でしたね。
Re: 久々にVSシリーズを全て観ました。 - なんじぇい (?)
2024/11/11 (Mon) 06:17:52
恐らくですが、ゴジラが終わりになることは暫くはないんじゃないかなとは思っています。
興収や動員数だけなら文字通りシリーズが休止したミレニアムシリーズの暗黒期よりずっといいからです。
尤も、もう元のゴジラシリーズに戻ることはないとは思っています。
もし戻ることがあるとすれば、「ゴジラ映画はゴジラvs人間を楽しむ物語である」「ゴジラ映画は各作家の好き勝手なゴジラを見るものである」という方式で楽しんでる今のゴジラファン(シンゴジでも虚淵SPでもマイナスワンでもそれを楽しんでいる人が非常に多かった)に、退治ものより面白いもの・昔のゴジラを使ってももっと面白いものを作れることを証明する以外にはないとは思います。
特にシンゴジ以降に入った場合だと、昔のゴジラがどうだったかなんて知ったことかとなるでしょうし、おまけにゴジラ退治を楽しんでゴジラに入ったわけですから、翻意させるのは非常に厳しい気がします。
『ゴジラ×コング』とかだとどうやらただのバカ映画と思われてるみたいで(実際スキュラやティアマットの扱いとか、突如都合のいいビーストグローブが沸いてきたりとかは何じゃそりゃとはなりましたが)、どうすりゃいいんだろうとはなりますが。
レジェゴジ・シンゴジ以降の世代にそれをする方法は私には思い付きません。
Re: 久々にVSシリーズを全て観ました。 - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/11/11 (Mon) 18:46:24
VSシリーズはおっしゃるとおり、大衆娯楽映画として真っ当な仕上がりでした。
方向性として決して間違ってはいなかったのです。
私がVSシリーズについて肯定できない理由は散々書いてきたのでここでは割愛しますけれど、
私の考えとは違う方向で、かつてのゴジラ映画を否定する立場があるようです。
一番わかりやすいのは、怪獣対決ものの否定です。
シンもマイナも怪獣同士が戦うシーンはありません。
怪獣という脅威に対して人間が立ち向かうことが主眼になっているわけです。
これをよしとする立場はもはや50年前の〝大人な〟評論家と同じです。
シンやマイナで喜んでいる人は大別して二種類と思われます。
さほど深くものを考えず、ゴジラのバリエーションが増えることで喜ぶ〝ゴジラファン〟と
怪獣の魅力には感度がなく、人間が何をするかを軸に見ている人で、劇中の脅威が怪獣でも地震でも台風でも大差なしの人。
(反論は受け付けますよ)
さて、シンやマイナに子供たちは熱狂したのでしょうか。
かつての怪獣には野生の魅力がありました。
人間(大人)を蹴散らす究極のアウトローでした。
だからこそ子供が熱狂したのです。
子供向けに作ったからではありません。
と、怪獣の要点を書いておきまして・・・。
怪獣映画の立て直しには、
>退治ものより面白いもの・昔のゴジラを使ってももっと面白いものを作れることを証明する以外にはない
まったくその通りなのです。
その方向で画策したこともありましたが、素人のやれることには限りがあって、上手くいきませんでした。
そうなると作り手側の意識を変えさせるにはどうすればいいかということになりますが、
現状では、こうしてネット言論に頼るしかない状態です。
シネコンのアンケートにもいろいろ書いてはいるんですが・・。
近年のゴジラ映画がゴジラ退治ストーリーでしかないことで、それを楽しむ人が、怪獣闘争ものを楽しめないと考えるのは早計でしょう。
もともとの怪獣(怪物)映画は、怪獣退治が主軸であり、怪獣(怪物)が死ぬことで終了するのが当たり前でした。
そんな中、『怪獣ゴルゴ』や『モスラ』、そして『キングコング対ゴジラ』が怪獣が死なない物語を提示することで、
新たな地平を切り開いたのです。
怪獣映画には怪獣の行動を見せることで面白さを作り出すものもあるということです。
(怪獣退治を全否定はしません)
怪獣退治に慣れたお客さんに別の楽しみを提示することは可能と思います。
『ゴジラ×コング』をただのバカ映画と思う人がいるのは仕方がないです。
『フランケンシュタイン対地底怪獣』について、洋物怪物を日本の怪獣映画に当てはめただけの企画物と断じる意見もありました。
怪獣が解らない人はいつの世にもいます。
おそらく作り手側に怪獣を解っている人もいるはずです。
そんな人々を召喚するためには、怪獣を解っていない作り手を批判していくしかないでしょう。
Re: 久々にVSシリーズを全て観ました。 - なんじぇい (?)
2024/11/11 (Mon) 21:25:01
シン・マイナ・虚淵・SPで喜んでる人は殿様ギドラさんが挙げた以外にもいくつかあると思っています。
①ギンガ以降のウルトラマン・モンスターハンター・怪獣8号等に影響されて入り、「ダビデがゴリアテを倒す」ことを楽しんでいる人
②とにかく考察が好きな人(シン虚淵SPは意図的に分かりづらくしている。こういう人はマイナスワンはあんまり……と言ってることが多い)
③自衛隊や兵器が好きなミリオタ(シンゴジ以降は兵器の運用はそれまでより正しいことが多いのでそれで興奮しているらしいです)
④ゴジラの熱線のバリエーションを楽しみにしている人(これはレジェゴジも含みますが上4作の各監督熱線発表会に興奮している人は多いです)
この中で③は、自衛隊をVSまでの怪獣映画と同じようにかませにしても、明らかに変な運用方法をしない、つまり戦闘機で過剰に接近して怪獣の手に叩き落とされる等をなくせばいいので、リアリティの観点からはそうしたほうがいいでしょうし、そんなに難しくないと思います。
リアリティ云々ではなく自衛隊の活躍そのものに興奮している自衛隊マニアはちょっと厳しいですが。
①②はある程度被っているので割愛しますが問題は④で、実はこれは自分もそうだったりします。
なにせVSシリーズのvsメカゴジラやデストロイアの決着となった赤い熱線(特にデストロイア戦のとんでもなく太くなった熱線)が大好きで……
要はVSから入った人も熱線発表会を心待ちにしている人が多いのではないでしょうか。
シンやマイナ・SPの最高の見せ場は明らかに熱線(SPはシンの劣化と思ってますが)、レジェゴジも『vsコング』では熱線で内核まで穴を開ける等、熱線が最高の見せ場という演出は一貫しており、こういうのを待っている人は、昭和の熱線を見てもショボいとガックリして新しいものを求めるという循環が成立していると思います。
ド派手熱線を心待ちにしてる人に、初代や2代目前期の怪獣に決め手にならない上に破壊描写もいささか地味な熱線が受け入れられるのかというのは気になります。
Re: 久々にVSシリーズを全て観ました。 - エクセルシオール (男性)
2024/11/11 (Mon) 21:41:33
ゴジラ映画がゴジラ退治を楽しむ話になってしまったとは、何とも悲しいことです。「人間に負ける存在としての怪獣というものに魅力があるのか。」「怪獣の王様であるゴジラがそれでいいのか」と叫んでみても、そもそも主人公が人間のキャラであると考えている人にはなかなか届かないかもしれません。
確かにゴジラと人間の戦いがメインになっている作品もあります。でも、ゴジラ映画の圧倒的多数は怪獣同士の対決こそ主軸だったはず。それが「怪獣プロレス」と嘲笑されて、まるで価値の低いものとして扱われていった果てが、今の「ゴジラVS人間」が正しい姿として評価される状況だと思います。
>シンやマイナに子供たちは熱狂したのでしょうか。
おそらく無理でしょう。「気持ち悪い」とか「かっこ悪い」とかは感じたでしょうが。実際、過去のゴジラ映画にはあった「子ども向けの本」(ケイブンシャの大百科が好例)が、『シン・ゴジラ』や『ゴジラ-1.0』には、私の知る限り見られません。最初から子どもを念頭に置かず、それが正しい事として扱われているわけです。そういえばマニア受け作品の一つ『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』でも、映画館に子どもを排除するような張り紙がしてありましたね。
もう一度いい意味での「怪獣プロレス」を復活させる必要があるように思います。そのためには着ぐるみの復権も必要ではないかと考えます。CGではなく人間が実体のある着ぐるみに入って演じる事でこそ描けるものもあるのではないでしょうか。中島春雄さんや薩摩剣八郎さんの演じていたゴジラは独特の魅力がありました。あれはCGでは出せません。
Re: 久々にVSシリーズを全て観ました。 - なんじぇい (?)
2024/11/12 (Tue) 18:23:18
あと思ったのは「ゴジラは劇中で変態もしくは進化するもの」みたいなものをシンゴジ世代は思っているような気がします。
シンゴジやSPは言うまでもないですが、マイナスワンにしろ、恐竜形の生物からゴジラになったりとVSチックではありますが進化はしています。
レジェンダリーも最新作では通常→エナジャイズド→エヴォルブとパワーアップし、外見も多少スリムになったりしています。
エヴォルブが次回作まで続くかは分からないですが……
作中での進化や外見の変化を望む傾向はシンゴジ以降から出てきていて、これもゴジラのバリエーションを望むの一形態だとは思います。
Re: すっかり親記事から離れてしまいました - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/11/13 (Wed) 18:59:37
映画の評価軸にはいろいろあるのはわかります。
自衛隊の運用についてリアリティのあるほうがいいというのはその通りで、
それは劇中世界の本当らしさを支えることになるでしょう。
私が思うのは、ゴジラシリーズと銘打つためには、同一性(同一個体である必要は無いけれど、同種の生き物でなければならない)を守ったゴジラが登場すべきだということです。
これは、フィクションを支えるリアリティの問題に繋がります。
劇映画は特殊な場合を除いて、架空ではあっても、劇中世界の事実を描くものです。
蓋然性のないストーリーは嘘くさく見えます。
(自衛隊や兵器の運用を正しく描くことも蓋然性を守ることです)
ゴジラシリーズが作品毎に別のストーリーを描くことが通例だとしても、ゴジラが存在する世界である、という前提は崩せません。
ここでゴジラそのものを変化させてしまったら、シリーズを通じてゴジラの実在を疑わせることになります。
作り手の恣意が見えてしまうのです。
これでは劇中世界の事実を見せることにはなりません。
(ゴジラが変形(変態)することが当たり前になってしまった人々は誤った刷り込みをされてしまったのですね。ゴジラは変態しません)
一作毎に違う世界なのだ、という説明もあるでしょうけれど、主役まで変わってしまったものを同一シリーズと認めることは、私には出来ません。
と、いつもの主張を繰り返しておりますが、同時に思うのは昨今のお客さんは、
>劇映画は特殊な場合を除いて、架空ではあっても、劇中世界の事実を描くもの
という意識がないのではないか、ということです。
最初から作り物だと思って見ていれば、同じ名前で違う怪獣が出てきても、作者が違うから当然だという受け止め方にもなるでしょう。
そして、蓋然性が低くても見た目の派手さや綺麗さがあればそれでよし、ということにもなりそうです。
ここで、ゴジラの熱線についての考えをもう一度まとめてみます。
ゴジラが持つ攻撃能力の一つでありますが、もともとはあくまでも熱線であって、対象物によって効果は異なるというのが元祖ゴジラでの描写でした。
金属は溶けるし、木材は燃えます。ガスタンクに当たれば爆発することもあるでしょう。
そして重要なのは、ゴジラと同等の怪獣に対してはダメージを与えることはあっても、殺傷するほどの威力は無いということです。
これを私は地味とは受け止めておらず、生物ゴジラの本物らしさと感じています。
熱線なんか吐くのは到底実在の生物にはあり得ないことですが、抑制された描写にリアリティを感じますし、『ゴジラの逆襲』以降の他怪獣との対比にもゴジラだけが特別ではないという、
怪獣がいる世界のリアリティを感じるのです。
そして、怪獣は人間およびその被造物より強力なものとして描かれてきたのです。
ゴジラの熱線を軸にして、その他の怪獣の生命力を表現していたと見ることも出来ます。
この感覚もゴジラ映画から失われたものの一つです。
また、近年は熱線発射の前に演出的タメを作ることが多いですが、私には蓋然性の低い演出と見えます。
技を出す前に、うーーんと力んでいたら相手の攻撃を食らいますよ。
もし、より強力な熱線が必要であるなら、通常の熱線とは別立てで、なにか特別な場合に出すことがあるという設定を作る(劇中でそのきっかけを描く)必要があるでしょう。
私は、そんな波動砲的な設定はいらないと考えていますが、望む声が多いのであれば考慮してもいいのかもしれません。
(ミニラは普段輪っかの熱線ですが、驚いたり気合いが入るとゴジラばりの熱線を出しますしね)
CGに安易に頼る風潮も良くないですね。
怪獣をCGで描く場合、完全にコンピュータ上だけで動きを付けたり、モーションキャプチャで動かす場合もあるのでしょうけれど、
それが演技(芝居)になるのかどうかいささか疑問です。
演技とはリアクションの連鎖です。
人物であれ怪獣であれ、周囲の状況に対してリアクションしていくわけです。
ミニチュアセットの中に着ぐるみの怪獣を配置して「芝居」をさせることで周囲の状況に対するリアクションになります。
従来の着ぐるみでは生物としてのリアリティが出ないというなら、着ぐるみの技術開発に取り組むのも一つのあり方でしょう。
そして、CGIだとミニチュアセットを通常のカメラレンズで撮影した映像より、自然な視野・距離感で見せることが出来るので、一見本物らしく見せることが出来ます。
そのため、CGをやたらと有り難がる観客(作り手も?)が多いのでしょう。
けれども、現在のCGはまだ不完全であり、静止したビル街などはなんとかなっても、それが倒壊したり爆発したりとなるとミニチュアとは別種の作り物感が出てきます。
ミニチュアセットの場合は、たとえサイズ感に難があったとしても、現実に物体が破壊されていることを感じることが出来ます。
しかしCGIオンリーの破壊カットは、質量に乏しく物質の固さ表現も弱い。
ヒクイチの銀座なんて細密画が動いているだけです。
ミニチュアを馬鹿にしてはいけません。
レンズの特性による見え方の問題は、そこにこそデジタル加工を施して、ポストプロダクションで遠近感を補正することが出来るのではないでしょうか。
もちろん、いつまでも石膏ビルに頼るべきでもなくて、ミニチュアセットの作り方も進歩させることが必要と思います。
なんだかまたしても長々と書いてしまいました。
同じことを繰り返しているようでもありますが、倦まずたゆまずの精神で、お初の人にも届いてほしいと願っています。
Re: すっかり親記事から離れてしまいました - なんじぇい (?)
2024/11/13 (Wed) 23:36:30
確かに離れてしまったので簡潔に……
熱線の威力に関してですが、例えばレジェンダリーゴジラの熱線のように、ビルや地形にはとんでもない威力の効果を叩き出すが(恐らく数百~数千kmくらい抉った)、シーモみたいな強大な怪獣にはたいした効果がない熱線というのはどうなんでしょうか。
コングやスカーキングにはかすっただけで相当効いてそうでしたが。
シン・ゴジラは立体商標 - なんじぇい (?)
2024/11/07 (Thu) 13:30:22
「シン・ゴジラ」は「立体商標」 知財高裁、東宝の主張認める判決
https://mainichi.jp/articles/20241106/k00/00m/040/202000c
圧倒的な認知度があることからOKになったそうです。
しかし、ゴジラの立体商標登録で初めてがシン・ゴジラなのはなぜなんでしょうね。
素朴な疑問 - 海軍大臣 (男性)
2024/11/06 (Wed) 07:11:33
「スターウォーズ」に端を発する宇宙SFブームが巻き起こりつつあった1978年春、東宝チャンピオン祭りの1本として「地球防衛軍」がリバイバル上映されていますね。
あれって実は本来ならば「宇宙大戦争」の上映が予定されていたのに、いざ確認してみたら保管されていたネガの状態が悪くて「防衛軍」に差し替えられたとのこと。この話は以前からチラホラ耳にはしていましたが、しかし考えが及ばなかったのは同時期に「宇宙大戦争」のサントラLPが単体で発売された理由が、このリバイバル上映に合わせた企画だったと先日聞き知って、驚いた次第でした。
たしかに当時どうしてマイナーなあの1作品だけでLP化されたのか不可解に思っていましたが、急な変更があったのなら仕方のない齟齬だったと思います。
ところがここでふと思い起こされたのが、この前年(1977年)12月にたしか夜20時台に60分枠で放送された宇宙SF映画の特集番組(東京12チャンネルだったと思うのですが、記憶が曖昧)の存在で、これは翌年公開の「スターウォーズ」「未知との遭遇」などをメインに扱ったもので、私個人としては画面上部から腹部ナメでフレームインしてくるスターデストロイヤーや、襲い来るタイ・ファイターをミレニアムファルコンの銃座で撃ち落とす映像を初めて目にしたのがこの時だったものだから、凄く印象に残っています。
で、その番組の終りの辺りに日本の宇宙SF映画として紹介されたのが、「惑星大戦争」と「地球防衛軍」の2作品。このうち「惑星~」の方は当時まさに公開の真っ最中だっただけに明らかに宣伝の為のチョイスだろうと子供心にも理解できましたが、一方で「地球防衛軍」の方は意図が掴めず、単に名作だから紹介されたのだろう、ぐらいの感覚で受け流してしまいました。
しかし年が明けて暫らくして、同作品がチャンピオン祭りで上映されるニュースを聞き、「ああ、あっちも宣伝だったのね」と思うようになった訳です。
ところが最近になって前述した通り、保存ネガの状態不良から「防衛軍」が代替作品だったことは理解できたものの、このTV特番の時点で差し替え上映が決定していたのならば、「宇宙大戦争」サントラ発売までは3~4カ月の余裕があったことになるのですから、こりゃいったい如何したことか? といった疑問が立ち上がってきた訳なのです。
1977年12月の時点で既に作品変更が効かないレベルでサントラLPの製作が進行してしまっていたのか、或いは時間的余裕はあっても一旦許諾が降りた企画の変更が困難だったのか、はたまた竹内氏や西谷氏あたりが「この機会に何としてでも出してしまおう!」と一計を案じたのか、想像される理由は色々出てきてしまいます。
今さらなかなか真実には辿り着けそうにない気もしますが、それでも東宝特撮映画史の流れを見返す上で、こうした事実の追及はけっこう重要ではないかと私は勝手に考えています。
なお「宇宙大戦争」最初のソフト化の際に輸出用の原版が使用されている理由も、本来の日本公開版のネガ状態の問題に起因しているのだそうです。
2024/11/07 (Thu) 18:14:11
1978年のチャンピオンまつりで当初『宇宙大戦争』のリバイバルが予定されていた話は近年になってようやく知った程度で、
当時『宇宙大戦争』のサントラレコードが発売されていたことは知りませんでした。
知っていたら買ったかなぁ。
いやー当時はまだそこまで伊福部音楽に目覚めていなかったのでわかりません・・。
東宝レコード「ゴジラ」は(のちに)買ったので、手を出したかも。
というのは余談で、『地球防衛軍』を上映するタイミングで『宇宙大戦争』のサントラ発売の謎は解けません。
ひょっとして、と思うのは、許諾の問題もさることながら、
『地球防衛軍』の音楽素材が行方不明になっていた、とか・・・。
ゴジラ新作映画決定 - なんじぇい (?)
2024/11/02 (Sat) 06:20:07
山崎貴監督・脚本で製作決定だそうです。
マイナスワンの続編なのでしょうか。
https://youtu.be/gnTEeaA7Mes?si=QIirV9aq-IbrYqyg
Re: ゴジラ新作映画決定 - エクセルシオール (男性)
2024/11/03 (Sun) 11:49:58
『ゴジラ-1.0』の続編なんか願い下げですし、全くの新作だとしたら、山崎貴監督がまた訳の分からない事をして、今度はゴジラだけでなく他の怪獣も歪めてしまう事を恐れます。
仮に『ゴジラ-1.0』の続編だとしたらどんな話にするつもりなのか。海に散らばったゴジラの破片が全てゴジラ化するとか、典子が取り付いたゴジラ細胞のせいで怪物化し始めるとか、いずれにせよロクな話にはなりそうにありません。
Re: ゴジラ新作映画決定 - なんじぇい (?)
2024/11/03 (Sun) 18:33:26
続編なら敵怪獣は出すみたいなことを言ってた記憶があるので、典子ビオランテが出てくるのか、はたまたアンギラスなのか気にはなります。
アカデミー賞を取ったりと海外での評判がシンゴジより明らかにずっとよかったことから、多分マイナスワンシリーズとして世界展開しようと考えた続編なのではないでしょうか。
この方針で売れて人気も出ている以上、絶対に元のゴジラに戻ることはないと思ってるので、もう観に行かないかもしれません。
どうでもイイ話になりますが… - 海軍大臣 (男性)
2024/11/04 (Mon) 07:08:50
予告映像を観ましたけど続編とは明言まではされていないのですね。正直言って、あまり興味は持てません。
ところで余談です。
映画「太平洋の翼」の中盤に出てくる山本簾、中丸忠雄らが扮する特攻隊には、モデルになった実在の部隊があるのですが、実は今回の「ヒクイチ」の主人公が所属していた部隊って、明らかにこの「太平洋の翼」に登場したのと同じ特攻隊をモデルにしています。
これは大戸島分遣隊指揮所の黒板に書かれた日付と敷島機の部隊ステンシルから容易に判明するのですが、やたらと細かな考察をしたがる「ヒクイチ」擁護者の方々からは指摘する声が聞こえてきませんね。
まあ、どうでもイイ話ですが、公開から丸一年経っているので敢えて紹介させて頂きました。
Re: ゴジラ新作映画決定 - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/11/05 (Tue) 18:52:59
商売人の立場に立てばヒクイチの続編にするのが当然でしょう。
ゴジラシリーズの新作と謳い、ヒクイチと同じ監督で製作するのに、ヒクイチの続編ではないとなれば、ヒクイチファンへの裏切りになりますから。
あ、ゴジラシリーズの続編と称しつつそれまでのファンへの裏切りをするのは現TOHOのお家芸でした。
読めませんねぇ。
ヒクイチの続編でなかったとしても、同じ体制での新作には期待感はありません。
あとは、批評するためだけに身銭と時間を割くかということになります。
迷います。
やっぱり批評はした方がいいんでしょうね・・・。
『太平洋の翼』に出てきた部隊がヒクイチにも使われていたとは、妙な偶然(でしょう)です。
『太平洋の翼』を見直す機会を設けなきゃいけません。
幸か不幸か、ヒクイチも録画はしているので、確認してみます。
(なんですかねぇ。モヤモヤした思いを書き始めると止めどないのでこんな淡泊な感じに抑えてます)
俳優のインタビューに価値はあるのか? - なんじぇい (?)
2024/11/01 (Fri) 22:26:42
タイトル通りの話ですが、よく雑誌やパンフレットや資料集には映画の監督や俳優(声優含む)のインタビューが掲載されています。
例えば監督のインタビューなら、この映画で何を描きたかったとかこのシーンはこういう意図だとかを喋るので、ダメな映画だった際にも「根本からテーマがおかしかったか、テーマは正しいが演出がダメだったか」みたいなことが分かり、それなりに価値ある情報のようには見えます。
しかし俳優ですと、同じようなことを喋っていても映画の脚本に関わっていない限りは、一観客の解釈とたいして変わらないように思えてしまいます。
余談ですが、資料集の『ゴジラSP』の声優インタビューで「演技してる自分も何を言ってるのか理解できなかった」と話している人がいて脱力したことがきっかけで出してみました。
Re: 俳優のインタビューに価値はあるのか? - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/11/05 (Tue) 18:51:05
作品について網羅的にデータを集めた資料であれば、関わった人材としての俳優インタビューも参考になるかと思います。
けれども、雑誌などで作品紹介する時に出演俳優のインタビューを読まされるとかなり白けます。
その俳優さんのファンだったり演技論に興味のある人ならそれなりに価値を見いだすのでしょうが、
出演俳優が作品全体を要約することは出来ないので結局どんな作品なのかが見えないことが多いです。
(ほとんどが宣伝のための記事なので耳障りのいい話ばかりというのも白ける原因)
もちろん個人差はあるので、俳優インタビューすべてがつまらないわけでもありませんけれど。
2024/10/18 (Fri) 18:34:26
また一つ円谷英二参加作品を見つけました。
『男が血を見た時』(1949年大映・田中重雄)です。
同名の1960年新東宝作品もあるようですが、別物です。
オープニングクレジットに〝特殊撮影 円谷英二〟と表示されます。
映画情報サイトや資料本では円谷英二の関与は示されていません。
特撮の内容としては、背景のマット画合成が主なところで、
流れる雲とアニメ稲妻(同じカットを別作品でも見た覚えがあるので、何かの作品で作ったカットを手元に置いて流用していたのかもしれません)もありました。
仕上がりはイマイチかも知れません。
フィルムが揺れてマット画と実景がぶれたりします。
また、谷底の川を作画合成していますが、アニメではないので、川の水が固まっています。
それでも、セットの背景の一部にマット画で遠景を合成しているカットで、稲光によってマット画部分(遠景)が白く光るという演出を行っているのはさすがです。
どんなストーリーだったかというと、これが無茶苦茶でした。
冒頭、油井から原油をくみ上げる機械を背景に字幕で状況説明が入ります。
ざっと要約すると、戦争中は軍が独占していた石油が終戦とともに自由化されて誰が掘っても良くなったので、
油田地帯に一攫千金をもくろむ者どもが殺到した、みたいな設定です。
油田地帯??
どこだ? 外国の話か?
ストーリーに入ると、山小屋みたいな飲み屋で女性が歌っています。
服装は西部劇で見る酒場の女のような感じ。
どうやら西部劇にときどきあるゴールドラッシュもの(代表作は『黄金』1948とか)を真似ようとしているフシがありました。
登場人物は全員日本人で、話の内容からも舞台は日本国内。
(だから、どこだっつーの!)
全体の尺が75分(資料によっては78分)しかないために細かい事情は台詞の端々から想像してくれという作りです。
主人公を演じるは龍崎一郎(資料によっては若原雅夫と書いていますが誤りです)でその親友に大日方傳(おびなた でん)、
主人公が見つけた油田を横取りしようと悪巧みするのが河津清三郎。
戦前からのスター三人が暴れて〝血を見〟ます。
そこに酒場の女や主人公の婚約者が絡んで恋愛ものの側面もあります。
それでもどうしても日本国内で油田を探すという設定には乗れませんよ。
しかも、その油田地帯というのが山の中にあるんですよ。
龍崎一郎は山登りして油田を探しています。
山岳地帯で油田が見つかるとは思えないんですが・・・。
というわけであんまり面白い映画ではありませんでした。
伊沢一郎が元スリのチンピラを演じていたり、根上淳(多分冒頭でギターを弾いていた)や高品格・中条静夫らがどこにいるのか判らないほど端役で出ているなど映画史的に興味深い面はあります。
Re: 男が血を見た時 - エクセルシオール (男性)
2024/10/20 (Sun) 16:46:34
確か日本国内でも秋田に油田があり(『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』でバラゴンが秋田油田を襲撃していましたね)、何と一部は今でも産油されているそうです。戦後の一時期は国産石油というのもかなり有望視されており(現実にはとても需要に追い付かなかったが)、この映画が製作された時代背景を考えると「油田を探して一攫千金」という設定自体はある程度のリアリティがあったのかもしれません。
ただ、石炭ならともかく石油ですから山の中を探すというのは無茶ですね。適当なロケ地がなかったのでしょうか。
「日本なのに西部劇みたい」な話としては有名な「ギターを持った渡り鳥」シリーズのような作品もあるので、もしかしたらその種の作品の先駆けだったのかもしれません。
ゴジラのテーマをつくった男 - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/10/12 (Sat) 13:54:36
10月19日(土)22時から22時45分NHK ETV「おとなのEテレタイムマシン」枠で
「ゴジラのテーマをつくった男」再放送があります。
1997年のETV特集です。
伊福部昭先生の「ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲」蘇演の様子を縦軸に先生のキャリアを振り返るという内容です。
戦時研究で放射線障害に見舞われた話を先生本人が語る(最近放送された某番組では薬品で体を壊したなんて不正確な表現をしていた)場面や
『銀嶺の果て』について谷口千吉監督が語る場面など、貴重な映像満載です。
当時伊福部先生は83歳。
お元気な様子に泣けてきます。
(2015年に再放送されたものをざっと見直しました)
Re: ゴジラのテーマをつくった男 - エクセルシオール (男性)
2024/10/13 (Sun) 21:34:40
情報ありがとうございます。このドキュメンタリーは以前視聴したとは思うのですが、内容はほとんど覚えていないので、これを機会に見直してみようと思います。
それにしても取材に応じたときの伊福部さんは、まさか自分が作ったゴジラのテーマが後々に『ゴジラSP』などで「これ流しとけばどんな怪獣でもゴジラに見える便利音楽」として使用されるようになるとは思ってもみなかったでしょうね。ひどい話です。
Re: ゴジラのテーマをつくった男 - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/10/15 (Tue) 18:28:19
うっ、「~SP」。
そんなのもありました。
最終話近くでも伊福部音楽に酷い扱いをしていたと覚えています。
ゴジラのテーマに人声を乗せていたはず。
ゴジランドなんかの企画物でシャレで歌を付けるのはいいけれど、
あれはダメですよ。
バラン、モスラには関連する曲に歌はありますが、
怪獣そのものを表現する曲には歌はありませんよ。
伊福部先生は怪獣には人間を連想させない音楽を書いたとおしゃっていたはずで、人の声を入れてしまっては台無しです。
あ、あのドシラドシラはもともと人間側に当てた曲でした。
とはいえ、「SP」では仮にもゴジラとされた怪獣に付けた音楽なんだから、歌なんか付けちゃダメよ。
実は…… - なんじぇい (?)
2024/10/15 (Tue) 19:47:13
昔から気になっていたのですが、1954年ゴジラのオープニング(ドシラドシラのやつ)では、1番と2番の最後の小節、すなわち一番音が高い箇所には人の声が入っているのではないかと思ったことがあります。
https://youtu.be/En4aAGpVuYU?si=VdbtGsrueHdWOyeE
映画内では1回目はゴジラの鳴き声に消され、2回目はOPが終了して音が小さくなっているので聞こえないのですが、曲単体でよく聞いたら女性みたいな声で賛美歌の「アー」とか「ハー」みたいな声が聞こえてるのです。
1954年版のテーマにしかないのですが、あの高い声みたいなものの正体ってなんなのでしょうか。
2024/10/16 (Wed) 18:37:35
『ゴジラ』メインタイトル曲に人の声は入っていないはずだがなぁと思いつつも、
聞き直してみました。
ブルーレイソフト(サウンドトラックはDVD作成時にレストアしたものと同じと思われます)、4Kソフト(サウンドトラックは新たにレストアし直しています)、
そして完全収録シリーズの『ゴジラ』サントラCDを聴きました。
(その他のテレビ放送ものやクライテリオン盤は省略)
たしかにフィルムに焼き込まれたサウンドトラックからはそのような音は聞き取れません。
音質が悪いせいもあるかもしれません。
しかしCD音源からは女声コーラスにも似た高音の響きが聞こえます。
私が聞いたところ、これはバイオリンの音のうち高域成分だけが録音室に反響しているものと思いました。
楽器の音はさまざまな周波数の音波が複雑に絡み合っていますが、その中の一部の周波数だけが壁で反射することがありそうです。
本来録音スタジオにあってはならないことですが、『ゴジラ』当時はフィルムを映写しながら音楽録音をしていたためにその分広い部屋が必要だったでしょうし、
磁気録音が出始めのころで、録音室の壁に、より音質の悪い光学録音対応の吸音材しか使っていなかったのではないかと疑います。
そのため、余計な残響音が紛れ込んだのではないでしょうか。
残響なので本来の演奏より長く続いていて、バイオリンとは別の音源のように聞こえてしまったように思います。
(念のため。『ゴジラ』での磁気録音は素材録音に使われたのであり、上映用のプリントは光学録音です。映画の音声は立体音響など特殊な場合を除いて長らく光学録音でした)
『シン・ヤマト』 - なんじぇい (?)
2024/10/07 (Mon) 03:00:57
本当に庵野氏が宇宙戦艦ヤマトの新作アニメを作ることになりました。
今やってるシリーズ以外に作るということになるのでしょうがどうなるのでしょう。
https://x.com/oricon_anime_/status/1842915991057289654?t=1HTtXAcyf_7pNDFbZQQHrw&s=19
Re: 『シン・ヤマト』 - 海軍大臣 (男性)
2024/10/07 (Mon) 12:34:09
Xでも呟きましたが、内容が「沈没戦艦を改造した宇宙人の侵略ロボットの話」なら、まだ見る気も起きるかも知れませんが…
Re: 『シン・ヤマト』 - エクセルシオール (男性)
2024/10/07 (Mon) 20:35:37
実写映画ならまだしも、リメイクアニメシリーズが継続中である中、全く別のアニメを作るというのは理解に苦しみます。キャストをリメイクシリーズと同じにするのか否か、キャラデザインをどうするか、そもそもどのような物語にするのか等、クリアすべき課題は少なくありません。
もし混乱を招かないようにするのならば設定やキャラを初期企画段階のものをベースに作る方法があります。初期企画では設定もキャラも実際に作られたものとは大きく異なっていたので(例えば首脳が二頭体制で宇宙航海部門のトップは艦長だが、戦闘部門のトップは提督だった)、「ヤマト」という題材で全く別の話を作れます。しかし、馴染みのあるキャラや設定を皆排除して制作するのはかなりの度胸を要するでしょう。
また、朝日ソノラマから出版されていた石津嵐著の小説版をベースにする手もあります。読んだことがあるのですが驚愕の内容で、キャラクターこそ類似していますが全くの別物でした。ガミラスの正体がイスカンダル人が作ったスーパーコンピューターが自己防衛のために作り出した人工生命体だったとか、島大介がガミラスに捕まってサイボーグに改造されてヤマトに戻され大惨事を引き起こすとか、真田がアニメでの万能ぶりとは大違いの怪死を遂げるとか等々、絶句するような展開が続きます(結末も大きく異なる)。とにかくシリアスで暗いのですが、SFとしての完成度はなかなかのものなので、リメイクシリーズと区別をつけたいのならこちらの小説を使う手もあります。でもやはりリスクは大きいです。
ただ、例に挙げたような冒険に乗り出す可能性はあまり高くないでしょう。そうなると中途半端にオリジナル版やリメイクシリーズに近いアニメがエヴァンゲリオン風味で制作され、視聴者に混乱を起こすのみになってしまうと思います。
ウルトラマンレオ50周年! - 海軍大臣 (男性)
2024/10/03 (Thu) 22:55:19
今年の春でウルトラマンレオが放送開始50周年ということで、その製作から放送終了までの過程を追ったドキュメンタリー書籍が出版されるなど、一部界隈でも注目が高まっています。
そんなこともあって先日、古い知り合い(概ね同世代)の熱心なファンの方から興味深いことを聞きました。
レオの場合、冒頭の主題歌は放送開始から暫らくの期間、2番の歌詞が用いられていることは周知されているのですが、関西地区で育ったその方の話では「本放送開始時のオープニングは1番の歌唱だった筈だ」とのことなのです。
しかし関西地区で放送を担っていた朝日放送は、キイ局であるTBSと同時間帯に同じ電波が用いられているので、それが正しいとすると、本元である関東地域での放送も1番の歌唱が使用されていなければオカシなことになってしまう訳です。
翻って自分の記憶がどうだったかと云うと、まさに第一話放送の直後に近所の子たちが主題歌の歌い出し部分の歌詞が「突然、炎が吹き上がり」なのか「突然、歩道が吹き上がり」なのかで論争していたのを憶えていたので、その話をしたところ、そのファンの方は放送第一話を観た際に、何と歌詞をノートに筆記していたとの話。その方は非常に真摯に作品研究をされている人物ですので、単なる記憶違いとも考えられません。
たしかにレオの場合は地域や再放送時などにサブタイトルの異なるバージョンが放送されていたこともあったりはするのですが、前述したように同じ放送電波区域の問題もあって、実に悩ましい事態となっています。
他にもウルトラシリーズ(1期、2期とも)の場合、現行の映像ソフトと本放送の尺が異なるケースもあるそうで、なかなか一筋縄ではいかない世界なのだと痛感されました。
Re: ウルトラマンレオ50周年! - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/10/04 (Fri) 18:38:39
驚きました。
「ウルトラマンレオ」、 関東での本放送では初期主題歌がしばらく2番の歌詞だったんですね。
私の場合証拠は何もなくて、あくまでも記憶でしかありませんが参考までに書きますと、
青森県でも金曜夜7時の放送で、CMなどから判断しても東京(関東)との同時放送だったと思われますが、
第1話では「宇宙にきらめくエメラルド」と歌い始めたはずです。
ストーリーはともかく歌がかっこよかったので印象が強いです。
それが何話後なのか「突然嵐が巻き起こり」に変わって驚いたのを覚えています。
「ウルトラマンレオ」は最初の10話も見たかどうかという程度でさっさと見るのをやめてしまい、
再放送は80年代にTBSが土曜朝7時(?)に放送していたものを途中だけ2~3話見た程度なので、再放送の記憶で上書きされたとは思えません。
(ちなみに全話見たのは、WOWOWがハイビジョン放送したときが初めてです。ここでは「突然嵐が巻き起こり」です)
東京キィ局と同時放送でも、同じ信号を中継送信するとは限らないのでしょうか。
関西と東北が同じ信号を分け合うのか??
余談ですが、本放送当時、一旦見るのをやめてからかなり経って気まぐれのように見てみたら、全然違う歌に変わっていて二度びっくり。
初期主題歌の方が絶対かっこいい!
Re: ウルトラマンレオ50周年! - 海軍大臣 (男性)
2024/10/04 (Fri) 21:25:35
おおっ!これは又、貴重な証言ありがとうございます。早速、その友人に知らせたいと思います。取り急ぎ御返信まで。
後半も放送してほしい - エクセルシオール (男性)
2024/09/14 (Sat) 13:11:13
以前紹介したNHK教育テレビの異色の子ども向け道徳ドラマ『虹色定期便(プロジェクト・エデン)』。『Eテレタイムマシン』で1話から順番に放送されていたので、「これは最後までやってくれるのか」と期待してましたが、10話でいったんおしまいという事になってしまいました。
確かに『Eテレタイムマシン』は一つの作品を取り上げる際、5回の放送が1セットになっているようであり、それを思えば仕方ないのかもしれませんが、それでもやっぱり最後まで観たかったです。
久方ぶりに視聴しましたが、なるほど力を入れて作っていると感じました。受験戦争、いじめ、嫉妬、チームの不和、家出とテーマはきついものばかりですが、ある意味突拍子もないSF的設定とうまく調和させていたと思います。20世紀側の主人公・中山忠夫がぶつぶつ言いながらも問題解決に奔走するのがいい味を出していますね。
続きが放送されない可能性もあるので、ちょっとだけ今後の話を述べると、失敗続きのフレイヤが失脚して、あの態度の悪いロキが隊長に昇格、意外な人物がキルケウイルスの生みの親であることが判明、そしてついにフェンリル将軍が自ら20世紀に乗り込んできて、最後の戦いが始まる事になります。
1話から10話まで連続放送した事を考えると、間隔を置いて残りの話が放送される可能性はあると思います。今はそれを期待して待っています。
Re: 後半も放送してほしい - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/09/15 (Sun) 17:41:44
私も10話まで見ました。
一話完結ものではないので、なんとか全話放送して欲しかったです。
第10話は母親から逃げ出そうとする子供の話の前半だったので、続きが気になるではありませんか。
しかも父親がロキの先祖だと!?
それはともかく、道徳教育ドラマなので、子供たちが直面するさまざまな葛藤を取り上げるのは当然のこととしても、
深い部分まで考慮されたストーリーはさすがです。
専門家のアドバイスに基づいて作劇しているのだろうと想像されます。
道徳といっても一方的な価値観を刷り込もうとするものではなく、
全体として、物事は多面的なのだと伝えようとしているように見えました。
こんなドラマの存在を知らなかったので、大変ありがたかったです。
NHKさん、続きも放送してよ!
フェンリル将軍がなにやらアスラに同情的な態度を見せていたことも気になる・・。
Re: 後半も放送してほしい - エクセルシオール (男性)
2024/09/15 (Sun) 20:50:58
>道徳といっても一方的な価値観を刷り込もうとするものではなく、
全体として、物事は多面的なのだと伝えようとしているように見えました。
一応、善玉である主人公サイドも中では意見が割れることがしばしばであり、いずれも一理あると思えるシーンが少なくありませんでした。
ただし、道徳ドラマとして譲れぬ一線はしっかり引かれており、例えば「どうしようもない悪党や最低の悪事を「正義の相対化」の名のもとに容認してしまう」ような落とし穴にははまっていません。ここは非常に大切です。
このドラマは密かにファンが多く、今でもファンサイトとか結構あります。全話再放送を期待している人も少なくないので、11話から最終回の20話までの放送は期待できると思います。
なお、原作者(ドラマでは表示されていない)である来生史雄さんが作ったと思われるサイト「来生史雄 電脳書斎」があります(http://www.lares.dti.ne.jp/~kissgi/interest.htm)。プロジェクト・エデンの連載されずドラマ化もされなかった小説が3本あるので、興味があったら覗いてみてください(もっとも2本は未完結のまま放置されているみたいですが)。
後、主題歌ですが、本当はもっと長い歌です(題名は「プロジェクト・エデン」だそうです)。動画サイトでフルバージョンを聞くことができます(https://www.youtube.com/watch?v=lBpYpzfe6bs)。ドラマでは短縮されたものが使われているので、だいぶ印象が違います。
栫井巍さん死去 - エクセルシオール (男性)
2024/09/07 (Sat) 16:43:37
TBSの元プロデューサーで『ウルトラQ』『ウルトラマン』に関わった栫井巍(かこい たかし)さんが亡くなられました。知る人ぞ知るウルトラシリーズ隆盛の陰の立役者であり、この方がいなかったらもしかしたらウルトラシリーズは今も続くものにならなかったかもしれません。
最初の『ウルトラQ』は初期企画段階ではアメリカの『トワイライトゾーン』や『アウターリミッツ』のようなSF怪奇ドラマを目指していたと言われています。最初に書かれた脚本及び放送スケジュールはは第1話『マンモスフラワー』、第2話『変身』、第3話『悪魔っ子』、第4話『幽霊自動車』(このシナリオだけは映像化されなかった)であり、確かに怪獣をメインにした作品だったとは言えません。
しかし、第3話まで撮影が済んだ後、試写映像を観た栫井さんが「もっと怪獣を前面に押し出したものにしてほしい」と円谷プロに要請して大きな路線変更がなされることになりました。SF怪奇路線から怪獣路線への変更により『ウルトラQ』の人気は爆発してテレビ怪獣ブームが起こり、後の『ウルトラマン』へと繋がり今に至ることとなります。
この路線変更をもたらした栫井さんの要請に関しては「テレビ局の都合でクリエイターの企図を捻じ曲げた許しがたい行い」と否定的に見る立場もあると思われます。だが、SF怪奇路線では長続きはしなかったでしょうし、特撮ドラマを視聴するのは主として子どもである事も思えば、間違いとは言えなかったと考えます。それに『ウルトラQ』が怪獣路線になった後も、SF怪奇色が全否定されたわけではないし、怪獣の出ない話もありました。円谷英二さん達も栫井さんの要請を受け入れつつ、初志もある程度貫徹したのではないでしょうか。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
2024/09/07 (Sat) 18:28:47
特撮評論らしきものが出始めたころは、「ウルトラQ」が怪獣路線に変更になったことを否定的に述べるものがほとんどだったと思います。
私自身も特撮=怪獣と見られることに反発を感じていて、「Q」が初期企画のままだったら良かったのにと思ったこともあります。
けれども怪獣の価値に気がついてきて、怪獣を広めた功績はウルトラシリーズに負うところが大きく、
それを提案した栫井さんの判断は間違っていなかったと思うようになりました。
(ただその後、安易に怪獣を登場させる作品が作られてしまったことも否めませんが)
初めに東宝怪獣ありきだったかもしれませんが、怪獣ブームを呼んだのは栫井さんだったというのは言い過ぎでしょうか。
感謝とともにご冥福をお祈り申し上げます。
伊福部昭FANTASY WORLD - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/09/01 (Sun) 18:15:23
昨日、8月31日に東京、王子・北とぴあで行われたコンサート、「伊福部昭FATNTASY WORLD」に行ってきました。
これは、1983年のSF交響ファンタジー初演コンサートを再現する形で、1番から3番の完全演奏とオーケストラのためのロンド・イン・ブーレスクも演奏するというものです。
(さらにプレコンサートということで二十五弦箏による「聖なる泉」弾き語り(というのか??)とアンコール扱いで『キングコング対ゴジラ』メインタイトル合唱付きも)
譜面に忠実に演奏することをコンセプトにしたとのことで、
これは伊福部昭百年紀シリーズと同様の考え方です。
初期の百年紀で指揮を担当した齊藤一郎氏が再び登板です。
すごく良かったです。
私は初演(レコードやCDでしか聴いていませんが)より今回の演奏の方が気に入りました。
初演のほうは、華やかさが強いように思います。
SF交響ファンタジー全曲演奏となると、CD伊福部昭の芸術シリーズにもスタジオ録音版がありますが、
この演奏はちょっと大人しい。
今回は荒々しさが十分出ていて、映画から聞こえてくる音に近いです。
ライブ録音のCDも発売されるそうなので、お好きな方は是非お買い求めを。
いやー、出来ればハイレゾ音源の販売もして欲しいですねぇ。
まずはご報告です。
Re: 伊福部昭FANTASY WORLD - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/09/05 (Thu) 18:47:51
そうそう、コンサート会場で配られたチラシに驚喜!
キングレコードからSF交響ファンタジーの初演コンサート「伊福部昭SF特撮映画音楽の夕べ」(1983年8月)実況録音盤の2024年リマスター盤が発売されるとのこと。
しかも、SACDハイブリッド盤だ!
SACDとは通常のCDとは別のデジタル音声信号(DSD)で記録したもので、詳細な説明は省きますが、ものすごく高音質になります。
またハイブリッド盤の場合、SACDに対応しないプレイヤーでも通常のCDとして再生出来ます。
リマスターしているなら従来のCD版より高音質になっていることが期待できます。
ただ、手持ちのLPレコードに記載された録音データによると、マルチトラック録音をせず、ライブでいきなり2ch録音したそうで、
SACDの特徴である5.1chサラウンド音場はおそらく作れません。
それから、もともとデジタル録音だったようですが、そのスペックがわかりません。
周波数特性に20Hz~20kHzと書いてあるので、サンプリングレートはCD程度の44.1kHzかもしれず、bit深度が24(CDは16bit)だったとしても、
SACDの性能を十分に発揮できるかどうか不安なところです。
最新のデジタルリマスターはマスターの足りないところも補ってくれそうですが・・。
(昔の中途半端なデジタル録音より、ハイスペックなアナログ録音のほうが情報量が多くリマスターの効果が出やすいはずなのですが、このライブではデジタル録音を採用している)
なんにせよ、「伊福部昭SF特撮映画音楽の夕べ」がSACDの深みのある音で聞けることに大期待です!
発売は11月6日ですぞ。
ウルトラマンとスパイダーマン - エクセルシオール (男性)
2024/08/18 (Sun) 11:48:38
驚いたことにウルトラマンとスパイダーマンが共演する漫画が最近始まっています。題名は『ウルトラマン:アロング・ケイム・ア・スパイダーマン』であり、小学館の『週刊コロコロコミック』で連載されています。
スパイダーマンと言っても東映版ではなく、ピーター・パーカーが変身するマーベル・コミックスの正式のキャラクターの方です。
公式サイト(https://televikun-super-hero-comics.com/rensai/uruspa/)で公開されているあらすじ及び1話、2話を読んだところ、スパイダーマンがウルトラマンのいる世界に転移して、宿敵のDr.ドゥームやメフィラス星人と戦う物語になるようであり、正義とは何かを問う内容だそうです。
テーマときちんと向き合って誠実にストーリーを作ればなかなか良い作品になるかもしれませんが、一歩間違えば人気キャラのコラボレーションに頼っただけのキワモノ作品と化す危険性も少なくないでしょう。
そもそも、別に本作品に限らず昨今のクロスオーバーやコラボレーションの無節操ぶりは目に余ります。作品を単なる商品としか考えない類の人々はクロスオーバーやコラボが個々の作品に与えるダメージの事は一切考えていないようです。
一体いつからタガが外れてしまったのか。私は日本国内についてはスーパー戦隊と仮面ライダーがそれぞれの作品内でコラボした2009年から顕著になったと思っています(『侍戦隊シンケンジャー』と『仮面ライダーディケイド』)。
クロスオーバーやコラボを全否定するつもりはありませんが、もっと節度をもって限定的に行ってほしいですね。
Re: ウルトラマンとスパイダーマン - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/08/19 (Mon) 18:39:42
情報に感謝です。
私も初めの2話を読んでみました。
かなりオタク向けですね。
スパイダーマンとウルトラマンのコラボと言いつつ、「ウルトラQ」の要素を大幅に取り入れています。
この2話だけからは賑やかしの企画物に見えますが、真摯なテーマを扱うのだという触れ込みがどう転ぶのかには不安があります。
どうも、なんでもかんでも共演させてしまうのは、新規の物語世界を創造できないまま、既存作品の人気に頼る手法のように見えます。
それでも、上手くまとめ上げられれば良作にはなるんでしょうけれど・・。
自分の好みからは、ウルトラとアメコミのコラボレーションにはなんら感興が沸かないし、ただ、やり過ぎ感を持つだけです。
最後のゴジラ - 海軍大臣 (男性)
2024/08/09 (Fri) 01:00:12
掲示板でのルー等級つつ大臣さんとの遣り取りを通じて思い出したことですが、第一作「ゴジラ」って特別視されている作品であるだけに、ファンの間でも今なお研究調査が続けられてい、新事実の発見も少なくない様子です。
本作のラストの締めとなる「あのゴジラが最後の一匹、云々」という山根博士の名セリフは、最初の検討稿(いわゆる香山稿)には存在せす、本多猪四郎・村田武雄の御両人による改訂稿で初めて登場しています。またラジオドラマをベースにした香山先生の「怪獣ゴジラ」では山根博士ではなく、芹沢の死を看取った尾形の口から発せられる形を採っています。
いずれにしろ、このドラマを締めくくるのに相応しい重厚な文言だと感じてきたのですが、実は前述したように最近の調査によって、そうした解釈が一転する事案が浮上してきました。
つい先般、或る方がSNSに掲示した資料によると「ゴジラ」の撮影が始まった直後の時期に、早くも「続ゴジラ」の企画が業界紙で発表されていたことが判明したのです。しかも監督には本多猪四郎氏の名前が明記されていたのだから吃驚でした。
以前から「『ゴジラの逆襲』は第一作の大ヒットにより急遽企画されたもの」とする見方を疑問視するファンも少なくなかったのは確かでしたが、ここまで決定的な証拠が発掘されるとは思いもよりませんでした。1954年夏の時点で続編に本多監督が予定されていた点から想像すると、東宝はプログラムピクチャとして扱うには予算規模の大きなゴジラ映画に関しては、年一作ぐらいの製作ペースに留め、その間隙は別のB級予算の怪獣もの(S作品、または「キング・ゴリオン」辺り)で埋めていく算段だったのじゃないかと思われます。事実、終戦後に森岩雄重役が進めていた東宝再建案の中に「特撮をメインに扱った企画を年2本程度作っていく」というものがあり、争議やパージの問題で数年のタイムラグを強いられながらも、円谷監督が復帰して以降は概ね同プランに沿って年2本の特撮作品(予算的なハイ/ロー作品の組み合わせ)が実現していました。
ところが大ヒットした「ゴジラ」の続編の早期製作を熱望する劇場主たちからの意見が多かったことから、当初のスケジュールを前倒しする形で小田基義監督(戦時中から特撮作品に触れていて、戦後もパージされた円谷さんに替わって特技関連に携わっていたとのこと)を立てて「ゴジラの逆襲」が作られた、と見た方が自然な様に思われます。また、そうした経緯が曲解されて「逆襲」が急ごしらえな作品だとする風説が生まれたとも推測できます、なお余談ですが、中ヒットだった「VSビオランテ」の公開直後にも、前後の東宝作品が不入りだったことから、次の夏休み(冬休みではなくて!)にもゴジラ映画をやって欲しいとの声が劇場主の方々から上がっていたと聞きました。
そうすると問題になってくるのが、先に上げた「あのゴジラが最後の一匹~」の台詞の存在です。勿論、これまで解釈されてきた「警句」としての意味合いも残る一方で、改訂稿の時点(記述したように検討稿には存在しない)から早々に続編製作を企図していた東宝側が、観客に向けて予め張り巡らせた「予防線」といった受け取り方も出来てしまう様で、正直、複雑な感じがしています。
2024/08/10 (Sat) 12:07:27
大変大変驚いています。
まず『ゴジラ』製作中にすでに続編が企画されていたこと。
撮影が始まった段階で東宝上層部(森岩雄さんか?)が「当たる」と踏んだのだと想像できます。
その慧眼には恐れ入ります。
そして、当時の業界紙に発表されていたということは、
映画人や映画マニアにとっては『ゴジラ』の続編が作られることは東宝の既定路線であることが周知の事実だったわけです。
ところが、私など、後年になってファンになった者にはその事実が知られておらず、
『ゴジラの逆襲』は『ゴジラ』の大ヒットを受けて企画されたものだという説が受け入れられてしまったことになります。
後追いでは無く同時代での体験の重要さが身にしみます。
そうなると『ゴジラの逆襲』のストーリー案がいつごろから作られたのか、
そして、ゴジラ映画シリーズ化の構想がありつつも、『ゴジラの逆襲』を最後に7年間凍結されたのはなぜか(これは香山滋さんの意思が関係したのでは??)など、いろいろ考えてしまいます。
「あのゴジラが最後の一匹~」の台詞が続編企画が立ってから創案されたのかどうかはさらに検証の必要がありますが、
続編への布石と捉えられても仕方がないのかもしれません。
けれど、『ゴジラ』のストーリーを正面から受け止めれば、そんな商売っ気を感じるより、
とにかく核実験をやめよというメッセージだと考える方が正しい鑑賞だと思います。
Re: 最後のゴジラ - エクセルシオール (男性)
2024/08/10 (Sat) 18:02:57
『ゴジラ』(1954年)の有名な山根博士の最後の台詞ですが、確かに厳密な意味での原作とも言える「G作品検討用台本」にはありません。それどころか山根博士は半ばマッドサイエンティストとして描かれており(なにせゴジラを感電死させようとする作戦が実行されかけたときに、係員をぶんなぐって妨害する)、物語途中で事実上退場してしまいます。
『怪獣ゴジラ』では尾形の口から原型のような台詞がでるのですが、その内容は「第二のゴジラが現れたら、犠牲となった芹沢博士の生命にかけて戦う」という決意表明であり、映画版とは趣旨が違います。このままだったら確かに続編への布石だと評されてもしかたないでしょう。
しかし、最終的な映画版では単なる商売人の発想を超えた高尚な台詞として完成しており、また、志村喬さんの名演技もあって、反核の真面目なメッセージを伝えるものになっていたと思います。この台詞の趣旨の大改編がなぜ起きたのかは興味深いところです。
>そうなると『ゴジラの逆襲』のストーリー案がいつごろから作られたのか
以前少し紹介しましたが、『香山滋全集別巻』に初期構想のエッセイが載っていました。元々の年月日も載っていたはずですが忘れてしまいました。実際の物語とはかなり異なる内容でしたが、そのころにはストーリー案があったことなります。
Re: 最後のゴジラ - 海軍大臣 (男性)
2024/08/11 (Sun) 09:15:25
山根博士の最後の台詞の解釈については、私もお二人の御意見に賛同いたします。
この言葉自体が香山滋先生の手によるものか否かは現在となっては確かめようもありませんが、一方で映画公開前に発表された加山先生の文章中に、「ゴジラ」には自分なりの反核メッセージを込めた旨が明記されており、仮にこの台詞が本多・村田ご両氏の筆によるものであっても、検討稿に込められた原作者の意向を正しく理解されての上でのことと推察されるからです。
また「ゴジラの逆襲」のストーリーの執筆時期は1954年暮れのことで、熱海の温泉宿で執筆されたことが判明しています。
前回取り上げた業界紙「映画時報」昭和29年8月号に掲載された企画案「続ゴジラ」は、まだこの時点では続編を製作するという決定のみで、具体的な内容な未だ検討されていなかったのかも知れません。これは一見、乱暴なやり方ですが、映画量産期の業界では珍しいことでは無かったようで、昭和30年代前半の東宝ラインナップ中に早くも「太平洋の翼」のタイトルが見られますが、実は企画面では「この題名で何か海軍航空隊ものを作る」といった程度の進捗状況に過ぎなかったとの話もあります。
なお第一作「ゴジラ」公開直前には「怪獣雪男」(S作品の当初の題名)のプロットが出来上がっていたことが香山先生御本人のエッセイ内に記されている一方で、「ゴジラ」大ヒット直後の映画雑誌には「ゴジラの次の東宝怪獣映画」として「キング・ゴリオン」が公表されていたりで、企画面で何か混乱があったようにも感じられます。
>後追いでは無く同時代での体験の重要さが身にしみます。
まさに身に沁みる言葉です。実は最近、耳にした論説なのですが第一期怪獣ブーム期の作品研究をされている方によると、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などは。現在の我々が想像している以上に当時の007やナポレオンソロなどからの洋物スパイ作品からの影響が大きく(MJまで来ると明快ですが)、且つ当時の児童も何となくそれを肌で感じていたとのこと。これは正に当時の放送文化や児童文化と直に触れ合った世代でないと体験できなかったことだと思います。
またショックだったのは、怪獣ブームが下降して妖怪ブームが騒がれた時勢(事実、当時の少年向き」週刊誌の表紙から怪獣が駆逐され、妖怪が跋扈していたりで)を受けて「ウルトラセブン」でも一部にそれを取り入れるようになった結果として作られたのが「カッパ」回と「ノンマルト」回とする斬新(?)な解釈まで囁かれているようです。
「ノンマルト」回は地球の先住民族といった設定部分が注目されがちですが、実はウルトラ警備隊と交流のあった子供が実は水死者の霊であった、という部分こそ脚本執筆時の核だった筈、と云われてしまうと、ちょっと否定し難い部分もあるようで、後世の人間が再放送やソフト映像で作品単体を鑑賞するだけでは伺い知れない部分を改めて感じている次第です。
2024/08/12 (Mon) 12:19:22
続ゴジラ企画が具体化するのは、『ゴジラ』公開後と考えていい感じですね。
でも、やはり香山滋全集は大事な資料ですね。
いやそもそも香山作品を読むべきだとは、思っているのです。
「怪獣ゴジラ」「ゴジラ 東京・大阪篇」(の再刊)しか読んでいない話はギドラ掲示板でゲロってますが、
うーーん、とりあえず図書館へGOかな。
ウルトラシリーズもその他のブームから影響を受けていたんじゃないか、それを同時代に体験できたか、のお話は大変興味深いです。
世代的にはその感覚を持てるはずの私ですが、なにしろ我が故郷ではなぜかウルトラシリーズに運がなくて、
「ウルトラQ」はかなり早い段階で放送(おそらく東京での最初の再放送のタイミングか?)されたものの、
「ウルトラマン」は初回放送が1970年(それも第4話までで打ち切り)で、全話放送されるのは1972年。
「ウルトラセブン」の初回も1970年と思われますが、開局したばかりのUHF局での放送で、我が家のテレビはUHFの受信が出来なかったために
第1話には間に合わず、UHFコンバーターを取り付けてようやく見たのは、ペガ星人の回からでした。
付け加えると、「キャプテン・ウルトラ」はおそらく東京と同時放送。とほほ。「ウルトラマン」のあまりの人気に後続番組をネットしたんでしょうけれど。
そして、ナポレオンソロや「ゲゲゲの鬼太郎」(第一期)は大好きで見ていたけれど、ウルトラの放送がそんな感じだったので、
ウルトラとの連動を意識するほどではありませんでした。
いまにして思えば、「ウルトラセブン」でのメカ描写には「サンダーバード」の影響を感じますよね。
Re: 最後のゴジラ - 海軍大臣 (男性)
2024/08/13 (Tue) 08:12:00
「サンダーバード」からのメカ描写の影響、たしかに大きかったでしょうね。取り分け、然程大きなミニチュアセットを組んでいる訳でもない事実を知って、円谷監督は相当ショックだったみたいです。
あと失念していましたが、「ウルトラセブン」本放送当時の宣伝ナレーションにも「地球に攻めてくる宇宙人や妖怪」って表現があったと某書籍に記述があり、やはり当時の妖怪ブームには相当の力があったことが伺えますね。
ただ円谷プロ(特に文芸部)では、それをダイレクトには作品に反映させず、宇宙人と絡めて作劇してみたり、或る種のアンチテーゼとして「怪奇大作戦」を企画してみたりしているのじゃないかと空想しています。
虹色定期便 - エクセルシオール (男性)
2024/07/27 (Sat) 22:36:36
NHKEテレで昔の子ども向け番組を放送する『Eテレタイムマシン』という番組がありますが、この番組で7月24日から1997年の異色の道徳ドラマ『虹色定期便』の一部が放送されています(当時はけっこう話題になった。私もこの作品を観て驚いた記憶がある)。
何が異色かというとこの作品はSFドラマであり、主人公の少女アスラが、ディストピアと化した30世紀の未来を変えるため、時を越えて20世紀の世界にやってくるという物語でした。作中の30世紀の世界は、人間のやる気を奪ってしまうキルケウイルスという病原体のせいで、一部支配階級を除いて人類は自由意思を失い、悩みも苦しみも希望もない社会となっています(ただし、そのために平和な世界になっている)。アスラはそのような状況を憂い、ウイルスの発生を阻止して歴史を変えようとしますが、未来世界を支配するミレニアム帝国はアスラを止めるため帝国軍を過去に送り込むことになります。20世紀の子どもがこの戦いに巻き込まれていく中で、何が正しいのかを考えていくというのが、物語の骨子でした。けっこう骨太な内容だと言えます。
一応、特撮作品ですが、そちらの方は低予算もあって悪く言えばしょぼい、よく言えばアイデアで頑張っている感じです。ここはあまり目くじらを立てるべきではないでしょう。
キャストについては敵のフェンリル将軍というキャラを演じていたのが、何と森次晃嗣さんです。敵役ですが含蓄のある台詞も多く、特に最終回での20世紀の子どもを評する台詞はグサッとくるものでした。また、前線指揮官フレイヤは『セーラームーン』の火野レイ(セーラーマーズ)役で有名な声優の富沢美智恵さんが演じていました。
その内容の特殊性のみが強調されがちですが、道徳ドラマとしてはきちんと成り立っており、子どもも大人もいろいろと考えさせられる作品でした。一見の価値はあると思います。今回の再放送は全20話全てとはいかないでしょうが、この機会にできるだけ見直してみるつもりです。
なお、厳密に言えば『虹色定期便』とは2005年度まで続いた子ども向け道徳ドラマ枠の総称であり、このSFドラマのみをいうものではありません(1998年度からは正統的な現実の日常に近い設定のドラマになっている)。このドラマの正式名称は「プロジェクト・エデン」というらしいのですが、一度も放送で表示されなかったので、単に『虹色定期便』と言われる事が多いです。
2024/07/28 (Sun) 16:26:23
ありがとうございます。
こんなドラマがあったことを全然知りませんでした。
なかなか攻めた設定で、内容の濃さを予感します。
「Eテレタイムマシン」は再放送もある(「虹色定期便」①は明日の午後)のでレコーダーにセットしました。
7月31日の放送も「Eテレタイムマシン選」と題されていて「虹色定期便」①となっているので、再放送なんでしょうね。
8月になって続きが放送されるといいのですが・・。
Re: 虹色定期便 - エクセルシオール (男性)
2024/07/28 (Sun) 20:45:46
>8月になって続きが放送されるといいのですが・・。
流石にもう3回~4回くらいは放送があると思いますがオリンピックやら高校野球やらの放送があるので、スケジュールは不規則になる可能性が高いです(放送予定が急遽取り消されたりする事もあるかもしれない)。
後、これは最近知ったことですが「虹色定期便」(プロジェクト・エデン)には原作小説があったそうです。放送と同じ年度(1997年4月~98年3月)に連載されており、ドラマとはかなりストーリーが異なるとか。ただ、連載されていた雑誌が『小六教育技術』(小学館)という小学校の先生向けの雑誌だったので、こちらを読んだ人は極めて少ないと思われます(このような専門雑誌に載っていた理由は、道徳の教材という扱いだったためであろう)。
一度読んでみたいですが、普通の図書館にはなさそうですし、古本屋とかにもあまりないでしょうね。
余談ですが90年代のNHK教育テレビはかなりたくさんの異色の子ども向けドラマがありました。個人的には『クラインの壺』、『転校生マオ』、『悪夢の王』などの怖い内容のドラマが印象に残っています(後二者は『天才てれびくん』内で放送されていた)。これらもいつかEテレタイムマシンとかで放送されるかもしれません。
Re: 虹色定期便 - 海軍大臣 (男性)
2024/07/29 (Mon) 06:53:20
NHKEテレの子ども向けドラマですが、2000年放送の「六番目の小夜子」の印象が強く残っています。仮想の都市伝説をベースにした学園ドラマで、ホラーでも推理サスペンスでもない、実に不思議な存在感のある作品でした。
あと、笑福亭松之助師匠がゲストで出ていた「浪花少年探偵団」も奇妙な後味の作品だったかと。
2024/07/30 (Tue) 18:59:27
「虹色定期便・プロジェクト・エデン」その1、見ました。
1話が15分枠だったようで、1・2話を一つにまとめてありました。
Eテレタイムマシン枠で「1」になっているので、つづきも放送しそうな予感です。
確かに8月はオリンピックや高校野球で編成が変則的なので、先が読めないのがもどかしいところ。
で、教育テレビの道徳ドラマでこんなことをやっていたんですね。
私が子供の頃とは大違いで、娯楽性も取り入れようとする姿勢がうかがえます。
総合テレビのほうだと70年代に少年ドラマシリーズと銘打った枠でSFドラマもありましたけれど。
第2話までだとまだまだ序盤という感じですが、
この先どうなるの?という引きの強さがあります。
ほかにもEテレドラマは侮れないものがいろいろあったようですね。認識を改めないといけないと反省。
そういえば、うちの子が小さい頃見ていた「ざわざわ森のがんこちゃん」(人形劇)が、あるとき年末スペシャルとしてエピソードゼロを放送しました。
それはレギュラー放送で描かれるがんこちゃんの世界がどうして出来たのかを見せるもので、
ざわざわ森は、なんと人類が滅亡したあとの世界だったという陰鬱なストーリーでした。
子供にこれを見せるのか!と仰天したのを思い出しました。
(ああ、がんこちゃん、主題歌は谷啓さんの歌だった)
Re: 虹色定期便 - 海軍大臣 (男性)
2024/08/01 (Thu) 16:38:39
昔のNHK少年ドラマシリーズで思い出しましたが、本日のテレビ東京・午後のロードショーでAプロヤス監督の「ノウイング」を放送(これで何回目?)していましたけど、本作のストーリー展開って少年ドラマシリーズの1本「赤外音楽」と凄く似ているなぁと前から疑問の思っていました。偶然の一致なのか、それとも「赤外音楽」以前から海外SFによくあるプロットなのか、何とも釈然としません。
Re: 虹色定期便 - エクセルシオール (男性)
2024/08/01 (Thu) 22:15:47
> ざわざわ森は、なんと人類が滅亡したあとの世界だったという陰鬱なストーリー
『ざわざわ森のがんこちゃん』。設定はすごくシリアスなんですよね。がんこちゃんたちはすでに滅びた人間が作り出した人工生命体が進化した生物という設定はある程度知られていましたが、人間がどのように滅亡したかは明確ではありませんでした。がんこちゃんが過去にタイムスリップするエピソードゼロはその今まで匂わされているのみだった人類滅亡の顛末が描かれた物語で、その悲しい内容は多くの視聴者にショックを与えたものです。
『赤外音楽』。特殊な音を聞く事ができる人間だけが宇宙人によって滅亡寸前の地球から脱出できるという内容のSFだそうですが、確かに『ノウイング』と似ています。「選ばれた人間だけが「神」に救われる」という内容は伝説とかでよくあるものなので、両方ともそれを発展させたものなのかもしれません。そう考えると、偶然の一致のような気もします。
フィルムが残っているか微妙ですが、観てみたいですね。なお、原作小説もあるそうですが、ドラマとは少々ストーリーが異なるそうです。
NHKの子ども向け作品には真面目に考えさせられるものが多いです。90年代初めに放送されていた『地球SOS それいけコロリン』(子どもに環境問題を教える作品)というアニメの最終回で少し印象に残った描写がありました。最終回で主人公達が未来にタイムスリップして滅亡寸前の地球の状況を見るのですが、破滅した世界にもかかわらず一部の金持ちたちは相変わらず自分達だけ贅沢な暮らしを続けているのです。何だか妙にリアリティがあってギョッとした記憶があります。
NHKの子ども向け番組。きちんと見直すべき作品が沢山埋もれている気がします。
最初の「ゴジラ」 - 海軍大臣 (男性)
2024/07/17 (Wed) 22:04:32
先日、人生で初めて第一作「ゴジラ」に触れたのは何時だろう?ってお題が仲間内でちょっと話題になりました。
私の場合、おそらく作品の存在を最初に知ったのは、幼稚園の頃に東宝チャンピオンまつりを観に行った際に買ってもらったパンフに掲載されていた東宝怪獣映画リストだったのじゃないかと思います。この時は「ゴジラが一匹だけ出る映画があるのか…」位の感慨しか湧かず、むしろ同リストで初めて存在を知ったモゲラやドゴラの印象の方が強烈だった気がします。
その後、72年頃に発売されたケイブンシャの三冊組の写真本で初めてストーリー等の詳細を知り(たしか解説が竹内宏さん)、物凄く興味を覚えた翌年に土曜午後枠の民放放送で実際の作品を目の当たりにすることになりました。この時は、前掲本で読んだ内容を「おさらい」する感じで放送に見入っていた筈です。
で、劇場での初見は81年暮の池袋・文芸地下での特集上映(「逆襲」との二本立て)で、以降はゴジラ沼まっしぐらといった人生を歩んできた感じです。
ところで興味深かったのは、古くからお付き合いのある大先輩マニアの方の初ゴジ体験談で、ちょうど第一作ゴジラと「同い年」のその方、子供時分は本作の存在は何となく噂で知ってはいたけれど、まだTV放映も無ければ再上映も無く、初めてその映像を目にしたのが、何と「快獣ブースカ」第一回でイメージカットとして使用された数秒ほどのバンクフィルムだったというのですから驚きでした。
NHKでの初放映以前の1960年代のは、如何に本作が「幻の作品」だったのかが理解されると同時に、この方と同世代に当たる竹内氏や金田氏が第三次ブームの頃に本作をあれだけ特別扱いしていた理由の一旦を覗き見たような、不思議な感覚を覚えてしまいました。
2024/07/18 (Thu) 18:46:23
第一作の『ゴジラ』を初めて見たのがいつなのかは、ゴジラファンそれぞれのファン意識形成になにかしら影響を与えているんじゃないかと思います。
私の場合、これまでも何度か書いてきたようにNHKでのテレビ放送が初めてでした。ゴジラを初めて見たのもそのときです。
それが巷間言われるように1967年なのかとなるとその前後の記憶から考えて、別のタイミングだったような気もしています。
「ウルトラQ」や「快獣ブースカ」より『ゴジラ』を先に見ていたはずなのです。
しかし、地方局では東京より遅れて番組が放送されることもあるので、NHKが1967年に『ゴジラ』を放送した後で「ウルトラQ」や「快獣ブースカ」が放送された可能性もあります。
あるいは幼い頃の記憶はあやふやなものなので、前後関係が逆転するほど『ゴジラ』のインパクトが大きかったということかもしれません。
(補足すると、記憶にある『ゴジラ』のテレビ放送では、クレジットタイトルが横スクロールで、ファーストシーンは大戸島の海岸に住人が集まっているところからです。
政治が救助されるところからスタートしてもストーリー上それほど不都合はないです。となるとテレビ放送用の短縮版では?とも思えますが、NHKで放送したのも確かです)
ケイブンシャの三冊組ゴジラ本は私も持っています!
これを買うために丸一ヶ月、一切お小遣いを使わずに耐え忍んで勇んで購入しました。
500円だったんですけど・・。
続刊の「ガメラ・大魔神」三冊組みには手が出ませんでした。(欲しかったなぁ)
子供向けとはいえ、『ゴジラ』製作時の裏話やミニチュアモデルの(ざっくりとした)リストなんかも書いてあって、怪獣図鑑とは違う作品資料本の走りであったと思います。
私が次に『ゴジラ』を見ることになるのは、1982年春の池袋文芸地下となります。
(1981年にはまだ田舎暮らしだった)
これまた『ゴジラの逆襲』との二本立てでした。
『ゴジラ』の冒頭が記憶と違っていて驚きましたし、『ゴジラの逆襲』には期待が大きかったために肩透かしを食わされた感じでした。
(アンギラスとの激闘がクライマックスではないだと?? ケイブンシャの本ではアンギラスを倒したあとすぐに氷詰めにされたように見えた)
『ゴジラ』は白黒作品であったためにテレビ放送の機会が少なかったのではないでしょうか。
NHKでのテレビ放送を見たとはいえ、その後10年以上まったく見る機会がありませんでしたからやはり幻の映画でした。
資料本などで情報を仕入れても作品を見ることが出来なかったので、『ゴジラ』がなおさら重い存在になっていたように思います。
その後80年代のゴジラ再評価の動きで『ゴジラ』はあちこちで上映(大学祭での上映もあった)されるようになり、ビデオソフトの時代になって定番作品となっていくのですが・・。
Re: 最初の「ゴジラ」 - エクセルシオール (男性)
2024/07/18 (Thu) 21:36:04
私が元祖『ゴジラ』を初めて観たのは90年代に入ってからで、他の作品よりも結構遅かったです(最初に観たゴジラ映画はテレビで放送されていた『怪獣総進撃』だったと思う)。遅くなった理由は近所のレンタルビデオ屋に当初『ゴジラ』(1954年)がなく、その後もなかなか入荷されなかったためです。そのため元祖の映像に触れたのは『ゴジラの逆襲』の中の対策会議で上映されていた部分が初めてでした。そのため子ども心に「初代ゴジラはフィルムが古すぎて残っていないのだ」と勘違いしていた時期があります。
その後、ようやく入荷されて、やっと観る事ができて、大変うれしかった記憶があります。やはり大傑作の名に恥じない作品でした。まがいものの「傑作」がもてはやされるようになってしまった昨今では、その価値が正当に理解されなくなりつつあるのではないかと不安になっています。
>アンギラスとの激闘がクライマックスではないだと??
どうも香山滋の当初の構想では新怪獣との対決がクライマックスになる予定だったようです。三一書房から出版されている『香山滋全集別巻』に収録されていた彼の当時のエッセイの中で、第二作の構想として「二匹目のゴジラが大阪に上陸して大暴れした後、日本海に抜ける。そこでゴジラよりも凄い怪獣が現れ、一大決戦を繰り広げる」という趣旨の文章がありました。この趣旨を鑑みると、怪獣決戦を最後に持ってくるある意味王道な物語にするつもりだったようです。この構成で作っていたら、『ゴジラの逆襲』のある種の拍子抜け感はなかったかもしれませんね。
Re: 最初の「ゴジラ」 - 海軍大臣 (男性)
2024/07/21 (Sun) 07:37:26
ギドラさん、エクセルシオールさんお二人のゴジラ第一作体験談をお聞き出来て嬉しいです。世代や生まれ育った地域の違いで、同じ作品と最初にどうやって触れ合ったのかのついて明確な違いのあることが判り、非常に興味深いことと思いました。
実は先般、Xの方にポストした話題と重複する内容になりますが、特撮ファンにとっての『ゴジラ』第一作には、現在の我々を特撮ファンたらしめている「錦の御旗」的な側面があった(少なくとも四十数年前の時点では)のじゃないかと考えています。
現在に続く特撮ファン活動が始動した1970年代後半当時は、崇高なテーマ性を誇示していたSFファンや「ヤマト」「ガンダム」ブームで勢いついていたアニメファンに比して、国産特撮作品は劇場映画にしろTV作品にしろ「所詮は子供だまし」といった色眼鏡で見られ、一段低く見られていた部分が強かったように思えます。
そして、そんな偏見に満ちた朔風の中で、本分野に対する不当な論調を跳ね返し、特撮ファンの活路を何とか見出すための唯一無二の旗印として掲げたのが、本作に内在している「反戦/反核」といったテーマ性だったのかと推察されます。
これまで高所に立って国産特撮作品を冷笑してきた人種ですら、この一事はそう簡単にはロジカルに否定できない(感情的には反発し得ても)案件だった筈です。
そしてこの「錦旗」は疑うことすら許されない神聖不可侵なものとして、多くのファンたちに許容されてきました。今では余り好まれない文言ながら「大人の鑑賞に耐え得る作品」を自分たちも有しているという事実は、洋物ファンやアニメファンに伍して自分たちがファン活動を展開していく上で、極めて強固な精神的バックボーンとして機能していた筈です。
勿論、現在の眼でこれを批判するのは容易いことかも知れません。しかし、あの時期にファンコレやサントラLPや大特撮が相次いで発売された時流の一側面を支えていたのが、『ゴジラ』第一作という「錦の御旗」により存在意義を裏打ちされたファン活動であったことも又、事実でしょう。
ところが、高々と掲げられたこの錦旗にも大きな負の問題が孕まれていました。後に続くべき80年代初頭のファン活動の多く(勿論、私自身を含めて)が本分野の映画作品やTVシリーズを解題するに当たり、「大人の鑑賞に耐える」といった価値観を第一義とする、先達方の意見を丸々引き写しただけの作品評論の域に留まってしまったことでした。
本来であるならば作品研究とは、脚本構成や演出の問題点の抽出だったり、美術や撮影技術の分析、或いは作品成立過程の追跡だったりと、もっと広範囲に具体的におこなわれるべきものだった筈なのですから。
勿論、ファン活動に於ける論調のエピゴーネン化は必ずしも否定されるべきではないのかも知れません。
しかし80年代初頭辺りから、散逸の危険のあった文献資料の収集なり、当時まだ存命されていた関係者への聞き取り調査を傾斜的に実施していたら、国産特撮作品史の研究は今少し実り豊かな展開を見せていたのじゃないか――と云った後悔ばかりが浮かんできてしまいます。
こうした部分を考えても、第一作「ゴジラ」は「日本特撮史のエポックメーカー」という言葉以上の重さを以て、今なお我々ファンの脳内に君臨しているように感じられてなりません。
2024/07/21 (Sun) 16:30:19
海軍大臣さんのお話を補強する体験談です。
1980年、私は高校生でした。
誰が企画したのか、クラスのホームルームの時間に、アニメファン対特撮ファンの弁論大会というものがありました。
当然のように私が特撮代表に選ばれて特撮作品の魅力を語ることになり、日本特撮の歴史を書籍「大特撮」からの情報と自分の記憶を頼りに概観する原稿を用意しました。
いざ当日、先に弁じたアニメファンのクラスメートが、どういう流れだったか、アニメにはテーマ性があるが、特撮作品は映像のショックしかない下らないものばかりだと言い出して驚きました。
私はアニメを嫌ってはいませんでしたので、アニメをくさして特撮を持ち上げるつもりは無かったのでした。
しかし、そんな流れになったため、特撮作品にもいわゆるテーマ性のあるものがあるのだと、結局『ゴジラ』(54)が反核兵器のテーマを持った作品だったのだ、と強調することになりました。
現在ならもっと別の切り口で語ることも出来るところでしたが、当時は、やはり資料本などの影響で反核・反戦に頼ってしまったことになります。
とはいえ、当時は『ゴジラ』(54)を見たことのある高校生などほとんどいなかったので、「ゴジラがそんな背景を持った怪獣だったとは知らなかった」という感想も出てきて反核映画『ゴジラ』という肩書きも必要なことだったかもしれません。
そして1982年以降は『ゴジラ』に限らず、多くの特撮映画を繰り返し鑑賞出来る環境が出来てきたことで、『ゴジラ』が傑作たるゆえんは必ずしも重いテーマ性を持つからではないことに気がついていくのでした。
しかしながら、ヒクイチの山崎監督ですら、ゴジラは核兵器や戦争のメタファーだと明言している現状を見ると、まだまだ70年代後半から80年代の〝ゴジラ論〟から抜け出していないことに不安を覚えます。
『生きものの記録』や『世界大戦争』より『ゴジラ』のほうがよりポピュラーな映画であるのはなぜかを考える必要があります。
少なくともゴジラ映画を作ろうとする者や映画批評を志す者は、怪獣ゴジラの魅力がどこにあるかを、教条を捨ててフラットな視点から考えなければなりません。
反核反戦思想のないゴジラ映画はダメだと断じるのでは無く、反核反戦テーマを打ち出さなくてもゴジラ映画がヒットしたのはなぜかと考えて欲しい。
資料本を参照するのではなく、作品そのものを見よう!
>まがいものの「傑作」がもてはやされるようになってしまった昨今
まったくその通りです。
特撮ものに限らず、昨今は「傑作」のハードルが異様に低くなってしまったようで・・・。
Re: 最初の「ゴジラ」 - エクセルシオール (男性)
2024/07/21 (Sun) 21:28:57
「大人の鑑賞に堪えうる」という価値観は、今では事実上「マニア受けする」とほぼ同義になっていますから、その評判が悪くなるのも当然です。実際、特撮にせよアニメにせよ「大人の鑑賞に堪えうる」作品と称されるものが、一部のマニア以外喜ばないものやら、ほとんどの人を置いてけぼりにするものやら、過激な表現に頼るだけのものだったりるすることは珍しくありません。そういえば、『シン・ゴジラ』にせよ『ゴジラ-1.0』にせよ、実にマニア受けする内容でした。
どうしても「大人の鑑賞に堪えうる」ものでなければならないという一種の強迫観念から、作品に牽強付会な解釈を加えて評論する例も後を絶ちません。もっと素直に見ればいいのにと思う事も再三です。その究極の事例がかの『さらば愛しきゴジラよ』のゴジラ評価だと思います。また、ゴジラを戦没者の霊の集合体にしてしまった『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』などは、マニアックなゴジラ解釈をクリエイターの方が受け入れてしまったものでしょう。
Re: 最初の「ゴジラ」 - 海軍大臣 (男性)
2024/07/22 (Mon) 09:24:05
>反核反核反戦思想のないゴジラ映画はダメだと断じるのでは無く、反核反戦テーマを打ち出さなくてもゴジラ映画がヒットしたのはなぜかと考えて欲しい。
正にその通りで、恰好のサンプルになるのが「ゴジラの逆襲」なのじゃないかと思います。
たしかに「~逆襲」の場合は、御二人の御意見の通りクライマックスへ向けてのストーリー構成にやや難が在ることも事実ではあるのですが、当時の製作者たちがヒット作「ゴジラ」の続編を作るのに当たって、一作目のどの部分が観客に受けたかを分析し、作品に内在する様々な要素を取捨選択して作り上げたものだと云えるからです。
そこには一作目で描かれた核兵器の恐怖も戦争への怨嗟の声も希薄化されてしまっていますが、作品的には第一作に伍する大ヒット作(よく一作目の配収1億5200万円に対して1割減の1億3400万円の配収だったとされていますが、これは完全に興行が終った時点の数字ではないとの話)となっていて、結果的に見て、製作者側の判断が正しかったものと評価できます。
その昔は「本作を皮切りにして社会的なテーマ性が無くなって、ゴジラは堕落した」との物言いが大手を振って罷り通っていましたが、むしろ「~逆襲」によってゴジラシリーズは本当の意味で大衆性を持ち得たことになります。そしてこれは21世紀の現在でも、新にゴジラ作品を作っていく際の有用なケーススタディになるのじゃないかと。
また、在る知人に言わせると、「大人の鑑賞に耐える」と云う文言に飛びつくのは子供だけ、ということになるのだそうで、自分たちの来し方と併せて改めて内省せねばならないと思っています。
2024/07/10 (Wed) 18:57:36
先日、『フェラーリ』を見てきました。
高級スポーツカーメーカーとして有名なフェラーリ創業者、エンツォ・フェラーリの実録映画です。
ストーリーは、彼の一代記ではなく、1957年のエピソードに絞っています。
大まかには、レース活動と並行して妻と愛人の間で揺れる様子を描きます。
全体の印象として、緊張感は持続するものの緩急に乏しくドラマ性は薄い物でした。
これは、レースを描くのか私生活を描くのか軸足が定まっていなかったことが原因と思われます。
エンツォについてはレース関係の書籍や資料映像である程度のイメージを掴んでおりましたので、違和感なく見ることが出来ました。
言動の端々にレースの鬼であることや苛烈な要求をする性格が描かれていて、さもありなんという描写が出来ていました。
記録に残っている実際の発言も採用されていたのではないかと想像されます。
そして、レーシングカーの描写にも、誇張した表現はあるにせよ、『ドリヴン』や『グランツーリスモ』のようなおかしなところがなかったのも良かったです。
しかし、レース史やフェラーリについて全く知らない人にも判るような作りになっていたかと考えると、かなりまずい出来だったのではないかと思います。
まず、エンツォが溺愛していた長男ディーノを1956年に失っていることを少しずつほのめかすのはまずいです。
墓参りのシーンで伝えようとしていたのは判りますが、ディーノが亡くなるシーンがないのですから、エンツォの悲嘆やショックの伝わり方が間接的です。
また、回想シーンに出てくるディーノは少年時代ばかりで、愛人との間に出来た次男ピエロとの差別化が出来ていません。
ディーノが亡くなったのは24歳(このときピエロは11歳)とのことなので、回想でも大人になったディーノを見せることが出来たはずです。
レースシーンになるともっとまずいです。
途中F1グランプリのシーンがありますが、F1であることも言わず、第何戦なのかどこのサーキットなのかもさっぱりわかりません。
冒頭のほうで、町の人から「モナコではダメだったじゃないか」的なことを言われていましたが(日本語字幕では「あんたの車はダメだ」という訳し方をしていた)、
エンツォにとって大事なカテゴリーだったはずのF1グランプリの扱いが軽すぎます。
ひょっとするとF1統括団体との契約が上手くいかず、フォーミュラワンの名称すら使えなかったのかも知れません。
そして、クライマックスはかつてイタリアで行われていたミッレ・ミリア(1000マイル)レースになります。
このミッレ・ミリアについての説明もまるで足りません。
エンツォの妻の台詞で「家畜や犬、子供なんかがコースに飛び出してくる危険なレース」と言わせるだけです。
私はほんの少しではありますが、ミッレ・ミリアについての知識がありましたので、イタリアの一般道をレーシングカーが本気で走るレースであることや、
死亡事故が多発していたことを知っていましたが、この映画の多くの観客はレース史には疎いものと思われます。
説明的にしたくなかったのはわかります。しかし、実録映画なのですよ。
戦争映画でもテーマにする戦闘・戦場の背景説明はするでしょう。
私だって、パンフレットの解説を見るまで、ミッレ・ミリアが1600㎞走ってスタート地点に戻るレースだとは知りませんでした。
ミッレ・ミリアの全体像を解説すべきでした。
そしてこの映画もレース映画の多くが陥る欠陥、レース展開が生み出すドラマを描かない姿勢がありました。
自動車レースは一対多の闘いです。主人公とライバルだけに絞るような描写をしてはいけません。
1957年のミッレ・ミリアはフェラーリチームとマセラティチームとの一騎打ちだったのかもしれませんが、それ以外の参加車両については無視しています。
(ちらちらとほかの車が映りはする)
またレースシーンの尺が短いためにミッレ・ミリアの過酷さも伝わりません。
もっとさまざまな景観の中でレースする様子を見せるべきでしたし、暗いうちにスタートしたなら夜明けを見せるなど時間経過を描写すべきでした。
さらに、通常のサーキットレースとは違い時間差スタートするのですから、前走車を追い越すとしたら、マシンの性能差やドライバーの腕の違いに焦点を当てなければなりません。
そんなレースの実際を伝えるシナリオではありませんでした。
それから、これはレースファンの視点になりますが、歴史に名を残す有名レーサーが複数登場するのに、それぞれの印象が薄すぎます。
いくらエンツォの映画でも、レース映画でもあるのですから、伝説的なレーサーたちにはもっとスター性を演出して欲しかったところです。
全体構成としてエンツォの愛人問題はもっと尺を詰められたのはないかと感じました。
長々とした会話などはやめて、表情や仕草を象徴的に見せることでそれぞれの人物が抱える感情を効率的に伝えられたのではないかと思いました。
そしてレース活動のディティールを増やせば、レースシーンのスペクタクル感を増すことが出来たでしょう。
上映時間130分なのですから、全体のドラマ質量はもっと増やせます。
CGは控えめにしたようで、実物のレーシングカーが疾走する映像や車載カメラ映像でコーナーを攻める様子はかなり良い感じだったのに残念です。
採点すると65点の映画でした。
7月7日に行われた〝現実〟のF1イギリスGPテレビ中継でブラピのF1映画特報映像が流れました。
どうやら現実のF1に架空の一チームを追加したような設定のようです。
しかししかし、ブラピ自身がF1レーサーになって登場する模様。
一旦引退したレーサーが復帰するというシナリオらしいですが、ブラピももう還暦ですぜ。
現代F1マシンは60のジジイがレーシングスピードで運転できるものじゃないですよ。
チームオーナーの役で我慢できなかったかなぁ。
特撮の硬直化、アニメの濫造 - エクセルシオール (男性)
2024/07/06 (Sat) 13:57:23
本日からウルトラマンシリーズの最新作(『ウルトラマンアーク』)が始まりました。特撮テレビ番組が、放送開始時期に差はあれども、ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊の不動の「ビッグ3」の枠組みで制作放送されるという状態は、今年も続き、どうやら完全に固まったようです。それ以外のジャンルとなると深夜枠の牙狼(GARO)シリーズが現在数少ない例外ですが(ちょっと前には女の子向けのガールズ×戦士シリーズもあったが、現在は終了)、こちらも一時期アニメになっていたとはいえ、もうずいぶん長く続いています。つまり、特撮テレビ番組の世界ではジャンルの著しい硬直化が起きていると評することができます。
特撮番組はアニメよりも制作に手間や時間がかかるので、数が少ないのはやむをえません。しかし、作られる作品のほとんどが伝統のあるシリーズの係累作品ばかりという状況が、長い目で見て好ましいものかというと極めて疑わしいです(ウルトラマン等の側から見ても「このシリーズでやる必要があるのか」と思えるような作品も散見される)。思い切って新しいヒーローを作れないものかと思いますが、製作サイドも新ヒーローが知名度の低さから失敗する事を恐れてしまい、「ビッグ3」の知名度と底力に頼りっぱなしになっている感じがします。もしかしたらもはやNHKしか新しい特撮ヒーローを作れないのかもしれませんね。
確か2000年代には『魔弾戦記リュウケンドー』やレスキューフォース二部作のように、新しいジャンルの作品がまだ作られていましたが、今はその可能性すらほぼ絶えている観すらあります。このままではいずれ限界が来ると思います。
ただ、特撮作品の少なさ自体は特撮ファンにとってまだある意味幸いな側面もあります。賞賛するか批判するかはともかく、鑑賞の対象自体は共通となる事が多く、共通の話題が成立します。昨今のアニメなんぞあまりにもたくさんの作品が作られてしまい、もはやファンの間に共通の話題が成立しにくくなっています。全部視聴するのは不可能であり、観る前から事前情報を集めて取捨選択し、視聴開始後も途中で視聴中止になってしまう作品は少なくありません。その結果「きちんと観てみればよい作品」であっても埋もれてしまい、また、短期間に多数の作品が始まったり終わったりするので、数ヶ月で大半の作品が忘れられてしまいます。
さらに、特撮が一定の話数が確保され、出来不出来はあっても大抵1年以内に結末を迎える事ができるのも、1クールくらいで興亡、中途半端で放り出されてそれっきりという作品が珍しくないアニメの現況よりはましと言えるかもしれません(続きが作られるか否かは映像ソフトの売れ行きやら、原作の宣伝がなされるかといった事情に左右され、アニメの枠組みで独立完結できなくなる傾向にある)。
Re: 特撮の硬直化、アニメの濫造 - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/07/07 (Sun) 18:13:30
もうテレビアニメはほぼ(全く?)見なくなりましたが、
番組表をチェックしていると、すさまじいと言っていいほどの本数が放送されています。
アニメ需要がそれほど多いのか、当たれば大きいと目されるアニメ作品を多発することで鉱脈を掘り当てようという目論見なのか、これが良いことなのかどうか難しいところと思います。
翻ってテレビの特撮作品となると、エクセルシオールさんのおっしゃるとおり、
伝統芸のように継続するブランド物しか製作されていないように見えます。
(牙狼シリーズがどのように受け入れられているのか私にはよくわかりません。雨宮作品は体に合わないので、「鉄甲機ミカヅキ」を途中まで見てリタイアしています)
テレビ界の裏事情が絡む話かと思いますが、
ウルトラ、ライダー、戦隊はどれも玩具メーカーとの連携で製作されているように見えます。
おもちゃの販売と絡めることでどうにか特撮物を作ることが出来ているのかも知れません。
だとするとあまり健全な状況とは言えないでしょう。
内容面にもおもちゃ販促の意向が反映されるでしょうから。
とはいえ、いまのテレビが、当たるかどうか判らない新規の特撮企画を生み出せるのかと考えると、それも難しいことに思えます。
一視聴者の立場からは面白い(優れた)新規の特撮テレビドラマの登場を期待したいところではあります。
が、テレビドラマ全体にあまり期待感がないです。
番宣などで設定や粗筋を聞いても、断片的に何かのドラマの本編を見ても、見たくなるものがありません。
最近見たものとしては配信から地上波放送に至った「季節のない街」がありますが、
良いところはありつつも、やはり物足りない出来であったと感じました。
テレビドラマ全体がシナリオや演出の底上げを実現しないと特撮ドラマにも期待できないように思います。
(いやー、ウルトラの前作「ウルトラマンブレーザー」、一部で評判が良かったようですね。私としては、個別のエピソードには確かに面白い物もあったとはいえ、全体構成は全く感心しませんでした。最終話のごちゃごちゃは目に余る)
Re: 特撮の硬直化、アニメの濫造 - エクセルシオール (男性)
2024/07/07 (Sun) 22:07:55
>番組表をチェックしていると、すさまじいと言っていいほどの本数が放送されています。
まさに「すさまじい」の一言です。内容も似たり寄ったりのものが少なくなく(最近多いのが「異世界転生」と「主人公最強・無双」。後者などバトルものとしては甚だつまらない)、「埋もれたくない」がために過激な描写に頼るだけの作品も珍しくなくなりつつあります。良い状態とはとても思えません。
>おもちゃの販売と絡めることでどうにか特撮物を作ることが出来ているのかも知れません。
昔から民放の子ども向け番組は「30分おもちゃCM」と批判されてきましたし、そういう側面は間違いなくあります。でも、スタッフに気概があればスポンサーや広告代理店(スポンサーより性質が悪いことあり)と渡り合って、何とか妥協点を見出していい作品を作った例も少なくありません。
しかし、昨今の特撮番組を見ているとスポンサーの言いなりになって、やたらとヒーローが装備過剰になっている観があります。「ここまでくるとかっこ悪いぞ」という例ももはやめずらしくありません。今はおもちゃも高額化しており、たくさん出しても結局買ってもらえない可能性もあるのに、作品のバランスを崩してまで新装備を出すのも困ったものです。
スポンサーの側も作品の制作に携わっている以上は、内容への介入に一定の自重が求められるでしょう。アニメもそうですが真っ当な批判的論壇がないことも、歯止めがかからない一因です。
なお、深夜アニメに関しては30分原作CMのようになっている事が少なくなく、これまた深刻な問題があります。
>とはいえ、いまのテレビが、当たるかどうか判らない新規の特撮企画を生み出せるのかと考えると、それも難しいことに思えます。
それができるとすると今は事実上NHKしかないでしょう。実際、アニメに関してですが民放が放棄した作品をNHKが引き取って続きを作った例がけっこうあります(『進撃の巨人』『響けユーフォニアム』等)。ある程度視聴率や関連商品の売れ行きを度外視して動けるので、新しい挑戦も可能ということになります。
実際、最近「ビッグ3」及び牙狼以外の新しい特撮作品というと『超速パラヒーロー ガンディーン』と『TAROMAN』、いずれもNHK放送でした。
とはいえ『ガンディーン』は中途半端で終わったままですが(今年はパリパラリンピックの年なので、続きが作られるかと思っていたが、無理みたい)。
Re: 特撮の硬直化、アニメの濫造 - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/07/09 (Tue) 18:44:27
スポンサーの顔色をうかがわなくても良いという利点を持つNHKには期待したいところではあります。
「タローマン」は上手くいった例と思います。
しかし、「ガンディーン」が成功作かというとなかなか厳しいところです。
動画配信サービスには良作が多いという説もありますが、配信アニメの地上波に降りてきたものや劇場版になったものを見る限り大したことがありません。
そういえば、聴取料で運営されているWOWOWもかつて「ネオ・ウルトラQ」(新企画ではないですね)という特撮ドラマを放送しましたが、惨憺たる出来映えでした。
新規企画が通りやすいのはNHKと言えそうですが、出来の善し悪しはまた別の問題をはらんでいそうです。
(ああ、「生物彗星WoO」という怪作もNHKだった・・)
父ありき4Kデジタル修復版 - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/06/21 (Fri) 18:17:26
昨年の東京国際映画祭で上映された『父ありき』4Kデジタル修復版(小津安二郎)を衛星劇場の放送で見ました。
びっくり仰天でした。
この映画は1942年公開で、1945年の再上映時にGHQの検閲で短縮されてしまったとのこと。
軍隊や戦争に関わる部分をカットしたらしいです。
そして従来テレビ放送されてきたのは短縮版だったようです。(セルソフトはどうだったのか?)
未見の方に配慮して具体的な内容には出来るだけ触れないように書いてみます。
私がこれまで見てきた短縮版からは、父と息子が互いに思慕の念の抱きながら、仕事の都合・学校の都合で一緒に暮らすことがかなわないという悲哀を描いたものと受け止められました。
そして、幸せはいつか叶うから今は我慢という考えは果たして正しいのか? 今を大事にすべきじゃ無いのかという問いかけを持ったストーリーだと受け止めてきました。
ひょっとすると小津本来の意図はそうだったのかもしれません。
しかし、4K修復とともにほぼオリジナル版に復元(完全ではないそうな)されたものを見ると全く印象が異なります。
従来見てきた短縮版は、情感はあってもドラマの盛り上がりに欠けるのが難点だと思っていました。
しかし復元版を見ると、実はクライマックスがまるまるカットされていたことがわかりました。
それは笠智衆による詩吟です。
短縮版でも、詩吟を頼まれるところまでは存在しますが、実際に吟じるシーンはありません。
復元版では延々と吟じます。
これがストーリー構成上のクライマックスになっています。
問題はその内容です。
文語調の難しい言葉ばかりで私にはなかなか理解が難しいものでしたが、断片的に聞き取れるところから軍人精神(七度生きて国に報いる、とのフレーズあり)を詠ったものであることがわかりました。
聴衆の反応からもそれが窺えます。
さらにエンディングでは、夜汽車で任地の秋田へ帰る息子のシーンにBGMで「海ゆかば」が流れます。それも歌付きで。
こうなると一緒に暮らせなかった父子の悲哀ではなく、親子の情を絶ってまで使命を全うする気高さを描いた映画になります。
短縮版ではエンディングにBGMはありません。
キネマ旬報ベストテン第2位を獲ったのは報国精神を描いたからだったのだな、と納得もし悲しくもなりました。
久我美子さん死去 - エクセルシオール (男性)
2024/06/15 (Sat) 21:18:39
先日、日本の映画史に残る名優の一人であった久我美子さんが亡くなられました。特撮とは縁がない印象のある方ですが、東宝特撮映画ではおなじみの平田昭彦さんの配偶者でした。
一度だけゴジラシリーズに出演されたことがあります。『ゴジラVSビオランテ』で官房長官を演じられていました。これは84年に亡くなられた平田さんが『ゴジラ』(1984年)に当初出演する予定だったのに、病気のためかなわず、そのまま亡くなられたため、その思いを継いでの出演だったそうです。
上品な佇まいが印象に残る方でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。
ゴジラ対エヴァンゲリオン2 - なんじぇい (?)
2024/06/12 (Wed) 15:57:22
どうやら好評だったのでパチンコで続編が出るみたいです。
レイが小美人になったり、アスカがオキシジェンデストロイヤーを作るのではないかという話もあるのですがどうなのでしょう。
シン・ゴジラが出た当時のコラボではアスカは芹沢博士役になって、オキシジェンデストロイヤーを発明したという設定でグッズが出てたりしてました。
https://www.suruga-ya.jp/product/detail/994934386?tenpo_cd=
なお、スロットでもゴジラ対エヴァンゲリオンは出て生まれて初めてスロットをやりましたが普通に負けました(分かったのはVSモスラがシン・ゴジラを倒したら使徒ギドラが来てシン・ゴジラと共闘したくらい……)。
最後ですが、映像作品掲示板が元に戻って良かったです。
Re: ゴジラ対エヴァンゲリオン2 - なんじぇい (?)
2024/06/12 (Wed) 18:40:40
綾波レイは毎回小美人役みたいです。コラボならいいんでしょうかね……
https://www.suruga-ya.jp/product/detail/994934387?tenpo_cd=
https://appmedia.jp/monst/370812
アスカが芹沢博士でオキシジェンデストロイヤーを使い出すのはいくらなんでもないんじゃないかとは思いますが。
これが「怪獣」と言えるのだろうか? - エクセルシオール (男性)
2024/05/25 (Sat) 21:51:36
以前、この掲示板でも取り上げられていた『怪獣8号』のアニメ版が現在放送されています。面白くないわけではないですが、この作品に登場する怪獣の描き方については疑問が湧いてきます。
このアニメに出てくる怪獣のデザインは極めて醜悪で気色の悪いものになっており、およそ視聴者から好意的な感情を抱かれる要素を排除しています。また、その強さですが、自衛隊の重火器による攻撃には耐えられるのですが、防衛隊の肉弾攻撃にはあっけなくやられてしまいます。これは典型的なやられ役でしかないと言えます。怪獣は強くかっこよくなければならないという原則に立てば、許容できるものではないでしょう。もっとも、怪獣の王様であるゴジラですら最近はひどい扱いなのですから、名もなき怪獣の扱いが悲惨なものになるのも無理からぬことかもしれませんが。
もう一つ奇妙に思えるのは、主人公・日比野カフカが所属する事になる防衛隊です。自衛隊とは別組織ですが、いくら強化スーツや特殊な武器を保有しているとはいえ、巨大怪獣を生身で攻撃して勝つというのは奇異に思えます(防衛隊の持っている装備の技術を自衛隊の巨大兵器に応用した方が良いように思える)。隊長の亜白ミナだけが途轍もなく強いというのならまだしも(特殊なのが一人か二人ならば許容の余地がある)、他の隊員もやたらと強く、言うなれば全員が『アイアンキング』の静弦太郎並みなのです。これは異常だし、『進撃の巨人』のパロディに見えてきます。
いっそ切り口を変えて、主人公のカフカが当初務めていた「怪獣の死体処理をする会社」の苦労話をメインにして物語を作った方が面白い話ができたような気もします(花形のミナに対して、裏方のカフカというのなら、対比構造もできたと思う)。
余談。第1話でカフカに取り付いた「謎の幼獣」の声が、3月に急逝された「ちびまる子ちゃん」役のTARAKOさんだったので、非常に寂しい気持ちになりました。
Re: これが「怪獣」と言えるのだろうか? - なんじぇい (?)
2024/05/25 (Sat) 22:02:51
実は私も「怪獣の死体処理の知識を応用して、下っ端の主人公らが怪獣相手に奮闘して徐々に成り上がっていく話にする方が面白いのでは……」と思っていました。
これは他の読者も思っていることだそうですが。
最近は読んでいないのですが、怪獣の死体処理が話に生かされることはないそうです。
あと、自衛隊の重火器に耐えてるだけ大分マシだと思ってしまいます。元祖怪獣のキングコングは当時の機銃で死んでしまう存在だったのもありますが、ゴジラSPのラドンは自衛隊の小火器で死亡するわ、アンギラスは捕鯨砲で死ぬなど今の本家ゴジラはそんなレベルを超越する程弱い奴らが魍魎跋扈していますので……
なんだかんだ1000万部売り上げてる「一番売れた怪獣漫画」ではあるんですよね。
Re: これが「怪獣」と言えるのだろうか? - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/05/28 (Tue) 19:16:26
この掲示板でいくつか怪獣マンガを紹介していただいて、その都度何話か目を通してきました。
こと怪獣そのものに関して言えば、「怪獣8号」の怪獣が最も怪獣らしくないものでした。
アニメ化される話が出て、その時点での最新話に目を通してみたら、もはや初期エピソードからは想像も出来ない、
怪人対人間の異能超能力バトルものになっていました。
おそらく作者は怪獣に思い入れなどなく、それどころか怪獣作品をよく知らないのではないかと思いました。
あるいは、怪獣作品を知ってはいるけれど怪獣審美眼が弱いのか。
問題は、誰がタイトルに「怪獣」を入れさせたか、ですね。
編集者の入れ知恵では??
その他の怪獣マンガにも問題を感じる面があって、
安易に怪獣という看板を使う作品が増えることで、世間一般の怪獣観が歪められていく危険があります。
マンガ「ULTRAMAN」(アニメの第一シリーズしか見ていない)に出てきた怪獣とされる者もまるで怪獣とは思えませんでした。
Re: これが「怪獣」と言えるのだろうか? - エクセルシオール (男性)
2024/05/29 (Wed) 20:43:34
>怪獣の死体処理が話に生かされることはないそうです。
もしかしたら、悪名高い『大怪獣のあとしまつ』が「怪獣の死体処理」というジャンルの印象を極端に悪くしてしまったため、そのネタは活かされなくなってしまったのかもしれませんね。
>もはや初期エピソードからは想像も出来ない、
怪人対人間の異能超能力バトルものになっていました。
原作は集英社の『少年ジャンプ+』に連載されていますが、本家の『週刊少年ジャンプ』というと「読者アンケートによる人気至上主義。人気がなければすぐ打ち切り。人気があったら人気がなくなるまで続けさせられる」とか「作者の意図を無視して上記価値観に基づく編集者の横やりでどんどん話の流れが変更されてしまう」などと批判されていました。『怪獣8号』の原作もその憂き目にあった可能性があります。
極めて困った話ですが、昨今では事実上「原作のCM」としてアニメ化される例が後を絶たない状況です。アニメ『怪獣8号』も「どうせ最後まで作られない。真面目に考察するだけ無駄」という気もしないでもないです。でも、「怪獣」という存在があまりにも安売りされ、「人間の倒され役」に納まりつつある状況はやはり看過できません。
なお、次は内容的に甚だきな臭い『怪獣自衛隊』がアニメ化されるのではないかと危惧しています。
中尾彬さん - なんじぇい (?)
2024/05/22 (Wed) 16:54:30
中尾彬さんが亡くなられました。
VSゴジラの麻生司令官が印象的でした。
FWで轟天号に乗って出てきた時は、遂にしびれを切らして自ら出陣したかとちょっと笑ってしまったことがあります。
謹んでご冥福をお祈りします。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/26453825/
新幹線大爆破リメイク - なんじぇい (?)
2024/05/17 (Fri) 19:57:37
http://www.toei.co.jp/release/public/1242308_1140.html
樋口監督と主演俳優の名前を聞いて『日本沈没』の悪夢を思い出しめちゃめちゃ不安です。
原作はいきなり喫茶店が火事になったりと変な展開もありましたが、話はスピーディーで、落ち含め犯人役にも感情移入できるような作りになっていたりと大好きな作品なので、頼むから変な事はしないでくれと祈るばかりです。
Re: 新幹線大爆破リメイク - エクセルシオール (男性)
2024/05/18 (Sat) 16:10:04
オリジナル版は紆余曲折の末、当時の国鉄が全く協力してくれなかったため撮影に苦労したそうですが、スタッフが意地を貫いて完成させたと聞いています。協力してもらえれば、新幹線の描写等はリアルになったかもしれませんが、内容に介入されて変な話になったおそれもあったと思います。協力を得られないマイナス面を甘受しつつも、作品制作の自由を選んだ当時のスタッフの心意気には敬意を表すべきでしょう。昨今、「○○全面協力」を売りにした作品は後を絶ちませんが、それが害になる可能性についてクリエイターたちはもう少し敏感になるべきです。さて今度はどうなるか?「JR全面協力」とか言い出したら危ういですね
なお、作家の赤川次郎さんは、エッセイ『三毛猫ホームズの映画館』の「スポンサーの害」という一節で『新幹線大爆破』について国鉄のケチ臭い了見を批判していました(この映画以外にもスポンサーの横やりで作品が歪められる事例がある事が書かれている)。
Re: 新幹線大爆破リメイク - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/05/18 (Sat) 18:10:01
ファンだという作品をリメイク(リブート??)するってどんな心理なのかよくわかりません。
好きだけど足りないところがあるから手直しする、というのならまだわかります。
(そういう意味では、私なら予算削減で当初のコンセプト通りにならなかったと思われる『三大怪獣地球最大の決戦』に挑んでみたい)
私見では『新幹線大爆破』の犯人を突き止める過程に少々杜撰さがあったように覚えているので、そこは直したいかな、とは思います。
でもなあ、あの映画の良いところは、時代背景と当時の俳優たちの魅力に負うところが大きいと思うので、いじらないほうがいいですよ。
そして、樋口氏には『日本沈没』はもとより『隠し砦の三悪人』という前例もあるので、期待しろというほうが無理です。
新幹線映画なら『動脈列島』も傑作だぞーー。
2024/05/09 (Thu) 19:11:33
『ゴジラ×コング』でのゴジラを本物とは認めていませんが、煩雑なのでここでは一応ゴジラと呼びます。
映画の導入部でローマに現れたスキュラを殺すゴジラ。
そこに至る流れは描かれませんので、何があったのかはわかりません。
しかし劇中で、ゴジラがスキュラを殺してくれたので被害が少なくなったとか、ゴジラは人間の味方だというセリフがあり、
ヒーローゴジラが強調されます。
これは70年代ゴジラをベースにした発想と思われます。
監督のアダム・ウィンガード氏は昭和シリーズにこだわったとおっしゃっていますが、どうも理解が浅いようです。
そしてフランスの核廃棄物貯蔵所を襲って放射線を吸収。
その後も大きな闘いを予期したらしいとの理由づけでティアマットの巣を襲い、ティアマットを惨殺、太陽風からのエネルギーが集まるというティアマットの巣で充電。
こうなると70年代ゴジラと84ゴジラのハイブリッドです。
もちろん、レジェンダリーゴジラの放射線をエネルギーにするという設定に則っているのでしょうが、昭和ゴジラと言われてもピンとこないです。
(84ゴジラも昭和ゴジラではあります)
私が本物のゴジラに感じる魅力は、何物にも縛られない自由さにもあります。
何かの目的や使命を以て行動するのはゴジラらしくありません。目的意識を持つと自らを縛ることになります。
地上の覇者などという設定は余計です。
コングが地上に現れた途端に襲いかかるなんて、目的意識の塊です。
レジェンダリーのゴジラには自由奔放さがないのです。
(一作目でのムートーとの関係もしかり)
ゴジラは目の前の出来事に反応するだけで十分。
と、気に入らない点を書きましたが、モスラに(テレパシーで)説得されるところや、足の爪がちゃんと尖って前に出ているのは良かったですし、
そもそもレジェンダリーゴジラは核実験で生まれた者ではなく有史以前から地球に存在した生物であるという設定で、
人間の武器・兵器の類いには負けないことになっていますから、シンやマイナよりよほどゴジラらしいです。
(一作目で核実験をゴジラを倒すための作戦だったなどという世迷い言を言ったり、「キング・オブ・モンスターズ」で安易に偽オキシジェンデストロイヤーを持ち出したりしたのは愚の骨頂)
もうひとつ。
ローマのコロッセオでグーグー寝るのは大変結構。気を抜いたゴジラを見せることは大事です。
まあしかし、既出の話題ではありますが、なんであんなに好戦的なんでしょうね。
「ファイナル・ウォーズ」のチンピラゴジラを思い出します。
それから、あのエラも要りません。水中で呼吸が出来ることにいちいち説明を付けることなんか無いんです。
ギャレス版での象足をやめることが出来たのですから、エラだってしれっとやめてしまえば良かったのに。
そしてこれまでのレジェンダリー版と同じく姿形も腕をだらりと下げる姿勢もゴジラにはほど遠い。
結局『ゴジラ×コング新たなる帝国』でも本物のゴジラには会えなくて残念です。
Re: ゴジラ×コングのゴジラ - エクセルシオール (男性)
2024/05/11 (Sat) 18:55:10
やっと観てきました。『ゴジラ-1.0』と比べるとはるかに怪獣映画として楽しめる作品だったことは確かですが、一方でゴジラの描写等疑問も感じました。
作品全体を見た場合、ゴジラよりもキングコングの方が主役という感じでしたね。そもそも出番が多いし、絶滅したかと思われた同族と再会したり、ピンチになったり、復活したり、パワーアップしたり。ゴジラと共闘したり、と非常に忙しい。登場したときいきなり虫歯で苦しんでいるというのも笑ってしまいました(虫歯治療も面白かった)。ジアとの友情も含めてストーリー上の存在感が大きい。
一方、ゴジラの方は強いけど何か物足りない。虚弱なマイナスワンゴジラよりはるかにいいですが、どことなく設定が中途半端な感じがします。スキュラやティアマトを惨殺した点も含めて疑問を覚えてしまいました。むしろほかの怪獣を糾合して危機に立ち向かう方が「怪獣王」らしかったのではないか。
ただ、スキュラやティアマトとは前作『ゴジラVSコング』の前日譚である『ゴジラ:ドミニオン』というコミック作品があり、そこで既に交戦状態にあったそうです。しかし、映画しか観ていない人には何のことやら分からない話であり、こういう映画以外の媒体を読む事を前提としたような設定はよろしくないでしょう。
>まあしかし、既出の話題ではありますが、なんであんなに好戦的なんでしょうね。
同感です。アニメ三部作の前日譚である小説『怪獣黙示録』のゴジラの影響を受けている感じがします。
正直、本来は非常におとなしい性格だったシーモをぶち殺すのではないかと心配になりました。
デザインがゴジラっぽくないというのも同意します。その悪影響がマイナスワンゴジラに逆輸入されてしまった観もあります(類似点が多い気がします)。
余談。私が観たのは字幕版でした。吹き替え版の方のエンディング曲が伊福部音楽をアレンジした歌だったと聞きましたが、字幕版のエンドロールで流れる曲は独自のBGMであり伊福部音楽は使われていませんでした。
Re: ゴジラ×コングのゴジラ - 殿様ギドラ (男性) URL
2024/05/12 (Sun) 14:29:53
エクセルシオールさんもご覧になったとのこと、良かったです。
本当にコング中心のストーリーでした。
前作でもコングのほうを細かく描いていたので、さすがに次回作ではゴジラ中心のストーリーを望みます。
そして、コングの虫歯はなかなかおもしろいシーンになりました。
トラッパー登場のためのストーリーかな、という気もしますが、コングを身近に感じさせることが出来たようです。
ココリコ遠藤氏主演の「バスジャック」を思い出したりして。
ただコングに絡むドラマを充実させたことが良いことばかりではなかったように思います。
そのあたりは後日詳述したいと思っています。
スキュラやティアマットとの因縁は知っておきたかったですね。
メディアミックス作品でのストーリー整理の問題を感じます。
今作だけ見れば、ゴジラはただの殺し屋に見えてしまいます。
それこそ小説『怪獣黙示録』のあいつにさも似たりです。
生き物を見ればとにかく殺すなんて、到底ゴジラの気質ではありません。
マイナスワンの監督さんはとにかくハリウッド命みたいで、彼が手掛けたゴジラライド映像のキングギドラもKOM登場のギドラと同じく翼に手がついていてハイハイ歩きをしやがります。(TVCMで見ました)
ゴジラは日本が元祖なのですから日本作品をベースに考えて欲しいものです。
日本語吹き替え版のエンドロールは、英語版エンドロールが全部流れ終わってから吹き替え版のスタッフキャストを紹介するロールタイトルが流れて、そこに吹き替え版用のイメージソングを乗せる形です。
こんな曲です。
Re: ゴジラ×コングのゴジラ - エクセルシオール (男性)
2024/05/12 (Sun) 15:48:54
>日本語吹き替え版のエンドロールは、英語版エンドロールが全部流れ終わってから吹き替え版のスタッフキャストを紹介するロールタイトルが流れて、そこに吹き替え版用のイメージソングを乗せる形です。
歌の情報ありがとうございます。字幕版は英語版エンドロールが終わったところでおしまいだったので、知りませんでした。
しかし、変な歌ですね(正直、個人的には苦手なタイプの歌)。主題歌を作りたいなら別に伊福部音楽をアレンジする必要はなく、独自の歌を作ればよかったのではないでしょうか。この歌と比べると『ゴジラVSスペースゴジラ』のエンディングソングの方がはるかにいいです。
>トラッパー登場のためのストーリー
トラッパーは怪獣の獣医という妙な職業だそうで、正真正銘の変人という感じでした。もっとも「これくらいぶっ飛んでないと怪獣の獣医などつとまらないかも」とも思いましたが。いっそのこと彼が世界中で怪獣の健康診断やら治療やらをしている事を明確にした方がおもしろかったかも。
Re: ゴジラ×コングのゴジラ - なんじぇい (?)
2024/05/16 (Thu) 18:37:44
アダム監督によると次回作はゴジラメインで、コングの物語をゴジラでやると書いているので、ベビーゴジラかミニラが出るのかもしれません。
何となく敵はスペースゴジラのような……(地下に結晶があった上にリトルゴジラを拐ったので)
https://theriver.jp/gxk-sequel-godzilla-idea/
2024/05/14 (Tue) 19:02:28
『ゴジラ×コング』のコングはいつキングコングになるんでしょうね。
『髑髏島の巨神』でも日本版タイトルこそ「キングコング」と表記されていましたが、原題ではコングで、
劇中でもコングとしか呼ばれなかったはずです。
ゴジラと戦うときにはキングコングになるんだろうと思っていたのに、ずーっとコングのままです。
何か次なる展開を考えているのかも知れませんね。
というのは余談です。
さて今回はコングおよびコング族について感じたことを。
冒頭のコングの狩りにはちょっと驚きました。
あんな手の込んだ罠を仕掛けるとは、もはや文明猿です。
巨大な猿という態のコングですから道具を使うことも否定できない面はあります。
私が感じる違和感は、そんなコングが果たしてゴジラと並置されるものなのかというあたりです。
コングもまた野性を感じさせるものであって欲しかったです。
それは今作で登場するコングと同族と思われるほかの巨猿たちも同様で、
子コング(劇中では名前を呼ばれませんが、スーコという名前が設定されている)は計略を使うほどの頭の切れを見せますし、
スカーキングは権勢欲を持つように描かれていて、もはや人間です。
猿の群れにもボスはいるでしょうが、地上進出をもくろむとは、一体どんなメンタルなんでしょう。
コング族を怪獣の枠組みに入れて良いものかどうか迷うところです。
しかし、そんな人間化したコングたちだからこそ、人間不在のシーンにも心理的なドラマを作り出せたのも確かです。
コングとスーコが初めて出会うシーンでの観客の予想をはぐらかすスーコの悪ガキぶりや、その後コングを湖に誘い込んでドラウンヴァイパーに襲わせようとする行動、
それでもコングが食べ物(ドラウンヴァイパーの肉)を分けてくれたことでスーコの態度が軟化する流れは無言劇としておもしろかったです。
それがスカーキングの領地へ入り込んでからは、やり過ぎ感が出てきます。
奴隷のように働かされている配下、コングの義歯を見つけて嘲るスカーキング、スカーキングが武器を構える姿勢、劣勢のスカーキングに加勢しようとする配下を止める仕草・・・。
やっていることが人間と変わりがありません。
監督コメントによると人間の悪をスカーキングに背負わせたようです。
果たしてそれが正しかったのかどうか。
私は怪獣映画での悪は人間が担うべきだと考えています。
野生動物である怪獣には善悪はなく、そんな彼らの陰のない闘争と対比させるように人間側のドラマに悪人が登場するのが理想です。
今作ではコングとゴジラが悪を討つという形になっており、人間と怪獣の対比は出来ていなかったように思います。
陽の怪獣に対して陰の人間という構図があったほうが怪獣映画はより面白くなると考えています。
このあたりは具体的にストーリーを練ってみれば見えてくるものでしょうけれど。
そんなストーリー面とは別に、映像表現でもコングが人間と変わらないように見えています。
以前にも指摘した重力加速度の問題は大きいです。
地下空洞の重力加速度も地上と同等のように扱われていましたから、その加速度を9.8メートル毎秒毎秒とします。
コングの身長はおよそ100メートル。
コングが自分の身長と同じ高さから初速0で飛び降りたとすると、空気抵抗を無視すれば概算で4.5秒かかって着地することになります。
4.5秒って案外長いですよ。
そこで『ゴジラ×コング』での、とくにコング族同士のバトルを思い出しましょう。
かなり激しいアクションがあり、跳んだりはねたり投げたりと落下する場面は多かったと思います。
そんなとき素速さを出したいあまり、落下加速度まで大きくしていたようです。
あれでは巨大なものが組んずほぐれつしているようには見えません。
現行のウルトラシリーズのほうが上出来に思えます。
厳密にシミュレーションする必要はないにせよ、サイズ感を出すためには、「大きなものは(見た目)ゆっくり落ちる」ことが必要です。
似たようなことがセットデザインにも言えます。
地下空洞世界には谷間や崖がたくさん出てきます。
その高さはどうだったでしょう。
地上とは違う成り立ちの表土なのでしょうけれど、コングの背丈より何倍も高い(数百メートル??)崖は当たり前。
そして、初めにスカーキングの手下と戦ったときに、崖から落ちそうになった敵の一人をコングが助けるシーン。(そのあと恩知らずなそいつを蹴落とすのですが)
あの崖なんて、コングたちの背丈より何十倍も高く見えました。(何千メートルもの垂直な崖??)
そんな地形もあり得ないわけではないでしょうが、彼らを大きく見せることを意識していれば、もっと違うデザインにすべきでしょう。
人間そのものや人間の作った建物がないシーンなのですから、我々にもなじみのある地形を作り、そこにコングたち巨大な者を登場させるべきでした。
(十数メートルの崖を一またぎ、みたいな。崖の高さはほかの動物ないし樹木で表現)
地下空洞でのコングはゴリラ程度の大きさにしか見えませんでした。
と、いろいろ不満がありましたが、
コングが完全に人間的なナイスガイではなく、助けた相手が再び襲ってきたならもう知らんと蹴落としたことや、
噛みついたスーコを捕まえてそのまま振り回し、敵の巨猿たちにぶつけまくるところあたりは苛烈さが出ていて良かったです。
もう一個。振り回されて大人巨猿に激突させられたスーコが元気に無傷というのは馬鹿馬鹿しくも怪獣然としていて良し。(目を回しても良かったかも)
Re: コングたち - エクセルシオール (男性)
2024/05/14 (Tue) 22:16:15
>『ゴジラ×コング』のコングはいつキングコングになるんでしょうね。
確かにキングギドラの時もそうでしたが、ゴジラ以外の怪獣に頑なに「キング」という言葉を使うのを拒否している感じがします(なお、スカ―キングは「偽りの王」と明言されている)。しかし、これは非常に不公正な気がします。
もっとも、作品内容を好意的に解釈すれば、スカ―キングを打倒し、シーモからも信頼を勝ち得て、同族から指導者として迎えられた事で「キングコング」になったとも言えるかもしれませんが。
さて、キングコングのゴジラとは異なる強みは類人猿である事もあって人間と意思疎通ができるし、友情だって育めるという点にある事は否定できないでしょう(一部に「コングは残忍で狂暴であるべきだ」という意見もあるようだが、そうなってしまうと何の魅力もないただの凶悪巨大猿である)。観客の感情移入のしやすさや人間ドラマを一部代行できる部分はキングコングのキャラクターとしての強みではあります。
そこで、このコングの特性と怪獣としての性格との間にうまくバランスをとって作る必要があったと思いますが、残念ながら本作品では人間くささが多すぎた感がしたのも事実です。これはストーリーの大部分でコングに頼りすぎた事が一因だと思います。
とはいうものの、私も困難や逆境に次から次へとさらされながら奮戦するコングに心の中でエールを送りながら本作品を観ていたのですが。そして、昔のテレビアニメ『キングコング』の主題歌が脳内にリフレインしてました(この歌です。https://www.youtube.com/watch?v=EjIj6f7Fcv0)。
>コング族を怪獣の枠組みに入れて良いものかどうか迷うところです。
確か作中の伝説では「巨大サルは人間の守護者」という扱いだったので、ゴジラ等他の怪獣とは一線を画する存在であるとも言えます。これをどう評するかは難しいところです。
>地上とは違う成り立ちの表土なのでしょうけれど、コングの背丈より何倍も高い(数百メートル??)崖は当たり前。
これは私も気になりました。コングの設定上の身長から考えると巨大すぎて怪獣が矮小に見えてしまいました。これもやりすぎ感がします。
それにコングとスーコがスカ―キングの居城に向かう時、谷にかかった橋を渡るのですが、その橋が途轍もなく巨大な生物の骨(全長1000メートル以上ある)でした。地下世界にはゴジラやコングをはるかにしのぐ怪獣がいる(少なくともいた)事になります。これは主役怪獣を大したことないように見せてしまったのでまずかったと思います。
2024/05/15 (Wed) 18:20:51
私もレジェンダリーのキングコングをそんなに否定的には捉えていません。
今後もコングとゴジラの二本柱でシリーズを続けるなら、もう少し野性味を出したほうがいいかな、と思う感じです。
コングを残忍で凶暴がいい、と言う人は、多分最初の『キング・コング』にご執心なんでしょうね。
あの映画ではコングが人間をかじったり踏み潰したりするカットがあります。
(ただし、そのカットは初公開時のあと削除されて長年幻のカットでした。近年になって復元されたようです)
人間とのふれあいが無かったコングだからこその演出と思います。
『キング・コング』へのオマージュシーンまである『キングコングの逆襲』であっても、もうキングコングをそんな逆上タイプには描いていませんから、
「残忍・凶暴」がキングコングの個性とは思えません。
まあなんにせよ、人間をかじっちゃった初代キングコングはすでにお亡くなりなので、ほかのコングは別個体です。
アニメ「キングコング」、子供の頃ちょくちょく見ていました。
あの主題歌はインパクト大です。中学の頃にはどこからともなく非常にお下品な替え歌が伝わってきたりして。(キングコングをキングサイズと変更し、歌詞もそれに合わせて・・・)
しっつれいしました。
そうそう、橋になっていた巨大な骨にはびっくりしました。
あれもやり過ぎでしょう。