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ギドラの巣「新」映像作品掲示板

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ゴジラを『原点回帰』したストーリーは? - なんじぇい (?)

2025/08/10 (Sun) 14:03:04

シリーズの最初が人間vsゴジラと少し被る話ではありますが、『ゴジラ(1984)』、『シン・ゴジラ』、『ゴジラ-1.0』は全て「原点回帰した」と制作者側が発言しているので、一体原点回帰をしたらどんなストーリーにすべきなのかとスレッドを立てました。
姿形や出自などは言い尽くされているので、今回はストーリーに絞ると、

・ゴジラは恐怖の象徴とされ、倒すべき壁みたいな扱い
・ゴジラ以外の敵怪獣は出現しない(雑魚としてショッキラスはいますが)
・人間vsゴジラがテーマである
・ゴジラは最後倒されるが、生きてるよみたいな落ちになる

みたいなものがあり、これらは初代ゴジラにも共通すると言える要素であります。
「生きてるよ」という落ちなのは、「あのゴジラが最後の1匹とは思えない」のオマージュで、また東宝が「ゴジラは完全には死なない」という縛りを設けているからと思われます。
84、-1.0も生きていますが、『シン・ゴジラ』も凍ってから第5形態が生えているので、恐らくまだ進化して完全には倒されていないという表現だと考えられます。

上みたいな筋書きにしたら原点回帰だとマニアやオタクも言う傾向にありますが、このような共通点だけで原点回帰したストーリーだと言い張れるのか甚だ疑問です。

果たして「原点回帰」をテーマとした1作目の場合、どのようなものをストーリーの骨子として重視すべきなのでしょうか。
また上の共通点は残すべきなのでしょうか。
皆様のご意見をお聞きしたいです。

Re: ゴジラを『原点回帰』したストーリーは? 殿様ギドラ (男性)  URL

2025/08/11 (Mon) 14:25:50

 今回はストーリーに絞った話ということですね。
『ゴジラ』(1954)のストーリーに何を見ているかが問題です。

 作品全体で考えれば、怪獣ゴジラそのものの魅力だったり特撮映像の驚きだったり映画の原初的な魅力が詰まっていますが、そのあたりの話は除外します。

 ストーリーを簡略に要約すると、
水爆実験で被爆・被災したゴジラが日本近海に現れる。
ゴジラ殲滅のため爆雷攻撃するも効果なく東京湾に入られてしまう。
巨大電気柵や自衛隊の攻撃も効果なしで東京は蹂躙されてしまう。
そんなゴジラの動きと並行して尾形・恵美子の恋愛、芹沢の失恋を描く。
 芹沢のみが持ちうるオキシジェンデストロイヤーがゴジラ対策に有効と推察される。
オキシジェンデストロイヤーを公表したくない芹沢の苦悩。
 ゴジラをオキシジェンデストロイヤーで葬ると同時に自ら死を選ぶ芹沢の悲劇。

 このストーリーから、人間対ゴジラ、そしてゴジラ制圧を描けば原点回帰になるとか、
怪獣同士の闘争を排除すれば原点回帰だなどと考えるのは甚だ浅薄であると言わざるを得ません。

 何をやっても倒せない(殺せない)ゴジラを消滅させるオキシジェンデストロイヤーは、原爆・水爆、さらにその上をいく破壊技術の〝象徴〟たるものです。
ここには、際限なく進歩する科学の危険性を想起させる意図があると感じています。
そして、その使用をためらう芹沢の態度は科学者が持つべき倫理を訴えています。
 これが映画『ゴジラ』のストーリー上の大テーマです。
もうひとつ、怪獣ゴジラが水爆でも死なないというところに、人類が現在持ちうる科学は未だ大自然には勝てないという観念も盛り込んでいます。

 科学と人間の関係を盛り込んでいなければストーリーの原点回帰とは言えません。
科学技術の話を持ち込むだけではダメです。
 科学とは何かと問い、その使い方について問題提起する必要があります。
『ゴジラ』(1954)以外でそのテーマに肉薄したのは『ゴジラvsビオランテ』であろうと思っています。
(『怪獣大戦争』も情報科学や人工知能の危険性を取り扱っていますが、どちらかというと管理社会の問題を描いているように見える)
『シン』は科学用語を誤解したまま並べ立てただけで、あの映画を見て科学の誤用について深く考えさせられたという人がいるなら、相当妄想力豊かですね。

 
 そもそも論で申し訳ないですが、私は『ゴジラ』(1954)を無視してシリーズをリセットするのは害悪だと思っているので、
原点回帰などしなくていいと思っています。
 ゴジラの原点は『ゴジラ』(1954)であり、それは映画史に残る傑作なのですから、下手に再話する必要は無いです。
『ゴジラ』(1954)で初登場した怪獣ゴジラの魅力をどう展開させていくかと考えて欲しいです。
 最悪二代目ゴジラの世界を無いことにしたとしても、〝原点回帰〟などと謳って原点とは別物の薄っぺらな人間賛歌映画を作るのだけはやめて欲しい。

 ちなみに8月18日NHK BSプレミアムシネマで『ゴジラ』(54)を放送します。
ここをお読みの方で、『ゴジラ』の記憶が定かでない方がいらっしゃるなら是非ご覧ください。
そして、世間的な常識になっている反核だの反戦だのという先入観を捨てて、作品が描くものを素直に受け止めてみてください。
とくに怪獣ゴジラがどんな属性を与えられているか、オキシジェンデストロイヤーがどのように作り出され、その装置がどんな描写をされているかに注目して欲しいです。

と、講釈をたれましたが、異論があって当然なのでほかの考えも知りたいです。

初代ゴジラは人間の敵・負・恐怖の象徴なのか? - なんじぇい (?)

2025/08/11 (Mon) 17:12:21

お早い返答ありがとうございます。
1つ気になった点で、初代ゴジラがストーリーで人間の敵・恐怖の象徴・または人間の負の属性みたいな扱いに解釈されることが多く、それはなぜだろうかと調べたら、劇中だけから解釈しても以下のような推論をしている人が多いです。

①作中で直接的に人間だけを狙って白熱光を撃ったように見えるシーンがある

これはパトカーに撃ったものと道路を逃げ惑う群衆に撃ったものです。特に逃げ惑う群衆はその後群衆が悲鳴を上げて倒れて動かない(多分死んでる)ので作中屈指のグロテスクさであり、ここからGMKみたいに人間を狙うゴジラが生まれたと思います。

②「お父ちゃんのそばに行くんだよ」「ちくしょう」みたいなゴジラに幸せを奪われた人のシーンがある
特に大戸島を暴れたものでは単になにもしてないのに殺された人たちみたいな印象を受けて、新吉くんに同情しゴジラを悪と見てしまう人も多いです。
また冒頭の漁船にしても特に攻撃してないのに殺された人みたいな扱いに見ている人もいます。

③籠の鳥のシーン
これは一部の人が言ってたものですが、鳥をハトみたいな平和・愛の象徴を想起し、ゴジラを対比として戦争・恐怖の象徴と思ってしまっているようです。

④尾形のセリフ
「水爆そのものではありませんか」というセリフからそのまま恐怖の象徴と思っている人が多いです。
また山根博士の「あのゴジラが最後の一匹とは思えない」から、ゴジラ=原水爆・恐怖・人間の負の象徴と解釈する人が目立ちます。

⑤出自
ゴジラが200万年前(人類の生まれと同じ)なので、評論家は人間の負の象徴とそのまま解釈してしまっています。

よくあるファンや評論家の「初代ゴジラ=人間の敵・恐怖・負の属性論」の根拠を作中情報だけから出してみましたが、どう思われるでしょうか。

ちなみに「ゴジラとはなんぞや」で検索したらすぐにいきなり大学教授たちの討論で「ゴジラ=負の属性論」みたいなのが出てくるので、そりゃ一般人が調べたらフムフムとそうなるわなと思いました。
https://nishiyama.fpark.tmu.ac.jp/Catastrophe/pg160.html

Re: ゴジラを『原点回帰』したストーリーは? - 海軍大臣 (男性)

2025/08/12 (Tue) 07:28:20

 ゴジラシリーズを語る際によく出て来る「原点回帰」ってワードって、ファン・サイドから発せられたものではなくて田中友幸氏が最初に口にしたのじゃないかと思っています。
 動員力低下を理由に「メカゴジラの逆襲」で一旦終了したゴジラシリーズですけど、同作の製作費は約1億4000万円(製作担当者の記録より)とのことで、他に宣伝費、配給経費を含めても番組原価は3億円内外かと推察されます。一方で動員数97万人、当時の平均入場料750円、配収率を50%と仮定すれば配給収入は3億7000万円オーバーとなり、決して赤字ではなかった筈。
 昭和50年当時は前年の邦画復活の流れから一転して「何を作っても客が入らない」とされていただけに、赤字を出さない定番番組の存在は大きかった筈で、それを敢えて終了させた(チャンピオン祭り自体は更に2年間継続してはいますが)理由は、当時ハリウッドで「キングコング」の大作リメイクが企画されているニュースが流れてきていたことに他なりません。ゴジラの生みの親を自負されていた田中pも当然これに強い刺激を受けていた様子が伺えます。
 このとき田中Pが謳っていた「原点回帰」的な復活ゴジラの構想が胎動を始めた1977年前後は、ちょうどスターウォーズに始まる海外SFブームの余波や国内のSFアニメブームの勃興から、過去作品の回顧的な第三次怪獣ブームがアダルトな世代まで巻き込んで発生していて、そうした「大人びたファン」が求めるゴジラ像のベクトルと、田中Pの企画していたゴジラの「本格的な復活イメージ」とが同一方向を向いていた(錯覚だった部分も大きいのですけど)ことが、殊更ファンの間で「原点回帰」のワードが用いられるようになる原因だったのじゃないかと考えます。
 勿論、現在の至るまで特撮ファンが「原点回帰」の掛け声の本質的な意味合いまで掘り下げて分析しているか否かは別問題なのかもしれませんけれど。
 
 

Re: ゴジラを『原点回帰』したストーリーは? - エクセルシオール (男性)

2025/08/12 (Tue) 22:38:49

 何をもって「原点回帰」というのか、一般論としては意外に難しいものがあります。そもそも「原点」とは何か、「回帰」の定義は何かについて、人によってさまざまな解釈がありうるからです。また、作品によっては最初の作品よりも続編の方が人気を集め評価が高い例もあり(例えば『ルパン三世』のアニメ。一期は不人気で、二期が大人気になった。名作『カリオストロの城』もこの時である)、そのような場合「原点回帰」はかえってまずいという事もあり得ます。

 ゴジラの場合、原点が『ゴジラ』(1954年)であることについてはほぼ異論がないところでしょう(極少数説としては「G作品検討用台本こそ原点」「ラジオドラマこそ起源」という説もあるかもしれないが)。しかし、その内容やテーマのどこを重視するか、どう解釈するかで「原点」の内容が人によって大きく変わる事になります。「これのどこが原点回帰だよ」と思ってしまうような作品が出てくるのは、おそらく製作者がかなり強引な原点解釈をしてしまうためでしょう。また、単なるキャッチコピーとして「原点回帰」という言葉が用いられている場合も少なくありません。

 無論、長期シリーズであまりにも当初の設定とかけ離れた内容になっていた場合などに、軌道修正を図る意図をもって「原点回帰」が持ち出されることもあります。この有用性は確かにあるでしょう。今のゴジラに必要なのはまさにそれです。

 だが、そこでいう「原点回帰」とは、ゴジラの設定を初代準拠のものに戻しそこから大幅に逸脱しないようにする事、あくまで主役がゴジラを含めた怪獣である事、怪獣はあくまで強く基本的に人間に負けることはない事を肝に銘じる事で十分です(パワーアップ等はある程度許容される)。その上で真摯に物語を作っていけばよいのではないでしょうか。

Re:初代ゴジラは人間の敵・負・恐怖の象徴なのか? 殿様ギドラ (男性)  URL

2025/08/14 (Thu) 19:07:21

8月11日のなんじぇいさんのご投稿へのレスです。

 映画の見方感じ方は自由とは言うものの、先入観や個人的な偏向の結果、ゴジラを誤解することまでは看過できないです。

『ゴジラ』(1954)に限定してお話ししますと、
人間の視点とゴジラの視点、両方を意識して鑑賞しないと誤解するのではないでしょうか。
 そんな誤解が発生する原因としては、ゴジラが多義的存在として描かれていることが挙げられます。

 水爆の被爆者でありながら、白熱光(熱線)を発することで、核兵器の象徴と見ることができる。
 野生動物であるにもかかわらず、最新兵器(水爆も含む)でも殺せないため、人類の前に立ちはだかる障壁に見えてしまう。

 そんなところから、映画に何らかの「意味」を読み取ろうとすると、ゴジラに意味づけしたくなり、人間の敵、恐怖の象徴、人間の負の属性を具現化したものといった解釈が生まれてしまうのだと思います。

 ゴジラの白熱光に関しては、確かに核兵器のイメージを取り込もうとする作り手の意図があると思います。
けれども、劇中のゴジラが核兵器と同一視できる存在であるかどうかは冷静に判断すべきです。

 私が繰り返し主張している、ゴジラとは大自然の生命の驚異であり、水爆でも殺せないところに特徴があるのだという解釈は、ストーリー上の役割という意味だけではなく、
怪獣ゴジラそのもののあり方を説明するものです。
 そんなゴジラを一生物として誠実に描いていけば、シチュエーションに応じて人間がゴジラをどう見るかが変わってきます。

 冒頭の船舶襲撃は理由なくゴジラに襲われたとなるでしょうし、人間を狙って熱線を吐いたとなると人間の敵ということにもなります。

 しかし、ここでゴジラの視点を持ち込んで欲しい。
 航行するエンジン付き船舶が海中にどんな音を発しているか。それをゴジラがどう感じるか。
 ゴジラが人間に向けて熱線を発射する前に、人間がゴジラに何をしたか。
ゴジラが理由もなく人間を狙って襲ってくるわけではありません。

 そして、大戸島に上陸したゴジラは熱線を発射しておらず、倒壊した家はゴジラの歩行に巻き込まれただけであり、
その後八幡山の向こうから顔を出したゴジラに人間を攻撃するそぶりはありません。
 東京湾で遊覧船の前に顔を出したときも同様です。
(人間の敵ですか?)

 さらに品川上陸のとき、ゴジラが何を思い、何を目的に行動していたのかは定かでありません。(二回目の上陸も上陸そのものの理由は不明)
ここに野生動物のリアルがあります。怪獣ゴジラの行動すべてに納得のいく説明を付けてしまうと、その行動は人間の発想の枠内に収まってしまいます。
 ゴジラは人間の写像ではありません。(200万年問題に対する私の見解は2017年12月19日投稿「Re: ゴジラはどこまでアレンジ・改変が許されるのか。」に書いてあります。掲示板内検索でキイワード〝200万年〟でヒットします)

 籠の鳥のシーン
 これは極めて感覚的な受け止め方なので、ゴジラと鳥を何かの対比と考えるのか、銀座の特徴的な景色と同時に鳥たちが野生の感性でゴジラに恐怖を感じている様子を見せていると感じるかはそれぞれですね。

 というわけで、ゴジラそのものに何らかの観念を感じるというのは行き過ぎと思いますし、作品そのものからではなく、誰かの感想・批評に感化されているだけではないかと思うのです。
ゴジラ映画に何らかの観念を込めたいなら、ゴジラと人間の関わりを描いていきながら、ストーリー展開に作り手の主張を込めていくことは出来ますし、『ゴジラ』(1954)はそういう作りだったと思います。
 ゴジラ自体が何かの寓意ではないです。だからこそゴジラを使って変幻自在にさまざまなストーリーを作り出すことができるのです。(元祖ゴジラであれば、という但し書きが付きます)

 伊福部先生から教わったストラヴィンスキーの言葉をアレンジします。
「ゴジラはゴジラ以外の何ものも表現しない」

 整理すると、『ゴジラ』(1954)のストーリーにおいて、ゴジラが人間と敵対するシーンがある、ゴジラに恐怖を感じるシーンがある(ゴジラが恐怖の象徴ではない)、劇中に人間の愚行を指摘するシーンがあるということであって、
怪獣ゴジラが何かの観念を背負っているわけではないです。

 補足。
前回投稿の内容を誤解されては困るので付け加えると、私はゴジラ対人間を描くなと言いたいわけではありません。
ゴジラ対人間を見せるシーンは必要ですが、それを主軸にするのは避けた方がいいということです。
それから『ゴジラ』(54)に反核・反戦の意図がないと言いたいのではなく、それに止まらない内容を持っていると思っているのです。

『シン』『-1.0』が原点回帰…… - なんじぇい (?)

2025/08/18 (Mon) 07:29:24

殿様ギドラさん、ありがとうございました。納得できました。

最後に、原点回帰をテーマとした『シン・ゴジラ』や『ゴジラ-1.0』を支持する人や評論家が、何をもって原点回帰したと賛辞しているかを調べて、おおよその主張を出してみました。
といっても上の話題の繰り返しをしたいわけではないので、恐怖の象徴だとか敵怪獣がいないからだとかは無しにしています。

①ゴジラに同情的な視線がある
どうやら上を言う人が多いようです。というのも『シン』『-1.0』もよく見たらゴジラから人間を攻撃することがないような作劇をしているそうです。
確認してみたら、確かにシン・ゴジラはただ歩いてるだけで反撃したのは自衛隊や米軍に攻撃されてからとなっていますし、-1.0では小さい頃に銃で撃たれるまではのそのそ歩いているだけで必ず人間に攻撃されてから反撃しています。
前に出した敬礼の下り(アレがゴジラへの敬礼とは非常に分かりにくいですが)を含めて、ゴジラは人間に攻撃されてからの反撃になってはおり、少なくとも悪そのものではないようにしているようです。
また歩いているシン・ゴジラに地中貫通爆弾を撃ち込まれ絶叫するシーン等では、ただ歩いているだけのゴジラを攻撃し悲鳴を挙げているように演出しており同情的に撮られていると主張する評論家もいました。
といっても、少なくともヤシオリ作戦の結果の撮し方は「人類(日本?)の勝利だ!」に見えますが……

②科学誤用
どうやらシン・ゴジラから科学の誤用を読み込む人は、マキゴロウがシン・ゴジラとその倒し方を作ったことと、「つまりゴジラは、人類の存在を脅かす脅威であり、人類に無限の物理的な可能性を示唆する福音でもある。ということか」という台詞から、科学の誤用と正しい使い方をあれこれ考察したがる人が多いようです。

まあ、上を含めて妄想力豊かだといえるのかもしれませんが、果たしてこれで「原点回帰の要素がある」と言えるのでしょうか。

Re: 『シン』『-1.0』が原点回帰…… 殿様ギドラ (男性)  URL

2025/08/19 (Tue) 18:58:43

 ご紹介いただいた意見について、原点回帰の要素になり得るかどうか、私の見解を一通り書きましたが、
書き上げてから虚しくなったのでその原稿は投稿しません。
 結論を言うと、それらの意見は的外れであり、そんなことで原点回帰だなどと考えるのは『ゴジラ』(54)に対して無理解であることを示すだけです。

 しかし、私の見解が正解なのか。
 私がそれを表明することで、そうかそうかと流される人も出てくるかもしれません。
それは私の本意ではありません。

 常々映画は体験であると書いてきました。
 体験は言語化することも出来ますが、もともと言語で表現されたものではありません。
『ゴジラ』(54)についてなにやら賢しらなことを書く人の意見を見ると、どうも映画の内容を一旦言語化して、言葉の上であれこれこねくり回しているような気がします。
 映画そのものを脳内で想起して考察している人は少ない。
 ゴジラを恐竜が放射線で変異した生物だと考える人は、作品そのものから情報を得ているのではなく、言語化(文章化)された誰かの見解を元にしていることが明らかです。
そんなことでは映画を受け止めたことにならない。

 私からの提案は、とにかく『ゴジラ』(54)を見てください、ということです。
もう一度言います。
 先入観を捨てて、映画が伝えてくることを詳細に体験してください。
人物の表情ひとつひとつ、台詞の言葉ひとつひとつ、ゴジラの振る舞いのひとつひとつを味わってください。
そしてゴジラを己の血肉にしてください。
 その上で『シン・ゴジラ』や『ゴジラ-1.0』に『ゴジラ』(54)と同じ精神を感じるかどうか。

 私もゴジラそして『ゴジラ』(54)について完全に知悉しているとは思っていません。
もちろん必要に応じて自分の意見は言いますが、
「ああ言えばこう言う」式の反対意見はいくらでも出てくるでしょうし、それをモグラたたきのように潰していくのも虚しいです。
 みんなが作品に真摯に向き合えば、結論ありきの強引な意見は出てこないでしょう。

(部分的に似たところがあると言い張っても大枠が違っていては、回帰したなんて認められませんよ)

Re: 『シン』『-1.0』が原点回帰…… - なんじぇい (?)

2025/08/19 (Tue) 22:20:07

確かにおっしゃる通りですね。

原点回帰の定義はエクセルシオールさんがおっしゃったような
>「原点回帰」とは、ゴジラの設定を初代準拠のものに戻しそこから大幅に逸脱しないようにする事、あくまで主役がゴジラを含めた怪獣である事、怪獣はあくまで強く基本的に人間に負けることはない事を肝に銘じる事で十分です

くらいにしてしまった方が、ごちゃごちゃ屁理屈をこねくりまわしてだから原点回帰だとするよりずっといいかもしれません。
ああいう意見は雨後の筍のごとく出てくるので、いちいち全部相手をしたらきりがない気もします。

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