ギドラの巣「新」映像作品掲示板
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ゴジラ映画の主人公について - なんじぇい (?)
2025/09/29 (Mon) 15:05:28
ここの主人公は人間側を指します。
かつて『ゴジラギャラクシーオデッセイ』の海道ミユに関して、殿様ギドラさんが「ゴジラを研究する主人公はダメだ」と言っていたので、倒すのはともかく研究するのは初めて聞いたなあ、と思ったのでスレッドを立ててみました(私はミユは好きではないが不快の領域ではない)。
ゴジラ映画の主人公に関して過去にあった話題はボツになった『ゴジラ対アスカ要塞』に関して、ジャーナリストが興味津々でアスカ要塞を調べて……みたいな初期シナリオで、「またジャーナリスト主人公はゴジラ映画で何度もやられてて芸が無さすぎる」というものがボツの理由の1つだったとは聞いたことがあります。
かといって『マイナスワン』の敷島やアニメゴジラのハルオみたいにゴジラに怨念を抱いて倒すことに執着してる奴が続くのも芸がないと言えるかもしれません。そして見ていていい気分もしません。
ミユがゴジラ討伐を考えておらず片想いしている等も何とかして差別化しようとしたのかとは思っています。
はてさて、ゴジラ映画の主人公で「最低限これくらいはしてくれ、あるいはやめてくれ」というお願いがあるとしたらどんなものでしょうか。
Re: ゴジラ映画の主人公について - エクセルシオール (男性)
2025/09/29 (Mon) 22:07:13
怪獣映画における人間の主人公の作劇上の役割は、物語を進める狂言回し的なもの、そして、観客の代理として最低限度の共感を抱けるようなキャラであることだと考えます。そして真の主役である怪獣を食ってしまうようなキャラでは困ります。その微妙なバランスをとる必要があるでしょう。
ゴジラ映画の歴代主人公を俯瞰すると、小学生(『オール怪獣大進撃』)から総理大臣(『ゴジラ』(1984年)。もっとも新聞記者の牧が主人公だったともいえる)までいろいろいましたが(金庫破り(『南海の大決闘』)とかトレジャーハンター(『ゴジラVSモスラ』)とかアウトローもいた)、少なくともVSシリーズまではゴジラの印象を薄くするような主人公はいなかったように思えます。例えば、『ゴジラ』(1954年)の主人公・尾形はサルベージ会社の社員だし、『ゴジラの逆襲』の主人公・月岡は漁業会社の社員(パイロット)でした。あくまで真の主人公はゴジラという事実は当然の前提だったと思われます。
人間主人公の存在感が許容範囲を超えだしたのはおそらくミレニアムシリーズからです。軍人主人公がやたらと増えたこの時期の主人公にはどうにも出しゃばり感が強くなりました。
そして、ゴジラの設定がどんどん融解していった『シン・ゴジラ』以降になると、完全に人間が名実ともに主人公という状況に変わってしまったと思います。『シン・ゴジラ』『ゴジラ-1.0』と興行的に大成功したので、この傾向は継続しそうな感じがします。
さて、漫画『ゴジラ ギャラクシーオデッセイ』の主人公・海道ミユですが、私は嫌いというわけではありません。ただ、「ゴジラに家族を殺された高校生天才怪獣博士」というキャラ設定は盛りすぎです(高校生という設定など完全に死に設定と化している)。狂言回しとしてならば「天才怪獣博士」だけで十分だったと考えます。
Re: ゴジラ映画の主人公について - 殿様ギドラ (男性) URL
2025/09/30 (Tue) 18:54:47
以下、エクセルシオールさんのご投稿を読む前から書き始めたので、重複する内容もあります。
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私の意見の前提条件として、ゴジラとは元祖ゴジラを指します。
水爆でも死なない不死性を持つ謎の生物で、キャラクターとしての魅力は、巨大であること、人間には負けない強さを持つこと、不死身であること、カッコいいこと、お茶目な面もあること。
それをゴジラと考えます。
では、もう一度手短にゴジラを研究する人物を主人公にすることのリスクを説明します。
謎の生物であることを守るためには科学で解析されてはいけません。
そこにゴジラを研究する人物を主人公にしても、主人公の目論見が失敗することは必定。
これでは面白いストーリーにはならない、という理由でした。
もうひとつ、ゴジラと戦う人物を主人公にするリスクも似たようなものです。
人間には倒されないのがゴジラであれば、主人公は必敗です。
主人公が負けて終わるのでは消化不良感のあるストーリーになるでしょう。
上記二種の主人公を使うリスクにはもう一つあって、人間側の主人公の行動原理がゴジラに依拠してしまうので、物語の軸がゴジラと主人公、という直線的な物になってしまいます。
これではゴジラ出現の社会的な影響の大きさを感じさせることが困難になり、さらに劇中のなにもかもが「ゴジラゴジラゴジラ」になってしまって、息苦しい映画になるでしょう。
それではどんな主人公が適切なのか。
かねてより主張しているように、怪獣映画は社会と怪獣の関わりを描くのが主軸になるので、人間生活の様々な局面を取り込むことが出来ます。
主人公の人物設定にはかなりの自由度があると考えます。
ですから、適切なキャラクターを考えるより、避けるべき人物を考えた方が早道でしょう。
まず第一にあまり空想的な人物はよくないと考えています。
怪獣(ゴジラ)は架空の存在であり現実離れしているので、人間にまで現実離れしたキャラクターが出てくるとゴジラの印象が薄まってしまいます。
(『ファイナル・ウォーズ』あたりにこの失敗を見ることができる)
性格が特徴的(『ニッポン無責任時代』の平均(たいらひとし)ぐらい)という程度ならやりようはあるでしょうが、天才的頭脳の持ち主だの超能力者だの大富豪、果ては宇宙人?などといった人物は避けた方が良さそうです。
次にバックグラウンドが複雑な人物も避けた方がいいでしょう。
社会問題を取り込もうとして、差別だの格差だの社会のひずみを背負ったような人物を主人公にしてしまうと、ストーリーの方向が主人公の葛藤を描くことに注力せざるを得ないのでやはりゴジラが薄まります。
『-1.0』はそれに近いです。
特攻隊くずれを主人公にしてしまい、さらに戦災孤児のシチュエーションまで取り込んでしまったために怪獣抜きで掘り下げるべき要素が重くなっています。
初見時の私の印象では、主人公が復員したあたりからしばらくのところで、もう怪獣なんか出さないで、戦後日本を描く映画になれば良いのに、と思いました。
実際は、主人公のシチュエーションも怪獣も掘り下げられることなく、薄っぺらなドラマになってしまいました。(おそらくその薄さが大衆に受けた)
忌避すべき人物設定はそのぐらいかと思いますが、決して絶対にダメだと考えているわけではありません。
物語創作は複雑系を作り出すことであり、様々な工夫で面白くすることができるはずです。
今回避けるべきと書いた人物設定を使いつつ、かつゴジラの魅力を毀損しないストーリーを作れるかもしれません。
(誰かチャレンジしますか??)
そして、ひとつの提言として、今こそ再びジャーナリストを主人公にしたストーリーを考えてもいいでしょう。
かつてゴジラ映画でジャーナリストが活躍した時代と現代ではジャーナリズムを取り巻く環境が激変しています。
メインはあくまでもゴジラを見せることであっても、裏テーマとして報道のあり方を説くゴジラ映画が出てきてもいいのではないでしょうか。
新聞・テレビ・ラジオとネットメディアの対立を織り込むなんてのもいいんじゃないですか?
あるいは国家権力があからさまに報道に圧力をかけてくる社会とか?
いずれにせよ、ゴジラそのものを改変しなくても千差万別のゴジラ映画は作れます。あ、主人公の話でしたね。