ギドラの巣「新」映像作品掲示板
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シン・ゴジラ 張り子の虎 - 殿様ギドラ (男性)
2016/08/16 (Tue) 19:02:56
さあ、復帰しました。
次に取り上げるのは、シナリオのこと。ストーリーのことでもあります。
特に今回は全体の話をするつもりなので、ストーリーの話だと思っていいです。
『シン・ゴジラ』のストーリーを要約すると、正体不明の怪獣が現れて、それは日本のみならず世界全体にとっての危機なので、
日米が協力して怪獣を動けなくする、(決して殺してはいない)というものですね。
では、そのストーリーを通じて何を描いていたか。
第一に、お役所仕事には時間がかかる、ということ。
ひたすら会議シーンで押しまくります。
劇中でも、手続きが多くて参った、というようなセリフが出てきます。
しかし、どんな省庁がどのように動いて事態に対処しているのかは、あまりよく伝わりません。
それは、演出が悪いから。これは映画演出の話で触れます。
(映画を見た後で資料なんかを読んで理解した、というのでは映画が伝えたことにはなりません)
次に印象に残るのは、アメリカがいろいろと横やりを入れてきた、ということ。
確かにアメリカが出しゃばっている印象は残りましたが、それはちんごじらの情報を独り占めしたい、というレベルの話で、
途中、総理大臣なんかがアメリカに対する不満をこぼすシーンが二カ所ほどありましたが、そのとき、アメリカが何を要求してきたのかは
まったく説明されないので中身がありません。
それでも、最後のちんごじ凍結作戦には米軍にたくさんの志願兵がいる、というセリフ(ここもセリフのみだ!)があって、アメリカ国民は日本に好感情を抱いているのだと主張しています。
その次、少数派こそが正しい、という主張。
冒頭、東京湾の異変が何かを協議している場面では、その前にネット動画をチラ見した主人公が、生物の可能性を訴えるも却下。しかし、主人公は正しかった。
ちんごじ上陸はないだろうと大方が予測する中、変わり者の学者が上陸の可能性を示唆。これも正しい。
少数派を集めたちんごじ対策会(?)の中で、ちんごじらのエネルギー源は何だ、となったときにも、先の女性学者が唱えた原子力説が正しかった、という展開。
(ここは、シナリオ詳細批評で再び触れます)
描き得たのはそのぐらいじゃないでしょうか。
怪獣については状況設定でしかなく、『大怪獣東京に現る』(1998)での怪獣と似たようなものです。
まず、怪獣の行動を丁寧に描くシーンがない。
出現、上陸、変型、という節目を点描するように挿入しているだけです。
怪獣が長く登場するのは自衛隊・米軍が攻撃するときだけで、それは怪獣を描いているのではなく、人間側の攻撃を描いているからです。
また怪獣の出自に関してもほのめかすだけで、何もドラマになっていない。
(『ゴジラ』1954でのゴジラ出現理由を巡る政治家たちの争いを見よ)
失踪した学者がちんごじらの秘密を握っていたらしいけれど、彼がどんな背景を持った人間なのか、まるで明確にしようとしない。
妻が放射線で死んだ(?)、妻を見殺しにした日本を恨んでいた(?)、セリフのみで語られるこの設定もどうやら登場人物は詳細を知っている様子なのに、
観客に伝えようとしないので、まったく空回り。
(もともとのシナリオには描かれていたのかもしれないが、完成作にないのだからカットした理由の如何を問わず、シナリオの不備である)
怪獣は描かれていなかったと言ってよい。
そして、初代ゴジラすらいなかった世界、つまり我々が映画やテレビを通じて知っている怪獣というものがまったくいない世界を使っての社会シミュレーションをやったのでしょうが、
どんな社会を描いたのか。
怪獣というまったく想定外の危機に際して、現行の法律、制度では迅速な対応は出来ない。(当たり前だろっ)
自衛隊の行動も法整備がないので、円滑には動けない。(そりゃそうでしょ、怪獣なんて現実にはいないのだから)
あたかも現実の災害のような体を装ってこのような劇展開を行えば、観客は政府の意思決定がもっと素早ければいいのに、と思うんじゃないでしょうか?
なんでも素早く簡単に決められる社会体制というものはありますよ。
それは独裁制です。
法律をわざわざ作らなくても、有事の際には内閣の一存でなんでも出来るようにしちゃえば簡単よ。
この映画では、素早く簡単に意思決定をすることのリスクを描きません。
なにしろ、劇展開として人類が間違えることを描かないのですから。
実際は、間違いを減らすためにさまざまな手続きを必要にしているとも言えるのですが。
多少の衝突はあれど、主人公が属する集団は常に正しい結論にたどり着き、最後には事態を収束させます。
人間批判の精神がない。
さらには、「この国は大丈夫だ」とかなんとか言わせて、日本国の現状を全肯定。
その社会感覚にはめまいがしました。
まあ、この日本が現状のままでなんら問題がない、と思っている人もいるんでしょうね。
では、なんでこんな映画を作った?
映画にはさまざまな価値があります。
なにも社会批判をやればそれでいいとも思いません。
けれど、行政システムを正面から扱って、政治家も登場させて、その挙げ句の果てが「手続きが面倒くさいね」という誰でも知っている言わずもがなのことを主張しただけですか。
「すぐで半年よかろで二年審議審議で五、六年」
『モスラ対ゴジラ』において、この一言のセリフで示した内容を2時間かけてダラダラと見せられたらたまったもんじゃありません。
それから、災害映画であるのに、被災者の実際を描こうともしない。
避難所が映るけれど、インサートカットでしかなく、被災者のドラマは何もない。
とにかく為政者の活動だけ。
実は社会など描いていない。
この映画をおもしろく感じた人は、ドキュメンタリードラマを見ている感覚だったのではないでしょうか?
やたらこまごまと行政の段取りを見せますから、現実に起こったことの再現(怪獣災害の映像も映画視点ではなく、現実災害のTV報道映像をなぞっているために、体験的ではなくともTVで見た現実の感覚はある)を
見ている感覚になり、まじめで立派な報道番組を見ている気分になったんじゃないでしょうか?
まあ、その感覚を作り出せたのが偉い、と言われてしまえば、ああそうですか、としか言えませんが、それは錯覚ですよ。
ストーリーになにかおもしろさがありましたか?
感情が揺さぶられましたか?
知的興奮がありましたか?
私には何もなかった。
特撮の技術面に感心しただけ。(それはまた別の機会に)
さて、K4さん、まだお読みいただいていると期待して、この場を借りてメッセージを。
『シン・ゴジラ』、アメリカのエージェントが出てくるという話を聞いたとき、胸騒ぎがしました。
K4さんも関わっていた「I作品」に似ていたからです。
完成した『シン・ゴジラ』を見て複雑な思いです。
アメリカは情報を独占しようとする。
上陸しないと思われた怪獣が上陸、変型。
全身からなんらかの放射をして航空機を破壊。
政府は自衛隊出動の理由を捜して苦慮・・・。
K4さん、「I作品」のシナリオをお持ちでしたら、もう一度読み直して見て下さい。
『シン・ゴジラ』と似た要素を含みながらもっと広がりのある内容で、100倍おもしろいですよ。
Re: シン・ゴジラ 張り子の虎 - K4 (男性)
2016/08/19 (Fri) 19:55:36
I作品。撮影には参加できなかったので報告を楽しみにしていたことを思い出します。
あの時のファンの熱量と関連して・・・になるか、作品自体の評価とは離れてしまう話です。
ネット、週刊誌、最近はテレビでもシン・ゴジラを評価する報道、記事、特集が
増えてきました。
作品に対する評価は個々人で違うもので全く構わないと思ってる私ですが、
一度、こういう「空気」が生まれると、批判的な意見が埋もれていったり、下手をすると
その意見は違うという流れが出てきてしまう。
311、原発事故を想記させる、という記事をよく目にしますが、それに右往左往する政府と
それに立ち向かう人を重ねる、なんて書かれてしまったら、演出、作劇の善し悪しではなく
なかなか批判も出来ません。
シン・ゴジラの評価(ネット上の映画評に過ぎませんが)は良くも悪くも、今の時代を
写していると感じています。
ただここに来て、来年、劇場版アニメ作品「GODZILLA」が公開されることが発表されたことで
これらすべてが、東宝の新しいプロデューサーの確信犯だと思うようになりました。
加えてレジェンダリー版ゴジラ(ギャレスは降板しましたが)は今後
2019年「GODZILLA2」(モスラ、ラドン、キングギドラを出すといってた作品)
2020年「GODZILLA VS. KONG」の公開が予定されてます。
つまり2017年、2019年、2020年とスピンオフを含むスターウォーズのように仕掛けてくるわけです。
これから国産、ハリウッド版と様々な作品が出てきて、さらに賛否が出てくることになると思います。
SNSの今の時代は炎上を含め、話題になればなるほどその宣伝効果が大きくなる。
作風の善し悪し以前に、癖のある庵野秀明を監督に迎え、その後に(最近はアニメは詳しくはないけれども)
ここ数年の劇場版名探偵コナンの静野氏、ファイナルファンタジーのCGの瀬下氏、脚本に虚淵氏
という、また癖のある顔ぶれをそろえた。 http://godzilla.jp/news/2459/
そもそも日本版でアニメ?という人、シン・ゴジラを絶賛し続編を希望するような人にとっては、
なんでここでアニメなんてやるの?と言う声も出てくるでしょうし、アニメに詳しい人なら
食いつくのかもしれません。
要はマーケティングの上にSNS拡散等を含めた戦略なのでしょうね。
田中Pはもちろん、富山Pのような自分なりのゴジラに対する愛はない、
ゴジラというブランドをいかに商業的に生かすか。
好意的に言えば、作品は監督以下作り手次第なのでしょう。
ギャレスのゴジラは私は正直、面白くありませんでした。でもゴジラに対する愛は感じるんですよね。
(降板して2以降、どうなるかわかりませんが。)
シン・ゴジラは楽しめたけど、ゴジラ映画として楽しかったかと言われるとYESとは言えないのです。
ひとつの作品で色々と言いたくなる、もしくは色々なゴジラを比較して言いたくなる。
まんまと東宝の戦略に踊らされてるだけですかね・・・
Re: シン・ゴジラ 張り子の虎 - 殿様ギドラ (男性)
2016/08/20 (Sat) 16:55:38
「I作品」、元々のアイディアはHPさん発であり、細かいところも参加していたみなさまと合議制で組み立てていったものではありますが、あのシナリオには私の怪獣映画哲学をめいっぱい詰め込みましたし、劇構成はもちろん、セリフやト書きはすべて私が書いたものですから、途中離脱は断腸の思いでした。
その後製作が続いたという話は聞きませんから、残念な結果になったのでしょう。
あれが15年前ですからねぇ。
それだけに、『シン・ゴジラ』が似たようなアイディアを持ち込みつつ、まるで殺風景な映画に仕上がってしまったことが悔しくてなりません。
という話は、ちょっと別立てにしたほうがいいですね。
『シン・ゴジラ』の妙な高評価は、K4さんがおっしゃるようないわゆる同調圧力が影響している面もあるのでしょうね。
とくにネットの人々は叩かれるのがいやさに、周りの空気に合わせようとしますから・・。
(それから、自分の意見をはっきりさせず、あれもこれも受け入れている風を装って聖人ぶるとか)
で、げげげ。
ゴジラ公式サイトのチェックをさぼっているうちに、そんな発表があったんですね。
なんとも、この動き、K4さんの分析はかなり当たっているように思います。
プロデューサーとなると、市川南さんということになるのかもしれませんが、
なんか、東宝内部のゴジラ戦略会議(ゴジコン)の差し金じゃないかという気もしますね。
アニメの人材か・・・。
『シン・ゴジラ』もそうだけど、アニメの有名人を起用すればアニオタさんが見に来てくれますから。
そして、アニオタさんたちって、とにかく何でも見てくれますから。(違うのかな?)
アニメゴジラのメインスタッフについては私もよく知りません。
「まどか☆マギカ」だけはなんかの賞を取ったというので劇場版を見ていますが、スペクタクルをやれる人材ではないですね。
まー、アニメファンは元気ですから。
特撮博物館でも、特撮の展示より、ナウシカ巨神兵の資料コーナーのほうに人だかりでしたもんね。
いよいよ、新作ゴジラ映画を追いかけるのをやめるとき到来か。
みな、口先では円谷英二はすごかったとか、本多猪四郎は素晴らしいなどと言いながら、その精神、才能に何も学んでいないではないですか。
商売優先もいいけれど、本当に良いものを作れば、目先の利益だけでなく、長期にわたって稼ぐ作品になるのに。
ヒット作がある人間を呼んでくればヒットするだろうというのはマーケティングの考え方。
まずは、プロデュース側が才能を見極める力を持つべきで、ゴジラ映画のなんたるか、どんな才能が必要かを理詰めで考えてみればいいのに。