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ギドラの巣「新」映像作品掲示板

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ただいまゴジラ祭り開催中!
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『決戦起動増殖都市』の私的感想。荒れてます - なんじぇい (?)

2018/05/19 (Sat) 18:08:56

ギドラ様がまだ感想を挙げておられないので、どうしようか迷っていましたが、公開から2日目になりましたので挙げさせていただきます。


単刀直入に言います。
酷過ぎます。私にとってはゴジラ映画断トツのワーストでした。



ゴジラ・アース。
300mの巨大感は画面から全く感じられず、ただただ歩くだけ。怪獣として魅力が全く感じられません。

メカゴジラ。
ネタバレになるので自粛しますが、「どこに面白味があるの?」とだけ。
メカゴジラ特有の、そしてメカ特有の面白ギミックは一切ありません。

ストーリー。
開始1時間にわたり一本調子なおしゃべりばかりで、動きのあるシーンはほぼありません。ゴジラ・アースも出ません。
そしてやっと現れた終盤のアクションシーンが、作戦から何から前作の焼き直しという酷さ。もう何もかも同じです。
ここには開いた口がふさがりませんでした。
しかも、そのわずかなアクションシーンもバンクシーンを多用していました。

音楽。音響。
一切印象的なものはありません。

良かったことと言えば、ゴジラ・アースという怪獣を倒すためには自らも怪獣にならなければならないということだけ。


この映画は観客の予想を裏切ろうとして、期待を裏切ってないでしょうか。本気であのメカゴジラを面白いと思ったのか問いただしたいです。
ストーリーも、アクションシーンも耐えがたいレベルの出来でした。
ゴジラ映画としても、怪獣映画としても、娯楽映画としても私にとっては文句のつけようもない駄作、という評価です。
怪獣映画、ゴジラ映画で観客が求めているのは何か。製作陣はそこを見直すべきだと思いました。


この映画が好きだとおっしゃる方には申し訳ありません。ですが、正直に書けばどうしてもこうなってしまいます。

Re: 『決戦起動増殖都市』の私的感想。荒れてます 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/20 (Sun) 13:19:21

 口火を切っていただきまして、どうもありがとうございます。
 スケジュールを調整して無理矢理初日に見に行ったけれど、もう、何をどう突っ込んで良いやら迷っていました。

 なんじぇいさんのご意見には全く同感です。

 私のスタンスでは、このアニメゴジラシリーズは最初からゴジラ映画ではないので、別枠のゴジラアース映画として考えようとしましたが、
いやはや、そもそも劇映画とはなにか、という根本の話に持って行かないと感想なんか書けません。

 なにかしら意見を書くつもりですが、少々時間がかかりそうです。

 見ている間中、「いつおもしろくなるの?」とスクリーンに問いかけ通しでした。

Re: 『決戦起動増殖都市』の私的感想。荒れてます - なんじぇい (?)

2018/05/20 (Sun) 20:42:31

>もう、何をどう突っ込んで良いやら迷っていました。
>見ている間中、「いつおもしろくなるの?」とスクリーンに問いかけ通しでした。

私もその通りでした。この映画は余りに酷すぎることが多すぎて、見ている間は怒りを通り越して虚無感に襲われていました。
「超絶的につまらない(貧困な語彙力をお許しください)」と思ったのはゴジラ映画ではこれが初めてです。

私はゴジラ映画は怪獣映画の中に含まれ、怪獣映画は娯楽映画の中に含まれると思っていますが、この映画は娯楽映画としても欠陥ばかりです。(怪獣映画、ゴジラ映画としては言わずもがなです)

しかし、不幸中の幸いなことが2つあります。
まず1つ目はこの映画は巷での評価も酷評ばかりなことです。批判は主に「メカゴジラを出せ。こんなものはメカゴジラではない」というものが大半です。
2つ目は興行収入でも凄まじい大コケをしていることです。後にはっきりとしたデータが出てからスレッドを立てますが、前作を遥かに凌ぐほど悲惨な興行成績です。
制作陣はこの映画を作ったことを猛省すべきです。
3作目は見に行くべきかどうか、真剣に悩んでいます。

最後になりますが、怪獣映画を観たければギドラ様が書いておられた『ランペイジ 巨獣大乱闘』をお勧めします。あちらのほうが遥かに怪獣映画として面白みに溢れていました。

星由里子さん 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/18 (Fri) 18:29:42

 訃報を今朝のテレビで知りました。

 言葉もないです。ご冥福をお祈りすることしか出来ません。

Re: 星由里子さん - エクセルシオール (男性)

2018/05/18 (Fri) 21:21:16

 星由里子さんは若大将シリーズのマドンナや、『モスラ対ゴジラ』等のヒロインを演じておられましたね。突然の訃報に驚いております。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

Re: 星由里子さん - ルー等級つつ大臣 (男性)

2018/05/18 (Fri) 23:37:14

私もニュースで知りました。
星さんといえば若大将シリーズでのマドンナ役で有名ですが世界大戦争やモスラ対ゴジラ等でのヒロインでも印象的でした。
ゴジラ映画ではゴジラXメガギラスの科学者役が最後の出演になってしまって残念です・・・
ご冥福をお祈り致します・・・

Re: 星由里子さん - 海軍大臣 (男性)

2018/05/18 (Fri) 23:38:50

 星由里子さんは東宝黄金期での出演作の素晴らしさもさることながら、【ゴジラVSメガギラス】での女性科学者役の、あの毅然とした美しさが印象的でした。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。
 

Re: 星由里子さん - なんじぇい (?)

2018/05/19 (Sat) 17:48:06

星由美子さんは『ゴジラXメガギラス』の吉沢佳乃として、とても印象的な演技をしておられました。
本当に残念です。ご冥福をお祈りします。

レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/01 (Tue) 18:28:40

 迷った挙げ句、結局見てしまいました、『レディ・プレイヤー1』。
ネタバレなしで、簡単に感想を書いてみます。

 受け止め方は人それぞれという前提で、私には高揚感のない凡作と感じられました。
ポップカルチャーという言い方が適切なのかどうかわかりませんが、映画ネタ、アニメネタ、音楽ネタなどなど、
まあオタクネタが山盛りという映画だったわけですが、とにかく出せる物は全部出しました、という感じで、
よくぞやってくれました、という感激にはほど遠いです。

 作品全体の結論は、「ゲームばっかりやってちゃダメよ」というお説教で、新味はないです。
ならば、ゲーム世界に埋没してしまうことの何が危険なのか、なぜそれがいけないのかをもっと掘り下げて欲しかった。
(この映画では、そんなことでは彼女【彼氏】は出来ないよと言っているだけである)

 仮想現実が人間心理に及ぼす影響など、描くべきことはたくさんあっただろうにと残念です。

 それから、劇中の社会体制に関する説明が不足しているので、劇展開のいくつかが腑に落ちないままストーリーが進行していくのも乗れなかった原因です。

 現実世界での動きとゲーム世界での動きを並行して見せていくのは良かったですが、
派手な見せ場はゲーム内でのことなので、どうしても切迫感が薄く、これが高揚感を生まなかった理由ではないかと思いました。
(ゲーマーの方は別の感じ方をするのかもしれない)

 ひとつ非常におもしろいと思ったのは、この映画の主軸を成す仮想世界(オアシス)を作った男(ハリデー)がいわゆるオタクであることが、
オアシスをアニメや特撮、SFのキャラクターのオンパレードにさせていることに対を成すように、主人公がハリデーのオタクであること。
主人公はハリデーオタク度が抜きんでて高く、その能力で謎解きを進めることが出来たという見方も出来ます。オタクの二重構造ですね。
(しかし、最後の謎はハリデーに関する知識とはあまり関係ないけれど)

 考えすぎかも知れませんが、オタク道も中途半端はおよしなさいと言われたような気もします。

 そんなこんながありつつ、私が最も感心したのは、某映画(もういろんな人がネタをばらしているのでしょうけれど、ここではバラしませんぞ)の世界に
登場人物達が入り込むシーンです。ゲーム世界の描写は基本的にCGアニメであって、アニメ映画を見ている感覚になりますが、
この某映画に入るシーンはもっと高度なことをやっていました。
 もとの映画映像にCGを合成していますが、原版のカットとはカメラワークが違うカットになっても、映画内の事物が角度を変えて映ります。
映画フィルムの中に入って移動している感覚です。(うーん、どんな映像なのか、伝わっていますでしょうか)
 これにはびっくりました。現在のCGはここまで進んでいるんですね。

 さて、この映画を見て、四六時中スマホゲームをやっている人々は何を感じるのでしょうか。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) - エクセルシオール (男性)

2018/05/07 (Mon) 21:28:48

 残念ながら私はまだこの映画を観ていないのですが、もうご覧になった管理人さんに一つだけ質問です。

 この映画には様々なキャラが出ているはずですが、ガイガンの姿は確認できましたでしょうか?メカゴジラに関してはガンダムと戦う姿が公開されていたので出演は確実ですが、ガイガンに関してはそこまで目立った登場ではなかったようで、あまり話題になっていません。もしお気づきでしたらどの辺に出ていたか教えていただければ幸いです。

 それにしてもガイガンは名怪獣だったのにいろいろと不遇でした。サイボーグ怪獣と言う斬新な設定、未来的な素晴らしいデザインは大変魅力的であり、人気はあったのですが、予算不足の時代だったので、設定上の力を十分に発揮できなかったと言われています。個人的には額のレーザー砲が発射されるところは見てみたかったですね。ただ、ゴジラとアンギラスを血まみれにしたという別のインパクトはありましたが。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/08 (Tue) 18:40:33

 私もガイガンを使いこなした映画を見てみたいと願う一人でございます。
「ファイナル・ウォーズ」では結局別物にされてしまいましたし・・・。

 そこで、『レディ・プレイヤー1』でのガイガンなんですが・・・。
 見つかりませんでした。
 ただ、画面の隅々まで何らかのネタが隠されているような映画なので、ガイガンは出なかった、とも言えないのです。
 乱戦状態の中に混じっていたのか、いや、ガンダムやメカゴジラ(機龍ではありませんでした)が設定通りの大きさだったことを考えれば、もし、ガイガンがいたならば、やはり巨大だったはずで・・。
 うーん、わかりません。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) - なんじぇい (?)

2018/05/11 (Fri) 17:28:31

私もこの映画を鑑賞しました。結論から書くとまずまず面白かったです。
まあオタクネタが盛りだくさんだったことは素直に楽しめたのですが、私としてはよかったことは作品の小テーマでちょくちょくとインターネットの付き合い方の警笛を鳴らしていたことでした。
一応ネタバレしないように書くと、「パスワードを身の回りに張り付けちゃダメよ」「インターネットの中でうっかり個人情報を喋っちゃダメよ」「仮想世界では美女でも現実ではどうか知らないよ」辺りでしょうか。
この辺りのインターネットに関する付き合い方を、娯楽作品の体は壊さず自然に伝えているのが良かったと思ったところですね。
自然に伝える、というところがスピルバーグの娯楽作品の作り方の上手さのようにも感じられます。


ただ気になったところというと……最初のレースゲームの解決法は、ゲーマーなら誰かは既に試していると思うんですよね。
実際マリオカート等では散々ゲーマーたちによって裏ルートが見つけられているので。
まあそういう細かい突っ込みどころはありつつも、全体としてはよくまとまっていたと思います。

ちなみに、私もガイガンは見つけられませんでした。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/11 (Fri) 18:39:43

 そうそう、冒頭のレースゲームに仕掛けられた細工に関しては私も全く同感です。あれが何年も解けない謎だったなんて・・。
 原作にはないエピソードだそうで、やはりゲームにはあまり詳しくない人がシナリオ化しちゃったかな?
(ギドラの巣をご覧いただければわかることですが、私、グランツーリスモのヘヴィユーザーでした。裏技発見はほとんどやってませんが、◯走は基本です)

 それから、私もネットの作法を伝えるエピソードを入れ込んでいるのはよかったと思いました。「一人でしゃべっているように見えても複数で考えているのかもよ」というエピソードには、自分の体験にも思い当たることがあって、ニヤリ。実際、こいつ、一人じゃねーなと思ったことがありました。あ、私はまるっきり一人の孤独なおじさんです。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) - エクセルシオール (男性)

2018/05/14 (Mon) 21:06:25

 ようやくこの映画を観てみました。私もガイガンは全く見つけられませんでした。正直、本当に出ているのか疑わしくなってきます(最後の大決戦シーンのどこかにいたのだろうが)。少なくともメカゴジラ(デザインはオリジナル)と違ってえらく冷遇されていますね。
 ただ、メカゴジラとガンダムの対決はなかなか面白かったです。なお、原作ではガンダムではなくウルトラマンだったとか。また、同じく原作ではジェットジャガーもチョイ役で出ていたそうです。

 映画全体の感想としては面白くなかったわけではないが、とりたてて優れた作品ともいえないですね。劇中の現実世界は途轍もなく問題のある状況であり(貧困や環境破壊、さらには営利企業に一般市民を強制労働させることが許されている等々)、このままにしてはいけないはずだったのですが、そこの掘り下げは今一つでした。結局、オアシスが民衆の現実逃避を助長しているものであることは否定できず、破壊してしまって民衆を現実に向き合わせるという落ちにすべきだったのではないかとも思ってしまいました。

 続きが作られるかは不明ですが、もし制作するのであればもう少し真面目に作ってほしいですね。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/17 (Thu) 19:05:28

 仮想現実と現実の何が同じで何が違っているのかというあたりの掘り下げが足りないことが私の不満の元だったように思います。
どうやらオアシス内で金を稼ぐことも出来るようだけれど、現実世界での経済活動がどうなっているのか?という疑問が残りました。
 簡単な話、食料の生産や流通は誰がやっているのでしょう。

 映画では誰も彼もオアシスに逃避しているような描き方をしていましたが、全世界の全人類がそんな生活をしているとは思えません。
映画の冒頭で、人類は未解決の問題を放り出してゲームに逃げ込んだ、というような説明が入りますが、民族紛争や宗教対立も放り出したのでしょうか。
どうも、このあたりの世界設定説明の甘さに、作り手の現実認識の甘さが見えるような気がしました。
(おそらく実際はゲームに没入している人々とそうではない人々がいるはずだ)

 悪役として登場する企業IOIは中盤で爆破テロを行いますが、そのくだりを見たときには、この世界のアメリカでは国家権力が弱体化していて、
警察力が失われているのだろうと解釈したのですが、最終的には警察のお出ましとなるストーリー展開にもいささか白けました。
(法治国家の下で大企業がやらかす悪事はもっと巧妙なものではなかろうか)

 と、いろいろ貶してしまいましたが、ハリデーの記録を探る行為を描くことで、
人間はその体験を通じて人格を形成しているのであり、記憶された体験には現実と虚構の区別はなく、実体験もテレビ・映画やゲームでの体験もその人を作っていることには変わりがない、
また記憶こそがその人であるという観念を伝えていたようにも感じました。
(映画のラスト近くで、死んだのか?と問われたハリデーが答えを濁すことにヒントがある)
 それは私が「物語」を大事に思う思想に通じるところでした。

『ゴジラ プロジェクト・メカゴジラ』 - エクセルシオール (男性)

2018/04/30 (Mon) 17:57:58

 アニメ映画『ゴジラ』の前日譚小説第二弾『プロジェクト・メカゴジラ』を読みました。もうすぐ公開の映画二作目と関連する物語が展開されています。
 小説の構造は前作『怪獣黙示録』と同じであり、映画版の主人公ハルオ・サカキの父親アキラ・サカキが怪獣災害に係る様々な人々の意見を録取していくという構成になっています。また、過去の東宝特撮映画を元ネタとする要素が散りばめられている点も前作と同じです。

 この小説はメカゴジラ完成までの人類の必死の時間稼ぎの物語です。しかし、そのために地球連合がやらかしたことはひたすらひどいものでした。異論を徹底的に弾圧し(すぐ反逆罪に問われかねない)、大人の熟練兵を温存するために子どもを兵隊にして捨て石にする、しまいにはゴジラを足止めするためにヒマラヤ山脈を崩壊させる(周囲に住んでいた人は犠牲にされる)。これでは救われる資格がないと言わざるを得ないでしょう。その意味では文明のあり方への批判は含まれていると思います。

 さて、この小説に出てくる怪獣ですが、新たにバトラ、キングシーサー、ガイガン、大コンドル、チタノザウルス、メガヌロン、そしてモスラが登場します。また、大ネズミ(『緯度ゼロ大作戦』)、デストロイア幼体もその存在が匂わされていました。なお、前作で倒されたと思われたマンダですが、「復活した」という一節があります。
 特筆すべきはガイガンであり、異星人に改造されて何度も何度もゴジラと戦わされ、最後には原形すら留めなくなるという哀れな怪獣になっています。「宇宙の殺し屋」的イメージのあったかつてのガイガンを思うと少々釈然としませんが、印象に残る存在にはなっています。

 また、怪獣ではないですが、「妖星ゴラス」も登場します。地球に接近したところをゴジラの最大パワーの熱線で破壊されるのですが、ここまでくるといささかやりすぎとの感も否めません。ただ、この展開は前作及び映画版の最大の疑問点の一つ「どうして外宇宙まで逃げ出す必要があったのか?」を解消するためのものでした。すなわち、ゴジラの熱線が月や火星に届くことを恐れての計画だったそうです。だからって外宇宙まで逃げる必要があるのか疑問がありますが。

 それから「オキシジェンデストロイヤー」が妙な形で出てきます。それは「メカゴジラが起動しなかったことにより人類が絶望するのを防ぐため、ある科学者が流した嘘」と言う形でした。まあ、ストーリーに過度な影響を与えない巧妙なやり方ではありますね。
 
 本作品ではオラティオ号、アラトラム号が旅立った後の物語も少し入っており、アキラはそれをデータとして残しています。そう、彼と妻のハルカ(ハルオの両親)は生きていたのです。ハルオはこの事実を知った時どう行動するのか?一つ映画の興味が増えました。
 その後の地球では「手段を問わずゴジラを倒せ」と叫ぶ「総攻撃派」という勢力がクーデターで実権を握り、ひたすらゴジラに核攻撃を加えて多数の死者を出していきました。総攻撃派は行方不明になっていた轟天号とそのクルーによって倒されますが、もう人類社会はズタズタです。残された都市もゴジラに次々と殲滅され、地球連合最後の拠点にもゴジラが迫ります。残された大人たちはせめて子ども達だけでも逃がそうとします。さんざん子どもを捨て石にしていたことを考えるとやっと社会が正気に戻ったことが示されます。
 人類絶体絶命の状況でようやくモスラが登場。モスラはゴジラを撃退しますが、息の根を止めることはできず、再度の勝利を得る余力もありません。そこでモスラと共に生きてきた怪獣共生派(コスモス)と地球連合の生き残りはモスラの卵を子ども達と共に地球の裏側の日本に送り、新たなモスラの誕生に未来をかけるという選択をします。そして、大人たちは時間を稼ぐためにモスラとともに出撃していくというところで本作はおしまいです。これでなんでモスラの卵が日本にあるのかという説明はつきました。映画への関心を高める効果はあったでしょう。

 本作品は一つのSF小説としてはなかなか面白いと思います(正直、映画より面白い)。いろいろと不満もありますが、一読する価値はありました(値段もそう高くないし)。

 今後の展開ですが、唯一登場していないメジャー怪獣がいます。そうキングギドラです。ここまで影も形もないと、映画版の完結編で出てくる可能性は極めて高いでしょう。というより、キングギドラを共通の敵にしないと話のまとめようがない気もします。

 なお、誤植が少々気になりました(2刷以降は訂正される可能性があるが)。前作ではアマゾン川とナイル川を間違えるという信じられないミスがありましたが、本作品でもグレートウォール作戦(ヒマラヤ山脈を2千発の核弾頭で崩壊させゴジラを足止めする作戦)の際に、使用される核弾頭を「戦術核」と表記している部分と、「戦略核」と表記している部分があり困惑しました(威力が100倍以上違ってくる)。もう少し慎重に校閲を行ってほしいですね。

Re: 『ゴジラ プロジェクト・メカゴジラ』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/01 (Tue) 18:24:36

 非常に丁寧な紹介、解説に大感謝です。
よーし、読んでみるか~。
(子供を大事にするのか否か、というあたり、ゴジラ映画の作り方と対比させていたり、は、しないか・・・)

G2戦略!? - なんじぇい (?)

2018/04/19 (Thu) 13:56:26

「ゴジラで稼ぐ」東宝のG2戦略
http://www.data-max.co.jp/300418_dm1857/

>確実に中期経営目標を達成するために、突破(ブレイクスルー)戦略の1つとして“G2”戦略を掲げる。
>G2戦略とは、“G”ODZILLA(ゴジラ)を軸としたキャラクタービジネスの強化、日本の企画商品の“G”lobal(海外)展開の本格化の頭文字をとったもの。


海軍大臣様がおっしゃった通り、東宝のゴジラ推しは本気であることが明らかになりました。
なんとゴジラを軸とした売り上げ戦略を立てるのだとか。
さらに記事を読むとゴジラのグローバル化を目論んでいるようです。
もしかしたらアニメゴジラの容姿がギャレスゴジラに似ていたのも、ゴジラのグローバル戦略の一環だったのかもしれません。(結果は全然でしたが)

ゴジラをグローバル化させるため、また新たな外国人のゴジラファンを獲得するために必要なものはなんなのでしょう?
私にはトンと見当がつきません。



ただ1つだけ申し上げておくと、『シン・ゴジラ』を世界的に推していくのはやめたほうが良いんじゃないか、と書いておきます。
これは映画の出来云々の話でなくグローバル化に向けた商売としての話で、前にここでも話題に上がった通り、『シン・ゴジラ』は国内ではヒットしたものの、海外では相当にコケてしまっています。
外国人にとって『シン・ゴジラ』は受けなかったというのはどうしても否定しがたい事実です。
『シン・ゴジラ』は売れた日本国内ではプッシュしたほうがいいのかもしれませんが、売れなかった国外で無理にプッシュをする必要は私には感じられません。
そのようなことをするよりは、世界に通用するようにした新作のゴジラ映画を作ったほうがよほど有意義でしょう。

『シン・ゴジラ』の続編を作るような場当たり的なことはしない、と大田圭二氏が語っていたので、この点はほぼ安心しているのですが、一応書かせて貰いました。


じゃあ海外ファンの獲得、ゴジラのグローバル化をするためにどうしたら良いのかに関しては……情けない話ですが私にはまったく思いつきませんでした。

最後になりましたが、ギドラ様の前スレッドの話には全面的に賛成です。
しかしゴジラのグローバル化に関してはまた別個にスレッドを立てたほうが良いのではないかと思い、立てさせていただきました。

Re: G2戦略!? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/20 (Fri) 18:27:32

 うーむ、商売の話は不得意分野なのであまり気の利いたことも思いつきませんが、
ゴジラというのが国際的に知られた怪獣であることは疑いようのない事実です。
(ハリウッドが映画化権を買ったことが十分な証拠でしょう)

 ということは、ゴジラはすでにグローバルなブランドであることを意味します。

 問題は、これから日本発信で世界にゴジラをどうやって売り込んでいくかということなのでしょう。
映画作品としてのゴジラをレジェンダリーに任せっきりにはしないで欲しいですね。
日本のゴジラ映画も世界に向けて作って欲しいところです。

 海外でのゴジラ認知に関するデータを持ち合わせていないので具体的にどうこうとは申せませんが、
映画を作るなら、基本的なところで客の期待を裏切ってはいけないはずです。

 ゴジラに格別に入れ込んでいるわけではないお客さんも納得できる作品作りを目指すのが肝要ではないでしょうか。

 こんなことを言うと、マニア向けでないのなら過去のゴジラを無視しても良いじゃないかと考える人が出てきそうですが、
いやいや、ちょっと待って。
 国際的に有名な怪獣ということは、世界の多くの人がゴジラを知っているということでありまして、
つまりは過去のゴジラを知っているということになるのです。

 それを裏切るべきではない。(エメリッヒ版が不評だったのはゴジラのイメージを壊したからでしょう?)
ギャレス版がまずまず好評だったのは、多くの人がイメージするゴジラ映画に近いものだったからでしょう。
(簡単に言えば、怪獣対決ものだった)

 では日本のゴジラとして何をやるべきか。

 レジェンダリーとは違う、真正ゴジラを世界に見せてやることでしょう。

 で、私としては世界向けとか日本向けとか関係なく、正しいゴジラ映画を作るべし、という結論になります。
しかし、注意しなければならないのは、ヲタクしか理解できないような過去の技術再現だの過去作からの引用だのを売り物にしないこと!
現代の技術を駆使し現代的なテーマを扱い、そこに大衆がよく知っているまさに日本のゴジラを登場させるべきでしょう。
 シリーズの組み立てに関しては先述の通りです。

(というのはあくまでも映画作品の作り方の話で、グッズ展開だの宣伝戦略だのはよくわかりません)

アニメゴジラ予告編 - なんじぇい (?)

2018/04/24 (Tue) 21:47:12

なるほどです。完璧に納得できました。
アニメゴジラが日本でも世界でも鳴かず飛ばずで受けなかったのも、ギドラ様がおっしゃる「日本のゴジラ」とはデザインも設定も違っていたからなのかもしれませんね。

そんなアニメゴジラの第2作目の予告編が公開されましたが……相変わらず主人公が復讐心に囚われた、全く共感できない思考をしているようで早くもげんなりしています。
https://youtu.be/_-SeQD22Csc

まあ、ゴジラ・アースの活躍とハルオの改心に期待といったところでしょうか。

Re: G2戦略!? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/26 (Thu) 19:29:41

 おっと、もう5月の足音が近づいて来ました。
アニメゴジラ第二弾の公開が迫っているってわけですね。

 一作目についてはあまり掘り下げた話もしなかったように思いますが、
まあ、ストーリーが完結していないので仕方ないところだったかも。
 二作目でもまだ終わりではないので、やっぱり結論は出せず、か・・。
予告編を見る限り、ひょっとするとメカゴジラなるものに文明批判を込めるのかも、と予測したりしてます。

 そんな中、アニメゴジラと同日公開の『ランペイジ巨獣大乱闘』のほうがよほど怪獣映画になっているんじゃないのか?
と気になります。(B級感がすごいけど)
http://wwws.warnerbros.co.jp/rampagemovie/

かぐや姫や~い 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/13 (Fri) 18:50:50

 いやー、違ってました。
「快獣ブースカ」第四話‘ブースカ月へ行く’に使われたかぐや姫の歌は映画『かぐや姫』とは関係なかったようです。

「快獣ブースカ」を見直したところ、オープニングに挿入曲のテータがありまして、
作詞 加藤省吾、作曲 海沼実の「かぐや姫」とのことでした。
 ブースカ以外で聞いたことが無かったもので、ひょっとして??と思ったのですが、ネットサーチしてみましたところ、
戦後の作品だったようです。
 それから昭和10年の『かぐや姫』は音楽担当が宮城道雄だったようなので、まあ、関係なかったということですね。

 それでも、映画『かぐや姫』の劇中曲はレコード化されていたようでyoutubeで聞くことが出来ました。
https://www.youtube.com/watch?v=8VYOsbpCBlo

 渋い!渋すぎる曲だぜっ!

Re: かぐや姫や~い - ルー等級つつ大臣 (男性)

2018/04/13 (Fri) 19:10:53

こっちも随分ご無沙汰になってしまったざます。
ミーも早速YouTubeで確認したざますけれど実に渋い曲ざますねぇ。
これがあの円谷英二のかぐや姫の曲だったとは感慨無量ざます。
本当に国内でフィルムが存在してないのでしょうか?
ちょっと気になるざますねぇ・・・

Re: かぐや姫や~い - 海軍大臣 (男性)

2018/04/13 (Fri) 23:15:59

 この映画は製作当初から海外へ売ることを狙っていたようですね。美術とメイクに日本画の大家を起用しているのも、そうした理由らしいのですが、公開当時の評論では、逆にその部分が出しゃばり過ぎていて宜しくない、とか書かれていました。
 映画の内容も全くの新解釈によるもので、普通の人間であるかぐや姫が、嫌な貴族たちの求婚から逃れるために月食に紛れて都を落ち延びるとかいう話だと聞いています。
 しかし前後して同じJOで作られた【百万人の合唱】がフィルムセンターに残っているのに【かぐや姫】のプリントが無いのは納得のいかない話だと思います。

Re: 追記 - 海軍大臣 (男性)

2018/04/13 (Fri) 23:40:52

 前回ちょっと触れましたが、浅野詠子さんの次回作は、美術ルポ『河内大東にモダニズムの異才がいた~彫刻家孟府』(仮題、本の帯=ゴジラ造形者も弟子だった…)だそうです。
早く読みたいなあ。

Re: かぐや姫や~い 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/16 (Mon) 18:45:16

『かぐや姫』、そんなストーリーだったのか!
 市川崑の『竹取物語』は変にSF側へ引っ張ってしまってどうにもモヤモヤした作品でしたが、
さて昭和10年『かぐや姫』は現実的な解釈を行ったということなんですね。

 うーん、ひょっとすると円谷英二はもっとファンタジックにしたくて、リメイクの野望を持っていたのかもしれないなんて、妄想してしまいます。
 ファンタジー映画での円谷特撮映像のキレっぷりはSFや戦争映画での物理法則重視のものとは別次元の美しさがありますから、やっぱり円谷英二のかぐや姫を見たかったですね。
と言いつつ、『かぐや姫』ではどんな映像を作ったのかにも興味津々。
本人が「破天荒なトリック」と言っているのはどんなものだったのか、ああ、ロンドンでもどこでも残っていないのかなぁ。

 利光貞三さんの師匠の本には『かぐや姫』の話は出てくるんでしょうか・・。

Re: かぐや姫や~い - 海軍大臣 (男性)

2018/04/16 (Mon) 23:33:58

>うーん、ひょっとすると円谷英二はもっとファンタジッ クにしたくて、リメイクの野望を持っていたのかもしれ ないなんて、妄想してしまいます。

 とのご意見には私も同感です。
 出典が曖昧なのですが、確か晩年の円谷さんが【かぐや姫】を再映画化する際には、生まれたばかりの小人サイズのかぐや姫が御爺さんの肩に乗って毬つきをする場面を特撮で描きたい、などと云っていた記事を読んだ記憶があります。加えて【地球防衛軍】と同じ時期の東宝のラインナップに八千草薫の主演で【なよたけ】(竹取物語をベースにした戯曲)の映画化が発表されていたことから思いついたのですが、この直前に円谷さんが手掛けた【白夫人の妖恋】って、実は【かぐや姫】を総天然色映画でリメイクするための、一種のテストを兼ねていたんじゃないのでしょうか?
【白夫人の妖恋】でも山口淑子が左卜全の神通力で小人サイズに縮められたりしていますし、仄聞したところ原典の白蛇伝では、クライマックスには大洪水は出てこず、また最後に白蛇の精が土中に封印されてめでたしめでたしとなるので、夫婦揃っての昇天シーンも無いとのことです。つまり、【白夫人の妖恋】の特撮場面のシークエンスはすべて「竹取物語」の見せ場に対応していることになるのです。
 ですから東宝創立25周年記念あたりでこの【かぐや姫】が作られていた可能性のあった訳で、流産に終わってしまったのが、まことに残念でなりません。(その後、30周年記念の時にも話が出たとか出なかったとか聞きますが…)また、

>利光貞三さんの師匠の本には『かぐや姫』の話は出てく るんでしょうか・・。

 とのご質問ですが、筆者の浅野詠子さんは相当細かく調査されているようなので期待大です。
 ただ、やはりお弟子に当たる利光貞三さんに関する情報が余りにも少なくて苦労されているとのお手紙を頂戴しました。偶々私の古い友人が一緒に仕事をされていた方が。むかし利光さんの下で働いていたことがあるとのことなので、何とかお話を伺えないかと苦心しているところでもあります。

Re: かぐや姫や~い 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/18 (Wed) 18:55:29

 ああ、そんなお話を聞くと、あり得たかも知れない作品に思いが至り、胸が苦しくなりますね。

 円谷監督は思い通りの作品を一本でも作ることが出来たのでしょうか・・。
 日本映画の製作体制の中で、才能を完全に出し切った作品はあったのでしょうか。

 円谷英二に十分な時間と予算を与えたら一体どんな映画を作っただろうと夢想します。
円谷監督が果たせなかった夢を引き継いでくれる才能は現れないのでしょうか。
 せめてゴジラぐらいはそれを意識した作品作りをして欲しいものです。
(ストーリー面は別にして映像クオリティを考えると、円谷監督がゴジラを完全にやりきったと言える作品はないと見ています)

 おっと話がそれてしまいました。
浅野詠子さんの著書で『かぐや姫』に関するなんらかの情報が明らかになるといいですね。
もういっそフィルムが出てくれば良いのに・・。『海軍爆撃隊』のように短縮版の発掘でも構いませんから。

『レディ・プレイヤー1』他 - エクセルシオール (男性)

2018/04/13 (Fri) 21:56:40

 もうすぐ公開されるスピルバーグ監督の映画『レディ・プレイヤー1』。仮想現実の世界で世界の命運と巨万の富をかけた冒険が繰り広げられるという映画ですが、様々な有名キャラがカメオ出演していることが話題になっています(例えば公式の予告編ではガンダム(初代)、キングコングなどの姿が確認できる)。
 そして、驚いたことに日本の怪獣からガイガンとメカゴジラ(ただし3式機龍)が出ているのだとか。どうしてゴジラやキングギドラではなかったのかとも思いますが、どこに登場しているのか少々興味深く思っています。
 ただし、これはウィキペディアに上がっている情報であり、出典がはっきりしないため正直どこまで信用できるかは不明です(現在日本で放送中のアニメのキャラクターなどが含まれていたこともあり、今では削除されている)。でも本当であればうれしいですね(特にガイガン。メカゴジラはオリジナルのものの方がよかったが)。

 なお、この映画の原作ではウルトラマンが出ていたそうですが、例のウルトラマン国際権利紛争の余波で映画での登場は断念せざるをえなかったそうです。さっさと和解しておけばこんな結果にはならなかったでしょう(この問題はどちらかが100%正しいことはない)。

 それから、もう一つ。アニメ版ゴジラに関してですが、また前日譚小説が4月末に出版されるそうです。タイトルは『プロジェクト・メカゴジラ』。メカゴジラの建造と起動失敗までが描かれるのだとか。一応読んでみようと思います。

 

 

Re: 『レディ・プレイヤー1』他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/16 (Mon) 18:22:20

『レディ・プレイヤー1』、映画館まで足を運ぶかどうか、ひじょーに迷っています。
 奥深いものになっているのか、派手なだけの薄いものなのか・・・。なんとも判断できません。
 スピルバーグは優秀な演出家だと思っていますが、ときどき変な物を作っちゃいますから・・・。

 公開後の批評などを参考にして考えようかなぁ、と弱気。

 それは、アニメゴジラの書籍第二弾も同じ思いでありまして、エクセルシオールさんの感想待ちってことで保留しちゃおうかな。

(アベンジャーズの新作も方針保留状態。マーベル映画への期待感は下がる一方なもので)

ゴジラのユーモラスさの回復のために(エクセルシオールさん)を受けて 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/09 (Mon) 19:05:47

新スレッド立てます。

 私もチャンピオン祭り時代のゴジラシリーズを見直すことは大事だと思います。

 製作体制(予算の問題も含む)の変化で、決して出来が良いとは言えない作品群ではあったかもしれません。
けれども、ゴジラ(怪獣)が持っていた魅力の大事な部分を強調して子供達に夢を与えることに成功したシリーズではあったでしょう。

 子供が怪獣を好きだったのは、その大きさ、強さに憧れるからでしょう。怖いから好きなのではなくて、怖いけれど好き、というのが怪獣好きの子供たちだったのではないでしょうか。
そんな怪獣が攻撃の対象ではなく、益獣として働いてくれるなら、それはそれで歓迎できるストーリーだったでしょう。

(これを先に実現していたのはガメラだった。大人達に警戒されているガメラも子供には優しく、子供とは心が通じる・・)

 ただ、『対ヘドラ』以降のゴジラは、わかりやすい善玉として演出されすぎたのだろうと思っています。
『対ヘドラ』のときにはまだ人間を批判するような態度も見せたゴジラでしたが、その後どんどん人間にとって都合の良い怪獣になっていきます。
『対メガロ』になると、シートピアの立場のほうが地上人より正当かもしれないのに、ゴジラは地上人の味方をしてしまう・・・。
 子供受けを狙ったポップな演出にも行き過ぎがあったかもしれません。

 そんな行き過ぎに陥らないように注意すれば、悪玉怪獣を懲らしめるゴジラ、というのがあってもいいはずです。
(『三大怪獣地球最大の決戦』での怪獣バトルの構図を参考にすると良いでしょう。ゴジラは決して人間のためとか地球のために戦うことに同意はしていない)

 私自身、『ゴジラ対メガロ』の公開時、ゴジラのあからさまなヒーローっぷりにあきれ、映画全体のスケール感のなさにも幻滅、一度ゴジラ映画に愛想を尽かしました。
似たようながっかり感を味わった人は他にもいたのでしょう。
 その後、特撮誌などでヒーローゴジラを極端に否定する言論が出てきます。

 ひどかったのは、ゴジラは悪役だからいいのだ、という説がまかり通ってしまったこと。そして『三大怪獣~』はゴジラを正義の味方に転身させたダメ映画だという説まで。
そんな流れの中で、1990年代以降、ゴジラ退治ストーリーが蔓延していきました。

 もう一度基本に立ち返りましょう。

 ゴジラ映画はゴジラが倒されるのがおもしろいのですか?
 ゴジラ映画に見いだす楽しみはなんですか?

 そして、ゴジラ以外の怪獣たちもスターであったことを思いだそう!
ラドンやモスラは単独主演でデビューしているので、最初からスターだったということになりますが、
では、キングギドラ単体映画が必要かどうかは議論の余地ありだし、私としても是非ものとは思っていません。(作れと言われれば、ストーリーを案出できると思いますが・・)
 ゴジラと共演しつつ、かつスター怪獣であった者たちがいたことも大事です。

 スター性をどうやって作るかというのは難しい問題ではあります。いくら劇中で重要な役割を与えても観客にとって魅力が無ければスターにはならないでしょう。
それでも、元祖ゴジラシリーズで大事にされていた怪獣がどのように扱われていたかはわかります。
 ゴジラと戦っても殺されなかった怪獣は誰でしょう?(『怪獣総進撃』でのキングギドラはちょっと別枠になります)

 スターは死なせないのがセオリーでしょう。

 1989年以降のゴジラ映画ではどうですか? ゴジラ以外の怪獣達はとにかく殺されてしまいますよね。ゴジラ以外の怪獣にはスター性を見いだしていなかったことがうかがえます。
(キングギドラやラドンの哀れな変貌っぷり・・。メガギラスはちょっとおもしろい怪獣だったのに、やっぱり殺されてしまう。
また、ゴジラから派生した怪獣が多いのも、ゴジラのみをスター扱いしていた証拠であろう)

 そして、怪獣にも仲間意識があることを!
 ゴジラとモスラはそんなに仲良しではないけれど因縁浅からぬ旧知の仲、ラドンとは喧嘩もしたが互いにわかり合っている様子、アンギラスはゴジラの舎弟みたいな・・・。

『FINAL WARS』にはやたらにたくさん怪獣が出てきましたが、その扱いは、ゴジラ・ミニラとそれ以外。ゴジラは目の前に出てくるヤツをただ倒すだけ。
(アニメゴジラの性格はここから来ているのか?)
 結局ゴジラは孤独でした。

 ゴジラをひとりぼっちにしなくてもいいじゃないですか。

Re: VSシリーズの影響を受けたものとしては - なんじぇい (?)

2018/04/10 (Tue) 01:53:01

ギドラ様の意見はよく分かります。特に「スターは死なせないのがセオリーだ」ということには完全に同意します。
ただVSゴジラ以降の影響を大きく受けた私からすれば、スターにさせる気がない新怪獣、またはカマキラスのような既存の怪獣でも明らかに格下のものは爆殺してしまった方がいいのではないか、とも感じてしまうのです。

心情論かもしれませんが、私は怪獣対決に関してはどちらかの完全決着を望む考えです。というのも、引き分けという結末だといまいち消化不良感が残ってしまうというものがありますし、敵怪獣を完全に倒すことで、その怪獣のスター性・怪獣としての強さ・完全決着などがより引き立つということが挙げられます。
また悪者として作り出された怪獣ならば、完全に殺すことで単純明快ですが『悪を滅ぼす』というスカッとした印象を観客に与えます(ここは『必殺仕事人』などに通じる発想だと思います)。
さらに毎回スター怪獣に対する敵怪獣が引き分けや逃げてばかりにするのは、観客に「VSシリーズのような派手な完全決着を見たい」というフラストレーションを与えてしまうのではないでしょうか(実は、私がそうでした)。


断っておきますが、キングギドラやモスラと言った既存のスター怪獣、または新規怪獣でもスターにしようというものは殺すべきだなどとは微塵も思っていません。むしろその逆で、既存の怪獣の原点の発想を壊すことは最もやってはいけない事なのは言うまでもないですし、新規怪獣でもスターにさせるには殺すべきではないでしょう。
しかし、既存の怪獣でも格下のもの、またはスターにさせる気がない新規怪獣は上記の理由で殺してしまった方がよいのではないか、ということです。


最後になりますが、ゴジラをひとりぼっちにするべきではない、という意見には大きく頷かせてもらいました。
ゴジラのユーモラスさに関しても全く同意です。
私としては、二代目ゴジラとVSゴジラの良い部分をミックスしたゴジラ映画が見たいものです。

Re: ゴジラのユーモラスさの回復のために(エクセルシオールさん)を受けて 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/13 (Fri) 18:48:37

 なんじぇいさんのお考えもわかりますよ。
レッチ島の大コンドル、なんてのもおりますし。

 私としては、これから新たなゴジラシリーズを展開するなら、ゴジラの対戦相手を死なせない作劇もありだということを作り手およびファンに思い出して頂ければいいです。
(観客、とくに子供達に対する心理効果だのいろいろ思いつくことはありますが、いまは深入りしません)

 で、ゴジラ(や他の怪獣)のユーモラスな面をどうやって出すのか、ということを少々考えてみました。
そして、そんなに難しく考えなくても、自然な動物の様子を描けばユーモラスな感じ、愛嬌は出てくるのだなと気がつきました。

 広い意味での親しみを感じさせる行動が描けていれば、ユーモラスに感じられるだろうということです。
それは、我々も共感できる感情表現やちょっとした失敗を織り込むことです。

 ラドンがビルの屋上に着地しようとしてよろける瞬間やテレビ塔の鉄骨に自分の尻尾が絡んでいることに気がつかず、そのままひっぱって倒れてきたテレビ塔に驚くゴジラ、
といった怪獣の失敗行動の描写や
ゴジラの熱線に驚いて目をぱちくりさせるキングコング、モスラの糸を吹き付けられたゴジラを見て喜ぶラドン(その逆も)という感情表現にもおかしみを感じるでしょう。

 怪獣を動物としてただそのまま描けば、巧まざるユーモアが生まれてくるのではないかと思った次第です。
それは怪獣をあくまでも一動物として捉えるやり方です。劇中ないし作品コンセプトとして怪獣の存在意義に人間に対するなんらかの役割や意味があるとするとただの動物ではなくなってしまいます。
怪獣にはあまり強く意味を持たせないほうがいいのではないでしょうか。
(作品テーマをストレートに反映させた怪獣、たとえばヘドラ、は特殊な事例と考えたほうがよさそうです)

新たなゴジラシリーズのコンセプトが公開されました - なんじぇい (?)

2018/03/28 (Wed) 14:34:14

『日経エンタテインメント!』の4月号のインタビューで行われた、東宝の映像本部映像事業担当兼同映像事業部長取締役、ゴジラオフィサーの大田圭二氏の発言なので、信憑性は極めて高いです。

『長期で通用する世界観にする』『ゴジラを日本を代表するキャラクターにする』とのこと。

・ゴジラやモスラ、キングギドラなどが1つの世界観を共有する「シェアード・ユニバース」構想があり、場合によってはモスラやキングギドラが主役の映画もあり得る
・モスラがフィーチャーされた年にはモスラを中心に商品化が動いたりする。
・ゴジラのテーマパークをロサンゼルスに作ってもいいかもしれない
・ゴジラの魅力は強さや脅威だけでなく、ユーモラスなところもあるから、もっと多様な側面があってもいいのでは、という考え方になった。そのように商品化も動く
・2021年以降も最低でも2年に1本、できれば1年に1本ゴジラ映画を製作する
・子供たちに刺さるような絵本やアニメも作っていきたい

等々が書かれています。
なお、シン・ゴジラがヒットしたからといって続編を作るような場当たり的なことはせず、長期的なシリーズにすることを強調していました。

読んでて思ったのですが、これギドラ様の意見を参考にしてないでしょうか。(シリーズ物とか、別の怪獣をフィーチャーした年を作るとか)
そしてキングギドラが主役の映画! 私は絶対に見たいですね。

Re: よし! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/28 (Wed) 19:10:22

 素晴らしい情報に感謝します。

 さあ、これからです。
では東宝怪獣世界をどのように構築するのがよいのか、意見を出し合って行きましょう。

 どこかで誰かが読んでくれています。

 まず一案としては、ちょっと前に提案した元祖ゴジラシリーズとvsゴジラシリーズを統合した世界でスタートするのはどうか、というアイディアでございます。

(キングギドラ主役の映画ならストーリー案が十個ぐらい思いつくかも・・)

Re: まずは - なんじぇい (?)

2018/03/28 (Wed) 20:16:14

まずは『日経エンタテインメント!』の4月号を読んでみてからの方がよいと思います。
というのも、東宝のゴジコンの方々が何を第一に考えてマーケティングを展開しているのか等が結構書かれているからです。
また私はあくまで情報の一部を伝えているため、実文を読んでみたらまた印象が変わるところがあるやもしれません。


>元祖ゴジラシリーズとvsゴジラシリーズを統合した世界でスタート
というのは私も賛成ですが、ストーリーががんじならめにならないか、また新規のファンが入っていきづらい環境になってしまわないか、という所に細心の注意が必要だと思います。
旧作を見ているマニア以外お断り、となってしまうのはなんとしても避けなくてはなりません。

またどうも文章を読む限りだと、また1からシリーズを仕切り直すような感じがあったり……

Re: 一足早いエイプリルフール? - 海軍大臣 (男性)

2018/03/28 (Wed) 23:49:18

 前回は真偽の程が不明だったので書きませんでしたが、東宝社内の「ゴジラ押し」には最近、ヴァイアスが掛っているみたいで、それまではナンバーで呼ばれていた社内のミーティングルーム(結構な部屋数がある様です)に、「ラドン・ルーム」だとか「バラゴン・ルーム」といった具合に、自社製怪獣の名前を冠して呼ぶことが決まったみたいです。
 もしかしたら、これも今回雑誌発表された動きと連動しているものなのでしょうか? 果たして、それで良かったのか、悪かったのか、田所博士みたいなセリフが出てきてしまいます。
 それと2021年以降に新作と云うことは、ハリウッド版との絡みもあるでしょうが、東京五輪の翌年になりますから、大任を果たされた何丁目だかの監督が、やはり撮ることになるのでしょうかねえ? ちょっと不安です。

Re: 新たなゴジラシリーズのコンセプトが公開されました 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/02 (Mon) 18:26:50

「日経エンタテインメント!」4月号の当該記事だけ読んでみました。

 おおむね想像通りのお話でした。
いろいろ思うこと、言いたいことはあるけれど、全体としては歓迎できるお話だったと思います。

 とくに、ゴジラの魅力としてユーモラスな面もあることを認めたこととゴジラ以外の怪獣たちにもスター性(主役作品を作るとはそういうことと解釈)を作りだそうと考えているところは
従来とは違う大転換であり、かつての元祖ゴジラシリーズに通じる発想です。

 このところ、VSシリーズの呪縛なのか、ゴジラに対してのイメージは第一に怖いことであり、悪ではないとしても厳めしさが必須のような時代が長く続いていました。
ギャジラにしてもその範疇に納まっていたでしょう。

 ゴジラから愛嬌が失われて幾星霜です。(『~2000ミレニアム』と『×メガギラス』の鈴木健二演出ゴジラにはわずかに愛嬌はあったのだが、続かなかった)
しかし田中友幸氏の名言と伝え聞く「ゴジラは怖いけど可愛い」の思想が復活したのは大変喜ばしいことです。

 また、『ゴジラ2000ミレニアム』公開後にネットチャットを使って、ファンと東宝スタッフが意見交換する機会がありました。
そのとき私が「ゴジラ以外の怪獣、たとえばラドンやキングギドラをスターとして売り出す考えはないのか?」と訊ねたところ、
当時の宣伝部の方は「モスラならイケるだろうが、あとの怪獣では無理だろう」とのお答えでした。

 あれから18年。やっと本来の東宝怪獣シリーズの空気感を取り戻そうとする動きが出てきたことは本当に嬉しいです。

 しかし、もちろん心配はあります。
「シェアード・ユニバース」構想が、ハリウッドのアメコミ映画やレジェンダリー版にヒントを得て考えついているような口ぶりだったのはいただけません。
もともとのゴジラシリーズをじっくり研究すれば気がつくことなのですから。

 ここでもう一度書いておきますと、怪獣映画シリーズで人間側のドラマまでもがっちりと繋いでしまうと、ストーリーのバリエーションを狭めることになるので避けた方がいいです。
繋げておくのは、怪獣が何をしたかと怪獣同士の関係性だけにとどめておくのが得策です。
 いま詳しくは述べませんが、『ゴジラ』から『怪獣総進撃』までの作品(ゴジラが登場しないものも含む)がどのように繋がり、あるいはどのように繋いでいないのか、を分析しましょう。

 それから大田圭二氏は商売としてのゴジラ運用を延々と語っていた印象でした。
それ自体は悪いことではありません。金にならなければ映画なんか作れませんから。
 グッズ展開もいいでしょう、スピンオフのアニメもいいでしょう。

 しかし、根幹たる映画作品のクオリティを第一に考えて欲しい。いまのウルトラシリーズみたいになってはいけない。

 それからこれもいま書いておきましょう。

 幅広い世代をターゲットにしたシリーズを目指すというお話でした。
 ならば、オールドファンを無視してはいけない。ストーリーをすべてリセットして新規シリーズにするのは得策ではありません。
元祖ゴジラもVSゴジラもさらにはミレニアムシリーズも(?)巻き込むような、懐の深い自由度の高いシリーズにすべきです。

 そのための設定とドラマ作りには細心の注意が必要ですが、出来ないことはありません。
これも元祖ゴジラシリーズに学べば可能なことです。

 二代目ゴジラのファンはもう50代から60代でしょう。vsゴジラでも30代から40代ぐらいでしょうか。
新シリーズがまったくの心機一転のものだと、よほどのマニアか若者・子供しか見に行かないでしょう。
 それが、二代目ゴジラの世界もvsゴジラの世界も包み込んでいるような世界なら、まさに三世代を巻き込んだシリーズになるはずです。

 どうかそれを目指して欲しいものです。

 そして、監督にはしっかりした力量のある人材を!(過去にヒット作があるとかじゃなくて! 映画のヒットは監督の力とは限りませんから)
その判断をするためには人事権を持っている人間に高度な映画審美眼が必要なのですが。

 と、まずはざっくり。
新シリーズに望むこと、思うことは今後もっと書くでしょう。
みなさんのご意見も求む。

ゴジラのユーモラスさの回復のために - エクセルシオール (男性)

2018/04/05 (Thu) 23:56:21

 ゴジラのユーモラスな側面を回復させるためには、昭和後期のゴジラ映画の再評価が不可欠だと思います。特に「ヒーローゴジラ」と言われていた東宝チャンピオン祭り時代のゴジラ映画をもう一度積極的に見直す必要があるのではないでしょうか。

 思えば、子ども達のアイドル、ヒーローとしてのゴジラは、ずいぶん長期にわたって批判や冷笑ばかり浴びせられてきました。特にチャンピオン祭り時代のゴジラを罵倒し、嘲笑し、糾弾することが真のゴジラファンの証のようにされてきた感があります。
 しかし、その結果、ゴジラはとにかく凶暴で人類の脅威でなくてはならず、それ以外の要素はゴジラを汚す害悪でしかないという、別方向に極端な風潮を生み出してしまいました。それが、ゴジラ映画を窮屈にしてしまった一因だと思います。

 私自身は強大でかっこいいVSシリーズのゴジラも好きですが、かつての愛嬌のある昭和後期のゴジラも嫌いではありません。当時の作品を観てみるとこれはこれで味がある作品が多いです。

 なお、ゴジラ以外の怪獣を主役にできるかですが、モスラはともかく、キングギドラはちょっと苦しいかもしれません。キングギドラはあくまでゴジラ達地球怪獣の宿敵として設定された怪獣であり、「最強最高の敵役」としてはともかく、主人公と言うのは少し違う気がします(例えばガイガンやメガロ、ヘドラやメカゴジラも名怪獣だが、主役にはなれまい)。
 仮にキングギドラ主役でもその敵役としてゴジラとその仲間は必須だと思います。そうすればギリギリ行けるかもしれません。

 最後に、個人的願いとして東宝にはアンギラスのことも忘れないでほしいですね。いろいろと冷遇されがちなので。もう一度ゴジラとタッグを組んで強敵と戦う姿を見てみたいです。

かぐや姫、倫敦に現わる? - 海軍大臣 (男性)

2018/04/04 (Wed) 23:30:33

 例によって戦前の特撮映画を文献で調べていたところ、ちょっと興味ある話題を見つけました。

 京都のJO時代に円谷英二が撮影した映画【かぐや姫】(昭和10年公開)は、竹内博さんによりますと、国内にはプリントが存在しない幻の作品になるそうです。
ところが、この【かぐや姫】は公開されて1年後の昭和11年秋に英語スーパー付きの再編集版が作られて、イギリスに輸出されているとのことらしいのです。現地で一般公開されたかまでは不明ですが、何でもロンドンのジャパン・ソサエティからの要望があったと聞きます。
 我が国とは違って、映画作品を文化財として実に大切に扱うヨーロッパのことですから、もしかしたらロンドンの街の何処かに幻のフィルムが眠っているなんてことが在りうるかも知れません。誰か奇特な人が探し出してくれないものか、なんて他力本願ながら祈っています。

 また、大戦下のドイツでは【ハワイ・マレー沖海戦】が【ハワイへの道】なる題名で公開されているそうです。同盟国だから当たり前の気もしますが、驚いたのは公開時期で、何と戦局もドン詰りの1944年6月といいますから、連合軍がノルマンディーに上陸した時期に当たります。そんな敗色濃厚な中、プリントを日本から如何やって運び込んだのか不思議でなりません。コトによると、フランケンシュタインの心臓よろしく、Uボートを使って運搬したんじゃないか?などという妄想まで湧いてきてしまいました。
 

Re: かぐや姫、倫敦に現わる? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/05 (Thu) 19:24:51

 嗚呼、ロンドンで見つかるといいですね!(誰か捜して!!)
『かぐや姫』は円谷監督にとってもこだわりがある作品だったはずで、「ウルトラQのおやじ」でも思い出話を語ってますし、
終生の企画として再映画化を望んでいたというのは有名な話ですが、相当本気だったのだと思います。

 うしおそうじさんの著書「夢は大空を駆けめぐる」に一枚だけメイキング写真が載っていますが、
なかなか精巧なミニチュアを使っていたように見えます。
 それから、「快獣ブースカ」でブースカがかぐや姫に憧れちゃうエピソードで使われるかぐや姫の歌って、もとは『かぐや姫』で使われたものじゃないの?なんて疑っているのですが・・。

 しかし、V2ロケットの空襲で失われていたら万事休す(泣)

 ドイツで上映された『ハワイ・マレー沖海戦』にも興味津々。

 あとは『燃ゆる大空』や『海軍爆撃隊』の全長版も誰か捜して!
(ロシアが怪しいと睨んでいる・・。満州から映画フィルムを持ち出してないか?『姿三四郎』のロングバージョンはロシアで見つかったらしいし。ん?前にも同じ事を書いた覚えあり)

Re: かぐや姫、倫敦に現わる? - 海軍大臣 (男性)

2018/04/05 (Thu) 23:34:46

>それから、「快獣ブースカ」でブースカがかぐや姫に憧れ ちゃうエピソードで使われるかぐや姫の歌って、もとは『かぐや姫』で使われたものじゃないの?なんて疑っている のですが・・。

 については盲点でした。確かに検証の必要があると思います。
【かぐや姫】はストーリーや撮影エピソードについても、竹内博さんが『宇宙船』の連載コラムの中で書き残されている程度のことしか判っておらず、私としても大変関心のある作品です。
 つい何年か前に、この作品の特撮パートを担当した政岡憲三の研究本が刊行されたので飛びついて買ったのですが、やはり初期のアニメーション作品の話が中心で、【かぐや姫】には殆ど触れておりませんでした。
 また関西在住の某女性ライターが、この作品のダイナメーション用モデルを製作した浅野孟府(あの利光貞三さんの師匠です)の研究書を執筆しているとの話を聞いたのですが、その後どうなったものか…。

 それと余談になりますが、【新しき土】を撮ったA.ファンク監督は来日直後、日本映画のレベルを確認するために当時の代表的な作品を何本か観ているのですが、そのとき試写された作品の中に、円谷英二の【小唄礫・鳥追お市】も選ばれています。この作品は撮影技術が優れているとされていますから、もしかしたらファンクもその点を評価して円谷を日本側スタッフに加えたのでしょうか? これも気になるところです。

ゴジラのイメージってなんだろう - なんじぇい (?)

2018/03/20 (Tue) 00:57:53

今から書くことは、とても衝撃的なことかもしれません。しかし、とても恐ろしいことでもあります。

私は良く匿名掲示板でゴジラの話をするのですが、どうやらゴジラは元から水爆の影響で変異した存在だという印象を殆どの人が思っているようなのです。
殆どというのは誇張でもなんでもありません。本当に殆どなのです。
その時は最初のものは違うんだよと言って訂正するのですが、あまりに多すぎて悲しくなってきます。

もっと恐ろしいものだと、ミレニアムシリーズや『シン・ゴジラ』の影響か『ゴジラはそれぞれの映画によって千変万化するもの』というイメージを多くの人が抱いているようなのです。(これは4割~5割くらいでしょうか)
そして、その自由度の高さとバリエーションの多さが魅力だと思っている人もまた多かったのです。
そのお陰か、最近はエメリッヒゴジラも再評価されつつあります。


エクセルシオール様の文章でも触れられていましたが、私は『ゴジラには確立されたイメージがある。それを崩してはならない』と考えていました。
しかし、ゴジラは水爆で変異した存在だということが既に今のゴジラでは確立したイメージになってしまっています。
そして、遂にゴジラは1作ごとに設定がころころ変わる存在、というイメージが付着しようとしています。

私はこれを書いている最中、日本語の「ら抜き言葉」を思い出してしまいました。
最初は専門家に日本語の乱れだ、ダメだ、と言われていたら抜き言葉が、皆が使ってしまったがためにいつの間にか黙認されてしまおうとしています。
実は日本語はこういうパターンがかなり多いのです(例えば「うがった見方」など)。

改めてゴジラの話に戻ると、まだ前者の場合は単なる勘違いなのでその都度訂正してしまえば済む話です。
しかし後者はどうでしょうか。
ゴジラが千変万化する自由度の高いもの、というイメージを皆に持たれてしまったら、それを訂正すること、指摘し理解させることは不可能になってしまうかもしれません。
今までにもいった通り、それが確立したイメージになってしまうからです。

何とかしてこの流れを止めるべきだと焦っているのですが、あいにく何も思い付きません。
ただ彼らを説得する方法を思い付かない限り、ゴジラとは作品ごとに設定をいじり倒してもいいというイメージが皆の間についてしまい(既に半数いるのです)、もう取り返しがつかないことになってしまうということは言えると思います。

追記。 - なんじぇい (?)

2018/03/20 (Tue) 10:00:43

特に説得が難しいと感じているのは、ミレニアムシリーズやギャレスゴジラ、シンゴジラ辺りから入った、ゴジラのバリエーションを楽しんでいる人たちのことです。
その人達からすればゴジラがころころ変わるのは当たり前で、また『今度はどんなゴジラなんだろう。わくわく』といった感じで楽しんでいる節があります。
また、ゴジラはその自由度の高さが最大の魅力だと力説している人たちも何人もいました。

これが多数派になりつつある今となっては、『ゴジラのイメージを壊してはいけない』という論法は全く通用しなくなっています。
またそれらの作品に愛着があるのでしょうが、元々のゴジラはこうなんだよ、と諭しても『言いたいことはわかるが、自分はミレニアムシリーズやシンゴジラなどのゴジラのバリエーションを楽しんできたからあまり受け入れられない』
『気持ちはわかるが30年遅すぎる。それならば放射能を食べたりゴジラザウルス云々の改変をしたVSシリーズの際にもっと強く言うべきだった(これは私も少し思ったりします。その時私は生まれてないのですが)』と言われてしまいます。

既にゴジラは放射能を食い、水爆で変異した生物というイメージになってしまっています。
ミレニアムシリーズやシン・ゴジラから入った人達をうまく説得する方法を見付けない限り、今までの日本語やゴジラの傾向などから考えても、ゴジラが作品によって千変万化するものというイメージが皆の間に根付いてしまうのはもう時間の問題だと考えています。

Re: ゴジラのイメージってなんだろう 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/21 (Wed) 17:56:13

 私はそんなに悲観していません。
ちょっと前までは、テレビ雑誌などのマスメディアがゴジラを紹介するとき、「核実験の放射線で恐竜(古生物)が変異したもの」と表現することがほとんどでした。(100%と言って良いぐらい)
 しかし近年は正しい設定を紹介することのほうが多くなってきました。なぜかはわかりませんが、ネット言論の影響は無視できないように思います。

 ゴジラをころころ変えてはいけない、という論を理解できない人がいるのは仕方ありません。彼らは物事の本質を考えるより、すでにある状況を肯定してそれを説明することしか考えていないのです。そんな人を責めるのも難しいことです。なにしろ話題は映画の話であり、お客さんでしかない人が作品の本質論まで考える義務はないのです。

 問題は作り手です。以前黒澤明の言葉として「観客を育てるのは作り手の役目だ」と書きました。創作する頭がない人が作品のあり方を考えるときには、すでにある物を材料にするしかありません。よりよいものを見れば、審美眼も向上します。

 ネット言論にも影響力はあるだろうと見ています。作り手の意識になにかの影響を与えられれば、事態は好転する可能性があるだろうと考えています。
(『ゴジラFINAL WARS』は惜しい作品でした。製作発表では、プロデューサーが「人間の限界を描く作品にする」というようなことをおっしゃっていて、怪獣が人間の上を行くストーリーになることを示唆していました。富山省吾さんはネット言論に目を光らせていた方でした。
しかし、実際は誰の差し金か怪獣を理解しない監督に担当させたために真逆のストーリーになってしまった)

 1984年やVSシリーズの頃、ファンが何もしていなかったわけではありません。
しかし、あの頃はインターネットが無かったのですよ。やれることにも限界がありました。
さらにはゴジラのあり方をころころ変えるなどという事態を予測できた人はいなかったでしょう。
 ゴジラの設定を変えることに異議を唱えた人はいましたし、私自身だって東宝に直接手紙で意見具申したり雑誌に投稿などしていました。意見を聞き入れてもらえたな、と思うこともありました。
 しかし、最終的には作り手が何をやるか、に帰結してしまうのです。

 私にも反省はあります。VSシリーズの頃、今と同様の認識を持ち得ていたかというと心許ないですし、さらにその頃はもっとソフトな態度で臨んでいましたから、思うことすべてを叩きつけることもしていませんでした。
 本格的に本心そのもので書き始めたのはGMK批評のときからです。
 怪獣ゴジラの設定を守ることの大事さを強く訴え始めたのもそのときからでしょう。
 それでもそんなに遅くはなかったと思っています。なぜなら、それ以前のゴジラは初代・二代目の設定か、84および『vsキングギドラ』での設定の二種類しかいなかったからです。

 アメリカのものまで含めるとゴジラの種類は増えてしまいますが、歴史的に考えてゴジラが作品毎にころころ変わったという事実はありませんでした。(ストーリーリセットはまた別の問題)
 問題は『シン・ゴジラ』以後なんです。製作サイドがゴジラについて真剣に考えているのなら、まだ間に合うと考えています。

 日本の理性は死んでいないと期待します。

Re: 1975年春の記憶 - 海軍大臣 (男性)

2018/03/21 (Wed) 18:44:37

 84年の復活以降、基本設定に於けるゴジラの迷走振りは全て作り手側に責任があると感じています。
 そこで思い起こされるのが、第二次怪獣ブームが終焉し、TVのウルトラシリーズが終わりを告げた1975年春のことです。
 【ウルトラマンレオ】が最終回を迎えた日の毎日新聞の夕刊に、このことを評して、
「子供に大人気のオモチャがあった。そのオモチャを大人たちがイジリ廻し、結果としてオモチャが壊れたのだ」
 との大意の文章が掲載されたのを子供心に覚えています。(確か、その記事は後年になって刊行されたムック本にも採録された筈です)
 ギドラ様の云われる通り、これから先が日本のゴジラにとっての踏ん張り時なのだと思います。一ファンとしては、大人たちが大事なオモチャを壊さないことを唯々願うばかりでいます。

すみませんでした - なんじぇい (?)

2018/03/21 (Wed) 22:50:16

>ちょっと前までは、テレビ雑誌などのマスメディアがゴジラを紹介するとき、「核実験の放射線で恐竜(古生物)が変異したもの」と表現することがほとんどでした。
これは全く知りませんでした。そう考えたら、ネットの言論も捨てたものではありませんね。
なんだか少し希望が出てきたような気がします。


私はお詫びをしなくてはなりません。ギドラ様が平成VSシリーズの頃から、そのような活動をしていたとは知りませんでした。
また私の考えが変わったのも、ギドラ様の親切で丁寧な説明があってこそでした。(それまでは『シン・ゴジラ』を大絶賛していました。意見が変わった切っ掛けはあの転載された『シン・ゴジラ絶賛という蒙昧を斬る』でした)
それなのにそれを棚に上げて
>VSシリーズの際にもっと強く言うべきだった(これは私も少し思ったりします
などと書いてしまい後悔してもしきれません。本当に申し訳ございませんでした。


Re: ゴジラのイメージってなんだろう 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/23 (Fri) 18:18:13

>海軍大臣さん

 私がそれほど悲観していないのは事実ですが、それほど楽観もしていなかったりします。
(「レオ」最終回時にそんな記事が出ていたことは知りませんでした。ウルトラに距離を置きすぎだったなぁ)

 商業映画は稼げなければおしまいではありますが、同時に表現作品でもあります。
ゴジラをコントロールしている人々に表現者としての自覚があることを祈ります。
そして、監督だったり脚本だったり、作品の中身を担当する人には、ゴジラ(だけでなくその他の既存創作物)は自分が作ったものではなく、
先人の遺産を借りているだけだという事実を重く受け止めて欲しいものです。

>なんじぇいさん

 私が何をしていたかはほんの一例でしかないです。
私以上に熱心にゴジラファン活動をしていた方々はたくさんいるはずです。
そんな何十年もの積み重ねの中にあるのがゴジラであることをわかっていただければ幸いです。

 ネットの言論もこのごろではすっかり殺伐としてしまった感がありますが、それでも何かを表明することでどこかの誰かに伝わる可能性はありますし、
ゴジラに関わっている人ならネットの意見も捜してみるぐらいのことはやっているでしょう。
 どの意見を拾うのかは作り手任せになってしまいますが、なんでもかんでも肯定するばかりのイエスマンだけを尊重する態度でないことを祈りましょう。

>ゴジコンの皆さんへ(誰なんでしょうね)

 次々と別のゴジラを送り出してもゴジラ人気は上がりませんよ。ファンが分裂するだけです。
いまみなさんがやっていることは、ゴジラに人気があるからと、『空の大怪獣ゴジラ』、宇宙人が持ってきたロボット怪獣ゴジラ、『東洋の神秘大怪獣ゴジラ』、インファント島の守り神ゴジラ、
という塩梅にゴジラのバリエーションを増やそうとしているように見えます。

 私が言いたいことが分かりますよね?

ゴジラのイメージがコロコロ変わる理由って…… - なんじぇい (?)

2018/03/23 (Fri) 22:13:02

そのような熱心な方々が多数おられたのですね……
インターネットがないぶん、昔の方が1人あたりのファンの熱量は大きかったのかもしれませんね。
私としてはまだまだ至らないところばかりです。


ちなみに個人的な考えですが、東宝やゴジコンの方々が様々なゴジラを作り世界観のリセットを繰り返しているのは、ゴジラが人気だからではないように思います。
むしろその逆で、何をどうしたらゴジラ人気を再燃できるか色々試しているからではないでしょうか。
人気が陰り始めたテーマパークが、元々のテーマをかなぐり捨ててあれこれ手を出すようなものです。経営が行き詰まりつつあったユニバーサル・スタジオ・ジャパンが元々のユニバーサル映画のテーマを無視して『エヴァ』や『進撃の巨人』のアトラクションを作っていた時と、今の東宝は酷似しています。(USJはそれが受けたため、その路線を今までずっと継続している)
そして遂に『シン・ゴジラ』がヒットを飛ばしたため、USJと同じくそれにすがっている……と思っているのですがどうでしょうか。

なので悲しいことですが、(きつい書き方になってしまいますが他に思い付かなかったので。私はこんなことを思ってないとはっきり申し上げておきます)ギドラ様のようなご意見は、ゴジコンの方々からすれば『シン・ゴジラがせっかく人気になったのだから水を差すんじゃない!』と思っているのかもしれません……
実際「出来はともかくとしてシン・ゴジラ人気は利用すべきだ」「再びゴジラ映画は皆が見てくれるコンテンツになったのだから、個人的に気に要らなくてもあまりそれに水を差したくない」などと言っているゴジラファンはこれまで何人も見てきました。

Re: ゴジラのイメージってなんだろう 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/27 (Tue) 19:00:42

 ゴジラに人気がないのなら、ゴジラの名称を使う理由もないでしょう。

 背景はどうあれ、私はゴジラのネームバリューだけ利用しようというやり方を批判し続けますし、
看板にゴジラと書いてあればそれでいいという考え方には理がないと言い続けますよ。

全くその通りだと思います - なんじぇい (?)

2018/03/27 (Tue) 19:47:16

題名と同じです。
もしかしたら東宝は機龍シリーズで初期の2代目ゴジラを、そしてFINAL WARSでチャンピョンまつりの2代目ゴジラを作ったつもりなのかもしれませんね。

恐竜・怪鳥の伝説 - エクセルシオール (男性)

2018/03/25 (Sun) 21:40:17

 最近、今では半ばカルト映画扱いのこの特撮映画を観る機会がありました。一体どんなものかと思っていましたが、確かにいろんな意味で「すごい」映画でしたね。正直、予算を7億5千万円もかけたとは思えない。

 内容をざっくり言ってしまうと、富士山近辺の地殻変動によって古代の恐竜プレシオサウルスと怪鳥ランホリンクスが復活し人々を襲うという物語なのですが、彼らを描く特撮がかなりショボい。巨大怪獣ものに関しては東映は東宝や円谷にかなり遅れをとっていたとは思いますが、それにしてももう少し何とかならなかったのかという感じです(人形同士をぶつけ合っているようにしか見えないところがある)。しかも、両者はなぜか森の中で対決します。プレシオサウルスはかつてある程度陸上で行動できるという説が有力だったので、この内容は当時の知見では完全に見当違いとまでは言えません。だが、やはり湖を泳ぎ潜ることもできる首長竜に対して、翼竜が空中から挑むという構図にすべきだったと思います。
 肝心の怪獣描写が首をかしげたくなるものである反面、人間や馬が残酷に殺される描写には妙に凄まじく、力の入れどころを間違っていると思ってしまいました。例えば、湖で女性がプレシオサウルスに襲われて死ぬのですが、その過程がはっきり言って「なぶり殺し」。そのうえ彼女は体を半分食いちぎられた後も、引き上げられる直前まで生きており(ゴムボートにしがみつく時に明らかに手が動いている)、切り口の生々しさも加えてトラウマものでした。

 ストーリー展開もかなり散漫であり、結末も富士山の噴火で主人公たちが周囲を火に囲まれた状況で唐突に終わってしまいます。この映画はいろいろと詰め込み過ぎてわけがわからなくなった感がしました。確かにカルト映画扱いされるのも無理はないです。特撮の問題はまだしも、もっと物語を練り込んで作ってほしかったですね(個人的に一番ひどいと思ったのは、西湖に爆雷攻撃を行う際に、たった20分前に通告する展開。いくら何でも無茶です)。

 なお、この映画の予告編がある意味本編より面白い。「近づく氷河期の恐怖」「君は生き残れるのか」「海外配給40か国決定」等々という大仰なキャッチコピーが連発(ちなみに氷河期云々はは映画の内容とほぼ無関係)。挙句の果てには「マグニチュード100の迫力」と言うのもありました。

 この映画に関しては悪い評判もやむなしと評せざるを得ません。まだ観ていない方は、かなり覚悟を決めて観た方が良いでしょう。ちなみに主演は名優・渡瀬恒彦さんでした。

Re: 常識を疑われるようで困るのですが - 海軍大臣 (男性)

2018/03/25 (Sun) 23:22:23

 実はこの映画、初めて見た時に余りのダメっぷりに呆れ返ったのですが、後年見直してみて、そのダメダメ振りが逆に気に入ってしまっています。
 兎も角、あのヘン過ぎる主題歌の歌詞「愛を込めて、殺し合った~」だとか、シャワーシーンを演じる女性がただのオバサンだとか、殆ど学生の8ミリ映画級の怪獣対決とか、今では愛おしくてなりません。取り分け、脇役で出てくるフォーク歌手の歌う「来たこともない湖に~」などは知らず知らずの内に鼻歌で口ずさんでいることさえあります。
 一体、あの作品の何処が良いのだ?と聞かれてしまうと、まったく返答に窮してしまうのですが、こればかりは業みたいなものと割り切っています。
 でも川谷拓三の義母にあたる女優さん演じる老婆が、湖に潜む「赤い鬼灯みたいな目をした龍」の伝説を語るシーンの雰囲気はなかなか良かったと思います。それとヒロイン役の沢野火子は、たいへん綺麗な女優さんだなと思っていたところ、別の芸名で深作欣二監督の大傑作【資金源強奪】で重要な役を演じていました。こちらの作品は冗談抜きにお勧めです。

Re: 追記 - 海軍大臣 (男性)

2018/03/25 (Sun) 23:38:40

 あと書き忘れましたが、東映の岡田前社長が亡くなった後に、生前の発言や数々のインタビューを纏めた書籍が出ていて、この作品についてとんでもない話が掲載されていました。
 元々、この作品の企画は【ジョーズ】を観た岡田社長の発案だったらしいのですが、1977年正月に行われた社長挨拶の中で、あろうことかこの社長さん、この年の目標の一つとして、「今年のゴールデンウイークの映画興行では、【恐竜怪鳥の伝説】と【ドカベン】の二本立てで、全国の小、中学生を東映の映画館に総動員させるつもりだ!」と仰っているのです。良くも悪くも、こんな感覚の映画経営者が居なくなったことが何だかさみしい気がします。
 ちなみに古生物マニアの方から聞いた話では、プレシオサウルスは恐竜ではなく、またランホリンクスも鳥類ではないそうです。看板に偽りだらけで、こんなところも真に東映らしいと思います。

Re: 恐竜・怪鳥の伝説 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/27 (Tue) 19:02:44

 劇場公開当時、そのあまりのゲテモノ感にまったく見る気にならなかったこの映画、初めて見たのは何年前だったか・・。
その後、あれれ、およそ一年前にHD版で見ているではありませんか。

 とにかく、見ているうちに頭がしびれてくるのが恐ろしいというか、ある種の快感を呼ぶと申しましょうか。
「一体、何を見せたいんだ???」とくらくらするうちに怒濤のエンディングを迎えるという印象です。
悪夢はよく覚えていないのパターンで、断片的な映像は記憶に残っていますが、じゃ、どんな話だったっけ、となるとたった一年前に見ているのにもはや曖昧です。

 間違いなく駄作です。お金払って映画館へ行っていたら、怒髪天を衝いたでしょう。
でも、この70年代邦画の悪あがき感がたまらない。(いや、決して褒めたりしませんよ)

『GODZILLA 決戦起動増殖都市』 - なんじぇい (?)

2018/03/08 (Thu) 02:07:56

続編のアニメゴジラのストーリーが更新されました。
http://godzilla-anime.com/intro/

ゴジラではなく『ゴジラ・アース』表記に統一しているところは好感が持てますが、どうやらエクセルシオール様がおっしゃっていた共存の鍵となるモスラはゴジラ・アースと戦って敗れ去ってしまったようです……

Re: 『GODZILLA 決戦起動増殖都市』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/08 (Thu) 18:00:52

 あ、でも、卵が残っていると書いてありますから、おそらくモスラ幼虫が出てくるんじゃないでしょうか。

 ん、それがニューメカゴジラと共闘ということになると、あれれ、『東京SOS』の焼き直し??
 まあ、そんな単純なことにはならないでしょうけれど、どうなんでしょう、今度のメカゴジラは自律型ロボットにしてくれないんでしょうか??
 だめかなぁ、いまの人は巨大ロボットは人が乗る物と決めてかかっているフシがあるもんなぁ。

Re: 『GODZILLA 決戦起動増殖都市』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/08 (Thu) 18:15:10

 メカゴジラに「自律思考金属体」なる怪しげなものが使われているようなので、結構イケてるロボット怪獣になるかも??

Re: そろそろ情報解禁? - 海軍大臣 (男性)

2018/03/09 (Fri) 20:07:20

>メカゴジラに「自律思考金属体」なる怪しげなものが使われているようなので、結構イケてるロボット怪獣になるかも??

 2月3日の本サイトに伏字で書きましたが、ポスターやチラシに描かれている残骸はブラフで、実は「都市」そのものが「本体」らしいですぞ。(で、でかい…)

どうなるのやら・・・・ - エクセルシオール (男性)

2018/03/09 (Fri) 21:50:55

 公開されたあらすじを検討すると、私の予想はかなり外れたようですね。私は「モスラの庇護のもと怪獣と共存して生きるミアナ達との交流が、ハルオの考え方を良い方向に変えていく」と思っていましたが、ゴジラがミアナ達にとっても敵でしかなければ、物語がそのような方向に動く可能性は低いということになります(全く絶望というわけではないが、あらすじを読む限りではハルオは無反省のように見える)。
 だとすると、スタッフはこの三部作にどのような落ちをつけようとしているのか?いささか見通しが立たなくなりました。こうなってくると地球そのものへの脅威が来襲し、人類とゴジラとモスラは共闘せざるをえなくなるという展開にするしかないかもしれません(一つ切り札となるキャラが残っている。キングギドラである)。

 メカゴジラに関しては身長300メートル、体重10万トンのゴジラに対抗するためには、それと同等以上の大きさが必要なのはわかります。それでも都市自体がメカゴジラという設定は「なんだそりゃ?」と思わずにはいられませんね。
 いっそのこと、アニメという媒体の特性を活かすならば、あの「生頼範義版メカゴジラ」を登場させた方が、かっこよくて良いのではないかと思えてきます。実写化は難しかった3体合体のロボットでしたが、アニメならば簡単でしょう。


Re: 『GODZILLA 決戦起動増殖都市』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/12 (Mon) 18:32:50

 ふう。
>残骸はブラフで、実は「都市」そのものが「本体」らしいですぞ

 やっぱりあんまり怪獣がわかっていないんだなぁ。
そのひっくり返し方って、「怪獣惑星」のラストにも似てますね。
ずーっと主役怪獣だと思わせておいたヤツが雑魚でした、という・・。

 にしても、都市全体がメカゴジラですよ、というのは、怪獣メカゴジラの魅力をどう考えているのか疑問です。
子供が怪獣ごっこするときにどう演じればいいんですか?
 これ、くだらない揶揄じゃないです。怪獣の本質を考えれば、子供に受けるかどうかは大事です。

 要塞アスカにヒントを得たか、はたまた「キングゲイナー」の移動都市か??

Re: やっぱり…… - なんじぇい (?)

2018/03/19 (Mon) 19:52:03

http://godzilla-anime.com/news/
たった今、新ビジュアルが公開されました。
「巨大構造物の中で攻撃を受けている<ゴジラ・アース>」と書かれているため、都市そのものが攻撃してくるようです。
こうなると海軍大臣様がおっしゃっていた、都市そのものがメカゴジラという話の信頼性がますます高まってきました。

さて、背後にいるのはメカゴジラだそうですが……個人的にはもうちょっとメカゴジラ感を出してほしいものです。
メカゴジラなのに、デザインに『ゴジラ』らしさがまるで見えません。

日本的な怪獣映画へのよくある反論4つ - なんじぇい (?)

2018/03/16 (Fri) 20:05:48

私は匿名掲示板でゴジラの話をしていることが多いのですが、そのなかでは日本的な怪獣映画に関して様々な反論がされます。作品による個別的なものもあれば、日本的怪獣映画全般にわたるものも存在します。
主だった反論のなかで、私に答えることができなかったもの4つを載せておきます。

・ゴジラ(ここでは日本的怪獣とします)は科学で倒されないということが前提だそうだが、水爆で倒せない生物など理論上存在しない。どんな物質も数百万度の高熱で蒸発してしまう。
そのような怪獣は非科学的でリアリティがなく、リアリティを出すなら『シン・ゴジラ』のように核で倒せるようにしなければおかしい。(なんかずれてるなあ、と思いましたがそのときは思い付きませんでした)


・怪獣の改変や過度なアレンジはいけないというが、それは製作者が今現在に生きていたらということを考えていない。
円谷監督は新しい物好きだったと聞く。年月が過ぎれば新たなアレンジや改変を受け入れた可能性を考慮すべきだ。(大抵老害という言葉がセットでついてきます。私は学生なのですが……)

・『ゴジラ』は怪獣の倒し方という観点から見ればつまらない映画だ。都合よく海底でじっとしているゴジラをオキシジェンデストロイヤーで消滅させるだけで紆余曲折もない。オキシジェンデストロイヤーが出ているのに山根博士たちが乗っている船に効果がないのは特にご都合主義。
最近の怪獣映画の怪獣退治のご都合主義を批判するならこれも批判しなければおかしい。(この反論は最初されたとき驚きました)

・文明が野生の怪獣に負ける物語を称賛するなど悪趣味。その野生の怪獣に罪のない人々が大勢殺されていることを考慮しているのか。怪獣側の肩を持ちすぎている。(一理あると思ってしまいました)

大体この4つに絞られます。(最初と最後は特に多いです)
答えられるものだけで結構です。これらの反論に対して適切な回答があればお願いします。


最後ですが、私の質問や突っ込みに対し理路整然とお答えくださる皆様には本当に頭が下がります。
特にギドラ様はツイッターなどをやってご自身の主張を広めた方がいいのではと思ってしまいます。もしくは本をお書きになればと…
そうでもしないと、この流れは変わらないと思います。

ご迷惑だと思いますので…… - なんじぇい (?)

2018/03/16 (Fri) 20:39:40

あまりに質問ばかりするのもご迷惑だと思いますので、今回の質問を最後にしばらく質問はないとはっきり断言しておきます。
まあ、いろいろ聞きたいことを全て聞いてしまったというのもあるんですが。

しかし、どこもかしこも新旧ファンがゴジラでの殴り合いを続けている現状は、本当に嘆かわしくなります。
私にはそれほど頭が良くないので、その争いを止めることができないふがいなさを感じています。

Re: 日本的な怪獣映画へのよくある反論4つ - 海軍大臣 (男性)

2018/03/17 (Sat) 01:32:05

  なんじぇい様のご質問の順番とはちょうど逆並びの受け答えになってしまいますが、私の勝手な言い分を書かせていただきます。

>文明が野生の怪獣に負ける物語を称賛するなど悪趣味。

 に関しましては、もともとゴジラは「G作品」として企画された時点で、「核の力を弄んだ人類文明が自然界からの報復を受ける」という明確な主題の下に作られているのですから、人類社会に悪を為す異形の怪物どもを容赦なく駆除していく【エイリアン2】や【スターシップトゥルーパーズ】とは氏素性がまるっきり異なっています。作品内容の好き嫌いは個人の自由ですが、上記の意見は何だかテーマそのものを理解していない妄言ではないかと思われてなりません。

>『ゴジラ』は怪獣の倒し方という観点から見ればつまらない映画だ。

 につきましては以前少し書きましたが、あのシークエンスは呉爾羅という「荒ぶる神」を鎮めるための宗教的儀礼「神送り」の暗喩であって、そのための人柱として捧げられるのが芹沢大助という「片目の供犠」なのだと思います。(確かにこの辺りは、民俗的基盤の薄い昨今の方たちには今一つピンと来ないかも知れません)
 ちなみにキングコングは、フレーザーの纏めた『金枝編』に書かれている「王殺し」の儀礼が主題として見え隠れしているようです。これは次世代を担う若者が年老いた王を殺害することで世界を活性化させる、というヨーロッパに広く伝わる伝説をベースにしており、地球の新たな支配者たる人類に倒される前世紀の怪物の呼び名に「キング」が冠されているのは、ここから採られているのだと推察されます。

>怪獣の改変や過度なアレンジはいけないというが、それは製作者が今現在に生きていたらということを考えていない。

 ウルトラにしろゴジラにしろ、オリジンである「アーケスタイプ」を徹底的にイジりまわし、改変を繰り返すのは、そうした過去に大きな実績を持つの人気キャラクターに依拠せねば作品作りが出来ない現今のクリエーターたちの力量の無さを示すものです。新たな人気キャラクターの創造を諦めてしまった企業なり作り手なりに問題があるのであって、そこに円谷さんの名前を持ち出すこと自体が不遜な気がしてなりません。
 確かに「新しもの好き」の円谷さんは、ゴジラをもっと俊敏に動かしたい意向を持たれておりましたが、それとてシラスをカラスと言いくるめるような昨今の改変とは別物の筈です。円谷さんご自身、ゴジラは6作品撮った時点で飽きてしまい、後進の有川さんに譲られておりますが、マンネリを感じた時点で「核物質を吸収する」とか「怨霊の塊り」だとか「口が裂けて尻尾から光線を打つ」だとかいったキャラそのものの改変は一切試みていないことを考慮しべきです。

>水爆で倒せない生物など理論上存在しない。どんな物質も数百万度の高熱で蒸発してしまう。

 につきましては、確かにゴジラ対策を尋ねられた山根博士が「水爆の洗礼を受けながらも」といった台詞を吐いておりますが、博士がゴジラの生命原理に興味津々である点から見て、この洗礼という言葉は核爆発の直撃であるよりも、むしろ初期放射線やダウンフォールによる被曝を意味しているように受け取られます。
 後の【キングコング対ゴジラ】や【三大怪獣 地球最大の決戦】などでゴジラに対して核兵器の使用が示唆される場面があるのは、やはり作品世界の中でも原水爆の直撃であるならば「効果あり」と認識している顕われであり、それでも行政が核兵器使用を選択しない良識や道義が描かれているのが昨今の作品と大きく異なる点でしょう。
 
 以上、例によって取り留めのない話になってしまいましたが、私の見解は以上の通りです。
 

Re:訂正 - 海軍大臣 (男性)

2018/03/17 (Sat) 08:36:27

☓ダウンフォール→〇フォールアウト

私の意見 - エクセルシオール (男性)

2018/03/17 (Sat) 20:40:03

 以下に私の見解を述べさせていただきます。


>水爆で倒せない生物など理論上存在しない。どんな物質も数百万度の高熱で蒸発してしまう。
そのような怪獣は非科学的でリアリティがなく、リアリティを出すなら『シン・ゴジラ』のように核で倒せるようにしなければおかしい。

 怪獣とはもともと超常の存在である。ゆえに水爆で倒せないとしても、何の問題もない。それをリアリティがないと批判するのは筋違いである。第一、リアリティを追求するのならビームを出したりするシン・ゴジラだって立派にリアリティがないことになるはずである。
 それに創作物における「リアリティ」は、物語の作風や内容にもよるが、ストーリー上のもっともらしさがあれば充たされる。また、作品のテーマや理念、面白さ等との兼ね合いの上で追求されるものである。


>怪獣の改変や過度なアレンジはいけないというが、それは製作者が今現在に生きていたらということを考えていない。
円谷監督は新しい物好きだったと聞く。年月が過ぎれば新たなアレンジや改変を受け入れた可能性を考慮すべきだ。

 キャラクターも「生きもの」である以上、改変やアレンジが全く許されないとは言えない。しかし、ものには限度がある。何でもかんでも改変してよいというのであれば、もはやそのキャラクター(ゴジラやウルトラマン等)とは言えなくなるであろう。それならば新しい名前のキャラを創るべきである。
 なお、例外的に劇的大改変が許されるのは明白にパロディであると分かる場合等である(例えば『すすめ!ゴジランド』)。なぜなら元ネタとは異なる換骨奪胎されたものであることが誰の目にも分かるからである。


>『ゴジラ』は怪獣の倒し方という観点から見ればつまらない映画だ。都合よく海底でじっとしているゴジラをオキシジェンデストロイヤーで消滅させるだけで紆余曲折もない。オキシジェンデストロイヤーが出ているのに山根博士たちが乗っている船に効果がないのは特にご都合主義。
最近の怪獣映画の怪獣退治のご都合主義を批判するならこれも批判しなければおかしい。

 紆余曲折はオキシジェンデストロイヤーの使用までに十分示されている。重要なのはゴジラを倒せるか否かではなく、水爆以上の悪魔の技術を世に放ってしまうか否かである。そのために芹沢博士は悩んでいたのである。また、実際に使用する時も、芹沢は同行した尾形を送り返し、自分はオキシジェンデストロイヤーの秘密を葬り去るために自害してしまった。これのどこがつまらないのか。
 また、『ゴジラ』(1954)におけるオキシジェンデストロイヤーは水中酸素破壊剤である。将来はともかくあの時点では水中外にいる無生物にはさしたるダメージを与えるものではなかったと解釈できる。『ゴジラVSデストロイア』でデストロイアが出していたオキシジェンデストロイヤー・レイは、確かに場所を問わない威力があったが、それは怪獣の超能力となったためと解釈できるだろう。


>文明が野生の怪獣に負ける物語を称賛するなど悪趣味。その野生の怪獣に罪のない人々が大勢殺されていることを考慮しているのか。怪獣側の肩を持ちすぎている。

 一理はある。しかし、これは作品の内容やテーマによって左右されることであり、一般化はできない。特に野生の怪獣となると、人間社会によって住処を追われて現れることも少なくない。ならば、その怪獣をただ単純にやっつけて万歳万歳することには躊躇を覚えるであろう。
 また、怪獣は人間の愚かさを戒め反省を迫るためのキャラクターであることもある。その場合は人間が勝ってしまったら、その役割を果たせなくなる危険性がある。
 
 以上が私の考えた回答です。参考になれば幸いです。

たくさんのご投稿感謝します - なんじぇい (?)

2018/03/17 (Sat) 22:14:28

皆様の投稿を読ませていただきました。
海軍大臣様とエクセルシオール様の回答が、それぞれ結構違うのが興味深いですね。

一番頷かせてもらったのは、エクセルシオール様の
>紆余曲折はオキシジェンデストロイヤーの使用までに十分示されている。重要なのはゴジラを倒せるか否かではなく、水爆以上の悪魔の技術を世に放ってしまうか否かである。

でした。ドラマ面では全くその通りだと強く頷かせてもらいました。
しかし困ったことに大抵の人々は、怪獣を倒す奇策やアクションばかりを追求し、人間ドラマをあまり重視しない傾向があるようです(刺激重視の傾向がそこには見られます)。



さて、どうしても書きたいので『シン・ゴジラ』について少し書かせてもらいます。
最近は私は『シン・ゴジラ』についての議論はしないようになりました。
というのも、あの映画のファンは反論しても脳内補完か聞いたこともない裏設定(真実か嘘かの判別もできない)ですぐさま反論してくることが多く、もう延々と地獄絵図になることがわかりきっているからです。
最初は対抗するため裏設定の本を読んでいた私ですが、わざわざそこまで好きでもない作品の本を読むのもバカらしいと感じてやめてしまいました。(ちなみにビームを出す方法も『シンゴジラの科学』にちょこっとのっていたり)
今の私のスタンスとしては「シン・ゴジラが好きならそれでかまわない。裏設定での辻褄合わせで矛盾やリアリティのなさも補完できるのかもしれない。しかし私は、作品を理解するために多数の本を買うことを要求したり、脳内補完を多数要求したり、『グリッドロック状態』など意図的に難しい単語を使いまくったりする不親切極まりない作品は好きではない。これは好みの問題なので申し訳ないが、これ以上は『シン・ゴジラ』の話題はしない」です。
もう好き嫌いの話ですが、そう言ったらほとんどの人が納得してくださりました。



そして最後に、一番興味深かったことを。
海軍大臣様が『ゴジラに水爆は効果があるのではないか』という趣旨をおっしゃっているのに対し、エクセルシオール様は『水爆でも倒せないのではないか』という趣旨でおっしゃっていることです。
これ、どうなんでしょう。初代ゴジラや2代目ゴジラは水爆で効果はあるんでしょうか。(疑問になってしまい申し訳ない)
ちなみに私の見解を書いておくと、倒せるかどうかはわからないが効果はあるのでは? という感じです。
理由としては、『南海の大決闘』のラストで原子爆弾による島の爆発から明らかにゴジラが逃げているように感じることですね。
また、『ゴジラの逆襲』で空爆で少しゴジラが痛がっている様子があるため、じゃあ水爆はもっと効くんじゃないの? と。

とりとめのない投稿になってしまいましたが、今のところはこのような感想です。

Re: 改めての見解です - 海軍大臣 (男性)

2018/03/18 (Sun) 00:02:35

なんじぇい様の書かれた、

>海軍大臣様が『ゴジラに水爆は効果があるのではないか』という趣旨をおっしゃっている

 の部分ですが、正しくは「効果があると作品世界の中の人間(一部)が認識している」だけであって、私としては「効果がある」との断言はしておりませんので訂正させて頂きます。
 昭和シリーズ中にも「ゴジラに対して核兵器の使用も止む無し」ですとか「ゴジラやラドンに対して、核兵器を使用せよという勇気が御座いますか」とか「世界中の核兵器を動員して防衛する」といった台詞が散見されますが、それでも実際には使用を選択しないのが作り手側の良識でありますし、ゴジラの出自から来るテーマ性から考えてみれば「核兵器で倒されてはいけない存在」でもありましょう。
 ですからエクセルシオール様の云われる、

>怪獣とはもともと超常の存在である。ゆえに水爆で倒せないとしても、何の問題もない。

 とのご意見につきましては、私も全面的に賛成です。

 また、ご指摘にある、

>『南海の大決闘』のラストで原子爆弾による島の爆発から明らかにゴジラが逃げているように感じることですね。

 の部分ですが、御存じのように同作品は本来【キングコング・ロビンソンクルーソー作戦】として企画されたものなので、主役怪獣のコングがそっくりゴジラに書き換えられた経緯がありましたので、そのときのストーリー展開が訂正されないまま残されてしまったものではないか、と都合よく考えております。

Re: 書き忘れましたが… - 海軍大臣 (男性)

2018/03/18 (Sun) 00:12:42

 田中友幸さんが準備されていた数々の復活ゴジラのストーリーの一つに、ビキニ環礁に誘致したゴジラに戦術核弾頭付きの巡航ミサイルを撃ち込んで抹殺したつもりが、その爆発エネルギーを吸収して更に強大な姿で人類の前に現れるところでエンドとなる、というのがありました。
「核物質をエネルギー源とする」との設定改変が見られる点こそありますが、これが「ゴジラに核兵器は有効か?」との疑問に対しての作り手側の回答ではないか、とも考えられるのですが。

なるほど…… - なんじぇい (?)

2018/03/18 (Sun) 11:45:36

確かによくよく読んでみたら、核兵器云々の海軍大臣様の見解は私の勘違いでしたね。申し訳ありません。
また、そのような没シナリオがあることははじめて知りました。ご教授有り難うございます。

私としても、ゴジラを核兵器で倒してしまう、また倒せてしまうといったことは海軍大臣様のおっしゃる通り、テーマ性の否定に繋がってしまうためによろしくないと感じています。

なお私の挙げた最後の反論(文明が野生の怪獣に…)につきましては、エクセルシオール様の意見ももっともですが、私としては双方の意見を取り入れた怪獣映画を作ることがもっとも大事だと考えています。
その点『ゴジラ』では反論者の意見も尾形が代弁しており、改めて素晴らしい、良く考えられた映画だと感じる次第です。

没シナリオについて - エクセルシオール (男性)

2018/03/18 (Sun) 20:36:14

 海軍大臣さんが挙げられていた『ゴジラ』(1984年)の没シナリオですが、確か『ゴジラ 東宝特撮未発表資料アーカイヴ プロデューサー田中友幸とその時代』(角川書店)に収録されていたはずです。
 記憶をたどれば、三原山で終わりにならずビキニ環礁に戻っていたゴジラを倒すため、アメリカとソ連が手を組みそれぞれ大艦隊を派遣します。戦いの果てに、アメリカが新型の核爆弾を使用してゴジラは死んだかと思われたのですが、再び姿を現すという落ちでした。
 なお、シナリオでは戦術核弾頭とか3キロトンとか書いてあるのですが、それではビキニ環礁の水爆実験(10メガトン)よりはるかに弱いことになってしまいます。それなのに仮にこの核弾頭が東京で爆発すれば、東北まで吹っ飛ぶとも書いてあり、明らかに矛盾します(30メガトンは必要だろう)。これは誤植が訂正されないまま収録されてしまったと思われます。

 それから、『三大怪獣地球最大の決戦』も脚本段階では映画とはかなり異なるのですが、復刻版(『日本特撮技術大全』(学研)の付録)を読んだところ、日本列島に住む人を全員避難させた後に、核兵器でゴジラ、ラドン、キングギドラを攻撃するプランが述べられている場所がありました(日本単独でできることでは当然ない)。列島全部を焼き尽くすほどの核攻撃が提案されていましたが、人類の生存自体が危うくなるという理由でその不可能性が匂わされています。

勉強になります - なんじぇい (?)

2018/03/18 (Sun) 21:42:58

エクセルシオール様ありがとうございます。とても勉強になります。
お返しといってはなんですが、私も『シン・ゴジラ』について水爆の件で1つ……

実は『シン・ゴジラ』は、初期原案では「核兵器を使用した場合、更なる変態を促す可能性がある」といった言及があったのです(ジ・アート・オブ・シンゴジラから)。
つまりこの件に関しましては、シン・ゴジラは初期原案の時点ではこれまでのゴジラとそれほど変わってはいなかったのです。
しかし完成稿や劇中ではその下りはバッサリと削除されているため、本編を見る限りでは恐らく核兵器で倒せてしまうのではないかとしか読み取れなくなってしまっています。


なぜ削除されたのか? 物凄く好意的に解釈すれば、劇中の巨災対もゴジラを核兵器で倒せるという固定観念があるのかもしれません(そう擁護している人が過去にいました)。
ですが、私には庵野氏や製作スタッフがリアリティを重視するあまり、エクセルシオール様のおっしゃる「怪獣とはもともと超常の存在である」という大前提を忘れてしまったとしか考えられないのでした。
製作者側も、ゴジラというもの、もっと言えば怪獣というものに対してよくわかっていなかったのかもしれないですね。

Re: 蛇足になりますが… - 海軍大臣 (男性)

2018/03/19 (Mon) 00:05:00

【南海の大決闘】にしても、また核兵器使用を巡る台詞が見られる前述の3作品にしても、よくよく考えてみますと、これみんな関沢新一さんによるシナリオなんですね。
 勝手な想像になってしまいますが、事によると関沢先生のイメージする核兵器とは、作品世界内の一部の人間が「これならばゴジラを倒せるかもしれない」と判断してしまう程の(実際に倒せるという意味ではありませんよ)恐るべき威力を持つ存在だったのかもしれませんね。だからこそ、決して使ってはイケないものなのだ、という論調に繋がるのでしょう。(ただしレッチ島では実際に使われてしまいましたが…)
 また、小川英さん脚本の【決戦!南海の大怪獣】も海外資本との合作として企画されていた当初は、最後にセルジオ島を核攻撃して怪獣たちを(と云いますか、例の宇宙生命体を)殲滅するという、随分乱暴なラストが用意されていたと聞きますが、実際には完成作品に見られる形に落ち着きました。
 以上のことから考えてみても、当時の東宝作品には、やはり原水爆の使用に対して非常に神経質になっている部分が散見されるようです。前掲した復活ゴジラのストーリーがボツになったのも、そうした理由からなのかも知れません。
 そこでふと思ったのですが、このストーリーの作者は、「核爆発を吸収して更に強大な姿に変貌を遂げたゴジラが出現する」という大オチを遣りたいが為に、これまでのシリーズには見られなかった「核物質をエネルギー源とする」という設定改変を行ったのではないでしょうか? ところが流石に核攻撃の場面が問題視されてNGとなり、改変された属性のみが意味なく次のシナリオに残ってしまった、とも考えられるのですが…。まあ後日、この辺りはキチンと検証してみたいと思います。

 また、こうした問題に付随して思い出されるのが、田中友幸さんが映画化を望んでいた小松左京原作の【見知らぬ明日】というSF小説です。これは米ソ冷戦時代を背景にして、宇宙人の全世界規模での侵略を実にシリアスに描いた作品です。(ID4をイメージしたら大間違いで、【日本沈没】や【復活の日】にも通じるポリティカルフィクションの色合いが非常に強いと思います)
 この作品の凄いところは、まず侵略してくる宇宙人の情報が殆ど読者に与えられないことです。姿かたちは勿論、侵略の目的も何処の星から来たのかも分りません。でも、それが却って読み手に異様なリアリティを与えてくれます。
 それともう一つ特徴的なのは、人類の保有する通常兵器では全く歯が立たず、唯一打撃を与えられるのが核兵器であること。勿論、小松左京さんのことですから、これを安直に設定した訳ではなく、人類を破滅させるかもしれない最終戦争の道具に縋りつかねば生き残れない、アイロニーとしての意味合いが込められているのです。
 結局、最後は宇宙人が橋頭保として地歩を占めるヒマラヤやアンデス、チベットといった高山地帯(低気温を好むらしく、高い山々に侵略基地を設けている設定です)に向けての全面核攻撃が開始され、日本も富士山頂に存在する敵基地に対するメガトン核の使用が決定したため、首都圏から短時日の内にすべての住民を避難させることとなり(当然、事故などで何万という犠牲が出てしまいます)、まるでゴーストタウンのような無人の繁華街に立つ主人公が、水爆によって間もなく姿を変えてしまうであろう富士山を眺めながら、「見知らぬ明日」の到来を戦慄とともに待ち受ける場面で話は締めくくりとなるのです。
 もし、実際にこの作品が原作の通りに映画化されていたとしたら、東宝がこれまで特撮映画の中では避けてきた「人類の敵に対する原水爆の使用」が描かれていたことになります。果たして田中友幸さんがそうした辺りをどのように処理し得たものか、是非この眼で確かめてみたかった気がしてなりません。

Re: 感謝感謝 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/19 (Mon) 19:21:25

 週末オフラインの生活ですっかり乗り遅れてしまいました。

 なんじぇいさんが教えて下さった過去の怪獣映画への難癖その他については、海軍大臣さんとエクセルシオールさんの見解に私も全面的に同意です。
みなさんからの実のある質問、回答、情報の数々、本当にありがたいです。
 時代遅れと見なされがちなBBSですが、こういう深いやりとりは掲示板システムでないとちょっと出来ないですよね。
(そんなこんなで巨大掲示板も存続しているのでしょうけれど)

 もう私から付け加えることもないです、と言って締めちゃうのは気がとがめるので少しだけ私の考えを付け足します。

 ゴジラと核兵器。
 私も怪獣ゴジラが背負っているテーマ性から考えれば、水爆の直撃を食らっても死なないのだろうと考えております。
それでも劇中でゴジラに対して核攻撃を行い、ゴジラが死なないことをはっきり見せるのが得策かどうかちょっと迷います。
 海軍大臣さんがおっしゃるように、過去の作品でも核兵器使用の可能性を匂わすセリフはありつつ、劇中で使われることはありませんでした。
(レッチ島は赤い竹の自爆で、敵を倒すためではなかった)
これは、核兵器とは絶対に使ってはいけない兵器である、という認識が作り手にあったからではないかと思いました。
 いかなる理由があろうと核は使わない、という観念があれば、たとえ相手が怪獣であっても劇中で核を使うのは御法度となるでしょう。
(劇中で悪がなされた結果、核攻撃が行われてしまう、という展開はあるかもしれません。その場合は、核兵器の恐ろしさを完全に描く必要があります。
熱線や爆風だけでなく、放射線による被害の実態にまで踏み込まなければ無意味です。その点ギャレス版はまるでダメ夫だった)

 それから、ゴジラが水爆でも死なないとしても、彼の痛覚は別問題であろうと考えています。
機関銃や大砲で撃たれれば、それなりにかゆみや痛みは感じるのが当然と思います。とくに電気でしびれるのは結構苦しいのだろうな、と想像しています。
初代ゴジラの高圧電線への反応や二代目が電線を回避して東京を迂回したり、帯電ネットでのたうち回ったりするのを見れば電気が弱点とも言えそうです。
けれども、痛いからと言って死ぬとは限らないしケガの程度もわかりません。
 ですから、海底洞窟に居たかもしれないゴジラたちが水爆の直撃を受けたのだとしたら、相当に苦しい思いはしたのだろうと想像できます。
山根博士がゴジラに光を当ててはいけない、と言うのは、水爆の光を見たゴジラはそのときの苦痛を思い出し、光に対して怒るはずだという推論からでしょう。
でもダメージがあったのかどうかは不明です。放射線でものすごく頭が痛くなっただけかもしれないし。
 少なくとも円谷時代のゴジラは痛がりはしてもケガはしていないんですよね。キングギドラの光線を当てられてもケガはしていない・・・。


 怪獣映画で怪獣に同情する件
 岡目八目という言葉があります。当事者より部外者のほうが物事を正しく見られるという意味ですね。
映画の視点は、よほど特殊な場合を除いて客観視点です。主人公の視点だけに固定することはありません。
映画とは、岡目で物を見ている状態なんです。
 シーンによって立脚点が変わることはありますが、観客は岡目を持って鑑賞しているはずです。

 よく出来た怪獣映画なら、人間と怪獣双方の立場を伝えているはずです。
 人間は怪獣によって被害が出るから怪獣を排除しようとします。これはもちろん正しい行為です。
 では怪獣はどのように振る舞うのでしょうか? 彼らはただ生きているだけです。しかし、大きい。だから移動するだけで人間社会に被害を与えている。
そこに悪意がなくても人間を死なせている。さて、怪獣は罪悪感を感じれば良いのでしょうか? 人間のような小さい生き物をいちいち意識して歩いていられますか。
それなのに、人間達は攻撃してくる。応戦するのが当然ですね。

 人間と怪獣、両方に感情移入して見るのが、正しい怪獣映画鑑賞法です。
 そうなると怪獣が殺されるのが正しいとは思えなくなるはずです。
 これが、人間存在を相対化する視点です。
 そして、人間と怪獣双方を客観視することでより広い視野を獲得できます。

 人間と怪獣が対立する物語構図の中で、人間にしか共感できないとすれば、それは自己が所属する集団しか尊重しない態度と言えます。それがまずいのは言うまでもないでしょう。
(ガメラシリーズにおいて、人間に害を為す怪獣をガメラが殺してしまうのは、実はちょっと気に入らない・・)

 ですから、近年の作品にありがちな、人間を滅ぼすことが目的のような怪物は怪獣としては不純だと思っています。その発想は、まず人間ありきで人間の敵として怪物を想定しているからです。
これでは人間存在を相対化することは出来ない。

 というのが基本ですが、エクセルシオールさんが指摘しているように、作品毎に描く内容の比重は変わらなければなりません。怪獣が巻き起こす人間にとっての悲劇と人間に攻撃される怪獣の悲哀をどのような比率で描くかは千差万別ということが言えます。
 それはそれとして、断じて文明が野生に負ける物語を否定してはいけない。人間は文明を持ち得たことの意味を常に考察しなければならない。


 円谷英二はこうしたはず、とすぐ言いたがる輩
 私も頻繁に円谷英二の名前を出してしまうのですが、それは円谷英二が何をやったか、という文脈がほとんどのはずです。
ところが、イタコの能力があるのかどうか、円谷英二はいまならこうしたはずだと軽々しく言っちゃう人がいるのは困りものです。

 昔聞いたのは、円谷英二は若者のチャレンジには寛大だったから、キャラクター改変も許しただろう、てな意見でした。
(こっちのほうが「新しもの好きだったから云々」よりはまだ筋が通っている。既存のキャラクターを改変する問題と新奇な物が好きという気質はリンクしない)
 そういう人々は円谷英二の評伝やエピソード、本人の発言・文章をどれだけ読んでいるんでしょうね。
 勝手なことを言うな、というところです。

 そして海軍大臣さんがおっしゃるとおり、円谷英二がゴジラの面倒を見た約15年間(うーん、途中でゴジラに飽きたんでしょうか)に外見のわずかな変化(改変ではない)以外は、なにも変えていないという事実から、
円谷英二は一度作り上げたキャラクターをころころ変えることはしないだろうということが言えます。
『ゴジラの逆襲』から『キングコング対ゴジラ』の空白の7年を挟んでも改変していないのですよ。

 以上だぜぇ。(結局長いや)

私からも感謝を - なんじぇい (?)

2018/03/19 (Mon) 19:44:09

皆様の意見、本当にタメになりました。多くのモヤモヤが晴れ、今のところは完全にスッキリした気持ちです。
改めて親切な回答有り難うございました。

レスのつもりの長話(すんません) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/12 (Mon) 18:35:50

 毎度の遅レスで申し訳ないです。ご質問その他にお答えいたします。
すごく長くなってしまい、元記事の話題からも離れてしまったので、新規記事にしますが、本来はエクセルシオールさんの2018年3月3日「レジェンダリー版ゴジラ第2作目」記事へのレスのレスのレスのレスの・・・レスです。

『決戦!南海の大怪獣』については、これまで書いてきた「怪獣映画」としては境界作品だと思っています。
ストーリーの主眼は宇宙生物と地球人の戦いであり、怪獣たちは宇宙生物の道具にされていて、怪獣と人間の相克という話ではありません。
怪獣が呼び物ではあるけれど、ストーリーの鍵にはなっていない。
 つまり格下怪獣と言えるんです。それから、作品の成立背景を考えるとゴジラに代表されるそれまでの怪獣映画の系譜から離れた物を作ろうという意図から始まったのですから、
「怪獣映画」から離れようとするのは当然で、ゴジラやラドンとは違うんだよというあたりが怪獣の弱さに繋がったんじゃないでしょうか。
そういう意味で例外的怪獣映画の一つでしょう。

 芹沢博士が怪獣に近い存在感を放つのは、背負う物が深い・重いというだけではなくて、社会からはじき出された存在だからです。
怪獣がなぜ社会から攻撃されるのか? 簡単に言って、いるだけで迷惑だからです。人間社会には容れられない存在であることも正統な怪獣の条件でしょう。
(人間に愛される怪獣もいるけれど、そんな怪獣は正当派怪獣映画の主役にはならない)
 芹沢の苦悩すべてを『ゴジラ』では伝えていませんが、オキシジェンデストロイヤーの発見によって、その秘密を守るため自ら世捨て人になり、
さらには愛する恵美子を(どうやら)尾形に取られてしまった人物です。彼を受け入れてくれる場所はもうないのです。
ゴジラと比べたとき、この人間社会には居場所がない者、という共通項が大きいです。
 大自然の象徴かつ核兵器の象徴たるゴジラに一人の人間が対抗するには科学の終極を象徴するようなオキシジェンデストロイヤーだけでは足りなくて、絶望した世捨て人(芹沢)まで一緒にならないと戦えなかったとも言えます。

 怪獣対決の場合はすでに双方が怪獣(同じ土俵に立っている)なのですから、それぞれのバックボーンが似ている必要はないと考えています。

続いて
 私はモンスター映画と怪獣映画を区別しています。

 異形の者が登場すればモンスター映画にはなり得ます。
怪獣映画はもっと狭いジャンルです。日本の怪獣はTVシリーズにも展開したため非常にバリエーションが多く、怪物・モンスターとの区別が難しいものがたくさんありますが、
怪獣と聞いて一般的にまず想起するのは「大きい」ということでしょう。

以下  http://www.geocities.jp/k_ghidorah/gmk/gmk01preeigasai01.htm  2001年10月29日記事からの引用*********************
(前略)
巨大な怪物が現れて脅威となる、という物語の魅力となると、やはり人間誰しもが持つ、「大きさ」への憧れや「強さ」を求める心を満足させるからでしょう。
それから、破壊スペクタクルの快感もあるでしょう。
このあたりが年少者への「惹き」を強くする要素でもあると思います。
子供(といっても、その定義をはっきりしないと議論にはならないのですが)こそ、大きくなりたい、強くなりたいと思うものですから。

しかし、ただでっかい怪物が現れるだけでは現実離れしていて、世慣れた大人たちには受け入れがたい設定になってしまいます。
そこで、太古の恐竜が生き残っていたとか、放射線の影響で巨大化したなどという理屈付けが必要になってきます。
そして、物語の締めくくりとして怪物は倒されるのが通常でした。
(怪物を倒すために、その性質や生態、弱点などが劇中で分析される)

そんな怪物映画の系譜に超特大のブレークスルーをもたらしたのが、『モスラ』ではないかと考えています。

巨大怪物の物語が、常に最後には怪物が倒れることで決着をつけるなら、それは「大きさ」や「強さ」への憧れをきちんと満たすものにはならないわけで、
モスラにおいては怪獣は倒されることなく自分の世界に帰っていきます。
そんな物語を成立させるために、『モスラ』では人間側に明確な悪役がいて、モスラが倒されてはいけない、という構造を作り出すことに成功しています。
(あ、『怪獣ゴルゴ』のほうが『モスラ』より先だ!怪獣が死なない物語の先駆は洋画にありかぁ)

ただし、『モスラ』の物語にもいまいちな部分がありました。
それはモスラが小美人とテレパシーで繋がっていて、小美人の動向がモスラの意志を左右してしまうことです。
これでは、「人智の及ばぬ」という要素を完全に満たすことが出来ません。
たとえモスラ退治が不可能であったとしても、小美人を通じてひょっとするとモスラをおとなしくさせることも可能なのです。
人の言うことを聞いてしまっては、「強さ」の表現として弱いです。
(強いということは、屈しないということを含んでいて、誰の言うことも聞かない、というわがままさにも繋がるでしょう)

そんな風に展開していった怪獣映画がひとつの到達点を見いだすのが、『キングコング対ゴジラ』であったはずです。

怪獣は倒すことが出来ない。そんな怪獣の出現と退場を物語にまとめるには怪獣同士が闘って決着をつけることで、その対決の結末をストーリーの結末として組み立てる方法があったのです。
(まあ、キングコング対ゴジラでは勝ち負けははっきりしないのですけど)

この怪獣対決路線にはアクション映画としての要素も加わることになります。
巨大怪獣が闘争する映像には肉体の躍動感も取り入れる事が出来ました。

私としては『キングコング対ゴジラ』で出来上がったフォーマットはまだまだ通用すると考えています。

科学技術の進歩で生活が便利になり、自然界の謎もつぎつぎと解かれていますが、それでも人類の知識や技術は大自然を完全に理解したり制御する事は出来ません。
そんな現実を極めて象徴的に表現できる「怪獣映画」は21世紀に入っても十分通用するのではないでしょうか。

人類の科学が通用しない存在が怪獣である、という理念に基づけば科学理論で説明出来なくていいし、科学で説明出来る程度のものでは怪獣としては不十分となります。
しかし、ここで間違ってはいけないこととして、科学で説明できない=心霊現象ではないということ。
あくまでも解明し尽くされていない自然現象としての怪獣ですから、心霊という考え方を持ち込むことでその存在が大自然ではなく、人間の不思議という領域に押し込められてしまいます。

『ゴジラ』(84)以降の怪獣映画は、改革を謳いながら実は退化しているだけだと思っています。(惜しい作品もあると思うけど)
怪獣映画に変革を起こすなら、怪獣映画の特質を理解し、それを深化・展開させなければいけません。
(後略)
引用終わり(改行や読点など少し修正しました)*******************************************

 私が怪獣映画の基本として、怪獣が人間に殺されてはいけないと考える理由の一端です。(16年以上昔の原稿なので、いまなら別の言い回しをするなぁというところもありますが)
たとえ未来科学だとしても、オキシジェンデストロイヤー並みに不可解(クラーク流に言うと魔法と区別が付かない)かつストーリーのテーマを背負ったものでないと怪獣を倒すのはダメじゃない?と思います。
(これも格下怪獣ならそこまで厳しく考えませんが、スター怪獣にはダメよと)

 そこで、レジェンダリー版にオキシジェンデストロイヤーが登場するとなると、もう不安しかないですよ。
『ゴジラvsデストロイア』での扱いがギリギリセーフじゃないのかなぁ?? 
 どこかの孤独な人間がオキシジェンデストロイヤーを知っている、使う、だと『ゴジラ』と同じだし、
もし、怪獣対策として科学者グループなんかが発見・発明したなんてことになるなら、人類の英知が怪獣を倒しました、になっちゃうかもよ。

 オキシジェンデストロイヤーの構造が二種の原爆の構造を合わせたような形をしているみたいだ、なんて、まー普通じゃ気がつきませんよ~。
たしかに中央に球形のものがあり、そこにシリンダーのようなものがくっついているのですから、言われてみれば、それがイメージの源泉かぁぁぁと目から鱗なんですが・・。

 原爆の構造図はいままで何度か目にしてはいるはずだけど、さすがにオキシジェンデストロイヤーと結びつけて考えはしませんでした。
まだまだ気の張り方が足りないなぁ。

大体納得しました、最後の質問です - なんじぇい (?)

2018/03/12 (Mon) 19:26:42

ありがとうございました。芹沢博士の件、完全に納得しました。
>芹沢博士が怪獣に近い存在感を放つのは、背負う物が深い・重いというだけではなくて、社会からはじき出された存在だからです。
は目から鱗でした。

つきましては最後に、いくつか質問をさせてください。

①>人間に愛される怪獣もいるけれど、そんな怪獣は正当派怪獣映画の主役にはならない
とおっしゃっていますが、昭和ガメラや平成モスラはどう考えておられるのでしょうか。正統派ではないということなのでしょうか。

②怪獣映画の魅力として、「弱者である人間が、強者である怪獣を知恵と科学を振り絞って倒す」という弱者が工夫して強者を倒すという方面での楽しみ方をしている人は多いと思うのですが(私も若干その傾向はあります)、そういう見方はどう感じますか?
つまり『ゴジラの逆襲』の氷山生き埋めや、『シン・ゴジラ』のドローンで誘導させて建物を倒壊させてダメージを与える……などの倒すための工夫を楽しむことです。
簡単に言えば「こんなやつどうやって倒すんだろう」という楽しみ方です。
『シン・ゴジラ』ではそこを面白いと評価している人がかなり多かったため、怪獣の意外な倒し方を期待している人は少なからずいるように思えます。

最後の質問の補足 - なんじぇい (?)

2018/03/13 (Tue) 00:19:13

最後の質問の「弱者である人間が工夫して強者の怪獣を倒す」という楽しみ方は、古くにはヘラクレスのヒュドラ討伐、または日本神話スサノオのヤマタノオロチ討伐(ヤシオリ作戦の元ネタですね)のくだりなどからあるように思います。
怪獣映画もその延長線上にあるものもあってもいいんじゃないかと少しは思ってしまうのですが……その辺りはどうでしょう。


書き忘れましたが『決戦!南海の大怪獣』に関しても、これも納得しました。理路整然とお話ししていただきこちらとしてもすんなりと頭に入ってきます。

Re: レスのつもりの長話(すんません) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/14 (Wed) 19:16:03

 もろもろのこと、ご納得いただけて良かったです。ありがとうございます。

 で、ひとつ定義をはっきりさせていなかったことの補足です。
私が考える正統派怪獣映画とは、野生と文明の衝突を基本とし、文明が野生に敗れる物語(これはグレーゾーン)ということになります。

 初めのご質問について。

 文脈から伝わると思ったんですが、うまくいかなかったみたいで申し訳ないです。

「人間に愛される~」という表現はその上の文章「人間社会には容れられない存在であることも正統な怪獣の条件でしょう。」を受けてのもので、
誰か個人に愛されるという意味ではなくて、人間全般に愛される、つまり社会的に受け入れられるという意味でした。
 その意味では、ガメラも平成モスラも社会的に受け入れられている存在とは言えませんから「人間に愛される怪獣」とは思っていませんでした。
私がイメージしたのは、ブースカやダイゴロウでした。(あ、ブースカは快獣か。『怪獣大奮戦ダイゴロウ対ゴリアス』は怪獣が社会に受け入れられるか?というのもテーマの一つであった)

 ただし、正統な怪獣映画かどうかという話は別の要素も含まれてくるので、ガメラシリーズに関しては作品毎に真っ当な怪獣映画であったものからかなり異端なものまでさまざまだったと考えています。
 平成モスラシリーズは、すべて怪獣映画の変化球だったでしょう。

 二番目のご質問

 これまでの発言の端々に私の考えはちりばめられていたとは思うんですが、いちおうまとめてみますね。

 怪獣の倒し方を楽しむのは、ごくごくまともな見方だと思いますよ。
それが怪獣映画の発祥とも言えますから。
 ですから、昔ながらの怪物退治形式の怪獣映画が出てきてもいいと思います。

 ただ、現代において、怪物・化け物の類いではなく、いわゆる怪獣というアイテムを使って怪物退治をやってみせるのは、いささか古いな、と思います。
(怪獣の定義が難しいところなんですが、人間の変形ではなく、怖さがあっても不快でなく、さらにより正統な怪獣としては野生動物である、という基準も必要かと思います)
というのも、科学技術を獲得した人間は自然界に対してもはや弱者とは言い切れない存在になってしまっていて、人間の活動が環境破壊を引き起こすこともしばしばです。
怪獣出現に対して、個人は無力でも集団(社会)としての人間なら打ち勝てる、というのが初期の怪獣(怪物)映画の基本でした。
そこには大自然も征服可能という観念を読み取ることが出来ます。

 それに対して、確信犯か偶然か、人間に倒されない怪物(日本的怪獣)というものを打ち出したのが、日本映画の偉大な発明だったと思っています。
monsterと区別するためにkaijuが英単語化しつつあるのも日本の怪獣がそれまでにない概念を含んでいたからではないかと推察します。

 私が長年主張しているのは、せっかく日本映画界が発明した、怪獣は人間には倒されないという物語形式を捨てることはないだろう、ということで、
その効能はいろいろありますが、観客の感性に「人間を相対化」する感覚を植え付けることも大きいと考えています。
 怪獣が人間には負けないことで、劇中での存在の優先度と申しましょうか、怪獣が征服されるべき存在ではなく、人間と並び立つ者(ないし人間より優先される存在)
であるという感覚を作り出すことが出来ていたと考えています。(観客が怪獣にも感情移入できるようなストーリー、演出が施される)
 さらに、科学万能というおごりをたしなめる効果も出せます。

 この感覚は環境保護だったり動物愛護の感覚にも繋がっていくと思われます。(芸術表現としてけっこう高尚じゃないかと思う次第)

 他の方がどうなのか想像するしかないですが、私は怪獣映画でさまざまな対怪獣作戦が考案されるとき、この作戦を怪獣はどのように破るのだろうという楽しみ方をします。
バルゴンなんかは、そのあたりかなりのやり手でした・・・。

 ちょっと横道にそれましたが、倒されても仕方がないと思わせるような新怪獣を使って怪獣退治物語をやるのは構いませんが、かつてのスター怪獣(人間には負けない、が前提だった)を引っ張り出して
人間様がそれを退治してしまうような作品は、どうにもイヤですね。
『ゴジラの逆襲』でゴジラが氷詰めになっておとなしくなるのは、ぎりぎりの選択だったのだと思っています。初期作品であり、怪獣を鎮圧して終わることしか考えつかなかったのだろうと想像しますが、
その当時でも原作者たる香山滋さんは、「ぼく自身でさえ可愛くなりかけてきたものを、これでもか、これでもか、と奇妙な化学薬品で溶かしたり、なだれ責めにさせたり、今もって寝醒めはよろしくない」
と述懐しています。(「『ゴジラ』ざんげ」より)
 もうひとつ付け足すと、もう30年以上昔のことになりますが、学校の先輩が『ゴジラの逆襲』について、「ゴジラがガソリンの火ぐらいで誘導されて、その上氷詰めで倒されるなんて、ぜんぜんおもしろくない映画だ」
と言っていました。かつての怪獣ファンはそんな感覚だったのです。

 怪獣の倒され方を楽しむ人々の出現は、先祖返りのように思えます。

 あ、ちんごじらはぜんぜん構いません。ヤツは怪獣としては格下(人工生命体)で、しょせん人間が作ったものですから人間に倒されるのは当たり前です。
そんなものをゴジラとして発表したことは許せませんが。(しまった、『シン・ゴジラ』のことに触れてしまった)
(人間には倒されない怪獣、もアメリカに取られちゃった感あり)

怪獣退治物語とかいろいろ - なんじぇい (?)

2018/03/15 (Thu) 00:05:25

ありがとうございました。完全に納得しました。
私としても新規の怪獣を退治する物語ならあってもいいのではないかという気持ちですが、既存の(人間に負けなかった)怪獣を退治してしまう物語にはどうにもモヤモヤが残ります。


さて、
>怪獣の倒され方を楽しむ人々の出現
について。

これは、最近は怪獣とモンスターの違いがほぼなくなったせいだと思っています。
例えば国民的な人気がある『モンスターハンター』シリーズでは様々な巨大モンスターが敵として登場しますが、その中にはゴジラも真っ青なほど巨大なモンスターが度々出現します(ラヴィエンテやダラ・アマデュラなどは全長は400mを越える)
それらのモンスターはギドラ様のおっしゃった怪獣の定義にも完璧に当てはまってしまいますが、いずれもハンターの武器や大砲などに倒されてしまいます。
そのため最近の人達は、モンスターと怪獣の違いがわからず同列に見てしまうということが多いのではないでしょうか。
ギドラ様の言う日本的な怪獣映画を復興させるためには、怪獣はそのようなモンスターとは違うというところを見せなければならないと感じます。


ちなみに私は怪獣退治作戦では、素直に見てて面白いかを重視します。
何事もないまま人類の作戦が成功したりするのは、面白くもなんともありません(そういう意味でヤシオリ作戦はつまらなかった)。
人類側の作戦が成功するにしても紆余曲折があった形にしてほしいですね。

Re: レスのつもりの長話(すんません) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/16 (Fri) 18:10:56

 ええ、そうなんです。近年の日本人は「怪獣」がわからなくなってしまったみたいです。

 ぎりぎり第二次怪獣ブームのころの人ならある程度は体に染みついているんじゃないかと期待したいのですが、
そんな人々ももうアラフィフでしょう。
 やはり作品として、ちゃんとした怪獣映画が公開されなければなりません。
 そうなると、大昔の怪獣映画に対する批判(なんで怪獣に同情するんだとか、科学的じゃないなどなど)と同様の雑音が発生するでしょうけれど、
そのときこそ、オールドファンが全力で弁護するべきだと思うんですよ。
 新作さえあればそれでいいなんて言ってちゃダメダメ。

大昔の怪獣映画への不満…… - なんじぇい (?)

2018/03/16 (Fri) 18:57:46

これ、ギドラ様がおっしゃっていることですが、私にとっては反論が難しいものが多いんですね。
私が特に思ってもないところから反論が繰り出されることが多いのです。

5ちゃんねるで議論した際には同意してくれる人も多かったのですが、同じくらい反論してくる人がいます。
その主だった反論に関しては、また別の項目を立ててみます。

『ゴジラ』のしょうもない疑問 - なんじぇい (?)

2018/03/12 (Mon) 19:49:35

本当にしょうもないのですが前々から疑問だったので……

『ゴジラ』で尾形たちが芹沢博士を説得するシーンがありますが、その後『平和への祈り』がテレビで流されます。
あのテレビ、いつの間にかついていますが誰がつけたんでしょう。

改めて書くとすごくしょうもないですね。ですがずっと前から気になっていたことです。

Re: 『ゴジラ』のしょうもない疑問 - 海軍大臣 (男性)

2018/03/12 (Mon) 23:14:38

 その疑問は恐らくなんじぇい様が生まれる遥か以前より、私たち「大きなお友達」の間で話題になっていて、84年ゴジラの公開当時に宝島社から刊行されたムック本にも取り上げられておりました。(ただし、誰が着けたのかは不明のままです)
 それと、またまた余談になりますが、もう20年ばかり前に【コンバット・コミック】という軍オタ向けの雑誌に私の知人が4コマ漫画の連載を持っていて、その作品のタイトルが何と【ユタカテレビ】でした。作者が「恐らく世界では32人くらいしか判ってもらえないネタだ」と云っていたことを思い出します。

うーむ…… - なんじぇい (?)

2018/03/13 (Tue) 00:21:17

やはり同じことを考える人はいるものですね。どうやら私だけの疑問ではなかったようです。
改めて、謎が深まります。

Re: 『ゴジラ』のしょうもない疑問 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/14 (Wed) 19:17:12

 昭和30年に『愛のお荷物』(川島雄三)という映画がありまして、この映画に登場する三橋達也は金持ちのボンボンで、
自立するためだかなんだか、個人でテレビ受像器の開発をやっているという設定でした。
 当時はさまざまな会社がテレビ事業に参入していたんだろうな、と思わせるくだりです。
(余談ですが、この映画には菅井きんちゃんが女代議士の役で出ていて、『ゴジラ』での役どころとそっくりのことをやっています。川島雄三はゴジラが好きだったのかも)

 ユタカテレビもそんなテレビの一つだったんでしょうね。(オンキヨーのテレビが出てくるのは、『ゴジラ』?『ゴジラの逆襲』?オンキヨーがテレビを作っていたなんて)

 んなこたどうでもよくて、そうそう、あの芹沢の実験室のテレビ、誰がつけたんでしょう。不思議だなと思いつつ、いままで深く考えてはいませんでした。
今回、そこに注目して問題のシーンを見直してみました。

 尾形がケガをしたくだりからテレビ中継が始まるところまで、時間の省略はないようです。そして、芹沢の背後には何も映っていないテレビが何カットも映り込んでいます。
ところが誰もスイッチを入れていないのに、「平和への祈り」が始まる!

 木目守といわれた本多猪四郎監督がこんな雑なことをやるか?? と不思議に思ううち、むむ!とひらめきました。
 芹沢はテレビをつけっぱなしにしていたのではなかろうか。恵美子と尾形が芹沢邸を訪ねたのは、応接室に差し込む外光から考えて夕方ほどではない午後の何時かと思われる。
昔のテレビ放送は午前の部と午後の部に分かれていて、午前の放送が終わると一旦無信号になったではないか。三人が実験室へ駆け込んだときは放送休止中で、
電源が入っていてもテレビには何も映っていなかった。しかし、尾形が芹沢を説得しているときに午後の放送が始まったというのはどうだろう!

 もう、無理がある脳内補完でございます。
『ゴジラ』の突然始まるテレビはおかしいと言われれば、はい、その通りでございますと言うしかありません。

Re: 『ゴジラ』のしょうもない疑問 - なんじぇい (?)

2018/03/15 (Thu) 00:11:51

なるほど、確かに解釈としては(少し強引に思えないこともないですが)成り立ちますね。
芹沢博士がつけていたという説が大きそうです。

Re: 初ゴジ雑感いろいろ - 海軍大臣 (男性)

2018/03/15 (Thu) 00:37:28

 TVの件に関しましては、真面目な話、当時は撮影現場に使用できるVTR機材も無かったでしょうから、作り物の番組映像を流したままにすることも叶わず、ああしたシークエンスになってしまったのかも知れませんね。

 それと尾形と芹沢が争う場面で、魚の泳ぐ水槽のアップに、ものの壊れる音や恵美子の悲鳴のみが被さるところがありますよね。これを見た友人が「何だか山中貞夫っぽい演出だ」と云っていましたが(確かに小道具のアップのインサートを多用するクセが山中監督にはあるようです)、考えてみたら本多監督は【人情紙風船】に応援の助監督を務められていたので、案外的外れな指摘ではないような気もします。

 また【ガス人間第一号】の佐野博士の地下実験室の入り口の雰囲気が、芹沢博士の研究室への地下階段と似ている感じがありますが、良く見ると佐野博士(村上冬樹)の顔面右下部にもケロイド状のメイクが確認出来ます。あれって本多監督のセルフパロディだったのでしょうか?

 以上、取り留めの無い話題でした。

Re: 訂正です - 海軍大臣 (男性)

2018/03/15 (Thu) 08:48:21

×山中貞夫→〇山中貞雄

Re: 『ゴジラ』のしょうもない疑問 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/16 (Fri) 18:14:24

 本多監督は『人情紙風船』の現場で木目を描いていたと読んだ覚えがあります・・。

 むむ、ガス人間の佐野博士も顔面に火傷跡のようなものがあったんですね。あんまり意識していなかったのは不覚。
それで、そのご指摘からつらつら考えまして、芹沢博士の再現みたいな要素があるのはもちろんだと思いましたが、
それ以上に、そもそも芹沢のあのケガ(?)はなんだろうと改めて考えました。

 戦争のせいだ、というところから、徴兵されて戦場でケガを負ったのだろうと単純に考えていましたが、
いや、待てよ、芹沢ほど優秀な科学者(戦争当時学生だったとしても)を戦場に送るようなことはしないだろう、
伊福部先生も戦場送りではなく木材強化の研究をさせられていたのだから、と気がつきました。

 芹沢も軍に協力させられて、新兵器の研究などをやらされていたのではないか?
その実験の結果、ケガをしたのではないか?
(そんなこと、とっくに気がついていた人ももちろんいるんだろうなー。もういま私は恥ずかしさの余り顔を真っ赤にして冷や汗かいてます)

 佐野博士も戦時中になにか非道な研究をしていた人物という背景があるのではないか。
二人の共通点が顔面のケガに象徴されているとか??(監督のみぞ知るモデルがいるのかも)

 芹沢は戦争を経て科学者の倫理に目覚めた人、佐野博士は倫理なき研究に邁進した人、と別作品ではあるものの、
似た外見で二種類の科学者を描き分けてみた、というのは考えすぎかなぁ。

朗報! - 海軍大臣 (男性)

2018/03/04 (Sun) 18:52:38

 新々ギドラ掲示板で橋本忍先生絡みでおバカな話を書いている内に、な、な、何と「1973『日本沈没』完全資料集成」が3月8日発売だそうです。
収蔵写真だけで数百点、関係者へのインタビューもかなり充実しているとか。

 前回の東宝フランケン本といい、このところ妙にマニアックなポイントを衝いてくる書籍の刊行が相次いでいて、俺のサイフは爆発寸前!などと謡い出してしまいそうです。

Re: 朗報! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/05 (Mon) 18:54:14

ぎゃっ、まだフランケン本にも手を出していないのに・・。

 ああ、しかし、『日本沈没』には思い入れが深いですね。
まずはみなさまのレビュー待ちで・・・。(ええい、根性なしめ)

Re: 朗報! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/12 (Mon) 18:29:59

 買っちゃった!
「日本沈没完全資料集成」!!
まだぱらぱらとめくったぐらいですが、あの熱い時代がよみがえるなぁ。

で、東宝版フランケン資料集成も発注しました。
こちらはあまり資料性は高くないみたいですが、毒を食らわば皿までも!(え?毒なの?)

(えー、本は地元の書店で買います。本屋文化を守ろう!)

映画『日本沈没』について - エクセルシオール (男性)

2018/03/14 (Wed) 23:03:01

 1973年の映画『日本沈没』はストーリーにおいても、特撮においても超大作といってよい作品だったと思います。子どものころには「怪獣が出ない」という理由だけでスルーしていましたが、後に視聴してみてこれはこれで素晴らしい特撮映画だと感心したものです。

 物語の内容においてもよく考えられていました。危機の中、主人公たちは必死に頑張るが、圧倒的な自然の力の前には成す術がないという悲劇は十二分に描かれていたと思います。個々のシーンでは東京が大地震に襲われて多くの人が死んでいく中、人命を救うためには自衛隊の戦闘用装備がまるで役に立たない事実を突きつけられて、丹波哲郎さん演じる山本首相が悩む姿が印象に残っています。
 特撮面においても土砂崩れや東京壊滅などのシーンは素晴らしい出来でした。観る者をあっと言わせる迫力だったと考えます。
 その他、科学監修を行った本物の科学者(竹内均博士)が本人役で出演し、首相を前に解説するシーンなどを入れて、物語の真実味を増す演出も面白かったです。実は最初に観た時「下手な演技だなあ」と思ったのですが、俳優ではなかったのだから仕方ないですね。
 後、声のみの出演で市川治さん、神谷明さん、辻村真人さんといった有名声優が出ていたことを知り、驚いたことがあります。みんなノンクレジットだったので映画だけを観ていたときには知る術がなかったのですが。思うにナレーションを担当していた市川さんくらいはオープニングで表示してほしかったですね。

 さて、『日本沈没』は2006年に再映画化されています。こちらも観賞しましたが、1973年版より内容面ではかなり落ちる。というか、「沈」はあっても「没」がないという結末には開いた口が塞がりませんでした。「N2爆薬」などという核兵器並みの威力の爆薬がご都合主義的に登場して(ただし、企画段階では核兵器だったらしい。それに比べれば多少ましだろう。)、日本列島を引っ張り込むプレートを破壊するという展開には頭を抱えてしまいます(しかも、主人公が「特攻」して死亡)。特撮技術が上がってもいい映画になるわけではない好例でした。

 そうそう『日本沈没』はテレビドラマ版もあるそうですが、残念ながらまだ観たことがありませんん。機会があれば観てみたいですね。

Re: 朗報! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/16 (Fri) 18:08:48

 TVシリーズの「日本沈没」もなかなかおもしろい作品ですよ。
ストーリーは激しくアレンジされていて、もはや小松左京原作とは言えないほどですが、
映画や原作ではやっていなかったドラマ上の試みがあります。

 ただ、最初の何話かは方向性が定まっていないような締まりのなさに拍子抜けすることも確か・・。

 それから若き日の川北紘一監督がエキストラ出演している回もあります。
そして、川北監督が特撮を担当した回では、おそらく監督秘蔵の『キングコング対ゴジラ』か『妖星ゴラス』の未使用フィルム流用とおぼしきカットも!

(えー、2006年版は「日本沈没」の黒歴史ですね。私はあの映画を『日本不没』と呼んでいます)

ゴジラ総選挙 - なんじぇい (?)

2018/03/14 (Wed) 19:07:56

ここのブログでは話題に上がっていなかったので、紹介しておきます。

去年の11月12日、『シン・ゴジラ』の初の地上波放送への景気付けとして、『ゴジラ総選挙』がテレビ放送されました。
関係者やファン1万人が投票したのだそうですが、興味深いのは好きな映画だけでなく、好きな怪獣(ただしゴジラを除外)もランキングで発表されたということです。
結果を書いておきます。

怪獣部門
1位 モスラ
2位 キングギドラ
3位 ラドン
4位 ミニラ
5位 メカゴジラ(旧)
6位 アンギラス
7位 メカキングギドラ
8位 ベビーゴジラ
9位 ガイガン
10位 ヘドラ
11位 ビオランテ
12位 3式機龍
13位 スーパーメカゴジラ
14位 ジェットジャガー
15位 カイザーギドラ
16位 バラゴン
17位 デストロイア
18位 バラン
19位 ゴジラザウルス
20位 バトラ

映画部門
1位 シン・ゴジラ
2位 モスラ対ゴジラ
3位 ゴジラ(1954年)
4位 三大怪獣 地球最大の決戦
5位 ゴジラVSモスラ

私がまず仰天したのは昭和怪獣の人気の高さでした。ベスト5を昭和怪獣が独占したのは凄いと感じます。
そしてモスラの人気。映画でもトップ5に2つとも入ったことも含め、この人気の高さはちょっと想定外でした。
他にもベビーゴジラやミニラといった子供怪獣の順位の高さ、平成怪獣ではメカキングギドラが最高の順位を獲得したことなども注目すべきところでしょう。

怪獣映画部門では『シン・ゴジラ』が良くも悪くも凄い人気なのだなあ、ということと、VS系を差し置いて『モスラ対ゴジラ』と『三大怪獣 地球最大の決戦』が入ったのも意外でした。

Re: ゴジラ総選挙 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/14 (Wed) 19:21:47

 まぁその、その番組は見てました・・。

 全体に悪くない構成だったと思うんですが、バラゴンについて、えーとどなただったっけなぁ、
特撮関係の方が「目が大きくてかわいいところもある」とかなんとかおっしゃっているのに、
さほど目の大きくないGMKバラゴンを資料映像として使っていたことにがっかり。

 バラゴンは僕のくりくりお目々ちゃんなのに!

レジェンダリー版ゴジラ第2作目 - エクセルシオール (男性)

2018/03/03 (Sat) 20:42:55

 少々忘れられがちですが、今年はレジェンダリー版の『ゴジラ』第2作目が上映される予定でした。しかし、製作スケジュールの遅れから来年に延期となったそうです。この作品は果たしてどうなるでしょうか。

 予定ではゴジラに加えてラドン、モスラ、キングギドラが登場することになっています。この顔ぶれのみを見れば『三大怪獣 地球最大の決戦』と同じですが、内容まではまだ分かりません。聞くところでは神話時代の怪物のモデルとなった怪獣たちの戦いに主人公達(秘密組織モナークの構成員)が巻き込まれていくという話になるのだそうです。
 この映画の怪獣決戦がいかなるものになるかはまだ不明ですが、あまり元ネタのイメージを壊すようなことはしてほしくないですね。最低限、ゴジラ達地球怪獣VS宇宙怪獣キングギドラという構図は崩してほしくないです。

 かなり不満なのはアンギラスが出ないこと。名怪獣のわりには不遇な扱いをされることが多いキャラですが、今回も1匹だけ外されてしまいました・・・。何とか出してほしかったですね。

 なお、レジェンダリー版ゴジラに関しては、私はあまり高い評価をしていません。理由はいろいろで⓵水爆実験がゴジラを殺すためと言う風に理由がすり替えられている、⓶ゴジラの造形がイグアナみたいでイマイチ(鳴き声も違うし)、⓷ゴジラよりムートーの方が目立っていた、⓸ゴジラが米軍を蹴散らすようなシーンがない、⓹最後の核爆発の影響が小さすぎる、⓺ゴジラが平成版ガメラのようなキャラになっている感じがする等々です。
 とはいえ、『シン・ゴジラ』を観た後では、あれでもまだましだったとも思っていますが。

 レジェンダリー版については今後はキングコングとの対決や、さらには『パシフィックリム』とのクロスオーバーすら企画されているそうです。正直、あまり節操のないクロスオーバーはしてほしくないですね。

 

Re: レジェンダリー版ゴジラ第2作目 - なんじぇい (?)

2018/03/03 (Sat) 22:06:50

レジェンダリー版ゴジラの不満点に関しては、私も全く同感です。

特に私が不満な箇所は、ゴールデンゲートブリッジをゴジラが襲うシーンでした。ゴジラがイージス艦のミサイルごときで怯んで逃げてしまっているのは、いったいどういうことかと感じました(まだエメリッヒゴジラから抜けきれていないのかと落胆しました)。
怪獣王ならばその程度の攻撃で怯んだり、逃げたりしてはなりません。
公式ノベライズである小説ではその後の顛末が語られているのですが、更に酷いことになっています。なんと戦闘機のなんの変哲もない徹甲弾やミサイルで、ゴジラが背鰭を貫かれ負傷しているのです。

この点に関しては『シン・ゴジラ』より遥かに酷いと言わざるをえません。『シン・ゴジラ』もMLRSで動きが止まったり、空爆で進路を変えたりなどの描写はありましたが、あからさまに怯んで逃げ出したり、負傷したりはしませんでした。
そのような描写があるため、ムートー2体にゴジラが押されっぱなしになる際に私が思ったことは「ムートーが強いんじゃなくてゴジラが弱すぎるだけじゃないのか?」でした。

主役であるゴジラには、ちゃんと「怪獣王」に恥じぬ強さの演出をしてもらいたいところです。続編には一番そこを期待します。
少なくとも人間の通常兵器で逃げ出したり、負傷などは勘弁してほしいですね。

Re: レジェンダリー版ゴジラ第2作目 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/05 (Mon) 18:51:01

 レジェンダリーのモンスターバースが今後どうなっていくのか、まだ2作しか公開されていないのでなんとも言えないところがありますね。

 ギャレスゴジラに関しては、私もいろいろと不満がありました。
(良かったところは、怪獣が変異体ではなく天然ものだったことと人間には倒されないところ)

 『~髑髏島の巨神』のほうが怪獣の扱いに納得できたように思うので、良い方向へ転換していってくれることを願います。
えーと、『パシフィック・リム』との連動は、絶対に止めて下さい!!
人類製の搭乗型巨大ロボと怪獣が互角に戦うなんてことになったら、怪獣映画は台無しです。
(平成VSの中では『vsメカゴジラ』が一番好きだと言ってますが、対ゴジラ兵器としてのメカゴジラはまったく評価していません)

Re: レジェンダリー版ゴジラ第2作目 - なんじぇい (?)

2018/03/08 (Thu) 01:10:26

>人類製の搭乗型巨大ロボと怪獣が互角に戦うなんてことになったら、怪獣映画は台無しです。
(平成VSの中では『vsメカゴジラ』が一番好きだと言ってますが、対ゴジラ兵器としてのメカゴジラはまったく評価していません)

これに関しては私としては、あまり同意できないかなあ……と感じます。
というのは、2つ疑問点があるからです。

まず、『ゴジラ映画』ではなく、『怪獣映画』としている点です。(ゴジラに関しては後に述べます)
まず怪獣と戦うことが可能な搭乗型巨大ロボという時点で、現実では実現がまず不可能なSF兵器であり、いわゆる超兵器のカテゴリに入るのではないでしょうか。
超兵器で倒されるとなったら、それは怪獣としては昔から今までよくあることのように感じてなりません。
無重力弾やライトンR30爆弾がゼットンやキングジョーを倒したのと似たようなものに思えます。
『怪獣は人類には絶対倒せない』となると同じ東宝怪獣でもゲゾラとかマンダとかバラン等もダメになってしまいますし、そういう縛りはあまり私としては歓迎出来ません。

第2に、『VSメカゴジラ』でのメカゴジラは、あれは完全な人類製ではないという点です。(広義的には未来人も人類なのかもしれませんが)
メカキングギドラを引き揚げて23世紀の科学技術を徹底的に分析して作られたと、冒頭のナレーションで説明されていたので(そこがあのメカゴジラの評価できるポイントだと感じています)……
少なくとも、未来人なしではあのメカゴジラは出来ません。


ちなみに私も、『パシフィック・リム』とのコラボレーションには賛成できません。
理由としては、ゴジラ映画としては完全な人類製のロボットでゴジラと互角に戦ってしまうのは不味い、という思いです。
(アニメゴジラのメカゴジラも宇宙人のビルサルドの技術で出来ているなど、その辺りはちゃんと守られているように思えます。機龍は微妙ですが…)

Re: 長くなっちゃうんだなぁ 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/08 (Thu) 17:53:56

 では、私の考えを出来るだけ短く書いてみようと思いますが、長くなったらごめんなさい。
怪獣に何を求めるかが分かれ道となる話なので、うまくお伝えできるかちと自信はないです。

 怪獣映画における人間と怪獣の関係を考えると、社会を動かす存在たる怪獣に対して特定の個人が怪獣と対峙するのは、
ストーリーから怪獣の大きさを感じさせることに失敗する可能性が上がります。(すごく慎重な言い方をしているのは、作り方の巧拙によって結果が変わってくることもあり得るので・・)
 だから基本的には怪獣と対決するのは軍隊のような社会組織ということになります。
 怪獣は出てきただけで見た目が大きいわけですが、怪獣が登場人物ひとりひとりは相手にしていない、種族としての人間しか見ていないという形を作ることで人間から見た怪獣の大きさが出てくるのだと考えています。
(これもシチュエーションによって例外が生じます。怪獣が社会と対立していないときは人間個人を認知しても構いません)

 人類の科学技術が怪獣を凌駕するのか否かの問題は、その作品の主眼がどこにあるかによってその是非が問われるべきと思います。
とはいえ、日本的怪獣の魅力が科学技術を超える者であるところにあるなら、やはり基本的には科学で倒されるべきではないでしょう。(Gフォースメカゴジラも最終的には怪獣に勝てない)
そのほか、怪獣が主役であるかどうかも考慮されますし、ドゴラのような性格が見えないタイプ(怪獣として格下)なら人間に殺されてもそれほど問題はないかとも思われます。
それからごく初期の怪獣観がまとまっていない時代の作品となると私の説から外れるものもあります。このあたりは怪獣映画の歴史をひもといて一作毎に考えていくと流れが見えてきます。

 さて、私は
>人類製の搭乗型巨大ロボと怪獣が互角に戦うなんてこと

と書きました。「搭乗型」というのも重要なポイントでした。

 たとえ機械でも人工知能搭載で簡単な命令だけで自律的に行動するロボットなら怪獣と対峙してもそれほど問題はありません。
メカニコング、メカゴジラおよびそのⅡ型はロボット怪獣と言えるので怪獣と戦ってもいいのです。

 しかし、メカキングギドラはダメです。「vsキングギドラ」クライマックスでゴジラと戦ったのは誰でしょう?
メカキングギドラに意思はありません。あれはエミーがゴジラと戦ったのです。

 科学の力を借りたとは言え、特定の個人が怪獣と互角に戦うのはまずいと思います。(これも前述の通り例外はありうるでしょうが、それは怪獣映画の変化球でしょう)
複数の人間が乗っていても、Gフォースメカゴジラは個性が見える人間たちの操作によります。
もちろん巨大ロボを作るには社会が動いているわけですが、怪獣と格闘するのが人間である、というのはどうにも怪獣を矮小化させるように思えます。

 となると芹沢博士はどうなんだという疑問は出てくるでしょう。
オキシジェンデストロイヤーについては解決済みとして、芹沢個人がゴジラと対峙・対決しているではないかという反論はあり得るでしょう。
しかし、芹沢が劇中でどんな立ち位置であるかを熟考する必要があります。戦争の犠牲者であり戦争によって人生を狂わされた芹沢はゴジラと似通った境遇と言えます。
彼の背景とその発明(発見)物が合わさってゴジラと同等の存在になり得ているというのが私の解釈で、
『ゴジラ』にはすでに怪獣対決ものの原型があるというのがかねてよりの持論です。

 搭乗型巨大ロボと怪獣が互角に戦うと怪獣映画が台無しになる、という書き方はいささか乱暴に見えたかもしれませんね。
それでも、人間が操縦するタイプのロボット怪獣が出てくると、怪獣バトルに人間が出しゃばりすぎるなぁ、という思いがあります。
「vsスペースゴジラ」のモゲラも同様で、『パシフィック・リム』となると完全に搭乗員のドラマになっています。
そういうことは、怪獣が脇役の場合限定(それは怪獣映画とは言わない。『海底軍艦』は怪獣映画ではないですよね)にして欲しい。

Re:キャラクターの 『深み』の問題 - なんじぇい (?)

2018/03/09 (Fri) 00:14:16

ギドラ様の意見を興味深く読ませていただきました。
また、『海底軍艦』に関しては、怪獣映画ではなく兵器映画であることから、マンダを例に挙げたことに関しては確かに間違いでした(ゲゾラとかガ二メ辺りは例外なのでしょうか?)。



しかし、私が怪獣に求めるものは人間たちに対する強さではないのです。
先に言ってしまうと、私はその怪獣の持つテーマ性(要するに何を見せたいのかということ)こそが最も重要な要素であると思っています。

例えばキングコングは、新兵器はおろか複葉機の機銃程度で死んでしまうほど脆い存在です。それなのに、キングコングはゴジラと並ぶ2大怪獣として現在も君臨し続けてきています。
それは何故かと考えたところ、キングコングは「髑髏島の王者として君臨していた自由奔放な存在が、人間たちの都合によってアメリカに連れて行かれ見世物にされ死んでゆく」という悲哀に満ちた生物としての側面があることが大きいのではないでしょうか。
髑髏島の王者であっても名無しの人間のただの戦闘機にやられてしまう所や、アンへの報われない一方通行の愛情も、コングの哀れさを引き立たせていますし、それがコングの個性であると感じています。


そのため、私はその怪獣を通してどのようなテーマを見せたいのかが最も大事であり、強さについては(イフみたいな強い怪獣も好きですが)、完全な新規怪獣に関してはそれほど求めていません。
ギドラ様の『日本的怪獣を見たい』という思いそれ自体を否定することはありませんが、(完全新規の怪獣ならという条件が付きますが)私にとっては怪獣が人類の科学で倒せるか否かはそれほど重要ではありません。




翻って、ゴジラに対して『搭乗型ロボット』が互角に戦うのが駄目だとおっしゃる点に関しては、何とも納得できない感じが残ります。ですが、同意できるところもかなりあります。
私としては前の話に重なりますが、芹沢博士がゴジラを倒し得たのは、ギドラ様のお話に多大に重なりますが、芹沢博士が過去の境遇などでゴジラに匹敵する『深み』を持っていたからであると考えています。
その深みは同じ境遇だから成り立つ、というものではなく、(怪獣対決物でも双方似た境遇の怪獣でないことが多いでしょう)、バックボーンや背負っているものの大きさで比肩しているということです。
ギドラ様がおっしゃっている『人間が操縦するタイプのロボット怪獣が出てくると、怪獣バトルに人間が出しゃばりすぎる』というのは、その人間に怪獣に比肩するような深みやバックボーンを備え付ける必要がある以上必然的にそうなるように思えます。


しかし、これだけは言っておかなければなりません。ここはギドラ様の意見に完全に同じことになります。
最近の怪獣映画は、あまりにも人間中心過ぎています。
怪獣映画の主役はなんなのか。当然怪獣です。しかし人間が中心になりすぎて、怪獣が脇役に甘んじてしまっていることが非常に多い。
搭乗型ロボットをゴジラと戦わせること自体は私は反対はしませんが、そういう場合はゴジラと人間のダブル主役程度にしてほしいものです。
(機龍2部作で納得できなかったのはそこです。人間ドラマが中心になりすぎていて、ゴジラが脇役に甘んじてしまっている)

私としては、『ゴジラVSメカゴジラ』が搭乗型ロボットの作品では一番ちょうどいい塩梅のように思えます。

追記 - なんじぇい (?)

2018/03/09 (Fri) 13:07:49

来年のレジェンダリー版ゴジラにはなんと『オキシジェン・デストロイヤー』が出るそうです。
監督がツイッターで明かしていたのを見ました。
オキシジェン・デストロイヤーがどのような扱いになるか、注目といったところですね。

Re: オキシジェン・デストロイヤー! - 海軍大臣 (男性)

2018/03/10 (Sat) 00:24:12

 以前から、どうにも私には「オキシジェン・デストロイヤー」というもののデザインが、原子爆弾の種類で云うヒロシマ型(ガン・バレル型)とナガサキ型(爆縮型)それぞれの特徴を混ぜ合わせたもののように思えてならないでおります。
 実のところ私がこれに気が付いたのは、小学生時分に目にした学童向けの学習マンガシリーズに「原子力」をテーマにしたものがあって、それに載っていた核爆弾についての図解を目にしたときのことでした。(我ながら、何てガキだ!)
 ところが、意外にもそうした話は周囲の特撮仲間たちからは聞こえてきません。これって余り知られていないことなのでしょうか? たいへん疑問です。

ひとつの考えとして 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/01 (Thu) 19:25:07

 別スレッドの話のつづきですが、流れがちょっと変わってきた感じなので新記事にしますね。

>なんじぇいさんへ
 ははあ、繰り返し東京に向かってきたことにも一応設定はあった、ということだったんですね。
(そんなに設定固めしなくても、劇中で納得できる形に劇展開を作れば良いのになぁ。それが作劇だろう、と思う)

 さて『シン・ゴジラ』からは離れた一般論として、昨今の欠陥作品をも傑作だの名作だのと持ち上げる風潮について。

 これ、自分の感性を守ろうとする防衛反応じゃないかと思います。
 まあ、好きな物を守ろうとするのは自然な反応ですからあまり責められないところではありますし、
特撮映画がいかに映画批評の歴史の中で不遇だったかを考えれば、誰かが否定していてもその価値を信じて論陣を張るのも大事なのかも知れません。
そのように頑張った人々がいるからゴジラやウルトラが生き延びたのかも知れませんし。

 自分の好きな物を守ろうとするのはいいのですが、問題はその主張が理性的であるかどうか。
理性的な判断とは論理性を持つもので、個人の経験に基づく心理傾向を除外しても納得できる結論へ近づこうとする物でしょう。
しかし好き嫌いという感情的な反応は往々にして理性的ではありません。

 ストーリーに筋が通っていなくても作品の主題に対して十全な出来上がりではなくても、「好きな映画」というのはあり得ます。
そのとき、理性的に振る舞うなら自分が好きだと思った作品が一般的には駄作であるという事実を受け入れます。

 しかし、それが出来ない人もいる。
自分が好きだと思ったのだから傑作に違いない。そして傑作だと言い張るためにさまざまな「屁」理屈をこねる。

 私の映画に対する判断にどれほど正当性があるのかわかったものではありませんが、こうしてネットという公の場に発表して、
たくさんの方に鍛えていただいておりますからそれほど独善的ではないのだろうと思っています。

 気になるのは、近年の映画が黄金時代(日本映画においては1940年代から1960年代の30年間ぐらいではないかと思っています)に比べると、
私には受け入れがたいほど理性を欠いていると思われること。
昔の映画では、作品の主張が私の感性とは一致しない場合でも、異なる立場の人間にその主張を理解してもらおう、伝えようという意思が感じられます。
 ところが近年の作品では作り手の「こだわり」が優先されて、極めて感覚的な作りをしているものが多いです。
(端的には、人物の行動に感情的な合理性がなくても作者の都合で動かすようなストーリー作りなど)
 ですから重要な設定を十分に説明することもないまま筋が通っていなくても描きたいシーンを羅列するような映画が横行する。
(作品によってそのレベルは違います。惜しいなぁというものから、なんだこれ、というものまでいろいろあります)

 それでも、作中の何かに心が動けばその観客にとっては「おもしろかった」ということになり、それを貶されるのは不愉快なので
脳内補完や資料集で欠陥部分を補足して「ちゃんと出来ている作品」だった、という結論を導き出すのではないでしょうか。
(ひょっとするとその補足行為を作品を読んでいる、と勘違いしているのかもしれない)

 私は以前から映画は体験的なものであり、映画が喚起するのは感情である、と主張してきました。
しかしそれは、映画が非理性的な物であるという意味ではありません。
 映画が作り出す体験を「もう一つの現実」として受け止めるには、その世界に筋が通っていなくてはいけません。描きたい物語に筋を通すのが劇中の設定であり、
伝わらない設定は設定とは言えません。

 観客の想像力を喚起する曖昧さを持つ作品と観客の創作に頼らなければ成立しない欠陥を持つ作品は違います。

(以前にも書きましたが黒澤明は「観客を育てるのは作り手の役目」と言いました。そこに加えて、作り手を鍛えるのは厳しい批評だ、と言いたい。
日本映画がこんなことになってしまったのは、映画ジャーナリズムが死んでしまったからでは?)

Re: ひとつの考えとして - なんじぇい (?)

2018/03/02 (Fri) 00:20:30

ギドラ様のおっしゃることは確かにその通りで、映画に限らず作品の評価は柔軟にならなければいけないと思っています。私も初見では『シン・ゴジラ』を大傑作だなどと思っていましたが、今となっては問題点が多い、(どちらかといえば)駄作であるという感じになりました。
もっと話題を広げると、人の意見をちゃんと聞けるか否かというところが大きな問題でしょう。最近はそれができていない人が多いように感じ、私もそうならないように戒めなければと思っている今日この頃です。


ただ前にも書きましたが、作品の見方が変わってきている、もっと言うと多様化しているというものも大きいと感じます。
特に『エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』のような裏設定をガチガチに固めた作品を楽しんでいる層は、ちょっと想像ができない楽しみ方をする傾向があります。


友人に熱心なエヴァファンの者がおり、彼は『エヴァンゲリオン』の研究ノートを何冊も作成していました。私は何がそんなに彼を熱中させたのか不思議に思い、そこまでハマった原因をいくつか聞いたことがありました。
脚本の面白さなのか、と聞いたら、「エヴァのストーリーはつまらない」と言う。魅力的なキャラクターなのか、と聞いたらそうでもない(アスカは好きだったそうですが)。じゃあ台詞回しか、というと違うらしい。
じゃあなんなんだ、と聞いたら「考察することだ」と言っていました。彼曰くエヴァのストーリーは確かに歯抜けが多くつまらないが、必ずその歯抜けの部分の解答は存在する。それを探し出してあれこれ考察するのが楽しいんだそうです。
『エヴァンゲリオン』は回答編が出るまで非常に長い推理小説のようなもの、ということでした。現に資料集でエヴァンゲリオンの秘密が明かされたことがあった際、彼らエヴァファンの推測はかなり当たっていたそうです。
『シン・ゴジラ』も同じことで、(庵野氏が明かしたご都合や創作の都合で着いた嘘を除けば)、シン・ゴジラの進路のように裏設定による解答が存在する(進路に関しては2016年12月に明かされました)ため、そこの考察が面白いとか。
そのときは彼の迫力に押され、なるほどなあ、と引き下がってしまいました。そのような人たちにとっては、資料集もまた作品の1部分なのでしょう。
私は映画や作品の楽しみ方は自由だと思っているため、彼らのような楽しみ方やそういう系統の作品を否定する気にはなれません(ただずるいなあとは思います。純粋に作者がミスをした欠陥すらも回答を導きだすことだって可能なのですから)。


しかしファンはその楽しみが高じて、大抵作品の欠陥すらも脳内で美化してしまう傾向があります。
屁理屈をこねくり回して「『シン・ゴジラ』は初代ゴジラの魂を受け継いだ唯一の作品」などという訳の分からない主張をする人がどれだけいたか。ゴジラの改変に関しても、エメリッヒのゴジラを批判してシン・ゴジラは絶賛する人もかなりいました。
好きな作品が完璧でなければ気が済まないのでしょう。ギドラ様の主張とかなり被りますが、そういう姿勢は理性的とはとても言い難いです。


1つの作品をここは良い、ここは悪い、と1つ1つちゃんと分けて判断する。作品に関してはそういう批評が求められている気がします。



余談ですが、そういう裏設定を大量に出した作品の開祖といえる庵野氏は、商売人としては非常に上手であると感じています。
そのような作品は純粋な欠陥すらも考察で覆い隠してしまう上に、また批判しても「ここはこういう解釈があるから問題ない」「裏設定を読んだらこう書いている。作中のすごく小さい文字を読めば解けたものだ。分からなかったお前が無知なだけ」などと言い返されるのですから、批判者もそれを恐れて黙ってしまうでしょう。
そういう意味で『新世紀エヴァンゲリオン』は新しい形のファンを生み出したエポックメイキングな(そして罪作りな)作品であるとは思っています。

Re: ひとつの考えとして 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/05 (Mon) 18:49:05

 確かに、映画であれテレビであれ上映・放映された作品そのものだけでは全体像が見えないような作りの物が増えてきているようですね。
そしてネットだ書籍だと補足作品・情報を出してビジネスチャンスにしているようで・・。

 ひょっとするとそれはそれでひとつの表現形式になっていくのかもしれません。

 けれどもねぇ、単にストーリーを間引いているとか、設定の説明を省略しているとかいうレベルの欠落ではなく、
扱っている問題・テーマに対する掘り下げが甘いとか、ストーリーの組み立てがへたくそといった作品も増えているように思うので、
たとえ商売優先でも、不出来な物をごまかすためのメディアミックスみたいなことはして欲しくないですね。

『シン・ゴジラ』の衝撃的な裏話…… - なんじぇい (?)

2018/02/27 (Tue) 01:44:29

>自分としてはもう『シン・ゴジラ』についてあれこれ書く気はありません。
とギドラ様はおっしゃったところ本当に申し訳ないのですが、最後にどうしても書きたかったので、『シン・ゴジラ』に関してここに書かせていただきます。どうかお許しください。
ギドラ様のシン・ゴジラ評で気になったところがあるのです。


ギドラ様の批評は感想としてはほぼ同意しますが、いくつかについては庵野氏の考えていた演出と差異がありますよ、とは思いました。


シン・ゴジラが鎌倉や蒲田に上陸した理由ですが、これは一応設定があります。といっても、劇中には描かれていませんが……
『日経サイエンス シン・ゴジラの科学』によれば、シン・ゴジラの行動ルートは、ニホンウナギの回遊ルートと同じなのだそうです。つまり「ウナギの遺伝子を持っていたから上陸しようとしたんだよ」、という理屈付けは一応設定ではされています。
じゃあなぜその理由を劇中で見せなかったのかに関しては、庵野氏いわく「何を考えているのかわからないことの怖さを狙った」そうです。

そして(とんでもないゴジラの改変があります。どうか気を静めて見てください)



シン・ゴジラには感情が一切ないのです。恐らく痛覚すらありません。
信じがたいかもしれませんが、感情については『シン・ゴジラ GENERATION』に書かれてあることで本当です。
痛覚がないことは、本編で登場した間邦夫の整理した図にちょろっと書かれてあります(といっても私も『ジ・アート』でようやくわかった位なのですが)。なんでも、急激に第3形態に変態したから痛覚がないのだろう、と間教授は考えていたそうです。
なぜそんな改変をしたのか? これも前と同じく「何を考えているかわからない、幽霊のような怖さを狙った」ということになります。
実は、CGIモーションでもっと色々な動きが模索されていたそうですが、庵野氏は「生物感があり過ぎる」「神や幽霊のイメージを取り入れたい」とすべて没にしました。
また倒壊してくるビルで痛がるゴジラのモーションをスタッフが作成したところ、庵野氏は「感情がないんだし痛がらなくていい」と止めてしまいました。

じゃあなんでMOPⅡを受けて熱線を吐いたのかに関しては『シン・ゴジラの科学』によれば、体内のダメージによって体内の核エネルギーシステムが変調した結果熱焔を吐き出し(要はゲロを吐いているようなもの)、その後それをとっさに攻撃に応用しただけ、というのがその正体です。

そういうわけで、シン・ゴジラに生物感や感情を感じないのは、元々シン・ゴジラに感情などないし上陸した理由を書かなかったのは庵野氏の演出によるものだということは記しておきます。
怖さを狙うために、感情をなくすなどのゴジラの改変をしてしまった庵野氏ですが、これも1984年からのゴジラの改変を許してしまった結果と言えるのかもしれません。
ただ『何考えてるかわからない怖さ』は結構な人が絶賛してしまっているようです。


私としては、庵野氏の『何を考えているのかわからない、幽霊のような怖さ』を出したいといった一連の演出や設定について、ご意見を皆様にお伺いしたいところです。
ゴジラとしてはどうなのかということと、怪獣映画の演出としてどうかということの2つについてお聞きしたいです。





余談ですが、実はシン・ゴジラは破片からもゴジラが次々と増殖するという設定があります。
しかし極めてグロテスクなためか映像はカットされ、「各所で起きている事象とつくばからの各種データを合わせて検証したゴジラの無生殖による個体増殖の可能性です。世界中へ鼠算式に個体が群体化すると予測しています」「死すらも超越している可能性がある」といった台詞だけが残っています。
https://youtu.be/FDl8UntS1hg(没カット。極めてグロテスクなので注意です)
確かにこれがあるのなら核で滅却する以外に倒す方法はなくなりますから理にはかなってますが……グロテスクすぎて切ったのは正解という他ありません。

さらにとんでもないシンゴジラ第6形態 - なんじぇい (?)

2018/02/27 (Tue) 03:19:23

あくまで可能性の話ですが、『シン・ゴジラの科学』によれば、小型化・群体化して人型にダウンサイジングしたゴジラ第5形態のその先があるそうです。

その名はゴジラ第6形態とされています。正体は以下のようなものです。
・混合栄養生物から独立栄養生物になる。
・食料を補給する必要がないため、口が消失する。
・自力で宇宙に到達し新たな惑星目指して飛翔する。
・食べてないのに口が残っている第4形態は、完全に変態が進んでいない赤ちゃんの状態にすぎない。

私は最初に見たときはゴジラの面影がどこにもないその設定に、あくまで可能性とはいえ相当なショックを受けてしまいました。

Re: 『シン・ゴジラ』の衝撃的な裏話…… 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/27 (Tue) 18:48:41

 ちんごじらに感情が見えないことが意図的であろうとはわかっていましたが、痛覚までない設定だったとは驚きましたね。
ただ、なぜそんな設定、演出をしたのかというあたりになると、すでに前例があるので驚きませんでした。

 結局、『シン・ゴジラ』の作り手は『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』のフォロワーだったというわけです。
ちんごじらに感情表現がないことで、おそらくそうだろうな、とはわかっていましたが、

>庵野氏いわく「何を考えているのかわからないことの怖さを狙った」
>「神や幽霊のイメージを取り入れたい」

 とのコメントで、なんだ「GMK」の真似をしたかっただけか、と再認識。
「GMK」ではいまいちやりきれていなかった無感情な怪獣というものをきっちりやってみた、というところなのでしょうね。
なので、この件は、「GMK」掲示板のログを読んで頂ければ私の意見がわかると思いますよ。
(なんて書くといじわるですね)

  怪獣のバリエーションとして感情のない怪獣というのがいてもいいでしょう。
ただし、それは怪獣の王道ではない。
TVドキュメンタリー「ウルトラQのおやじ」より、円谷英二の言葉「怪獣は怖いだけじゃダメ。どこかユーモラスな面がないとね」
そんな発想で演出されてきたのが円谷英二の怪獣。円谷英二に怪獣観を植え付けられた私としては無感情な怪獣には魅力を感じません。

 ゴジラとしてどうなのか、についてはもはや書く必要はないでしょう。(ゴジラの原点は?)

 ところで、私、ちんごじらの行動パターンに説明が必要だ、と書いてましたっけ?(マキゴロウが仕組んだのなら、その意図を説明せよとか書いたかな??)
基本的な考えとして、怪獣の行動には人間の理解が及ばなくても構わない、と主張してきましたので、『シン・ゴジラ』の怪獣が歩くルートなどに文句を付けた覚えはないんですが・・。
多摩川で自衛隊の攻撃を受けて進路を変えたのには少々ぶーたれたかもしれません。自衛隊を蹴散らしてまっすぐ進めよ、と。

 昨年1月16日の投稿記事中にこんなことは書いてますね。

「ゴジラがなんの理由もなく狙ったように都市部に現れてぶっ壊し始めるのは絶対に違う、と思っています。
そのとき、ゴジラの感情はどうなっているのですか?
暴れる理由は??
そこには筋を通さないと。
(注ここまではゴジラ一般論を書いています)
そして、『シン・ゴジラ』。
(中略)
まあ、目的不明のまま上陸するのはよしとしましょう。
(いや、それでも繰り返し東京を目指すのは不自然きわまりない。本物のゴジラにはそんな行動はない。初代ゴジラが東京に二回上陸しているのは、芹沢亀吉さんの分析が正しいでしょう。
二度とも先に人間がゴジラに対してアクションを起こしている)
私が大きく問題視するのは、多摩川で自衛隊にバンバン撃たれながらも反撃しないこと。
痛くも痒くもないのならそのまま前進すれば良いものを進行方向は変える。
まったく不自然。
その後、米軍の爆弾でケガをするのですから、あの自衛隊の攻撃だってまるっきり平気なはずはない。
それなのに、怒りもしないし反撃もしない。
なんだあれは?
あれもマキゴロウ博士がなにかを仕組んだという裏設定でもあるのか?
怪獣にも心があるはずだという怪獣演出の基本中の基本がおろそかになっている。」

 私は怪獣には心があってしかるべきだと思っているのでこういう書き方になっていますが、
ちんごじらには、心はないし痛みも感じないということになると、やはり進行方向を変えたことに筋が通りませんね。
身体の損壊などを中枢神経に通達するのが痛覚と解釈されますから、攻撃を感知しての方向転換だとすれば痛覚がないという設定と矛盾します。
(なんて書くと、どこかからどうにかこうにか説明のつく設定が出てくるんでしょうかねぇ。だから『シン・ゴジラ』はもう相手にしません。
あー言えばこう言う式の裏設定にはうんざりです。その一つに暦の問題もある)

Re: 増加する裏設定多すぎ作品 - なんじぇい (?)

2018/02/27 (Tue) 20:25:31

私は「繰り返し東京を目指した理由」を書いたつもりだったのですが、それを書いていませんでした。すみません。

『シン・ゴジラ』を『GMK』と絡めたのは慧眼という他ないです。私には思い付きませんでした。
考えてみれば白目などのゴジラの容姿に過剰な改変を加えたのも、『GMK』が最初だったように思います(海外ではエメリッヒゴジラが先ですけど)
おっしゃるとおり、『シン・ゴジラ』はGMKを真似たのではないかという意見に私も同意します。
このような悪しき改変をそのまんま真似てしまったということなのでしょう。


最近は『エヴァンゲリオン』の影響もあってか、本編で意図的に大事なことを説明せず歯抜け状態で作品を出し、裏設定満載の資料本を後々多数発売する……という商法がアニメや映画で続出しています。
なんでこんなことになったのか。1つは視聴者をあれこれ考察させることで、作品に没頭させることができるというものでしょう。
しかし私としては、欠陥だらけの作品を作ってもあれこれちりばめて置けば勝手に視聴者が補完してくれるだろう、という思惑があるように思います。
もっとずるいことを言えば、資料本を売って金儲けしたいから、という商業主義的なものがあるのかもしれません(そんなわけがあって、私は『シン・ゴジラ』の資料本に関してはパンフレット以外一切買っていません。すべて図書館で借りるか立ち読みです)。

いずれにせよ、この傾向は作品本体の出来を低下させる悪い風潮のように思います。
しかし、これを「そのような裏設定があるとはなんて深い作品なんだ」と絶賛する人たちが増えてきている以上、当分はこの傾向が続きそうな予感がします。

(ちなみにゴジラが進路を変えたのは、あくまでも推測ですが戦車隊の攻撃で僅かに進行速度が低下し、MLRSで進行を停止したことから考えると、「砲撃で前に進めないため、脅威を排除するため自衛隊の戦車隊に橋を蹴り飛ばして当てようとした」からかなあ……と考えていました。戦車の攻撃くらいでゴジラに有効打を与えられるのか、という落胆がありますが。この件は返信なしで結構です)

Re: ちゃんとした表があっての裏話ではないんですかねえ? - 海軍大臣 (男性)

2018/02/27 (Tue) 22:06:01

 そのような裏設定を解説した書籍があることを初めて知りましたが、私には画面に現れてこない設定(つまり観客が映画作品中から知り得ない情報)は無意味だと思われます。常識的に見て、客の大半は関連書籍などで作品の事前学習(或いは事後学習)などしないからです。
作り手にしても出来上がった映像作品が全てであるべきで、作品の外側からあれこれ付け足すような発言は、ただの言い訳にすぎないように感じられてしまい、フェアな感じがしません。自作に与えられた上映時間内に、必要な情報を受け手である観客に授与出来なかったことになるのですからね。
 でも、後からそうした裏設定とかを云々するのが好きなお方も大勢いらっしゃるようで、最初からそれを見越した作品作りや話題作りが罷り通る御時勢なのでしょうか?

 それと「何を考えているのかわからない幽霊みたいな怖さ」との発言(興味がないので、製作者側からこうした発言があったのも初めて聞きました)ですが、何だかこれは「幽霊」というワードを用いることで、丸木位里・俊ご夫妻が描かれた『原爆の図 第一部 幽霊』を、受け手側が無意識に想起するように巧みに誘導しているみたいで不快な感じがします。作品名をダイレクトに挙げてしまうと、某特撮TV番組の「12話事件」みたいなデリケートな問題を惹起しかねない部分を含んでいますから、こうした言い方をしているように私などには受け取れてしまうのです。
それは考え過ぎじゃないか? とのご意見もあるかとは思いますが、ビルを押し倒し、街を焼き尽くすような巨大怪獣のイメージを語るのに、「幽霊」という表現は余りにも不自然です。幽霊とは曖昧模糊として消え入るような存在感(或いは、非存在感)が身上の筈です。
 大体にして幽霊って「何を考えているか判らない」とか「無表情」なものなのでしょうか? この世に恨みつらみを残して横死した人間が化けて出てくるのですから、昔風の怪談話じゃありませんが、「げに恐ろしきかな、その表情…」とするのが応挙や晴雨の時代からの通り相場だと思います。

 最後に第5、第6形態につきましては、これをゴジラと呼ぶことは、もはや沙汰の限りです。昨今議論となった「eスポーツ」をスポーツだと言い張ること以上に無理があると思います。

Re: 本当にすみません - なんじぇい (?)

2018/02/27 (Tue) 23:59:27

正確には庵野氏は「何を考えているか分からない怖さを出したい」「神や幽霊のような動きを取り入れたい」とは言っていますが、それぞれは別個のものです。
「何を考えているのかわからない幽霊のような怖さ」は私が一語でまとめてしまったものです。
海軍大臣様を誤解させるようなことを書いてしまい、本当にすみませんでした。これからはそのまま抜き出しておくように気を付けます。





さて、それ以外に関してはまさしく海軍大臣様のおっしゃるとおりでしょう。第5・第6形態に関しては前に書いた通り強いショックを受けてしまいました。
特に第6形態に口がないだなんて……文字通りの絶句です。
破片から増殖する設定と言い、シン・ゴジラはヘドラ2号といったほうがよいです。
こんなものはゴジラではありません。

しかしこれでも、まだ製作者側からは抑えた設定なのだとか。
『ジ・アート』には、東宝からNGが出たシン・ゴジラの案が載っています。その中には双頭に分裂するゴジラや、破片から猛烈に気持ち悪い再生をしていくゴジラなどの悪趣味の極みのような案がありました。東宝がこれらにNGをかけたのはファインプレーだったと言う他ありません。
これらの猛烈に気持ち悪いゴジラらしきものはここに貼ることも憚られますので画像は貼りませんが、『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』で検索すればその気持ち悪い画像が大量に出てくるので、嘘ではないことはお判りになると思います。


しかしこれらの画像や裏設定により、「シン・ゴジラは歴代ゴジラ最強であり、第5形態や第6形態になれば他のゴジラは手も足も出ないだろう」「そもそも第4形態の時点で破片から無限増殖するため歴代最強」「こういうぶっとんだ設定も嫌いではない」等とこのような設定を好くものもいて、ますます混沌としている有り様です(まあこれらの設定に抵抗を持つ人も数多くいますが)。



>でも、後からそうした裏設定とかを云々するのが好きなお方も大勢いらっしゃるようで、最初からそれを見越した作品作りや話題作りが罷り通る御時勢なのでしょうか?

これは最近は特にそのように感じます。理由としてはこの系列の原点にして最も人気を得た作品と言ってもよい『新世紀エヴァンゲリオン』を見て影響を受けた人たちが「作る側」「批評する側」に回ったことが影響しているのだと思います。

例えばアニメ評論家のみが投票できる、当然組織票が不可能な「芸術新潮 2017年9月号 日本のアニメベスト10」ではなななんと、『新世紀エヴァンゲリオン』が1位となってしまいました。
因みにクリエイター側では庵野氏は2位です。(1位は宮崎駿氏)


そんなわけで、映画やアニメの楽しみ方が明らかに変わってきているな、と感じるこの頃です。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話が少しずれますが、海軍大臣様の「話題作り」に関して少し掘り下げてみます……

最近のアニメの傾向としては、ツイッター等を利用してその場の話題になることを最優先として衝撃的な展開を連発して作劇をされるものがよく見受けられます。(代表的なものを挙げると、『コードギアス』や『魔法少女まどか☆マギカ』など)
このようなものは短期的には話題になりますが、作品全体としては筋が定まらないことになっているパターンが多いです(むろんいい作品もありますが)。
しかしその短期間を楽しんだ人たちにとっては、そのアニメは傑作になってしまうでしょう。
また兎に角テンポを最優先とし、整合性を2の次とするアニメも増殖しています。

このようなアニメが流行っている理由として、アニメの『1話切り』について述べておかなくてはなりません。
最近の深夜アニメは週に30本以上放映されるため、全てを鑑賞することなどできません。その為、アニメ鑑賞者たちは1話や2話だけを見てそのアニメを見るかどうか判断することが多いのです。
そういうわけで、できる限り1話や2話に見せ場を用意するため衝撃的な展開や兎に角テンポの速い作劇をすることが増えているのです。
また、ゆったりとした作劇をしていたら即座に飽きられてしまう、といった製作者側の危惧もあるでしょう。
長々と書きましたが、そのような鑑賞者の傾向に合わせた作品が増えている、ということです。

Re: 『シン・ゴジラ』の衝撃的な裏話…… - エクセルシオール (男性)

2018/02/28 (Wed) 22:49:04

 『シン・ゴジラ』の大変気色の悪いイラスト等を見ましたが、本編に登場したものだけで十分気持ち悪かったのに、そのさらに上を行くものがありげっそりしています。おまけに心もない、痛覚もない、かつてのゴジラとは根本的に違う・・・。あらためて「こんなものをゴジラと言ってよいのか?」と問われるところでしょう(ヘドラ2号というたとえは言い得て妙だと思います。もっとも『シン・ヘドラ』ではお客はこなかったでしょうね)。

 また、いくら公式設定だとしても、作品自体に提示されていないものは「ないもの」と観客に判断されても仕方ありません。後出しじゃんけんのように「これが真相です」「この設定を考えれば問題ありません」などと言うのは、単なる言い訳より性質が悪い。これはまさに「エヴァンゲリオン商法」(謎また謎で引っ張って客を引きつけるやり口。実は中身はないことが多い)というべきものです。一言で言えばアンフェアです。
 困ったことに近年は不十分かつ不親切な内容の作品を「深い作品」として正当化するばかりか、それを批判すると「解釈能力が低い」とか「何でもかんでも作中で提示することを要求している」などと非難する風潮があります。このような論法によれば、どんな作品でも「傑作」になってしまうでしょう。

 『シン・ゴジラ』はゴジラとして作られるべき映画ではなかった。心情論かもしれませんが、ゴジラとは怪獣の王様、正統派怪獣の代表、王道を突き進むべきものであるべきです。だが、オタク趣味全開の『シン・ゴジラ』はその対極にあります。


>最近のアニメの傾向としては、ツイッター等を利用してその場の話題になることを最優先として衝撃的な展開を連発して作劇をされるものがよく見受けられます。

 おっしゃる通りだと思います。刺激性の強い描写や衝撃的な展開に頼るばかりで、全体としてストーリーが支離滅裂になっていたり、消化不良になってしまう作品は増える一方です(コードギアスなど設定は悪くないのに物語がどんどんおかしくなっていった好例)。
 なお、今話題の『ポプテピピック』というアニメはある意味一過性の話題に頼った究極の作品かもしれません(内容は他作品のパロディやあまり面白くないギャグが中心の意味不明なもので、声優の知名度と演技力のみに頼っている感がある)。

裏設定をどこまで認めるべきか? - なんじぇい (?)

2018/03/01 (Thu) 01:01:10

まあ、気持ち悪い『ジ・アート』のイラストに関しては没設定であるためそれほど目くじらを立てる必要はないとは思いますが(その発想が出る時点でヤバい気はしなくもないが)、第5形態や感情や痛覚云々などは本物の裏設定なので、勘弁してくれよ、としか申し上げられません。


ちなみに題名の裏設定の是非ですが、私としては知らなくても本編に影響のない範囲であるか、本編を凝視すればわかるならば問題はないと考えています。
前者は知らなくとも本編の評価に影響がないということと、後者は一応本編には描かれているというのがその理由です。
そういうわけで、例えば『シン・ゴジラ』の人類起源はその設定の良し悪しはともかくとして、凝視すれば判別可能であり人類起源という答えにたどり着けるためギリギリセーフという形になります(ただしこのようなものはないほうが望ましい)。
ですが尻尾の第5形態などは、完全に本編で判別不能なので×ですね。



ここからはアニメの話です。
『コードギアス』はまさしくエクセルシオール様のおっしゃる通り、衝撃的な展開を優先して支離滅裂な展開になってしまった作品の典型例と言えるでしょう。私はリアルタイムで見ていてとても残念に思いました。
『魔法少女まどか☆マギカ』はまだ話に筋が通っていた分大分マシに思えましたが、やっていることは過去に使い古された展開であるループものであり容易に想像ができ、落ちとしてもそこまで褒めるほどか?(というより魔法少女たちの願い事や行動が頭が悪すぎる) というのが率直な感想です。可もなく不可もなく、といった感じでした。

その場の話題になることを最優先とした展開で、面白いと感じたものは『けものフレンズ』でしょうか。あれも話題性を優先し不穏な雰囲気を作中で多数出して視聴者を引き付けていましたが、知らなくても作品は十分に楽しめる範囲であり、なんだかんだで話は筋が通っていて落ちも奇麗に畳んだと思っています。
『ポプテピピック』はどうにも興味が持てず見ていません。

1984年の疵痕 - 海軍大臣 (男性)

2018/02/25 (Sun) 00:26:39

 先日発売された『東宝版フランケンシュタインの怪獣 完全資料集』はスチール満載でビジュアル面では見応え十分なのですが、如何せん活字資料が少ない点が玉に瑕でした。それでもその少ない活字ページに、これまで余り注目されてこなかったベネディクト・プロを始めとする海外資本との提携作品(勿論、東宝フランケン2部作もこれに当たります)についての詳細な論考が掲載されているのは注目です。
 ご覧になっていないの方のために詳細は避けますが、中でも興味深かったのはハリウッドでの76年版【キングコング】の後を受けて、田中友幸さんが進められていた日米合作【ゴジラVSデビル】の企画です。内容は70年代末に刊行された『大特撮』という書籍中でも触れられていたのでご記憶のある方も居られるでしょうが、人類の悪の思念(つまり、デビル)によって生まれた大怪鳥や大怪鳥とゴジラが戦う「VSもの」です。復活が模索されていた時点では、決して第1作の流れを受けた「ゴジラ単体」が出現するリアル路線のストーリーではなかったことになります。
 こうした周辺を振り返って見ますと、昭和50年春にいったん終了したゴジラシリーズを再度スタートさせるための製作者サイドの動きや思考は、このところ当サイトで議論されている「次のゴジラ映画の在り方」を探る上での何らかの指針になるような気がするのです。

 何年か前に刊行された『東宝特撮未発表資料アーカイブ』でもゴジラ復活の紆余曲折に関して、光瀬龍さんや眉村卓さんといったSF作家(いずれも田中友幸さんがご自分のポケットマネーで開催していたとされているSF小説公募企画の出身者。小松左京さんもその一人)たちによるプロットが掲載されていましたが、その何れもが宇宙人や古代文明を絡めた内容で、明らかに本家ゴジラの出自とは異なるものが模索されていました。まだこの時点では、後に【ゴジラ(84)】として実現する「災害パニックもの+ポリティカルフィクション」の色合いは希薄です。
 先の合作企画といい、SF作家によるプロットの模索といい、チャンピオンまつりが終了して間もないこの時点では、未だ田中友幸さんが新たなゴジラ映画の方向性を求めて五里霧中の状態に陥っていた観が感じられます。
 原発襲撃やショッキラス出現が描かれるなど、内容的に後の【84】の原型となる中西隆三さん他の『KING OF MONSTARS ゴジラの復活』にしても、改稿を経る内に対戦怪獣バガンを登場させるなど変遷し、VSものの色合いを濃くしていったようです。ですから実際の【84】の脚本を、本来はアクションものやサスペンス系を得意とされる永原秀一さんが担当されたのも、こうした当初のプロットの名残によるものなのかも知れませんね。
 で、紆余曲折の末に実際に出来上がった作品を観る限りでは、「リアル怪獣災害シミュレーション」路線への変更は流石に永原さんには荷が勝ちすぎたようで(勿論、シナリオの責任ばかりではないでしょうけれど)、私たち当時のファンにとっては何ともフラストレーションの残るものとなってしまいました。
 適切な表現かは判りませんが、「リアル怪獣災害シミュレーション」だとか「災害パニックもの+ポリティカルフィクション」としてゴジラを作るのなら、森谷司郎監督の【日本沈没】ぐらい肚を据えて撮ってもらいたいものだと、あのころ友人たちと話し合ったことが思い起こされますし、今思っても田中友幸さんと繋がりの深い橋本忍さんに脚本をお願いした方がよかったんじゃないか? との後知恵も湧いてきます。
 更に思考を広げてみると、【84】に対して当時の私たちと同じフラストレーションを抱いたままの人たちの一部が現在に至ってプロとなり、「あのときの敵討ち」とばかりに作ってしまったのが【平成ガメラ】や【シン・ゴジラ】なのじゃないか、なんて想像も膨らんできてしまいます。
 ですからそうした意味で【ゴジラ(84)】が当時の特撮ファンに残した爪痕というのが、物心両面とも実に大きかったのだなあと、今更ながらに痛感しております。

Re: 訂正です - 海軍大臣 (男性)

2018/02/25 (Sun) 00:35:28

☓大怪鳥や大怪鳥→〇大怪鳥や大怪鳥

Re: またまた訂正 - 海軍大臣 (男性)

2018/02/25 (Sun) 00:38:01

☓大怪鳥や大怪鳥→〇大怪鳥や大怪魚

 ごめんなさい。完全に睡眠不足です。

Re: 1984年の疵痕 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/26 (Mon) 18:56:00

 申し訳ありません。レスが遅れるうちにいろいろとお話が進んでしまったご様子。

 なんじぇいさんと海軍大臣さんのお話からいろいろと考えたことを書くつもりですが、独立した内容になるかもしれず、
しかし、話の流れもあるので、海軍大臣さんの記事にぶら下がります・・・。

『ゴジラfinal wars』が「緩い繋がり」を持っていたか、という案件に関してはすでに海軍大臣さんの見解があって、
私もそれに賛成です。
 ひょっとすると東宝サイドは過去作との断絶のない作品を作ろうとしたのかもしれませんが、実際に出来上がったものは、
東宝特撮のキャラクターたちを改変・再編したもので、結局は過去作と断絶したものになってしまいました。
 X星人という宇宙人は登場しますが、それは『怪獣大戦争』に登場したX星人とは別物であり、この一点だけ見ても、
過去作とは断絶した世界を舞台にしているのだ、と表明しているのだと感じられます。

 しかし、二作前の『ゴジラ×メカゴジラ』劇場パンフレットのPRODUCTION NOTES内東宝特撮映画の世界観という記事には、
「他の東宝特撮作品とゆるやかに世界観がつながっている新設定」という文言が出てきます。
そして手前味噌になりますが、『ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃』を語る掲示板
http://www.geocities.jp/k_ghidorah/gmk/gmk10owari01.htm
この413番投稿、2002年2月9日)
にて私が書いた言葉に
「ゆるやかな連続性」とあり、私が提唱するゴジラシリーズのつなぎ方を参考にしてもらったのかな?と喜んでいました。
(とはいえ、『×メカゴジラ』が私が思うような過去作との連携を実現していたわけでもないのだけれど)

しかし、次作『東京SOS』では中條博士を再登場させて『モスラ』とがっちがちに繋いでしまいます。
 この件について当時私は
http://www.geocities.jp/k_ghidorah/GMM/GMM04.html
184番投稿 2004年1月5日にて

「機龍シリーズが本家シリーズと接点を持たないことに利点はありません。
(オキシジェンデストロイヤーには触れるが、「水中の酸素を破壊し、生物を窒息させ、そのあと骨さえ残さず溶解する」という重要な設定を
無視しているのでは、オキシジェンデストロイヤーはなかったことと言っているのに等しい。
『ゴジラ』におけるオキシジェンデストロイヤーが恐ろしいのは、生き物をまったく痕跡も残さず消し去ってしまうことにあるのではないか?)
「×メカゴジラ」において1954年以来現れていなかったゴジラを見て、「ゴジラはほかの怪獣とは違う」という理屈で機龍を作り始めるわけですが、根拠が弱すぎます。
本家シリーズの歴史を踏まえた世界であれば、ゴジラが「怪獣王」であるという捉え方をされていても不自然ではありません。
「東京SOS」も同様。
『モスラ』のストーリーを踏まえながら、『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣地球最大の決戦』を無かったこととしているために不自然さが増しているのです。」
と憤っております。

 このとき、私は(当時の)製作陣にストーリーテリングの機微が分かる人間がいないのだな、と感じました。
どうやら現在も状況は変わっていない模様です・・・。

『シン・ゴジラ』を統一ゴジラシリーズに組み込めるか?(なんだかどこかの北と南みたいな話ですね)

 私は組み込む必要は無いと考えます。

 ストーリー作りの面から。
『シン・ゴジラ』は昭和29年事件すらなかった世界を舞台にしているので、元祖ゴジラシリーズとはまったく接点がない物語です。
『ゴジラ』(1954)に対する『シン・ゴジラ』は『キング・コング』(1933)に対する『キングコング』(1976)みたいなものですから、シリーズとして繋ぐ必要がありません。
『シン・ゴジラ』以前にも素っ頓狂なゴジラ映画はありましたが、東宝製作の物に限れば最低ラインとして昭和29年にゴジラが初出現という一点を守っていました。
二代目ゴジラを無視していたとしても初代ゴジラとの接点は大事にしていたと言えるので、枝分かれしたシリーズを一本化という考え方でいけるんじゃないかと思います。
(『×メガギラス』のゴジラはちとまずいんですが)
『シン・ゴジラ』はまったく別物ということでいいでしょう。

 プロモーション面から。
 どうなんでしょう、そもそも『シン・ゴジラ』をゴジラシリーズだと思って見た人はどれぐらいいるんでしょう?
東宝がゴジラと名付けて公開したからゴジラシリーズなんだろうな、という程度では?
『シン・ゴジラ』人気はゴジラ人気とは関係ないでしょう。ですから、ゴジラシリーズをつなぐときに『シン・ゴジラ』を除外しても文句は出ないと思います。
あの映画に登場する怪獣はポピュラーなゴジラとはまったく別物なのですから、ゴジラだと思って見た人も少ないでしょう。
マニアではない人には、あの怪獣をシンゴジラと呼ぶ人もいました。
『シン・ゴジラ』の続編が見たい人は『キングコング2』(1986)のような『シン・ゴジラ2』に期待するのだと思います。

と、いろいろ書きましたが、もう一度ダメ押しのように強調します。
 たとえゴジラシリーズを統一化するとしても、いちいち劇中で過去作のエピソードを持ち出したり、同じ人物を再登場させたりする必要はないのです。
むしろそんなことはしないほうがいい。
 第一に劇中のゴジラ史を細かく説明しないこと。そして、過去作と矛盾するような描写、設定は持ち込まないこと。
それでも今後シリーズを再開するにあたっては、どのゴジラの続きなの?という問いに答えられるものでなければならないので、再開第一作にはそれなりの説明は必要でしょう。
(『ゴジラ2000ミレニアム』はストーリー展開だけみれば決して過去作と断絶してはおらず、平成vsでも二代目ゴジラでも成立した話だったかもしれません。
しかし、ゴジラのデザインを大きく変えてしまったために、印象としてはそれまでのゴジラとは別物に見えてしまった・・)

 少なくとも二代目ゴジラとVSゴジラを両立させるような大設定は作らなければならないでしょう。(パラレルワールドはナシだし、ストーリー上矛盾する部分に無理矢理説明を付けることはない。
VSゴジラが描いた物語のうち二代目の物語と矛盾しない部分だけ生かした別のゴジラ史を考えるしかないでしょう。ただし、それはあくまでも裏設定に止めること。それから二代目の物語をベースにするのは、
VSより先行して作られているのですから、基盤として優先されるべきなので)
やり方としてはなんのことはない、登場人物が二代目もVSも両方知っていればいいんです。
 たとえば、二代目ゴジラの続きとして作るなら、ゴジラの姿形・性格はちゃんと二代目に準拠(定着しているのは『モスラ対ゴジラ』バージョンか『怪獣総進撃』バージョンでしょう)、
その上で出現したゴジラを見た人物(マスコミによる分析でも良い)が、「京都で生まれたヤツじゃない」と言うだけでマニアは納得では?
 これは出てこないVSゴジラを否定しない、というやり方です。

 ミレニアムシリーズのゴジラ達をどう繋ぐかは、そもそもが別々バラバラのゴジラ達なので、格別な処置はしなくても2000年代にもゴジラはちょくちょく現れていたという前提さえあれば、
否定も肯定もしないことで混乱を避けられると思っています。(それがどのゴジラなのかに言及する必要はない)


 それにしても、やはり1984年の大転換が今に至るまで禍根を残しているんですよね。
あのとき、ゴジラ史を書き換えても構わないという認識を作ってしまったことで、その後どんどん拡大解釈されていき、ゴジラを書き換えても構わないという風潮にまで発展してしまったわけです。
元祖ゴジラシリーズでは、作品の質がどんなに変わろうと、先行作の内容を無かったことにするようなストーリーにしたりゴジラを書き換えるようなことは絶対にしなかったのに。

*****************
付記すると、『シン・ゴジラ』を楽しんだ人々の楽しんだことそのものを否定する気はありません。
 私は自分の感想として『シン・ゴジラ』はダメ映画であると述べました。根拠を示さずに否定するのは理性的ではありませんから、あれこれと分析めいたことを書きました。
映画賞の受賞という話になると映画のプロが関わることなので、内容面やテクニカルな面を鑑みて「そりゃないよ」という感想を書きました。
 しかし、ゴジラ映画なのか、という話になればそこには基準がありますから、あれをゴジラ映画だと主張する人がいるなら「ちょっと待て!」となりますし東宝のやり方にも納得できないという話になります。

 いずれにせよ、自分としてはもう『シン・ゴジラ』についてあれこれ書く気はありません。何を書いても同じ事を繰り返すことになるでしょう。
(人類紀元を使っている世界である、という情報は今回初めて知りましたので、なんじぇいさんには大感謝です。けれども、それによって作品の評価が変わることもありません。
ただ作り手の弱腰が見えただけですねぇ。観客にはっきりと提示するものに自信が持てないからそんなことをするのでしょう。まさに衒学的)

********************

ああ、本物のゴジラを見たい。

Re: その手があったか! - 海軍大臣 (男性)

2018/02/26 (Mon) 23:45:37

>「京都で生まれたヤツじゃない」と言うだけでマニアは  納得では?
 これは出てこないVSゴジラを否定しない、というやり 方です。


 とは正にナイスアイデアだと思います。全てを語らずとも、受け手側に納得がいくように想像させるのは、確かに作劇の妙味ですよね。実はすっかり忘失しておりましたが、平山亨さんからその昔にお聞きしたエピソードに、この手法を上手く使ったものがあったことを思い出し、先人の知恵というものの偉大さを今更ながらに痛感した次第です。

 懐かしの東映TV時代劇で【素浪人月影兵庫】だったか【素浪人花山大吉】だったか忘れましただ、兎も角、近衛十四郎と品川隆二の名コンビが活躍するシリーズでのこと。企画スタート時より、製作サイドでは近衛が演じる主人公の素浪人にキャラクターとしての「自由さ」を与えるため、敢えてキッチリとした出自であるとか、素浪人になって旅をしているの理由や目的などといった設定を与えなかったのだそうです。
 そして実際に放送がスタートすると、両名優の絶妙なコンビネーションが受けて番組は大人気となったのですが、すると今度は視聴者側から、
「あの素浪人はいったい何者なのだ?」
 といった、バックボーンに関する質問が多数寄せられるようになり、社内でも対応が問題になったと云います。
 このため一時は脚本家たちと相談して詳細な設定を考えようか、との意見もあったらしいのですが、そんなことをすると番組に内容が窮屈になる、との反対意見も多く、熟慮の末にスタッフたちが捻り出したアイデアが次のようなものでした。

 旅の道すがら、近衛演じる素浪人に対して品川演じる旅ガラス・焼津の半次が、
「ねえ旦那。あっしは以前から気になっていたんですが、いったい旦那はどういう御人なんですか?」
 と尋ねると、素浪人が、
「そうだな。お前とは長い付き合いだ。もう話しても良いだろう。ちょっと耳を貸せ」
 とか云って、相手の耳元で何事かをゴニョゴニョと呟くのだそうです。すると話を聞いた半次が、
「は~ん、なるほど。そういう訳でござんしたか!」
 とか云いながらポンと手を打って納得する。そんなシーンを放送した結果、翌週から視聴者からの質問は激減したと聞きます。作品の自由度を狭めることなく多くの視聴者を納得させたのだから凄いことですよね、これは。

 ミロのビーナスに両手が残っていたら誰も見向きもしないだろう、なんて名言がある通り、隠されたり省略された部分を最大限美化して補完してしまう人間心理の常を考えるなら、ある程度、作品世界の設定を受け手の想像に委ねてしまうのもありなのかも知れませんね。
 ただ、昨今では「答え」を全てハッキリした映像なり言葉なりにして提供しない限り、理解も納得も及ばないタイプの観客も少なくないようなので、少し心配な部分もありますけれど。

Re:素晴らしいと思います。 - なんじぇい (?)

2018/02/27 (Tue) 01:31:17

これまでの件に関してはギドラ様の意見に完全に賛成です。

さらによく考えてみたら、マニアであればあるほど『シン・ゴジラ』を既存のゴジラシリーズに組み込むことは嫌がると思うんですよね。
恐らく本作のファンでも嫌がるのではないでしょうか。
その理由はギドラ様のおっしゃる通り、「『シン・ゴジラ』の世界は昭和29年にゴジラが登場した世界ではないから」ということに他なりません。
『シン・ゴジラ』は同じく初めての上陸とされる、エメリッヒ版やギャレス版と同じような扱いがよろしいかと思います。

緩やかな繋がりに関しても、見事な解釈という他ありません。

Re: ありがとうございます 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/27 (Tue) 18:44:20

 ご賛同に感謝します。

 曖昧ながらも必要なバックボーンを想像させる作りが大事になるのですが、
そのための規則を明文化しようとすると、膨大な場合分けが必要になってしまいますし、
そんな規則が作品の自由度を下げてしまうことにも繋がりますので頭が痛い問題ではあります。

 そのあたり、作り手の物語センスが試されるところなのですが、幸いゴジラシリーズには前例として優れた作例がありますから、
そこに学べばストーリーをリセットしたりゴジラを改変することなく、描きたい物語をゴジラ映画として作ることは可能だと考えています。

>ただ、昨今では「答え」を全てハッキリした映像なり言葉なりにして提供しない限り、
>理解も納得も及ばないタイプの観客も少なくないようなので、少し心配な部分もありますけれど。

 これはまったくおっしゃるとおりで、何もかも説明のつく設定がないと受け入れられないという人々がいるのは確かです。
そんな人が怪獣に手を出すと、表であれ裏であれ怪獣を説明する設定をてんこ盛りにしてしまうんですよね。
 そんな風潮には正面から挑むしかないかもしれません。世の中には説明のつかないこともあるんじゃーーーっ、と。

(それにしても、ストーリー上重要な事象を描きも説明もせずにただ想像に任せ、周辺事情にはこまごまと設定を作っちゃうような映画が出てくるのはなんでだ?)

(月影兵庫は見ていなかったけれど、花山大吉はよく見ていたっけなぁ。そんな裏話があったとは)

シリーズ・・ 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/18 (Sun) 13:35:47

 この週末、ふと思い立って『怪獣大戦争』『南海の大決闘』『ゴジラの息子』をひさびさに見ました。
この三作はおそらくゴジラファンの中では評価が分かれる作品であろうと思われます。

 侵略SFストーリーに組み込まれた怪獣たち、孤島を舞台にしたことで社会対怪獣ではない構図になった二作。

 それでも私はおもしろかった。

 ゴジラ(怪獣)を使って描きうるストーリーのバリエーションとして納得できたから。
シリーズ展開のあり方としてはこれでいいんじゃないか、と思う次第です。
今回の三作では怪獣の設定や来歴を書き換えるようなことはしていません。
それでも、過去作とは違う内容を描いている。

 怪獣それぞれのアイデンティティ、ブランドを守るなら故なき改変はよくない。それぞれの性格が変わっていくことがあるとしても、
シリーズの積み重ね、その流れの中で変容するべきで、先行作との関連を断ち切って新型です、とぶち上げるのは従来のファンを切り捨てることでしょう。

 ただこれからさらにゴジラ映画を作っていくとなると、軸足をどこに置くかが難しい問題となります。

 二代目ゴジラと84以降のゴジラは別物ですし、『2000ミレニアム』以降の主役達もバラバラの存在。
全部を統合するなんて出来るわけがありません。

 それでも元祖ゴジラシリーズに学べば、やれないことはないんじゃないか、とも思えます。
基本は二代目ゴジラのつづきという態で、しかし1984年以降の作品が描いた内容を劇中で否定しなければなんとかなるん、じゃ、ないか・・。
(『vsデストロイア』でのゴジラの死をどう扱うかなんですが、そこはシレっとデストロイアという怪獣と戦ったことはあるけれどゴジラは死んでいないということで。
まあ、いちいち過去作との関連に言及する必要はないんですが)

 1984年以降の作品がまずいのは、劇中で明白に元祖ゴジラとは違う設定を説明してしまったり、二代目がいないゴジラ史を説明してしまったことだと考えています。
(それはゴジラに限らず再登場怪獣すべてに言える)

 先行作との関連は最小限の説明に止め、先行作の内容を無かったことにするような説明はやめること。
 怪獣のデザイン、設定の改変はやめること。

 上記を守るだけでより幅広い層に受け入れられるシリーズ展開が可能だと思うんですが、そういう形の新作はついぞ現れませんねぇ。

(このところゴジラの話ばかり書いておりますが、最近見た映画で予想以上に良かったのは『沈黙-サイレンス-』。公開当時注目していたものの、劇場には行かず、
BS放送で録画して鑑賞しました。マーチン・スコセッシはときどき名作を作りますね。この映画、多角的な視点で人間の問題・宗教の問題を描いていて深みがあります。
また、リアリズムを大事にした描写もあっぱれ!)

Re: シリーズ・・ - なんじぇい (?)

2018/02/18 (Sun) 20:13:38

私も初代ゴジラや2代目ゴジラから逸脱しない、あくまで基盤にしたアレンジ程度ならいいと思っていますが、明らかに別物のゴジラが作られるのはなんとも釈然としがたいものを感じています。


>『vsデストロイア』でのゴジラの死をどう扱うかなんですが、そこはシレっとデストロイアという怪獣と戦ったことはあるけれどゴジラは死んでいないということで。

ただ、これはどうなのかなあ、とも感じます。
これをやってしまうことは『ゴジラVSデストロイア』の劇中で描かれたことの否定に繋がり、機龍2部作でゴジラの骨が溶けなかったことにしたことの二の轍を踏んでしまうのではないでしょうか。
例えVSシリーズであったとしても、劇中の事実や設定をなかったことにするのは設定であってもいけないことなような気がしてなりません。(少なくともVSシリーズのファンはいい気がしないでしょう)


あと……
実は『シン・ゴジラ』は過去のゴジラシリーズと繋げることが出来るようになっています。
というのも『シン・ゴジラ』は、遠い未来である約10000年後の出来事なのです。
劇中で牧悟郎の経歴を矢口が見ている場面で、彼が大学の教授に就任したのが11979年、日日新聞学術賞を受賞したのが11992年などとと書かれてあります。確認してみたら分かると思います。
なんでそんなことにしたのかは庵野氏に聞かない限り分かりませんが(私はこの世界が現実ではないことをアピールしていると思っていますが)、『シン・ゴジラ』は遠い1万年後の未来の出来事なので、過去に初代ゴジラや2代目ゴジラなどがやって来たことなど皆知らないということにしておけばゴジラシリーズ的には何も問題ないように思います(庵野氏の意図もそうなのかもしれない)。

『シン・ゴジラ』の舞台が10000年後の理由… - なんじぇい (?)

2018/02/19 (Mon) 19:03:13

ちょっと追記です。

私は『シン・ゴジラ』の舞台が1万年後であることについては以前ギドラ様が『怪獣総進撃』で語っておられましたように、今の人類の科学ではゴジラを倒せず、未来の出来事の怪獣映画の終着点として描こうとしたのではないかと思っています(ゴジラと共存云々の台詞があるので)。
あるいは1万年後とすることで、「リアルじゃない」という批判に「1万年後なんだしそりゃリアルじゃないよ」と逃げを打つためなのかもしれません。
過去のゴジラシリーズと繋げても問題ないように、庵野氏がそうした可能性もあります。

なんとも真相は分かりませんが、「シン・ゴジラ」の舞台を1万年後としたことについてどう思うかは皆様に聞いてみたいです(話題がずれてすみません)



シリーズ展開の話については、私の意見としては2代目ゴジラの後にVSゴジラが出現した、その後にミレニアムシリーズのゴジラが現れた、シン・ゴジラは遥かに未来の話である……などとする方がまだよいのではないか、と思います。
これでも2代目ゴジラの続編を作ることは可能なはずです。
ただし問題は『×メガギラス』(初代ゴジラが生きてる)と『GMK』(設定が根本から違う)『GMMG』(初代ゴジラの骨が残っている)なんですね。
この3つはどう頑張っても繋げることができません。『シン・ゴジラ』の時のような逃げも使えません。
いっそのこと、この3作はシリーズ展開に入れない外伝ということにしても問題ないんじゃないか、とすら思います。

改めて、過去作の設定をコロコロ変えるのはやめるべきだと言いたいですね。

Re: シリーズ・・ - エクセルシオール (男性)

2018/02/19 (Mon) 21:14:59

 『シン・ゴジラ』の舞台が「1万年後」であることが匂わされているシーンは私も確認しました。とはいえ、1秒程度しかないシーンであり(静止しないと分からない)、いったい何を意図して設けられたものか理解できません。そもそも気付く人がほとんどいないでしょうし、まさに「オタク的趣向」というほかありません。なお、私は最初は単なる誤植ではないかと思いましたが、カヨコ初登場時の英文資料の年代も1万年プラスされていたので、これは意図的なものと判断できます。

 仮に本当に1万年後の世界を舞台にしているとすれば、ふざけた話です。1万年というのは現代と石器時代ほどの時間差です。しかし、描かれている世界は現実の日本と大差ありません。これをもって「この世界は1万年後なので、現実の日本とは関係ありません」と言うとすれば、あまりにもひどい言い訳です。
 無理矢理に説明をつけようとすれば、一旦文明が滅び原始時代に逆戻りしてしまった。その後、再び現代のようなレベルにまで戻ったとでもすればつじつまが合いますが、そのことが物語に係らない以上無意味です。

 というわけで、私は『シン・ゴジラ』の世界が1万年後であったかもしれないということには、この映画のダメな部分が一つ増えたという評価になります。
 しかし、よりにもよって1万年後とは・・・。それがスタッフの意図であるとすれば、この映画を絶賛していた人は「梯子を外された」と思うのではないでしょうかね。もっとも、批判的な見方をしている私も少々気が抜けてしまいましたが。

 シリーズ化のありかたについては、緩やかな一定の基準を設けて作品を制作していくことが重要だと考えます。ガチガチに基準をを固めすぎると創作の活力が失われるおそれがありますし、逆に何でもかんでも容認すると「ゴジラ」の意味がなくなってしまいますから。
 たとえとしては奇妙かもしれませんが、時代劇の金字塔『水戸黄門』は一定期間ごとに作品世界を部分的にリセットしていました。しかし、同時に物語の基本部分はゆるがせにしませんでした(例えば突然必殺仕事人みたいな作風になるようなことはけしてない)。ゴジラの場合も同じように考えるべきでしょう。
 
 過去作すべてを整合的に解釈するのははっきり言って無理ですし、そうしなければならない理由もないですが、それぞれの映画の要素要素を暗示的に活用したり、スタッフが心にとめて作品を作っていくだけでも、一つのシリーズとしてのおおらかな一体性は保てると思います。もっとも、どうしようもないものも幾つかありますが、それは「番外編」扱いでよいのではないでしょうか。

Re: シリーズ・・ - なんじぇい (?)

2018/02/20 (Tue) 04:08:21

>それがスタッフの意図であるとすれば、この映画を絶賛していた人は「梯子を外された」と思うのではないでしょうかね。

案外、オタク達の梯子を外すためにそうした可能性もありますね。というのも、意外かもしれませんが庵野氏は昔からオタクに対して否定的な感情を示していることが作品やインタビューでたびたび見られます。


http://rickyreports.jp/archives/annohideaki/
例えばこのインタビューから抜き出します。

>テレビ版エヴァンゲリオンの終盤で、日本のオタクはそろそろ現実に帰るべきだと発言されていました。それ以降、何かしら監督自身の考えが変わりましたか?

>基本は変わっていないのですけど、テレビの時はそれを全面に押し出していました。今は一種のあきらめがあり、全面に押し出すところまではないです。
>そういうことをしても人は変わらず、今から見れば余計なお世話だったかなと思いますけど、あの頃はそれが必要だったと思うのです。必要なメッセージを必要なときに出そうとは思いますけど、今は違うメッセージの方が大きいです。

なので、わざと10000年後などという大法螺設定にして、考察しても無駄だということを示したのかもしれません。

もっとも真相が不明すぎるため、なぜ1万年後なのかに関してはどうにも妄想の域を出ません。
ちなみに熱心なファンは「石原さとみの喋り方がおかしいのも1万年後なら納得だ」
「1万年後なら防衛出動云々、ヤシオリ作戦等の大抵の矛盾も解決する」
「あの世界は一度滅亡したか、ループしているに違いない。いやもっと何か深い意味があるのかも」
「ウルトラセブンの狙われた街の最後のセリフと同じ意味であり、現代の愚かさを皮肉っている(「でもご安心下さい、このお話は遠い遠い未来の~」のアレ)。事実ゴジラは現実では倒せないと庵野氏は発言している」などと肯定的な考えのようです。
私は10000年後に関しては取り立ててよいとも悪いとも思いませんが、ただ見た瞬間に脱力してしまったとだけ書いておきます。


シリーズ化に関しましては、私もエクセルシオール様の意見とほぼ同じです。
『シン・ゴジラ』をどうすべきかは迷いますが、庵野氏に1万年後などの真意を色々尋ねて、「実は過去のゴジラシリーズと繋がっている」と言ったとしたら初代ゴジラから約1万年後の世界ということでいいんじゃないですか、とだけ……

Re: シリーズ・・ 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/20 (Tue) 18:44:33

 もちろんもちろん、ゴジラシリーズすべてのストーリーを矛盾無くつなぐなんて出来っこないんですよ。
創作上の仁義を貫くなら、初代ゴジラ二代目ゴジラの世界を引き継ぐのが当然で、そこから外れたものは無視して構わないのです。
けれどもvsゴジラにも人気があり、vsゴジラファンを切り捨てるのも忍びないと思うんですよね。
(vsゴジラは生物としての設定が元祖ゴジラとは別物なので、パラレルワールドの別個体だと考えることも出来ないのだが・・)

 私が、元祖ゴジラシリーズに学べばなんとかなるんじゃないか、と書いたのは、
元祖ゴジラシリーズでは『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』の二作はストーリー上も完全に続き物で、山根博士が双方に登場しますが、
その後の作品では劇中で先行作のストーリーについて言及することはほとんどありません。
共通の登場人物もなく、ただ先行作に登場した怪獣については社会的に認知されている、という形で繋がりを作っています。
 注意深く見ていくと、怪獣の動向に関してははっきりと先行作の内容を説明していることには気がつきます。
私はここに、人間が織りなしたドラマより怪獣のドラマを重視する姿勢を感じます。とはいえ、『怪獣大戦争』で「かつて地球はゴジラ・ラドンの力で
キングギドラを追い払った」と統制官は指摘しますが、モスラの話はしません。この絶妙な曖昧さに学ぶべしと思うのです。

 過去作と断絶せず、しかし、完全な連続物にはしないことでどうにかまとめ上げられないか、と。
まあ、なんとかしようと思ったら、やはりvsゴジラは別個体とするしかないんでしょうね。二代目とは別のヤツが出現した時代があった、と。
その子供(ゴジラジュニア)は健在なりってな塩梅で・・・。でも生物上の設定は元祖ゴジラに準じて欲しい。そこは改変ということになっちゃうかもしれないけれど、
84で改変されてしまった設定を元に戻すのだから、vsゴジラファンのみなさんも許してよ、と。(ダメ?)
(ガチガチにつなぐのは絶対出来ないんです。vsシリーズ自体の矛盾が甚だしいので)

 さて、『シン・ゴジラ』一万年後問題。
これ、今回指摘して頂くまで気がついていませんでした。ありがとうございました。

 あの世界が一万年後の地球を舞台にしているのだ、ということになると、エクセルシオールさんのご意見に賛成です。

 私は別の見方もしました。一万年後の話なのではなくて、あの世界では西暦(キリスト生誕の翌年を元年とする)とは別の暦を使っているというほのめかしではないか。
一万年後に、我々の近代世界とそっくりな状況を地球人類が再演していると考えるのには無理があります。
あの数字が西暦ではないなにかの暦だとすれば、まあ、なんのことはない、我々の世界とは別の架空の世界ですよ、と言っているだけのことになります。
ストーリーが架空なのは当然として、世界も架空なんですよ、と。

 「現実対虚構」というキャッチコピーを誰が考えたのか知りませんが、ひどい詐欺ですね。

 劇中のおかしなことを指摘されても、別世界の話だから、と逃げられるわけです。それこそ物理法則すら別物かも知れない。
じゃ、何を描けたのか? どこにも軸がないことになりますよ。

 まったく馬鹿馬鹿しい。

Re: 1万年問題 - 海軍大臣 (男性)

2018/02/20 (Tue) 20:41:10

 この手の問題をどうしても深読みしていまい勝ちなのは私たちのサガなのだと思いますが、案外、今回の問題は監督の預かり知らぬところでスタッフが勝手にやってしまった「おふざけ」のような気がしないでもありません。
 確か大森監督のゴジラの中でも劇中の文章に、何故か「パトレーバー」に出てくる地球防衛軍なる過激な自然保護団体に言及しているものがあったと記憶します。あれも単に美術さんの「おふざけ」だったそうです。
 黒澤監督や伊丹十三監督みたいに、セットや小道具の隅々にまで目を光らせられる演出者というのはまずいらっしゃらないみたいです。ハッキリと観客の目に触れてしまうような何か問題点でも無い限り、古沢憲吾監督じゃありませんが、「少々のことはガマンする」といった感じで撮ってしまうのが実情なのでしょうね。勿論、ゴロウ・マキの履歴書の中にヤクザ映画用の果たし状でも入っていたなら、流石の庵野監督も激怒したかも知れませんけれど。

Re: シリーズ・・ - なんじぇい (?)

2018/02/20 (Tue) 21:18:42

>「現実対虚構」というキャッチコピーを誰が考えたのか知りませんが、ひどい詐欺ですね。

これは言われてみれば全くその通りですね。ギドラ様とエクセルシオール様の意見のどちらを採用しても「虚構対虚構」ではないかと言いたくなります。
ちなみにこのキャッチコピーを考えたのは庵野氏です。『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』のインタビューに書かれてあったのを覚えています。なぜこのキャッチコピーにしたのかは、もう読んだのが昔のことなので忘れてしまいましたが。
庵野氏に何故そんなキャッチコピーを付けたのか、1万年後の真意はなんなのか尋ねてみたいところです。(まあ出来るわけないんですが)

海軍大臣様のご意見ですが、庵野氏は血液凝固剤の虚構の薬剤の細かい名前も全て自らが名付けた(名前は庵野氏の好きな『仮面ライダーファイズ』から取ったそうです)上に、カットはプリヴィズ通りに撮ることを厳命していたので、庵野氏は相当な凝り性でしょう。
また、彼が自ら編集し完全監修した『ジ・アート』にも同じ書類がありましたので、庵野氏の演出なのはまず間違いないかと思います。




>でも生物上の設定は元祖ゴジラに準じて欲しい。そこは改変ということになっちゃうかもしれないけれど
これも賛成です。この部分に関しては私も変えていいとも思います。
ただVSゴジラは放射能を食料とする、というのは無くしたら『VSデストロイア』のラストが台無しになってしまうことになる上に(好きな作品なのです)、既存の設定とも矛盾しませんので(放射能も食えるという事にしたら問題ないかと思います)、残してほしいなあ……とも感じています。

個人的にはゴジラになったゴジラジュニアと、2代目ゴジラの共演が見てみたいですね。
映画化したら2代目のファンとVSファンがこぞって見に来るのではないでしょうか。
新しいゴジラを作る事ばかりではなく、これまでのゴジラを大事にしてほしいと思います。




最後に疑問に思ったことなのですが、『ゴジラ FINAL WARS』に関しては「緩くつながっている」に入るのでしょうか。
オープニングでちょろっと各作品のゴジラが出てきていた上にゲゾラやガイラなどの過去の怪獣災害により地球防衛軍が出来た。と劇中では言われていますので。


それと、今のご時世ではどうしても『シン・ゴジラ』に触れないわけにはいきませんが、あの扱いはどうしたらいいのかも迷います。
賛否両論と言えどあれほどヒットを飛ばしたので、ファンの数はVSゴジラかそれ以上にいるとみられ、なんとも悩ましい限りです。
東宝としても、『シン・ゴジラ』のファンを利用したいという目論見はあるでしょうし、(できればあのゴジラを使ってほしくないんですが)完全に切り捨てるというのは商業主義的にはありえない気がしてしまって……
全く難しい話です。

Re: そう云われてみれば・・ - 海軍大臣 (男性)

2018/02/21 (Wed) 00:15:53

>海軍大臣様のご意見ですが、庵野氏は血液凝固剤の虚構の 薬剤の細かい名前も全て自らが名付けた(名前は庵野氏の 好きな『仮面ライダーファイズ』から取ったそうです)上 に、カットはプリヴィズ通りに撮ることを厳命していたの で、庵野氏は相当な凝り性でしょう。

 すっかり忘失していましたが、【シン・ゴジラ】の撮影中、庵野監督は周囲のスタッフやキャストとは一切コミニケーションを取らず、その日の作業が終わるとサッサと現場を後にされていたと聞いています。要するに自身の演出方針を貫き通すため、「馴れ合い」に陥ることを徹底的に避けていたようです。
 確かに、そこまでストイックな姿勢を保ち続けられた位なのですから、画面に現れる全てのものを自身が統括されていてもオカシクありませんね。(そうした総監督とスタッフ、キャストの間を取り持たれて苦労されたのが樋口さんだったそうです。)

 また、
>過去作と断絶せず、しかし、完全な連続物にはしないこ とでどうにかまとめ上げられないか、と。

 とのギドラ様のご意見につきましては、私も好ましいものと判断します。ガチガチの連続したストーリーにしてしまうことは、前作を観ていない観客に対して敷居を高くしてしまうような気がしてなりません。
 適切な例かは判りませんが、嘗て大人気だった【網走番外地】や【昭和残侠伝】といったシリーズものは、第1作目から見ていなくても決して観客を拒絶することのない作りになっていたことが思い出されるからです。
 確か【ゴジラVSビオランテ】の公開直後に、「どうやら次は【モスラ】をやるらしいぞ」といった噂が流れた時、その新作モスラも含めて東宝はゴジラを連続した大河シリーズにする意向だとする話を聞いて、仲間たちと「スターウオーズじゃあるまいに、何で客層を狭めるようなことをやるんだろう?」と文句を言い合ったことを思い出してしまいました。

シン・ゴジラ1万年問題の正体が分かりました - なんじぇい (?)

2018/02/23 (Fri) 21:22:54

人類紀元、という暦の表し方だそうです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E7%B4%80%E5%85%83
つまり、ギドラ様の見方が正しかったということになります。
あの世界は人類紀元を採用している以上、異世界ということなのでしょうね。
また庵野氏はグレゴリオ暦ではなく人類紀元を採用せよ、と暗に呼び掛けているのかもしれません。
それにしても『シン・ゴジラ』は今回のようにやたらと難しい単語やマイナーな言葉を並べていることが多いですね。



よろしければ前の質問に答えていただけると、嬉しいです。『シン・ゴジラ』の扱いについてはなんともいい案が思い浮かばず……

Re: シリーズ・・ - 海軍大臣 (男性)

2018/02/24 (Sat) 07:31:58

 なんじぇい様の仰る、

>よろしければ前の質問に答えていただけると、嬉しいです。

 とは、【ファイナルウォーズ】が、過去のシリーズと緩く繋がっているかということでしょうか?

 個人的な見解としては、冒頭のナレーションで、「1954年に初めて姿を現して以来、何度となく人類を云々」と語られている部分を、有り合わせの映像を流用して表現しているだけのものの様に感じています。(他の怪獣の映像も同様かと)
 元々、平成ミレニアム・シリーズは過去作品との繋がりなどを考えずに「リセットに継ぐリセット」で作品世界を展開してきていますし、監督ご本人も然程、東宝作品への思い入れを持たている訳でもないので、深読みするだけ骨折り損だと感じております。

 また件の【シン・ゴジラ】ですけれど、

>それにしても『シン・ゴジラ』は今回のようにやたらと難しい単語やマイナーな言葉を並べていることが多いですね。

 と御自身がお書きになられているように、庵野監督は作中にそうしたペダントリーを盛り込むことで、「ファン」にしろ「アンチ」にしろ、自作が話題になれることを計算されているのではないでしょうか?
 現在、こうして私たちがそうした点を話し合っていること自体が、あの人物の思う壺に嵌まって、掌で踊らされているみたいで、何だか忸怩たる思いに駆られてしまうのですが。

確かに……(長文ごめんなさい) - なんじぇい (?)

2018/02/24 (Sat) 19:09:11

確かに北村監督はゴジラに詳しい方ではありませんし、そう言われてみれば海軍大臣様の言う通りですね。
1万年問題も全く同感です。庵野氏はそのように人に話題になることを第一に考えて『シン・ゴジラ』を作ったのではないかと思います。ゴジラの変態もそれを狙ってのことだと思います。
それは商売のやり方としては極めて正しいのですが、作品の出来としては酷いものだと思っています。
まあこの世界では売れたものが正義というところでもありますから庵野氏の作劇法を全否定するわけではありませんが、好きにはなれませんとここではっきり申し上げておきます。





ですが、私の言いたいことが文章の下手さから、あまり伝わっていなかったようです。
それは、ゴジラシリーズにおける『シン・ゴジラ』の扱い方、ひとえにゴジラファンのまとめ方です。

『シン・ゴジラ』は賛否両論はありながらも『賛』が多数を占めているのが極めて厄介なところであり、また『シン・ゴジラ』から入ってきたファンが大勢いることを実感させられます。
5ちゃんねるで会話をしていても『シン・ゴジラ』の話題になったとたんに乱戦状態が勃発し、ゴジラファンは完全に分裂状態という悲しい状況です。

テーマを1つに絞って科学的な間違いを指摘しても「裏設定の本を読めばこうこうと書いているから問題ない(ゴジラの動力は原子力電池で、ゴジラが凍ったのは-196度と言っているので液体窒素で全身を凍らせたのだろうなどと述べていました)」「このように脳内で解釈したら成り立つだろう」などと返されるだけ。
このようなものはゴジラではない、と主張しても、『シン・ゴジラ』から入った人には意味をなしません。しかも最近はどうやらエメリッヒゴジラも「こういうゴジラもいい」と再評価されてしまっているようです。
政治的にもおかしい、と指摘しても、「ゴジラが東京を焼いてからは現実と虚構が逆転しており、災害という現実に対し巨災対と矢口、理想の日本という虚構が解決する話なのだ。半減期が短いのは東宝が横槍を入れた為でそれだけが残念だ」などと言ってきます。
それに対して反論しても、矢継ぎ早にまた新たな解釈(あの映画はわざと曖昧で複雑怪奇な描写を多くしているので、様々な解釈ができるのでしょう……)で反論してくるという地獄絵図です。



このような有り様はまさしく庵野氏の思惑通りの展開なのかもしれませんが、もう私は疲れはててしまいました。


1人のゴジラファンとしては『シン・ゴジラ』を認めたくはありませんが、ほとんどの映画賞を独占するほど世間で影響を与えた『シン・ゴジラ』はこれからのゴジラシリーズを作る際に無視できないのもまた事実です。
新たに『シン・ゴジラ』からのファンが入ってきた以上、東宝もそれに答えねばならないでしょう。
そのため、これからさらにおかしな方向にゴジラシリーズが動いていく可能性は非常に高いと思っています。
どうにかしなきゃという焦燥感はありますが、思い付きません。



これまでのゴジラを維持するという絶対条件のなかで、『シン・ゴジラ』のファンも納得するような新たなゴジラ映画は作れるのか。
完全に分裂してしまったゴジラファンを元に戻すことは可能なのか。
『シン・ゴジラ』のファンを説得することは可能なのか。
私の最大の心配事です。愚痴が入ってしまいすみません……


余談ですが、どうやら『シン・ゴジラ』のファンは色々作中や資料集からの情報で考察をするのが好きなようです。そのような考察ができる『深い』映画を望んでいるそうです(私は本作を全く深いと思っていませんが)。
そのような楽しみ方をするファンが大勢出てくる時点で、映画の楽しみ方が昔とは変わってるよなあ……と感じます。

Re: かくも深き断絶! - 海軍大臣 (男性)

2018/02/24 (Sat) 23:33:25

【シン・ゴジラ】を切っ掛けに入ってきたファンというのは、これ即ち「庵野ゴジラのファン」であるので、東宝が次のゴジラを作ったとしても、庵野監督が撮られない限り納得も認知もしない筈です。(聊か事例は異なりますが、今度のアニメ版ゴジラのガン無視状態から或る程度予想は立ちます)

 1984年の復活ムーブメントをリアルタイムで目の当たりにしてきた世代としては、全てのファンが納得する最大公約数的なゴジラ映画など、まず作れる筈がないと身をもって学ばされていますので、そうした希望はハナから持っていないのが正直なトコロです。(この復活ムーブメントの消長につきましては、『特撮ゼロ』創刊号に私なりに委曲を凝らした一文を書いておりますので、興味が御有りならばご覧ください)
 
 もともと70~80年代の特撮ファンにしても「第1作絶対」の原理主義的な第一世代と、割とフレキシブルな作品への嗜好を持つ我々世代とに分かれていた事実があります。私などは勿論【ゴジラ(54)】も大好きですが、一方で【ゴジラの息子】も【オール怪獣大進撃】も大好き(両作品とも当時のファンからの評価は最低でした)だと公言して憚らないタイプでした。現今の新旧ゴジラファンの相剋も、酷く乱暴な括り方をしてしまえば、これと類似しているような気がしてなりません。兎も角、こちらの領域を攻撃されない以上、必要以上に相手方の趣味や趣向を責める必要もないかと考えます。
 
 なお、余談ながら同じアニメ監督に実写のゴジラ映画を撮らせるのならば、私は原恵一監督のゴジラが観てみたいと思っております。

 
 

ああ、三縄一郎さんも…… - なんじぇい (?)

2018/02/21 (Wed) 22:22:17

こちらは今はじめて知りました。
ニュースにもなっておらず(wikipediaにも更新されていない)、そのことでも悲しいです。
三縄一郎さんが昨年12月16日に亡くなられていたそうです。


三縄さんと言えば、黒澤映画の『七人の侍』『用心棒』や、そして『ゴジラ』『獣人雪男』『空の大怪獣ラドン』などで音響効果を務められていた方。
ゴジラの声の作製にも関わっておられたそうです。これに関しては伊福部さんも「自分が作った」とおっしゃっていましたが、御二人とも鬼籍に入られていた今、真相はどうなのか永遠の謎になってしまいました。(ちなみにギャレス・エドワーズ監督は三縄さんのコントラバス説を採用したそうです)
また、ゴジラの足音を作ったのも三縄さんでした。

ただ1つだけ言えるのは、三縄さんなくして『ゴジラ』はなかったということ。
謹んでご冥福をお祈りいたします。


ゴジラに関わる方の訃報が2人も続き、とても暗い気持ちです……

Re: ああ、三縄一郎さんも…… 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/22 (Thu) 18:43:08

 三縄さんもお亡くなりになっていたんですね・・。

 効果音も映画の重要な構成要素です。三縄一郎さんの業績は日本映画を支えてきたと言ってもいいでしょう。

 ゴジラの鳴き声は、伊福部先生と三縄さんの共同作業だったのだと思いますよ。
それでもその後のアレンジや、さまざまな怪獣の鳴き声、実在しない機械や武器の作動音は三縄さんの創意工夫あればこそでしょう。

 また一人日本映画の巨人を失ったことになります。

 合掌・・・・。

大杉漣さん逝去 - なんじぇい (?)

2018/02/21 (Wed) 22:02:20

『シン・ゴジラ』の話題に入っている時に突然このニュースが入ってきて、とても驚きました。
本作で大河内総理役を演じておられた大杉漣さんが亡くなられたそうです。

『シン・ゴジラ』では実在の官僚を真似るため皆感情を表に出さない棒読みの演技を要求されていたそうですが、そのなかで大杉さんはどこか情感の入った感情移入しやすい演技をしておられていたことが印象的でした。
本作の中で、大杉さんの演じていた大河内総理は数少ない共感できる人物で、また数少ない評価できるところでした。

『ソナチネ』『HANA-BI』などで名脇役として存在感を放ち、数多くの作品で名バイプレーヤーをこなされ、また特撮においては『仮面ライダー』の地獄大使の役も演じておられました。

まだお若いのに残念です。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

Re: 大杉漣さん逝去 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/22 (Thu) 18:31:51

 本当に驚きましたし、残念に思います。

 TVのバラエティ番組でもよくお見かけしていましたから、人柄の良さも伝わってきて、
親しみがある俳優さんでした。

 ご冥福をお祈りいたします。

皆様はご存知でしたか? - 海軍大臣 (男性)

2018/02/19 (Mon) 01:32:47

 現今のアニメ版ゴジラには興味を持てなかったため、その企画成立についても全く無関心のまま過ごしてきました。ところが本日、意外な事実を耳にしました。

【GODZILLA怪獣惑星】の大本となったアニメ企画のスタートは、実は庵野版ゴジラよりも早いらしいのです。当初はTVシリーズとして30分×12本で製作・放映する計画だったようです。それが如何なる理由かは聞きそびれましたが劇場公開作品に移行し(もしかしたら【シンゴジラ】の大当たりの影響でしょうか?)、一時は4部作にして公開するプランもあったそうです。(実際のシリーズの1と2の間にモスラ関連のストーリーを入れるつもりだったとか…)
私などはてっきり庵野版のヒットに便乗する形で企画が為されたものとばかり考えていたものですから驚きです。これって結構知られている話なのでしょうか?

 それと前日譚である【怪獣黙示録】なる小説ですが、あれもアニメ作品のシナリオ作成時に立てられた設定ではなく(勿論、地球が多くの怪獣により滅亡していた、といった程度の大まかな取り決めはあったそうです)、出来上がったシナリオが余りにも過去の東宝怪獣映画に触れていなかったため(というか、シナリオ執筆者に全く知識がなかったため)、その反省からマニアを自任する人間を起用して執筆させたのが本当のところらしいです。これなどは反省するポイントが間違ってるんじゃないかと思ってしまいました。
 この先、シリーズの軌道修正も望めるのでは、との好意的なご意見もあるようですが、今更ながら内情を聞き知らされてしまった所為か、私などは五条梓のセリフそのままに「この先の展開は望めないと思います」と言い切るしかないような気がしてなりません。

Re: 皆様はご存知でしたか? - なんじぇい (?)

2018/02/19 (Mon) 17:32:12

海軍大臣様のお話は前半は知っていましたが、後半は知りませんでした。
ちなみにすでに最後まで収録は終わっているそうです(ゴジラ新聞より)。
公開後の反応(酷評が多いです)から軌道修正するのは無理なので、私としてはお話の方向としてどうにかまともになってほしいと祈るのみですね。

ただゴジラ・アースに関しては「笑ってしまうほど強い」そうなので、人間側にあっさり負けることはないと思います。

Re: 知らぬは私ばかりなり - 海軍大臣 (男性)

2018/02/20 (Tue) 00:03:40

 なんじぇい様の情報を聞く限りでは、やはり私はこの先もアニメ・ゴジラは未見のまま過ごすことになってしまいそうですね。
 ところで【怪獣惑星】の不評、不入りとは裏腹に、何故か東宝はゴジラを始めとする「怪獣押し」にヴァイアスが掛っている様子で、社員に対する自社怪獣ブランド(?)の教育の一環なのかは判りませんが、何やら奇妙な動きがある様子が漏れ聞こえてきています。まだ風の噂ていどのことなので、これは真偽がハッキリしてからお話したいと思います。

Re: 皆様はご存知でしたか? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/20 (Tue) 18:54:54

 東宝内部でゴジラがどんな扱いなのか。なんとも寒いお話です。
いや、ゴジラだけでなく東宝特撮の財産たる怪獣・メカ・宇宙人いろいろいろいろ・・。

「怪獣黙示録」を書いた人がどんな人か知りませんが、怪獣図鑑的知識はあってもそれぞれの作品に対する理解・愛情がどんなものなのか疑わしいところでもありますし。

 そして海軍大臣さんがキャッチした噂がさらに不安を煽るのであった・・。

GODZILLA怪獣惑星の悲しいお話…… - なんじぇい (?)

2018/02/01 (Thu) 21:55:41

https://www.animenewsnetwork.com/news/2017-12-05/live-action-fullmetal-alchemist-film-tops-japan-box-office/.124817

このニュースを見て絶句。
『GODZILLA怪獣惑星』は、なんと3週間で3億円ちょいしか売り上げてないというのです。

まあストーリーはお世辞にも誉められないし、主人公が不快でしかなかったからそんなものかと思ったら別のニュースを見てまた絶句。

http://anime.eiga.com/news/105470/

なんと初週ですら1億ちょっとしか売り上げてないそうです。
5億円超えが期待できるって、他のゴジラ映画の興収を知ってて言っているのでしょうか。
何より最初から売れなかったというのは、脚本や映画の出来以前の問題。
平成以降のゴジラ映画で、興行成績はぶっちぎりの最下位でしょう。
当然動員も、ゴジラシリーズ最悪を更新することはほぼ確実です。

一体なんでこんなことになったのか。
いかに亜流・媒体がアニメとはいえ、ゴジラブランドでこんな大惨事になるとは予想だにしませんでした。
ただただ悲しいです。

アニメの続編はどうなるんでしょうか。続けられるのか。不安しかありません。

Re: 風の噂も、もの寂しい… - 海軍大臣 (男性)

2018/02/03 (Sat) 12:59:59

 【ヤマトタケル】のときとは違い、あれだけ「3部作公開」を事前に謡いあげてしまっている以上、赤字覚悟でも公開するのではないでしょうか? 風の噂では、サブタイトルの「何ちゃら都市」そのものが〇〇〇〇〇だなんて聞いていますが、だからと云ってそれが集客力に繋がるとは思えませんしね。
 それと肝心の【シンゴジラ】の後企画ですが、当然、東宝は引き続き作っていく意向が強いとのことです。しかし庵野監督からは完全に断られているらしく、またぞろ「何丁目」だかの監督が筆頭候補に上がっていたようです。ところが、その人間が2年後の某国家的プロジェクトに加わわることになってしまい、結局、宙ブラリンになっているという、土人たちの噂です。

なんでだろう? - なんじぇい (?)

2018/02/04 (Sun) 20:32:18

海軍大臣様ありがとうございます。

シン・ゴジラの後企画って、続編なのでしょうか。もしそうなら、尻尾のあれが第5形態であるとしている以上、もうロクなことにならないと思います。
あれをゴジラというのはいかに基準を緩くしても無理でしょう。実際、ラストシーンに拒否感を持つ人は賛成派の中にも多数います。



また、なぜ「GODZILLA 怪獣惑星」がここまでの歴史的な大コケをしてしまったのかということが一番の疑問です。
なんだかんだ「シン・ゴジラ」は大ヒットし、その直後である以上客がもっと入ってもいいはず。
コケた理由は脚本や映像・設定が不出来だったから、という言葉で説明できる次元ではありません。
「怪獣惑星」の失敗は、色々問題が多層的に絡んでいる気がします。

ただ、いかに初動が良くなくとも映画の出来が良ければここまでひどい有り様にはなりません。
作品に関わる人たちは脚本の良くないところをもう1度見直して、悪いところをしっかりと続編で改善して欲しいところですね。(ハルオの性格改善は本当にお願いします。見てられません)
そうすれば、今のような大惨事から多少は持ち直すのではないかと思います。



https://www.cinematoday.jp/news/N0097799
ちなみに映画秘宝のランキングでは、怪獣惑星はワースト6位でした。ベストの方には箸にも棒にもかかりませんでした。
ライターや映画評論家の人々も、「怪獣惑星」には厳しい評価をつけているようです。

Re: こりゃ真説だよキミぃ。話にパンチがある 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/05 (Mon) 18:20:02

『GODZILLA怪獣惑星』、惨敗なんですね。
 これを以て、東宝サイドがまたぞろゴジラブランドには訴求力がなくなったとかなんとか言い出さなければいいのですが・・。
(そして、ヒット作だと思っている『シン・ゴジラ』にすがる。映画、というか表現というものがわかっている人間がゴジコンにいないのか?)

 アニゴジの失敗は特撮ファン・ゴジラファン・アニメファンのどの層にとっても中途半端だったからではないかと睨んでいます。(特撮ファンだとアニメとなった瞬間に心が離れるわけですが)

 映画秘宝ランキング、『ブレードランナー2049』がベスト・ワースト双方で1位というのがおもしろいですね。
 あの映画、いろいろ言いたいことがあったけれど、ブレードランナーにまでどっぷりというわけにも行かず、沈黙してました。しかし私はP.K.ディックの大ファン。リドリー・スコットの大馬鹿野郎!(ヴィルヌーヴもろくなもんじゃないけどさっ)
 あれ? 何の話だ??

なぜコケたのかの一応の持論です。 - なんじぇい (?)

2018/02/05 (Mon) 23:11:14

確かにギドラ様の言う通り、どの層にも中途半端であったということもアニゴジ失敗の原因の1つといえます。特撮ファンにはアニメに対する抵抗もあるでしょう。

ですが、私にはアニゴジを亜流としてしまったことが最大の原因のように思えるのです。
一言で言うと「あくまでも外伝で、ゴジラっぽい別物が主役と宣伝された映画を観に行く気になりますか?」という感じでしょうか。



亜流であることは制作者側は徹底しており、映画公開以前にアニゴジは亜流であるから好き勝手やっていいよと東宝に言われたから好き放題やりました、等と言っていました。
予告編では伊福部音楽等のお馴染みの音楽を使用せず、デザインもギャレスゴジラそっくりで、日本版ゴジラからはかなり離れた容姿にしました。
怪獣の起源も植物であり、出自が本来のゴジラとはかけ離れたものであることも映画公開以前からかなり知れわたっていました。
とどめに本編でも伊福部音楽を微塵も使用せず、ゴジラの名前もフィリウスやアースなどと名前も別物にしました(公開初日の時点でゴジラではなくゴジラ・フィリウスであるという情報は出回っていました)


確かにあの怪獣はゴジラではないのですから、ゴジラじゃなくてゴジラ・アースですとはっきり言う姿勢自体は、私は嫌いではありません。
しかし、マーケティングの観点からは極めてまずい。


まず亜流という時点で、客の見る意欲はがた落ちです。亜流や外伝が本編より売れることなどほぼほぼありません。
更に予告や出自、デザイン、制作者側からのコメントなどを見てもゴジラらしさをほとんど感じないので、ゴジラファンも見る気は起きません。
とどめにゴジラフィリウスや伊福部音楽を使わないなどといった映画自体のゴジラ要素の欠如。
制作者側としては真っ当なつもりでも、亜流であると宣伝し、そのように製作した時点でほぼ勝負は決まっていたように思えるのです。





じゃあ、シン・ゴジラはどうなんだ、と思われるかもしれません。
しかし「シン・ゴジラ」はデザインを初代ゴジラに似せたり、本編では伊福部音楽をふんだんに利用したり、原点回帰を唱ったりなどといった表面上のリスペクト・また正当派ゴジラシリーズであるかのような宣伝をしていました。
公開当時のパンフレットを見ても「コンセプトの前提は"原点回帰"」などと書かれてあります。
ゴジラというブランドをふんだんに利用しているのです。
そこに庵野氏特有の無駄に深読みさせる演出などが加わり、評論家や観客はこぞって「これぞ初代ゴジラの精神」などと評価してしまいました。
実際は全然違う上にゴジラではないのですから、極めてせこい方法なのですが、マーケティングとしては上手いといえます。


客は例え形だけであっても、亜流ではなく正統派のゴジラシリーズを求めているということではないでしょうか。
これはゴジラに限らず、どの人気シリーズでも当然のことのように思えます。
その中でゴジラファンに出来ることとしては、『シン・ゴジラ』は正統派のゴジラではない、と訴えることが一番大事ではないかと思えるのです。

Re: GODZILLA怪獣惑星の悲しいお話…… 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/08 (Thu) 18:25:29

 私は新作映画の事前情報を積極的に仕入れるタイプではないので「怪獣惑星」もせいぜいオフィシャルサイトをときどき覗く程度でした。
(あまり事前情報や周辺情報を知ると作品そのものの評価に影響を及ぼす恐れがあるので)

 アニメでゴジラだとなるとマニアックな層に注目されていたでしょうから、事前の宣伝が相当集客に影響した面はあるのでしょうね。
 作品が納得いくものであったなら微力ながらも褒めてあげて口コミ宣伝に協力できたかもしれませんが、
まあ、そういうわけでもなかったですし・・・。

 私としては、ただ正直に作品に対する考えを表明するしかないというところではあります。
それは『シン・ゴジラ』に対しても同じ事で、ここではっきりと書いておくと、
『シン・ゴジラ』の続編などまったく望んでおりません、ということになります。

 現代の映像技術を駆使した新作ゴジラ映画なら作って欲しいと思っています。
ゴジラ映画がなぜ人気を得たかの分析は必須ですよ。平成VSシリーズだって人気があったのですから、元祖ゴジラ、VSゴジラに共通するものは何かと考えるのも大事でしょう。
そしてVSゴジラをお手本にするにしても、怪獣ゴジラを改変するのはやめましょう。
VSゴジラがシリーズ終幕になぜ死に追いやられたのか、ゴジラの設定がストーリーに及ぼす影響も考えましょう。・・・・

Re: GODZILLA怪獣惑星の悲しいお話…… - エクセルシオール (男性)

2018/02/10 (Sat) 13:31:17

 興行収入5億円程度と言うのは、アニメ映画一般から見れば極端に悪いとは言えません。アニメは実写に比べて観客層が狭いため、それこそジブリや『ドラえもん』などの超メジャー作品を除けば、興行収入が10億円に達する作品は珍しいからです。実際、6億弱でも「大ヒット」と称されることもあります。
 また、アニメは制作費用が実写よりも少なく済むことが多いので、『怪獣惑星』の成績が5億円程度でもまあまあと言う状況である可能性もあります。ただし、これは現場のアニメイターや声優が非常に低い条件で働かされていることが大きな要因であり誉められたことではないですが。

 もっとも、ゴジラ映画と言う範疇で見れば寂しい成績であることは否めません。内容に関して問題が多かったことは確かであり、単に不運というわけにはいきませんが、『シン・ゴジラ』のような大掛かりなバックアップがなかったことは事実です。もし『シン・ゴジラ』なみの宣伝工作が行われ(礼賛論で社会を埋め尽くす勢いだった)、キャストにも有名タレントを用いていれば話が違ったかもしれません。ある意味、作品外の小細工に頼らず正々堂々戦って砕け散ったとも言えます。
 なお、私は本職の声優のみで配役を行ったことは高く評価しています(素人に重要な役を任せ声優よりはるかに高額のギャラを払うなどとんでもない)。

 ただ、内容面の問題は多かった。例えば⓵「怪獣惑星」と銘打っていたのに出てくる怪獣が少なすぎる、⓶主人公の性格に問題がありすぎて共感できない、⓷ストーリーが雑で飛躍がある。なぜゴジラとすぐに戦わねばならないのかわからない、⓸登場人物の男女比が男性に偏りすぎ等々、これでは高い評価はできません。もう少しやりようがあったと思うのですが。
 身も蓋もないことを言ってしまうと、ゴジラを託す脚本家を間違ったと思います。マニア受けする脚本を書くことの多い虚淵玄氏ではなく、きちんと一般向けの物語を書ける人に任せるべきでした。庵野秀明氏の『シン・ゴジラ』が興行的には大ヒットしたことにより、制作サイドはさらにマニアックな道にはまり込んでしまったのではないか。それがそもそもの考え違いだったと思います。

 後2作作られるアニメ『ゴジラ』ですが、まだ軌道修正の可能性はあると思います。存在が匂わされているモスラを登場させて仲介役を務めさせて共存の道を見つけ出すという展開にすれば、何とかまとまるでしょう。

 さて、『シン・ゴジラ』の続編があるかもしれないという話については、そんなものいらないというのが正直な思いです。『怪獣惑星』に関してはまだ続きを観てみたいという思いがありますが(ないと中途半端な落ちになるので困るし)、『シン・ゴジラ』にはありません。同作品が素晴らしかったからではもちろんなく、最悪の上に最悪を重ねてどうするのかと思うからです。
 

Re: GODZILLA怪獣惑星の悲しいお話…… - なんじぇい (?)

2018/02/10 (Sat) 20:40:10

エクセルシオール様にほぼ同意します。

前に書いた通り『GODZILLA怪獣惑星』には問題点がかなり多く、決して褒められる出来ではないと思っています。
ただエクセルシオールさんの話に補足するなら、内容面の④
>登場人物の男女比が男性に偏りすぎ
はちょっと見方は違うように思われます。


このように男女比が偏ってしまったのは、おそらく『怪獣惑星』の社会が軍事社会であることに思われます。軍事社会では男が中心になるという描写は間違ってはいません。
問題は、その褒められない宗教および軍事社会を作中で否定していないことにあると思うのです。
尤も、これに関しては続編で改善されることを望みたいです。そういう意味では最後に登場した野生少女に期待したいところですね。
なのでまあ、男女比に関しては間接的には私もいけないと思っていますが、もっと大きな問題があるかと考えています。


ただ評価できるのは女性の無駄に卑猥な描写がないところでしょうか。まあ多少ならサービスとして笑って許しますが、アニメでは最近は極めて下品な描写が多いのでそういう所がないのは良かったです。
(余談ですが私が前にとても面白いと書きましたplanetarianは、女性が長を務めていたり、男女比が的確であったことも評価しています。また卑猥なシーンもありません)

シン・ゴジラの続編に関しましては私も皆様と同じく、ないほうがいいよなあ…という思いの方が強いです。
もしやったとするなら、既に蛇足としか言いようがないラストシーン(半減期が20日などというのも酷いけど)の後にさらに蛇足を積み重ねるのか……と暗い気分になるでしょう。




エクセルシオール様はアニメがお好きなみたいですね。宜しければお好きなアニメを聞いてみたいところです。(私は前にも書いている通りplanetarian 星の人です)

Re: GODZILLA怪獣惑星の悲しいお話…… - 海軍大臣 (男性)

2018/02/10 (Sat) 22:58:50

 先週、日劇TOHOでのゲストトークの際に、元東宝社長の富山省吾氏から「おそらく今後も東宝はゴジラシリーズを作っていくことになるでしょう。ハリウッド版と互いに刺激し合って、良い展開が望まれるといいですね」といった主旨の発言がありました。個人的な見解ですが、ニュアンス的にはどうやらダイレクトな【シンゴジラ】の話の続きではないニオイがします。少し胸を撫で下ろす気分ではありましたが、そうなると再度、これまでの世界観をリセットすることになるのかなあ?などと考えてしまいました。
 どうせならこれまでみたいに「初ゴジ」の後を受けたストーリーではなくて、【ゴジラの逆襲】のラストから始まる作品にでもしてくほしいなと、ふと思ってしまいました。何しろハリウッド版が「VSキングコング」なのだから、こちらも【キングコング対ゴジラ】に代わる作品世界を切り開いてもらいたいものです。
 ちなみにトークショーに際してハリウッド版や今後の日本版ゴジラに触れた富山氏ですが、本サイトで今や話題(?)のアニメ版には一切触れなかった辺りは、最近オリンピック会場を訪れながら某国にガン無視を決め込んだアメリカ副大統領みたいで、ヘンに潔い感じでした。

Re: GODZILLA怪獣惑星の悲しいお話…… - エクセルシオール (男性)

2018/02/15 (Thu) 22:31:24

 『怪獣惑星』の前日譚として書かれた『怪獣黙示録』という小説がありますが、こちらをアニメ化した方が受けたかもしれません。なにせこっちの作品ではほぼ東宝怪獣総登場と言うすごい内容になっていますので、映画よりも「怪獣惑星」と言う名にふさわしいとも言えます。

 もっとも、こちらにも問題はあり、⓵ゴジラ以外の怪獣がアンギラス、ラドンも含めて雑魚状態(少し目立つのはマンダくらいか)、⓶ゴジラが人間も他の怪獣も殺しまくる殺戮者のようになっている等々、かなり納得しがたい内容になっています。しかし、一つのSF小説としては面白かったです。上記問題を修正したうえでテレビアニメにでもすれば、悪くないかもしれません。

 『怪獣惑星』において軍事社会への批判的視点がないという問題に関してはその通りだと思います。ただ、さすがに主人公たちがまるで自らの社会の在り方を省みないまま最後まで突っ走る話にはならないと思いますので、今後は物語もキャラも良い方向に動くのではないでしょうか。


 >ただ評価できるのは女性の無駄に卑猥な描写がないところでしょうか。

 この点も同意いたします。近年猖獗を極める「エロ萌え」に頼らなかったことは正しい方針でした。最近のアニメ(特に深夜アニメ)では過激な表現(エロ又は残虐)が自己目的化している作品が少なくなく(アダルトアニメまがいのひどいものもある)、正直うんざりしていましたので、その通弊がなかったのは良かったです。

 『planetarian 星の人』は良い作品のようですね。機会があれば観てみたいと思っています。

 
 

フラバラ再考 - 海軍大臣 (男性)

2017/11/17 (Fri) 19:00:03

 先日発売のBLがこれまでの映像ソフトと同じだと聞きガッカリしていた【フランケンシュタイン対地底怪獣】ですが、【特撮秘宝】最新号に金田益美さんによるバージョン違いの論考が掲載されていて、まだまだ望みが持てそうです。

 数年前、東宝サイドの見解としは、現存する2種類以外(タコ版およびバラゴン死亡後にフランケンともども陥没に呑まれるタイプ)は存在しないと云うことになっていて、バラゴンを頭上高く持ち上げたまま埋没するバージョンは何かの記憶違いか集団幻覚ということにされていました。(一部否定派のファンの間では、本作ポスターのメインビジュアルのイメージが原因だとする、実しやかな説明まで流布していたようです)

 ところが、本件に詳しい知人によると、封切り当時この幻のエンディングを観たと主張する人間は全て中部以西に偏在していて、関東以北には存在しないとの話があり、配給された地域によってプリントに差異があった様子が窺われてなりませんでした。
 また、斯界の大先輩に当たる関西在住のH氏(先日、マツコ・デラックスの番組に出演されていた方です)は、まだVTRなど存在しなかった少年時代に、映画館で観た怪獣映画のストーリーを漫画形式でノートに書き起こしており、何年か前にH氏の仕事場兼私設特撮ミュージアムにお邪魔したとき見せられたその1冊の中に、フランケンシュタインがバラゴンを高く持ち上げたまま最期を迎える場面が描かれていました。

 ここまで来ると、やはり巷間に流布している第三のバージョンの実在が期待されてなりません。【キンゴジ】完全版が幻から現実になったように、ある時ヒョッコリと失われていたフィルムが見つかることを祈るばかりです。

Re: フラバラ再考 殿様ギドラ (男性)

2017/11/18 (Sat) 17:49:17

 その記事だけは読みました。
『宇宙大戦争』が海外版をソフト化しているのでは、という指摘にも驚きました。
 昔、浅草や池袋の東宝オールナイトで見ていたバージョンもほぼ映像ソフトと同じだったので、
それは輸出向けフィルムだったのでしょうか。

 ロングバージョンとの決定的な差異はニューヨークに隕石爆弾が落とされた後、ゴールデンゲートブリッジにも爆弾が落ちるか否か。
ロングバージョンでは、ゴールデンゲートブリッジは出てきません。海外向けに追撮された可能性はありますね。

 それから、ここで書いたかどうか定かでないのですが、冒頭の列車転落シーンで、ロングバージョンには「汽笛吹鳴~」のセリフがあります。
以前海軍大臣さんがおっしゃっていた、TV放送でのみ見られたカットというのはこれだと思うのですが、
とすれば、ロングバージョンとされているものが本来の国内版だというのが正しいのでしょう。
(完成台本がロングバージョンと同じ内容とのことですから、そういうことなんでしょう・・)

 バージョン違いの存在には頭が痛いです。

 そして、『フランケンシュタイン対地底怪獣』!
 DVDのオーディオコメンタリーで有川貞昌さんが、「バラゴンを持ち上げたまま地中に沈むカットは撮影していない」と明言したことで、
決着が付いたと思っていました。あやふやな様子はなかったですし・・。

 それでも、実は、私が最初に見たときには、バラゴンを持ち上げたまま陥没に飲み込まれたのだ、と思っていたのです。
前後関係から推測すれば、それは昭和42年のこと。町にあった二番館(若い方に説明すると、昔は新作を上映する封切り館とその封切館からお下がりのフィルムを回してもらって上映する二番館・三番館があった)
で見たはずです。ところは青森県。

 その後、テレビ放送で大ダコバージョンを見て仰天したのは、みなさんと同じ。
さらにのちに東京で再見したら、現在見られる国内版で、「あれれ?何か物足りないというか、違うぞ。あ、バラゴンを持ち上げていない!?」と思ったものの、
幼い頃の記憶など当てにならないなぁと自己処理。

 そのまたのちに、ネットで特撮ファンのみなさんと交流するようになって、ほかにもバラゴンを持ち上げたまま沈むバージョンを見た、という人々がいることを知り、
みんなであーでもないこーでもないと情報交換するものの、結論は出ず、そのときはバラゴンを持ち上げている有名なスチール写真のイメージと入り交じったのではないか説に落ち着きました。
(それがしばらく定説になっていたのでしょう。そんな現象が起こりうる証拠として、現在の国内版と同じエンディングであるLDにバラゴンを持ち上げたまま沈むバージョンが収録されている、と
おっしゃったファンがいたこともあります。大昔の記憶でなくても、何らかの原因ですり替わってしまうことがあるようです)

 しかしながら、そのHさんの記録ノートは信憑性が高いですね。
やはりあのエンディングはあったのか??

 私の兄は「絶対にバラゴンを持ち上げたまま沈むバージョンはあるのだ!」説です。なんでも私と一緒に二番館で見る前に『フランケンシュタイン対地底怪獣』をテレビで観ていたそうで、
テレビ放送でもバラゴンを持ち上げたまま沈んだとのこと。当時のテレビ事情がどうだったか、封切りから2年以内にテレビ放送したのかどうか。
巷では大ダコバージョンが最初のテレビ放送ということになっていますが、地方だとまた別の動きがあってもおかしくないので謎は深まるばかりです。

Re: フラバラ再考 - 海軍大臣 (男性)

2017/11/19 (Sun) 00:50:42

 早速のご返信ありがとうございます。ギドラの巣本来の建設的(?)な意見交換となりそうです。

【フラバラ】絡みの謎と云えば、井上泰幸展に展示されたいた同作品の特撮班スケジュール表にちょっと興味深い点があります。
 その資料によると、恐らくクライマックスからエンディングまでに相当すると思われるシーンNo190~204の都合十数シーン分が、一カ月弱の間隔を空けて、丸々そっくり二度撮影されていたのです。これは単に大ダコ版を撮影したとの意味なのでしょうか?それとも…。いろいろと空想は膨らんでしまいます。

 この【フラバラ】問題について昨晩、或る特撮研究者の方とメールで遣り取りをした際に、以前ここでも書きました【地球防衛軍】のセリフ違いバージョン(恐らく初号プリント)の話が出たところ、以前より東宝関係者への聞き取り調査を行ってきた同氏によると【地球防衛軍】の初号試写では、土屋嘉男さん発案の日本語のセリフにミステリアンのゴボゴボといった音声をダブらせた部分についてかなり喧々諤々あったとのことでしたから、音声について大きな変遷があっても不思議ではないとのことでした。【宇宙大戦争】もそうですが、映画作品が本来の姿で後世に伝わっていく難しさが改めて思われてしまいます。

 あとそれから私事ですが、今回の【特撮秘宝】にも拙文を寄稿しております。以前、ここでも書かせていただいた中島春雄さんと平山亨さんのエピソードですので、ご覧いただければ幸いです。

Re: フラバラ再考 - エクセルシオール (男性)

2017/11/19 (Sun) 20:27:27

 『フランケンシュタイン対バラゴン』に関しては、私が観たバージョンは現在では最も有名な「大ダコバージョン」のものでした。初めて視聴したときに子ども向け怪獣本で得た知識とラストが違っていたので少々面食らった記憶があります。それは本で得たあらすじが「フランケンシュタインとバラゴンが闘いながら地殻変動にのみこまれていく」というものだったためです。まあ、この種の作品紹介はかなりいいかげんなものもあったので、その時は「そんなものか」と思うだけだったのですが、本作品には結末が複数あると知り、「もしかしたら・・・」と思う今日この頃です。

 話題になっている三つ目のエンディングですが、確かに「私は観た」と言う意見の方は多いのです。これを全て一種の錯覚の産物と考えるのは、やや乱暴ではないかという気もします。「ゴジラ1983復活フェスティバル」というイベントの上映会で観たという意見もあり、私は3種目のエンディングは存在していた可能性が低くないと思っています。

 そういえば『フランケンシュタイン対バラゴン』は元々は『フランケンシュタイン対ゴジラ』という企画だったのですよね。シナリオは『東宝特撮未発表資料アーカイヴ』という本に収録されていましたが、この元々のストーリーでは、両者の死闘中に火山が爆発しフランケンシュタインは地殻変動に飲み込まれ、ゴジラは土石流に流されていくというものだったと記憶しています。これは「フランケンシュタインとバラゴンが闘いながら地殻変動にのみこまれていく」という話に近いものであり、第三のエンディングバージョンがあったある種の状況証拠になるかもしれません。

 昔は今ほど一律の映画を上映するように統制がなされていませんから、一部の映画館だけ「フランケンシュタインがバラゴンを持ち上げたまま地割れに飲み込まれていく」というバージョンを上映した可能性はゼロではないと思います。
 余談ですが、私が1989年に『ゴジラVSビオランテ』を観に行ったときに、なぜか『ゴーストバスターズ2』との二本立てになっていたことがありました(なかなか信じがたい話かもしれませんが事実です)。別の映画館ではゴジラの一本立てだったので、未だに不思議に思っています(フィルムのレンタル期間が重複してしまったなどの何かのっぴきならない事情があったのだろう)。30年くらい前までは地方の映画館では時に予想外のことがあったのです。まして1965年ならば何があっても不思議ではありません。

Re: フラバラ再考 殿様ギドラ (男性)

2017/11/20 (Mon) 19:10:07

 井上泰幸展にそんな展示がありましたか。
私は、「定本円谷英二」内の年譜、昭和40年の項で、八月八日『フランケンシュタイン対地底怪獣』封切り、(中略)、十二月十二日より十五日まで『フランケンシュタインたい地底怪獣』海外版を撮影、と書かれているのを見て、えっ、国内版の公開後に撮影?とびっくりしていました。

 やはりここで撮影されたのが大ダコのエンディングなのでしょうか。撮影時期も含めて謎です。

 そして、うーん、1983年のゴジラ復活フェスティバルで幻のエンディングを見たというのは、ちょっと怪しいかな・・。
 私が真っ赤に褪色した公開当時のフィルムとおぼしきプリントで現行の国内版エンディングを見たのは、同時期か1982年のことで、復活フェスティバルの正式プログラムには含まれていなかった「フラバラ」がついでに上映されたとしてもニュープリントとは考えがたいので、私が見たのと同じフィルムである可能性が高いです。

 国内版エンディングのレーザーディスクの例もありますので、記憶のすり替わりが起こることもあり得るのが、このミステリーのややこしいところです。
 某ライター氏は、幻のエンディングのビデオを持っている、と豪語していましたが、その後どこからも出てきていませんから、おそらく勘違いだったのでしょう。

 でもなぁ、記憶にはあるんだよなぁ。
バラゴンを高々と持ち上げたまま沈んでいくフランケンの姿!
(そのうち夢に見そうだ。先日は、街角の屋台で古い東宝特撮映画のパンフレットが投げ売りされている夢を見て心臓ばくばく。バカですね-)

 あ、海軍大臣さんの記事が「特撮秘宝」に載っているのは気がついておりましたぞよ~。

なんか資料集が出るようです。 - なんじぇい (?)

2018/01/30 (Tue) 21:34:45

東宝特撮「フランケンシュタイン」2部作の資料集めた書籍発売
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180128-00000050-nataliee-movi

スチール写真を中心に構成された本書は、1965年公開の「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」と
1966年に公開された「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」の資料を収録した書籍。
どちらも本多猪四郎が監督を務め、円谷英二が特撮を担当した。
なお「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」は、
マンガ「進撃の巨人」の諫山創や「シン・ゴジラ」の樋口真嗣らが影響を受けたと公言している。



私にはよくわからないことですが、もしかしたら助けになるかもしれないと思い、書かせていただきました。
ただ高い……

Re: フラバラ再考 - 海軍大臣 (男性)

2018/01/31 (Wed) 00:28:42

なんじぇい様、情報の御提供ありがとうございます。

仄聞したところ、スチール及びポスターに用いられている「フランケンがバラゴンを持ち上げたポーズ」は、スチールマンの故・中尾孝氏が円谷組の撮影の合間に、特写のために御自身であのポーズを指示して撮影されたそうで、実際の映画の場面を脇から撮影したものではないと聞きます。
ただ、特撮ライターのTさんの推察では、もしかしたら円谷監督がそうしたキイビジュアルを考えていて、ラストで用いる予定であったから、スチールマンにもそれを支持したのではないか? との想像もありえるのではということでした。その方はスクリプターの久松桂子さんの残された記録も全て精査されたそうですが、残念ながらファンの間で「幻のラスト」と呼ばれるカットの記録は出てこなかったとか。私が冗談で口にした「合成説」もTさんに言わせるならば、もはや「合成カット」しか縋るべきよすがも無いと仰っておられました。
【大怪獣バラン】のナレーションではありませんが、永遠の謎のまま終わってしまいそうでなりません。

Re: フラバラ再考 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/01/31 (Wed) 18:23:44

 なんじぇいさん、情報に感謝します。

 東宝フランケンに限定した資料本が出るなんてびっくりです。写真が豊富らしいので興味ありあり。

 んが、たしかに高価だーー。
ご紹介頂いたニュースサイトだと約5000円となっているのに、なぜかアマゾンマーケットプレイスでは9500円ってどういうわけだ!あくどく儲けようとしてるな。

Re: ウルトラマン・バージョン - 海軍大臣 (男性)

2018/02/04 (Sun) 22:00:42

 話を蒸し返すみたいで恐縮ですが、ちょっと興味深い話を耳にしました。

 現存する【フラバラ】国内版のラストですが、ちょうどフランケンが虚空に拳を突き上げたポーズが初代マンを連想させることから、「ウルトラマン・バージョン」なんて呼んでいるファンが居る様子です。
 実は先日、日劇ラストの会場で遠県からやってきた昔馴染みと久しぶりに顔を合わせた際、発売されたばかりの「東宝フランケン本」の話題から、自然と例の幻のエンディングに話が及びました。
 するとその友人は80年代初めのオールナイトで間違いなく「バラゴン持ち上げ」のバージョンを観たと断言したのです。実はその友人はその時まで【フラバラ】にパターンの異なるエンディングがあることを全く知らず、上映直後に一緒に観ていた知人から初めて、
「【フラバラ】はタコ版と今見たバージョンの他に、バラゴンを持ち上げないまま地割れに呑まれる「ウルトラマン・バージョン」というのが在るんだよ」
 と教えられたのだと云うのです。
 考えてみれば、タコ版以外の終わり方が複数無ければ、ファンがわざわざ「ウルトラマン・バージョン」だなんて呼び名を付ける必要は無い訳ですから、これも貴重な証言だと思います。
 以前にも書きましたが、製作者側には幻のバージョンを撮影したという記憶も記録も無い訳ですが、ファンの方からこう色々とエピソードが出てくるようでは、やはり何かが在るのだと考えざるを得ないのではないでしょうか?
 
 
 

Re: フラバラ再考 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/05 (Mon) 17:56:41

 うっ、これは、エクセルシオールさんの情報に怪しいかな、なんて書いてしまいましたが、海軍大臣さんのご友人のお話は相当に詳しくて、やはり、「あったのか」と思わざるを得ません。
(いやもう、かくいう私も最初に見たのはバラゴンを持ち上げたまま沈むバージョンだと覚えておりますので)

 復活フェスで『フランケンシュタイン対地底怪獣』を上映した地域があるというのもうらやましいけれど、そうなると地方に眠っていたプリントを上映したとも考えられ、最後の望みは合成説になりますね・・。
 だとしてもネガはあるはずなので、これから出てくることになるのか??
そうなると『キングコング対ゴジラ』の二の舞だなぁ。
 いろいろあきらめてブルーレイを発売したら幻のフィルムが出てきてしまう、なんて。

『シン・ゴジラ』と平成ガメラ - なんじぇい (?)

2018/01/29 (Mon) 14:01:48

ギドラ様と話していたら、シン・ゴジラは凄くダメな作品だなあ、と意見が変わりました。
簡単に言えば駄作です。

ゴジラの改変についてなどの問題点もありますが、映画の出来に関してもストーリーや設定もグズグズの穴だらけに思えてきます。
今になって思えば、私にとって誉められる点はゴジラが歩いているところと熱線のシーンの絵作り程度です。

似たような映画に『ガメラ 大怪獣空中決戦』がありますが、あれは起承転結もしっかりしており、紆余曲折もあり、怪獣についての見せ場も最後まで用意され、映画の出来としては『シン・ゴジラ』の20倍は面白いように思えます。
(20倍という数字は熱線の時間の20倍という感じです)


改めてご教授ありがとうございました。話していてとても為になりました。



よろしければ『大怪獣空中決戦』を続編を無視して映画単体で評価した際、皆様はどう思われるかも聞きたいです。
『大怪獣空中決戦』は私が好きな怪獣映画でトップ5に入るくらいの映画ですが、遠慮なく書いてください。

ちなみに平成ガメラの2作目からは私はあまり好きではありません。特にガメラ3はガメラの過剰な改変、ひたすらに陰気な作風等で駄作としか思えません。

Re: 『シン・ゴジラ』と平成ガメラ 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/01/31 (Wed) 18:16:52

 そーですねー、最後に見たのはもう20年近く前になりますか・・。
と言えばお察しですね。

『ガメラ 大怪獣空中決戦』は好きじゃないんですよ。
 それでも、劇構成はお見事だとは思っていて、まさにおっしゃるとおり、紆余曲折その他、物語は豊かだったと覚えています。
映像構成に難を感じたところがあったと思いますが、上出来の映画ですよ。

 しかししかし、ガメラの名義で発表されたのがとにかく痛い。
こちらはガメラを見に行ったつもりなのに、続編ではないどころかガメラもギャオスも別物に改変されていて、
ある目的のために作られた生物だとされてしまいました。

 怪獣にも人工生命体はいますが、人食い目的の鳥怪獣とそれを駆除するための亀怪獣という設定では、
怪獣心が燃えません。M1号のほうがよほど奔放で、怪獣らしいとさえ言えます。
 怪獣バトルは野生の喧嘩であってほしい。

 怪獣たちが窮屈に見えて、乗れなかったんだなぁ。

Re: 『シン・ゴジラ』と平成ガメラ - なんじぇい (?)

2018/01/31 (Wed) 21:55:27

ギドラ様のおっしゃる通り、ギャオスに関しては人造生物・共食いなど原作にない要素ばかり入れてしまい別物になってしまったのは私も残念に思います。

しかし、ガメラは『大怪獣空中決戦』では人造生物とは描かれていません。
アトランティス大陸の守護神・最後の希望・神獣などという新たな設定はありましたが、この映画のなかではガメラは単なる一生物だったのです。
守護神というものが窮屈に感じられるかもしれませんが、子供の頃の私としては怪獣に神性を与えるもので好印象でした。
人造生物という設定はガメラ3から出てきたものです。これは本当に余計な設定だったと思います。

そういうわけで、この作品のガメラは私は好きでした。
その後の平成ガメラはなんでああなっちゃったんだろうなあ……とずーっと残念です。



ですがストーリー展開は誉めてくださって、私としてもホッとしているところです。
私のなかでは平成ガメラはシリーズとしては好きではありませんが、『大怪獣空中決戦』単体では好きだという珍妙な扱いです。



平成ガメラシリーズはその後なぜあんなことになってしまったのか、それは私にはわかりません。
しかしガメラの軌道修正をする最後のチャンスが『小さき勇者たち ガメラ』だったように思えます。

しかし『小さき勇者たち』はストーリーのあまりの不出来さゆえか興収4億ちょいという大コケをかまし、ガメラシリーズが終了してしまったのは残念でなりません。
(見ていた当時はまだ子供でしたが、赤い石リレーや、赤い石を持って長々とガメラに話しかける主人公を律儀に待つジーダスなどに、ませた私は『子供騙しもええ加減にせーよ』などと思っていました)

しかし世間ではガメラ2がガメラシリーズ一番の傑作という扱いなのが不思議でなりません。
なんか理由があるのでしょうが……よくわかりません。

Re: 私と同世代のファンは大勢であるが故… - 海軍大臣 (男性)

2018/02/01 (Thu) 01:26:52

>しかし世間ではガメラ2がガメラシリーズ一番の傑作と いう扱いなのが不思議でなりません。
 なんか理由があるのでしょうが……よくわかりません。

 とのことですが、公開当時、私の周りでは金子ガメラの「1」と「2」に対する嗜好が、その人物の特撮ファンとしての「タイプ」を判別する試金石のように言われていたことを思い出します。
 つまり【ガメラ1】が好きな人は極めて純粋な「怪獣映画好き」で、一方の【ガメラ2】が好みだと云う人間は怪獣ものに限らぬ「特撮好き」であると実しやかに囁かれていました。
 確かに私は純粋に怪獣映画が好きである訳ではないので、どちらかと云えば「2」の方が好みに合った作品だなと思います。(と云っても大絶賛というほどではなく、特に明らかに盛り上がりに欠けるクライマックスへの持っていき方には疑問符が付きます。何だか戦前の日活作品【将軍と参謀と兵】の戦闘場面を意識したみたいに感じられてしまいました。ともかく公開前に観たプロモ映像の盛り上がり方が半端なかったので、すっかり肩透かしを喰った気分だったのを思い出します)
 こうした嗜好を持つ特撮ファンは私の世代に非常に多いようです。私の場合、何しろ小学4年生の春休みを最後にして怪獣映画が作られなくなってしまい(中学1年のGWに【恐竜怪鳥の伝説】という規格外のバロック的作品がありましたが、これは論外とします)、その間隙を埋めるようにして、【日本沈没】や【新幹線大爆破】、【夜叉ケ池】、それに【ブルークリスマス】や【皇帝のいない八月】といった非怪獣作品にドップリ嵌まったまま少年時代を過ごしてしまったため、私のような人間が出来上がってしまったことになるのでしょう。【ガメラ2】を観た同世代のファンの多くが、前掲した非怪獣作品と何処か通じるニオイを【ガメラ2】に感じていたようです。事実、樋口真嗣監督は殆ど私と同世代ですから、彼の好きな映画作品と私の好みは結構ダブってたりしています。

 ちなみに私の【ガメラ1】評は、アップテンポで歯切れは良いが、その分、何だか腰の定まっていないように感じられてしまい、特に事件の発端はもう少しジックリと描くべきだと感じました。
 ただ特撮につきましては、前述の様に「劇場特撮冬の時代」を過ごしてきた世代ですから、本格的なミニチュア特撮となるとどうしてもTVの【ウルトラマン80】や【東京大地震M8.1】での川北監督に絶大な影響を受けており、こうした川北特撮の拡大再生産的な【ガメラ1】の特撮はスンナリと受け入れられたと思います。
 この80年代初頭における川北特撮の躍進ぶりは凄まじいものがありました。ところがまだヒヨッコだった私らが「こんなミニチュア特撮を劇場作品で観たい!」と力説しても、ずっと上の世代のファンからは「あれはブラウン管の小さな画面だから成立しているだけで、劇場の大画面には向かない特撮だ」などと全面否定されて悔しい思いをしていましたから、樋口監督の手で自分たちの意見が実証されたみたいで非常に嬉しかった思いがあります。

Re: 『シン・ゴジラ』と平成ガメラ 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/01 (Thu) 18:29:26

 あっ、そうだったっけ!

 ガメラまでも人工生物に仕立ててしまったのは「3」でのことでしたか。大変失礼しました。さすがに20年近くも経つと記憶が曖昧になっちゃいますね。

Re: 私と同世代のファンは大勢であるが故… - なんじぇい (?)

2018/02/02 (Fri) 14:46:29

海軍大臣様返信ありがとうございます。
どうも私はテンポ重視の作劇が好きなため、海軍大臣様のおっしゃる問題点も分かりますが、私としてはあまり気になりませんでした。

しかし『レギオン襲来』を特撮映画好きが好むとは……うーむ。
まあ確かに巨大レギオンを着ぐるみで表現したりなどの奇抜さは評価されるべきでしょうね。
またレギオン自体のデザインは、昭和ガメラにいてもあまりおかしくはないなというオリジナリティがあると思います。

映画映像はどうあるべきかについて 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/01/25 (Thu) 18:31:35

 はじめに

 映画に限らないことですが、芸術・表現とは自由なものであるべきです。
人の心を動かすためにはいかなる制限も排除すべきです。
表現内容の倫理問題は、作品批評のレベルで議論されればいいのであって、表現そのものをその手法や思想で制限すべきではないでしょう。
(極論ですが、犯罪を称揚するような表現だとしても表現することそのものを圧殺してはいけません。表現内容が悪質なのだとしたら批評の場で糾弾すればいい。
ただし、受け手に十分な知識経験判断力がない場合は、表現によって教育されてしまう可能性があるので年齢制限の必要が出てくる)

 手法についても同様で、ひとつの表現に対してどんな手法を使うべきかもまた自由であるべきでしょう。

 というのが大前提。

 次に、実際に作品を作っていくと、芸術とはそれほど自由なものではないことがわかってきます。
それは、人間の知覚・認知の特性に縛られるからであり、作者が持つ感覚と受け手が持つ感覚が必ずしも一致しないからです。

 表現とは、広い意味でのコミュニケーションです。
何かを誰かに伝えることに他なりません。そこで、伝えるための手法を編み出さなければならないのです。

 これは私の考え方です。表現者によっては、伝わらなくてもかまわない、自分が納得する表現さえ出来れば良い、それを評価するかどうかは受け手の自由だ、という人もいるでしょう。
ここで食い違ってしまえば、以下に述べることには何の力もなくなります。表現者は内向きで構わない、己に対して語るだけで良いと考えるなら、私の意見など無視して下さい。


 劇映画の手法

 映画と一口にくくってしまうと、ドキュメンタリーも映像による美術表現も含まれてしまうので、ここでは劇映画に限定します。
動く映像と音響を使って物語を伝える作品のお話です。

 人間は感覚として、連続した空間と時間の中で生きています。(テレポーテーションもタイムスリップもしない生活)
ところが映画表現では、フィルム(映像ファイル)を編集することで不連続な空間や時間を連続して見せることが出来ます。
編集された映像を見ると人間本来の時間空間感覚とのずれが生じることになります。

 物語を伝えようとするとき、その出来事にかかわるすべての事象を連続して見せていくとなると膨大な時間を要するでしょう。
さらに物語の展開と関係のない出来事まで追いかけることになります。
 そこで必要な場面だけ見せるために時間や空間を飛び越す見せ方をすることになります。
(文学では人物の行動を描写する以外に説明の語りで時間や空間を飛躍させますが、言葉を使うコミュニケーションですから、もともと言葉で他者と繋がる人間にとって違和感はない)

 そのとき、観客が見当識を失うようではドラマが伝わりません。見えているものがどこなのか、いつなのかが分からなくなるようではストーリーの伝達に支障を来します。
そこで空間や時間が不連続でも見当識を失わないようなカメラワーク、編集技法が編み出されました。

 基本的には、ひとつのシーンは時間的に連続しています。その中で観客に必要なものを見せるために空間的に不連続な映像を使わざるを得ないことがあります。
小難しい言い方をしてしまいましたが、簡単に言ってカメラポジションを変えたりフレームサイズを変えたりすることです。
そんなとき時間が連続していることを感じさせるために同一人物の同一の動作の途中でカットを切り替えたり、セリフや効果音の連続性を保って映像を切り替えたりします。

 また、ほとんどのシーンチェンジは時間的に飛躍しますから、まったく別の時間に移ったのだということを観客に示すような映像を挿入します。
(これから始まるシーンの舞台になる場所全景だったり、時間的推移を感じやすい事物だったり・・・)
あるいは、前のシーンの最後に次のシーンの冒頭に繋がるイメージを持ってきて、映像的には断絶していても観念的な連続性を保つことで観客の意識に断絶を作らない工夫をして、
時間の飛躍は後で提示するという方法もあります。

 あくまでも大ざっぱで、かつ原則的なことでしか書いていない(例外はいくつでもありうる)ですが、劇映画においてはストーリーをよどみなく伝えるために、
いかにして観客の意識を自然な感覚に反しない形で誘導するかの手法を開発していったのです。そこには流れを途切らせないための工夫もありました。
一本の映画は連続的に見るものであり、たとえ劇中の時間が飛び飛びだとしても、映画時間の流れに断絶を作らないほうが、人間の自然な感覚に合致するからです。

 また、映画は視覚と聴覚に訴えるものであり、さまざまな仕掛け(特殊効果)で舞台演劇とは違った現実的な描写が可能でしたから、体感アトラクションの様相も持っています。
そこで、いかにして臨場感を高めるかも追求され、客観的な視点だけでなく、観客が当事者意識を持てるような主観描写の見せ方も考案されていったのです。
臨場感を大事にするなら、時間的な連続性は必須です。同一シーンでも時間が不連続であれば、観客は時間が編集されていることを意識せざるを得なくなり現実感は薄れます。
また体感的であろうとするなら、その場に居合わせた人間にどう見えるかという映像も必要になってくるので、大規模な事象(天災や大爆発などなど)を描く際に、全体を見せるのみならず、
カメラがその渦中に入り込むことを行います。

 劇映画においては、人間の感覚を乱さない範囲で映像を切り取り、物語をあたかも現実であるかのように見せる手法を確立していったと言ってよいでしょう。

 そんな映画の文法が定着したのちに、まず映画ありきでその可能性を探る動きが出てきます。
ヌーベルバーグと言われる映画運動がその一つでしょう。ヌーベルバーグは私の感覚に合わないのであまり詳しく論じることは出来ないのですが、その代表作のひとつ
『勝手にしやがれ』(ゴダール)では、同一カットの途中を中抜きするという実験を行っています。同じ画面なのに時間的に不連続なカットつなぎは激しい違和感を呼びます。
これはまさに映画ならではの感覚ではあります。しかし、その手法が何を伝えるのか?
 同一空間で時間が飛躍した、という驚きでしかありません。劇映画の手法としては役に立たないと言っていい。映画の手法を知っている人なら、「わっ、禁じ手の編集をやってる」と驚くのでしょう。

 ここで言いたいのは、劇映画が定着した結果、人間が先天的に持つ感覚を大事にしつつドラマで心を動かすことでは飽き足らず、定番の手法を裏切ることで何かを表現(従来の映画への反逆?)
したつもりになっている作家が登場したことです。それが、映画に入れ込んであれやこれやと考えをこねくり回していた人々に驚きを与えたのでしょう。決して大衆性はありません。
(わー、ヌーベルバーグ好きの人たちに総突っ込みされそう。ヌーベルバーグに関してはそのストーリー性にも問題を感じますが、それはまた別の話)

 スタンリー・キューブリックがとあるインタビューで語っています。
「映画は、何を描くかが大事であり、いかに描くかはその次である」


 映画とテレビ

 映画は暗がりで大画面を見る行為。テレビは部屋の中にある画面を見る行為。

 私の持論では、「映画はその映像が観客の環境になるが、テレビは環境の一部に存在する映像である」となります。

 長い間、テレビというのは部屋の一部に画面があるものでした。大画面テレビの普及でテレビの視聴環境は変わってくるんじゃないかと期待しましたが、結局部屋を明るくして画面から離れて見て下さい、
という注意書きが表示され、それ以上に、ニュースやバラエティなどはそもそもそれほどの大画面で見るものではないので、やはりテレビは環境の一部のままです。
(私はテレビ番組を見るテレビと映画を見るテレビを使い分けています。映画を見るテレビはより大型であり、見るときは部屋を暗くして画面に近づきモニターで視界を覆います)

 初期のテレビドラマは映画の手法を模倣していましたが、だんだんテレビ独自の手法が編み出されるようになり、小さな画面で効果的な画作りを開発していったものと思われます。
(もう一般的なテレビドラマは30年ほど前から見なくなってしまったので、最新のテレビドラマがどんなことをやっているのかはよく知らない)
さらにTVCMの登場も映像のあり方を変えてしまいました。短時間に商品宣伝のための説明やイメージを押し込むため、時間空間の繋がりを無視してきれいな映像を並べていくのがTVCM。

 そんなテレビ映像に慣れた観客なら、劇場映画でテレビ的な手法が使われていても疑問は感じないでしょう。
(近年は鳴りを潜めましたが、ちょっと前、1990年代後半でしょうか、劇場映画なのにクローズアップの短いカットを連発する手法が多用されたことがあります。これはテレビ映像の影響かと思われます)
しかし、映画とテレビは違うもの。

 視界を映像で覆われる映画には、テレビとは違う手法を使うべきと思います。
それは、さんざん述べてきたように人間の環境認知と関係します。顕著に表れるのは、画面そのものを動かす行為です。
テレビにおいては、映像が移動・振動しても、覗き窓から見える景色が動いているのであり、視聴者は移動も振動もしていません。
しかし、映画で同じ事をやると、視聴者自身が動き、振動している感覚になるはずです。(体感的に、という観点からは有効な演出とも言えますが・・)
これをやり過ぎると不快感に繋がります。映像酔いを起こすことになります。(視覚と平衡感覚のずれが吐き気を呼ぶ)
それではドラマを伝えることが出来ません。

 ジョン・フォードは「三脚は地面に釘で打ち付けておけ!」と言ったとか。映画映像はカメラをやたらに動かすものではない、という戒めでしょう。

 そしてTVCM的に繋がりのない映像をつないで見せても観客が受け入れるようになったため、映画のカットつなぎまで荒くなっているようです。
(きちんと映画的に丁寧につないでいる作品もあります。そこは作者の資質に左右されるところ)
それでは映画の美の一つである、時間・空間の流れの美しさは生まれません。


 実写とアニメ

 ここまで書いてきたことを総合すれば、実写であれアニメであれ、映像設計には違いがないはずです。

 もちろん厳密に考えれば、動く写真である実写映画と絵を動かすアニメではどうしても同じというわけにはいかない面はあります。
(一例として、人物のフルショットから顔面のみのクローズアップへカットをつないだとすると、実写では拡大された分、顔のディティールが見えることに違和感はないけれど、
アニメだとクローズアップになったとたんにシワなどのディティールを描き込むと、フルショットの顔の絵とは別物になって画が繋がらない。かといってフルショットの顔の部分を拡大するだけでは
絵が単純すぎて画にならない。最初からディティールを描き込んでしまうと、フルショットのときに絵ならではの省略の美が失われてしまうでしょう)

 それでも、カメラポジションの置き方やカットつなぎの法則は実写と何ら変わらないはずです。

 とはいえ、実写では当たり前なのにアニメに少ないカットのつなぎ方として、アクションつなぎがあります。カット同士の時間的連続性を強調するために同じ動きを別のカットにまたがらせる方法です。
なぜアニメにアクションつなぎが少ないのかについて漠然とした推論はありますが、確信はないので書かないでおきます。アニメ監督に話を聞いてみたいところです。
そのあたりに実写とアニメの発想の違いがありそうではあります。
 ただし、昨今の3DCGを使ったアニメでは、絵に動作を付けてからカット割りを考えることが出来るでしょうから、より実写に近づいたはずです。

 動く映像でストーリーを伝えるという目的からは実写・アニメに違いはないと考えています。

 ところが実際には日本アニメの画作りは実写とはずいぶんと違っています。(あえて日本アニメと書きました)
どうしてそうなったのかと考えると、先になんじぇいさんがお書きになったように、テレビアニメの製作環境が影響したものと思われます。
予算と時間の足りなさに加えて、テレビ用の画作りが融合して独特の様式を生み出したのではないかと推察します。
(アニメであっても劇場映画として作られる場合にはそんな制限はないはずで、テレビ登場以前のアニメ映画の画作りは近年の日本アニメとはかなり違っている)

 あまり動かせない絵を使いつつ、かつ目を惹く映像にするにはどうすればいいか、それを追求したときに劇映画の文法とは違うカット割りや構図の使い方が生まれてきたのではないか、と思われるのです。
その中に、不自然なまでにきれいに並んだ人物レイアウトやどこから見ているんだという構図などが出てきたのではないか?
 そしてテレビアニメで修行したスタッフが劇場アニメも作るので、テレビアニメで当たり前の手法を劇場映画にも持ち込むのではないか?

 もちろん劇映画であっても美しい構図やレイアウトは必要です。それが映画の美になります。
けれども、物語を伝えるのが第一義ですから、不自然な流れで「決めカット」を投入するのは避けねばなりません。
我々の日常の中でも、ふとした瞬間に美しい構図の景色を見たり、自然の中に美しい色彩を見ることがあります。そのような偶然を装って自然に決めカットを作っていくのが本道です。

 ところが、ヌーベルバーグの話で少し触れたように、不自然な(映画の文法を破った)映像を表現であるとする考え方があるようです。
不自然、つまり人為的。作者の作為が見えることで作家の表現だ、とする考え方です。
 実写でもそんな作為まみれの映画は少なからず存在します。(大林宣彦『HOUSE』はもちろん、インディーズムービーなんてそんなのばっかり。鈴木清順の諸作もあてはまるでしょうし、実相寺昭雄も危ない)

 アニメになると、そもそもがすべて絵で描かないといけませんから「作為」から逃れることは出来ません。その上に不自然な形で「決めカット」まで投入すればますます作為的になります。

 劇映画の目的が物語を伝えることなら、観客にとって劇中世界は現実であらねばならないはず。ウソの世界だと感じられてしまったなら、ストーリーに説得力はなくなるでしょう。
作為が見える映像を使うと、作者の存在を意識せざるを得ません。そうなると劇中の出来事もどこかのだれかが操作していると感じられてしまいます。
作為的でも良いのだ、という考えに立つなら実写にアニメ的な画作りを取り込むのもいいかもしれませんが、劇中世界に実在感を出したいなら作為を感じさせてはならないはず。
もともとアニメに比べてそれほど作為的にならなくても済む実写ですから、アニメ調の演出は避けた方が良いと考えます。

 海軍大臣さんが記事タイトルにお使いになった「大楽必易」は伊福部昭先生の座右の銘であり、「優れた芸術とはわかりやすいものである(でなければならない)」と訳すのが妥当かと思われる言葉です。
私もその考え方に共感します。「必易」の部分が、劇映画における人間の認知力に応じた映像設計ということになります。
小さな子供からお年寄りまで、世界のどこの国の人でも、いつの時代の人でも抵抗なく物語世界へ入って行ける作りを目指すこと。

 そして、大楽必易を実現するための方法論として同じく伊福部先生が心がけた「無為」があります。文字通り読めば「為さない」。
実際はさまざまに思考し計算して組み立てていてもその作為を感じさせないこと。何もしていないように見せること。これ見よがしの技巧を使わないこと。つまり自然だと感じさせることです。作者の存在を感じさせないことでリアルになる。
作為を感じるものはわざとらしく見えます。

 流行りの演出や対象観客層の特性に合わせた映像(ややこしい言い方になってしまいましたが、たとえば、TVアニメに慣れ親しんでいる人をターゲットにするなら決め構図の連打とか)を使っても公開時には受け入れられるかも知れません。
けれどそこに普遍性はない。すぐに古びてしまうでしょう。


 おわりに

 なんじぇいさんと海軍大臣さんの対話をきっかけに、私が思う劇映画映像のセオリーを書いてみました。
しかし冒頭でも書きましたように、芸術の作法に「絶対」はないはずですから、別の考え方・感じ方もあるでしょう。
私としても作為的なものを否定しつつ、しかし、作者の作為を楽しむタイプの作品もあります。アニメ全般は作為を楽しむものかもしれませんし。

 ゴジラ、怪獣に限定すれば怪獣というのが現実にはいないからこその映画装置であることから、その映像・ドラマはあくまでもリアリスティックであるべきだろうと考えています。
怪獣を実在するように感じさせるためには極力作為的な演出を避けて自然なものに見せる必要があるのではないかと思うのです。

 長々と書きましたが、映画学校などで専門的に映像設計を勉強した人には、浅い話だな、と思われたかも知れませんけれど。

(円谷英二監督のご命日に記す)

誤読していたらすみません - なんじぇい (?)

2018/01/25 (Thu) 23:19:27

ギドラ様、どうも長文ありがとうございます。
同じようなことを、大学の教授に言われたことを思い出しました。(映画とアニメ映画は似て非なるものだということです)
そのときは何をいっているのか良くわからなかったのですが、ギドラ様のお陰で何となくわかったような気がします。
感謝します。
また、分かりやすさという概念が欠落していたことも理解しました。

その上で、もし文章を誤読していたらすみませんが、私の考えを書かせてもらいます。


まず、私はアニメ的な演出はなんにでも使っていいものではないし、使用する際には細かく気を使わねばならない、と書きました。カヨコのようなものはただの失敗例だと。
その上で、例えば異次元や外宇宙から来た怪獣にはアニメ的な演出をセーブしながらでも取り入れてもいいのでは? と書きました。
ここでなぜ私が異次元や外宇宙等と書いたかというと、それはそもそもその環境が、現在の物理法則や科学常識等からかけ離れた存在であるということです。

昔量子論の本を読みましたが、その本によれば宇宙の外側では私たちの科学理論は何の役にもたたないのだそうです。
そこでは全く別の法則が働いているのだと。
異次元でも同じです。どのような法則があるのかなど、私たちはほとんど掴めていません。
そのような何1つ分からない、全くつかみどころのない怪獣を表現する際、地に足のついたような演出はかえってその怪獣の魅力を奪ってしまうと思うのです。

そのような超空間では地に足のついていない、私たちがあり得ないと感じるようなことが平気で起こり得ます。
リアリズムという枠は意味をなしません。
そのような常識を何もかも超越した怪物を表現する際は、作為的な、例えばアニメ的な演出を使用してもいいのではないか、ということです。
ただし最低限のリアリズムや分かりやすさを確保するため、脚本や演出には気を使わなければならないでしょう。


しかし、地球の怪獣やゴジラに関しては、アニメ的な演出をとるにしても最小限にとどめた方がいいと思います。
シン・ゴジラの熱線も「ゴジラとしてはやりすぎである」という思いはありました。
ただこの辺に関しては、怪獣という存在がそもそも常識を超越した生物である以上(水爆を受けても死なないなど)、なんとも言えないのは正直なところです。

歯切れの悪い回答をしてすみません。
ですが、人類の科学法則がまだ及びもつかない場所(宇宙とか異次元とか外宇宙とか)から出現した怪獣には細心の注意を払いながらではありますが、アニメ演出を使ってもいいのでは、と思います。



ちなみに、私がいわゆるとんでもな演出を使っていて面白いと思ったのは『ウルトラマンX』の最終話近くで登場したグリーザ第2形態でした。
あのなんともとらえどころのない訳の分からないもの、という演出は、異様な恐怖感がありました。
それ故にそのような演出がなくなった最終形態は残念なものでしたが、第2形態は近年のウルトラ怪獣のなかでは特に素晴らしいものであると感じます。
もしよければ、エックスをご覧になったギドラ様の感想を聞いてみたいです。

追記 - なんじぇい (?)

2018/01/26 (Fri) 13:46:32

付け加えておくと、『なにもわからない得体の知れないなにか(クトゥルフ神話的ですね)』『言い様の知れない恐怖感』を表現するためには、意図的にわかりづらい演出をしてもいいんじゃないかなあ、ということです。
そのなかに日本アニメ的な演出があれば、使ってもいいんじゃないかなあと。

ギドラ様の挙げられていた実相寺昭雄さんの例で申し訳ないのですが、ウルトラマンマックスの『胡蝶の夢』なんかはその典型ではないでしょうか。
怪獣の表現に限定すれば私は好きで、魔デウスは得体のしれなさで言い様の知れない恐怖感がありました。(話自体は……なのですが、怪獣の恐怖感や存在感としては凄まじかった)
児童向け特撮であんな演出をしてよいのか?という問題はありますが、まあ1話程度ならセーフだろう、という感じでした。

また、これはなんとも言いようがないことなのですが……
怪獣というものは怪しい獣と書き、現実にいない空想の生き物である以上、人は本質的に『怪しさ』『得体のしれなさ』を抱いてしまうものだと思うのです。
その得体のしれなさを表現するために凝った演出やアニメ的な演出が最適だと思うのならば、使えばよいのでは? という思いがあります。
その得体のしれなさとは、神秘性とも繋がってくる大事なことだと私は思います。
尤もこれは、得体のしれなさをその怪獣でどこまで表現したいのかによって変わってきます。
ゴジラやガメラといった定番の怪獣に関してはある程度確立されたイメージがある以上、得体のしれなさはそんなに必要ないと思います。(ただし得体のしれなさこそが個性の怪獣は、それこそが確立されたイメージなので話は別です)

得体のしれなさについてはなんとも申し上げられないことなのですが、私はこのように思っているということを書かせていただきました。
うまく言葉にできずすみません。


(追伸)
きわめて個人的な意見ですが、グリーザや魔デウス、プリズ魔のような、得体のしれなさが個性の大部分を占める怪獣は、地に足のついた演出だけではどうしても無理に感じてしまうのです。
そのような怪獣がダメだと言うのは、怪獣の持つ可能性を狭めてしまうような気がしてなりません。

Re:「 バロック」としての特撮作品の存在意義 - 海軍大臣 (男性)

2018/01/27 (Sat) 00:38:18

劇映画とは即ち「お話」を映像化したものです。大雑把なくくり方ですが、「お話」イコール「説話」だと私などは考えています。ここでは論点を日本の怪獣映画に絞って考えてみましょう。

 説話学的に見て、やはりゴジラ第一作は全ての基本となる「アーケス・タイプ」に当たることになります。
当然、説話でありますから、時代の推移と伴にこの「アーケス・タイプ」からはオリジナルとは異なる様々な「お話」が派生していくことになります。アンギラスもラドンもモスラも、ガメラもギララもフローラも、更にはゴメスやバルタン星人も、全て「バリエーション・モデル」に当てはまるのだと考えられます。
 当然、後発のものは色々な意味で基本形から複雑化することになります。そうした「バリエーション・モデル」の中に、なんじぇい様の云われる魔デウスやプリズ魔が居ても、私は何の疑念も感じません。怪獣の持つキャラクターとしての可能性は狭めるべきものでは無いと考えております。
 ただ、そうした「得体の知れない怪獣」を表現する方法として、例えば実相寺監督みたいな特異な演出技法が用いられたと私たちは考えがちですが(勿論、そのパターンも実際に在ったでしょう)、寧ろ逆にギドラ様の云われる「ヌーベルバーグ」的手法ではないけれど、何か特異な演出技法を使ってみたいが故に、魔デウスやヴンダーのような怪獣としての「バリエーション・モデルの極北」みたいなキャラクターが創造されたと見るべきと考えます。みな一様に球形をしている真珠の中に時たま散見される「歪んだ形」をしたものが「バロック」の語源と聞きます。要するに異色作ですよね。

 いみじくも御自身が「まあ1話程度ならセーフだろう、という感じでした」とお書きになられている通り、やはり実相寺作品というのはTVシリーズで1クールに1、2本だけであるから価値があるのであって、39本なり52本なり全部あの調子で撮られていたら、視聴者側(特に子供)は「アノネおっさん、わしゃあ敵わんよ!」ということになってしまうんじゃないかと思います。

 とは云え、世代的に云って私は「実相寺演出大絶賛」の時代を通り抜けてきていますから、本多演出の対極にあるような実相寺作品に惹かれてしまう部分も少なからず持っているようです。
 何しろ、子供向けヒーロー番組の一登場人物に、
「待っていたぞ、カスパー・ハウザー。浪漫の申し子よ」なんて気障なセリフを吐かせてしまうのですから、本当はこんなコトしちゃあイケないんだ、と頭では判っていても、あっさりとイチコロにされてしまった苦い思い出がふと浮かんできてしまいます。

 以上、何だか纏まりのない話になってしまいましたが、作品を観る上で、演出上の「手段と目的」の関係を考慮していくのは、当然ながら大事だなと思っております。

 

 

亜流演出のあり方について - なんじぇい (?)

2018/01/27 (Sat) 12:28:28

海軍大臣様の『手段と目的』はとても興味深いです。
そして、私もほぼその意見に同意します。

実相寺監督などの凝った演出はあくまでも変化球的なものであって、それが本流になったりしては飽きが来てしまうでしょう。
あくまで亜流、なんにでも使っていいものではないということです。

ただ芸術の世界では、亜流であっても一定の存在感や歴史的価値を持った例は数多くあります(ピカソのゲルニカやアンディ・ウォーホルとか)
決してすぐに古びてしまう、として亜流を断絶させてしまうのは、怪獣、そして芸術としてもよろしくないのでは、という思いがあります。
制作者側としてもチャレンジ精神は持ってもらいたいところです。

しかし、あくまで本流・王道があってこその亜流・邪道であることを私たちや制作者側も認識していなければならないでしょう。
邪道をやったから無条件で賛成される、といった事態にはなってほしくないですね。(現代芸術の絵は亜流が主流になっている気がしなくもない)


海軍大臣様の言っていたブンダーが登場するウルトラマンダイナの『怪獣戯曲』は私も大好きな話です。改めて見てみると魔デウスより、ブンダーの方が怪獣や話の出来も良かったように思えました。
幼少期にはブンダーに怖がっていたのを思い出します。
そっちを挙げとけば良かったなあ、なんて今更ながら思いました。

すみません。恐らく誤読していました。 - なんじぇい (?)

2018/01/27 (Sat) 18:57:19

恐らく誤読していたと分かったので、ギドラ様の返信を改めてしておきます。
何度もすみません。


まず、映画とテレビに関しては、現代人は恐らく映画はテレビの延長線上にある、というくらいにしか思っていないと感じてます。
その理由はいくつか挙げられますが、ギドラ様が挙げられた以外に代表的なもので言うと
・イオンシネマ等のシネコンが増え、映画が身近な存在になってしまったこと。
・テレビドラマやアニメの実写化が増えたこと。

こんなところでしょうか。例えばギドラ様が見た『魔法少女まどか☆マギカ』も、元はテレビ放送です。
無論だからといって、映画がテレビと似たものとなっていいというわけではないですし、ここはギドラ様の意見に賛成です。


しかし、1つ疑問点があったのでそこだけは挙げておきます。
それは作為についてです。
アニメ全般が作為かもしれない、ということは私も同意します。むしろそこがアニメの長所であり、全て作為だからこその凝った構図や別の演出ができるといったことがあります。

しかし、この作為というものが実写映画で最近は変わっている気がするのです。
それはCGの台頭です。
今では人物以外全てがCG、といったことができてしまうほどCGが進歩してしまっています(ジャングル・ブックとか)。
そういう映画は映像をCGで作るため最早全てが作為化してしまって、アニメとほぼ変わらないのではないか、と私は思ってしまうのです。
技術の進歩によってこの現象が起きた以上、この傾向は恐らく変わらないのではないかと思われます。

そしてこれは怪獣映画にもかなり当てはまります。技術の進歩でどんなことでも特撮やCGで表現できてしまっている。
そんなわけで、現代人は特にSF映画においてはアニメと実写の境界線が曖昧になって来ているような気がします。
昨今のアニメ台頭も、この映像技術の進歩で観客がアニメに慣れたためではないか、と思っています。

これは『怪獣映画なら怪獣を早く出せ』という意見にも共通することです(リアリティより刺激を重視している)。
そういうわけで現代人は恐らく、作為を楽しむ目的で映画を見ているのでは? と思ってしまいます。

私がアニメ的な演出を少し入れてもいいんじゃないかな、ということは、そういう映像技術の発展により実写とアニメの距離が(ジャンルにおいては)近くなっていることも影響しているのですが、その辺りは皆様はどう思われますか?

ここは是非聞いてみたいです。

Re: 映画映像はどうあるべきかについて 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/01/28 (Sun) 17:02:02

 いろいろと話が展開していて、それぞれに思うことはありますが、親記事で私が言いたかったことのキモだけまとめてみます。(伝わるかどうか・・)

 まず劇映画と限定しました。ドキュメンタリーはもちろん作者の心象風景を表現するような作品とは区別するためです。
(劇映画中にも作者の心象を表現するようなものがありますから、グレーゾーンの作品はある)

 物語を伝えるのが目的の映画においては、作品世界に実在感を与えるため、表現手法においては人間の空間・時間感覚を乱さないことを基本とし、映像テクニックを意識させない自然なものが適切である。
(乱れた時間空間が劇中の事象として顕れるのであれば、それを現象として正しく伝える映像構成を使うことになる)

 作為を感じる手法とは、見え方・聞こえ方に作者による操作を感じさせるものであり、眼前に展開する物語世界が誰かに作られたものであることを意識させることになる。
(定番の手法とは違うから作為を感じる、ということではない)
 実際の作品はもちろん作為によって作られているものだけれど、それを感じさせるように作っているか否かが問題である。

 アニメも実写も理想とすべき映像構成は同じである。

 TVアニメはその成立過程の特殊性によって、独自の文法を持ち得たのではないか。その文法を劇場映画に運用してもあまり効果的ではないだろう。
(私はTVアニメと劇場用アニメを区別しています。アニメか実写かより、TVか劇場映画かの差のほうが大きいと考えています)

とまあ、こんなところです。詳しく書こうとすると結局、親記事と同じ事を書くことになっちゃいますね。これが己の限界か?

あー、また勘違いしてたのか! ごめんなさい! - なんじぇい (?)

2018/01/28 (Sun) 19:04:32

やっと意味がわかりました。ありがとうございます。
ギドラ様の作為の意味を、私は取り違えていました。

またテレビアニメ特有の演出を、劇場映画に取り込むのは私もいただけないと思っています。
テレビに適した演出を映画にとりこんでも、恐らくうまくいかないでしょう。
ギドラ様の主張に、ここは全くの同意見です。



私が言っていたのは簡単に記すと、
アニメのオーバーな演出を、怪獣などの空想の生物には『雰囲気を壊さないように』取り込んでみては面白いんじゃないか。そのオーバーな演出をやったから、シン・ゴジラの熱線は一般人やゴジラにあまりこだわらない(あえてこう書きました)人には受けたんじゃないか。それが受けた下地はCGの台頭で一般人がアニメに慣れたことや、派手な刺激を求めていることにあるのでは。
という話でした。



どうも話が噛み合わないと思っていましたが、私が一方的に読み間違えていただけでした。
ごめんなさい。自分の国語力のなさが嫌になります。
ギドラ様の主張がやっとわかり、その意見にはほぼほぼ賛成です。

あえて言わせてもらうとするなら…
最近作為的なものを丸出しにした作品が増えているのは、映画マニアの増加も一因だと思っています。
映画マニアは私なんかでもそうなんですが、『スタンリー・キューブリックは完璧主義者だから、この映像にも意味があるに違いない』などと考えてしまうんですね。
要するに勝手に作為を求めてしまっているんです。
そこに目をつけて、作為を意図的に丸出しにした映画を撮れば、マニアは色々考察できて喜ぶんじゃないかと考えた人がいたのではないのでしょうか。
庵野氏はその典型的な1人だと思います。まあ商売人としては優秀なんでしょうね。
ただそれだけが作為が丸出しの映画が増えた理由とも思えませんし、作為が丸出しだからといって、その映画を無条件で否定することはあってはならないと思います。



しかし、ギドラ様と話しているととても勉強になります。
本当にありがとうございます。何故か少しだけ賢くなったような気がします。
映像の件については完全に納得したため、最後に『アニメのオーバーな演出を~』の下りだけ答えてくださると嬉しいです。

Re: 映画映像はどうあるべきかについて 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/01/31 (Wed) 18:14:44

アニメのオーバーな演出を取り入れる件。
(もうスレッドがすごく長いので簡潔に書きますね。無愛想に見えてもご了承ください)

 私はアニメ特有のオーバーな演出があるとすれば、それはTVアニメから派生したものと考えますので、
劇場映画に取り入れるのには反対です。(その理由はすでに詳述しています)

『シン・ゴジラ』のビームがアニメ的にオーバーな演出を為されていたか、というと、そうは思っていません。
アニメ的だとすれば、これもすでに書いている、大ざっぱなカット割りで決め構図だけ見せる手法でしょう。

 オーバーな演出を取り入れるかどうかは、アニメ的であるか否かとは別の問題で、作品全体がどこを向いているか、
その方向に合目的であるかどうかで判定すべきと考えます。
(ただオーバーというのは、やりすぎという意味にもなりますので、ちょっとどうかとも)

 オーバーという言葉を読み替えて、派手、としたなら、これも作品全体の方向性においてどこまでやるかが決まる物と思います。
そして付け加えれば、『シン・ゴジラ』のビームシーンは、派手さが足りなかったと思っています。
その破壊力を伝えるための映像が不足している。(遠巻きに炎上や溶解切断を見せるだけでは不十分)
 それを楽しんだ人の感覚を否定するものではありませんが、私が感じるのは、もっと派手に見せられたのに、という残念感です。

この件は具体的な作品例から適不適を考えるべきと思いますよ。もうスレッドが長すぎるので、今回はレスなしでいいですから。


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