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ギドラの巣「新」映像作品掲示板

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ただいまゴジラ祭り開催中!
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ルイヴィトンコピー財布販売 - ルイヴィトンコピー財布販売 (?)

2019/01/12 (Sat) 12:08:01

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あけましておめでとうございます 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/01/02 (Wed) 15:41:51

さあ、2019年だ!
レジェンダリーゴジラの新作が控えてますぞ!
キングギドラをどう描くかが不安半分期待半分です。

 それから、母屋のギドラの巣、近いうちに引っ越しします。
ヤフージオシティーズがとうとうサービス停止となるのにともなって、
移転を余儀なくされました。

 新アドレスは決定次第お知らせします。

 では、今年もよろしくお願い致します。

小説版『ゴジラ 星を喰う者』読了他 - エクセルシオール (男性)

2018/12/30 (Sun) 20:49:59

 アニメ版ゴジラの小説版を先日読了しました。この小説版は基本的に映画と同じ物語が展開されているので、映画のダメなところもそのまま活字化されることになっています。
 とはいえ、後編にあたる『星を喰う者』に関しては部分部分でかなり大きめの変更点がありました。それは「マイナを妊娠させていない」ことです。そもそも映画と異なり、小説ではミアナに迫られるのですが、ハルオがそれを拒んでそれまでです。そして、メトフィエスの正体に気づいて捕らえられる方がマイナで、モスラの力でハルオに呼びかける方がミアナになっており、映画とは役割が反対になっています。

 この改変が当初からの作者の意図で行われたものか、それとも映画の評判を聞いて急遽変更されたのか、それは不明です。ただ、人間関係から見れば小説版の方が無理がないのは間違いありません。
 ただ、それ以外はほぼ同じです(違いはモーリ船長の内心が少し詳細に描かれているくらいか)。最後もユウコを抱いてゴジラに特攻という落ちは同じでした。「身重の妻を置き去りにした」点がなくなったことが、映画よりましと言えるくらいです。
 
 なお、この小説版の前編『怪獣惑星』のキャッチコピーは、「史上最高の怪獣小説」でした。よくもまあこれほどの誇大広告ができたものです。


>新条アカネ(劇中現実での本名は不明)はアニメの夢を見ていて、それが「SSSS.GRIDMAN」だったという解釈が成り立ちます。

 アニメ版グリッドマンについて、全てが新条アカネの夢であるという解釈は私は思いもつかなかったのですが(なお、私は「アレクシスの魔力でコンピューターワールドに自分の理想郷を与えられた」と思っている)、確かに全くあり得ないとは言えないとも思える点があります。
 何せ現実世界のアカネが目を覚ましたのは映画『マトリックス』的な変な機械の中でもなければ、パソコンの前ですらなく、普通にベッドでした。「宝多六花からもらった定期入れがあるから作中世界も実在したはず」と言えるかというと、定期入れの色が違うのでそうとも言い切れません(コンピューターワールドではピンクだが、現実では水色のように見える)。となると、「実写パートのアカネはアニメパートのエンドロールまでの夢を見ていた」という見方もできなくもありません。ただ、それでは身もふたもない夢オチになってしまいますが。
 
 怪獣少女アノシラスにしても初代アノシラス(アニメの最後に少しだけ登場していた)の娘を夢の中で勝手に創造していたとすれば「夢説」と矛盾しなくなってしまうでしょう。

 夢オチであったか否かはともかく、旧作の藤堂武史と異なり、アカネの場合、彼女があそこまで歪んだ原因が全く作中で提示されなかったのはアニメ版グリッドマンの大きな欠陥であったことは間違いないと思います。
 2クールあればもう少し丁寧な話になったかもしれませんが。

Re: 小説版『ゴジラ 星を喰う者』読了他 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/01/02 (Wed) 15:37:21

アニメゴジラ関連の小説出版というのも、メディアミックスで小金を稼ごうというビジネスモデルに則っているんでしょうね。
 表現として優れたものに人気が集まって、その結果、メディアミックスになるというのが理想なんでしょうけれど・・・。

「SSSS.GRIDMAN」、たとえ1クールしかないとしても、もっとストーリーのペース配分を最適化すれば内容の濃いものになっただろうにと思われます。
 人間関係に関するエピソードをもっと増やすことは可能だと思いました。
見ていて思ったのは、情景カットが多く、しかも長いことでした。
 うーーーん

アニメ版ゴジラのノベライズ版等 - エクセルシオール (男性)

2018/12/21 (Fri) 20:50:36

 贔屓目に見ても成功したいとは言い難いアニメ映画『ゴジラ』三部作でしたが、その小説版後編「星を喰う者」が12月22日に発売されます(前編「怪獣惑星」は既に発売中)。
 小説版としては既に前日譚二編も発売されており、こちらはそこそこ好評だったのですが、映画のノベライズ版になると映画と同じくらい不評を買っています。その理由は⓵地球に残った人々の話が読みたかったというものもありますが、⓶映画とストーリーがほぼ同じで、前日譚で示された物語もほとんど影響を与えていないという点が大きい。
 私も前編を読みました。確かに微妙に違う点もあるのですが、小説の独自性という側面は極めて希薄でした。せっかく前日譚二編で独自の作品世界を構築したのだから、思い切って物語を大改変する道もあったのに、映画通りの話が進行するだけで問題点はそのままと言えます。これではがっかりされるのも当然でしょう。
 
 ただ、明日発売の後編には「映画の不足部分を補完してくれる」ことを期待する人も少なくないようです。しかし、他の媒体による補完が必要であるということは、それ自体、映画版の欠点を如実に示していると言えるでしょう。それに、物語が変わらないのなら欠点も小説版に移行してしまうということです。正直、あまり期待できないですね。
 思い切って全く違う話を作ってくれたならと思います。そうすれば映画版とは別の楽しみが生まれたでしょう。
 
 深夜アニメなどでも話数の少なさから不十分な内容になってしまうことが多々あります。その場合、それを厳しく批判する意見に対して、しばしば「設定資料集を読めば問題はない」とか「原作小説や漫画を読んで補完すればよい」等々という理屈で擁護する人が少なくありません。しかし、作品はそれぞれ独立して成り立っていなければなりません。第一、設定資料集云々と言い出せば、どんな欠陥作品でも正当化されてしまいます。

 そうそう、アニメ版『グリッドマン』も何と次回で最終回です。本当に後一話で完結するとしたら消化不良になる危険性が大きいでしょうね。分割2クールで第二期があることを祈りますが(そうすればきちんと完結できるはず)、深夜枠では作られるべき続きが作られないことは珍しくありません。さて、どうなるでしょうか?心配です。

Re: アニメ版ゴジラのノベライズ版等 - なんじぇい (?)

2018/12/22 (Sat) 17:22:35

前作の「怪獣惑星」の小説は私も読みました。
一言で言うと、非常につまらない小説だと思いました。

映画版とほとんど変わらないため全く新鮮味がなく、つまらない映画をもう1回見せられているようなものでした。
小説版ならではのオリジナリティがほとんどないのは、まさに致命的でした。
展開が変わらなくても、名も無き一兵士を主人公にしたりと視点や立場を変えたりすれば、方法はあったと思うのですが……

>「原作小説や漫画を読んで補完すればよい」
深夜アニメでよくあるパターンですが、原作小説の場合は小説の原作者が純粋にかわいそうです。アニメにする際にはしょったり変な演出にしたせいで矛盾点や意味不明な展開が続出することは、枚挙にいとまがありません。
そういう場合は、きっちりと評価を分けるべきでしょう。
その為、私は「アニメの○○は面白かった/つまらなかった」という表現にしています。
尤も原作からつまらない例もいくらでもあるのですが……


因みに、稀に原作の方がつまらない例もあります。知らないと思いますが『GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』という作品でした。
私はどんな駄作でもツッコミながら楽しむ質なのですが(但し駄作であるとは書きます。突っ込まなければやってられないからです)、原作のあまりに都合がよすぎ&支離滅裂な展開に「原作者はこれを本気で書いたのだろうか……高度なギャグなんじゃないか?」 と真剣に思いました。
稀有な例としてここに書いておきます。

アニメ版『グリッドマン』は完結 - エクセルシオール (男性)

2018/12/23 (Sun) 20:24:22

 2クール目があるのではと思っていたアニメ版『グリッドマン』でしたが、23日放送の第12話で完結となりました。残り一話の割にはうまくまとめた方だとは思いますが、もっときちんと描くべき部分は少なくなかったと言わざるを得ません。特に新条アカネがなぜアレクシス・ケリヴの誘いに乗ってコンピューターワールドに自分に都合のいい新世界を築こうとした理由がはっきりしないのは明白な欠点でした。
 とはいえ、グリッドマンが昔と同じ姿に戻り、かつての主題歌『夢のヒーロー』(O×Tによるカバー版ではなく、オリジナル版)が鳴り響いた時にはうれしくなりました。また、最後は実写になるという落ちには少し驚かされました(おそらく最後のシーンの少女がアカネの本来の姿なのだろう)。この辺は興味深い試みであったと思います。
 もっと話数があればより良い作品になったと思うので、惜しいところです。
 

>『GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』
 私はアニメ版を観たことがありますが、あまりのつまらなさにあきれてしまいました。とにかく主人公側と敵側とのパワーバランスが崩れまくっており(自衛隊が現代の科学兵器で刀とか槍とかしかもっていない敵を蹴散らす様は、もはや虐殺でしかなかった)、また、キャラ配置は主人公側と敵側で極端に歪なものになっていたからです(早い話、敵側にはバカでゲスな奴しか出てこない。「敵ではあるが立派な人物」が一人もいない)。これで面白い話になると思っていたとしたらどうかしています。
 ただ、噂に聞いた話では「アニメは原作のひどい部分をある程度修正している」ということでした。どうせ修正するなら全面的書き直しをすればよかったのにと思ったことがあります。

Re: SSSS.GRIDMAN 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/12/26 (Wed) 18:36:43

 年末の慌ただしさで遅レスになってしまいました。

「SSSS.GRIDMAN」についてだけ。
申し訳ない、やっぱり私は楽しめませんでした。

 製作サイドが作った設定は知らないので解釈間違いかもしれませんが、
あの実写部分のエンディングを見ると、劇中世界がコンピューターによる仮想空間だったとは思えませんでした。

 我々の現実ではあれほど高度にシミュレートされた仮想現実を作る技術はまだ実現していません。
しかし、少女が目覚める実写パートの様子から、彼女は未来世界の住人ではなく、我々の現実と大差ない世界に生きていると思われます。
コンピュータ技術レベルは我々の現実世界と同等と考えていいのではないでしょうか。
それから、「SSSS.GRIDMAN」はアニメ作品でしたが、最後の「現実」世界は実写です。
 ということは、「SSSS.GRIDMAN」の世界において、アニメパートは現実世界のシミュレーションですらないという表現になります。

 これを合わせて考えると、新条アカネ(劇中現実での本名は不明)はアニメの夢を見ていて、それが「SSSS.GRIDMAN」だったという解釈が成り立ちます。

 全部夢だったというのが私の解釈です。

 そうすると、いろいろ無理があると思われた設定や劇展開にも説明がついてしまいます。
(最終話でアレクシス・ケリブが「イレギュラーまではコントロールできない」などと言い訳していましたが、そんな言い訳すら要らなくなる)

 ただ全部夢なのだとすると、怪獣少女(この作品における怪獣の定義が曖昧で、アンチだのこの少女だのが怪獣であると言われてもピンと来ない)の
存在が浮いてしまうので夢説にも確信はありません。(怪獣少女はこの世界が出来る前から存在していた、とか言っていた。うむ?あの少女こそがアカネの真の姿か??)
また、アカネが姿を消してもあの世界は続くような表現だったのもひっかかりますし、ハイパーエージェントってなんだ?とも。

 しかし、全体に焦点が定まらないストーリーだったので、世界設定を云々してもあまり意味はないかもしれません。
フィリップ・K・ディック的な、現実とは何か、というテーマではなかったのは確かなので、SF的な考証は関係ないのでしょう。

 では、何を描きたかったのかと考えると、最終話近くなってやたらと「友達」というキィワードが出てきます。
そして最終話で、夢から覚めて現実に帰れというメッセージになります。

 だったら、もっと友人とは何かとか自分の都合に合わせてくれないのが現実だ、というストーリーを描き込むべきだったと思います。
実際、劇中のグリッドマン同盟がなぜ友人なのか、判然としません。
 たとえば学校という集団の中で友人が出来るのはなぜでしょう? どうして特定の人間と繋がるのでしょう?
それを描くべきでは?

 また、現実の人間関係が自分にとって都合の良いことばかりではないのは当然としても、では、都合の良いことばかりの世界に引きこもることの何がダメなのか、
それを描かないとテーマを描いたことになりません。
(他者の視点・利害から干渉されることによってより真実に近づけますし、その延長に自分にとっての利益もある、など個人の夢想より現実のほうが自分のためになるという理由は複数あるでしょう)

 残念ながら私には、このアニメグリッドマンは「エヴァンゲリオン」フォロワーが夢想と現実の違いに対するさほどの認識も無いまま、
夢におぼれるオタクさんたちに劇場版エヴァの真似をして「現実を見ろ」と叱咤したものと見えました。

 アクションシーンも、初めのうちこそ実写特撮をなぞろうとする意思を感じましたが、アシストウェポンの登場あたりから日本のTVアニメ然としたものになり、
新味がありませんでした。
(まあ、アカネの夢想なのだから彼女が知っているアニメに似た表現になったということでしょうかね)

最近のウルトラシリーズの悪循環について - なんじぇい (?)

2018/12/12 (Wed) 14:02:04

マニアには結構言われていることですが、オーブ以降の最近のウルトラシリーズには以下の特徴があり、それが話のワンパターン化ならびにシリーズのマンネリ化に繋がっているのではないか……という指摘があります。

①防衛チームがほぼ登場しない
製作サイドによれば防衛チームには兎に角制作費がかかり、また防衛チームのおもちゃはあまり売れないことから、防衛チームは出ないことになっているそうです。
理解できることではあるのですが、そのせいでいわゆる怪獣の「噛ませ犬」が登場しなくなり、怪獣の存在感が薄まってしまうという弊害が出てきています(ウルトラマンを毎回負かすのはキャラクター上難しいでしょう)。
また、話のパターンが減ってしまうこともデメリットとして挙げられるでしょう。

②やたらと怪獣が黒幕や宇宙人に操られている
『オーブ』からは特に顕著です。話がワンパターン化する上に、怪獣の個性や意志があまり感じられない……という問題点があります。
しかし、野生の怪獣をやたらと倒したり爆殺することは最近の風潮から忌避されるため(ウルトラマンは正義の味方でなければならず、そこがゴジラシリーズとは違うところである)、派手な怪獣の大爆発をさせるためには怪獣を純粋悪にしなければならず、こうするしかないのではないか……という指摘があります。
ですが毎回ウルトラマンが怪獣を守ってばかりでは子供向けとしては今一スッキリしない上に、やはり完全決着を見たいという気持ちがあります。

③過去のウルトラマンを利用した変身に頼りすぎる
『オーブ』から何度繰り返しているのでしょうか。話のマンネリ化がいっそう助長されています。
しかし製作陣からしたら、過去作のウルトラマンを使うことでお手軽に共演感を演出できる上に、旧作ファンにもアピールできるから使っているのでしょう。

④兎に角新アイテムごり押し
玩具業界からの要望からか新しいアイテムが2週間ごとくらいに登場し、そのせいで大幅に尺が取られ(長すぎる変身バンクなど)、またアイテムの活躍を見せなければならないため話のワンパターン化がますます増しています。

⑤ひたすら復活怪獣
予算不足のために新しい怪獣を作れず、1シリーズで同じ怪獣と何度も戦ったり(ペダニウムゼットンやホロボロスは何回出てきているのか)、延々と旧作怪獣に頼りがちな展開が続いています。
同じ怪獣ばかりでは新鮮味に欠ける上に、話の固定化も招くでしょう。

『ウルトラマンR/B』では上記の傾向が更に増しており、極めてワンパターンな、見るに耐えないレベルの脚本の出来になってしまっています(上記を抜きにしても酷い話だと思いますが)。
しかし、予算や玩具業界やスポンサーの要望にがんじがらめになっていてはどうにかして新鮮味を出すためにあのような話になってしまうのも仕方ないのではないか……という一種の諦感に満ちた意見も蔓延しています。
ですが仮面ライダーや戦隊ものに比べると、ウルトラシリーズの人気は実に低調という有り様です。

この悪循環を打開するには一体どうすればいいのでしょうか。どんどん酷くなるウルトラシリーズを止める方法はないのでしょうか。
『ウルトラマンR/B』のあまりの酷さにいてもたってもいられず、これを書かせていただきました。

Re: 最近のウルトラシリーズの悪循環について 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/12/12 (Wed) 19:15:37

 うーん、ウルトラシリーズの劣化は私も残念に思っています。

 問題点とされているあれこれは、オモチャ屋さんが製作の実権を握ったために起こっているんじゃないかと推察されます。
(現場を知らないので誤解かも知れないけれど)

 オモチャ屋さんはとにかくおもちゃが売れればそれでいいのでしょうから、怪獣やウルトラマンたちをどう使うのかまで口を挟んでいるのかどうか・・・。
怪獣やウルトラマンの体内に搭乗しているような描写だったり、複数の怪獣・ウルトラマンの能力を一体に合一させるなど、
ウルトラシリーズではない別作品からイメージを持ってきているようにも思います。
 このあたりはガンダムだったり戦隊・ライダーあたりが先鞭をつけたやり口を無理矢理ウルトラシリーズに持ち込んだ結果のように思います。
(仮面ライダーで過去のライダーの能力を取り込めるやつがいましたよね?)

 新機軸はないかと考えるあまり、ウルトラのアイデンティティを失っているのではないでしょうか?

 改善策となると非常に難しいです。
映画もテレビも全体として脚本力の劣化が著しいので、ウルトラもダメになるのは仕方ないとも言えます。

 脚本がなぜ劣化していったのか。
それは視聴者の問題に帰結します。
とくに特撮ものの場合、異形の者が登場することが多いので、そのデザインだの能力だの映像面での印象が語られることが多いように思います。
ストーリーの善し悪しがどれだけ問題にされているか。
批評家の責任もあるでしょう。(見渡したところ、特撮系にはライターはいても批評家はいないように思いますが)
出版物で新作をこき下ろす批評など読んだ覚えがありません。

 製作現場は常に予算との戦いでしょうから、問題視されないところにはお金をかけないはずで、安く早く出来ればそれに越したことは無いでしょう。
脚本作りにじっくり時間をかけることをしないのだろうな、と想像します。
(でも入り組んだ設定作りだけはこまごまとやってるみたいですね)

 改善のための私の意見を総合すれば、変な忖度斟酌などせずに、つまらないと思ったらつまらないと声を挙げることです。
それから、コレクター意識を捨てて、好きではない作品のアイテムは買わないことです。
「R/B」のおもちゃがぜんぜん売れなくて、(敢えて挙げれば)「ティガ」のグッズがいまでも売れるなら、バンダイもなにか考え直すんじゃないでしょうか。
小さいお子様には通用しない話ですが・・・。

 私自身があまりウルトラのことを書いていないので偉そうなことは言えませんが、(うーーん、「ウルトラマンA」の段階ですでに一旦心が離れ、その後浮き沈みがありつつも、
「メビウス」でダメだこりゃになってしまったので、ウルトラに関してはかなり悲観的なのです)
ここ最近の新作はどうにか追いかけておりまして、そうですね、もっと何か言わないといけないんですよね。

Re: 最近のウルトラシリーズの悪循環について - なんじぇい (?)

2018/12/13 (Thu) 00:52:27

実際問題、最近の円谷プロや東宝が特撮のアニメ化の道を探っているのも、「実写は金がかかる」「アニメだと自由にやれる」というのが大きいと思います。
少なくとも防衛チームのセットや怪獣やヒーローの着ぐるみなんか作る必要がありませんし、ビルだっていくらでも壊せます。
深夜アニメや劇場版アニメならおもちゃ屋さんの販促ノルマも少ないですから、脚本もある程度自由に作れると考えているんではないでしょうか。
(『SSSS.GRIDMAN』は放映時間からして明らかに子供向きではないですが)

それなのにアニメゴジラはあの出来かよと言いたくもなるのですが、同じ特撮アニメの『SSSS.GRIDMAN』はどうなのでしょう?
私はグリッドマンに興味がなかったのでほぼアクションシーンしか観ていないため、アクションシーン自体はアニメゴジラよりは大分良いかな? って位の感想しかありませんが(アニメゴジラが酷すぎるだけかもしれない)。

Re: 最近のウルトラシリーズの悪循環について 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/12/13 (Thu) 19:19:05

 うーーん、うーーん、アニメグリッドマン・・・。

 私は、おもしろくないです。
主要登場人物にしか目を配らないストーリーは閉塞的だし、
世界設定を小出しにするばかりなので、つじつまが合わないように見えることまで一旦飲み込まなければならないのもストレス。
(ああ、その設定ならこの展開に納得だ、という快感がない)

 などという欠点は、ほぼ「ウルトラマンR/B」にも当てはまるんじゃないかなー。

アニメ版グリッドマンについて - エクセルシオール (男性)

2018/12/13 (Thu) 20:53:38

 アニメ『SSSS.GRIDMAN』ですが、私は今のところ割合面白く観ています。1クールアニメならば終盤、2クール(連続又は分割)ならば中盤ということになりますが。どっちにせよ綺麗に落ちをつけてほしいものです(深夜枠のアニメではこのささやかな願いが届かないことが少なくない)。

 ただ、懸念事項もあります。この作品ではどうやら全てがコンピューターワールド内で進行しており、外部世界とは隔絶した空間のようです。特撮版グリッドマンがコンピューターワールドを主戦場としながらも、そこで起きる破壊活動を何とかして現実世界の災害に結び付けていたことを比べると(中にはかなり無茶なものもあったが)、アニメ版の世界設定は一人の少女(新条アカネ)の作り出した閉鎖された世界であり、確かに狭いです。まあ、アレクシス・ケリヴには他の魂胆があるでしょうし、今後はもう少し作品世界を広げるべきでしょう。

 良いところはグリッドマンと怪獣との戦闘シーン。確かに迫力があるかっこいいものであり、アニメ版ゴジラに「爪の垢を煎じて飲め」と言いたくなりますね。ただ、印象としては特撮版グリッドマンとかウルトラマンとかよりも、90年代のロボットアニメの傑作、勇者シリーズやエルドランシリーズの感じがしますが。

 ただ、この作品、作品外で少々物議を醸しています。円谷プロ等の公認で作品に登場する女子キャラ(宝多六花、新条アカネ)の抱き枕が発売され、そのイラストデザインが大変に卑猥なものであったため、心あるアニメファンから少なからぬ批判の声が上がりました。
 私もイラストを確認しましたが、確かにひどい。これは公式のやるべきことではありません。円谷プロはあらぬ方向を向いているように思えます。

Re: アニメ版グリッドマンについて - なんじぇい (?)

2018/12/14 (Fri) 17:16:36

エクセルシオールさんのこの話題について。
>円谷プロ等の公認で作品に登場する女子キャラ(宝多六花、新条アカネ)の抱き枕が発売され……

これは表現規制やゾーニングに関わってくる問題ですが、すごく難しいものだと思います。Twitterなどだと一部の突出しためちゃくちゃな主張を双方があげつらうばかりになっていることになりがちで、結局決着がつかないことが多いのですよね。

抱き枕の問題でも
・本作は深夜アニメであり、少年誌にも掲載されておらず、明らかに児童向けではない
・原作の『グリッドマン』は子供向けなので配慮すべき
とか、

・表現の弾圧である。過去の悪書追放運動や戦時中の日本による表現の検閲を忘れたのか
・表現にもモラルや良識というものがある。その為に年齢指定やゾーニングがある
・モラルや良識というが、それは貴方たちが勝手にそう思っているだけではないのか
・卑猥だという意見がこれほどある。よってこれはモラルである。
・卑猥ではないという意見がこれほどある……

などと混沌の様相を呈しています。上は分岐の1つにすぎず、議論の分岐は星の数ほどあるでしょう。


個人的にはこういう問題がこじれるのは
・卑猥か否かという基準が文字通り個人の感性の問題に関わってくるため、定義することは難しい
・卑猥にしても、どこまで卑猥ならセーフなどの基準は決められるはずもない
・悪書追放運動や戦中国家の表現検閲など、過去に過激な表現弾圧が何度か起こったことを意識している
・自分の好きなジャンルや趣味趣向が見られなくなることを恐れている
・一部のメチャクチャな主張を見て、その主張を発した立場全体を愚かだと考えてしまっている
などの問題があると考えています。どれも重大な問題です。


ただこれらに共通するのは「場合分けが雑」ということではないかな、と思います。
簡単に言えば、1つ1つ丁寧に話し合わないからそうなるということです。雑にひとまとめにする為に、多数の反例が出てきてしまうことは多いです。



この問題は極めて入り組んでいて難しいので、私も全然理解してはいません。
ただ、グリッドマンの抱き枕に関して言うなら私感では「やりすぎ」かなと思います。
ですが、なぜやりすぎと思ったのか、やりすぎの基準は説明できるのか、どれだけやりすぎならどういうゾーニングをしないといけないのか、「やりすぎ」が行きすぎたら過去の表現弾圧に繋がるのではないか、など問われても私には分かりません。

怪獣忠臣蔵 - エクセルシオール (男性)

2018/12/11 (Tue) 20:58:46

 日本ではこの時期になると様々な形で忠臣蔵が話題になります。かつては毎年のように映画や新作ドラマが豪華キャストで制作された時代もありました。もっとも、昨今ではかつてほどの力はなくなっていますが、それでもまだまだ根強い人気を誇っています。私もいろんなバージョンの映画やドラマを何回も観ているのに、放送があると何となくまた観てしまうのでした。

 極めて有名な物語ですが、『怪獣総進撃』の企画段階でのタイトルが『怪獣忠臣蔵』だった話を聞いた時にはかなり驚かされました。でも、よく考えると『怪獣総進撃』には忠臣蔵のような要素が少なからずあったと思います。
 基本的な物語は地球怪獣軍(赤穂浪士)がキラアク星人の基地(吉良邸)に討ち入るものですし、なるほど忠臣蔵とよく似ています。
 キャラとしては善玉側がゴジラが大石内蔵助、ミニラが大石主税、他の怪獣が47士(そんなにいませんが)、ムーンライトSY-3が俵星玄蕃といったところでしょうか。
 一方、悪玉側はもちろんキラアク星人が吉良上野介、キングギドラは吉良側の剣客・清水一角、ファイヤードラゴンは小林平八郎ということになるでしょう。
 
 このように『怪獣総進撃』と『忠臣蔵』を照らし合わせてみるのもなかなか面白い。なお、キラアク星人のネーミングが「吉良(キラ)は悪(アク)」から来ていたことを知ったときにはビックリでした。長年、「悪がキラキラ輝いているからキラアク星人である」と思い込んでいたものですから(元ネタを連想するのはほぼ不可能)。

 また、ムーンライトSY-3の驚異的な性能と活躍も、このメカを俵星玄蕃と考えれば、納得がいきます。俵星玄蕃は赤穂浪士の一人、杉野十平次に槍を教えた槍の達人であり、架空の人物ですが有名なキャラです(三波春夫さんの歌『俵星玄蕃』を聞けば、どんな人か大体わかる)。映画やドラマでは登場したりしなかったりしますが、出るときは大抵、大物俳優が演じるものです。そんなキャラが元ネタだとすれば、東宝特撮メカ中、ムーンライトSY-3が怪獣たちに負けない存在感があったのも当たり前と言えるでしょう。
 
 『怪獣総進撃』。設定等に疑問点もないわけではありませんが、人気怪獣総登場という目的を第一にした豪華な映画であり、なんだかんだ言っても楽しい作品でした。『忠臣蔵』の場合、1950年代~60年代にはオールスターキャストで作られるのが当たり前であり、普段は見られないスターの共演を見るのが楽しみの一つであったことを考えると、『怪獣総進撃』も同じ楽しみ方をすべきものであると思います。
 ただ、バランとバラゴンの着ぐるみが富士の裾野での決戦シーンの撮影に間に合わなかったこと、マンダもおそらくは操演スタッフの数の問題で、3体ともキングギドラとの対決に不参加になってしまったのは残念でした(もっとも、マンダの都市破壊シーンは操演による怪獣描写の傑作と言われているが)。
 
 余談ですが、今年亡くなった脚本家の橋本忍さんはお父さんの影響もあって忠臣蔵が嫌いだったとか。お父さんは忠臣蔵に関して「1人で47人を倒したなら面白いが、47人で1人の爺さんを斬り殺す話の何が面白いのか」とおっしゃっていたそうです。確かに一理ありますね。
 個人的には一度「善玉・悪玉完全逆転」の忠臣蔵を観てみたいと思っていますが、なかなか難しいでしょう。

 最後になります。1962年の東宝映画『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』では伊福部昭さんが音楽を担当していることもあって、ゴジラっぽいBGMが流れるシーンがありました。内容面においては正統派の代表である1958年大映版等とは異なり、討ち入りに加わらず途中で抜けてしまった浪士の物語にもある程度時間を割いていたことが印象に残りました。小泉博さん演じる大高源吾が、ギリギリで脱盟した浪士を評して「これも一つの勇気だ」と述べる点は、脱盟者をただただ「不義士」「醜士」と蔑む見方が強かった当時としては進んだ描写だったと思います。

Re: 怪獣忠臣蔵 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/12/12 (Wed) 19:10:25

 忠臣蔵の季節がやってきましたねぇ。

 私も資料本を読むまでは、『怪獣総進撃』が忠臣蔵の怪獣版だとは知りませんでした。
もとのストーリーに引っ張られず、ちゃんとオリジナルのお話にしているところがお見事!
でも、ゴジラを中心にしたそれまでの特撮・怪獣ものの集大成という意図から
『地球防衛軍』や『宇宙大戦争』のストーリー構図まで取り込んでそれまでの東宝特撮を総覧するような内容になっていることも事実。
子供の頃は『怪獣総進撃』がゴジラ映画の最高傑作だと思っておりました・・・。

 吉良上野介は悪くなかった説ってあるようですね。
えーと『四十七人の刺客』だったかと思うんですが、吉良を悪者と思わせるような噂を赤穂浪士が流すという謀略を描いていた作品もあったと思います。

 忠臣蔵映画を何本見たのかもうよく覚えていない(似たタイトルのものが多いのも問題で・・)ですが、稲垣浩版は私も好きです。
稲垣監督の反権力思想が濃厚で、上原謙演じる公家の字を見た宿の主人森繁久彌が「なんだこの字は」と馬鹿にするくだりなんて最高ですね。

 それから大工フランキー堺が吉良邸の建設に関わっていることで後ろ指を指されていると聞き、
「自分の腕が評価されているんだからいいじゃねーか。職人としてやるだけだ」というような意味のことを言うのも印象深いです。

 戦前か戦中か、円谷英二監督が家族(一郎おじさんか)へ宛てた手紙に、
「自分の技術が評価されるなら、劇映画の道を諦めて国策映画作りに進むのもいいかと思う」と書いていました。
(須賀川で2001年に開催された円谷英二展で読みました)
どうも、『忠臣蔵花の巻・雪の巻』でのフランキー堺と同じ決意のような気がしてなりません。

 稲垣監督は円谷監督と仲が良かったと聞いておりますから、円谷監督の思いを代弁したセリフだったりしないかなと思ったりしています。

Re: 怪獣忠臣蔵 - エクセルシオール (男性)

2018/12/12 (Wed) 22:12:28

>吉良上野介は悪くなかった説

 吉良上野介という人、地元では名君として慕われているという話は有名です。それから、彼が浅野内匠頭に様々な意地悪を仕掛けたというのも創作の産物で、歴史学では刃傷事件の原因は今でもよくわからないそうです。
 吉良上野介=最低の意地悪爺という構図は、創作物としての『忠臣蔵』において幾多の名優が渾身の力をふるって悪役としての吉良上野介を演じ続けたことが大きいと思います(ナンバー1を挙げるとすれば滝沢修さんだろう)。
 もっとも、「火のない所に煙は立たぬ」とも言いますので、実際にどうだったかはわかりませんが、インテリ教養人・風流人であった吉良と、武骨者・一本気の浅野ではウマが合わなかった可能性はあるでしょうね。
  
 なお、吉良以外では「清水一角は実はあまり強くなくてあっさり斬られた」という話を聞いた時にはかなりショックでした(吉良側のもう一人の雄、小林平八郎は浪士側の資料では「強い」と書かれ、上杉家の資料では「弱い」と書かれている。これも不思議だ)。講談とかでは「赤穂のやせ浪人ども、わが刀の錆にしてくれるわ」とかしびれる台詞を言って、3人くらいを相手に激闘を繰り広げるので、創作上の都合でずいぶん膨らませたなあと思いました。

 『怪獣総進撃』における清水一角ポジションのキングギドラ。昨今では「袋叩きにされました」しか言われない風潮がありますが、当初はさすがキングギドラと思える活躍をしています。地球怪獣で飛べるのはラドンとバランくらいしかいないのだから、航空攻撃に徹していればもう少しましな戦いができたかもと思うことがあります。まあ、それでは落ちがつきにくかったのでしょうし、操演スタッフの負担がさらに増してしまったでしょう。

 そうそう、当初の企画ではエビラとかマグマとかも出る予定があったそうですよ。「エビ」と「セイウチ」が富士山まで歩いてくるのはかなり無理がありそうですが、それはそれで観てみたかったですね。

 ムーンライトSY-3。私にとって東宝特撮メカの中で一番好きなメカです。そのデザイン、性能、活躍ぶり、どこをとってもSFメカとして最高峰ではないかと思います。
 なお、子ども向けの雑誌等では同型機の設定が示されていて、その名も「オーラルミネスSY-7」。番号から察するに7機も作られたのでしょうか。7機同時に飛ぶ姿を観てみたい気もしますが、それでは怪獣の立場を食ってしまうので、1機しか出さなかったのは正解でした。

Re: 怪獣忠臣蔵 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/12/13 (Thu) 19:17:21

 忠臣蔵にお詳しいですね。
果たしていまの日本映画界には忠臣蔵映画を作る地力があるのでしょうか。
(いやー、無理だろうなぁ。たとえ手を出したとしても時代考証をいい加減にして、軽薄な映像にするんだろうなぁ。アクションシーンでワイヤーワークを使ったり・・)

 おっとっと、『怪獣総進撃』の話です。
私が何度見ても感心してしまうのは、未来世界の見せ方なんですよ。
携帯テレビが登場することなどはわかりやすい表現でいいですし、
とくに感心するのは、キラアクに操られている土屋嘉男博士が飛び降り自殺したあとの検死のシーン。

 耳の後ろになにか膨らみがあることに気付いた医師が、
「この方は耳が悪かったのですか?」と訊ね、そんなことはないと知って、
「では補聴器ではありませんね」と判断するところ!

 しびれます。

 未来では埋め込み式の補聴器が当たり前なんだよ、という表現です。

 それが未来のハイテクを示す場面だとすれば、沢村いき雄さんが出てくる山村のシーンもいいです。
都会がどんどん発展していっても、田舎の生活はそんなに変わらないんじゃないかという予測をしています。

 実際の20世紀の終わり頃はそれほどの地方格差はなかったように思いますが、
1960年代のことを考えると都会と田舎は相当違っていました。
 私が小学低学年の時代、弘前市では荷物運びに現役で馬車が走っていたのです。
さすがにちょっと珍しいものではありましたけれど。
 そのほか、田舎では100円札も当たり前でしたが、同時代の東京では100円は硬貨が当たり前だったとか、まあいろいろ地方格差があったわけです。
その感覚をリアルに描いて、未来世界を描きつつ、浮ついたものにしないセンスに唸るのであります。

 とかなんとかは細かい話で、怪獣が大挙出演、かっこいいメカが出てきて宇宙・月まで舞台になるという少年の夢を詰め込んだような豪華さには、
初めて見たとき、本当に目がくらみました。

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2018/12/13 (Thu) 16:46:45

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アニメゴジラ全体 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/29 (Thu) 18:23:54

 アニメゴジラシリーズ全体についてなんとかまとめてみたいと思います。

 最初に、すでにネット上などでも指摘されているにもかかわらず、三作目のパンフレットでも修正されていない凡ミスを書いておきます。
一作目の公開時に気になってはいましたが、作品内容にはあまり関係ないのでスルーしていたことです。

 20世紀最後の夏に初めて怪獣が出現した、とされていますが、劇中世界で最初に怪獣が出現したのは1999年5月のことです。
5月が夏なのか、という問題はさておき、1999年は20世紀最後の年ではありません。西暦2000年が20世紀最後の年であり、21世紀は2001年から始まります。
こんなことは実際に西暦2000年を迎えるときさんざん確認されたことではありませんか。
がっかりだよっ!(桜塚やっくん)

 以下、設定の不合理などには目をつむり、作品が表現したことについて書いてみます。

 物語のスタートがすでに人類(および二種の異星人)が地球を捨てて移民船に乗っているところから始まるので、怪獣の猛威を感じるシーンがなく、終末感に乏しかった。
 怪獣を知らない人が中心になって怪獣を知らなかった人々(アニメファン)に向けて新規な怪獣観を示そうとしたらしいけれど、このつくりはむしろ怪獣に関しては皆さんご存じでしょうからあえて細かく描きません、
という態度に見えます。

 同時に主人公の子供時代もまた断片的に見せただけなので、彼の無念がどれほどのものであったのかが伝わりません。
目の前で両親が死ぬのを見たわけでもなく、状況判断で親が死んだと思っただけなのですから、彼の復讐という妄執に共感することが出来ませんでした。
それは今作でゴジラとされる怪獣がどのように地球を蹂躙していったのかをまったく描かないことにも起因します。

『ゴジラ』(1954)において、軍隊(じゃないのか、自衛隊か)の攻撃にも倒れず去って行くゴジラに対して新吉少年が「ちくしょう、ちくしょう」と吐き捨てる気持ちはよくわかります。
それは新吉くんが目の前で家と共に家族が潰されているのを見ているからであり、(おそらくその後遺体も見ている)映画の構成上も十分ゴジラの猛威を見せているから観客は彼の気持ちに寄り添うことが出来るのです。
(しかしながら、同時にゴジラにも共感できるような作りをしているのが見事なのである。ゴジラによる東京破壊シーンにはゴジラの主観カットもある)

と、ちょっと余談でしたね。

 移民先に選んだ星が居住に適さないことがわかったことで、地球にとって返すことになります。
これには主人公がゴジラ(木ジラ)を退治する方法を見つけたからという理由付けはありました。
しかし、地球に帰ってみると恒星間航法のエラーで2万年もの年月が経っており、木ジラによる環境変化で地球もまた人類の居住には適さない星になっていたわけです。
それなのに、主人公は木ジラ退治をやめようとしません。
それまでは木ジラさえ殺せば再び地球に住むことが出来るという理屈があったけれども、ここに至って主人公の行動は、
自分の欲求を満たすために大勢の命を危険にさらしているのだとわかります。

 この主人公の行動を批判・否定するような劇展開は見当たりません。(二作目で批判する者がいましたがすぐ説得されてしまう)

 一作目で主人公たちが倒したのはニセの木ジラであることがわかり、本物には歯が立たない、かと思いきや、
異星人(ビルサルド)が作ったメカゴジラなる対木ジラ兵器が機能していることがわかるのという二作目。

 二作目では人類の末裔がフツアという種族になって地球で生活していることもわかります。
ますます木ジラ退治の必要は無くなっていきます。

 それでも主人公は考えを変えません。
ここでフツア族の倫理とか哲学が掘り下げられるかと思いきや、メインで出てくる双子以外はその他大勢でしかなく、木ジラ討伐隊に影響を与えるほどではありません。

 本作でのメカゴジラはナノマシーンの高度なものらしく、結合・分離・移動が自在で自律的な思考も出来るらしいのですが・・。
討伐隊が持ち込んだヴァルチャーという戦闘機をナノメタルで複製するという話が出てきたときには、ヴァルチャーがロボット化して雲霞のごとく木ジラに襲いかかるのかと思ったのですが、
なぜかほんの数機を作っただけで、それもパイロットが乗り込むという代物。ガンダム的な描写をしたかったのでしょうか。
SFとしてはおもしろくないですね。

 また、ビルサルドメカゴジラを使ってなにをするかと思うと、木ジラ誘導路を作り、ミサイルだの大砲だの見慣れた武器を発射するだけ。
イメージの貧困さにめまいがしました。都市サイズの変形自在なロボットなのでしょう? アニメならではのイリュージョンを見せて欲しかったところです。
画面に映る物すべてが変幻自在に蠢くような映像のおもしろさを期待しましたが当てが外れました。

 二作目ではメカゴジラに取り込まれてまで木ジラを倒すのは違うんじゃないのかと言い出す主人公ですが、復讐の鬼だったはずの主人公がなぜそんなことを言うのかはよくわかりません。

 また二作目で強調していたのは、ビルサルドが論理至上でエクシフは感情に重きを置くという対比であったかと思います。
しかしながらストーリー上、ビルサルドが論理一辺倒には見えません。論理的な思考をするなら、木ジラ退治を止めるのが正解でしょう。

 結局ビルサルド製のナノメタルは木ジラが発した熱で機能停止。

 そして三作目のエクシフ陰謀編になっていくわけです。
もはや怪獣の動向などどうでもいいものになってしまいました。地球を食いに来るのがギドラだとしても、それを呼び出して人類滅亡を画策しているのはエクシフであり、彼らの狂信と戦う話です。
それが本当に何の説得力もない狂信でしかないのが痛い。
宇宙に限りがあったとして、なぜ死を選ばなければならないのか。辛いことばかりの人生を送っている人間に死をささやくのはあり得ることだとしても、それは個人の問題であり、
種族全体に敷衍するのはおかしなことです。
 エクシフ(メトフィエス)は狂った犯罪者にしか見えません。そこには文明批判も人類批判もありません。

 このシリーズでは文明があるレベルまで発達すると怪獣が出現するとされています。
その設定を用いるなら、文明の功罪をストーリーに織り込む必要があるのではないでしょうか。大自然に意思のようなものがあると言いたいなら、文明の何が自然を怒らせるのか?
自然回帰を麗しいものとする雰囲気が現実にあるのはわかります。しかしその雰囲気だけを借りて「描く」労苦を惜しむべきではありません。
まさかナノメタルが人間を取り込むくだりが文明批判だと考えているとか?? ならば人では無くなるということの実際を描くべきです。それは何を以て「人」と為すのかを描くことでもあるはず。
そんな物語は、ない。
 さらに三作目にいたって突如、原爆開発が怪獣を呼んだということになります。一・二作めでそんな話がありましたっけ?
だとすると怪獣出現のタイミングがおかしいでしょう。どうにも後付けのように思えました。ゴジラは核兵器に結びつけなければダメだと誰かの圧力がかかったのでしょうか。

 メトフィエスの陰謀を阻止したあとで、主人公が自殺するのは理解不能という話はすでに別記事に出ています。
ここで映画だけからでは読み取れない情報を加味したお話をしましょう。
劇場パンフレットの声優コメントによると、主人公は憎しみの感情を自分の代で終わらせるために自殺した、と解釈しているらしいです。
これは演出サイドからの教示なのでしょうか。
 ここにも昨今ありがちな、雰囲気だけでわかったように思う悪癖が見えています。
憎むという感情の何が悪いのかを掘り下げていない。
憎むことは、対象になんらかの害意を抱くことにも通じるので、多くの場合は憎しみは排除せよ、ということになるのでしょう。
しかし、憎しみの感情が欠落したら何が起こるか。
人はどんなときに憎みますか?
自分が害されたとき? 誰かが害されたとき? それからあとはどんなことが考えられますか?
(憎しみと怒りの関係も考えねばならないし)

 憎むことそのものは悪ではないのですよ。
問題は何を憎むか、なのです。罪を憎んで人を憎まずという格言もあるでしょう。
(罪と人は分離できないという思想もあるようですが、悪意がなくても結果として悪が生じるケースはあります。その場合、行為者ではなく、悪事を憎めと言いたいのです)
誰も何も憎まなくなったら、悪が横行する世の中になりますよ。
倫理観に欠ける多くの者が自分の利益を求めて不正でも殺しでもなんでもやります。誰もそれをとがめません。←ダメよ~と笑顔で言うかも知れませんが。
憎しみがなくても殺しは起こりますよ。
 そして悲しみはあるのに憎しみはない世界となると不幸の連鎖は止まりません。

 憎しみという感情を消せ、というのは実に浅はかな主張です。

 そして、三作目のエンドロールの後に出てくるラストシーン。
 なにやら宗教儀式のような祭りのような集会が描かれます。
さまざまな悪しきことをすべて炎で燃やして下さいとかなんとか言いながら、火を祀っているわけですが・・・。
最初は木ジラを神格化して木ジラに祈っているのか、と思いました。なんだ、『大怪獣東京に現る』と同じオチか、と。
しかし、祭壇の炎の向こうに立てられている木枠で作った人形がどうみても怪獣のようではない。
人間のような立ち姿に見えるのです。しばらく考えて、「げげげげ。ハルオちゃんを神様にしちゃったのか??」と考えました。
だとすると、このシリーズでハルオちゃんはあがめ奉られるほどの大活躍をしたことになりますが・・・。
ちょっとわからないです。人類滅亡を主人公が止めたのだとしても、神がかりのカリスマって結果だけで判断されるものではないと思うんですがねぇ。
それから、本作の主人公はアンチヒーローに近く、もっと正確に言えば、観客にとっての反面教師たる存在だったのではないでしょうか?
(それもうまく出来ていたとは言い難いが)

 もし、あのラストがハルオの神格化を表しているのだとしたら、この作品は狂った倫理観に支配されているといっていいです。

 それにしても、最大の欠陥は、もちろんゴジラと名乗りながら別物を出してきたこと(看板に偽りありということ)ですが、
そこに目をつぶったとしても、怪獣の存在感が薄すぎたことは大きな欠陥です。
強い、という表現はしていましたが、動きが少ない・出番が少ない・ストーリーへの寄与は死ぬのか死なないのかだけ。ヤツがあれしたこれしたはほとんどない。
それはギドラも似たようなもので、とてもじゃないですが怪獣映画とは呼べない作りです。

 なにひとつおもしろくなかった。

Re: アニメゴジラ全体 - エクセルシオール (男性)

2018/12/04 (Tue) 22:38:16

>木ジラによる環境変化で地球もまた人類の居住には適さない星になっていたわけです。それなのに、主人公は木ジラ退治をやめようとしません。

 結局はこの部分が、この三部作の物語全体に影を落としていたと思います。
 居住に適さない星を奪回しても何の意味もないのに、キャラクターの多くがゴジラ退治に突っ走る展開への疑問が最後まで拭えませんでした。

 一方、存在感の極めて薄い上層部はというと、生存の目算もないのに太陽系脱出を行おうとします。何で月やら火星やらに定住しようという発想が出てこないのか?これまた意味不明の思考回路でした。なるほどゴジラの熱線が月や火星に届く可能性はあるでしょう。しかし、何の成算もないまま宇宙を漂流すれば遠からず100%全滅です。それならば、他の太陽系の星をゴジラが狙わない可能性に賭けた方がよほどましでしょうに。

 合理的選択肢を提示する者がいて、その方針が何者かの悪意や、不幸な偶然で実行できなくなっていくというストーリー展開ならば問題はないのですが、本作品の場合、「他にやりようがあるだろう」と思う部分が多すぎました。
 仮に無理な航行がたたるか、または、メトフィエスの陰謀でアラトラム号が壊れて地球軌道から動けなくなってしまったり、穏当な道を歩もうとした一派が過激な連中に粛清されて、全人類が無理やりゴジラと戦わさせられたとかなら、もう少し無理のない話になったのではないでしょうか。

 それから、本作品のキャラクターはその多くがおかしな行動をとっていましたが、例外といえるのは一作目で死んだリーランドくらいでしたね。
 彼がゴジラ退治に乗り出した理由は「ゴジラを倒してその功績で権力を掌握する」というものでした。非常に俗っぽいものですが、ハルオの行動原理に比べるとまだ理解可能です。また、ゴジラ退治の不可能性を悟ると撤退を命令し、「今後は月にコロニーを作って住めばいい」と一番まともなことを言っていました。もっとも、そんな彼もハルオを救うために戦死してしまうわけですが(この辺りはかなり唐突感があった)、彼が生き残った方が人類のためだったかもしれませんね。
 
 そうそう、メトフィエスがハルオにこだわった理由は、担当声優の櫻井孝弘さんによれば、ハルオへの「愛」だそうです。全くはた迷惑な愛もあったものです。愛のために種族の方針に反旗を翻した『怪獣大戦争』の波川を見習ってほしかったですね。

Re: アニメゴジラ全体 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/12/05 (Wed) 18:15:09

 レスに感謝です。

 リーランド、普通で良かったですよね。
彼の存在から、移民船という小集団にでも起こりうる権力闘争を描いて、現実世界での政治のあり方を批判するようなドラマに展開するのかな、と期待したのもつかの間、リーランドくん、おっ死んじゃうんだもんなぁ。

 メトフィエスのハルオへの愛って、そこをちゃんと描けばボーイズラブものとして成立したかもしれませんが・・・。
愛が人類を滅亡させた、とか。(なんかそんな作品がどこかにあったような気がします)
 そんなの見たくないなぁ。

Re: アニメゴジラ全体 - エクセルシオール (男性)

2018/12/06 (Thu) 22:40:21

>怪獣の存在感が薄すぎたことは大きな欠陥です。
強い、という表現はしていましたが、動きが少ない・出番が少ない・ストーリーへの寄与は死ぬのか死なないのかだけ。ヤツがあれしたこれしたはほとんどない。

 これらの問題は怪獣映画として極めて深刻なものだったはずですが、これに対しては「スタッフは元々「怪獣プロレス」はやらない、この映画は観念的なものになると明言していたのであるから、批判は的外れである」との反論が擁護派からなされています。
 しかしながら、怪獣映画において怪獣の描き方や怪獣決戦は最重要事項であったことを考えると、それがどのような性質のものであれ、軽視すべきことではありません。端的にこの三部作の上記基本方針自体が間違いであったというほかないでしょう。東宝もなぜこのような自殺的方針を許可してしまったのか?これこそ最大の謎です。
 なお、人間ドラマ部分が素晴らしく出来が良かったなら、一つの作品としては高評価を与えられたかもしれませんが、本作品の場合、ドラマ部分は輪をかけてひどいのだからお話になりません。

>愛が人類を滅亡させた、とか。(なんかそんな作品がどこかにあったような気がします)
 
 いくつか例はあると思いますが、一つ上げるとすれば『28週後』でしょう。謎のウイルスで人間が狂暴化するという新世代の「ゾンビ映画」として好評を博した『28日後』の続編だったのですが、これがとてつもなくひどい出来でした。
 粗雑な設定、強引な物語、理解不能な行動をとるキャラ等々、欠点だらけでしたが、この映画の基本テーマが「愛情に基づく行動が破局を招く」というものでした。とにかく破局をもたらすという作劇上の都合に合わせて、キャラもストーリーもご都合主義で動き、おまけに最後にはバッドエンド(ウイルスがイギリスからユーラシア大陸に広がってしまった)。せっかく割と後味の良い終わり方であった前作の結末を台無しにしてしまいました。間違いなく「作っちゃいけない続編」でしたね(なお、三作目の『28か月後』の制作予定があったのだが、没になってしまったらしい)。

Re: アニメゴジラ全体 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/12/07 (Fri) 19:14:09

 ああ、こんな映画にでも擁護派はいるのですよね。
映画というのは、実に難しいものです。
 動く映像と音響に身を任せれば、それだけでなんらかの体験になりますし、
それをどう読み取るのかは観客の自由なのですから、
文学などに比べればはるかに間口が広い表現なのでしょう・・・。

 とはいえ、
>「スタッフは元々「怪獣プロレス」はやらない、この映画は観念的なものになると明言していたのであるから、批判は的外れである」

という主張は本末転倒でもありますね。
 映画とは何か、怪獣映画とは何か、の考察が足りない強弁としか・・・。
(ではこのアニメゴジラシリーズにはどんな「体験」があったのか。巨大・強力な「怪獣」という架空の動物が映画装置としてどんな働きをすべきなのか・・)

 むむ、『28週後・・・』とな!
ダニー・ボイルか!!
『サンシャイン2057』と『スラムドッグ$ミリオネア』を見た結果、私の中で奴は「ナシ」になったので、見ていませんでした。
 やっぱりダメ映画でしたか。

来年、円谷英二ミュージアムができるそうです - なんじぇい (?)

2018/11/18 (Sun) 12:37:14

「特撮の神様」円谷英二の郷里で文化振興を 「シン・ゴジラ」の庵野秀明監督ら集結 福島・須賀川市
https://www.sankei.com/smp/entertainments/news/181103/ent1811030009-s1.html
>同市が来年1月に「円谷英二ミュージアム」を開設し、市役所に「ウルトラの父」の立像を設置するなど、橋本克也市長を先頭に特撮文化を生かした街おこしに熱心だったことがあった。

「特撮文化推進事業実行委員会」というものが福島県須賀川市で設立され、副会長に庵野氏が就任。来年1月に円谷英二ミュージアムが出来る他、2年後には「須賀川特撮アーカイブセンター」なるものが造られるそうです。

プロジェクト自体は大歓迎なのですが、庵野氏が副会長なのは少し不安かもしれませんね。
ですがまあ特撮博物館自体の出来はそこそこ良かったと思いますので、見てみなければなんとも言えないところがあります。
というわけで、プロジェクト自体は私はそこそこ期待しています。

Re: 来年、円谷英二ミュージアムができるそうです 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/19 (Mon) 19:10:05

 うーむ、なんにせよ円谷英二の業績を後世に伝えようとする動きは歓迎するところではあります。

 ただなんか、やたらとCGと特撮を別物扱いしているのはなんか違うように思うんですよね。
CGは特撮の一部門というのが私の受け止め方で、円谷特撮がCGIと対立しているとも思わないのです。
円谷監督の時代はCGが無かっただけで、当時でもミニチュアではうまくいかない表現をアニメでカバーしている例はあります。当時CGが使えればCGだったでしょうね。

 最近のCGしか使わないような画作りが円谷特撮よりおもしろくないということじゃないかなぁ。

 それから、なんでアニメと特撮を仲間扱いするんでしょうかね。
どちらも子供向け作品で花開いた面があるのはわかりますし、中には特撮好きからアニメ好きに移行した人もいるんでしょうけれど、
私はぜんぜん別物だと思うんですが・・。

 特撮と言ったときに怪獣とかSFしか思い浮かばないのであれば、まあ、日本のアニメはSF的な題材を扱うことが多かったので似たジャンルだと思ってしまうのかも知れませんけれど。
「特撮博物館」東京会場において、巨神兵のコーナー(実写化されたほうだけでなく、ナウシカ版の展示もあった)にはアニメファンが群がっていましたが、彼らは特撮関係の展示にはほとんど無関心でしたよ。
「マイティジャック」コーナーなんてガラガラでした・・。

Ghidorah~(泣) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/17 (Sat) 17:11:23

 さて、ギドラちゃんです。

 たしか高次元存在と言っていたと思います。
この次元とは空間次元のことと解釈していいと思いますが、私の知識からは、
高次元空間とは、我々が認知している3次元空間より空間軸の多い空間のことで、4次元5次元6次元・・・と概念としては無限に増やすことが出来るものです。
高次元存在とは3次元以上の広がりを持つ存在ということなのだろうと思いました。
 見た目の体積が10万立方メートル(怪獣なんでこれぐらいのサイズで)でもさらに別の空間軸への広がりを加味すると実体はもっと大きかったりするという具合です。

 ではそんなギドラがどんな描かれ方をするんだろうと思って見ていると、
あれれ、いつの間にか高次元という話はすっとんで、物理法則の違う別宇宙から来た者ということになっていました。

 物理法則が違うということは物質のあり方も違うわけで、そうであれば、木ジラの攻撃がギドラに通じないというのも納得できます。
我々の宇宙ではギドラを観測する手段すらない、というわけです。
ところが登場人物の目や耳にはギドラの姿が見えていて、発する音も聞こえています。
これに関しては劇中でも謎とされているので、何が起こっているのかを推理するのは観客の自由です。
私の解釈は、生命体の「心」というものが物理現象だけで計れるものではないために、ギドラ存在の概念を心が捉えた結果、まるで目や耳で捉えているように脳内でイメージが作られているのだろう、
というものでした。

 しかしそこから先の論理が怪しくなっていきます。
物理法則が違うため互いに作用しあうことが出来ないはずなのに、ギドラの攻撃が木ジラに届いていることを、
メトフィエスがギドラの感覚器となって木ジラの存在をギドラに伝えているから、ギドラ側からの攻撃は届くのだと説明されました。

 はああああああ????

 この理屈は観念論なのか強い人間原理なのか・・。
認知できないものは存在しなくて、認知できれば存在する、と。(存在したとしても物理法則が違うだろうに)

 人間にはギドラが見えています。木ジラのリアクションを見れば、木ジラにもギドラは見えている。

 おかしくありませんか。
木ジラが見えたことでギドラは木ジラに攻撃できた。ならばギドラが見えている木ジラもまたギドラに攻撃できるはずです。

 さらに木ジラの熱線はギドラの周りの空間がゆがんでいたためにねじ曲げられました。
この空間のゆがみは誰が作ったのでしょう。ギドラは物理法則の違う宇宙から来たのですよ。我々の宇宙の空間は我々の宇宙の物理法則に則ります。
これもメトフィエスが我々の宇宙をギドラに教えたから作用することが出来たというのでしょうか。

 木ジラが発生させた熱をギドラが別宇宙に捨てることが出来たのもおかしな話です。
(このくだりでは、木ジラの分子振動が増えているのに温度が上がらないなどというトンデモセリフも飛び出す始末)

 ここまでの疑問を飲み込んだとしても(私は頭の中で疑問が渦を巻いて、映画に集中できなくなりそうだった)、さらなる展開にもっと仰天。

 メトフィエスのギドラの目をつぶした結果何が起こったか。
当然、我々の宇宙とギドラは相互不干渉状態となりギドラが消えるのだろうと思ったら、なぜかどうしたことか、木ジラの攻撃がギドラに届くようになるのであった。
(と書きながら、あまりにも論理がおかしいので、記憶違いではないかとおのれを疑っています)

 ああ、気が狂いそうだ!!

 そして、時間を巻き戻します。
ギドラはどうやってアラトラム号を破壊したのでしょう。
誰がギドラの目になってアラトラム号の存在を伝えたのでしょう?????

 もし二度三度見た方がいるなら、もっと正確にご記憶のはず。
私が勘違いしているならご指摘よろしくっ!

 それから、ギドラはなぜ我々の宇宙の怪獣と惑星を喰うのでしょう。
怪獣の行動に説明は要らないというのが、私の基本的な考えです。
ならば「星を喰う者」のギドラの行動にも説明はいらないじゃないか、という結論になりそうですが、そうはいきません。
 今作のギドラはエクシフに呼び出されて、エクシフが期待する行動をとっているのです。
ということは、エクシフは呼び出されたギドラが怪獣と惑星を喰うことを知っているわけです。
 物理法則の違う宇宙に住んでいるギドラがなぜ、我々の宇宙の物質にご執心なのか。そしてギドラがメトフィエスの信者を殺したのはなぜか。
その理由を少なくともエクシフは知っているはず。
 なぜそれを説明しない?

 元祖キングギドラも暴れる理由は不明でした。ということは、暴れないこともあるという含みになります。
もし、エクシフが元祖キングギドラを呼び出したとしても、都合良く惑星を滅ぼしてくれるとは限らないわけです。

 今作のギドラはエクシフの要請に応じて何度も星を喰っているとのこと。なぜでしょう。
そもそも最初にギドラとコンタクトしたとき、エクシフはギドラの何を知ったのでしょうか。
そこをボカしていい話とは思えません。

Re: Ghidorah~(泣) - エクセルシオール (男性)

2018/11/17 (Sat) 22:36:14

 ギドラに限ったことではありませんが、本作品は膨大な量の難解な理屈に頼り過ぎてしまったと思います。おそらく観客の中でこの内容をあっさり飲み込めた人はほとんどいないでしょう。もはや衒学的と揶揄されても仕方ないと考えます。そんなもので喜ぶ人がどれだけいたというのか。多くの人は実体化したキングギドラとゴジラとの天地を揺るがす戦いを望んでいたでしょうに。

 パンフレットに書いてあったことですが、もしギドラの完全体が現れていれば惑星一つをあっという間に滅ぼせたそうです。いくら一部とはいえ、メトフィエスの「目」を失った後の情けない姿を見ればとてもそうは思えないのですが。

 なお、前回の管理人さんのエクシフに関する投稿の中で提示されていた「どうしてギドラを今まで呼び出せなかったか」については一応の説明がつきます。第2作目でメトフィエスはガルビトリウムという神器をビルサルドに直してもらっていました。そう、ギドラを呼び出せるアイテムが壊れていたため、呼べなかったのです。
 しかし、そんな重要なアイテムが何で壊れていたのかが全く分からないため(しかも自力では直せない)、物語上の重大な欠陥になっています。ごちゃごちゃと大半の観客を置き去りにするような用語の羅列に終始している暇があったなら、ちゃんと説明してほしかったですね(本作品ではストーリーの重要部分がおざなりになっていることが多い)。例えば、他の生命をことごとく滅ぼそうとする思想に疑問を持ったエクシフがいて壊してしまったとか、いくらでも面白い話が作れたでしょう。

 

Re: Ghidorah~(泣) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/19 (Mon) 19:08:04

 ああっ、そうだった!

>第2作目でメトフィエスはガルビトリウムという神器をビルサルドに直してもらっていました。

 教えていただくまで、完っ全に忘れていました。
ガルビトリウムが意味ありげに出てきたのは覚えていましたが、修理のくだりはまるっきりすっ飛んでました。
なにしろ前作のストーリーにはまったく絡んでこないんだもんなぁ。
せめてガルビトリウムに関するメトフィエスの回想でも挿入してくれればよかったのに。(それもあったとか??ぜんぜん覚えていません)

 いやー、ギドラとエクシフの本当の関係を明かすのは今回が初めてなのですから、メトフィエスが持っているガルビトリウムの使い方(機能)、来歴ぐらいは紹介すべきだったと思います。

『ゴジラ 星を喰う者』について - エクセルシオール (男性)

2018/11/14 (Wed) 22:38:00

 アニメ版ゴジラの完結編である『星を喰う者』について、とりあえず目立つものだけ問題点を列挙してみます(探せばいくらでもありそうだが)。この映画に関しては、完結編だしキングギドラもモスラも出るのだから何とか綺麗にまとめるだろうと思っていたのですが、観終わった後には憤懣やるかたなしという状況になってしまいました。

⓵キングギドラ
 メカゴジラのような肩透かしこそなかったのですが、登場したのは「金色のマンダ」みたいなものだけ・・・。「きっと三体合体してキングギドラになる」と信じて観続けたのですが、なんとそのままジ・エンド。スタッフは観客の期待を裏切ることに血道をあげている感がありました。

⓶怪獣決戦
 とにかくしょぼい。ギドラがゴジラに噛みついて巻きついて、ほとんどただそれだけ。マーティンとその助手の「実況解説」がなければとても間が持ちません。予告編で描かれたものから一歩も出ない対決は、観るものを大いに困惑させました。
 アニメならば実写よりもダイナミックな動きが可能になるはずだったのに、実写よりもスローモーになるのでは話になりません。これならばCGよりも普通の二次元アニメで作った方がよかったのではないかと思います(アニメ版『グリッドマン』の方がよほど迫力がある)。

⓷モスラ
 現実には登場せず。いるにはいるのですが卵のまま(なぜ孵化しないのか説明はない)。一応、ハルオを目覚めさせるためにマイナとマーティンに力を貸し、それが逆転につながったので存在意義は少なくありませんでしたが、肩透かし度が半端ありません。なお、蛾なのに「蝶々」と間違われていました。

⓸常軌を逸するほどの説明台詞の量
 映像で魅せることよりもキャラの台詞に頼りすぎ。メトフィエスの説教と、マーティンの解説講義が本作に占める割合は明らかに均衡を失したレベルでした。また、圧倒的多数の観客を置き去りにして哲学っぽい言葉や科学用語があふれかえる一方、それらの物語における意義は大して多くありません。

⓹女性キャラの描き方
 ユウコは結局脳死状態のままで、最後はハルオの道連れにされてしまいました。これでは「単なる嫉妬から暴走して自滅しただけの女」ではないか。モスラの超能力で蘇生すると思っていただけに、終始意識不明のままというのは扱いがひどすぎです。
 ミアナとマイナに関しては、突然脈略もなくハルオに肉体関係を迫るというまるでエロゲみたいな展開に絶句。しかも、それなりに親密に付き合っていたミアナではなく、マイナと結ばれたことはとてもついていけません。
 なお、この三部作の女性の描き方はどうにも昨今の作品とは思えないようなおかしな印象がぬぐえませんでした。

⓺アラトラム号の最期
 アラトラム号がギドラに破壊され乗員が全滅したことに関しては、安易にキャラを虐殺して話を終わらせた感が否めません。これならゴジラと戦わず最初から月か火星に定住すればよかったのにと思ってしまいました。なお、モーリ船長は最後までパッとしないキャラに終わってしまいました(ビルサルドと真っ向からやりあったハマモト副長の方が株が上がっていた)。
 
⓻落ちのつけ方
 映画から判断するのは極めて困難ですが(これ自体欠陥だ)、最後にハルオが自殺を選んだのは、ゴジラが健在で、文明が再建され、ゴジラを憎む「英雄」である自分がいれば、再びギドラがやってくるためだそうです。なるほど一応筋は通っていなくもないように思えますが、よく考えると無茶苦茶ですね。第一にこれではただの人間に過ぎず、ストーリー展開上も卓越したキャラとして描かれていたわけでもないハルオをあまりに持ち上げすぎでしょう。彼が死んだだけで問題が解決してしまうのですから。
 ハルオのなすべきことは多くの人を死に追いやった罪科を背負って苦悩しながら生き続け、そのうえで家族や仲間、未来世代への責任を果たすことでしょう。それをやって初めて「英雄」と言えるはずです。

⓼エクシフの行動原理
 全宇宙の知的生命体を全て滅ぼしてしまいましょうというのは全員がそう考えているとしたらイカレすぎでかえってリアリティがありません。
 考えてみればエクシフもビルサルドも本質的には異論というものがない。せっかく登場させた異星人なのに、スタッフは極めて平版な描き方をしてしまったのではないか。エクシフの元ネタであるX星人には「愛のために仲間を裏切った悲劇の女性」がいたのですが。
 そもそも「異星人」などこの作品に必要だったのか?かえって話をややこしくしただけのようにも思えます。
 
 率直に言って三作も作ってこんな映画しか作れないのかと思いました。ゴジラ映画としてもアニメ映画としても悲惨としか言いようのない出来映えです。これで当分アニメのゴジラは作れないのではとすら思えてきます。『シン・ゴジラ』とは別種のダメさに満ちた作品でした。

 なお、スタッフは懲りておらず、ハルオとマイナの子どもの物語だとか、もう一隻の移民船オラティオ号がスペースゴジラと出会う物語が構想されているようです(さすがに映画ではなく小説のようであるが)。その前に自分たちが何をやらかしたか反省すべきでしょう。
 後、アニメ版ゴジラはノベライズ化されており、既に前編『怪獣惑星』が角川文庫より出版されております(2作目の途中まで)。後編『星を喰う者』は12月末に出版予定で、ここで映画では明らかにならなかった設定を掘り下げるのだとか(他媒体による補完が必要な時点でおかしいだろう)。笑えることにこの小説版は「史上最高の怪獣小説」と銘打たれています。これは悪い冗談としか言えません(前編を読んでみたが、映画とほとんど変わらない。また、『怪獣黙示録』『プロジェクト・メカゴジラ』の設定もあまり活かされていない)。

 
 

Re: 『ゴジラ 星を喰う者』について 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/15 (Thu) 18:59:38

 お疲れ様です。大変充実した投稿に大感謝です。

 このアニメゴジラ三部作、人物の描き方が作り手が重要と思っている人物(宇宙人も含む)だけに力を入れていて、
名も無い人々に関しては無個性でありまさにその他大勢という扱いしかしていません。
 人物を活写した結果ストーリーが動いていくのではなく、想定したストーリーの流れに沿うように人物を動かしていると見えました。

 まあそのストーリーさえまったく出来の良い物ではないのですが、
筋運びのためにそれぞれの人物に役割を与えているだけで、生きた人物像を作っていないという印象を持ちました。

 そのやり方でも、もっと繊細に設定づくりや性格付けを行えば機能しないこともないのですが、
今作では登場人物を不自然に無理矢理行動させているように見えました。(ハルオの処遇に関してビルサルドがあれほど怒るのもヘンだし、それを懐柔するためと称して
ハルオが姿を隠すというのもなんかおかしいし、さらに姿を隠した結果どうなったのかも判然としない)

 女性キャラの描き方にリアリティが無いのもそのせいではないかと思われます。
地球人・エクシフ・ビルサルドの三種族にしても、「個」を無視して種族全体が一つの意思を持つかのように描いているのは同じ原因でしょう。
メトフィエスの説教など戯言同然なのに、その他大勢の人々はすぐに納得してしまう。←冒頭のナレーションで人とはそういうものだという決めつけを行っているけれど
それはもっと大きな社会のうねりに関わる話であって、あんな小集団に適用できるものではあるまい。
(ただし、その中でストーリーを動かす役割を与えられた者だけが自分の意思を持っている)

 それから、教えていただいてびっくりしました。
>最後にハルオが自殺を選んだのは、ゴジラが健在で、文明が再建され、ゴジラを憎む「英雄」である自分がいれば、再びギドラがやってくるためだそうです。

 なんという強引な言い訳!! そんな理由だとしてもまるで筋が通らないのに。
映画から私が感じたのは、木ジラ討伐隊がフツアと同化し、たとえ木ジラが存在していても生活に問題はなく、もはや木ジラ退治には意味が無くなったにもかかわらず、
ハルオ自身の中には木ジラに対する復讐心が居座っていて折り合いがつかず、苦悩の挙げ句死を選んだのだろう、ということでした。
ヴァルチャーに乗って突っ込んだことにはテクノロジーの復活を止めようとする意図があったかもしれないとは思いますが・・。
もっと穿って考えれば、生きることが勝つこと、というフツアの考えに対して、勝つばかりでいいのかとかなんとか言ってましたから、自殺の勧めとも受け取れますね。
高等生物は自殺だって出来るんだぜ、と。(私も知性が足りなければ自殺なんかしないと思いますが、自殺が偉いとも思わない)

 最後に、昨日のレス記事にひどい勘違いで書いてしまったことがありました。

>エンドロールを見て奇異に思ったのですが、
ノベライズとして「怪獣惑星」しか表示されておらず、「プロジェクト・メカゴジラ」は無視されていました。

 恥ずかし-。一作目のとき出版された本のタイトルが「~怪獣惑星」だったと思い込んでいました。
以前エクセルシオールさんが今作に合わせて出版される本の話を教えて下さっていたのにそのタイトルを忘れ、
さらに一作目のときの本が「怪獣黙示録」だったことを完全に忘れていました。

 三作通じての全体感想もまとめようと思っていますが、もうちょっと時間がかかりそうです。
次回はギドラに関する疑問を書いてみたい・・・。

エクシフ(ネタバレあるよ) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/14 (Wed) 20:18:07

「星を喰う者」においてストーリーを引っ張るのは異星人エクシフでした。

 そこでエクシフの動きを考えてみます。

 彼らは高度に発達した科学力を持つようです。
そして、ゲマトリア演算という未来予測技術まで開発したことになっています。
ゲマトリア演算によって宇宙の未来を予測してみたら、宇宙は無限ではなく宇宙にも終焉があることを知りました。
(その可能性は現在の地球人の宇宙論でも示唆されていると思うんですが、ま、いいや)

 いつかすべてが滅んでしまうなら現世の努力は無駄と絶望したのか、滅びの向こう側に救いを求めて、
高次元存在(ギドラちゃん)に種族ごと滅ぼしてもらいました。

 しかし、宇宙には他にも知的生命体がいるので、彼らも救ってやるために一部のエクシフは現世に残って
知的生命体根絶大作戦を展開しています。
 文明が進むとその星には怪獣(ゴジラと限定したかもしれない)が出現するので、
そのときを見計らってゴジラと惑星をまるごとギドラちゃんに喰ってもらうという方法です。

 それからどの時点の話か分かりませんが、地球に怪獣が出現するより前から地球人に興味を持って観察していたとのこと。


 という理解でよろしいでしょうか。映画を見ただけで、パンフレットは読まない状態での解釈です。
(間違いがあったらご教示下さい。ただし、映画の中から読み取れる情報限定でお願いします)


 このエクシフのバックグラウンドがまったく理解できませんでした。

 まず、高度な科学は理性的な精神から生み出されるものでしょう。
それが、宇宙に限りがあると知って種族的に自殺を図るとはどういうことなんでしょう。
一部の狂信者がそんな動きをしたというなら話は分かりますが、エクシフ全体の話ですよね?
蓋然性が低すぎるでしょう。

 それから滅びの向こうの救いのためと称して生命体を絶滅させるのだとしたら、
知的であるかどうかは関係ない話ですし、知的生命体に限るのだとしても怪獣が出現するまで待つ必要もないでしょう。
ギドラちゃんは怪獣を喰いたいのだという理屈を付けるのでしょうか。
その理屈の欠陥はギドラちゃんの話の時に書きましょう。
 ギドラと怪獣がセットにならなければならないのだとしても、ならば21世紀に怪獣たちと木ジラが大暴れしたときこそ、
ギドラを呼び出す最良のタイミングだったはずです。

 なぜそのときギドラを呼ばなかった??
ハルオがまだ子供だったから? ハルオ以外に使える人間がいないという理由は? そもそもハルオはギドラ呼び出しにどんな役割を果たした??
劇中のセリフでくどくどと説明されていたのは、人々の意識はハルオを精神的な拠り所としているが、実際に呼びかけ語るのはメトフィエスであり、
みんなメトフィエスの言いなりになっているとかなんとかでした。(正確な文言は覚えていません)
 で?メトフィエスは人々をどうした? なんだかギドラの生け贄みたいに使っているようでしたが、それ、ハルオがいなければ出来ないことですか?
実際、アラトラム号内ではハルオ不在のまま別のエクシフが信者を集めて集会を開いていたではないですか。

 それから、地球人はなにが特別なの?
 ビルサルドはギドラちゃんのターゲットにならなかったの?

 何も分かりません。納得できません。

水野じゃないハルオちゃん 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/12 (Mon) 18:53:17

「星を喰う者」のように突っ込みどころが多すぎてめちゃくちゃな作品に対しては、どこから切り込めばいいのか迷ってしまいます。

 ストーリーの縦軸としては、主人公ハルオの妄執がすべてを動かしているのですから、まずはハルオくんの話をしましょう。

 最初から理解できなかったのは、彼がなぜあそこまで木ジラに復讐心を持つのか、ということでした。
親を木ジラに殺されたと思い込んでいるのはわかりますが、まさに「星を喰う者」でフツアの娘(双子の内どっちなのかもうわかりません)が言うように、
天災に対しては憎しみだの復讐だのはないわけです。
 彼がその認識に至れなかった理由が分かりません。

 そんなハルオを人々の心を掴む存在になる、と判断したメトフィエスもどうかしてます。

 いつも緊張状態で冗談の一つも言わず、退くことを知らず、「ぐぉ~じら~」と怒ってばかりいる陰気な人間にカリスマ性が宿るものでしょうか?
三作通じて彼のたたずまいが不愉快でしょうがなかった。
 いまどきはあれがかっこいいのでしょうか。

 まあ、これはエクシフという宇宙人の項でお話しすべきことかもしれませんが、
ギドラを呼び出すためにハルオが必要だみたいな話もありましたが、え? ギドラが出てきたとき、ハルオはなにかしましたっけ?

 ハルオが木ジラ討伐隊の精神的な主柱になったとかなんとか説明をつけていますが、先行作で兵士達に向かって「やるしかねーんだ」と演説をぶったぐらいのもので、
まあ、あの演説もさして説得力があるとは思えませんでしたが、その程度のことで特別な存在になるんでしょうか。
(ナノメタルに取り込まれなかったのはハルオだけではないし、彼に何か特別なことがあったわけではないでしょう)

 そして、この最終作において悪い方向での驚愕のラストとなります。
たしか、ハルオの成長を描く物語だという触れ込みだったと思うのですが、彼はついにまったく成長せずにエンディングを迎えます。
ネタバレを避けるためなにがどうなるのかはいまは書きません。

 にしてもあれはひどい。
人として愚劣だ。
 そりゃ、試写を見た人がぼーぜんとするわ。

ハルオは主人公としてまるでダメだ - エクセルシオール (男性)

2018/11/13 (Tue) 20:29:27

 私も先日この映画を観賞しましたが、確かに問題点が多すぎて、どこから切り込むべきかわからない作品です。

 ハルオ・サカキに関しては、そもそも主人公として根本的にダメなのではないかと思ってしまいました。この映画でハルオの成長などというものが果たしてあったのか?
 通常の主人公なら一度ひどい目に合えばそれを契機に成長するものですが、ハルオの場合やることがどんどんおかしくなっていった感があります。

 本作品の最後にハルオがとった行動に至っては、「お前には夫として親としての責任があるだろう。何でそんなことをする」と思ってしまいました。また、人の文明がおかしな方向に行かないように努力する責任もあったはずで、行動原理がめちゃくちゃです(あれではただの逃避だ)。

 なお、彼とマイナがくっついたことも違和感を覚えました。ミアナならともかく、ハルオはマイナとそこまで親しかったですかね。本編で必要なシーンであったとも思えず、理解に苦しみます。

 スタッフは作品外でいろいろと言い訳をしているようですが、作中で示されなければ意味がありません。信じられないほどの分量の説明台詞を割愛すれば(メトフィエスの説教と、マーティンの解説がやたらと多い)、キャラを充実させることはできたはずです。

 私はハルオの両親(ハルカとアキラ)が残したメッセージがハルオに届き、それが彼を人間として立ち直らせるという展開を予想していましたが、そうはなりませんでした(回想が少しあっただけ)。ハルオの両親が実はゴジラに殺されていなかったという前日譚小説の設定は、結局何の意義もなかったことになります。やれやれ。

 三部作全てを観賞しましたが、ただいま虚しい気分でいっぱいです。あのスタッフ(特に虚淵玄氏)では期待しない方がいいという当初の不安の方が的中してしまいました。正直、映画館を出た後に無性に『ゴジラ対メガロ』が観たくなりました。過去も現在も「最低ゴジラ映画」と言われ続けている作品ですが(なお、私はそこまで低評価ではない)、少なくとも不快な気分にする映画ではありませんでしたし。

 

Re: 水野じゃないハルオちゃん 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/14 (Wed) 20:15:58

>「お前には夫として親としての責任があるだろう。何でそんなことをする」

 まったくおっしゃる通りです。
さらにいくら脳死状態だったとしても、ユウコまで道連れにする権利があるとは思えません。
なんとも無責任、自己中心的です。

 それから、エンドロールを見て奇異に思ったのですが、
ノベライズとして「怪獣惑星」しか表示されておらず、「プロジェクト・メカゴジラ」は無視されていました。
なにか裏事情がありそうな・・・。

『ゴジラ対メガロ』、いまとなっては愛おしさすら感じます。
 封切り時には憤激してその後のメカゴジラ二部作を見ない(もうゴジラ映画はダメになったのだと思い込んだ)ほどだったのですが、
初めて『対メガロ』を下回ったんじゃないかと思ったのは『vsスペースゴジラ』。
そして確実に自分の中で『対メガロ』を下回ったのはその名も高きGMKでした。
 そのあとは・・・・。そして今回のアニメシリーズの空虚さにはもう、ぶっちぎりの最下位を与えてもいいでしょう。
(でも、ゴジラと名付けられた怪獣のダメさはGMKの白目やちんごじらよりはマシでしたが)

東宝がゴジラシリーズのクリエイターを募集しています - なんじぇい (?)

2018/11/13 (Tue) 15:51:25

アニメゴジラシリーズの失敗から危機感を覚えたのか、東宝がゴジラシリーズのクリエイターを本気で募集しているようです。

https://gemstoneaudition.com
>東宝株式会社とAlphaBoat合同会社は、多様なジャンルの有能なクリエイターの発掘を目的として、世界に誇る日本の大怪獣「ゴジラ」をテーマに次の要項でGEMSTONEクリエイターズオーディションを実施いたします。

入賞特典は賞金総額300万円や東宝プロデューサーとの新規企画開発等が入っており、かなり本腰を入れていると思えます。

ギドラ様も応募してみてはどうでしょう? ゴジラシリーズを変えられる最大のチャンスかもしれません。

Re: 東宝がゴジラシリーズのクリエイターを募集しています 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/13 (Tue) 18:44:38

 これはチャンス!
と思いましたが、むむむ、募集要項を読んで意気消沈。

 まずシナリオの募集がないこと。
実写作品の募集はありますが、締め切りが来年2月末では実写のストーリー作品を製作することなど不可能。
(おそらく短編のイメージ映像的なものの応募を想定しているのでしょう)

 どうもストーリーを発案する才能は求めていないようですね。

 致命的なのは、応募の段階で知的財産権を持って行かれてしまうこと。
 入選・入賞作のみ募集会社に帰属するという話なら聞いたことがありますし、
もっとちゃんとしたコンテスト、小説などの場合だと入賞作品だって当然著作権は作者のものであり、
出版されれば相応の印税を払ってくれるのが当たり前。

 人材を求めているとのことですから、オーディション用に作った物は取られて当然と思え、ってことなんでしょうね。
 でもなぁ、そういうところが日本の悪習なんじゃないでしょうかねぇ。
たとえ相手が素人でもなんらかの創作物・創作者にはもっと敬意を払うべきでは??

Re: 東宝がゴジラシリーズのクリエイターを募集しています 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/13 (Tue) 18:55:37

もう一個。
>運営上の都合により、予告なく本オーディションを中止し、または応募規約等を変更する場合がありますので、あらかじめご了承ください。

ですって。
応募規約を変更するとはどういうことか。
規約に沿って応募しても、そのあと変更された規約に合致しなければ審査の対象にならないということでしょう。
契約を結んだ後で契約書を書き換えるのと同じ事じゃないですか。
やな感じ。

GODZILLA星を喰う者、あるいは賢ぶりたいボンクラの空疎な妄想 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/09 (Fri) 18:20:16

 まず初めに、「怖い」と「憎い」は別のこと、と劇中で言わせたのはよかったです。
(ただし、憎いという概念を持たない種族だと言わせたことは失敗で、それは第二作での描写と矛盾する)

 と、一点だけの美点を書いておきまして・・・・。

『GODZILLA星を喰う者』、なんすかありゃ。
 思いついたアイディアの煮詰めが甘くて不可解なところばかり。
説明に納得できないのでドラマに入っていくことが出来ません。
いや、そもそも尺の割にドラマが薄くてほとんど味がしない。
一年かけて、上映時間にして4時間半もかけて、たったあれっぽっちの内容しか持ち得ないとは驚き桃の木山椒の木です。

 さらに今作ではこれまで以上にスペクタクルもアクションも無い。
説明台詞を延々と聞かされるだけ。

 映画において観念を伝えるとは、その観念を言葉(セリフ)で説明することではなく、劇中の出来事に、伝えたい観念から導き出される事象を織り込むことである。
それが出来ていない。

 そして、これは怪獣映画として企画されたものではないのですか?
結局ラストバトルは、登場人物が精神感応でつながることで生じた地球人対宇宙人の脳内バトルになっている。
怪獣同士の戦いには何も見るべき物がない。

(もうね、ゴジラじゃないとかキングギドラじゃないとか言う話は二の次ですよ。もちろん両者とも改変されすぎて見る影も無いわけですが)

 細かい話は後回しにします。今日はこれだけ。
(まさかこんな映画が世間で評判になるはずはないので、ああだこうだ書く必要も無さそうですが、まあ、思うところは出来るだけ書き残すようにします) 

一応東宝によれば…… - なんじぇい (?)

2018/11/09 (Fri) 19:16:23

感想ありがとうございます。

>そして、これは怪獣映画として企画されたものではないのですか?

https://gigazine.net/news/20181108-godzilla-the-planet-eater-interview/
このサイトによれば、東宝から「このアニメ版ゴジラは怪獣プロレスにはしません」という方針があったそうです。
観念的なものにするとかなんとか、という製作陣の発言もあります。
なぜ東宝はこんな方針にしたんだ……と首を捻るばかりですが。

もっとも、私はまだ観ていません(近いうちに観ます)。
しかし巷の映画評価サイトやブログの感想を見る限り、歴代最悪の酷評の嵐であり、戦々恐々としています。
まさかエメリッヒゴジラよりも巷の評判が悪いゴジラ映画が出現するとは、想像だにしませんでした。
もういっそ、時間と金をドブに捨てるくらいなら観ない方がよいのかもしれません……

まあ、2作目と同じくらいの出来を覚悟して観に行くつもりです。

Re: GODZILLA星を喰う者、あるいは賢ぶりたいボンクラの空疎な妄想 - 海軍大臣 (男性)

2018/11/11 (Sun) 11:29:59

 アニメ三部作は一切見ていないので、とやかく作品について述べる権利は持ちませんが、取り敢えず一言だけ。

 今回の作品を初日に見たという若い友人が、
「自分はエヴァンゲリオンは好きではないが、ゴジラ三部作を見てしまうと、劇場版エヴァって結構凄いんじゃないか、なんて錯覚を覚えてしまった」
 などと云ってるのを耳にして、正直、ゲンナリしてしまいました。特撮ファン、ゴジラファン、アニメファンの誰からも祝福されない作品が可哀そう過ぎます。そんな作品を「ゴジラ」の名前を冠して作る必要があったのかな、との疑問を禁じ得ないでいるのが正直なトコロです。

 ところで話は変わりますが、その若い友人に言わせると、フィギィアショップなどで売っているウルトラアイの1/1レプリカを椅子の上に置いて、そのまま腰かけて、「キャッ!」とワザとらしく驚くのが昨今の特撮ファンのトレンドだとか。確かにそんなバカなことでもしなければ、やってられない状況なんでしょうね。
「ウルトラアイ、だ~い好き!」

Re: GODZILLA星を喰う者、あるいは賢ぶりたいボンクラの空疎な妄想 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/12 (Mon) 18:48:31

>なんじぇいさん

 ご紹介頂いたスタッフお三方のインタビュー記事をざざっと読んでみました。
激しく反発を感じたのは、ゴジラをご存じというお二人が、ゴジラを知っているとこうなる的に挙げていた例が、
旧作にあったイメージをただ引き写すことでしかなく、宇宙人がX星人みたいなサングラスをかけるだの、
スーパーXやらメーサー車やらのイメージを持ってくる話をしていること。

 それこそ、ヲタクだ。
作品の中身(シリーズ作であるなら劇中の歴史や登場キャラクターの設定)や精神性を引き継ぐのではなく、そのうわべだけをなぞって見せて、
マニアだとこうなっちゃうよね、みたいにおっしゃっているのにはあきれました。
そのような発想はマニアではなく、ヲタクなのだ。

 実際には怪獣を知らない監督の顔色をうかがってブレーキをかけたとのことですが、
そのあたりの発言でうかがえたのは、
このアニメ木ジラシリーズは、従来の怪獣映画とは違うものにするという方針の下、
最終的に怪獣がわからない人に向けた映画になってしまったということです。

 これは新たな怪獣ファンを開拓することにはならず、もし出来が良かったとしても、怪獣とは関係ないところで評価されるものになったでしょう。

 東宝が怪獣プロレスをやめる、と言ったにせよ、それはぜんぜん大胆でも何でも無くて本多・円谷時代(二人の作品ということではなくてその時代の他社も含めて)
には前例がいくらでもあります。
 そこで考えなければならないのは、なぜ怪獣映画が怪獣同士が対決する物語に収斂していったのか、ということなのに、
そんな考察もないまま、高尚な怪獣映画を作ろうと考え、厳かに見せようとして躍動感のかけらも無い怪獣を登場させてしまったのでしょう。

(そもそも怪獣プロレスなどという用語は怪獣映画に理解のない大人が言い出したことであって、怪獣対決映画であってもプロレス的な組み合いを見せる作品ばかりではない)

 おっとっと、作品から見えたものだけを問題にするという基本方針を逸脱してしまった・・。

>海軍大臣さん

 東宝がゴジラの名前で商売しているだけ、というのがどうにもこうにも歯がゆいです。
裁判でどんな判断が下ったのか聞こえてきませんが、ゴジラは東宝がすべての権利を握っているキャラクターだ、というお名前失念の東宝プロデューサーさんの発言もありまして、
東宝さんはゴジラを使って何でも出来るとお考えなのでしょう。
利権の問題はともかく、信義の問題としていま東宝がやっていることは正しいとは思えません。
それは、円谷プロにおけるウルトラシリーズも同じ事で・・・・。

東映が久しぶりに怪獣ものを作るらしいです。 - エクセルシオール (男性)

2018/10/29 (Mon) 21:55:46

 東映特撮作品を配信する東映特撮ファンクラブがオリジナルの怪獣ドラマ『シリーズ怪獣区 ギャラス』を制作するそうです。とはいえ、中身が何なのかは定かではないですし、そもそもテレビ放送があるかも不明です。

 従来、東映は巨大怪獣、巨大ヒーローが登場する作品よりも、スーパー戦隊や仮面ライダー、メタルヒーローといった原則等身大のヒーローに力を入れてきました(戦隊ものでは怪人が巨大化しますが)。巨大怪獣が出てくる作品というと、『キャプテンウルトラ』など数えるほどしかなく、確か『巨獣特捜ジャスピオン』が最後だったと思います。
 
 東映にとって今一つ不得手である分野に挑むとは、なかなか勇気が必要であることだと思います。とはいえ、ジャンルの活性化という観点からは良いことでしょう。放送形式の制限性という問題はありますが、興味深い試みだと考えます。

 
  

Re: 東映が久しぶりに怪獣ものを作るらしいです。 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/30 (Tue) 18:44:06

 おもしろい試みですね。(全然知りませんでした)

 東宝・円谷系が過去の遺産を食いつぶしていることへのアンチテーゼみたいになればいいのですが。
(新怪獣を使って、本来の怪獣観を表現する)
まあそこまでの期待は出来ないでしょうけれど、既存の怪獣をいじり回すよりはずっといいでしょう。

 怪獣デザインがどうなるかも気になりますね。
ハリウッドのクリーチャーみたいな「新」怪獣は見飽きました。

 しかし、配信しかしないのだとしたら、うーーん、見るかどうか・・・。

これって仏縁? - 海軍大臣 (男性)

2018/10/28 (Sun) 17:35:31

 まったくの無信心な人間ながら、本日、家の仏事の関係で近所のお寺へ行きました。時間が空いたので、本堂の入り口に置かれてあった小冊子を何気なく捲っていて驚きました。
 その冊子は「浄土真宗・唯 yui」秋号(VOL.31)というものなのですが、何と円谷監督の師匠筋に当たる枝正義朗監督の特撮映画【大仏廻國 中京編】に関する記事が掲載されているじゃありませんか! この映画は日本でも大ヒットしたRKO版【キングコング】の影響を受けて昭和9年に作られた、日本初(?)の本格的特撮映画と呼ばれる作品で、しかもフィルムの現存しない幻の作品でもあります。
 このコラムを書いている方は、映画に登場する聚楽園大仏を建立された実業家の曾孫に当たられるのだそうです。兎も角、滅多に取り上げられることのない作品ですので、ご興味のある方は近くの浄土真宗のお寺に問い合わせてみられるのも良いかと思います。
 

Re: これって仏縁? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/29 (Mon) 18:46:34

 意外なところで意外な情報ですね!
お寺に配布される冊子なんでしょうけれど、市販はされていないようで・・。

 うむー、どこかで読めないものか・・。

 こんなブログは見つけましたが、内容までは書かれていません。
https://tokuyouji.wordpress.com/2018/09/20/%e3%80%8e%e6%b5%84%e5%9c%9f%e7%9c%9f%e5%ae%97%e3%83%bb%e5%94%af-yui%e3%80%8f-%e7%a7%8b%e5%8f%b7%ef%bc%88vol-31%ef%bc%89/

ゴジラVSエヴァをやるみたいです。 - なんじぇい (?)

2018/10/24 (Wed) 22:54:24

ゴジラとエヴァンゲリオンがコラボ、USJにシアターアトラクション登場
https://www.cinematoday.jp/news/N0104434

まだ詳細は発表されていませんが、VSと書いてますのでまず間違いないでしょう。
こういうコラボものはよほどうまくやらなければ双方は得しないでしょうが、その辺が凄く不安ですね。

ちなみに本当にシン・ゴジラとエヴァンゲリオンが戦ったら、エヴァンゲリオンが圧勝するでしょう。
N2爆弾(核に匹敵する威力を持つ放射能が出ない爆弾)をバリアなしでまともに受けて無傷の第10使徒を、初号機の疑似シン化第1形態はメタメタにして倒しています。今はそれより遥かに凄まじい13号機の疑似シン化第3形態がありますから、シン・ゴジラは手も足も出ず即座に蒸発する結末しかありません。
ギャレスゴジラやバーニングゴジラと戦わせたら良い勝負になるかもしれませんが、まず戦わせる理屈から考えなければならないでしょう……(双方が戦う理由が希薄)

こういう『夢の対決』というものはどちらかに大きな下駄を履かせなければならないパターンがほとんどですし(『キングコング対ゴジラ』がその典型例)、そもそも設定で無理が生じることが多いです。
双方のファンが喜ぶのか? という問題もあります。
なので慎重にならなければいけないのですが、その辺りがどうなのかとても心配です。

Re: もう、メチャクチャでござりますがな… - 海軍大臣 (男性)

2018/10/26 (Fri) 01:43:54

 エヴァのことは良く知らないので感想は書けませんが、先日以来、某イベント用に初〇〇の特撮シーンだけがリメイクされているとか云う噂も頻々と聞こえてきています。先人たちの残した遺産が出涸らしになるまで使いまわしされてるみたいで、何とも悲しい気分です。


Re: ゴジラVSエヴァをやるみたいです。 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/27 (Sat) 18:28:59

 USJのアトラクションとなると、まあ、それぞれの設定などは緩く考えてお遊びとして成立させるのでしょう。
 『シン・ゴジラ』に登場したあれ(ちんごじら)をゴジラとして運用することに抵抗がありますけど。

 それより、
>初〇〇の特撮シーンだけがリメイクされているとか云う噂
が気になります。

 結局、過去の遺産のネームバリューに乗っかっているのに、
そもそもの原点を大事にする姿勢があるのかどうか。
 もし、ひょっとして、初◯◯の劇中映像がその演出的側面(構図・カット割り)をまるまるコピーして、現代の映像技術で再現されるという試みならば、なんらかの価値はあるかもしれません。

 映画映像に鈍感な人は特撮映画を見るときに、
ミニチュアバレや合成バレといった技術バレがあることで昔の作品はしょぼい、時代遅れと考える節があるようです。
(もちろんバレないほうがいいのだけれど)
 当時の技術限界をクリアした形で初◯◯の映像が再現されたとき、
いかに映画演出として優れていたかを感じてもらえるかも知れません。

(ちょっと違う例かも知れませんが、森田芳光が『椿三十郎』を旧作と同じシナリオで再映画化したとき、演出面が黒澤明とは別物だったので、悲惨な結果になりましたね)

指導物語 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/24 (Wed) 18:48:23

 日本映画専門チャンネル鉄道映画特集で放送された『指導物語』(1941東宝・熊谷久虎)を見ました。

 支那事変後、対米開戦以前の日本が舞台です。
 おおよそのストーリーは、蒸気機関車の機関士が陸軍の鉄道隊(正式名称はちとわかりません)兵士に操縦を教えるというもの。
当時、訓練のために兵士を鉄道会社(国鉄か)に派遣する制度があったようです。
 国策映画の色が濃く、主人公の老機関士は兵士の教育係から外されたことをやけに不満に思っているし、
彼の三人娘は訓練兵に対してやたらと好意的だったりします。(兵隊さん、かっこいー、てな感じ)
 戦死者の遺骨が帰ってくるシーンなんかがあって、戦争の悲劇も押さえているなぁ、なんて思うと、直後に
日本が行っている戦争の大義を延々と軍人が演説するシーンが出てきて、やっぱりお国のために死になさいというわけか、と時代を感じるのでありました。

 てなことは本論ではなくて。
 機関車を操縦するシーンには背景をスクリーンプロセスで表現したシーンがあり、この時代の東宝作品でスクリーンプロセスと言えば・・。
なんて怪しんでいると、出た!!!
 列車の運行はほとんどが本物の実写なんですが、夜景や雪景色での列車遠景は見事なミニチュア特撮となるのだった!

 竹内博さんによる作品リストには出てこないものですが、これは円谷英二によるものと思われます。
まさか奥野文四郎単独ということはないでしょうし、映画全体のラストカットは富士山に雲がかかっていくという絵画的なイメージカットで、
それもミニチュアで表現されています。(可能性としては富士山の写真をバックに手前にスモークを焚いたのかもしれないが、富士山の立体感は造形物と思われる。モノクロであり、フィルムの劣化による解像度の低下で判然としない)
このセンスは、円谷英二ではないのかなぁ??

次のゴジラ映画ベストメンバーとは!? - なんじぇい (?)

2018/10/19 (Fri) 12:31:04

2021年以降に作られるであろう日本のゴジラ映画で、誰が一番適任なのでしょうか……というお話です。
本当なら円谷英二さんや川北紘一さんなどを言いたくもなるのですが、既に亡くなっておられる方はもうどうしようもありません。これからのことも考えるべきだと思うのです。
監督・脚本・特技監督の3人でお願いしたいです。

ちなみに私は……
監督……大河原邦男さん
大森一樹さんとは良いコンビを組んでいた印象です。最近は全く映画に関わっていないので、そこだけは心配です。無理なら、他に誰が良いのかかなり迷います。

脚本……大森一樹さん
ゴジラ映画をもう1本やりたがっておられるようですし、何度もVSシリーズに関わられたベテランなので、ご本人の信条通り手堅いファミリー映画を作ってくださるのではないでしょうか。

特技監督……田口清隆さん
『ウルトラマンX』から特撮に関わられた方です。ここから新ウルトラシリーズの特撮は大きく向上したと思っています(ギンガS以前からは大きく変わっている)。
映画秘宝を読む限りでは本人も特撮のゴジラ映画をしたがっているらしく、なかなかな特撮をしてくださると期待しています。

こんな感じです。


ちなみに『シン・ゴジラ』の間邦夫教授役の塚本晋也さんがゴジラ映画の監督をやりたがっておられるそうです(対戦怪獣にものすごい新怪獣を出したいとか)。
『鉄男』などの彼の作品を見るにちょっと不安ですね。

Re: 次のゴジラ映画ベストメンバーとは!? - 海軍大臣 (男性)

2018/10/20 (Sat) 16:11:17

 私も脚本は大森一樹監督で異論はありません。欲を云えば、ベタなハリウッド映画からの引用は避けてもらいたいところではありますが、あれも大森脚本の持ち味ならば「アリ」なのかも知れませんね。

 本編監督は以前にもここで書きましたが、原恵一監督のゴジラ映画が見たいと思います。アニメ畑の出身ながら、地に足の着いた堅実な作品作りが出来る方だと判断しています。私などはその昔、「のび太のパラレル西遊記」の同時上映で観たこの監督の劇場版「エスパー魔美」を見て、その完成度の驚嘆した覚えがあります。また面白いことに御自身は若い頃にはアニメにはそれほど興味がなく、むしろ木下恵介監督などの実写作品への嗜好が強かったと聞きますから、昨今のアニメ畑出身の監督連中とはベースになっている部分が丸っきり異なっているようです。そして何よりも監督自身、ゴジラは大好きなジャンルだと聞いていますから、相当面白いものに仕上がるのではないでしょうか? ただ前作「百日紅」の製作時に体調を崩されてと聞いているので、それだけが心配です。

 特撮監督は樋口真嗣さんで良いのではないでしょうか?平成ガメラで見せてくれた特撮映像は、我々が若いころに夢中になった川北監督によるTVの枠を超えたミニチュア特撮の拡大再生産を実現したものとして評価できると思います。飽くまでもCGなどのデジタル技術は補助的な手段に留めて、精緻極まる日本特撮の神髄をスクリーン上に再現して頂きたいものです。また、樋口監督は前出の原恵一監督を大変にリスペクトしていると仄聞していますから、本編/特撮間のバランスを取る上でも恰好のコンビネーションとなると想像されます。嘗ての平成ゴジラシリーズも、初期には大森監督がしっかりと編集権を握って川北監督をリードしていた時期は良かったのですが、本編監督とのパワーバランスが崩れた途端に冗漫な作風になってしまった気がします。

Re: 次のゴジラ映画ベストメンバーとは!? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/22 (Mon) 18:38:45

すっかり遅レスになってしまいましたね。
すんません。
それで・・。

 なかなか難しいテーマでございますなぁ。

 私の案としては・・。

 本編監督は沖田修一氏でどうか、と思います。
 これは賭けみたいなことになりますが、『南極料理人』や『横道世之介』に見られる人間描写の的確さは、本多猪四郎監督に通じるものがあるのじゃないかと期待します。
スペクタクルのセンスがあるのかどうかが未知数なんですが、そこは特技監督に補佐してもらうということで・・・。
近年の特撮をウリにした映画はどうも人間心理のリアリティに欠けるものが多く、それが作品を壊しているように思うので心理を大事にする監督にお願いしたいです。

 そして、特技監督には清水俊文さんでいかがでしょう。特殊技術担当作品は『マリと子犬の物語』一本しかないのですが、特撮の現場は熟知しておられますし、
『マリと子犬の物語』での地震特撮は短いながらも「特撮映画」の味わいを感じるものでした。本編との連携もうまくいっていたと記憶します。

 音楽は和田薫さんで。和田さん自身の作品は劇伴を含めてもほとんど知らないのですが、伊福部音楽への造詣の深さと劇伴音楽のベテランということで、
決して変なことはなさらないでしょう。

 以上、決して変わったことを書いてやれ、という気持ちではなくて以前から夢想していたことです。

 さて、脚本。そりゃもう、私にやらせて下さいよ。私が1985年に書いたゴジラストーリー応募作からも、のちのVSシリーズに生かされたと思われる断片がいくつかありますし・・・。
なんてな!

『星を喰う者』予告編公開等 - エクセルシオール (男性)

2018/10/11 (Thu) 21:53:07

 11月9日公開のアニメ版ゴジラ完結編『星を喰う者』の予告編が公開されました。どうやって落ちをつけるのかは不明ですが、前作よりは面白い話になりそうです(そうでなければ困る)。

 やはりメトフィエスが何かしら企んでおり、キングギドラを地球に呼び寄せるという展開になっているみたいです。キングギドラはゴジラ以上の脅威であることは間違いなく、見たところゴジラがふれることのできないエネルギー体のようです(ギドラの方はゴジラにふれられるようだ)。この未曾有の危機に意気消沈しているハルオはいかにしてに立ち向かうのか、人間ドラマにおいてはそこが中心でしょう。
 なお、宇宙空間のアラトラム号がキングギドラに攻撃されるシーンもあり、もしも破壊されるようなことになれば、作中の人類の生き残りの大半が死滅という悲惨なことになってしまいます(もちろん設定上は半ば忘れられているオラティオ号もありますが)。「全滅エンド」などということにならなければよいのですが。

 それと、予告編ではモスラの姿は全く確認できません。前作でメカゴジラをまともな形で登場させないという言語道断の蛮行をやらかしてしまったスタッフなので、モスラを背景のみの存在にしてしまう可能性もないとは言えません。しかし、それではあまりにも不誠実でしょう。第一にゴジラだけではどうにもならないキングギドラをどう処理するつもりなのか(ラドンもアンギラスもこの作品では使えまい)。これは不安ですね。
 せめて怪獣映画ファンの期待を裏切らないように落ちをつけてほしいものです。

 話は変わりますが、アニメ版『グリッドマン』もいよいよ放送開始となりました。とはいえ、まだ第1話を視聴しただけなのでまだいかなる内容なのかはよくわかりません。
 今度のグリッドマンは現実世界で怪獣と戦うようですが、作中の世界が本当に「現実世界」なのかは多くの謎があります。さんざん破壊された街が翌日には修復されていたり、一部の人にしか見えないにしても、超巨大な怪獣のシルエットが存在したりと、これから明かされるべき真実は多そうです(無論、主人公・響裕太の記憶喪失の原因も重要な点である)。アニメファンの予想の中では「この世界は本当はコンピューターワールドの中で、裕太たちは人間ではなくコンピューターワールドの住人なのではないか」というものすらあります。
 
 きちんと物語が組み立てられてくれればいいのですが、深夜枠であるためにかなりの不安もあります。
 深夜アニメにはいくつもの弊害がありますが、特にまずいのは「話数に見合わぬ設定を盛り込んで自爆してしまう」ことです。実際、深夜アニメの多くは1クール、話数にして12~13話くらいしかありません。この限られた話数に大量の内容を詰め込んだ結果、消化不良になったり、文字通り途中で終わってしまう作品が続発しています(しかも続きが作られないものが少なくない)。アニメ版『グリッドマン』が何話あるのか定かではありませんが、消化不良にならないようにスタッフは戒心してほしいですね。 

 なんだかんだ言いながら今のところは期待しています。奇妙に難解にしたり陰鬱にしたりせず、真っ当にヒーローアニメとして作ってほしいです。
 
 なお、巨大シルエットの怪獣は旧作に登場した毒煙怪獣ベノラに似ています。ベノラは旧作の有名なエピソード「決戦!ヒーローの最期」前後編に登場した怪獣で、一度はグリッドマンに勝った強敵として有名です。

Re: 『星を喰う者』予告編公開等 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/12 (Fri) 18:38:47

 アニメゴジラの行く先は不安で一杯という感じですね。
私も予告編を確認してみましたが、あの感じではモスラを出さないことも十分考えられます。
 ここまでの流れから考えても、かつての怪獣映画から距離を置こうとする意思がひしひしと伝わってくるので、ゴジラ・モスラの共闘など絶対にやらないように思います。

 なんというか、昔の怪獣映画を低級な物と考え、怪獣映画を知らない者が精一杯格好を付けて怪獣を再解釈しましたというものに見えています。

 ようするにキザなのです。

 そして、アニメ版グリッドマン。
「SSSS.GRIDMAN」というようですが、これもねぇ。
第一話前半の雰囲気カットの連打など、実にキザな作りです。
そしてこの頃ありがちな、重要な世界設定を隠蔽して、ストーリーが進んでいるように見せかけて設定を説明していくだけの不毛な作品になりそうな予感がします。

 ただ、怪獣と巨大ヒーローの戦いの見せ方はそんなに悪くないです。

 旧作とのリンクも意識しているらしいのは悪くないと言えそうですし。
(怪獣ベノラ登場回はすでに観ていない領域だ・・)

 それから、劇中のセリフで「ウルトラシリーズなら怪獣に弱点があるのに」と言わせ、第一話の怪獣は「帰ってきたウルトラマン」のフェミゴンをベースにバリケーンとレオゴンのパーツをくっつけたように見えました。
(デザインは西川伸司氏)
ここにも世界設定のヒントがありそうですね。
でも、設定をあれこれ推理するなんて、本道ではないのだが・・。

アニメ版『グリッドマン』、危ないかも・・・ - エクセルシオール (男性)

2018/10/17 (Wed) 23:06:37

 最初の投稿で「期待している」と書いたアニメ版『グリッドマン』ですが、第2話を視聴してかなり不安になってきました。
 この回でアレクシス・ケリヴと組んで怪獣を作り出しているのが新条アカネであることが示されたのですが、このアカネがとんでもない性格のキャラでした。
 彼女は自分が気に入らない人間を怪獣を使って抹殺しており、しかもそのことに何一つ疑問も痛痒も感じないというゆがんだ魂の持ち主です。正直、旧作の藤堂武史の比ではありません(武史にはまだ良心が残っており、カーンデジファーの命令に反対することもあった)。

 心配なのはここまで邪悪な人間に設定にしてしまったアカネに関して、それにふさわしい理由が用意されているのかということです。ここをおろそかにしてしまうならば、それ自体が致命的欠陥になりますが、はたしてどうなるのでしょうか(なお、武史の場合は、両親から放置されていた、信頼していたばあやと無理に引き離されたことなどが積み重なったためという理由が示されていた)。
 少なくともアレクシス・ケリヴによって「良心を封じ込められ、邪心を増幅された」というくらいの設定は必要でしょう。

 なお、アニメファンの中にはアカネのかわいい容姿とサイコパスという設定に熱狂している者も少なくないようですが、どんなキャラであれ内実がなければ「単なる記号の寄せ集め」にすぎません。また、本作品の暗さを内包した展開に「これぞ長谷川圭一」と讃えている意見も目にしましたが、それって『ウルトラマンネクサス』と同じ過ちに陥るだけではないかと心配になってきます。


>ただ、怪獣と巨大ヒーローの戦いの見せ方はそんなに悪くないです。

 本作品の怪獣は故意に「着ぐるみっぽく」デザインされているそうです。ここは特撮へのオマージュといえましょうか。

>「SSSS.GRIDMAN」
 この「SSSS」とは旧作の海外版『スーパーヒューマン・サムライ・サイバー・スクワッド』からきているようです(なお、「サイバー」に関しては頭文字をわざと「S」にしている)。私も海外版は知らなかったので驚きましたが、少々マニアックすぎますね。
 ついでに言えば、本作品の登場人物はトランスフォーマーシリーズのキャラをモデルにしているという意見もありました。これはますますもってどうでもいい話です。


>でも、設定をあれこれ推理するなんて、本道ではないのだが・・。
 
 同意します。マニア受けを狙って作品を作ってもろくなことになりません。物語の半分くらいまでで大体の世界設定は公開すべきだと思います。「重要な世界設定を隠蔽して、ストーリーが進んでいるように見せかけて設定を説明していくだけの不毛な作品」にならないよう、私も祈っています(ストーリーで消化できないような設定はかえって有害である)。

 なお、個人的に気になっているのは、旧作に登場した手作りコンピューター「ジャンク」がなぜ宝多六花の家の店にあるのかですね。旧作の設定と何らかの形でリンクしているのかどうか興味深いところです。

Re: 『星を喰う者』予告編公開等 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/18 (Thu) 18:41:24

 アニメ版グリッドマン、私も第二話を見て不安増大という感じです。

(あーあ、訳知り顔の案内役を出してしまったか)

(あーあ、鬼畜キャラを出してしまったか)この部分に対する不安はエクセルシオールさんの懸念と同じです。
 ゆがんだ性格の人間、それも殺人を何とも思わないほど狂っているとなると、相応の背景を描かなければ、
「表現」として愚劣(刺激だけを持ち込もうとしたもの)になってしまいます。
 もちろん、殺人趣味を正当化するようなストーリー構成などは言語道断ですし。

 いろいろちりばめてあるヒントから、あの作品世界がそもそも仮想現実であるというのは当たっているようではありますが、
そこでどんな物語を紡ぐのか、そこに鑑賞者の意識を揺さぶる観念があるのか?が問題ですね。

 旧作グリッドマンとのリンクは考えているようですが、ウルトラシリーズへの言及の仕方から想像するに、
「SSSS.GRIDMAN」の舞台となる仮想現実を作った人間(一人ではないな)には円谷プロファンがいて、
「電光超人グリッドマン」の道具立ても取り入れました、という感じでは?
もしそうなら、メタ構造だ、なんて言うと高級っぽくなりますが、いやいや、楽屋落ちですね。

 とかなんとか言ってますが、一番の問題は、全体の流れはともかく、第一話、第二話、それぞれにストーリーの面白味がないことでした。
 テレビの連続ドラマというものは、一話ごとにもなんらかのまとまりがあるべきでは?

た~か~の~つ~め~ 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/02 (Tue) 18:43:59

 劇場公開時には見に行けず、このたびWOWOWで放送してくれたので見ることが出来た、
『DCスーパーヒーローズVS鷹の爪団』。(セルソフト買えよ!)

 ジャスティス・リーグとのタイアップ作品ではありますが、完全にFROGMAN作品になってます。
まあいろいろ気を遣ったのか、下ネタは少なめだったと思いますが、
ワーナー映画作品ということで東宝時代の末期より社会批判性が高まって、本来の味を取り戻したように思います。

(政治のだらしなさを突き、財力=力を持つ者の責務を問う)

 ギャグ作品なのでディティールを語るのはやめますが、
2017年公開の本作、2016年のヒット映画を真正面から茶化してくれます!
(ほーら、あの映画やこの映画ですよ)

 あたしゃ、すっきりしたよ。
機会があったらみなさんも是非ご覧下さい。
(FROGMAN氏のシナリオ力は大変なものなのに、相変わらず自作のアニメでしか活躍していないのはもったいない。
シナリオライターとしても活動して欲しいものだが・・。実写映画の監督としてどうなのかは未知数なので)

えっ……… - なんじぇい (?)

2018/10/02 (Tue) 22:33:39

話が変わって申し訳ないのですが、ギドラ様は『君の名は。』をご覧になったのでしょうか?
興収の観点からは避けては通れない有名な作品ですし、よろしければ感想をお聞きしたいです。

ちなみに私としては箇条書きで書くと
・絵はとても良い。作画崩れもないし綺麗。
・音楽を効果的に使いテンポ良く進んでいくため、見てて飽きはしないのは良い。
・ちょっと突っ込みどころが多いのはどうにかしてほしい(手に名前書くと言ってるのに、なんで「すきだ」なんて書いてるの? とか)

一言で言うと、まあまあという感じでしょうか。




あと見る限り、鷹の爪自体は時事ネタが多い作品に見えますが、一番昔のものを見ても大丈夫なのでしょうか……?
あるいは最新作からいきなり見てもイケるのか、というかどの順番で見れば良いのかなども気になります。

Re: た~か~の~つ~め~ 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/03 (Wed) 18:56:06

『君の名は。』は一応見ています。劇場には行きませんでしたが。

 で、えっ、感想ですか。大前提としてあのような作品が作られても構わないと思っていることはお含みいただきまして・・・。

 一言で言うと、
中二の妄想。

 まー、大ヒットしたというのはいささか奇異に思います。外国でもヒットしたらしいので、映画の作り手がしっかりしないと映画表現の深みはどんどん失われていくのだよなの思いを強くしました。

 鷹の爪シリーズは、どの作品から入っても構わないと思いますよ。
時事ネタ・流行り物を取り入れてはいますが、ストーリーの根幹がしっかりしているので、内容が古くてダメになったということはないと思います。
それからどの作品も初見の人を意識した作りになっていますし。

 もちろん理想的には発表順に見た方がいいです。TVシリーズもたくさんあってちょっと大変になりますが。
先行作の内容を無かったことにするような卑怯な真似はしていないので、キャラクター設定など先行作を見ていないとピンと来ない部分はあります。

これがキングギドラ・・・ - エクセルシオール (男性)

2018/09/28 (Fri) 22:23:28

 アニメ映画版ゴジラの完結編となる『星を喰う者』のキービジュアル等が解禁され、キングギドラ(厳密には「ギドラ」としか言われていないが)の姿も見ることができるようになりました。
 ところが、その姿は良く知られたキングギドラの姿とは大きく異なるものであり、まるで「黄金のマンダが三匹いる」ような感じになっています。ゴジラもずいぶんといじくられてきましたが、これはそれよりもすごい改変です(ハリウッド版の方がオリジナルに近い)。

 本作品におけるギドラは幾多の惑星を滅ぼしてきた高次元怪獣という設定であり、地球上では並ぶもののない存在となったゴジラと激闘を繰り広げるのだとか。なお、モスラの姿は今のところ確認できません。まさか出てこないということはないでしょうね。
 はたしてこの三作目、どんな結末を迎えるのか、今のところ予想がつきません。王道ならキングギドラを撃退するためにゴジラと人類とモスラとが共闘するということになるはずですが、アニメ版ではあまりにもゴジラを他の種族の存在を許さないようなキャラにしてしまったので、無理なく話をまとめるのが難しいでしょう。それとも、ゴジラとキングギドラが戦って消耗したところにモスラが現れて、両方とも倒してしまう展開になるのか。そうすれば、話はまとまりますが、これではモスラをいわゆる「デウスエクスマキナ」(収拾がつかない物語を無理矢理終わらせるキャラのこと)として用いることになり、ストーリーとしては問題があります(第一モスラがかなり「卑怯」に見える)。

 その他の解禁情報では、死んだと思われたユウコはまだ生きています。ただし、脳死状態だそうなので、彼女を救えるのはモスラの超能力くらいでしょう。それから、ハルオの両親も一応登場するようです。前日譚小説『プロジェクト・メカゴジラ』の設定がやっとこさ活きてくるようですね(これもうまくいくか微妙だが)。
 
 映画公開前に必ず発売されていた前日譚小説ですが、今回はないみたいですよ。かわりに『怪獣惑星』の公式ノベライズ版が11月初めに出版されるそうです。てっきり、エクシフの母星がいかにしてキングギドラに滅ぼされたかを描く物語が出ると思っていただけに、意外ですね。
 正直、『怪獣惑星』の小説版を今出版されてもあまり意義を感じません。むしろ映画の不十分なところを「これを読んで補完してね」と言われているような気分がしてきます。他媒体での補完が必要な作品と言うのは、それ自体欠陥品であることを自認しているのと同じなのですが。

 

Re: これがキングギドラ・・・ - なんじぇい (?)

2018/09/29 (Sat) 11:18:25

私としては「まあギドラだし……『キング』ギドラではないし……」という思いです。
ただキングギドラの亜種にデスギドラやカイザーギドラがいましたが、それでも「三つ首」「でかい羽」というキングギドラ最大の要素は守られていたので(これによってギドラ族だと判別できる)、あまりギドラらしくはないかもしれませんね。
ちなみに個人的には、3匹の宇宙竜ナースにしか見えませんでした。

スピンオフに関しては難しいところですね。
あの世界に冠たるスターウォーズも山のような小説と設定資料集などによる大量の後付け設定(特にデス・スター関連)がありますため、メジャーなブランドになったら金儲けのために仕方ないのか……という諦感が先に立ちます。
ただ小説版と言っても、本編ではどうでもいい端役が人気が出た場合に作られたものなんかは良いな、とは思います(そのキャラのファンでなければ読まなくても全く問題ない上に、視聴者のニーズに応えているため)。
まあ、アニメゴジラにはそういうキャラクターは世間の風評を見ても聞いたことがないため、そういうものはないのでしょうね。



とにかく、あまりにも詰まらなかった第2作(個人的には断トツシリーズ最低作)から少しでもマシになってくれることを願うばかりです。
もっともマシになっても、既に悲惨な興収を叩き出しているため、客数はどうしようもないでしょうが……
それでも世間での売り上げや評価などに関してもアニメスタッフには猛省し、少しでも挽回してほしいですね。

Re: これがキングギドラ・・・ 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/30 (Sun) 16:35:11

んーー、キングギドラではなくてギドラということなんでしょう。

 三匹合体して最後にキングギドラになるとか?
(モンスターXが変形してカイザーギドラになったのと同じ発想かな?)

 もはや何の期待感もありませんが、一応見るでしょう。
そして何がダメかを書いておかなければ・・・。

 ほんとにお願いしますよ。怪獣映画がなぜジャンルとして人気を得たのか、過去の作品を分析考察して何が大衆の心を掴んだのかを見極めて下さい。その核を外さないような作品作りが求められるのです。
 従来には無かったことをやればそれでいいというものではありません。
 新規=正当ではありませんよ!

映画の絵面やインパクト優先の演出ってどうなんでしょう? - なんじぇい (?)

2018/09/24 (Mon) 21:56:45

エクセルシオールさんのお話に便乗しての話題です。
この場合の『インパクト優先』とは、映画の絵面の面白さやインパクトを、リアリティより優先する演出にしたものを指します。

例えを出すと『ゴジラ2000ミレニアム』で、ゴジラと自衛隊が戦う際に、自衛隊の戦闘機がゴジラにミサイルを命中させる時、明らかに現実では不可能な角度で全機急上昇する動きが出てきます。
ところがこれは、『ゴジラ2000ミレニアム大百科(だったと思いますがあまり確証がない……間違ってたらすみません)』のスタッフによれば、「リアルさよりも絵的な面白さを優先した」のだそうです。

このようなインパクト優先の演出は、他の怪獣映画にも散見されます。
・なぜか戦闘機やヘリが怪獣に不必要に接近する、ひどい場合は怪獣に突っ込んでいく(昔の怪獣映画では特によくありました)
・明らかに現実では成功不可能な作戦を出す(最近ではヤシオリ作戦あたり。あれも樋口氏や庵野氏によれば意図的らしいですが)
・運用方法が明らかに間違っている兵器を出す(イージス艦が接近戦をしたりする)
・見映え重視の超兵器を作成する(『ゴジラVSメカゴジラ』の批評において、意味もなくゴジラ型にするな、そもそもカドミウム弾で倒せるだろ、という批判を書いた本がありました)

並べてみるとこんな感じでしょうか。

このような演出は、特に軍事マニアや評論家などの間で「現実ではあり得ない」等と嘲笑されていました。
そしてこれが行きすぎて、怪獣映画が「幼稚」であり、「大人の鑑賞に堪えるものを出せ!」という批判もありました。この場合、エクセルシオールさんのおっしゃる通り、大人というより局地的なマニアの鑑賞という方が正しいでしょう。


そんな批判をしていた方々が、『シン・ゴジラ』の前半部分のタバ作戦を「大人の鑑賞に堪える」と絶賛していたことはよくある光景でした。理由としては、タバ作戦は自衛隊の兵器運用方法や自衛隊員の掛け声がこれまでの怪獣映画に比べれば大分正しかったからでしょう(逆に言えばそれしか見ておらず、ストーリーの骨子などはあまり気にしていない)。
ちなみに私の友人の軍事マニアは、ヤシオリ作戦自体はリアリティがないため大嫌いでしたが、タバ作戦はお釣りが来るくらい素晴らしかったそうです(ただ細かい間違いはあるんだとか)
それならまだ筋が通っているのですが、なかにはタバ作戦に影響されたか、ヤシオリ作戦でも監督が自ら演出重視でリアリティはないと認めているにも関わらず苦しい擁護をする方もいます。




話が少し脱線してしまいましたが、インパクト優先でリアリティを犠牲にした演出についての是非が私にはよくわかりません。

これは怪獣映画に限らず、戦隊もの(名乗りが長いとか)や仮面ライダーシリーズ(前述しました)や、他の映画全般にも関わってくることです。
私としては、これが気に入らない方たちが「大人の鑑賞に堪える」ものを要求しているのだと思えてならないのです。
彼らの意見にも一理はありますし、それを重視する方からすれば気にしてしまうのも分からなくはないのですが、それを完全に実現した場合見映えがなくなってしまいます。本来のターゲットである子供たちや一般客に対しては大抵マイナス印象となってしまうでしょう。また、そのシリーズのテーマ性に抵触してしまうこともあります。


リアリティと演出の案配はどうしたらよいのか。皆様の意見をお聞きしたいです。

Re: 映画の絵面やインパクト優先の演出ってどうなんでしょう? - 海軍大臣 (男性)

2018/09/26 (Wed) 00:34:48

 以前に「リアリティとリアリズム」に関連して取り上げた事柄とダブる話ですが、これまた匙加減の難しい問題ですね。私個人の意見としては、適正な枠内であるのならば、考証に縛られることなく或る程度までは自由に描いてしまっても良いとは思いますが、それを遣り過ぎてしまうと、ご都合主義や何でもアリといった事態に陥る恐れもある訳ですから、作り手側の節度が求められる部分もあります。
 この点について円谷英二監督は、生前よく「映画とは嘘つきなものだ」と仰っていたと聞きます。勿論、これは円谷さんばかりではなく、黄金期を知る映画関係者に共通する考えだと思うのですが、軍事考証や時代考証、或いは科学考証などといったものの重要さは尊重すべきではあるけれども、劇映画(特に娯楽作品)では、そうしたものを十分踏まえた上で、プラスαとしての脚色が絶対に必要になってくると云われています。これはリアルさに拘泥して作劇が考証内に留まる限り、作品は考証以上のドラマを描けないためだとされています。(これは例えば原作小説とその映画化された作品との関係にも当てはまるそうで、小説やマンガを何ら脚色せずに映画化を行う場合、まず原作以下のものにしかなり得ないことを、往時の映画人たちは骨身に沁みて知っているようです)

 では、円谷さんの云われる「嘘をつく」とは具体的にどんなものかと云うと、例えば劇中の或る場面で稲妻を光学合成で表現する場合、実際のものと同じコマ数や形状ではダメで、そのシークエンスに応じて誇張された表現が必要になってくるのだそうです。これはどういう意味かと申しますと、劇中に稲妻を取り入れる以上、それは観客へ向けて事件の予兆であるとか登場人物の心理状態だとかを印象付ける「手段」としてあるべきで、少なくとも劇映画やドラマにおいては、そうした意味合いを持たない(つまりデフォルメされていない)稲妻などは無用のものに当たるのだそうです。
 更に特撮映画での「考証と嘘」の関係を端的に表すものとしては、よく知られる「沖波と磯波」が上げられます。これは沿岸部分に見られる波(磯波)と太平洋のど真ん中に見られる波(沖波)とは全くは波形が異なるらしいのですが、特撮プールで海戦シーンなんかを撮影する際は、円谷さんは間違っていることなど百も承知で常に「磯波」の波形を波起こし機で表現していたと聞きます。これは観客の大半は外洋航路の船舶に乗ったことなど無いため、忠実に考証を守って「沖波」を用いた場合には、却って客たちに違和感を覚えさせてしまうため、馴染みのある「磯波」の波形を敢えて用い続けてきたのだそうです。以前に海音寺潮五郎の言葉として「歴史小説とは正しい時代考証を講義するためのものではない。寧ろ考証的な嘘を書いてでも、当時の雰囲気を読者に理解させるためのものだ」というのを紹介しましたが、「沖波と磯波」のエピソードにも正にこれと相通じる部分があるのだと思います。

 以上は映画の話術の極めてベーシックな部分に当たりますが、そうした映画作品のクライマックス部分でのなんじぇい様の云われる「インパクト優先の演出」について考えてみると、一部マニア絶賛のタバ作戦の対極にあるのが【ゴジラVSキングギドラ】で描かれた、札幌市街戦ではないかと思います。同シークエンスは既に公開当時から、某軍事マニア誌上で「無人の荒野を進んでくるゴジラをワザワザ人口密集地で迎え撃つのは作戦的に在り得ない」といった批判が出ていました。いわゆるミリ・オタの方々から見れば、あの展開は「☓」なのでしょうが、しかし前出した映画黄金期の人々が作った映画を見て育った私などからすれば、間違いなく「〇」ということになります。どんなに作戦的にはリアルじゃないと批判されようとも、この場合、何もない原野でゴジラと戦車が戦う画ヅラなどよりは遥に娯楽映画の本質(観客が欲する映像を見せるという意味で)を突いていると思われるからです。「売り物に花飾れ」という言葉がありますが、軍事マニアの人間が捉われがちな足枷など気にすることなく、都市部での一大攻防戦というインパクトのある見せ場を作品中に取り入れた大森監督は、やはり娯楽映画の本質を理解されているのだと思います。
 ですから同様に、なんじぇい様が一例とされている航空機やイージス艦が怪獣に接近戦を仕掛けることにつきましても、私などはリアルさよりも、やはり怪獣とメカが一つの画角に収まっているカッコ良さの方を選んでしまいますね。
 以上、思いつきのような纏まりの無い話になってしまいましたが、要するにその映画が娯楽作品である以上は、妙なリアリズムに束縛されるべきではなく、虚実綯い交ぜの節度のある描写が大事なのだと考える次第なのです。

Re: 映画の絵面やインパクト優先の演出ってどうなんでしょう? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/26 (Wed) 18:46:49

 海軍大臣さんの詳細な解説に異論はありません。

 映画におけるリアリズムがどこまで現実と同じであるべきか、に関しては、その作品が目指す方向で千変万化するものと思います。
 現実的な作品であっても、作者の心象風景を描くような作品であれば、現実性など無視しても構わないでしょうし、
非現実の出来事をもう一つの現実としてリアリティを感じさせたい空想作品の場合は作品の中核になる空想部分以外は現実をなぞる必要があると思われます。

 なので、リアリズムと演出上のウソをどうバランスさせるかはケースバイケース、作品毎に論じるしかないのではないかと思ったりします。

 ただ昨今の風潮は演出優先が行き過ぎではないかと感じています。
このあたりの話も昨年12月の「リアリティとリアリズムのこと」(海軍大臣さんのレスタイトル)の流れでも書いてますね。

『東京SOS』でゴジラの熱線が当たった東京タワーが大爆発するのは、私には受け入れられませんでした。
鉄骨が溶解して倒れるという描写であるべきと思うのです。

 2013年8月に日本映画専門チャンネルで放送された特集「特撮国宝」にて。
『連合艦隊』のクライマックスで大和が大爆発する演出について、某特撮監督が中野昭慶監督に対して、
「あれも演出ですよね。・・・・調べたとおりのことを再現するのとは違うじゃないですか」と確認すると
中野監督は「いやでもね、あれは【見たこともない大爆発であった】という当時のセリフ(とおっしゃっていましたが、証言記録の言葉か)一行があるわけ。
見たこともない大爆発っていうのをさ、どういう形にすればいいのかなという、それが根底にあるわけ」とおっしゃっていました。
 私が見たドキュメンタリー(大和だったか武蔵だったか定かでないのですが)でも、生存者の方が、大爆発のとき、空全体が真っ赤になったとおっしゃっていたので、
『連合艦隊』のクライマックスは、リアリズムであろうと受け止めています。

 正しく考証した結果、映画的に大きな見せ場になるのが理想的です。

 たぶん、「さもありなん」という感覚が大事で、しかし、難しいのはその「さもありなん」が人によって違っていることでしょう。
私としては、迷ったらリアルで行け!と考えています。

Re:映画の絵面やインパクト優先の演出ってどうなんでしょう? - なんじぇい (?)

2018/09/27 (Thu) 17:33:53

皆様ご意見ありがとうございます。
このような話題は、どうしても個々の感性に委ねるものが多くなってしまいますね。
ただギドラ様のおっしゃる通り、作品ごとによってリアリズムの案配は確かに変えた方がいいとは思います。

ゴジラ検定 - なんじぇい (?)

2018/09/26 (Wed) 18:29:28

またまたすみません。
東宝が『ゴジラ検定』なる新しい検定を開催するそうです。
https://books.rakuten.co.jp/rb/15629130/
http://godzilla.store/shop/g/gGSG0940001/

検定は多人数の答案を採点せざるを得ない以上、どうしても四択やら語句を回答する問題ばかりになってしまいがちですが、最上級試験にはなんとか論述式の問題を入れてほしいですね……
単なる知識自慢だけではマニアとは言えず、その知識を実際に自ら意見したりするには論述はどうしても必要に思えます。

とはいえ、さすがにキングギドラとカイザーギドラを並べて、どっちがキングギドラか分からないような人が1級を取られても困りますが。

私なら1級の問題は、
『ゴジラがプロレスラー豊登の芸のポーズをした行動の是非について、あなたの意見を200字以上で書け。ただしゴジラが件の行動をした映画の題名を明記すること。』
なんてものにするかもしれません。
知識と自分の意見の両方を訊けますし、純粋に実りになりそうなので(多分意見がまっぷたつに割れる)……

Re: ゴジラ検定 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/26 (Wed) 18:49:43

 ありゃ~、これも東宝によるゴジラ新展開のひとつなんでしょうね。

 んー、ゴジラを一層オタク趣味に持って行きそうな企画だなぁ。

『さらば愛しきゴジラよ』 - エクセルシオール (男性)

2018/09/12 (Wed) 22:21:52

 『さらば愛しきゴジラよ』(佐藤健志著、読売新聞社)。これは1993年に出版されたゴジラシリーズの批評本です。この本を以前読んだのはずいぶん前なのですが、最近久しぶりに読む機会がありました。

 この本の構成は、⓵分析、⓶提言、⓷小説に分かれています。まず、ゴジラシリーズは行き詰っており(当時はVSシリーズの半ばである)、なぜそのようになったのかを分析し、次にシリーズを完結(再生ではない)させるための方法論を提示し、最後に著者自らが
上記方法論に則って「ゴジラ完結編」という小説を書いています。なお、著者は小説について「近年のゴジラ映画より優れていると確信している」と述べています。

 けっこうな自信なのですが、正直、私は分析論に一理ある部分があることは認めつつも、賛同はできませんでした。著者はある種の「初代ゴジラ原理主義者」であり、その後のシリーズ、特に『怪獣大戦争』以降の作品をやれ「お子様ランチ」だとか、「怪獣プロレス」だとかと散々罵ります。驚くべきことに著者は「大人向け」でない作品には価値がないものとみなしているようでした。これはあまりにも偏狭でしょうし、怪獣映画の一番の支持者が子ども達であることも忘却しています。

 次に筆者が「最後のゴジラ映画」を作る方法論がまたすごい。⓵ゴジラを「内からの脅威」として描く(人間社会にゴジラ来襲の責任がある)。そして、ゴジラは人の手によって殺されねばならない。⓶「人間の正義」を否定する。⓷グランド・ホテル方式(特定の場所や事件を媒介として、それと関連した相互に無関係な人々の行動を交互に描いていく方式)を排除するため、主人公はゴジラ撃退に直接の責任を負う自衛官でなければならない。⓸ゴジラ来襲をめぐるドラマは、主要登場人物間における性の葛藤のドラマと重ねられねばならない。⓹主人公にとって、ゴジラ攻撃と自分の性的欲求の充足は、象徴的に同義でなければらなない。どっから突っ込んでいいのか分かりません(⓵前半と⓶については作品の性質によっては重要なこともあるだろうが、それ以外は・・・・)。
 特に⓸と⓹に関しては、著者の特異な初代ゴジラ解釈が影響しています。いくら読んでも理解できない部分なのですが、著者は『ゴジラ』(1954年)を芹沢博士を中心としてみれば「自分の性欲に罪悪感を覚えて欲求を抑え続けてきた性的不能者が、死と引き換えに性的充足を味わう物語」であると考えています。うーん・・・、もはや深読みのし過ぎどころか妄想ですね。

 では、著者が自信をもって執筆した「ゴジラ完結編」とはいかなるものか?これが日本が核武装した世界を舞台に(この時点でずいぶんすごいことになっている)、ゴジラはテレポーテーションで移動して世界各地を襲い、しかもゴジラが暴れた場所には巨大植物や巨大昆虫がはびこって人が住めなくなってしまいます。ゴジラとは地球自体が送り込んだ人類矯正の使者であり、それを倒すことは地球の意思に反するという設定です。しかし、主人公の自衛官はあくまで「人類のため」という大義名分のもと、衛星から放つレーザー砲によって地球環境の破滅と引き換えにゴジラを倒します。面白い部分もありますが、全体的に見れば「なんじゃこりゃ」という代物です。

 何とも素敵なことに、著者は「故・本多猪四郎監督に本書を捧げる」と書いています。ここが一番理解できません。何たってこの本では初代ゴジラ以外の作品の評価は低く、『怪獣大戦争』以降はほぼ全否定しています。本多監督が担当したゴジラ映画も大半が批判の対象であるのに、よくもまあこんなことが言えたものです。本多監督も苦笑いしているでしょうね。

 90年代と言うと特撮やアニメと言ったサブカルチャーのステイタスを上げるために、さまざまな大人向け解説本が出版されだした頃でした。この本もその一つですが、あまりにも珍妙な内容のため、今では「トンデモ批評本」という評価もあるようです。
 ただ、「お子様ランチ」だの「怪獣プロレス」だのといった決まりきったゴジラ映画(特にチャンピオン祭り時代)への悪口は、今でも極めて強力です。いいかげんそのような偏狭な見方こそ払拭されるべきでしょう。
 
 もはや「奇書」の類かもしれませんが、機会があれば目を通してみてください。もしかしたら、何かの役に立つかもしれません。



Re: 『さらば愛しきゴジラよ』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/14 (Fri) 18:30:12

 ありましたねぇ、「さらば愛しきゴジラよ」・・・。
発刊当時たしか新聞に広告が出ていて、早速本屋に走って確認の立ち読みをしました。
当時のゴジラVSシリーズには私もそこそこ不満を抱いておりましたので、ひょっとしたら仲間を見つけられるんじゃないかと期待したのです。

 ところが、ゴジラを殺してシリーズを終わらせるしかないという結論に、なんだコイツもゴジラ=敵論者か、とがっかり。
ほかにもいろいろおかしなことが書かれていて、怒り心頭に。
ガンバレルーヤよしこちゃんのように「クソが!」と叫んで本を書棚へ叩きつけると書店さんにご迷惑なので、
無言でそっと棚へ戻しました。

 その後、雑誌「宇宙船」にたしか当時の編集長が「さらば愛しきゴジラよ」への反論記事を書いていて、
ゴジラファンが頭に来るのは当然だよな、と思いました。

 ちとひっかかるのは、vsシリーズの幕引きがゴジラを死なせる形だったことです。
まさかあの本の影響を受けたわけじゃないでしょうね。

 というわけで、購入してはいないので詳しい内容主張は知らないままだったのでした。

 このたび、エクセルシオールさんの解説でどれほどトンデモな内容だったのかがわかって怒り再発ですよ。

 いるんですよ、フロイト学派か何か知りませんが、なんでもかんでも性衝動に結びつけたがる輩が。
そりゃ、人間が創作する表現には性衝動に結びついた暗喩が多くあるのは認めますよ。
けれども、あれもこれも性的表現なのだと読み解いてみせるのもおかしなことで、
そんな頭で映画を見るなら、作品本来の表現を見逃して自分勝手なエロ妄想を創作するのがオチ。
そう、鑑賞ではなく創作しちゃってるのですよ。

 映画の中にとにかくエロを見つけたい人というのは、どうやら性衝動の話に持って行けば小難しい作品でも簡単に解体して見せたことになると思っているようです。
そして、我こそが真実に気がついているインテリなのだよと言いたげなところが実に鼻につく!

 それより腹が立つのは、そんなエセインテリが書いた妄想をありがたく頂戴して、自分も頭が良くなったように勘違いしている輩。
えー、大丈夫なんでしょうか、アニメゴジラ。
地球環境が木ジラ(ゴジラの1ファンさんの案を使いました)のせいで変化しているわけですよね。なーんか、この佐藤某の「ゴジラ完結編」に影響されているような。

Re: 『さらば愛しきゴジラよ』 - 海軍大臣 (男性)

2018/09/14 (Fri) 19:05:27

「何でも性に結び付けたがるフロイト学派が天体望遠鏡で女湯を覘く」なんて戯れ歌がありましたが、私も当時この本に激怒したクチです。
 ゴジラやウルトラに「アダルトな作風」だとか「大人の鑑賞に堪えうる」といった評価で作品ごとの優劣が付けられるようになったのは、70年代末~80年代初頭に、洋画SFやアニメファンの下風に甘んじていた特撮ファンの状況を打破しようと、池田さんや竹内さんたち先達の一部が書籍やサントラの解説書あたりでやり始めたことだったと思います。
 活字の魔力ではありませんが、一時期、そうした先達たちの書いた意見をそっくりなぞったファン(つまり、自分の意見を待たない人たち)が多く発生していた時期もあって、私のようなヘソ曲がりな作品の嗜好(たとえば【オール怪獣大進撃】が好きだとか)を持つ人間は攻撃の槍玉に上げられたものです。
 何とか特撮ファンの地位を確立しようとした池田さんたちの気持ちは理解できるのですが、悔恨を後世に残してしまったことは残念です。


 それじゃあ、本当に大人向きのゴジラ作品にしか価値が無いかというと、決してそんなことは無くて、ふと以前、ライターの樋口尚文さんがトークショーで語っていられたエピソードを思い出してしまいました。
 樋口氏は幼児期に【ゴジラの息子】を劇場で見ているのだそうです。当然、あのシリーズ屈指の名ラストシーンを目の当たりにして大変な感動を覚えられたのだそうですが、まだ幼児だった同氏は、それを自分の感情として表現する術が判らず、それを抱えたまま家に帰り、夜になって寝てから(映画を観て半日が経っている訳です)突如として号泣し、両親を困惑させたと聞きました。ともかく樋口氏が「映画に感動した」のは初めての体験だったそうで、
子ど向けに「堕した」とレッテルの貼られがちな時期の作品にもこれだけの力があることを、昨今のシンゴジラブームでファンにばられた方々にも今少し理解していただきたいと考えます。
 

「大人の鑑賞に堪えうる」とは? - エクセルシオール (男性)

2018/09/22 (Sat) 22:54:36

 「大人の鑑賞に堪えうる」という言葉自体がそもそも厄介なものであり、その定義自体が実ははっきりしていません。

 一般論から言えば「大人向け」だからレベルが高いとは言えませんし(世の中には「大人向け」のくだらないものが溢れている)、倫理や道徳を重視する観点からは「子ども向け」の方が優れていることはめずらしくありません(例えば、深夜アニメの大半と『アンパンマン』とどちらが倫理的に上かと言えば、間違いなく後者だろう)。

 次に「大人の鑑賞に堪えうる」と言う場合の「大人」とはそもそも何なのかも定かではありません。本来ならば社会における平均的な大人を指すのが筋であるはずですが、特撮等においてそのような扱いになっているとは考えにくい。実際には、多くは特撮等の大ファンやマニアを以て「大人」としている例がほとんどです。しかし、これでは「大人の鑑賞に堪えうる」とは「マニア受けする」と同義になり、基準としてはあまりにも偏ったものになってしまいます。
 実際、「大人の鑑賞に堪えうる」ことを目的として創作が行われた場合、⓵表現が過激になりそれが自己目的化する(特にエロ・グロ・バイオレンス)、⓶設定が複雑怪奇に増殖し多くの人を置いてけぼりにする、⓷ストーリーが陰惨なものになりがち等々の弊害が発生することが少なくない。これはとても支持できる状態ではありません。

 殊に「子ども向け」とされている作品、少なくとも子どもを対象に含んでいる作品で、「大人の鑑賞に堪えうる」という方針で制作されるようになると、大抵は堕落の一途をたどります。平成仮面ライダーシリーズなどがいい例で、特に最初のころはスタッフの一部が暴走して、勧善懲悪を否定し、複雑怪奇・支離滅裂で消化不良の話を作って、ハイレベルな作品であると称していました。「それではもうヒーロー番組ではない」との声は、「批判者が幼稚だ」という一言で切り捨てられてしまったものです。

 「大人の鑑賞に堪えうる」という評価で作品の優劣をつけることは少なからぬ危険をはらんでいると言わざるを得ません。提唱者がサブカルチャーに何とか社会的地位を与えようとした意図は理解できなくもありませんが、かえってその分野を袋小路に追い込んでしまったのではないかと思います(マニアの方しか見なくなった分野は大抵衰退する)。
 「子ども向けで何が悪い」と声を大にして言うべき時かもしれませんね。


 なお、『シン・ゴジラ』に関しては、『さらば愛しきゴジラよ』の著者はあまり好意的ではないそうです。それでこの本の罪過が消えるわけではありませんが。

Re: 「大人の鑑賞に堪えうる」とは? - なんじぇい (?)

2018/09/23 (Sun) 16:26:47

一応私の考えですが、「大人の鑑賞に堪えうる」という言葉は、それまでの同じシリーズの作品に共通する突っ込みどころを何らかの形で説明した場合によく言われているのではないかと思います。

例えばエクセルシオールさんの言われている仮面ライダーシリーズのよく出される突っ込みどころ(特に昭和)ですと……
・悪の組織が戦力の逐次投入という愚策を犯し続ける
・「それで本気で世界征服する気なのか?」と言いたくなる回りくどい作戦を行う
・仮面ライダーや立花藤兵衛などの協力者を捕らえてばかりでいっこうに殺さないというミスを繰り返す
・主人公が悪の組織の計画を見つける方法が、適当でご都合主義的なものが多い

みたいなものでしょうか。

確かに作品やシリーズにこれらの突っ込みどころがあるのは問題であり、それは直すべきでしょう。矛盾や突っ込みどころはないに越したことはありません。
実際『仮面ライダークウガ』辺りでは、「グロンギが一斉に襲撃しないのは殺人ゲームのルールのせいだ」「殺人ゲームのルールによって、犯行の方法に規則性を見つける」などの突っ込みを解消しようとする要素を取り入れており、それらについては突っ込みどころを無くそうとしていると私は好感を持ちました。主人公が正義の味方だったことも大きいです。
しかし「グロンギの目的が世界征服ではない(殺人ゲームなのでスケールが小さくなってしまった。尤も昭和シリーズも突っ込みどころの多い作戦が結構あるので一長一短ですが……)」などの、マイナス面も出てきています。
そしてこの頃から、「大人の鑑賞に堪える」という言葉は使われています。

ところがその後『龍騎』などでは、「大人の鑑賞に堪える」を錦の御旗にして、仮面ライダーが正義の味方であるという作品そのものに繋がる大原則までもねじ曲げてしまっており(大半が悪人ばかり)しかもそれを「大人の鑑賞」云々で正当化してしまっています。
これはシリーズのテーマ性をないがしろにすることであり、明らかに問題です。
私は昭和ライダーの突っ込みどころの多さも誉められたものではないと思ってはいますが、その反動で平成初期のライダーは行きすぎてしまったという見方をしています(その後『仮面ライダーW』辺りで大分まともになったことも含めて)


その為私としては「大人の鑑賞に堪える」などというよく分からないいくらでも拡大解釈できてしまうような言葉を使わず、「突っ込みどころが少ない」という言葉を使った方がいいと考えています。
シリーズとしての大原則をねじ曲げず、なおかつ突っ込みどころの少ない作品を求めたいです。


矛盾や雑な展開がないのはもちろん大事ですが、その作品のテーマ性というものを一番大切にしてほしいですね。
なお、平成ライダーでは雑な展開がないと言っているわけではないです。『仮面ライダー響鬼』の後半などはてこ入れなどの影響によって特に酷かったです。

ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 - エクセルシオール (男性)

2018/08/30 (Thu) 21:18:34

 8月10日に俳優の菅井きんさんが亡くなられました。菅井さんと言えば必殺シリーズの中村せん役など、幾多の作品で活躍された方でしたが、ゴジラシリーズにもたった一回だけ出演されていましたね。

 菅井さんは第一作の『ゴジラ』において、国会の委員会に出席した野党の女性議員の役でした。メインキャラではないし、ストーリーに深く関わるわけでもない。なのにその印象は極めて強烈。ゴジラが水爆実験で目覚めたという事実を隠そうとする与党議員に真っ向から反論し、最後には「バカモノ、何を言うか」と面罵する。当時、20代後半だった菅井さんでしたが、迫力満点で「すごいなあ」と感心したものです。

 ただ、このあたりのシーンは当時の状況を考えると意味深なものがあります。映画公開のつい9年前まで日本は噓八百の大本営発表がまかり通り、真実を述べたりしたら社会的に破滅しかねない国でした。ゆえに「重大だからこそ公表すべきだ」「事実は堂々と公表しろ」という台詞は非常に重要な意味を持っていたと思います。また、隠蔽を図るのが旧世代を象徴する中年男性議員であるのに対し、新しい時代の旗手としてそれに立ち向かうのが若い女性議員であるというのも重要な構成であったと考えます。そう思うと僅かなシーンでしたが、重いものがあります。
 
 私は菅井さんが演じた女性議員はゴジラ映画史上最高の端役だったと思います。ほんの僅かなシーンで彼女以上に強烈なインパクトを残したキャラは他にいません。


 慎んでご冥福をお祈りいたします。 

Re: ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/31 (Fri) 18:26:08

 菅井きんさんは得がたい個性の女優さんでした。
理知的な役も野卑な役もこなせる方だったと思います。

『ゴジラ』でのあの一シーンは、エクセルシオールさんのおっしゃる通り、
映画『ゴジラ』が持ついくつかの重要なテーマのひとつを集約したシーンでしょう。
戦中の大本営発表はもちろん、戦後はGHQによる情報統制もあり、真実から目隠しされてきた日本人です。
 昨今の政治スキャンダルもお役所の隠蔽体質のために真実が見えてきません。
 本多監督の鋭い社会観が光るシーンでもあります。
(政治家が諍いを始めたことを科学者は沈鬱に見守り、新聞記者が薄笑いを浮かべて見ているのもあの映画の深みを示します)

 そんな思いも込めて、菅井きんさんのご冥福をお祈り致します。

Re: ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 - 海軍大臣 (男性)

2018/09/06 (Thu) 22:55:03

 遅まきながら、菅井きんさんのご冥福をお祈りいたします。
 お二人の仰られた通り、あの女性議員の役は戦再スタートした戦後日本の一側面をシンボライズしている気がします。考えてみれば、昭和29年って、講和条約のお陰で自由に映画が創れるようになってからやっと1年経ったばかりの時期なんですね。色んな意味で、正に映画とは時代を映し出すものなのだなと再確認してしまいました。

 ところで、このところ初代ゴジラ関連の噂が頻々と耳に入ってきていて、ちょっと不安です。

Re: ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/10 (Mon) 18:18:49

 遅レスすいません。
親記事から離れてしまいますが、

>このところ初代ゴジラ関連の噂が頻々と耳に入ってきていて、ちょっと不安です。

 えっ、気になるお話。
書けること書けないことがおありかと思いますが、
機会がありましたら、差し支えない範囲で小出しにひとつよろしくお願いします・・。

2も快調! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/20 (Mon) 20:30:47

『銀魂2掟は破るためにこそある』、オッケーです。

 お下劣ギャグ満載の快作でした。
前作では原作やアニメから離れないようにとびくびくしているような雰囲気も感じましたが、
今回は、原作に準拠しているのは当然として、
実写劇場版オリジナルのストーリー構成や設定を持ち込んでいて、かなりのびのびとやっているように見えました。

 と言っても、実写映画は別物だといわんばかりのわがままをやっているわけではなくて、
あくまでも原作やアニメの味を壊さない範囲でのアレンジでした。
(だから納得)

 ただ、今回映画化したのは「真選組動乱編」と呼ばれているパートで、原作およびアニメで見たときから、どうもそのエンディングには納得できませんでした。
 真選組に入り込み、私物化(といっていいだろう)しようとした男が退治されるお話なんだけれど、
その悪役にも同情すべき生い立ちがあった、というのは銀魂によくある人間の悲哀設定でそこまではいいんです。、
しかし、最後に斬り殺して絆を確認、というような劇展開はいかがなものかと、今回も疑問に思ってしまいました。

 悪い奴だったが、一緒に過ごした年月にはそれなりに意味があり、仲間意識もあったじゃないか、というのはわかるのですが、「彼」の犯した罪は「死刑」という形で償わせたと言いたいのでしょうか。
 それでも、裏切り者としてではなく、仲間として斬ってやるのだというような理屈はどうもよくわかりませんでした。

『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 - エクセルシオール (男性)

2018/08/02 (Thu) 22:19:45

 レジェンダリー版ゴジラの第二作目『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』の予告編が公開されました。まだ分からないことの方が多いですが、ゴジラ、ラドン、モスラ、キングギドラの姿が確認でき、予告編から看取できる迫力は相当のものです。

 ただ、ストーリーがどんなものになるのか、予告編からだけでは想像がつかない感じです。「人類は地球の病原体であり、それを排除するために地球は『熱』を出している。地球と人類の滅亡を防ぐためにはかつて地球を支配していた巨大な神々を見つけ出さなければならない」という趣旨の台詞があるのですが(日本語字幕付き予告編から)、正直、「なんじゃそりゃ」という感想もないわけではありません。
 レジェンダリーのゴジラはイマイチその存在について分かりにくいところがあり、ゴジラと言うよりも「平成ガメラ」に近い印象すらあります(そこが前作について何とも煮え切らない印象を抱いた大きな理由)。さて、どうなるでしょうか?

 なお、製作筋によるとサプライズもあるそうです。おそらくキングコング関連のものになるのでしょうが(アンギラスということはないだろう。悲しいが)、興味深いですね。

 さて、もう一つ面白い話題が。ウルトラマンシリーズ以外では最後の巨大特撮ヒーロー番組であった『電光超人グリッドマン』ですが、その『グリッドマン』がテレビアニメになって帰ってくるそうです(今年10月から放送)。この作品は電脳世界を舞台にグリッドマンが魔王カーンデジファーの作り出す怪獣と戦うというコンセプトで、少々時代を先取りし過ぎていたともいわれている番組でした。まあ、初期設定の一部が途中からなくなってしまった等の問題点もあったのですが(例えば、ジャンクというコンピューターは初めは喋れたのに、その後台詞が無くなった)、総じて面白い作品だったと思います。
 特撮ではなくアニメと言う形式ですが、設定やキャラは大きく変えるそうであり、全く新しい物語として楽しめばよいと思っています(なお、グリッドマン役はオリジナル版と同じで緑川光さんが声を担当する。これはうれしい)。

  

Re: 『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/03 (Fri) 19:01:54

 いやー、いま予告編を見てみました。
とにかくレジェンダリー版は別物なので、それはそれとして楽しめればいいかと思っています。
(ゴジラか否かというのは別問題なので、やはりあれをゴジラとは認めませんけれど)

 前作でも匂わされていた、生態系における怪獣の役割みたいな設定を持ち込む感じですね。
 それをやると物語のまとまりは良くなるかも知れませんが、
怪獣から「自由さ」が失われるのであまり歓迎できませんなぁ。
(日本のアニメ版も同じような発想だ)

 ハリウッドの大予算で怪獣スペクタクルをやってくれれば満足しますよ。

 そんなことより、なにをーーー!
グリッドマンがアニメ化ですと!
 円谷プロもリメイクネタが尽きましたか。
「電光超人グリッドマン」は多大な期待を持って見始めたものの、
どうにも納得できなくて途中リタイアでした。
 ごめんなさい。
 今回のアニメ版、脚本があの人なので、うーーーん、不安なりぃ。

確かに不安かも・・・ - エクセルシオール (男性)

2018/08/04 (Sat) 23:02:11

 アニメ版『グリッドマン』のシリーズ構成が長谷川圭一氏というのは、確かに不安になる要素ではありますね。何せ『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』でゴジラの設定を「太平洋戦争で死んだ兵士たちの亡霊の集合体」に大改変して物議を醸し(この作品の脚本家は3人なので全責任を負うわけではないが)、『ウルトラマンネクサス』では「鬱トラマン」と揶揄される陰鬱極まりないストーリー展開で、あわやウルトラマンシリーズを破滅させかけた。二つも重大な前科があるわけですから、心配になってくるのも無理はありません。
 ただ、変な話ばかり書いている人でもないし、監督とかがうまくコントロールできれば、良い出来のアニメになる可能性もありますので、私はそこに望みをつないでいます。

 さて、『グリッドマン』のオリジナル実写版は今年で25周年となるわけですが、私にとって楽しみつつも疑問点も少なくない作品ではありました(リタイアした方がいるのも理解できる)。一番の問題は怪獣との戦いの大半がコンピューター世界で繰り広げられるため(現実世界でも恐ろしい事件が起きてはいるが)、話がこじんまりして見えていたことですね(現実世界に現れようとしたのは第2話のバモラと最終回のカーンデジファーくらい)。また、アシストウェポンと合体したグリッドマンはただの巨大ロボットにしか見えなかったことや、怪獣とのパワーバランスが崩れ気味(サンダーグリッドマンはほぼ無敵だった)であったことなども首をかしげてしまったことです。この作品は無条件で礼賛する人も多いのですが、私としては課題も多い作品だったなと思います。
 ただ、カーンデジファーと悪の少年・藤堂武史のほぼ毎回のやり取りは結構好きでした。武史が何かしら嫌な目にあう→カーンデジファーに愚痴をこぼす→カーンデジファーが「それはひどい。怪獣を使って仕返しをしてやるのだ」云々と言って彼をたきつけて怪獣が作られる。このあたりの構成は何というか「ドラえもんとのび太みたい」と思いました。
 
 再びアニメ版に話を戻しますが、最低限筋の通った面白い話をきちんと結末まで描いてほしい。最近の深夜アニメ事情はかなりひどいものでまともに落ちをつけられない作品が続発しています。それだけはやめてほしいですね。

Re: 『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/07 (Tue) 18:39:22

 そうだったそうだった、敵役の少年がカーンデジファーに恨み節を語るのであった!
すっかり忘れていました。

「グリッドマン」はもっと電脳空間とは何かとか、ネットワーク社会がどうなるかといった思索がこもっていればよかったのに、
と思います。子供向けでもやってやれないことはないと思うんですが・・。

 今度のアニメ版がどうなるのかはまったく未知数ですね。
オリジナル版の設定が使われるのかどうかもわかりませんし。画像を見る限り、電脳空間での戦いではなさそうだなぁ。
やはりまた、タイトルと主役のデザインだけを借用した別作品にするんでしょうか・・・。

 深夜アニメといえば、「深夜!天才バカボン」だけ見ています。
これが良い意味で予想を裏切る快作でした。
原作にはないオリジナル脚本ということでひじょーに心配したのですが、
監督・脚本が細川徹(シティボーイズライブの仕事で知ってました)ということで、なかなかツボを押さえた作風と思います。
赤塚ギャグの味も感じられて、某「◯◯◯さん」みたいに、人気声優を集めてただの打ち壊しをやればそれでよし、みたいになってないのがいい感じ。
(また余計なことを書いたか)

没企画は一部使用されるようです。 - エクセルシオール (男性)

2018/08/07 (Tue) 20:48:17

 アニメ版『グリッドマン』については、かつて日の目を見なかった「幻のグリッドマン第2作目」の設定の一部が用いられているようですよ。

 この没企画は『電光超人グリッドマンF』という作品になる予定だったもので、前作の主人公の一人・馬場一平も登場するはずでした。内容は暗黒宇宙から来た魔界の帝王の侵略から新たなグリッドマンが地球を守るというもです。
 新グリッドマンと合体する主人公の少年の名前が「響裕太」、魔界の帝王の名前が「アレクシス・ケリヴ」、そして魔王によって傀儡にされる少女の名前が「新条アカネ」であり、これらは今回のアニメのキャラクターの名前に用いられています。変則的ですが没企画のリベンジマッチと言った形になるでしょうか。
 なお、グリッドマン本編にも実現できなかった企画が結構あったようであり(例えば悪の超人カーンナイトや最強最後の怪獣ジエンドラなど)、それらもそのままというわけにはいかないでしょうが、アニメ版に何とか活かしてほしいですね。

 さて、アニメついでの話を二つ。まず、エヴァンゲリオン新劇場版完結編のタイトルが『シン・エヴァンゲリオン』だとか。一瞬、悪い冗談だと思ってしまいましたが、題名自体は『シン・ゴジラ』制作より先に決まっていたそうですので、便乗したというわけではありません。ただ、今度は『シン・ゴジラ』の方が何なのかという疑問がわいてきますが。

 次に、アニメ版ゴジラ完結編『星を喰う者』の公開日が決定。2018年11月9日だそうです。この映画は今のところキングギドラが出てくること以外は不明ですが、さて、どうなりますかね。こっちはそもそもきちんと落ちがつくか不安視してしまいます。

Re: 『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/08 (Wed) 18:36:26

 アニメ「グリッドマン」、没企画からとはいえ、オリジナル版からの連携を無視してはいないんですね。
 さて、どうなるか・・・。

・・・
 むかしむかし、「幻魔大戦」シリーズに「真幻魔大戦」なんてのがあったりして、
「シン」と付けたいんでしょうか・・・。
 よくわかりませんねぇ。

 アニメゴジラの顛末がどうなることやら、ギドラちゃんもいじりまくられるのかと思うと憂鬱ですよ。

「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 特撮好き (男性)

2018/07/28 (Sat) 05:42:28

 いきなりの訪問、申し訳なく思っています。
 ゴジラ論についてここまで(失礼な言い方になってしまわれますが)過激な方はお見受けしたことがなく、興味を引かれました。
 恐らくシン・ゴジラの怪獣はゴジラか否かについて言及したまとめ記事はタイトルの物だと仮定して話を進めますが、もし違っていたならご免なさい。
 上の記事に書かれていたことは幾つか疑問に思った箇所があり、その点に関して駄文ながら書かせてもらいます。


>人名だと同姓同名ということもありますが、同じ名前で違う人、というのは避けたい事態ですね。

 鈴木一朗と名の付いた人は日本中に大勢います。イチロー選手のみが鈴木一朗であり、他は鈴木一朗ではない、個体識別が面倒くさいから改名しろ!というのはとんでもない話です。
 また犬や猫などの別種の動物であっても、ペットとして太郎や花子など同じ名前を付けることはあります。

 名前を好きなものにすることはそれこそ自由であり、付けられた名前を変えろと強要することは間違っています。(付け加えるなら、どんな名前で言うかも個人の自由である以上シン・ゴジラの怪獣をちんごじらと呼ぶことも自由です)


>ちんごじら、見た目も出自も生態もゴジラとは違います。
これだけで十分ゴジラではない理由になり得ます。
 違う箇所もありますが、似ている箇所も数多くあります。
 この文は殿様ギドラさんがゴジラと呼ばない理由にはなり得ますが、ゴジラという名前で呼んではいけない理由にはなり得ません。
 また後述する文により、ゴジラと呼んでいい理由も存在します。
 
>それは、ゴジラを著作物と考え、現行の社会の中で法律的にゴジラであるという主張でしかなく、
ちんごじらがゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかという問題とは別です。
 確かにそうです。ですが、ゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかは各々の感情に委ねられる話です。見える、感じられるとなればなおさらです。
 「シン・ゴジラの怪獣は第4形態は初代ゴジラに似ているから、私はゴジラに見えますしゴジラと言います」という論法もこれでは通用してしまうのです。
 相違点をいくら挙げようとも、類似点も数多く挙げられるため、決着がつかなくなってしまいます。


>設定も形も違うのにゴジラと名付けてもいいのなら、その逆もアリではありませんか?
 論理学において、逆は必ず正しくはなりません。必ず正しいものは逆ではなく対偶です。

>ゴジラであるかないかはその内実を問題にするべきで、権威者による命名に頼ることには意味がないです。
 これだけではゴジラと名付けられた怪獣をゴジラと呼んではいけない理由にはなり得ません。
 また内実に関しても上を見る限りでは~に見える、~に感じるなどという個人の感覚に左右されてしまうものでしかありません。
 

 

 殿様ギドラさんが「シン・ゴジラの怪獣はゴジラではない」と言うことは自由です。
 しかし上の内容は「シン・ゴジラの怪獣は私はゴジラには見えない」という意見でしかなく、「私はゴジラに見えます」と言われたらそれまでではないでしょうか。
 殿様ギドラさんがゴジラと呼ばない理由にはなり得ますが、ゴジラファンがシン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼んではいけない理由にはならないのです。

 質問は以上です。急な訪問、急な質問、すみません。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/28 (Sat) 12:02:06

「特撮好き」さん、初めまして。
以前からギドラ氏が「もうシン・ゴジラについては語りたくない」と繰り返されておりますので、傍からしゃしゃり出る様で申し訳ありませんが、私なりの意見を述べさせていただきます。

 私も人名やペットの名前ならば「太郎」でも「花子」でも構わないと思いますが、しかし「ゴジラ」の場合は金銭の絡んだキャラクターネームなのです。しかも桁外れの「お金」が絡んでいるから厄介なのです。数年前に東宝とH監督の御遺族の間で起こった悲しい争い事も、すべて金銭問題から来ていることになります。
 そして、そもそもゴジラが著名なキャラクターであることが、今回の論争の原因なのだと思うのです。
本サイトで私たちが主張している「あの映画の怪獣をゴジラとは呼べない」との意見は、古いファンの感情論みたいに捉えられてしまう惧れがありますが、これを御理解いただくために、ゴジラを陶磁器のような焼き物に置き換えて考えてみたいと思います。
 仮に「A」という人間国宝的な大陶芸家が居て、その人物が創出した「〇〇焼き」と呼ばれる素晴らしい彩色磁器があったとしましょう。A先生は生涯を通じて〇〇焼きを作り続け、絶大な評価を得ましたが、やがて亡くなってしまいます。陶芸界では当然、その技術は弟子や子孫代々によって継承されては行きますが、それでもA先生のパーソナルな部分までは伝承される訳ではありません。その一派を取り巻く社会環境の変化次第では、代を重ねる内に衰退してしまうこともあるでしょう。
 そして、その流派が完全に途絶して十年ばかり経た後(それでも「〇〇焼き」自体は高い人気を保っていたとして)に、嘗てA先生を経済的に支援していた企業が全く無関係の若手陶芸家を押し立てて、似たような陶磁器(見た目は似ていても、釉には化学染料のみを用い、窯の焼成温度の管理はコンピューター任せだったりします)を売り出して、これに「新〇〇焼き」と名付けた場合に、法的な命名権は元のパトロン企業にあったとしても、これを買う側の人間までがオリジナルの「〇〇焼き」と「新〇〇焼き」を同列に論じることに、私は疑問を感じてしまうのです。私どもの云うところの「あの映画の怪獣をゴジラとは呼べない」とは、そうした理屈に依拠していることをお分かりいただきたいと存じます。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 特撮好き (男性)

2018/07/29 (Sun) 01:33:31

 海軍大臣さん、返信感謝します。
 海軍大臣さんの言わんとしていることは理解できます。私は「どんな名前で言うかも個人の自由である以上シン・ゴジラの怪獣をちんごじらと呼ぶことも自由です」と記述しています。シン・ゴジラの怪獣を私はゴジラとは思えないと主張するな、と言っている訳では決してないのです。
 シン・ゴジラの怪獣をゴジラとは呼ばない自由はもちろんあります。ゴジラと思わない自由もあります。私はゴジラとは思えない、と主張するのもむろん自由です。

 私が述べていることは、シン・ゴジラに登場する怪獣をゴジラだと感じたりゴジラと呼んだりする自由もあり、それを殿様ギドラさんが否定するのはおかしくありませんか? ということです。
 海軍大臣さんの例えで言うなら、「新○○焼き」が「○○焼き」と似ている部分が、その人にとっては○○焼きの肝と思える部分であれば、また○○焼きの好きな部分が受け継がれていたと感じるなら、その人は○○焼きと呼んでも問題はないのではないでしょうか? という形です。

 繰り返しになりますが、殿様ギドラさんは「ちんごじらがゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかという問題とは別です。」とおっしゃっています。
その通りです。感じられるか、見えるかは個人の感覚です。その感覚を否定することなどできません。何をゴジラらしいと思う感覚など千差万別です。

 しかし殿様ギドラさんは上の記事においても他の人がシン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼ぶことを否定し、「『シン・ゴジラ』という蒙昧を斬る(ゴジラファンとして)」においては、
>その魅力とは何ですか?
『シン・ゴジラ』にそれはありましたか?

あった、というなら、ずいぶん浅いゴジラ観をお持ちですね。

とおっしゃられています。個人の感覚が大きく関わってくる問題にここまで強い言葉で否定する理由は何故なのか、知りたかったのです。


 シン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼んではいけない理由も前にも述べた通り、いまいち筋が通りませんでした。

 以上です。感情的な物言いになっているかもしれず、その場合は申し訳ないです。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/29 (Sun) 22:14:44

「特撮好き」さんへ。
 私が申し上げたことへのご意見に関してなのですが、

>海軍大臣さんの例えで言うなら、「新○○焼き」が「○○焼き」と似ている部分が、その人にとっては○○焼きの肝と思える部分であれば、また○○焼きの好きな部分が受け継がれていたと感じるなら、その人は○○焼きと呼んでも問題はないのではないでしょうか? という形です。

 の部分につきましては、完全に「問題あり」と愚考いたします。
 この場合、「新○○焼き」であれ「復古○○焼き」であれ、オリジンの「○○焼き」とは厳密に区別されねばならないからです。何故なら「似ている部分が、その人にとっては○○焼きの肝と思える部分であれば、また○○焼きの好きな部分が受け継がれていたと感じるなら」といったことで、受け手がこれを勝手にオリジンといっしょくたにして呼び始めてしまえば、これまで先人たちが真摯に編んできた陶芸史というものが著しく貶められてしまうからです。これは我が国の特撮史を俯瞰する場合にも当てはめられることで、今では「昭和ゴジラ」と一括りにされている作品群についても、80年代初頭に「ネオフェラス」や「ゴジラ復活委員会」で活躍されていた先達たちは、「円谷ゴジラ」と「中野ゴジラ」を峻別していたことが思い出されます。
 前回、私はオリジナルとそれに寄せて作ったものは同列には論じてはいけないことをお分かりいただきたいと思い、敢えてゴジラを判り易く陶芸に置き換えた「譬え話」にした訳なのですが、そのついでに申し上げますと、昔、全国的に大変な注目を集めた「永仁の壷事件」と呼ばれる贋作騒動がありました。もしよく似ているから、或いは好きな部分が受け継がれているから「新○○焼き」を「○○焼き」と呼ぶ自由が認められてしまうのであれば、オリジナルそっくりに捏造された「永仁の壷」だって「本物」と呼んでも良いことになってしまします。でも、それは社会的規範であるとか公序良俗といった観点からは絶対に許されないことです。
「シン・ゴジラに登場する怪獣をゴジラだと感じたりゴジラと呼んだりするのは自由である」と仰る気持ちも分からないではありません。私も表現の自由、発言の自由は尊重すべきだと思います。しかし、社会的規範や公序良俗を捻じ曲げてまで主張される自由など在ってはならないものなのではないでしょうか? 以上の理由から、少なくとも私にはギドラ氏が、他の人がシン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼ぶことを否定することに疑念を持たないでおります。

 ところで映画【シン・ゴジラ】が公開されて、本日で丸二年になるそうです。以前にも本サイトで似たようなことを書きましたが、二年経っても相変わらずこのような議論が交わされていること自体、まんまと作り側の掌上で踊らされているみたいで、たいへん忸怩たるものを感じてしまいます。

 以上、だいぶ舌足らずな論旨になってしまいましたが、お目通しいただければ幸いです。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 特撮好き (男性)

2018/07/29 (Sun) 23:42:20

 海軍大臣さんへの返信です。

>これまで先人たちが真摯に編んできた陶芸史というものが著しく貶められてしまうからです。
 なぜ貶められてしまうと断定しているのでしょう。人によっては、これまでのものをより発展させたと感じることもあるでしょう。先代より良くしたと感じることもあっていいはずです。むろん貶められたと感じることもあっていいですが、断定するのは何故でしょう?
 どんなアレンジをしてもそれは先代以下のものだと無条件で断定しているのでしょうか。理解できません。


 また社会的規範は「社会や集団のなかで,ある事項に関して成員たちに期待されている意見,態度,行動の型」です。これはブリタニカ国際大百科事典から抜き出しています。
 「みんな圧力に負けずに正直になろう!」とおっしゃっている殿様ギドラさんに賛同する方が、社会的規範というものをいきなり持ちだそうとすることはいけません。(他にも同調圧力に対する批判はこの掲示板に多く見られます。)
 普段は同調圧力に反対されている方に無批判にも関わらず、都合のいいときだけ多数決じみたものや同調圧力を持ち出しているのは不公平であり、筋が通りません。

 更に社会的規範や海軍大臣さんが前に少しおっしゃった金銭の問題を持ち出すなら、これを持ち込むのは気が引けますが、社会的に多数の賞を取り、ほとんどの評論家が絶賛し、興行的にも成功を収め、基本的に礼賛意見が多数を占め、この掲示板によれば同調圧力があるとされる『シン・ゴジラ』は社会的規範となる映画になってしまいます。
 だからと言って批判してはいけない等ということはないですよね。

 以上です。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/30 (Mon) 20:18:32

 丁寧な物言いを装ってはいるようですが、質問と称しながら自己の主張を述べているだけなのですから、なんともかんともです。
そして海軍大臣さんにご迷惑をかけてしまったことは誠に申し訳ないです。
二年も前の記事にいまさら噛みついてくるような人には、残念、タイムアウトです、と言いたいところなんですが、
読んでいる人のことを考えて何か書いておきますか・・・・。
 レスのほうでもいろいろ難癖をつけてきていますが、まー、その手触り、初めてではない感じだなぁ。
(文章の一部だけ抜き出して文脈から切り離し、表面的な反論を試みるやり口は懐かしい感じまでする)
親記事へのレスしか書きませんよ。


>物体でも事象でも、なんらかの存在を識別するためにあるのが名前。
>人名だと同姓同名ということもありますが、同じ名前で違う人、というのは避けたい事態ですね。

と私は書いています。

 現実に同姓同名があることは承知の上で、人名であっても可能なら同姓同名は避けた方が良いのじゃないか、と言っているわけです。
どんな名前を付けようが自由だとしても、周りの人間にとっては同姓同名はややこしいでしょう?
二年前の記事に足りない点があったとすれば、架空の生物であり創作物である怪獣なら別種の物には違う名前をつけるべきだと説明すべきだったということでしょうか。
それぐらいのリテラシーを読者に期待してはいけませんかね。
(とはいえ、これまた同名の別怪獣は存在する。それは作り手のチェック漏れでしょうね)


 見た目も出自も生態も違う動物に同じ名前を付けることは正当化できませんよ。
ひょっとしたら、まるで別種の生き物が同じ名前で呼ばれている例があるかもしれませんが、それは、上述の人名問題と同じく避けるべきことでしょう。
(ゴジラとちんごじら、鳥のキウイとキウイフルーツ並みに別種だ。混同しないように、果物のほうはキウイフルーツと呼ぶのである)

>しかしながら、ゴジラの権利を持つ東宝がゴジラ名で発表したんだからゴジラなのだ、という主張もあり得ます。
>それは、ゴジラを著作物と考え、現行の社会の中で法律的にゴジラであるという主張でしかなく、
>ちんごじらがゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかという問題とは別です。

と私は書いています。
 ここで言う、感じられるか見えるか、というのは、内実や外見を合わせた総体としてゴジラであるか、ということを言っているのであって、
個人の感覚においてゴジラと感じられるかどうかと言いたいわけではありません。

 ゴジラに対して造詣が深い人であれば、たとえ設定や物語上の歴史が同じでも、円谷英二によるゴジラ、有川貞昌によるゴジラ、そして中野昭慶によるゴジラにも差異を感じるでしょう。
そんな個人の感覚レベルの違いまでを問題にするともはや新作ゴジラ映画など作れなくなりますから、
初代・二代目と同じ設定のもののみをゴジラと呼ぶべきだと申し上げているのであり、外見に対してどんな基準を適用すべきなのかは、難しい話だなぁといつも悩んでいます。
(モスラ対ゴジラでのゴジラあたりを基準にするのがいいんじゃないかなどと書いたこともありますね)


 私は
>それから、ちんごじらとは逆に、設定も形もゴジラと同じで別の名前をつけられた怪獣が発表されたなら、誰もがゴジラのパクリだと批判するのではないでしょうか?

>さあ、変ですね。
>設定も形も違うのにゴジラと名付けてもいいのなら、その逆もアリではありませんか?

と書いたのです。
 ここでいう「逆」とは論理学用語の逆ではありません。
特撮好きさんの主張によると、どんなものでも命名は自由だということらしいので、設定も形もゴジラと同じ物に別の名前がつけられていでも平気なのでしょうけれど、
では、

 Aという名前のものは、αという設定・デザインであるという命題を考えましょうか。
 この命題を真とするなら、
その論理学でいうところの対偶を取ると、
αではないならAではないということになり、それも真であることになります。
 当たり前だと思うでしょうか。しかし、それは、「名前」という言語の機能を定義通りに使っていた場合のこと。
 上記の命題に加える形で、
 Aという名前のものにβという設定デザインが与えられたとすると、
その対偶は、
 βではないならAではない、となります。

 これは正しいでしょうか。αであるAも存在するのですよ。となるとβではないならAではないとは言えないことになります。
二番目に書いた命題の対偶は真ではなかった。ということはAという名前のものにβという設定デザインを与えるという命題は偽です。
 整理するとこういうことです。
 Aという名前のものがαという設定・デザインを持つとき、
Aという名前でβという設定・デザインを用いるのは「偽」である。

 ゴジラの設定・デザイン改変問題はまさにこれである。
つまり同じ名前で違う物というのは論理的に問題ありということです。

 とかなんとか書きましたが、特撮好きさんは命名は自由であり、中身も見た目も違っている同じ名前のものがあっていいじゃないかとおっしゃっているので、
ある意味、何を言っても無駄でしょうね。

 お読みになった方々が何を考えるか、に期待します。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/30 (Mon) 22:50:47

「特撮好き」さんへ。まずは誤解されているポイントから申し上げます。

>なぜ貶められてしまうと断定しているのでしょう。人によっては、これまでのものをより発展させたと感じることもあるでしょう。先代より良くしたと感じることもあっていいはずです。むろん貶められたと感じることもあっていいですが、断定するのは何故でしょう?
 どんなアレンジをしてもそれは先代以下のものだと無条件で断定しているのでしょうか。理解できません。


 の部分です。これまで焼き物に譬えてお話してきましたので、それを踏んで続けさせて貰いますと、代々「徳田八十吉」を名乗る陶芸家がおります。彩釉磁器と呼ばれるすばらしい焼き物を作られており、代が変わっても常に釉薬や土、焼成温度などの研究を怠らず、この流派を発展させてきました。私は何もこの流れを否定しているのではありません。これを東宝特撮史の流れに当てはめるならば、戦前期に円谷監督がスーパーインポーズ機を改造して作った1ヘッド式の「エルネマン」と呼ばれるオプチカル・プリンターをスタートとして、戦後の35㎜ネガ横流し式のトーホー・バーサタイル機の開発、そして4ヘッド式のオックスベリー・シリーズの導入を経て、代替わりした川北監督時代でのデジタル合成の導入、といったことになるのだと思います。つまり、これが貴兄の云われる、

>先代より良くしたい

 といった進取気鋭の発露だと思いますし、私はそのことで「陶芸史が貶められる」などとは一切申したつもりはありません。
ここで私が申し上げたいのは、別の陶芸家(例えばコピーの名人である加藤陶九郎あたり)が作った似たような焼き物が、真物の「徳田八十吉の彩釉磁器」として世の中に罷り通ってしまうような事態が起きた場合に「陶芸史が貶められてしまう」ということなのです。永仁の壷のところでも書きましたが、幾らよく似ていてもコピーを真物と言いくるめてはいけないと云うことです。この辺りは今一度拙文を読み返していただければお分かりになられるのではないかと考えます。

 また「社会的規範」の言葉を用いたことにつきましてですが、そのブリタニカ国際大百科事典にある、「社会や集団のなかで,ある事項に関して成員たちに期待されている意見,態度,行動の型」との定義を眺めるかぎり、「特撮好き」さんの仰られる、

>多数決じみたものや同調圧力

 のニュアンスまでは読み取れないのではないように思えます。何だか拡大解釈されている気もしますが、もし私が「社会的規範」という言葉を用いたことが問題であるならば、これを「この世で私たちがまっとうに生活していく上で持たねばならぬ良識」と読み替えてください。(前にも書きましたが、舌足らずですみません)何も私は数の理論みたいなものを振りかざすためにこの言葉をチョイスしたつもりはないのです。例えば、スーパーで特売品の卵は「お一人様、2パックまでです」と決められていたら、真面目にそれを守るといった意味合いであり、これを「何パック買おうと、俺の自由だ」と主張することが宜しくないのは云うまでもないことでしょう。
 ですから、この「社会的規範」という言葉の解釈を巡っての行き違いがあったとしても、私には最初から数の理論など持ち出す気など無い訳ですから

>普段は同調圧力に反対されている方に無批判にも関わらず、都合のいいときだけ多数決じみたものや同調圧力を持ち出しているのは不公平であり、筋が通りません。

 と仰られても、残念ながら「そうですね」とも「違いますよ」とも申し上げようがありません。このあたり、お分かりいただきたいと存じます。

訂正 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/30 (Mon) 22:53:46

☓読み取れないのではないよう→〇読み取れないように


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