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ギドラの巣「新」映像作品掲示板

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ただいまゴジラ祭り開催中!
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いなくなられたら困るの! - リザベッカ (女性)

2020/01/24 (Fri) 10:22:49

円光 美少女! 巨乳爆乳おっぱいJKが援助交際 援交女子校生が種付け中出しハメ撮りSEXの膣内射精 個人撮影

動画:https://warupu.com/watch.php?v=oMq0gmwBaayHCvz1ZBT0&t=spill

上原正三さん - なんじぇい (?)

2020/01/12 (Sun) 23:35:41

上原正三さんが亡くなられたそうです。

ウルトラシリーズに燦然と輝く大傑作、帰ってきたウルトラマンの『怪獣使いと少年』を書かれた、差別問題にも果敢に斬り込まれた方でした。

現在、『怪獣使いと少年』はここで無料公開されています。
https://galaxy.m-78.jp/tv_9-6.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=200110_uehara

謹んでご冥福をお祈りします。

Re: 上原正三さん 殿様ギドラ (男性)  URL

2020/01/14 (Tue) 16:13:27

 子供向け番組にこだわった方だったという印象です。
 意外な作品で脚本を担当していたりしてぎょっとすることもあったように覚えています。

 やすらかにおやすみください・・・・。

Re: 上原正三さん - エクセルシオール (男性)

2020/01/17 (Fri) 22:15:39

 日本の特撮やアニメの歴史を語る際、決して外すことのできない偉大な脚本家でした。時に非常に厳しい深刻な内容の話を作りながらも、子どもが観るということを決して忘れない方だったと思います。ウルトラシリーズにおける功績は金城哲夫さん、佐々木守さん、市川森一さんと並ぶものでありました。

 有名な「怪獣使いと少年」は単発だから許される異色の作品でしたが、人の差別意識、心の闇を鋭くえぐったエピソードでした(ウルトラマンの正義は全く無力だった)。今では佐々木さんの「故郷は地球」、金城さんの「ノンマルトの使者」と並び、ウルトラシリーズ三大悲劇と評されています。
 なお、『ウルトラマンメビウス』で「怪獣使いと少年」の続編が作られていましたが、非常にひどい内容で当時私は怒りに震えたものです(制作したこと自体が間違いである)。

 何というか近年は上原さんの上っ面だけを撫でたような、ただ暗いだけの作品を作って悦に入るクリエイターが増えました。情けないことです。
 
 謹んでご冥福をお祈りいたします。

シン・ゴジラの設定がああなった理由が遂に分かりました - なんじぇい (?)

2020/01/12 (Sun) 23:24:32

ギドラさんは「ゴジラは自然の生物であり、人為的に作られた生物ではない」とおっしゃっており、私もそれに賛同します。
しかしなんと、庵野監督はギドラさんとは真逆とも言えるゴジラ観を持ち、その結果が『シン・ゴジラ』に繋がったそうなのです。

「ジ・アート・オブ・シンゴジラ」の495ページの庵野監督のインタビューから丸々抜粋します。
本人監修の本人の口から発したインタビューなので、これ以上に正確な理由はないと思います。


「僕は『ゴジラが自然発生する』という設定はゴジラの定義から外れると思っていました。自然の中にいた生物が、人間の手によって悲劇を背負った存在になる。それがゴジラの定義だろう、と。
とはいえ、幸い現代では地上での核実験もやっていないし、核廃棄物の側で自然に育ってゴジラになってしまうような設定では、リアリティが足りない気がするんです。偶然にしても意図的にしても人工的ななにかが加わらないと、今の観客はゴジラの設定を納得しないだろうと。
それと、水爆実験がゴジラの誕生の原因という設定を鑑みても、戦争のメタファーも本作では外せないだろうと。なので、人間の業や科学の業も加わらないとゴジラにならない気がします。」


つまり庵野氏は自然発生するゴジラをゴジラの定義と思っておらず、更にゴジラがもともとあの姿をしていたり、人為的な影響が加わっていない状態だとリアリティがないと考えたのだそうです。

また変態に関しても、これもいきなり二足のままあんな巨大生物が出てくるのはリアリティがないと考えてしまったのだそうです。
https://news.yahoo.co.jp/byline/sakaiosamu/20160812-00061026/
からです。
「生物体として庵野さんがおかしいって言うんですよ。あんなでかいのに二本足で立ってるってのも。完全生命体だから自分で進化できる設定にして、進化する過程で直立してるんだってことで説得されちゃいました。」



意外にもこのようなゴジラ観を持つ人々は多数おり、あんな姿格好の生物がいるわけがないから進化した結果ゴジラに近い姿になることはリアリティがあってよいと絶賛する人々は大勢います。
自然にあんな生物がいるわけがなく、人為的な影響が加わらないとリアリティがないと考えてしまう人も、現代科学発展の業かこれもかなり見かけます。


このような意見に対してはどのように反論すればいいのでしょうか。
また観客たちにゴジラの設定でリアリティを感じさせる方法も、また分かりません(そんなのあり得ないと思われてはおしまいである)。
皆様の意見をお聞きしたいです。


これはとても大事なゴジラ観の問題であり、庵野氏以外にもこのような意見を持つ人はかなりいるため、『シン・ゴジラ』で立てさせていただきました。

賢しらに浅薄なことを言う奴は嫌いだ 殿様ギドラ (男性)  URL

2020/01/14 (Tue) 16:07:06

 なんじぇいさんの不安を解消することになりますかどうか。

 『ゴジラ』(1954)で提示されたものがゴジラの設定です。
それを書き換えてもゴジラであるとするのは論理的に間違っているとしか言えません。
(これは劇中での山根発言をすべて受け入れろという意味ではありません。ジュラ紀を200万年前とするなどその意図は別として明らかな誤謬は引き継がなくていいでしょう)
本来のゴジラが現代社会において訴求力を持たないと考えるなら、ゴジラ映画を作るべきではありません。

 そして元祖ゴジラは現代においても十分通用する設定を持っています。
 水爆による放射線、熱線を受けながら生きながらえている生物というのは、
「人類科学が未だ解明しきれない大自然の謎」を体現する存在として現代人に突きつけるべき映画装置です。

 これをリアリティがないと否定するのは、科学とは何かという観念が間違っているからでしょう。
科学とは論理で宇宙の現象に法則を見いだそうとする行為であり、そこには法則化しえない現象の解析も含まれます。
また科学とは常に書き換えられるものであり、数学的に正しく見えても実際の現象を説明し得ないものは捨てられます。
ガリレイ変換(その内容はネットなどで調べて見て下さい)は一見正しく見えますが、真空中の光速がどんな系でも不変であるという事実によって捨てられました。
怪獣は現象として描かれます。科学で説明する必要はありません。
現在の人類科学など、宇宙森羅万象を何も分かっていないし、大自然の業をコントロールすることも出来ていません。
そんな科学の不備を体現するのが怪獣です。

 つまり、大自然の不思議を体現させるためには、科学では説明もコントロールも出来ないものを描く必要があるのです。
リアリティを持たせるためと称して科学知識を援用するのは、本来のテーマを失わせる結果になります。
現在の科学で説明出来るものを用いて科学では未だ説明出来ないものを象徴するというのは論理矛盾です。
 このあたりは怪獣映画観が違っていると異論が出てくるのでしょう。
怪獣を人間の行いを象徴するものだと考えてしまうと別の手法を使うことになりますが、私が唱える怪獣映画観は『ゴジラ』(1954)以降おおむね1970年代(第二次怪獣ブームまでか)までの
怪獣作品から読み取ったものです。例外作品はあるにせよ、怪獣を科学知識の外にあるものとするのは共通了解事項であったはずです。
(テレビの怪獣ドラマにおいてウルトラマンが必要になったのはなぜかを考えよ)

 また、人為的だの進化だのとご託を並べても、ちんごじらのどこに科学的リアリティがあるのでしょう?
説明を付けた結果、突っ込みどころが増えただけです。
(◯◯の考え休むに似たり)

『ゴジラ』(1954)はもちろん『キングコング対ゴジラ』においてもかなり明確に「説明出来ないのが怪獣である」という主張が繰り返されています。
これを読み取ることが出来ず、大昔の怪獣否定派の主張(科学的にあり得ないから下らない)を受け入れて、
人為的に作ったなら怪獣もあり得るとするのは、怪獣映画の大テーマ、科学はまだ大自然を解明し切れていない、を否定する態度です。
怪獣が人為的にしか生まれ得ないものであるなら、すべては人間の業となり人間の知識を超える存在を提示することは出来ません。

 ゴジラ以外の、とくにアメリカ産の怪獣には放射線で変異した生物が多数でてきますから、ゴジラもまたその仲間入りさせられてしまった過去はあります。
ゴジラの説明に「核実験の放射線で恐竜が変異した」という解説が書かれていることも多かったです。(さすがに最近はそんなバカ解説は減りましたが)
庵野発言での「ゴジラの自然発生」にしてもよくよく読むと放射線の影響でなんらかの生き物が怪獣化するという意味で使っているように見えますね。
 元祖ゴジラの、核実験の結果もともといた怪獣が人類社会に出現した、という設定で科学の誤用・ひいては戦争の問題を含ませることは可能です。
元祖ゴジラはゴジラの存在そのものは大自然のなせる業で、しかし、人間の目に触れないところで生きていたものが世界を脅かすものとして出現したのは、
人間の過ち、という構図を作っているのです。

 それぐらいのことは『ゴジラ』(1954)をちゃんと見ていればわかることです。

 さて現代の観客が大自然が生み出した怪獣を受け入れないのかどうか。
レジェンダリーゴジラの設定はどうだったでしょう?
あれをリアリティがないとして否定する意見がどれほどあったのでしょうか?
ゴジラに限らず、さまざまな怪獣・怪物映画が作り続けられてきた結果、じわじわと現象としての怪獣を受け入れる素地が出来上がっていると見ます。

 怪獣を科学で説明してはいけない。(怪獣の定義は広いので例外があり得ることは重々承知で敢えて断言)
劇中で、現代科学では説明のつかない存在が怪獣なのだという表現をしっかりと行えば(『大巨獣ガッパ』にもそのようなくだりはある)、
科学を過信する蒙昧な人々からの批判にも揺らぐことのない作品になります。
 もうひとつ言えば、あり得ないことを実在感をもって描き出すからこそ怪獣映画はおもしろいのでしょう。
ちんごじらだって科学的にはあり得ませんよ。
あのエセ科学解説のいい加減さたるや、『ファイナル・ウォーズ』と大して変わりません。

 補足として・・・。
 ゴジラはこうあるべきと唱える人の多くが映画作品そのもので描かれた元祖ゴジラに立脚せず、
漠然としたイメージや評論本などの言説を基にして結局は独自の怪獣を創作しているのは困ったものです。
 現在ではゴジラを名乗る別の怪獣が増殖してしまったので、それらをすべてゴジラとして捉えてしまうとゴジラのイメージは曖昧となり、
自分が思いついたものもゴジラでいいじゃないかと考えてしまうのかも知れません。
 ゴジラは怪獣の中の一種類であり怪獣であるならゴジラであるとは言えません。

Re: 最後の質問です - なんじぇい (?)

2020/01/14 (Tue) 20:27:57

ありがとうございました。改めてシン・ゴジラはゴジラではないこと、そして庵野氏の言う「人為的な怪獣ではないとリアリティはない」という意見が完全に間違っているということがよく分かりました。


最後に1つだけ質問をさせてください。
というのも、これが庵野氏の怪獣映画に関する主張であり、またシン・ゴジラを擁護する人達の意見の根幹であるからです。



庵野氏は「ゴジラは虚構の生物なので、ゴジラに関してはリアリティのためあえてそれらしい科学解説はつけているけれど、実際はよく考察したら滅茶苦茶である」という発言をしています(これに関してはソースが見つかりませんが、私も見たことはあります)。

またゴジラは虚構の存在なので、飛躍した存在を持って倒すしかないという発言をしています。
これはジ・アートに記述されてあります。抜粋します。
「いつスーパーXを出そうかとも考えていました(笑)。やはり超兵器を出すしか、ゴジラに勝てる方法がないんですよ。飛躍した存在を倒すには、同じくらい飛躍した荒唐無稽な攻撃方法が必要なんですね。無人在来線爆弾を思いつくまでは、心底苦しかったです。
怪獣という存在に対し新たな虚構として銀色の巨人を発明するのも分かります」
「ヤシオリ作戦のシーンは電車も建機も航空機もあえてミニチュアっぽく描いています」


すなわち庵野氏は、リアリティのため科学解説はつけるが、飛躍した存在であることを示すために一見リアルに見えるがよく見たら滅茶苦茶な科学解説にし、在来線爆弾や凝固剤というリアルには見えなくもないがよく見れば滅茶苦茶な方法で倒したそうなのです。
この辺りは庵野氏は虚実のバランス、あえてあり得ない描写を積極的にいれているなどと言っています。


「科学をよく知らない一般人には一見リアルな科学解説や撃退方法を見せて引き込み、目ざといマニアにはよく見たら滅茶苦茶な科学解説や現実には不可能な撃退法でシン・ゴジラが超越した怪獣であり、超兵器でしか倒せないことを示している。
よって本作は皆に楽しめる良質な怪獣映画である」という主張です(あえて怪獣映画としているのはゴジラ映画ではないからです)。


ホントかよと言いたくもなるような主張ですが、庵野氏が言っているので演出としてはそうなのでしょう。実際電車爆弾やポンプ車のCGはたしかに稚拙です。


果たしてこれをもって『シン・ゴジラ』は怪獣映画としてはまっとうなものと言えるのでしょうか。
私としては、庵野氏が後で解説しないと演出の意図がわからない人が圧倒的に多いという時点で失敗しているのではないかと思うのですが……



なお、庵野氏の発言で「ヤシオリ作戦はリアルだ。シン・ゴジラは最後までリアルな映画だ」と主張していたにも関わらず梯子を外された思いをした人もいるということは書いておきます。

追記 - なんじぇい (?)

2020/01/14 (Tue) 21:11:20

「ゴジラは虚構の生物なので、ゴジラに関してはリアリティのため~」は私もおぼろげな記憶しかないため、発言の確証はできません。
しかし、庵野氏は「ゴジラは虚構の存在」「飛躍した存在」「メタファー」などと繰り返し発言しており、倒し方も現実では倒せないからわざとよく見たら非現実的であり得ないものにしたと繰り返し発言しています。
またヤシオリ作戦は娯楽映画のため、あえて面白さ重視だそうです。


その為、詳しく書けば
「ゴジラの設定がよく見たらおかしなところが多いのも、ゴジラが虚構の存在なのだからわざとだ。
一般人にはリアリティや娯楽で見せ、怪獣マニアや怪獣映画を子供だましと見ている人には『怪獣は戦争問題などのメタファーを与えられた虚構の存在なので現実では倒せないこと、虚構のものでしか倒せないという皮肉である』という深遠なテーマを与えている。
また怪獣に対しても現実では敵わないことを庵野氏ははっきり言っているという良質な怪獣映画である」

という意見でしょうか。
私も、倒し方をあえておかしくしているのなら、ゴジラの設定もわざとかもしれない……とはどうしても思ってしまいます。

どのみち分かりにくすぎる演出、失敗しているのではないかと思いますが……

まともに相手しちゃダメなんじゃないかな 殿様ギドラ (男性)  URL

2020/01/16 (Thu) 16:04:03

 ゴジラ映画を作ってくれと頼まれて、ゴジラの倒し方を考える時点でゴジラ映画を分かっていない証拠。
たとえ現実離れした殺し方であっても、劇中の人間達(芹沢のような特殊な立ち位置の人物ではない)に殺される(倒される)のではゴジラではない。

 現実には存在しない超生物に現実の科学を超えた架空の理論や技術で説明をつけるのは間違っていないけれど、説明することで科学を超えた存在ではなくなる。
 そして『シン・ゴジラ』の問題点は架空の理論や架空の現象を用いていることではなく、
劇中で提示された設定が既知の科学知識と齟齬を来していることや合理性の欠如、自己矛盾していることである。

 虚構の存在に対しては破綻した説明でも良い、とする考えは理解できません。
ストーリーの信頼度を下げることになんの利点があるのでしょうか?

 なんのことはない、自己正当化しか考えない人が失敗をごまかすときに使う典型的な言い逃れでしょう。
間違いには気がついていたけれどわざとやったんだよ、と。で、わざとやった理由を屁理屈で固める、と。

 庵野発言に対する突っ込みどころはほかにもありますが、
結局、例の、人類紀元を採用している世界であることを気がつかれないように、しかし、はっきりと映像に残していることの卑怯さですべてはばかばかしくなるのです。
我々の世界とは別の地球の話なんですよ。
いくら科学考証に関して正当な突っ込みをいれても、別宇宙の話であると逃げられてしまいます。
(冷却システムを止めるのが目的の作戦の結果、なぜか対象物の温度が下がるなんてわれわれの宇宙では甚だしくおかしなことですが、まったく別の物理法則をねつ造すれば、矛盾ではなくなるでしょう)

 というわけで『シン・ゴジラ』に関して語るのはばかばかしいのです。

ああ我慢できない。ひとつだけ書きます。
 無人列車爆弾が超兵器並みの荒唐無稽な攻撃なんですかね?
レールの上を走ってくる、軌道を変えられないポンコツ攻撃でしょう。ちんごじらが歩き出さなくてよかったね。

『シン・ゴジラ』が特撮だの怪獣だのという枠を超えてダメな映画であることはさんざん書きましたので・・・。(もうほんと止めよ)

全くおっしゃるとおりでした - なんじぇい (?)

2020/01/16 (Thu) 16:26:45

自分も庵野氏の発言はどうにも言い訳に聞こえると思ってはいましたが、ここまで論理的にはっきりと否定されるとモヤモヤから解き放たれたような思いです。
お陰ではっきりとけじめをつけることができました。ありがとうございました。
同時に、長々とお付き合いさせてしまい申し訳なく思います。
これからは自分もニュースを除いては、シン・ゴジラの話題を振ることはありません。


最後になりますが、私はオタクの性かどうにも情報収集が好きで、ゴジラに関する設定資料集は(たとえ嫌いな映画だろうと)相当に読んで設定を記憶している自信がありますが、それを無学ゆえか考察や実践に繋げられないことを誠にもどかしく思っています。
改めて、親切に答えてくださりありがとうございました。

Re: シン・ゴジラの設定がああなった理由が遂に分かりました 殿様ギドラ (男性)  URL

2020/01/17 (Fri) 22:07:59

 恐縮です。
お役に立てたなら幸いです。またよろしくお願いします。

ごあいさつ 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/12/31 (Tue) 22:34:05

年末と新年のごあいさつをまとめてどーーん!

 ご投稿下さるみなさま、お読み下さるみなさまのお陰で2019年も乗り切ることが出来ました。
 どうもありがとうございます。

 2020年にケムール人がどうしているのかわかりませんが、「ギドラの巣」は20周年を迎えます。
 未だ身辺が落ち着かず、私の投稿ペースは落ち気味のままなのが心苦しいところですが、
2020年は『ゴジラvsコング』も控えておりますし、なんとか頑張りたいと思っております。

 どうぞこれからも「ギドラの巣」をよろしくお願い致します。
(いやー、2020年には心躍るようないいことがあるといいですね)

Re: ごあいさつ - エクセルシオール (男性)

2020/01/04 (Sat) 14:50:59

 少し遅れましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 今年の怪獣映画最大の目玉と言えばレジェンダリー版第3作目の『ゴジラVSコング』になるでしょうが、さてどうなりますか。3度目の正直で真っ当な怪獣映画を作ってほしいものです。

Re: ごあいさつ 殿様ギドラ (男性)  URL

2020/01/05 (Sun) 14:28:26

>エクセルシオールさん

 2020年もどうぞよろしくおねがいいたします。

怪獣ブーム……? - なんじぇい (?)

2019/12/24 (Tue) 23:11:22

最近、「今は第4次怪獣ブームだ!」という楽観的言説が特撮マニアからなされます。

理由は2013年のパシフィックリム・2014年のギャレスゴジラを皮切りに、2021年までぎっしりと巨大ヒーローものや怪獣もので埋まっているからです。
怪獣ものといえる作品で、個人的に2020年と2021年ですでに決まっている大型企画だけ並べておきます。

2020年
『ゴジラVSコング』『SSSS.DYNAZENON』『ULTRAMAN(アニメのものです)』
2021年
『シン・ウルトラマン』『怪獣デコード』

こんなものでしょうか。
またウルトラシリーズがまがりなりとはいえ続いていることも、怪獣ブームと言われる一因かもしれません。
また2021年以降、日本では毎年ゴジラ映画を作るという話もあり、『シン・ゴジラ』のものではありますが、ゴジラのテーマパークが作られるというニュースもあります。



とはいえ、あまり喜べる状況でもないように思います。
先日、『ウルトラマンタイガ』が最終回を迎えましたが、私にはまったく面白さを感じられないものでした。
主に敵のウルトラマンとされるウルトラマントレギアが支離滅裂なことを言っていて、何がテーマなのか意味がわからないからですが……
またウルトラシリーズは初代はもとより『ティガ』などに比べても、世間の盛り上がりは虚しい限りです。


その上確かに往年と比べ怪獣ものの作品が作られるようにはなってはいますが、アニメ化企画のものがほとんどを占めており、シナリオも不安視されます。
『怪獣デコード』を除けばすべてが旧作の遺産でもあることも一因かもしれません。
特に日本の特撮は、新規層を取り込むためにアニメと手を組んで四苦八苦している様が見受けられます。
庵野氏の再びの起用による『シン・ウルトラマン』もその一因でしょう。


この一応ブームとはいえなんとも煮えきらぬ状況を打破する方法はあるのでしょうか。
今の日本特撮が必死になってアニメと特撮の共存を図ろうとしている様についても、皆様の意見をお聞きしたいです。




余談ですが、仮に2013年ごろからの怪獣作品のみを対象とした場合、個人的にもっとも面白かった物は『ランペイジ 巨獣大乱闘』でした。
仮に今の状況を怪獣ブームとしても、きっかけを作ったのは(パシフィックリムにしろギャレスゴジラにしろ)ハリウッドなので、『ゴジラvsコング』の後にはブームが終焉しそうな気配がします。

Re: 怪獣ブーム……? 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/12/28 (Sat) 14:50:11

 私の中にも明確な答えはありません。
その上で、現状への雑感という形で書いてみるなら・・・。

 たぶん怪獣という形式は普遍的に人気を得る道具立てなんでしょう。
古来からの伝説にも巨獣・怪物の類いは登場しますから。
 しかし映画やテレビでの怪獣の歴史を振り返ってみると、
その魅力を発揮させるためには実写特撮であることが必要であったような気がします。

 アニメで怪獣を描いても、実写で見せるほどの実在感も驚きもないように感じます。
もちろん、たとえアニメであってもその描写力やストーリーが十分鑑賞に堪えうるものであれば名作になるかもしれません。

 アニメで怪獣をやろうとする企画が増えているのは、ひょっとするとアニメ側の企画不足なのかもしれません。
あるいは、怪獣に固執する一部の製作者がアニメならヒットするんじゃなかろうかと考えているのかもしれません。
(そんな甘い物ではないことはアニメゴジラが証明しているのですが)

 日本アニメが世界的に評価されている「クール・ジャパン」コンテンツだ、みたいな言われ方をすることも多いですが、
アニメマニアではない私にとってはいささか過大評価ではないのか?と感じます。

 近年話題になったアニメ作品をいくつかは見ていますが、絵柄・デザインがきれいでもシナリオレベルは素人の思いつき程度のものばかりでした。
(まあ、私が見ていない名作もあるのでしょうけれど。あ、『この世界の片隅に』は作品全体の戦争観には首をかしげましたが名作と言っていいと思います)

 そんなアニメ界とつながったところでたいした作品は生み出されないだろうとも思うところです。

「ウルトラマンタイガ」、ひどかったですね。
どこをどう突っ込めば良いのかわからないぐらい、なにもかもめちゃくちゃで、こんなことをやっていたのでは、マニア・オタク以外の世間が再び怪獣(ウルトラマン?)に注目することなんかあり得ないです。

 そう、まったく怪獣ブームなんか来ていません。
オタク向けコンテンツに怪獣ものが増えているだけでしょう。

 優れた作品が出てこないとブームなんか起こりません。
ではどうすれば優れた作品を生み出せるのか???

 それが問題なんですよ・・・・。

Re: 怪獣ブーム……? - エクセルシオール (男性)

2019/12/31 (Tue) 14:01:18

 私自身はアニメにはアニメの良さがあり、アニメにおいて怪獣を描くことには実写特撮とは異なる面白さがあると思っています。その意味では特撮と並列してアニメにおける怪獣映画等を作っていくことも否定されるべきではないでしょう。

 しかしながら、アニメ界の現状を鑑みると不安な点の方が多いです。一言でいえば粗製乱造の状態にあり、中途半端で放り出される作品が後を絶たないからです(続きが作られても5年後くらいになることもある)。
 これはメディアミックスの悪い側面が如実にあらわれたものであり、いうなればアニメとして独立した作品を作るのではなく、原作の漫画やライトノベル、ゲーム等のCM機能を果たせればよいという発想が根底にあります。また、売れそうなネタがあれば何でもかんでもアニメ化して稼いでやろうという傾向も少なくありません。

 このような低次元の発想で怪獣アニメを作ってもけしてよいことにはならないでしょう。双方のジャンルやファンに傷を残して終わるだけです。


>日本アニメが世界的に評価されている「クール・ジャパン」コンテンツだ、みたいな言われ方をすることも多いですが、
アニメマニアではない私にとってはいささか過大評価ではないのか?と感じます。

 これは仰る通りです。私はそこそこのアニメファンだと思いますが、正直「とてもほめられた出来ではない」作品は数多く存在します。マニア受けを狙ってエロ、グロ、バイオレンスや陰鬱な内容に頼る作品は増える一方であり、「これは何が素晴らしいのか?」と問われたら回答不能に陥るものは少なくありません。
 「世界に冠たるジャパニメーション」というキャッチフレーズはここ十年増える一方の「ニッポンすごい」言説の一流派にすぎないでしょう。


 それでは皆さん良いお年を。来年は怪獣作品を巡る状況が少しでも好転してほしいですね。

大阪万博のゴジラ対ガメラ - エクセルシオール (男性)

2019/12/21 (Sat) 19:50:50

 唯一「ゴジラ対ガメラ」があったと言われる大阪万博の着ぐるみショーですが、中島春雄さんの自伝『怪獣人生』と特撮秘宝の中島春雄追悼特集にこのイベント(こどもまつり)についての記載がありました。
 『怪獣人生』の中で確かに中島さんがゴジラを演じて対戦相手がガメラだったとの記載がありました。
 一方、特撮秘宝の方ではもう少し詳しく書いてありましたが、中島さんの証言とは微妙にずれがあります。こちらでは対決ではなく共闘であったとされており、脚本の一部を写した写真も載っていました(別に勝手に共演させたわけではなく、権利者の同意のもとの公式のショーだったようである)。そこには確かにゴジラとガメラが協力して悪い怪獣と対決する構成になっています。
 この相違をどう考えるか。脚本が共闘という内容であった以上、中島さんの記憶違いと考える余地もあります。でも、実際にゴジラを演じた方の証言は極めて重要ですし、また、当時このイベントを観た方も「ゴジラ対ガメラ」を観たという人が少なくありません。その全てが記憶違いとするのも少々乱暴です。

 そこで、私の推論ですが、基本は特撮秘宝の記事のようにゴジラとガメラが共闘するシナリオでショーが行われていましたが、時にアドリブ的に違うストーリーで行われることもあったのではないでしょうか。例えば、スーツアクターが足りない場合などは、スターであるゴジラとガメラは絶対に外せないため、必然的に「対決」ということになったのではないかと考えます。そうだとすればこの対決をを観ることのできた人はかなり幸運だったと思います。

 さて、ちなみに登場怪獣は東宝側がゴジラ、ミニラ、ゴロザウルス。大映側はガメラ、ジャイガー、宇宙ギャオスだったそうです。脚本によれば善玉がゴジラ、ガメラ、ミニラで悪玉はジャイガー、ゴロザウルス、宇宙ギャオスでした。悪玉ならガバラの方がふさわしいような気もしますし、宇宙ギャオスというのは少し微妙ですが、着ぐるみや役者の都合でこうなったのでしょう。こういうこともショーの面白さだと考えます。

 一ファンとしてこのショーがどんなものだったか観てみたいですね。何だかショーを写した8ミリ映像が一時ユーチューブにあったらしいのですが、今は削除されてしまったそうです。ちょっと残念ですね。

Re: 大阪万博のゴジラ対ガメラ 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/12/24 (Tue) 14:57:04

>何だかショーを写した8ミリ映像が一時ユーチューブにあったらしいのですが、今は削除されてしまったそうです。

なにーーー!
見たかったなぁ。

『シン・ウルトラマン』コンセプト発表 - なんじぇい (?)

2019/12/14 (Sat) 12:12:39

しばらく書かないと言ったのに、すみません。
ニュースなので、事実と私の感想だけ書いておきます。
(ゴジラやラジコンギドラの是非に関しては、難しすぎて前に言った通りコメントは差し控えます)


『シン・ウルトラマン』のコンセプトが公開されました。
成田さんの理想のデザインを忠実に再現し、カラータイマーも覗き穴も背のビラビラ部分もつけないそうです。
https://twitter.com/TAKUM78/status/1205680233455607808

とりあえず、グロテスクなデザインや悪のウルトラマン等とならないだけほっとしましたが、まだ油断はできません……

Re: 『シン・ウルトラマン』コンセプト発表 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/12/16 (Mon) 19:52:01

どうもです。
成田デザインに忠実・・・・、なんですかねぇ。
よくわかりません。

Re: 『シン・ウルトラマン』コンセプト発表 - エクセルシオール (男性)

2019/12/16 (Mon) 20:31:08

>成田さんの理想のデザインを忠実に再現し、カラータイマーも覗き穴も背のビラビラ部分もつけないそうです。

 チャック隠しのためとも言われる背中のビラビラはまだしも、カラータイマーをつけないことは妥当なのか、疑問です。ウルトラマンと言えばカラータイマーというのはもはや定番であり、ウルトラマンの活動限界を分かりやすく視聴者に伝えるものでした。それをなくしてしまうことにはどうにも賛同しがたいものがあります。
 また、成田亨氏のデザインに忠実ということですが、成田氏の理想=正しいウルトラマンの姿というのも短絡的に過ぎると思います。初代ウルトラマンの造形において成田氏の貢献はもちろん一番ですが、それに加えて他のスタッフの意見も合わさってウルトラマンの姿が作られていったからです。

>とりあえず、グロテスクなデザインや悪のウルトラマン等とならないだけほっとしましたが、まだ油断はできません……

 全くおっしゃる通りです。姿からダメというのではおしまいですが、たとえ造形がよくても変な作品になってしまうことは十分ありえるからです。昨今は可愛い魔法少女を陰湿に痛めつけたり血生臭い殺し合いをさせたりするようなアニメや漫画等が作られるご時勢です。かっこいいデザインのヒーローを用いて訳の分からない話が作られる危険性は低くはないでしょう(仮面ライダーシリーズなど好例である)。


 話は変わりますが円谷プロはアニメ版『グリッドマン』の続編のような作品を制作するそうです。タイトルは『SSSSダイナゼノン』だとか。

怪獣アニメブーム!? - なんじぇい (?)

2019/12/16 (Mon) 21:27:54

エクセルシオールさんのおっしゃったアニメグリッドマンの続編もそうですが……
また新たなニュースです。

円谷プロと東映アニメーションが組んだ、完全オリジナルの怪獣アニメが発表されました。

『KAIJU DECODE 怪獣デコード』という作品で、怪獣と少女の物語を描くそうです。
https://mantan-web.jp/article/20191214dog00m200001000c.html

見る限り、なかなか大がかりなプロジェクトなようです。

完全オリジナル作品の方が様々な制約もなく自由度の高い作品を描け、また駄作を作ったとしても被害が少ないために、私としては頑張ってほしいところですが(実際は期待半分不安半分)、昨今は怪獣とアニメを組み合わせる企画が多いですね。

あえて『キングコング対ゴジラ』を批判的に論じてみる - 芹沢亀吉 (?)  URL

2019/12/08 (Sun) 11:12:13

皆様のやり取りを拝見させて頂きました。

「最初のコラボ作品の『キングコング対ゴジラ』の時点で、そのようなものは崩壊している。あのときはキングコングに巨大化、帯電体質、耐久力の大幅な向上など相当の下駄を履かせてコラボを成立させた。本当に戦えば即座にコングが踏み潰されて終わりのはずだ。
円谷英二さん・田中友幸さん・本多猪四郎さん・関沢新一さんの製作陣はそうしなかったではないか。
偉大な原作者たちがそういうハチャメチャなコラボをしたんだから、コラボに関しては問題はないのだ」

このご指摘について私ならこう反論します。

「そもそも水爆によって目覚め通常兵器が全く通用しないゴジラと機銃で射殺出来る程度の耐久力しか無いキングコングを対等に戦える存在として扱う発想自体が噴飯もの。円谷英二氏、田中友幸氏、本多猪四郎氏らはゴジラ映画を創始し特撮映画という分野を確立させた点では偉人であるが、ゴジラとの対決を無理矢理成立させるためにコング側に下駄を履かせまくって最早コングとは呼べない別の何かに改変しハチャメチャなコラボにした点では厳しく批判されるべきだ。『キングコング対ゴジラ』自体に無理矢理なコラボという大きな問題がある以上、昨今の野放図なコラボを正当化するため『キングコング対ゴジラ』を引き合いに出すのは全く正しくない。」

以上です。円谷英二氏、本多猪四郎氏がやったことだから何でも正しいと追認するのは典型的な現状追認であり、庵野秀明がやったことだからとエヴァの使徒のパチモンをゴジラと言い張るあの愚作を崇拝するのと方向性は何も変わりません。

もし私がゴジラとコングが戦う映画作るなら、ゴジラの放射能で被曝したコングが徐々に弱っていってそのまま被曝死という結末にしますよ。先輩後輩などという人間同士でしか通用しない価値観をゴジラやコングに押し付けるより、ゴジラとコングの間にある隔たりの大きさを描くことを優先しますので。

そしてコングを最早コングとは呼べない何かに改変した円谷英二氏と本多猪四郎氏のコンビが地球人より遥かに高度な金星人の文明を滅ぼし文明の支配を全く受け入れない存在としてデザインした筈のキングギドラを、攻略法さえわかれば地球人でも攻略出来る程度の文明力しかないX星人の文明の利器で操られっぱなしのラジコンギドラに改変したのも紛れもない事実です。本来対等に戦える存在でなどではないゴジラとコングを対等に戦わせるご都合主義をゴリ押しした円谷英二氏と本多猪四郎氏は「地球侵略を企てるX星人を地球人の英知が撃退する」という物語を成立させるためにキングギドラをラジコンギドラに設定改変したわけです。勿論文明の支配を受け入れるどころか滅ぼす存在であるキングギドラを文明の利器の操り人形に甘んじ続けるラジコンギドラに改変した点は「設定を反転させ新しいものを生み出したつもりになっているオタク的発想」という意味でも批判されるべきですね。

昨今の野放図なコラボを批判するのであれば『キングコング対ゴジラ』のコラボもきちんと批判しないと筋が通りませんし、『キングコング対ゴジラ』が行ったコングの設定改変が後続の作品に与えた悪影響についてもきちんと明らかにしておくべきです。1960年代のゴジラ映画の全てがゴジラ映画の原典に値する存在なのかも見直す必要がありそうです。

そういえば次作の『モスラ対ゴジラ』では自衛隊による3000万ボルトの放電作戦で一時的には苦しむも結局自衛隊の防衛線を突破しているゴジラが、『キングコング対ゴジラ』では自衛隊による100万ボルト放電作戦で事実上撃退されているのはどうなんでしょうね?3000万ボルトの放電作戦でも防衛線突破したゴジラが100万ボルトの放電作戦に怯んで首都進攻断念って私的には非常に不可解な展開に見えるのですが皆様はどうでしょう?

Re: あえて『キングコング対ゴジラ』を批判的に論じてみる - なんじぇい (?)

2019/12/08 (Sun) 14:34:35

芹沢亀吉さんの意見を読ませていただきました。

まず思うのは、「原作者の意見や思いを汲み取って制作することは現状追認なのか?」ということです。
私は今の状況では全く違うと考えます。『シン・ゴジラ』やアニゴジがあんな風になった理由は、まさしく原作者たちが初代ゴジラや2代目ゴジラに込めた思いやテーマを汲み取らなかったからです。
原作者の思いを汲み取る意思などこれっぽっちもありません(全員、作品を見て思った個人的な感想や妄想をそのまま反映している)。
「ゴジラの名の元に原作者の思いを無視して好き勝手していい」に追従することこそ、「現状」の追認ではないかと思います。


第2に私とギドラさんのやり取りでもありましたが、「原作者の思いや脚本を書き換える行為は極めて慎重にすべきである」ということです。
ギドラさんとのやり取りでもありましたが、原作者の込めたテーマや思いを汲み取って製作することと、より良い作品を作ることのどちらに比重を置くかは大変難しいことです。
加えて原作者がほぼ鬼籍に入られた今、『キングコング対ゴジラ』という創作がああなった理由を見つけるのは困難ですので、その点でも慎重になるべきだと思います。


『モスラ対ゴジラ』に関しては、ゴジラが脱出できたのは電圧を上げすぎてショートしたということもあるのではないでしょうか。
もっともゴジラがあれで死ぬとは思えませんが。


最後になりますが、私は「原作者の思いを端から汲み取らずに続編を作ることは創作の作法における論外」という他はありません。
でないと、そのシリーズが何が何やら分からなくなってしまうからです。



こみ入った話題になってしまい、いろいろ頭がこんがらがっていますが、どうにかこうにか書いています。
正直私では力不足を感じている(いつも私が質問する側ですので)ため、他の方のご意見をお聞きした方がいいとは思います。
しばらく返事は休み、見に回ることにします。

Re: あえて『キングコング対ゴジラ』を批判的に論じてみる - 芹沢亀吉 (?)  URL

2019/12/08 (Sun) 16:02:07

「ゴジラの名の元に原作者の思いを無視して好き勝手していい」と仰いますが、その原作者である筈の円谷英二氏こそゴジラにシェーのポーズをさせる等ゴジラで好き勝手している張本人じゃないですか。円谷英二氏の好き勝手はゴジラの着ぐるみを改造してウルトラマンに殺される悪役怪獣にする等明らかに度を過ぎているにも関わらず誰も批判しないのが本当に不気味です。

キングギドラに至っては産みの親である筈の本多猪四郎氏や円谷英二氏の手で異星人の操り人形で最早キングなどではないラジコンギドラに改変された上に本多猪四郎氏監督作の『怪獣総進撃』で他の怪獣に袋叩きにされ無惨に殺される有り様ですし。『怪獣総進撃』の製作に円谷英二氏は関与していないようですが円谷氏が『怪獣総進撃』本編におけるキングギドラ(とは名ばかりのラジコンギドラ)の扱いの酷さを批判したという話は聞いたことありません。

こうした原作者の好き勝手が「ゴジラで好き勝手していい」というふざけ過ぎた風潮の元凶なのに何故かその元凶への批判が少な過ぎるんですよね。円谷英二氏死去後に製作された『ゴジラ対メガロ』なんてゴジラは水爆実験の被害者シートピア人の手先から人類を守るために戦い人類側には何の被害も与えない益獣で、水爆実験で目覚めたという初代ゴジラの設定を完全に踏みにじっていますが、こうした2代目ゴジラの迷走も原作者がゴジラで好き勝手し過ぎたのが原因です。原作者の度の過ぎた好き勝手が1954年に自分達が造った初代ゴジラという映画に込めた思いを台無しにしている事実から目を背けてはいけません。

一応言っておきますが、私はあのエヴァの使徒のパチモンもアニメ映画本編に登場するアースとかフィリウスとかいうデカブツも断じてゴジラだとは認めていません。Twitter上であの愚作を批判してしつこい嫌がらせに晒されたこともあり余計にあの愚物をゴジラだと認めてはいけないとの思いが強化されました。

私が言いたいのは円谷英二氏がやったことだから、本多猪四郎氏のやったことだからとむやみひたすら追認するのはいかがなものかということです。本来ゴジラとは対等に戦える存在などではない筈のコングに下駄履かせまくって最早コングとは呼べない存在に改変したのはコングの原作者の思いに沿ったものかどうか検討の余地がありますし、地球より遥かに高度な金星の文明を滅ぼし文明の支配を受け入れる存在ではない筈のキングギドラを文明の利器で操られっぱなしのラジコンギドラに改変した点を批判するのは『ゴジラVSキングギドラ』の23世紀製ラジコンギドラを批判する上でも避けては通れない筈です。

原典だから批判するなではなく、原典とされる作品にどのような問題点があり後の作品にどのような影響を与えたかを検証する必要があるってことです。原作者が他界しているから批判するなが通用するならシェークスピア原作『ヴェニスの商人』のユダヤ人差別丸出しな描写も批判してはいけないことになります。

そうそう『モスラ対ゴジラ』で3000万ボルトの電圧では苦しみはするものの死亡はせず最終的に防衛線突破しているゴジラなら100万ボルトの電圧攻撃くらいで防衛線突破断念とかやっぱりおかしいですよね。コングに下駄履かせ過ぎた弊害はこういうところにも出ているんですよ。

Re: あえて『キングコング対ゴジラ』を批判的に論じてみる、に乗かってみました - 海軍大臣 (男性)

2019/12/10 (Tue) 00:51:42

 芹沢亀吉さんの仰られる「あえて批判してみる」と云うのは確かに大事な思考法だと思います。
 以前少し書きましたが、私はシリーズものの人気キャラクターが時代を経る内に次第に変質を余儀なくされることについて、その是非を判断するには説話学的な変遷パターンを用いることが出来るのではないかと考えています。これはTVや映画のシリーズもので云うのならば、第一作が全ての祖型(アーケスタイプ)に当たり、以降の続編全ては派生作品(バリエーションモデル)となるが、この場合、アーケスタイプの有する主題性(噛み砕いて云ってしまえば、ハナシのツボに当たるもの)を保ってさえいれば、その枠内での改編や変質を容認できる、とされるものです。
こうした「時代が下がる」ことによる物語の変遷を、よくある仏教説話を例にして上げるなら、むかし或るところに凶悪な山賊が居て、旅人を殺しては金品を奪うなどして悪逆を極めていた。これを見たお釈迦様が山賊を改心させるため、旅人に変身してわざと自分を殺させることで相手の悔悟を誘い、仏教に帰依させた、とするのが最初にあったお話、即ち祖型となります。ところが時代が移り変わって、流石に「お釈迦様が変身して目の前に現れる」など絵空事として庶民に感じられるようになってくると、今度はお釈迦様ではなく、盗賊の肉親や恋人が旅人に化けて殺されることで男に強い後悔を喚起させ、仏道に入る切っ掛けになる、といったパターンが生まれてきます。これはストーリーの一部が最初のものから明らかに改変されてはおりますが、先に述べたハナシのツボといった点では説話の枠内に収まっていることから、派生モデルとしては「〇」との判定が付けられる訳です。

 では、これと同じ視点から芹沢亀吉さんが「あえて批判」をされているキングコング問題に目を移してみます。
映画【キング・コング】(もちろん1933年の第一作です)の主題は、ヨーロッパに古くから流布されている「王殺し」にあると考えられます。これは若き後継者が年老いた王を殺害することで世界に繁栄をもたらす、といった考えで、これを映画作品に当て嵌めてみますと、正に旧世界(ドクロ島)に君臨していた王・コングも新世界(人間界)では極めて無力な存在に過ぎないことが明瞭に描かれています。
 ところが翻って【キングコング対ゴジラ】を観てみますと、東宝版コングにはそうした部分が全く踏襲されておらず(初代とは異なり、文明社会に連れて来られても高圧電流を凌いだりするなど、容易には殺害不能でした)、前掲した仏教話とは違って明らかに説話の枠から逸脱してしまっており、バリエーション・モデルとしては「☓」という評価を下さざるを得ないことになってしまいます。
それでは何故このような改変(改悪)が為されてしまったのでしょうか? もちろん「作り手側のご都合主義」の一言で言い現わしてしまっても良さそうな観もありますが、その実、もっと根は深いようなのです。

 もともと【キングコング対ゴジラ】なる作品が製作される発端に関して、世間に流布されている「この企画を胸に抱いた田中友幸プロデューサーが渡米して交渉に当たり、遂にRKOからコングの使用許可を取り付けた」とされる逸話そのものが如何やら間違っていると思われます。
 1950年代、ハリウッドでは米ソ冷戦という時代背景を受けて、核実験が生んだモンスターや、地球を侵略にくる宇宙人(これは得体の知れない共産軍兵士の暗喩とする見方があります)を描いたB級SF映画がブームになっていました。ところが【キング・コング】を生み出したRKOは経営難のために撮影所が閉鎖される始末で、新作映画の自社製作すら不可能だったため、自身が版権を所有するキングコングと世界的に著名なモンスターキャラ(たとえばフランケンシュタイン博士の怪物など)のコラボ作品を外部に向けて呼びかけていたとされます。つまり【キングコング対ゴジラ】誕生の真相は、田中プロデューサーの武勇伝的なエピソードなどではなく、落ち目になったハリウッド発のプランに東宝が「乗っかった」とするのが正しいようなのです。
 しかもこのとき東宝が20万ドル(1ドル=360円とすると、これだけで前年公開の【モスラ】や【世界大戦争】の直接製作費に匹敵する大枚に当たります)ものライセンス料を払って手に入れたのは「キングコング」の名称の使用権に過ぎず(しかも中点無し)、キャラクターの姿形をそっくりコピーすることまでは許されませんでした。
 けれども、この点に関しては東宝側からすれば寧ろ恰好の条件だったのかも知れません。初代の姿形を踏襲しなくて良いのならば、ゴジラとタイマンを張れるだけの体格を今度のコングに付与することが可能となったのですから。勿論、作り手側はそうした改竄に対する最低限のエクスキューズとして、自社版コングとオリジナルとでは出身地が異なる別物であること(片や南洋遥かソロモン群島のファロ島で、初代はジャワやスラバヤの更に西方に位置すると設定されているドクロ島の出自です)を作中で付与しています。つまり事情は異なりながらも、後年のどう見てもイグアナのお化けにしか見えないモンスターに「ゴジラ」の名称を用いたエメリッヒ作品と全く同じことが1962年に起こってしまっていたことになりましょう。それに「オリジナルとは身体のサイズが異なる」とは云っても、最初の【キング・コング】自体がそれほど厳密に体格が統一されている訳ではなく、視覚効果の問題からかドクロ島とニューヨークのシーンでは身長が30%ほど変化してしまっている事実を付記しておきます。

 以上のような経緯を踏んで製作された【キングコング対ゴジラ】は日本国内で特大ヒットを記録したことは周知の通りですが、やはり本場アメリカでの公開時には、オリジナルとは違ってヌイグルミを用いたことに対する反発からか必ずしも評判は良くなかったと聞きます。そうした部分については、何だか昨今のCGゴジラに対する国内ファンの反応を見る気がしてなりません。
 それでもその後もRKOは東宝を突っついて、【ロビンソンクルーソー作戦】や【キングコングの逆襲】を企画・製作させたり、東映動画にアニメーション化を行わせるなど、徹底して版権で食いつなぐ姿勢を見せています。つまり現在の我が国でゴジラのキャラクタービジネスを巡って起きているのと実によく似た事象が、既に半世紀以上前にアメリカで起こっていたことになるのです。
 やはり以前に当サイトで書いたことですが、世界映画史を語る上で決して避けて通れない最初のトーキー映画【ジャズシンガー】の権利が、既に製作会社であるワーナーブラザーズから売却されてしまっているというショッキングな事実があります。ですからキングコングやゴジラが如何に偉大な作品であったとしても、やはり後世の経営者たちにとっては単なる「商品」の一つに過ぎないことになるのでしょう。
 こうして聖典化されている作品を「あえて批判して」みた結果、色々な問題が浮き出てくることが判りました。芹沢亀吉さんには、今回そうした思索を行う切っ掛けを提示くださったことになりますから、大変ありがたく感じております。なお、もう一つの問題定義であるラジコン・ギドラについてはまた別の機会に譲りたいと存じます。
 あと蛇足ながら、100万ボルトと3000万ボルトの問題についてですが、個人的な見解として、そうした部分が目につくようになった中学~高校生時分に両作品を観た際、私はゴジラにとって100万ボルトの電流すら耐えがたいものがあって、それを遥に上回る3000万ボルトを浴びせられてはかなりヤバイ感じがあり、辛くもそれを逃れ得たのは人間側の不手際(と云いますか、藤田進と津田光男の強面コンビの圧力と云った方がよろしいかも)にあったと思えたので、提起されているような矛盾は感じなかったのが正直なところです。それではまた。

Re: いままで書いてきたことの繰り返しがほとんどだが 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/12/13 (Fri) 13:56:04

 お久しぶりです、芹沢亀吉さん。

『キングコング対ゴジラ』におけるキングコングの改変はキャラクターの保全という観点からは不当です。
しかしこれを本多・円谷コンビが率先してやったとは思いません。
ゴジラとキングコングを戦わせるという企画には商売上のうまみはあっても、それぞれのアイデンティティを守ることを考えれば無理があります。
それでもやらざるを得なかった社員監督のつらさでしょう。
ですから海軍大臣さんからお話のあった大どんでん返しも発案されたのでしょう。
なんとか成立したのはエクセルシオールさんの解説が正しいと思います。
コングのサイズが拡大されたことに説明はありませんが、帯電体質に関しては劇中の出来事によって獲得したものですから設定の改変ということではないでしょう。
時が過ぎれば失われる能力かも知れません。

 また、アメリカサイドからキングコングをオリジナルとは変えてくれと要請されたことも影響はあるはずです。
(顔を変えてくれといわれたという情報もありますが、梶田興治さんのオーディオコメンタリーではただ「変えてくれ」というお話だったと思います)
のちに『キングコングの逆襲』を作るときには本来のキングコングに戻す動きがありますから、本多・円谷コンビがゴジラサイズの不死身コングでいいと考えたわけではないことがわかります。
(上の記述は海軍大臣さんの詳細な解説を読む前に書きました)

 また、私がこれまで『キングコング対ゴジラ』におけるキング・コングの改変問題をあまり強く批判してこなかったのは、キング・コングの映画はそれ以前に2本しかなく、
キング・コングのキャラクター性がそれほど強烈に確立していたとは言えなかったことがあります。付言すれば二本目にはキング・コングは登場しませんし。
 コングの個性とはこれだ、と言える材料が少ないのですから、『キングコング対ゴジラ』のキングコングを見てもそんなに強く「これじゃない」とも思えないわけです。
まあ、コングの体内に原子炉があるとか、コングが霊魂の集まりだとか言うわけでもないですしね。
(海軍大臣さんのお話にありましたが、アメリカでのウケがいまいちだったのは、彼の地には当然キング・コングマニアが多数いたからでしょう)

>『キングコング対ゴジラ』が行ったコングの設定改変が後続の作品に与えた悪影響についてもきちんと明らかにしておくべきです。

 とのことですが、『キングコング対ゴジラ』の影響下で改変キャラを出してきた作品には思い当たりません。
東宝フランケンシュタインも原作とは違うものに改変されていますが、あれは以前書いた改変もやむを得ないケースに当たるので別として考えたいですが、
改変そのものを問題にするならカウントしても良いでしょう。
けれども、映画史的に『キングコング対ゴジラ』以降有名キャラクターの改変が横行したという事実には思い当たりません。

『怪獣大戦争』

1.レディガード
 これは地球人類がX星人を倒すために開発した技術ではありません。
鳥井哲男の発明品の音がたまたまX星人を狂わせるものだったということです。それに気がついたX星人はレディガードの管理を買い取って世に出ることのないように対策しました。
しかし、波川の裏切りで計画が狂ったのです。
 地球の科学とX星の科学が拮抗していたわけではありません。

2.怪獣コントロール
 X星人は宇宙人であり、我々の世界の外からやってきた者です。
 そしてX星の文明は高度な科学力を持つとはいえ個人の意思を無視するものであり、科学の誤用を象徴するものです。
地球文明がいつか到達するかも知れないディストピアとして創案されたものと見ることに無理はないでしょう。
未だ実現していないけれどこうなったら困るよねというものなのです。
 ストーリー上の立ち位置はオキシジェンデストロイヤーに似たものだと見ています。
 ですからX星の科学は怪獣をもコントロールしてしまうのです。
(私は『怪獣大戦争』は怪獣たちが操られっぱなしで怪獣を見る楽しみは薄いなと感じますが、『地球防衛軍』『宇宙大戦争』につづく地球侵略ものとして評価しています)

 金星文明を壊滅させたキングギドラがX星人に操られていることに怪獣設定上の問題は感じません。金星文明とX星文明の比較をする材料は作品から読み取れません。
 強力無比とされたキングギドラが何者かに操られているということに作劇の問題は感じます。←これは以前から機会があれば書いていることです。
『怪獣総進撃』でのキングギドラ袋だたきもイヤだなと書いている人はいますよ。しかし、怪獣設定上の問題はありません。キングギドラも一動物。多勢に無勢では勝てないのも無理はありません。



 ゴジラという怪獣は作品を重ねる中で熟成していったキャラクターです。
原点を生み出した作者がその基準において演出を決めていったのが1960年代のものです。
 第一作目『ゴジラ』においてさえ、怪獣ゴジラは超然としたものでも悪鬼のようなものでもなく、一動物としてしっかり描写されています。怒り、暴れるだけの描写はしていませんよね?
その後、続編を作るに当たって、さまざまなシチュエーションでのゴジラを描いていくのです。
『キングコング対ゴジラ』におけるゴジラはひょうきんな面も見せています。
 ゴジラ出演映画は『キングコング対ゴジラ』以前には2作しかありません。しかも一作目に登場したゴジラは死んでいますから、二代目ゴジラの映画は1作しかなかったことになります。
この段階でひょうきん者はゴジラじゃない、と言える物ではありません。
作者たちはゴジラをただ怖いだけの存在にはしたくなかったのではないかと考えています。
私はゴジラがシェーをやったことをキャラクターの破壊とは思いません。(それが好きかどうかは受け手の問題である)
私があの「シェー」をどう見るかは以前書いていますので、過去ログを探してみて下さい。
 そして円谷演出によるゴジラ総体がゴジラの個性であると考えています。
(付言するとゴジラを作り上げたのは複数の才能でありますが、それをフィルムに定着させていったのは円谷英二にほかなりません。円谷英二以前にゴジラはありません。
円谷監督がゴジラを使って何をしたかと後世の別人がやったことを同列に見るのは間違っています)

 怪獣改変を本多・円谷コンビが容認していたとは思いません。
 外見のデザインにブレがあるのは製作上の様々な要因が影響しているでしょうけれど、怪獣たちが別物にされて出てきた試しはありません。
(キングコングについては先述の通り)

 1984年以降のゴジラ(全部ではない)を私が否定するのは、生物としての設定を改変していたり見た目の改変が大きかったりすることもさることながら、
二代目ゴジラが積み重ねたキャラクター性を無視していることも理由の一つです。
(70年代ゴジラは円谷英二不在の中、相当不味いことになっていますが、ゴジラの設定や来歴を改変してはいない。『ゴジラ対メガロ』はかなり不味い出来ですが、『ゴジラ』の精神を踏みにじったものではありませんよ。
あ、それと怪獣設定と物語構造をごっちゃにしてはいけません)


ゴジラと電撃

 初代ゴジラに5万ボルトはさほど効き目が無かったようですが、同時に砲撃もしたので怒らせてしまったのでしょう。
熱線を吐いて東京に侵攻することになってしまいました。

 さて二代目ゴジラですが、100万ボルトは結構ビリッと来たのでしょう。ゴジラにしてみればもう一度触るのはイヤですよね。
だから高圧電線を迂回して富士山方面へ行ったと思っています。ゴジラが格別に東京を目指す理由はありません。
あのときゴジラは怒ってもいません。こういうところが一動物としてのゴジラを誠実に描写することなのです。

最後に
「ウルトラマン」謎の恐竜基地をしっかりご覧になっていますか?
『怪獣総進撃』は何がテーマですか?

と、いまはここまで書くのが限界です。遺漏あるかもしれませんが、そこはどなたかフォローよろしく、なんてな。

Re: ラジコン・ギドラは許容できるか? - 海軍大臣 (男性)

2019/12/14 (Sat) 01:34:55

 今回ギドラさんの書かれた、

>本多・円谷コンビが率先してやったとは思いません。

 のご意見を読んで、興味深いことに円谷さん、本多さんお二人とも【キングコング対ゴジラ】に対しては、少し批判的な言葉を残していたことを思い出しました。
 まず円谷さんは、当時の東宝30周年記念作として「竹取物語」の大作映画化を希望していたのにそれが叶わず、「会社はゴジラとキングコングを組み合わせた珍妙な企画で私の悲願を押し流した」とする不満を書き残されています。この映画【かぐや姫】の企画は【ゴジラの逆襲】公開直後の週刊誌での誌上座談会で既に田中友幸氏が言及していて、創立25周年に当たる昭和32年の東宝ラインナップに見られる、八千草薫主演を謳った【なよたけ】がそれに当たるのではと私は踏んでいます。結局、このときは何らかの理由で没企画となったものを、円谷さんが5年後にまた復活させようと必死になっておられたのじゃないかと想像されるものです。
 また本多監督の方は、以前に当サイトで触れたことがありましたが、80年代初頭にファンからインタビューを受けた際に、御自身にとって大ヒットとなった【モスラ】の監督をうっかり引き受けてしまった結果、翌年も【キングコング対ゴジラ】を引き受けざるを得なくなり、その更なる大ヒットのため、以後も怪獣ものを撮り続けるハメになった、との可成りキビシイ本音の入った言葉を吐かれたと聞きます。【大怪獣バラン】以降【モスラ】までの3年間、本多監督は変身人間ものや宇宙SFこそ手掛けられてはおりますが、怪獣ものは全く無く、本来のプログラムピクチャーに軸足を移そうとされていたのではないでしょうか?
以上から勘案しますに、言うなれば「売り物に花飾れ!」を娯楽映画作りのモットーとされていた田中友幸プロデューサーが、御自身が大切にしていたゴジラ(何しろ例の合作映画の企画がポシャって、絶体絶命の窮地に陥っていたところを救ってくれたキャラクターなのですから)を7年ぶりにスクリーンで復活させる際の、考え得る最高の対戦相手としてキングコングを大枚払って招聘し、本多・円谷の両監督を強引に巻き込んで作ったのが本作ということになるのだと思われます。

 さて前置きが長くなりましたが、ラジコン・ギドラ問題についてです。
 前回と同じ説話学的な思考方法で【怪獣大戦争】を検証してみましょう。前作【三大怪獣 地球最大の決戦】の主題は「強大な外敵に地球の怪獣たちが結束して立ち向かい、勝利する」となりましょう。するとその派生モデルである【怪獣大戦争】のストーリーラインも、その枠内に難なく収まってしまうことが判ります。
 今回は地球側からモスラが一匹減り、キングギドラの背後にX星人という大きな存在が加わりますが、基本的な対立構造に大差は見られません。バリエーション・モデルとしては十分に「〇」が付けられることとなってしまうのです。
 となりますと、本作の評価は芹沢亀吉さんの表現されるところの「ラジコン・ギドラ」を許容できるか否かに掛かってきてしまいます。
 確かに前作での新怪獣キングギドラの存在感は圧倒的なものがありました。ですから、そんなモノスゴイ大怪獣を容易く操り人形にしてしまうX星人を「何てスゲエ科学力を持っているんだ!」と当時の子供目線で観るか、それとも研究書『大特撮』辺りで云われ始めた「怪獣の矮小化」として批難するか、ファンの間でも真っ二つに割れるところです。

 このX星人の風態は「ギャング団をイメージしてデザインされた」との逸話が残りますが、全体としては前回取り上げた50~60年代のハリウッド製B級SF映画に数多登場した宇宙人を踏襲したように感じられます。
 コスチュームどころか女性に至っては顔まで同じ(本来なら個性が出るのは男より女である筈なのに)と云う、まさに個(パーソナル)を持たない全体(マス)としてのその在り方は、冷戦当時の得体の知れない赤軍兵士、或いは更に広げると、西側世界から見たソ連人民のパブリックイメージと重なります。電子計算機を絶対的に信奉する姿勢に至っては、「党絶対」「指導者絶対」といったテーゼへと繋がる気がしてなりません。
 芹沢亀吉さんの指摘されるX星人の「脆弱な科学力」についても、実際には圧倒的な差があって、それ故に「地球上の全核兵器を使用してでも戦う」といったタカ派の物騒な発言となったものでしょう。映画の画面には実際に描かれていませんが、恐らく通常兵器しか持たない国連軍はコテンパンにやられているのではないでしょうか? 後半でAサイクル光線車部隊が味方のエアカバーを全く受けられず、ノルマンディーのドイツ軍よろしく経空脅威の下で不利な作戦行動を強いられていることが全てを語っているように受け取られるからです。
 しかし、その一方で電算機(つまりレーニン)を絶対視する姿勢は、明らかに組織の形骸化、硬直化といった脆弱性を生み出す、といった冷戦期の東側陣営批判とそっくり符合することにもなります。X星人は正にその一点を衝かれて敗亡することになる訳です。

>弱点が判れば地球人の科学でも倒せる

 との批判もありましょうが、しかし劇映画(娯楽映画)の中で、弱点を持たない完全無欠の敵役の在り方は、作劇の上では意味を持たないことは論ずるまでも無いと私は愚考いたします。
 また、それだけ進んだ科学力があるのならば、よりファジーな論理思考を有する(例えばナミカワ女史の心理的振幅まで予見してしまうくらいの)未来的なAIの様な電算機をX星人が持っていて然るべきじゃないかといった今日的な意見を持たれる最近のファンも居られるようですが、しかし、本作の根底には当時イメージされた「無味乾燥で没人間的な機械文明」を描く発想が流れていたのですから、これは些か的外れな後知恵に思えます。本作から僅か3年後に公開された【2001年宇宙の旅】での、人間そのままのトーンで会話するHAL9000の登場はSFファンには衝撃を持って迎え入れられたものの、今日とは違ってSF的なガジェットとは殆ど馴染みの薄かった当時の世間一般に広く認知されたかについては大いに疑問が残ります。
 このように見ていくと、恐ろしく発達していながらも、その実、いともたやすく崩壊してしまう機械文明への危惧、といったものを作者たちは本作中に描こうと試みていたことになりますから、勿論ストーリー上の必要性もありましょうが、あのモノスゴイ新怪獣キングギドラを今回は単なる操り人形として登場させたのも、その恐ろしく発達した科学力を端的に見せつけるための作劇上の手段だったと考えられるのです。結局のところ怪獣のラジコン化は是か非かについては、もはや結論の出ないファン個人の好みの問題となりましょう。

 ところで話は全く変わりますが、学生の頃に大学の図書館で昭和40年頃の学校新聞の記事を漁っていて意外なものを見つけました。それはウチの大学の教授が当時封切られたばかりの【怪獣大戦争】を文章に取り上げていたのです。
 読んでみると意外に高評価が下されていて驚きました。その教授の専門は造船工学だったと記憶しますが、クレオパトラカットの水野久美さんの美しさを褒める一方で、何故か映画冒頭の地球連合宇宙局の室内セットに置かれていた「木星儀」の出来栄えを絶賛されているのです。専門が異なると注目するものも違うのかと驚いた次第で、是非お会いして公開当時のお話など伺いたいも考えましたが、既にその記事から20年が過ぎており、既に教授職を退官されていたことが判り、がっかりしたことを思い出します。
 しかし、当時は子供向けと見られていた怪獣映画を大学教授ともあろう「いい歳をした大人」が真面目に取り上げられているのですから、実に勇気ある方だと考えます。三島由紀夫は撮映画と任侠映画が大のお気に入りだったとされていますし、日本画壇を代表する東山魁夷が、スケッチ旅行の先々で「ラドンを観た」「液体人間を観た」などと日記に楽し気に記述しているところから考えますに、実は意外と怪獣映画とインテリは親和性が強いのではないのしょうか。

ゴジラ大丈夫・・・? - エクセルシオール (男性)

2019/12/03 (Tue) 23:21:07

 最近はクロスオーバーだとかコラボレーションだとかが大流行ですが、少々度が過ぎている印象があります。

 そんな実例がまた発生してしまいました。東宝がゴジラとアニメ『戦姫絶唱シンフォギア』のコラボを行ったからです(ゴジラVSシンフォギア)。いかなる目論見でこのようなコラボが行われたのか理解に苦しみます。一方は誰もが知っている特撮怪獣映画の代表、しかしもう一方はどちらかと言えばマニア向けの深夜枠変身ヒロインアニメです(一般的知名度には大きな開きがある)。正直、水と油に近いのではないか?と思いました。

 果たして双方のファンがこのようなコラボを望んでいたのか、怪しいものです。にもかかわらず、宣伝のために無理矢理なコラボやらクロスオーバーやらが量産され、無批判なメディアがそれを助長する。真に困った状況と言えます。

 ちなみに今回用いられた怪獣はゴジラ、キングギドラ、モスラ、メカゴジラ(機龍)、そしてガイガンでした。これらの怪獣を模した鎧(ギア)をヒロインたちが纏ってゴジラ達を戦うというのがストーリーだそうです。どうすればそんな発想が出てくるのか(モスラギアなどは比較的違和感がないが、これはモスラがファンタジー的かつ「女性の怪獣」だからだろう)。なお、『シンフォギア』側の全メインキャラがまだ出そろっていないので、使用怪獣は今後増える可能性もあります。
 
 もう少し節操をもってコラボ等をしてほしい。何でもかんでもやればいいというものではありません。個々の作品についてもっとプライドを持つべきです。

 もう一つ。以前話題に出した柔道の「ゴジラジャパン」ですが、予想通りほとんど話題にならないまま今年限りでおしまいだそうです。結局、双方に何のメリットもないまま終了。しかし、そのことを検証、批判する様子はありません。本当に「ゴジラは大丈夫なのか?」と思ってしまいますね。

Re: ゴジラ大丈夫・・・? - なんじぇい (?)

2019/12/04 (Wed) 02:36:17

シンフォギアとのコラボに関しては、どうやらシンフォギアの製作元の金子彰史氏が熱望していたようですね。
元々やるつもりだったのかパワーバランスは多少は考えられていたようで、シンフォギアの作中では常温核融合が実現化されていたり、核爆発が全く効かなかったり、直径数百kmくらいありそうな月の一部を敵が投げ飛ばし、それを主人公が破壊する等の『ドラゴンボール』じみた戦闘が起きていたりはいます(少なくとも本当に戦ってもどちらかの瞬殺にはならないであろう)。


とはいえ、雰囲気は個人的にはミスマッチと言わざるを得ません。
『シンフォギア』は最初から相当に節操ないコラボを行っていたなんでもありの作風なので、ファンはなんのダメージもないようでした。むしろ「またか」と歓迎ムードでした。
しかし、ゴジラはそのような作風ではないように見えます。この企画はシンフォギアだけがうま味があった企画だとは思います。

尤も話題にならなかっただけで少し前には『スーパーロボット大戦』やら『47 HEROINES』やらで、実はゴジラはコラボがあったりしました。
メカゴジラならまだわかりますが、ゴジラがなぜスーパーロボット大戦なのか激しい疑問を覚えます。



なお、このような意見に対しては大抵次のような反論が来ます。
「最初のコラボ作品の『キングコング対ゴジラ』の時点で、そのようなものは崩壊している。あのときはキングコングに巨大化、帯電体質、耐久力の大幅な向上など相当の下駄を履かせてコラボを成立させた。本当に戦えば即座にコングが踏み潰されて終わりのはずだ。
円谷英二さん・田中友幸さん・本多猪四郎さん・関沢新一さんの製作陣はそうしなかったではないか。
偉大な原作者たちがそういうハチャメチャなコラボをしたんだから、コラボに関しては問題はないのだ」

これに対しての適切な返し方は、私は思い付きませんでした。
皆様はどうでしょうか?

Re: ゴジラ大丈夫・・・? - 海軍大臣 (男性)

2019/12/05 (Thu) 06:56:59

 お二人のご意見の通り、まったく節操の感じられない昨今のコラボ企画には眉を顰めざるを得ません。東宝は徹底的に過去の遺産で食いつないでいくつもりなのでしょうか? 一ファンとしては悲しい限りです。

 また、なじぇいさんの云われる【キンゴジ】問題については、実に痛いトコロを突かれた感じがして、私も適切な反論が思いつきません。
 ただ、【キングコング対ゴジラ】を永年研究していた或る先輩から聞いた話によりますと、この作品は当初のアイデアとして、クライマックスの熱海決戦が終ってエンドマークが出た直後に場面が一転し、実は全てはパシフィック製薬がスポンサーになって作った劇映画だった、というメタフィクション的な大オチが描かれる予定があったそうです。ちょうど伊丹十三監督の【マルタイの女】のラストを先取りしたように、盛況な試写会上に着ぐるみのゴジラとキングコングを従えた多胡部長が現れて、「こりゃ、大ヒットだよ!」と満足気なセリフを吐いて「終」となるとのことだったのですが、流石にこのアイデアはNGになったとか。
 しかし、このエピソードを聞く限りでは、作り手側が、日米二大怪獣を同じ土俵で戦わせるために試行錯誤していたことが痛感されてくる気がします。もちろん、だからと云って、なんじぇいさんの書かれた、

>偉大な原作者たちがそういうハチャメチャなコラボをしたんだから、コラボに関しては問題はないのだ
 
 に対する言い訳にはなっていませんけれど…。

【キンゴジ】問題について等 - エクセルシオール (男性)

2019/12/05 (Thu) 19:55:20

 ゴジラと他作品との野放図なコラボレーションを容認する理由づけとして『キングコング対ゴジラ』を持ち出す向きに対しては、以下のように反論できると考えられます。

 まず、一般論として何事にも限度というものががあります。もしコラボに限界がないのならば、極端なことを言えばアダルトコンテンツなどとコラボしてもかまわないことになりますが、そのような見解を支持する者はいないでしょう。

 次にゴジラとキングコングの間には「怪獣」という共通点が存在します。そのため両者をコラボさせることはさほど無理のあることではありません。しかし、今回問題になった『シンフォギア』は変身ヒロインアニメであり、特撮怪獣映画であるゴジラとは大きな隔たりがあります(『スーパーロボット大戦』『47HEROINES』でも問題は同じ)。ゆえに、『キングコング対ゴジラ』を持ち出して『シンフォギア』等とのコラボを正当化することは困難です。
 また、キングコングの設定もかなり変えて一種のパロディのようになっていること、怪獣決戦にはパワーバランスが必要であることからキングコングの強化はやむを得ないこと等も考慮するべきでしょう。

 第三にステイタスの問題。怪獣映画の歴史においてキングコングはゴジラと肩を並べうる唯一と言っても良いキャラクターです。ゴジラが怪獣王ならば、キングコングは怪獣の元祖であり、『キングコング対ゴジラ』は「偉大な先達に来ていただいた」作品であると言えるでしょう(これに近い作品があるとしたら『ルパン対ホームズ』であろう。ホームズファンには納得しかねるものではあるが)。しかし、昨今のコラボ事例でゴジラ側があえてやらねばならないものがあったでしょうか。無用の代物と評せざるを得ません。

 このようにキングコングをゴジラ映画に出演させたことに関しては確かに強引な点もありますが、怪獣が主役の怪獣映画という共通の土俵はあったわけでギリギリ許容の範囲内であったと考えます。全くジャンルの異なるものとのコラボと同一に論じることはできません。
 
 なお、私は異なるジャンルとのコラボを全否定まではしません。しかし、それならば思い切って対極のジャンルと行ったほうが良い。例えば、ゴジラ達を可愛くデフォルメしたうえで、アイカツやプリチャンみたいな子ども向けのアイドルアニメとコラボしたら、それはそれで面白いし、デフォルメによって本来のゴジラと明確に距離を置くことができるので問題が少ないからです。 


>当初のアイデアとして、クライマックスの熱海決戦が終ってエンドマークが出た直後に場面が一転し、実は全てはパシフィック製薬がスポンサーになって作った劇映画だった、というメタフィクション的な大オチ

 これは初耳でしたが、当時としては斬新すぎる結末であり、おそらくやっていたら非難轟轟だったと思います(今ならうけたかもしれないが)。ただ、ちょっとは観てみたかった没案ですね。

Re: 【キンゴジ】問題について等 - なんじぇい (?)

2019/12/05 (Thu) 21:22:30

お二人の返信ありがとうございます。

エクセルシオールさんの意見はほとんど納得しましたが、その意見だとウルトラマンやガメラとのコラボがアリになってしまうとは思います(ガメラも有名な怪獣映画です。少なくとも『シンフォギア』よりはよほど)。

ここからは私がお二人の意見を聞いて感じたことを書いておきます。


海軍大臣さんの没案のお話を聞いて思ったことですが、最近のコラボレーション企画は、コラボすることのみを目的とし、それで満足してしまっているのではないか、ということです。


コラボレーション企画によるメリットとは、マーケティングの面を除き作品の面だけで言うと、双方のキャラクターの良いところを重ね合わせて相乗効果が出ることと言えます。
仮に『ゴジラvsシンフォギア』において、コラボストーリーが双方の良さが出た良質なものであれば、私はそれはそれでいいのではないかと擁護したでしょう。
ある程度確認してみましたが、残念ながらそういうものはありませんでした。

逆に言えば、ガメラやウルトラマン等のある程度ジャンルが重ね合わさっているものであるならば、ストーリーをしっかり練れば面白いものができるかもしれない、ということで私はアリと考えます。
特にガメラは、あまり知られてはいませんが大阪万博のショーで戦っています。
尤も今戦う際はガメラにかなり下駄を履かせなければいけないでしょうが……(特撮マニアではある程度言われてはいますが、現状では体重差が100倍以上あるためガメラはゴジラのパンチ一発で沈む)
尤も、今のような「とにかくコラボしたい」等の粗製乱造状態では、そのような良質な作品は無理でしょう。
しかし、しっかりとしたストーリーを作れるならば、「夢の対決」を実現させてもよいと私は思います。
ただし、今の状況を見る限りではまだ夢のままであった方がいいかもしれません。



なお大阪万博の話ですが、ゴジラ対ガメラは1970年の大阪万博のショーで戦っていたという話があります。
他の話ではなんと中島春雄さんがゴジラ役をしていたそうで、勝敗はその時々のノリで決めていたという、今では考えられないおおらかなものだったという話も聞きました。
https://togetter.com/li/697455
一昔前は著作権が緩かったのか、もしくはガメラ全盛期の頃だったからかは知りませんが……とにかくコラボはあったということです。

Re: 蛇足ですが - 海軍大臣 (男性)

2019/12/05 (Thu) 23:35:38

 大阪万博でのゴジラ対ガメラでは、ゴジラ役が本職の中島春雄さんだったのに対して、ガメラの方はアルバイトの素人さんがヌイグルミに入っていたため体力が続かず、毎回ショーの時間がもたなかった、との話も聞きます。
 ちなみにこの企画は、当時公開の【ガメラ対ジャイガー】そのものが万博とのコラボ企画だった関係から生まれたのではないでしょうか。

Re: 私も蛇足ですが - なんじぇい (?)

2019/12/06 (Fri) 16:14:04

追記ですが、私は「コラボすることそのものが悪い」とは思いません。
たとえ『ゴジラvsシンフォギア』だろうと、コラボすることで双方に意義がある良質なものやストーリーとなるならばやってもいいとは思います。


ただ正直『ゴジラ対ガメラ』よりもずっと難しいとは思います(『シンフォギア』にも一応怪獣らしいものは出ますが)……相当な期間と努力を必要とするでしょう。
今のような状況なら文字通りの夢物語と言わざるを得ないでしょうし、やはり見たときにダメだとは思いましたが。

今のような粗製乱造の状況が続く限りは、こういうかけ離れたジャンルとのコラボはやるべきではない、ストーリー性や双方の世界観をもっと重視すべきという考えでまとめておきます。



なお、話題性のみを目的とした粗製乱造コラボは、昨今のシナリオ面の大幅な軽視と繋がっているのではないかとひしひしと感じます。

Re: ゴジラ大丈夫・・・? - エクセルシオール (男性)

2019/12/06 (Fri) 21:20:46

>ウルトラマンやガメラとのコラボがアリになってしまう

 確かに「怪獣」という共通項をもってコラボの可否を決めると、理論上はその可能性を否定できません。

 ただ、可能であることとそれが適切かは別問題です。また、コラボのレベルも様々であり、単なるイベントやグッズ等にとどまるのか、それともキャラクターを共演させるクロスオーバー作品を作るかでは、全く異なってくるでしょう。
 なお、ガメラとウルトラマンでも違いがあり、後者の方がハードルが高いと考えます。ウルトラマンシリーズは怪獣が主役ではなくあくまでウルトラマンが主役であるためです。正直、ゴジラとウルトラマンでクロスオーバー作品を作る術が思いつきません(ジラースの事例はあるが変則的である)。

 大阪万博でのゴジラ対ガメラに関しては私は初耳ですが、これは子ども向け着ぐるみショーの類であり、別にいいでしょう(子どもたちが喜んだのであればそれが一番)。
 この一件は中島春雄さんの著書『怪獣人生』に書いてあったとも聞くので、今度読んでみようと思います。
 

ゴジラ対ウルトラマン…… - なんじぇい (?)

2019/12/06 (Fri) 21:46:52

正直な話、ゴジラ対ウルトラマンをやってしまう可能性はゴジラ対ガメラより数段高いと見ています。

というのも、2021年に『シン・ウルトラマン』が公開されますが、『シン・ゴジラ』と同じ東宝系であり、同じ庵野監督と樋口氏によるものです。
『シン・ウルトラマン』が大ヒットした場合、彼らや東宝が『シン・ゴジラ対シン・ウルトラマン』をやる可能性は十分にあり得ます。

また現在は完全に休眠状態のガメラと違い、ウルトラマンは現在進行形で続編が製作され続けていることも(マーケティングの面に関しては)可能性の1つに挙げられるでしょう。

少なくとも「あり得ない」等と断言するべきではないと感じます。

訃報 - 海軍大臣 (男性)

2019/11/30 (Sat) 00:00:56

 矢島信男監督が亡くなられたそうです。
「特撮冬の時代」と呼ばれた70年代後半~80年代初頭にかけて、【夜叉ケ池】やTVスペシャル【銭形平次・大江戸大地震】などで素晴らしいミニチュア特撮を披露して、独り気を吐かれていた方だけに真に残念でなりません。
ただただご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

Re: 訃報 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/12/01 (Sun) 11:27:16

 ああ、とうとう・・。
 矢島監督は草の根的に特撮を生き延びさせて下さった方だと思います。

 円谷やピープロに呼ばれて手がけた映像では、合成を積極的に使って本編と特撮の融合を図っていたことが印象的です。

「ジャイアントロボ」、もう何十年も見ていないので、なんとかしてまた見ようかな。

 矢島信男監督に感謝と哀悼の意を捧げます。

ごめんなさい 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/11/27 (Wed) 22:27:57

 なにも書けなくて申し訳ないです。
読んではいますーーー

メカゴジラの元ネタ 再考 - 海軍大臣 (男性)

2019/11/24 (Sun) 23:49:47

 以前、本掲示板でマリンコングや鬼太郎の大海獣の名前が挙がった「メカゴジラの元ネタ」ですが、先日ちょっと興味深い文章を見つけました。作家の戸川幸夫さんが御自身の少年期に夢中になった冒険小説として、少年倶楽部に連載されていた『暴れ大怪獣』(江見水蔭・作)なる作品を上げられているのです。
 この小説は昭和二年に単行本化されており、その内容というのが驚いたことに、モンゴルの砂漠地帯に謎の巨大怪獣が出現して暴れ回るのですが、実はその正体は秘密結社が製造したロボット兵器「怪獣タンク」だった、というものなのです。他にも大怪鳥型飛行艇なるものまで登場するようで、RKO版【キング・コング】よりも早い時期にこんな小説が書かれていたとは(しかも当時の少年読者たちの間では吉川英治先生の長編伝奇小説『神州天馬侠』と人気を二分するほどの評判だったとか)全くの驚きです。
 単に古代の恐竜が出現する話であるならば、ダイナメーション勃興期の映画【ロストワールド】が先行作品として存在はしていますが、ロボット怪獣という発想は時代を先取りし過ぎていて恐ろしいようです。【メトロポリス】のロボット、マリアよりもイメージセンスがずっと先をいっているように感じられてなりません。或いは既に洋物SF小説にこのような元ネタになる作品でもがあったのでしょうか?
 兎も角、それだけ人気があったというのならば水木しげる先生のような戦後活躍された或る世代のクリエーターたちに色々な面で影響を与えていても不思議じゃないと思いました。

アニゴジから1年 - エクセルシオール (男性)

2019/11/21 (Thu) 23:14:35

 思えばアニメ映画ゴジラ三部作が完結してから1年になります。ものすごいことにいまや「そんな映画があったの?」という雰囲気になっており、あれだけの巨大プロジェクトの末路としては寂しい限りです。

 アニメ版ゴジラは長編劇場用映画三作に加え、小説四冊、漫画版も出るなど一大メディアミックスがなされました。第一作目の公開時には特別宣伝番組が放送され、NHKですら「最高のCGでゴジラを作る試み」を特集したドキュメンタリーを放送するほどでした。それがなぜ半ばなかったことにされつつあるのか?

 アニゴジがお世辞にもうまくいかなかったことについてはきちんと総括が必要です。ところが、東宝にもクリエイター等にもその気配がない。特撮メディアもアニメメディアも無視(概して提灯批評しかできない傾向が強いので、もともと期待できないが)。困ったことに一部のマニアックな肯定的評価のみが滞留している状況です。
 
 私自身はアニメでゴジラを作ること自体は否定しません。ですが、このアニゴジ三部作は全くダメであり、怪獣映画ファンに肩透かしを食わせることのみに血道を上げていた感があります。また、キャラクター描写も問題だらけであり、特に主人公ハルオ・サカキはいろんな意味でひどかったですね(特に最後の決断は論外)。
 
 正直、あんな変な映画を作るくらいなら、「怪獣惑星と化した地球の片隅でつましく生きる人々の日常系コメディアニメ」でも制作した方がよほどよかったのではないか。それならメジャーな怪獣を背景設定のみにとどめてもさほど問題がなかったように思います。

Re: アニゴジから1年 - なんじぇい (?)

2019/11/22 (Fri) 08:29:09

アニゴジに関しては特に2作目以降が私にとってはシリーズ最低を更新する不出来さでしたが、1作目の初週の興行収入ですら「映画全体でも5億円程度の出だし」と、まさしく悲惨としか言い様のないものであったことが特筆すべきものであったと思います。
映画全体でも5億円と出たのは月曜日でした。1作目の公開は前週の金曜日なので、少なくとも4日目にはもうコケていたということになります。

いかに不出来でもゴジラブランドで1作目の初動でここまでコケた場合、「出来以外に何らかの問題があった」と言わざるを得ません。
個人的にはCMを見ていても曲もキャラクターもゴジラらしさを全く感じなかったのが問題と見ていますが……

とはいえ、面白ければ初動が悲惨でも巻き返した例はいくらでもあります。その為初動で既にコケていたのは事実ですが、その後も悪ければそれだけを言い訳にすることは間違いだと考えます。

追伸です - なんじぇい (?)

2019/11/22 (Fri) 11:35:25

それ以上に大きな問題を書き忘れていました。

アニメという子供向けが多い媒体でありながら、内容や予告は子供向けでは全くなかった(というより予告のキャラデザインの時点で置いてきぼりにしていた)ことが、初動からダメだった最大の問題だと思っています。
今東宝がちびゴジラ等を展開しているのは、その反動かもしれないと考えています。

Re: アニゴジから1年 - エクセルシオール (男性)

2019/11/23 (Sat) 20:30:47

 作品として巻き返しが図れたのがいつまでだったのかですが、それは第二作目段階だったと考えます。二作目はメカゴジラの存在が一番の目玉であり、300メートルのゴジラと同じ大きさのメカゴジラが対決する構図をほとんどのファンが期待していました。また、前作でゴジラに大敗したハルオが全く異なる考えのフツアの民に救われたことから、彼が考えを改める切欠になるだろうと思われていました。
 ところが、実際にはメカゴジラは登場せず巨大工場都市みたいなものが描かれただけでしたし、ハルオは全く考えを改めず再びゴジラ打倒に突っ走り、おまけにまた大敗してしまいます。「詐欺だ」という声が上がったのも無理はありません。頼みのメカゴジラを出さず、一作目の焼き直しような話を展開させ、物語全体の3分の2まで使ってしまった・・・。このことが致命傷になったと思います。

>アニメという子供向けが多い媒体でありながら、内容や予告は子供向けでは全くなかった(というより予告のキャラデザインの時点で置いてきぼりにしていた)

 もともとスタッフは子どもを念頭に置いていないばかりか、一般的な怪獣映画のファンのことも考えていなかったようです。彼らは一部の玄人筋の方向だけを見ていた感がありますね。
 キャラデザインに関してはもう少し一般的に受け入れられるものにすべきだったと思います。確かに共感を阻害するような感じがしました。もっとも、キャラの描き方や扱いはデザインよりはるかに問題がありましたが。

1億総オタク化? - なんじぇい (?)

2019/11/17 (Sun) 19:51:50

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/1911/13/news117.html

しっかりとしたデータで、さすがに驚きましたので作成しました。



なんと10代~30代の人々のいずれも半数以上が、オタクだと自認しているという調査が出てきたのです。
10代に至っては、7割以上という驚異的な数字です。

オタクにしても歴史か特撮か鉄道かはたまたアニメかは分かりませんが、オタクではない人(要するに多趣味、もしくは無趣味)という存在が激減していることが明らかになりました。


ギドラさんはオタクだけに向けず万人向けのものを作った方がいいのではないか…という趣旨のことをおっしゃっていて、私もそう思っていました。
しかしこうなると、根本から考え方を改めざるを得ません。現実はオタクが多数派になっているようなのです。

こうなると、映画作りというより創作のあり方やマーケティングのターゲット層等も大きく変わってくると思うのですが、いったいどう考えていけばよいのでしょう。


私もオタクなのですが、色々考えさせられるものでした。
そしてあまりの衝撃で、少し呆然としています。

Re: 1億総オタク化? 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/11/18 (Mon) 19:21:36

 細かく書く時間的余裕がないので、極めてざっくりと書きます。ご勘弁を。

 私が言う「オタク」とは定義が違っている話だと思います。
もちろんビジネスモデルとしては低予算で狭いジャンル(私が言うオタクが好むような題材を扱う)に限定した作品づくりをして、
最低限の観客を確保して商売を成り立たせるという方法はあるでしょう。

「オタク」を趣味人という意味に捉えるならば、なんらかのジャンルに入れ込んでいるとしても、その人には仕事があり生活があり生きているのですから、
映画・テレビ・舞台演劇・小説が取り扱う森羅万象のあれこれに興味を持たないはずがありません。

 優れた作品を送り出せば、多くの人に受け入れられます。
(多くの人に受け入れられた作品が優れたものとは限らない)

 先日見たドキュメンタリー映画で宮崎駿氏が言ってました。
「私はオタクじゃありませんよ。オタクは何も学ばない」
 そんなオタク向けに作品づくりをする必要はありません。

 ただ、このデータの上位がアニメ・漫画・ゲーム・アイドルとなっているあたりにはちょっと別の問題が潜んでいるような気はします。

Re: 1億総オタク化? - なんじぇい (?)

2019/11/19 (Tue) 00:08:34

おっしゃる通りでした。確かにオタクの定義が違っていたようですね……

ただ人気のジャンルのアニメ・漫画・ゲーム・アイドル・Youtubeの実況・ボーカロイド(初音ミクとかです)などと比べ、全世代で特撮が圧倒的な差をつけられ下に甘んじているのは、露骨な『特撮離れ』が見られて辛いものがあります。

尤も大昔では視聴率20%以上を平然と出していたウルトラマンが今は見る影もないため、何となく予想はついていましたが……

この暗澹たる状況から特撮が復権することは可能なのかと、別の意味で暗い気持ちになります。

急報! - 海軍大臣 (男性)

2019/11/10 (Sun) 07:04:22

ついに出ました! 浅野詠子 著「彫刻家 浅野孟府の時代 1900~1984 」(発行:批評社)!

あの利光貞三さんの師匠であり、特撮美術スタッフとして円谷英二と史上初めてタッグを組んだ重要人物でもあります。
著作中には【ハワイ・マレー沖海戦】についても触れられていて、是非是非お勧めの一作となっています。

Re: 急報! 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/11/11 (Mon) 20:34:36

おお、買うぞ! 読むぞ!

Re: 急報! 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/11/17 (Sun) 16:29:11

 入手しました。
 そして目次をめくってのけぞりました。

 「第7話独立プロの時代と浅野兄弟」の中に、
「回想、1942年の『ラーマーヤナ』」という項目を見つけたのです。そのくだりだけ読みました!

 2003年7月、CSのチャンネルNECOの廿世紀シネマライブラリーという企画で幻の特撮映画として人形劇映画『ラーマーヤナ』が放送されました。

 製作年・スタッフ一切不明という触れ込みでした。
オープニングに東宝マークが出るので東宝製作ということはわかります。その東宝マークの下には
「トウホウカブシキガイシャ」とカタカナで左から右へ表示されていたで、
ひょっとすると戦後の作品か?とも思いましたが戦中だとしても横書き表示にはその方向に決まりはありませんから、
多くは右から左に書きましたが、左から右へ表示するものもあります。

 というのは余談として、作品を見るとミニチュア・合成、さらに人形が演じる人物(人間や猿)に対して巨人を人間が着ぐるみを着て演じているあたり、
もちろん東宝製作ということも鑑みれば円谷英二によるものではないのか、と疑っていました。

 それが、この「浅野孟府の時代」を読むと、1942年の作品であり、当時特技課にいた川内康範氏がシナリオを書き、もちろん円谷英二の手による作品であることが明らかにされていました。
 人形製作は浅野孟府氏とのこと。
 川内康範氏の述懐は2013年出版の書籍に出てくるそうな。

 少しずつでもいろんなことが明らかになってくるもんです。
 全体を読むのが楽しみな本であります!

人形劇映画『ラーマーヤナ』

ゴジラフェスでの対談で…… - なんじぇい (?)

2019/11/04 (Mon) 09:32:01

また別の話題をすみません。

今年もゴジラの日の11月3日が過ぎ去りましたが、ゴジラフェスにおいて、富山省吾プロデューサー・大河原孝夫監督・大森一樹監督・手塚昌明監督・金子修介監督の対談が話題になっています。
https://movie.walkerplus.com/news/article/211115/

そのなかで「次のゴジラ映画を撮るなら?」という企画で、上の記事にも少しその傾向が見られましたが、大森監督が「ぜひ撮りたい」とひときわ熱っぽく語っていたらしく、内容は『モスラvsバガン』『ビオランテ単体の作品』でした。

富山プロデューサーは『シン・ゴジラ』のような様々な作家性を出したゴジラ映画およびメカゴジラシリーズ、大河原監督がスケルトンゴジラ、金子監督カマキラスや悪のゴジラが正義のガメラと戦う映画(たぶんこれはふざけてると思いますが……そうであってほしい)などが挙げられていましたが、どうなのでしょう。


ビオランテ単体の作品は書けなくはないとは思いますが、皆さんの意見をお聞きしたいです。


ちなみにスケルトンゴジラに関しては、私は無知にして分かりませんでした。

Re: ゴジラフェスでの対談で…… 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/11/04 (Mon) 15:46:22

記事を一通り読んでみました。

 んー、なんとも・・・。(納得できないなぁ)

 ビオランテ単体作品はあっていいと思います。
『ゴジラvsビオランテ』を最初に見たときの感想として、「ビオランテだけの映画にした方がいい」と思いましたから。

 スケルトンゴジラは私もわかりません。
なにかの資料本に書いてあったかなぁ?
ゴーストゴジラなら聞いた覚えがあるけれど。

Re: ゴジラフェスでの対談で…… - エクセルシオール (男性)

2019/11/04 (Mon) 16:35:28

 「ビオランテ単体の映画」が可能かですが、それはビオランテの設定をどうするかに関わってくると思います。
 現在のビオランテの公式設定はゴジラ、バラ、人間の細胞を融合させて作られた怪獣となっています。この設定をそのまま用いて作ることも不可能ではありませんが、どうしても「ゴジラの影」がついてまわり、独立した怪獣と言えなくなってしまうおそれがあります。

 そうなるとビオランテの設定からゴジラを外して作った方がよいのかもしれません。これは設定変更になりますが、実は『ゴジラVSビオランテ』の原案小説ではビオランテはゴジラ細胞抜きの人工生命という設定でした。それゆえ原案に回帰したと言えばよいので十分許容できるでしょう。
 なお、原案小説にはもう一体、デューテリオスという怪獣が登場しています(魚と哺乳類の合成怪獣)。こちらも活用してほしですね。

 スケルトンゴジラに関しては私も初耳です。ゴーストゴジラは『ゴジラVSデストロイア』の初期企画段階に登場する予定だったと聞いていますが。

 ゴジラ対ガメラ。これは怪獣映画ファンの間では長年「夢の対決」と呼ばれているものですが、はっきり言って夢だからいいのだというものだと思います。世の中には実現しないからこそ素晴らしいこともたくさんあり、「実現」してしまうと色あせてしまうものです。
 ただ、最近の無節操、野放図なクロスオーバーの連発を見ていると、今後ありえない話ではないと思います。なお、既に『巨影都市』というテレビゲームで、直接の絡みはないにせよ、ゴジラとガメラが共演したことがあります。

Re: ゴジラフェスでの対談で…… - 海軍大臣 (男性)

2019/11/04 (Mon) 16:40:03

 毎年11月3日は仕事の関係で、麻薬撲滅キャンペーンみたいな地域イベントに狩りだされるため、ゴジラフェスには行けないのですが、記事だけは読みました。
 話題のスケルトンゴジラとは、どうやらゴーストゴジラのことを指しているようです。確か以前、大河原監督のインタビューで目にした記憶があります。映像的には面白いかも知れませんが、オキシジェンデストロイヤーが生物を白骨化させるのが単なる化学変化ではなくて、「時間力」などという何だか訳のわからぬエネルギーによるものだとする、どう見ても無理無理な設定が存在していて、今更これをやるのはムヅカシイんじゃないでしょうか?

 あと「ゴジラVSガメラ」の方は、確かミレニアムシリーズの頃だったと思いましたが、何かのファンイベントでこれを望む声が出た際に、そこに出席されていた東宝関係者(現場ではなくて製作サイドの方でした)から、ゴジラをわざわざガメラと同じ土俵で相撲を取らせたところで、東宝には何のプラスにならない、との発言があったと聞きます。ですから今後、余程の事情でもない限り、両雄がスクリーンで並び立つことは起こり得ないようですね。

背景設定など知りようもなく - なんじぇい (?)

2019/11/01 (Fri) 15:00:22

少し前にキングオブモンスターズが上映されたとき、観た同級生達が一様に「昔のゴジラよりずっと面白かった」みたいなことを言っていたことがありました。
昔のゴジラとはなんのことか、と聞くと初代ゴジラだったり、あるいはVSシリーズのどれかだったりしました。
どうも、怪獣がチャチすぎて作り物にしか見えず、リアリティがなくつまらなかった、というものでした。
ストーリーの言及は、「初代ゴジラはなかなか怪獣が出てこなくてつまらなくて寝てしまった」という意見が飛び出したくらいです。
ただシン・ゴジラに関しては地上波で観た程度でしたが「ゴジラが寝てばかりでほとんど動かないしつまらない」みたいなことを言ってはいました。
2014年のギャレスゴジラも同じでした。ゴジラがなかなか出なくて暴れないからつまらない、です。



聞いていたときには大抵の人は時代による特撮技術の差など考えずに、あるがままだけで感想を言ってしまうのだろうなあ、と思いましたが、同時にこのようなことが延々と続けば、「CG技術は常に上昇し続けるため、ゴジラが多く出てCGの素晴らしい新しいゴジラこそが一番面白い映画である」みたいなことになりかねないとも考えてしまいました。


怪獣映画ではありがちですが、特撮やCGだけを評価し、ストーリーを過小評価しがちなところがあります。
最近の日本映画やアニメも脚本が劣化しているなどと言われることもありますが、それは客側が映像やアクションのみを評価するということに原因があるのかもしれないとは考えました。


「ゴジラがなかなか出ないからつまらなくて寝てしまった」が蔓延したら、社会派の映画は終わりのように感じます。
いかなる素晴らしい脚本を書き、批評性を込めようとも、観客が寝てたりつまらないと考えてしまっては意味もありません。
逆に言えば、そういう見方をしても『シン・ゴジラ』はつまらなく感じるのか、とも思いましたが……

このようなストーリー軽視の傾向を止めるのはどうすればいいのでしょうか。

私は「どうにか今の人々の感覚に合わせて(アクションの比率を大幅に増やす)、それでストーリーを両立することはできないのだろうか」とは思いました。
少なくとも寝られるよりは良いという考えです。
それでストーリーをちゃんと観てくれるかと言えば、激しい疑問を覚えますが。

Re: 背景設定など知りようもなく - なんじぇい (?)

2019/11/01 (Fri) 16:41:20

追伸ですが、私も昔はそのような見方をしていました。

具体的には幼い頃は、『ゴジラvsモスラ』の方が『モスラ対ゴジラ』より良いと考えていたのです。

単純にストーリーなどほとんど分からない読解力しかなかったからですが、幼い子供をターゲットにするならば、上のような考え方を取り入れるのもアリだとは思います。

ちなみに今の私も『vsモスラ』は駄作だとは思ってはいません。当時流行りの大規模リゾート開発の社会問題に斬り込んだテーマと、もたつかずとにかく飽きさせないことに特化した構成を両立させようとしたことはいいとは思っています。
突っ込みどころはありますが……幼い子供なら『vsモスラ』の方が面白いのでは? とは考えてしまいます。

「ゴジラが出ないから寝た」「特撮がちゃちいのでつまらない」の場合は幼い子供ではなく、一般客なので不味いとは思いますが。

Re: 背景設定など知りようもなく 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/11/04 (Mon) 15:39:34

 いやもう身辺がばたばたしておりまして、じっくり文章を書く時間が取れないもので、いささか言葉足らずになるかもしれませんが、
大事な話なのでなんとか書いてみます。

 作品の見方、受け止め方は観客の自由なので鑑賞態度を云々は出来ないところではあります。
としても最近の映画のあり方はどうも先祖返りというか、原始状態に戻ったような物が多いな、と思います。

 映像音響技術が発達したためにドラマの組み立てがいい加減でも映像音響の刺激で上映時間を乗り切ってしまうようなものが多いですね。
低予算の心理劇などではそうでもないですが。

 この傾向は映画やテレビだけががんばっても改善されるかどうかなんとも心許ないところです。
(ストーリーが遺漏なく組み立てられていることの効能は略します)

 世界的に論理的に物を考えることが軽視されているように思えます。
感情的な反応で物事が動き、その感情に正当性があるのかどうかの反省・検証がない。
簡単な例を挙げれば、近年日本においては浮気・不倫の類いを全力で叩くのが当たり前となっていますが、それが真に正義なのかどうかを問う動きが見られない。

 映画・テレビのストーリーにおいても似たようないい加減さが横行しています。

 そうなるとストーリーに向き合う姿勢が失われ、派手な見せ場だけあればいいということになるのでしょう。

 ひょっとするとインターネット発達の弊害なのかもしれません。
いまやネットではツイッターが主役です。短文でインパクトのあることを書かねばなりません。
論理より感情が優先されるのも仕方がない表現形式と言えないでしょうか。
多くの人がツイッターに慣らされた結果、じっくりと流れを作るような表現について行けなくなっている、なんてことはないでしょうか。

 刺激のみを求める観客とストーリーと映像の流れを重視する観客の両方を満足させることはある程度は可能かと思いますが、
派手なシーンだけを数珠つなぎにした作品が作り出す高揚感と、ドラマの流れでじらしやタメを作って盛り上げる作品が持つ高揚感は両立しないので、
作り手としてはどっちかに軸足を置かなかければならないでしょう。

 ストーリーがわからないほどの小さなお子様向けで、尺も短いものであればただただ激しいシーンだけを見せても良いのかも知れませんが、
子供向けであればそこに教育効果も含まれますから、大人向け以上にレベルの高い作品であるべきだと思います。
派手なシーンを羅列しただけのテレビ・映画ばかりみて育った人間がどうなるのか?と考えることが必要です。
子供が喜ぶからと甘いお菓子だけ食べさせていたら体を壊しますよ。

 補足。
 映画の審美眼が未熟であれば、構図やカット割りの妙・ストーリー構成の技にまでは気が回りませんから昔の特撮映画がつまらなく思えるのは仕方ないです。
最新の映画技術を使った上で、昔の名作が持っていた美点を取り入れれば現代の名作になるというのが私の考えです。

淋しくなるばかり 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/10/28 (Mon) 18:42:24

 八千草薫さんも去ってしまいました。

 特撮ファンとしては『ガス人間第一号』の藤千代、ということになるのでしょうけれど、
『白夫人の妖恋』や『孫悟空』(とくに悟空が化けた態)で見られたちょっとお転婆な感じも非常に魅力的でした。

 ベテランになってからも可愛らしさを失わない希有な女優さんだったと思います。

 合掌

Re: 淋しくなるばかり - 海軍大臣 (?)

2019/10/29 (Tue) 07:05:59

 【ガス】や、のり平版【悟空】の他に八千草さん出演の特撮作品と云えば、御主人となった谷口千吉監督のメガフォンによる【乱菊物語】でしょうか。室の津の君の麗しさが思い出されてなりません。(ただし、主演の池辺良ちゃんがクライマックス場面で見せた殺陣は?でしたけど…)
 ただただ、ご冥福をお祈りいたします。

お知らせ 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/10/27 (Sun) 13:50:47

TV雑誌からの情報なので変更になる可能性もありますが、
11月8日(金)23時~23時55分NHK ETV 「にっぽんの芸能」で「野坂操寿の人と芸」と題した、箏曲家野坂操寿さんの特集を放送します。

 と、いま、野坂操寿さんのことをネットでサーチしてみたら、今年8月にご逝去していたことを知って愕然としています。
 伊福部曲の演奏家としても知られていて、私も何度か生演奏を聴いたことがありました。
 謹んでご冥福をお祈り致します。

 上記TV番組では「琵琶行」も放送される予定ですので、伊福部ファンは必見です。

緊急告知! - 海軍大臣 (男性)

2019/10/17 (Thu) 01:16:49

 川崎市の「岡本太郎美術館」にて、10/26よりゴジラやウルトラ絡みの企画展示が始まるそうです。取り急ぎ、ご報告まで。

Re: 緊急告知! 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/10/18 (Fri) 18:53:51

やや、これは良い情報をありがとうございます。

久々に太郎美術館へ行くってか~

またしても「ららら♪」 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/09/29 (Sun) 14:39:15

 NHK Eテレ「ららら♪クラシック」10月18日金曜21時~21時30分で、
伊福部昭特集です。

https://www4.nhk.or.jp/lalala/x/2019-10-18/31/66384/2133323/

(事情があってBBS投稿があまり出来ません。でも、管理・チェックはしていますので、投稿は歓迎です)

『帝都物語』、『帝都大戦』 - エクセルシオール (男性)

2019/09/10 (Tue) 21:27:56

 先日、久方ぶりに『帝都物語』、『帝都大戦』を視聴する機会がありました。この二作は80年代特撮映画の中で超大作の名をほしいままにした作品であり、今でもファンの多い作品です。もっとも両者の作風はよく見るとだいぶ異なります。

 基本的な物語は戦前、戦中の東京を舞台に、東京壊滅を狙う悪の魔人・加藤保憲と、彼を阻止しようとする人々の戦いを描いたものです。『帝都物語』では風水や呪術、陰陽道と言ったものが設定で多用され、オカルト的なバトル作品の先駆けともいえるでしょう。
 これに対して続編である『帝都大戦』では、風水等は陰に隠れ、超能力バトル映画のようになっていました。また、当時の映画の風潮からかグロテスクな描写が多く、前作は好きだがこちらは嫌いという方も少なくないと聞きます。

 この作品の特撮に関しては当時最高峰のものが用いられており、式神、怪物等のクリーチャーも強い印象を残します。『帝都物語』のクライマックスではの加藤の魔力によって動き出す阿修羅像や、式神と学天測(西村真琴博士が作った実在したロボット。なお、本作品で博士を演じた西村晃さんは実子)の対決などが面白かったです。

 ただし、この二作でもっともインパクトの強かった存在はやはり加藤保憲。演じた嶋田久作さんはこれが映画初主演だったそうですが、その存在感は勝新太郎さんをはじめとする並み居る名優たちを圧倒していたと言えます。まさにはまり役であり、嶋田さん以外が加藤を演じると違和感を覚えるほどです。

 『帝都物語』『帝都大戦』の二作は、怪獣映画以外のヒットした特撮映画として今一度見直してみる必要があると思います。

 さて、ここから先はおまけ。私は最初に『帝都物語』を見た時、敵である加藤保憲について「加藤保憲って普通の名前じゃん」と思いました。確かに名前だけ見ると大して怖そうに感じませんね。また、勝新太郎さん演じる渋沢栄一は迫力満点ですがとても堅気に見えません。
 それから『帝都大戦』。この映画では追い詰められた日本が起死回生を図るために高さ180尺の電波塔を建てて、丹波哲郎さん演じる大僧正の念力を電波に乗せて送り、ルーズベルトやチャーチルといった敵国の指導者を呪殺する計画を立てています。ホラー色の強い作品なのに、ここは笑ってしまいました。当時の私にとって丹波さんというと大俳優よりも『大霊界』のイメージが強かったため、「丹波の念力にたよらなければいけない日本はどのみちダメなんじゃないのか?」と思ってしまったものです。

 なお、荒俣宏さんの原作小説は戦後編まで書かれており、確か映画よりもぶっ飛んだ内容でした。すごいのはこのシリーズを出版していた角川書店の社長、角川春樹さんが実名で登場しあやしげな新興宗教の教祖として活躍すること。これは頭を抱えてしまう設定でした。

Re: 『帝都物語』、『帝都大戦』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/09/11 (Wed) 19:08:58

『帝都物語』は私もはまりました。
 劇場も超満員でかなりヒットしたと思われます。

 原作小説の派手なシーンをとにかく繋げていったという印象で、ちょっと強引なシナリオだったかと思いましたが、
84ゴジラ以後大特撮映画が途絶えていた時期の作品だったこともあり、満足感は高かったです。

 原田美枝子さんが良かったんだなぁ。
(当時のインタビューでは、監督に不満を感じたなんてことをおっしゃっていましたが・・)

『帝都大戦』は予定されていた中国ロケがキャンセルになってストーリーも改変せざるを得なかったとか。
 小説「帝都物語」で描かなかった戦中を描くという触れ込みだったのでかなり期待したのですが、うーーーん。
映画『帝都大戦』の原作扱いの外伝小説は読んでいないので比較は出来ませんが。

 そうそう「帝都物語」で知った渋沢栄一って、いろんなところに足跡を残していて驚くことばかりです。
 十和田湖にある博物館に渋沢栄一コーナーがあるんだもんなぁ。

 戦後篇、未来篇も映画化したらおもしろそうですが、内容的に無理かなとも思います。
 あれ? アニメの「帝都物語」というのもあったような気がしますが、どこまで描いたんでしょうね。

(小説は友人から借りて読んだので手元にないんですよ。これはイカンな)

Re: 『帝都物語』、『帝都大戦』 - エクセルシオール (男性)

2019/09/11 (Wed) 21:36:05

 アニメ版の『帝都物語』は1991年にOVA(オリジナルビデオアニメーション)として全4話作られました。アニメ化されたのは映画版とだいたい同じところまでですが、細部はかなり違いました(全部は観てないのですが)。
 何分、コアなアニメファン向けのOVAであるため、表現描写とかはかなりエグいものがありますので(「エログロアニメ」だという感想もあるらしい)、観るときには一定の注意が必要です。

 キャストについては、塩沢兼人さん、潘恵子さん、納谷悟朗さん、麻上洋子さん等、有名な実力派声優が多数出演しています。そして、加藤保憲役は映画と同じく嶋田久作さんです。
 視聴する方法としては、VHSを見つけ出すのは極めて困難で、DVDも発売が2007年ですから少し難しいかもしれません。一番確実なのはバンダイチャンネルの配信だと思います。第一話に限れば現在無料放送となっているので観てみてはいかがでしょうか。

 なお、『帝都物語外伝』という実写映画もあるそうですが(1995年)、非常に評判が悪いと聞いています。あらすじを見る限り私も観る気が起きません。
 

Re: 『帝都物語』、『帝都大戦』 - 海軍大臣 (男性)

2019/09/12 (Thu) 23:42:00

【帝都大戦】はエクセルシオールさんの書かれた通り、ちょっとグロテスクな描写が多くて好きではありませんが、【帝都物語】は数年前に川崎市民ミュージアムで実相寺監督の追悼特集が組まれた際に久々にスクリーンで再見しました。
 作品全体の感想としては、どうしても原作小説のダイジェスト的な仕上がりとなってしまっている辺りが欠点の様に感じられます。これは本作のみに限った問題ではなくて、長編小説を映画化する際に決まってぶち当たる大きな壁だと思います。最近の山田洋二監督が短編小説ばかりを原作に用いているのも、そうした問題からのようですね。

 ところで前述した追悼上映の際には、佐野史郎さんと嶋田久作さんをゲストに招いたトークショーが行われたのですが、本作撮影時のエピソードなどそっちのけで、佐野さんと嶋田さんでは身長にだいぶ差があるのに、顔の大きさは同じだとかいった話題で盛り上がっていたことを思い出します。
 また、友人が何処ぞの古本屋で入手した【帝都物語】の初稿シナリオでは、加藤保憲役に何と小林薫さんがキャスティングされていて驚いたことがあります。確かに嶋田久作さんほどの見た目のインパクトは感じられないかも知れませんが、それはそれで見てみたかったな、とも思っています。
 ちなみに私は未見ですが【帝都物語外伝】の方は、これを観た知人は全員が皆、口を揃えて、「これまでの人生で観てきた映画の中で、最低最悪の作品」だと云っていました。

Re: 『帝都物語』、『帝都大戦』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/09/15 (Sun) 12:59:07

 アニメ『帝都物語』第一話、試しに見てみました。(情報に感謝です)

 正直微妙な出来ですね。
尺の違いで映画版より筋運びは丁寧と言えますが、やはり派手なシーンを串団子状に繋いでいってる感ありです。
 これなら実相寺昭雄劇場版で十分というか、映画『帝都物語』のほうがずっとおもしろいです。

 加藤に小林薫案というお話で思い出しました。
 実相寺監督の何かの著書で『帝都物語』のオファーを断った俳優たちにちょっぴり恨み節を書いていらしたなぁ。
 いや、それが小林薫さんのこととは思いませんが・・・。
(監督が最初に構想したキャスティングに興味津々)

トムとジェリーとオーケストラ! 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/09/02 (Mon) 19:16:36

 9月1日、東京オペラシティ コンサートホール(『ゴジラ』ライブシネマ初演もここ)で行われた「トムとジェリーとオーケストラ!」に行ってきました。
マニアではないけれど、あたしゃ「トムとジェリー」の大ファン。ただし、最初のシリーズ(ウィリアム・ハンナとジョセフ・バーベラが監督した1940年から1958年まで)限定。
二代目監督のジーン・ダイチのものもまあまあ好きですが、それほどでもない。近年の物はまったく見てません。

 昨今流行りのシネマコンサートですが、「トムとジェリー」は8分弱の短編アニメでほぼ全編にわたって音楽が鳴り続けるという音楽映画でもありますので、
シネマコンサートには最適の題材と言えるでしょう。

 指揮・竹本泰蔵、東京交響楽団による演奏で「トムとジェリー」の劇伴を完全再現!
また「トムとジェリー」音楽の研究家・上水樽 力氏による、「トムとジェリー」音楽監督スコット・ブラッドリーのテクニック解説もあって充実の内容でした。

 演目は、
まず映像なしで「ただいまお昼寝中」の音楽のみを演奏。
私なんかは音楽を聴いて映像が思い浮かぶわけですが、そこまで詳しくない人にどのように聞こえたのか興味がわきました。

 次に「ワルツの王様」


映像つきの演奏です。

 「ワルツの王様」はヨハン・シュトラウスⅡの曲が主役の作品だったことで、
次には「トムとジェリー」の劇伴ではなくJ・シュトラウスⅡ「トリッチ・トラッチ・ポルカ」を演奏。

再び「トムとジェリー」に戻って「星空の音楽会」

映像つき

(ここで休憩)

第二部の最初は「土曜の夜は」

これはジャズが鳴り響く作品で、ドラマーの黒田和良氏率いるジャズバンド登場。


オーケストラ再登場で
「ネズミとり必勝法」


ラストは「ピアノ・コンサート」


 第二部はすべて映像付きでの演奏です。

 何が驚いたって、音楽ネタの作品では劇中で楽器演奏が行われるわけで、その映像に生演奏の音がぴったり同期するのです。
ずいぶん昔「伊福部昭音楽祭」で『わんぱく王子の大蛇退治』より「アメノウズメの舞」が映像付きで演奏されましたが、
どうしても映像と音にズレが生じていました。
 生演奏をビデオの映像にぴったり合わせるなんて、素人考えでもまず無理なことだろうとわかります。

 今回のコンサートでは、どのような工夫をしたのか定かではありませんが、映像の送り出しタイミングを生調整したりコマ単位での編集で演奏者のスピードに合わせたりしているようでした。
それから音色がオリジナルにそっくりだったのも特筆すべきでしょう。
(なにしろ「トムとジェリー」は各エピソードをそれぞれ10回以上は見ているはずで、音も覚えているのです)

「ワルツの王様」と「ピアノ・コンサート」でトムはピアニストになりますが、そのトムになりきって熱演したピアニストのCHIAKiさんもあっぱれ。

 そしてアンコールには、一曲目で映像なし演奏した「ただいまお昼寝中」を映像付きで演奏だ!
音楽のみのときには入っていなかった効果音もちゃんと生で入ります。


 大満足。
(合間のトークコーナーはちょっと緩すぎてだれる感じもありましたが・・)

 ここで改めて「トムとジェリー」の魅力を書いておきますと、
現実離れしたドタバタアクションのおもしろさはもちろんですが、それ以上に登場人物(いや猫・ネズミ・犬など)の心理を大事にしたギャグがお見事なのです。
不始末をごまかしたいとか女にもてたいとか、そんな動機の下に巻き起こる笑えるシチュエーション、演技・・。
 アクションの完璧な「間」、重い・軽い、固い・柔らかいといった質感にこだわって描かれた映像(絵だけでなくその動きも含めて表現される)も素晴らしいです。

 聞くところによると「トムとジェリー」は大人向けとして企画されたものだとか。
トムの所業を見るとたしかにそうだなと思えます。女好きで金に弱い、憎めないダメ男トム。
これは子供に見せる物じゃないでしょう。(私は社会勉強として子供に見せるべきだと思いますが)
 作品のクオリティも高度であり、大人が真剣に(?)楽しめるものだと思っています。

 今週金曜(9月6日)21時から21時30分、NHK Eテレ「ららら♪クラシック」は「トムとジェリーとクラシック、おかわり!」と題して「トムとジェリー」の音楽の魅力に迫ります。
(以前も一回特集していました)
https://www4.nhk.or.jp/lalala/x/2019-09-06/31/18796/2133319/

Re: トムとジェリーとオーケストラ! - エクセルシオール (男性)

2019/09/02 (Mon) 22:22:20

 『トムとジェリー』、懐かしいですね。私も子どものころに夕方再放送されていたものをよく観ていました。吹替が八代駿さんと藤田淑子さんだったので、おそらく初期の作品だったと思います。
 
 面白いのは観だした当初は可愛いくて頭の良いジェリーがトムをやっつける姿に喝采を送っていましたが、だんだんトムが可哀そうになってきたことですね(トムが勝つこともたまにはありましたが)。もしかしたらこれが「成長」と言えるものだったのかもしれません。


 『ららら♪クラシック』、私も観てみようと思います。


Re: トムとジェリーとオーケストラ! 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/09/04 (Wed) 19:09:33

>吹替が八代駿さんと藤田淑子さんだったので

 そうです、そのテレビ放送版こそ最初のシリーズを日本語版にしたものです!
(現在はその音声は封印されているみたい。ワーナーよ、ソフト化を許可せよ)

 さすがエクセルシオールさん、『トムとジェリー』も押さえてますね。
いまウィキペディアをみたら、青森県での初回放送データが間違っているなぁ。
1980年にATV(青森テレビ)が初放送となっていますね。
私はサンスターシオノギ一社提供放送を見ているので、1964~1966年のTBS系初回放送を見ていることになります。
当時青森県にはRAB(青森放送)しか民放がなかったので、青森での初回放送がATVというのも間違ってます。
(ってここで書くことじゃないか)

 80年代にATVが放送したのは確かで、それもどうかしているんじゃないかというぐらい繰り返し放送しました。
(んー記憶をたぐると、ATVでの初放送が1980年というのも怪しいな。それより数年前に週一で再放送があったように思うなぁ。しかしそれはRABだったかもしれない。
月金ないし月木の夕方にATVで放送したのは1980年からだったか)

 ATVは『トムとジェリー』を何ヶ月か放送して、別番組の再放送を入れ、それが終わると再び『トムとジェリー』が始まるという放送パターンを私が青森を離れるまで続けていました。
その時期にすっかりはまってしまったのでした。

『トムとジェリー』はお子様コンテンツとして認知されているみたいですが、その深みにもっと多くの人が気付いてくれるといいなぁ。

ウルトラシリーズについて - なんじぇい (?)

2019/08/17 (Sat) 23:06:35

『シン・ウルトラマン』の話題からの話です。
というのも、「ウルトラマンはずっと昔からなんでもありだ、もう何をやってもいいだろう」という意見が蔓延しているからです。

しかし、これはある意味では間違ってはいないように見えます。
正確には「色々やり過ぎたために、なんでもありになってしまっているように見える」でしょうか。


最初はウルトラマンは光の国であるM78星雲からやって来た、地球上では3分しか戦えない正義の味方という設定でした。
しかし、『ウルトラセブン』から3分の制限がないウルトラマンが登場し、『ウルトラマンレオ』ではウルトラマンレオはしし座L77星からやって来た戦士となり、40年以上も前の時点で縛りの大半はなくなってしまいました。
また同時期でも、復活怪獣でゼットン二代目やらメフィラス星人二代目やらの、元々の面影がほとんどないような怪獣が大量発生しています。

その後『ティガ』『ダイナ』『ガイア』の世界は元々の世界から違うパラレルワールドという設定となっていました。
またこのときから、ウルトラマンアグルのような、純粋な正義のウルトラマンとは言いがたいものが出てきます。
アグルは最終的に正義の味方となりましたが、その後ウルトラマンベリアルのような完全な純粋悪のウルトラマンが出てきました。

ネクサスでは子供向けとは思えない重苦しく暗い展開などもあり、最近は合体ウルトラマンが蔓延し、『ジード』のような地球人の防衛隊が登場しないウルトラマンも出るなど、確かにウルトラマンの定義が曖昧な感じになってしまっています。
これまでの作品をなかったことになどできませんし、ネクサスは売れなかった上に評価は芳しくはありませんが、ティガ・ダイナ・ガイアの三部作シリーズが一定のブームを作り、ファンも多いのは無視はできません。

個人的には『ティガ』~『ガイア』は設定はともかくとして、ストーリーは今の『タイガ』よりはいいと思います。
自分が子供時代に見たものですので、色眼鏡をかけているのかもしれませんが……

ただし、なんでもありになってしまった関係上、節操なさも見えてきているように思えます。


一体ウルトラシリーズにおいて、最低限守るべきものとはなんなものでしょうか。

Re: ウルトラシリーズについて 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/08/20 (Tue) 19:03:51

 ウルトラシリーズの規範をどう考えるかには大きく分けて二つのやり方があるでしょう。

 ひとつは、原典(原点と言ってもいいです)がどのようなものだったのかを見極めて、そのあり方に依拠するやり方。
もうひとつは、これまでのウルトラシリーズの歴史をすべて引き受けてその枠組で考える方法となります。

 おそらく、ウルトラシリーズを作ってきた方々は、二番目の考え方を採用してきたのでしょう。
結果として伝言ゲームのようなブレ・ズレが発生してしまったと言えます。

 前作ではこうだったから、今度はこれでどうだ、とまっすぐ積み上げているかどうかの検証も無く、
とにかく積み上げて行ったように見えます。

 その考え方で行くなら、もはやウルトラシリーズに規範などありません。
最低限、怪獣が出てくればウルトラということになるのでしょうか?

 というわけで、近年のウルトラマンにウルトラマンを感じることは無くなりました。

 さて私が考えるウルトラシリーズとは、「ウルトラQ」に始まり「ウルトラマン」「キャプテン・ウルトラ」「ウルトラセブン」まで続いたものが原点です。
ですから‘ウルトラ’と言っただけでは、ウルトラマンが登場するとは限らないことになります。

「ウルトラセブン」は「ウルトラマン」とは別世界の物語です。
どちらもM78星雲からやってきた宇宙人が主役ですが、まさにパラレルワールドの関係であり、作品を見る限り「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」が世界を共有しているわけではありません。
 しかし、別世界の物語であるにも関わらず、どちらもM78星雲から来た宇宙人を主役にしていることに作り手の強い意思を感じます。
ウルトラと呼ばれる宇宙人はM78星雲から来た者なのだ、と。

 それは規範としてもいいのじゃないかと思います。
M78星雲人ではない巨大ヒーローもたくさんいましたが、レオが出てくるまで誰もウルトラの称号を得ていませんでした。
(まあ、製作テレビ局の問題が大きかったのでしょうけれど)
「ティガ」が放送されたとき、どうやらM78星雲とは関係ないらしいと感づいてモヤモヤしたのを覚えています。

 そんな設定面での差異以上に気になるのが、ウルトラマンたちの性格付け、演出法です。
近年では地球人と何ら変わらぬメンタリティを持つ存在にされていて、ペラペラとよくしゃべります。
神秘性も何もありはしません。
 これではウルトラマンに見えません。

 一度M78星雲を捨てたウルトラマンですが、ここ最近はM78星雲人ということにはなっているのでその出自は正しいと言えますが、(オーブやR/Bは違ったか?)
その芝居がウルトラマンには見えないのです。

 などという不満も、すでに「ウルトラマンA」あたりから感じておりましたので、何を今更なんですけど。

 シナリオの問題は、ウルトラシリーズかどうかとは別問題で相当まずいことになっていると感じています。
私も、「ティガ」「ダイナ」「ガイア」のころよりかなり劣化していると感じます。
 最初のウルトラシリーズがすべて傑作揃いだったわけではありませんが、近年のものはシナリオの基本レベルでおかしな物が多いです。
事態に対する人物の行動が変だったり、状況を正しく視聴者に伝えることが出来ていなかったり、物語ることが下手になってきたと感じることが多いです。

 シナリオの煮詰めが甘いんじゃないでしょうか?
現場の声を聞いてみたいものです。

Re: ウルトラシリーズについて - エクセルシオール (男性)

2019/08/21 (Wed) 23:05:16

 ウルトラマンシリーズにおいてあくまで大まかな規範として守ってほしいものがあるとすれば、⓵ヒーローはM78星雲の光の国から来た宇宙人、⓶正義の味方の銀色の巨人、⓷活動時間は約3分、⓸ある程度の神秘性、⓹子どもが観ることを忘れないこと等といったところでしょうか。規範からの逸脱は全く許されないわけではないですが、その場合は相応の理由が必要です。

 近時のウルトラシリーズには多くの場合⓸が欠落している感があります。今放送している『ウルトラマンタイガ』などを観ても、ウルトラマンの神秘性は皆無ですし、それどころかそもそもあまり賢そうに見えません。これは少し行きすぎでしょう。

 かつても同様の問題が議論され、ウルトラマンの神秘性の復活が企図された作品がありました。オーストラリアで制作された『ウルトラマングレート』です。この作品ではウルトラマンは光の国の出身であるという設定はありますが、ウルトラ兄弟はカットされ(日本語版主題歌の2番に登場するだけ)、神秘の存在としてのウルトラマンが強調されていました。迷走中のウルトラシリーズにおいて道しるべとなる作品なのではないでしょうか。
 

 『ウルトラマンティガ』の放送当時、私も「光の国の出身ではない」という点は気になりました。今思えばティガをM78星雲から来た宇宙人にしても十分話は成り立ったと考えます。
 ただ、『ティガ』自体は良い作品でした。特に最後のガタノゾーアとの大決戦は非常に素晴らしい話だったと思っています。
 なお、『ティガ』には初代ウルトラマンが登場する話がありました(第49話の「ウルトラの星」という話)。一種のメタフィクションだったのですが、当時「やっぱりウルトラマンはこっちが正しい」と思ったものです。
 
 

映画ひろしま - 殿様ギドラ (男性)

2019/08/14 (Wed) 12:13:13

緊急告知です。
来る8月16日深夜24時(17日0時)より、映画『ひろしま』放送。
NHK ETVにて。
月間番組表には載っていなかったので、急遽放送が決まったものと思われます。
監督関川秀雄、音楽伊福部昭。
永らく幻の作品といわれていた『ひろしま』、ついにTV放送です!

オキシジェン・デストロイヤーの扱いについて - なんじぇい (?)

2019/07/29 (Mon) 22:02:47

『キング・オブ・モンスターズ』でも問題となった、オキシジェン・デストロイヤーの扱いについてです。

少し前に『ゴジラVSデストロイア』でも問題となりましたが、私はデストロイアの時の方が扱いはずっとよかったとは思います。

まず、オキシジェン・デストロイヤーは人類の到達点であり、芹沢博士以外には作れないということをちゃんと踏襲していることです。
単なる米軍の新兵器とされた『KOM』と違い、『VSデストロイア』では伊集院博士が作れたのはミクロオキシゲンまでで、人類の科学力ではオキシジェン・デストロイヤーには到底及ばない、といった描かれ方をしています。

そして、私はバーニングゴジラがオキシジェン・デストロイヤーに耐えたことは設定上は問題ないのではないか、とは思いました。
というのも、あの時「今のゴジラにはオキシジェン・デストロイヤーさえも無力なのか……」という台詞があります。
あくまでも「今のゴジラ」なので、バーニングゴジラだから耐えられたということを示しており、少なくとも設定を無視してはいません。

一方、『VSデストロイア』でもダメだと思うところはあります。それはゴジラジュニアが、オキシジェン・デストロイヤーで溶けなかったことです(多分あの時は死んでいるんでしょうが)。設定から判断すれば、ゴジラジュニアは溶けるべきだったようには思います。
ただ、ジュニアもVSゴジラも死んでしまってはあまりに辛い結末になってしまいますし、ちょっと無理矢理解釈すれば、デストロイアの浴びせた光線は一瞬だったので溶けるまではいかなかったのだ、とは言えますが。

Re: オキシジェン・デストロイヤーの扱いについて 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/31 (Wed) 19:36:24

 どうもどうも、そりゃあもう、『vsデストロイア』でのオキシジェン・デストロイヤーのほうがずっと納得できる形で登場しています。
怪獣デストロイアがどうやってオキシジェン・デストロイヤーを発生させ得たのかは不明ですが、怪獣の能力については説明できないほうがいいです。

 以前書きましたが、私も最初に見たときはゴジラが最期の時に唯一の弱点とされたオキシジェン・デストロイヤーを克服したのだという展開に喜んだクチです。

 それでも問題があるな、と思うようになったのは、劇中世界での蓋然性としてデストロイアがオキシジェン・デストロイヤーを作り出したことには問題がないとして、
では、表現として正しかったかと考えると、
第一作『ゴジラ』でオキシジェン・デストロイヤーが果たした表現上の役割を損なうことになりはしないかと気がついたからでした。

 水爆でも死なないゴジラ、というのは、事実上不死身という表現であり、それは大自然の人智を越えた力を象徴する存在と考えられます。
 そんなゴジラを、まったく謎の究極の科学力オキシジェン・デストロイヤーが滅ぼしてしまう。
そこに、科学の誤用ですべて(大自然・宇宙)を壊す可能性がある、という表現を読み取れます。

 そんなオキシジェン・デストロイヤーにも耐える存在が出てきてしまうのは、むむむむ、となってしまいます。

 明確に誤りだとまでは言えないのですが、ミクロオキシゲン止まりにしておいても良かったんじゃないかと思うところもあります。
いやしかし、ゴジラが死んでしまうという、いわば掟破りをやってしまったのですから、最期にゴジラが真に無敵になって死んでいくというのもゴジラファンにとっては冥土の土産と言えるのじゃないかとも思うんですよね。

Re: オキシジェン・デストロイヤーの扱いについて - エクセルシオール (男性)

2019/08/14 (Wed) 11:25:28

 『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』におけるオキシジェンデストロイヤーの扱いは後述するように噴飯物であり、『ゴジラVSデストロイア』の方が圧倒的によかったと私も思います。

 『キング・オブ・モンスターズ』(以下「本作品」と称す)におけるオキシジェンデストロイヤーは設定上もストーリー展開上も、テーマ性に関してもすべて駄目だと言ってよいでしょう。
 まず、オキシジェンデストロイヤーというものは『ゴジラ(1954)』で示されていたように世界を滅ぼす悪魔の発明です。芹沢大助博士がゴジラの惨禍を目の当たりにしながらその使用を拒否していたのは、「もしこの兵器の存在が明らかとなれば世界の為政者たちは絶対にそれを手に入れようとする。そして核兵器以上、ゴジラ以上の惨劇を世界にもたらす」からでした。
 ところが、本作品においてオキシジェンデストロイヤーは米軍の秘密兵器として脈略もなく唐突に登場し、いつだれが開発したのかも不明ですし、開発及び使用について何の葛藤も悩みもありません。
 また、その威力は監督によればオリジナルと同じだそうですが、それならゴジラは死亡消滅していないといけないはずです(宇宙怪獣のキングギドラはともかく)。ところが、ゴジラはダメージを受けただけで致命傷になっていない。見ている方は困惑しただけでした。

 性質が悪いのはオキシジェンデストロイヤーで倒れたゴジラを核兵器でよみがえらせたこと。核兵器の間接的肯定にしかみえないうえ、そのための出汁としてオキシジェンデストロイヤーを用いたわけですから二重によくない。
 結局、本作品におけるオキシジェンデストロイヤーは、第一作目で芹沢大助博士がゴジラを倒したことを「誤り」と考える監督の極端なゴジラ愛のためのご都合主義的なアイテムだったと言わざるを得ないでしょう。私は最悪の冒涜だと思っています。

 思うに、本作品にオキシジェンデストロイヤーなどいらなかったのです。単純にゴジラがキングギドラに敗れて海に沈んだことにすればよかっただけです。ところが、ドハティ監督はあえてそうせず、しかもインタビューでは「オキシジェンデストロイヤーがなければゴジラがキングギドラに勝っていた」とまで言っていました。何だかゴジラのために他の全てを踏み台にしている感がありますね。
 なお、ゴジラを復活させるために核兵器を使うことも不要でした。そんなのはモスラの超能力にでも頼ればすむことです。核兵器の使用はそれこそキングギドラに打ち込んだが全く効かなかったシーンを挿入した方が人間の無力さを明示できてよかったと思いますよ。


 余談。本作品の内容ではアメリカ合衆国がオキシジェンデストロイヤーを保有していることになります。とてつもなく怖い話のはずですが、どういうわけかこの点を疑問視する意見は少ない。もし多くの観客が「アメリカは(ロシアや中国と違って)悪いことはしないから問題なし」と考えているとしたらその不見識は犯罪レベルになってしまいますが。

『シン・ウルトラマン』 - なんじぇい (?)

2019/03/06 (Wed) 14:23:46

庵野秀明まさかの『シン・ウルトラマン』始動!『エヴァンゲリオン』最終作は先送り?
https://taishu.jp/articles/-/63863?page=1

所詮週刊誌飛ばし記事なので話半分ですが、驚きました。
不安の方が大きいですが、どうなんでしょう?

Re: 『シン・ウルトラマン』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/03/06 (Wed) 19:04:28

ええっ?
ええーーーー!

えー( ̄0 ̄)
うううう。

記事によるとハヤタ役がどうしたこうしたと書いてありますが、
「ウルトラマン」をリメイクするという企画なんでしょうか。
似たような発想で「ULTRAMAN」という勘違い映画もありましたね。

 どうかしてるぜ、としか・・・。(公開されても私は見に行きませんよ。TV放送待ちですね)

Re: 『シン・ウルトラマン』 - エクセルシオール (男性)

2019/03/07 (Thu) 21:03:24

 『シン・ウルトラマン』・・・。何でも「シン」をつければいいというものではないし、ネーミングセンスの枯渇も心配したくなりますが、それよりも内容の方が不安ですね(ゴジラに続いてウルトラマンまで無茶苦茶にされるおそれがある)。『シン・ゴジラ』が興行的には大ヒットしたので、今度はウルトラマンも庵野監督に任せりゃうまくいくだろうという発想が見え隠れします(しかし、彼はまずエヴァンゲリヲンを完結させる方が急務なのでは・・・)。

>似たような発想で「ULTRAMAN」という勘違い映画もありましたね。

 確かこの映画はかの『ウルトラマンネクサス』の前日譚として製作され、「ULTRAMAN PROJECT」というかなり巨大な計画の一環でした。ところが、メイン作品の『ウルトラマンネクサス』が大コケ(「鬱トラマン」では当然だろう)、企画が進行していた映画第二作目の製作は頓挫という顛末を辿りました。内容を鑑みると確かに「何か勘違いをしている」と言わざるを得ないものでした。 
 『シン・ウルトラマン』はもしかしたら、映画『ULTRAMAN』、ドラマ『ウルトラマンネクサス』以上の訳の分からない話になり果てるかもしれません。そうなればもはや悪夢ですね。

 そうそう『ULTRAMAN』というアニメ番組がネットフリックスで4月から放送されるそうです。これは『月刊ヒーローズ』という雑誌に連載されている漫画をアニメ化したもので、上記映画とは無関係です。ハヤタの息子がウルトラマンとして活躍する話だそうで、その姿は通常知られるウルトラマンとは大きく異なった機械的なものです(グリッドマンに近いか)。こちらはどうなるでしょうか。

 余談ですが、ウルトラマンと言えば中国でフルCGアニメ映画が製作されていましたね(『ドラゴンフォース さようならウルトラマン』という題名)。これはいまだ解決を見ぬウルトラマン国際権利紛争の産物であり、円谷は認めていませんが、実際に観賞した人の感想によれば「なかなかよくできている」そうです。個人的には観てみたいですね(当事者にはお互いに歩み寄って適当なところで和解してほしいものである)。 
 なお、日本ではなかなか観られませんが、近年の中国の特撮・アニメ等の進歩はかなりすごいようです。戦隊ものや仮面ライダーみたいな作品の他、プリキュアみたいな変身ヒロインアニメなども独自の作品が作られるようになっているそうですよ(それぞれ『巨神戦撃隊』、『鎧甲勇士』、『巴拉拉小魔仙(バララシャオモーシェン)』など)。これらも機会があれば視聴してみたいです。 
 

Re: 『シン・ウルトラマン』 - なんじぇい (?)

2019/03/08 (Fri) 16:30:48

>ウルトラマンまで無茶苦茶にされるおそれがある

怒られるかもしれませんが、個人的にはウルトラマンは、ゴジラほどは気にしてはいません。

理由としては「ウルトラマンには個体差があり名前が違う(ゴジラとスペースゴジラとメカゴジラを同一に語るのが間違いなのと同じ)」「大昔からとんでもないウルトラマンが乱発している」みたいなものでしょうか。
特に後者が本当に大きいです。

私が生まれるよりも前の遥か45年前のエースやタロウあたりから、旧作のウルトラマンを相当な回数かませ犬にしていたり(エースキラー、ヒッポリト星人、タイラント等々)、ゼットンやメフィラス星人が以前のものの見る影もないような容姿や生態をしていたり等が平然と繰り返されていました。
ウルトラの父・母・キングやウルトラの国の成り立ちなど、後付け設定も枚挙に暇がありません。
慣れと言えばそれまでですが、遥か昔からそのような傾向が繰り返されており子供の頃からそれを観ている以上、もうウルトラシリーズはしょうがないもの・そういうものと、どうしても思ってしまっています。


しかしそんな私でも『ネクサス』は好きではありませんでした。
理由は単純で「明らかに子供向けではない」というものです。案の定売り上げは落ちていました。
ストーリーも良くなかったような……(というより、物凄くつまらなかったので覚えていない)


そんなわけで、私としてはウルトラマンは「子供も楽しめて正義の味方でストーリーの出来が良ければいい」という感じの実に緩い考えになってしまっています。
尤も庵野監督なので、『ネクサス』よりさらに酷いウルトラマンが出てくるかもしれませんが……

Re: 『シン・ウルトラマン』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/03/11 (Mon) 19:18:31

 庵野氏によるウルトラマン、というのはどうやらガセネタだったみたいですね。
(まあ、火の無いところに煙は立たないということわざもありますが・・)

映画『ULTRAMAN』のコンセプトはハリウッドのアメコミ映画みたいにデートムービーとしても見られるもので、
かつTVシリーズ「ウルトラマン」第一話をリアル路線でリメイクするてな触れ込みだったと記憶しています。
だとすると、まあ、なんて出来の悪いポンコツ映画だったことか。
しかも「ネクサス」と連携させてリアル=重苦しいと勘違いしている風情が痛かったです。
「ネクサス」の細かいことはもう覚えていませんが、暗いストーリーというだけでなく、シナリオがずるかった覚えがあります。
後出しじゃんけんみたいな劇展開だったり人物の行動が強引だったり・・。つまらなかったですね。

 たしかにウルトラシリーズは相当昔からなんでもありになってしまっていますから、
いまさら何が出てきても驚いちゃいけないんでしょうけれど、
基本(怪獣・宇宙人にストーリー上のテーマがあり、ウルトラマンはケリをつける役)を忘れて、ウルトラマン同志の諍いなどに走るようなものはダメですよ。

 中国のウルトラマンには興味があります。
法的な権利者が誰かなんてことは利権を心配する人に任せます。
本家円谷プロがおかしなウルトラマンばかり作っているなら、誰が作ろうがウルトラマンとして全うであれば評価したいですね。

マンガ「ULTRAMAN」は雑誌に載っているのをぺらぺらっとめくった覚えがありますが・・・。
ハヤタの息子がウルトラマンになるなんて知りませんでした。
違うんだよなぁ。ウルトラマンと分離したハヤタは役目を終えたんですよ。
そこはもう触らなくていいのに。

Re: 『シン・ウルトラマン』 - なんじぇい (?)

2019/08/01 (Thu) 08:00:12

本当でした。
庵野氏が監修と脚本、樋口氏が監督、主演が斎藤工と長澤まさみで映画化されるそうです。
エヴァンゲリオンの完結後に庵野氏が合流するとか。

「ウルトラマン」の原点に立ち還り、当時初めてウルトラマンを見た衝撃を現代によみがえらせるそうです(『シン・ゴジラ』でも似たようなことを言ってましたが)。


https://www.khara.co.jp/2019/08/01/01/
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190801-00010002-spht-ent

Re: 『シン・ウルトラマン』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/08/01 (Thu) 19:32:02

 これはまた、素早いお知らせに感謝します。

 やっぱりやるのかぁ。
しかも東宝系なんですね。
 円谷は長年松竹と組んできたのに、こりゃ、東宝からすり寄ったんでしょうか。
そんなに『シン・ゴジラ』の成功体験が忘れられないの??
 でも、あれって映画の出来が良かったからヒットしたわけじゃないでしょ?
(ドキュメンタリードラマの手法を取ったことで、映画に鈍感な人がリアルだと勘違いした、報道映像に似た映像構成にしたことでリアルだと勘違いさせた、東京近郊の人は見知った場所が壊されることで興奮した、そして巧妙な宣伝戦略がうまくいった、のでしょ)
海外でさっぱりだったのを忘れたんでしょうか。

 白け気分で余計なことまで書いちゃったかな・・。

Re: 『シン・ウルトラマン』 - なんじぇい (?)

2019/08/02 (Fri) 21:06:33

ちょっと踏み込んでしまい申し訳ないのですが……

ギドラさんは監督に関しては本多猪四郎さんはともかくとして、それ以降のゴジラに関わっていた中野昭慶さんや大森一樹さん、川北紘一さんなども「本多監督」のようないたって普通の表記ですが、樋口真嗣さんに関しては「某監督」みたいな書き方をすることが気になっていました。
お嫌いなのでしょうか? それとも、過去に何か因縁があったのでしょうか?


私もストーリーは『進撃の巨人』などの惨状から、ほとんど評価しませんが、特撮という一点に関してはまあまあいいのではないか、とは思っているので……(逆に言えば、そこからは出てこないでもらいたい)

辛いことなので書きたくない、ということであれば、書かなくてもまったく構いません。

Re: 『シン・ウルトラマン』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/08/03 (Sat) 14:48:40

 樋口真嗣氏の名前を伏せて書いたことがあるとすれば、
文章全体として個人名を出すのはふさわしくないと考えたからでしょう。

 名前を書いたことはあると記憶しますが、樋口氏の関わった作品に納得できたものがないので、
貶すときに個人名を出すのは忍びないと考えて「某」という書き方をしているんじゃないかと思います。

 個人的に何かあったとかいうわけじゃないですよ。
発言を聞いたり読んだりすると映画に対する考え方が私とは違うんだなぁとは思いますが。

本当だったとは・・・ - エクセルシオール (男性)

2019/08/07 (Wed) 19:16:43

 『シン・ウルトラマン』に関しては誤報であったと思っていただけに、真実であると知り少なからぬショックを受けています。正直、不安でいっぱいですね。

>「ウルトラマン」の原点に立ち還り、当時初めてウルトラマンを見た衝撃を現代によみがえらせる

 言うは易しですが、こんなことが本当に可能だと思っているのでしょうか?「原点回帰」だけなら可能でしょう。しかし、長い歴史を持っている作品は既にそのイメージが固まっているものです。ゆえに今まで巨大ヒーローが存在しない中で初めてウルトラマンが現れた時と同じ衝撃を今の人々にもたらすことなど不可能です。なにせみんながウルトラマンを知っているのですから、どうしても他のウルトラシリーズと比較されてしまいます(上映と同時期に最新のウルトラマンのテレビシリーズが放送されている可能性も低くない)。
 
 となると、「当時初めてウルトラマンを見た衝撃を現代によみがえらせる」というより、「当時初めてウルトラマンを見た衝撃と同じくらいの衝撃を現代の観客に与える」というのが正しい見方でしょう。
 問題はその中身です。でかい衝撃を与えるだけならば方法はいくらでもあります。だが、単にショッキングというのであれば、とんでもない内容の映画になってしまう危険性があります(それこそ『エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』がいい例である)。

 そして、注視すべきは誰を対象にしているかです。ウルトラマンシリーズは間違いなく良い意味で「子ども向け」の作品でした。「大人の鑑賞に堪えうる」という名目で制作された一部の作品はろくなものになっていません。だが、庵野監督たちはそれをやってしまうおそれが多分にあります。スタッフは『ウルトラマンネクサス』がどんな顛末を辿ったか思い返し、よくよく戒心してほしいですね。

Re: 本当だったとは・・・ - なんじぇい (?)

2019/08/08 (Thu) 15:33:10

一昔前から庵野監督はウルトラマンやナウシカの作品を務めたがっていたようで、有名なものではありますが1980年代の同人ではこんなものを撮っていました。
https://youtu.be/kJZBt6wTNe0
まあ演技が酷いのは個人が演じた同人なので致し方なしなのですが……特撮はすごいとは思います。


なお庵野氏がウルトラマンについてこだわりを色々話している動画もあり、そこでは「科特隊をメインでやるシミュレーションを撮りたい」「ウルトラマンは出なくてもいい、最後のワンカットだけでいい(!?)」などというすごいことを言っていました。
https://youtu.be/GP_6l-2PU1w

発言が12年も前なので意見は変わっているかもしれませんが、色々不安です。

さすがに「ワンカットだけでいい」は冗談だと思いたいですが、庵野監督は『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』でも話していたことですが、とにかく組織を描くことが好きなようで、巨災対も自身の考える組織のある種の理想系を描いたものなのだそうです(いがみ合いがなく皆が各々の得意分野をフルに発揮し、はぐれものにも居場所があり、アクション映画でよくいてストレスになりがちな無能な人物がいない所なのがそうなのだとか)。

しかし科特隊メインで撮りたいのなら『ウルトラQ』の方がいいのではないかとは思ってしまいます。

Re: 『シン・ウルトラマン』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/08/11 (Sun) 17:25:18

 庵野版帰ってきたウルトラマンは、まーほんとに、
彼らの組織力といいますか、同好の士がうまいぐあいに集まったんだなぁとうらやましく思ったのを覚えています。
(まあ、そりゃ現場ではいろいろあったことと思いますが)
 当時アマチュアであのレベルのミニチュア特撮をやってのけたグループはまずいなかったことでしょう。
(◯ナ◯オは酷いと思いましたが)

 あ、製作当時には見る機会が無くて、20年ほど前に初めて見たんですが・・。

 庵野・樋口コンビのウルトラマンに関していま思うことは、エクセルシオールさんとまったく同意見で、付け加えることはありません。

 ウルトラシリーズに何か言うとしたらまずは、TVシリーズのクオリティアップを願いますよ。
ほんとに近年のシリーズはストーリーが薄口で困ります。

ひじょーに悩む 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/08/03 (Sat) 16:47:01

 ご存じの方も多いかと思います。
https://deagostini.jp/got/?utm_expid=194958582-81.QUhdrkz-SfCUMg-Zn3fFmw.0&utm_referrer=https%3A%2F%2Fdeagostini.jp%2F

 週刊「ゴジラを作る」発刊。
初代ゴジラのラジコンを作るってんですが、
かつて東京マルイのラジコン初代ゴジラを買いそびれて後悔した身としては、今度こその思いはあります。

 ううううううーん、しかし、全100号で一回当たりおおむね2000円ですから、その金額たるや・・・。

 完成に2年かかるというのも気が重いけれど、
やっぱり金額ですわな。
 それでもこいつが一匹居れば、利用価値絶大、いろんなことが考えられます。

 悩む悩む悩む。
(うちには怪獣を飼う余裕はないとかみさんが難色を示すし)

ファミリーピクチャー、娯楽映画とは…… - なんじぇい (?)

2019/07/20 (Sat) 21:13:11

少し前に出した大森一樹監督の対談で、大森監督は「ゴジラは1作目を除けばファミリーピクチャー。(略)お父さんと子どもが見て、あわよくばお母さんも見る。それを狙って、女性キャラが出てきたんじゃないかな。(多分三枝未希のことを言っているのだろう)」みたいなことを言っていました。

一方『シン・ゴジラ』において、東宝は庵野監督に「娯楽映画だから放射能などのきつい描写を緩くすること」と言っていました。
これがなければ多少は『シン・ゴジラ』のラストはましになったかもしれません(少なくとも放射能に限ればマシだっただろう)。


これらは理由としては娯楽映画だから、ファミリーピクチャーだからと似たようなものになっていますが、結果としては恐らく前者は成功し、後者は失敗となってしまいました。
少なくとも三枝のキャラクター自体はとりたてて悪くほどではなかったので、失敗ではないように思います。


一体娯楽映画に必要な条件とはなんなのでしょう?
また逆に娯楽映画で『世界大戦争』よろしく、「怪獣の圧倒的な力の前に、人類はなすすべなく絶滅しました。地球の生態系もメチャクチャで、和平の道も何もかもうまくいきませんでした」みたいな救いのないバッドエンディングをやってしまってもいいのでしょうか?

気になります。

Re: ファミリーピクチャー、娯楽映画とは…… - 海軍大臣 (男性)

2019/07/22 (Mon) 22:21:50

 なんじぇいさんが挙げられている【世界大戦争】は、数ある東宝特撮の中でも他に類例を見ないバッドエンディングですよね。あの【日本沈没】(もちろん73年版です)ですら、ラストには希望の燭光が僅かながらも感じられる終わり方になっているのですから。
 全人類が核戦争で死滅してしまうというショッキングなあの終わらせ方は、同時代の洋モノSF【渚にて】の影響が強く影を落としていることを感じます。ラスト近くで使用される「お正月」の唄にしても、同作品の「ワルチング・マチルダ」(オーストラリア人の愛唱歌だそうで)を意識しているようです。
 とは言え【世界大戦争】は全く救いのない終わり方ながら実に真摯な作品で、同じバッドエンディングで知られる邦画SF【吸血鬼ゴケミドロ】や【昆虫大戦争】とは一線を画しているのですが、ただ東宝重役だった森岩雄さんに言わせますと、「あれは自分も含めた作り手側の人間全員が、とんでもない勘違いをして作ってしまった作品だった」とのことなのです。
 つまり「唯一の被爆国である我が国の映画界が何としてでも作らねばならないテーマを持った映画」だとして、松林監督や円谷さんたちが力瘤を入れて完成させてはみたものの、必ずしもお客さんから喜んでもらえなかったのだと云うのです。
 勿論、当時の配収成績を見ますと、同年夏の話題作【モスラ】の二億四〇〇〇万円を上回る二億八四〇〇万円の数字が上がっていますので、かなりの大ヒットだったことは間違いないのですが、それでもこの前後の東宝の大ヒット作に当たる【隠し砦の三悪人】や【日本誕生】【用心棒】などが何れも軽く三億円オバーの金額を稼いでいますから、森さんの立場からすれば、期待していたほどには世間一般には受け入れられなかったとの反省が残ったのでしょう。

 ともかく当時の観客、特に地方のお客さんは、暗くて生真面目なストーリーを嫌う傾向が強かったとされ(ただし人情噺のような「お涙頂戴モノ」は別とのこと。泣くことはストレス解消になるからだそうで…)ていて、こうした辺りは昨今も余り変わりはないように思えます。
 生前、土屋嘉男さんがインタビューの中で、御自身の出身地である山梨県の塩山で黒澤監督の【生きものの記録】が上映された際、映画館にやってきたお客が劇場の看板を一目見ただけで「だっちゃねー」との言葉を残して、みんな帰ってしまったとのエピソードを話されていたことを思い出します。この「だっちゃねー」には、「こんな映画じゃ、観たってしょうがない」といったニュアンスがあるのだそうで、たまの休日に家族そろって、決して安くはない料金を払って映画を観るなら、やはり「明るく楽しい」作品が好まれるのは当然のことだったようです。
 これを現代に当て嵌めてみても、最初からバッドエンディングありきを期待するハリウッドホラーみたいなものは別にして、ゴジラのような怪獣映画は、一般には「ファミリー層向け」として世間で認知されているだけに、人類や地球が滅亡してしまうような救いのない結末はそぐわないものと私は考えます。

 あと、これは勝手な想像ですが、【世界大戦争】公開時の併映作品【アワモリ君、乾杯】の劇中で、坂本九演じる主人公たちが悪人と追いつ追われつしている内に砧撮影所に紛れ込み、こともあろうに【世界大戦争】撮影中のスタジオ(しかも田村家のセット!)に乱入してしまうシークエンスを取り入れたのは、併映作品のあまりの救いの無さを鑑みたスタッフの為せるトコロだったのでは? などと考えてしまいました。

Re: ファミリーピクチャー、娯楽映画とは…… 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/23 (Tue) 19:46:56

 遅レスですいません。

 娯楽映画とかファミリーピクチャーとはどうあるべきか、という議題は大変難しい問題です。
みなさん、なんとなくこんなことか、とイメージは出来ても、はっきりと定義づけするのはすごく難しいことです。

 娯楽映画とはなんであるかと考えると、人間にとって娯楽とはなんであるかと考えねばなりません。
これは簡単に結論が出るものではないように思います。

 私自身もまだ迷いの中にいるのでこれが正しいとは言えませんが、あくまでもひとつの考え方として、
人間にとっての娯楽とは、生命維持のためだけに使うのでは使い切れないほど複雑な脳みそに活動を促すための刺激であろうと思います。
 ただ座っているだけで何の刺激もない状態がつづくと脳みそが力をもてあまして、さまざまな夢想をしたり記憶を漁ったり脳を使おうとします。
脳みそへの適切な刺激を与えてやれば、「脳」力をもてあますことなく思考を巡らせることが出来て「気持ち」いいのだというのが、
私が考える娯楽の定義です。

 ただ情報を伝達し知識を増やしてもらうということだと娯楽にはならないと言えそうですが、物を覚えることもまた快感だったりするので、
娯楽とは何かという問題は難しいのです。

 単純化すれば、感情が動けば「娯楽」であると言っても良いかもしれません。
社会問題をえぐったドキュメンタリー映画であっても、それを見ている間だけに限定して、「憤り」などという感情を煽られたならそれもひとつの娯楽なのかもしれません。
ただし、鑑賞後になんらかの社会行動に出るなら、その行動は娯楽とは別のジャンルであろうと思います。
(ああ、しかし、まるで娯楽のようにボランティア活動をしている人もいそうで、全く難しい)

 ですから救いのない悲劇であっても、実は受け手は娯楽として消費しているのではないかという考えが成り立つのです。

 そんな立場に立てば、
>「怪獣の圧倒的な力の前に、人類はなすすべなく絶滅しました。地球の生態系もメチャクチャで、和平の道も何もかもうまくいきませんでした」

という映画も娯楽映画たり得るというのが私の考えです。
(いちおう注釈をつけておきますと、ゴジラでそれをやるのは違うと思っています。それはゴジラのキャラクター性やその作品履歴から似つかわしくないと考えます)

 娯楽映画の条件として私が思うのは、
「作り手の主張を押しつけるだけのアジテーション映画や作り手の個人的なこだわりだけを羅列したもので、かつ誰の共感も得られないもの、
を除けばすべて娯楽映画である」
というのは枠を広げすぎなのか・・と日々悩んでいます。

 ファミリーピクチャーのほうが定義はしやすくて、つまりは老若男女全方位にアピールする映画と考えればいいでしょう。
一作目の『ゴジラ』もまた深いテーマ性がありながらも、ファミリーピクチャーを意識して作られていると思っています。
そこは大森監督とは違う考えということになりますね。

 尾形・芹沢・恵美子の三角関係は間違いなく女性にアピールしますし、怪獣は子供の大好物です。
ゴジラは国産怪獣第一号であるなどと言われますが、キングコングだけでなくゴジラ以前に怪物が出てくる映画は国内にもありましたから、怪獣ゴジラが子供にアピールするのは想定していたはずです。
新吉くんの存在も子供の観客を意識していたことの証拠と思います。
科学の問題や政治の問題が織り込まれていることで大人にも訴求します。
ファミリーピクチャーとして弱いとすれば女児にアピールする要素が少ないところかもしれません。それでも女の子はかなり幼い頃から恋愛には敏感ですから、三角関係にも感じるものがあるでしょう。
『ゴジラ』(1954)も観客を限定せず、老若男女すべての大衆に見てもらおうとした映画と考えて良いでしょう。

 少なくとも俗にミレニアムシリーズと呼ばれる作品群までは、すべてのゴジラ映画はファミリーピクチャーであっただろうと思います。
そうなると救いのない絶望的なストーリーはゴジラには似つかわしくないと言えます。小さな子供に絶望を植え付けるのは、世界の未来のために良くないです。
シリーズの味を変えてしまえというスタンスならどんなストーリーでも構わないということになるのですが、観客を限定することにも繋がりますね。

 海軍大臣さんのお話にある、かつての映画観客、特に地方の方が暗い話、救いのない話を嫌ったというのは、
大衆が映画に「夢」を託していたからであろうと思いました。
 一部の学生やインテリなど、まさに脳みそをもてあましている人々は絶望も人間の暗部も、脳を働かせるための材料として歓迎するでしょうが、
日々の生活に追われている一般大衆が求めるものは辛い現実を忘れさせてくれる別世界であるはずです。

『ゴジラ』(1954)は重い話ではあっても、恐ろしい大砲や戦車、戦闘機にも負けずに怪獣ゴジラが暴れてくれるところに夢があったのではないかと考えています。
ゴジラは脅威である、しかし、ゴジラに自己を仮託すれば軍隊を蹴散らす快感も得られるという二重思考を促すところにも『ゴジラ』、そして怪獣映画の魅力があるのではないでしょうか。

 それから、これはまだ迷っている部分の話になりますが、
映画に限らず「表現」とはどうあるべきかと考えたとき、人の心を救うものであるべきではないかと思うところがあります。
どんなに真実を突いていても、現状を分析してみせるだけのものでは、それを受け止めた人の心を癒やすことにはなりません。
わざわざ作品として発表するなら、受け手の役に立つ方が良いのではないか・・。
受け手に生きる力を与えるような表現作品を目指すべきではないか、と考えています。
(表現とは作家の自己表現であると考える人もいて、その観点に立てば受け手の役に立つかどうかなど考慮する必要がなくなってしまいます。また、観客に媚びを売るような作品が良くないのも確かでありまして・・・)

『世界大戦争』のエンディングで表示される字幕は癒やしではありませんが、観客に行動を呼びかけ、世界を滅亡から救いましょうと訴えているところに表現としての価値があるように思います。
(うーん、それでも森岩雄さんは失敗と考えていたのですね。キビシーー)

Re: ファミリーピクチャー、娯楽映画とは…… - なんじぇい (?)

2019/07/23 (Tue) 23:27:13

お二人ともありがとうございます。

ギドラさんの定義は、私も正しいと思います。
ただしこれだと、第二次大戦当時のドイツ国民にとっては『意思の勝利(ナチスのプロパガンダ映画)』がファミリーピクチャーであり娯楽映画となるのがなんともなところです。
ファミリーピクチャーや娯楽映画といえるのは、時代における人々の考え方や楽しみかたによって変わっていくものなのかもしれません。

海軍大臣さんの『世界大戦争』のお話も、とても興味深かったです。
例え傑作であっても、ファミリーピクチャーからは外れてしまうこともあるということが改めて思い知らされました。

調べてみたら驚きました - なんじぇい (?)

2019/06/30 (Sun) 21:02:23

結果が全く想定外で、これはもうオタク云々の問題ではないのではないかと思えたためにここに書いておきます。


ギドラさんの意見に触発され、以下の質問を周囲のクラスメイトにいくつか聞いてみました。
「あなたが○○シリーズの監督ならどんな作品にしますか?」というものです。

聞いた人数は男性の方が多いですが、女性の方もいます。
当然オタクでない人の方が多いです。
シリーズを限定しなかったのは、ゴジラの名前しか聞いたことのない(姿形も一切知らない人もいた)人に聞いても流石にしょうがないと思えたからです。多少知っていて好きなジャンルの方がいいと考えました。

なんと答えは7割以上、既存のキャラクターを改変するものでした。男性の人からはゴジラを富士山よりでかくしたいとか、放射熱線で惑星ごと吹き飛ばしたいとか、純粋悪の仮面ライダーだけが出てきたら面白いのではないかとか、女性の方からはプリキュアのキュアブラックを黒人にしてキュアホワイトと愛し合ったりしたいというものがありました(1つ注釈しておきます。黒人をプリキュアにすることは全く問題ないし、むしろ出すべきとは思います。しかしそれは新しいプリキュアで出すべきであり、既存のキャラの顔や人種や恋愛対象を勝手に変えるべきではないでしょう)。
ちなみに、既存の設定を大切にしたいなどという意見は、たったの1つもありませんでした。

また主に改変は、有名な既存のキャラの特徴を自分好みに改変したものが多かったです(例えば富士山よりでかいゴジラや惑星ごと吹き飛ばす熱線の場合、ゴジラの「大きい」などの特徴を自分好みに強化したことになる)。

なんでそんなことをするのか、と聞くと「キャラってコロコロ変わるもんでしょ」「みんな好き勝手に作ってるんだから私にも好きにしたい」「同じのを見て喜ぶ人も分かるけど、私は違う。両方作ればいいのではないか」みたいな返答でした。
「次の作品はどんなキャラや設定になるのかが楽しい。無論嫌いな設定になることもあるが、それはその時批判したらいいじゃないか」みたいなものも多かったのです。


さすがに驚きました。私はキャラを改変するのは「赤信号みんなで渡れば怖くない」と考えていました。
しかし現実は、赤信号とすら思ってなかったようなのです。むしろ喜んでいる節があります。
そしてなんと、作家によってキャラは変わるということがどうやら創作全体のイメージになってるみたいなのです。作家性を見たい! って感じなのでしょうか。


おそらくこれは仮面ライダーもウルトラマンもゴジラもガンダムもコンテンツは作家が好き勝手にやってきていて、オタクやマニアであろうとなかろうとそういうコンテンツに多少なりとも触れている以上、千変万化するイメージになってしまっているのではないかと考えました。


もはや、末期的状況ではないかという思いがひしひしとします。
映画にしろアニメにしろ、大衆娯楽という要素が大きなウェイトを占めます。初代ゴジラにしたって、公開当時の映画パンフレットを見る限りでは大衆娯楽の要素を多分に含んでいます。
あくまで限定した世代の少人数のものなので、大衆全体がこんな認識ではないと思いたいのですが、大衆がもしそんな認識になってきているのなら、どうしたらいいのかは考えるべきだと感じました。

そして作家さんは、作品をめちゃくちゃにされないように何がなんでも遺言を残すべきだと思います(本当に好きにしていいなら、そういう遺言を残せばいい)。


ただし救いなのは、設定改変は既存のキャラのイメージを過剰に拡大させるものが多かったということで、設定が嫌いなら批判するということは共通だったことです(少なくとも無批判ではない)。
ただ裏を返せば、オタクでない人はある程度確立したイメージしか知らず、それすら自分好みに変えたがっている……ということなのかもしれません。
「変わって当然、むしろ色々変わったの見たい」が大衆の感覚になってしまったら、もうどうしたらいいのかはわかりません。既になりかけているのか、もうある程度そうなっているのかは分かりませんが……
ただ1つ言えることは、「それはやりすぎ」の感覚がどんどん緩くなっているということです。



あと「改変大好きなものと昔の設定を固持したいものの両方をつくって、両方本流扱いにしたらいいんじゃないの」という意見はどうなのかは気になりました(現代のゴジラはそれすらやっていないので、遥かにマシでしょう)。


最後になりますが、ゴジラやキングギドラをドラゴンボールばりに強化して「大きさ数百km、光線や肉弾戦で星ごと次々破壊しながら宇宙規模の怪獣バトル」みたいなものにするのはアリなのかは多少気になったりました。
まあ怪獣の強さはこれ以上ないものにはなりそうですし、映像的にはそれはそれで面白味はありそうですが……

Re: 調べてみたら驚きました - なんじぇい (?)

2019/06/30 (Sun) 23:30:40

反省をかねて、思ったことを追加して書いておきます。
私もかなり使っていたことなのですが、「大衆娯楽だから」や「一部のマニアオタクだけでなく人間全体で見たら……」や「社会的には」みたいなものを根拠にすることは不味いのではないか、ということです。

それはいわゆる少数派を数だけで押し潰すことになってしまうことになる上に、冷静に考えたら、多数派だから正しいとかあるいは少数派だから逆に正しいとかを言うのは、いずれも全く根拠にはなり得ません。
多数派だろうと少数派だろうと、根拠が間違っていることは間違っているということです。
それに、言っていることが本当に多数派なのかなども分かりません。

これは私も使っていたことで、本当に反省の限りです。
ただし商業主義的には娯楽映画というジャンルは多くの人に受けないと話になりませんので、「大衆」の価値観や考えをある程度考慮にいれなければならないこともあり、本当に悩ましいです(いかに出来が良くても、売り上げが鳴かず飛ばずなら打ち切り以外あり得ない)。

付け加えて言うと、どうも今は作家性を重視する気配があるように見えます(キャラを作家好みに改変した方が改変しないより作家性を出せることは間違いないのは事実であり、設定の問題もギドラさんがスタートレックで挙げておられたように、パラレルワールドなどにしてお茶を濁してしまうものが後をたたない)。
さらに、「変えちゃいけないなんてそんなの誰が決めたの、むしろ色々なもの見たいんだけど」みたいな意見も個々に聞いてもオタクじゃなくても平気で飛び出します。
これが複数人から出たとき目眩がしました。しかし反論はできませんでした。



とりとめのない文章になってしまいましたが、簡潔に纏めて書くと

大衆全体(若い世代しか聞いてませんが)の考えが変わってきているような気配がする。既存の作品の影響からか分からないが、キャラや設定の改変をむしろ喜んでおり、どんなキャラになるか楽しみにしている節がある。もしこの層が多数派になった場合、どうしたらいいか分からない。
またゴジラに限らず映画や創作は、どう大衆と付き合っていけばいいのか分からない。特に娯楽映画は大衆と密接な関係があり、全く分からない。
設定重視と改変上等の両方を作るという案はアリなのかナシなのか分からない。
どこまで作家自身のオリジナリティを認めていいのかが分からない。
とても過剰な特性の強化等がどうにも受けているようで、これも是非が分からない。
そして何よりも賛同する人の数や社会的なイメージ(何せキャラが作家性や作品によってある程度変わることが、結構な人のイメージになっていそうなのだから)等を一切根拠にせず、彼らを説得する方法はまったく思い浮かばない。



こんな感じでしょうか……。
あまり簡潔ではありませんが、もはや困惑と苦悶が合わさったような形です。

最初に聞いたとき、嘘だと思いました。ですが、これは私の周囲に限っては事実だったので、本当に不味いのではないかと思いました。

Re: 調べてみたら驚きました 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/01 (Mon) 19:42:43

 これは、本当に貴重で有益なアンケートをしていただいてどうもありがとうございます。

 こんなことになったらイヤだなとうすうす感じていたことが現実化しているみたいで、いよいよ「フィクション」の危機だなと思いました。

 GMKのころ、既存のキャラクターを改変しても構わないじゃないかと考える人々とのやりとりを通じて感じたことがありました。
ひょっとすると、フィクション(虚構)を鑑賞するとき、鑑賞中も「これは作り事だ」と意識しながら受け取る人が居るのではないか、ということです。

 小説でも映画でもストーリーに真実味を持たせるために「考証」ということをやります。
架空のお話でも現実化したらどうなるのか、というシミュレーションを行って、より本当らしい虚構を作るのがセオリーです。
 それは、お話が嘘くさくなると、読者・観客の心を動かすことが出来ないからです。

 蓋然性のないお話は、そこどんな感情や観念を込めようと「嘘くさい」で片付けられてしまうものでした。
(怪獣映画も怪獣なんかいるはずがないからウソだ、下らないと言われたものです。しかしそれは、既知の科学しか認めない狭量な宇宙観から来る間違った鑑賞と言える)

 従来型の物語鑑賞法は、鑑賞中には作中の事象を現実のことと考えて受け取るものだったはずです。
(ですから、強烈な個性を持つ役柄を演じた俳優は、プライベートでも役のイメージで見られてしまったりした)
シリーズ作品であれば、ストーリーが続き物でなくとも、同一キャラはその設定を守るのが当たり前でした。
それは、作中の人物はその世界に実在しているものですから、理由も無く性格や姿形が変わることに蓋然性がないからです。

 しかし、鑑賞中も常に作り手の存在を意識し、劇中存在を実在と思わず、作り手の意図を読み取ることが鑑賞だと思うようになると、
劇中の事象に対してその蓋然性を問う必要がなくなります。
 すべては作り手の内面ですから。

 こうなるとキャラ改変など当たり前ということになりますよね。

 ただし、作り手の内面だけ見るような鑑賞姿勢、そして作者の内面さえ表現出来ればいいのだという創作姿勢から生まれるのは、内向きで一般性・普遍性に欠ける特殊な作品です。
近年はそんな作品を作家性に富んでいるなどというようですが、個人の特殊性を出せばそれで良いというなら、誰でも大作家になれますよ。

 ごく一般の観客ですら、作り手の個人的こだわりが表現されていればそれでいいと考えるようになったとすれば、批評家の力不足が影響しているのかもしれません。
私はあまり映画の批評本を読みませんが、それは、多くの批評家が作品そのものを分析論評するより、作者の内面を類推してそれが作品にどのように表れているかを考えるみたいな手法をとっているからです。
それは作品の論評ではなく、当該監督の人間論評ですよ。
あるいは作品の周辺事情などを加味して、深読みのような妄想のような想像をしていたり・・・。
(ちゃんとした作品批評をしている批評家もいるんでしょうけれど・・・)

 鑑賞とは作者を読むことという姿勢が蔓延したら、良い作品があったとしても、そこから得られるのはせいぜい「共感」でしかありません。
作者の思いに共感できたらそれなりに気持ちいいでしょうけれど、作品を通じて新たな認識を得たり出来るものでしょうか。
あるいは、作者と似た性行(本来の意味ですよ)を持つ人にしか訴求しない作品ばかりになることでしょう。
 というのは極論としても、いわばもう一つの現実として作家が黒子に徹した物語に比べると、小粒になるのは確かだと思います。

 ここまでは鑑賞姿勢の話ですが、キャラ改変の問題は、創作とは何だという問題もはらんでいます。

 上で書いた虚構のリアリズムの話からは、原作者であっても一旦創造したキャラクターをころころ変えてはいけないということになりますが、
昨今の有名キャラ改変問題は、先達が作り上げた物を書き換えてしまうところにもあるわけです。

 この話になると、自身が創作している人でないと理解できないことかもしれません。
簡単な話、他人が心血注いで作った物を勝手に変えるな、ということです。

 創作物には一木一草に意味がある、などと言われます。
ある物語の世界設定や登場キャラクター設定は、作者にとって、こうでなければならないという確固たる物であるはずですし、そこまで突き詰めていないものは凡作・駄作になるのです。

 それを後輩が書き換えて良いはずがない。

 これは製作側の問題なんですよね。
創作の仁義がわからない人間が改変ものを量産してしまった結果、お客さんも改変が当たり前だと思うようになってしまった・・・。
(仮面ライダーは石ノ森氏自身が改変するものだとかなんとかおっしゃっていたらしいので、いいんでしょうけれど)

 ゴジラの話をすれば、元祖ゴジラ(初代と二代目)が持っていたキャラクター性(見た目はもちろん、その生物としての設定、気質などすべてをひっくるめます)を超えた改変ゴジラなんかいなかったと見ています。
VSゴジラは放射線で変異した動物で、放射性物質をエネルギーにするという設定からストーリーに縛りがありましたし、その性質は厳つさを全面に出し過ぎていたので、戦いは死闘ばかり。
元祖ゴジラのような自由度がありませんでした。

 以後の改変ゴジラたちとなるとほぼ毎回別物になってしまうのでそれぞれについてのコメントは割愛しますが、元祖ゴジラより魅力的なものは、私には見当たりません。
ゴジラは元祖ゴジラが極めて優れた映画キャラクターだったから歴史に残る怪獣になったのです。もし、完璧な物があったとして、それを改変するということは完璧を壊すことになるのですよ。

 この場を借りて作り手の方々にお願いします。
その改変は、原典より優れていますか?原作者が喜びますか?そこをよく考えて欲しい。

 などと書いてきましたが、商業映画は商売なので、金にさえなればなんでもやるのでしょう。
そして観客側がキャラ改変を当たり前と思わされているとなると、改変問題は止めようがない。

 いいえ、違います。
 作り手が創作上の倫理観を持てばいいのです。
 しかし、わがままな作り手は先人への尊敬もなく、自己表現でございと改悪キャラを作りたがります。
そこで出番は、評論家じゃないんですか? 新作映画は貶せない?貶すと取材させてくれなくなる?なにが取材だ。映画評論は作品そのものを見れば出来る。
監督だのキャストだのにインタビューなどする必要はない!

 映画評論家たちよ、しっかりしてくれよ。

 そして、
>設定重視と改変上等の両方を作るという案はアリなのかナシなのか

 これは百歩譲ったら、私はアリだと思います。
本流として原典を守った正調なものを作っていくのであれば、あくまでも傍流、パロディとして改変ものを公開してもいいの、かも、しれません。
それでも、名前は変えないといけませんね。ゴジラの改変であれば◯◯ゴジラみたいに区別できるようにすべきです。
いま東宝が展開しているちびゴジを悪いとは思いませんよ。

リメイクや続編の設定改変について - なんじぇい (?)

2019/07/04 (Thu) 10:45:46

>その改変は、原典より優れていますか?原作者が喜びますか?そこをよく考えて欲しい。

多分、作り手は原典より良くしたつもりなんだろうと思い込んでいるのではないでしょうか(少なくとも作り手にとっては)。
「ゴジラをもっと強く見せてやった」「仮面ライダーにバリエーションを増やしました」「既存のキャラを色々変えて、人種問題等に切り込んでみました」くらいに考えているのだと思います。
原作者に関しては分かりません。


またキングオブモンスターズは『三大怪獣地球最大の決戦』のリメイクとも言えなくもない内容なので、そちらも話題にして書いてみます。


リメイクとは作り直すことであり、コミカライズやアニメ化、映画化なども一種のリメイクと言えると思います。
しかしアニメ・特に低予算の一部深夜アニメには、恐ろしく不出来な作品がごり押しや一部の人気でアニメ化したり(こんなことが起きた場合、多数から「あまりにも不出来だからストーリーや設定を変えろ!」という陳情まで飛び出す)、原作が足りないうちからアニメ化したためにオリジナルエピソードを大量に放り込むということもとにかく横行しています。
そのため悲惨な出来の原作をコミカライズやアニメ化した際、作り手が辻褄合わせのオリジナル展開や新設定を入れてファンに歓迎された……なんていう例も少なからずあります。
このような事態になっているからこそ、設定改変も歓迎される風潮になったのかもしれません。


恐ろしく不出来な原作をリメイクする時は、どうしたらいいのかは考えなければいけないとは思います。
またリメイクする際は、どこまで修正がOKなのかも疑問です(売り上げが悲惨な以上絶対にないとは思いますが、仮にアニメゴジラを実写化リメイクすることになった場合、どこまでいじっていいのか……もし出来を良くしたいなら設定から何からいじらなければならないだろう)。
個人的にはもう明らかな欠陥は直していいとは思いますが……


そもそもの話「そんなものリメイクするな」と言いたくもなることはあります。
しかし今はファンが細分化している上に、その原作の一部だけが大好きだというファン(これは気持ちはわからなくもない)や、アニメ化したらそのファンが大量に購入して金になるという事情もありますので、なんでもかんでもアニメ化や実写化やリメイクすることが多い上の質問です。

Re: 調べてみたら驚きました 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/04 (Thu) 20:40:13

 私の
>その改変は、原典より優れていますか?原作者が喜びますか?そこをよく考えて欲しい。

 この問いかけは昨今の改変ものに、原典の不備を補おうとか、オリジナル作者の意思を大事にしようという志を感じないから出てきた物です。
アニメゴジラのスタッフコメントを見ると、ゴジラを知らないからこそ新しいアイディアが出た、みたいなものがありましたね。
これを見ても、オリジナルを研究することを放棄して、ただただ別物に同じ名前(ブランド)をつけようとしている姿勢が分かります。

 前回の投稿で評論家へのメッセージとして、映画批評に監督・キャストインタビューなど必要ないと書きましたが、
批評ではなく、製作する立場となると話は変わります。
 まったく自分独自の作品を作るならほかの作家の意思を確かめる必要などありませんが、シリーズ物を引き継ぐのであれば、原典を作った人々の意図も研究すべきでしょう。
作品の魂を引き継ぐことなく、同一シリーズとは言えません。

 もちろん、あくまでも参考にすべきなのは、完成し公開された作品そのものであることを忘れてはなりませんが。
(作者の意図がそこにあったかのように没になったアイディアを掘り出してくるのは正しいのか? 何故没になったのかの考察が必要であろう)

 これは私の推論でしかありませんが、VSゴジラが放射線で変異した生物とされ、放射線ないし放射性物質をエネルギーにするというアイディアは、
ゴジラを核兵器の象徴として描くことに特化させるための改変だったのではないかと考えています。
 しかし、それは第一作『ゴジラ』の内容に対して考察不足の失策だったというのが私の意見となります。
(もちろん同じ名前で別のもの、という問題もある)

 漫画や小説を映像化する際、どうしても改変が起こってしまうのは確かですね。
そんなこんなで改変に慣らされてしまったのでしょうか。
 でも近年多い漫画の実写映画化なんかだと改変に対してファンが怒りの声を挙げていますよね。
そんなに改変が歓迎されているわけでもないように思います。

(ん、有名キャラクターが新作で出てくるときに別物になっているのは当たり前と受け止めているのか・・・)

 しかし、おっしゃるように原作の出来が悪い場合、リメイクで名作になる場合もあり得ます。
大昔「海のトリトン」というTVアニメがありました。
 私は裏番組だった「ど根性ガエル」のほうを見ていたので、「トリトン」は劇場映画として再編集されたものをかなり近年になって初めて見ました。
ずいぶん人気のあるアニメだったが、こういう内容だったのか・・・、と感心すると同時にこれまたいつだったか忘れるほど昔にTVで見た、
「トリトン」の監督だった富野由悠季氏のコメントを思い出しました。
 「原作の出来があまりよくなかったから改変した」という趣旨の発言でした。基本的には原作を改変してはいけないという流れの中でおっしゃったような気がしますが、定かではありません。

 手塚治虫の漫画だったことで「トリトン」のアニメ化が企画されたのではないかと推察しますが、
なんらかの理由で原作が不出来でも映像化することはあり得ますね。
 その場合どうするかとなると、商売としては改変すべしということになるのでしょう。

 しかし表現者の倫理を守るなら、改変してはいけません。
いいところもダメなところも、原作の表現なのですから。
 抜け道としては、原作者が現役だった場合、改変案を原作者と協議して許可取りをすればいいんじゃないかと思います。
(凡作・駄作は映像化する必要なし、と言いたいですが)

 アニメゴジラみたいな特殊な場合はどうしたらいいんでしょうね。
そもそもゴジラを改変して作っているのですから、それを本来のゴジラに戻すなら改変とは言えないんじゃないかとも思いますし、
もし、リメイクするぞということになったら、アニメゴジラの作者たちがあの作品で描きたかった観念だけは引き継いで、もっと上手に作ればいいんじゃないでしょうか。

 結局、以前書いたことの繰り返しみたいになってしまいますが、テレビであれ映画であれ、製作現場のさまざまな事情で、原作なり原典なりに完全に忠実に描くことは困難であり、
製作するごとに「ズレ」「揺らぎ」は生じてしまいます。
 そんな中、改変して良し、と認めてしまうと歯止めが効かなくなります。
その結果、どんな人気小説も漫画も、そして映画・TVのシリーズものも、ひたすら改変され別物にされてもともとの魅力がすっ飛んでしまい、
何のためにそれを映像化するのかわからなくなってしまうでしょう。←現在のウルトラシリーズはその状況に近いけれど、なんのために作るかとなるとおもちゃを売るためでしょうね。

 ですから原作ものでも、シリーズものでも、本来の姿はどういうものであったか、何が人気のもとだったのか、まずは謙虚に研究考察することが必要と思います。

>今はファンが細分化している上に、その原作の一部だけが大好きだというファン(これは気持ちはわからなくもない)や、アニメ化したらそのファンが大量に購入して金になるという事情もありますので、なんでもかんでもアニメ化や実写化やリメイクすることが多い

 この問題は、それぞれの作品のファンたちがそれぞれの事情の中で議論を深めていくべきことと思います。
そんな作品があるのかどうかはわかりませんが、たとえ中身ゼロの願望充足作品でもグッズやソフトがよく売れて商売になり、売り手も買い手もハッピーならそれでいいでしょうし。

Re: 調べてみたら驚きました - なんじぇい (?)

2019/07/05 (Fri) 14:01:22

>この問いかけは昨今の改変ものに、原典の不備を補おうとか、オリジナル作者の意思を大事にしようという志を感じないから出てきた物です。

>ですから原作ものでも、シリーズものでも、本来の姿はどういうものであったか、何が人気のもとだったのか、まずは謙虚に研究考察することが必要と思います。

これは全くその通りだと思います。昨今はこの視点は著しく欠けていると本当に思います。

ただし
>しかし表現者の倫理を守るなら、改変してはいけません。
いいところもダメなところも、原作の表現なのですから。

ただしこれは倫理的にはそうですが、表現者の最大目的から考えたら少し悩んでしまいます。
表現者の最大の目的は「良い作品をつくること」だと思うのです。これは何よりも優先されることだと思っています。
原作の明確な欠陥だと一分の隙なく指摘できる点に関しては、商業主義的ではなく、作品の出来を良くするために、改変した方がいいのではないか……? とはどうしても思ってしまいます(単なる好みで作品を変える等はダメであると断っておきます)。


しかし昨今ではそんなものとは関係もない意味が分からない改変が横行しており、もっと原作を丁寧に扱うべきだ、という意見には全くの同意見です。

Re: 調べてみたら驚きました 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/08 (Mon) 19:43:14

 遅レスですいません。

>表現者の最大目的から考えたら少し悩んでしまいます。

 これはまったくおっしゃるとおりです。
そのあたりをクリアするとしたら、原作者との協議が必要ということになるのですが、
原作者がすでに他界している場合はどうするか・・。

 ただ私が、クオリティを上げればそれでいいというものでもないなと思った実例をひとつ。

 アニメ「銀魂」を見たとき、劇中の自動車があまりにもひどいフォルムをしていて、いまどきのアニメでこれはないな、と思いました。
ところがその後原作漫画を読んでみたら、ひどいフォルムの自動車は原作の絵を再現した物であることを知りました。
(「銀魂」作者の空知英秋氏はどうやら機械関係の絵が苦手のようです)
うーーん、原作の絵を大事にすれば作品全体の味が原作に忠実になるということもあるなぁ、と思う経験でした。

(科学考証など明らかな誤謬は修正して良いと思うのですが、ひょっとするとそんな間違いを許容しているユルさが原作の魅力だったりするので難しいです)

 原則としては原作改変はダメと結論づけておいたほうがいいな、と思っています。
(映画やテレビは学術的なものではないのでグレーゾーンが広いです。作り手の姿勢としては原作に忠実にすることを第一として、
その上でもしどうしても生理的にというまで受け入れられない部分は担当者の志向に合わせるというのがぎりぎりの妥協点でしょうか)

Re: 調べてみたら驚きました - なんじぇい (?)

2019/07/09 (Tue) 20:45:09

あえて原作そのままにすることにも利点があるということは驚きました。ありがとうございました。
とはいえ作品の過ちを糺すことに関しては、原作の味及び原作者を大事に思う心を大事にするか、良いものを見せたいという表現者の目的を大事にするかはもはや個々の主義の問題なので(どちらにも理があることになる)、そこはもう創作者の匙加減ではないかとは思います。
完璧主義者なら後者で、原作者の思いを大事にしたい方は前者をとることになるんでしょうか……

少なくともこれに関しては、どちらの考え方を取られても私は批判はしません。

とはいえ最近は吟味せずに、安易に「どっちの意見もアリ」等としてしまうことが横行しており、そうならないようには注意したいです。

Re: 調べてみたら驚きました - なんじぇい (?)

2019/07/10 (Wed) 13:21:22

付け加えておきますと、映画のリメイクでは「昔の技術で作ったから、今見たら辛い特撮やCGなどの特殊効果を、今の技術でより良くしよう」「音響を今の技術で精細に聞こえるようにしよう」「昔では予算や技術の問題で出来なかったと亡き監督がおっしゃっていたことを、今の技術で実現しよう」等も含まれます。
これらも立派な(今見たら)ダメな部分を改良したものです。
これすらダメということになると、もはやリメイクなど作る意味も理由も完全に消滅してしまいます(過去の作品を再放送するだけでいい)。

ダメだと明確に指摘できる部分を良くすることも無理ならリメイク自体の意味がなくなってしまうので、せっかくリメイクを作るならダメな部分だけは改良をした方がいいんじゃないかな、と考えてしまう理由です。
もしそれすら無理なら、リメイクを作る意味はありませんので、作らない方がいいでしょう。


また本当にダメな部分をより良くしただけのものなら、原作者さんも悪くはまず言わないと思います。ダメな部分のみ改良することすらダメだという理由は、わたしにはリメイク自体を作るなと言うもの以外にはもう偏狭な拘り以外には思い浮かびません。
仮にリメイクを作るなという可能性を考慮するなら、「リメイクは一切作ってはいけません」が一番正しいでしょう。
ただし、原作者が「リメイクを作るな」と言っていた場合は、それは従うべきでしょう。あくまで、意志がない場合の話です。

もしギドラさんが「リメイク自体作るな」というご意見なら、それは1つの意見として正しいと思います。
私を言いたいことを纏めると「リメイクを作るなら原作を尊重した上でより良くすべきで、それすらできないならもうリメイクを作る意味はないので一律禁止にすべき」ということです。



お気に障られたら申し訳ありません。どうしてももやもやした終わり方をしたくなかったので……
結局、原作者の意志の可能性か、良いものを作りたいという表現者としての目的のどちらを優先すべきかという話になるとは思います。

Re: 表現とはデリケートなものです 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/10 (Wed) 20:03:45

 整理しますね。

 原作(小説や漫画)を映像化(映画・テレビ)する場合も一種のリメイクではないか、とのご意見を受け入れての話として、
リメイクでも原作が持つ内容を改変してはいけないというのが私の意見です。

 その内容といっても劇構成のことなのか、描いている観念・感情のことなのか、ドラマのための設定(人物・世界設定などなど)のことなのかさまざまです。
その中で設定面での誤謬は修正してもいいのではないか、と思っています。
 それでも原作の魅力がどこにあるのかを十分考察した上でないと、一見間違いに見える部分でも修正することで魅力をそぐ結果になりかねないと考えています。
(前回書いた「銀魂」はマンガなのでその絵も表現の一部です。たとえ絵が下手でもそれが原作の表現なのだから修正しないのが正解だろうと思ったわけです。
同様にマンガ原作の場合、原作のキャラクターデザインが現代的ではないという理由でアニメ化の際に顔かたちを変えてしまうのにも反対。
実写化だとまた話はぜんぜん変わります。マンガと同じ顔をした人間なんていませんから)

 内容に関わる改変は原作者の許諾を得られない場合は認めないというのが私の意見です。
原作のどの部分が原作者も認める瑕疵なのか、余人には判断できません。

 それに対し今回のお話は、映画作品を映画でリメイクする話ですね。

 映画作品で原典が持つ技術的不具合を修正することを目的としたリメイクというのは極少ではないかと思いますが、スターウォーズ旧三部作の特別篇があてはまるかと思います。
私はその特別篇がオリジナル版より優れているとは思いません。合成がきれいになっても、過去には描けなかった場面をCGで見せることが出来るようになっても、全体のバランスが崩れていると見ました。
きれいでも味が変わってしまったのです。原作者自身がやったことなので、不当とは言いませんが、失敗であると考えています。

 小説・漫画が何度も映画化・テレビ化されることには反対しませんが、映画やテレビオリジナルの作品を同じ媒体でリメイクすることには反対です。
相当特殊な場合でしか成功することはないと見ています。
 小津安二郎監督の『浮草』は同監督のサイレント作品『浮草物語』をリメイクしたものと言えますが、原典に対して見劣りすることはありません。
モノクロサイレントをカラートーキーにするということは、別メディアでリメイクするのに近いのかなと思ったりします。
稲垣浩監督も『無法松の一生』を二度映画化していますが、これは原作小説があるとはいえ最初の映画化の不具合を直す意思があったと思われます。
というのも、最初のバージョンは戦中は軍によって、戦後はアメリカによる検閲で二度カットされ、不完全な形でしか残されていなかったのです。
 本来の表現を取り戻すためにリメイクしたのでしょう。
この二つの例は技術面の不具合を直したとは言えないものですが、リメイクの成功例として挙げておきました。

 話を戻して、技術のアップデートのこと。
 シリーズものの場合は状況が違ってきます。
すでに創作されている世界設定や登場キャラクターを使って新たな物語を作るのがシリーズの新作です。 
 この場合、旧作と同じ技術を使う必要はありません。
たとえ旧作の魅力に当時の技術限界が含まれていたとしても、新作がそれに準じる必要はありません。
なぜなら同一シリーズであっても新作はリメイクではなく、別作品なのですから。

 ゴジラであれば、その姿形・気質・生態を守っていれば、新作でどんな技術を使おうと効果的であれば構いません。

 私は、怪獣は着ぐるみでなければならないとか、飛行機はピアノ線で吊らなければならないなどとは思いません。
(着ぐるみ・操演の利点を考慮した上で新技術を使うべきとは思います)
中には特撮=ミニチュア・操演・着ぐるみと考える人もいるようですが、私は技術とはあくまでも手段だと考えております。
よりよい表現のために必要な技術を開発していくのが肝要です。
(大林宣彦監督は、キングコングはコマ撮り、ゴジラは着ぐるみでないとダメだとおっしゃっていましたが、そこまで固く考えてはいません。厳密には大林監督が正しいとも思いますが、
私は、キャラクターのアイデンティティを技術面にまで求めることはないだろうと考えています。)

 それでも、すでに作られてしまった作品の内容には、使われた技術の味も含まれると考えます。
ですから具体例を挙げれば、『ゴジラ』(1954)をどんな新技術でリメイクしても絶対に原典を超えることは出来ないでしょうし、良作になったとしてもそれは原典とは別物になるだけでしょう。
そういう意味で、映画のリメイクには反対の立場です。

 ダメな部分の改良とおっしゃっても、その定義が問題ですよ。
技術的な失敗を修正するだけならリメイクではなく、リテイクです。

ありがとうございました - なんじぇい (?)

2019/07/10 (Wed) 23:45:33

丁寧な説明ありがとうございました。ほぼ納得できました。
リメイクとリテイクの違いは目から鱗が落ちました。なかなか理解できず、すみませんでした。


最後に2つだけ質問をさせてください。
①内容に関しての改善はNGで、設定についての修正はいちおうOKな理由はなんでしょうか? 今の目から見たら科学技術が陳腐に見えてしまうなどの理由でしょうか?



②世の中には、商業主義的な理由で駄作のリメイクを強制的に担当させられるような例があります。
過去に『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』という駄作が出た際(エクセルシオールさんなら知っておられるかもしれません)、コミカライズを担当させられた人はあまりのひどさから「自分で書き直します」という羽目になってしまいました。

このような凄まじい作品をリメイクしろと言われた際、いったいどうしたらいいのでしょう。


分かりづらければ、自衛隊が弱すぎる敵を一方的に駆逐して、何もかもが自衛隊の都合のいいように動き(米軍にも勝ってしまいます)、日本と自衛隊をひたすら誉めそやすだけがテーマの小説(信じがたいと思いますがこれは『GATE』という作品で、作者が元自衛官で、こんなのがヒットしているのです)を映画化してくださいとギドラさんに押し付けられたとしてくださって構いません。

なぜこのようなことを聞いているのかというと、拒否権なしで駄作を下請けに押し付けられる事態が今の創作で蔓延しているからです(実は私の知り合いもそれをやらされました。嫌々やったそうですが、信条的に絶対に無理なものは変えたのです。「こんなものをそのまま描いたら作家の終わり」等と言っていました)。

Re: 突き詰めるとケースバイケースなんでしょうけれど 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/11 (Thu) 21:03:00

 まず、なんじぇいさんへエールを送らせて頂きます。
議論を面倒くさがる人が多い中、きちんと粘って疑問点をクリアにしようとする姿勢は貴重です。
これからもがんばってください。

 で、ご質問にお答えします。

1番について・・。

 内容面の改善はNGと言われるとちと心苦しいのですが、突き詰めれば私はそういうことを言ってることになりますよね。
でも、そこは、原作の表現を守ることとよりよい作品を作ることのバランスであって、原作の表現に大穴(矛盾とか)が開いていた場合は慎重に検討した上で改変が必要と認めれば改変することがあってもいいんじゃないかとは思っています。
(どうも奥歯に物が挟まったような言い方になってしまいます。そこが学問ではない、芸術表現のグレーゾーンということになります)
 もうひとつ、いままであまり触れなかったことを書いておきます。
小説やマンガを映像化する場合、別の表現形式に移し替えることになりますから、何もかも原作通りというわけにはいきません。
たとえば、長編小説一冊分のストーリーを忠実に映画化すると上映時間が長くなりすぎて公開できる代物ではなくなってしまいます。
そのほか1シーンの長さの問題などさまざまに齟齬が生じますから、なんらかの改変は必須になります。
 その上で、原作の内容をゆがめるような改変はNGであると言いたいのです。

 設定面の誤謬は修正してもいいんじゃないかというのは、歴史・地理・科学理論といったその作品そのものに依存しないデータが間違っていた場合、
観客の知識と矛盾が起こり鑑賞の妨げになるからです。
作品独自の空想ならば劇中で説明すればいいことですが、現実世界と同一の背景を使う部分に間違いがあるとストーリーの信頼性が下がってしまいます。
 アニメゴジラの設定で「20世紀最後の夏」と言いながら、それが1999年であるというのは、修正すべき間違いです。
 それとは別に原作が昔の作品であった場合、科学理論の刷新で現代には通用しない設定になっていることもありますね。
これはちょっと悩みます。作品の成立には時代背景も影響しているものですから、昔書かれたものはそのままでもいいのかもしれません。

 いずれにせよ、原作者との協議が可能ならとにかく相談です。
(平成ガメラの際、担当監督は湯浅憲明監督に何の挨拶もなかったという噂を聞きました。あくまでも噂ですよ。でも、それじゃイカンだろと思います)

2番について

 拒否権なしなんですね?
 これは7月8日に書いた記事から引用します。
>作り手の姿勢としては原作に忠実にすることを第一として、
>その上でもしどうしても生理的にというまで受け入れられない部分は担当者の志向に合わせるというのがぎりぎりの妥協点でしょうか

とは言うものの・・・・。
『GATE』ってアニメ化されていましたよね? 宣伝を見た覚えがあります。そこまですさまじい作品とは知りませんでした。
そんな作品をやれと言われたなら、上記の姿勢でも追いつきませんよ。
 家族を人質に取られて脅迫でもされない限り、断りますよ。
断れないとなると、うへー、どうしましょ。
 ファンの期待を裏切るような改変はすべきではないので、職人として仕事は受けても、自分が関わったことはひた隠しにします。
スタッフ名義には「アラン・スミシー」とでも書いてもらいましょう。
 しかし、心の傷は深いでしょうね。

Re: 突き詰めるとケースバイケースなんでしょうけれど - なんじぇい (?)

2019/07/13 (Sat) 13:03:11

やっと完全に納得できました。丁寧な回答、ありがとうございました。
駄作に関してはそのように筋を通したらいいのか……と思いました。


完全な余談ですので手短ですが、一応それなりの実績のある監督なら拒否権はあります(下請けのアニメーターは当然そんなものは一切ありません。脚本に口を出す権利もありません。与えられた仕事をこなすだけです)。
ただし新人の場合は一応拒否はできるそうですが、そんな選り好みをしていたら「生意気な奴」みたいな扱いで冷飯を食うことになることが多いそうです。
また「この駄作でどれだけ面白くできるかやってみろ」みたいな扱いでノルマとして渡されることがあります。こうなると拒否権などなく、拒否するには会社をやめる以外にないでしょう。
なので実質、拒否権はほぼありません。


ただしえてしてライトノベルのアニメ化は作者が連載中にアニメ化することが多いので、作者が連載に手一杯でアニメに関われないことが多いです。

また作者が「好きにしてください」とアニメ化の際に言うことが多いらしいのです。
忙しいからなのか、餅は餅屋といった考えなのか、めんどくさいのは嫌われると考えているからなのか、あるいはバリエーションを見ることを喜んでいるのかは分かりません。
同人上がりの作者が増えているので、個人的には改変されて当たり前といった考えの人が増えているのではないかとは思います。


その為「拒否権はないけど会社や作者からお墨付きが出て、けっこう好き勝手にできます。売れたら正義です」が実際としては一番近い感じがします。


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