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ギドラの巣「新」映像作品掲示板

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ただいまゴジラ祭り開催中!
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『さらば愛しきゴジラよ』 - エクセルシオール (男性)

2018/09/12 (Wed) 22:21:52

 『さらば愛しきゴジラよ』(佐藤健志著、読売新聞社)。これは1993年に出版されたゴジラシリーズの批評本です。この本を以前読んだのはずいぶん前なのですが、最近久しぶりに読む機会がありました。

 この本の構成は、⓵分析、⓶提言、⓷小説に分かれています。まず、ゴジラシリーズは行き詰っており(当時はVSシリーズの半ばである)、なぜそのようになったのかを分析し、次にシリーズを完結(再生ではない)させるための方法論を提示し、最後に著者自らが
上記方法論に則って「ゴジラ完結編」という小説を書いています。なお、著者は小説について「近年のゴジラ映画より優れていると確信している」と述べています。

 けっこうな自信なのですが、正直、私は分析論に一理ある部分があることは認めつつも、賛同はできませんでした。著者はある種の「初代ゴジラ原理主義者」であり、その後のシリーズ、特に『怪獣大戦争』以降の作品をやれ「お子様ランチ」だとか、「怪獣プロレス」だとかと散々罵ります。驚くべきことに著者は「大人向け」でない作品には価値がないものとみなしているようでした。これはあまりにも偏狭でしょうし、怪獣映画の一番の支持者が子ども達であることも忘却しています。

 次に筆者が「最後のゴジラ映画」を作る方法論がまたすごい。⓵ゴジラを「内からの脅威」として描く(人間社会にゴジラ来襲の責任がある)。そして、ゴジラは人の手によって殺されねばならない。⓶「人間の正義」を否定する。⓷グランド・ホテル方式(特定の場所や事件を媒介として、それと関連した相互に無関係な人々の行動を交互に描いていく方式)を排除するため、主人公はゴジラ撃退に直接の責任を負う自衛官でなければならない。⓸ゴジラ来襲をめぐるドラマは、主要登場人物間における性の葛藤のドラマと重ねられねばならない。⓹主人公にとって、ゴジラ攻撃と自分の性的欲求の充足は、象徴的に同義でなければらなない。どっから突っ込んでいいのか分かりません(⓵前半と⓶については作品の性質によっては重要なこともあるだろうが、それ以外は・・・・)。
 特に⓸と⓹に関しては、著者の特異な初代ゴジラ解釈が影響しています。いくら読んでも理解できない部分なのですが、著者は『ゴジラ』(1954年)を芹沢博士を中心としてみれば「自分の性欲に罪悪感を覚えて欲求を抑え続けてきた性的不能者が、死と引き換えに性的充足を味わう物語」であると考えています。うーん・・・、もはや深読みのし過ぎどころか妄想ですね。

 では、著者が自信をもって執筆した「ゴジラ完結編」とはいかなるものか?これが日本が核武装した世界を舞台に(この時点でずいぶんすごいことになっている)、ゴジラはテレポーテーションで移動して世界各地を襲い、しかもゴジラが暴れた場所には巨大植物や巨大昆虫がはびこって人が住めなくなってしまいます。ゴジラとは地球自体が送り込んだ人類矯正の使者であり、それを倒すことは地球の意思に反するという設定です。しかし、主人公の自衛官はあくまで「人類のため」という大義名分のもと、衛星から放つレーザー砲によって地球環境の破滅と引き換えにゴジラを倒します。面白い部分もありますが、全体的に見れば「なんじゃこりゃ」という代物です。

 何とも素敵なことに、著者は「故・本多猪四郎監督に本書を捧げる」と書いています。ここが一番理解できません。何たってこの本では初代ゴジラ以外の作品の評価は低く、『怪獣大戦争』以降はほぼ全否定しています。本多監督が担当したゴジラ映画も大半が批判の対象であるのに、よくもまあこんなことが言えたものです。本多監督も苦笑いしているでしょうね。

 90年代と言うと特撮やアニメと言ったサブカルチャーのステイタスを上げるために、さまざまな大人向け解説本が出版されだした頃でした。この本もその一つですが、あまりにも珍妙な内容のため、今では「トンデモ批評本」という評価もあるようです。
 ただ、「お子様ランチ」だの「怪獣プロレス」だのといった決まりきったゴジラ映画(特にチャンピオン祭り時代)への悪口は、今でも極めて強力です。いいかげんそのような偏狭な見方こそ払拭されるべきでしょう。
 
 もはや「奇書」の類かもしれませんが、機会があれば目を通してみてください。もしかしたら、何かの役に立つかもしれません。



Re: 『さらば愛しきゴジラよ』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/14 (Fri) 18:30:12

 ありましたねぇ、「さらば愛しきゴジラよ」・・・。
発刊当時たしか新聞に広告が出ていて、早速本屋に走って確認の立ち読みをしました。
当時のゴジラVSシリーズには私もそこそこ不満を抱いておりましたので、ひょっとしたら仲間を見つけられるんじゃないかと期待したのです。

 ところが、ゴジラを殺してシリーズを終わらせるしかないという結論に、なんだコイツもゴジラ=敵論者か、とがっかり。
ほかにもいろいろおかしなことが書かれていて、怒り心頭に。
ガンバレルーヤよしこちゃんのように「クソが!」と叫んで本を書棚へ叩きつけると書店さんにご迷惑なので、
無言でそっと棚へ戻しました。

 その後、雑誌「宇宙船」にたしか当時の編集長が「さらば愛しきゴジラよ」への反論記事を書いていて、
ゴジラファンが頭に来るのは当然だよな、と思いました。

 ちとひっかかるのは、vsシリーズの幕引きがゴジラを死なせる形だったことです。
まさかあの本の影響を受けたわけじゃないでしょうね。

 というわけで、購入してはいないので詳しい内容主張は知らないままだったのでした。

 このたび、エクセルシオールさんの解説でどれほどトンデモな内容だったのかがわかって怒り再発ですよ。

 いるんですよ、フロイト学派か何か知りませんが、なんでもかんでも性衝動に結びつけたがる輩が。
そりゃ、人間が創作する表現には性衝動に結びついた暗喩が多くあるのは認めますよ。
けれども、あれもこれも性的表現なのだと読み解いてみせるのもおかしなことで、
そんな頭で映画を見るなら、作品本来の表現を見逃して自分勝手なエロ妄想を創作するのがオチ。
そう、鑑賞ではなく創作しちゃってるのですよ。

 映画の中にとにかくエロを見つけたい人というのは、どうやら性衝動の話に持って行けば小難しい作品でも簡単に解体して見せたことになると思っているようです。
そして、我こそが真実に気がついているインテリなのだよと言いたげなところが実に鼻につく!

 それより腹が立つのは、そんなエセインテリが書いた妄想をありがたく頂戴して、自分も頭が良くなったように勘違いしている輩。
えー、大丈夫なんでしょうか、アニメゴジラ。
地球環境が木ジラ(ゴジラの1ファンさんの案を使いました)のせいで変化しているわけですよね。なーんか、この佐藤某の「ゴジラ完結編」に影響されているような。

Re: 『さらば愛しきゴジラよ』 - 海軍大臣 (男性)

2018/09/14 (Fri) 19:05:27

「何でも性に結び付けたがるフロイト学派が天体望遠鏡で女湯を覘く」なんて戯れ歌がありましたが、私も当時この本に激怒したクチです。
 ゴジラやウルトラに「アダルトな作風」だとか「大人の鑑賞に堪えうる」といった評価で作品ごとの優劣が付けられるようになったのは、70年代末~80年代初頭に、洋画SFやアニメファンの下風に甘んじていた特撮ファンの状況を打破しようと、池田さんや竹内さんたち先達の一部が書籍やサントラの解説書あたりでやり始めたことだったと思います。
 活字の魔力ではありませんが、一時期、そうした先達たちの書いた意見をそっくりなぞったファン(つまり、自分の意見を待たない人たち)が多く発生していた時期もあって、私のようなヘソ曲がりな作品の嗜好(たとえば【オール怪獣大進撃】が好きだとか)を持つ人間は攻撃の槍玉に上げられたものです。
 何とか特撮ファンの地位を確立しようとした池田さんたちの気持ちは理解できるのですが、悔恨を後世に残してしまったことは残念です。


 それじゃあ、本当に大人向きのゴジラ作品にしか価値が無いかというと、決してそんなことは無くて、ふと以前、ライターの樋口尚文さんがトークショーで語っていられたエピソードを思い出してしまいました。
 樋口氏は幼児期に【ゴジラの息子】を劇場で見ているのだそうです。当然、あのシリーズ屈指の名ラストシーンを目の当たりにして大変な感動を覚えられたのだそうですが、まだ幼児だった同氏は、それを自分の感情として表現する術が判らず、それを抱えたまま家に帰り、夜になって寝てから(映画を観て半日が経っている訳です)突如として号泣し、両親を困惑させたと聞きました。ともかく樋口氏が「映画に感動した」のは初めての体験だったそうで、
子ど向けに「堕した」とレッテルの貼られがちな時期の作品にもこれだけの力があることを、昨今のシンゴジラブームでファンにばられた方々にも今少し理解していただきたいと考えます。
 

ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 - エクセルシオール (男性)

2018/08/30 (Thu) 21:18:34

 8月10日に俳優の菅井きんさんが亡くなられました。菅井さんと言えば必殺シリーズの中村せん役など、幾多の作品で活躍された方でしたが、ゴジラシリーズにもたった一回だけ出演されていましたね。

 菅井さんは第一作の『ゴジラ』において、国会の委員会に出席した野党の女性議員の役でした。メインキャラではないし、ストーリーに深く関わるわけでもない。なのにその印象は極めて強烈。ゴジラが水爆実験で目覚めたという事実を隠そうとする与党議員に真っ向から反論し、最後には「バカモノ、何を言うか」と面罵する。当時、20代後半だった菅井さんでしたが、迫力満点で「すごいなあ」と感心したものです。

 ただ、このあたりのシーンは当時の状況を考えると意味深なものがあります。映画公開のつい9年前まで日本は噓八百の大本営発表がまかり通り、真実を述べたりしたら社会的に破滅しかねない国でした。ゆえに「重大だからこそ公表すべきだ」「事実は堂々と公表しろ」という台詞は非常に重要な意味を持っていたと思います。また、隠蔽を図るのが旧世代を象徴する中年男性議員であるのに対し、新しい時代の旗手としてそれに立ち向かうのが若い女性議員であるというのも重要な構成であったと考えます。そう思うと僅かなシーンでしたが、重いものがあります。
 
 私は菅井さんが演じた女性議員はゴジラ映画史上最高の端役だったと思います。ほんの僅かなシーンで彼女以上に強烈なインパクトを残したキャラは他にいません。


 慎んでご冥福をお祈りいたします。 

Re: ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/31 (Fri) 18:26:08

 菅井きんさんは得がたい個性の女優さんでした。
理知的な役も野卑な役もこなせる方だったと思います。

『ゴジラ』でのあの一シーンは、エクセルシオールさんのおっしゃる通り、
映画『ゴジラ』が持ついくつかの重要なテーマのひとつを集約したシーンでしょう。
戦中の大本営発表はもちろん、戦後はGHQによる情報統制もあり、真実から目隠しされてきた日本人です。
 昨今の政治スキャンダルもお役所の隠蔽体質のために真実が見えてきません。
 本多監督の鋭い社会観が光るシーンでもあります。
(政治家が諍いを始めたことを科学者は沈鬱に見守り、新聞記者が薄笑いを浮かべて見ているのもあの映画の深みを示します)

 そんな思いも込めて、菅井きんさんのご冥福をお祈り致します。

Re: ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 - 海軍大臣 (男性)

2018/09/06 (Thu) 22:55:03

 遅まきながら、菅井きんさんのご冥福をお祈りいたします。
 お二人の仰られた通り、あの女性議員の役は戦再スタートした戦後日本の一側面をシンボライズしている気がします。考えてみれば、昭和29年って、講和条約のお陰で自由に映画が創れるようになってからやっと1年経ったばかりの時期なんですね。色んな意味で、正に映画とは時代を映し出すものなのだなと再確認してしまいました。

 ところで、このところ初代ゴジラ関連の噂が頻々と耳に入ってきていて、ちょっと不安です。

Re: ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/10 (Mon) 18:18:49

 遅レスすいません。
親記事から離れてしまいますが、

>このところ初代ゴジラ関連の噂が頻々と耳に入ってきていて、ちょっと不安です。

 えっ、気になるお話。
書けること書けないことがおありかと思いますが、
機会がありましたら、差し支えない範囲で小出しにひとつよろしくお願いします・・。

2も快調! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/20 (Mon) 20:30:47

『銀魂2掟は破るためにこそある』、オッケーです。

 お下劣ギャグ満載の快作でした。
前作では原作やアニメから離れないようにとびくびくしているような雰囲気も感じましたが、
今回は、原作に準拠しているのは当然として、
実写劇場版オリジナルのストーリー構成や設定を持ち込んでいて、かなりのびのびとやっているように見えました。

 と言っても、実写映画は別物だといわんばかりのわがままをやっているわけではなくて、
あくまでも原作やアニメの味を壊さない範囲でのアレンジでした。
(だから納得)

 ただ、今回映画化したのは「真選組動乱編」と呼ばれているパートで、原作およびアニメで見たときから、どうもそのエンディングには納得できませんでした。
 真選組に入り込み、私物化(といっていいだろう)しようとした男が退治されるお話なんだけれど、
その悪役にも同情すべき生い立ちがあった、というのは銀魂によくある人間の悲哀設定でそこまではいいんです。、
しかし、最後に斬り殺して絆を確認、というような劇展開はいかがなものかと、今回も疑問に思ってしまいました。

 悪い奴だったが、一緒に過ごした年月にはそれなりに意味があり、仲間意識もあったじゃないか、というのはわかるのですが、「彼」の犯した罪は「死刑」という形で償わせたと言いたいのでしょうか。
 それでも、裏切り者としてではなく、仲間として斬ってやるのだというような理屈はどうもよくわかりませんでした。

『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 - エクセルシオール (男性)

2018/08/02 (Thu) 22:19:45

 レジェンダリー版ゴジラの第二作目『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』の予告編が公開されました。まだ分からないことの方が多いですが、ゴジラ、ラドン、モスラ、キングギドラの姿が確認でき、予告編から看取できる迫力は相当のものです。

 ただ、ストーリーがどんなものになるのか、予告編からだけでは想像がつかない感じです。「人類は地球の病原体であり、それを排除するために地球は『熱』を出している。地球と人類の滅亡を防ぐためにはかつて地球を支配していた巨大な神々を見つけ出さなければならない」という趣旨の台詞があるのですが(日本語字幕付き予告編から)、正直、「なんじゃそりゃ」という感想もないわけではありません。
 レジェンダリーのゴジラはイマイチその存在について分かりにくいところがあり、ゴジラと言うよりも「平成ガメラ」に近い印象すらあります(そこが前作について何とも煮え切らない印象を抱いた大きな理由)。さて、どうなるでしょうか?

 なお、製作筋によるとサプライズもあるそうです。おそらくキングコング関連のものになるのでしょうが(アンギラスということはないだろう。悲しいが)、興味深いですね。

 さて、もう一つ面白い話題が。ウルトラマンシリーズ以外では最後の巨大特撮ヒーロー番組であった『電光超人グリッドマン』ですが、その『グリッドマン』がテレビアニメになって帰ってくるそうです(今年10月から放送)。この作品は電脳世界を舞台にグリッドマンが魔王カーンデジファーの作り出す怪獣と戦うというコンセプトで、少々時代を先取りし過ぎていたともいわれている番組でした。まあ、初期設定の一部が途中からなくなってしまった等の問題点もあったのですが(例えば、ジャンクというコンピューターは初めは喋れたのに、その後台詞が無くなった)、総じて面白い作品だったと思います。
 特撮ではなくアニメと言う形式ですが、設定やキャラは大きく変えるそうであり、全く新しい物語として楽しめばよいと思っています(なお、グリッドマン役はオリジナル版と同じで緑川光さんが声を担当する。これはうれしい)。

  

Re: 『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/03 (Fri) 19:01:54

 いやー、いま予告編を見てみました。
とにかくレジェンダリー版は別物なので、それはそれとして楽しめればいいかと思っています。
(ゴジラか否かというのは別問題なので、やはりあれをゴジラとは認めませんけれど)

 前作でも匂わされていた、生態系における怪獣の役割みたいな設定を持ち込む感じですね。
 それをやると物語のまとまりは良くなるかも知れませんが、
怪獣から「自由さ」が失われるのであまり歓迎できませんなぁ。
(日本のアニメ版も同じような発想だ)

 ハリウッドの大予算で怪獣スペクタクルをやってくれれば満足しますよ。

 そんなことより、なにをーーー!
グリッドマンがアニメ化ですと!
 円谷プロもリメイクネタが尽きましたか。
「電光超人グリッドマン」は多大な期待を持って見始めたものの、
どうにも納得できなくて途中リタイアでした。
 ごめんなさい。
 今回のアニメ版、脚本があの人なので、うーーーん、不安なりぃ。

確かに不安かも・・・ - エクセルシオール (男性)

2018/08/04 (Sat) 23:02:11

 アニメ版『グリッドマン』のシリーズ構成が長谷川圭一氏というのは、確かに不安になる要素ではありますね。何せ『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』でゴジラの設定を「太平洋戦争で死んだ兵士たちの亡霊の集合体」に大改変して物議を醸し(この作品の脚本家は3人なので全責任を負うわけではないが)、『ウルトラマンネクサス』では「鬱トラマン」と揶揄される陰鬱極まりないストーリー展開で、あわやウルトラマンシリーズを破滅させかけた。二つも重大な前科があるわけですから、心配になってくるのも無理はありません。
 ただ、変な話ばかり書いている人でもないし、監督とかがうまくコントロールできれば、良い出来のアニメになる可能性もありますので、私はそこに望みをつないでいます。

 さて、『グリッドマン』のオリジナル実写版は今年で25周年となるわけですが、私にとって楽しみつつも疑問点も少なくない作品ではありました(リタイアした方がいるのも理解できる)。一番の問題は怪獣との戦いの大半がコンピューター世界で繰り広げられるため(現実世界でも恐ろしい事件が起きてはいるが)、話がこじんまりして見えていたことですね(現実世界に現れようとしたのは第2話のバモラと最終回のカーンデジファーくらい)。また、アシストウェポンと合体したグリッドマンはただの巨大ロボットにしか見えなかったことや、怪獣とのパワーバランスが崩れ気味(サンダーグリッドマンはほぼ無敵だった)であったことなども首をかしげてしまったことです。この作品は無条件で礼賛する人も多いのですが、私としては課題も多い作品だったなと思います。
 ただ、カーンデジファーと悪の少年・藤堂武史のほぼ毎回のやり取りは結構好きでした。武史が何かしら嫌な目にあう→カーンデジファーに愚痴をこぼす→カーンデジファーが「それはひどい。怪獣を使って仕返しをしてやるのだ」云々と言って彼をたきつけて怪獣が作られる。このあたりの構成は何というか「ドラえもんとのび太みたい」と思いました。
 
 再びアニメ版に話を戻しますが、最低限筋の通った面白い話をきちんと結末まで描いてほしい。最近の深夜アニメ事情はかなりひどいものでまともに落ちをつけられない作品が続発しています。それだけはやめてほしいですね。

Re: 『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/07 (Tue) 18:39:22

 そうだったそうだった、敵役の少年がカーンデジファーに恨み節を語るのであった!
すっかり忘れていました。

「グリッドマン」はもっと電脳空間とは何かとか、ネットワーク社会がどうなるかといった思索がこもっていればよかったのに、
と思います。子供向けでもやってやれないことはないと思うんですが・・。

 今度のアニメ版がどうなるのかはまったく未知数ですね。
オリジナル版の設定が使われるのかどうかもわかりませんし。画像を見る限り、電脳空間での戦いではなさそうだなぁ。
やはりまた、タイトルと主役のデザインだけを借用した別作品にするんでしょうか・・・。

 深夜アニメといえば、「深夜!天才バカボン」だけ見ています。
これが良い意味で予想を裏切る快作でした。
原作にはないオリジナル脚本ということでひじょーに心配したのですが、
監督・脚本が細川徹(シティボーイズライブの仕事で知ってました)ということで、なかなかツボを押さえた作風と思います。
赤塚ギャグの味も感じられて、某「◯◯◯さん」みたいに、人気声優を集めてただの打ち壊しをやればそれでよし、みたいになってないのがいい感じ。
(また余計なことを書いたか)

没企画は一部使用されるようです。 - エクセルシオール (男性)

2018/08/07 (Tue) 20:48:17

 アニメ版『グリッドマン』については、かつて日の目を見なかった「幻のグリッドマン第2作目」の設定の一部が用いられているようですよ。

 この没企画は『電光超人グリッドマンF』という作品になる予定だったもので、前作の主人公の一人・馬場一平も登場するはずでした。内容は暗黒宇宙から来た魔界の帝王の侵略から新たなグリッドマンが地球を守るというもです。
 新グリッドマンと合体する主人公の少年の名前が「響裕太」、魔界の帝王の名前が「アレクシス・ケリヴ」、そして魔王によって傀儡にされる少女の名前が「新条アカネ」であり、これらは今回のアニメのキャラクターの名前に用いられています。変則的ですが没企画のリベンジマッチと言った形になるでしょうか。
 なお、グリッドマン本編にも実現できなかった企画が結構あったようであり(例えば悪の超人カーンナイトや最強最後の怪獣ジエンドラなど)、それらもそのままというわけにはいかないでしょうが、アニメ版に何とか活かしてほしいですね。

 さて、アニメついでの話を二つ。まず、エヴァンゲリオン新劇場版完結編のタイトルが『シン・エヴァンゲリオン』だとか。一瞬、悪い冗談だと思ってしまいましたが、題名自体は『シン・ゴジラ』制作より先に決まっていたそうですので、便乗したというわけではありません。ただ、今度は『シン・ゴジラ』の方が何なのかという疑問がわいてきますが。

 次に、アニメ版ゴジラ完結編『星を喰う者』の公開日が決定。2018年11月9日だそうです。この映画は今のところキングギドラが出てくること以外は不明ですが、さて、どうなりますかね。こっちはそもそもきちんと落ちがつくか不安視してしまいます。

Re: 『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/08 (Wed) 18:36:26

 アニメ「グリッドマン」、没企画からとはいえ、オリジナル版からの連携を無視してはいないんですね。
 さて、どうなるか・・・。

・・・
 むかしむかし、「幻魔大戦」シリーズに「真幻魔大戦」なんてのがあったりして、
「シン」と付けたいんでしょうか・・・。
 よくわかりませんねぇ。

 アニメゴジラの顛末がどうなることやら、ギドラちゃんもいじりまくられるのかと思うと憂鬱ですよ。

「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 特撮好き (男性)

2018/07/28 (Sat) 05:42:28

 いきなりの訪問、申し訳なく思っています。
 ゴジラ論についてここまで(失礼な言い方になってしまわれますが)過激な方はお見受けしたことがなく、興味を引かれました。
 恐らくシン・ゴジラの怪獣はゴジラか否かについて言及したまとめ記事はタイトルの物だと仮定して話を進めますが、もし違っていたならご免なさい。
 上の記事に書かれていたことは幾つか疑問に思った箇所があり、その点に関して駄文ながら書かせてもらいます。


>人名だと同姓同名ということもありますが、同じ名前で違う人、というのは避けたい事態ですね。

 鈴木一朗と名の付いた人は日本中に大勢います。イチロー選手のみが鈴木一朗であり、他は鈴木一朗ではない、個体識別が面倒くさいから改名しろ!というのはとんでもない話です。
 また犬や猫などの別種の動物であっても、ペットとして太郎や花子など同じ名前を付けることはあります。

 名前を好きなものにすることはそれこそ自由であり、付けられた名前を変えろと強要することは間違っています。(付け加えるなら、どんな名前で言うかも個人の自由である以上シン・ゴジラの怪獣をちんごじらと呼ぶことも自由です)


>ちんごじら、見た目も出自も生態もゴジラとは違います。
これだけで十分ゴジラではない理由になり得ます。
 違う箇所もありますが、似ている箇所も数多くあります。
 この文は殿様ギドラさんがゴジラと呼ばない理由にはなり得ますが、ゴジラという名前で呼んではいけない理由にはなり得ません。
 また後述する文により、ゴジラと呼んでいい理由も存在します。
 
>それは、ゴジラを著作物と考え、現行の社会の中で法律的にゴジラであるという主張でしかなく、
ちんごじらがゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかという問題とは別です。
 確かにそうです。ですが、ゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかは各々の感情に委ねられる話です。見える、感じられるとなればなおさらです。
 「シン・ゴジラの怪獣は第4形態は初代ゴジラに似ているから、私はゴジラに見えますしゴジラと言います」という論法もこれでは通用してしまうのです。
 相違点をいくら挙げようとも、類似点も数多く挙げられるため、決着がつかなくなってしまいます。


>設定も形も違うのにゴジラと名付けてもいいのなら、その逆もアリではありませんか?
 論理学において、逆は必ず正しくはなりません。必ず正しいものは逆ではなく対偶です。

>ゴジラであるかないかはその内実を問題にするべきで、権威者による命名に頼ることには意味がないです。
 これだけではゴジラと名付けられた怪獣をゴジラと呼んではいけない理由にはなり得ません。
 また内実に関しても上を見る限りでは~に見える、~に感じるなどという個人の感覚に左右されてしまうものでしかありません。
 

 

 殿様ギドラさんが「シン・ゴジラの怪獣はゴジラではない」と言うことは自由です。
 しかし上の内容は「シン・ゴジラの怪獣は私はゴジラには見えない」という意見でしかなく、「私はゴジラに見えます」と言われたらそれまでではないでしょうか。
 殿様ギドラさんがゴジラと呼ばない理由にはなり得ますが、ゴジラファンがシン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼んではいけない理由にはならないのです。

 質問は以上です。急な訪問、急な質問、すみません。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/28 (Sat) 12:02:06

「特撮好き」さん、初めまして。
以前からギドラ氏が「もうシン・ゴジラについては語りたくない」と繰り返されておりますので、傍からしゃしゃり出る様で申し訳ありませんが、私なりの意見を述べさせていただきます。

 私も人名やペットの名前ならば「太郎」でも「花子」でも構わないと思いますが、しかし「ゴジラ」の場合は金銭の絡んだキャラクターネームなのです。しかも桁外れの「お金」が絡んでいるから厄介なのです。数年前に東宝とH監督の御遺族の間で起こった悲しい争い事も、すべて金銭問題から来ていることになります。
 そして、そもそもゴジラが著名なキャラクターであることが、今回の論争の原因なのだと思うのです。
本サイトで私たちが主張している「あの映画の怪獣をゴジラとは呼べない」との意見は、古いファンの感情論みたいに捉えられてしまう惧れがありますが、これを御理解いただくために、ゴジラを陶磁器のような焼き物に置き換えて考えてみたいと思います。
 仮に「A」という人間国宝的な大陶芸家が居て、その人物が創出した「〇〇焼き」と呼ばれる素晴らしい彩色磁器があったとしましょう。A先生は生涯を通じて〇〇焼きを作り続け、絶大な評価を得ましたが、やがて亡くなってしまいます。陶芸界では当然、その技術は弟子や子孫代々によって継承されては行きますが、それでもA先生のパーソナルな部分までは伝承される訳ではありません。その一派を取り巻く社会環境の変化次第では、代を重ねる内に衰退してしまうこともあるでしょう。
 そして、その流派が完全に途絶して十年ばかり経た後(それでも「〇〇焼き」自体は高い人気を保っていたとして)に、嘗てA先生を経済的に支援していた企業が全く無関係の若手陶芸家を押し立てて、似たような陶磁器(見た目は似ていても、釉には化学染料のみを用い、窯の焼成温度の管理はコンピューター任せだったりします)を売り出して、これに「新〇〇焼き」と名付けた場合に、法的な命名権は元のパトロン企業にあったとしても、これを買う側の人間までがオリジナルの「〇〇焼き」と「新〇〇焼き」を同列に論じることに、私は疑問を感じてしまうのです。私どもの云うところの「あの映画の怪獣をゴジラとは呼べない」とは、そうした理屈に依拠していることをお分かりいただきたいと存じます。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 特撮好き (男性)

2018/07/29 (Sun) 01:33:31

 海軍大臣さん、返信感謝します。
 海軍大臣さんの言わんとしていることは理解できます。私は「どんな名前で言うかも個人の自由である以上シン・ゴジラの怪獣をちんごじらと呼ぶことも自由です」と記述しています。シン・ゴジラの怪獣を私はゴジラとは思えないと主張するな、と言っている訳では決してないのです。
 シン・ゴジラの怪獣をゴジラとは呼ばない自由はもちろんあります。ゴジラと思わない自由もあります。私はゴジラとは思えない、と主張するのもむろん自由です。

 私が述べていることは、シン・ゴジラに登場する怪獣をゴジラだと感じたりゴジラと呼んだりする自由もあり、それを殿様ギドラさんが否定するのはおかしくありませんか? ということです。
 海軍大臣さんの例えで言うなら、「新○○焼き」が「○○焼き」と似ている部分が、その人にとっては○○焼きの肝と思える部分であれば、また○○焼きの好きな部分が受け継がれていたと感じるなら、その人は○○焼きと呼んでも問題はないのではないでしょうか? という形です。

 繰り返しになりますが、殿様ギドラさんは「ちんごじらがゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかという問題とは別です。」とおっしゃっています。
その通りです。感じられるか、見えるかは個人の感覚です。その感覚を否定することなどできません。何をゴジラらしいと思う感覚など千差万別です。

 しかし殿様ギドラさんは上の記事においても他の人がシン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼ぶことを否定し、「『シン・ゴジラ』という蒙昧を斬る(ゴジラファンとして)」においては、
>その魅力とは何ですか?
『シン・ゴジラ』にそれはありましたか?

あった、というなら、ずいぶん浅いゴジラ観をお持ちですね。

とおっしゃられています。個人の感覚が大きく関わってくる問題にここまで強い言葉で否定する理由は何故なのか、知りたかったのです。


 シン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼んではいけない理由も前にも述べた通り、いまいち筋が通りませんでした。

 以上です。感情的な物言いになっているかもしれず、その場合は申し訳ないです。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/29 (Sun) 22:14:44

「特撮好き」さんへ。
 私が申し上げたことへのご意見に関してなのですが、

>海軍大臣さんの例えで言うなら、「新○○焼き」が「○○焼き」と似ている部分が、その人にとっては○○焼きの肝と思える部分であれば、また○○焼きの好きな部分が受け継がれていたと感じるなら、その人は○○焼きと呼んでも問題はないのではないでしょうか? という形です。

 の部分につきましては、完全に「問題あり」と愚考いたします。
 この場合、「新○○焼き」であれ「復古○○焼き」であれ、オリジンの「○○焼き」とは厳密に区別されねばならないからです。何故なら「似ている部分が、その人にとっては○○焼きの肝と思える部分であれば、また○○焼きの好きな部分が受け継がれていたと感じるなら」といったことで、受け手がこれを勝手にオリジンといっしょくたにして呼び始めてしまえば、これまで先人たちが真摯に編んできた陶芸史というものが著しく貶められてしまうからです。これは我が国の特撮史を俯瞰する場合にも当てはめられることで、今では「昭和ゴジラ」と一括りにされている作品群についても、80年代初頭に「ネオフェラス」や「ゴジラ復活委員会」で活躍されていた先達たちは、「円谷ゴジラ」と「中野ゴジラ」を峻別していたことが思い出されます。
 前回、私はオリジナルとそれに寄せて作ったものは同列には論じてはいけないことをお分かりいただきたいと思い、敢えてゴジラを判り易く陶芸に置き換えた「譬え話」にした訳なのですが、そのついでに申し上げますと、昔、全国的に大変な注目を集めた「永仁の壷事件」と呼ばれる贋作騒動がありました。もしよく似ているから、或いは好きな部分が受け継がれているから「新○○焼き」を「○○焼き」と呼ぶ自由が認められてしまうのであれば、オリジナルそっくりに捏造された「永仁の壷」だって「本物」と呼んでも良いことになってしまします。でも、それは社会的規範であるとか公序良俗といった観点からは絶対に許されないことです。
「シン・ゴジラに登場する怪獣をゴジラだと感じたりゴジラと呼んだりするのは自由である」と仰る気持ちも分からないではありません。私も表現の自由、発言の自由は尊重すべきだと思います。しかし、社会的規範や公序良俗を捻じ曲げてまで主張される自由など在ってはならないものなのではないでしょうか? 以上の理由から、少なくとも私にはギドラ氏が、他の人がシン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼ぶことを否定することに疑念を持たないでおります。

 ところで映画【シン・ゴジラ】が公開されて、本日で丸二年になるそうです。以前にも本サイトで似たようなことを書きましたが、二年経っても相変わらずこのような議論が交わされていること自体、まんまと作り側の掌上で踊らされているみたいで、たいへん忸怩たるものを感じてしまいます。

 以上、だいぶ舌足らずな論旨になってしまいましたが、お目通しいただければ幸いです。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 特撮好き (男性)

2018/07/29 (Sun) 23:42:20

 海軍大臣さんへの返信です。

>これまで先人たちが真摯に編んできた陶芸史というものが著しく貶められてしまうからです。
 なぜ貶められてしまうと断定しているのでしょう。人によっては、これまでのものをより発展させたと感じることもあるでしょう。先代より良くしたと感じることもあっていいはずです。むろん貶められたと感じることもあっていいですが、断定するのは何故でしょう?
 どんなアレンジをしてもそれは先代以下のものだと無条件で断定しているのでしょうか。理解できません。


 また社会的規範は「社会や集団のなかで,ある事項に関して成員たちに期待されている意見,態度,行動の型」です。これはブリタニカ国際大百科事典から抜き出しています。
 「みんな圧力に負けずに正直になろう!」とおっしゃっている殿様ギドラさんに賛同する方が、社会的規範というものをいきなり持ちだそうとすることはいけません。(他にも同調圧力に対する批判はこの掲示板に多く見られます。)
 普段は同調圧力に反対されている方に無批判にも関わらず、都合のいいときだけ多数決じみたものや同調圧力を持ち出しているのは不公平であり、筋が通りません。

 更に社会的規範や海軍大臣さんが前に少しおっしゃった金銭の問題を持ち出すなら、これを持ち込むのは気が引けますが、社会的に多数の賞を取り、ほとんどの評論家が絶賛し、興行的にも成功を収め、基本的に礼賛意見が多数を占め、この掲示板によれば同調圧力があるとされる『シン・ゴジラ』は社会的規範となる映画になってしまいます。
 だからと言って批判してはいけない等ということはないですよね。

 以上です。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/30 (Mon) 20:18:32

 丁寧な物言いを装ってはいるようですが、質問と称しながら自己の主張を述べているだけなのですから、なんともかんともです。
そして海軍大臣さんにご迷惑をかけてしまったことは誠に申し訳ないです。
二年も前の記事にいまさら噛みついてくるような人には、残念、タイムアウトです、と言いたいところなんですが、
読んでいる人のことを考えて何か書いておきますか・・・・。
 レスのほうでもいろいろ難癖をつけてきていますが、まー、その手触り、初めてではない感じだなぁ。
(文章の一部だけ抜き出して文脈から切り離し、表面的な反論を試みるやり口は懐かしい感じまでする)
親記事へのレスしか書きませんよ。


>物体でも事象でも、なんらかの存在を識別するためにあるのが名前。
>人名だと同姓同名ということもありますが、同じ名前で違う人、というのは避けたい事態ですね。

と私は書いています。

 現実に同姓同名があることは承知の上で、人名であっても可能なら同姓同名は避けた方が良いのじゃないか、と言っているわけです。
どんな名前を付けようが自由だとしても、周りの人間にとっては同姓同名はややこしいでしょう?
二年前の記事に足りない点があったとすれば、架空の生物であり創作物である怪獣なら別種の物には違う名前をつけるべきだと説明すべきだったということでしょうか。
それぐらいのリテラシーを読者に期待してはいけませんかね。
(とはいえ、これまた同名の別怪獣は存在する。それは作り手のチェック漏れでしょうね)


 見た目も出自も生態も違う動物に同じ名前を付けることは正当化できませんよ。
ひょっとしたら、まるで別種の生き物が同じ名前で呼ばれている例があるかもしれませんが、それは、上述の人名問題と同じく避けるべきことでしょう。
(ゴジラとちんごじら、鳥のキウイとキウイフルーツ並みに別種だ。混同しないように、果物のほうはキウイフルーツと呼ぶのである)

>しかしながら、ゴジラの権利を持つ東宝がゴジラ名で発表したんだからゴジラなのだ、という主張もあり得ます。
>それは、ゴジラを著作物と考え、現行の社会の中で法律的にゴジラであるという主張でしかなく、
>ちんごじらがゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかという問題とは別です。

と私は書いています。
 ここで言う、感じられるか見えるか、というのは、内実や外見を合わせた総体としてゴジラであるか、ということを言っているのであって、
個人の感覚においてゴジラと感じられるかどうかと言いたいわけではありません。

 ゴジラに対して造詣が深い人であれば、たとえ設定や物語上の歴史が同じでも、円谷英二によるゴジラ、有川貞昌によるゴジラ、そして中野昭慶によるゴジラにも差異を感じるでしょう。
そんな個人の感覚レベルの違いまでを問題にするともはや新作ゴジラ映画など作れなくなりますから、
初代・二代目と同じ設定のもののみをゴジラと呼ぶべきだと申し上げているのであり、外見に対してどんな基準を適用すべきなのかは、難しい話だなぁといつも悩んでいます。
(モスラ対ゴジラでのゴジラあたりを基準にするのがいいんじゃないかなどと書いたこともありますね)


 私は
>それから、ちんごじらとは逆に、設定も形もゴジラと同じで別の名前をつけられた怪獣が発表されたなら、誰もがゴジラのパクリだと批判するのではないでしょうか?

>さあ、変ですね。
>設定も形も違うのにゴジラと名付けてもいいのなら、その逆もアリではありませんか?

と書いたのです。
 ここでいう「逆」とは論理学用語の逆ではありません。
特撮好きさんの主張によると、どんなものでも命名は自由だということらしいので、設定も形もゴジラと同じ物に別の名前がつけられていでも平気なのでしょうけれど、
では、

 Aという名前のものは、αという設定・デザインであるという命題を考えましょうか。
 この命題を真とするなら、
その論理学でいうところの対偶を取ると、
αではないならAではないということになり、それも真であることになります。
 当たり前だと思うでしょうか。しかし、それは、「名前」という言語の機能を定義通りに使っていた場合のこと。
 上記の命題に加える形で、
 Aという名前のものにβという設定デザインが与えられたとすると、
その対偶は、
 βではないならAではない、となります。

 これは正しいでしょうか。αであるAも存在するのですよ。となるとβではないならAではないとは言えないことになります。
二番目に書いた命題の対偶は真ではなかった。ということはAという名前のものにβという設定デザインを与えるという命題は偽です。
 整理するとこういうことです。
 Aという名前のものがαという設定・デザインを持つとき、
Aという名前でβという設定・デザインを用いるのは「偽」である。

 ゴジラの設定・デザイン改変問題はまさにこれである。
つまり同じ名前で違う物というのは論理的に問題ありということです。

 とかなんとか書きましたが、特撮好きさんは命名は自由であり、中身も見た目も違っている同じ名前のものがあっていいじゃないかとおっしゃっているので、
ある意味、何を言っても無駄でしょうね。

 お読みになった方々が何を考えるか、に期待します。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/30 (Mon) 22:50:47

「特撮好き」さんへ。まずは誤解されているポイントから申し上げます。

>なぜ貶められてしまうと断定しているのでしょう。人によっては、これまでのものをより発展させたと感じることもあるでしょう。先代より良くしたと感じることもあっていいはずです。むろん貶められたと感じることもあっていいですが、断定するのは何故でしょう?
 どんなアレンジをしてもそれは先代以下のものだと無条件で断定しているのでしょうか。理解できません。


 の部分です。これまで焼き物に譬えてお話してきましたので、それを踏んで続けさせて貰いますと、代々「徳田八十吉」を名乗る陶芸家がおります。彩釉磁器と呼ばれるすばらしい焼き物を作られており、代が変わっても常に釉薬や土、焼成温度などの研究を怠らず、この流派を発展させてきました。私は何もこの流れを否定しているのではありません。これを東宝特撮史の流れに当てはめるならば、戦前期に円谷監督がスーパーインポーズ機を改造して作った1ヘッド式の「エルネマン」と呼ばれるオプチカル・プリンターをスタートとして、戦後の35㎜ネガ横流し式のトーホー・バーサタイル機の開発、そして4ヘッド式のオックスベリー・シリーズの導入を経て、代替わりした川北監督時代でのデジタル合成の導入、といったことになるのだと思います。つまり、これが貴兄の云われる、

>先代より良くしたい

 といった進取気鋭の発露だと思いますし、私はそのことで「陶芸史が貶められる」などとは一切申したつもりはありません。
ここで私が申し上げたいのは、別の陶芸家(例えばコピーの名人である加藤陶九郎あたり)が作った似たような焼き物が、真物の「徳田八十吉の彩釉磁器」として世の中に罷り通ってしまうような事態が起きた場合に「陶芸史が貶められてしまう」ということなのです。永仁の壷のところでも書きましたが、幾らよく似ていてもコピーを真物と言いくるめてはいけないと云うことです。この辺りは今一度拙文を読み返していただければお分かりになられるのではないかと考えます。

 また「社会的規範」の言葉を用いたことにつきましてですが、そのブリタニカ国際大百科事典にある、「社会や集団のなかで,ある事項に関して成員たちに期待されている意見,態度,行動の型」との定義を眺めるかぎり、「特撮好き」さんの仰られる、

>多数決じみたものや同調圧力

 のニュアンスまでは読み取れないのではないように思えます。何だか拡大解釈されている気もしますが、もし私が「社会的規範」という言葉を用いたことが問題であるならば、これを「この世で私たちがまっとうに生活していく上で持たねばならぬ良識」と読み替えてください。(前にも書きましたが、舌足らずですみません)何も私は数の理論みたいなものを振りかざすためにこの言葉をチョイスしたつもりはないのです。例えば、スーパーで特売品の卵は「お一人様、2パックまでです」と決められていたら、真面目にそれを守るといった意味合いであり、これを「何パック買おうと、俺の自由だ」と主張することが宜しくないのは云うまでもないことでしょう。
 ですから、この「社会的規範」という言葉の解釈を巡っての行き違いがあったとしても、私には最初から数の理論など持ち出す気など無い訳ですから

>普段は同調圧力に反対されている方に無批判にも関わらず、都合のいいときだけ多数決じみたものや同調圧力を持ち出しているのは不公平であり、筋が通りません。

 と仰られても、残念ながら「そうですね」とも「違いますよ」とも申し上げようがありません。このあたり、お分かりいただきたいと存じます。

訂正 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/30 (Mon) 22:53:46

☓読み取れないのではないよう→〇読み取れないように

朗報です! - 海軍大臣 (男性)

2018/07/26 (Thu) 22:02:48

 あれだけ重要な人物でありながら、単独の研究書が書かれていなかった「有川貞昌さん」の書籍が来月早々に発売だそうです。御自身の書かれた未発表の原稿も収録されるとかで大変楽しみです。

Re: 朗報です! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/27 (Fri) 18:37:43

 おお!やった!
買います読みます!!

Re: 虎の尾を踏み毒蛇の口を逃るる如く… - 海軍大臣 (男性)

2018/07/27 (Fri) 20:52:30

 人づてに聞いた話ですが、【蜘蛛巣城】の撮影時にスタッフ一同でオールラッシュを見る機会があったそうです。
この作品では円谷英二指揮の下、有川さんも「蜘蛛手の森」が動き出す場面をミニチュア・ワークで撮影していたので一緒に見ていたところ、くだんの特撮シーンが黒澤さんの気に入らなかったらしく、「このカットを撮ったカメラマンはどいつだ!」との怒鳴り声が上がったのだそうです。そこで有川さんは怒り心頭の黒澤さんに見つからぬように、試写室の闇に紛れてトンズラしたとのことでした。

特撮のDNA展と大森一樹監督 - なんじぇい (?)

2018/07/21 (Sat) 14:00:29

ゴジラからシン・ゴジラまで 「特撮のDNA」展【2018夏休み】
https://www.kobe-np.co.jp/news/odekake-plus/news/detail.shtml?news/odekake-plus/news/pickup/201807/11445202

神戸で9月2日までやっているみたいです。メカゴジラ2の着ぐるみとかがあるようです。


またDNA展にはこんな企画もあるようです。
https://www.sankei.com/smp/west/news/180721/wst1807210007-s2.html
大森一樹監督トークショー「1990年代のゴジラ」

8月12日(日)午後1時30分~午後3時。定員80人(事前申込制、申込者多数の場合は抽選。

希望者は往復はがきにイベント名、参加者全員の氏名、代表者の郵便番号、住所、電話番号、参加人数を記入し、〒673-0846兵庫県明石市上ノ丸2の13の1、明石市立文化博物館へ。7月31日(火)必着。

■ギャラリートーク

7月21日(土)、28日(土)、8月18日(土)、25日(土)午後2時~(各回30分程度)。当日自由参加。

気が向いたら行ってみてもいいかもしれませんね。
個人的には大森監督のトークショーが目当てだったりします。

ですが……

大森一樹さんについての私感 - なんじぇい (?)

2018/07/21 (Sat) 14:31:01

個人的には大森さんは「苦悩の人」だという印象があります。
「ゴジラを造るのは、世界のどの映画を造るよりも難しい」という言葉からも、ゴジラ映画を作るときの苦悩が表れていると思います。

確かに『VSキングギドラ』でゴジラを恐竜の変異体にしてしまうという、やらかしをしてしまったという事実はあります。
しかしその後の脚本の『VSモスラ』や『VSデストロイア』ではゴジラに関しては徐々にうまく軌道修正ができていたことからも、大森さんの成長(といいますか、ゴジラ観の成熟でしょうか)が見受けられます。



さて、大森さんに関して非常に興味深い資料があります。
http://ayamekareihikagami.hateblo.jp/entry/2015/10/30/213632

金子修介さんと富山省吾さんとのトークショーのものです。
このトークショーは各々の怪獣映画への向き合い方に関しては必見といっていい資料です。

「金子さんは、ぼくのガメラ、ゴジラみたいに言うけど、ゴジラはみんながつくっていて、権利は誰にあるかはよく判らない。田中友幸さん(プロデューサー)かな」
「ゴジラは1本目を除けばファミリーピクチャー。それが大事じゃないかな。だから(庵野秀明・樋口真嗣監督の)次のゴジラは期待できない。あのふたりがやって、ファミリーピクチャーになるわけない(一同笑)。お父さんと子どもが見て、あわよくばお母さんも見る。それを狙って、女性キャラが出てきたんじゃないかな。ファミリーだって意識は田中さんにあり、東宝にもあった」

私はこれを見て、大森さんはゴジラ映画に関してよく分かっているという印象を持ちました。少なくとも金子さんより確実に賛同できます。
また、大森さんが一番ゴジラに関して信念を持っているように感じられます。

私は次の日本のゴジラ映画を、大森さんに任せても良いのではないかと感じています。
大森さん本人もやりたがっておられるようなのでなおさらです。

Re: 特撮のDNA展と大森一樹監督 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/24 (Tue) 18:43:04

特撮のDNA、2年前からだったと思いますが、全国巡回しているんですよね。
 残念ながら、まだ見ていないんです。
 2年前に山形へ行ったとき、福島で「特撮のDNA」が開催されていることに気づいたというまぬけぶり。
 事前に知っていればスケジュールを調整して福島にも行けただろうに・・。く~。


 大森一樹監督はいいですよ~。ゴジラ時代はちょっとむむむと思っていたところもありましたが、
しっかりとした映画を作る人という印象です。
 またゴジラに関わって下さってもいいですね。
(どうか、元祖シリーズのつづきにしてちょーだい)

 富山・大森・金子トークショーの記事、別サイトのものは読んでいましたが、
今回ご紹介のページは初めてでした。
 文面が違うので、初めて読むくだりもあっておもしろかったです。

 金子さんは・・・・、あーあ、まだそんなこと言ってら、って感じでしょうか・・・。

悲しい気分で特撮ジョーク - 海軍大臣 (男性)

2018/07/21 (Sat) 01:03:32

 先日の怪獣プラネットの件で思い出したことですが、70年代末から80年代初頭の所謂「特撮冬の時代」を過ごしてきた世代にとって、当時TVで僅かながらも流れていた川北紘一監督や神沢信一監督などの手による職人技的なミニチュア特撮を「あの頃に劇場作品でも是非観てみたかった!」との思いは未だに強く残っています。
 それが十数年の後に、平成ゴジラが呼び水となって特撮映画が活況を呈するようになり、90年代末から2000年代初頭にかけては「特撮映画バブル」といった有様が現出することになりました。勿論、自分たちの願っていた方向性とは異なる作品が多かったのは事実ながら、それでもあの冬の時代を知る世代にとって、正に隔世の感があったことは確かでした。
 で、その当時、一部のファンの間でこんなジョークが流行っていました。

 タイムマシンを手に入れた或る特撮ファンが、70年代末~80年代初頭の「寂しい少年ファン」だった頃の自分に会いに行き、やがて夢の様な時代が来ることを伝えようとした。以下はその会話である。
「おい、若き日の俺よ、喜べ。あと20年もすればゴジラがシリーズものとして復活し、毎年新作が公開されるほどの大人気になるぞ!」
「うわー、凄い!でもゴジラだけなの? ガメラとか他の怪獣は?」
「そうそう、ガメラも復活してシリーズ化されて、一部のファンの間ではゴジラ以上の大人気になるぞ。それにガメラばかりかモスラを主役にしたシリーズまで作られるんだぞ!」
「楽しみだなあ!それでTVは?ウルトラマンはどうなの?」
「おお、ウルトラマンも復活するぞ。三色に色が変わったりして大人気になり、劇場用の新作まで作られるんだ。あとブースカまでリメークされるんだ。凄いだろ!」
「へえ!で東映は?仮面ライダーは復活しないの?」
「仮面ライダーも復活するんだ。子供たちばかりか主演のイケメン俳優を目当てにした母親世代まで巻き込んで、ウルトラシリーズ以上の大人気になるんだぜ」
「本当に凄いなあ!で、戦隊シリーズは?」
「えっ、戦隊もの?…う~ん、戦隊ものは今と全然変わってないな…」
 お後がよろしいようで。

 でも、全然変わらないのが戦隊シリーズの魅力なのかも知れませんね。

Re: 悲しい気分で特撮ジョーク 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/24 (Tue) 18:32:59

 戦隊シリーズの息の長さにはホントに恐れ入ります。
特撮冬の時代に「バトルフィーバーJ」で巨大ロボを登場させ、特撮ドラマなんだぞ、と主張したのにびっくりしたのを覚えています。
 それまでの仮面ライダーやゴレンジャー、ジャッカーなんかはあくまでもアクションドラマで、
特撮は補助的に使われるだけでしたから、少なくとも私の認識(当時のファンもそうだったんでは?)としては、
東映ヒーローものを特撮作品とは思っていませんでした。

 おそらくはスターウォーズの影響で特撮物を復活させようという業界全体の動きがあったのだと思いますが・・。
 同時期に東宝製作の「メガロマン」なんてーのもありますし、80年にはウルトラマン80登場ですから。

 しかし、よそで特撮物の盛衰があっても、ずーっと何十年もつづいている戦隊は、エラい。
 ちと近年は変わったことをやろうとしたりもしているみたいですが、
老舗の味を守っていって下さい。(さすがにもう戦隊物は見ていないざんす)

橋本忍先生! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/21 (Sat) 16:20:01

 いろいろと興味深いお話が出ていてレスしたいところなんですが、本日は橋本忍先生の追悼のみで失礼します。

 昨日の夕刊で知って愕然としましたが、御年100歳、最後まで現役を貫いたということで大往生と申し上げていいかと思います。
記事にはその作品歴が簡単に並べられていましたが、まさに名作揃い。
 私が刺激を受けた作品が多数あります。
 ここでは橋本脚本の名作リストには出てこない、しかし、先生入魂の『幻の湖』(1982)についてその思い出話を書いてみます。

 この映画、製作発表時から注目の話題作で、私も気にしていました。
公開当時、浅草東宝や池袋東宝の特撮オールナイトに通い詰めていた私は、『幻の湖』が封切られてもすぐ見に行く金銭的な余裕がなくて、保留状態でした。
『幻の湖』上映中の浅草東宝特撮オールナイトへ友人とともに出かけた私は、『幻の湖』に入場してそのままオールナイト上映になだれ込めないかなどと考えましたが、
昼のプログラムは特撮オールナイトより入場料が高く、友人をつきあわせるのもまずいしなぁと逡巡。
 チケット売り場の前で友人に
「『幻の湖』も見てみたいんだが、特撮オールナイトに来たんだ、と言ってオールナイト料金で入れてもらえないかな」なんて普通の音量で言ってしまい、
友人に、
「ばか、売り場のねえちゃんに聞こえるだろ」とたしなめられたりしました。

 浅草東宝は昼のプログラムがラスト1時間になると、オールナイト料金で途中入場させてくれたので、『幻の湖』ラスト1時間を映画館で見るという貴重な体験をしました。
前段を見ていないので、なにがどうしてこんなことになったのかさっぱりわからぬまま、あの壮絶(?)なラストに度肝を抜かれました。
上映はあっという間に打ち切られたので、全編を見ることなく月日が流れました。

 その後、『幻の湖』は怪作珍作の代表例のような扱いで雑誌などで紹介されるようになります。
ああ、橋本忍大先生の大暴投だったんだなーと、脳みその引き出しにそっとしまってさらに数年・・・。

 10年ほどまえでしょうか。CS放送で初めて全編通しで見ることが出来ました。
たしかに大暴投。けれども、茶化して笑っていい作品とは思えませんでした。
80年代当時の日本の空気に対する橋本忍の問題意識が詰め込まれた、見応えのある映画だったのです。
(たしかに変なんですが)
失敗作かも知れないけれど、ソープランド嬢(当時はまだトルコと言っていたか)を主役に据え、戦国時代の女と対比させ、アメリカに操られる日本、
若者のカリスマ(作曲家)を絡めて時代の空気と日本人の気質を描き出そうとした試みは無視できないものがありました。

 腐っても鯛、とはよく言ったものです。

 大脚本家、橋本忍先生の逝去を悼みます。
2月にはギドラ掲示板で橋本作品ネタで盛り上がったのになぁ。

Re: 橋本忍先生! - エクセルシオール (男性)

2018/07/21 (Sat) 23:11:42

 橋本忍さんが脚本家として関わった映画の歴史をたどると、次から次へと傑作、名作が登場してくるので、改めてこの方の偉大さが理解できます。日本の映画史に絶対欠かせない人であったと思います。

 さて、『幻の湖』ですが、この作品に関しては現在「日本三大カルト映画」の一つとしてしばしば物笑いの種になっています(後の二つは『シベリア超特急』と『北京原人 Who are you?』だそうである)。確かに訳の分からない映画として批判されるのもしかたない作品なのですが、個人的には「極端に真面目に取り組んだ結果、暴走してしまった映画」という感じがしますね。
 もう少し内容を整理して製作すればうまくいったかもしれないので残念です。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

Re: 橋本忍先生! - 海軍大臣 (男性)

2018/07/22 (Sun) 18:49:57

 2月のギドラ掲示板でのジョークはさておき、兎も角、実に偉大な方を亡くしたとの思いでいっぱいです。

 若いころ、キネ旬のバックナンバーに掲載されていた【太平洋の嵐】や【日本沈没】のシナリオを目にしたとき、そこに描かれていた圧倒的なビジュアルイメージに度肝を抜かれたことが思い出されます。(だって、文字で書かれているのに、映像が浮かんでくるんですよ!)
 更に、ストーリーそのものの骨太な構成力も又、他のどんな脚本家には観られないものでした。
 結局、自分の理想として求めていた映画とは、軽快な娯楽作としての関沢新一作品と、ただただ観る側を圧倒する橋本忍作品に集約されてしまうことになるのだと思います。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。

Re: 橋本忍先生! - なんじぇい (?)

2018/07/22 (Sun) 22:56:34

橋本先生は日本映画史において、とてつもなく偉大な功績を残した人であったことは間違いありません。

お恥ずかしながら私は彼の作品は少ししか観ていないのですが(『日本沈没』『蜘蛛巣城』『七人の侍』『生きる』くらい)、いずれも登場人物の気持ちの揺れ動きが細部まで伝わってくる作品でした。
気持ちを理解できるように丁寧に描いているなあ、と思っていました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

久々のメジャーサメ映画 - エクセルシオール (男性)

2018/07/15 (Sun) 22:19:22

 今年の9月に『MEG ザ・モンスター』という映画が公開されます。深海に生き残っていた古代の巨大鮫メガロドンが蘇り、大パニックを引き起こしていくというモンスターホラー映画で、すでに公開されている予告編ではものすごくでかい鮫が大暴れする姿が見られます。

 この映画、多分『ディープ・ブルー』(1999年)以来のまともに金をかけたメジャー作品としてのサメ映画となります。サメ映画というジャンルは近年、過剰なまでに粗製乱造され、多くの人の失笑を買ってきました。モックバスター(模倣映画)の製作会社として有名な(悪名高い)アサイラム社などが中心となり、適当なCGを使って大量生産。『シャークネード』、『シャークトパス』、『メガシャーク』、『アイス・ジョーズ』、『シン・ジョーズ』等々、もうやりたい放題でした。

 しかし、本作品は違います。何といっても主演がジェイソン・ステイサム、文句なしの大スターです。CGだって予告編で見る限りは、本物みたいな迫力のあるものです。どうか「質の悪いものが大量に作られる」というサメ映画の現状を変えてほしいですね。もっとも、いくら技術がすごくてもシナリオが駄目では意味がありませんが(きちんと筋の通った話を作ってほしい)。

 まあ、いくら強大でもサメはサメですし、相手がジェイソン・ステイサムでは倒されることは確実でしょうが、彼にやっつけられるまでにどれだけ観客を恐怖させるか、そこが見ものでしょう。

 余談。今ではアクションスターとして揺るがぬ地位を築いたステイサムですが、彼がまだスターになる前に出演したSFホラー映画がありました。『遊星からの物体X』の監督だったジョン・カーペンターが作った『ゴースト・オブ・マーズ』と言う作品で、火星人の亡霊が火星に植民していた地球人に次々と憑依して狂暴化させていくという映画です。アメリカでは2週間で打ち切りになったと聞いていますが、ステイサムが出演していたので、今では多少有名になっているそうです。機会があったら観てみてください(ちなみに憑依された人はなぜかロックバンドのKISSみたいな格好になります)。

Re: モンスターパニック私感 - なんじぇい (?)

2018/07/16 (Mon) 16:52:34

一応サメ映画の大作としては『ロスト・バケーション』などがありましたが、大作自体は確かに珍しいので私としても期待したいところですね。
まあZ級映画は大抵脚本以外も演技・演出・CG共に拙すぎるものが多いので、その点では安心して見れる大作が出ることは喜ばしいです。



さて、モンスターパニック映画はサメ以外にもワニ・熊・蛇・鳥・虫など手を変え品を変え大量のZ級映画が粗製乱造されていますが、個人的にはこの系統の最高傑作は『オルカ』だと思っています。

『オルカ』は巨大シャチが人間達を襲う作品なのですが、かなり変わっていまして、なんと作品がモンスターであるオルカ側に立っているのです。
ストーリーも妻と子供を漁師に殺されたオルカが漁師に復讐を遂げにやって来るというもので、基本的にただ倒される対象でしかないモンスターパニック物としては極めて異色の作品と言えます。
人間とオルカ双方をじっくりと見せ、どちらにも感情移入出来るような作風となっています。
モンスターパニック物としてのあり方や、人間の営みについて色々考えさせられる作品であります。
また工場を爆発させたりなどの特撮の見せ場もバッチリあります。
最後の結末もかなり衝撃的であり、モンスターパニックとしてここまで異端な作品はないでしょう。
(でもあまり話題にはならなかった……残念)
間違っても爽快感などはありませんが、お勧めしておきます。



モンスター側に立った映画と言えば、ネズミの『ウィラード』『ベン』辺りもそうでしょうか。昔の映画の方が多いのかもしれません。

Re: 久々のメジャーサメ映画 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/17 (Tue) 18:23:54

 いやー、こうしてお二人の記事を読んでみると、
わたしゃ、サメ映画を見てないなー。
『ジョーズ』ぐらいしか見ておりません。
『ジュラシック・ジョーズ』のダイジェストを見てひっくり返ったことはあります。

『MEGザ・モンスター』についてちょいと調べて見ましたら、原作はSF小説だそうなのでなかなか期待できるかも知れません。

『ゴースト・オブ・マーズ』、ストーリーはほとんど忘れていましたが、おもしろかったです。
 基本的にジョン・カーペンターは好きなんですが、どこまで行ってもB級の香りが抜けない人ですよね。

 なんじぇいさん、古い映画をよくご存じですね!
『オルカ』はまったくおっしゃるとおりの傑作です。
70年代の動物パニック映画ブームの中で公開されたので、その他の
『グリズリー』だの『テンタクルズ』だのと一緒くたにされている感じもありますが、
私は『ジョーズ』より好きです。

怪獣プラネットゴジラ! - なんじぇい (?)

2018/07/04 (Wed) 21:43:53

そういえば川北紘一さん監督の作品なのに観てなかったなあ……というわけで、今日これを鑑賞してみました。

ビックリしました。
「凄いじゃないですか!」と興奮ぎみです。

まず本作は1984年以降のゴジラ作品で、最も原点に近いゴジラではないでしょうか。というより私の見る限りでは初代や2代目そのまんまです。
核実験で変異した生物ではなく自然の生物で、放射能ではなく自然のものを食べ、放射熱線も青色です。
さらに設定によれば、身長も50mだそうです。

またゴジラたちも見境なく上陸して都市で暴れる存在ではなく、人間たちの汚染物質のせいで地球にワープしてしまい訳もわからず興奮して暴れているだけ、というのも素晴らしいです(故郷の緑の実を食べて穏やかさを思い出して大人しくなる、という結末も良い)。

それでいて、ちゃんと建物をバンバンぶっ壊して破壊のカタルシスを堪能させてくれます。
東京駅の破壊のシーンは個人的にはヤシオリ作戦の何十倍も面白いです。
欲を言えば、銀座ももう少し破壊してほしかったかな……くらいでしょうか。

「緑の実を食べたら何故かゴジラたちがフワフワ浮いて故郷に帰っていく」という突っ込みどころはありますが、これは上映時間が10分未満しかない以上(加えてテーマパークのアトラクションムービーなので、絶対にハッピーエンドにしなければならない)、致し方ない問題に見えます。
それでもゴジラたちが故郷へと帰っていく際には物悲しい音楽を流したりしているところは、ゴジラたちに寄り添っているような感じがして好感が持てました。

『怪獣プラネットゴジラ』、ゴジラへの愛情がつまった素晴らしい作品でした。
川北さん監督のゴジラ映画を観てみたかったなあ……と思わされました。

Re: 怪獣プラネットゴジラ! - エクセルシオール (男性)

2018/07/05 (Thu) 20:21:04

 この映画はサンリオピューロランドのアトラクションとして制作されたものですが、映像ソフトになったものは完全版ではないそうです。なにせサンリオなのでハローキティが登場しているシーンがあったらしいのですが、版権の関係でカットされちゃったそうです。そんなにキティの権利料が高額だったのか?少々疑問が残ります。
 
 ストーリーはものすごく強引な展開でしたが、元がアトラクションである以上、仕方ない面もあるでしょう。登場怪獣はゴジラとラドンとモスラという豪華な面々であり(アンギラスはどうにもならなかったのかなあ・・・)、宇宙船アース号もガルーダを改造したものでかっこよかったです。なお、ゴジラが東京駅を壊したのはこれが初めてだったとか(なかなか迫力がありました)。
 案内役はVSシリーズ唯一のレギュラーであった三枝未希役の小高恵美さん、ゴジラは薩摩剣八郎さんが演じていたので、よかったです。後、ノンクレジットですが、有名な声優さんが複数出ていたと聞いています(中村正さん、家弓家正さん、塩沢兼人さん、キティ役の林原めぐみさん)。

 いつか完全版を観てみたいですね。

Re: 怪獣プラネットゴジラ! - 海軍大臣 (男性)

2018/07/06 (Fri) 00:07:30

「怪獣プラネットゴジラ」は当時、多摩センターのサンリオピューロランドまで特撮好きの仲間10名ばかりで観に行きました。しかし、ㇺさい男ばかりの集団だったので、家族連れの多い中では明らかに浮きまくっており、正直、恥ずかしかった思い出があります。
 内容的には、なんじぇい様の云われたのと同様に、「何でこんな特撮場面を本筋の劇場作品でやらないんだ?」との意見が大勢を占めていました。

 しかし考えてみますと、川北紘一監督本来の持ち味が出たゴジラ映画は、結局のところ作られることなく終わってしまった気がします。
 ゴジラと対戦怪獣が、ただ光線を打ち合うだけに終始した平成シリーズしか馴染みの無い方には意外かもしれませんが、70年代末~80年代初頭に掛けての時代を過ごした我々世代のファンにとって、川北監督の存在は一縷の望みだったような気がします。【ウルトラマンタロウ】の「宝石は怪獣の餌だ!」の回で早くも才能の片鱗を見せ、TV版【日本沈没】では劇場作品と見間違うほどのミニチュア・ワークをおこない(特に札幌壊滅編は圧巻でした)、続く【東京大地震M8.7】と【ウルトラマン80】で頂点を極めた川北特撮でしたが、【さよならジュピター】で味噌が付いて以来、折角登板なった平成シリーズなどでも嘗てのブラウン管で見せた職人芸的なスゴ技特撮は影を潜めてしまったようで、残念でなりません。
 以前、ギドラ様が、円谷英二の力量が十二分に発揮されたと云えるだけの作品はゴジラ・シリーズには無いといったお話をされていましたが、川北監督も又、不幸にも師匠と同じ結果を見てしまったことになるのだと思います。
 しかし、これは以前にも触れましたが、【ガメラ 大怪獣空中決戦】でファンから絶賛を博した特撮場面の数々は、一部のデジタル使用のものを除けば、基本的には前述した絶頂期の川北特撮を拡大再生産したものとして受け止められますし、また同時にTV時代の川北監督が実践したミニチュア特撮の在り方は、極めて正しいものだったと云える気がしてなりません。

Re: 怪獣プラネットゴジラ! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/07 (Sat) 17:14:10

 おお、『怪獣プラネットゴジラ』ざんすね。

 ピューロランドへは行けなかったんですよ。それで、これ見たさにギャレスゴジラのブルーレイボックスを買ったのでした。
なんじぇいさんの感想と同じく、ゴジラをもともとは穏やかな性質であるとしたことに感激し驚きました。
 アトラクション用作品なので、コンパクトに怪獣映画の魅力をまとめているのもお見事。
自然環境の中の怪獣、文明都市の中の怪獣双方を見せていますし。

 予算の問題か、もっとこうだったらいいのになぁ、と思わせる面もありながら、十分楽しく見ることが出来ます。
ゴジラ初の3D作品だもんなぁー。

 作中で見たところ、身長は50メートルよりは大きい感じです。80~100メートルはありそう。
そのあたりはカットによって伸び縮みしているみたいですが。
 で、ソフトに収録されているのは短縮版なんですね。うーん、残念。キティちゃんがどんな風に絡んだのでしょうか・・。

 どうもゴジラシリーズだけでなく、元祖ガメラシリーズなんかもその変遷を観察すると、
怪獣ものは怪獣のスター性、その存在感で年少のお客さんを呼べてしまうので、出資側が予算を出し渋っていったように見えます。
映画の斜陽化も関係したのでしょうけれど・・。
 平成VSの時代はそんなことはなかったのだと思いますが、怪獣のスター性に頼っていった感はなきにしあらずです。

 川北監督は特撮新世代のホープだったんですよね。『さよならジュピター』だって特撮映像だけで考えれば当時の邦画としては画期的でした。
ゴジラシリーズにおいてはだんだんと怪獣映画のキモを掴んでいったように思うのですが、平成モスラの途中で映画から離れてしまったのが残念です。
(あ、セイザーXの劇場版もあったか)

 円谷作品でも川北作品でも、ゴジラ映画で完全燃焼を感じさせるものがないというのはまことに残念なことであり、だからこそ技術的にも演出的にも全編にわたって濃密なゴジラの新作を見たいと願うのでもあります。
たとえば『ゴジラ』(一作目)であっても、ゴジラが海中で溶けていくシーンなどは、円谷監督は納得していないだろうな、スケジュールの都合で妥協したんだろうな、と思ってしまいます。
円谷監督の持ち味の一つには、「現象を丁寧に見せる」ということもあると思っているので、あのゴジラ溶解シーンは本意じゃないだろうな、と。

あるゴジラマニアオフ会の話、少しの希望とやっぱりの分裂 - なんじぇい (?)

2018/07/02 (Mon) 03:47:14

この話は書こうかどうか、かなり悩みました。私の素性がバレるかもしれないからです。また皆様を不快にさせるかもしれません。
しかし今のゴジラファンたちを取り巻く状態と、今後のゴジラに希望的なものもあるということで、書くことにしました。

あるイベントの終了後に、特撮マニア(ゴジラシリーズはかなり知っている人が多かった)たちが集まるオフ会があり、そこに私は参加していました。
最初は「好きな特撮シリーズはなんですか?」みたいな無難な話題だったのですが、最近の特撮ものの話題になったとたん空気が変わったのです。
それは参加者ほぼ全員が見ていて、絶対に避けては通れないものでした。

そう、『シン・ゴジラ』です。

ある方がこれを誉めたとたん「確かにあれは初代ゴジラの魂を受け継いだ傑作だ」「いやゴジラ映画としても怪獣映画としても駄作だ」等と意見が飛び交い続け、空気は一変。『シン・ゴジラ』についてあれこれ語る会みたいになってしまったのです。

その会ではシン・ゴジラ賛成派と否定派が色々争っていたのですが(私は否定派よりでした)嬉しいことがありました。
議論が進んだ結果、いくつかの点において、皆様の意見がある程度一致し進展があったのです。
それは、シン・ゴジラ第5形態が今までのゴジラのアレンジから明らかに逸脱したやりすぎのものであるということでした。これは賛成派もその通りだと認めたものでした。
また、放射能の半減期が20日しかないこと、カヨコの演技が過剰なことなども賛成派は『シン・ゴジラ』の欠点であると認めていました。
賛成派の方も「第5形態に関しては直後の初代ゴジラのBGMで、これはゴジラ映画だとまんまと乗せられてしまったところがあったかもしれない」とおっしゃっていました。
異なる意見の者たちを無視せずに粘り強く語り合うことの大切さ、また話を聞いてくれるゴジラファンやゴジラオタクもまだ捨てたものではない、と少し明るい気持ちにさせられました。




しかし、『シン・ゴジラ』に関する初代ゴジラやゴジラ映画の精神性などについては否定できなかったのはまた事実でありました。
それは私含む否定派の力不足ゆえか、賛成派が正しかったのかは分かりません。(ただ正直すぐには思い浮かばなかったです)
それに関する賛成派の意見は次のようなものでした。ちなみにこれらは否定派が説明できなかったものです。

・『シン・ゴジラ』は初代ゴジラの魂を受け継いだ作品である。なぜならば、牧悟郎教授の残した極限環境微生物の分子構造解析図がなければ、シン・ゴジラを凍結させることは出来なかったからである。
牧悟郎教授は妻を殺した放射能と放射能を生み出した人類、そして妻を見殺しにした日本という国家を憎んでいたとされ、学会から半ば追放される形で日本を離れており、この点においても世捨て人同然となっていた芹沢博士と共通している。
そのような人物の手を借りなければシン・ゴジラは凍結できなかった、これは『シン・ゴジラ』が初代ゴジラの魂を受け継いだ作品だという何よりの証拠である。


・シン・ゴジラは今までのゴジラと同じく人類の科学力を超越した存在であり、決して現代の科学力で倒せる矮小な存在などではない。
実際「少なくとも生命活動の停止は可能」と巨災対が断言したヤシオリ作戦による血液凝固剤を受けても、ラストシーンでシン・ゴジラは凍結後に第4形態から第5形態へと進化を続けていることが劇中で明かされており、これからシン・ゴジラが巨災対(人類の叡知)の及ぶものではなく科学を超越した存在であることが示されている。
また状況に応じて背中や尻尾などからの放射線流発射能力を発現させるなど、適応進化能力もあることも見逃せない。
水爆が効くかどうかにしても、凝固剤に関する巨災対の推測が間違っていた以上、効かない前フリのようなものに見える。少なくとも巨災対の水爆で滅却出来るという発言は手放しに信用して良いものではない。
またその凝固剤にしても、芹沢博士と同じ扱いである牧悟郎教授の存在なくして出来るものではなかった。
更に死すらも超越しているかもしれないという台詞もあり、これでも既存の兵器でシン・ゴジラを倒せないことが分かる。


これらに関して、皆様はどう返答するでしょうか。




ちなみにその後はアニメゴジラの話題に少しなったのですが、見ている方自体が少ないという有り様で、しかも絶賛している方は1人もいませんでした。
ゴジラマニアにほぼ総すかんを食らうというのは相当にヤバいですね。


それにしても、『シン・ゴジラ』はなぜこれほどまでに意見がバッサリ割れるのでしょう?この凄まじい分裂は今までどのゴジラ映画にもなかったものです。
でも、その溝がほんの少し縮まった気がして嬉しい気分にさせられたオフ会でした。

どうせ此の世は癪のタネ… - 海軍大臣 (男性)

2018/07/03 (Tue) 00:35:54

 現行のアニメ作品ほどではないものの、【シン・ゴジラ】にも正直云って関心がないのですが、一番目の問い掛けについて個人的な意見を述べてみます。


 世捨て人同然とされる芹沢博士と牧博士にはキャラクター的に相通じる部分がある、などと無理矢理に共通項を見出そうとしている方々が居られるようですが、この二人のスタンスは決定的に異なっています。
 第一作【ゴジラ】に於いては、当然のことながら芹沢博士と大戸島近海に出現した怪獣とは何の因果関係もありません。両者を結び付けたのは、「水中酸素破壊剤」を開発してしまったことで芹沢自身がゴジラ以上の破壊者になってしまう危うさがあったが故に、それを回避するべく、彼はゴジラと一緒に心中した訳です。これは今更云うまでもないことで、改めて書いてみると何だか気恥ずかしささえ感じてしまいます。でも、前掲した意見を仰られる方というのは、それが見えていないか、敢えて見ようとしていないのではないでしょうか?

 ところが映画【シン・ゴジラ】での一連の出来事は、勿論、劇中で明確に述べられてはいませんが(でも、そういう部分を勝手に想像し妄想するのが昨今のファンの流行りなのでしょう?)、あれはどう見ても牧博士が所謂「マッチ・ポンプ」的な役回りを果たしていることになるのだと思います。
 そうした「人類だとか祖国だとかを呪っていた人物の手を借りねば巨大不明生物を凍結できない」とのストーリーラインが、どうして【ゴジラ】第一作と比肩されるのか、正直、理解しかねます。果たして芹沢博士が、自分に醜い傷を負わせることになった戦争を始めた祖国を呪っていたかまでは判りませんが、あの最期を見る限りでは、同じ世捨て人ではあっても、人類を呪って身を投げたゴロウ・マキと同列に論ずるべきではないでしょう。
 そもそも芹沢博士が生命と引き換えにオキシジェン・デストロイヤーを使うハメとなった切っ掛けは、山根恵美子と云う一人の女性に向けての、自身のちょっとした虚栄心を充たすためでした。魔が差したと云ってしまえばそれだけのことですが、最後に彼は科学者としての良識に殉じています。そこが最初から終いまで個人の恨みつらみに終始した老教授とは根本的に異なっているのだと思うのです。
 
 二番目の問題に関しては、例によって庵野監督が「大風呂敷」を広げたまでのことに過ぎないように感じられてしまい、果たして論争に値するものだろうかと、正直、首をひねっております。

Re: そんなに議論の余地が残っているとも思えませんが 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/03 (Tue) 19:05:08

 海軍大臣さんのお手を煩わせてしまって申し訳ないです。
『シン・ゴジラ』はもう相手にしない、と宣言しているので、この話題に口を挟むのは前言撤回みたいでかっこわるいんですが・・・。

『シン・ゴジラ』的に賛否が分かれて議論百出した作品と言えば『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』があります。
あの映画と『シン・ゴジラ』の共通点は、監督が過去にオタクさんたちに絶賛された作品を発表していることです。
その上で、どちらも映画としての出来は水準以下であったことが対立を呼んだのです。

(GMKは一般観客からは無視されたようなものだったけれど、『シン・ゴジラ』は昨今のソフト国家主義ブームに便乗する形でゴジラファン以外からの支持も集めたことが事態をややこしくした)

 芹沢博士と牧悟郎を似たもの同士と見る解釈が間違っているのは、まさに海軍大臣さんがおっしゃるとおりです。
さらに、芹沢はオキシジェンデストロイヤーの秘密を守るため自ら社会との繋がりを断ち切っているのに対し、マキは日本から出て行っただけで、アメリカの研究機関で研究者としてキャリアを積んでいます。
その研究成果を援用してちんごじらを作ったのですから、マキが孤独だったとしてもその意味は芹沢とは大きく違いますね。

『シン・ゴジラ』を見たときの感覚的な印象でも、牧悟郎に透かし見えたのはアニメ映画「パトレイバー」の帆場(名前はいまネットで調べました)でした。

 そしてちんごじらはゴジラと同質なのかという問題。
これはすでにさんざん書いてきたと思うんですが・・・。
牧悟郎がアメリカの研究機関を利用して作り出したのがちんごじらなのですから、ちんごじらは人類科学に従属するものです。

 水爆にも耐え、芹沢が偶然発見したオキシジェンデストロイヤーという現象を使うことでしか倒せなかった自然発生のゴジラとはまったく別物です。

 ちんごじらの第五形態をどう見せていたかの問題もあります。
第五形態は動いていましたか? あの見せ方は、作り手の意図はともかく、映画演出的には、
もうちょっとで第五形態になるところを止めたのだ、という表現です。もしあれがごそごそと蠢いていたなら作戦は失敗してちんごじらは制圧されていないという表現になります。

 ちんごじらの細胞膜機能を阻害するという微生物の話の時に申し上げましたが、その微生物に感染したちんごじらは死んだも同然なんです。
ちんごじらは活動エネルギーをどうやって作り出していたでしょうか? 血液凝固剤を分解されるかどうかなんて問題ではなく、その微生物さえあればちんごじらの核物質はストップするのです。
つまり、牧悟郎はちんごじらの倒し方を示していたわけです。それも、偶然発見したわけではありません。

 ちんごじらは我々の現実世界にある既存兵器では倒せないのかもしれませんが、劇中世界の人類の科学力で倒せる存在ということになります。
また核兵器で滅却できるかどうかは結果が出ていないので、殺せないかも知れないという意見にも一理はあるでしょう。
しかし、そんな物語だったでしょうか? ならば物語の組み立てとして、ちんごじら対策のエセ科学者たちが核兵器は無効だ、と主張しなければならないでしょう。

『シン・ゴジラ』擁護の方が言う、
>巨災対の水爆で滅却出来るという発言は手放しに信用して良いものではない。
>死すらも超越しているかもしれないという台詞もあり、これでも既存の兵器でシン・ゴジラを倒せないことが分かる。

 この二つの意見は激しく矛盾していますね。
一方では巨災対は信用できないと言い、もう一方では巨災対の発言を劇中世界の事実であるかのように受け止めている。
理性を失っている証左では?

(だいたいが、微生物の分子構造図なんて言い出す脚本がまともな映画になるはずがないんだけどなぁ) 

Re: そんなに議論の余地が残っているとも思えませんが - なんじぇい (?)

2018/07/03 (Tue) 19:29:19

お二方の返信に感謝します。

芹沢博士と牧悟郎教授の違いは、まさしく海軍大臣様のおっしゃるとおりでした。
また個人的にはオキシジェン・デストロイヤーという科学の究極系と言える兵器の恐ろしさを描いた『ゴジラ』と、そんなものを一切描かなかった『シン・ゴジラ』は、物語としての深みが段違いな気がしますね。
『VSビオランテ』などでも坑核バクテリアの恐ろしさはしっかりと描かれていたというのに、まるで退化しているように思えます。
2番目のゴジラの精神性についてもギドラ様に全く同意です。

今回の件で気付いたのは、会話による議論とBBSによる議論の違いでした。
会話による議論は、相手からの反論に対し即座に答えなければそこで終わって(負けて)しまいます。なのでどうしても、突っ込んだ話をしづらいのです。
BBSだと考える時間がありますので、そのようなことにはなりづらいです。
会話によるディベートの方が時間あたりの情報量が多くなるという長所もあることを忘れてはいけませんが、BBSならではの良さがあるということを改めて思い知らされました。

皆様のお手を煩わせてしまい、誠に申し訳ありませんでした。

あともう金輪際、『シン・ゴジラ』の話題はしません。私も今はあの映画は駄作だと思っていますので……。

Re: あるゴジラマニアオフ会の話、少しの希望とやっぱりの分裂 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/04 (Wed) 18:12:37

 面と向かっての会話による議論だと、押し出しの強い人や言い抜けのうまい人に丸め込まれることがあるんですよね。

 いまのネットコミュニケーションはツイッターが主流になっていますが、字数制限の問題がどうにも痛いです。
 というわけで流行遅れのBBSを細々とつづけているというわけです。
どこかの誰かが読んでいる、という思いを胸に・・。
 キビシーーー!!

 まあその、東宝さんも『シン・ゴジラ』のラインは続けないと言っているので、あの映画をどうこう言ってもゴジラの未来には関係ないことと思います。
それでもなにか胸に余ることがあればここでお書きになってもいいですよ。
相手にしないと言いつつ、場合によっては私も書くことがありますし。

ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - なんじぇい (?)

2018/06/27 (Wed) 00:34:35

素朴な疑問です。

基本的に、ゴジラの身長は巨大化の一途を辿っています。最初の50mから80m・100m・108m・118.5m・更には(アースですが)300m超です。
ミレニアムシリーズでは小さいものはありましたが、55mや60mなどとなんとも半端な数字が多いように思われます。
ゴジラの大きさがでかくなっていったのは、「超高層ビルが増えたから」等のような事情もあるのでしょうが、「歴代最大のゴジラ」という宣伝が出来ることも影響しているように思われます(ギャレスゴジラもシン・ゴジラもゴジラ・アースもみんなその宣伝をやってました)。


時代や都市の変化に応じてゴジラの大きさは変えた方がいいのでしょうか?
身長1kmとか10kmのゴジラを出しちゃってもいいのでしょうか?
ゴジラ巨大化の風潮はどう思いますか?


等々多くの疑問が渦巻いていますが、私はこれらの疑問に対して回答を持ち得ません。
ゴジラの大きさについて皆様の意見をお聞きしたいです。

追記 - なんじぇい (?)

2018/06/27 (Wed) 05:29:51

因みに一応私の見解を書いておくと、「まあ、感情的にはゴジラはでかい方が好きです」となります。
でかさは強さに直結するからという至極単純な理由です。
強さを出すなら、でかいのに越したことはありません。
また怪獣映画の面白味の1つは、でかい怪獣が都市で暴れることなのですから、都市に合わせてゴジラがでかくなることも必然的に思えます。

そんな特に深い考えもない個人的な意見なのですが、皆様はどうでしょう?

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/06/27 (Wed) 19:23:36

 そうですね・・。
 最初にゴジラの大きさを決めたときは、当時の東京都心で見栄えする身長を割り出したということらしいですね。

 結果身長50メートルということになったわけで、そんな演出上の要求から考えれば、ゴジラの身長を大きくしても良いじゃないか、と思えます。

 しかし、身長50メートルで創造されたのがゴジラなので、ゴジラなら50メートルを守るべきと思います。
 実際、元祖シリーズでは東京タワーが完成しようが霞ヶ関ビルが登場しようが、ゴジラの身長を変えたりしていません。

 ゴジラの身長は50メートルという縛りの中で、高層ビル街でのゴジラをどう描くかという工夫があっていいと思います。
 それから、やたらと大都会にゴジラが出てこなくてもいいでしょう、とも。

 とはいえ、昨今の超高層ビル群の前では身長50メートルでは物足りない感じがするのも事実でしょう。
 別個体とか近似の別種といった逃げを打って200メートルだの300メートルだののゴジラがあっても良いかもしれません。

 それでも気をつけなければならないのは、怪獣がどんな心理効果を目指しているか、というあたりで、
身長が1㎞などということになってくると、一暴れの破壊が大きくなりすぎて扱いづらいんじゃないでしょうか。
また、怪獣が人間をどのように認知するか(人間にとっての蟻ぐらいには見えるか・・)も考慮するとあまり大きくするのも問題かなと思います。

 ものすごく大きい怪獣の例としては「帰ってきたウルトラマン」のバキューモンなんてヤツがおりますが、
あれはもう、一般的な怪獣の枠を超えてますよね。

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - エクセルシオール (男性)

2018/06/27 (Wed) 20:47:29

 個人的にはゴジラを大きくすることはある程度までは許されると思っています。人間の作るビル等が大きくなっている以上、ゴジラが身長50メートルのままではいささか迫力を欠くことも否定できません。怪獣による大都会破壊シーンの怪獣映画における重要性を考えると、怪獣の方を大きくすることもやむを得ない面があります。それに、ゴジラも「生き物」ですから「成長して大きくなる」要素もありだと思います。

 とはいえ、いくらでも大きくしてよいとも言えません。あまりにも怪獣が巨大だと、破壊の規模がとんでもないものになってしまい、観客から見てかえって実感のわきにくいものになってしまうおそれがあります。怪獣は怪獣であり、巨大隕石と似たような感じになってしまうのも考えものです。そうなってくると、身長150メートルくらいが限度ではないかと思います。
 また、ゴジラを大きくすることは他の怪獣も大きくする必要があることも忘れてはなりません。ゴジラが身長150メートルになれば、ラドンも同じ身長にしないといけないし、アンギラスは両者より大きくすることになります(忘れられがちですが、アンギラスは設定ではゴジラより大きい)。

 バキューモンは確かに例外中の例外ですね。あまりにも大きすぎて「怪獣」と言う印象がイマイチ感じられませんが。

 

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - 海軍大臣 (男性)

2018/06/27 (Wed) 22:12:32

 話の主旨から外れるようで恐縮ですが、子供のころに目にした雑誌の挿絵に、エネルギーを吸収して限りなく巨大化したギララが、何と富士山を軽く踏みつぶしている場面が描かれていたのを思い出してしまいました。
 イデ隊員のセリフじゃありませんが、正に過ぎたるは及ばざるが如しだと思います。

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - なんじぇい (?)

2018/06/29 (Fri) 19:13:18

皆様ご意見ありがとうございます。
ゴジラの身長は時代にあった都市で暴れるに丁度良い大きさ、辺りがいいのかもしれませんね。

勉強になりました。

メカゴジラの元ネタかも・・・? - エクセルシオール (男性)

2018/06/21 (Thu) 22:09:03

 アニメ映画『ゴジラ 決戦機動増殖都市』において、登場しそうで出てこなかったことで少なからぬファンを失望させたメカゴジラ。
 そのメカゴジラですが、「怪獣と同じ力を持つものを機械で作る」と言う発想の起源を探ると面白いところにたどり着きます。日本の特撮の世界では『キングコングの逆襲』に登場したメカニコングが最初と思われますが、映画以外の作品に目を向けると意外な作品が浮かび上がってきました。それは妖怪漫画の金字塔『ゲゲゲの鬼太郎』(旧名『墓場鬼太郎』)。この作品の「大海獣」というエピソードで、ロボットの大海獣を生き物の大海獣にぶつけるという話が出てきます。この物語は何度も作者の水木しげるさんによって改定が繰り返されているのですが、最も古い貸本時代の『怪獣ラバン』(元は鬼太郎の話ではなかった)までさかのぼれば1958年であり、メカニコングより早いです。

 「大海獣」のお話を簡単に説明すると、不死身の生命力を持った大海獣の血を求めて探検隊が派遣されますが、大海獣の攻撃でほぼ全滅。生き残ったのは鬼太郎と天才少年科学者・山田秀一。ところが、この山田は大変に利己的な人間であり、功績を独り占めにするため、まず、鬼太郎に特殊な毒を吸わせてその妖力を封じ、その後、大海獣の血を注射して殺そうとするのでした。鬼太郎は命は取り留めますが、大海獣に変異してしまったばかりか、親や仲間にも鬼太郎だと気づいてもらえないという悲しいことになります(唯一気付いたのは山田の妹の啓子。兄とは大違いの美しい心の持ち主である)。
 一方、山田は己の悪事がばれるのを恐れて、日本政府を動かし、5億円の予算をもって鉄の大海獣(ロボット大海獣、ラジコン大海獣とも呼ばれる)を建造、鬼太郎大海獣との世紀の対決が始まるというわけです。もはや完全に怪獣映画の世界です(私も大変ワクワクして読みました)。

 水木さんは映画『ゴジラ』が好きで、この「大海獣」も原形の『怪獣ラバン』も『ゴジラ』に触発されて書いたと述べておられたそうです(何たって『怪獣ラバン』はゴジラの血を注射された男が怪獣になってしまうお話である。なお、東宝は事後承認だったみたい)。『ゴジラ』の影響を受けて「大海獣」が作られ、その中に登場したロボットがもしかしたらメカニコングやメカゴジラを生む遠因となったとしたら、非常に趣深いことだと思います。

 さて、『ゲゲゲの鬼太郎』は現在放送中のものを含めて6回アニメ化されていますが、「大海獣」のお話がアニメになったのは、第1期、3期、4期(劇場版)の三回です(2期は1期の続編だったため、5期は不本意な打ち切りを強いられたため無し)。しかし、ロボット大海獣が登場したのは1968年の第1期だけです。私は3期世代になるのですが、ロボット大海獣が出てこなかったのは残念に思った記憶があります。
 となると、今放送されている第6期に期待したいところです(なお、5期は3年目があれば「大海獣」のエピソードをアニメ化し、ロボット大海獣も登場させる予定があったのだとか)。この第6期は「第3期の天童夢子以来となる人間のメインキャラ(犬山まな)の登場」「過去作よりホラーテイストが強め」「猫娘がやたらと綺麗になっている」等々、話題の種は尽きないのですが、一方で仮面ライダーシリーズの裏番組になっているため(テレビ東京の系列局がある地方では『魔法✕戦士マジマジョピュアーズ』とも競合している)、あまり長く続かないのではないかと危惧されてもいます。だとすると、なるべく早く「大海獣」のエピソードをやってほしいですね。

 「大海獣」の結末ですが、紆余曲折はありますが、山田は改心して鬼太郎を元に戻します。そしてずいぶんひどい目に合わされた鬼太郎ですが、山田が心を入れ替えたのを見て、あっさり彼を許してあげます。この辺は、何と心の広い男だと感心しました。なお、「いくらなんでも鬼太郎は甘すぎないか」と思った方は(そのような感想にも一理ある)、第3期アニメをご覧ください(この作品では鬼太郎は山田をすぐには許さず、ボッコボコに鉄拳制裁を加えている。啓子が謝罪しながら止めてやっと彼を許した)。

 最後に。「大海獣」はバージョンにこだわらなければ割と簡単に読めますので、機会があれば読んでみてください。

Re: メカゴジラの元ネタかも・・・? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/06/22 (Fri) 19:47:51

 おおーっと、出た! 鬼太郎の大海獣!

 私は雑誌(少年マガジン)掲載時に断片的に読んでいて、
アニメ第一期での大海獣は、どんな事情だったのかもはや覚えていないけれど、見られなくてすごく悔しかったと覚えています。
 後年、友人から原作コミックを借りて読んだときに大海獣も含まれていたと思うのですが、その記憶はあまりありません。

 そして、5年前、WOWOWが東映まんが祭り再現放送という無茶な企画をやったときに、
1968年分に含まれていた劇場版「大海獣」(テレビでは前後編だったものを繋いだだけです)を入手することが出来たのです。
(しかもハイビジョン)
 で、今回、5年ぶりにもう一度見直してみました。

 大海獣の設定にはゴジラ的なものが確かにありますね。
1980年代のゴジラ論ブームの中で、ゴジラがどんどん禍々しいものとされていく(それはゴジラが核兵器の象徴であるという教条が定着したためである)わけですが、
それ以前の一般的な怪獣観は、どちらかというと怪獣というのは孤独なものであり、強大であったとしても哀愁漂うものと考えられていたはずです。
ゴジラも例外ではなく、人類に対する「試練」みたいな受け取られ方はしていませんでした。

 鬼太郎での大海獣は、まずその不死性においてゴジラ的であって、また、劇中メインとなる大海獣は鬼太郎が変異したものであることから、鬼太郎の寂しさが前面に出てきて、
怪異な外見とその大きさのせいで排撃される怪獣の孤独が表現されていると見ました。

 水木先生はちゃんと怪獣が分かっていたんだなぁと思う次第・・。

 で、ロボット怪獣(怪獣を機械で再現)のルーツが水木マンガにあったなんて知りませんでした。貸本時代にすでにそんな話を書いていたんですね。
鬼太郎のメジャー化が怪獣ブームと重なっていたことから、「怪獣ラバン」のストーリーをアレンジして「ゲゲゲの鬼太郎」に持ち込んだのでしょうか。
鬼太郎のロボット大海獣はメカニコングとほぼ同時期(メカニコングのほうが少し早いか?)で、当時の感覚では、怪獣ものに新たなトレンドがやってきたか?みたいな感じだったと思います。
いろんな怪獣がロボットバージョンで出てくるのか?と。まあ、結局そんなことにはなりませんでしたが。

 でも怪獣と戦う武器としてのロボット怪獣の先駆は水木しげる先生であることは確かなところでしょうね。
(メカニコングは土木工事用だったし、メカゴジラはゴジラのふりをするためのロボットだったし・・。メカゴジラが対ゴジラ兵器になるのはVSシリーズまで待たねばならない)
うーん、勉強になりました。

Re: 水木さんと東宝特撮のビミョーな関係 - 海軍大臣 (男性)

2018/06/23 (Sat) 00:12:09

 水木先生は貸本時代に、明らかに【マタンゴ】の原作小説であるH.W.ホジスンの【闇の声】を翻案した漫画を描かれていました。これは【マタンゴ】の映画化よりも早い時期でした。
 この小説は、知り合いのマタンゴ・マニアが調べたところによりますと、80年代に【夜の声】とタイトルを替えて文庫化される以前には、60年代にSFマガジンに掲載されただけとのことなので、妖怪がらみの怪談・奇談ばかりでなく水木先生が実に広く勉強されていたことが判ります。

 また、同じ貸本時代に、確か【花の流れ星】だったかと思いますが(こちらの題名は少し自身がありません)、【白夫人の妖恋】と同じ中国伝奇ものの【白蛇伝】の舞台を江戸時代の日本に移植した作品を書かれておりました。
クライマックスの舞台となるのが、浅草の浅草寺(同じ金龍山繋がり?)だったと記憶します。

 こうした例は調べればまだ出てくると思いますが、昭和三十年代の我が国では、漫画と映画というサブカルチャー同士が互いに刺激し刺激され合いながら発展していった様子が垣間見られるようで、非常に興味深く感じてしまいます。


 

Re: メカゴジラの元ネタかも・・・? - なんじぇい (?)

2018/06/27 (Wed) 19:42:49

横入り失礼します。
「怪獣と同じ力を持つものを機械で作る」という発想ですと、特撮関係では『月光仮面』のマンモス・コング編に登場した人工コングが最初ではないでしょうか?
作中では暗殺団に奪われたりとさんざんな扱いでしたが。

ただ人工コングの登場は1958年で、鬼太郎の大海獣とはどちらが早いかは分かりません。

おーばーどらいぶ(泣) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/06/07 (Thu) 18:26:07

 これほどつまらない映画は無視すればいい、と思って一旦は投稿リストから外したものの、
こんなものを看過しては日本映画のためにならないと思い直しました。

 私は基本的にレースファンではありますが、ラリーはほぼノータッチ。
モータースポーツ雑誌の記事をたまに斜め読みするぐらいです。
そんなラリーを扱った作品とはいえ、日本映画でモータースポーツを取り上げるのはきわめて珍しいことなので、一応見に行った、
『OVER DRIVEオーバードライブ』。

 ひどい。これはひどい。
Vシネによくある走り屋ものやアニメ「頭文字D」のほうがよほどおもしろい。

 まず、作り手がレースとラリーの区別を付けていないのが痛い。
子供の頃、レーサーになる、と宣言していた人間がなぜラリードライバーになったのか?
そこになにもドラマはないのか?
レースとは競走であり、複数の車が同時に走って着順を争うものですが、
ラリーは基準タイムを目指して走行タイムをコントロールする競技であり、どちらも運転技術が鍵になるのは間違いないけれど、
追い抜き(オーバーテイク)があるのかないのかは大きな違いであり、別の種目と言っていい。

 この映画ではラリーとはどんな競技であるかの説明すらない。
とにかく速く走ればそれでいいような見せ方をしている。それは、SS(スペシャルステージ)と呼ばれるラリーの中でも特殊な区間だけのこと。
現在の世界ラリー選手権や全日本ラリー選手権ではSSで勝負が決まるようですが、それでも走行距離でみるとSS区間など圧倒的に少ない。
それなのにSSしかないような見せ方をしているのはおかしい。
また、勝ち負けを決めるポイントシステムの説明もないので、途中経過の勝ち度、負け度がわからない。

 そして架空のラリー選手権シリーズを登場させ、現実のラリーとは一層かけ離れた描写をする。
ラリードライバーがアイドルみたいに若い娘たちからキャーキャーいわれてるし、
ラリードライバーが東京湾にクルーザーを浮かべて女をはべらしたりするとは、どこの世界の話なのだ?

 チームの運営形態もなぞ。
主役チームが開発したサスペンションがファミリーカーにも採用されている、などとうそぶいていたけれど、ラリー用に作ったサスがファミリーカーに付いている????
どれほど根本的なサスペンション革命を起こしたのだ?(だったらその機構を説明せよ)
 さらにはエンジンチューニングもやっているようだし、ターボチャージャーの開発もしているという。
 つまりはパーツメーカーが宣伝と技術開発目的でラリーチームを運営しているのか、と思ったけれど、ラリーチームの現場メカニックがサスの開発もターボの開発もやっているという。

 なんだそれ。
現場でセッティングや修理をやっている人間がパーツ開発? そんな規模で現代の自動車開発が出来るとでも思っているのか。

 そして、ラリーチームのタイヤ担当メカが「ほんとうは車のデザインをやりたかったのに、ラリーチームに配属された」とぼやくシーンあり。
え? じゃ、このチームは自動車メーカーのワークスチームだったのか?
 いやいや、そんな描写はありません。なにしろ、使っている車はトヨタのヤリス(日本名ヴィッツ)なのですから。
 チームトヨタではなく、スピカレーシングなのだそうで。
 あ、それからチーム監督はただ軽口を叩くのみで、なにを監督しているのかさっぱりです。

 狂言回しとして、スポンサーの宣伝部らしき(これもはっきりしない)おねーちゃんが出てきますが、彼女の会社が何を商っているのかもさっぱりわかりません。
ドライバーのマスコミ対応などをその女の子が仕切っているように見せていましたが、スポンサーは一社だけではないでしょう?
ほかのスポンサーは現場で何もしていないのでしょうか?
 そしてドライバーのマスコミ対応をコントロールするのは、チームの広報であるはずです。

(パンフレットを読んだら、上記の女の子はスポーツマネージメント会社の社員だそうで、これも伝わってねーなー、ま、だとするとスポーツ選手のマネージメントをやるのですね?
その立場の人間がマシーンに描かれたスポンサーロゴが隠れることに文句を言うのは変じゃない?)

 万事がこの調子で、描こうとしたストーリーの骨格しかない。それをリアルに感じさせるディティールを作っていない。

 お話はつまらないだろうと予想はしていたし、噴飯物の描写の連発は覚悟していましたが、せめてラリーカーの走りを大スクリーンで堪能できればいいや、と思っていたのも
見事に裏切られます。実際に車が走るのは、資料映像と一部のアップショットのみで、ロングショットはCGの合成。その挙動はさほどリアルでもない。
ドライビングテクニックを体感できるようなカット割りもなくて、臨場感なし。

 全体に、大昔の自動車競技をイメージして作っている感がありました。
主人公兄弟の兄がメカニックで弟がドライバーということで、この弟というのが無頼派を気取って怒鳴ったり暴れたりチームクルーに食ってかかったりスポンサーをないがしろにしたりと
やりたい放題。
(自分が壊した車を直せないからとチームクルーをなじるようなドライバーに誰が付いていく?)
 対するライバルドライバーはストイックな理論派みたいな触れ込みでありまして、あーあ、『RUSH/プライドと友情』を参考にしちゃった?
あれは何十年前の話だと思ってるんでしょうかね。それに、ジェームス・ハントは無頼派だったかもしれないけれど、ただのわがまま坊やではありませんよ。

 モータースポーツが市販車のための技術開発の場である、なんてのももう50年も昔にホンダがF1参戦したときに「走る実験室」なんてキャッチコピーを使ったことから広まった「常識」なんでしょうね。
それを間違いとはいわないけれど、現在では競技車両と市販車には大きな隔たりが出来ていて、競技の現場で有効な技術が市販車にも使える例は多くないです。
 映像面でもF1中継で見かけるようなファンの様子やマーシャルの様子なんかを見せていて、さまざまな時代・カテゴリーのモータースポーツから断片的にイメージを拾い集めて継ぎ接ぎしたようなもの。

 もはやファンタジー。

 それは人間ドラマ面も同じで、兄弟の幼なじみらしき(らしき、なんだな)女の子に兄弟二人が惚れちゃって、弟がフラれた腹いせについたウソが悲劇を呼んで、二人に溝が・・、
というのだけれど、その三角関係の実際をなにも見せてくれないので、三人の年齢差もわからないし関係も分からない。これでは感情移入のしようがない。
 私にも兄がおりますが、同じ女を取り合うなんてよほど特殊な事情がなければちょっと考えられません。その事情を見せてくれれば、それぞれの心理を推し量ることも出来て感情移入できたでしょう。

 弟は自分がついたウソで兄に取り返しのつかない喪失を与えているのだけれど、なぜかことある毎に兄に反抗します。
この心理が分からない。兄に負い目があるのではないのか? ならば償おうとするのではないか?
この弟は、悲劇に見舞われたのは自分だけであるかのような振る舞いをするし、兄の行動を責めたりもする。一番悪いのは自分なのに。自己中だね。

 なにが兄弟の絆か。

 また、兄弟が幼い頃自転車修理の道具を借りたのがラリーチームのファクトリーで(自転車のホイールを直すような工具は持ってないって)、長じて二人ともそのラリーチームにいるという設定も、
はなはだ視野狭窄。人生の10年20年をどう思っているんでしょうかね。せめて子供の頃出入りしていたラリーチームと、大人になって所属しているチームは別にして欲しかったですね。
 あり得ないとはいわないけれど、天才級のラリードライバーが偶然子供の頃にトップチームのファクトリーに出入りしていたというのはあまりにも出来すぎていておもしろくもなんともないです。

 この映画は架空の世界の架空の競技を扱っているわけではないのですよね。
ならばもっと現実味を大事にして欲しいものです。雰囲気だけでふわっとまとめても、心を打つことは出来ない。
(まあ、雰囲気だけで泣いたり笑ったりするお客さんもいないことはないけれど)
 物語に真実味を出すにはどうすればいいかというセンスがない。

 ラリー現場の視察なんかもやったらしいけれど、ラリーの現実を反映させる気はなかったようでF1の華やかさを真似したり、昔のスポ根みたいな人物設定だったりあほらしくて見ていられませんでした。
中盤以降、映画館の座席に座っている自分が恥ずかしくなってきました。一体、おれは何を見ているのか、こんなものにお金を払ってしまったのか、この時間の無駄を返せ!

 あ、女性にはおすすめポイントがあります。
新田真剣佑くんがやたらと脱ぎます。鍛え上げたいい体が見られますよ!

『ゴジラ 決戦機動増殖都市』について - エクセルシオール (男性)

2018/05/28 (Mon) 23:25:28

 先日、やっとこさこの映画を観ることができました。三部作の二部作目であり、事前情報では「ハルオの成長を描く」「メカゴジラが起動する」等々、それなりに期待できる作品であると思っていたのですが、率直に言って出来が良いとは言えない映画でした。

 まず、怪獣映画としてはメカゴジラが登場しなかったのは痛すぎます。なるほどタイトルは『決戦機動増殖都市』でしたが、予告編等では「人類最後の希望(メカゴジラ)が起動する」というテロップがあったのですから、ゴジラとメカゴジラの対決が見られるはずと思うのが当然です。ところが、実際にはかつて破壊されたメカゴジラのナノメタルが2万年の間に進化して都市になっていたというだけであり、思い描いていたメカゴジラは影も形もない有様。これはやはりペテンというほかないでしょう。せめて自己進化していたのだから勝手に動き出して人類側の脅威になってしまう展開くらいあると思っていましたが、それもなし(少なくともビルサルドのコントロール下にはありつづけた)。正直、がっかりです。
 ただし、パンフ等で示されていたメカゴジラのデザインはお世辞にもかっこいいものではありませんでした。スタッフによればわざと共感を描けないようにウニ等をイメージして作ったそうです。これでは出てこなくても惜しくない感じもしました。しかし、なぜ「怪獣はかっこよくあるべし」「ロボットはかっこよくあるべし」という二重の原則に反して変なデザインにしたのか理解に苦しみます。幻の生頼範義版メカゴジラを見習ってほしかったです(なお、この生頼版、プラモが発売されています。)

 モスラに関しても名前一つ出てこないのはいかがなものか。フツアの民とともに今後の物語を動かす重要キャラである以上、名前くらいは出すべきだったと思います。なんだか予備知識を十分蓄えて観ろと言われているみたいで、愉快ではありません。

 主人公のハルオですが、これは成長したと言えるのですかね。確かに最後の最後に彼はゴジラ打倒よりもユウコの生命を優先させましたから、少しは進歩したと言えます(助けられませんでしたが)。ですが、ストーリー展開の進度からすれば、遅すぎる。より広い視野を得るのは一度敗北して、ミアナに助けられた段階であるべきでしょう。しかし、彼は第一作と同じゴジラ打倒に突っ走ってしまい、しかも中途半端な変化が裏目に出ていた感じがします。なお、パンフレットによればハルオは第三作では英雄然として行動するそうですが、それは飛躍があると言わざるを得ません。

 そして、最大の問題はユウコ・タニ。ミアナに嫉妬して短絡的に行動する(それでピンチになる)、ビルサルドの「狂気」としか言えない態度にハルオすらドン引きしている中、フツア(というよりミアナとマイナ)への反感からビルサルド側に立つ、そうかと思えば最後はナノメタルに飲み込まれかけてパニックになる、あげくあっさり死んでしまう等々、可哀想と思う前に、「何やってんだ」と腹が立ってきました。昨今、こんな足を引っ張るばかりの女性キャラは珍しい(プリキュアの爪の垢でも煎じて飲めと言いたくなった)。ヒロインをずいぶんと粗雑に扱ったものです。
 思うに、ある意味平版でしょうが、ユウコを活かすならば、ミアナ達と仲良くなって、例えハルオと一時的に袂を分かってでも、将来のよりよい社会の形成のために行動するようにすべきだったのではないか。本作品の展開は「ヒロインを惨死させれば受ける」という近時のオタク的悪趣味に阿ったようなものでした。

 ビルサルドにしても合理思考というよりも、むしろ「意地悪集団」に見えていました。論理的な異星人というのならば、『スタートレック』のバルカン星人みたいなものであるべきでしょう。本作品では「観客の不快感をそそる」のが主目的みたいに見えます。

 その他ですが、私は本作品で小説『プロジェクト・メカゴジラ』で描かれていた要素、ハルオの両親は地球脱出時に死んでおらず、ハルオたちのためにメッセージを残していたというストーリーが、映画に関わってくると思っていたのですが、影も形もなし。アキラからのメッセージがハルオに届けば、ユウコの死などよりもよほど彼を成長させたでしょうに。なんで用いなかったのか疑問です。

 さて、予定通りならば、次回作『星を喰う者』でアニメ映画版ゴジラはおしまいです(予定を変更して4作目が制作されるかもしれない)。真打ち登場、ついにキングギドラのお出ましのようです。そうなると普通に考えれば、キングギドラを相手に人類とゴジラ、そしてモスラは共闘せざるを得ないという展開になるはずですが、どうなるでしょうか。
 まさかみんなキングギドラに殺されておしまいなどと言うひどい終わり方にはならないでしょうね。虚淵玄氏のあまり趣味のよくない制作志向を考えると、可能性ゼロではないのが不安ですが。

 

Re: 『ゴジラ 決戦機動増殖都市 ゴジラの1ファン (男性)

2018/05/29 (Tue) 04:17:26

全くおっしゃる通り
アニメカゴジラに関しては要のゴジラからして植物怪獣木ジラですのでデザイン上の期待感は無かったです(笑)
しかし、そのメカゴジラさえチラッとも登場せず陳腐な『人間ドラマ』とやらが延々続いてオマケ的ガンダム擬き戦闘シーンがあってエログロ漫画的シーンもあっておしまい
ギドラ?モスラ?
どーせまた名前だけ出演の三章にもう興味なしです
東宝さん、頼むからもっとゴジラを大切にしてくれ

Re: 『ゴジラ 決戦機動増殖都市』について 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/29 (Tue) 19:11:40

 お疲れ様です。
第二章でこんなにも展開がないとは恐れ入谷の岸田森でした。

 ハルオの両親が実は生き残っていた、というのは書籍版での後付けじゃないかと疑っています。
というのも、今回の第二章冒頭で、二万年の時を経て巨大化していたゴジラアースを見たアラトラム号内で、これほどの大きさだとその熱線がアラトラム号の軌道まで届くんじゃないか、
と衛星軌道に留まることを不安視するシーンがありました。
 しかし、書籍版による前日譚によれば、二万年前にすでにゴジラアースは宇宙にまで届く熱線を発しているわけで、彼らがその事実を知らないわけがありません。
何を今更、です。

 この映画、21世紀の様子を入念に作り込んでからシナリオを作ったわけではないんじゃないでしょうか。
書籍版は、映画のための設定をもとに著者が創作した別物なのかもしれません。

 ゴジラの1ファンさん、こんにちは。
ゴジラファンはもっと怒るべきだと思うのですが、どうしたことか、東宝さんがやることならなんでも受け入れてしまうタイプの方々もいらっしゃって、なんとも歯がゆいです。

小説と映画の関係について - エクセルシオール (男性)

2018/06/02 (Sat) 22:00:57

 確かに「映画の前日談」と称する小説と映画の物語は、あまりリンクしているとは言い難い感じがしました。例えば妖星ゴラスの事件に関しては「月に移住しなかった理由を説明してくれた」等の感想もありましたが、考えてみれば映画第一作『怪獣惑星』でリーランドが「月に住めばいい」とはっきり述べており、それに対するハルオの反論は単なる感情論でしかなかった(「ゴジラは月を砕ける」とは言っていない。はるかに説得力があったのに)。リーランドもハルオもものすごい健忘症なのか?これでは一つの穴を塞いでも、別の穴が現れた感があります。安易な後付けはやはり好ましくありませんね。
 それから、ビルサルドのドルド族長など、『怪獣黙示録』では彼らの種族が捨ててしまった感情や文化を取り戻したいと考えている節があったのに、映画ではまったくそのような印象がありません。

 そもそも映画の不完全性を他媒体で補完するということ自体がよろしくない。映画は映画だけできちっと問題点を解消しないといけないと思います。ただ、それができるのかかなり不安になってきました。

 さて、映画に比べると好評の小説版『プロジェクト・メカゴジラ』ですが、熟読するとおかしな点があったりします(なお、初版本について。二版以降は修正されている可能性あり)。戦術核と戦略核の混同以外に、『怪獣黙示録』ではゴジラ研究の第一人者の名前が「ウィルヘルム・マイスナー博士」だったのが、『プロジェクト・メカゴジラ』では「ヴィルヘルム・キルヒナー博士」になっていたし、轟天の艦長ジングウジと、ビオランテ退治の氏名不詳の中隊長がごっちゃになっていたりと(ここは読み方次第かもしれませんが)、最低限の校閲を行っていない感すらありました。
 
 なお、小説の監修を行っているのは映画の脚本家でもある虚淵玄氏なんですよね。大樹連司氏だけが書いていたのならともかく、虚淵氏が関与していた以上、映画と小説の不整合は言い逃れができないことだと思います。

Re: 監修とは? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/06/05 (Tue) 18:33:09

 今回のアニメゴジラの書籍版を、映画のノベライズではなく、その前日談にしようと考えたのはどういうわけなのか、にも疑問はあります。
 なにか裏事情がありそうでもあり・・。

 それはそれとして、映画と小説(私はあれを小説とは思えないけれど)に不整合があるのは問題だし、その小説にも齟齬があるとなると、真面目に作っているのかどうかを疑ってしまいます。

『プロジェクト・メカゴジラ』のほうも読んでは見ましたが、前作との比較とか、細かい内容のチェックまではしませんでしたので、ご指摘に感謝します。

 監修に脚本家の名前があり、帯にも「スタッフ全面監修」と謳って、映画との関連を強調したいのはわかります。しかし、この内容では、監修といいつつ何をやったのかはなはだ疑問ですね。

 ポンコツSF映画にも科学考証担当として大学のセンセイなんかが名前を連ねている場合がありますが、
それと似たような物かも知れません。
 一言二言なにかアドバイスを与えて、あとは名前を貸しただけ、と。

 監修を引き受けたなら、仕事を全うして欲しいものです。
もともとストーリーの整合性に興味がないのかも知れませんが。

『決戦起動増殖都市』、悲惨な興収とアンケート - なんじぇい (?)

2018/05/27 (Sun) 03:34:37

金~日の3日間で動員7万1千人、興収1億円計上
東宝映像事業部『GODZILLA』順調スタート
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2088732074487778&id=193285004032504

興収に関わる情報がなかなか見つからなかったので難儀しましたが、なんとか信頼できるソースを見つけました。
今のところ『決戦起動増殖都市』は前作の0.7倍弱(前作のソースはhttp://anime.eiga.com/news/105470/)という、やはりというか案の定というか更に悲惨な結果なようです(どこが順調なのでしょうか…)。



今回興味深いのは、本作を反省したのか、東宝がネットで本作のアンケートを実施していることです。
内容はかなり本格的で、質問は『映画「シン・ゴジラ」を観たことがありますか?』『本作の中で好きなキャラクターを教えてください』など多岐にわたっています。
ちなみに名前や住所を書かなければならないので、組織票みたいなものは不可能です。
https://ssl.toho-movie.com/enq/main.php?t=gt

皆様も良ければアンケートを出してみてはいかがでしょうか。

Re: 『決戦起動増殖都市』、悲惨な興収とアンケート 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/29 (Tue) 19:08:43

 こんなアンケートをやってるんですね。
ざっと一読。答えようのない設問があったりして、なんとも困ります。
(好きなキャラクターなんかいねーよ!)

 どうも、ゴジラファンが見に来ているのか、アニメファンが見に来ているのか知りたいご様子ですね。
あの出来じゃ、いずれにせよマニア以外は見に行かないでしょうねぇ。(世評を仕入れてから見に行く人は少ないでしょうね)

住所氏名を書かなくても回答できたので(グッズなんかいらないし)、自由記述のコーナーにこのBBSに書いた文章を転載してみました。
あ、無回答があっても受け付けてくれましたよ。

ランペイジ! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/24 (Thu) 18:34:16

 いやはや、すごかったです、『ランペイジ巨獣大乱闘』。

 怪獣が三匹出る映画だと思っていたら、四大怪獣の激闘でした。
もう、ドウェイン・ジョンソンは怪獣でした。

 設定上、遺伝子工学で生み出された怪獣たちだったので、私が提唱する正当派怪獣ではありませんし、
その能力も動物の枠を超えるものではありません。けれども、でかい生き物が大暴れ、組んずほぐれつという
怪獣映画で一番大事な肉体感覚にあふれる映像は文句なしに合格でした。

 惜しむらくは、各怪獣の見せ方が均等ではなく、白ゴリラが完全に主役であったことでしょうか。
ワニ怪獣が一番怪獣らしい姿だったのに、出番が少なかったかな・・。

 それでも、オオカミ怪獣は皮膜で滑空したり毛針を飛ばしたり、ただの巨大化ではないところが怪獣らしくてよろしい。
(バランもヒントになっているのか? ワニ怪獣なんてアンギラスだし)

 ストーリーもドウェインとゴリラの関係から入って、『フランケンシュタイン対地底怪獣』みたいな展開も含みつつ、
科学的な実現性は低くても、動物が巨大化することや形質に変化があることなどには一通り説明があることも好感が持てました。
 人間側の問題(怪獣を作り出してしまった者たちの処遇)にケリがついたあとで、怪獣によるクライマックスが始まる構成もお見事です。

 映像面では、破壊のディテールを見せることにも気を遣っているようではありましたが、もっと粘って怪獣による破壊のあれこれを見せて欲しかったように思います。
怪獣たちに熱系の武器がなかったので、少々地味になってしまったのかもしれません。

 とにかく、怪獣の存在意義だの生物学的な設定だのをくどくど説明するような頭でっかち映画ではないことが素晴らしいです。

細かい突っ込みはまだあるけれど 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/24 (Thu) 18:31:21

『GODZILLA決戦機動増殖都市』について、どうにか感想をまとめてみます。

 そのストーリー。

 三部作の二作目であるにも関わらず、一作目から話が進みません。
パンフレットをざっと読んだ限りでは、主人公の精神的な成長を描いているそうですが、
彼の認識に変化があったとすれば、機械と合体までしてゴジラアースと戦おうとするビルサルドに反対することで、
ゴジラアースを殺すことが第一なのかどうかに疑問を持ったかもしれない(かもしれない、でしかない)というあたりでしょうか。

 が、これはこの映画が扱っている事件の展開ではなく、あくまでも一人の人間の内面的な変化をほのめかしているにすぎません。
ストーリー上は、ゴジラアースに挑んで、負けた、という話です。
一作目はゴジラを倒したと思ったら雑魚でした、という話であり、ゴジラ(アース)討伐隊がゴジラ(アース)を倒せませんでした、という根幹は同一です。

 もちろん三部作ですから、二作目でゴジラアースを倒す必要はありません。
けれども、主人公ないし討伐隊とゴジラアースの関係性に変化がないのでは、話が進んだとは言えないでしょう。

 また、ビルサルドを論理一辺倒の種族として規定し、論理だけで良いのか?的なストーリーにしたつもりらしいですが、ビルサルドのやり方が論理的というわけではないのも痛い。
ゴジラアースを殺すため、という前提からは兵士がナノメタルと合体すべしという結論になるのかもしれませんが、では、なぜゴジラアースを殺さなければならないのかという枠に広げると、
怪しくなってきます。
 まず第一は地球人・ビルサルド・エクシフの三種族が生き延びることではないのでしょうか?
そうなると地球に固執する理由が消えます。そして、ゴジラアースを殺すことが絶対ではなくなります。
たとえゴジラアースを殺したとしても、すでに地球環境は彼らの生存に適さなくなっているのですから地球に固執するのはおかしいのです。
ゴジラアース退治に執着しているのはハルオの感情でしかなく、そこにビルサルドが同調するのはそもそもおかしな話です。
このあたりも含めると、ナノメタルが見つかったというだけでゴジラアース討伐隊全員が作戦続行に賛成するのもおかしな展開と言えます。
(前作からの疑問ですが、ビルサルド・エクシフは宇宙を流浪してきた種族なのですから、彼らの技術を使って作った地球脱出船の環境が劣悪であることも理解できない)

 今作ではフツア族とナノメタルという新規要素が出てきます。ところがこの二つともストーリーを牽引しないというのはどういうわけでしょう。
フツアはストーリー上重要な役割を果たしそうなのに、いかにももったいぶって、今作では顔見せ程度の扱いです。
テレビシリーズの第二話ではないのですよ。全部で三本しかないシリーズ映画でこんなもたついたことをやっている場合ですか。
しかも、東宝怪獣映画に詳しい人やノベライズ・各種資料などを読んでいる人ならモスラに関係する種族だろうと推測できるでしょうけれど、
この映画シリーズしか見ていない人には、モスラの存在を感じることも出来ない作りであり、何しに出てきたのかわからない一族でした。
(今作でモスラ幼虫の誕生も描き、クライマックスはモスラ幼虫と増殖都市の共闘にすればまだましだっただろう。そして、次作ではモスラ成虫を登場させる)

 ナノメタルはほんの少しだけストーリーを動かしました。
それはヒロインを殺したのはナノメタル、というところです。が、それ以外は、ビルサルドの便利な道具という扱いでしかなく、自律性などありません。
(ナノメタルが独自に動くのは、ビルサルド兵と合体したあとでしたよね?)
このヒロインの死というのも、彼女の存在感の薄さのためにまるで効果が上がっていません。
一作目で主人公の周りをちょろちょろしていましたが、これまた顔見せ程度の扱いで、今作で急に主人公との関係性に踏み込んで見せますが、ここまでの二人のエピソードが少なすぎるので、
その死に悲しさも何も生まれません。(記号的に鑑賞する人は、死亡フラグを立てたシーンでスイッチを押されて、ここは悲しむべきシーンだ、と解釈するのかも知れませんが)

 さて、ナノメタル。
ストーリー上の話と設定の話が混在しますが、このナノメタルってなんですかね?
説明によると「自律思考金属体」とのことで、さらには周囲の物質と分子レベルで融合するとか。
二万年の間に何かがエラーを起こしてうまく動いていないとかなんとか説明があったような気がしますが、そのあと、ビルサルドのコマンドによって再び動かすことが出来るようになったのですよね。
そこで、ナノメタルが自律思考して、ビルサルドと対話でも始めるのだろうかと思ったら、コントロール装置を生成させてただの機械と同じ扱いをしはじめます。

 こちらはきょとん、です。
それ以前に、飛来したセルヴァム(飛行怪獣)に対しては自律的に攻撃していたのに。

 ナノメタルが自律思考するロボット(人型である必要はない)として行動してくれれば、もっとストーリーが動いたでしょう。

 そして、映像で見る限り、ナノメタルは周囲の物質をナノメタル化しているように見えますが、あれが分子レベルで融合していることなのでしょうか。
分子レベルで融合するとは、ナノメタルと他の物質が化合して別の物質になるということなのでしょうか。
そうなると、ナノメタルに組み込まれている機能(情報を蓄え、演算し、さらには移動するなどなど)も失われそうなものですが??

 架空の科学技術をあまり細かく説明すると科学的な矛盾を生じる恐れがあるので避けるべきとは思います。
けれども、このナノメタルは今作に登場する重要なSFガジェットでしょう。技術的な飛躍を含むのは当然として、もっと納得できる形の説明は欲しいところでした。
ナノメタルには、何が出来て何が出来ないのか、少なくともその機能は正確に観客に伝えるべきです。
(ナノメタルと合体した人間の思考がナノメタルの思考になるのでしょうか?? では自律思考金属とはどういうことか? 起動に失敗したメカゴジラにも誰かが合体したのか??)

 ナノメタルは変形自在で設計図さえあればどんな機械にもなってみせる工場いらずの便利機械でしかなかった。
対ゴジラアース戦でも、少しだけ予定と違う行動をしただけで、自律性など感じられません。

 これが、クライマックスが前作の焼き直しになってしまった原因です。ナノメタルに自律性がなく、ゴジラアース退治は前作で行った作戦を繰り返しただけである。

 そして、メカゴジラが登場するというのが今作の売りだったはずなのに、メカゴジラが出てこない。
これはひどい。動かなかったメカゴジラと同じ材料を使っていることから、メカゴジラシティなどと呼んでいるけれど、誰がどう考えてもあれはメカゴジラではない。
まあしかし、それは前情報を仕入れている人間のぼやきであって、今作のタイトルにメカゴジラは謳われていませんから、詐欺ではないですね。
んが、「決戦機動増殖都市」なんですよね?

 確かに増殖はしていた。(あ、分子レベルの融合じゃなくて、増殖なのか)
が、あのシティは、いつ機動した???
 変形はしたが、機動していません。
 動けよ、そして町ぐるみでゴジラアースと取っ組み合えよ!

 そして、映像的な見せ場の話になっていきます。

 全体を通じて、どの映像を見せたかったのかわかりません。
 説明に終始していて、映像の快感を追求したと思われるシーンがない。

 ゴジラアースの見せ場はどこなんでしょう。
 のっそり歩いてきて、ときどきビームを吐き、足止め食らって熱振動起こしただけ。尻尾でちょっと周りを払ったようだけれど、見せ場扱いではない。

 メカゴジラシティは?
 前述の通り、映像的なおもしろみはなし。

 それから搭乗型のロボみたいなものが出てきましたね。ナノメタルで改造される前は地上を歩いていましたから、まあそれなりに機能的な形だったのでしょうけれど、
対ゴジラアース作戦では空を飛んでいるだけでした。ならば手足を付ける必要などありません。
人型ロボに乗るのが当たり前というのは、日本アニメの方言です。私はアニメにどっぷりではありませんから、あのメカデザインには違和感全開でした。

 映像面の問題としては、すでに指摘されていますが、ゴジラアースの大きさが体感的でないというのも重大な欠陥でした。
人間は対象物の大きさをどうやって感知しているのか。
 その問題に対する考察が甘い。
 もともと2万年後の地球が舞台ということで、見慣れた街に怪獣出現というシチュエーションは使えません。
 では、どうやって怪獣の大きさを体感させるのか? 人間がゴジラアースの直近で見上げるカットもないし、劇中で大きさがはっきり分かる物体とゴジラアースとの対比もない。

 怪獣映画というのは、でかい生き物が出てくることにおもしろさがあるのです。ゴジラをいじり回すことに気を取られて、基本を忘れている。

 スペクタクルもアクションもない、欠陥映画でした。

 一点だけ、音響に関しては音像定位に気を遣っていることと爆音など激しい音の立ち上がりがよかったことは感心しました。

『決戦起動増殖都市』の私的感想。荒れてます - なんじぇい (?)

2018/05/19 (Sat) 18:08:56

ギドラ様がまだ感想を挙げておられないので、どうしようか迷っていましたが、公開から2日目になりましたので挙げさせていただきます。


単刀直入に言います。
酷過ぎます。私にとってはゴジラ映画断トツのワーストでした。



ゴジラ・アース。
300mの巨大感は画面から全く感じられず、ただただ歩くだけ。怪獣として魅力が全く感じられません。

メカゴジラ。
ネタバレになるので自粛しますが、「どこに面白味があるの?」とだけ。
メカゴジラ特有の、そしてメカ特有の面白ギミックは一切ありません。

ストーリー。
開始1時間にわたり一本調子なおしゃべりばかりで、動きのあるシーンはほぼありません。ゴジラ・アースも出ません。
そしてやっと現れた終盤のアクションシーンが、作戦から何から前作の焼き直しという酷さ。もう何もかも同じです。
ここには開いた口がふさがりませんでした。
しかも、そのわずかなアクションシーンもバンクシーンを多用していました。

音楽。音響。
一切印象的なものはありません。

良かったことと言えば、ゴジラ・アースという怪獣を倒すためには自らも怪獣にならなければならないということだけ。


この映画は観客の予想を裏切ろうとして、期待を裏切ってないでしょうか。本気であのメカゴジラを面白いと思ったのか問いただしたいです。
ストーリーも、アクションシーンも耐えがたいレベルの出来でした。
ゴジラ映画としても、怪獣映画としても、娯楽映画としても私にとっては文句のつけようもない駄作、という評価です。
怪獣映画、ゴジラ映画で観客が求めているのは何か。製作陣はそこを見直すべきだと思いました。


この映画が好きだとおっしゃる方には申し訳ありません。ですが、正直に書けばどうしてもこうなってしまいます。

Re: 『決戦起動増殖都市』の私的感想。荒れてます 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/20 (Sun) 13:19:21

 口火を切っていただきまして、どうもありがとうございます。
 スケジュールを調整して無理矢理初日に見に行ったけれど、もう、何をどう突っ込んで良いやら迷っていました。

 なんじぇいさんのご意見には全く同感です。

 私のスタンスでは、このアニメゴジラシリーズは最初からゴジラ映画ではないので、別枠のゴジラアース映画として考えようとしましたが、
いやはや、そもそも劇映画とはなにか、という根本の話に持って行かないと感想なんか書けません。

 なにかしら意見を書くつもりですが、少々時間がかかりそうです。

 見ている間中、「いつおもしろくなるの?」とスクリーンに問いかけ通しでした。

Re: 『決戦起動増殖都市』の私的感想。荒れてます - なんじぇい (?)

2018/05/20 (Sun) 20:42:31

>もう、何をどう突っ込んで良いやら迷っていました。
>見ている間中、「いつおもしろくなるの?」とスクリーンに問いかけ通しでした。

私もその通りでした。この映画は余りに酷すぎることが多すぎて、見ている間は怒りを通り越して虚無感に襲われていました。
「超絶的につまらない(貧困な語彙力をお許しください)」と思ったのはゴジラ映画ではこれが初めてです。

私はゴジラ映画は怪獣映画の中に含まれ、怪獣映画は娯楽映画の中に含まれると思っていますが、この映画は娯楽映画としても欠陥ばかりです。(怪獣映画、ゴジラ映画としては言わずもがなです)

しかし、不幸中の幸いなことが2つあります。
まず1つ目はこの映画は巷での評価も酷評ばかりなことです。批判は主に「メカゴジラを出せ。こんなものはメカゴジラではない」というものが大半です。
2つ目は興行収入でも凄まじい大コケをしていることです。後にはっきりとしたデータが出てからスレッドを立てますが、前作を遥かに凌ぐほど悲惨な興行成績です。
制作陣はこの映画を作ったことを猛省すべきです。
3作目は見に行くべきかどうか、真剣に悩んでいます。

最後になりますが、怪獣映画を観たければギドラ様が書いておられた『ランペイジ 巨獣大乱闘』をお勧めします。あちらのほうが遥かに怪獣映画として面白みに溢れていました。

星由里子さん 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/18 (Fri) 18:29:42

 訃報を今朝のテレビで知りました。

 言葉もないです。ご冥福をお祈りすることしか出来ません。

Re: 星由里子さん - エクセルシオール (男性)

2018/05/18 (Fri) 21:21:16

 星由里子さんは若大将シリーズのマドンナや、『モスラ対ゴジラ』等のヒロインを演じておられましたね。突然の訃報に驚いております。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

Re: 星由里子さん - ルー等級つつ大臣 (男性)

2018/05/18 (Fri) 23:37:14

私もニュースで知りました。
星さんといえば若大将シリーズでのマドンナ役で有名ですが世界大戦争やモスラ対ゴジラ等でのヒロインでも印象的でした。
ゴジラ映画ではゴジラXメガギラスの科学者役が最後の出演になってしまって残念です・・・
ご冥福をお祈り致します・・・

Re: 星由里子さん - 海軍大臣 (男性)

2018/05/18 (Fri) 23:38:50

 星由里子さんは東宝黄金期での出演作の素晴らしさもさることながら、【ゴジラVSメガギラス】での女性科学者役の、あの毅然とした美しさが印象的でした。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。
 

Re: 星由里子さん - なんじぇい (?)

2018/05/19 (Sat) 17:48:06

星由美子さんは『ゴジラXメガギラス』の吉沢佳乃として、とても印象的な演技をしておられました。
本当に残念です。ご冥福をお祈りします。

レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/01 (Tue) 18:28:40

 迷った挙げ句、結局見てしまいました、『レディ・プレイヤー1』。
ネタバレなしで、簡単に感想を書いてみます。

 受け止め方は人それぞれという前提で、私には高揚感のない凡作と感じられました。
ポップカルチャーという言い方が適切なのかどうかわかりませんが、映画ネタ、アニメネタ、音楽ネタなどなど、
まあオタクネタが山盛りという映画だったわけですが、とにかく出せる物は全部出しました、という感じで、
よくぞやってくれました、という感激にはほど遠いです。

 作品全体の結論は、「ゲームばっかりやってちゃダメよ」というお説教で、新味はないです。
ならば、ゲーム世界に埋没してしまうことの何が危険なのか、なぜそれがいけないのかをもっと掘り下げて欲しかった。
(この映画では、そんなことでは彼女【彼氏】は出来ないよと言っているだけである)

 仮想現実が人間心理に及ぼす影響など、描くべきことはたくさんあっただろうにと残念です。

 それから、劇中の社会体制に関する説明が不足しているので、劇展開のいくつかが腑に落ちないままストーリーが進行していくのも乗れなかった原因です。

 現実世界での動きとゲーム世界での動きを並行して見せていくのは良かったですが、
派手な見せ場はゲーム内でのことなので、どうしても切迫感が薄く、これが高揚感を生まなかった理由ではないかと思いました。
(ゲーマーの方は別の感じ方をするのかもしれない)

 ひとつ非常におもしろいと思ったのは、この映画の主軸を成す仮想世界(オアシス)を作った男(ハリデー)がいわゆるオタクであることが、
オアシスをアニメや特撮、SFのキャラクターのオンパレードにさせていることに対を成すように、主人公がハリデーのオタクであること。
主人公はハリデーオタク度が抜きんでて高く、その能力で謎解きを進めることが出来たという見方も出来ます。オタクの二重構造ですね。
(しかし、最後の謎はハリデーに関する知識とはあまり関係ないけれど)

 考えすぎかも知れませんが、オタク道も中途半端はおよしなさいと言われたような気もします。

 そんなこんながありつつ、私が最も感心したのは、某映画(もういろんな人がネタをばらしているのでしょうけれど、ここではバラしませんぞ)の世界に
登場人物達が入り込むシーンです。ゲーム世界の描写は基本的にCGアニメであって、アニメ映画を見ている感覚になりますが、
この某映画に入るシーンはもっと高度なことをやっていました。
 もとの映画映像にCGを合成していますが、原版のカットとはカメラワークが違うカットになっても、映画内の事物が角度を変えて映ります。
映画フィルムの中に入って移動している感覚です。(うーん、どんな映像なのか、伝わっていますでしょうか)
 これにはびっくりました。現在のCGはここまで進んでいるんですね。

 さて、この映画を見て、四六時中スマホゲームをやっている人々は何を感じるのでしょうか。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) - エクセルシオール (男性)

2018/05/07 (Mon) 21:28:48

 残念ながら私はまだこの映画を観ていないのですが、もうご覧になった管理人さんに一つだけ質問です。

 この映画には様々なキャラが出ているはずですが、ガイガンの姿は確認できましたでしょうか?メカゴジラに関してはガンダムと戦う姿が公開されていたので出演は確実ですが、ガイガンに関してはそこまで目立った登場ではなかったようで、あまり話題になっていません。もしお気づきでしたらどの辺に出ていたか教えていただければ幸いです。

 それにしてもガイガンは名怪獣だったのにいろいろと不遇でした。サイボーグ怪獣と言う斬新な設定、未来的な素晴らしいデザインは大変魅力的であり、人気はあったのですが、予算不足の時代だったので、設定上の力を十分に発揮できなかったと言われています。個人的には額のレーザー砲が発射されるところは見てみたかったですね。ただ、ゴジラとアンギラスを血まみれにしたという別のインパクトはありましたが。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/08 (Tue) 18:40:33

 私もガイガンを使いこなした映画を見てみたいと願う一人でございます。
「ファイナル・ウォーズ」では結局別物にされてしまいましたし・・・。

 そこで、『レディ・プレイヤー1』でのガイガンなんですが・・・。
 見つかりませんでした。
 ただ、画面の隅々まで何らかのネタが隠されているような映画なので、ガイガンは出なかった、とも言えないのです。
 乱戦状態の中に混じっていたのか、いや、ガンダムやメカゴジラ(機龍ではありませんでした)が設定通りの大きさだったことを考えれば、もし、ガイガンがいたならば、やはり巨大だったはずで・・。
 うーん、わかりません。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) - なんじぇい (?)

2018/05/11 (Fri) 17:28:31

私もこの映画を鑑賞しました。結論から書くとまずまず面白かったです。
まあオタクネタが盛りだくさんだったことは素直に楽しめたのですが、私としてはよかったことは作品の小テーマでちょくちょくとインターネットの付き合い方の警笛を鳴らしていたことでした。
一応ネタバレしないように書くと、「パスワードを身の回りに張り付けちゃダメよ」「インターネットの中でうっかり個人情報を喋っちゃダメよ」「仮想世界では美女でも現実ではどうか知らないよ」辺りでしょうか。
この辺りのインターネットに関する付き合い方を、娯楽作品の体は壊さず自然に伝えているのが良かったと思ったところですね。
自然に伝える、というところがスピルバーグの娯楽作品の作り方の上手さのようにも感じられます。


ただ気になったところというと……最初のレースゲームの解決法は、ゲーマーなら誰かは既に試していると思うんですよね。
実際マリオカート等では散々ゲーマーたちによって裏ルートが見つけられているので。
まあそういう細かい突っ込みどころはありつつも、全体としてはよくまとまっていたと思います。

ちなみに、私もガイガンは見つけられませんでした。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/11 (Fri) 18:39:43

 そうそう、冒頭のレースゲームに仕掛けられた細工に関しては私も全く同感です。あれが何年も解けない謎だったなんて・・。
 原作にはないエピソードだそうで、やはりゲームにはあまり詳しくない人がシナリオ化しちゃったかな?
(ギドラの巣をご覧いただければわかることですが、私、グランツーリスモのヘヴィユーザーでした。裏技発見はほとんどやってませんが、◯走は基本です)

 それから、私もネットの作法を伝えるエピソードを入れ込んでいるのはよかったと思いました。「一人でしゃべっているように見えても複数で考えているのかもよ」というエピソードには、自分の体験にも思い当たることがあって、ニヤリ。実際、こいつ、一人じゃねーなと思ったことがありました。あ、私はまるっきり一人の孤独なおじさんです。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) - エクセルシオール (男性)

2018/05/14 (Mon) 21:06:25

 ようやくこの映画を観てみました。私もガイガンは全く見つけられませんでした。正直、本当に出ているのか疑わしくなってきます(最後の大決戦シーンのどこかにいたのだろうが)。少なくともメカゴジラ(デザインはオリジナル)と違ってえらく冷遇されていますね。
 ただ、メカゴジラとガンダムの対決はなかなか面白かったです。なお、原作ではガンダムではなくウルトラマンだったとか。また、同じく原作ではジェットジャガーもチョイ役で出ていたそうです。

 映画全体の感想としては面白くなかったわけではないが、とりたてて優れた作品ともいえないですね。劇中の現実世界は途轍もなく問題のある状況であり(貧困や環境破壊、さらには営利企業に一般市民を強制労働させることが許されている等々)、このままにしてはいけないはずだったのですが、そこの掘り下げは今一つでした。結局、オアシスが民衆の現実逃避を助長しているものであることは否定できず、破壊してしまって民衆を現実に向き合わせるという落ちにすべきだったのではないかとも思ってしまいました。

 続きが作られるかは不明ですが、もし制作するのであればもう少し真面目に作ってほしいですね。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/17 (Thu) 19:05:28

 仮想現実と現実の何が同じで何が違っているのかというあたりの掘り下げが足りないことが私の不満の元だったように思います。
どうやらオアシス内で金を稼ぐことも出来るようだけれど、現実世界での経済活動がどうなっているのか?という疑問が残りました。
 簡単な話、食料の生産や流通は誰がやっているのでしょう。

 映画では誰も彼もオアシスに逃避しているような描き方をしていましたが、全世界の全人類がそんな生活をしているとは思えません。
映画の冒頭で、人類は未解決の問題を放り出してゲームに逃げ込んだ、というような説明が入りますが、民族紛争や宗教対立も放り出したのでしょうか。
どうも、このあたりの世界設定説明の甘さに、作り手の現実認識の甘さが見えるような気がしました。
(おそらく実際はゲームに没入している人々とそうではない人々がいるはずだ)

 悪役として登場する企業IOIは中盤で爆破テロを行いますが、そのくだりを見たときには、この世界のアメリカでは国家権力が弱体化していて、
警察力が失われているのだろうと解釈したのですが、最終的には警察のお出ましとなるストーリー展開にもいささか白けました。
(法治国家の下で大企業がやらかす悪事はもっと巧妙なものではなかろうか)

 と、いろいろ貶してしまいましたが、ハリデーの記録を探る行為を描くことで、
人間はその体験を通じて人格を形成しているのであり、記憶された体験には現実と虚構の区別はなく、実体験もテレビ・映画やゲームでの体験もその人を作っていることには変わりがない、
また記憶こそがその人であるという観念を伝えていたようにも感じました。
(映画のラスト近くで、死んだのか?と問われたハリデーが答えを濁すことにヒントがある)
 それは私が「物語」を大事に思う思想に通じるところでした。

『ゴジラ プロジェクト・メカゴジラ』 - エクセルシオール (男性)

2018/04/30 (Mon) 17:57:58

 アニメ映画『ゴジラ』の前日譚小説第二弾『プロジェクト・メカゴジラ』を読みました。もうすぐ公開の映画二作目と関連する物語が展開されています。
 小説の構造は前作『怪獣黙示録』と同じであり、映画版の主人公ハルオ・サカキの父親アキラ・サカキが怪獣災害に係る様々な人々の意見を録取していくという構成になっています。また、過去の東宝特撮映画を元ネタとする要素が散りばめられている点も前作と同じです。

 この小説はメカゴジラ完成までの人類の必死の時間稼ぎの物語です。しかし、そのために地球連合がやらかしたことはひたすらひどいものでした。異論を徹底的に弾圧し(すぐ反逆罪に問われかねない)、大人の熟練兵を温存するために子どもを兵隊にして捨て石にする、しまいにはゴジラを足止めするためにヒマラヤ山脈を崩壊させる(周囲に住んでいた人は犠牲にされる)。これでは救われる資格がないと言わざるを得ないでしょう。その意味では文明のあり方への批判は含まれていると思います。

 さて、この小説に出てくる怪獣ですが、新たにバトラ、キングシーサー、ガイガン、大コンドル、チタノザウルス、メガヌロン、そしてモスラが登場します。また、大ネズミ(『緯度ゼロ大作戦』)、デストロイア幼体もその存在が匂わされていました。なお、前作で倒されたと思われたマンダですが、「復活した」という一節があります。
 特筆すべきはガイガンであり、異星人に改造されて何度も何度もゴジラと戦わされ、最後には原形すら留めなくなるという哀れな怪獣になっています。「宇宙の殺し屋」的イメージのあったかつてのガイガンを思うと少々釈然としませんが、印象に残る存在にはなっています。

 また、怪獣ではないですが、「妖星ゴラス」も登場します。地球に接近したところをゴジラの最大パワーの熱線で破壊されるのですが、ここまでくるといささかやりすぎとの感も否めません。ただ、この展開は前作及び映画版の最大の疑問点の一つ「どうして外宇宙まで逃げ出す必要があったのか?」を解消するためのものでした。すなわち、ゴジラの熱線が月や火星に届くことを恐れての計画だったそうです。だからって外宇宙まで逃げる必要があるのか疑問がありますが。

 それから「オキシジェンデストロイヤー」が妙な形で出てきます。それは「メカゴジラが起動しなかったことにより人類が絶望するのを防ぐため、ある科学者が流した嘘」と言う形でした。まあ、ストーリーに過度な影響を与えない巧妙なやり方ではありますね。
 
 本作品ではオラティオ号、アラトラム号が旅立った後の物語も少し入っており、アキラはそれをデータとして残しています。そう、彼と妻のハルカ(ハルオの両親)は生きていたのです。ハルオはこの事実を知った時どう行動するのか?一つ映画の興味が増えました。
 その後の地球では「手段を問わずゴジラを倒せ」と叫ぶ「総攻撃派」という勢力がクーデターで実権を握り、ひたすらゴジラに核攻撃を加えて多数の死者を出していきました。総攻撃派は行方不明になっていた轟天号とそのクルーによって倒されますが、もう人類社会はズタズタです。残された都市もゴジラに次々と殲滅され、地球連合最後の拠点にもゴジラが迫ります。残された大人たちはせめて子ども達だけでも逃がそうとします。さんざん子どもを捨て石にしていたことを考えるとやっと社会が正気に戻ったことが示されます。
 人類絶体絶命の状況でようやくモスラが登場。モスラはゴジラを撃退しますが、息の根を止めることはできず、再度の勝利を得る余力もありません。そこでモスラと共に生きてきた怪獣共生派(コスモス)と地球連合の生き残りはモスラの卵を子ども達と共に地球の裏側の日本に送り、新たなモスラの誕生に未来をかけるという選択をします。そして、大人たちは時間を稼ぐためにモスラとともに出撃していくというところで本作はおしまいです。これでなんでモスラの卵が日本にあるのかという説明はつきました。映画への関心を高める効果はあったでしょう。

 本作品は一つのSF小説としてはなかなか面白いと思います(正直、映画より面白い)。いろいろと不満もありますが、一読する価値はありました(値段もそう高くないし)。

 今後の展開ですが、唯一登場していないメジャー怪獣がいます。そうキングギドラです。ここまで影も形もないと、映画版の完結編で出てくる可能性は極めて高いでしょう。というより、キングギドラを共通の敵にしないと話のまとめようがない気もします。

 なお、誤植が少々気になりました(2刷以降は訂正される可能性があるが)。前作ではアマゾン川とナイル川を間違えるという信じられないミスがありましたが、本作品でもグレートウォール作戦(ヒマラヤ山脈を2千発の核弾頭で崩壊させゴジラを足止めする作戦)の際に、使用される核弾頭を「戦術核」と表記している部分と、「戦略核」と表記している部分があり困惑しました(威力が100倍以上違ってくる)。もう少し慎重に校閲を行ってほしいですね。

Re: 『ゴジラ プロジェクト・メカゴジラ』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/01 (Tue) 18:24:36

 非常に丁寧な紹介、解説に大感謝です。
よーし、読んでみるか~。
(子供を大事にするのか否か、というあたり、ゴジラ映画の作り方と対比させていたり、は、しないか・・・)

G2戦略!? - なんじぇい (?)

2018/04/19 (Thu) 13:56:26

「ゴジラで稼ぐ」東宝のG2戦略
http://www.data-max.co.jp/300418_dm1857/

>確実に中期経営目標を達成するために、突破(ブレイクスルー)戦略の1つとして“G2”戦略を掲げる。
>G2戦略とは、“G”ODZILLA(ゴジラ)を軸としたキャラクタービジネスの強化、日本の企画商品の“G”lobal(海外)展開の本格化の頭文字をとったもの。


海軍大臣様がおっしゃった通り、東宝のゴジラ推しは本気であることが明らかになりました。
なんとゴジラを軸とした売り上げ戦略を立てるのだとか。
さらに記事を読むとゴジラのグローバル化を目論んでいるようです。
もしかしたらアニメゴジラの容姿がギャレスゴジラに似ていたのも、ゴジラのグローバル戦略の一環だったのかもしれません。(結果は全然でしたが)

ゴジラをグローバル化させるため、また新たな外国人のゴジラファンを獲得するために必要なものはなんなのでしょう?
私にはトンと見当がつきません。



ただ1つだけ申し上げておくと、『シン・ゴジラ』を世界的に推していくのはやめたほうが良いんじゃないか、と書いておきます。
これは映画の出来云々の話でなくグローバル化に向けた商売としての話で、前にここでも話題に上がった通り、『シン・ゴジラ』は国内ではヒットしたものの、海外では相当にコケてしまっています。
外国人にとって『シン・ゴジラ』は受けなかったというのはどうしても否定しがたい事実です。
『シン・ゴジラ』は売れた日本国内ではプッシュしたほうがいいのかもしれませんが、売れなかった国外で無理にプッシュをする必要は私には感じられません。
そのようなことをするよりは、世界に通用するようにした新作のゴジラ映画を作ったほうがよほど有意義でしょう。

『シン・ゴジラ』の続編を作るような場当たり的なことはしない、と大田圭二氏が語っていたので、この点はほぼ安心しているのですが、一応書かせて貰いました。


じゃあ海外ファンの獲得、ゴジラのグローバル化をするためにどうしたら良いのかに関しては……情けない話ですが私にはまったく思いつきませんでした。

最後になりましたが、ギドラ様の前スレッドの話には全面的に賛成です。
しかしゴジラのグローバル化に関してはまた別個にスレッドを立てたほうが良いのではないかと思い、立てさせていただきました。

Re: G2戦略!? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/20 (Fri) 18:27:32

 うーむ、商売の話は不得意分野なのであまり気の利いたことも思いつきませんが、
ゴジラというのが国際的に知られた怪獣であることは疑いようのない事実です。
(ハリウッドが映画化権を買ったことが十分な証拠でしょう)

 ということは、ゴジラはすでにグローバルなブランドであることを意味します。

 問題は、これから日本発信で世界にゴジラをどうやって売り込んでいくかということなのでしょう。
映画作品としてのゴジラをレジェンダリーに任せっきりにはしないで欲しいですね。
日本のゴジラ映画も世界に向けて作って欲しいところです。

 海外でのゴジラ認知に関するデータを持ち合わせていないので具体的にどうこうとは申せませんが、
映画を作るなら、基本的なところで客の期待を裏切ってはいけないはずです。

 ゴジラに格別に入れ込んでいるわけではないお客さんも納得できる作品作りを目指すのが肝要ではないでしょうか。

 こんなことを言うと、マニア向けでないのなら過去のゴジラを無視しても良いじゃないかと考える人が出てきそうですが、
いやいや、ちょっと待って。
 国際的に有名な怪獣ということは、世界の多くの人がゴジラを知っているということでありまして、
つまりは過去のゴジラを知っているということになるのです。

 それを裏切るべきではない。(エメリッヒ版が不評だったのはゴジラのイメージを壊したからでしょう?)
ギャレス版がまずまず好評だったのは、多くの人がイメージするゴジラ映画に近いものだったからでしょう。
(簡単に言えば、怪獣対決ものだった)

 では日本のゴジラとして何をやるべきか。

 レジェンダリーとは違う、真正ゴジラを世界に見せてやることでしょう。

 で、私としては世界向けとか日本向けとか関係なく、正しいゴジラ映画を作るべし、という結論になります。
しかし、注意しなければならないのは、ヲタクしか理解できないような過去の技術再現だの過去作からの引用だのを売り物にしないこと!
現代の技術を駆使し現代的なテーマを扱い、そこに大衆がよく知っているまさに日本のゴジラを登場させるべきでしょう。
 シリーズの組み立てに関しては先述の通りです。

(というのはあくまでも映画作品の作り方の話で、グッズ展開だの宣伝戦略だのはよくわかりません)

アニメゴジラ予告編 - なんじぇい (?)

2018/04/24 (Tue) 21:47:12

なるほどです。完璧に納得できました。
アニメゴジラが日本でも世界でも鳴かず飛ばずで受けなかったのも、ギドラ様がおっしゃる「日本のゴジラ」とはデザインも設定も違っていたからなのかもしれませんね。

そんなアニメゴジラの第2作目の予告編が公開されましたが……相変わらず主人公が復讐心に囚われた、全く共感できない思考をしているようで早くもげんなりしています。
https://youtu.be/_-SeQD22Csc

まあ、ゴジラ・アースの活躍とハルオの改心に期待といったところでしょうか。

Re: G2戦略!? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/26 (Thu) 19:29:41

 おっと、もう5月の足音が近づいて来ました。
アニメゴジラ第二弾の公開が迫っているってわけですね。

 一作目についてはあまり掘り下げた話もしなかったように思いますが、
まあ、ストーリーが完結していないので仕方ないところだったかも。
 二作目でもまだ終わりではないので、やっぱり結論は出せず、か・・。
予告編を見る限り、ひょっとするとメカゴジラなるものに文明批判を込めるのかも、と予測したりしてます。

 そんな中、アニメゴジラと同日公開の『ランペイジ巨獣大乱闘』のほうがよほど怪獣映画になっているんじゃないのか?
と気になります。(B級感がすごいけど)
http://wwws.warnerbros.co.jp/rampagemovie/

かぐや姫や~い 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/13 (Fri) 18:50:50

 いやー、違ってました。
「快獣ブースカ」第四話‘ブースカ月へ行く’に使われたかぐや姫の歌は映画『かぐや姫』とは関係なかったようです。

「快獣ブースカ」を見直したところ、オープニングに挿入曲のテータがありまして、
作詞 加藤省吾、作曲 海沼実の「かぐや姫」とのことでした。
 ブースカ以外で聞いたことが無かったもので、ひょっとして??と思ったのですが、ネットサーチしてみましたところ、
戦後の作品だったようです。
 それから昭和10年の『かぐや姫』は音楽担当が宮城道雄だったようなので、まあ、関係なかったということですね。

 それでも、映画『かぐや姫』の劇中曲はレコード化されていたようでyoutubeで聞くことが出来ました。
https://www.youtube.com/watch?v=8VYOsbpCBlo

 渋い!渋すぎる曲だぜっ!

Re: かぐや姫や~い - ルー等級つつ大臣 (男性)

2018/04/13 (Fri) 19:10:53

こっちも随分ご無沙汰になってしまったざます。
ミーも早速YouTubeで確認したざますけれど実に渋い曲ざますねぇ。
これがあの円谷英二のかぐや姫の曲だったとは感慨無量ざます。
本当に国内でフィルムが存在してないのでしょうか?
ちょっと気になるざますねぇ・・・

Re: かぐや姫や~い - 海軍大臣 (男性)

2018/04/13 (Fri) 23:15:59

 この映画は製作当初から海外へ売ることを狙っていたようですね。美術とメイクに日本画の大家を起用しているのも、そうした理由らしいのですが、公開当時の評論では、逆にその部分が出しゃばり過ぎていて宜しくない、とか書かれていました。
 映画の内容も全くの新解釈によるもので、普通の人間であるかぐや姫が、嫌な貴族たちの求婚から逃れるために月食に紛れて都を落ち延びるとかいう話だと聞いています。
 しかし前後して同じJOで作られた【百万人の合唱】がフィルムセンターに残っているのに【かぐや姫】のプリントが無いのは納得のいかない話だと思います。

Re: 追記 - 海軍大臣 (男性)

2018/04/13 (Fri) 23:40:52

 前回ちょっと触れましたが、浅野詠子さんの次回作は、美術ルポ『河内大東にモダニズムの異才がいた~彫刻家孟府』(仮題、本の帯=ゴジラ造形者も弟子だった…)だそうです。
早く読みたいなあ。

Re: かぐや姫や~い 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/16 (Mon) 18:45:16

『かぐや姫』、そんなストーリーだったのか!
 市川崑の『竹取物語』は変にSF側へ引っ張ってしまってどうにもモヤモヤした作品でしたが、
さて昭和10年『かぐや姫』は現実的な解釈を行ったということなんですね。

 うーん、ひょっとすると円谷英二はもっとファンタジックにしたくて、リメイクの野望を持っていたのかもしれないなんて、妄想してしまいます。
 ファンタジー映画での円谷特撮映像のキレっぷりはSFや戦争映画での物理法則重視のものとは別次元の美しさがありますから、やっぱり円谷英二のかぐや姫を見たかったですね。
と言いつつ、『かぐや姫』ではどんな映像を作ったのかにも興味津々。
本人が「破天荒なトリック」と言っているのはどんなものだったのか、ああ、ロンドンでもどこでも残っていないのかなぁ。

 利光貞三さんの師匠の本には『かぐや姫』の話は出てくるんでしょうか・・。

Re: かぐや姫や~い - 海軍大臣 (男性)

2018/04/16 (Mon) 23:33:58

>うーん、ひょっとすると円谷英二はもっとファンタジッ クにしたくて、リメイクの野望を持っていたのかもしれ ないなんて、妄想してしまいます。

 とのご意見には私も同感です。
 出典が曖昧なのですが、確か晩年の円谷さんが【かぐや姫】を再映画化する際には、生まれたばかりの小人サイズのかぐや姫が御爺さんの肩に乗って毬つきをする場面を特撮で描きたい、などと云っていた記事を読んだ記憶があります。加えて【地球防衛軍】と同じ時期の東宝のラインナップに八千草薫の主演で【なよたけ】(竹取物語をベースにした戯曲)の映画化が発表されていたことから思いついたのですが、この直前に円谷さんが手掛けた【白夫人の妖恋】って、実は【かぐや姫】を総天然色映画でリメイクするための、一種のテストを兼ねていたんじゃないのでしょうか?
【白夫人の妖恋】でも山口淑子が左卜全の神通力で小人サイズに縮められたりしていますし、仄聞したところ原典の白蛇伝では、クライマックスには大洪水は出てこず、また最後に白蛇の精が土中に封印されてめでたしめでたしとなるので、夫婦揃っての昇天シーンも無いとのことです。つまり、【白夫人の妖恋】の特撮場面のシークエンスはすべて「竹取物語」の見せ場に対応していることになるのです。
 ですから東宝創立25周年記念あたりでこの【かぐや姫】が作られていた可能性のあった訳で、流産に終わってしまったのが、まことに残念でなりません。(その後、30周年記念の時にも話が出たとか出なかったとか聞きますが…)また、

>利光貞三さんの師匠の本には『かぐや姫』の話は出てく るんでしょうか・・。

 とのご質問ですが、筆者の浅野詠子さんは相当細かく調査されているようなので期待大です。
 ただ、やはりお弟子に当たる利光貞三さんに関する情報が余りにも少なくて苦労されているとのお手紙を頂戴しました。偶々私の古い友人が一緒に仕事をされていた方が。むかし利光さんの下で働いていたことがあるとのことなので、何とかお話を伺えないかと苦心しているところでもあります。

Re: かぐや姫や~い 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/18 (Wed) 18:55:29

 ああ、そんなお話を聞くと、あり得たかも知れない作品に思いが至り、胸が苦しくなりますね。

 円谷監督は思い通りの作品を一本でも作ることが出来たのでしょうか・・。
 日本映画の製作体制の中で、才能を完全に出し切った作品はあったのでしょうか。

 円谷英二に十分な時間と予算を与えたら一体どんな映画を作っただろうと夢想します。
円谷監督が果たせなかった夢を引き継いでくれる才能は現れないのでしょうか。
 せめてゴジラぐらいはそれを意識した作品作りをして欲しいものです。
(ストーリー面は別にして映像クオリティを考えると、円谷監督がゴジラを完全にやりきったと言える作品はないと見ています)

 おっと話がそれてしまいました。
浅野詠子さんの著書で『かぐや姫』に関するなんらかの情報が明らかになるといいですね。
もういっそフィルムが出てくれば良いのに・・。『海軍爆撃隊』のように短縮版の発掘でも構いませんから。

『レディ・プレイヤー1』他 - エクセルシオール (男性)

2018/04/13 (Fri) 21:56:40

 もうすぐ公開されるスピルバーグ監督の映画『レディ・プレイヤー1』。仮想現実の世界で世界の命運と巨万の富をかけた冒険が繰り広げられるという映画ですが、様々な有名キャラがカメオ出演していることが話題になっています(例えば公式の予告編ではガンダム(初代)、キングコングなどの姿が確認できる)。
 そして、驚いたことに日本の怪獣からガイガンとメカゴジラ(ただし3式機龍)が出ているのだとか。どうしてゴジラやキングギドラではなかったのかとも思いますが、どこに登場しているのか少々興味深く思っています。
 ただし、これはウィキペディアに上がっている情報であり、出典がはっきりしないため正直どこまで信用できるかは不明です(現在日本で放送中のアニメのキャラクターなどが含まれていたこともあり、今では削除されている)。でも本当であればうれしいですね(特にガイガン。メカゴジラはオリジナルのものの方がよかったが)。

 なお、この映画の原作ではウルトラマンが出ていたそうですが、例のウルトラマン国際権利紛争の余波で映画での登場は断念せざるをえなかったそうです。さっさと和解しておけばこんな結果にはならなかったでしょう(この問題はどちらかが100%正しいことはない)。

 それから、もう一つ。アニメ版ゴジラに関してですが、また前日譚小説が4月末に出版されるそうです。タイトルは『プロジェクト・メカゴジラ』。メカゴジラの建造と起動失敗までが描かれるのだとか。一応読んでみようと思います。

 

 

Re: 『レディ・プレイヤー1』他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/16 (Mon) 18:22:20

『レディ・プレイヤー1』、映画館まで足を運ぶかどうか、ひじょーに迷っています。
 奥深いものになっているのか、派手なだけの薄いものなのか・・・。なんとも判断できません。
 スピルバーグは優秀な演出家だと思っていますが、ときどき変な物を作っちゃいますから・・・。

 公開後の批評などを参考にして考えようかなぁ、と弱気。

 それは、アニメゴジラの書籍第二弾も同じ思いでありまして、エクセルシオールさんの感想待ちってことで保留しちゃおうかな。

(アベンジャーズの新作も方針保留状態。マーベル映画への期待感は下がる一方なもので)

ゴジラのユーモラスさの回復のために(エクセルシオールさん)を受けて 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/09 (Mon) 19:05:47

新スレッド立てます。

 私もチャンピオン祭り時代のゴジラシリーズを見直すことは大事だと思います。

 製作体制(予算の問題も含む)の変化で、決して出来が良いとは言えない作品群ではあったかもしれません。
けれども、ゴジラ(怪獣)が持っていた魅力の大事な部分を強調して子供達に夢を与えることに成功したシリーズではあったでしょう。

 子供が怪獣を好きだったのは、その大きさ、強さに憧れるからでしょう。怖いから好きなのではなくて、怖いけれど好き、というのが怪獣好きの子供たちだったのではないでしょうか。
そんな怪獣が攻撃の対象ではなく、益獣として働いてくれるなら、それはそれで歓迎できるストーリーだったでしょう。

(これを先に実現していたのはガメラだった。大人達に警戒されているガメラも子供には優しく、子供とは心が通じる・・)

 ただ、『対ヘドラ』以降のゴジラは、わかりやすい善玉として演出されすぎたのだろうと思っています。
『対ヘドラ』のときにはまだ人間を批判するような態度も見せたゴジラでしたが、その後どんどん人間にとって都合の良い怪獣になっていきます。
『対メガロ』になると、シートピアの立場のほうが地上人より正当かもしれないのに、ゴジラは地上人の味方をしてしまう・・・。
 子供受けを狙ったポップな演出にも行き過ぎがあったかもしれません。

 そんな行き過ぎに陥らないように注意すれば、悪玉怪獣を懲らしめるゴジラ、というのがあってもいいはずです。
(『三大怪獣地球最大の決戦』での怪獣バトルの構図を参考にすると良いでしょう。ゴジラは決して人間のためとか地球のために戦うことに同意はしていない)

 私自身、『ゴジラ対メガロ』の公開時、ゴジラのあからさまなヒーローっぷりにあきれ、映画全体のスケール感のなさにも幻滅、一度ゴジラ映画に愛想を尽かしました。
似たようながっかり感を味わった人は他にもいたのでしょう。
 その後、特撮誌などでヒーローゴジラを極端に否定する言論が出てきます。

 ひどかったのは、ゴジラは悪役だからいいのだ、という説がまかり通ってしまったこと。そして『三大怪獣~』はゴジラを正義の味方に転身させたダメ映画だという説まで。
そんな流れの中で、1990年代以降、ゴジラ退治ストーリーが蔓延していきました。

 もう一度基本に立ち返りましょう。

 ゴジラ映画はゴジラが倒されるのがおもしろいのですか?
 ゴジラ映画に見いだす楽しみはなんですか?

 そして、ゴジラ以外の怪獣たちもスターであったことを思いだそう!
ラドンやモスラは単独主演でデビューしているので、最初からスターだったということになりますが、
では、キングギドラ単体映画が必要かどうかは議論の余地ありだし、私としても是非ものとは思っていません。(作れと言われれば、ストーリーを案出できると思いますが・・)
 ゴジラと共演しつつ、かつスター怪獣であった者たちがいたことも大事です。

 スター性をどうやって作るかというのは難しい問題ではあります。いくら劇中で重要な役割を与えても観客にとって魅力が無ければスターにはならないでしょう。
それでも、元祖ゴジラシリーズで大事にされていた怪獣がどのように扱われていたかはわかります。
 ゴジラと戦っても殺されなかった怪獣は誰でしょう?(『怪獣総進撃』でのキングギドラはちょっと別枠になります)

 スターは死なせないのがセオリーでしょう。

 1989年以降のゴジラ映画ではどうですか? ゴジラ以外の怪獣達はとにかく殺されてしまいますよね。ゴジラ以外の怪獣にはスター性を見いだしていなかったことがうかがえます。
(キングギドラやラドンの哀れな変貌っぷり・・。メガギラスはちょっとおもしろい怪獣だったのに、やっぱり殺されてしまう。
また、ゴジラから派生した怪獣が多いのも、ゴジラのみをスター扱いしていた証拠であろう)

 そして、怪獣にも仲間意識があることを!
 ゴジラとモスラはそんなに仲良しではないけれど因縁浅からぬ旧知の仲、ラドンとは喧嘩もしたが互いにわかり合っている様子、アンギラスはゴジラの舎弟みたいな・・・。

『FINAL WARS』にはやたらにたくさん怪獣が出てきましたが、その扱いは、ゴジラ・ミニラとそれ以外。ゴジラは目の前に出てくるヤツをただ倒すだけ。
(アニメゴジラの性格はここから来ているのか?)
 結局ゴジラは孤独でした。

 ゴジラをひとりぼっちにしなくてもいいじゃないですか。

Re: VSシリーズの影響を受けたものとしては - なんじぇい (?)

2018/04/10 (Tue) 01:53:01

ギドラ様の意見はよく分かります。特に「スターは死なせないのがセオリーだ」ということには完全に同意します。
ただVSゴジラ以降の影響を大きく受けた私からすれば、スターにさせる気がない新怪獣、またはカマキラスのような既存の怪獣でも明らかに格下のものは爆殺してしまった方がいいのではないか、とも感じてしまうのです。

心情論かもしれませんが、私は怪獣対決に関してはどちらかの完全決着を望む考えです。というのも、引き分けという結末だといまいち消化不良感が残ってしまうというものがありますし、敵怪獣を完全に倒すことで、その怪獣のスター性・怪獣としての強さ・完全決着などがより引き立つということが挙げられます。
また悪者として作り出された怪獣ならば、完全に殺すことで単純明快ですが『悪を滅ぼす』というスカッとした印象を観客に与えます(ここは『必殺仕事人』などに通じる発想だと思います)。
さらに毎回スター怪獣に対する敵怪獣が引き分けや逃げてばかりにするのは、観客に「VSシリーズのような派手な完全決着を見たい」というフラストレーションを与えてしまうのではないでしょうか(実は、私がそうでした)。


断っておきますが、キングギドラやモスラと言った既存のスター怪獣、または新規怪獣でもスターにしようというものは殺すべきだなどとは微塵も思っていません。むしろその逆で、既存の怪獣の原点の発想を壊すことは最もやってはいけない事なのは言うまでもないですし、新規怪獣でもスターにさせるには殺すべきではないでしょう。
しかし、既存の怪獣でも格下のもの、またはスターにさせる気がない新規怪獣は上記の理由で殺してしまった方がよいのではないか、ということです。


最後になりますが、ゴジラをひとりぼっちにするべきではない、という意見には大きく頷かせてもらいました。
ゴジラのユーモラスさに関しても全く同意です。
私としては、二代目ゴジラとVSゴジラの良い部分をミックスしたゴジラ映画が見たいものです。

Re: ゴジラのユーモラスさの回復のために(エクセルシオールさん)を受けて 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/13 (Fri) 18:48:37

 なんじぇいさんのお考えもわかりますよ。
レッチ島の大コンドル、なんてのもおりますし。

 私としては、これから新たなゴジラシリーズを展開するなら、ゴジラの対戦相手を死なせない作劇もありだということを作り手およびファンに思い出して頂ければいいです。
(観客、とくに子供達に対する心理効果だのいろいろ思いつくことはありますが、いまは深入りしません)

 で、ゴジラ(や他の怪獣)のユーモラスな面をどうやって出すのか、ということを少々考えてみました。
そして、そんなに難しく考えなくても、自然な動物の様子を描けばユーモラスな感じ、愛嬌は出てくるのだなと気がつきました。

 広い意味での親しみを感じさせる行動が描けていれば、ユーモラスに感じられるだろうということです。
それは、我々も共感できる感情表現やちょっとした失敗を織り込むことです。

 ラドンがビルの屋上に着地しようとしてよろける瞬間やテレビ塔の鉄骨に自分の尻尾が絡んでいることに気がつかず、そのままひっぱって倒れてきたテレビ塔に驚くゴジラ、
といった怪獣の失敗行動の描写や
ゴジラの熱線に驚いて目をぱちくりさせるキングコング、モスラの糸を吹き付けられたゴジラを見て喜ぶラドン(その逆も)という感情表現にもおかしみを感じるでしょう。

 怪獣を動物としてただそのまま描けば、巧まざるユーモアが生まれてくるのではないかと思った次第です。
それは怪獣をあくまでも一動物として捉えるやり方です。劇中ないし作品コンセプトとして怪獣の存在意義に人間に対するなんらかの役割や意味があるとするとただの動物ではなくなってしまいます。
怪獣にはあまり強く意味を持たせないほうがいいのではないでしょうか。
(作品テーマをストレートに反映させた怪獣、たとえばヘドラ、は特殊な事例と考えたほうがよさそうです)

新たなゴジラシリーズのコンセプトが公開されました - なんじぇい (?)

2018/03/28 (Wed) 14:34:14

『日経エンタテインメント!』の4月号のインタビューで行われた、東宝の映像本部映像事業担当兼同映像事業部長取締役、ゴジラオフィサーの大田圭二氏の発言なので、信憑性は極めて高いです。

『長期で通用する世界観にする』『ゴジラを日本を代表するキャラクターにする』とのこと。

・ゴジラやモスラ、キングギドラなどが1つの世界観を共有する「シェアード・ユニバース」構想があり、場合によってはモスラやキングギドラが主役の映画もあり得る
・モスラがフィーチャーされた年にはモスラを中心に商品化が動いたりする。
・ゴジラのテーマパークをロサンゼルスに作ってもいいかもしれない
・ゴジラの魅力は強さや脅威だけでなく、ユーモラスなところもあるから、もっと多様な側面があってもいいのでは、という考え方になった。そのように商品化も動く
・2021年以降も最低でも2年に1本、できれば1年に1本ゴジラ映画を製作する
・子供たちに刺さるような絵本やアニメも作っていきたい

等々が書かれています。
なお、シン・ゴジラがヒットしたからといって続編を作るような場当たり的なことはせず、長期的なシリーズにすることを強調していました。

読んでて思ったのですが、これギドラ様の意見を参考にしてないでしょうか。(シリーズ物とか、別の怪獣をフィーチャーした年を作るとか)
そしてキングギドラが主役の映画! 私は絶対に見たいですね。

Re: よし! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/28 (Wed) 19:10:22

 素晴らしい情報に感謝します。

 さあ、これからです。
では東宝怪獣世界をどのように構築するのがよいのか、意見を出し合って行きましょう。

 どこかで誰かが読んでくれています。

 まず一案としては、ちょっと前に提案した元祖ゴジラシリーズとvsゴジラシリーズを統合した世界でスタートするのはどうか、というアイディアでございます。

(キングギドラ主役の映画ならストーリー案が十個ぐらい思いつくかも・・)

Re: まずは - なんじぇい (?)

2018/03/28 (Wed) 20:16:14

まずは『日経エンタテインメント!』の4月号を読んでみてからの方がよいと思います。
というのも、東宝のゴジコンの方々が何を第一に考えてマーケティングを展開しているのか等が結構書かれているからです。
また私はあくまで情報の一部を伝えているため、実文を読んでみたらまた印象が変わるところがあるやもしれません。


>元祖ゴジラシリーズとvsゴジラシリーズを統合した世界でスタート
というのは私も賛成ですが、ストーリーががんじならめにならないか、また新規のファンが入っていきづらい環境になってしまわないか、という所に細心の注意が必要だと思います。
旧作を見ているマニア以外お断り、となってしまうのはなんとしても避けなくてはなりません。

またどうも文章を読む限りだと、また1からシリーズを仕切り直すような感じがあったり……

Re: 一足早いエイプリルフール? - 海軍大臣 (男性)

2018/03/28 (Wed) 23:49:18

 前回は真偽の程が不明だったので書きませんでしたが、東宝社内の「ゴジラ押し」には最近、ヴァイアスが掛っているみたいで、それまではナンバーで呼ばれていた社内のミーティングルーム(結構な部屋数がある様です)に、「ラドン・ルーム」だとか「バラゴン・ルーム」といった具合に、自社製怪獣の名前を冠して呼ぶことが決まったみたいです。
 もしかしたら、これも今回雑誌発表された動きと連動しているものなのでしょうか? 果たして、それで良かったのか、悪かったのか、田所博士みたいなセリフが出てきてしまいます。
 それと2021年以降に新作と云うことは、ハリウッド版との絡みもあるでしょうが、東京五輪の翌年になりますから、大任を果たされた何丁目だかの監督が、やはり撮ることになるのでしょうかねえ? ちょっと不安です。

Re: 新たなゴジラシリーズのコンセプトが公開されました 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/02 (Mon) 18:26:50

「日経エンタテインメント!」4月号の当該記事だけ読んでみました。

 おおむね想像通りのお話でした。
いろいろ思うこと、言いたいことはあるけれど、全体としては歓迎できるお話だったと思います。

 とくに、ゴジラの魅力としてユーモラスな面もあることを認めたこととゴジラ以外の怪獣たちにもスター性(主役作品を作るとはそういうことと解釈)を作りだそうと考えているところは
従来とは違う大転換であり、かつての元祖ゴジラシリーズに通じる発想です。

 このところ、VSシリーズの呪縛なのか、ゴジラに対してのイメージは第一に怖いことであり、悪ではないとしても厳めしさが必須のような時代が長く続いていました。
ギャジラにしてもその範疇に納まっていたでしょう。

 ゴジラから愛嬌が失われて幾星霜です。(『~2000ミレニアム』と『×メガギラス』の鈴木健二演出ゴジラにはわずかに愛嬌はあったのだが、続かなかった)
しかし田中友幸氏の名言と伝え聞く「ゴジラは怖いけど可愛い」の思想が復活したのは大変喜ばしいことです。

 また、『ゴジラ2000ミレニアム』公開後にネットチャットを使って、ファンと東宝スタッフが意見交換する機会がありました。
そのとき私が「ゴジラ以外の怪獣、たとえばラドンやキングギドラをスターとして売り出す考えはないのか?」と訊ねたところ、
当時の宣伝部の方は「モスラならイケるだろうが、あとの怪獣では無理だろう」とのお答えでした。

 あれから18年。やっと本来の東宝怪獣シリーズの空気感を取り戻そうとする動きが出てきたことは本当に嬉しいです。

 しかし、もちろん心配はあります。
「シェアード・ユニバース」構想が、ハリウッドのアメコミ映画やレジェンダリー版にヒントを得て考えついているような口ぶりだったのはいただけません。
もともとのゴジラシリーズをじっくり研究すれば気がつくことなのですから。

 ここでもう一度書いておきますと、怪獣映画シリーズで人間側のドラマまでもがっちりと繋いでしまうと、ストーリーのバリエーションを狭めることになるので避けた方がいいです。
繋げておくのは、怪獣が何をしたかと怪獣同士の関係性だけにとどめておくのが得策です。
 いま詳しくは述べませんが、『ゴジラ』から『怪獣総進撃』までの作品(ゴジラが登場しないものも含む)がどのように繋がり、あるいはどのように繋いでいないのか、を分析しましょう。

 それから大田圭二氏は商売としてのゴジラ運用を延々と語っていた印象でした。
それ自体は悪いことではありません。金にならなければ映画なんか作れませんから。
 グッズ展開もいいでしょう、スピンオフのアニメもいいでしょう。

 しかし、根幹たる映画作品のクオリティを第一に考えて欲しい。いまのウルトラシリーズみたいになってはいけない。

 それからこれもいま書いておきましょう。

 幅広い世代をターゲットにしたシリーズを目指すというお話でした。
 ならば、オールドファンを無視してはいけない。ストーリーをすべてリセットして新規シリーズにするのは得策ではありません。
元祖ゴジラもVSゴジラもさらにはミレニアムシリーズも(?)巻き込むような、懐の深い自由度の高いシリーズにすべきです。

 そのための設定とドラマ作りには細心の注意が必要ですが、出来ないことはありません。
これも元祖ゴジラシリーズに学べば可能なことです。

 二代目ゴジラのファンはもう50代から60代でしょう。vsゴジラでも30代から40代ぐらいでしょうか。
新シリーズがまったくの心機一転のものだと、よほどのマニアか若者・子供しか見に行かないでしょう。
 それが、二代目ゴジラの世界もvsゴジラの世界も包み込んでいるような世界なら、まさに三世代を巻き込んだシリーズになるはずです。

 どうかそれを目指して欲しいものです。

 そして、監督にはしっかりした力量のある人材を!(過去にヒット作があるとかじゃなくて! 映画のヒットは監督の力とは限りませんから)
その判断をするためには人事権を持っている人間に高度な映画審美眼が必要なのですが。

 と、まずはざっくり。
新シリーズに望むこと、思うことは今後もっと書くでしょう。
みなさんのご意見も求む。

ゴジラのユーモラスさの回復のために - エクセルシオール (男性)

2018/04/05 (Thu) 23:56:21

 ゴジラのユーモラスな側面を回復させるためには、昭和後期のゴジラ映画の再評価が不可欠だと思います。特に「ヒーローゴジラ」と言われていた東宝チャンピオン祭り時代のゴジラ映画をもう一度積極的に見直す必要があるのではないでしょうか。

 思えば、子ども達のアイドル、ヒーローとしてのゴジラは、ずいぶん長期にわたって批判や冷笑ばかり浴びせられてきました。特にチャンピオン祭り時代のゴジラを罵倒し、嘲笑し、糾弾することが真のゴジラファンの証のようにされてきた感があります。
 しかし、その結果、ゴジラはとにかく凶暴で人類の脅威でなくてはならず、それ以外の要素はゴジラを汚す害悪でしかないという、別方向に極端な風潮を生み出してしまいました。それが、ゴジラ映画を窮屈にしてしまった一因だと思います。

 私自身は強大でかっこいいVSシリーズのゴジラも好きですが、かつての愛嬌のある昭和後期のゴジラも嫌いではありません。当時の作品を観てみるとこれはこれで味がある作品が多いです。

 なお、ゴジラ以外の怪獣を主役にできるかですが、モスラはともかく、キングギドラはちょっと苦しいかもしれません。キングギドラはあくまでゴジラ達地球怪獣の宿敵として設定された怪獣であり、「最強最高の敵役」としてはともかく、主人公と言うのは少し違う気がします(例えばガイガンやメガロ、ヘドラやメカゴジラも名怪獣だが、主役にはなれまい)。
 仮にキングギドラ主役でもその敵役としてゴジラとその仲間は必須だと思います。そうすればギリギリ行けるかもしれません。

 最後に、個人的願いとして東宝にはアンギラスのことも忘れないでほしいですね。いろいろと冷遇されがちなので。もう一度ゴジラとタッグを組んで強敵と戦う姿を見てみたいです。

かぐや姫、倫敦に現わる? - 海軍大臣 (男性)

2018/04/04 (Wed) 23:30:33

 例によって戦前の特撮映画を文献で調べていたところ、ちょっと興味ある話題を見つけました。

 京都のJO時代に円谷英二が撮影した映画【かぐや姫】(昭和10年公開)は、竹内博さんによりますと、国内にはプリントが存在しない幻の作品になるそうです。
ところが、この【かぐや姫】は公開されて1年後の昭和11年秋に英語スーパー付きの再編集版が作られて、イギリスに輸出されているとのことらしいのです。現地で一般公開されたかまでは不明ですが、何でもロンドンのジャパン・ソサエティからの要望があったと聞きます。
 我が国とは違って、映画作品を文化財として実に大切に扱うヨーロッパのことですから、もしかしたらロンドンの街の何処かに幻のフィルムが眠っているなんてことが在りうるかも知れません。誰か奇特な人が探し出してくれないものか、なんて他力本願ながら祈っています。

 また、大戦下のドイツでは【ハワイ・マレー沖海戦】が【ハワイへの道】なる題名で公開されているそうです。同盟国だから当たり前の気もしますが、驚いたのは公開時期で、何と戦局もドン詰りの1944年6月といいますから、連合軍がノルマンディーに上陸した時期に当たります。そんな敗色濃厚な中、プリントを日本から如何やって運び込んだのか不思議でなりません。コトによると、フランケンシュタインの心臓よろしく、Uボートを使って運搬したんじゃないか?などという妄想まで湧いてきてしまいました。
 

Re: かぐや姫、倫敦に現わる? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/05 (Thu) 19:24:51

 嗚呼、ロンドンで見つかるといいですね!(誰か捜して!!)
『かぐや姫』は円谷監督にとってもこだわりがある作品だったはずで、「ウルトラQのおやじ」でも思い出話を語ってますし、
終生の企画として再映画化を望んでいたというのは有名な話ですが、相当本気だったのだと思います。

 うしおそうじさんの著書「夢は大空を駆けめぐる」に一枚だけメイキング写真が載っていますが、
なかなか精巧なミニチュアを使っていたように見えます。
 それから、「快獣ブースカ」でブースカがかぐや姫に憧れちゃうエピソードで使われるかぐや姫の歌って、もとは『かぐや姫』で使われたものじゃないの?なんて疑っているのですが・・。

 しかし、V2ロケットの空襲で失われていたら万事休す(泣)

 ドイツで上映された『ハワイ・マレー沖海戦』にも興味津々。

 あとは『燃ゆる大空』や『海軍爆撃隊』の全長版も誰か捜して!
(ロシアが怪しいと睨んでいる・・。満州から映画フィルムを持ち出してないか?『姿三四郎』のロングバージョンはロシアで見つかったらしいし。ん?前にも同じ事を書いた覚えあり)

Re: かぐや姫、倫敦に現わる? - 海軍大臣 (男性)

2018/04/05 (Thu) 23:34:46

>それから、「快獣ブースカ」でブースカがかぐや姫に憧れ ちゃうエピソードで使われるかぐや姫の歌って、もとは『かぐや姫』で使われたものじゃないの?なんて疑っている のですが・・。

 については盲点でした。確かに検証の必要があると思います。
【かぐや姫】はストーリーや撮影エピソードについても、竹内博さんが『宇宙船』の連載コラムの中で書き残されている程度のことしか判っておらず、私としても大変関心のある作品です。
 つい何年か前に、この作品の特撮パートを担当した政岡憲三の研究本が刊行されたので飛びついて買ったのですが、やはり初期のアニメーション作品の話が中心で、【かぐや姫】には殆ど触れておりませんでした。
 また関西在住の某女性ライターが、この作品のダイナメーション用モデルを製作した浅野孟府(あの利光貞三さんの師匠です)の研究書を執筆しているとの話を聞いたのですが、その後どうなったものか…。

 それと余談になりますが、【新しき土】を撮ったA.ファンク監督は来日直後、日本映画のレベルを確認するために当時の代表的な作品を何本か観ているのですが、そのとき試写された作品の中に、円谷英二の【小唄礫・鳥追お市】も選ばれています。この作品は撮影技術が優れているとされていますから、もしかしたらファンクもその点を評価して円谷を日本側スタッフに加えたのでしょうか? これも気になるところです。

ゴジラのイメージってなんだろう - なんじぇい (?)

2018/03/20 (Tue) 00:57:53

今から書くことは、とても衝撃的なことかもしれません。しかし、とても恐ろしいことでもあります。

私は良く匿名掲示板でゴジラの話をするのですが、どうやらゴジラは元から水爆の影響で変異した存在だという印象を殆どの人が思っているようなのです。
殆どというのは誇張でもなんでもありません。本当に殆どなのです。
その時は最初のものは違うんだよと言って訂正するのですが、あまりに多すぎて悲しくなってきます。

もっと恐ろしいものだと、ミレニアムシリーズや『シン・ゴジラ』の影響か『ゴジラはそれぞれの映画によって千変万化するもの』というイメージを多くの人が抱いているようなのです。(これは4割~5割くらいでしょうか)
そして、その自由度の高さとバリエーションの多さが魅力だと思っている人もまた多かったのです。
そのお陰か、最近はエメリッヒゴジラも再評価されつつあります。


エクセルシオール様の文章でも触れられていましたが、私は『ゴジラには確立されたイメージがある。それを崩してはならない』と考えていました。
しかし、ゴジラは水爆で変異した存在だということが既に今のゴジラでは確立したイメージになってしまっています。
そして、遂にゴジラは1作ごとに設定がころころ変わる存在、というイメージが付着しようとしています。

私はこれを書いている最中、日本語の「ら抜き言葉」を思い出してしまいました。
最初は専門家に日本語の乱れだ、ダメだ、と言われていたら抜き言葉が、皆が使ってしまったがためにいつの間にか黙認されてしまおうとしています。
実は日本語はこういうパターンがかなり多いのです(例えば「うがった見方」など)。

改めてゴジラの話に戻ると、まだ前者の場合は単なる勘違いなのでその都度訂正してしまえば済む話です。
しかし後者はどうでしょうか。
ゴジラが千変万化する自由度の高いもの、というイメージを皆に持たれてしまったら、それを訂正すること、指摘し理解させることは不可能になってしまうかもしれません。
今までにもいった通り、それが確立したイメージになってしまうからです。

何とかしてこの流れを止めるべきだと焦っているのですが、あいにく何も思い付きません。
ただ彼らを説得する方法を思い付かない限り、ゴジラとは作品ごとに設定をいじり倒してもいいというイメージが皆の間についてしまい(既に半数いるのです)、もう取り返しがつかないことになってしまうということは言えると思います。

追記。 - なんじぇい (?)

2018/03/20 (Tue) 10:00:43

特に説得が難しいと感じているのは、ミレニアムシリーズやギャレスゴジラ、シンゴジラ辺りから入った、ゴジラのバリエーションを楽しんでいる人たちのことです。
その人達からすればゴジラがころころ変わるのは当たり前で、また『今度はどんなゴジラなんだろう。わくわく』といった感じで楽しんでいる節があります。
また、ゴジラはその自由度の高さが最大の魅力だと力説している人たちも何人もいました。

これが多数派になりつつある今となっては、『ゴジラのイメージを壊してはいけない』という論法は全く通用しなくなっています。
またそれらの作品に愛着があるのでしょうが、元々のゴジラはこうなんだよ、と諭しても『言いたいことはわかるが、自分はミレニアムシリーズやシンゴジラなどのゴジラのバリエーションを楽しんできたからあまり受け入れられない』
『気持ちはわかるが30年遅すぎる。それならば放射能を食べたりゴジラザウルス云々の改変をしたVSシリーズの際にもっと強く言うべきだった(これは私も少し思ったりします。その時私は生まれてないのですが)』と言われてしまいます。

既にゴジラは放射能を食い、水爆で変異した生物というイメージになってしまっています。
ミレニアムシリーズやシン・ゴジラから入った人達をうまく説得する方法を見付けない限り、今までの日本語やゴジラの傾向などから考えても、ゴジラが作品によって千変万化するものというイメージが皆の間に根付いてしまうのはもう時間の問題だと考えています。

Re: ゴジラのイメージってなんだろう 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/21 (Wed) 17:56:13

 私はそんなに悲観していません。
ちょっと前までは、テレビ雑誌などのマスメディアがゴジラを紹介するとき、「核実験の放射線で恐竜(古生物)が変異したもの」と表現することがほとんどでした。(100%と言って良いぐらい)
 しかし近年は正しい設定を紹介することのほうが多くなってきました。なぜかはわかりませんが、ネット言論の影響は無視できないように思います。

 ゴジラをころころ変えてはいけない、という論を理解できない人がいるのは仕方ありません。彼らは物事の本質を考えるより、すでにある状況を肯定してそれを説明することしか考えていないのです。そんな人を責めるのも難しいことです。なにしろ話題は映画の話であり、お客さんでしかない人が作品の本質論まで考える義務はないのです。

 問題は作り手です。以前黒澤明の言葉として「観客を育てるのは作り手の役目だ」と書きました。創作する頭がない人が作品のあり方を考えるときには、すでにある物を材料にするしかありません。よりよいものを見れば、審美眼も向上します。

 ネット言論にも影響力はあるだろうと見ています。作り手の意識になにかの影響を与えられれば、事態は好転する可能性があるだろうと考えています。
(『ゴジラFINAL WARS』は惜しい作品でした。製作発表では、プロデューサーが「人間の限界を描く作品にする」というようなことをおっしゃっていて、怪獣が人間の上を行くストーリーになることを示唆していました。富山省吾さんはネット言論に目を光らせていた方でした。
しかし、実際は誰の差し金か怪獣を理解しない監督に担当させたために真逆のストーリーになってしまった)

 1984年やVSシリーズの頃、ファンが何もしていなかったわけではありません。
しかし、あの頃はインターネットが無かったのですよ。やれることにも限界がありました。
さらにはゴジラのあり方をころころ変えるなどという事態を予測できた人はいなかったでしょう。
 ゴジラの設定を変えることに異議を唱えた人はいましたし、私自身だって東宝に直接手紙で意見具申したり雑誌に投稿などしていました。意見を聞き入れてもらえたな、と思うこともありました。
 しかし、最終的には作り手が何をやるか、に帰結してしまうのです。

 私にも反省はあります。VSシリーズの頃、今と同様の認識を持ち得ていたかというと心許ないですし、さらにその頃はもっとソフトな態度で臨んでいましたから、思うことすべてを叩きつけることもしていませんでした。
 本格的に本心そのもので書き始めたのはGMK批評のときからです。
 怪獣ゴジラの設定を守ることの大事さを強く訴え始めたのもそのときからでしょう。
 それでもそんなに遅くはなかったと思っています。なぜなら、それ以前のゴジラは初代・二代目の設定か、84および『vsキングギドラ』での設定の二種類しかいなかったからです。

 アメリカのものまで含めるとゴジラの種類は増えてしまいますが、歴史的に考えてゴジラが作品毎にころころ変わったという事実はありませんでした。(ストーリーリセットはまた別の問題)
 問題は『シン・ゴジラ』以後なんです。製作サイドがゴジラについて真剣に考えているのなら、まだ間に合うと考えています。

 日本の理性は死んでいないと期待します。

Re: 1975年春の記憶 - 海軍大臣 (男性)

2018/03/21 (Wed) 18:44:37

 84年の復活以降、基本設定に於けるゴジラの迷走振りは全て作り手側に責任があると感じています。
 そこで思い起こされるのが、第二次怪獣ブームが終焉し、TVのウルトラシリーズが終わりを告げた1975年春のことです。
 【ウルトラマンレオ】が最終回を迎えた日の毎日新聞の夕刊に、このことを評して、
「子供に大人気のオモチャがあった。そのオモチャを大人たちがイジリ廻し、結果としてオモチャが壊れたのだ」
 との大意の文章が掲載されたのを子供心に覚えています。(確か、その記事は後年になって刊行されたムック本にも採録された筈です)
 ギドラ様の云われる通り、これから先が日本のゴジラにとっての踏ん張り時なのだと思います。一ファンとしては、大人たちが大事なオモチャを壊さないことを唯々願うばかりでいます。

すみませんでした - なんじぇい (?)

2018/03/21 (Wed) 22:50:16

>ちょっと前までは、テレビ雑誌などのマスメディアがゴジラを紹介するとき、「核実験の放射線で恐竜(古生物)が変異したもの」と表現することがほとんどでした。
これは全く知りませんでした。そう考えたら、ネットの言論も捨てたものではありませんね。
なんだか少し希望が出てきたような気がします。


私はお詫びをしなくてはなりません。ギドラ様が平成VSシリーズの頃から、そのような活動をしていたとは知りませんでした。
また私の考えが変わったのも、ギドラ様の親切で丁寧な説明があってこそでした。(それまでは『シン・ゴジラ』を大絶賛していました。意見が変わった切っ掛けはあの転載された『シン・ゴジラ絶賛という蒙昧を斬る』でした)
それなのにそれを棚に上げて
>VSシリーズの際にもっと強く言うべきだった(これは私も少し思ったりします
などと書いてしまい後悔してもしきれません。本当に申し訳ございませんでした。


Re: ゴジラのイメージってなんだろう 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/23 (Fri) 18:18:13

>海軍大臣さん

 私がそれほど悲観していないのは事実ですが、それほど楽観もしていなかったりします。
(「レオ」最終回時にそんな記事が出ていたことは知りませんでした。ウルトラに距離を置きすぎだったなぁ)

 商業映画は稼げなければおしまいではありますが、同時に表現作品でもあります。
ゴジラをコントロールしている人々に表現者としての自覚があることを祈ります。
そして、監督だったり脚本だったり、作品の中身を担当する人には、ゴジラ(だけでなくその他の既存創作物)は自分が作ったものではなく、
先人の遺産を借りているだけだという事実を重く受け止めて欲しいものです。

>なんじぇいさん

 私が何をしていたかはほんの一例でしかないです。
私以上に熱心にゴジラファン活動をしていた方々はたくさんいるはずです。
そんな何十年もの積み重ねの中にあるのがゴジラであることをわかっていただければ幸いです。

 ネットの言論もこのごろではすっかり殺伐としてしまった感がありますが、それでも何かを表明することでどこかの誰かに伝わる可能性はありますし、
ゴジラに関わっている人ならネットの意見も捜してみるぐらいのことはやっているでしょう。
 どの意見を拾うのかは作り手任せになってしまいますが、なんでもかんでも肯定するばかりのイエスマンだけを尊重する態度でないことを祈りましょう。

>ゴジコンの皆さんへ(誰なんでしょうね)

 次々と別のゴジラを送り出してもゴジラ人気は上がりませんよ。ファンが分裂するだけです。
いまみなさんがやっていることは、ゴジラに人気があるからと、『空の大怪獣ゴジラ』、宇宙人が持ってきたロボット怪獣ゴジラ、『東洋の神秘大怪獣ゴジラ』、インファント島の守り神ゴジラ、
という塩梅にゴジラのバリエーションを増やそうとしているように見えます。

 私が言いたいことが分かりますよね?

ゴジラのイメージがコロコロ変わる理由って…… - なんじぇい (?)

2018/03/23 (Fri) 22:13:02

そのような熱心な方々が多数おられたのですね……
インターネットがないぶん、昔の方が1人あたりのファンの熱量は大きかったのかもしれませんね。
私としてはまだまだ至らないところばかりです。


ちなみに個人的な考えですが、東宝やゴジコンの方々が様々なゴジラを作り世界観のリセットを繰り返しているのは、ゴジラが人気だからではないように思います。
むしろその逆で、何をどうしたらゴジラ人気を再燃できるか色々試しているからではないでしょうか。
人気が陰り始めたテーマパークが、元々のテーマをかなぐり捨ててあれこれ手を出すようなものです。経営が行き詰まりつつあったユニバーサル・スタジオ・ジャパンが元々のユニバーサル映画のテーマを無視して『エヴァ』や『進撃の巨人』のアトラクションを作っていた時と、今の東宝は酷似しています。(USJはそれが受けたため、その路線を今までずっと継続している)
そして遂に『シン・ゴジラ』がヒットを飛ばしたため、USJと同じくそれにすがっている……と思っているのですがどうでしょうか。

なので悲しいことですが、(きつい書き方になってしまいますが他に思い付かなかったので。私はこんなことを思ってないとはっきり申し上げておきます)ギドラ様のようなご意見は、ゴジコンの方々からすれば『シン・ゴジラがせっかく人気になったのだから水を差すんじゃない!』と思っているのかもしれません……
実際「出来はともかくとしてシン・ゴジラ人気は利用すべきだ」「再びゴジラ映画は皆が見てくれるコンテンツになったのだから、個人的に気に要らなくてもあまりそれに水を差したくない」などと言っているゴジラファンはこれまで何人も見てきました。

Re: ゴジラのイメージってなんだろう 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/27 (Tue) 19:00:42

 ゴジラに人気がないのなら、ゴジラの名称を使う理由もないでしょう。

 背景はどうあれ、私はゴジラのネームバリューだけ利用しようというやり方を批判し続けますし、
看板にゴジラと書いてあればそれでいいという考え方には理がないと言い続けますよ。

全くその通りだと思います - なんじぇい (?)

2018/03/27 (Tue) 19:47:16

題名と同じです。
もしかしたら東宝は機龍シリーズで初期の2代目ゴジラを、そしてFINAL WARSでチャンピョンまつりの2代目ゴジラを作ったつもりなのかもしれませんね。


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