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ギドラの巣「新」映像作品掲示板

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ただいまゴジラ祭り開催中!
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守口のインチキ催眠黒田紫幸脱税アパート - インチキ催眠黒田紫幸 (?)

2017/11/23 (Thu) 09:54:06

詐欺師ペテン師インチキオヤジ

ウルトラマンジード。 - なんじぇい (?)

2017/11/19 (Sun) 22:00:33

なんJから来ましたと名乗っていた者です。確かにギドラ様の言う通り、使い捨て丸出しの名前は良くないだろうと考え、名前を変えました。

今「GODZILLA 怪獣惑星」公開直後なのですが、今すぐネタバレ感想を投下してもよくないのではないかと言う思いと、過去ログを見ている限りではウルトラマンジードも見ておられるようなので、新参ながらも立てさせていただきました。


いきなりですが、私はこの作品、かなり酷いのではないかと考えているのです。これを容認したらどんどん酷いことになるのではないかと言う危惧を隠せません。
理由は以下のようなものです。

・玩具のためにストーリーが動いている
これがジードの最大の問題だと思います。
私は玩具を売ること自体は全く否定しません。儲けることは企業として死活問題でありますし、玩具がうまくストーリーの盛り上がりに繋がるならむしろ大歓迎です。
しかしジードの場合は、演出があまりにも酷い。
ジードクローという武器アイテムは何の伏線もなく唐突に登場し(時は熟したなどという言葉は言ってたけど説明されなかった)、そのジードクローはソリッドバーニングやアクロスマッシャーといったタイプごとのジードの個性を奪ってしまいました。
ウルトラマンゼロがパワーアップするニュージェネレーションカプセルもそうでした。何の伏線もなく唐突にウルトラマンヒカリから届けられただけでした。
マグニフィセントというフォームもそれに当たるでしょう。初回でペダニウムゼットンを倒したことを除けばろくな活躍をしていません。
演出が良かったのはキングソード位です。
玩具を売るにしても、今のようにストーリーが玩具に振り回されているようでは本末転倒と言わざるを得ません。

・ウルトラマンの融合
まず2年連続で同じ変身をすること自体工夫がないですが、それ以上にこの方式は問題があります。
それは噛ませフォームのウルトラマンをないがしろにしていること。
ただの噛ませフォームならしょうがないで済ませられますが、フォームにウルトラマンが入っていたらそうはいきません。融合元のウルトラマンのブランドと格ががた落ちしてしまいます。プリミティブが連敗するたびに融合相手の初代ウルトラマンがかわいそうになってきます。
この方式の変身はやめるべきだとはっきり言いたい。

他にも細かいところはあるのですが、大きな2点は以下のようなものです。
皆様はどう考えられますか?

余談ですが、私はここ最近で一番良かったウルトラマンはウルトラマンエックスだと思っています。
エクシードエックスがでても通常形態を重視していたこと、基本技のザナディウム光線を大事にしていたこと。
様々なアーマーもあまり噛ませにしなかったこと。
エックスはよかったなあ、と時々ぼやいています。

Re: ウルトラマンジード。 殿様ギドラ (男性)

2017/11/20 (Mon) 19:27:01

 どうもどうも。再びのご投稿に感謝します。
そして、ハンドルネームの件、ご配慮頂きましてありがとうございます。

 近年のウルトラが玩具会社にコントロールされているように見えるのには、私も実に苦々しく思っています。

 あまりにもおもちゃ先行で・・。

 そのあたりは、「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」で顕著になったように思います。

 まあ、以前も書きましたが、たとえおもちゃ先行であってもストーリーがおもしろければいいんですが・・。

 ただ、映像面では確かに「エックス」から画然と変わりました。とくに特撮シーンのカメラアングル、カットつながり(コンテですね)が「ギンガ」(およびS)とは別物になって、ちゃんとしてきたな、という印象でした。
 そのクオリティは「オーブ」でも「ジード」でもだいたい保っているように思いますが、
私も「ジード」はつまらないと感じています。
 装備のインフレもひどいんですが、どうも設定が大渋滞を起こしていて、何がどうなっているのかもはやよく覚えていません。(ウルトラマンたちや怪獣を道具扱いにすなー、とは前にも書きましたけど)

 いや、録画してもあまり見る気にならないもので、まだ最新エピソードまで追いついていないのですが・・。

Re: Re: ウルトラマンジード。 - なんじぇい (?)

2017/11/22 (Wed) 03:27:16

>怪獣を道具扱いすな

これは私はウルトラセブンの頃から「カプセル怪獣」というものがあったので、それほど気にしてはいません。

話は少しずれますが、私はウルトラシリーズがゴジラ観の変遷を作ったのだと思っています。
その理由は、ウルトラシリーズでは最初期から人間達がかなり怪獣を倒していること。
ゼットンやキングジョーといった、ウルトラマン達が倒せなかった強豪怪獣は人間達が倒しています。ゴルドンやマグラーやジェロニモン、サイゴなんかも止めは人間達でした。
それは地球は我々人間達の手で守っていかなければならないのだ、というものがウルトラシリーズの根元のテーマだからなのだというのもあるのでしょうが、最初のウルトラマンの頃から怪獣を人間より上の存在として扱ってはいないのです。
カプセル怪獣なんかもその一例でしょう。
また怪獣も平然と性質が変わります。ゼットン2代目やメフィラス星人2代目なんかはその典型で、性格も外見も「誰だお前」状態。
80ではゴモラ2やバルタン星人なんかもかなり性質が変わっています。

その為、ギドラ様が問題視しているゴジラ観の変遷はウルトラマンが大きく関わっているのではないかと思います。
人間やウルトラマンに毎週倒される怪獣たちを見て育った人達は、怪獣に対して超越者や神といった感情はあまり湧かない。
また毎回姿形がかなり変わる怪獣たちを見てきてしまっている。
影響されてしまうのは仕方ないと言えます。
「シン・ゴジラ」の庵野監督も、ウルトラシリーズは大好きだけどゴジラはあまり知らない、なんてインタビューで言っていたため、恐らくウルトラシリーズのノリでゴジラ映画を作ってしまったのではないかと睨んでいます。
これは私の持論なのですが、いかがでしょうか?



あと実は私は、ウルトラマンオーブはウルトラマンを融合していてもそこまで嫌な気はしなかったんですね。
それは主人公が変身する際に「光の力、お借りします!」「熱いやつ、頼みます!」などとウルトラマン達に敬意を持って接していたからでした。
敬語やあくまで力を借りてるだけだと強調していたところに、最低限のリスペクト精神は持っていたように思えたのです。
ところが「ジード」はそれさえもなくなってしまった。本当に道具でしかない。しかもかませ犬の扱いがさらに悪化している。
これはいかん、と感じてしまいました。

フラバラ再考 - 海軍大臣 (男性)

2017/11/17 (Fri) 19:00:03

 先日発売のBLがこれまでの映像ソフトと同じだと聞きガッカリしていた【フランケンシュタイン対地底怪獣】ですが、【特撮秘宝】最新号に金田益美さんによるバージョン違いの論考が掲載されていて、まだまだ望みが持てそうです。

 数年前、東宝サイドの見解としは、現存する2種類以外(タコ版およびバラゴン死亡後にフランケンともども陥没に呑まれるタイプ)は存在しないと云うことになっていて、バラゴンを頭上高く持ち上げたまま埋没するバージョンは何かの記憶違いか集団幻覚ということにされていました。(一部否定派のファンの間では、本作ポスターのメインビジュアルのイメージが原因だとする、実しやかな説明まで流布していたようです)

 ところが、本件に詳しい知人によると、封切り当時この幻のエンディングを観たと主張する人間は全て中部以西に偏在していて、関東以北には存在しないとの話があり、配給された地域によってプリントに差異があった様子が窺われてなりませんでした。
 また、斯界の大先輩に当たる関西在住のH氏(先日、マツコ・デラックスの番組に出演されていた方です)は、まだVTRなど存在しなかった少年時代に、映画館で観た怪獣映画のストーリーを漫画形式でノートに書き起こしており、何年か前にH氏の仕事場兼私設特撮ミュージアムにお邪魔したとき見せられたその1冊の中に、フランケンシュタインがバラゴンを高く持ち上げたまま最期を迎える場面が描かれていました。

 ここまで来ると、やはり巷間に流布している第三のバージョンの実在が期待されてなりません。【キンゴジ】完全版が幻から現実になったように、ある時ヒョッコリと失われていたフィルムが見つかることを祈るばかりです。

Re: フラバラ再考 殿様ギドラ (男性)

2017/11/18 (Sat) 17:49:17

 その記事だけは読みました。
『宇宙大戦争』が海外版をソフト化しているのでは、という指摘にも驚きました。
 昔、浅草や池袋の東宝オールナイトで見ていたバージョンもほぼ映像ソフトと同じだったので、
それは輸出向けフィルムだったのでしょうか。

 ロングバージョンとの決定的な差異はニューヨークに隕石爆弾が落とされた後、ゴールデンゲートブリッジにも爆弾が落ちるか否か。
ロングバージョンでは、ゴールデンゲートブリッジは出てきません。海外向けに追撮された可能性はありますね。

 それから、ここで書いたかどうか定かでないのですが、冒頭の列車転落シーンで、ロングバージョンには「汽笛吹鳴~」のセリフがあります。
以前海軍大臣さんがおっしゃっていた、TV放送でのみ見られたカットというのはこれだと思うのですが、
とすれば、ロングバージョンとされているものが本来の国内版だというのが正しいのでしょう。
(完成台本がロングバージョンと同じ内容とのことですから、そういうことなんでしょう・・)

 バージョン違いの存在には頭が痛いです。

 そして、『フランケンシュタイン対地底怪獣』!
 DVDのオーディオコメンタリーで有川貞昌さんが、「バラゴンを持ち上げたまま地中に沈むカットは撮影していない」と明言したことで、
決着が付いたと思っていました。あやふやな様子はなかったですし・・。

 それでも、実は、私が最初に見たときには、バラゴンを持ち上げたまま陥没に飲み込まれたのだ、と思っていたのです。
前後関係から推測すれば、それは昭和42年のこと。町にあった二番館(若い方に説明すると、昔は新作を上映する封切り館とその封切館からお下がりのフィルムを回してもらって上映する二番館・三番館があった)
で見たはずです。ところは青森県。

 その後、テレビ放送で大ダコバージョンを見て仰天したのは、みなさんと同じ。
さらにのちに東京で再見したら、現在見られる国内版で、「あれれ?何か物足りないというか、違うぞ。あ、バラゴンを持ち上げていない!?」と思ったものの、
幼い頃の記憶など当てにならないなぁと自己処理。

 そのまたのちに、ネットで特撮ファンのみなさんと交流するようになって、ほかにもバラゴンを持ち上げたまま沈むバージョンを見た、という人々がいることを知り、
みんなであーでもないこーでもないと情報交換するものの、結論は出ず、そのときはバラゴンを持ち上げている有名なスチール写真のイメージと入り交じったのではないか説に落ち着きました。
(それがしばらく定説になっていたのでしょう。そんな現象が起こりうる証拠として、現在の国内版と同じエンディングであるLDにバラゴンを持ち上げたまま沈むバージョンが収録されている、と
おっしゃったファンがいたこともあります。大昔の記憶でなくても、何らかの原因ですり替わってしまうことがあるようです)

 しかしながら、そのHさんの記録ノートは信憑性が高いですね。
やはりあのエンディングはあったのか??

 私の兄は「絶対にバラゴンを持ち上げたまま沈むバージョンはあるのだ!」説です。なんでも私と一緒に二番館で見る前に『フランケンシュタイン対地底怪獣』をテレビで観ていたそうで、
テレビ放送でもバラゴンを持ち上げたまま沈んだとのこと。当時のテレビ事情がどうだったか、封切りから2年以内にテレビ放送したのかどうか。
巷では大ダコバージョンが最初のテレビ放送ということになっていますが、地方だとまた別の動きがあってもおかしくないので謎は深まるばかりです。

Re: フラバラ再考 - 海軍大臣 (男性)

2017/11/19 (Sun) 00:50:42

 早速のご返信ありがとうございます。ギドラの巣本来の建設的(?)な意見交換となりそうです。

【フラバラ】絡みの謎と云えば、井上泰幸展に展示されたいた同作品の特撮班スケジュール表にちょっと興味深い点があります。
 その資料によると、恐らくクライマックスからエンディングまでに相当すると思われるシーンNo190~204の都合十数シーン分が、一カ月弱の間隔を空けて、丸々そっくり二度撮影されていたのです。これは単に大ダコ版を撮影したとの意味なのでしょうか?それとも…。いろいろと空想は膨らんでしまいます。

 この【フラバラ】問題について昨晩、或る特撮研究者の方とメールで遣り取りをした際に、以前ここでも書きました【地球防衛軍】のセリフ違いバージョン(恐らく初号プリント)の話が出たところ、以前より東宝関係者への聞き取り調査を行ってきた同氏によると【地球防衛軍】の初号試写では、土屋嘉男さん発案の日本語のセリフにミステリアンのゴボゴボといった音声をダブらせた部分についてかなり喧々諤々あったとのことでしたから、音声について大きな変遷があっても不思議ではないとのことでした。【宇宙大戦争】もそうですが、映画作品が本来の姿で後世に伝わっていく難しさが改めて思われてしまいます。

 あとそれから私事ですが、今回の【特撮秘宝】にも拙文を寄稿しております。以前、ここでも書かせていただいた中島春雄さんと平山亨さんのエピソードですので、ご覧いただければ幸いです。

Re: フラバラ再考 - エクセルシオール (男性)

2017/11/19 (Sun) 20:27:27

 『フランケンシュタイン対バラゴン』に関しては、私が観たバージョンは現在では最も有名な「大ダコバージョン」のものでした。初めて視聴したときに子ども向け怪獣本で得た知識とラストが違っていたので少々面食らった記憶があります。それは本で得たあらすじが「フランケンシュタインとバラゴンが闘いながら地殻変動にのみこまれていく」というものだったためです。まあ、この種の作品紹介はかなりいいかげんなものもあったので、その時は「そんなものか」と思うだけだったのですが、本作品には結末が複数あると知り、「もしかしたら・・・」と思う今日この頃です。

 話題になっている三つ目のエンディングですが、確かに「私は観た」と言う意見の方は多いのです。これを全て一種の錯覚の産物と考えるのは、やや乱暴ではないかという気もします。「ゴジラ1983復活フェスティバル」というイベントの上映会で観たという意見もあり、私は3種目のエンディングは存在していた可能性が低くないと思っています。

 そういえば『フランケンシュタイン対バラゴン』は元々は『フランケンシュタイン対ゴジラ』という企画だったのですよね。シナリオは『東宝特撮未発表資料アーカイヴ』という本に収録されていましたが、この元々のストーリーでは、両者の死闘中に火山が爆発しフランケンシュタインは地殻変動に飲み込まれ、ゴジラは土石流に流されていくというものだったと記憶しています。これは「フランケンシュタインとバラゴンが闘いながら地殻変動にのみこまれていく」という話に近いものであり、第三のエンディングバージョンがあったある種の状況証拠になるかもしれません。

 昔は今ほど一律の映画を上映するように統制がなされていませんから、一部の映画館だけ「フランケンシュタインがバラゴンを持ち上げたまま地割れに飲み込まれていく」というバージョンを上映した可能性はゼロではないと思います。
 余談ですが、私が1989年に『ゴジラVSビオランテ』を観に行ったときに、なぜか『ゴーストバスターズ2』との二本立てになっていたことがありました(なかなか信じがたい話かもしれませんが事実です)。別の映画館ではゴジラの一本立てだったので、未だに不思議に思っています(フィルムのレンタル期間が重複してしまったなどの何かのっぴきならない事情があったのだろう)。30年くらい前までは地方の映画館では時に予想外のことがあったのです。まして1965年ならば何があっても不思議ではありません。

Re: フラバラ再考 殿様ギドラ (男性)

2017/11/20 (Mon) 19:10:07

 井上泰幸展にそんな展示がありましたか。
私は、「定本円谷英二」内の年譜、昭和40年の項で、八月八日『フランケンシュタイン対地底怪獣』封切り、(中略)、十二月十二日より十五日まで『フランケンシュタインたい地底怪獣』海外版を撮影、と書かれているのを見て、えっ、国内版の公開後に撮影?とびっくりしていました。

 やはりここで撮影されたのが大ダコのエンディングなのでしょうか。撮影時期も含めて謎です。

 そして、うーん、1983年のゴジラ復活フェスティバルで幻のエンディングを見たというのは、ちょっと怪しいかな・・。
 私が真っ赤に褪色した公開当時のフィルムとおぼしきプリントで現行の国内版エンディングを見たのは、同時期か1982年のことで、復活フェスティバルの正式プログラムには含まれていなかった「フラバラ」がついでに上映されたとしてもニュープリントとは考えがたいので、私が見たのと同じフィルムである可能性が高いです。

 国内版エンディングのレーザーディスクの例もありますので、記憶のすり替わりが起こることもあり得るのが、このミステリーのややこしいところです。
 某ライター氏は、幻のエンディングのビデオを持っている、と豪語していましたが、その後どこからも出てきていませんから、おそらく勘違いだったのでしょう。

 でもなぁ、記憶にはあるんだよなぁ。
バラゴンを高々と持ち上げたまま沈んでいくフランケンの姿!
(そのうち夢に見そうだ。先日は、街角の屋台で古い東宝特撮映画のパンフレットが投げ売りされている夢を見て心臓ばくばく。バカですね-)

 あ、海軍大臣さんの記事が「特撮秘宝」に載っているのは気がついておりましたぞよ~。

久々に『シン・ゴジラ』 - エクセルシオール (男性)

2017/11/13 (Mon) 21:44:35

 昨日(11月12日)に『シン・ゴジラ』が地上波初放送となりました。何か新しい感想が抱けるかとも思いましたが、やっぱりひどい映画であると再確認させられる結果となりました。もう批判は出尽くしたようにも思いますが、少し積み残したこともあったので書いてみます。

 再視聴して一番思ったことは、石原さとみさんが気の毒すぎるということでした。カヨコ・アン・パタースン。おそらくこの映画に好意的な見方をしている人もこのキャラクターを肯定することは難しいでしょう。共感できるキャラがほぼ皆無のこの作品の中においてもカヨコの奇妙さは際立っています。その態度や言動に好意を抱くことは極めて難しいうえ、まるでマンガかアニメのような誇張されたキャラでした。脚本及び演出の罪は重いと言わねばなりません(実写とマンガ・アニメの区別もついていなかったことになる)。

 次に趣旨不明のデモ隊のシーン。ようやく彼らが何を言っていたかが判明しました。テレビ放送であったため字幕放送のスイッチを入れれば分かります(もっともそれが正確である保証はないが)。結論から言えばデモ隊は二種類います。一つは「ゴジラを倒せ」と叫んでおり、もう一つは「ゴジラは神だ」「ゴジラを守れ」と言っていました。
 正直、さらに訳の分からないことになっています。前者はまだ分かりますが、後者は完全に意味不明です。この時点でのゴジラは第三形態であり、「神」どころか単なる不細工なトカゲの親玉です。なのにそんなゴジラを神扱いする人々が数多くデモを行う・・・。スタッフの意図を量りかねます。まあ、この部分は国のため一生懸命働いている政治家、官僚、自衛官に対して、無責任な愚かな民が邪魔をしているというシーンとしか解釈できませんので、彼らの主義主張などどうでもいいのでしょう(不快極まるシーンである)。

 それから、この映画はゴジラは核攻撃で倒せるということを前提にしているという問題点がありました。「核で滅却するか、矢口プランで凍結するかどっちかしかない」という台詞は、ゴジラを核兵器で始末できないと成り立ちません。しかし、従来、核によって生まれたゴジラを核で倒すことはできないということが大前提だったはずです。しかし、その疑問を作中に見出すことはできませんでした。

 さて、最後に固まったゴジラの尻尾の先に人間のような姿の生命体がいると言うシーンについて。公式にはこれが第五形態だそうです。もはや「ゴジラ」などとは言えないシロモノですが、少なからぬ論者はこの部分を捉えて、庵野秀明総監督は「ゴジラの脅威がまだまだ続く、悲観的で深い結末を描いた」と評しています。でも、そう言えるのか?ゴジラは完全に固まっているし、核攻撃の危険が残っている以上、矢口蘭堂たちがこのままゴジラを放置するはずがない。今のうちに息の根を止めようとするでしょう。だとしたら、大した脅威とは言えないと思いますね。こうなると上記評論は「国策映画」であるとの批判をかわすための言説ではないかと思えてきます。

 上映から一年以上が経過しましたが、『シン・ゴジラ』に対する批判は相変わらず少ないままです。「シリーズ最高傑作」という歯の浮くような称賛の声が満ちたままであり、背筋が寒くなります。「最高傑作」ということは『ゴジラ(1954)』よりも上ということになりますが、そんなことがあるわけない。もちろん、興行収入の多寡で作品の出来を決めるなら別ですが、それは作品ではなく商品としての映画を評価していることになるでしょう。

Re: 久々に『シン・ゴジラ』 - 某国立大特撮サークル (女性)

2017/11/13 (Mon) 22:54:42

当界隈で少しばかりこちらのサイトが有名になっていたので失礼します。自分は近畿地方の国立大の特撮サークルに参加している者ですが、申し訳ありませんが、我々から見ると貴方は「時代に適応できなかった古い種」と認識せざるを得ません。
ゴジラは一度終了しました。それを復活させたのは他ならないローランド・エメッヒ監督であり庵野監督です。そしてそれらは時代に適応し、成功を収めました。一方の貴方はどうでしょうか。新しいゴジラに文句を垂れるだけで時流に逆らい逆張りばかり。こんなファンばかりならゴジラが終了するのも納得ですね。
我々が言えることは一つ。あなたが時代を変えることは絶対にないのですか、あなたが時代に適応するしかないと思いますよ。それができないのなら残りの短い一生を移ろいゆく時代の中、常に取り残されて過ごすしかないと思います。

Re: 真実を知ろう - 海軍大臣 (男性)

2017/11/14 (Tue) 01:52:49

 揚げ足を取るみたいで申し訳ありませんが、ローランド・エメッヒ監督は確かに【GODZILLA】を撮ってはいるけれど、必ずしも興行的成功を見ておらず、復活に寄与したとは言い難いと思います。(ギャレス・エドワード監督を引き合いに出されるならば、まだ納得できますが…)
興行的成功の意味合いでは確かに庵野監督のネームバリューは大きかったでしょうが、作品作りにあたって、実際に現場を取り纏めた功績は樋口監督に帰されるべきです。【シンゴジラ】で云うなら、ちょうど「泉ちゃん」のような役回りに徹していたと聞きます。
 また「時代に適合した」とのご意見ですが、寧ろ現在の社会不安に巧みに乗じた部分が強いように感じます。3.11での原発事故の報道をリアルタイムで見ていたときの、あの何とも言えない不安とか不気味さは6年を経た今でも私たちの中に凛冽な刷り込みとなって残っていますから、そこを突かれれば弱いです。そして今回の地上波放送が北鮮軍の核ミサイル問題による世情不安とドンピシャリなタイミングで重なったのですから、話題にならない方が不自然です。極端な考えかもしれませんが、将来、尖閣や八重山諸島あたりが中共軍の云う第一列島線に呑み込まれた頃に再度TV放映すれば、もっと高い視聴率を上げるかも知れませんね。何だかキワものみたいで嫌ですけれど。
 それから我々みたいな古いファンがいるからゴジラは終了したとのことですが、ゴジラを復活させたり終了させたりするのは製作会社の都合です。残念ながらわたしどもにはそんな大層な力は持ち合わせておりません。
 平成VSシリーズで3本目辺りから特撮パートの暴走が始まったのは、人間的なパワーバランスが原因で本編側に作品全体を掌握することが出来なくなったためです。そして【VSビオランテ】などで常に編集権を握っていた大森監督が会社子飼いの新人監督と入れ替わったのは、単に人件費の問題でした。しかも驚いたことに、大森監督が携わっていた時期でさえ、VSシリーズでは本編と特撮の監督二人を合わせたギャランティーが、一般作品の監督一人分の金額しかなかったと聞きますから、如何に作品原価を切り詰めようとしていたかが判ります。
 それでも平成VSシリーズは興行的成功を収めていたので面目こそ果たしたものの、悪影響を残したのも確かです。続く平成モスラシリーズでは、ラッシュ段階でオミットした筈の特撮カットが本編監督の知らぬ間に「トカゲのしっぽみたいに」復活していて、問題となっています。
 そしてミレニアムシリーズでは、これまでの反省から本編サイドにパワーバランスを戻したのは良いけれど、毎回作品世界の設定を変えてしまうという腰の定まらぬ弱さが成績に反映されてしまい、シリーズとしての終焉を迎えた訳です。
 結局、悲しいことに全ては企業の理論による「原価の切り詰め」即ち金銭の問題に帰結を見てしまうことになります。そんな企業の掌の上で自分が踊らされていることを、知らないのが幸せなのか否か、私たちは良く考えてみなければならないと思うのですが。


Re: Re: 真実を知ろう - 通りすがり (?)

2017/11/19 (Sun) 21:26:18

興行収入も、今後展開の見込みがないシンゴジの90億と
毎年コンスタントに稼ぎつつ、その都度経済効果・文化的影響をもたらしてきたvsシリーズの90億(キングギドラからデストロイアでそれくらい)とでは意味合いがまるで違いますからね

GODZILLA怪獣惑星第一印象 殿様ギドラ (男性)

2017/11/18 (Sat) 17:53:07

 わーれこそはー、植物、動物、大気、すべての環境の生みの親、
サーンシャイーン、ゴージラー!!!!
 ジャスティス!!!!!

 というわけで『GODZILLA怪獣惑星』を観てきました。
まずは第一印象だけです。

 よっぽど軍事・軍隊が好きなんでしょうか。主役は軍隊といっていいですね。

 そして、すごく安心したのは、物語のつながりや設定の説得力などに明らかなポンコツぶりは見つからなかったこと。
そのレベルの突っ込みをするのは疲れるのです。

 もちろん、登場する主役怪獣をゴジラと認める気はありません。
その件は、同じ事の繰り返しになりつつも、追々書いてみます。

 ゴジラではないとしても作り手の怪獣観にも問題を感じます。
それものちのち・・・。

 うまいな、と思ったのは、空想科学面に余計な説明をつけていないこと。
格好を付けて既知の科学知識を振り回したりすると、その妥当性を試されることになります。
この作品では、架空の技術はそれを表す用語を使うに止めているので、正しいのか間違っているのか判断することは出来ません。

(たとえば、亜空間航法を使っているとは言うものの、そのメカニズムはボカされているのでウラシマ効果がなぜ起こったのか、その時間収縮率がどのぐらいになるのが妥当なのかは判断できない)

 で、全体としておもしろかったのか、というと、
うーーーん、おもしろくない。

 登場人物が誰も彼もいつも緊張状態にあって、全員うんこを我慢しながらしゃべっているみたいだし、
なにしろ主人公がパラノイアっぽい人物なので、共感など出来ません。

 それから、三部作の第一弾というのはわかりますが、あまりにも序章すぎる。
さらには書籍で発表された前日譚もあるわけで、長い長い物語の途中から途中だけを見せられているのですから、状況把握が出来ません。
説明的にしたくなかったのはわかりますが、最低限、劇中の人物(種族)関係性は分かるようにして欲しかったですね。
 地球人、エクシフ、ビルサルドの協力関係、力関係がさっぱりわからないのはまずいです。

 あ、書籍「怪獣黙示録」から推察した異星人の立ち位置はちょっと違ってました。
どうやら、人を支配するための二要素を象徴しているようです。
宗教と武力、というのがエクシフとビルサルドが表すもののようです。

 未見の方のため、具体的な内容はまだ書きません。
エンドロールのあとに次回作へのつなぎシーンがありますよ。

転載禁止とは書いてないが 殿様ギドラ (男性)

2017/11/16 (Thu) 18:28:18

 おやおや、ご新規さんが幾人か・・。

 まずは、なんJから来ましたさんに感謝の意を表します。
どういう経緯でこんなことになったのかわかりましたので。

 いるんですよ、なんだか知らないけれど私に粘着している人が。
どういう意図で私の文章を切り貼りしているのか計りかねますが、断片ではなくある程度長い文章を貼り付けているのは良心的なほうなんでしょうね。
とはいえ、切り抜きであるのは確かなことで、それを元にしてあーだこーだ言われましてもねぇ。

 さらに殿様ギドラに直接もの申せと焚きつける人まで。
他人に書かせて自分は高みの見物だってか?

 なんJから来ましたさんの質問には答えるべきかとも思いましたが、
そちらの掲示板は、誰かが私の許可なく勝手に私の発言を転載しているもので、私には何の責任もないのです。
発言内容には責任があるだろう、という考え方も出来ますが、結局は切り貼りでありどこをどの順番で転載するかは転載者の意思任せ。
再構成されているわけですから、私自身による表現ではないことになります。(この理屈、わかります?)

 誤解曲解もあるようですが、自分が関与しない掲示板のやりとりにまで首を突っ込む気はありません。

 それでも、私の意見を聞いてみたいと思っていただいたことは光栄ですから、なんJから来ましたさん(このハンドルネームはいかにも捨てっぽいのでどうかと思うが)
とお話しすることにはやぶさかではありません。
 ここの話の流れを汲み、このギドラの巣「新」映像作品掲示板の参加者として来て頂ければ、いずれ疑問にお答えすることも出来るかも知れません。

 現在は、『シン・ゴジラ』に関する話題はほぼ終了で、まず間違いなく来週からは『GODZILLA怪獣惑星』の話題になります。

 対策、ですが、よその掲示板で聞きかじって乱入してくる人々は大概が「荒らし」なので、無視が最善策です。
(論拠薄弱なままなじってくるような輩ね)

 それから、今回の件をきっかけに、さらに別の掲示板にも私の文章が貼り付けられているという情報が寄せられました。
その中には、1985年のゴジラストーリー応募作を転載しているものがあり、「vsスペースゴジラ」のパクリじゃねーか、という感想が上がっているとか。
あのねぇ、「vsスペースゴジラ」の製作年はいつなの? 1994年でしょ。1985年にどうやってパクるのさ。
とまあ、この程度の人々まで相手にしていたんでは身が持ちません。

 最後に、
 とある学者さんが言ってました。
「複雑で難しい問題は、複雑に難しく書くしかない」
 また別の学者さんは
「物事の単純化は危険である」とも。

(エクセルシオールさんの11月13日記事にレスを書けなくてごめんなさい)

お気になさらずに - エクセルシオール (男性)

2017/11/16 (Thu) 21:45:48

>エクセルシオールさんの11月13日記事にレスを書けなくてごめんなさい

 いえいえ、お気になさらないでください。私の方こそ、結果としてサイトの雰囲気を悪くさせるきっかけを作ってしまい忸怩たるものがあります。

Re: 転載禁止とは書いてないが 殿様ギドラ (男性)

2017/11/17 (Fri) 18:19:25

 テレビ放送の字幕を見るという発想がなかったので、おお、ナイスアイディア!と思ったんですよねー。
 多分、WOWOW放送版にも字幕はあったと思うので、いつか確認してみます。

 変な輩が舞い込んできたのは、無断転載に絡んだ諸々が原因ですから、エクセルシオールさんには何の落ち度もありませんよ。

『GODZILLA怪獣惑星』、上映が始まりましたが、自分で見るまではネットなどの感想は遮断して、まっさらな状態で見るようにします!

なんJから来ました - なんJから来ました (?)

2017/11/14 (Tue) 02:39:07

【長文注意】ゴジラマニア、シン・ゴジラを見て激怒する
http://hawk.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1510575565/

このようにここの管理人様の発言がほとんど転載されていた影響で、5ちゃんねるで賛否両論が入り乱れてます(掲示板で皆が口が悪いのはそういう板なので諦めて下さい)。

というわけでぶしつけながらもいくつか質問しに来ました。

・エメリッヒゴジラなどの著しく改変されたゴジラに対してなんとも思ってない人達には、管理人様はどう説得しますか?

・文章が長すぎて読む気にならないという人が多数います。出来れば、過去のゴジラを全く気にしない人でも分かるように、どこがシンゴジラのいけない点なのかをできる限り簡略化して具体化していただけませんか?

・このスレッドのなかでもっとも人気を集めたシン・ゴジラに対する反対意見は次のようなものでした。これを見てどう思われますか?

『これまでのゴジラにはまがりなりにも「本当に悪なのは誰なのか。どうすればゴジラを救えるのか」というテーマがあったし、
それに対してゴジラも人類とは敵対するが、本当の敵が現れたときはぼろぼろになりながらも戦ってくれる怪獣の王という位置づけだった
あの初代ですら「水爆実験のせいで住処を追われた爬虫類が放射能で変異してしまった悲しい怪獣であり、人間の罪の具現化」であった
シンゴジラは庵野が作り上げた薄っぺらい「悪」であり、B級ホラーのクリーチャーやゾンビとなんら変わらない。存在に意味が無い

上記が「根幹」の問題。これとは別に「単純」な問題もある。
一言で言うと、"ゴジラがただボコボコにされるだけのかわいそうな映画。"
これでは、現体制に異論を唱える過激な人間の心はつかめても、大衆の心には響かないしつかめない。絵として華がないので』

・シン・ゴジラが初めてのゴジラで、これまでのゴジラのことなどどうでもよく、作品もリアルだとは思っていないが、テンポの速さや独特の演出で楽しめた(いわば和製インデペンデンス・デイ)という人がかなり存在します。そういう人はどう説得しますか?

・熱線のシーンが今までのゴジラとは段違いでよかったと評価する人が大多数を占めています。そういうものは演出が優れていると思うのですが、そういう大多数が評価する描写も否定しますか?

・上記のスレッドを読んで、どうお考えになりますか? 少なくともシン・ゴジラは賛成ばかりとはかけ離れていると思いますが。

向こうではテレビ放映もあってか賛否が交錯しており、またこの掲示板も相当に話題になっており、少なからず私のようなものが来るだろうと思います。
迷惑なら、今のうちになにか対策をした方がいいのではないかと老婆心ながら言っておきます。

映画を見る姿勢がそもそも・・・ - マルソン (男性)

2017/11/13 (Mon) 22:34:01

あとシンゴジラを見て出てくる感想が

「国策映画」

とか、もう見る目が濁ってると思います。

シンゴジラは面白かった - マルソン (男性)

2017/11/13 (Mon) 22:23:20

長々とシンゴジラの「ここがダメ」「これがダメ」という投稿を見ましたが、ここの人たちはいわゆる「怪獣プロレス」が好きなだけなんだな~、と思います。

シンゴジラは描写の省略が多いから駄作、みたいな意見もありましたが、冗談でしょ?
いちいちすべての描写を取り込んで、映像で見せることが正しいわけない。
すべてのプロセスをいちいち取り込んであーだこーだ言ってたらテンポ悪すぎです。それとも過去のゴジラ映画はそんなにすべての要素を取り込んできたんですか??


そもそも

なぞの科学者が出てきて、
自衛隊じゃない謎の警備隊みたいなのが出てきて、
ゴジラと意思疎通するような子供が出てくる
ゴジラが怪獣と取っ組み合う絵面

の映画だったら子供にしか受けません。

『ゴジラ 怪獣黙示録』 - エクセルシオール (男性)

2017/11/03 (Fri) 22:37:45

 もうすぐ公開のアニメ映画『ゴジラ 怪獣惑星』の前日譚にあたる小説が出版されたので読んでみました。

 この本は映画版の主人公の父親にあたる人物が、怪獣と出会った様々な人の証言を集めて回るという構成になっていますが、驚くべきは出てくる怪獣の種類。一部の例外を除いてほぼすべての東宝特撮映画に登場した怪獣の名前が出てきます。また、兵器名や組織名、一部の人名も同じであり、よく言えば東宝特撮映画へのオマージュにあふれていると言えるでしょう(悪く言えば安易なパクりであり、過去作品の濫用)。この雰囲気は『ゴジラ ファイナルウォーズ』に似ています。

 この小説に登場しない怪獣はモスラ、キングギドラ、ガイガン、メカゴジラ、チタノザウルスと言った面々であり、後は全て出てくると言っても過言ではありません。怪獣ファンとしてはうれしい面もありますが、その扱いはけしてよいものではない。ほとんどは設定を大場に変えられて、かつ、雑魚と化しており、非常に寂しく思いました。

 ゴジラにしてもとてつもなく強いことはいいのですが、他の怪獣を容赦なくぶち殺す存在と化しており、これでは「怪獣王」の名が泣くと思いました。ゴジラってこんなに無目的に他の怪獣を殺す怪獣ではなかったはずなのですが・・・。一方、ゴジラと同格に近い存在だったラドンやアンギラスは著しくステータスが下がっています。ゴジラ以外の怪獣で割と存在感があったのはマンダくらいでした。

 なお、上記したようにモスラは登場していませんが、実はその存在をうかがわせる描写はあります。「怪獣との共存の道」も暗示されており、今後の物語で大きな意味を持つかもしれません(しかし、ゴジラがここまで「ひどい」存在にされていては、この設定は活きてくるのか)。
 また、二種類の異星人の協力のもと人類は一時的に反転攻勢に出ますが、ゴジラのため結局は敗北します。とはいえ、高度な技術を有する異星人の技術を提供してもらったのだから、とりあえず月でも居住可能な状態に改造すればいいのではと思ってしまいました。キングギドラやガイガンのような宇宙怪獣がいないのならそれで難を避けられるはずです。この辺は詰めが甘い気がします。

 この小説はSF小説としてはなかなか面白い。でも、何かがずれている感じが否めません。ただ、『シン・ゴジラ』よりはよほど気楽に楽しめます。560円(税抜き)で買える本なので、一度読んでみても良いと思います。
 

 

Re: 『ゴジラ 怪獣黙示録』 殿様ギドラ (男性)

2017/11/06 (Mon) 18:30:46

 早速読んでみました。

「特撮秘宝vol.6」の瀬下寛之氏インタビューによると、『GODZILLA怪獣惑星』はゴジラ映画の本流ではなく、亜流との認識らしいですね。
 そこで東宝怪獣を紹介していくのがミッションだ、と。

 だとすれば、このやり方が正しいのかどうか・・。

 結局、それぞれの怪獣やメカをもともとのストーリーから切り離して名前と見た目(文芸作品では姿形は見えないのだけれど)だけを流用し、
創案したストーリーに合わせる形で改変しているのですから。これでは、いままで東宝怪獣を知らなかった人々への紹介にはならないでしょうに。

 なぜ歴史を軽視するのだろう。

 架空のキャラクターだってそれぞれが背負うストーリーがあり、そんな背景込みで認知されるべきではないのでしょうか。
という問題がひとつ。

 もうひとつは、怪獣の魅力をどう考えているか、ですね。

 たしかに初代ラドンは一作品に二匹(二羽?二頭??)登場しましたし、カマキラスも複数登場しました。
(ドゴラはまた別タイプなので例外的な存在)
けれども、同じ怪獣が同一作品に複数登場するとなると、著しくスター性が損なわれます。
一匹死んでもまた次が出てくるとなると、まあ、メガヌロン程度になっちゃいます。
(元祖ギャオスに対して平成ギャオスの雑魚感は半端ない)

 かつては怪獣の名前とは、種族名であると同時に個体名だったのです。(だからゴジラの子供には親ゴジラと区別するためミニラという名前が付く)
『三大怪獣地球最大の決戦』に登場したラドンと『怪獣大戦争』に登場したラドンは、何の説明もなくとも当時の人々は当たり前のように同一個体だと思っていました。

 ゴジラのみを際立たせるための処置なのでしょうけれど、ゴジラ以外は人間にも駆除可能で多くの有名怪獣が殺されても殺されても次がいるとなると、
怪獣スターが勢揃いという感覚は生まれない。

 それから怪獣たちに害獣としての役割しか与えていないのも納得できないところですね。
怪獣に蹂躙され、追い詰められる人類という構図を作りたいのだとしても、怪獣の行動に動物らしい自然さが欲しいところです。
怪獣は大きいというだけで人間にとって迷惑な存在である、というのが大前提であって、人間を襲うというのは必須ではない。
(エクセルシオールさんがおっしゃる通り、ゴジラに至ってはもはや狂獣扱いですね。とにかく身の回りの者を片っ端から襲っているような印象で、キングギドラ以上の狂いっぷり。
これは平成VSシリーズのとき破壊神なるキャッチフレーズを付けられてしまったのを拡大解釈してしまったんでしょうね。そしてやたらと神だと言わせる。
怪獣の神性というのは絶対者という意味ではなく、超越者という程度の意味であり、キリスト教的な神ではなくて日本神話の神々みたいなものだというのが私の見方。
実際、元祖ゴジラが劇中の絶対者であったことはない)

 というような古株の怪獣ファンなら常識だったはずのことも忘れられている。
(過去作を研究せよ!)

 亜流と言うことで、パロディ作品のような、二次創作のようなものだと考えれば、改変にも目くじら立ててはいけないのかもしれませんが、
怪獣観がずれているのでは、甘い顔も出来ません。

 ただ、「怪獣黙示録」には人類の愚行を斬ろうとする姿勢があるので、そこはよしとします。

 あとは、異星人のご登場がどう転ぶのかですなぁ。
怪獣という強烈なフィクションにさらに異星人(それも二種)まで絡めて、怪獣映画に出来るんでしょうか。
(私は『怪獣大戦争』を優れた侵略SF映画として評価しますが、怪獣映画の魅力には乏しいと考えています)

「怪獣黙示録」はあくまでも「怪獣惑星」の前日譚で、この本の内容から映画がどうなるのか判断するのは難しいか・・。

 それから過去のゴジラ映画へのオマージュらしき場面もあるにはありますが、平成VS以降の作品しか想起できませんでした。
ジングウジなどという名前は出てくるものの、『海底軍艦』ぽいシーンにはつながらず、『ファイナルウォーズ』っぽさを感じるのみ。

『シン・ゴジラ』がやらかした、怪獣も人間が作るもの、という大間違いからは距離を置いて、人間に対置するものとしての怪獣を打ち出しているのはいいところなのかな?
いやー、まだわからないなぁ、「ウルトラマンマックス」的に文明の負の遺産みたいな話にしちゃうかも・・。(初代ゴジラにはその発想が多少なりともあったのは確かだけれど、
ゴジラは文明が生んだのではなく、文明の過ちが引き起こした大自然の逆襲であるという見方のほうが齟齬が少ないのだが)

 ありゃりゃ、あんまり長く書かないようにしようと思ったのに、やっぱり長いや。

Re: 『ゴジラ 怪獣黙示録』 - エクセルシオール (男性)

2017/11/07 (Tue) 22:07:38

 アニメ映画『ゴジラ怪獣惑星』はいよいよ来週公開ですが、なにせ三部作の第一作目なので、おそらくこれだけ観ても全体像はなかなかわからないと思います。それに舞台が2万年後の地球ですから、小説『怪獣黙示録』の内容はあまり関係ない可能性が高いですね。
 唯一今後の物語で絡んでくる可能性があるのは、やはりアマゾンにいるらしい「モスラ」と思われる存在でしょう。地球に取り残された人々の末裔が「モスラ」に守られて生き延びているという展開はありうると思います。怪獣への憎悪に燃えている主人公達と、怪獣とどうにか共存して生きている人々との間の人間ドラマがあれば面白いと考えます。

 ただ、懸念材料としては脚本が虚淵玄氏であること。この人は陰鬱な物語を作ることに血道をあげる傾向があり(『魔法少女まどか☆マギカ』『フェイトゼロ』等が好例)、それをアニメオタクが熱狂的に支持している状況があります。『ゴジラ』にとって庵野秀明氏以上に危険な存在ともいえ、はっきり言って何をやらかすかわかりません。ゴジラを出汁に一部のオタク好みの陰惨ストーリーを延々と展開する危険性すらあります。
 もっとも、彼がシリーズ構成を担当したアニメには『翠星のガルガンティア』のような真っ当な物語もあるにはあるので、全く絶望というわけではないですが。

 異星人エクシフとビルサルドについては、どっちも母星を失っているうえ、地球人と共同して政府を作っている状況なので、「異星人」といっても怪獣の出番を圧迫するようにはならないと思います。まあ、「キングギドラやガイガンを呼び寄せてゴジラにぶつけよう」などという妙な発想をする異星人が出てくれば話は別ですけど。

 いずれにせよ『シン・ゴジラ』を上回る地獄絵図にならないことを祈っています(そこまではたぶんならないと思いますが)。
 

Re: 『ゴジラ 怪獣黙示録』 - 海軍大臣 (男性)

2017/11/08 (Wed) 00:50:29

ギドラ氏の仰る「怪獣の神性というのは絶対者という意味ではなく、超越者という程度の意味であり、キリスト教的な神ではなくて日本神話の神々みたいなもの」との至極真っ当なご意見を理解出来ていないファンは、結構おられるようですね。
もともと日本人にとっての神様とは、何だか得体の知れない恐ろしいものをお祀りすることで、災いを避けようといった辺りから生まれたものの筈です。
ですから第一作の作品世界での「神」としてのゴジラの捉え方も、大戸島の古老や娘の会話から十分透けて見えてくる筈です。(若い頃、偶々私が谷川健一先生の【魔の系譜】なんかを読んでいた所為もあるかも知れませんが、それでも何となく判断がつきそうなものじゃないですか?)

勿論、こうした裏設定的なものは作品の主題とダイレクトに交差する訳ではありません。作品世界の中で、ゴジラというものが唐突に出現したのではなく、昔から大戸島近くの海には何か得体の知れぬ恐ろしいものがいたんだよ、とする一種のエクスキューズみたいなものでしょう。
それでも、そうした辺りに作者たちの持つ「神様」に対する従来の日本人的感覚が垣間見えるようで、私などには大変興味深く感じてしまいます。取り分け、脚本にも関わった本多猪四郎監督は幼少期の頃、御実家である注連寺の本堂天井に描かれていたという四神獣を眺めつつ成長されたと聞いていますから、民俗学的に見ても、その心の根っこに当たる部分が現代の映画作家たちとは丸っきり違っていた筈です。

他方、キリスト教的な唯一絶対神を信仰する人々には、それ以外の存在はいずれもデーモニシュな怪物となってしまいますから、殲滅する対象でしかない訳です。【エイリアン2】や【スターシップ・トルーパーズ】なんかで描かれた、異生物を徹底的に排除する描写には、アンチ・キリスト的な存在に対する本質的な憎悪が見て取れるのです。

したがって、ゴジラを絶対神として取らえる昨今の風潮には、以上の様な危うさを孕んでいるみたいで、私などは如何にも納得のいかぬ気分でいるのです。

余談ながら、ゴジラ第一作に見られる作者たちの民俗的な思考の顕われについて補足しますと、日本人は古来より「片目の人間」に何か神聖な力を重ねていた様なのです。
これは以前、私の所属するFCの会報でも述べているのですが、山本勘助、柳生十兵衛、森の石松、丹下左膳それにゲゲゲの鬼太郎などなど、大衆的なヒーローに隻眼のキャラクターが多いのもその理由だとされます。
これは福の神である産鉄神の信仰を根源としているようで、柳田国男先生などは「神に捧げる生贄となる人間の片目を潰した風習があったのではないか」との説を唱えています。
初代ゴジラが我が国の民俗風土に根差した「荒ぶる神」であるように、隻眼の芹沢博士もまた、その神の怒りを鎮める「血の供犠」として作品世界に存在していることになるのでしょう。

Re: 『ゴジラ 怪獣黙示録』 殿様ギドラ (男性)

2017/11/09 (Thu) 18:19:25

『GODZILLA怪獣惑星』の公開まで一週間というところになりました。どうも、殿様ギドラです。(わかってるって!)

 たしかに「怪獣黙示録」の中で怪獣との共存というキィワードは出てきますから、ストーリーがそちらの方向を目指す可能性はありますね。
そして三部作ですべてに決着を付けて完結させるのかもしれません。(『怪獣惑星』の内容を引き継いだ続編の可能性はないものとする)

 アニメはほとんど見ないのですが、「まどかマギカ」は文化庁メディア芸術祭賞を取ったのというので、劇場版だけ見ていました。
そこから類推するに、ひたすら観客の予測や期待を裏切っていくストーリーになるんじゃないかと予測しています。
『怪獣惑星』の世界設定からして、従来の怪獣映画を逆転させるために創案されたと考えられます。
通常、怪獣映画では人間社会に怪獣が貫入してくるドラマを描きます(ちんごじらとて例外ではない)が、『怪獣惑星』では怪獣の世界に人間が入っていく・・。

 となると、怪獣映画の楽しみを与えてくれるものではなくなっていく可能性が強いです。
その枠組みでなんらかのドラマを作り出すための異星人二種族ではないのか?と疑っています。

 はっきりと色分けされた二種の異星人が作品全体のテーマを担っていくのではないかと。
(慈愛と抗争という人間が持つ二面性を彼らに分け与えているのでしょう)
 なんだか怪獣映画とは別のものになりそうなんですよね。

 まあ、さらに穿って考えれば、ゴジラ映画とはまるで違う枠組みを使いつつ、最終的に怪獣映画に着地してみせるのもある種のどんでん返しで、そこを狙っているとか??
(ただ前述の瀬下氏インタビューを見ると、脚本の虚淵氏も共同監督の静野氏もゴジラを知らない人たちらしいので、それはないかな・・)

 そして、海軍大臣さんから寄せられた大変興味深い分析からさらに発展して思うところがあります。

 どうも若い映画人は、頭の中がハリウッドばっかりなんじゃないかと。
それは最近の話ではなくて、かの大森一樹監督でも関わったゴジラ映画ではハリウッド映画の模倣をさかんにやっていました。

『スター・ウォーズ』に感化されたなどという話はよく聞きますし、映画に目覚めるきっかけがハリウッド映画だという映画人は多いんじゃないでしょうか。
それ自体は悪いことではないですが、では彼らは日本映画の歴史についてどれほど意識的なのだろうと思ってしまいます。

 日本の映画人でありながら、ゴジラを知らないということになると、映画史には無頓着ということでもあるでしょう。
(『風と共に去りぬ』『市民ケーン』『2001年宇宙の旅』を知らないと言っているのと似たようなものだ)

 そして怪獣映画を考えるとき、ハリウッド流の怪物映画を参考にするのではないか、と。

 日本の怪獣映画はハリウッドの怪物映画を参考にして出発したかもしれないけれど、和風の発想で別の表現へと昇華させたところに価値があるはずなのに。
(決定的なのは怪獣が人間には殺されずに終わる作品が多数あること。外国映画にも怪獣が死なずに終わる映画はありますが、少数派である)

 ハリウッドの大衆娯楽映画を作る方法論や物量、技術力はたいした物です。けれども、ハリウッドが映画の最高峰だと思うのは浅薄であーる。

 とにかく、真っ当な怪獣映画、ゴジラ映画を見たいんだけどなぁ。(ゴジラを倒せが合い言葉みたいな映画はもういらない!!)

橋本力さん逝去 - エクセルシオール (男性)

2017/10/17 (Tue) 20:13:56

 映画『大魔神』で主役の大魔神のスーツアクターを務めた橋本力さんが亡くなられたそうです。『大魔神』といえば特撮時代劇の金字塔。悪い権力者を懲らしめる正義の大魔神を演じる橋本さんはものすごい迫力であり(特にその鋭い「眼力」)、この方あっての大魔神であったと思います。

 特撮以外で有名な出演作と言うと何といっても『ドラゴン怒りの鉄拳』。橋本さんは悪の日本人空手家「鈴木」を実に憎々しげに演じており、「あのブルース・リーと戦った数少ない日本人」として名を残しています。ちなみに最後にリーの必殺キックでぶっ飛ばされたシーンで、橋本さんの代わりに吹っ飛んでいったスタントマンがジャッキー・チェンだったというのも有名な話でした。ブルース・リーとジャッキー・チェン双方と共演したというのもすごいことだったと思います。

 今年は中島春雄さん、土屋嘉男さんに続き、今度は橋本力さんまで亡くなり、特撮ファンとしては寂しい年になっていますね。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

Re: 橋本力さん逝去 殿様ギドラ (男性)

2017/10/18 (Wed) 19:44:21

お知らせ下さり、ありがとうございます。
大手のマスコミでは報道されていないようで、まったく知りませんでした。

寂しいです。

私の中では大魔神シリーズは特撮映画トップ10、いや、5に入るほど好きな作品です。
(告白すると、ガメラシリーズのセルソフトは買っていないけれど、大魔神はDVDボックスもブルーレイボックスも買ってしまった)
それも橋本力さんの演技があってのことでしょう。

橋本さんは我が家のわりと近くに住んでいらっしゃったことを知っておりまして、どこかですれ違っていたりするんじゃないかと妄想していました。
もしお会いしたらサインをねだれるものかなぁ、とか・・・。
それももう叶わぬことになりました。

時の流れとはこういうものだとは思うものの、なんとも残念でなりません。

合掌。

『巨影都市』続報 - エクセルシオール (男性)

2017/10/02 (Mon) 21:15:19

 以前紹介した「ゴジラもガメラもウルトラマンも全員集合」のゲーム『巨影都市』がもうしばらくしたら発売となりますが、新しい公式サイト情報によると、まだまだたくさんのキャラクターが登場することが分かります。

 追加キャラで分かるのはウルトラシリーズからはダダ、キリエロイドⅡ、ウルトラマンタロウ、ティガ、ゼロ、ベリアルが登場。ゴジラシリーズからはモスラ、バトラ、メカゴジラ。ガメラシリーズからはギャオス。その他にもグリフォン(『機動警察パトレイバー』に登場するイングラムのライバルロボ)などが登場し、もうしっちゃかめっちゃかな感じがしてきます。

 私が驚いたのはメカゴジラ。何とミレニアムシリーズに登場した「機龍」であって、『VSメカゴジラ』に登場したGフォース製のメカゴジラではありません。ゴジラはVSシリーズ版と考えられるのに、メカゴジラが「機龍」とは・・・・。いくら何でも設定考証が甘すぎないかと思いました。第一、「機龍」ではVSシリーズのゴジラと比べて小さすぎるのではないか?

 ゲーム自体は面白いと思いますが、やっぱり疑問を禁じえません。節操のないクロスオーバーの始まりにならないことを切に願います。

Re: 『巨影都市』続報 殿様ギドラ (男性)

2017/10/03 (Tue) 18:23:41

うーむ、テレビCMを見て、いよいよ発売かぁ、なんて思ってましたが、一体どうなることやら。

あれもこれもと言うなら、ゴジラは歴代全部、メカゴジラも全部出すぐらいの根性を見せて欲しいものです。

なんか、作り手の個人的な趣味に走ってないか??

クロスオーバーついでにもう一つ - エクセルシオール (男性)

2017/10/03 (Tue) 21:16:52

 一種のクロスオーバーとしてもう一つ話題がありました。アニメ映画の『ゴジラ怪獣惑星』関連で、その前史にあたる物語が今月25日にKADOKAWA(角川書店)から発売されます(レーベルは角川文庫)。要するに人類が怪獣との戦いに敗れて地球を去るまでの物語なのですが、アニメ映画公式サイトのニュース欄を見て、かなり首をかしげてしまいました。

「カマキラス、ドゴラ、ヘドラ、ダガーラ、オルガ、ゴボラ!そこは、怪獣に蹂躙される<地球>」というフレーズが上がっていました。何だかイベントで示された歴史とはやや異なった印象がありますね。それにしても「ゴボラ」という聞きなれない怪獣の名前が不思議です(単なる「ゴジラ」の誤植かもしれないが、主役怪獣の名前を間違うのはかなりひどい)。

 なお、アニメ映画に関してはもう予告編が出ています。それなりに面白そうですが、「なんか違うなあ」という気分が否めません。後、宣伝の一環でしょうが11月12日にに『シン・ゴジラ』の地上波放送が行われるそうです。

Re: 『巨影都市』続報 殿様ギドラ (男性)

2017/10/06 (Fri) 18:09:54

ちょいと遅レスになってしまいました。

んー、「巨影都市」も「GODZILLA怪獣惑星」もアニメを経て怪獣を知った人々の手によるもののように思えてなりません。

日本のアニメのうちある種のものは、特撮映画の影響下にあったと思われます。
(「科学忍者隊ガッチャマン」の資料本によれば、当時のタツノコプロスタッフは特撮映像にアニメでチャレンジすることを考えていたとか)

ところが、まずアニメで育った人はアニメを通じて特撮を知り、アニメ側の感性で特撮作品を見てきたのではなかろうかと疑っています。

その結果、怪獣映画を考えるとき(作るとき)、アニメ作品の延長線上に置こうとしていないでしょうか。

日本の怪獣映画は本多猪四郎と円谷英二が開祖であり、私の中では山本嘉次郎、成瀬己喜男らの系譜に連なるのが怪獣映画です。
昨今の怪獣ものに違和感しか感じないのは当然というところでしょう。

そりゃ、どんな枠組み・ストーリーにも対応可能なのが怪獣であると思ってはいます。(既存の怪獣を使う場合、オリジナルの設定を守ることが基本として)
とはいえ、怪獣映画の魅力とは何だ、と考えていけばおのずとストーリーは絞られてくるんじゃなかろうか・・。

「巨影都市」は『クローバーフィールド』(アニメではありませんが、外国作品である)の発想にさも似たりだし、「怪獣惑星」のほうはざっくりとした印象として「進撃の巨人」と「テラフォーマーズ」を混ぜたものに見えます。

怪獣映画のエッセンスを感じません。

それから、東京歌舞伎町のゴジラフェスなるイベントにゴジラ像8体が集結、なんて告知されてますが、平成以降のものばかり。
11月3日のゴジラ誕生を祝うと言いながら、初代も二代目もいないとはどういうわけか。
いっそ12月16日に平成ゴジラ誕生祭をやればいいのに。

なんだか腹立ちついでに白けてきます。

本当に昭和は遠のいてしまいました - 海軍大臣 (男性)

2017/09/06 (Wed) 13:27:56

 土屋嘉男さんの訃報が報じられました。
亡くなられたのは半年以上前の2月8日とのことです。奇しくも伊福部先生と同じ御命日となります。
私たちの大好きだった俳優さんたちの相次ぐ悲報に、ただ言葉もありません。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

Re: 本当に昭和は遠のいてしまいました 殿様ギドラ (男性)

2017/09/06 (Wed) 18:44:59

 お知らせ下さり、ありがとうございます。

 一読、息が止まりました。
土屋嘉男さんご出演の名作の数々に感謝して、ご冥福をお祈りいたします。

 2月からいままで報じられなかったことにも寂しさ悲しさを感じます。

土屋嘉男さん死去 - エクセルシオール (男性)

2017/09/06 (Wed) 20:29:09

 現代劇、時代劇、特撮ドラマなどで、物語を引き締める名優でした。特に「苦悩する善人」を演じたら一番という方だったと思います。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

Re: 土屋嘉男さん死去 - ルー等級つつ大臣 (男性)

2017/09/08 (Fri) 21:58:43

今知りました。
そして茫然自失しております…
黒澤作品や数多くの特撮映画に出演していて大好きな俳優だっただけにショックです。
慎んでご冥福をお祈り致します。

『ヤマトタケル』について - エクセルシオール (男性)

2017/09/01 (Fri) 21:45:34

 最近、ふと「ゴジラやモスラと言ったメジャーな怪獣に頼らない東宝怪獣映画が最後に作られたのはいつだったか?」と思い、94年に公開されたこの作品のことを思い出しました。

 『ヤマトタケル』は豪華なキャストと多くの予算を用いて作られた大作特撮映画でした。ゴジラ以外の東宝怪獣映画が作られたのも、確か『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ、決戦!南海の大怪獣』以来24年ぶりであり、久方ぶりの「新規怪獣映画」だったと言えます。
 しかも、単なる単発映画ではなく、アニメ、漫画、ゲームと並行した一大メディアミックスが試みられたばかりか(ちなみにストーリーや設定は皆違う)、それだけではなく、もとは三部作が予定され、ゴジラVSシリーズに代わる特撮シリーズとして企画されていたそうです。

 本作品の特撮ではヤマタノオロチ、海神ムーバ、クマソガミといった怪獣が登場し、対するヤマトタケル側にも宇宙戦神(うつのいくさがみ)という巨大ロボットが現れ、ものすごい迫力がありました。当時のスタッフの意気込みが感じられます。

 しかし、残念ながら興行成績は今一つだったようで、続編の企画も没となり、今では半ば忘れられた作品になってしまいました。現在、そこそこファンが残っているのはアニメ版くらいでしょう(私もアニメ版が一番好きですが)。
 なぜそうなったのか?思うに古代日本神話をベースにしたため、SFになれたファンからは「大昔の人の話でダサい」と思われてしまったのかもしれません(なお、参考までに述べると、アニメ版では未来の地球以外の惑星と宇宙を舞台とするSFファンタジーロボアニメとなっていた)。また、クライマックスである宇宙戦神と邪神ツクヨミが変身したヤマタノオロチとの対決は重厚ではあったけど、反面、少々スローモーな印象を与えるものになっていました。実写巨大ロボット特撮という分野では東映に一日の長があったと思います。

 『ヤマトタケル』の不本意な顛末は、メジャー怪獣に頼らない怪獣映画、新しい内容の特撮映画を作ることを躊躇する傾向を生み出してしまったと考えます。これは非常に残念なことです。かつてはゴジラ以外にもたくさんの種類の怪獣映画が作られていましたが、今はもうそれは望めません。このような特定シリーズによる分野の独占、寡占は長い目で見るとジャンルを衰退させます。もう一度、特撮スタッフには新しい作品を作る勇気を出してほしいのですが、難しいでしょうかね。

 なお、『ヤマトタケル』が三部作となっていたら、二作目では幻の怪獣バガンと、最終作では何とゴジラとの対決が企画されていたとか。バガンはともかくゴジラの出演は実現しなくてよかったような気もしますね。
 それから、ゴジラVSシリーズの方で宇宙怪獣のキングギドラを登場させるプランもあったらしいのですが、「ヤマタノオロチと類似している」という理由で没になったそうです。こちらも実現しなくて良かったのか悪かったのかちょっと微妙です。

Re: 『ヤマトタケル』について - 海軍大臣 (男性)

2017/09/02 (Sat) 01:55:43

 この映画の公開時に、ゴジラとヤマタノオロチが激突する、極く単純な怪獣同士の肉弾バトルを主体とした娯楽大作が観てみたいと本気で思ったものでした。ふと、そんな願望を抱いてしまうぐらいに、合成では無い「ナマの火炎」を放射するオロチの迫力ある描写はもっと評価されても良い筈です。同じ時期の平成ゴジラシリーズのクライマックスが、怪獣プロレスになるのを嫌って光線の打ち合いに終始していた所為か、酷く新鮮でした。

ただ、あの『日本誕生』を観ている側からすれば、三船敏郎→高島兄、志村喬+鶴田浩二→藤岡弘、中村雁之助→篠田三郎と、キャスティングの面で明らかにボリュームダウンしているのが少しツラく感じられたのを覚えています。倭姫やオトタチバナ役の女優さんたちにしても同様でした。
TVでやるにはお金が掛かりすぎるが、劇場映画としては何とも安手な感を拭い切れない、そんな中途半端さが興行成績に如実に表れてしまったように感じられます。
『さよならジュピター』『ガンヘッド』の相次ぐ失敗が国産SF大作映画の道を閉ざしてしまったのと同様に、この作品のしくじりのため、作品企画の面での冒険を映画会社は試みなくなってしまったようです。確か、この少し後になってから、東映で大森一樹監督が『スサノオ』なる作品を撮るとか言っていましたが、こちらも沙汰止みになってしまいましたしね。

そんな意味で映画『ヤマトタケル』失敗の責任は重大と云うことになってしまいますが、しかし、この作品の残した功績として忘れてはいけないのが、ツクヨミ役で出演していた阿部寛の、俳優としての覚醒(?)です。
それまでクソ面白くもない二枚目役ばかりだった阿部ちゃんが、本作品中で殆ど自棄っぱちの「フル〇ン姿」を晒して以来、役者として本当に一皮剝けた様に感じているのは私だけでしょうか? しかし、これを機に『トリック』や『テルマエ・ロマエ』などでの怪優・阿部ちゃんの大躍進が始まっているのも事実なのですから…。

ところで、ヴィン・ディーゼルが主演した『リディック』というSF大作映画ですが、確かあれも当初は3部作の予定でスタートした筈なのですが、全部作られたのでしょうか?
その前日譚に当たる『ピッチブラック』がナカナカ面白かった(導入部が『マタンゴ』の舞台を宇宙を置き換えたような感じがあったりします)ので、期待して第1作目を観に行ってガッカリし、それ以来ご無沙汰になったままなのですが。

Re: 『ヤマトタケル』について 殿様ギドラ (男性)

2017/09/03 (Sun) 16:34:20

『ヤマトタケル』の不発は、本当に残念なことでした。

 近年はCGが安価になったためか、SF系ファンタジー系の特撮映画が増えたように思いますが、
往年の東宝特撮のような、スペクタクルを主眼とした特撮映画が定着しているとは思えません。

『ヤマトタケル』はゴジラ以外の東宝特撮の伝統を復活させてくれるかもしれない企画だっただけにその頓挫は大きな損失だったと思います。

 そこで問題なのは、不入りの原因をどう分析したのか、というあたりなんです。

 平成VSシリーズ最大のヒットとなった『ゴジラvsモスラ』をモスラが出たからヒットしたとする意見を読んだ覚えがあります。

 本当にそうなのか?
 物語の構図は? 演出は? つまり、どのキャラクターが出たかではなく、映画の出来がどうだったかと考える視点はないのか?
(私見では、『ゴジラvsモスラ』は上出来ではなかったものの、関沢新一脚本に近い構図を用いていたことが広いお客さんにアピールしたのではないか、と見ています)

『ヤマトタケル』は有名キャラ(ゴジラなど)が出なかったからコケたのではなく、映画の出来がいまいちだったからコケたのではないのか?

 前半部は非常に堅実な作りで、ファンタジー映画として問題なく楽しめました。
 ところが後半部は筋運びが俄然雑になり、特撮アクションを羅列するだけという印象です。
 公開当時のキャッチコピーが「劇場でRPG体験」とかなんとか宣伝していたと記憶しています。
 そのあたりに問題がなかったかどうか・・。

(エノケンや三木のり平の)『孫悟空』や『日本誕生』『白夫人の妖恋』のようなファンタジー、『地球防衛軍』『宇宙大戦争』『妖星ゴラス』『海底軍艦』のようなSFスペクタクルの方向もまだまだ需要はあるはずなのに、ゴジラ以外はこけた、と萎縮するのは間違ってますよ。
(で、ゴジラをいじりまわしている)

 ウケる要素は何だろうとかどのキャラクターに人気があるだろうとかではなく、「おもしろい」映画ってなんだろうと考えればいいのになぁ。

『リディック』は見てなくてよく知らないのですが、続編があったような・・。

Re: 『ヤマトタケル』について - エクセルシオール (男性)

2017/09/03 (Sun) 22:11:03

 確かに『ヤマトタケル』のストーリーを思い出すと、後半はいささか雑という感じはありました。その点は痛かったと思います。変に三部作という考えを捨ててこの一作をしっかり作るという発想で制作すれば、また道も開けたかもしれませんね。
 もしこの作品が成功していれば、ゴジラ以外の特撮怪獣映画やSFスペクタクル作品が再び作られるようになっていたと思うので、まさに一大痛恨事でした(なお、アニメ版も余波を食らって50話を37話にされてしまった。こちらも残念である。)。

 ゴジラはもちろん絶対のスターですが、だからと言ってそればかりに頼っていては袋小路に陥ります。ゴジラはスターゆえに王道と伝統と正統の体現者となりますから、裏を返せば冒険はやりにくい。そこで、そんなしがらみのない他作品がジャンル全体の活性化のためには必要だと思います。

 なお、『リディック』に関しては続編として『リディック:ギャラクシーバトル』という映画が作られています。もっとも、前作でカルト集団のトップに立ったという設定はあっさり破棄されて(部下の裏切りで荒廃した惑星に置き去りにされる)、また第一作目『ピッチブラック』のようなサバイバルが繰り広げられます。個人的には『ピッチブラック』のみで続編を作らない方がよかったと思っています。

Re: 『ヤマトタケル』について - 海軍大臣 (男性)

2017/09/04 (Mon) 01:41:37

 エクセルシオール様、『リディック』に関してのご返答、ありがとうございます。

 さて、ゴジラに頼らない特撮作品の可能性ですが、『インディペンデンスデイ』が当たっていた時期に東宝でも『地球防衛軍』をリメイクしようなどという企画があったと記憶します。
 しかし、大ヒットしたハリウッド映画の尻馬に乗る愚行は、70年代の東映特撮路線で散々痛い目を見てきていましたから、こちらの方は寧ろ実現せずに終わって幸いだったと思います。(それでも私などはリアルタイムで観た世代なので、周囲から散々バカにされている『恐竜怪鳥の伝説』や『宇宙からのメッセージ』に対しても、一定以上の思い入れは持っていますけれど…)

 また、ギドラ様の仰られる、

『ゴジラvsモスラ』は上出来ではなかったものの、関沢新一脚本に近い構図を用いていたことが広いお客さんにアピールしたのではないか、

 とのご意見には非常に賛成する一方で、その興行的成功の大きな理由としては、やはりモスラの持つキャラクター性(何となく一般客にも耳馴れているモスラの唄であるとか、付帯する小美人のキャラクターだとか)の強みもあったのではないかと思ってしまいますし、更に言えば、毀誉褒貶が激しい作品ながら前作『ゴジラVSキングギドラ』の興行面での健闘が、翌年に向けての観客の開拓に大きなプラスになったようにも考えられます。
 結局、『ゴジラVSモスラ』が敢えて関沢脚本に似せた構図を作中に残したのは、シン・モスラ(?)みたいな名称のみを残した新奇なものをやるのじゃなくて、「みんなが知っているあのモスラが帰ってきた!」といった部分を全面に押し出す為だったのでしょう。スタートとなった『モスラVSバカン』の企画段階では、一時、小美人やモスラの唄を用いないとのアイデアがあったとされますが、当然のことながら却下されたようです。
 まあ、もっとも『モスラ』の持っていた神通力(?)もこの一回限りで使い果たしたと見え、平成モスラ・シリーズ以降は観客に大きくアピールするものでは無くなってしまったことは興行成績を見れば良く判りますよね。
 ともかくゴジラは84年に復活するまで多少のブランクを挟みながらも、連綿と15作品が作られて子供たちを中心にネームバリューが広く浸透した東宝の「看板商品」でした。モスラも幾分「格落ち」するとは言え、それに準じていました。
 ところが『地球防衛軍』にしろ、『ヤマトタケル』の発送の根本にある『日本誕生』にしろ、当時こそ大成功を収めた作品だとは言っても、それは特撮ファンが覚えているばかりで、ゴジラやモスラのような一般客に向けた間口の広さは持っていませんでした。一時『空の大怪獣ラドン』の完全リメイクの噂が流れたこともありましたが、こちらにしても五十歩百歩でしょう。
 かのハリウッドですら過去の遺産を食い潰すようなリメイク企画のオンパレードなのですから、森岩雄や田中友幸に代わる人材のいない映画会社が企画面での袋小路に落ち込んでいったのも、避けえない悲劇なのだと思います。

 




Re: 『ヤマトタケル』について 殿様ギドラ (男性)

2017/09/05 (Tue) 19:27:55

『vsモスラ』のヒットにはモスラ人気も寄与したのであろうとは思います。
 当時、出演者の一人であったスーちゃん(釣りバカ日誌じゃなくて。あ、それはスーさんか)が子供の頃に見た『モスラ』の話をTVで話していて、
「ああ、女性に受ける怪獣としてモスラがあったのか」と思ったのを覚えています。

 それでも関沢新一風のドラマ構成になったことに関しては、大森一樹さんの述懐に「ゴジラを作っていくうち、関沢新一型にしかなり得ないことがわかった」というような発言があったことを覚えています。
(この発言で、大森一樹監督を信用するようになった・・)
 出典を覚えていなくて、こりゃまずいと思ったら、簡単に見つかりました。
「東宝SF特撮映画シリーズVOL.7ゴジラVSモスラ」のインタビュー記事でした。

 引用はまずいのかもしれないけれど、ええーい、勘弁してね。
P71下段
「やればやるほど関沢(新一)さんは偉大だったと、こうしかならんのやな、という思いを強くしましたね。関沢さんの脚本は『VSビオランテ』の頃によく読んだんですけど、こんな絵空事やってるからダメなんだとその頃は偉そうに思ってましたが(笑)。
ところが出来上がってみると、やっぱり怪獣と現実とは噛み合わんと、こういう手しかないんやなとつくづく偉大なんだと思いましたよ。」
とありました。

 そこにつづけて、怪獣映画でありながら他ジャンルとの融合を果たしたすごさの話なども出てきます。これ、私も非常に重要なポイントだと思っています。
単にストーリーのバリエーションを増やすという役割だけでなく、怪獣という存在をどう捉えるかの問題にも関わっていて、例外があってもいいとは思うものの、怪獣映画たるもの、怪獣対策のみを描くのでは十全に怪獣を描いたことにはならぬ、怪獣事件以外の人間社会の葛藤・事件を絡めよ!
というのが私の怪獣映画哲学です。
 作り手もファンも関沢脚本(おそらく本多監督による手直しも入っている)の価値をもっと認めるべきです。(以前、某ライター氏がトークイベントで関沢脚本より馬淵脚本のほうがずーっと深い、などと曰っていましたが、見識不足だ)

 あ、それから、同インタビューによると当時のモスラ人気ってそれほどでもなかったようですよ。ビオランテの次にモスラの再デビューを考えていたけれど、インパクトに欠けるんじゃないか、ビデオもあまり売れていない、などとボツになってキングギドラになったとのこと。
『ゴジラvsモスラ』のヒットを受けて、モスラには人気があると認識された面もありそうです。
(で、平成モスラ三部作につながるけれど、あれも、平均して映画の出来がよかったとは思えません。不入りは映画の出来のせいではないかと思う所以・・)

 なんだかもとのスレッドから話がずれてしまって申し訳ないです。

 話を戻します。

 確実に(というより最低限の)お客を呼べるから、という理由で人気シリーズや人気キャラクターのリメイクに走るのでしょうけれど、その際、原典の魅力を理解し、それを引き継ぐならまだしも、
看板だけ盗んで中身は別物を作ってしまう輩がいるから困りもの。

 もう近年のリメイクものはまったく信用していません。(J・J・エイブラムスのスタートレックなんて原典と矛盾しないように平行世界という設定を持ち込んでいるけれど、肝心のお話がまるでダメ夫。『電人ザボーガー』はなんかもう、気持ち悪い・・その他その他)

 現代社会に描くべきテーマがないはずはないし、シリーズ物になりうる新たなキャラクターを作れない理由もない。

 本当にいままで何度も繰り返し言い続けて来たことですが、過去の遺産を引き継ぐなら原典を守るべきだし、原典通りでは新作を作れないというなら別の企画を考えるべきです。
まあ、あんまり一般化するとイメージが作りにくいので、もう、ゴジラ、としていいですが、
原典通りのゴジラでは現代に通用しないと考える人はゴジラを作る必要はないでしょう。別の「現代的な」怪獣を作って下さいよ。それがおもしろければそれでいいのです。

 ゴジラという名前を使いたいのは、宣伝に好都合だからであって、創作上の都合ではないです。
これ、映画プロデューサーの質の問題もありそうなところです。映画監督のどなたかがおっしゃっていたのですが「シナリオが読めないプロデューサーが多い」と。
シナリオから仕上がりが想像できないとか、善し悪しが分からない、という意味かと思うのですが、こうなるとなにかしらのシナリオを前にしてその企画にGOサインを出すか出さないかの判断が出来ないということでもあります。
そこでマーケティングの結果か何かを基準にして映画作りを進めるんでしょうね。(スターの誰々を押さえたからGOだ、有名キャラの使用権を取ったからGOだ、ハリウッドのヒット作に似せるならGOだ・・・・)

 さらに、これが事実なら相当恐ろしいことなんですが、作り手にヲタクが増えてしまった結果、自分が好きだったあのキャラこのキャラを使って二次創作をしたいというプロが増えてしまったのだとしたら万事休すですね。
どんな批判が出てきても、それが彼らのやりたいことなんですから、止められません。 興行的にコケれば止まるのでしょうが。
(今度のアニメゴジラのスタッフがゴジラに思い入れがあるのかどうかとなると、それはまた違う話のようではあります)

 私はゴジラもガメラも好きですし、原典通りのゴジラやガメラの新作を見たいという希望は持っていますが、同時に新機軸の特撮スペクタクル映画を見たい、と切に願います。
メカものでも天変地異でもいい。

 と思っても、どうも現状を考えるとなかなか厳しいものがありますね。
そりゃ、自分で映画を作ればいいんですが、それこそ簡単にいかない話でありまして・・。
 で、言論に訴えるしかないと・・。キビシーー!

昭和は遠くなりにけり… - 海軍大臣 (男性)

2017/08/08 (Tue) 18:14:08

 中島春雄さんが昨八月七日に逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 中島さんには私の所属する特撮グループのトークショーやパーティーに幾度となくお越しになって頂いたことがあり、幸運にも豪放磊落なそのお人柄に触れさせていただく機会がありました。
中でも印象的だったのは、もう20年ばかり昔になりますが、かの平山亨さんが発起人となって東京・十条の「和田屋」という飲み屋の二階席を借り切って、中島さんの戦時中の体験談をお聞きしたときのことです。(意外なようですが、故・平山翁は熱烈な円谷英二信者であられました。また、御自身が戦時中に陸軍の少年航空兵を志願されていた経緯から、同世代の中島さんの予科練時代にも大変興味を持たれており、このような集いが企画されたのです)
 その時のお話は、後年に出版された自叙伝にも書かれていない海軍時代のエピソードが盛り沢山で語られるなど、実に貴重なものでした。そして予科練に入られる前に横須賀の航空技術廠で働いていたとき(昭和19年晩秋)に、レイテ沖海戦を生き延びた戦艦長門が南方から帰還して来たのを目撃(爆撃で煙突の辺りがメチャメチャになっていたとのこと)したという話題が出たのです。
実は私の祖父は戦時下を海軍軍人として過ごし、当の長門に乗り組んでおりました。その旨を私が告げたところ、中島さんも「アンタがあの時の長門に乗っていた人のお孫さんだったなんて!」と半世紀を隔てた邂逅に大変驚かれていたご様子でした。
 後年、私が円谷英二に関する著作を上梓した際に、中島さんにも献本させていただいたのですが、3年前のギャレ・ゴジ公開に合わせて放送されたTV特番のインタビューの中で、中島さんの書斎の一隅にさり気無く私の本が置かれているのに気づいて、大変感激したことを思い出します。

 中島春雄さん、本当にお疲れ様でした。安らかにおやすみください。

 

Re: 昭和は遠くなりにけり… 殿様ギドラ (男性)

2017/08/08 (Tue) 18:51:37

 言葉を失っております。

 つい先日見た『やま猫作戦』(谷口千吉)にも中島春雄さんを見つけて、本当にたくさんの映画に出演なさっているのだなぁと感心していたばかりでした。

 真似なんかしていちゃダメだとおっしゃっていたようですが、私にとってはゴジラとは中島春雄さんの芝居があってこそ。

『vsビオランテ』に納得いかず、公開当時に東宝へ宛てた手紙に「中島春雄さんに演技指導を依頼してはどうか」と書いたことも思い出します。

 ゴジラが生き生きとした躍動感を持ち得たのは中島さんのおかげでしょう。だからゴジラが好きになったのです。
 ただ感謝です。

 ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

 そして、海軍大臣さんの貴重なエピソードにも感謝いたします。

 なにかもっと胸の中にはこみ上げるものがありますが、言葉に出来ません。

中島春雄さん死去 - エクセルシオール (男性)

2017/08/08 (Tue) 20:58:45

 中島春雄さんは草創期の怪獣映画を手塚勝巳さんと共に支え、その後もゴジラをはじめとする数多くの怪獣たちを演じ続けた名スーツアクターでした。

 ゴジラ一つとっても重厚なゴジラ、敏捷なゴジラ、怖いゴジラ、ユーモラスなゴジラ、可愛いゴジラ等々、あらゆるタイプのゴジラを演じておられました。『ゴジラ』の重々しいゴジラも素晴らしいですが、『ゴジラの逆襲』における中島さん演じるゴジラと手塚さん演じるアンギラスの戦いは、怪獣決戦の元祖であり凄い迫力があったと思います。
 最後の出演作となった『ゴジラ対ガイガン』では、すでに東宝との専属契約が終わっていたにもかかわらず、スタッフからどうしてもと言われてゴジラを演じたのだとか。やはり中島さんなしではゴジラはないということがよくわかるエピソードです。アンギラスと共に血みどろになりながら宇宙怪獣(キングギドラとガイガン)と戦うゴジラの姿はやっぱりかっこよく、中島春雄ここにありと観客に思わせるものでした。

 間違いなく世界一の着ぐるみ役者さんだったと思います。ご冥福をお祈りいたします。

中島春雄さんに御尋ねしたかったこと - 海軍大臣 (男性)

2017/08/12 (Sat) 02:29:05

 特撮と余り関係の無い話題なので恐縮ですが、次に中島さんにお会い出来たときに御尋ねしよう思っていて、とうとう果たせなかった質問があります。

 それは戦時中に中島さんが乗艦経験のある空母「信濃」に装備されていた双眼鏡のレンズの色についてです。

 詳しく説明いたしますと、中島さんは予科練に入られるまでは横須賀の航空技術廠で働いており、発着機部という部門に配属されていたため、同じ頃に横須賀海軍工廠で建造中の「信濃」の工事立ち合いのため、何度となく同艦に乗艦されたと聞きました。(空母の飛行甲板に設置されている、航空機が着艦する際に用いる着艦ワイヤー関連機器の工事だったそうです)
 そして工事の合間などにアイランド(艦橋構造物)の屋上にある防空指揮所に登っては、そこに設置されていた見張り用の大型双眼望遠鏡で夜空の月を眺めて息抜きをされていたことを話されていました。(自叙伝の「怪獣人生」では星となっていますが、私の方は直伝です)

 で、何故レンズの色などに私が興味を持ったのかと言いますと、実は数年前より戦時中の記録映画「轟沈」を撮影した映画カメラマンのことを調査しているのですが、それに関連して先ごろ旧海軍の光学兵器に関する文献を漁っていたところ、旧海軍では戦争後半より潜望鏡や大型双眼望遠鏡の対物レンズにフッ素化合物を用いた表面コーティングを実施しており、航空母艦では最初に「信濃」にこの処理を行った光学兵器が導入されたとする記述を見つけたのです。
このコーティングを実施したレンズでは集光力が格段に増加するため、夜間や薄暮時での見張り能力が向上すると言い、また、この処理をされた対物レンズは赤味を帯びて見えたとも書かれていました。

 それの何が重要なのかと言いますと、周知されている様に、この後「信濃」は間もなく横須賀を出港して瀬戸内海に向かいますが、和歌山県沖で米軍潜水艦によって敢え無い最期を遂げてしまいます。
 その時の記録を読んでいくと、実は攻撃を受ける前に日本側では浮上航行中の米潜(当時の潜水艦は水中速力が低いので、攻撃目標を全力で追跡する際は浮上航行せねばなりませんでした)を発見しているのですが、実はここに不可解な事実があります。「信濃」よりもずっと米潜に近い位置にいた護衛の駆逐艦よりも先に「信濃」の見張員が敵影を見つけているのです。
このとき同空母を護衛していたのは何れも歴戦の駆逐艦であり、本来であれば新造空母の乗組員よりも夜間見張能力は遥かに優れていた筈でした。その理由に関して戦記や戦史の類いでは、ただ一律に「70,000tの空母と2,000tの駆逐艦では見張所の高さに大きな差があるため」としていますが、前述の文献に触れて以来、私には表面コーティングによる光学レンズの性能差に原因が求められるのではないか?と考えられてならないのです。護衛駆逐艦は何れもレイテ戦を終えて内地に戻ってきたばかりの時期ですから、この手の処理を実施した光学兵器は未だ装備されていなかったと判断されます。(ちなみに中島さんが目撃されたと云う、内地帰港の戦艦「長門」を横須賀まで送ってきたのも同じ駆逐艦の部隊でした)

「信濃」関連の文献でこの点を指摘したものは私の知る限りでは皆無の様に思えます。ですから、実際に「信濃」の防空指揮所に装備された大型双眼望遠鏡を目の当たりにされている中島さんの証言が得られれば、戦史研究に一石を投じる新事実になっていたのではないかとしきりに後悔されております。
 以上、長々と勝手なことを書かせていただきましたが、今回の訃報に触れてから、私にはそんなことばかりが思い起こされているのです。

中島さん、貴方が月面のクレーターを眺めては大宇宙のロマンに浸っていたと仰っていたあの双眼望遠鏡のレンズは、赤味を帯びていませんでしたか?


 

 

Re: 昭和は遠くなりにけり… 殿様ギドラ (男性)

2017/08/17 (Thu) 18:21:14

 海軍大臣さん、貴重なお話をどうもありがとうございます。

 信濃は、子供の頃プラモデルを作ったことがあります。
そのとき、飛行甲板に隠れるはずの船体上面になぜか砲塔を設置するための台座があって、これはどういうことなんだろうと不思議に思ったものです。

 のちに、もともとは大和クラスの戦艦として設計されたものの急遽空母に改装されたことを知り、あのプラモデルは「リアル」だったのか、と驚きました。

 あの戦争を語れる方々が少なくなっていくのもまことに残念なことであり、ゴジラを演じたというだけでなく戦争体験者であった中島春雄さんを失ったこともまた大きな損失であります。

キングギドラ爆殺事件・・・・・ - エクセルシオール (男性)

2017/08/01 (Tue) 22:40:04

 先日、ちょっと私物の本を整理していたら、『ゴジラVSキングギドラ』の小説版が出てきました(田中文雄著、朝日ソノラマ)。ちょっと物騒な感じの件名はこの本に係るものです。

 『ゴジラVSキングギドラ』。映画版の方はいろいろと問題のある内容でした。「キングギドラが宇宙怪獣じゃなくなってしまった」「タイムパラドックスがひどすぎる」等々の批判は全くその通りというほかないですが(後、ゴジラの設定も変わっている)、小説版も基本的な物語は映画と同じなので、問題の解決にはなっていません(なお、公式のあらすじはややミスリードである。「宇宙超怪獣キングギドラが出現したのだ!」という文があるため)。

 ただ、小説独自の要素もけっこうあります。例えば、この小説では映画と異なり、過去のゴジラシリーズの設定を完全に「なかったこと」にはしていません。ところがその部分が映画版を上回る問題を発生させてしまっています。
 この作品には宇宙超怪獣のキングギドラもちょっとだけ登場します。未来人は本物のデータから小生物ドラットを作り出したという設定であり、この部分は悪くない。問題はここからであり、何と未来人たちは用済みの本物に爆弾を飲ませてあっさりと爆殺してしまうのでした。この冒頭部分は何度読んでも絶句してしまいます。正真正銘の暴挙!作者は何を考えてこんな展開にしてしまったのでしょうか?
 キングギドラはエネルギー体から実体化する怪獣なので、粉微塵になっても生き返るだろうと思って、その当時は読み進めたのですが、そんなことは全くなく、物語は終わってしまいます。これなら映画版の方がまだましでした。

 以上が前代未聞の「キングギドラ爆殺事件」の顛末です。もしもこの本を読めるならば読んでみてください。個人的にはゴジラの小説版で一番ひどいと思っています。キングギドラのファンを二重に落胆させた罪は重い。
 
 さて、『ゴジラVSキングギドラ』が公開された当時、「ゴジラとキングギドラが一対一で戦う」というのが触れ込みでしたが、これは考えてみるとおかしな点でしたね。キングギドラという怪獣はゴジラよりも格上の存在であり、「単独ではゴジラは勝てない」はずだからです。当時のスタッフは「キングギドラ」というネームバリューほしさのあまり肝心の基礎設定を忘れていたようです。
 私は今でも宇宙超怪獣のキングギドラに、ゴジラとラドンとモスラ、それからアンギラスを加えた4怪獣が立ち向かうという内容(王道中の王道)にしておけばよかったのになあと思っています。地球を滅ぼされてしまってはゴジラも困るのだから「地球を守るために宇宙から来た強敵に立ち向かう」というのは別におかしくなかったはずです。
 そうしなかったのは、多分、昭和後期の「ヒーローゴジラ」への嫌悪感が関係者に強く残っていたからでしょうね。しかし、ヒーロー化を避けるために怪獣の根本的設定変更をやってしまうのでは本末転倒というほかないでしょう(なお、私は「ヒーローゴジラにはヒーローゴジラの良さがあり、全否定する必要もない」と考えている)。

Re: キングギドラ爆殺事件・・・・・ 殿様ギドラ (男性)

2017/08/02 (Wed) 19:18:00

 うーむ、そんな内容だったとは・・。

 ゴジラ映画のノベライズはまるで読んでいない(例外は『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』の小説版)ので、『ゴジラVSキングギドラ』の小説版も中身はまったく知りませんでした。

 キングギドラがあっさり人間に殺されてしまうとは・・・。

 さすがにそれはひどすぎる。
 とはいえ、1985年に東宝が公募したゴジラストーリーにゴジラとキングギドラがサシで戦う物語を提出した自分を振り返ると、当時はまだまだ考えが浅かったな、とも思ってしまいます。

 エクセルシオールさんがおっしゃる通り、キングギドラの強さはゴジラを遙かに上回るものでないと、本物とは言えないんですよね。

 ああ、しかし、いろいろと思い出しますね。
1991年に『ゴジラVSキングギドラ』が公開されたとき、ストーリーの不整合(過去作との断絶やタイムパラドクスの問題)はあるものの、やたらと社会批判性や科学批評を押し出さず(そんなテーマもないことはないのだが)派手な特撮スペクタクル映画として成立させようとしているところに好感を持ちました。

 それから、伊福部音楽の復活にも喝采を送りました。

 結局、ゴジラが恐竜の変異体であるという設定を作ってしまい、放射線を浴びれば怪獣化するのだ、とでもいうようなおかしな常識を作ってしまったのは大きな罪なんですが、
VSシリーズの基本形を作った作品とも言えるんですよね。
(『vsビオランテ』とはかなり手触りが違う)

 小難しいことより、怪獣バトルを見てくれ、という作風と言えば良いでしょうか。
 それ自体は、私は歓迎しました。

 が、

 ゴジラの力も借りて未来人を撃退、というところで終わらせず、最後は人間が搭乗するメカキングギドラでゴジラ退治というエンディングに持って行ってしまう。

 ゴジラをあくまでも人間と対立するものとし、ゴジラ映画とはゴジラ対人間を描くものなのだという観念が含まれていて、
その発想はミレニアムシリーズ、ちんごじら、今度のアニメゴジラにまで引き継がれているように思います。

 いい加減VSシリーズの呪縛から離れて欲しいものです。
もともとのゴジラ映画にはもっと広い可能性があったのに・・。
 私が本多・円谷コンビ作から学べ、と言っているのは懐古趣味ではないんです。基本的な映画作法はもとより、おもしろい特撮映画、怪獣映画の作り方のヒントがあるからなんだけどなぁ。
(ここの常連さんには耳にタコの話でしょうけれど、近年の幼稚化したアニメだの特撮だので感覚が出来てしまった人にはなかなか理解されないようです)

「ゴジラもガメラもウルトラマンも全員集合」のゲームが発売されるそうです。 - エクセルシオール (男性)

2017/07/09 (Sun) 17:47:58

 今年の10月に『巨影都市』というゲームが発売されます。その内容は主人公(男性又は女性を選択できる)が、複数の巨大生命体(「巨影」)が現れ大混乱に陥った都市から、仲間と共に脱出を試みるというものなのですが(ゲームとしてはなかなか面白そうである)、その「巨影」として登場する面々がものすごいことになっています。

 今まで分かっているだけでゴジラ、キングギドラ、ガメラ、レギオン、ウルトラマン、ザラブ星人、エヴァンゲリオン、第4使徒、イングラム(アニメ『機動警察パトレイバー』の主役メカ)等々が登場します(ギャオスも登場予定)。流石に作品の枠組みを超えた対決と言うのはないらしいのですが、それも時間の問題と思わせるクロスオーバー作品となっています。さて、これをどう考えればよいか?

 異なる作品の世界を融合させキャラクターを共演させるクロスオーバーは今や花盛りであり、海の向こうでは「スーパーマン対バットマン」のような、従来は考えられないような作品が作られています。日本だって、スーパー戦隊と仮面ライダーのクロスオーバーはもはや恒例になっているし(春先には必ず両作品のクロスオーバー映画が公開されている)、ゲームの世界では「スーパーロボット大戦」のような作品がもはや何の躊躇もなく制作されています。

 私はクロスオーバーを全否定するつもりはないし、たまに「お祭り」的に行うのは別に良いと思っています。だが、昨今の事情はいささか節操がなさすぎると考えます(『スパロボ大戦』なんぞ無理矢理すぎるだろう)。とにかくコラボすれば売れるという浅薄な発想で企画が作られ実行されていると言わざるを得ません。
 クロスオーバー作品というものは本質的に問題をはらむものです。もともと異なる設定の作品をくっつけるだけで多かれ少なかれ無理が生じますし(たとえ同シリーズであろうと)、主人公達を並び立たせれば内容は総花的で焦点の定まらないものになりがちです。ゆえに、結局、どの作品のファンも不満を残すことになります。さりとて、対等なはずの各主人公間に序列を設けたりしたら、これまた紛争のもとです。ましてや誰かを引き立て役にしたら怒りを買うこと必定です(怪盗アルセーヌ・ルパンシリーズの作者モーリス・ルブランが、名探偵シャーロック・ホームズを勝手に自作品に登場させルパンの引き立て役にして、今だにシャーロキアンから憎悪されていることが好例)。
 つまり、クロスオーバーというものは極めて例外的に行うべきであり、歯止めが効かなくなれば、関わった全作品にダメージを与えるのが落ちです。クリエイターにも節度が求められますが、ファンももっと個々の作品を大切にすべきです(「冒涜だ」という声があがっても良いはずである)。

 さて、このゲーム、『巨影都市』ですが、個々の作品のキャラ同士はそれぞれの世界の枠組みを超えて絡むことはないというそうですから、ギリギリ節度を保っていると言えなくもありません。しかし、主人公は共通であり、当然同一世界の物語ということになります。最後の箍が外れ壁が破れるのも時間の問題であり、次はいよいよ本格的なクロスオーバーが起こりかねません。

 怪獣映画の世界には長年タブーとされている企画があります。それはゴジラとガメラの対決(又は共演)です。おそらく怪獣映画のファンすべてが一度は空想した夢の組み合わせでしょう。これまではこの組み合わせは「実現しないからこそよい(あれこれ想像できるから)」という発想がクリエイターにもファンにも強かった。しかし、昨今の無節操なクロスオーバーの横行はこのタブーを打ち破る危険性を高めていると考えます。現にゲーム『巨影都市』でついに両者は出会わないだけで同一の世界に立ってしまったのですから。
 一度箍が外れてしまうともう止まりません。「ゴジラ対ウルトラマン」(ジラースではない)、「ガメラ対エヴァンゲリオン」「キングギドラ対仮面ライダー」等々、わけのわからない企画が次から次へと実行され、浮ついたファンやメディアに消費されることになりかねない。これはもう地獄絵図ですね。絶対そうなってほしくないです。

 

Re: 「ゴジラもガメラもウルトラマンも全員集合」のゲームが発売されるそうです。 殿様ギドラ (男性)

2017/07/10 (Mon) 18:40:32

 これは、どうも、情報に感謝します。

 言葉も詰まり気味になってしまいます。

 際限のないクロスオーバーに対する危機感はエクセルシオールさんと同じ思いです。
(そして、この「巨影都市」というゲームそのものだけで言えば、あくまでもゲームという枠でなら否定しないし、プレイしてみてもいいとは思う)

「巨影都市」に人気が出たとしても、それを元にしたTVシリーズだの映画だのは作って欲しくないですね。
 そんなことをすればすべてがめちゃくちゃになる・・・。

 気になるのは、ゴジラ・キングギドラ・ガメラが平成ものだということ。
 ゲーム世代を意識するとそうなるのか、いや、平成以後に怪獣にはまった者たちが作ったゲームだからそうなるのか・・。

>個々の作品のキャラ同士はそれぞれの世界の枠組みを超えて絡むことはないというそうです

 最低限、そこは守ってもらわないとすべてが壊れます。

 しかし、近年のウルトラシリーズなんかを見ていると、共演さえすれば喜こんじゃう人もいるようだから、なんでもかんでも共演させる作品が出てこないとも限りません。
(実は「ファイナルウォーズ」という前例はある。名ばかりとはいえゴラスまで持ち出しましたからね)

 ウルトラマンでもガメラでも、それぞれが背負う物語(世界と言っても良い)をはぎ取った形で使われることに抵抗を感じない感性とはいかなるものであるか。

 それを考察すると、現代において特撮だのアニメだのに執心している人々と大喧嘩するはめになりそうなので、寸止めしておきましょう。

 架空のキャラクターが生み出された経緯はどういうことだったか、ゴジラとキティちゃんは何が違うのか、と。

クロスオーバーいろいろ - エクセルシオール (男性)

2017/07/26 (Wed) 22:50:19

 上記したように近時のクロスオーバーブームは節操がない(なお、スピンオフにも同様の問題がある)。たまに「お祭り」「余興」的に行われるからこそ、許容されるものであるのに、恒常的に行われてしまってはありがたみもありません。
 すこぶる性質が悪いのは次回作の宣伝のためのクロスオーバーがあること。好例は仮面ライダーシリーズであり、近年は毎年最終回において、次の作品のライダーとの共演作が放送されています。これは一話分無駄にしているだけであり、その話数を作品の充実に用いるべきだと思います。ところが、世界設定を混乱させてでも新ライダーを登場させている。これは宣伝以外の理由は考えられず、はっきり言って興醒めする企画です。その作品はその作品、次回作は次回作として、内容上ははっきりと峻別してほしいものです(なお、今年からはプリキュアもライダーと同じことをやりだしていた。悪いことは伝染するらしい)。

 さて、陰気な話はここまで。クロスオーバーもたまにはいいし、無論、ファンが勝手に二次創作で行うことまで糾弾しようとは思いません。単なるパロディや「お遊び」と割り切れば楽しい作品もけっこうあります。そこでいくつか紹介しましょう。
 まず、今は懐かしのケイブンシャの大百科『怪獣もの知り大百科』の中に「怪獣もし戦わば」というコーナーがあります。以下列挙すると「ゴジラ対ガメラ」「キングギドラ対ゼットン」「エイリアン対物体X」「ゴアゴンゴン(『マグマ大使』に登場した最強最後の怪獣)対ザンボラー」「ゴルドン対ガマクジラ」「ジッポウ(『忍者ハットリくん』に登場する忍者怪獣)対バルタン星人」と、なかなか素敵なラインナップです(なお、勝敗は言わないことにします)。特にエイリアンと物体Xという気色の悪すぎる対決をよく考えたものだとかつては思いましたが、エイリアンとプレデターが対決する映画が作られてしまった今は、実現してしまうかもしれません。
 なお、この大百科はちょっと変わった感じの内容であるので(例えばゼットンの2代目の評価が「怪獣世界の紀伊国屋文左衛門2代目と呼ばれている」となっていた。要するにドラ息子と言う意味であるが、子どもにはとても分かりにくい)、機会があれば読んでみてください。

 次に円谷プロダクションが作っていた怪獣バラエティ番組『ウルトラゾーン』。ウルトラシリーズの設定を元ネタにしたコントとミニドラマで構成されていましたが、そのミニドラマの中に「東京ジュラ紀」というお話がありました。経緯は割愛しますが、この話の最後は地球の怪獣たちが一斉に目覚める結末になります(もっとも予算の関係上このエピソードで実際に姿が見えるのはテレスドンとエレキングだけ)。その時に「ジラースによく似た怪獣だが、襟巻が確認できない」「襟巻が無いってやばいよ」という台詞がありました。ものすごく遠まわしですが、「ゴジラ」ですね。なかなかニンマリさせられる内容でした。

 最後に児童向けギャグマンガの金字塔である『あさりちゃん』から。この漫画に「戦えあさりマン」というお話があるのですが(第一巻収録。なお、この話は一種の番外編である)、そこにウルトラマンタロウが登場しています。暴れまわる怪獣タタミゴン(主人公・浜野あさりの姉であるタタミを怪獣化したキャラ)に立ち向かうのですが、あっさりやられてしまいます。その上、他のウルトラ戦士も全滅というすごい展開になります(ちなみにタタミゴンは「たわけ!これはウルトラまんがではない。勝てると思ったら大間違いだ」と豪語していた)。実は初めて読んだ時には「ウルトラマンが負けちゃった」とかなりショックだったのですが、今では「ギャグマンガだからまあ許す。これはこれで面白い」と思っています。

 

Re: 「ゴジラもガメラもウルトラマンも全員集合」のゲームが発売されるそうです。 - 海軍大臣 (男性)

2017/07/27 (Thu) 16:51:18

 マンガ繋がりですが、昨日(7/26)の読売新聞夕刊に掲載の「オフィス ケン太」という4コママンガ(作・唐沢なをき先生)の中で、レストランに入ったオタク趣味の主人公の父親がダムカレー(カレーのルーをダム湖にみたててライスの壁が作ってあるタイプのヤツ)を注文した際に、食べる前に思わず怪獣のフィギアを置いて写真撮影をしてしまう、というのがありました。
で、その怪獣がなんと「メガロ」なのです。
ダムで怪獣とくれば確かに正しい(?)選択のようにも思えますが、しかし宇宙船や特撮秘宝ならいざ知らず、天下の三大新聞でこのようなネタが掲載されるとは驚きです。
大笑いした一方で一億総オタク化が現実に思えてしまい、ちょっと不安な今日この頃です。
(ダムに立たせるのならデスギドラでも良かったかな…)

Re: 「ゴジラもガメラもウルトラマンも全員集合」のゲームが発売されるそうです。 殿様ギドラ (男性)

2017/07/28 (Fri) 18:22:15

 どうもです~。

 知らなかった怪獣ネタの数々・・。参考になります。
あくまでも遊びの範疇でなら、どんないじり方をしたっていいのだと考えております。(本家とは枠組みが違うのだから)
 かくいう私も『怪獣大戦争』のパロディ、『変態大戦争』を作っていますから・・。

 ただまあ、海軍大臣さんがおっしゃるように一億総オタク化みたいなことになるのは、ちと違うんじゃないかとも思います。

 東京ローカルかもしれませんが、「怪獣倶楽部」という深夜ドラマがつい最近放送されていました。
 1970年代が舞台という触れ込みで、怪獣同人誌を作っている男たちのお話でした。
 内容面の細かい批評は抜きにしまして、そんな企画が通ってしまう現状に、日本は大丈夫なのか?と思ってしまったのでした。

実写銀魂! 殿様ギドラ (男性)

2017/07/17 (Mon) 16:17:19

「銀魂」ファンではあったけれど、実写映画にするなんて危険度MAX、さらに昨今の邦画には信頼感もあまりなかったので、
映画館までは行かないで済ますかなーと思っていたら、美術監督池谷仙克さんの遺作であるという情報が入ってきて、
そうなると、追悼の意味でも見に行かなきゃならねーなと(くどいね)、実写『銀魂』見て参りました。

 安心して下さい。
 おもしろいです!

 いままで「銀魂」を全く知らなかった人への配慮もしっかりしてます。
ただし、ギャグ・コメディの類いに感度のない人にはお勧めしません。下ネタ込みの大おふざけ映画ですから。

 内容には触れずに評価した点をなんとかひねり出してみます。

 もともとの「銀魂」が持っていた楽屋落ちやナンセンスギャグをまったく損なうことなく取り入れていて、
今回の実写映画独自のギャグシーンも原作でやっていてもおかしくないセンスで作られていて、しっかりと親和しています。
 そして、原作ファンも納得の変なアレンジのない、登場人物やストーリー!
(すべて完璧とは言いません。何人か、見た目の問題か芝居の問題か、ちょっと違うんじゃね?と思う人はいたけれど)

 小説でもマンガでも映画化となると、映画は別物とばかりに原作無視で勝手なことをするものもある中、
この『銀魂』は素晴らしい!!

 ただ、あれ?と思ったのは、原作マンガからストレートに実写映画に変換したのではなく、どちらかというとアニメ「銀魂」を
原作として実写映画にした観があること。
 それも決して疵ではないのですが、アニメ版のみのファンにも配慮したということなんでしょうか。

 今回映画化されたのは「紅桜篇」といわれるパートで、もちろんTVアニメになっています。
さらにアニメ版の映画化第一弾として選ばれたのも「紅桜篇」。
 アニメ映画「紅桜篇」は“新訳”と銘打って原作やTVアニメ版とは違う展開をいくつか持ち込んでいたのですが、今回の実写映画は
そのアニメ映画版と同じアレンジを施していました。
(原作と同じだと人気キャラクターを一通り出せない)

 それから、TVアニメ版が得意とする楽屋落ちを積極的に取り入れているのもアニメ版の空気を再現する意図があると見ました。

 もうひとつ。
 アニメ「銀魂」は原作を大事にして、マンガ「銀魂」に動きと色と音が付けばこうなるのだ、という名作だったので、
今回の実写化にはどんな意味があるのか?と疑問視していたのですが、実際に見てみると、
ああそうか、「銀魂」にはアクションドラマという側面もあったんだっけと思い知らされ、
バトルアクションに関してはアニメ表現では描けない「物体・肉体の質感のリアリティ」が重要になってきて、
そこは実写映画のほうが迫力を生んでいたようです。
(ただし、動きそのものの「美」はアニメのほうがやりやすいようでもあった)

 それから生身の俳優が演じることでの肉感性も実写ならでは。
(中村勘九郎全裸!)

 と、褒めておいて、足りないなぁと思ったところも。

 作品内容に対して予算が潤沢ではなかったのでしょう。セットなど(CGもかなり使っている)がちと貧弱。
クライマックスは空中に浮かぶ船の甲板上となるのですが、屋外の感じが全く出せておらずスタジオ撮影丸出し。
背景(CGで描かれた空と思われる)にマッチした照明を作れていないようで、さらに風の演出もなかったために屋内で芝居をしているようにしか見えませんでした。

 「銀魂」という作品は明治維新がなかった世界を舞台に、宇宙人が地球(日本)に進出、徳川幕府は宇宙人の傀儡政権になっているという設定で、
市中に宇宙人(劇中では天人“あまんと”と呼ばれている)がうようよいる世界です。
 今回の実写「銀魂」にも宇宙人が出てくるのですが、どうも原作にはいなかった姿の宇宙人が顔を出している模様。
池谷仙克さん最後の作品であり、ひょっとすると最後の池谷デザイン宇宙人がいるのかも、と想像するのも特撮ファンの楽しみでした。

ザ・ドキュメンタリー 殿様ギドラ (男性)

2017/07/08 (Sat) 17:21:29

7月13日(木曜)19時から20時54分BS朝日「ザ・ドキュメンタリー」枠で
「特撮の神様円谷英二」放送です。

 深読みするのか、通り一遍の内容なのか果たして・・・。
(私は円谷英二が円谷プロを作ったのは、テレビ進出が主目的だったとは思っていないのだが、そのあたりをどう解説するのか?)

 大阪万博の360度映像も流すとのことなので、三菱未来館用のフィルムをHDテレシネしたのかも・・。

Re: ザ・ドキュメンタリー 殿様ギドラ (男性)

2017/07/17 (Mon) 16:14:31

 予想以上にいい内容でした。

 円谷監督の日記からたくさん引用していたのがよかった。
しかし、三菱未来館の映像はほんのちょっぴりで期待はずれ。

シン・ゴジラを面白いと思った者からの感想。 - 印籠 (?)

2017/07/10 (Mon) 18:00:13

まずははじめまして。
2日前にWOWOWで『シン・ゴジラ』がテレビ放送された事を切欠に、ゴジラ映画の感想を観て回っているものですが、ここまで「シン・ゴジラ」を痛烈に批判しているサイトはお目にかかったことはなく、ビックリしてしまいました。
ですが各国間の政治ドラマの甘さなどの指摘に納得できる点はありますが、私なりにいろいろ可笑しいまたは納得できないと思える個所が相当に見受けられます。
というわけで、いくつか疑問を呈してみます。


まず、「人間の浅知恵を蹴散らすのがゴジラなのです。」という点。
これは全く賛同できません。仮に昭和ゴジラに限定しても、人間側がゴジラに勝利した、あるいは殺す寸前に至ったことはかなりあるのではないでしょうか?
オキシジェン・デストロイヤーを抜きにしてもゴジラは「ゴジラの逆襲」では雪崩で封じ込められ、「キングコング対ゴジラ」では100万ボルト電流作戦で撤退しています。進路を変更させたことを勝利というべきかどうかですが、首都侵攻を阻止させただけで人類側の勝利と言えるでしょう。更に「モスラ対ゴジラ」では人工雷発生装置で絶命させる寸前まで到達しています。人類側が限界以上に電圧を上げるという判断ミスを犯したおかげで失敗しましたが、このミスがなければどうだったかは全く分かりません。ミスや運に救われたという印象が非常に強い。
総じて「蹴散らす」等というのは大袈裟な表現ではありませんか? いい勝負をしているという位でしかないと思いますね。
VSシリーズで高評価をしておられる「ゴジラvsメカゴジラ」にしろ、Gクラッシャーで絶命寸前にまで到達しており、ファイヤーラドンに助けられたこれこそ当に運による勝利です。ゴジラの実力によるものとはとても言えません。
あと、人類側に負けるのはナシでX星人等の宇宙人に操られるのはなぜアリなのでしょうか? 結局は科学に敗北しているのと同義で、大差はないでしょう。


次に『MOP2大型貫通爆弾』でダメージを負うことを問題視している点。
これも分かりません。今までのゴジラでMOP2に耐えられる個体がどれだけいるというのでしょうか。
昭和のゴジラにしても描写で現行兵器のMOPより遥かに劣るフィンガーミサイルで出血し(とても60m貫通しているようには見えない)、VSゴジラは「ゴジラvsビオランテ」で携行可能なバズーカから放たれた抗核バクテリア弾頭により皮膚を抉られ、あろうことか「ゴジラVSスペースゴジラ」で脇の下等の薄い部分なら小銃で貫通できるなどと言われている。
ミレニアムシリーズではMOPのわずか6分の1しか貫通力のないフルメタルミサイルで皮膚を抉られている(MOPはコンクリートを60m貫通可能に対し、フルメタルミサイルはたった10m)上に、「GMK」では体内からならたやすく救助用のDO3で貫通されている。
ハリウッドの個体もエメリッヒは言うに及ばず、ギャレス版においてもイージス艦のミサイルごときで痛がっているようではMOPに耐えられるとは全く思えません(さらに小説版では核を使用していない米軍の攻撃で傷がついたという表現がされており、小説内に描写がない以上MOPやMOABを使用したとは思えない)。
今までのゴジラは架空兵器MOP2どころか現行兵器のMOPですら致命傷、最悪そのまま死亡となるようなものばかりです。耐えられるだろうと思われるのは色々弾けた描写の多いファイナルウォーズのゴジラくらいしかない。それ以外は「シン・ゴジラ」では全く無傷だった10式戦車のAPFSDS弾ですらダメージを与えられるでしょう(APFSDS弾でも10m以上のコンクリートを貫通できるとされ、フルメタル・ミサイルより貫通力は高い)。
第一に戦車砲撃や通常のミサイル、爆撃で痛がっている時点でMOPの直撃には耐えられません。そして、二代目ゴジラやVSゴジラは明確にそれらで怯んでいる。一点特化では核シェルターすら貫通する威力を持つ、地中貫通爆弾のMOPを低く見過ぎているのではないでしょうか。これのさらなる改良版と思われる架空兵器MOP2に耐えた以上、むしろシン・ゴジラは歴代のゴジラの中では防御力はある方に思えます。
ましてや数十秒後に強靭な再生能力で元通りになっているのに(劇中で熱線発射時に背鰭が映りますが元通りに再生しています)、そこまで問題視するのが理解できません。


更に「日本バンザイ映画」であることを批判している点。
私としても「狡猾な外交」などの言葉でそれを感じなくもありませんが、それ憎しで見当違いの描写まで批判してはいないか。または見逃してはいまいか。
例えばヤシオリ作戦直前の矢口の演説。士気を上げるために死を賭する作戦の前に演説をすることなど現実では珍しくもなく、似たようなSF映画でも「インデペンデンス・デイ」や「パシフィック・リム」等で見せ場とされます。前者はアメリカ万歳映画の側面がありますが、「パシフィック・リム」は違うでしょう。戦争映画ですとこのような演出は更に増えます。単に作戦前の緊張感や高揚感を増すための演出とみるのが自然です。
また、前半部分で想定はできたはずなのに甘い見積もりをしたお陰で「想定外」を連呼したり、また政党内の意見の噛み合わせで時間を取られすぎてゴジラ関連法案の成立が遅れたり、政権の御用学者が何の役にも立たずむしろ積極的に上に物を言う反骨心あるものが正しかったり、また総理が今後の対応を聞かれて「あ、そうかあ」等とこれからの展望を考えていないことを言ったりと全く日本万歳ではなく、日本の批判もちゃんと描かれていると思います。
ゴジラに日本を滅茶苦茶にされた後は切羽詰まったお陰で日本政府は理想的な動きをし、そのような批判がありませんが、日本に対する批判は前半部分でぎっしり描かれてバランスを取っているように感じますね。そこまで日本万歳だとは感じません。


科学的な間違いについて指摘している点。
これに関しては見てないか見当違いの理由で間違いだと批判している所が非常に多いですね。
一番酷いと感じましたのは「酸素原子二個からどうにかして硫黄を作るとしたら、酸素の原子核をぎゅーっとくっつけて硫黄の原子核にするよね?ちんごじら、すげーや。核融合も出来るのに、そのエネルギーはただ捨てているのか。」
シン・ゴジラはまさにそれで生きていると言われています。尾頭氏が中盤部分で言っています。「水素や窒素等、陽子数が少ない物質を取り入れて、細胞膜を通し細胞内の元素を必要な分子に変換してしまう。ゴジラは、その崩壊熱を利用した、熱核エネルギー変換生体器官を内蔵する混合栄養生物と推測できる。」
 殿様ギドラ様が言っていることそのまんまですね。単に見飛ばしているだけです。

「ちんごじらの細胞膜が機能しなくなれば、ちんごじら謹製謎の放射性物質も作られなくなるでしょうに。それでちんごじらの原子炉は廃炉決定!」
周囲の状況に応じて熱線を出したり直立2足歩行したり、果てはレーダーを持ったりと適応進化し、数分もすれば傷や背びれが再生する超生物にそれだけではとても無理でしょう。たとえエネルギー切れで眠っていてもドローンを撃墜させたりいろいろ進化したりといった最低限のエネルギーを残している以上、進化されて破られ動き出すこと間違いありません。血液凝固剤で凍結させて全ての活動を停止させない限り倒すことは出来ません。

「なんで凝固剤を口から飲ますの? 原子力で動いているんだから、口から何かを食べたりしないんじゃないの?あるいは、消化器官を通じてしまっては凝固剤が消化液なんかと混じって変化しない? 胃腸から吸収された凝固剤は胃腸周辺の血管を詰まらせるだけじゃないの?」
水分や空気をとって生きている、「霞を食って生きている仙人」と作中で言われています。鼻がない以上口から採取しているのでしょう。食べてないので消化器官はありませんし、水や空気を口から摂取しています。食べてないから胃腸なんかないし、そもそもわれわれ人間の肺と同じように直接生体原子炉に繋がっているはずです。

「現実の原子炉がなぜ冷却システムを持っているのか詳しくはないのですが、核分裂反応からただエネルギーを取り出すというならとくに冷やす必要はなさそう(ひたすらエネルギーを放出するだけの原爆に冷却剤はない)で、それは原子炉という機械が適切に機能するために温度管理が必要という解釈で間違っているでしょうか?」
正確には原子炉が冷却システムを持っているのは、放射性物質が放射性崩壊を起こし、その際に起きる崩壊熱の連鎖で反応が高まり、制御不能となる再臨界を抑えるためです。その再臨界を抑えるために原子炉は冷却システムを持っているのです。

「血液が固まったにしても、氷点下まで体温が下がったなら、原子炉の冷却はばっちりじゃないんですか?大目的は原子炉冷却を止めることだったでしょう。」
これの疑問に関してはまだ分かります。本編で言われていないからです。しかし新元素の放射性物質の半減期が20日と不安定なものである以上(事実新元素は自然界にはなく不安定で半減期がいずれも少ないと分かっている。新元素の時点で半減期が短いのは自明の理であり、ご都合設定でも何でもない)、そのような不安定な元素を利用した原子炉を抑えるのは現実の原子力発電所とは違い氷点下程度では話になりません。何故ならそのような不安定な元素の崩壊熱は莫大過ぎて再臨界が起きやすいのです。
そのようないったん制御不能になった不安定な元素の暴走、特に崩壊熱を抑えるためには元素そのものを凍結させる低温にまでもっていく必要があります。

大体は本編を見れば分かることです。最後にしろ、それなりの見聞さえあれば本編の情報だけで十分に理解できます。批判しようとして躍起になり、盲目状態になってはいないでしょうか? ご自身がおっしゃっている通りその分野に対して詳しくないと分かっているのに、その門外漢の分野であれこれ批判するのは間違っているのではないでしょうか?
シン・ゴジラは科学面に関しては、これまでの怪獣映画の中ではかなり正しい方ではあると感じます。



「ゴジラ観」について批判している点。
分からなくもありませんが、その反面まだ80も出ていないときのゴモラがいきなり「怪獣念力」なるゴモラの肉体的イメージから想像もつかない技を出してウルトラ兄弟やハヌマーンから延々とリンチされたり、ドロボンが骨だけになってダンスしたり、強豪怪獣の筈のタイラントがいいところなく発電所の爆発程度で死亡したり、またウルトラ兄弟の光線発射ポーズが全部滅茶苦茶だったり、というかゴモラは元々自然で生きていたのを無理やり連れてこられた存在なのに何故か悪の怪獣にさせられたりとその怪獣やウルトラマンのファンからは怒りを買うような要素しかない「ウルトラ6兄弟対怪獣軍団」を面白がっているのは理解できません。
ゴジラの背中からの熱線より、ゴモラの怪獣念力の方がよほど突飛に見えますし、工場の爆発ごときで死んでしまうタイラントの方がよほど酷くありませんか?怪獣観について語っているのに、ゴモラが悪の首領として扱われるのはいいのですか?
私はそのような拘りがあまりないのでどちらも楽しんで観ましたが、結局は自分にこだわりがないから「怪獣軍団」はいいのか、と感じてしまいますね。主張に全く一貫性が見られず、説得力がありません。


また、固定観念や主観で判断している点。
例えば、シン・ゴジラの第2形態や第4形態のデザインが醜悪などと断じていますが、それは主観でしょう。その感覚を否定することはありませんが、第4形態を格好いいと感じる人も少なからず存在します。私も格好いいと感じます。第2形態に至ってはマスコットとなってガチャポンで販売していたりと可愛いという人も多いです。そのように人の感覚によっていくらでも変わりうるものを持ち込むのは批判とは言えないのではないでしょうか。
これは細かいことですが、怪獣は初登場までに溜めなければならない、というのもまさしく固定観念でしょう。そんなルールはありません。実際「大怪獣ガメラ」や「ゴジラの逆襲」は開始即座に怪獣を出したではありませんか。むしろ必ず溜めだと展開が固定されて面白くもなんともありません。もう何が出るか予告編で分かっているのに、そして暴れてほしいのに、延々と出てこなくて退屈して辟易する悪習のように思えます。展開がテンプレート化しては飽きが来て意味などありません。
その点、開始即座に怪獣を出した「シン・ゴジラ」は私にとっては新鮮であり久々に悪習を断ち切ったものと思われました。無論必ず即座に出せと言っているわけではなく、溜めなければ駄目だと言ってしまうのが間違いだという事です。
またこれは論とはズレますが、最初は背びれだけ、尻尾だけ、目だけ、ようやく出たと思ったら第2形態……というように体の1部分だけ、そして本命のゴジラ第4形態をなかなか出さないと見せる手法を「シン・ゴジラ」は取っていますが、これは立派な「溜め」ではありませんか?



 最後に、単に本編を誤認しているところが多い点。
科学の点で書いた「酸素原子…」のように本編を誤認しているところが多く見られます。
 「日本がアメリカの圧力に簡単に屈するのであれば、それを批判する視点を明確にするべきではないのか?」
核を落とす作戦に対し「むちゃくちゃ言いやがる」と批判する者や「この内容は酷すぎます!」と絶叫する官僚に対し、「だよなあ…」と同意する臨時総理、あっさりと核の使用を決断するアメリカに対し「選ぶなよ…」「ゴジラより怖いのは私達人間ね」と言う巨災対の者たちなどちゃんと書かれています。
 「赤坂と矢口の賢しらな会話がはさまりますが、うーん、わからない。核攻撃を受けてみせることでしか各国の同情が得られないとでも?赤坂くん、強引な理屈だよ。」
 違います。それは理由の1つで、最大の理由は凍結作戦には不確定要素が残っていて、それが失敗したらどうなるかわからない上に日本は世界からの信用を失い、立て直すことが不可能になる、だから核攻撃が最善の選択だというのが赤坂氏の言い分です。
 ざっと見ただけでこれだけの誤認があります。批判ありきで見てしまっていて、そういうところは見飛ばしてしまっているように思えます。


殿様ギドラさんの主張には原発のメタファーとしては失格である点、体から放射能が出ているだけで生体原子炉だと断定するのは早すぎる点(ただ、あんな生物が食物だけで生きていられるほどエネルギーを生み出せるわけがないことは劇中で言われていたので、体から放射能が出ている時点で生体原子炉は有力候補の1つとしても良いでしょう。しかし断定するには早い)などはなるほどと納得できました。
しかし見飛ばしているだけの事実誤認や主張とかみ合わない点が多すぎて、過ちを見つけようとして躍起になっていちゃもんをつけているようにしか見えないのもまた事実であります。


1つに纏めるために長文になってしまいましたが、疑問に思った点をつらつらと書き並べていてはこのようになってしまいました。
ただ好き嫌いがあるのは仕方ないにしろ、何でもかんでも批判すればいいという物ではないと感じた次第です。
いきなり殴り込みをかけてきたようで恐縮ですが、そのスタンスにかなり疑問に思ったので意を決して投稿させて貰いました。

Re: シン・ゴジラを面白いと思った者からの感想。 殿様ギドラ (男性)

2017/07/10 (Mon) 18:56:48

 18時40分の投稿を書いている間に投稿なされたので、いままで気がつきませんでした。

 レスは後日書きます。

Re: 名前が違っても中身は同じ・・・ 殿様ギドラ (男性)

2017/07/13 (Thu) 12:31:42

 さて、レスを書こうと全文読んでみたらあらびっくり。
『シン・ゴジラ』の話かと思ったら、私を攻撃するのが目的らしい。
それもかなり浅薄かつ曲解に充ち満ちている。
ちょっと前にブロークンという人がいましたが、そっくりです。
以下の文章で印籠氏のすべての誤謬を指摘してはいませんが、突っ込みがないからと言って私が納得したとは思わないように。

印籠さんは
>まず、「人間の浅知恵を蹴散らすのがゴジラなのです。」という点。
>これは全く賛同できません。
とおっしゃりつつ、ゴジラが人間に負けそうになったと感じた例を列挙している。

 私の元の文章は、

> さらに、ここからは『シン・ゴジラ』なんかNOだ、とお考えのゴジラファンのみなさんへ。
中略
>二代目もVSもゴジラは強くてかっこよかったのではありませんか?
> 人間の浅知恵や武力を蹴散らすのがゴジラなのです。

という流れです。
 ゴジラの魅力を端的に書きたかったのですよ。
 人間から一度もダメージを食らったことがないのだ、と言いたいわけではありません。
『ゴジラの逆襲』の氷詰めはまずいと思っていますが、初期作品でありまだ作り手も怪獣観が固まっていない時期の作品ですから仕方ないという受け止め方です。
 その他の「ゴジラも人間にやられそうになったじゃないか」エピソードは、結局、やられてないでしょ、というだけの話。
『モスラ対ゴジラ』の帯電ネット+人工雷でたしかにゴジラは倒れ込みますが、どうしてあれを絶命寸前と断じるのかね。
 私は人間の対ゴジラ作戦や兵器による攻撃をどんどん退けていくところにゴジラの魅力がある、と言いたいわけです。
(VSシリーズに関しては、完全に人間に制圧されることはないにせよ、やたらとゴジラが負けることが嫌いな点のひとつ。それでもゴジラの勝ち負けだけが評価軸ではないから
『vsメカゴジラ』を比較的良作としている)

 X星人に操られるのはグレーです。あなた、私の『怪獣大戦争』評を読んだことがありますか?全肯定はしていないんですよ。
ま、あの映画でのX星人、ないしX星文明がどういう扱いであるかと考えれば、アウトではない。

 そして、私の文章は「人間の浅知恵や武力を蹴散らすのがゴジラなのです。」であるのに、まるで引用したかのように
「人間の浅知恵を蹴散らすのがゴジラなのです。」と書いている。なぜ「武力」という言葉を削った?
 このように言論に誠意のない人間と話すのは時間の無駄なのだが、レスを書くと言った以上書かねばなるまい。


MOPⅡ

 私が基準として用いるのは『ゴジラ』(1954)から『オール怪獣大進撃』までの作品。『ゴジラの息子』でクモンガに目を刺されてケガをしたように見えるのがちとやばいが、
少なくとも人間の武器でゴジラがケガをした例はない。電撃でしびれることとは意味が違う。
 問題は、ケガ、なんですよ。あなたに理解してもらう必要はない。


「日本バンザイ映画」問題。
 えーと、「日本バンザイ映画」という言葉を使った記憶がなくて、過去ログを調べて見ましたが、ちょっと見つからない。
私、そんなこと書いてますかね。
 近いのは、2016年8月16日投稿の「シン・ゴジラ 張り子の虎」にある、

>多少の衝突はあれど、主人公が属する集団は常に正しい結論にたどり着き、最後には事態を収束させます。

>人間批判の精神がない。

>さらには、「この国は大丈夫だ」とかなんとか言わせて、日本国の現状を全肯定。
>その社会感覚にはめまいがしました。

という文章。このことですかね。
 もし「日本バンザイ映画」というフレーズがあなたの創作だったら、私が書いたことのように書かないでくれるかな。

 矢口の演説。
 ほかにもそんな例があるから問題ないとおっしゃるか。
出撃前の演説というヤツがくせ者ということがわからないんですな。自衛隊が日本最大の力であるといい、この国を守る力が与えられている最後の砦だ、と称揚する。
これも賛同していただく必要はないが、そのように武力や軍備が国を守るのだ、というプロパガンダに私は拒否反応を示すのだ。

 『シン・ゴジラ』前半で描いていたのは、年寄り(既存の体制)は間違っているという主張でしかない。
そして、印籠さんは、
>ゴジラに日本を滅茶苦茶にされた後は切羽詰まったお陰で日本政府は理想的な動きをし、そのような批判がありませんが

とおっしゃる。あれを理想的と??私は「あれ」を危険視している。総理に全権委任するだと?
 これも賛同していただく必要はない。あなたとは歴史観も社会観も違う。しかし、『シン・ゴジラ』後半部に問題を感じない人間は社会の見方が間違っていると思っている。

 さてと、それで、
科学考証のことであれこれと屁理屈を並べていらっしゃるが、間違いだらけだ。私は分かる範囲で批判している。あなたのように理解もせぬまま言葉を振り回しているわけではない。

 あなたは核融合、核分裂、崩壊熱の理解が出来ていない。(ひょっとすると質量欠損と放射性崩壊を混同している?)
 崩壊熱とは核融合から得られるものではない。
 劇中の尾頭のセリフを引用しているが、あのセリフもまた科学的には意味不明だ。
別のシーンでちんごじらが放射性物質を作り出すのではないか、という話は出てくるが、あなたが引用した尾頭のセリフには放射性物質を作る話は出ておらず、
突然崩壊熱と言い出す。そして、核融合のエネルギーには一言も触れていない。私が指摘したこととはまるで内容が違う。
 さらに放射性物質の崩壊熱だけを利用するのなら、原子炉はいらない。
 原子炉とは核分裂を連鎖反応させるための施設である。
(ちんごじらは自ら放射性物質を作り出し、それを元に核分裂か放射性物質の崩壊熱をエネルギーとして利用しているというのが劇中の説明である。はじめは核分裂、というが、細胞膜の話の時には崩壊熱と言っていて、どっちなのかわからない。
両方なのかも知れないが。核融合のエネルギーを使うとは言っていない。しかし、ちんごじらの細胞膜がやっていることは核融合とさらに化学合成である)

「血液凝固剤で凍結させて」??血液凝固剤に冷却作用があるというのは常識なのか?ある種の化学反応では温度が下がることもあるが、ちんごじら用の凝固剤にそんな性質があるとは初耳だ。
 それもそうだが、あなたは劇中の説明とは別の独自解釈として、細胞膜の機能を抑制されても対応してしまう可能性があるのだから全身を凍らせてすべての活動を停止させるのだ、と主張しているが、
ちんごじらは原子炉を持っているのだ。たとえ核分裂連鎖反応を止めていたとしても、使用済み燃料の(でた!)崩壊熱で再び体温を上げることは可能である。

 なに?ちんごじらは口から飲み込んだ物質を体内で変換しているという設定なのか?そんな説明はなかった。「霞を食って」という表現は比喩だと思ったが?
私は細胞膜で物質変換を行うという設定を聞いて、ちんごじらは全身に浴びている大気や、水中では水その他からいくらでもエネルギーや体組織を作り出すのだと思っていた。
 劇中、血液凝固の話が出たとたん、経口投与することしか話題に上らない。なんで注射を考えなかったのかが疑問である。
まあ、消化液なんかを分泌することはない、という理屈はわかりますが、たとえ直接冷却系(血管ということになりますわな)に血液凝固剤が投入されるのだとしても、血液と反応して凝固するのでしょう。
すぐ血栓ができて詰まってしまい全身には行き渡らないだろうという疑問は残る。口の奥にある何かの器官周辺の血管が詰まることで原子炉の冷却が止まるのか?
え、なに?直接原子炉に繋がっている?それは核燃料を運ぶルートじゃないかね。あ、いいのか、それを詰まらせれば燃料不足になるのか。ん?冷却を止める話は???

 あなたが言う原子炉の再臨界の定義は間違っている。調べなおしましょう。
 原子炉の冷却システムの理解も間違っている。(私が何も調べていないとでも?)
それと、温度が上がると核分裂が促進されると思ってる? 核分裂のメカニズムを調べ直しましょう。
核分裂や放射性崩壊が起こることで熱が発生するのであって、その逆ではない。
(そういや、ブロークンという人も崩壊熱がどうのこうのとこだわっていたっけな)
 低温化で放射性崩壊を止めることも出来ないからね。
(「元素そのものを凍結させる低温」はぁ?意味が分かりません。温度ってなんだと思ってる?)
 そして、私は『シン・ゴジラ』が半減期20日という新元素を設定として持ち込んだことを甘いと言っている。ちんごじらが排出する放射性物質にストロンチウム90があるという設定でもいいだろう。

 偉そうに人を非難しておいて、自分はなにも勉強していないとは。ここで罵倒したいのをぐっと我慢。

 もうひとつ指摘しておくか。

 原発の原子炉とちんごじらの原子炉。何が同じで何が違っているのか、じっくり考えてごらん。
ちんごじらは血液凝固の結果、どうしてスクラム状態になったのか。そのあと体温が下がったなら、ちんごじらはどうするのか。


 私は『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団』を正当なウルトラシリーズである、などと書いた覚えはない。
私は「ウルトラファイト」や「行け!ゴッドマン」も笑ってみられる。しかし、手本にせよとは思わない。
今一番気に入っているウルトラシリーズ(?)は「ウルトラ怪獣散歩」である。矛盾かね?
本流とスピンオフ、パロディの区別ぐらいつく。

 ちんごじらの見た目が醜悪であるというのはもちろん主観だ。
私がちんごじらのデザインがダメだと言うのは、ゴジラとは別の姿だからである。『シン・ゴジラ』の初期印象に於いて

>ちんごじらはゴジラではありませんが、名前の問題を一旦忘れて無名の一怪獣として考えてみます。

>デザインは、うーん、醜怪で愛想がないけれど、そんな怪獣がいてもいいか。

>気質は、感情が見えず脊髄反射で動いているみたいなところがあって、魅力に欠ける。

>変型(変態)してみせるのは、まあ、いいでしょう。
と書いている。

さて、私ではなくブロークンという人は

>逆に一番許せないのがあの醜悪なデザインです。きわめて気持ちが悪く、円谷監督は絶対にあのようなデザインを許さないだろうと断言できます。この点だけはどうしてもあり得ないと感じます。
> 纏めると私は
>・ゴジラが弱すぎる
>・ゴジラが醜悪である

と書いている。あなたが批判すべきはブロークン氏であろう。

 怪獣出現までのタメを作るべきか否かの話に関しては、あなたの自己矛盾に頭が痛い。
「タメ」がなくても良いのだ、と主張していたかと思えば、

>第4形態をなかなか出さないと見せる手法を「シン・ゴジラ」は取っていますが、これは立派な「溜め」ではありませんか?
と言う。

『シン・ゴジラ』は怪獣出現にタメを作っていなくても問題ないと言いたいのか、タメを作っていると言いたいのか。
ただ私やLansさんに反対したいだけですか?
 ここで怪獣映画において怪獣出現以前のドラマがなぜ重要なのかの話まで書く気はない。(以前の投稿である程度は書いているし、もちろん、題材によってタメのありなしは判断されるのだが)

 アメリカの圧力に屈することへの批判描写のこと。
 あなたが例示しているのは、核攻撃への抵抗感を表した場面でしかない。日米関係への批判ではない。

 赤坂の論理。
 私は、矢口を説得する論理として強引だと言っている。核攻撃がなくても、ちんごじらのせいでめちゃくちゃになった東京に対しては諸外国も同情するんじゃないのか?
それを核攻撃を受けることでしか復興が出来ないような言い方をしている。

 以上!
 そしてさよなら、ブロークン2号さん、二度と来ないで下さい。もうレスしないよ。

NECO! 殿様ギドラ (男性)

2017/07/01 (Sat) 18:35:04

 CS放送も頑張りますなぁ。

 現在、チャンネルNECOで「ミラーマンHD版」を放送中で、
第一話の前にパイロット版までHD放送してくれました。
(この放送でおいらは初めて「ミラーマン」のパイロット版を見た)

 そのミラーマンもそろそろ最終話。次は何かな、と思ったら、「マイティジャックHD」じゃーあーりませんか。
 こちらもパイロット版までHD放送するらしい。

 ウルトラマンに比べるとマイナーな作品であるために、「ミラーマン」も「マイティジャック」もブルーレイソフトは出ていない模様。
(放送のあとで発売するんでしょうけど)

 ん、「ブースカ」HDはどうした?HDリマスターしてないのか??

Re: NECO! - エクセルシオール (男性)

2017/07/04 (Tue) 19:43:53

 残念ながら『ミラーマン』も『マイティジャック』もまだまともな形で視聴したことがありませんが、機会があれば観てみたいと思っている作品です。願わくば視聴者が限定されるCSではなく、夜中でもよいのでせめて無料放送のBSでやってほしいと思います。そうすれば新たなファンを開拓できるのではないでしょうか?

 『マイティジャック』は怪獣に頼らない特撮SFドラマとして企画され、円谷プロダクションも力を注いでいたのですが、続編の『戦えマイティジャック』も含めて、悲しいことに人気は今一つに終わりました。子ども達の興味が「妖怪」や「スポ根」に移りつつあったこと、さりとて「特撮は大人が観るものではない」という時代であったことなどから、不本意な結果になってしまったらしく、惜しまれるところです。
 もっとも、もう少し派手に作っていたらまた異なる結果になったかもしれません。特にライバルメカのジャンボー(敵組織Qが建造したマイティ号とほぼ同等の性能を有する万能戦艦)をもっと活用していればよかったのではないかと思います。

 『ミラーマン』はもう少しメジャーであり、裏番組の『シルバー仮面』には圧勝しています(『シルバー仮面』は打ち切りの憂き目にあった)。とはいえ、こちらも途中までの地味な作風が今一受けがよくなく、後半は派手にしたのですが、今度は作品のイメージがおかしくなったと言われています。登場怪獣も多様だったのですが、ウルトラ怪獣と異なり名前がすぐ出てくるものはそう多くありません(ダストパンという怪獣が比較的有名だが、これは日タイ合作のウルトラマン映画『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』に出ていたという特殊事情のためである。なお、この映画は制作会社同士の紛争のため半ば幻の映画になりつつある。好きな映画だけに残念でならない)。『マイティジャック』ほどではないにせよ、こちらも不遇な作品だと思います。
 思えば、かつてはウルトラマン以外の巨大ヒーローは珍しくありませんでした(『ミラーマン』以外にも『アイアンキング』『シルバー仮面』『ジャンボーグA』『ファイヤーマン』等々)。それがいつのまにやらウルトラマンシリーズだけになってしまいました(ウルトラマン以外となると『電光超人グリッドマン』が最後か)。ウルトラマンの偉大さは疑う余地もないし、それ以外のヒーローとなるとリスクが大きいため「オトナの事情」で実現しにくいことも理解できます。とはいえ、これは巨大ヒーローものが一種の袋小路に陥っているような気もします。

 CS放送となると観る人は限られますが、放送されることによって巨大ヒーローはウルトラマンだけではない、特撮は怪獣ものだけではないということが示されるのは長い目で見るとよいことだと思います。

 
 話は全く変わりますが、テレビ朝日の日曜朝の子ども向け番組の時間が変わるそうです。これまでは7時半からスーパー戦隊、8時から仮面ライダー、8時半からプリキュアだったのですが、特撮二番組の時間が10月から大変更。9時から仮面ライダー(時期からして新ライダーになるはず)、9時半から『宇宙戦隊キュウレンジャー』になるそうです(プリキュア→仮面ライダー→スーパー戦隊の順番になるので現行と反対になる)。
 まずいのは9時台にはフジテレビ系で9時から『ドラゴンボール超』、9時半から『ワンピース』を放送していることです(地方によっては異なることあり)。今まではすみ分けていたのに、視聴者がある程度重なる番組が真っ向からぶつかることになってしまいました。負けた方は放送日・放送時間の変更ということになりかねません。正直、関係者の意図が読めませんね。『シルバー仮面』のようなことにならないことを祈ります。

Re: NECO! 殿様ギドラ (男性)

2017/07/05 (Wed) 19:00:23

 どうもどうも。

「マイティジャック」も「ミラーマン」も意欲作だったのにいまいち不発だったんですよね。
「ミラーマン」のほうは結構人気はあったようだけれど、結局ウルトラマンの亜流というような評価に納まってしまったような。
(いや、それぞれ作品評価としては時代背景も含めていろいろ思うところはあるのだけれど)

 そうですね、BSならマイナー作、旧作も再放送されているようなので、なんとか頑張って欲しいものです。
 東京だと地上波の東京MXテレビが円谷劇場なる枠を持っていて、旧作(白黒のブースカまで!)をどんどん放送してくれているのですが、全国展開を考えるとやっぱりBSですね。

 昔は企画意図によってさまざまな新ヒーローが考案されていたように思いますが、
このごろは有名キャラに頼りっきりで、そのためウルトラマンにせよ仮面ライダーにせよ、もともとのコンセプトから外れたようなものまで、ウルトラだライダーだと名付けられてしまっているように思います。
(マニア上がりの作り手がとにかくウルトラやライダーをやりたがるのかもしれないけれど)

 日曜朝の子供番組時間帯が変更される話は、えーと、たしかラジオで聞きました。大きいお友達は録画で対応するかもしれないけれど、本来の視聴者である本当の子供たちはやっぱり困るんじゃないでしょうか・・・。

(「ミラーマン」リアルタイム世代としては、キティファイアーとかアイアンがメジャー怪獣で、それからチャンピオン祭りでも上映されたアロザが有名どころだったんだけどなぁ。
そうそう、『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』。劇場へ見に行きましたよ。しかし、それっきり。VHSやLDソフトは出たように思いますが、封印作品になってしまいました。ゴモラの怪獣念力をもう一度見たい!泣)

Re: NECO! - エクセルシオール (男性)

2017/07/07 (Fri) 00:12:12

 確かに最近は特定シリーズによるジャンルの独占とでもいうべき状況が発生しているように思えます(深夜枠のマニア向け作品は除く)。巨大特撮ヒーローは「ウルトラマン」、等身大特撮単独ヒーローは「仮面ライダー」、等身大特撮集団ヒーローは「スーパー戦隊」、変身ヒロインアニメは「プリキュア」、ロボットアニメは「ガンダム」といった具合です(ちなみにここで挙げた作品の玩具販売権は全てバンダイにある。ここでも独占化が進んでおり、これもかなりまずい)。いずれも金字塔と言ってよいシリーズですが、だからと言ってそれだけしかないというのはよくない。ジャンルの多様性と活力が失われるばかりか、まさに管理人さんの仰る通り、もともとのその作品のコンセプトから外れた内容(本来は別タイトルでやるべきもの)のものまで、上記したタイトルで制作されてしまい、これってこのタイトルの作品と言ってよいの?と思える事例が少なくありません。

 まあ、スーパー戦隊とかプリキュアとかは、ある程度基本的な要素が守られており、その範囲内で新しいことをしようと試行錯誤している側面が強いのでまだよいです。ただ、それでも同種他番組との切磋琢磨がないという状況はやはり好ましいものとは言えませんし、シリーズの基本コンセプトからずれた作品も散見されます(例えば「格闘戦を厭わないヒロイン」だったはずのプリキュアは最新作で格闘戦を排除してしまった)。
 ウルトラマンは『ティガ』でテレビ番組として復活しましたが、M78星雲の光の国から来た宇宙人という設定を廃棄してしまい、私は甚だしい違和感を覚えました。しかも、その後さらにおかしな方向に行き、あまりの陰険さとマニアックさで「鬱トラマン」と揶揄された『ウルトラマンネクサス』で最高潮に達します。視聴者の総スカンを食らった結果(『ネクサス』はシリーズ初の打ち切り作品になった)、次作から徐々に元の設定に軌道修正が図られ、何とか破滅を免れました。
 もっともひどい状態にあるのは仮面ライダーとガンダムでしょう。デザイン的にもストーリー的にももはやその名に値しない作品が次々と制作されています(仮面ライダーにいたっては一時期、クリエイターが暴走して、もはや「ヒーロー番組とすらいえない」というひどい状況になっていた。)。「もう別の名前でやれ」と思っても、それができない末期症状です。
  
 思い返せば2010年くらいまでは等身大特撮ヒーロー番組ではまだ他作品がありました。例えば『レスキューファイヤー』とか『魔弾戦記リュウケンドー』とかです。これらの作品は特撮では東映には及ばなかったけど、最も大切な正義のヒーロー魂をしっかり持っていました。今は本当にどうなってしまったのかと思います。せめてメタルヒーローシリーズくらい復活してほしいですね。

 思うに、シリーズの最低限の基本コンセプトくらいは守ってほしいし、それができないなら堂々と別タイトルで勝負すべきです。無論、時代に沿って一定の変化は必要ですが、限度というものがあります。今のメジャー作品はそこをおろそかにしているものが少なくないと思います。

 さて、幻の映画になりつつある『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』ですが、元々は日本公開予定のない純粋にタイの人向けの作品だったそうです(原題は『ハヌマーンと7人のウルトラマン』。なお、ウルトラの母もカウント)。そのため異国情緒あふれる内容であり、普通のウルトラシリーズとは異なる面白さがありました。悲しいかな「封印作品」となっていますが、実はユーチューブとかでは観れます(日本公開版以外にタイオリジナル版もあった。日本公開版より20分くらい長い)。だが、それはやはりいろいろと微妙な側面がありますから、再びきちんと観れるようになってほしいです(さっさと関係者が和解してほしいです)。なお、私は子どものころに買ってもらったVHSをまだ持っているのですが、仮にこれに妙な高値がついてもちっともうれしくありません。
 怪獣帝王ゴモラ!角から怪光線、口からは火、そして驚異の怪獣念力(実はオリジナル版では念力によって引き起こされた火山の爆発とか、大津波とか、大竜巻のシーンがある)。初代とはガラッと違うすごい怪獣になっていましたね。ゴモラ以外の怪獣もタイラント、アストロモンス、ドロボン、ダストパンとなかなか豪華でした。ウルトラマンと怪獣の団体戦は今では珍しくないですが、その始まりはこの映画だったと思います。後、凄すぎるヒーロー、ハヌマーンも忘れがたいです。

Re: NECO! 殿様ギドラ (男性)

2017/07/08 (Sat) 17:11:37

 仮面ライダーは子供が小さかったころ(2000年代)にある程度は横目で見ていたので、私が知る仮面ライダーとはまったく別のものに成り果てたのは認識しています。
 製作陣は石ノ森章太郎氏自身が「仮面ライダーはいかようにも変容するものだ」というような内容の発言を遺していることを盾にとって好き勝手をやっているように見えます。
(さすがに石ノ森氏にだってなんらかの仮面ライダー定義はあったでしょうに・・)

 まあその、私は仮面ライダーにはこだわりがないので、傍目で見ていて痛々しいなとは思うものの、静観するしかないところです。

 しかし、ウルトラとなると話は別で、
いくら70年代にすでに私が好きだったウルトラとは別物にされてしまったとはいえ、
現在でもウルトラシリーズはすごいんだという話になると、
金城哲夫の脚本がどうこう、子供向けとは思えない内容の深さとかなんとかいう批評が出てくるのですから、
ウルトラシリーズの名の下に変なものが出てくることにはもの申したくなります。

 一時、M78星雲人であるという設定を捨て去ったウルトラマンが増殖しましたが、
「メビウス」において旧作との連携を打ち出したところ、どうやらそれが受けたんでしょうね。
(「メビウス」以前から主にゴジラシリーズに関して、私は旧作と断絶するな、と主張しつづけていましたが、その正しさを証明したとも言える)

 その後、いろんなからくりを用いて本来は関係なかったはずのウルトラマンをとにかく共演させることが主流になっていきました。

(「ネクサス」の悲惨な結果も私の主張を裏付けるものだったのだが。あれは映画『ULTRAMAN』と連動したシリーズで大人が見るウルトラマンを標榜した結果、陰鬱なものになった。どうしてオタク系クリエーターは大人向け=陰惨・残酷・恐怖と考えるのか。誤解を恐れずに言えば、そもそも怪獣とは人間の中にある幼児性をくすぐるものであるのだから、大人しか見ない、見られない怪獣ものなどあってはいけないのだ!)

 ちょっ余談が長くなってしまいましたが、昨今のウルトラマン共演もやり過ぎになってますね。
 別のウルトラマンの能力を取り込む、なんて設定はおもちゃありきの設定としか思えません。
 ドラマ上では、ウルトラマンたちを道具化していることになり、怪獣の道具化(ウルトラギャラクシーやウルトラマンギンガがやったこと)と同じ事をウルトラマンに対しても行ってしまいました。それこそ、怪獣やウルトラマンをおもちゃにしているだけで、優れたストーリーを生み出すための行為ではないですね。

 今日から始まった「ウルトラマンジード」(まだ見ていません)もウルトラ兄弟を道具にしているみたいだし、
「オーブ」から始まった東映ヒーロー的な人物配置も踏襲しているみたいですから、なんとも不安がいっぱいです。

 たとえ低予算でもおもちゃを売るための企画でも、その枠の中で志の高い物語を紡ぐことは出来るんじゃないでしょうか。
「オーブ」でも単純なアクション篇ではない話はあったわけで、あれが出来るなら、第一期ウルトラに匹敵するような真剣勝負のストーリーだって許容されるんじゃないのか?と思うのですが、
いかんせん、脚本を書いている人たちにそこまでの社会洞察人間洞察がなさそうなのですよね。

 特撮やアニメばっかり見てないで、新聞読めニュース見ろ社会派映画を見ろーーー、と言いたいですね。
 そして、もっともっと悩め。(ソクラテスもプラトンもニーチェもサルトルもみんな悩んで大きくなったんです)

 友情は大事、愛が大事、みたいなお題目を並べることはやるけれど、最近の作品には、「では、友情とは何か、愛とは何か」というレベルの根本への問いかけがない。

 昔のウルトラシリーズが高い評価を勝ち得たのは、正義の味方を主人公にしつつ、「正義とは何か」という根本を問いかけたからでしょう?

(そうそう、ハヌマーン!公開当時、特撮好きの友人同士でハヌマーンの飛び姿を真似るのが流行りました)

むむ、一体これはどうしたことか 殿様ギドラ (男性)

2017/06/16 (Fri) 18:25:44

 めざとい方はすでにお気づきのことと思いますが、
アニメゴジラのビジュアルが発表されてますね。

 まだシルエット的なもののみですが、えーと、
なんというか、私にはギャジラ(ギャレスゴジラ)にしか見えないんですけどぉぉ。

 どゆこと?

 なんだかいろいろ理屈を付けているみたいですが、一体なにをやりたいの?
(キャッチコピーにも疑問符だらけ)

Re: むむ、一体これはどうしたことか - ブロークン (男性)

2017/06/16 (Fri) 20:10:58

もしギャレスゴジラそっくりならば、デザインは海外受けを目指しているのではないですかね。
なんだかんだ言って世界一売れたゴジラですし知名度は抜群でしょう。
ギャレスゴジラが良いデザインかどうかは人によるのでここでは言及は避けます。

海外で売れやすいアニメという媒体なうえにメインキャラクターに日本人、白人、黒人と多様な人種を盛り込んでいるのも海外受けを目指しているように思えますね。

ですが今はシルエットだけなので、着色や細部がでるまでは何とも言えないのでは。
特に色や顔付きによってはイメージなんて簡単に変わりますので。

Re: むむ、一体これはどうしたことか - ルー等級つつ大臣 (男性)

2017/06/17 (Sat) 16:06:34

私も遅ればせながら見ましたけれども確かにこのシルエット、ギャジラ以外の何者でもないですね…
まぁ、あくまでもシルエットですから実際の印象は違って見えるのかもしれませんが何だか不安感が募ってくるデザインではありますね。
(蓋を開けてみたらやっぱりギャジラだったりして…ってのはあまりにも安易ですね)

熱くなってしまい申し訳ありませんでした   「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない」 - ブロークン (男性)

2017/06/16 (Fri) 19:42:13

今になって頭が冷えてきたため、ようやく過ちに気が付きました。
過ちを繰り返さないためにも、これからは話題は1つに絞ってブレずに議論してゆきたいと思います。
申し訳ありませんでした。
出来れば付き合っていただけると幸いです。

ですが、どうしてもあの罵詈雑言は受け入れられないところはあるとは述べておきます。


その為今回は山根博士の「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない」についてだけに絞りたい。
なぜこれに絞ったかというと、やはり初代ゴジラというものは一番普遍的な話題で入ってゆきやすいものであるからです。

これの真意が水爆実験でゴジラが出てきてほしいという解釈。
これ、クレイジーな解釈なのか? と私は疑問に思いました。こう考えたのは本当に私だけなのだろうかと。
そこで、「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない」をそのままGoogleにぶち込んで検索してみました。

そうしたら、出るわ出るわ。
動画を除けば、出てきた順で上2つは私と同じ解釈をしているのです。少なくともこういう可能性もあるよと書いている。
その下にも私の解釈と似たものがそこそこ出てきます。この辺りはご自分で検索されたらわかると思います。


やはり、クレイジーやエキセントリックなどと感情論で否定するのは早計ではないのか。結構な人数がクレイジーでエキセントリックになってしまう。
断ずるならば、この解釈が間違っているという根拠を示すべきではないのか。
私の根拠は前に書いた通りです。

できる限り冷静に書いたつもりですが、気に障れば申し訳ありません。

おフランス人の怪獣観 - 海軍大臣 (?)

2017/06/16 (Fri) 12:23:50

 こんな話をふと思い出しました。
私が中学生の頃だったと思いますから、かれこれ40年前のこと、学校の図書館に置いてあった「一億人の昭和史シリーズ」の別冊の映画特集号(だったと思いますが、記憶がイマイチです)で映画評論家(こちらも氏名忘失)が以下のようなコラムを書いておられました。

 その方は昭和三十年代初頭にパリで暮らしていたそうなのですが、フランスでも「ゴジラ」だったか「ゴジラの逆襲」だったかが公開され、大ヒットしていたと言います。
で、ご自身も劇場に足を運ばれて御覧になったところ、上映終了後、たまたま臨席になったパリジャンから、「お前、日本人か?」と尋ねられ、そうだと答えたところ、「今観た映画のことで話をしよう」と誘われて、カフェか何かでゴジラ談義になったのだそうです。すると、そのフランス人男性がゴジラを評して、
「ハリウッド製のこの手の映画に出てくるモンスターは、クモだとかアリだとかがデカくなっただけのモンスターだが、日本のは(たとえ恐竜の姿はしていても)何だか想念が具象化したもののように感じられる」
 みたいなことを言ったとかで、その方は、「なるほど。フランス人ってヤツは子供だましみたいな映画でも、そんな風に見ているのか」と大変新鮮に感じられたと聞きます。
 
 このコラムを目にしたときは未だ中学生だったこともあって、「カンネンのグショウカ」とは何とも小難しい話だな、としか思いませんでした。
 しかし、このところこちらのサイトでの議論を拝見するにつけ、今更ながら60年も昔にそのパリジャンが云った言葉と改めて向き合わされる気分がしてなりません。
 

Re: おフランス人の怪獣観 殿様ギドラ (男性)

2017/06/16 (Fri) 18:21:30

 おお、これは興味深い逸話ですね。

 ハリウッドの怪物にもそれぞれになんらかの想念は込められているのだと思いますが、
そのフランス人がなぜ日本のゴジラに格別に想念を感じたのか・・・。

 いろいろと憶測することは出来ますが、ゴジラ(ひょっとしてアンギラスも?)は特別なのだ、と言えるのでしょう。

 ただ私が懸念するのは、この「想念」というものが近年のゴジラ論・怪獣論の中で必要以上に重要視されているんじゃないかというあたり。
劇中でのゴジラそのものにいかにもな「想念」(観念)をストレートに反映させることでテーマ性を持たせたつもりになっているものがありはしないか?
(いや、『シン・ゴジラ』はまさにそんな映画だった)

 架空の生き物だからこそ、劇中ではしっかりと生き物として描くべきではないのか。
観念・想念はストーリーと演出で感じさせるべきではないのか、と思ったりします。

 このあたりは映画のリアリズムをどう考えるかの問題でもあるように思います。
黒澤明はもちろんですが、円谷英二も基本に置いたのはリアリズム。

 最近の映画監督たちは自らの想念をそれこそ具象化すればそれでいいと思っている人が多いみたいで・・。
だから登場人物やストーリーがリアルさより監督の恣意を優先した形になっている・・・。

 おっとっと、あらぬ方向へ話がそれちゃいましたか。

きっと悪気はないんだ!(大長編) 殿様ギドラ (男性)

2017/06/09 (Fri) 16:21:13

私はインターネットとは公共の場だと思っておりますので、BBSでどなたかとやりとりする場合もどこかにいる読んでいるだけの人も意識して書いています。
本稿は、6月3日付けのブロークンさんによる投稿への返信として書きましたが、後半はとりわけブロークンさん以外の読者の方へのメッセージになっています。
もちろんブロークンさんがお読みになっても問題はないです。
それで、一言ブロークンさんへ申し添えれば、あまり慌ててレスを書かない方がいいですよ。
相手が何を言っているか、自分が何を考えているか、じっくり整理して推敲して投稿しましょう。
余計なお世話だ、とか考えちゃダメダメ。

*********************************

まずブロークンさんへ
お答えありがとうございます。

VSシリーズで洗礼を受けたとすれば、二代目ゴジラにはあまり魅力を感じないというのは理解できます。
(そのようにゴジラ観が分裂することを避けよ、と私は主張しているのだが・・・)
ブロークンさんの世代(と言っていいのかな?個人差はありそうだけど)は強い、怖い、神のような・・・というイメージをゴジラに持っている、ということですね。

ちょっと疑問なのは、大学生だとおっしゃっていること。
『vsデストロイア』からでも20年以上経っているわけで、VS世代というのは30代の人が中心だと思っていましたよ。
年齢で何かを判断するつもりはありませんが、世代論となると年齢を考慮せざるを得ません。
いや、いいんですよ、30代で大学生でも。だとすると、まわりの学生とは感覚が違うはずで、大学生はこう感じている、というのはこれまた違うでしょ。

しかし、いまの日本人がすべてVSシリーズ世代というわけではないでしょう?
初代や二代目そのまんまでは埋没して消えてしまう、ことの論証としては弱いです。
また、作り手が二代目ゴジラとは違うイメージを推しているから、というのは根拠になりません。
その彼らこそ二代目ゴジラとは違うものを作ろうとしている改変派なのですから、自分が作りたいものをアピールしているに過ぎないのです。
どうもブロークンさんは権威に弱いですね。

それでも、私自身が感じる昨今の風潮として、とにかく派手なものが好まれているんじゃないのか、という疑いはあります。
とはいえ、それが全世代に共通の感覚なのかどうかは疑問です。
時代劇でもデジタルエフェクトを多用してアニメ的な非現実感を出しているものもあるようですから、少なくとも作り手側は派手さを求めているようには見えます。
なぜそうなるのか、と常々疑問に思っていましたが、なんのことはない作り手の世代交代によってTVで映像の洗礼を受けた者たちが映画界に入ってきているだけのことではないか、とも思っています。
(結果、リアリズムから離れていっているのだが)
そして、若者たちはそれが映画だと思って受け入れているだけ、と。
もちろんそれが現状であれば、それに合わせた映画作りをするのが正解なのかもしれません。
けれども本当の映画映像というものは別の方向にもあるということを知っている人が皆無ではありません。
いまは、古い映画でも比較的容易に見ることが出来る時代です。若い人でも映画に意識的な人は派手好みとは限らないというのも事実です。
(先日某TV番組で若い女優さんが成瀬巳喜男監督の『女が階段を上る時』が良かった、と話しているのを見てうれしくなりました)

あまり自分の身の周りだけを見て判断しないほうがよろしいかと思いますよ。

(おっしゃるとおり、二代目ゴジラはそんなに強そうに見せてはいません。というのは対怪獣の場合。人間に敗れることはない。熱線の威力が足りないというご意見は、特撮映像のリアリティをどう考えるか、という問題になっていきます。
円谷監督は物理現象のリアリティにこだわって演出しますから、ゴジラの熱線はあくまでも熱であり、対象物を燃やすか溶かすか、なのです。当たったものが爆発性のもので無ければ爆発などしません。
さらに高温であるから青いのです。赤い炎より青い炎の方がより高温です。さて二代目ゴジラがほかの怪獣に対してさほど強くないという問題。この作劇は、ゴジラが弱いということではなくて、その他の怪獣たちもゴジラと並び立つものだという表現なのです。
ゴジラの熱線で人工物は破壊されるが、怪獣は平気。これが重要。というのも、VSシリーズとは別の哲学で作られているからです。VSシリーズはゴジラを破壊神などと呼び、ゴジラを引き立てるために対戦相手を配置しています。
スター性を守ろうとしたのはモスラのみと言って良い。これは『南海の大決闘』以降の対戦相手たちの扱いに近い。それなのに負け率はVSゴジラの方が高いのはどういうわけか。ストーリー上はVSゴジラのほうが弱い。
ええーと、このあたりのあれこれはスター・ゴジラをどう見せていくべきかの話になっていくので、いまは省略します)

VSゴジラには二代目ほどの普遍性はないと分析しています。
簡単に言うと、核兵器や放射性廃棄物の放射線で変異した結果ゴジラになったという設定であり、放射性物質をエネルギー源とするのですから、
人間の罪と不可分であり、人間の科学に従属する存在であるという縛りがあるためです。
この設定は無意識的にでもストーリーに影響を与えます。つまりゴジラ=倒すべき者となってしまい、サーガの終着点にはゴジラの死しかなくなってしまうのです。
(人間は自らの罪・過ちを克服しなければならない)
二代目ゴジラほどの自由度がなく、『怪獣総進撃』のような終着点もなくなります。

二代目ゴジラにはご不満のようですが、彼はストーリーに応じてさまざまな顔を見せてくれますから、設定を変えずとも厳めしさを出すことだって出来ますよ。
(いちおう訂正させて下さい。『オール怪獣総進撃』ではなく、『オール怪獣大進撃』ですよ)

と、VSゴジラと二代目ゴジラの比較をしてみましたが、ブロークンさんはVSゴジラをもう一回だせ、と言っているわけではないのですよね。
VS的な圧倒的に強くて他を寄せ付けないゴジラであれば良い、と。
姿形が変わっても生物としての設定が変わっても構わない、ということですね。

>恐らく、現代人のほとんどがゴジラに「見たことのないとんでもない強さ」を求めているのだと思います。

これもブロークンさんの推察ということで認めますが、ちんごじらに関する世評から類推しているのだとするとひとつ、強引な点があります。
ちんごじらのビームがすごかった、という感想は事実でも、その人たちがあれをゴジラだと思っているかどうか。
ちんごじらはこれまでの改変ゴジラとはレベルの違う改変が行われていて、ゴジラというよりむしろヘドラに近い存在です。
テレビで芸能人が『シン・ゴジラ』を話題にするとき、登場する怪獣をシンゴジラと呼んでいるのはなぜでしょう。
無意識的にでもあれをゴジラではないと思っているのではありませんか。
いままで見たことのないものだから、ゴジラではなく、シンゴジラと呼んでいる。どうですか?

そこでゴジラのアイデンティティの問題になっていくのです。

以前の幼なじみの例え話。
最初は意味が分からなかったご様子ですが、その後の説明で意味は分かったんですよね。
つまり名前だけが同じでも実態が違えばゴジラではない、と。
とくに反駁もなかったので、そこは共通理解事項になったと解釈していましたがどうも違うようですね。
こういう大事な問題は合意できたか否かをその都度表明して欲しいものです。

そこで私は
丁寧な説明も添えて、
>名前だけ共通で中身が違うことの意義はなんでしょう?

>それを教えて下さい。
と投げかけたわけです。

ところがそれにはお返事がない。
どうも合点がいかない。

では、次。

なぜゴジラでなければならないのか、という問いに

>殆どの人が今まで見たことのないとんでもなさやハチャメチャを求めているんです。そしてそれが一番目立つのは当然、ゴジラのキャラクター性や設定や強さである。

というお答え。
一番目立つ、という表現がよくわからない。
ゴジラは有名だから、なにか事を起こす(映画を作る)ときにはゴジラの名前を出せば目立つ、ということですか?
しかし、続けて「キャラクター性や設定や強さ」とおっしゃっているので、
とんでもなくハチャメチャなヤツ代表としてゴジラを使う、というようにも読み取れます。
それなら私も賛成です。

つまりゴジラのキャラクター性や設定や強さが映画の企画内容に合致するからゴジラ映画を作る、ということになりますから。

新作ゴジラ映画とはそうあるべきなのです。
ゴジラという怪獣(姿形気質生態出自全部含めての実体として)を使って新たな物語を紡ぐ。
シリーズものの利点を利用するには、複数作作る場合それぞれの作品を断絶させない。

なのに、なんでそのあとちんごじらが受け入れられた話に繋がっていくのか摩訶不思議。
もう一度整理しますよ。
ゴジラというのは昔からいる怪獣。
キャラクター性だの設定だのは既存のものなんですよ。
ところがちんごじらは初お目見えの新怪獣。

ゴジラを使った映画ではない。

結局、ブロークンさんも最後に

>これを切り捨てるというのは商売として不可能としか思えない。

とおっしゃってしまう。
まとめると、ゴジラのネームバリューだけあればいい、というお話ですね。
それは、もう、20年も前からさんざんいろいろな人から聞かされてきました。

どういうわけか、ある種のマニアはいつの間にかプロデューサー気分になってしまうようです。
一鑑賞者の立場として、商売になるかどうかがどうして問題になるのですか?

無名の新怪獣が登場する映画でも、自分がおもしろいと思うなら応援、宣伝してヒットさせる、というぐらいの気概があってもいい。
逆にゴジラに無理解な大衆が騒いでいても、あれはゴジラではないと批判するのが正しいゴジラファンである。

実際、ブロークンさんはちんごじらが気に入らないのでしょう?
(それでもゴジラだとは思うんでしたっけ?醜悪でいやだとはおっしゃっているけれどゴジラではないとは言ってないのか)
改変ゴジラにはノーだと言うべき立場ではないのでしょうか。

改変されていても自分の好みに合っていれば受け入れるという自己中心的な考えだったりします?

そういえば、
>「これはゴジラだ」と言えるのは「グロテスクでないこと」と「強いこと」くらいしかないのかもしれません。

という基準を提示なさっていましたね。
これに対し私は

>ウルトラ怪獣のほとんどがゴジラと区別できないことになりますよ。

と申し上げましたが、これにも同意いただけたのかどうかわからぬままスルーされてしまいました。

もっと直近では、再度の問いかけには答えていただけたものの、6月3日の私の投稿内容に関して納得いただけたのかどうかもさっぱりです。

なんとも書きがいがない・・・・。

スーパーマンがダークなイメージで再映画化されている話(『マン・オブ・スティール』は私も見ましたが)からアメリカの大衆の間でもスーパーマンのイメージは変わってきているのだ、と結論づけていますが、
それは本末転倒です。
製作者側がいままでとは違うイメージのスーパーマンを打ち出してきただけで、それが定着するのかどうかは今後を見ないと分かりません。
シリーズが連作されれば定着する可能性はありますが、短命に終わればスーパーマンのイメージは変わらないでしょう。
少数の人しか読んでいないコミックスの影響で大衆のスーパーマン観が変わったわけではないはずです。

(いちおうダメ押しのように書いておきますが、たとえ多数決の論理で有名キャラのイメージが変わってしまっても、それは原典とは違うものだし、別物だと認識すべきです。これは大衆性を守る話とは別のことになりますが、
創作とは何かという問題に関わってきます)

前回の「それとこれとは違う」のお話の時には触れていない内容として、勧善懲悪のヒーローと怪獣ゴジラではキャラクター性がぜんぜん違うのでこれも同列に語ることは出来ないと指摘します。
勧善懲悪ヒーローの場合、物語のパターンは限られ、そのバリエーションもたかが知れています。
ですからすぐ行き詰まる。そして主人公を苦悩させたり悪に走らせたりするのです。
「ウルトラマン」が良い例です。初代ウルトラマンの段階ですでに行き詰まっている。「何が起こってもウルトラマンが助けてくれるから問題なし」という展開に落ち着いてしまったわけです。
それで「小さな英雄」というストーリーが考案されたりするわけです。(あくまでもウルトラマンは一例ですよ。スーパーマンもバットマンも同じだとは言わないですよ)

だから新シリーズに移行したり設定やストーリーをリセットする羽目になる。
では、ゴジラはどうなのか?

ということを6月2日に
「怪獣ゴジラは行き詰まっているのか?という問題を議題にすべきなのだが、元祖ゴジラのキャラクター性が持つ可能性を十分に議論せぬまま、やれ現代的にだの時代に合わせろだのと変化ばかり求めるのは間違いであろう」
と書きましたが、これもいまいち伝わっていないような・・。


*********************************************************

さーて、ここから先はブロークンさんへの直接のレスではなく、読者の皆様に向けて書きます。

ブロークンさんは私が6月1日に
「設定も物語もリセットしちゃって構わないのだ~そんなシリーズがどこにありますか」と書いたことにひどくこだわっているご様子。

はぁ、と、ちょっとため息。
私はちゃんと「映画におけるシリーズもの」と規定して話し始めているんですけどねぇ。
それで、キングコングの話もしつつ、繋がってこそシリーズであると導き、
ミレニアムシリーズと呼ばれる作品群はまるで繋がっていないから、シリーズとは呼べない、そんなシリーズがどこにある、と繋がる文章なんです。

そこでアメコミヒーロー映画で反論が為されれば、リセットが行われていてもそれはシリーズ間のこと(サム・ライミのスパイダーマンとアメイジング・スパイダーマンは別シリーズ)で、
同一シリーズ内でリセットが行われているとすれば、それはやはり異常事態でしょう、という話が出来ると思ったのに、
あらびっくり。
アメコミそのものでおいでなすった。(若大将シリーズなんかの話だといろいろおもしろくなったんですけどね)

それでも、それとこれとは違う、という話ではあるのでアメコミを取り巻く状況とゴジラ映画では違うでしょ、と説明してあげました。

ところが、今度はガンダムをひっさげて同じ話を蒸し返す。

同じ事なのに。
TVアニメのシリーズ構造と映画シリーズの構造が違う、ということをどうもわかっていないご様子。
さらにガンダムがゴジラレベルの大衆性を勝ち得ていないのは日本人なら生活感覚でわかることなのに、どうしたことかおもちゃの売り上げを提示して国民的人気があるのだ、と結論づけている。

TVアニメが国民にどれだけ浸透しているかという話なのに、なぜおもちゃの売り上げだ?
私の常識では、子供番組の多くはおもちゃメーカーの出資で製作されているため、おもちゃの売り上げによって製作の可否が決まると認識しています。
「快傑ズバット」というヒーロー番組は視聴率はよかったものの、おもちゃの売り上げが悪かったために打ち切りになった、と資料本に書いてありました。
それはガンダムも同じ事で、最初の「機動戦士ガンダム」は視聴率も思わしくなかったのは事実ですが後半は尻上がりに視聴率が上がっていったと記憶しています。しかし、とにかくおもちゃの売り上げが悪かった。
そのため、打ち切りになったそうです。
おもちゃの売り上げから作品の質や浸透度を測ることは出来ないんじゃないでしょうか?

(私が日本のアニメに批判的だからと言って、アニメには何の見識もないと見くびっちゃいやーよ。「機動戦士ガンダム」の価値を認めた第一世代である。最初の劇場版三部作にはすべて足を運んだ)

TV番組の人気を調べるために第一に見るべきは視聴率でしょう。

というわけでガンダムものの視聴率を調べて見ました。

https://matome.naver.jp/odai/2147451655517774201

こんなページがヒット。
さすがに驚きました。
ガンダムはもうちょっとポピュラーかと思っていました。

というのも、最初の「機動戦士ガンダム」はマイナーだったものの、ファンの努力(ここ重要!)で人気が浸透、劇場版三部作が大盛り上がりだったからです。
主題歌がヒットチャートの上位に入ったり、あちこちにガンダム関連のなにがしかがあったように覚えています。
映画館で大入り袋をもらったのも、ガンダム劇場版でのことで私の映画人生でも空前絶後。

そんな人気の中で再放送された「機動戦士ガンダム」(地方によってさまざまな放送のされ方をしたでしょうから再放送のタイミングはひとつではない)の視聴率がどれぐらいか、と
先のサイトを見てみると、1982年の再放送が平均19.4%でこれがすべてのガンダムの中でトップとのこと。

げ。20%もいかなかったのか。

そして、第一作「機動戦士ガンダム」本放送は歴代第6位5.32%だって!
トホホですね。
低視聴率で打ちきりにもなるわと思ったけれど、それでも6位であり上位なんですよ。

本放送かつまともなTVシリーズとしては「Zガンダム」が6.6%で第2位。

第1位はOVAのテレビ放送だった「SDガンダム大行進」の8.06%だそうです。
(もう笑うしかないよね。やっぱり子供受けが大事大事)

第一作以下の作品はつまりは5.32%未満というわけで、最近のシリーズなんて2%とか1%の世界。

初期ウルトラシリーズが何十%も取っていたのと比べると、時代が違うとはいえお寒い限り。
こんなものが国民的アニメなわけがないでしょう。
(かつてガンダムファンだった身としては寂しい思い)

見る人が少ないけれど、関連グッズ(もちろんガンプラが主力でしょう)は売れている。
売れているおもちゃの内訳を詳しく見ていかないと何が受けてガンダムアイテムが売れているのかわからないけれど、とにかく作品そのものを見ている人は非常に少ない。
おもちゃの売り上げを使ってガンダムというブランドに固執するファンに対して新作を作ってあげている、という構図か。
あるいは、おもちゃのプロモーションのためにアニメを作っているのか。

これをオタク商売という!

ゴジラがこんなことになってはいけない。
ゴジラ映画は黒澤映画と並ぶ日本の文化である。(と私は思う)
設定リセットなどやって、情報コレクターのオタクしかついて行けないようなシリーズになってはいけない。
おもちゃメーカーと組んで物販で稼ぐことを目指してはいけない。
劇映画という芸術形式で人々を楽しませるべきなのだ!!

ミレニアムシリーズと『シン・ゴジラ』でぐちゃぐちゃになったゴジラはもはやかつての大衆性を失っている。
今度のアニメ版でさらにその混乱は加速するだろう。(『シン・ゴジラ』をおもしろいと思った客がアニメ版に期待するか??)
オタクしか見ない映画になっていくのではないか?(アニメはもう子供向けではなくなって久しいというのが私の認識)

さてと、ブロークンさんが自説を証明するためになぜこんなことをしたのかとひどく疑問に思いました。
視聴率を提示せず、おもちゃの売り上げを拾い出してくるなんてどういう感覚なのだろうと。

ああああああああ!!

「私が知らなかったらそのまま押し通すつもりだったのでしょうか。
だとしたら、悪質どころの話では済みませんよ。
相手が知らないのをいいことに、詭弁で押し通そうとしていたなど論外です」

これは私がブロークンさんから言われたこと。
そんな発想が全くなかったので、言われたときには仰天しましたが、まさか、彼、今回、自分でそれをやっちゃった?

いやいやいや、人を疑ってはいけません。
そうでないとすると、ううーーん、その他の受け答えから察するに、都合の良いものしか見えないとか?

いずれにせよ、かなり引いてしまったことは確かです。
ガンダムの件以外でも本稿前半で指摘した、重要案件でもスルーするやり方はどうもこちらとまともに取り合っているように思えない。

というわけで、私も彼に対する付き合い方を変更します。(『ゴジラ』の山根博士に対するファンタスティックかつクレイジーな解釈にも引きましたけど。いやご本人も遠慮がちに言ってはいらっしゃいますが、そんな発想が出てくることがアメイジング!)
ただ、彼には感謝しています。
私にとってはいつかどこかで書いたことの繰り返しばかりだったけれど、別の流れでゴジラ映画の話を書くきっかけをいただきましたから。

それから、ひょっとするとゴジラに関する情報(歴史でも設定でもデザインでも何でも)のバリエーションが欲しくてゴジラファンになっている人がいるんじゃないかと気づけたことも有益でした。<ブロークンさんのことじゃないですよ。
知るべき事が多いほど、覚えて楽しいし、誰かに講釈を垂れる楽しみも出来ますからねぇ。
そういう楽しみ方をされてしまうと、私のようにあくまでもストーリーと映像で楽しみたい人間とは衝突しますわなぁ。

というわけで私の態度に変化があっても不審に思わんでください。

Re: きっと悪気はないんだ!(大長編) - ブロークン (男性)

2017/06/09 (Fri) 23:24:55

返信ありがとうございます。

まず1つ申し上げておくと、いろいろ論がとっ散らかってしまって全て話すことなどとても困難である、ということになってしまっているのが実情です。
というのも話題を際限なく広げていってしまった感じで、どこから手を付けたらいいのかも分からない。
可能な限り(特に直近の質問には)返答しているつもりなのですが、見落としや私自身の解釈のミスもあるようです。
これ以上広がったらどんどん大本から遠ざかりそうである。

そういうわけで混乱していることが多く、まずはどこか1つに絞って片を付けたい。
そのほうが話も進んでいくでしょうし、余計な脱線もないはずです。
そして、その片をつけたい個所は、失礼ながら殿様ギドラ様に選んでもらいたいのです。
というのも、一番重要な箇所がどれなのか、どれを答えたらいいのかもはや自分でも訳が分からないというのが本音です。
もし私が勝手に選んだら、「他の議論では勝ち目がないと思ったからこれを選んだのか!」と言われてもしょうがない。
そういうわけで、できればお願いします。



というわけで、今回は身の回りのことだけを書いておきます。
また、自分の立場をはっきりしておきたい。

私は大学生ですが、1990年代前半生まれであると書いておきます。
2浪して大学に入ったけど今は大学3年生ではあるため、世代的には大学生でしょう(医学部なら現役でも大学である)。バリバリのVS世代というのは間違いだったかもしれません。
ただウルトラマンティガ・ダイナ・ガイアの世代ではありました。この辺りは幼少期リアルタイムでテレビ鑑賞していました。
その繋がりでゴジラ映画をツタヤで借りて鑑賞し、その時は直近のVSシリーズを良く借りていた(特にゴジラvsモスラは10回くらい借りた覚えがあります。そしてそのノリでモスラ対ゴジラを見てがっくりした)ため、VS世代だとは思っています。
ハマった当時はミレニアムなどはなかったので……
というわけで、権威に弱いというより幼少期嵌ったものを中心的に面白いと思ってしまうのはしょうがないことです。
この辺りは権威というより刷り込みですね。幼いころからずっと日本料理を食べているからその味付けに慣れてしまい、アメリカに行った際はそっちの料理が舌に合わずまずく感じられるのに近い。我慢して長いこと食べていたらおいしいと思うかもしれませんが。
ジャンクフードで味が濃いものに慣れている現代人が、あっさりしたものをおいしいと思わない感覚の方が近いかもしれない。
刷り込みを打破するのはほかの世代のファンでも厳しいでしょう。同時に一般人にはもっと厳しい。嫌々見させ続けるなど絶望的でしょう。



改めて私はこう考えていますよ、ということは箇条書きで書いておきます。
・世代間が分断してしまっていることは悔やんでもしょうがない。受け入れるしかない。(実際私は2代目よりVSやバーニングのほうが好きだという思いは変わらないけど、ミレニアムや2代目も認めてはいる)
・ならばどの世代にも幅広く受け入れられるゴジラを作るべきであり、2代目一本にするのは間違いである。同時にVS一本にするのも間違いである。良い要素をそれぞれ取り入れるほうが良いのではないか。
・仮に2代目の続編にするなら、熱線の描写が現代兵器以下だったりするのは情けなさすぎる上に(描写を見る限りでは対人工物の描写を見てもデイジーカッターとか地中貫通爆弾のほうが威力が高い、下手したら普通のトマホークのほうが高い)、直近のゴジラと比べて迫力不足だという部分は変えてもらいたい。それが時代に合わせるということではないのか。
・少なくとも初代や2代目の世代、VS世代やミレニアム世代、その後の世代なども一様に面白いといえるゴジラ映画が理想であり、当然これを目指すべきである。

・最も2代目が好きとかVSが好きとかシンゴジラが好きとかいうのは、アンケートでも取ってみないとわからないので(しかも普遍的な形で)、どの世代が一番多いかなんて言うのは全然わからないけど、その一番多い世代は確実に楽しめるようにすべきである。
仮にシン・ゴジラからはまりましたという人が一番多ければ(頭が痛いけど)、楽しめるようにすべきだろう。



>名前だけ共通で中身が違うことの意義はなんでしょう?
>それを教えて下さい。
これは「中身が違う」というのがどれくらいかによるとしか言いようがありません。
例えば私は前にも書いた通り、ゴジラという生物が別個体ならば、人間という1つの種の個体差程度の差異なら許すべきだと思っています。
差異というのは顔や身長や体重や性格や立ち振る舞いですね。
善人もいるけどサイコパスもいるし、熱線に関しても個体差の強弱くらいはあってもいいのではないか、ということです。
後は徐々のパワーアップか。現実でもそうだし、努力や戦闘経験の蓄積による成長も許されるでしょう。
ゴジラとは初代や2代目がいる通り、ゴジラという1つの種にいろいろな個体がいるわけで、当然ほかのゴジラという種の個体はいろいろ違うであろう。

だから、初代や2代目という種とVSゴジラという種は(田中友幸氏が関わっているということを含めたら)許すべきで、ここからはこれを崩してはいけない。
ただ別の個体のゴジラを出すなら、出自などの最低限が合っていたらある程度の差異は全然ありだろう。

だから例えば、初代や2代目ゴジラとは同じ出自だけど別の個体を主役にするなら、世界観を変えようと熱線の威力が上がっていようと性格が悪だろうと、面白いかどうかは別として1つの種の差異に収まる範囲内ならアリだ。そのためミレゴジやファイナルウォーズゴジラなどは、ゴジラの範囲には収まる。多少トゲトゲだろうと痩せていようと熱線が凄かろうと、種内の差異で説明できる範囲である。
エメリッヒゴジラやシン・ゴジラやGMKは出自とか設定がいろいろ違うので、種の範囲を超えているからゴジラとしてナシだ。


簡単に言うと、別個体でも1つの種における差異程度なら「中身は同じ」と定義してもよい。そこのレベルなら改変は自由である。
そういうわけです。


「中身が違うことの意義」でしょうか?
私の定義だと別個体にすれば種として許される範囲内でのある程度のデザインや性格、能力の変更は許されるため、例えばちょっと顔が怖いほうがいいな、もっと超然としていろ、あるいはドジっ子にしろというファンにもたいてい対応できちゃうから実質ないのでは、としか答えられません。首が三つになれとかは無理ですが。
そしていろんなゴジラを見たいって声にも対応はできます。サンダとガイラみたく新しいのをもう1体出せば問題がない。
ゴジラ対ゴジラって形でも十分ストーリーは書けるでしょう。

1つの種の範囲内という制限をつけたら、少なくともウルトラ怪獣とゴジラが同じなんてことにはならないのではないでしょうか。




「映画におけるシリーズもの」における差異ですか。
これは難しい。どこまでありなのかによります。
「初代ゴジラシリーズ」「VSゴジラシリーズ」「モンスターバース」「シン・ゴジラシリーズ(ただし怪獣名はゴジラではなくシン・ゴジラか巨大不明生物あたりにする)」みたいにするのはありなのか。なしなのか。
それによります。
2代目の続編やVSシリーズの続編などをいろいろやって、または上の定義に反しない形で新しいゴジラでも作って、それをシリーズものにするっていうのはいいと思います。


裏設定を話したいというファンはいるでしょうね。簡単に言えば、知識を出して友人に教えることなんかはそれはそれで楽しいですから。
モロにオタク商売ですが。
シン・ゴジラのMOPⅡなんかはまさにそれでしょう。
ちなみに私は、裏設定は本編だけ見て分かるレベルなら問題ないと思います。
例えば無人在来線爆弾がなぜか上空に舞い上がっているのは、実は車両の下部に上空に舞い上げるための爆弾を仕掛けていたからだ!とか(確かに車両が吹き飛んでいないのに、車両の下が爆発して自ら舞い上がっている)
これなら単純にあー見落としてた、で済む話です。専門知識がなくてもわかる。
MOPⅡは、専門知識がないと無理けど本編見たら分かる人は分かるからギリギリOK。
スクラムによる凍結とか半減期20日もここに当たります。なぜ凍結するのかは崩壊熱を防ぐためだと私は本編中で分かりましたが、私が大学で習っていて、そこそこ原発に詳しいから分かったに過ぎない。たぶん長すぎるから削ったのでしょう。
でも本編だけ見て絶対分からないのは駄目ですね。それは単に欠陥です。





ここからは謝罪となります。
まずは、殿様ギドラ様にお詫びをしなければならない。
確かに、納得したところは納得したとはっきり書いておくべきでした。
シリーズものの優位性、ガンダムのことについては納得できました。視聴率については知りませんでした。まさかここまでひどいとは思わなかった。おもちゃの売り上げが昨年と大して変わっていないため、気にしていませんでした。
視聴率は最近は録画やインターネット無料放送でいくらでも視聴できるご時世なので(そしてそれは無論視聴率には換算されない)、安易に受け取るべきではない気もしますがそれでも凄い。

ただ元はオタク向けでも超絶大ヒットしたような作品もあり、(去年の「君の名は。」は本当に凄かった。日本で249億売上げた他にも中国で95億円と日本映画の新記録を達成、韓国でも最もヒットした日本映画になるなど世界規模で売り上げた文句なしの化け物)
それは大衆性といえるのかというのは問題ですね。
http://news.livedoor.com/article/detail/12634961/
https://www.cinematoday.jp/news/N0089117?__ct_ref=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%2590%259B%25E3%2581%25AE%25E5%2590%258D%25E3%2581%25AF%25E3%2580%2582
ただ「君の名は。」は監督がもとはアダルトゲームのアニメなどに携わった人ですが、今回はキャラデザなどのオタク臭を注意して消し去った感じがしていて、一般受けを目指しているようにも見えました。
少なくともオタク商売をやっているようには見えない。
そこがいいのかもしれませんね。

「君の名は。」のように世界規模で大ヒットした作品は大衆性があるといってよいのか、そもそも大衆性とは何なのかは私にはよくわかりません。



以上です。できる限り答えたつもりですが、もしかしたら抜けがあるかもしれません。
その時は申し訳ありません。
とりあえず一つ一つ解決してゆきたい所存であるため、できれば解決したい話題を提示していただけたら幸いです。


最後に余談ですが、山根博士に関しては前にゴジラ関係の人に話した時もおもいっきり引かれたんですね。
それっきり黙ってたんですが、やはり言わないほうがよかったか……とあらためて思ってしまいました。
人間隠したほうがいいこともあるといったことでしょうか。

私はやさしい 殿様ギドラ (男性)

2017/06/12 (Mon) 18:59:37

>相手が何を言っているか、自分が何を考えているか、じっくり整理して推敲して投稿しましょう。

と指導したのに。

誤読・曲解・スルーが多すぎて、君、正気か?と疑う。

とりあえずはいままでのやりとりをすべて熟読せよ。

返事は要らない。GMK掲示板ログ、GMG掲示板ログ、GMMG掲示板ログ、ファイナルウォーズ掲示板ログも読むべきだ。

「やさしい」? ふざけているのか - ブロークン (男性)

2017/06/12 (Mon) 21:44:02

正直、怒りたいのはこちらの方です。
ふざけるんじゃない。
裏切られた気分で一杯です。
 
色々言いまくってもとっちらかるだけだから話題を1つに限定したらいいんじゃないですか? そしたらぶれないよと言ってもやらないし、じゃあ私が決めてもいいのかと考えても今のままでは無理でしょう。

今回の私の文章の主題は、最初と最後を見る限りで、「話題を1つにしたらどうですか? 私が決めたら色々あるでしょうから貴方が決めてください」ということがすぐに分かるのにそれに対する返事もない。
一方的に言うばかり。こっちはできる限り返答しているつもりです。
それくらいなら返事の1つもくれてやっていいでしょうに。
話題を1つに決めようということに関しては可笑しいことをいっているとはとても思えません。
「これこれについて答えてくれ」と言ったら、私は答えます。少なくとも答えているつもりではある。


また一番腹が立ったのは山根博士の件です。まがりなりにも議論相手にとっていい態度ではない。
エキセントリックでクレイジーのどこに論理や根拠があるのか。
頭ごなしに否定するただの感情論でしかない。そこまで批判するなら少なくとも理由を書くべきだ。
少なくともあの文章からは馬鹿にしてるのかという思いしかわきません。説得する気も反論する気もない。バーカバーカとただ悪口を言っているだけ。
普通ならこの時点で見切りをつけますよ。我慢してそんなそぶりは見せないようにしましたが、もう限界です。



私は少なくとも一方的に言っているつもりはありません。
「怪獣総進撃」の関係やシリーズものの長所に関しては認めたではないですか。言い過ぎた面はありましたが、それは謝罪しています。
それなのになぜそんなことを言うのか。理解に苦しむ。

私にも落ち度があったことは否定しません。しかしあなたにも落ち度は確実にあります。しかももっと酷い。
はっきり言いますが、山根博士の件であんな悪口しか言ってない時点で「やさしい」などというのは噴飯ものの戯れ言です。
皆に見せるつもりで書いてるんですよね? 間違ったことを書いていても、それを根拠もなくバカにするのは、相当にイカれている。
というより、馬鹿にしている時点で論者として終わっている。
冷静に批判すべきです。



それどころかアメージングだのクレイジー、正気か?と人格批判までしている。
それを理由を述べずに言っている。たとえ筋が通っていても言っていい言葉ではないはずの言葉を言っている。
それどころかアメージングやクレイジーは断定している。間違っていても意見の1つとして訂正すればいいのに。
私が言ったからいい? 子供の論理ですね。私は謝罪しましたしクレイジーやアメージングなど、人を心底馬鹿にしたような発言はしませんでしたよ。それに断定していません。
「もしそうなら」とちゃんと書いていますし貴方ほど酷くもない。嘲ってもいません。


たとえあなたがこのあと根拠を述べても、私はあなたを「やさしい」とは思いません。
根拠もなく悪口で人格批判して頭ごなしに否定するのが「やさしい」?
議論する相手をバカにするような煽り文言を書いて「やさしい」?
その独創的な悪口を考えた時点で「やさしい」の対極でしょう。
そもそもやさしい人間はやさしいなんて自分から言わないんですよ。

私は自分を「やさしい」とか口が裂けても言いません。あんなこと言われてハイそうですかと従うほど人間はできていません。
でもやさしくはありたい。
せめてあの悪口は謝罪してほしい。そして話題を1つに決めることに関する返事はどうなのか。
返事を明日までに書かなかったら、もう二度とこの掲示板には来ません。
今回のこれで議論する気も失せましたが。

もう既に私のような人が出ないようにすべてスクショを取っています。謝罪をしなかったり、まともな返答が来なければ被害者が出ないようにTwitterか匿名掲示板辺りに流し、悪質サイトとしてyahooに通報します。
この悪口を黙ってみているほど私は人間できてませんので。

えっ、怒らせちゃった? 殿様ギドラ (男性)

2017/06/03 (Sat) 19:17:32

仕切り直して、スレッドを変えますね。

ブロークンさん、なんだかお怒りのようですが、私の文章のつながりを正しく読んでいただければ、

>私が知らなかったらそのまま押し通すつもりだったのでしょうか。
だとしたら、悪質どころの話では済みませんよ。
相手が知らないのをいいことに、詭弁で押し通そうとしていたなど論外です。

そうではないことがおわかりいただけると思うのですが?

まず、あなたの

>ゴジラ映画とは一部のマニアのためにあるものではなく、それを観る万人のためにあるべきです。

この発言から始まります。
これは、私が、ゴジラを描くなら基本設定を守り、中身を変えるな、と主張したことに対する反論の一環としての発言だったのですよね?
その内容に関しては、6月2日20時15分の投稿で詳述なさっているわけですね。

要約すれば、設定変更などを気にするのはマニアだけなのだからその他一般のお客さんを対象とするなら作品ごとに主人公をどんなに改変してもかまわないのだ、という主張ということでいいですね。

それに対し、設定や物語をリセットするのは異常だとして、「そんなシリーズがどこにありますか。」という発言になるわけです。
続けて、有名キャラクター(ゴジラ)だとマニアでなくてもはっきりしたイメージを持っているのだという例証として、ゴジラの身長の話をしました。

設定や物語をリセットするシリーズがどこにあるか、と書いたとき、シリーズと呼ばれながらも仕切り直しのリセットをしているものはないわけではないし、
とくにアメコミヒーローものだと設定の違う同じ名前の主役キャラもいたっけな(詳しくはないのです。ウルヴァリンには別設定の映画があったなとかスパイダーマンもちょこちょこやってるなと知っていた程度)
ということは頭をよぎりました。

しかし、主眼は大衆性を守るとはどういうことか、だと考えておりましたし、ここでアメコミを例に反論されるならそれでもいいじゃないか、と考えたのが、
「ひっかけるようなこと」ということです。

わかりますか?
反論していただくことを前提に書いたのですよ。(アメコミだってやっているんだからゴジラもどんどん改変すればいいじゃんと考えている人は多そうだからこの機会にそれとこれとは違うという話が出来ればいい、と。
しかしそりゃ確信はなかったですよ。ガンダムだのライダーだのを持ち出される可能性もありましたから。でも最初によぎったのはアメコミ映画だったことは確かです)

それでね、

なんだかもう結論が出たみたいにおっしゃいますが、
確かにおっしゃる通り、マニアではない人はゴジラの基本設定なんか知ったこっちゃないんです。
事実、1980年当時(まだゴジラ論なる動きは始まっていなかった)、怪獣ブームをくぐり抜けた私と同世代の若者たちはゴジラが水爆実験をきっかけに出現した、なんてことを知りませんでした。
1970年代のヒーローゴジラの印象が強かったんですね。(1960年代のあくまでも野生動物として扱われたゴジラより70年代のヒーローゴジラの方が印象として強く残っている問題も掘り下げるべき案件ですが、いまはそれを指摘するだけに止めます)
ま、それは余談として。

だから、ゴジラの基本設定を書き換えてしまったVSシリーズもちゃんとヒットした。

それは私も認めているんです。
ただし、同時に、VSシリーズは元祖シリーズとは断絶しつつも、シリーズ物としての体裁を保っていた、とも書いていますよ。

ブロークンさんが例として出してきたアメコミ有名キャラクターの傍流シリーズは、それぞれ独立したシリーズなのですよね?
たとえば、「悪のスーパーマン」シリーズとして連作されているのでしょう?
ゴジラがミレニアムシリーズでやったこととはかなり違うんじゃないですか?

それから、そんな設定改変を行っても人気は落ちないのだ、という言説。
アメコミの出版形態とか発行部数とか客層などなど、ゴジラ映画の公開ペースや目標収益、客層と並べて考えられるのですか?
映画の観客数に比べれば出版物の方がはるかに少ない発行部数で成り立つというのは日本もアメリカも変わりないと思いますが、違うんでしょうか。
アメリカンコミックスは毎回100万部単位で売れているんでしょうか。(いや、アメリカだからもっと部数が伸びないとダメか)
ちょっと調べて見ましたら、2012年の記事で2008年のデータがヒットしました。日本のマンガ市場に比べるとアメコミ市場は10分の1だそうです。
もともとマニアックなジャンルなのでは?
広く一般大衆に向けて作っているものとは思えませんね。

作品の変遷をこと細かに追いかけてついて行く客向けなら、マンネリを防ぐためにさまざまな改変を行っても人気は落ちないでしょうね。
それをオタク商売と言うのです。

しかしだ、アメコミファンの中で人気が落ちないという話と一般大衆における人気をごっちゃにしてはいけません。
スーパーマンが複数のイメージのまま人気者なのですか?アメリカの大衆は元祖スーパーマンが好きなのではありませんか?
映画で公開されるものよりコミックスのほうが浸透度が低いでしょう?コミックスで改変スーパーマンが発表されているからといって、それでスーパーマンのイメージが変わったのでしょうか?

ゴジラの場合、映画で公開されるのが基本のキャラクターです。
(「流星人間ゾーン」に出たり、「すすめ!ゴジランド」「冒険ゴジランド」というOVAやテレビ番組にも出ていたようですが、一般には認知されていないでしょう)

その、たまにしか出てこないゴジラが、毎回別物になったら何が起こるか。
やはりゴジラに対するイメージは分裂するでしょうね。

実際、私のような旧世代は二代目こそゴジラだと思っていますが、VSゴジラこそゴジラだと思っている人も多い。
ここですでにゴジラ人気は分散しているんです。
私のような異常な人間は、VSゴジラも全作劇場へ見に行きましたが、自分が思うゴジラとは違う、ということで見に行かなかった人もいるのではありませんか。
なんて書くと、推論を言うな、という話になりますから、私自身の話をします。
『ゴジラ対メガロ』は劇場へ足を運びました。
しかし、あの映画に出てきたゴジラは、大きくデザイン変更され演技も中島ゴジラとは大きく違っていました。
ストーリーのつまらなさも問題でしたが、そのとき私は(小学生ですよ。ゴジラファンだったけれどマニアではない時代)もうゴジラも終わったな、と、
つづく『ゴジラ対メカゴジラ』『メカゴジラの逆襲』を見に行くことはありませんでした。

少なくとも私の中でのゴジラ人気は下がったのです。

一般大衆は有名キャラクターに対してマニアでなくともしっかりしたイメージを持っている。
マニアではない大衆にまで浸透しているのが有名キャラクターだし、なぜそんなことが可能かと言えば、一定のイメージを守り続けるから浸透するのです。
それは、大衆を惹きつける魅力を持った優れたキャラクターにしか出来ないこと。

そしていかに優れたキャラクターでもシリーズ化され、連作されなければ浸透することは少ない。
(キングコングは本当にすごいですね。シリーズと呼べるほど連作されていないのに、いまだ忘れ去られない。アメリカでのみ、かもしれませんが)
座頭市は誰でも知っていますが、『酔いどれ天使』の眞田医師と聞いてピンと来るのは映画マニアだけでしょう。すごく良いキャラなのに。こりゃ余談か。

毎回毎回別物のゴジラが出てきても人気は保てる、というお説には相当無理があります。
毎回別物なのだから浸透などしない。

確かに、大衆は細かい設定までは意識していないでしょうし、有名キャラクターが改変されても騒ぎはしません。
架空の存在が書き換えられても実害があるわけではありませんから。

そこを律するのは本来作者の使命。架空の存在でも劇中で矛盾が生じれば、そこに気がついた人にとっては作品の欠陥になります。
だから整合性を守るために設定を作り、それを守る。
それが創作の基本ではありませんか。

アメコミヒーローたちもバリエーションを作るためにいろいろ設定を作って本流と整合させているんですよね?
(ゴジラでもそんな形で整合させればいいのだ、という考えには反対ですが、いまはその理由まで書けない)

作者不在(権利者はいる)となったゴジラの場合、誰が整合性を守るのか。
マニアの存在を無視していいという話にはなりません。

それから、私はなにもかもリセットすることを問題視しているし、一作毎に別物にする(シリーズの体を為さない)ことも問題視しているのですよ。
それがオタク向けのやり方だ、と。
変更内容とか監督の癖なんかをこまごまと調べてデータで頭をパンパンにして見る人々なら、漠然としたゴジライメージを持って見るのとは違いますからはぐらかされた気分にはならないでしょう。
けれども、マニアではなく、過去に何作か見たことがあるなぁ、ゴジラって好きなんだよね(これぐらいの人は多いですよ)という人は過去作と何も共通項のないものを見せられたらどんな気分になるんでしょうか。

ミレニアムシリーズとよばれる作品群は物語も繋がらず、主役も毎回別獣。
二代目ゴジラはまるで時代が違うので比べられませんが、VSシリーズと比べても明らかに客入りが悪い。
(どこかにまとめサイトがありますから確認してみて下さい)

不入りの原因を毎回のリセットだけに負わせるつもりはありませんが、リセットしても人気は落ちないという話にはならないでしょう?

『シン・ゴジラ』をゴジラをまるで知らない人と見に行った話を書かれても、そりゃそうでしょうとしか言えません。
空白の12年は長かった、ということですね。

それから、どうも話が錯綜してしまっているので、整理しますよ。

まず、シリーズものの利点を捨てるな、というのが私の主張。

それとは別に、ゴジラという名前で別物を出すのは間違いだという指摘。
同じ名前で違う物というのは変でしょう、という単純な話です。

それでも架空の存在であるゴジラはこの社会において、別物が出てきてもなにも実害はないのだからまかり通ってしまうんです。
しかし、同じ名前で別の物を送り出すことに正当な理由があるなら是非教えて欲しい。
それは、こんな設定を作れば劇中世界で矛盾しませんよ、という話ではなくて、創作者としての理念を知りたいということです。
架空のキャラクターを創作するとき、その姿形、性質などまず中身を考えてから名前を付けて、他の物との区別をつけるのが基本です。
名前先行ということもあるでしょうが、それでもすでにある何者かとは違う名前を付けて区別するのではないでしょうか?
名前だけ共通で中身が違うことの意義はなんでしょう?

それを教えて下さい。

それから、これは以前問いかけたのですがお答えが得られていないので、もう一度お聞きします。

「ブロークンさんがおっしゃる、
>何もかも初代や2代目そのまんまでは、むしろ埋没して消えていく羽目になることは想像に難くありません。

このご意見は論証が必要かと思いますが?」
どうか論証をお願いします。

私は二代目ゴジラに大変優れた映画装置としての設定を感じているのです。
そのわけは簡略化して前回書きましたから繰り返しません。

もう一つ、前回の
「なぜゴジラでなければならないの?
いままで見たことがないものを見たいなら、ゴジラではないものを見れば(作れば)いいのですよ。 」
これもお答えをいただけていません。

よろしく!

Re: えっ、怒らせちゃった? - ブロークン (男性)

2017/06/03 (Sat) 23:01:15

返信ありがとうございます。
なるほど、意味は分かりました。
強い口調で言ってしまったこと、そして誤解してしまったこと誠に申し訳なく思います。


「ブロークンさんがおっしゃる、
>何もかも初代や2代目そのまんまでは、むしろ埋没して消えていく羽目になることは想像に難くありません。

このご意見は論証が必要かと思いますが?」


これについて先に回答しておきます。
2代目ゴジラを「オール怪獣総進撃」までとするとしましょう。
ですが2代目ゴジラは最近のゴジラとは凄く隔絶しているんです。
というのも、世代が離れすぎている。

私はVSシリーズバリバリの世代だったので、ゴジラはどちらかというと、絶対的な強さや恐怖の対象としてみていたんですよ。
いわば「力の塊」が理想像だと思っています。
ひょうきんなどという印象は全くない。正確にいうとあってもいいと思うけど好きではない。
これを言うと怒られるかもしれませんが、ひょうきんだと強さのイメージを損なうのが好きじゃないんです。少なくともひょうきんや生物臭い動きからカッコよさや絶望的、また神のごとき強さを見つけ出すのは難しい。
(ただゴジラの子供はひょうきんだという印象はある。子供は強くないし可愛いっていうのもあるでしょう)

だから、私は一番好きなゴジラなんですかって聞かれたら迷わずバーニングゴジラ(それも最後の)と答えます。スーパーメカゴジラ戦でラドンと融合したゴジラも好きです。ファイナルウォーズゴジラもデザインが細いのを除けば悪くはない。

あの赤く光った熱線の描写は凄まじかった。赤いというのが特別な威力を強調していて、威力に有無を言わせぬ説得力がありました。周囲や大気にすら誘爆するというのも素晴らしい。
あくまで私の意見ですが、放射熱線は強くなければいけないんです。ゴジラのアイデンティティーが弱ければ話にならない。それはアイデンティティーではない。凡百の怪獣のよくある光線なんかと同じにしてほしくはない。



ですが2代目ゴジラの放射熱線はそこまで強そうに見えない。ラドンに当たったときもちょっとひるむ程度で(しかも霧みたいで強く見えない)、キングギドラに至っては全く効いていない。
初期でまともに効いたのは首を噛まれて死にかけのアンギラスと寿命で死ぬ寸前のモスラくらい。キングコングも効いていましたが、パワーアップ後までコングが押されっぱなしなのでコングが弱いだけにしか見えない。(というか力でも負けてるし)
描写も全然大したことがない。まだ現実のミサイルの方が威力が高そう。

がっくりきたのを覚えています。怪獣王たる強さがない。威厳もない。
個人的には名古屋城でつんのめって転倒しちゃったりするのも好きではありませんでした。まああれは事故だったそうですが。

そういうわけで「メカゴジラの逆襲」が好きだというのも、熱線の威力がそこそこ強いというのが理由の1つです。
後はメカゴジラ2の回転フィンガーミサイルのド派手破壊でしょうか。地盤ごと吹っ飛ばした描写は斬新で燃えました。スペースビームの次々とビルを吹き飛ばす描写も、すごく興奮したのを覚えています。
今でも、あれをゴジラがやってくれたら!と残念がる気持ちがあります(設定的に不可能なんですが)


というわけで前にも書いた通り、シン・ゴジラの後半が面白くないなあというのは逆に言えば前半は結構好きなんですよ。
熱線を出し終わるまでは強かったですから。
あの熱線の描写がなければ、シン・ゴジラの世間の評価はかなり低かったのではないでしょうか。
評価する意見を見ても熱線で絶望感があったとか熱線が半端ではないというものがほとんどです。



恐らく、現代人のほとんどがゴジラに「見たことのないとんでもない強さ」を求めているのだと思います。
そのイメージはVSシリーズやミレニアムシリーズが作りだし、シン・ゴジラでより加熱しています。

その証拠に今度のアニメのゴジラのPVを見ると(もう公開終了していますが)最後に「史上最強のゴジラになると思います」と言っている。

シン・ゴジラの監督の樋口氏もシン・ゴジラの宣伝で「来年、最高で最悪の悪夢を皆様にお届けします。」と言っている。
ひょうきんや生物感という言葉は完全に消滅したようにしか見えない。
(ただし、怒りという感情はあった方が良い。怒りは強さの構成する要素ですから)
揃いも揃って強さや絶望感を推している。
神秘性は出せる(というより必然である)と思いますが、ユーモラスな動きなどは神のごとき強さや絶望感、また超然とした感じを表現するには邪魔でしかない。
そういう意味で「没して消えていく羽目になる」と書きました。

殿様ギドラ様はド派手な熱線はお嫌いなのだろうとなんとなく思っていますが、大学生の今の世代だとこれぐらい感覚が違ってしまっているのだということが分かると思います。
私でもまだマシな方でしょう。次に「シン・ゴジラ」世代やアニメゴジラ世代が来るんですから。
(アニメゴジラは三部作な上に、アニメであるためある程度子供に向けられることは想像に難くない。よっぽどの駄作でない限り、世代が出来上がることは間違いない)


「なぜゴジラでなければならないの?
いままで見たことがないものを見たいなら、ゴジラではないものを見れば(作れば)いいのですよ。 」
これも上と大分かぶります。
殆どの人が今まで見たことのないとんでもなさやハチャメチャを求めているんです。そしてそれが一番目立つのは当然、ゴジラのキャラクター性や設定や強さである。
シン・ゴジラで変態とか進化とか熱線が大体の人に受け入れられたのもそれでしょう。
そしてそういう派閥が相当に幅を利かせている。さらに言うとキャッチ―な要素は昨今の世では瞬く間にテレビやツイッターで拡散し、興行収入にも直結します。
結果、世間では肯定される。
これを切り捨てるというのは商売として不可能としか思えない。

これはゴジラだけに限りません。
ガンダムシリーズの最新作、「鉄血のオルフェンズ」は「『機動武闘伝Gガンダム』くらい踏み込んだ作品」を企業のサンライズから求められたそうです。
結果、進化して鈍器でぶん殴り、ビームライフルやビームサーベルを使わないガンダムが主人公になった。
企業すらハチャメチャさを求めてしまっている。
どのジャンルでもこういうことが起きている。
かくいう私も、ゴジラをもっと強くしろ、もっと力を見せろ、ド派手な熱線を見せろというところがどこかにあることは否定できません。



余談ですが、ゴジラに絶望感とかとんでもない強さを持たせろという風潮が加速したのがエメリッヒゴジラだと思います。
あのあまりに弱すぎるゴジラを作った反動が起きてるのでしょう。
そしてそれがどんどん加速している。


また上のシリーズに関することですが、
>アメリカの大衆は元祖スーパーマンが好きなのではありませんか?
これは微妙でしょうね。というのもスーパーマンの映画を見る限り、初期の4部作(これが原点に大分近い)と最近の2作品を見る限りイメージが全然違います。
物凄く暗くなっている。後期の昭和ガメラとガメラ3くらい雰囲気が違います。
しかもその暗い作風でシリーズ物(ジャスティスリーグですね)をやろうとしている。
悩むヒーローとか苦悩するヒーローが重視され、昔の明朗快活なヒーローの姿はない。
やっぱり大分イメージが変わっているんですよ。



http://www.bandainamco.co.jp/ir/library/pdf/presentation/20170510_2Complement.pdf
これは最近のバンダイナムコの売上高です。1位はガンダムですので、これは国民的人気を持っているとしてよいでしょう。
このガンダムだって初期とはかけ離れている。
しかも2年ごとに別の世界観の違うシリーズをやっている。当然新規まき直しです。
当然世代が断絶しまくってますがそれでも人気が出ている。

何がともあれ続けることがまず一番大事です。むろんシリーズであることはアリですが、それなら「シン・ゴジラシリーズ」をしてもいいことになる。売れていますし。
ちなみに私は後付設定をすれば(あれはまだ赤ちゃんで進化の途中にすぎず更に進化して遺伝子を書き換え全てを克服し云々など)どうにかなると考えています。
VSシリーズだってカドミウム弾や磁性体がいつの間にか登場しなくなっているし、どうにでもなるでしょう。



最後ですが、もし殿様ギドラ様がシン・ゴジラの続編を書いてもいいよと言われたら、書きますか?
もし書くとしたら、どんな話にしますか?
お嫌いな話だからこそ、逆にどうするのか聞いてみたくなりました。
失礼なことを書いてしまったら申し訳ありません。

Re: えっ、怒らせちゃった? 殿様ギドラ (男性)

2017/06/06 (Tue) 18:16:40

取り急ぎ、最後の質問に対するレスだけ。

まず最初に『シン・ゴジラ』という映画は、これで物語は終わったわけじゃないよ、というエンディングを作品の結びとして構成した作品です。
オープンエンディングというものです。

ですからその続編を作るということは、『シン・ゴジラ』という作品を壊すことになります。
これは『ゴジラ』(1954)の続編を作ることとは意味が違います。
『ゴジラ』には「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない」というセリフがありますが、それは続編製作を示唆するものではなく、
核実験を止めよという観念を補強するものでオープンエンディングに近いのですが、『ゴジラ』では怪獣ゴジラは殺されており、物語は終結しています。
それだからこそ、同じ設定、同じ世界の続編が作れるわけです。

ちょっと難しい理屈なので、もう少し補足します。
閉じていない物語は、もう開くことが出来ません。
しかし一旦閉じたものはまた開くことが出来る、ということで、・・・もっとわかりにくいか・・・。

まあ、それはともかく、私が『シン・ゴジラ』は続編を作ってはいけない映画であると認識していることだけ伝われば良いです。
(続編を作ってくれと言い出したらしい東宝のお偉いさんは、ストーリーテリングというものをわかっていない)

その上で、あえて、無理矢理続編を作るなら、まずちんごじらの詳細な設定書が必要です。

(資料本なんかを読み漁れば設定はわかるのかもしれませんが、資料本は持っていませんし、このレスのためだけにそこまではしなくてもいいよね。
付け加えれば、鑑賞者としては資料本など補助でしかなく映画そのものを見れば良し、だが、作る側に回るなら話は違う)

というのも、あの怪獣は映画を見る限り設定でがんじがらめに縛られていて、『シン・ゴジラ』を見ただけではあのあとどうなるのかはまったく予測できません。
映画で描いていない裏設定てんこ盛りに見えます。

怪獣の動向がわからないと物語は作れません。

それでも、私は、ちんごじらの設定を書き換える気は一切ありません。
それは、創作物とは原典を作った人間の命だと考えるからです。

それを引き継ぐなら、たとえ自分の作家性と衝突するものであっても原著作者の意思を守ります。
それが創作者の仁義であり礼儀です。

次に、
続編となると正編を楽しんだお客さんが同様な楽しみを求めて見に来てくれるものです。
ですから『シン・ゴジラ』の持ち味である、ドキュメンタリードラマのパロディ、という雰囲気は維持します。
通常の続編映画ではそこまで正編の空気感を大事にはしないのでしょうけれど、
あの映画はストーリーにおもしろみはなく、大方の人は社会派実録映画のように受け止めたらしいので、それを裏切るようなことはしません。

いくら自分が怪獣対決映画が好きで、怪獣に野性味を求め、本多猪四郎監督作品のような流れるような筋運びと人物配置の妙を理想としていても、
『シン・ゴジラ』はそういう映画ではないので原典に従います。
とはいえ、人物にはもっと実在感を与えますし、お話にも紆余曲折を作りますけど。

その上で、ストーリーは別種のものにさせていただきます。

筋立てを書くことは勘弁していただきますが、
物語に込めるべき観念として、怪獣災害に遭った人々の困窮、悲しみ、それに対して国家という大集団を束ねることを念頭に置く為政者たちが個々人の都合より集団のコントロールを優先しがちであることを対比させます。
さらには、社会悪が起こる構造として、保身と無関心の連鎖があることも織り込めるでしょう。
しかし、もし、あの人型の化け物が大量発生するというのが次なる変態ならば、また違うことを考えなければならないでしょう。

そして、一点だけ、『シン・ゴジラ』の作り手に反抗します。
劇中で、『シン・ゴジラ』ではゴジラと呼ばせた怪獣を改名します。
ゴジラというのは、『シン・ゴジラ』の作り手たちが考案した怪獣ではありませんので、その名前を外すことを私がやっても構わないと考えます。

大戸島の住民から自分たちの神様の名前を害獣の名前にするなとかなんとかクレームがついたということで。

そんなところですねー。

その他のもろもろについてのレスは、細かく丁寧に書かねばならないのでまだ時間がかかります。

Re: えっ、怒らせちゃった? - ブロークン (男性)

2017/06/06 (Tue) 20:20:39

返信ありがとうございます。
自分だけ要求するというのも酷なので、「もし私が2代目の続編を書いたら」ということを書いておきます。


私は「生物臭い動きからカッコよさや絶望的、また神のごとき強さを見つけ出すのは難しい。」と書いてますが、これについて詳しく書くと、私は生物感がある動きでも、好きだと思った描写がいくつかあります。
以下に挙げておきます。

・「ゴジラVSメカゴジラ」の初戦のラスト、メカゴジラを押し倒したゴジラのシーン
メカゴジラを押し倒した後の見下ろし方がいかにも「どうだ!」という感じの目付きなのがいいです。貫禄を失わせずに実にうまく感情を表現している。
その後、倒れたメカゴジラの横を悠然と歩いていくゴジラも実に格好いいと思っています。
歴代ゴジラで屈指の好きなシーンです。

・「ゴジラ FINAL WARS」の隕石迎撃
映画自体は欠陥の多いものですが、このシーンだけは私の中では歴代最高の熱線発射描写です。
両足で地面を踏みしめ、尻尾で思いっきり地面に叩きつける。「これから凄いことが起こるぞ!」というのが分かる非常に説得力ある描写でした。足場をしっかりさせる行動も実に理にかなっています。しかもそれが地面をぶち割るという怪獣王ならではの豪快な形なのが大好きです。
その後に放たれた熱線も期待を裏切らない、実に派手なものでした。溜めとその結果が両方とも完璧なので、私の中ではトップの熱線です。
足の踏みしめ方がなんとなく生物感があって好きなのですね。これは私だけかもしれませんが……

・馬乗りでモンスターXをタコ殴りにするゴジラ
生物感ある動きですが、ユーモラスにはならず、強さをうまく表現しています。圧倒しているかんじがしていいですね。強いっ!ということを表現できています。上から伸し掛かるという感じも怪獣王たる貫禄が出ているのがいいです。


すべて強さに関係してるのがわかると思います。
要は生物感ある動きでも格好良さや貫禄あるものなら、おそらく今でも好まれるのではないかと思いますね。「力の塊」が理想というのもそういうところです。
ただユーモラスとかひょうきんはどうしても……強さや格好良さを失ってしまうのが私からすればつらい所があります。勘弁してくれという思いが先に立ちます。
さらに生物感がある動きやユーモラスな動作をやりすぎると俗なものに落ちてしまい、神秘性が失われる。(これはファイナルウォーズゴジラの際にも思ったことで、熱線の描写などは好みだったが、生物的動きをやりすぎていると感じた。嫌いではないと書いたのはそういう面もあります)

初代ゴジラが名作なのは生物的な動きをしていても、それを強調しないからではないのか、と私は思います。
無論生物的な動きはいくつもあります。しかしそれはあまり強調されないうえにのちの2代目ゴジラほどやってはおらず(さらにオーバーにもしていない)、そこに神秘性や貫禄、恐怖感があった。
また、実に絶妙なところで止めている。例えば電車に当たって一瞬よろける時でも、直後で電車を噛み砕く(さらにそこに悲鳴があることで恐怖感が増す、落とした瞬間に悲鳴が消えることも良い)というゴジラ自身が引き起こした怖いシーンでそれを中和しているのですね。そこが良い。
時計塔のシーンもそうです。うるせえ!という仕草をした後に時計塔を壊すのですが、その直後にその瓦礫に潰される人々を映していることでバランスをとっている。
2代目ゴジラにはこれがない。もしくは薄い。


だからどうしても2代目はユーモラスを前面に押し出しすぎているのが、気に食わないって感じなのです。怖さによって中和できず、ユーモラスだけが残ってしまった。
結果、私の中では2代目ゴジラから貫禄や神秘性が失われた。

だからもし、私が2代目の続編の脚本を書けと言われたらこうなるでしょう。
・子供にも楽しめるよう原点の雰囲気を重視して明るめの話にし、アクションも豊富に入れる。
・生物感ある動きはしっかり残しつつ、それをできる限り格好いい動きにする。
・ユーモラスな動きをするときは、直後に必ずそれを打ち消すものを取り入れる。
・放射熱線は威力に誰の目に見てもわかりやすい説得力をつける。
上げすぎるのも原作から乖離しているので、メカゴジラの逆襲位ならどうにかなるか。
・敵怪獣はとにかくド派手、そして強力にする。光線やら弾幕やらを貼る今どきの派手な遠隔重視にさせる。こんなのに勝てるのか? というくらいのスペックにしておくのが良い。
・ゴジラが敵怪獣に迫力で負けないようにするためにフェイントなどのテクニックや底知れぬスタミナ、接近戦のラッシュなどで強さをとにかく見せる。



続編作っても売れませんでしたでは作らない方がマシだったことになるので、(そして娯楽としても失格である)どうにか原点の雰囲気を残しつつ派手な要素を取り入れるのに相当に苦心しています。
そこで2代目ゴジラの長所である、「接近戦」「技巧」を兎に角推してそこで派手さや今までにない強さを見せたい。
そう考えています。それでも「新しい驚きがない」「シン・ゴジラやアニメゴジラに比べて迫力で見劣りする」等という批判が起きそうな気はしますが……
体格や熱線がいかんともしがたいのが辛いところですね。実際私も熱線は派手な方が好きなので……

また上の論説にしろ、恐らく私がVSゴジラの影響を滅茶苦茶受けているからではないのかという気分がひしひしとします。
違う世代なら違うゴジラがいいと言うに決まっています。
「シン・ゴジラは何考えているかわからないところがいい」なんて言っている意見もありましたし。



「シン・ゴジラ」はオープンエンディングというよりはリドル・ストーリーですね。結末をあえてぼかして視聴者に解釈をゆだねる形です。
しかし庵野氏が自ら編集した資料集で「尻尾から生えたあれは第5形態ですよ」と書いてる時点でリドル・ストーリーではないのではないかという気がします。
本物のリドル・ストーリーならそんなことも書かないでしょう。

また(続編を作ってくれと言い出したらしい東宝のお偉いさんは、ストーリーテリングというものをわかっていない)というのは最近は崩れかけているのではないかと思います。
巷にあふれかえるモンスターパニックもので、まだ終わってないよという終わり方をした奴でも続編が当たり前のように製作されている。
前例が山のようにあるので、最早法則が崩壊していると感じます。
尤も例えが私にはよくわからないというのもあるのですが……




>「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない」というセリフがありますが、それは続編製作を示唆するものではなく、
核実験を止めよという観念を補強するものでオープンエンディングに近いのですが

最後に本筋から外れますが、これ、凄く凄く疑問に思っているので書いておきます。
このセリフは本当に反核メッセージなのでしょうか。
発言者の山根博士は作中常にゴジラを殺さず調査せよと発言しています。殺せと言ったら激高までしている。小説版なんかはもっと酷く、電流で感電死させようとした際に無理やり電流を止めようとしてくるほどです。そしてそれでなお生きているゴジラを観て喜んでいる。
マッドサイエンティスト以外の何物でもない。
そして小説版にもこのセリフがある。
そんな博士が言った言葉を安易に「核実験反対」と解釈してよいのか。

無論作品のテーマに反核があることは間違いない。しかしこのセリフ、私には「もう1匹ゴジラが現れてほしい。今度こそ研究したい」という山根博士の願望に聞こえるのです。

Re: えっ、怒らせちゃった? - 海軍大臣 (?)

2017/06/07 (Wed) 14:47:26

かなりファナチックな性格の原作版とは違い、割合と常識的なキャラクターを付与されている映画作品中の山根博士は、第一回の品川上陸の時点で、自分が殺処分に反対していたゴジラの猛威を目の当たりにして、茫然自失の体といった感じを受けます。「どうすれば殺せるのか?」との質問に対しても何ら自信ある受け答えをしていませんし、あえて尾形との意見対立を見る場面を東京初上陸の直前に挟んだのも、映画製作者たちの巧みな計算によるものでしょう。
 そして何より、芹沢の犠牲を踏み台にしてまで自身の研究欲を満たそうとするような奇矯な人物だとは、作品中の一連の人物描写を見る限りでは考えられません。あの最後のセリフは、そうした夥しい犠牲を見た山根博士の心情がまさに肺腑を衝いて出たのではないかと思われます。
 以上、至って平凡な意見ですが、如何なものでしょうか?

 ところで又々余談になりますけど、「シン・ゴジラ」のラストカットの薄気味悪い人型の物体が尻尾に張り付いている場面ですが、何だかビジュアル的には、樋口監督が信奉している故・生頼範義先生の描かれた「我々の所産」だとか「サンサーラ」といった作品からの引用のように思われます。
この手の意見は私の周囲以外では余り聞こえてきませんが、ちょっと気になっています。

Re: Re: えっ、怒らせちゃった? - ブロークン (男性)

2017/06/07 (Wed) 17:01:48

>海軍大臣様
この件に関しては正直言ったら袋叩きにされそうな気がしてずっと言っていなかったのですが、最初に原作を見たときに「あれっ?」って思ったんですね。
原作の山根博士はそのような大惨事を見てもなおゴジラを殺すなと延々と言い続けている。電流の際にも前述したように狂気の沙汰としか言い様のない行動をとっている。
最後の最後まで山根博士はゴジラは無敵だ、その無敵のゴジラを研究したいと思ってたとしか考えられない。


これは映画の最後を見ても思ったことです。ラストシーンで亡くなった芹沢博士に敬礼する皆の中で、たった1人だけそれをせずに背を向けている人物がいる。
それが山根博士です。

山根博士だけ違うことを考えているのではないか。わざわざ背を向けるのには理由があるのではないか。
そうでない限り、こんなシーンをラストに持ってくるわけがない。
作中で登場人物たちは皆一様に芹沢博士を弔っている(さらに反核だと明言している)のに、なぜあんな罰当たりもいいことをするのか。

原作ではゴジラに対して終始狂信的としか言えないような態度を取り続けてきた山根博士ですが、ここでも「尾形くん、頼むよ」という台詞を発しています。
なぜ付き添いの尾形にだけ言ったのか。当事者の芹沢博士に「芹沢君、頼むよ」なんて言葉は言わない。
尾形にこれを言った理由ははっきりしています。芹沢博士を殺したくなかったからに他ならない。恐らく薄々、芹沢は死ぬつもりではないのかと思っていたのでしょう。
そして、「ゴジラを倒してくれ」なんてことは一言も言わない。
驚くべきことに山根博士は、ゴジラを倒せるか否かよりも芹沢博士の安否を気にしているんです。
今までどれだけの被害が出ても意に介さなかった山根博士が、人の安否を気にしている。

私は、山根博士は未知のものを研究したいという信念があるのだと考えました。
ゴジラもオキシジェン・デストロイヤーも未知のものです。
その未知のものに、山根博士は気を引かれていた。自分で、もしくは共同で研究したいと思っていたのでしょう。
しかし、それの両方を失ってしまった。無敵だったゴジラは死に、それを倒したオキシジェン・デストロイヤーも失われた。
結果、神秘なるものはすべて失った。
その結果の未練で、ああいうことを言ってしまったのではないか。自分の知りたかった未知なるものを全て失わせた芹沢博士を、素直に弔う気にはなれなかったのではないか。
これはこれで、人間のあくなき好奇心とその恐ろしさを示していて良いのではないか。

そう思った次第です。
だからどっちかというと、「ゴジラ」は反核云々より、よりもっと大きな「人間のあくなき好奇心や欲望とその恐ろしさ」を示した映画ではないかと考えています。
核もこれに含まれますし、そちらの方がより普遍的なテーマだと思います。


なんかすみません。
この説を強要する気にはなれません。山根博士という人柄が大きく変わってしまうからです。少なくとも私の考えた山根博士は、人格者からは程遠い。
あくまで聞き流していただければ幸いです。

ゾーンファミリーの朝はシスコーンで始まる(長いよっ) 殿様ギドラ (男性)

2017/05/26 (Fri) 18:23:41

どうも長らくお待たせいたしまして申し訳ありません。
このところやけに忙しくて・・・。(なんてこの場の言い訳になりませんね)
前スレの続きですが、すっかり長くなったので別立てです。

最近はBBSなんてすっかり廃れてしまって詳細に分け入る議論を避ける傾向があるなか、こんな面倒くさいところに果敢に書き込んだブロークンさんは立派だと感心しています。
『シン・ゴジラ』については多くの問題を感じましたので、自分のBBSだけでなく、どこかきちんと議論している場所はないものかと捜したこともあるのですが、
ほとんどの方はブログで意見開陳だったりツイッターでさえずっていたりで、どうもノリが違うなぁと諦めていました。

以下、反論といいましょうか、私は別の考え方をしていますというお話・・・。

怪獣に関する説明は、私も、全くない方が良いとは考えていません。
どこから来たか? なぜ出てきたか? 場合によっては、何を食べるか?
というような外界からの観察によってわかる範囲のことは説明があってもよいと考えています。
ただしそれもドラマとの兼ね合いで何を説明すべきかは変わってくるので、簡単な話ではないです。

それでも、怪獣という生き物が未だ解けない大自然の謎を象徴するものなら、(怪獣にもさまざまなタイプがいるので常に例外はあるけれど、少なくともゴジラにはこの基準を当てはめてよいはず)
劇中で細胞レベル、遺伝子レベルの解析をすべきではないという考えです。解剖学的な解説もダメです。
いや、途中まで解析出来たとしても、解けない謎にぶち当たるという展開に持って行くべきと考えています。(大自然の象徴なのだから)

そうそう、怪獣解剖図。
私も子供の頃は興味津々で眺めていましたよ。怪獣の内臓ってこんなことになってるのか、なんて感心しながら・・。
でもあれは大伴昌司さんの暴走で、彼の創作といってよいものです。
ヘドラの解剖図は大伴さんの手による物ではなく東宝オフィシャルだったと思いますが、そんな宣伝が行われたのも、
大伴昌司さんによる解剖図が受けていたからでしょう。
怪獣図鑑の解剖図なんて製作者サイドが考えたものではなく、大伴さんの想像なんですよね。
聞くところによると、円谷英二監督は怪獣の解剖図を苦々しく思っていたようですよ。
残酷描写を嫌っていただけでなく、怪獣の臓物を見せるなんてことも下品だと思っていたんじゃないかなぁ。
付け加えると、怪獣の着ぐるみから俳優さんが顔を出している写真も公表することを嫌っていたそうです。
怪獣を作り物として見られることを嫌がったんだろうな、と想像しています。

現在の私の感覚では、やっぱり解剖図なんかなくていいだろうと考えています。

『シン・ゴジラ』の血液凝固剤使用が『vsスペースゴジラ』からの引用なのかどうかは、はてな?かな。
スペゴジでもゴジラの冷却システムを止める目的だったんでしたっけ?
ま、それはどうでもいいですが、どうなんでしょうね、ゴジラの血液の成分まで分かってしまうとなると、そりゃ細胞レベルの解析だし、その生物のかなり深いところまで分析できていることになるので、
科学では歯が立たないというイメージを壊します。
(繰り返しますけれど、それはゴジラについての話であって、ちんごじらは別物なので血液凝固剤が効こうが効くまいがどっちでもいいんです。問題はヤツがゴジラを名乗っていること)

せめて、血液凝固作戦が失敗するというストーリーならいいんですけどねぇ。
(この血液凝固作戦もなんとも穴だらけのおかしな作戦なんだけど。え?筋が通る裏設定があるとか??)

確かに、『シン・ゴジラ』においてちんごじらは完全に殺されてはいません。
けれども、状況証拠から、あの化け物は日本人を試すためにマキゴロウなる人物が製作したものであることが示されています。
ちんごじらのエネルギー製造システム(細胞膜で低原子量の物質を合成して未知の放射性物質作るというのだが)を阻害する方法までマキ氏は示してくれるわけで、人間に作られその抑制法まで示されてしまった怪物に
人智の及ばぬ神秘性など感じようもありません。

そしてしっぽに浮かび上がった人間に似た化け物たち。
あれが第五形態じゃないのか、という指摘は当BBSにも書かれていたように思います。
私は、第五というより次の世代(ちんごじらの子供か)と解釈しました。まあ、大差ないですが。
そして、そこに人間ぽい形態を持ち込んだところに、作り手のゴジラ解釈の浅さを感じたのです。それはすでに書きましたので割愛です。

>テロップでMOPⅡとはっきり出てくるので劇中だけでも架空兵器だと一応分かるのですが、

いやいや、あの映画、人であれ兵器であれ何でもかんでも字幕で名称を表示していましたから、むしろ字幕でMOPⅡと表示されることで実在の物だと思わせる効果がありましたよ。
それとも字幕の出し方が実在の物とは違っていたのかな? さすがにそこまで覚えていない。

そして、『怪獣総進撃』の話・・・。
どうも曖昧な書き方をしてしまったようで、少々誤解があったみたいです。

>ゴジラシリーズを作るなら、『怪獣総進撃』の内容を踏まえるべきではないのです。

この書き方では、「総進撃」に含まれる観念までも「踏まえるな」と言っちゃっていることになりますね。
内容と書いたのは、「総進撃」に登場した事物や怪獣と人間の関係設定など「総進撃」で描かれた事象をなぞってはいけないと言いたかったからでした。
たとえば、続編だとしてSY-3や怪獣ランドを再登場させたり、怪獣が人間に操られる様子を見せたり、というものを作ってはいけないという意味でした。
もっと詳しく書くべきでした。

そして、人間と怪獣の共闘は「総進撃」のような終着点でなくても描いていいと思いますよ。
私は『南海の大決闘』での「ゴジラは中立だ」というセリフに象徴される考え方に賛成です。
好みの問題ではなく、元祖ゴジラの正史をたどれば、人間がゴジラを倒そうとするのは仕方ないとしても、ゴジラ側から考えれば人間はひどく鬱陶しい存在ではあるもののゴジラにとってさほどの脅威ではないので、
ことさら人間を駆除しようとも思わないだろうな、と考えられます。
『モスラ対ゴジラ』での帯電ネットと人工雷には相当恨みを持ってもよさそうだけど、次の「三大怪獣」ではそんなに人間を恨んでいる風でもない。なんて書くと、モスラによる説得のシーンで人間に対する恨み節を語っているじゃないか、
と反駁する人もいそうだなぁ。あれはゴジラが人間をどう思っているかを表明しているのであって、人類への恨みに凝り固まっているなら、横浜の街を火の海にしたはずでしょう? それほどの恨みでもないのでしょう。
だから、ゴジラにとって人間は敵というほどのものではなく、利害が一致すれば共闘するもありでしょう。
70年代の作品は『怪獣総進撃』の内容を引き継いだから人間との共闘を描いているということでもないでしょう。


それはそれとして、
「対ヘドラ」の電極板が放射火炎で破壊されなかったのは、SY-3が壊れなかったこととはまったく別の話ですよ。
『ゴジラ対ヘドラ』でのゴジラは、なんとも不思議な扱われようで、それは監督の坂野義光さん(先頃お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします)のゴジラ観が出ているのだと思いますが、
それこそ神のごとき存在でどこからともなく現れてヘドラと戦ってくれる。
あの電極板に熱線を吐きかけたのは、電極板を破壊する意図ではなく、そうすればヘドラにダメージを与えられることを知っていたからでしょう。
人類の科学が怪獣と拮抗しているのだ、という表現ではないのです。

子供の呼びかけに応じて出現したような見せ方をしているのも、ゴジラが管理されているからではなくて、あのころのゴジラは彼をテレビの特撮ヒーローと並ぶ存在にしたいという製作サイドの思惑に沿っていただけでしょう。
当時は映画界は不景気で大予算をかけた大作なんかなかなか作れない時代でした。ゴジラ映画をきっちり作ろうとすればお金がかかります。
しかし怪獣映画はドル箱。低予算でなんとかしたい。(この傾向はすでに『怪獣大戦争』あたりから始まっていると見ています。大っぴらに過去作からフィルムを流用しはじめています。それ以前もバンクフィルムを使うことはありましたが、見せ場を流用とは・・)
そこで思いっきり低年齢層に向けた作劇に持って行ったのだと見ています。
フィルムを使い回そうが、セットが安っぽかろうが、未就学児童なら気がつきません。
そしてわかりやすい正義の味方としてのゴジラ。
大映のガメラシリーズが会社倒産で途絶えたことも関係あるのかも知れません。
低年齢層を引きつけるためのヒーローゴジラなんです。『怪獣総進撃』とは関係ないですよ。

ゴジラ助けて!と言えば駆けつけてくれる。そんなゴジラに仕立てようとしたのでしょう。
その流れに「流星人間ゾーン」もあります。

はじめてゴジラに助けを求めるシーンで、ゾーンファミリーの末っ子が「いつもお父さんが言ってるじゃないか。ゴジラは正義の怪獣だから困ったときにはゴジラを呼びなさいって」てなセリフをのたまいます。
それでゾーンファミリーが使う通信カプセル(ゾボットでしたか)みたいなものを発射するといきなりゴジラ登場と相成るわけです。
これ、ゴジラが管理されていると見えますか? ゴジラはゾーンファミリーの求めに応じて、自分の意思で助けに来ているんです。
裏を読めば、ゴジラとゾーンファミリーには交流があり、絆があるということでしょう。
一回だけ出てくるゴジラの住処らしき場所のハッチ(? シャッターというより迷彩塗装の分割ドアですね)は誰が作ったんだ、となるとそりゃゾーンファミリーでしょう。

でも、究極のアウトロー、自由獣だったはずのゴジラを地球の守り神みたいな窮屈な存在にしてしまったのは間違いです。
それこそ田中Pの暴投じゃないでしょうか?
ゾーンのゴジラは子供時代に初めて見たとき(『ゴジラ対メガロ』でのこと)から気に入りませんでしたが、それでも、ゴジラの設定やデザイン(当時はものすごく変えられたと思ったけれどいまとなっては十分ゴジラだ)を別物に改変されているわけではないので、
不当とまでは言いません。

ゴジラのシェーは、私も嫌いじゃないですよ。
しかし、それはぎりぎりの抑制をかけて「シェー」をやらせているから。
私は『怪獣大戦争』を封切りでは見ていなくて、数年後のリバイバルで初めて見ました。
そのときはゴジラが「シェー」をしているなんてまったく気がつきませんでした。
あのアクションはキングギドラを撃退して喜んでいる様子だろうと受け止めていたのです。
「おそ松くん」から何年も経っていましたから、「シェー」のことなんか忘れていました。
もし、あからさまに完璧にシェーのポーズを決め、効果音か字幕スーパーで「シェー!」なんて入れられていたら激怒したでしょう。

その次の『南海の大決闘』での「ぼかぁ幸せだなぁ」のハナこすりも、うーーーん、セーフなのかなぁ。
しかし、スペシウム光線の真似なんてのは、アウト!というのが私の感覚。
でもこれは極めて感覚的な判断で、円谷監督がやらせようが田中Pがやらせようが、人それぞれに好き嫌いがある演出ということになります。
ふざけるゴジラを見て、「あんなのゴジラじゃない」という人もいますが、それは私が言う「あんなのゴジラじゃない」とは意味が違います。
基本設定や基本デザインを書き換えてしまったものを私はゴジラじゃない、と言います。
明らかに気質の違うものも受け入れがたい面はありますが、不正不当とまでは言いません。

中野昭慶監督によると、ゴジラにシェーをやらせることを思いついたのは当時の撮影所長だったそうで、円谷英二監督に頼んだ結果実現したということらしいです。
そして、中島春雄さんの本、「怪獣人生」では中島さんがシェーを知らなくて円谷監督に教えてもらったことになっていますが、
どこかのトークショーだったかブルーレイの特典映像で中野監督がおっしゃるには、撮影所長の依頼を快諾したものの、円谷監督はシェーとは何かを知らなくて、周りのスタッフにもよく知っている者がおらず(このあたり中島さんの証言と一致する)
誰かが「こんな感じですよ」とやって見せたはいいけれど、円谷監督が手足の左右はどっちが正しいのかねと正確さにこだわったとのこと。
しかし誰も正確なシェーのポーズを知らなかったために、飛び跳ねながら左右を入れ替える動きにした、ともおっしゃっているのです。
「怪獣人生」の記述とはちょっと印象が違いますよね?

当事者の証言というのは貴重な物ですが、正確な記録が残っていないことに関しては一つの証言のみを絶対視しないほうがいいでしょう。
円谷監督が残した文章や証言を並べていくと別の話がごっちゃになっているようなエピソードトークもありますし、「記憶」には常に曖昧さがつきまとうと考えたほうがいいでしょう。
(ですから、前回書いた文章では「本多きみさんによると~・・・フシがあるのです」と事実として断定することは避けています)

付け加えると、本多猪四郎監督はゴジラにコミカルな動きをさせることには反対だったという証言もどこかにありました。
さらには海軍大臣さんによると本多監督はキングギドラがお気に召さなかったとのこと・・・。
本多監督と円谷監督には諍いは全くなく、常に一致協力していたというのが定説ですが、喧嘩なんかしなかったのは間違いないとしても演出者としてまったく同じ感性を持っていたわけではないのでしょう。
そんな二人が本編(人間の芝居)特撮(ミニチュアの芝居)と分担してぶつかり合ったところに本多・円谷コンビ作の絶妙なおもしろさが生まれたのだと考えています。

元祖ゴジラシリーズには二人の監督がいた、ということです。

そして、円谷英二監督はゴジラを作品ごとに改変するなんて考えていなかったようです。
『キングコング対ゴジラ』でひどくトカゲっぽい顔にされてしまったゴジラですが、どうもそれが気に入らなかったらしいです。
出典を忘れてしまって読み直しが出来ないのですが、スタッフインタビューの何かにそんな証言がありました。
なぜキンゴジくんがあのデザインになったのかまでは書かれていなかったと思いますが、監督の気に入らないものでも採用されてしまうのがプロデューサーシステムの落とし穴。
『モスラ対ゴジラ』ではちゃんとゴジラの顔は元に戻っています。『ゴジラの逆襲』時と全く同じというわけではないけれど、キンゴジくんよりはよっぽど初代に近いといっていい。
(『キングコング対ゴジラ』は海外セールスを意識してアメリカ人のゴジラ観をなぞるような顔にしたんじゃないか、というのが私の推論)
そして、ゴジラの顔がころころ変わるのはよくないからひとつのデザインで決めよう(同じ原型を使っていく)ということになったとか。
まだあります。飯塚定雄さんによると熱線のデザインを変えるのも嫌がったそうです。
初代と同じガス状のものを噴射するのがいいのだ、と。

これは私にはよくわかる感覚です。
ゴジラが実在の動物なら、姿形はもちろんその能力だってころころ変わるはずがありません。
別個体とか別種の生き物なら違う能力もあるでしょうが、少なくとも二代目ゴジラは同一個体が現れたり去ったりしていたわけですから改変など考えられなかったことでしょう。

ゴジラという同じ名前で別の怪獣を創作するのは不当です。

そこでTVドキュメンタリー「イノさんのトランク」に触れることになります。
放送当時(2012年12月 2014年に再放送したかな)、なにか言って来る人がいるかな、と思ったのですが、そのときは何事もなし。
今回よくぞ取り上げて下さった。

1992年に本多猪四郎監督が構想したゴジラの設定ということですね。
たしかにびっくりです。
残されたメモを見ると、いかにして強力な怪獣に仕立てるかと思案した様子が分かります。
これまで自身が作ってきた作品からの引用(ガス化液化分化)を込めて、いままでにない怪獣像を造り出そうとしていることがわかります。
(無生物化というのは怪獣の能力ではなく、対応策として書かれていますよ。ガス化や液化の段階で汲集し無生物化する、と)

『シン・ゴジラ』の元ネタとは思いませんけれど。
(本多監督のアイディアに劇中で本体が変形していくような記述はありませんし、『シン・ゴジラ』劇中でちんごじらは分化していませんから)
もしタイトルの類似(ただ本多監督のアイディアにある神ゴジラをどう読むのかはもはやわからない。かみごじらかもしれない)が偶然ではなく
本多メモからのいただきで、ちんごじらが本多監督のアイディアを元にしているのなら、それはそれで大問題です。
原案本多猪四郎というクレジットがありましたか?

まあ、それは置いておきましょう。

本多監督がここまで従来のゴジラとは違うものを構想していたのなら、ゴジラをどのように改変しても良いじゃないか、と思いたくなるのはごもっとも。
しかしその考えには二つの大きな落とし穴があります。
まず、本多監督は従来のゴジラに代わる存在として神ゴジラを考えたのかどうか。
神ゴジラに先行すること一年、1991年のTVインタビュー(NHK BSゴジラ映画大全集)において本多猪四郎監督は新たなゴジラの構想を聞かれ、
「今度作るなら環境問題を取り入れたい。ゴジラの姿も変えて」と言いかけつつ、「いや、姿といっても暴れるときはあの形になっていい。その出自や行動原理を環境破壊の原因を背負ったものに・・」
とおっしゃっています。
水爆とは別の原因で出現するとなると私が思うゴジラとは違うものになってしまうのですが、このときの本多監督はゴジラの見た目を変えることは考えていなかったと言って良いでしょう。
となると、神ゴジラもガス化液化分化とはいうものの、基本形(ゴジラの姿)はあって、なんらかの条件下でガス化液化するというアイディアだったはずです。
実際、メモには「如何なる法方(方法)、条件で気体化するか」とも書かれています。
ちんごじらの発想とは違いますよ。
ゴジラのデザインをどのように変えてもいい、なんてことは書かれていません。

もちろん、このゴジラが二代目ゴジラを無いことにした代わりのゴジラなのかどうかもわからないのです。
なぜ神ゴジラと書いてあるか。
この新怪獣の名前が神ゴジラであると考えるのが妥当でしょう。
ストーリーに関しては何も書かれていないのですから、映画のタイトルが『神ゴジラ』というわけではないでしょう。

もうひとつ大問題があります。
果たして、このアイディアを円谷英二監督がどう思うか。
ゴジラの対戦相手ならともかく、ゴジラそのものを改変するのだという考えを受け入れるでしょうか?

本多猪四郎監督がゴジラ誕生に深く関わったのは確かです。
しかし、映画『ゴジラ』の企画発案者ではないし、その後のシリーズに関わる上でも自分のアイディアだけで作っていったわけではありません。

ゴジラは複数の才能が共同作業した結果、奇跡的に生まれた空前絶後の名怪獣だと思っています。
架空のキャラクターの改変は原作者が自ら行うか、承認したものなら受け入れざるを得ないだろう、とは以前も書きましたが、これをゴジラに当てはめるとどういうことになるか。
誰が承認すればいいのでしょう?

田中友幸さんですか?
本多猪四郎監督ですか?
円谷英二監督ですか?
香山滋さんですか?
村田武雄さんですか?
伊福部昭先生ですか?
渡辺明さんですか?

私はゴジラの生みの親は一人だとは思っていません。
この中の誰か一人が承認すれば許されるとは思わないのです。

ですから正しいゴジラをどこで捜すか、と考えた結果、それは本多・円谷両監督(それぞれ本編・特撮の最高責任者である。映画全体は本多監督のものですが)がともに関わった作品の中にしかないと結論しました。
福田純作品でも監修円谷英二のものは本多・円谷コンビ作と齟齬を来していないので参考にします。

ゴジラは映画の中にいます。
ゴジラ像を模索するなら映画を見ましょう。資料本など補助でしかない。
そして、完璧に出来上がっているものを改変すれば、レベルが下がるに決まっている。

私はゴジラを変える必要など感じません。
もともとのゴジラで十分だし、あれがゴジラです。

ゴジラに触発されてゴジラとは違う形質を持つ怪獣を作り出すのは大いに結構。
しかし、それはゴジラではない。
ここを間違えてはいけません。

中島春雄さんが昔のものを真似しているようじゃダメだ、とおっしゃる気持ちも分かります。
それは中島さんがゴジラを演じていたから。彼は俳優です。
初期には手塚勝巳さんとの共同(この分担も『モスラ対ゴジラ』あたりまではメインが手塚さんだったというスタッフ証言もあるらしい)だったとはいえ、
中島さんにとっては二代目ゴジラは自分自身のはず。
別人が演じるなら、別の芝居をしてみろよ、という感覚では?(ご当人に訊いてみないとわかりませんが・・。物まねされてうれしい人はあまりいないのでは?)

といって、ではゴジラ芝居で一番よかったのは誰の演技ですか?
私は中島春雄さんの演技をなぞっても構わないと考えています。

ゴジラはその作品世界に実在する動物なんです。
作り手が変わったからといって、そのたたずまいが変わったらおかしなことです。

>「これはゴジラだ」と言えるのは「グロテスクでないこと」と「強いこと」くらいしかないのかもしれません。

明確な基準を否定すれば、そんな考えも出てきてしまいますよね。
でも、そんな基準では、他の怪獣とどうやって区別するのでしょうか。

円谷英二監督はもちろん成田亨さんもグロテスクさは避けていましたから、ウルトラ怪獣のほとんどがゴジラと区別できないことになりますよ。

形も性格も出自も全部大事。
これはブロークンさんだけでなく、ゴジラが変わってしまってもいいのだとお考えの方みなさんに考えていただきたい。

幼なじみに再会したら、姿形が変わってしまい共通の思い出も何もない別人で、ただ名前だけが同じだとしたら、そいつは幼なじみではないでしょう?
でも相手は幼なじみだと言い張る。知らない仲じゃないんだから金を貸せと言い出す。
そんなヤツの言うことを訊きますか?

Re: ゾーンファミリーの朝はシスコーンで始まる(長いよっ) - 海軍大臣 (?)

2017/05/29 (Mon) 15:36:07

 案外ゴジラのイメージに囚われているのは、ファンの方なのかなと思っています。
以前、池田憲章さんに伺った話ですが、ゴジラを何本か撮った後、円谷監督はただ重々しいだけのゴジラの動きが満足できなくなり、「蛇が獲物に襲い掛かるような敏捷さを何とか再現出来ぬものだろうか?」などとスタッフに相談していたと聞きます。もしかしたら、その試みのテストとしてバラゴンの動きが創出されたんじゃないか?、などといった妄想もつい膨らんでしまいます。
 たしかにグロいだけの怪獣や爬虫類丸出しのゴジラは頂けませんが、作品だとか時代といった「受け皿」に合わせてゴジラも「水」みたいに形を変えていくのも仕方の無いことなのかもしれませんね。

Re: ゾーンファミリーの朝はシスコーンで始まる(長いよっ) - ブロークン (男性)

2017/05/30 (Tue) 03:56:41

お返事ありがとうございます。数々の事、勉強になります。


ですが……(ここからは私の意見です)
私はたとえ初代や2代目ゴジラと同種の個体という設定で出したとしても、似た顔や似たしぐさや似た行動にする必要は全くないと思います。
というのも、われわれ人間からして千差万別で、それこそがアイデンティティであるという概念があるからです。
白人もいれば黒人もいる。
背の高いものもいれば背の低いものもいる。
感情豊かなものもいれば無口なものもいる。
頭のいいものもいればちょっと抜けているものもいる。
筋肉質なものもいれば痩せているものもいる。
歩き方だって千差万別。同じ家族ですら違いがたくさん。
だからこそいい。
というより、全部、もしくはほとんどが同じだと逆に気色悪い。


むろん二足歩行等の最低限のゴジラである条件は必要ですが、それ以外ならむしろ制作側が「今までのゴジラよりこっちの姿形がいいんじゃない?」と思うのならどうぞやってくださいといった感じです。
ただそれを無条件で認めたりはしません。他人に好き嫌いが起きるのと同じく、私にもこれはダメだろという部分はあります。
ですが、私は寛容派です。
だから実はシン・ゴジラの歩き方自体は私は好きです。あれはあれで私にとっては格好いい。
無論中島春雄氏のような歩き方をしてもそれはそれで問題はないと感じますが、真似をせず独自の動きをしてもまた問題はないでしょう。
(しかし、もし2代目や初代と全く同一の個体であるという設定の場合はすべてが覆ります。同一個体の場合、姿形や性格はほとんど同じでなくてはならない。)
そういう意味で、殿様ギドラ様の「幼馴染に再会したら…」という例えには疑問に思いました。同じ例えで言うなら、正確には人間だということしか分からないのです。
余談ですがミニラに関して批判が多かったのは、単に不細工だったからではないでしょうか。もしベビーゴジラのような姿をしていれば批判もかなり減ったと思います。



「金を貸せと言い出す」というのも……
むしろ選ぶのはこちら側だと思います。向こうは全く強制していない。見る必要性など、どこにもない。
どうしても批評をしたければ数か月待ってレンタルで借りたほうがよほど安上がりです。
シン・ゴジラの予告編を見たらこれまでのゴジラとは全然姿形が違うこと、さらに「日本対ゴジラ」というキャッチコピーを見て、殿様ギドラ様の望むゴジラのストーリーとは違うのは明らかです。この時点で、ある程度は諦めるべきであったのではないかと思います。


海軍大臣様の言う通り、その時代時代に合った演出や姿形をしてゆくべきだと私は考えます。
ゴジラ映画とは一部のマニアのためにあるものではなく、それを観る万人のためにあるべきです。
一例ですがそういう意味で(一部分ですが)やらかしたと個人的に思っているのが、2014年のギャレスゴジラでした。ムートーに対し初めて放射熱線を吐いた時、私は「え…そんなもの……」という感想を抱いてしまいました。
せっかく溜めた放射熱線の演出なのに、あれでは全然迫力がない。凄い威力だとも感じない。
私だけかと思ってネットや友人に聞いてみたらたいてい同じ意見だという。
初代のオマージュもいいとは思いますが、それ以上に今に合ったもっと派手で豪快な放射熱線にすべきだったと思います。
何もかも初代や2代目そのまんまでは、むしろ埋没して消えていく羽目になることは想像に難くありません。



「怪獣総進撃」についての意味、これに関しては確かにその通りだとも感じます。
でもこれに関しては、これまでのミレニアムシリーズの殆どや「シン・ゴジラ」にも言えてしまうのではないでしょうか?
ミレニアムにしろGMKにしろファイナルウォーズにしろシン・ゴジラにしろ、それ以降に設定を引き継ぐことなどありません。
(庵野氏は1作のみという条件で「シン・ゴジラ」を引き受け、続編は私は作らないと発言している。但し東宝が他の監督に続編を作らせる可能性はある)
唯一続編がある機龍2部作も合わせて2作のみ。
怪獣総進撃と同じような扱いになっているのではないかと感じます。
また私の感覚からすれば、ゴジラの出自よりも、ゴジラが人間たちによって管理されている方がよほどヤバい設定に感じます。


あまり言い続けても申し訳ないので、私の一番好きなゴジラ映画の話でもします。
結論から言うと、私は「メカゴジラの逆襲」が一番です。
私が理系の道に進んでいるのもありますが、科学やロボットに関してはやたらとマイナス面ばかり強調する映画ばかりなのが癪に触っている部分があります。「ゴジラ対ガイガン」「ゴジラvsメカゴジラ」辺りがそれでしょうか。科学のマイナス面ばかりを強調し、プラスの部分を描写しないのは恣意的で一面的な見方にすぎません。
しかし逆に、プラス面ばかり強調するのもダメです。
というより科学に限らず、どんなものでも片方の面ばかり描写するのはよろしくない。
「メカゴジラの逆襲」はその塩加減がよくできていた映画だと思います。科学の罪をしっかりと描き、またそれの解決の手助けをするのもまた科学。そういう中立性、また公平に書いているからこそ私は「メカゴジラの逆襲」が好きです。


余談ですが、この点が実に上手く描かれた「planetarian 星の人」というSF映画が昨年上映されました。今はDVD化してTSUTAYA等で借りられます。アニメ映画ですがエロや露骨な萌え描写などはなく、誰でも安心して観れる映画です。ほとんど完璧な脚本といっていいです。
「アンドロメダ……」がお好きな殿様ギドラ様なら、きっと気に入られることと思います。
最近の日本のアニメについて嘆いておられましたが、日本のアニメもまだ捨てたものではないと思いますよ。
尤も酷い作品も幾らでもあるのですが。


長くなったので、今回は血液凝固剤云々については後に回します。

Re: ゾーンファミリーの朝はシスコーンで始まる(長いよっ) - 海軍大臣 (?)

2017/05/30 (Tue) 13:39:59

 ちょっと論点からズレてしまう話でスイマセン。
お好きだと言われた「メカゴジラの逆襲」(私も好きな作品です)ですが、仄聞したところによるとあのストーリーの根底はギリシャ悲劇なのだそうです。
 東映の名匠・山下耕作監督も学生時代にギリシャ悲劇を専攻していたので、入社と同時に有無も言わさず太秦撮影所にやられて、任侠映画で大成されたと聞いています。
こうした「作劇」の基礎をキチンと学んだ人間が作っていた頃の映画というのは、やはり最近の凡百の映像作品とは違って見えてしまいます。随分前にこちらに書かせてもらいましたが、「次郎長三国志」第六部の愁嘆場なんかは、演出する人間も演じる人間も、古典の戯曲にある程度慣れ親しんでいたからこそ、あれだけの仕上がりになっているのじゃないかと感じています。
古い革袋に新しい酒を盛ることの出来る才能こそ、これからの我が国特撮映画界に求められてならない気がします。


Re: ゾーンファミリーの朝はシスコーンで始まる(長いよっ) - ブロークン (男性)

2017/05/31 (Wed) 23:45:09

>海軍大臣様
お褒め頂いて嬉しいです。
私も今回は脱線します。
確かに、昔の映画の方が今のものより出来がいいんじゃないかなあと思う時があったりします。私は洋画派ですが「フェイル・セイフ」や「ブラック・サンデー」が大好きですし、日本映画でも「太陽を盗んだ男」とかは好きな映画です。作劇の基礎ができているものが多いというのもあるとは思います。

でも、だからと言って今の映像作品がそれらに劣ると考えてしまうのはいささか早計なんじゃないか…? と考えてしまうのです。


というのも、昔の映画という意味で使われる作品は基本的に、「昔から今まで生き残ってきた名作」というものであるからです。
試しに1954年の映画作品を調べてみたら100本以上出てきます。年が古すぎるので、恐らくここに載らずに消えていった作品もかなりあるように思える。
でも、今まで残っている名作はその中の数本程度。10本あればいいほうで、残りはよほどのそのジャンルのマニアしか見ないでしょう。もしくは誰の記憶からも消え去る。

対して最近の作品は、そのような名作になるであろう作品だけでなく良作凡作駄作が入り混じったすべての作品で評価される。

これでは昔の映画の方が面白いとされるに決まっています。勝てるわけがない。
ある程度時が経って、それぞれの年度の代表的作品で比べないとどうしようもないと思います(後に残る代表的作品は、決して興行収入等で測れるものではない)。

後はアニメやゲームに人材が割かれたというのも大きいと思います(その影響でアニメーターの給料が低すぎるといった問題が出てきたりするけど)。
一昔前では実写映画で監督をやったであろう人物がアニメやゲームの監督になったりする。
これは単純に、趣味や娯楽の幅が広がったことによる影響ですね。要するに才能が分散してしまった。

今の映像作品でも上で挙げた「planetarian 星の人」みたいに素晴らしい作品はありますので、そこまで悲観する必要はまだないように感じます。

Re: ゾーンファミリーの朝はシスコーンで始まる(また長いよっ) 殿様ギドラ (男性)

2017/06/01 (Thu) 18:28:47

 どうもみなさま熱い投稿に感謝いたします。
では、ひとつひとつ・・。

 前回の私の文章を注意深く読んでいただければわかると思いますが、ゴジラの芝居について中島春雄さんの演技をなぞっていいのだ、
と書いてあるのは二代目ゴジラを演じるなら、という意味ですよ。

 そして、私が言うゴジラとは二代目のことです。それはこれまでの数々の投稿で伝わっているものと思っていたのが安易だったのかもしれませんけれど。

 前回の投稿で、ゴジラであっても二代目とは違う個体なのであれば、「違う能力もあるでしょうが」と書いたのは別の文脈ではありましたが、もちろん立ち居振る舞いが変わってくることも否定しません。

 ブロークンさんは過去ログもさかのぼって読んで下さっているようなので、繰り返しになってしまうのかもしれませんけれど、
私は二代目ゴジラが好きなのですよ。
 だからゴジラ映画を作るなら、二代目ゴジラが再登場するものを望んでいるのです。

 映画におけるシリーズものを定義するなら、ひとつづきの物語であるか、同じ登場人物(怪獣)が引き続いて出てくるか、の二種に大別されるでしょう。
(例外はあり得ます。物語も続かず、同じ人物も出てこずとも全作に共通するテーマ、観念があることでもシリーズと呼ばれるかも知れません。ただし、ゴジラ映画をそのパターンに当てはめることは出来ない。
なぜなら、ゴジラ映画は大変に懐が深く、同じ観念に統一するような狭め方はされていないからです)

 ゴジラシリーズは共通してゴジラという怪獣が出てくるからシリーズものになっている、という定義になるのでしょうけれど、
ではキングコングシリーズと呼ばれる連作映画があるでしょうか?

 キングコングが登場する映画は数本あります。
けれども、中身が続いているものは『キング・コング』と『コングの復讐』、『キングコング』と『キングコング2』だけでありその他はそれぞれ無関係な作品たち。
(東宝コングも『キングコング対ゴジラ』と『キングコングの逆襲』は無関係)
同一のコングが出てくるわけでもなく、話が続いているわけでもない。

 だからシリーズとは呼ばれない。

 しかし、ゴジラシリーズは二代目ゴジラが連続して登場し、ストーリーにも連携がある。
(本多監督は続き物を作っている意識は無かったとおっしゃっていますが、それは一続きの物語を作ったわけではない、という意味であって、怪獣たちの来歴は作品をまたいで繋がっている)
 『ゴジラ』(54)と『ゴジラの逆襲』はストーリー面でも完全に繋がっています。某資料本にゴジラシリーズで唯一続編があるのは『ゴジラ×メカゴジラ』だなどと世迷い言が書かれていましたが。
初代ゴジラと二代目ゴジラは同じ世界に存在し、シリーズものとしてのつながりを持っているのです。

 だからゴジラシリーズと呼ばれるようになった。そして人気が出た。
ここでシリーズ物の利点まで説明する必要がありますか? それを始めるとさらに長くなってしまうので割愛します。(説明しなくてもわかりますよね?)

 それをぶち壊したのは1984年の『ゴジラ』。
ゴジラ復活を望んだファンたちが期待したのは、二代目ゴジラの再登場だったはず。ゴジラと言えば二代目のことだったのですよ。(初代は死んでいるから再登場は出来ない)
それなのに、二代目ゴジラの物語をなかったことにして、別物の二代目を登場させてしまった。ここでシリーズは分断されました。

 それでも84ゴジラは、元祖ゴジラシリーズとは断絶しつつも、『vsデストロイア』までシリーズものの体裁を保ちました。

 ですから私も、84ゴジラおよびvsゴジラがもし、元祖ゴジラの基本設定を守りつつ、劇中で二代目とは別個体の三代目なのだ、と表明する(二代目を無かったことにはしない)という筋の通し方をしてくれれば84もvsもゴジラとして認めたでしょう。
好き嫌いの問題としてvsゴジラの厳めしさより二代目ゴジラのやんちゃ気質のほうが好きだ、という感想にはなりますが。

 ところが、84がやらかした、設定も物語もリセット(元祖ゴジラシリーズとは別物にしてしまう)するやり方をとことん推し進めたのが『ゴジラ2000ミレニアム』以降の作品です。
便宜的にミレニアムシリーズと呼ばれることもあるようですが、あれはシリーズではない。

 まさに機龍二部作だけがシリーズであり、その他の作品はすべてバラバラ。
これは『怪獣総進撃』の中身が引き継がれないこととは別のことです。
 『ゴジラ対ヘドラ』から『メカゴジラの逆襲』までの作品も二代目ゴジラの映画だと言って良いと思いますが(『対メガロ』以降ゴジラの姿形が激しく変わるので一部ではあれはミニラが成長した姿だとする説もあるようですが、そうなると「総進撃」と矛盾する)、
ミレニアムシリーズにおいては物語も繋がらず、出てくるゴジラと名付けられた怪獣もそれぞれ別物。

 設定も物語もリセットしちゃって構わないのだ、という言説が支配的になるのはこのころです。

 しかし、それは異常事態だと認識すべきです。

 そんなシリーズがどこにありますか。ミレニアム以降のゴジラ映画が異常なのですよ。
それを異常と思っていないのはゴジラオタだけです。

 もう一つ言えば、ミレニアムシリーズに人気は出なかった。(ゴジラオタ以外の一般大衆を惹きつけることが出来なかった)

 非常に象徴的なエピソードをお話ししましょう。私自身の実体験です。
『ゴジラ2000ミレニアム』が公開されたころのこと。
 私がゴジラや特撮が好きであるということはご近所さんにもある程度伝わっていたようで、あるとき近所の奥さんから電話がありました。
奥さん「ちょっと知りたいことがありまして・・・」
私「(とまどいつつ)なんでしょう?」
奥さん「ゴジラの身長って、何メートルなんですか」
私「は?」
奥さん「私、ゴジラは50メートルだと思うんですが」
私「ああ、確かに50メートルのゴジラもいますよ。ですが、ほかにも80メートルのやつとか100メートルのやつとかいろいろ・・」
奥さん「(絶句)・・・・ゴジラにいろいろあるんですか??」

 これが一般の感覚です。

 当然でしょう。
 ゴジラとは世界的に有名な日本の怪獣。唯一のものだと思うのが当たり前だし、そんな有名怪獣をころころ変更するのが正しいわけがない。
イメージが定まらないものに人気が出るとも思えません。

 それを私はずーっと訴えてきました。

 同時に、同じ名前で違う存在を発表することをどうやって正当化するのか、と。
未だ有効な回答は得られていません。
 せいぜい「東宝がゴジラだと言えばそれがゴジラなのだ」という脳みそがお休みしているような答えだけ。


 以上が海軍大臣さんのご意見への返信にもなるかと思いますが、
池田憲章さんのお話の件もあるので、もうちょっと詳しく・・・。

 たぶん、同じ内容が書籍にも載っていた(ひょっとすると以前海軍大臣さんがここでお書きになったか?)と思うのですが、
円谷監督がゴジラに敏捷な動きをさせようとしていた、というお話のこと。
 ゴジラが敏捷な動きをすることは、実際に作られた二代目ゴジラの映画を見るだけでも十分納得できますよ。
対コング戦でも対モスラ戦でも相当速い動きをしています。
 それでも思い通りでは無かったのかもしれませんが、ゴジラが敏捷な動きをすることは私が作品から受けるゴジラ像と相反することはないです。
 ゴジラは鈍重な動きをすべきだと考える人は『ゴジラ』(54)に引きずられすぎなんですよ。
 円谷監督が創造演出したゴジラ像を十全に使えば、どんな世界・物語にも対応できるというのが私の考えです。
 ゴジラを変える必要はない、と。

ブロークンさんがおっしゃる、
>何もかも初代や2代目そのまんまでは、むしろ埋没して消えていく羽目になることは想像に難くありません。

このご意見は論証が必要かと思いますが?

私が二代目ゴジラを再び使えばいいのだと主張している理由は過去に詳しく書いているのですが、ここで簡単にまとめておくと、

 二代目ゴジラは、
不死身で巨大、戦っても強い、というのは人間の原初的なあこがれを体現している。
屈託のない性格でひょうきんな面もある性格は親しみやすい。
野生動物であることから社会的なくびきに縛られない自由さを持っている。
(ほかにもありますが簡略化していますから・・)

以上のことから観客は二代目ゴジラに自己を投影することで、自由を感じ意識の拡大を感じられるはずであり、それは普遍的な娯楽性を生むと考えられる。というわけです。
 
さて、幼なじみの例え。
 ブロークンさんはちゃんと正しい答えにたどり着いているではないですか。

 私にとってゴジラは本当に幼なじみと言える存在なんですよ。

 さて、幼なじみにゴジラを当てはめれば、

>同じ例えで言うなら、正確には人間だということしか分からないのです。

 おっしゃるとおりです。
 怪獣だということしかわからない。ゴジラではない。
 それが私の言いたかったこと。

 しかし、その先はいただけませんね。

 いやなものは見なきゃいいだろ、ということですね?

 映画を見る理由はいろいろなんですよ。批評の件も、あとでレンタルで見れば良いだろうというのも暴論だということはおわかりのはずだ。
まあ、私の例えを解体すれば、
「幼なじみと再会」というところが新作ゴジラ映画を見ることです。

「金を貸せ」と書いたのは、関連グッズや書籍のことでした。ま、それは伝わらなくてもしょうが無いとは分かっていましたけれど。
そんなことまで持ち出したのは、ゴジラマニアの中にはゴジラと名前が付けられていればどんなものでも買い集めるタイプの人がいるもので、
はたしてそれが正しいのか、という思いがあったからでした。
 気に入らない作品でもコレクションの一つとして関連グッズを入手するというのは、その作品に一票投じることになるのだから止めた方がいいというのが私の考えです。
というのも、映画も結局は商売ですから、金になるならそれでいいのだ、という考えに支配されています。
 関連グッズがよく売れるなら、その映画は「正しい」ことになってしまいます。

 私はそんなことはしないよ、と。(入場料を払っている時点である程度負けなんですけどね。評論家はいいね、タダで見られるんだから。でも貶せないんじゃ意味ないね)

 まあ、実際『シン・ゴジラ』に関しては最後まで迷ったのですよ。BBSにも書いてますけど、「見ない」という選択が最良ではないのか、と。
結果論として見て良かったです。まさか、こんな集団ヒステリーみたいな絶賛の嵐になるなんて思いもしませんでしたから。
 もし、私が見ることをせず、批評をしなかったらあとでどんなに悔やんだことか。

 ゴジラとは私にとって大変重い存在です。それを分かってもらう必要はないですが、
不愉快な結果になることが予測されても見なければならない映画というものはあるし、語らなければならない映画もあるのです。


 ミニラのことも・・。

 ミニラ批判があるのは、見た目のせいじゃないんですよ。『ゴジラの息子』ではゴジラ親子の情愛表現があったりして、ゴジラを超然としたものだと思いたい人にとっては、なにかゴジラを卑近なものにされたような気がするのでしょう。
私は『ゴジラの息子』という映画も好きですし、ミニラはあのままで十分かわいいと思っています。

 そして、『怪獣総進撃』の人間が怪獣を管理しているという設定は、ヤバいんです。
 それを使ってはいけないんです。ということは以前の投稿で申し上げているわけですが、ここで付け加えれば、だからといって『怪獣総進撃』がダメな映画かというとそうではないんです。
 あれは、本多猪四郎監督がぎりぎりの選択の中で選び取った人間と怪獣が共存する世界を描いたもの。怪獣を殲滅するのではない方法で怪獣災害を防ぐとしたらどんな形になるだろう、というひとつの答えです。
だからあの世界では怪獣映画は成立しないと言いました。そして、怪獣物語の終着点である、と。
『怪獣総進撃』は怪獣と人間の物語を考える上では、無限遠の未来にあると言っても良いでしょう。

 黄金期の映画の作劇と近年の映画の作劇に関しては私にも思うところがあるのですが、そこには分け入らないでおきましょう。

Re: ゾーンファミリーの朝はシスコーンで始まる(長いよっ) - ブロークン (男性)

2017/06/01 (Thu) 20:44:00

返信ありがとうございます。
無論、私も2代目ゴジラの続編を出して良いと思います。というより、2代目に沿った作品が無さすぎる。
ですが私はどっちかといえば超然とした感じのゴジラが好きなので、VSゴジラのほうが良いんですよね。
まあその辺りは好みの違いということもあるので、あまり言うことはないですが。
(その為、私は2代目ゴジラがVSゴジラを止める形で戦う映画なんか作ったらいいんじゃないかと思ってたりします。最後は引き分けでどちらも死なずに終わる結末がよいでしょう)


『ゴジラとは世界的に有名な日本の怪獣。唯一のものだと思うのが当たり前だし、そんな有名怪獣をころころ変更するのが正しいわけがない。』
『イメージが定まらないものに人気が出るとも思えません。』
ただ、これは絶対におかしい。
というのも、私はコロコロ設定を変更している超人気キャラをいくらでも知っています。


驚くでしょうが、世界的に有名なスーパーマンやバットマンやスパイダーマンは原作のコミックで、設定が大きく変わったことが何回もあります。
全部シリーズものですが、どれも少なくとも設定は2回はガラッと変わっている。(例えばスーパーマンとバットマンは1985年と2013年)
同じなのは名前くらいで、出自も能力も服装も周囲の環境も敵の設定もすべて変えられている。そして、それまでのことはシリーズすべて全部なかったことになった。
もっと言うとアメコミにはエルスワールドという世界観があって(いわゆるパラレルワールド)、そこでは例えば『スーパーマンが実は悪だったら…』『もし全員ゾンビだったら』『もしスーパーマンが騎士だったら』『スーパーマンがソ連の英雄だったら』等のとんでもない世界観で1つのシリーズになったりする。そんな話がどのキャラにも数十以上ある。
要は上のキャラ達は20年続いたシリーズを世界観ごとすべて捨て去るということを少なくとも2回もやってるんです。それどころか別世界の話としてシン・ゴジラも真っ青なレベルで性格や設定の違う奴が数十人くらいいる。
それでも人気は今でもちゃんと出ている。
というか、スーパーマンやバットマンは映画でも最初から4作、続編として続いたけど結局リセットしちゃっている。



イメージが定まらないものに人気が出るとも思えない、というものこそ主観ではないでしょうか。反例はいくらでもある。
「そんなシリーズがどこにありますか。」というのは知らなさすぎるとしか思えない。

2代目ゴジラが好きなのは否定はしませんし、続編の作品が出てもよいと私は思っています。
しかし2代目の後期のゴジラはひょうきんな性格で、明らかに『人間の味方』『正義の怪獣(丁寧にもゾーンでそう言っちゃってるし)』となってしまっている。
じゃあひょうきんな性格が嫌いで、初代ゴジラが好きな人はどうしたらいいのか。超然としたVSゴジラが好きな人はどうしたらいいのか。ミレニアムは? ファイナルウォーズは? シンゴジラは?
さらに今までとは違う、全く新しいものが見たいっていう人はどうしたらいいのか(私はそういう友人を何人も知っています)。
2代目一本に纏めるというのは暴論としかなりえません。




あとはこういうのはどうでしょうか、という案です。


マーベル(アベンジャーズやスパイダーマンとか)やDC(スーパーマンとかバットマン)やウルトラシリーズや仮面ライダーは多世界解釈を採用しています。我々の住む宇宙は無数に存在する宇宙の中の1つに過ぎないという理論で、世界観を無限に増やしている。
要は別の宇宙だからこういう世界でも問題ないよね、という話です。
ウルトラマンティガやダイナのいる宇宙はM78星雲光の国がないから、初代ウルトラマンがいなくても問題ない。
スーパーマンが悪の首領の世界でも、おおもとの正義の味方の宇宙と違うから全然問題ない。
映画もコミックも設定が違うなら別宇宙にすれば全く問題なし。
ゴジラにもこれを導入すれば解決すると思うんですよね。
2代目がいる宇宙やVSゴジラのいる宇宙などにすれば2代目の新作や、世界観のクロスオーバーやまったくの新作だって描けます。
そしてその設定は天下のマーベルやDCが数十年以上前からやってる。
十分に成り立つんです。


これくらい壮大な設定にすれば問題ないと思うのですが、どうでしょうか。

Re: ゾーンファミリーの朝はシスコーンで始まる(長いよっ) - ブロークン (男性)

2017/06/02 (Fri) 01:22:22

追記です。

ちなみに多世界解釈によってマーベルやDCは非常に自由度の高い作品ができていて、相当な恩恵を受けています。
独自の世界を思う存分描けるから、名作も生まれやすい(「キングダム・カム」や「スーパーマン・レッドサン」など)。

さらに非常に説明が楽なんです。ゴジラで言うなら
・初代から2代目ゴジラまでで、VSゴジラが出現しない世界
・シン・ゴジラがいる世界
・ファイナルウォーズの世界
・怪獣総進撃の世界
・初代ゴジラの骨が残った世界(機龍2部作)
みたいな感じでしょうか。
初代ゴジラまんまだけど、芹沢博士がいない世界なんていうのもやろうと思えばできる。
全く新しい世界観だって全然OK。

説明は「世界が違うから」の1言で済みます。
ゴジラに強いこだわりを持つ者や大してこだわらない者、ほぼ全員が納得するのではないでしょうか。
自分の好きな設定で映画や小説、漫画などを作れるのですから。


ちなみに多世界解釈はマーベルは1977年、DCは1960年からある由緒正しき設定で、人気を博しています。派生も山のようにあります。
豚がスパイダーマンになった世界なんかもあります。でも別世界の話なので文句をいう人はいない。
DCにしろマーベルにしろ何回かほぼすべてのキャラが出自や設定などを一新され、大本の物語も1からになっているので、殿様ギドラ様の言う「設定も物語もリセットする有名キャラ」はいくらでも居るんです。
それもゴジラより自国内でも世界でも有名なキャラです。

Re: ゾーンファミリーの朝はシスコーンで始まる(長いよっ) 殿様ギドラ (男性)

2017/06/02 (Fri) 17:48:50

時間がないので、詳細には書けませんけれど、
取り急ぎ、短く・・・。

まずブロークンさんに謝らなければなりませんね。
私はアメコミに詳しくないけれど、おそらく設定変更の嵐が吹き荒れているのだろうな、というぐらいは想像がついていました。

ですので、その、反論の内容も予測の範囲内だったんです。

ひっかけるようなことをしたこと、お詫びします。

パラレルワールドなどを持ち込んで、「有名キャラ」(ブランド力がある)の名前を使い、別物を送り出す行為、
いまはウルトラマンも積極的に使っている手法。
(ただし、ウルトラマンは同じ名前の別の物を作ったりはしていない)

それこそ、大衆性から乖離したオタク商売。
(行き詰まって飽和したからお客さんに与える情報を増やすためにさまざまなからくりを考えているに過ぎない)

そんなことをゴジラでやって欲しくはない。
(怪獣ゴジラは行き詰まっているのか?という問題を議題にすべきなのだが、元祖ゴジラのキャラクター性が持つ可能性を十分に議論せぬまま、やれ現代的にだの時代に合わせろだのと変化ばかり求めるのは間違いであろう)

私はスーパーマンのマニアではありません。
けれども有名キャラだから彼がクリプトン星から来た宇宙人だということは知っている。
しかし、別の設定のスーパーマンがいるなんてことは知りません。そんなものは浸透していないんですよ。

もうひとつ、二代目ゴジラは『ゴジラの逆襲』から『メカゴジラの逆襲』までの出演。
その過程でストーリー上さまざまな役割を果たしています。
その振れ幅を利用せよと言っているのです。
ただし、私が主張しているのは、本多・円谷両監督が「二人とも」関わった時代のゴジラを参考にせよ、ですから、『ゴジラ対ヘドラ』以降の二代目ゴジラは除外しても構わないのですよ。

それから・・、なぜゴジラでなければならないの?
いままで見たことがないものを見たいなら、ゴジラではないものを見れば(作れば)いいのですよ。

Re: ゾーンファミリーの朝はシスコーンで始まる(長いよっ) - ブロークン (男性)

2017/06/02 (Fri) 20:15:56

お返事ありがとうございます。
まず、『イメージが定まらないものに人気が出ない』ということは反例がある時点で明らかに間違いなのは分かっていただけたと思います。

また、『けれども有名キャラだから彼がクリプトン星から来た宇宙人だということは知っている。』
これはゴジラでも同じことではないでしょうか?
たぶん一般人は姿形や熱線を吐くってことくらいしか知らないでしょう。水爆云々は既に怪しい。
度々設定変更しているなんて知るわけがない。
多少知ってたら分かるでしょうが、それはアメコミでも同じこと。ある程度知識がないと別世界にスーパーマンが大量にいることや、スーパーマンが度々設定を改変されて1からやり直しになってることなんて知らないんですよ。
現に初期のスーパーマンと今のスーパーマンは(たとえ大元だとしても)姿形も設定もまったくの別物で、物語を何回もリセットしているのを殿様ギドラ様は知らなかったでしょう。知っていたら「そんなものがどこにありますか」なんて書けるわけがない。
それこそが証拠です。

となると、やはり設定変更と人気は関係がないのです。
設定変更したから人気が落ちるという意見は、(あえて書きますが)細かいことを気にするマニアでしか起きないものに他ならない。



じゃあそれが「大衆性から乖離したオタク商売」なのか。
逆でしょう。むしろ大衆性に迎合している。
何故なら、設定変更で憤るのはオタクに他ならないからです。
一般人はゴジラの姿形しか知らないから、水爆云々の出自については気にならない。というより、どうでもいい。ゴジラが暴れて、映画が面白ければそれでいい。

象徴的な話をしましょう。私は初日にゴジラを殆ど知らない友人と「シン・ゴジラ」を見に行きました。できる限り事前の評判をシャットアウトするためです。
そしたら私は凡作だなあ、熱線吐いてからの後半は面白くないなあ、なんて鑑賞後に思ってたら友人はすごく面白かったという。
友人によるとゴジラの姿形がかっこよくて、ビルの倒壊や無人在来線爆弾がすごく燃えたそうです。

私からすればゴジラが気色悪いのはあまり好きじゃないし、ビルの倒壊や在来線爆弾はゴジラが弱くて違和感を感じる場面だったけど、友人はそんなことを知らない。
考えてみれば、ゴジラをよく知らない限りシン・ゴジラのデザインはそこまで気にはならないでしょう。
実際しばらくして他の(ゴジラを全然知らない)クラスメイトに聞いたら、みんな似たような返答をする。

考えてみればこれは当たり前で、一般人は過去のゴジラがどんなのか全然知らないから、シン・ゴジラは気にならないんです。
出自も設定も容姿も能力も知らないからそうなる。
背鰭や尻尾から熱線が出ても「放射熱線すげー!」にしかならない。
過去のゴジラを知らないから、生物性なんて1ミリも気にしない。
せいぜい姿形と熱線くらいでしょうが、姿形はゴジラに似ていて、熱線は色々パワーアップしている。
「ゴジラじゃないよ」なんて思うわけないんです。


これはゴジラに限りません。初めて「機動戦士ガンダム」の世界観から離れた別物の「機動武闘伝Gガンダム」が出たとき、既存のガンダムファンは文句を一斉に言いました。
「あんなのガンダムじゃないよ」
でも考えてみてください。「あんなのゴジラじゃない」「あんなのガンダムじゃない」という言葉は、ゴジラやガンダムをよく知ってないと言えないんですよ。
さらに突き詰めると、知っていても思い入れやこだわりがないと言わない。
それはオタクでしかない。(少なくとも一般人からしたらオタクである)
で、結局一般人とわりかし寛容派なオタクたちによって(ただし認めない人もかなり多かった)Gガンダムは結構人気になり、その後続々と他の世界観の「ガンダムW」とか「ガンダムSEED」などが続くんですが、それは置いておきます。


ほかにもウルトラマンや仮面ライダーでも同じようなことが起きている(ティガとか龍騎あたりがそれ)。
要するに時代に受けるために、設定を改変する。一般受けを図るために別物をやる。
そしてそれが結構どのジャンルでも受けちゃってるんです。
そこを間違えたらいけません。
今回はここまでにしておきます。

Re: ゾーンファミリーの朝はシスコーンで始まる(長いよっ) - ブロークン (男性)

2017/06/03 (Sat) 02:48:52

追記です。
言おうか言うまいかずっと悩んでいたのですが言います。

「私はアメコミに詳しくないけれど、おそらく設定変更の嵐が吹き荒れているのだろうな、というぐらいは想像がついていました。」
「ひっかけるようなことをしたこと、お詫びします。」

これはどういうことでしょうか?
まさかと思いますが、アメコミの(それも世界一有名なヒーローの)設定改変を知ってて、私が知らなかったらそのまま押し通すつもりだったのでしょうか。
だとしたら、悪質どころの話では済みませんよ。
相手が知らないのをいいことに、詭弁で押し通そうとしていたなど論外です。
想定内云々の話ではない。

説明をお願いしたいです。

シン・ゴジラについての色々 - ブロークン (男性)

2017/05/16 (Tue) 02:15:18

初めまして。いきなり入ってきてしまい済みません。
正直な話私はいまだ学生な上にバリバリのVS世代なので、皆様から見ればまだまだ雛ですが、ゴジラについてはよく調べているつもりです。
初めに結論から言うと、シン・ゴジラは100点中40点くらいの出来だと思っております。


ゴジラについてですが、私はあれはゴジラだとはあまり思いたくないというのが正直なところです。
理由は単に弱すぎるということです。あれではイグアナと何も変わりません。

これまでのゴジラは自然現象や明らかな超兵器をもってしても、なかなか倒せないものでした。よく言われる「ファイナルウォーズ」でも、超兵器の轟天号(しかも極めて高い拍のついた超兵器)をもってしてもどうにもならず、最後はたまたま起きた地震(自然現象)を利用してようやく封じ込めたりと、配慮がありました。
また地球連合が総力を挙げて戦っているというまさしく総力戦であることがきっちりと書かれています。ゴードン大佐あたりが一番わかりやすいでしょうか。

またビオランテでもスーパーX2→抗核バクテリア→サンダーコントロールシステムと数多くの超兵器を使用し、更に紆余曲折や過ち(若狭湾で待ちかまえても来なかったなど)があって、そこがドラマを盛り上げていました。
またビオランテ自体は抗核バクテリアが効いたのはビオランテと戦闘したからだという解釈になっています。これは「ゴジラVSビオランテ大百科」にも書かれてあることですし、また完成版脚本を見るとサンダーコントロールシステムでも効かないゴジラに白神博士が「そんなはずは…」と焦る描写もあり、それなら納得だと私は感じていました。

ところがシン・ゴジラは、そのような紆余曲折や苦戦もなく、あっさりと凍結されてしまいます。これでは全然ゴジラの強さや見せ場もありません。
そもそも東京駅でグースカ寝ているというのもご都合主義です。84やビオランテではちゃんとゴジラを作戦ポイントまで誘導する描写が入れてありました。前者は磁性体による誘導、後者はスーパーX2です。
私ならあの程度でゴジラが寝たりせず、ちゃんとゴジラを誘導する描写も入れ、様々な想定外の苦戦を(例えば転倒したら進化して腕が巨大化、本来のゴジラの大きさになり、すぐに起き上がったりとか)入れて、世界全体の協力でようやく鎮圧できるかどうかという脚本にしたでしょう。そのほうが見せ場もありますし、会話劇を削れば楽な話です。
様々なしがらみや過ちを乗り越え、人類が皆で一丸となって努力して初めてゴジラを乗り越えられるかどうかという話。日本のみや権力などで固執していては勝てないという話。そういう話にしたと思います。



ちなみに米軍の大型貫通爆弾でゴジラが傷ついたことに関しては、私はアリかなあと思っています。あれはMOP「2」という架空兵器、もしくは近未来兵器であると「シン・ゴジラ機密研究読本」に書かれてあります。少なくとも現行兵器ではありません。
これまでもゴジラは例えば「モスラ対ゴジラ」で3000万ボルト電流作戦で相当に苦しんでいたことなどを考えると許容範囲です。
まあ、もっと別の名前にしてはっきりと超兵器であるとわからせたほうがいいかもしれませんが。
余談ですが「ゴジラ2000 ミレニアム」に登場したフルメタルミサイルはコンクリート10mを貫通する性能とはっきり「宇宙船」の1999年(何号かは忘れてしまいました)に書かれてあります。一方、現行兵器のMOPは70mのコンクリートを貫通してしまいます。現行兵器が架空兵器の威力を上回ってしまう。
このことには少し恐怖感を感じます。

熱線はむしろ私は好きです。というより、あのようにしないと兵器が発達しすぎてしまった現在では絶対に熱線が当たらない遠距離から延々とゴジラに向けてミサイルを撃ち続けるという酷い絵面になってしまいます。
あれは能力を「足した」だけで、弱体化はしていません。足すこと自体は私はありだと感じます。
因みに私が映画館で見たとき、横の子供は終始退屈気味でしたが、熱線のシーンでは喜んでいました。そういう意味でも、あれはいいと感じます。

また勝手に弱点をつけることに関しては、円谷監督が居られた時も電撃に弱い(キングコング対ゴジラ)、冬眠する(ゴジラの逆襲、ゴジラの息子)などの弱点を付け足されていることも考えるとそこまで目くじらを立てることだろうかと感じます。
そもそも怪獣総進撃ではゴジラが国連に管理されており、苦手な煙を吹いて追い払わせているという描写があったりしますので、科学で怪獣が解析されるのも私はありだと感じます。

逆に一番許せないのがあの醜悪なデザインです。きわめて気持ちが悪く、円谷監督は絶対にあのようなデザインを許さないだろうと断言できます。この点だけはどうしてもあり得ないと感じます。

纏めると私は
・ゴジラが弱すぎる
・ゴジラが醜悪である
ことを除けば悪くはないと考えています。
そして上2つが、とても大きなマイナス点だということです。

Re: シン・ゴジラについての色々 - ブロークン (男性)

2017/05/16 (Tue) 17:47:55

ただ、私は「ゴジラ」シリーズに関しては、ゴジラの出自等の設定は原作者の意向に合うならば改変は許されるべきだと思います。

例えば、ガンダムシリーズ。世界観の違う殆どのガンダムシリーズで「シンゴジラ」も真っ青なほどの改変が多数行われていますが(特に「Gガンダム」)、原作者の富野監督はむしろそれを肯定しています。
仮面ライダーシリーズもそうです。原作者の石ノ森章太郎が存命の時期に改変が多数行われている。

その改変が許されるのは、恐らく原作者が「これは○○だ!」と思えるようなものであると言うことでしょう。
なので私は、大元の一人である田中友幸が作成した平成VSシリーズの設定は肯定派です。
確かに「ゴジラの花嫁」等の珍作を考えてはいましたが、そんなものは富野監督が許した(むしろ喜んでいた節がある)「Gガンダム」に比べればマシでしょう。
しかも「平成ゴジラ大全」を見る限り、田中氏は積極的にゴジラVSシリーズの製作に関わっている。
ならば私はVSゴジラの設定は十分に受け入れられるものだと考えています。

「シン・ゴジラ」の問題は、その田中氏ですら受け入れがたいものであることが確実であること。
「平成ゴジラ大全」に「ゴジラvsビオランテ」の最終形態の設定が人面花だったということが明かされています。そしてそれを、田中氏は躊躇なく拒絶している。
その後川北監督等と白熱した議論を交わし、結果的にあの植獣が生まれる訳ですが、問題はそこであまりにグロテスクなもの、人間や動物そのまんまはやめろと田中氏が発言していること。
「シン・ゴジラ」はまさにそのやってはいけないことをやってしまった。
だからダメだと言う意見です。

余談ですが「平成ゴジラ大全」は田中氏の考えや当時の映画作成の雰囲気を知るには絶対に必読といってもいいと思います。

ちなみに、殿様ギドラ様の唱えていたシン・ゴジラの科学的な矛盾点に関してはある程度は書籍で補完されています。(私は訳分からんことを言って恥をかきたくないので、どんなに駄作だと判断した映画でも設定集を読んでから批評する)
書かれているのはシン・ゴジラ機密研究読本、日経サイエンス12月号辺りです。

もっとも私は、シン・ゴジラをほとんど評価してはいないのですが。

Re: シン・ゴジラについての色々 殿様ギドラ (男性)

2017/05/16 (Tue) 19:42:21

ブロークンさま、ようこそいらっしゃいました。
ささ、座布団をお敷きになって・・。

ちゃんとしたレスは後日書きますので、もちょっと待ってね。

Re: シン・ゴジラについての色々 殿様ギドラ (男性)

2017/05/18 (Thu) 20:55:58


私の基本的なスタンスとして、ゴジラを改変するのは御法度である、という立場を取っています。
ゴジラというのは架空の生き物で、作り手が変われば扱いも変わってしまうのは止められないことなのかもしれません。
それでも、誰かが厳密な基準を訴え続けないと変化に歯止めがかからなくなり、ゴジラと名付けられてもまるで別物になってしまう事態が予想されるからでした。

そんな努力もむなしく、『シン・ゴジラ』においてまさにまるで別物のご登場となったわけです。

さて、円谷時代のゴジラの弱点のことですが、初代ゴジラの時点ですでに想定されていたとは私も考えていません。
けれども、のちの作品で電撃や低温に弱いのではないか、という発想が出てくるのは、ゴジラの設定や第一作での描写を踏まえていると考えられるので、先行作と矛盾を来さないという基準を守っているのでセーフなんです。

爬虫類とほ乳類の中間型の生物であるなら、冬眠の可能性もあるのではないか、第一作『ゴジラ』でゴジラが本格的に怒るのは電撃を受けてからのこと(劇中で熱線を初めて見せるのは高圧電線に触れたとき)ですから、電気ショックはかなりこたえるんじゃないか、
と、第一作の内容を踏まえて展開させたと考えられるのです。

ですから後付け感が少ない。

そうでないとしても、原典と齟齬を来さなければ後付けもありでしょう。
たとえば、はじめの数作においてはゴジラに子供がいるなんて作り手たちもまったく考えていなかったでしょう。
それでもゴジラも生き物である以上、子孫を残すのは当たり前です。
そこにミニラを登場させる余地がありました。

ミニラが嫌い、認めないというファンも少なからずいるようです。
初期のゴジラから想像すれば子育てするゴジラなんて「やめてくれ!」という気持ちもわかります。
ですからミニラ嫌いの人を責めはしません。しかし、決してミニラは不当な「後付けキャラ」ではありません。

さて、
『怪獣総進撃』は扱いが非常にデリケートな作品でして、ゴジラ映画には珍しく未来世界を舞台にしています。
(もう一作は『怪獣大戦争』)
あの映画では人類が怪獣すら管理できるようになった世界を舞台にしています。
現実社会のシミュレーションという側面を捨てているのです。
その世界で、地球外からの敵に対しては人間と怪獣が共闘するさまを描いているわけです。

怪獣を怪獣島に閉じ込めているのですから、完全に平和的な共存とは思えない世界設定ではありますが、作り手の思いは、人類と怪獣が争わなくてもいい世界を描くことにあったのでしょう。

そんな世界が実現したら、怪獣映画というジャンルはおしまいです。
(怪獣ものの最終作にしようとする意図がそこに表れている。ただし、スタッフ証言には「総進撃」で怪獣映画を打ち止めにするなんて話は聞いてなかったというものもある)

SY-3がゴジラの熱線を浴びても破壊されないことなど、『怪獣総進撃』では怪獣は人間にとっての真の脅威ではない。
怪獣映画が成立しない世界なんです。

劇中では「20世紀も終わりに近く」、と語られていますが、それを額面通りに受け取るべきではありません。
すでに21世紀になった我々の世界ですが、『怪獣総進撃』の世界にはほど遠い。
あの世界は一種の理想型として受け止めるべきであり、ゴジラシリーズを作るなら、『怪獣総進撃』の内容を踏まえるべきではないのです。

事実、『ゴジラ対ヘドラ』以降の70年代ゴジラ映画ではゴジラは怪獣島に住んではいるものの、怪獣ランドなどはない。
『ゴジラの息子』までの内容を踏まえていると考えられます。

おっとっと、「総進撃」に深入りしていまいましたが、
怪獣たちの弱点や生態を科学的に解析することの危険は、もし現行の科学で説明を付けてしまうと怪獣は謎ではなくなり、
たとえ架空の科学理論でも人類共有の科学知識(オキシジェンデストロイヤーとは別の道具立てとなる)であるなら、怪獣は脅威ではなくなります。

一作限りの倒され役怪獣なら、それでもいいでしょう。
しかし、ゴジラやその他の再出演を期待されるスター怪獣にそれをやってはいけません。

『シン・ゴジラ』がやった怪獣に対する弱点作りは、怪獣の細胞レベルでその機能を暴き、分子生物学的アプローチで撃退法を提示するという念の入ったものでした。
これは本家ゴジラが電撃に弱いとか低温で活動が鈍るという設定とは、次元が違います。
ゴジラが電撃や低温に弱い(らしい)ことには格別な説明はありません。なぜかわからないけれどやってみたら結構効いた、という扱いです。
逆に言うと、いつでも電撃で撃退できるとは限らない、とも言えるのです。そこに謎がある。

ちんごじらには謎などない。
エセ科学であっても、劇中ではがっちりと説明がついています。そんなものはゴジラではない。

さて、『シン・ゴジラ』に登場した米軍の地中貫通弾が架空の兵器であるとは、びっくりしました。
地中貫通弾なるものがあるのは知っておりましたので、まさかMOPⅡが架空とは思いも寄りませんでした。

ですが。たとえもっと派手な見るからに超兵器だったとしても、ゴジラの肉体が傷つく描写をやってはいけません。
中野昭慶監督は結構流血描写もやりましたが、円谷英二監督は残酷描写を忌避していました。
作品によっては例外もありますが、ことゴジラに関しては初代が溶かされた以外、ゴジラの肉体が損傷する描写はありません。
原典を大切にするなら、ゴジラはケガをしてはいけない。

まあ、ちんごじらはまるでゴジラではないので、彼奴がケガをしたところで私はなんとも思いませんでしたが・・・。
(その点、「東京SOS」でゴジラの肉体がドリルで削られたのは不快だった。あのゴジラ、見た目はまずまずゴジラでしたから)

MOPⅡが架空の武器だったことにまるで気がつかなかったわけですが、それは設定書などを読まないのが悪いのでしょうか。
架空の兵器だから破壊力がすごいんですよ、とわかって欲しいなら、ブロークンさんご指摘の通り、それなりの説明、演出があってしかるべきです。

映画は作品そのもので勝負すべきで、解説書の類いを読まないと正しい解釈が出来ないようなものは出来損ないですよ。
(ですから私は映画を批評する際に、解説書から得た情報は極力使わないようにしています)

怪獣に絡む設定の科学的な誤謬を解説書がどのように説明しているのか知りませんが、どんなにおかしな描写も複雑怪奇な裏設定を作れば正当化できますよ。
問題は、作品のみを鑑賞して納得できるのか、ということです。
まあ、私も科学の専門家というわけではないので、私の突っ込み自体が間違っているというなら謝罪しなければなりませんが、劇中のセリフや描写では伝えられていないファクターを持ち出して説明を付けているとするなら、
そんなものは相手にしません。設定厨の遊びですよ。

創作キャラクターの改変問題は、私も原作者が承認、ないし自ら行ったことならば受け入れざるを得ないと考えています。
ただし、作品鑑賞のレベルでの善し悪しはありますけれど。(たとえ原作者が行ったことでもうまくいっていないと思えば評価は出来ない。しかしその場合、不当とは言わない)

とはいえ・・・。

うーーん、言いにくいことですが、私は田中友幸氏をゴジラの生みの親としてはあまり重視していません。
確かに恐竜タイプの怪獣を提案したのは田中友幸氏であったようですが、怪獣映画の製作にゴーサインを出したのは森岩雄さんのようですし、
本多きみ(本多猪四郎監督の奥様)さんによると、本多監督と円谷監督が二人がかりで田中友幸氏を説得して「ただの怪獣大暴れ映画」ではないものにしたようです。
田中氏のセンスでは、見世物映画として派手ならそれでいいと思っていたフシがあるのです。
(書籍「ゴジラのトランク」より)

映画『ゴジラ』の内容の深さ、怪獣ゴジラの魅力的な存在感、それらを実現したのは田中友幸氏のコンセプトを否定して表現を深めようとした本多猪四郎、円谷英二の意思によるものと考えています。
(もちろん香山滋氏の功績もあります)

1984年以降の完全田中体制下でもさすがに派手なだけの見世物映画にはしていませんが、『ゴジラの逆襲』から『メカゴジラの逆襲』までをなかったことにするやり方(84ゴジラのポスターにはご丁寧に「30年間の沈黙を破って」と書いてある)には
不信感しかありません。
当時の田中友幸氏の様子(テレビにも出演したし、書籍でもゴジラに関する発言を多数行っていたと思う)を見ていて、「この人は自分がゴジラを作ったことにしたいのか?」と感じました。
その疑問はいまでも払拭できません。

それから、VSシリーズにおいて、ゴジラを恐竜が放射線で変異したものだ、としたのは、ゴジラという怪獣の根幹を書き換える行為なので、やっぱりダメですよ。

どうもすいません。
昨今のおっさんたちは物わかりがよければ世の中について行っていると思いたがるみたいですが、私のような頑固親父が己の価値観を曲げずに頑張るのも必要なことかと思っています。

ともかくも、『シン・ゴジラ』の怪獣はゴジラとしてアカンという点では一致していますから、頑固親父の意見も少しは参考にしてみて下さい。

Re: シン・ゴジラについての色々 - ブロークン (男性)

2017/05/19 (Fri) 06:53:42

お返事ありがとうございます。

まず私も、怪獣の仕組みや弱点を何から何まで全部説明してしまうというのはあまり好きではありません。神秘性が失われるというのもありますが、想像の余地が消えてしまうというのもあります。
しかしある程度の説明はアリだと感じます。当時の怪獣図鑑にはゴジラやウルトラマンといった様々な怪獣の体内構造図が溢れかえっており(1970年代のものにもあった)、私はそれを見てわくわくしてた世代だったというのもあります。
更に「ゴジラ対ヘドラ」の宣伝にすらヘドラの内部図解が描かれていたというのもあります。

また「シン・ゴジラ」の血液凝固促進剤(おそらくvsスペースゴジラからとったのでしょう)については、私は許せる範囲内に収まっていると思います。
というのも、「シン・ゴジラ」のラストシーンで、尻尾からヒト型のような物体が多数出現しているのがアップにされます。
ですが凍結した直後のゴジラを見ると、尻尾には何の変化も見られない。
要するにあれでゴジラは倒せておらず、凍結してもさらに進化してしまっているということが本編ではっきりわかるのです。
この「本編ではっきり倒せてないのが分かる」ことと「進化している」ことで、想像の余地や神秘性が保たれていると私は考えています。
実際資料集の「ジ・アート・オブ・シンゴジラ」にはあれが第5形態だと書かれています。
逆に言えばそういう描写がなければ、私は本作に0点をつけていたでしょう。またその第5形態が気色悪いのは個人的には好きではありません。進化している描写は例えば目の瞬膜が外されたり、ちょっと動いたりなど他の方法はあったと思います。


MOPⅡに関しては殿様ギドラ様の意見を踏まえたうえでのギリギリという意味で使用しています。テロップでMOPⅡとはっきり出てくるので劇中だけでも架空兵器だと一応分かるのですが、それが架空だと気付くのは軍事マニア位でしょう。私も初見では分かりませんでした。
尤も調べれば直ぐに分かったのですが、不親切ではあります。


「総進撃」についてですが、私はこれ以降の昭和ゴジラの映画でもある程度「総進撃」の要素は受け継がれていると感じてしまうのが正直なところです。
例えば2作後の「ゴジラ対ヘドラ」。この戦いでゴジラはヘドラに対して、自衛隊の電力板がなければ勝つことは出来ませんでした。しかもその電力板はSY-3と同じように、ゴジラの熱線を受けても傷一つつかず、電撃を放射していました。
その後の「ゴジラ対ガイガン」のゴジラタワー破壊作戦や「対メガロ」のジェットジャガーなどもその一例です。「総進撃」以降、もっと言うなら「怪獣大戦争」以降、ゴジラは人間の助力がなければ勝利をもぎ取れたかどうか非常に怪しい描写がかなりあります。
それが頂点となったのが「メカゴジラの逆襲」でしょう。ここではゴジラは自衛隊の戦闘機(メカゴジラ2が回転フィンガーミサイルを撃ち込もうとした瞬間に乱入している)・超音波発生装置など数多くの助力を得ています。助力がなければ確実にゴジラは敗北していました。

また「人類に管理されるゴジラ」は総進撃だけではありません。本多猪四郎氏や福田純氏が関わっている「流星人間ゾーン」では地球を守る宇宙人のゾーンファイターに呼ばれてスパーリングを行ったり怪獣と戦ったりと事実上ゾーンファイターのお助け人のように扱われ、さらに出動時には何故かシャッターのようなものから出現したりといい明らかに「管理されている」存在でした。
この後の「メカゴジラの逆襲」でも、子供の「助けて」という声に合わせて現れたりと、そのような傾向はみられます。



また円谷英二の「流行っているからやるぞ」という理由で出されたシェーなどの数々の怪行動も私は良いと思っています(「シェー」のいきさつは中島春雄氏の「怪獣人生」にはっきり書かれている)。
要は面白そうで、原作者が忌避しないものなら何をやっても許される。少なくとも初代ゴジラがシェーやスぺシウム光線や勝利のVサインをすることなど誰も想像しないでしょう。空を飛んだのは田中友幸氏からすれば我慢ならなかったそうですが。
そういう見方で、私はゴジラ映画を鑑賞しています。なので「シン・ゴジラ」の背中からのレーザービームや進化するゴジラなどは面白いのでありだと感じますが(実際、話題になった)、グロテスクな造形やラストのぶっ倒れて凝固剤を飲まされてる際の無様さなどは個人的に受け付けないのもあって絶対に駄目だと感じます。
中島春雄氏も「ゴジラはまた出てくるだろうね。同じゴジラだからって、どこかで昔のゴジラを真似しているうちは、いい映画はできないんじゃないかね。」と仰っています。


なおあまりに長くなり過ぎたので、「シン・ゴジラ」に関する科学については今回は割愛しています。

Re: シン・ゴジラについての色々 - ブロークン (男性)

2017/05/19 (Fri) 16:56:53

ちなみにシン・ゴジラでゴジラが分裂したり、どんどん進化したりするのは、元々本多猪四郎氏のアイデアであることが明らかになっています。
これは「イノさんのトランク」ではっきりと明かされていることです。

ちなみにそこではゴジラが液体化・気体化、果ては非生物化したり、ゴジラが相手を吸収して大きくなるなどシン・ゴジラをも超えるレベルの変形が行われています。
ちなみに題名は「神ゴジラ」です。

大本の原作者がこのような突飛なアイデアを出しているので、面白ければ何でもいいというのはやはり間違っていないと考えます。
「これはゴジラだ」と言えるのは「グロテスクでないこと」と「強いこと」くらいしかないのかもしれません。

Re: シン・ゴジラについての色々 殿様ギドラ (男性)

2017/05/23 (Tue) 18:38:01

ふうふう、レスが遅れております。
決して無視しているんじゃないです。

ちゃんとしたレスには着手しています。
時間が作れなくてまだ書き上げられません。

いま言えるのは、物事はもっと複雑ですよ、と。

アニメ映画『ゴジラ』はどうなるか? - エクセルシオール (男性)

2017/03/12 (Sun) 20:48:43

 『シン・ゴジラ』の話題に押されて忘れられがちですが、今年は長編アニメ映画の『GODZILLA(ゴジラ)』が上映される予定になっています。今回はこの作品について考えてみました。

 といっても今のところ何が何だかわからない状況です。現在公開されているのはスタッフとキャストの一部、そしてたった一枚の絵だけ。そしてのその絵たるや地球なのか他の惑星なのか、はたまた異次元なのかわからない場所を、SF的な防護服に身を包んだ人間や『スターウォーズ』に出てきそうなメカが進んでいるものでした。これから内容を想像するのは極めて困難です。
 過去のゴジラ映画でも探検要素が含まれていたものはありましたが(『キングコング対ゴジラ』等々)。こんな妙な構成の物はありません。まさか元ネタが映像化されなかった幻の怪作『ゴジラの花嫁』などということはないでしょうが(この作品は地底にゴジラやアンギラスなどが生息するロストワールドがありそこに探検隊を送るという話があった)。
 なお、『ゴジラの花嫁』は『「ゴジラ」東宝特撮未発表資料アーカイヴ』に掲載されていましたが、映像化されていたらカルト映画になっていたでしょうね。

 私はアニメは好きですし、アニメだからと言ってそれだけで悪いと言うつもりはありません。マニア受けを狙わずにまともな怪獣映画を作ってほしいと願うだけです。しかしながら、現在この映画に関して予想されている内容は、その真逆になりそうな感があります。何といっても脚本担当の虚淵玄氏はマニア向けの陰鬱な物語を作ることで有名ですから(まともな作品もなくはないが)、『シン・ゴジラ』の庵野秀明氏よりもさらにわけのわからない「ゴジラ」を制作するおそれは低くありません。
 厄介なのは『シン・ゴジラ』が箍を完全に外してしまっているため、虚淵氏らはもはや「ゴジラはどうあるべきか」ということを一顧だにしないおそれがあること。何とも寒心なきをえない事態です。

 とりあえずの朗報は出演者に関してのみです。近年の大作アニメは素人同然の人を知名度重視で起用することが少なくありませんが、現在公表されているキャストは人気もありますがきちんと実力のある本職の声優を起用しており、そこは安心できます。

 この作品は今のところ公開日すら未定ですが、さてどうなりますことやら。

 余談ですが、日本国内で本格的な「ゴジラ」のアニメ作品が作られるのは初めてだそうです。アメリカではハンナバーベラ版(日本未公開)とエメリッヒ版『ゴジラ』の続編にあたる作品と二種類のアニメシリーズが製作されていたのですが、日本では前例がありません。そのこともありなおさら予測がつかないことになっています。
 なお、日本では学研製作の幼児教育用オリジナルビデオアニメーションとして『すすめ!ゴジランド』という作品はありました。ゴジラもラドンもアンギラスも他の怪獣も大変可愛くデフォルメされている楽しい作品です。

Re: アニメ映画『ゴジラ』はどうなるか? 殿様ギドラ (男性)

2017/03/13 (Mon) 18:25:49

アニメゴジラにも不安というか恐怖がいっぱいですね。

私も表現形式としてのアニメーションには偏見はなく、それどころか40年ほど前までは日本のアニメに大いに期待していたほどです。

けれども、例外はあるにせよ、日本のアニメが女性と兵器に固執し始めるようになって全体として腐ってしまったと考えています。(言い過ぎ?)

そんな中、形式としてアニメーションというだけでなく、日本アニメの監督に作らせるというのですから、期待せよというほうが無理。

オフィシャルサイトで公表された画像やツイッター
https://twitter.com/GODZILLA_ANIME
に上がった画像なんか見ると、まあ、ほんとにいままでのゴジラ映画とはまるで別物になるんだろうなとは思います。

私がひっかかったのは、ツイッターにある、雑誌エンタミクスの見出し。
テーマは「人間とゴジラの因縁の戦い」とあります。

どうも未来世界を舞台にする雰囲気がありますし、またしてもゴジラを人類の前に立ちはだかる永遠の宿敵、という扱いにするんじゃないでしょうか。

嘆息・・・・。

Re: アニメ映画『ゴジラ』はどうなるか? - エクセルシオール (男性)

2017/04/16 (Sun) 22:49:58

 公式サイトやイベントで配布された資料からアニメ映画『ゴジラ』の内容が少しずつ明らかになってきました。正直、ものすごい内容となっているようです。なお、映画は三部作となり第一作目のタイトルは『ゴジラ 怪獣惑星』となりました(公開は11月予定)。

 ざっと述べると、人類は怪獣との戦いに敗れ、一部の選ばれた人間だけが別天地を求めて地球を旅立ったものの、ようやくたどり着いた移住先候補地は人間が住める星ではなく、再び地球に戻ることになります。しかし、リスクの伴う航行方法を採用したため、帰還した地球では2万年が経過しており、ゴジラを頂点とする怪獣惑星となっていたというものです。主人公はゴジラに両親を殺された青年で、地球を取り戻すための戦いを始めるというのが基本ストーリーです。

 これだけでも「うーん」と首をかしげてしまいたくなりますが、公開された情報だけでも疑問点が上がってきます。この映画のキャラクターには二種類の異星人がいるのです。地球よりはるかに優れた技術を有する彼らと友好関係にあるのですから、無理して地球に戻るよりも、否、そもそもはるか遠くの惑星を目指さなくても、どこか適当な惑星又は衛星を改造(テラフォーミング)するなり、スペースコロニーを建造するなりして定住した方が無難なのではないか?相応の理由はあるのでしょうが、異星人を登場させたため無用の疑問を生じさせています。

 また、「アニメジャパン2017」というイベントで資料が公開されたそうですが、そこには作品世界の歴史が語られています。カマキラス、ドゴラ、ダガーラ、ラドン、アンギラス、オルガといった怪獣が出現して人類を脅かし、その後に全ての怪獣を超越するゴジラが現れ人類を存亡の危機に陥れます。驚くべきはその被害者数。ゴジラが現れてから億人単位で死傷者が出たという設定です。「ゴジラってここまで凶悪だったかな?」と思ってしまいますし、もはや設定が暴走している感があります。また、中国に現れたラドンとアンギラスを倒すため、生物化学兵器「ヘドラ」を用いたとの記述もあり、さすがに頭を抱えてしまいました。やはり『シン・ゴジラ』が箍を外してしまったとの懸念は現実化したものと思われます。

 なお、私がこの内容を見聞きしてふと思ったのは、地球に取り残された人類はどうなってしまったのかということです。いまのところみんな怪獣に殺されたという可能性が高いですが、それではありきたりです。もしも彼らが何とか怪獣と共存する道を探し出して、どうにか平和に暮らしていたところへ、宇宙から自分たちの祖先を置いてけぼりにした者たちが戻ってきて、迷惑極まりない地球奪回戦を始めてしまったという展開なら面白いのですが。

 

 

Re: アニメ映画『ゴジラ』はどうなるか? 殿様ギドラ (男性)

2017/04/17 (Mon) 18:54:52

嗚呼。

アニメゴジラの情報もざっくりとは仕入れていましたが、そこまで詳しくは知りませんでした。

大まかな設定と導入部の劇展開から、怪獣を英米的なSFの枠にはめ込もうとする意図を感じていましたが、それどころじゃないですね。

印象としては、『ゴジラ・ファイナルウォーズ』をまたやるの?

というところです。

怪獣たちの名前と形(デザインには大幅な変更が考えられる・・)だけを流用して、怪獣映画ではないものを作るのでしょうね。

元々の設定や背景を無視した形でうじゃうじゃと怪獣を登場させるだけで、怪獣のスター性は薄れます。
そこにボスキャラとしてのゴジラですか。

怪獣と怪獣映画の歴史に疎い人が考えそうな設定です。

そして安易きわまりない、ゴジラに復讐心を持つ主人公、と。
(手塚昌明監督の影響でしょうか)

怪獣を生命体として人間と並列するのではなく、人間と対立する障害として扱うのでしょうか。
そこに小賢しい存在理由を付加するんでしょうか。

怪獣に意味づけを行って、それがテーマだ、とでも?

そうなるかどうかはわかりませんが、怪獣素人は怪獣そのものに意味(人類に対しての役割)を持たせようとしたがりますから。
84年版の準備のために書かれたSF作家たちによるプロットなんてゴジラに意味づけするために必死だもんなぁ。

とはいえ、アニメにする以上、王道の怪獣映画を作っても所詮実写にはかないませんから、
アニメっぽい飛躍性を取り込まないと成立しないような気もしますね。
(設定改変を認めるわけではありません)

とかなんとか考えると、アニメ「ザ・ウルトラマン」の後半部を思い出す・・・。
(頭いてぇ)

キングコング髑髏島の巨神 殿様ギドラ (男性)

2017/03/26 (Sun) 16:45:03

『キングコング髑髏島の巨神』、見てきましたよ。
 まだご覧になっていない方のために、内容はばらさないように簡単に印象を書いてみます。

 この映画、事情通ならご存じの通り、レジェンダリー版ゴジラと同じ世界を舞台にした物語です。
そして2020年公開予定の『ゴジラ対キングコング』への布石であり前哨戦です。

 第一に怪獣観が正しい。
あくまでも自然の驚異という扱いです。これは前作『GODZILLAゴジラ』と共通する思想ですが、
前作ではゴジラを核実験と切り離してしまったためにゴジラ本来の個性が薄れるという欠陥を招いてしまいましたが、
キングコングならなんら問題はないです。
(本作でも1954年の核実験はある生物を殺すために行われた、と核実験の非道をごまかすような発言はある)

 ただちょっと文句を付けるなら、怪獣たちは人類以前に地球を支配していた種族であり、モナークは再び怪獣が地球にはびこるのを
阻止するために活動しているという説明があって、その考え方はいたずらにゴジラ(怪獣)を人類と対立するものという概念に誘導するので危険です。
(日本のアニメゴジラもその考え方を踏襲しているらしい。これは平成VSシリーズが招いた間違いである)

 あ、それで、『GODZILLAゴジラ』でムートーの命名がなんか適当だったという苦情がありましたが、やはりそれは字幕の出来がわるかったのでした。
その後、『GODZILLAゴジラ』の吹き替え版を見たらMUTOというのが略語だったことがわかり、さらに今回の『キングコング髑髏島の巨神』ではっきりしたのは、
MUTO(ムートー)というのはモナークの用語で陸上タイプの怪獣を示す言葉だったらしいことです。
 あのムートーちゃんはムートーという種族名を付けられたのではなく、名無しの権兵衛だったということです。(それはそれでひどいけど)

 第二に武力で問題解決を図るという思想を否定していることが素晴らしい。
メインキャラクターに軍人もいるのですが、彼はアメリカンマッチョ思想を代表するような人物であり、部下の敵討ち、ひいては母国を守るため、と
コングを殺そうとします。その彼がどうなるか・・・。また、ダメなシナリオだとこういう人物を単純な暴力野郎にしてしまうところ、
ちゃんと情のある部下思いの軍人としているところがリアルです。

 映像面では、コングおよびほかの怪獣による大暴れや襲撃を、臨場感を持って描いているのがお見事。音響も7.1ch。
カメラは主観・客観を縦横に切り替えて観客を現場に立たせます。

 ストーリー上、人間が余計なことをしたからコングの怒りを呼んだのだとはっきり表明していますし、そのあたりは映像面でも感覚的に表現されています。

 キングコングマニアの方がどのように感じるのかはわかりませんが、本作のキングコングの性格付けはオリジナル版に非常に近いと思われます。
そして東宝コングへのオマージュまであって驚きました。

 それから日米協調も大事だと言いたげな出来事も織り込んであって、まあ、それはそうなんだけど、アメリカさん、そちらの政府は世界平和を願ってますか??と苦笑。

 んー、あんまり長くは書かないようにしましょう。
最後に、エンドロールが終わったあとに次回作につづくおまけシーンがあるので怪獣ファンは見逃さないように!

Re: キングコング髑髏島の巨神 - K4 (男性)

2017/04/02 (Sun) 18:55:12

ご無沙汰しております。
キングコング。
正直、やられた、という感じです。
逆に、私がこれまではギャレスゴジラの評価があまり高くなく、シン・ゴジラは楽しめた
と、なぜ思ったのかも見えてきました。
またコングを観ると、怪獣映画に求めているものが凝縮されていて
シン・ゴジラにはそこが欠如していることも明らかになってます。
私がシン・ゴジラを楽しめたのは、やはり怪獣映画としてではなく
80年代のアニメブームを原体験してきた世代以降の人間に共通する
オタク文化の土壌の上に成り立つものだと思いました。
またそれは昭和ゴジラとは全く別物であって、いわゆる平成ゴジラ作品の
ゴジラ観を極めたものなのだと思います。
あくまで個人的と断っておきますが、それでもシン・ゴジラはこれはこれで
作品としてはありだと思ってます。
ただ、従来のゴジラの名前を借り新しいものを作ったというなら
名前はとにかく伊福部音楽に頼らず、独自の世界観で突き進むべきだった、という
考えは変わりません。

今回のコングが、ギャレスゴジラの反省からなのか、はたまた
元からの世界観の設計なのかはわかりませんが、コングを通して、
この世界観が見えた事でギャレスゴジラの評価が自分の中であがりました。
シン・ゴジラはあの話の延長で次作を作ろうとしても、怪獣映画には
ならないと思います。
あのゴジラが最後の一匹だとは思えない、から広がった昭和ゴジラ。
そして、前の時代なのだけれどもギャレスゴジラの世界観をうまく補足し
更に次作以降の展開にうまくつなげたコング。
単体の作品として楽しんだシン・ゴジラより、今回のコングを観て
レジェンダリーのゴジラの展開の方がわくわくしている自分がいます
(中国資本になったことの影響がどうでるかは不明ですが)。


Re: キングコング髑髏島の巨神 殿様ギドラ (男性)

2017/04/05 (Wed) 16:19:07

K4さん、いらっしゃいませ。

単独の作品としての評価が分かれているとしても、『シン・ゴジラ』の中身が元祖ゴジラシリーズとは別物であるという点で一致できたことはうれしいです。

そこでレジェンダリーの怪獣世界(なんとかというシリーズ名がつけられていたみたい)がどう展開するか・・。

いずれにせよ、原典に忠実と言うことはないでしょうし、ハリウッド流のアレンジを加えるのでしょうけれど、
次回作が三大怪獣地球最大の決戦を模した物になるのは決定のようですね。

モスラの扱いをどうするんでしょう。
インファント島の設定には明確な反核思想がありますが、やはりそこは改変して、なかったことにするんでしょうか。
それから、キングギドラをちゃんと宇宙怪獣にしてくれるのでしょうか。
さらにラドンをゴジラと並び立つスター扱いにしてくれるのか・・・。

どうなろうと彼らの「大活躍」を現在のハリウッドクオリティで丁寧に映像化してくれたら、日本の怪獣もの(ウルトラ含む)よりずっと楽しめそうです。

などと、不安と期待がぐっちゃぐちゃですね。
(不安がいっぱいなのは東宝のアニメゴジラだ)

Re: キングコング髑髏島の巨神 - K4 (男性)

2017/04/07 (Fri) 23:18:10

シン・ゴジラは
・作品は鑑賞時は楽しんだ。
・鑑賞後は怪獣映画としては違和感が残った。
・新しいゴジラを作りたいと意気込むのであれば
 伊福部音楽は使わなかった方が、別の作品として割り切れた
 のに、という思いが消えない。
・映像は予算の制約のある日本でここまで出来た事は
 素直にすごいと思っている。
・・・だから何?というのがうまくまとめられない、と言ったとこで
思考が停止してました。

でも、ここでキングコングが出てきた。
>レジェンダリーの怪獣世界
モンスターバースですね。
憶測ですが、過去の地球では自分たちのテリトリーとして
陸上では髑髏島のコング、インファント島のモスラ他がいて
更に空中のラドン、海洋のゴジラが存在してバランスを保っていた。
そこに宇宙怪獣のキングギドラが来襲していたんじゃないかと
(モスラ3っぽいですが)勝手に想像してます。
前作、ムートーと呼ばれた怪獣も外来種なのかもしれません。
まったく的外れかもしれませんが、ギャレスゴジラが消化不良だった私ですが、
妄想が膨んでしまう、うまい世界観の設定だと思いました。
(今回、地下空洞世界の存在の可能性も示唆されてましたから、
環境変化で退避した他の何かが潜んでいるという展開もある?)

コングを観て思ったのが、
映像では、まだまだハリウッドには敵わない。
怪獣映画(自分なりの感覚ですが)としての満足度が高い。
モンスターバースの設定は私の好み。
というのと同時に、これまでのキングコングをこよなく愛してきたファンは
どう感じているんだろうか・・・
ということでしたが、ここでシン・ゴジラと今回のキングコングの違いを
感じたわけです。
同じ名前でこれまでの設定とはまったくの別物をつくる、その時の
過去作への敬意があるのか。
その差ではないか、と感じ始めています。


Re: キングコング髑髏島の巨神 - エクセルシオール (男性)

2017/04/08 (Sat) 22:16:59

 『キングコング 髑髏島の巨神』を私も観てきました。感想としてはまずまず良い怪獣映画だったと思います(管理人さんが挙げる美点にもほぼ同意いたします)。

 怪獣の元祖であるキングコングにもほぼ定着したイメージがありますが、本作品ではそれから大きく逸脱することなく、映画を観ながら「これでこそキングコング」とうなずかされる点が多々ありました。この映画はキングコングを「凶暴残虐な巨大猿」にしてしまうような愚かなふるまいはせず、基本的には穏やかな性格で弱いものには優しさを示す存在として描いていました(恩には恩で報いる姿も見られた)。これは良かったことだと思います。
 
 個人的にほっとしたのは髑髏島の先住民の描き方。ピーター・ジャクソン版では疑問を感じずにはいられなかった部分ですが(ほぼ意思疎通不能の野蛮人として描いていた)、本作品では私欲を捨てて悟りを開いたような穏やかな存在として描かれており(言葉なしで意思疎通が可能と言う設定)、彼らと共に暮らしていたマーロウ中尉が仲立ちとなり主人公達とも悪くない関係を築くことができました。
 キングコングシリーズにはどうしても文明社会から来た者(多くは西洋の白人)が上から目線で「未開社会」の先住民と交流するという差別的な要素が残存しがちです。でも、本作品ではむしろ文明社会の住人の方がよほど野蛮であるという要素を盛り込んであり、そこはベターなものであったと思います(この点は非西洋である中国の会社が製作に加わったことが良い方向に作用したのかもしれない)。

 レジェンダリー版ゴジラと作品世界を共有する本作品。何でも地球空洞説が事実らしいという面白い設定があるようです。ジュール・ヴェルヌの名作『地底旅行』以来SFの代表的設定ではありましたが、地球の中が岩をも溶かす高温の世界だという事実が知れ渡ってからはやや低調になっていました。そこをどうクリアするのかは見物です。もっとも地球内部が超高温だと分かってからも地底世界の存在余地を追求する作品(例えば大長編ドラえもんの第8作目『のび太と竜の騎士』。「薄い」地殻と言っても数十キロの厚さはあるので地底世界の存在は十分可能だとしていた)もあるので、全く荒唐無稽というわけではありません。

 さて、エンドロールが上がりきった後、この世界にはゴジラ、ラドン、モスラ、キングギドラが存在することが明かされます。どうなるのか分かりませんが、きちんとキングギドラは宇宙怪獣にして、モスラは高度の知能を持った守護神として描いてほしいです。また、インファント島を荒廃させた核実験の罪悪からも目をそらしてほしくないです。
 そして願わくばゴジラ・ラドン・モスラ対キングギドラで怪獣決戦を描いてほしいですね。

 

Re: キングコング髑髏島の巨神 殿様ギドラ (男性)

2017/04/12 (Wed) 17:37:22

 みなさま、どうもです。

 モンスターバースでしたね、レジェンダリーが構想する怪獣シリーズ。
マーベルスタジオがヒーロー世界に横のつながりを持たせて立体的にシリーズ化していることに触発されたんじゃないか、
などと言われていますが、
実は昔の東宝怪獣映画がやっていたことにも通じる考え方でもありますね。

 本多・円谷時代の特撮映画ではそれほど自覚的ではなかったにせよ、別作品に登場した怪獣を組み合わせることで、
一本ずつの作品では出来ない作品世界の広がりを作っていました。

 これもハリウッドに取られたか~、という思いです。

 ただ、レジェンダリーピクチャーズがどこまでうまくやれるかは今後の展開を見ていかないとわかりません。
昔の東宝のやり方は、作品同士の関連を限定しないことで自由度を上げていました。
 はっきりと繋がっていることを示したり、まるで無関係であるなどと規定しないわけです。

『ゴジラ』と『ゴジラの逆襲』は完全に続編扱いですが、では『空の大怪獣ラドン』は『ゴジラ』の世界と繋がっているのか?
劇中でゴジラに言及することはありませんし、『ゴジラ』と共通の人物も登場しませんから一般的な見方をすれば別の世界のお話と考えるのが筋です。
しかし、重要なのは、『ゴジラ』の世界とは切り離されていると断じるべき表現もないことです。
 これによってのちにゴジラと共演することが可能になっているわけです。
 ラドン以外の怪獣たちにも同様な曖昧さを残していたから、『怪獣総進撃』という企画が成り立ったと言えるでしょう。
(しかし、「総進撃」はモスラをインファント島から切り離してしまったのがまずい)

 レジェンダリーのモンスターバースは、モナークという人間側の組織ががっちりと縦糸になるようなので、
ひょっとすると怪獣対人間という図式の中でストーリーが行き詰まる可能性があります。
人間が怪獣を征服するのか、和解するのか、あるいは怪獣の勝利に終わるのか、みたいに終点を探ることになったらまずいです。

 怪獣とは自然の者。人間と自然の付き合いは終わることがないのですから、終点を決める必要はないはず・・・。

 さて、次回作、どうなるんでしょう。『キングコング髑髏島の巨神』エンドロール後のおまけシーンには、日本列島の地図にいくつかの地点が示されていたようでもあるし、
怪獣たちが洞窟壁画に描かれていたようにも見えます。やはり太古の昔、宇宙からキングギドラが襲ってきたことがあり、そのときゴジラ・ラドン・モスラ連合が地球を守ったのでしょうか。
そして、再びキングギドラの脅威が迫っているというところからお話は始まるんでしょうか。

 ううーーん、あるいは、有人金星探査をしてみたらキングギドラの落とし物(岩石)があり、それと知らずに地球に持ち帰ってしまったら金星の石がどんどん成長、
めでたくギドラ登場! なんてなーー。

 おっとキングコングの話を全然書いてないや。

 私も髑髏島の住民の描き方には好感を持ちました。ジャクソン版はほんとにひどかった。あの映画はどうにも体に合わなかったので劇場で一回見たっきりなんですが、
島の住民は意味不明に撮影隊に襲いかかってきて、さらに白人たちは原住民をばんばん射殺していませんでしたか?
 1933年のオリジナル版より一層白人上位思想が見えて気持ち悪かったのです。
 対して、今作ではエクセルシオールさんがおっしゃる通り、髑髏島の住民は科学文明を持っていないだけで高度な文化を持っているような描き方をされており、自然と調和して生きている人々という
扱いだったと思います。(ちょっと作り手は東洋的な神秘に憧れすぎているかも、と思いもしましたが・・)

 コング(今作ではまだキングコングではないらしい)が変なアレンジを加えられていなかったのは本当に喜ばしいことです。
レジェンダリーのゴジラよりずっと原典に近い。
 まあ、キングコングは基本的にはでかいゴリラなので(とはいえゴリラとは体型・姿勢など違いはある)あからさまなデザイン変更はやりようもなかったんでしょうけれど。

 このコングがキングコングに成長した暁、ギャジラ(ギャレスゴジラの略です)と戦うとなるとなんらかの追加設定は必要な気もしますねぇ。
帯電体質になっちゃう?


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