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ギドラの巣「新」映像作品掲示板

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ただいまゴジラ祭り開催中!
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『ゴジラ 星を喰う者』について - エクセルシオール (男性)

2018/11/14 (Wed) 22:38:00

 アニメ版ゴジラの完結編である『星を喰う者』について、とりあえず目立つものだけ問題点を列挙してみます(探せばいくらでもありそうだが)。この映画に関しては、完結編だしキングギドラもモスラも出るのだから何とか綺麗にまとめるだろうと思っていたのですが、観終わった後には憤懣やるかたなしという状況になってしまいました。

⓵キングギドラ
 メカゴジラのような肩透かしこそなかったのですが、登場したのは「金色のマンダ」みたいなものだけ・・・。「きっと三体合体してキングギドラになる」と信じて観続けたのですが、なんとそのままジ・エンド。スタッフは観客の期待を裏切ることに血道をあげている感がありました。

⓶怪獣決戦
 とにかくしょぼい。ギドラがゴジラに噛みついて巻きついて、ほとんどただそれだけ。マーティンとその助手の「実況解説」がなければとても間が持ちません。予告編で描かれたものから一歩も出ない対決は、観るものを大いに困惑させました。
 アニメならば実写よりもダイナミックな動きが可能になるはずだったのに、実写よりもスローモーになるのでは話になりません。これならばCGよりも普通の二次元アニメで作った方がよかったのではないかと思います(アニメ版『グリッドマン』の方がよほど迫力がある)。

⓷モスラ
 現実には登場せず。いるにはいるのですが卵のまま(なぜ孵化しないのか説明はない)。一応、ハルオを目覚めさせるためにマイナとマーティンに力を貸し、それが逆転につながったので存在意義は少なくありませんでしたが、肩透かし度が半端ありません。なお、蛾なのに「蝶々」と間違われていました。

⓸常軌を逸するほどの説明台詞の量
 映像で魅せることよりもキャラの台詞に頼りすぎ。メトフィエスの説教と、マーティンの解説講義が本作に占める割合は明らかに均衡を失したレベルでした。また、圧倒的多数の観客を置き去りにして哲学っぽい言葉や科学用語があふれかえる一方、それらの物語における意義は大して多くありません。

⓹女性キャラの描き方
 ユウコは結局脳死状態のままで、最後はハルオの道連れにされてしまいました。これでは「単なる嫉妬から暴走して自滅しただけの女」ではないか。モスラの超能力で蘇生すると思っていただけに、終始意識不明のままというのは扱いがひどすぎです。
 ミアナとマイナに関しては、突然脈略もなくハルオに肉体関係を迫るというまるでエロゲみたいな展開に絶句。しかも、それなりに親密に付き合っていたミアナではなく、マイナと結ばれたことはとてもついていけません。
 なお、この三部作の女性の描き方はどうにも昨今の作品とは思えないようなおかしな印象がぬぐえませんでした。

⓺アラトラム号の最期
 アラトラム号がギドラに破壊され乗員が全滅したことに関しては、安易にキャラを虐殺して話を終わらせた感が否めません。これならゴジラと戦わず最初から月か火星に定住すればよかったのにと思ってしまいました。なお、モーリ船長は最後までパッとしないキャラに終わってしまいました(ビルサルドと真っ向からやりあったハマモト副長の方が株が上がっていた)。
 
⓻落ちのつけ方
 映画から判断するのは極めて困難ですが(これ自体欠陥だ)、最後にハルオが自殺を選んだのは、ゴジラが健在で、文明が再建され、ゴジラを憎む「英雄」である自分がいれば、再びギドラがやってくるためだそうです。なるほど一応筋は通っていなくもないように思えますが、よく考えると無茶苦茶ですね。第一にこれではただの人間に過ぎず、ストーリー展開上も卓越したキャラとして描かれていたわけでもないハルオをあまりに持ち上げすぎでしょう。彼が死んだだけで問題が解決してしまうのですから。
 ハルオのなすべきことは多くの人を死に追いやった罪科を背負って苦悩しながら生き続け、そのうえで家族や仲間、未来世代への責任を果たすことでしょう。それをやって初めて「英雄」と言えるはずです。

⓼エクシフの行動原理
 全宇宙の知的生命体を全て滅ぼしてしまいましょうというのは全員がそう考えているとしたらイカレすぎでかえってリアリティがありません。
 考えてみればエクシフもビルサルドも本質的には異論というものがない。せっかく登場させた異星人なのに、スタッフは極めて平版な描き方をしてしまったのではないか。エクシフの元ネタであるX星人には「愛のために仲間を裏切った悲劇の女性」がいたのですが。
 そもそも「異星人」などこの作品に必要だったのか?かえって話をややこしくしただけのようにも思えます。
 
 率直に言って三作も作ってこんな映画しか作れないのかと思いました。ゴジラ映画としてもアニメ映画としても悲惨としか言いようのない出来映えです。これで当分アニメのゴジラは作れないのではとすら思えてきます。『シン・ゴジラ』とは別種のダメさに満ちた作品でした。

 なお、スタッフは懲りておらず、ハルオとマイナの子どもの物語だとか、もう一隻の移民船オラティオ号がスペースゴジラと出会う物語が構想されているようです(さすがに映画ではなく小説のようであるが)。その前に自分たちが何をやらかしたか反省すべきでしょう。
 後、アニメ版ゴジラはノベライズ化されており、既に前編『怪獣惑星』が角川文庫より出版されております(2作目の途中まで)。後編『星を喰う者』は12月末に出版予定で、ここで映画では明らかにならなかった設定を掘り下げるのだとか(他媒体による補完が必要な時点でおかしいだろう)。笑えることにこの小説版は「史上最高の怪獣小説」と銘打たれています。これは悪い冗談としか言えません(前編を読んでみたが、映画とほとんど変わらない。また、『怪獣黙示録』『プロジェクト・メカゴジラ』の設定もあまり活かされていない)。

 
 

Re: 『ゴジラ 星を喰う者』について 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/15 (Thu) 18:59:38

 お疲れ様です。大変充実した投稿に大感謝です。

 このアニメゴジラ三部作、人物の描き方が作り手が重要と思っている人物(宇宙人も含む)だけに力を入れていて、
名も無い人々に関しては無個性でありまさにその他大勢という扱いしかしていません。
 人物を活写した結果ストーリーが動いていくのではなく、想定したストーリーの流れに沿うように人物を動かしていると見えました。

 まあそのストーリーさえまったく出来の良い物ではないのですが、
筋運びのためにそれぞれの人物に役割を与えているだけで、生きた人物像を作っていないという印象を持ちました。

 そのやり方でも、もっと繊細に設定づくりや性格付けを行えば機能しないこともないのですが、
今作では登場人物を不自然に無理矢理行動させているように見えました。(ハルオの処遇に関してビルサルドがあれほど怒るのもヘンだし、それを懐柔するためと称して
ハルオが姿を隠すというのもなんかおかしいし、さらに姿を隠した結果どうなったのかも判然としない)

 女性キャラの描き方にリアリティが無いのもそのせいではないかと思われます。
地球人・エクシフ・ビルサルドの三種族にしても、「個」を無視して種族全体が一つの意思を持つかのように描いているのは同じ原因でしょう。
メトフィエスの説教など戯言同然なのに、その他大勢の人々はすぐに納得してしまう。←冒頭のナレーションで人とはそういうものだという決めつけを行っているけれど
それはもっと大きな社会のうねりに関わる話であって、あんな小集団に適用できるものではあるまい。
(ただし、その中でストーリーを動かす役割を与えられた者だけが自分の意思を持っている)

 それから、教えていただいてびっくりしました。
>最後にハルオが自殺を選んだのは、ゴジラが健在で、文明が再建され、ゴジラを憎む「英雄」である自分がいれば、再びギドラがやってくるためだそうです。

 なんという強引な言い訳!! そんな理由だとしてもまるで筋が通らないのに。
映画から私が感じたのは、木ジラ討伐隊がフツアと同化し、たとえ木ジラが存在していても生活に問題はなく、もはや木ジラ退治には意味が無くなったにもかかわらず、
ハルオ自身の中には木ジラに対する復讐心が居座っていて折り合いがつかず、苦悩の挙げ句死を選んだのだろう、ということでした。
ヴァルチャーに乗って突っ込んだことにはテクノロジーの復活を止めようとする意図があったかもしれないとは思いますが・・。
もっと穿って考えれば、生きることが勝つこと、というフツアの考えに対して、勝つばかりでいいのかとかなんとか言ってましたから、自殺の勧めとも受け取れますね。
高等生物は自殺だって出来るんだぜ、と。(私も知性が足りなければ自殺なんかしないと思いますが、自殺が偉いとも思わない)

 最後に、昨日のレス記事にひどい勘違いで書いてしまったことがありました。

>エンドロールを見て奇異に思ったのですが、
ノベライズとして「怪獣惑星」しか表示されておらず、「プロジェクト・メカゴジラ」は無視されていました。

 恥ずかし-。一作目のとき出版された本のタイトルが「~怪獣惑星」だったと思い込んでいました。
以前エクセルシオールさんが今作に合わせて出版される本の話を教えて下さっていたのにそのタイトルを忘れ、
さらに一作目のときの本が「怪獣黙示録」だったことを完全に忘れていました。

 三作通じての全体感想もまとめようと思っていますが、もうちょっと時間がかかりそうです。
次回はギドラに関する疑問を書いてみたい・・・。

エクシフ(ネタバレあるよ) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/14 (Wed) 20:18:07

「星を喰う者」においてストーリーを引っ張るのは異星人エクシフでした。

 そこでエクシフの動きを考えてみます。

 彼らは高度に発達した科学力を持つようです。
そして、ゲマトリア演算という未来予測技術まで開発したことになっています。
ゲマトリア演算によって宇宙の未来を予測してみたら、宇宙は無限ではなく宇宙にも終焉があることを知りました。
(その可能性は現在の地球人の宇宙論でも示唆されていると思うんですが、ま、いいや)

 いつかすべてが滅んでしまうなら現世の努力は無駄と絶望したのか、滅びの向こう側に救いを求めて、
高次元存在(ギドラちゃん)に種族ごと滅ぼしてもらいました。

 しかし、宇宙には他にも知的生命体がいるので、彼らも救ってやるために一部のエクシフは現世に残って
知的生命体根絶大作戦を展開しています。
 文明が進むとその星には怪獣(ゴジラと限定したかもしれない)が出現するので、
そのときを見計らってゴジラと惑星をまるごとギドラちゃんに喰ってもらうという方法です。

 それからどの時点の話か分かりませんが、地球に怪獣が出現するより前から地球人に興味を持って観察していたとのこと。


 という理解でよろしいでしょうか。映画を見ただけで、パンフレットは読まない状態での解釈です。
(間違いがあったらご教示下さい。ただし、映画の中から読み取れる情報限定でお願いします)


 このエクシフのバックグラウンドがまったく理解できませんでした。

 まず、高度な科学は理性的な精神から生み出されるものでしょう。
それが、宇宙に限りがあると知って種族的に自殺を図るとはどういうことなんでしょう。
一部の狂信者がそんな動きをしたというなら話は分かりますが、エクシフ全体の話ですよね?
蓋然性が低すぎるでしょう。

 それから滅びの向こうの救いのためと称して生命体を絶滅させるのだとしたら、
知的であるかどうかは関係ない話ですし、知的生命体に限るのだとしても怪獣が出現するまで待つ必要もないでしょう。
ギドラちゃんは怪獣を喰いたいのだという理屈を付けるのでしょうか。
その理屈の欠陥はギドラちゃんの話の時に書きましょう。
 ギドラと怪獣がセットにならなければならないのだとしても、ならば21世紀に怪獣たちと木ジラが大暴れしたときこそ、
ギドラを呼び出す最良のタイミングだったはずです。

 なぜそのときギドラを呼ばなかった??
ハルオがまだ子供だったから? ハルオ以外に使える人間がいないという理由は? そもそもハルオはギドラ呼び出しにどんな役割を果たした??
劇中のセリフでくどくどと説明されていたのは、人々の意識はハルオを精神的な拠り所としているが、実際に呼びかけ語るのはメトフィエスであり、
みんなメトフィエスの言いなりになっているとかなんとかでした。(正確な文言は覚えていません)
 で?メトフィエスは人々をどうした? なんだかギドラの生け贄みたいに使っているようでしたが、それ、ハルオがいなければ出来ないことですか?
実際、アラトラム号内ではハルオ不在のまま別のエクシフが信者を集めて集会を開いていたではないですか。

 それから、地球人はなにが特別なの?
 ビルサルドはギドラちゃんのターゲットにならなかったの?

 何も分かりません。納得できません。

水野じゃないハルオちゃん 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/12 (Mon) 18:53:17

「星を喰う者」のように突っ込みどころが多すぎてめちゃくちゃな作品に対しては、どこから切り込めばいいのか迷ってしまいます。

 ストーリーの縦軸としては、主人公ハルオの妄執がすべてを動かしているのですから、まずはハルオくんの話をしましょう。

 最初から理解できなかったのは、彼がなぜあそこまで木ジラに復讐心を持つのか、ということでした。
親を木ジラに殺されたと思い込んでいるのはわかりますが、まさに「星を喰う者」でフツアの娘(双子の内どっちなのかもうわかりません)が言うように、
天災に対しては憎しみだの復讐だのはないわけです。
 彼がその認識に至れなかった理由が分かりません。

 そんなハルオを人々の心を掴む存在になる、と判断したメトフィエスもどうかしてます。

 いつも緊張状態で冗談の一つも言わず、退くことを知らず、「ぐぉ~じら~」と怒ってばかりいる陰気な人間にカリスマ性が宿るものでしょうか?
三作通じて彼のたたずまいが不愉快でしょうがなかった。
 いまどきはあれがかっこいいのでしょうか。

 まあ、これはエクシフという宇宙人の項でお話しすべきことかもしれませんが、
ギドラを呼び出すためにハルオが必要だみたいな話もありましたが、え? ギドラが出てきたとき、ハルオはなにかしましたっけ?

 ハルオが木ジラ討伐隊の精神的な主柱になったとかなんとか説明をつけていますが、先行作で兵士達に向かって「やるしかねーんだ」と演説をぶったぐらいのもので、
まあ、あの演説もさして説得力があるとは思えませんでしたが、その程度のことで特別な存在になるんでしょうか。
(ナノメタルに取り込まれなかったのはハルオだけではないし、彼に何か特別なことがあったわけではないでしょう)

 そして、この最終作において悪い方向での驚愕のラストとなります。
たしか、ハルオの成長を描く物語だという触れ込みだったと思うのですが、彼はついにまったく成長せずにエンディングを迎えます。
ネタバレを避けるためなにがどうなるのかはいまは書きません。

 にしてもあれはひどい。
人として愚劣だ。
 そりゃ、試写を見た人がぼーぜんとするわ。

ハルオは主人公としてまるでダメだ - エクセルシオール (男性)

2018/11/13 (Tue) 20:29:27

 私も先日この映画を観賞しましたが、確かに問題点が多すぎて、どこから切り込むべきかわからない作品です。

 ハルオ・サカキに関しては、そもそも主人公として根本的にダメなのではないかと思ってしまいました。この映画でハルオの成長などというものが果たしてあったのか?
 通常の主人公なら一度ひどい目に合えばそれを契機に成長するものですが、ハルオの場合やることがどんどんおかしくなっていった感があります。

 本作品の最後にハルオがとった行動に至っては、「お前には夫として親としての責任があるだろう。何でそんなことをする」と思ってしまいました。また、人の文明がおかしな方向に行かないように努力する責任もあったはずで、行動原理がめちゃくちゃです(あれではただの逃避だ)。

 なお、彼とマイナがくっついたことも違和感を覚えました。ミアナならともかく、ハルオはマイナとそこまで親しかったですかね。本編で必要なシーンであったとも思えず、理解に苦しみます。

 スタッフは作品外でいろいろと言い訳をしているようですが、作中で示されなければ意味がありません。信じられないほどの分量の説明台詞を割愛すれば(メトフィエスの説教と、マーティンの解説がやたらと多い)、キャラを充実させることはできたはずです。

 私はハルオの両親(ハルカとアキラ)が残したメッセージがハルオに届き、それが彼を人間として立ち直らせるという展開を予想していましたが、そうはなりませんでした(回想が少しあっただけ)。ハルオの両親が実はゴジラに殺されていなかったという前日譚小説の設定は、結局何の意義もなかったことになります。やれやれ。

 三部作全てを観賞しましたが、ただいま虚しい気分でいっぱいです。あのスタッフ(特に虚淵玄氏)では期待しない方がいいという当初の不安の方が的中してしまいました。正直、映画館を出た後に無性に『ゴジラ対メガロ』が観たくなりました。過去も現在も「最低ゴジラ映画」と言われ続けている作品ですが(なお、私はそこまで低評価ではない)、少なくとも不快な気分にする映画ではありませんでしたし。

 

Re: 水野じゃないハルオちゃん 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/14 (Wed) 20:15:58

>「お前には夫として親としての責任があるだろう。何でそんなことをする」

 まったくおっしゃる通りです。
さらにいくら脳死状態だったとしても、ユウコまで道連れにする権利があるとは思えません。
なんとも無責任、自己中心的です。

 それから、エンドロールを見て奇異に思ったのですが、
ノベライズとして「怪獣惑星」しか表示されておらず、「プロジェクト・メカゴジラ」は無視されていました。
なにか裏事情がありそうな・・・。

『ゴジラ対メガロ』、いまとなっては愛おしさすら感じます。
 封切り時には憤激してその後のメカゴジラ二部作を見ない(もうゴジラ映画はダメになったのだと思い込んだ)ほどだったのですが、
初めて『対メガロ』を下回ったんじゃないかと思ったのは『vsスペースゴジラ』。
そして確実に自分の中で『対メガロ』を下回ったのはその名も高きGMKでした。
 そのあとは・・・・。そして今回のアニメシリーズの空虚さにはもう、ぶっちぎりの最下位を与えてもいいでしょう。
(でも、ゴジラと名付けられた怪獣のダメさはGMKの白目やちんごじらよりはマシでしたが)

東宝がゴジラシリーズのクリエイターを募集しています - なんじぇい (?)

2018/11/13 (Tue) 15:51:25

アニメゴジラシリーズの失敗から危機感を覚えたのか、東宝がゴジラシリーズのクリエイターを本気で募集しているようです。

https://gemstoneaudition.com
>東宝株式会社とAlphaBoat合同会社は、多様なジャンルの有能なクリエイターの発掘を目的として、世界に誇る日本の大怪獣「ゴジラ」をテーマに次の要項でGEMSTONEクリエイターズオーディションを実施いたします。

入賞特典は賞金総額300万円や東宝プロデューサーとの新規企画開発等が入っており、かなり本腰を入れていると思えます。

ギドラ様も応募してみてはどうでしょう? ゴジラシリーズを変えられる最大のチャンスかもしれません。

Re: 東宝がゴジラシリーズのクリエイターを募集しています 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/13 (Tue) 18:44:38

 これはチャンス!
と思いましたが、むむむ、募集要項を読んで意気消沈。

 まずシナリオの募集がないこと。
実写作品の募集はありますが、締め切りが来年2月末では実写のストーリー作品を製作することなど不可能。
(おそらく短編のイメージ映像的なものの応募を想定しているのでしょう)

 どうもストーリーを発案する才能は求めていないようですね。

 致命的なのは、応募の段階で知的財産権を持って行かれてしまうこと。
 入選・入賞作のみ募集会社に帰属するという話なら聞いたことがありますし、
もっとちゃんとしたコンテスト、小説などの場合だと入賞作品だって当然著作権は作者のものであり、
出版されれば相応の印税を払ってくれるのが当たり前。

 人材を求めているとのことですから、オーディション用に作った物は取られて当然と思え、ってことなんでしょうね。
 でもなぁ、そういうところが日本の悪習なんじゃないでしょうかねぇ。
たとえ相手が素人でもなんらかの創作物・創作者にはもっと敬意を払うべきでは??

Re: 東宝がゴジラシリーズのクリエイターを募集しています 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/13 (Tue) 18:55:37

もう一個。
>運営上の都合により、予告なく本オーディションを中止し、または応募規約等を変更する場合がありますので、あらかじめご了承ください。

ですって。
応募規約を変更するとはどういうことか。
規約に沿って応募しても、そのあと変更された規約に合致しなければ審査の対象にならないということでしょう。
契約を結んだ後で契約書を書き換えるのと同じ事じゃないですか。
やな感じ。

GODZILLA星を喰う者、あるいは賢ぶりたいボンクラの空疎な妄想 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/09 (Fri) 18:20:16

 まず初めに、「怖い」と「憎い」は別のこと、と劇中で言わせたのはよかったです。
(ただし、憎いという概念を持たない種族だと言わせたことは失敗で、それは第二作での描写と矛盾する)

 と、一点だけの美点を書いておきまして・・・・。

『GODZILLA星を喰う者』、なんすかありゃ。
 思いついたアイディアの煮詰めが甘くて不可解なところばかり。
説明に納得できないのでドラマに入っていくことが出来ません。
いや、そもそも尺の割にドラマが薄くてほとんど味がしない。
一年かけて、上映時間にして4時間半もかけて、たったあれっぽっちの内容しか持ち得ないとは驚き桃の木山椒の木です。

 さらに今作ではこれまで以上にスペクタクルもアクションも無い。
説明台詞を延々と聞かされるだけ。

 映画において観念を伝えるとは、その観念を言葉(セリフ)で説明することではなく、劇中の出来事に、伝えたい観念から導き出される事象を織り込むことである。
それが出来ていない。

 そして、これは怪獣映画として企画されたものではないのですか?
結局ラストバトルは、登場人物が精神感応でつながることで生じた地球人対宇宙人の脳内バトルになっている。
怪獣同士の戦いには何も見るべき物がない。

(もうね、ゴジラじゃないとかキングギドラじゃないとか言う話は二の次ですよ。もちろん両者とも改変されすぎて見る影も無いわけですが)

 細かい話は後回しにします。今日はこれだけ。
(まさかこんな映画が世間で評判になるはずはないので、ああだこうだ書く必要も無さそうですが、まあ、思うところは出来るだけ書き残すようにします) 

一応東宝によれば…… - なんじぇい (?)

2018/11/09 (Fri) 19:16:23

感想ありがとうございます。

>そして、これは怪獣映画として企画されたものではないのですか?

https://gigazine.net/news/20181108-godzilla-the-planet-eater-interview/
このサイトによれば、東宝から「このアニメ版ゴジラは怪獣プロレスにはしません」という方針があったそうです。
観念的なものにするとかなんとか、という製作陣の発言もあります。
なぜ東宝はこんな方針にしたんだ……と首を捻るばかりですが。

もっとも、私はまだ観ていません(近いうちに観ます)。
しかし巷の映画評価サイトやブログの感想を見る限り、歴代最悪の酷評の嵐であり、戦々恐々としています。
まさかエメリッヒゴジラよりも巷の評判が悪いゴジラ映画が出現するとは、想像だにしませんでした。
もういっそ、時間と金をドブに捨てるくらいなら観ない方がよいのかもしれません……

まあ、2作目と同じくらいの出来を覚悟して観に行くつもりです。

Re: GODZILLA星を喰う者、あるいは賢ぶりたいボンクラの空疎な妄想 - 海軍大臣 (男性)

2018/11/11 (Sun) 11:29:59

 アニメ三部作は一切見ていないので、とやかく作品について述べる権利は持ちませんが、取り敢えず一言だけ。

 今回の作品を初日に見たという若い友人が、
「自分はエヴァンゲリオンは好きではないが、ゴジラ三部作を見てしまうと、劇場版エヴァって結構凄いんじゃないか、なんて錯覚を覚えてしまった」
 などと云ってるのを耳にして、正直、ゲンナリしてしまいました。特撮ファン、ゴジラファン、アニメファンの誰からも祝福されない作品が可哀そう過ぎます。そんな作品を「ゴジラ」の名前を冠して作る必要があったのかな、との疑問を禁じ得ないでいるのが正直なトコロです。

 ところで話は変わりますが、その若い友人に言わせると、フィギィアショップなどで売っているウルトラアイの1/1レプリカを椅子の上に置いて、そのまま腰かけて、「キャッ!」とワザとらしく驚くのが昨今の特撮ファンのトレンドだとか。確かにそんなバカなことでもしなければ、やってられない状況なんでしょうね。
「ウルトラアイ、だ~い好き!」

Re: GODZILLA星を喰う者、あるいは賢ぶりたいボンクラの空疎な妄想 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/11/12 (Mon) 18:48:31

>なんじぇいさん

 ご紹介頂いたスタッフお三方のインタビュー記事をざざっと読んでみました。
激しく反発を感じたのは、ゴジラをご存じというお二人が、ゴジラを知っているとこうなる的に挙げていた例が、
旧作にあったイメージをただ引き写すことでしかなく、宇宙人がX星人みたいなサングラスをかけるだの、
スーパーXやらメーサー車やらのイメージを持ってくる話をしていること。

 それこそ、ヲタクだ。
作品の中身(シリーズ作であるなら劇中の歴史や登場キャラクターの設定)や精神性を引き継ぐのではなく、そのうわべだけをなぞって見せて、
マニアだとこうなっちゃうよね、みたいにおっしゃっているのにはあきれました。
そのような発想はマニアではなく、ヲタクなのだ。

 実際には怪獣を知らない監督の顔色をうかがってブレーキをかけたとのことですが、
そのあたりの発言でうかがえたのは、
このアニメ木ジラシリーズは、従来の怪獣映画とは違うものにするという方針の下、
最終的に怪獣がわからない人に向けた映画になってしまったということです。

 これは新たな怪獣ファンを開拓することにはならず、もし出来が良かったとしても、怪獣とは関係ないところで評価されるものになったでしょう。

 東宝が怪獣プロレスをやめる、と言ったにせよ、それはぜんぜん大胆でも何でも無くて本多・円谷時代(二人の作品ということではなくてその時代の他社も含めて)
には前例がいくらでもあります。
 そこで考えなければならないのは、なぜ怪獣映画が怪獣同士が対決する物語に収斂していったのか、ということなのに、
そんな考察もないまま、高尚な怪獣映画を作ろうと考え、厳かに見せようとして躍動感のかけらも無い怪獣を登場させてしまったのでしょう。

(そもそも怪獣プロレスなどという用語は怪獣映画に理解のない大人が言い出したことであって、怪獣対決映画であってもプロレス的な組み合いを見せる作品ばかりではない)

 おっとっと、作品から見えたものだけを問題にするという基本方針を逸脱してしまった・・。

>海軍大臣さん

 東宝がゴジラの名前で商売しているだけ、というのがどうにもこうにも歯がゆいです。
裁判でどんな判断が下ったのか聞こえてきませんが、ゴジラは東宝がすべての権利を握っているキャラクターだ、というお名前失念の東宝プロデューサーさんの発言もありまして、
東宝さんはゴジラを使って何でも出来るとお考えなのでしょう。
利権の問題はともかく、信義の問題としていま東宝がやっていることは正しいとは思えません。
それは、円谷プロにおけるウルトラシリーズも同じ事で・・・・。

東映が久しぶりに怪獣ものを作るらしいです。 - エクセルシオール (男性)

2018/10/29 (Mon) 21:55:46

 東映特撮作品を配信する東映特撮ファンクラブがオリジナルの怪獣ドラマ『シリーズ怪獣区 ギャラス』を制作するそうです。とはいえ、中身が何なのかは定かではないですし、そもそもテレビ放送があるかも不明です。

 従来、東映は巨大怪獣、巨大ヒーローが登場する作品よりも、スーパー戦隊や仮面ライダー、メタルヒーローといった原則等身大のヒーローに力を入れてきました(戦隊ものでは怪人が巨大化しますが)。巨大怪獣が出てくる作品というと、『キャプテンウルトラ』など数えるほどしかなく、確か『巨獣特捜ジャスピオン』が最後だったと思います。
 
 東映にとって今一つ不得手である分野に挑むとは、なかなか勇気が必要であることだと思います。とはいえ、ジャンルの活性化という観点からは良いことでしょう。放送形式の制限性という問題はありますが、興味深い試みだと考えます。

 
  

Re: 東映が久しぶりに怪獣ものを作るらしいです。 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/30 (Tue) 18:44:06

 おもしろい試みですね。(全然知りませんでした)

 東宝・円谷系が過去の遺産を食いつぶしていることへのアンチテーゼみたいになればいいのですが。
(新怪獣を使って、本来の怪獣観を表現する)
まあそこまでの期待は出来ないでしょうけれど、既存の怪獣をいじり回すよりはずっといいでしょう。

 怪獣デザインがどうなるかも気になりますね。
ハリウッドのクリーチャーみたいな「新」怪獣は見飽きました。

 しかし、配信しかしないのだとしたら、うーーん、見るかどうか・・・。

これって仏縁? - 海軍大臣 (男性)

2018/10/28 (Sun) 17:35:31

 まったくの無信心な人間ながら、本日、家の仏事の関係で近所のお寺へ行きました。時間が空いたので、本堂の入り口に置かれてあった小冊子を何気なく捲っていて驚きました。
 その冊子は「浄土真宗・唯 yui」秋号(VOL.31)というものなのですが、何と円谷監督の師匠筋に当たる枝正義朗監督の特撮映画【大仏廻國 中京編】に関する記事が掲載されているじゃありませんか! この映画は日本でも大ヒットしたRKO版【キングコング】の影響を受けて昭和9年に作られた、日本初(?)の本格的特撮映画と呼ばれる作品で、しかもフィルムの現存しない幻の作品でもあります。
 このコラムを書いている方は、映画に登場する聚楽園大仏を建立された実業家の曾孫に当たられるのだそうです。兎も角、滅多に取り上げられることのない作品ですので、ご興味のある方は近くの浄土真宗のお寺に問い合わせてみられるのも良いかと思います。
 

Re: これって仏縁? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/29 (Mon) 18:46:34

 意外なところで意外な情報ですね!
お寺に配布される冊子なんでしょうけれど、市販はされていないようで・・。

 うむー、どこかで読めないものか・・。

 こんなブログは見つけましたが、内容までは書かれていません。
https://tokuyouji.wordpress.com/2018/09/20/%e3%80%8e%e6%b5%84%e5%9c%9f%e7%9c%9f%e5%ae%97%e3%83%bb%e5%94%af-yui%e3%80%8f-%e7%a7%8b%e5%8f%b7%ef%bc%88vol-31%ef%bc%89/

ゴジラVSエヴァをやるみたいです。 - なんじぇい (?)

2018/10/24 (Wed) 22:54:24

ゴジラとエヴァンゲリオンがコラボ、USJにシアターアトラクション登場
https://www.cinematoday.jp/news/N0104434

まだ詳細は発表されていませんが、VSと書いてますのでまず間違いないでしょう。
こういうコラボものはよほどうまくやらなければ双方は得しないでしょうが、その辺が凄く不安ですね。

ちなみに本当にシン・ゴジラとエヴァンゲリオンが戦ったら、エヴァンゲリオンが圧勝するでしょう。
N2爆弾(核に匹敵する威力を持つ放射能が出ない爆弾)をバリアなしでまともに受けて無傷の第10使徒を、初号機の疑似シン化第1形態はメタメタにして倒しています。今はそれより遥かに凄まじい13号機の疑似シン化第3形態がありますから、シン・ゴジラは手も足も出ず即座に蒸発する結末しかありません。
ギャレスゴジラやバーニングゴジラと戦わせたら良い勝負になるかもしれませんが、まず戦わせる理屈から考えなければならないでしょう……(双方が戦う理由が希薄)

こういう『夢の対決』というものはどちらかに大きな下駄を履かせなければならないパターンがほとんどですし(『キングコング対ゴジラ』がその典型例)、そもそも設定で無理が生じることが多いです。
双方のファンが喜ぶのか? という問題もあります。
なので慎重にならなければいけないのですが、その辺りがどうなのかとても心配です。

Re: もう、メチャクチャでござりますがな… - 海軍大臣 (男性)

2018/10/26 (Fri) 01:43:54

 エヴァのことは良く知らないので感想は書けませんが、先日以来、某イベント用に初〇〇の特撮シーンだけがリメイクされているとか云う噂も頻々と聞こえてきています。先人たちの残した遺産が出涸らしになるまで使いまわしされてるみたいで、何とも悲しい気分です。


Re: ゴジラVSエヴァをやるみたいです。 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/27 (Sat) 18:28:59

 USJのアトラクションとなると、まあ、それぞれの設定などは緩く考えてお遊びとして成立させるのでしょう。
 『シン・ゴジラ』に登場したあれ(ちんごじら)をゴジラとして運用することに抵抗がありますけど。

 それより、
>初〇〇の特撮シーンだけがリメイクされているとか云う噂
が気になります。

 結局、過去の遺産のネームバリューに乗っかっているのに、
そもそもの原点を大事にする姿勢があるのかどうか。
 もし、ひょっとして、初◯◯の劇中映像がその演出的側面(構図・カット割り)をまるまるコピーして、現代の映像技術で再現されるという試みならば、なんらかの価値はあるかもしれません。

 映画映像に鈍感な人は特撮映画を見るときに、
ミニチュアバレや合成バレといった技術バレがあることで昔の作品はしょぼい、時代遅れと考える節があるようです。
(もちろんバレないほうがいいのだけれど)
 当時の技術限界をクリアした形で初◯◯の映像が再現されたとき、
いかに映画演出として優れていたかを感じてもらえるかも知れません。

(ちょっと違う例かも知れませんが、森田芳光が『椿三十郎』を旧作と同じシナリオで再映画化したとき、演出面が黒澤明とは別物だったので、悲惨な結果になりましたね)

指導物語 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/24 (Wed) 18:48:23

 日本映画専門チャンネル鉄道映画特集で放送された『指導物語』(1941東宝・熊谷久虎)を見ました。

 支那事変後、対米開戦以前の日本が舞台です。
 おおよそのストーリーは、蒸気機関車の機関士が陸軍の鉄道隊(正式名称はちとわかりません)兵士に操縦を教えるというもの。
当時、訓練のために兵士を鉄道会社(国鉄か)に派遣する制度があったようです。
 国策映画の色が濃く、主人公の老機関士は兵士の教育係から外されたことをやけに不満に思っているし、
彼の三人娘は訓練兵に対してやたらと好意的だったりします。(兵隊さん、かっこいー、てな感じ)
 戦死者の遺骨が帰ってくるシーンなんかがあって、戦争の悲劇も押さえているなぁ、なんて思うと、直後に
日本が行っている戦争の大義を延々と軍人が演説するシーンが出てきて、やっぱりお国のために死になさいというわけか、と時代を感じるのでありました。

 てなことは本論ではなくて。
 機関車を操縦するシーンには背景をスクリーンプロセスで表現したシーンがあり、この時代の東宝作品でスクリーンプロセスと言えば・・。
なんて怪しんでいると、出た!!!
 列車の運行はほとんどが本物の実写なんですが、夜景や雪景色での列車遠景は見事なミニチュア特撮となるのだった!

 竹内博さんによる作品リストには出てこないものですが、これは円谷英二によるものと思われます。
まさか奥野文四郎単独ということはないでしょうし、映画全体のラストカットは富士山に雲がかかっていくという絵画的なイメージカットで、
それもミニチュアで表現されています。(可能性としては富士山の写真をバックに手前にスモークを焚いたのかもしれないが、富士山の立体感は造形物と思われる。モノクロであり、フィルムの劣化による解像度の低下で判然としない)
このセンスは、円谷英二ではないのかなぁ??

次のゴジラ映画ベストメンバーとは!? - なんじぇい (?)

2018/10/19 (Fri) 12:31:04

2021年以降に作られるであろう日本のゴジラ映画で、誰が一番適任なのでしょうか……というお話です。
本当なら円谷英二さんや川北紘一さんなどを言いたくもなるのですが、既に亡くなっておられる方はもうどうしようもありません。これからのことも考えるべきだと思うのです。
監督・脚本・特技監督の3人でお願いしたいです。

ちなみに私は……
監督……大河原邦男さん
大森一樹さんとは良いコンビを組んでいた印象です。最近は全く映画に関わっていないので、そこだけは心配です。無理なら、他に誰が良いのかかなり迷います。

脚本……大森一樹さん
ゴジラ映画をもう1本やりたがっておられるようですし、何度もVSシリーズに関わられたベテランなので、ご本人の信条通り手堅いファミリー映画を作ってくださるのではないでしょうか。

特技監督……田口清隆さん
『ウルトラマンX』から特撮に関わられた方です。ここから新ウルトラシリーズの特撮は大きく向上したと思っています(ギンガS以前からは大きく変わっている)。
映画秘宝を読む限りでは本人も特撮のゴジラ映画をしたがっているらしく、なかなかな特撮をしてくださると期待しています。

こんな感じです。


ちなみに『シン・ゴジラ』の間邦夫教授役の塚本晋也さんがゴジラ映画の監督をやりたがっておられるそうです(対戦怪獣にものすごい新怪獣を出したいとか)。
『鉄男』などの彼の作品を見るにちょっと不安ですね。

Re: 次のゴジラ映画ベストメンバーとは!? - 海軍大臣 (男性)

2018/10/20 (Sat) 16:11:17

 私も脚本は大森一樹監督で異論はありません。欲を云えば、ベタなハリウッド映画からの引用は避けてもらいたいところではありますが、あれも大森脚本の持ち味ならば「アリ」なのかも知れませんね。

 本編監督は以前にもここで書きましたが、原恵一監督のゴジラ映画が見たいと思います。アニメ畑の出身ながら、地に足の着いた堅実な作品作りが出来る方だと判断しています。私などはその昔、「のび太のパラレル西遊記」の同時上映で観たこの監督の劇場版「エスパー魔美」を見て、その完成度の驚嘆した覚えがあります。また面白いことに御自身は若い頃にはアニメにはそれほど興味がなく、むしろ木下恵介監督などの実写作品への嗜好が強かったと聞きますから、昨今のアニメ畑出身の監督連中とはベースになっている部分が丸っきり異なっているようです。そして何よりも監督自身、ゴジラは大好きなジャンルだと聞いていますから、相当面白いものに仕上がるのではないでしょうか? ただ前作「百日紅」の製作時に体調を崩されてと聞いているので、それだけが心配です。

 特撮監督は樋口真嗣さんで良いのではないでしょうか?平成ガメラで見せてくれた特撮映像は、我々が若いころに夢中になった川北監督によるTVの枠を超えたミニチュア特撮の拡大再生産を実現したものとして評価できると思います。飽くまでもCGなどのデジタル技術は補助的な手段に留めて、精緻極まる日本特撮の神髄をスクリーン上に再現して頂きたいものです。また、樋口監督は前出の原恵一監督を大変にリスペクトしていると仄聞していますから、本編/特撮間のバランスを取る上でも恰好のコンビネーションとなると想像されます。嘗ての平成ゴジラシリーズも、初期には大森監督がしっかりと編集権を握って川北監督をリードしていた時期は良かったのですが、本編監督とのパワーバランスが崩れた途端に冗漫な作風になってしまった気がします。

Re: 次のゴジラ映画ベストメンバーとは!? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/22 (Mon) 18:38:45

すっかり遅レスになってしまいましたね。
すんません。
それで・・。

 なかなか難しいテーマでございますなぁ。

 私の案としては・・。

 本編監督は沖田修一氏でどうか、と思います。
 これは賭けみたいなことになりますが、『南極料理人』や『横道世之介』に見られる人間描写の的確さは、本多猪四郎監督に通じるものがあるのじゃないかと期待します。
スペクタクルのセンスがあるのかどうかが未知数なんですが、そこは特技監督に補佐してもらうということで・・・。
近年の特撮をウリにした映画はどうも人間心理のリアリティに欠けるものが多く、それが作品を壊しているように思うので心理を大事にする監督にお願いしたいです。

 そして、特技監督には清水俊文さんでいかがでしょう。特殊技術担当作品は『マリと子犬の物語』一本しかないのですが、特撮の現場は熟知しておられますし、
『マリと子犬の物語』での地震特撮は短いながらも「特撮映画」の味わいを感じるものでした。本編との連携もうまくいっていたと記憶します。

 音楽は和田薫さんで。和田さん自身の作品は劇伴を含めてもほとんど知らないのですが、伊福部音楽への造詣の深さと劇伴音楽のベテランということで、
決して変なことはなさらないでしょう。

 以上、決して変わったことを書いてやれ、という気持ちではなくて以前から夢想していたことです。

 さて、脚本。そりゃもう、私にやらせて下さいよ。私が1985年に書いたゴジラストーリー応募作からも、のちのVSシリーズに生かされたと思われる断片がいくつかありますし・・・。
なんてな!

『星を喰う者』予告編公開等 - エクセルシオール (男性)

2018/10/11 (Thu) 21:53:07

 11月9日公開のアニメ版ゴジラ完結編『星を喰う者』の予告編が公開されました。どうやって落ちをつけるのかは不明ですが、前作よりは面白い話になりそうです(そうでなければ困る)。

 やはりメトフィエスが何かしら企んでおり、キングギドラを地球に呼び寄せるという展開になっているみたいです。キングギドラはゴジラ以上の脅威であることは間違いなく、見たところゴジラがふれることのできないエネルギー体のようです(ギドラの方はゴジラにふれられるようだ)。この未曾有の危機に意気消沈しているハルオはいかにしてに立ち向かうのか、人間ドラマにおいてはそこが中心でしょう。
 なお、宇宙空間のアラトラム号がキングギドラに攻撃されるシーンもあり、もしも破壊されるようなことになれば、作中の人類の生き残りの大半が死滅という悲惨なことになってしまいます(もちろん設定上は半ば忘れられているオラティオ号もありますが)。「全滅エンド」などということにならなければよいのですが。

 それと、予告編ではモスラの姿は全く確認できません。前作でメカゴジラをまともな形で登場させないという言語道断の蛮行をやらかしてしまったスタッフなので、モスラを背景のみの存在にしてしまう可能性もないとは言えません。しかし、それではあまりにも不誠実でしょう。第一にゴジラだけではどうにもならないキングギドラをどう処理するつもりなのか(ラドンもアンギラスもこの作品では使えまい)。これは不安ですね。
 せめて怪獣映画ファンの期待を裏切らないように落ちをつけてほしいものです。

 話は変わりますが、アニメ版『グリッドマン』もいよいよ放送開始となりました。とはいえ、まだ第1話を視聴しただけなのでまだいかなる内容なのかはよくわかりません。
 今度のグリッドマンは現実世界で怪獣と戦うようですが、作中の世界が本当に「現実世界」なのかは多くの謎があります。さんざん破壊された街が翌日には修復されていたり、一部の人にしか見えないにしても、超巨大な怪獣のシルエットが存在したりと、これから明かされるべき真実は多そうです(無論、主人公・響裕太の記憶喪失の原因も重要な点である)。アニメファンの予想の中では「この世界は本当はコンピューターワールドの中で、裕太たちは人間ではなくコンピューターワールドの住人なのではないか」というものすらあります。
 
 きちんと物語が組み立てられてくれればいいのですが、深夜枠であるためにかなりの不安もあります。
 深夜アニメにはいくつもの弊害がありますが、特にまずいのは「話数に見合わぬ設定を盛り込んで自爆してしまう」ことです。実際、深夜アニメの多くは1クール、話数にして12~13話くらいしかありません。この限られた話数に大量の内容を詰め込んだ結果、消化不良になったり、文字通り途中で終わってしまう作品が続発しています(しかも続きが作られないものが少なくない)。アニメ版『グリッドマン』が何話あるのか定かではありませんが、消化不良にならないようにスタッフは戒心してほしいですね。 

 なんだかんだ言いながら今のところは期待しています。奇妙に難解にしたり陰鬱にしたりせず、真っ当にヒーローアニメとして作ってほしいです。
 
 なお、巨大シルエットの怪獣は旧作に登場した毒煙怪獣ベノラに似ています。ベノラは旧作の有名なエピソード「決戦!ヒーローの最期」前後編に登場した怪獣で、一度はグリッドマンに勝った強敵として有名です。

Re: 『星を喰う者』予告編公開等 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/12 (Fri) 18:38:47

 アニメゴジラの行く先は不安で一杯という感じですね。
私も予告編を確認してみましたが、あの感じではモスラを出さないことも十分考えられます。
 ここまでの流れから考えても、かつての怪獣映画から距離を置こうとする意思がひしひしと伝わってくるので、ゴジラ・モスラの共闘など絶対にやらないように思います。

 なんというか、昔の怪獣映画を低級な物と考え、怪獣映画を知らない者が精一杯格好を付けて怪獣を再解釈しましたというものに見えています。

 ようするにキザなのです。

 そして、アニメ版グリッドマン。
「SSSS.GRIDMAN」というようですが、これもねぇ。
第一話前半の雰囲気カットの連打など、実にキザな作りです。
そしてこの頃ありがちな、重要な世界設定を隠蔽して、ストーリーが進んでいるように見せかけて設定を説明していくだけの不毛な作品になりそうな予感がします。

 ただ、怪獣と巨大ヒーローの戦いの見せ方はそんなに悪くないです。

 旧作とのリンクも意識しているらしいのは悪くないと言えそうですし。
(怪獣ベノラ登場回はすでに観ていない領域だ・・)

 それから、劇中のセリフで「ウルトラシリーズなら怪獣に弱点があるのに」と言わせ、第一話の怪獣は「帰ってきたウルトラマン」のフェミゴンをベースにバリケーンとレオゴンのパーツをくっつけたように見えました。
(デザインは西川伸司氏)
ここにも世界設定のヒントがありそうですね。
でも、設定をあれこれ推理するなんて、本道ではないのだが・・。

アニメ版『グリッドマン』、危ないかも・・・ - エクセルシオール (男性)

2018/10/17 (Wed) 23:06:37

 最初の投稿で「期待している」と書いたアニメ版『グリッドマン』ですが、第2話を視聴してかなり不安になってきました。
 この回でアレクシス・ケリヴと組んで怪獣を作り出しているのが新条アカネであることが示されたのですが、このアカネがとんでもない性格のキャラでした。
 彼女は自分が気に入らない人間を怪獣を使って抹殺しており、しかもそのことに何一つ疑問も痛痒も感じないというゆがんだ魂の持ち主です。正直、旧作の藤堂武史の比ではありません(武史にはまだ良心が残っており、カーンデジファーの命令に反対することもあった)。

 心配なのはここまで邪悪な人間に設定にしてしまったアカネに関して、それにふさわしい理由が用意されているのかということです。ここをおろそかにしてしまうならば、それ自体が致命的欠陥になりますが、はたしてどうなるのでしょうか(なお、武史の場合は、両親から放置されていた、信頼していたばあやと無理に引き離されたことなどが積み重なったためという理由が示されていた)。
 少なくともアレクシス・ケリヴによって「良心を封じ込められ、邪心を増幅された」というくらいの設定は必要でしょう。

 なお、アニメファンの中にはアカネのかわいい容姿とサイコパスという設定に熱狂している者も少なくないようですが、どんなキャラであれ内実がなければ「単なる記号の寄せ集め」にすぎません。また、本作品の暗さを内包した展開に「これぞ長谷川圭一」と讃えている意見も目にしましたが、それって『ウルトラマンネクサス』と同じ過ちに陥るだけではないかと心配になってきます。


>ただ、怪獣と巨大ヒーローの戦いの見せ方はそんなに悪くないです。

 本作品の怪獣は故意に「着ぐるみっぽく」デザインされているそうです。ここは特撮へのオマージュといえましょうか。

>「SSSS.GRIDMAN」
 この「SSSS」とは旧作の海外版『スーパーヒューマン・サムライ・サイバー・スクワッド』からきているようです(なお、「サイバー」に関しては頭文字をわざと「S」にしている)。私も海外版は知らなかったので驚きましたが、少々マニアックすぎますね。
 ついでに言えば、本作品の登場人物はトランスフォーマーシリーズのキャラをモデルにしているという意見もありました。これはますますもってどうでもいい話です。


>でも、設定をあれこれ推理するなんて、本道ではないのだが・・。
 
 同意します。マニア受けを狙って作品を作ってもろくなことになりません。物語の半分くらいまでで大体の世界設定は公開すべきだと思います。「重要な世界設定を隠蔽して、ストーリーが進んでいるように見せかけて設定を説明していくだけの不毛な作品」にならないよう、私も祈っています(ストーリーで消化できないような設定はかえって有害である)。

 なお、個人的に気になっているのは、旧作に登場した手作りコンピューター「ジャンク」がなぜ宝多六花の家の店にあるのかですね。旧作の設定と何らかの形でリンクしているのかどうか興味深いところです。

Re: 『星を喰う者』予告編公開等 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/18 (Thu) 18:41:24

 アニメ版グリッドマン、私も第二話を見て不安増大という感じです。

(あーあ、訳知り顔の案内役を出してしまったか)

(あーあ、鬼畜キャラを出してしまったか)この部分に対する不安はエクセルシオールさんの懸念と同じです。
 ゆがんだ性格の人間、それも殺人を何とも思わないほど狂っているとなると、相応の背景を描かなければ、
「表現」として愚劣(刺激だけを持ち込もうとしたもの)になってしまいます。
 もちろん、殺人趣味を正当化するようなストーリー構成などは言語道断ですし。

 いろいろちりばめてあるヒントから、あの作品世界がそもそも仮想現実であるというのは当たっているようではありますが、
そこでどんな物語を紡ぐのか、そこに鑑賞者の意識を揺さぶる観念があるのか?が問題ですね。

 旧作グリッドマンとのリンクは考えているようですが、ウルトラシリーズへの言及の仕方から想像するに、
「SSSS.GRIDMAN」の舞台となる仮想現実を作った人間(一人ではないな)には円谷プロファンがいて、
「電光超人グリッドマン」の道具立ても取り入れました、という感じでは?
もしそうなら、メタ構造だ、なんて言うと高級っぽくなりますが、いやいや、楽屋落ちですね。

 とかなんとか言ってますが、一番の問題は、全体の流れはともかく、第一話、第二話、それぞれにストーリーの面白味がないことでした。
 テレビの連続ドラマというものは、一話ごとにもなんらかのまとまりがあるべきでは?

た~か~の~つ~め~ 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/02 (Tue) 18:43:59

 劇場公開時には見に行けず、このたびWOWOWで放送してくれたので見ることが出来た、
『DCスーパーヒーローズVS鷹の爪団』。(セルソフト買えよ!)

 ジャスティス・リーグとのタイアップ作品ではありますが、完全にFROGMAN作品になってます。
まあいろいろ気を遣ったのか、下ネタは少なめだったと思いますが、
ワーナー映画作品ということで東宝時代の末期より社会批判性が高まって、本来の味を取り戻したように思います。

(政治のだらしなさを突き、財力=力を持つ者の責務を問う)

 ギャグ作品なのでディティールを語るのはやめますが、
2017年公開の本作、2016年のヒット映画を真正面から茶化してくれます!
(ほーら、あの映画やこの映画ですよ)

 あたしゃ、すっきりしたよ。
機会があったらみなさんも是非ご覧下さい。
(FROGMAN氏のシナリオ力は大変なものなのに、相変わらず自作のアニメでしか活躍していないのはもったいない。
シナリオライターとしても活動して欲しいものだが・・。実写映画の監督としてどうなのかは未知数なので)

えっ……… - なんじぇい (?)

2018/10/02 (Tue) 22:33:39

話が変わって申し訳ないのですが、ギドラ様は『君の名は。』をご覧になったのでしょうか?
興収の観点からは避けては通れない有名な作品ですし、よろしければ感想をお聞きしたいです。

ちなみに私としては箇条書きで書くと
・絵はとても良い。作画崩れもないし綺麗。
・音楽を効果的に使いテンポ良く進んでいくため、見てて飽きはしないのは良い。
・ちょっと突っ込みどころが多いのはどうにかしてほしい(手に名前書くと言ってるのに、なんで「すきだ」なんて書いてるの? とか)

一言で言うと、まあまあという感じでしょうか。




あと見る限り、鷹の爪自体は時事ネタが多い作品に見えますが、一番昔のものを見ても大丈夫なのでしょうか……?
あるいは最新作からいきなり見てもイケるのか、というかどの順番で見れば良いのかなども気になります。

Re: た~か~の~つ~め~ 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/10/03 (Wed) 18:56:06

『君の名は。』は一応見ています。劇場には行きませんでしたが。

 で、えっ、感想ですか。大前提としてあのような作品が作られても構わないと思っていることはお含みいただきまして・・・。

 一言で言うと、
中二の妄想。

 まー、大ヒットしたというのはいささか奇異に思います。外国でもヒットしたらしいので、映画の作り手がしっかりしないと映画表現の深みはどんどん失われていくのだよなの思いを強くしました。

 鷹の爪シリーズは、どの作品から入っても構わないと思いますよ。
時事ネタ・流行り物を取り入れてはいますが、ストーリーの根幹がしっかりしているので、内容が古くてダメになったということはないと思います。
それからどの作品も初見の人を意識した作りになっていますし。

 もちろん理想的には発表順に見た方がいいです。TVシリーズもたくさんあってちょっと大変になりますが。
先行作の内容を無かったことにするような卑怯な真似はしていないので、キャラクター設定など先行作を見ていないとピンと来ない部分はあります。

これがキングギドラ・・・ - エクセルシオール (男性)

2018/09/28 (Fri) 22:23:28

 アニメ映画版ゴジラの完結編となる『星を喰う者』のキービジュアル等が解禁され、キングギドラ(厳密には「ギドラ」としか言われていないが)の姿も見ることができるようになりました。
 ところが、その姿は良く知られたキングギドラの姿とは大きく異なるものであり、まるで「黄金のマンダが三匹いる」ような感じになっています。ゴジラもずいぶんといじくられてきましたが、これはそれよりもすごい改変です(ハリウッド版の方がオリジナルに近い)。

 本作品におけるギドラは幾多の惑星を滅ぼしてきた高次元怪獣という設定であり、地球上では並ぶもののない存在となったゴジラと激闘を繰り広げるのだとか。なお、モスラの姿は今のところ確認できません。まさか出てこないということはないでしょうね。
 はたしてこの三作目、どんな結末を迎えるのか、今のところ予想がつきません。王道ならキングギドラを撃退するためにゴジラと人類とモスラとが共闘するということになるはずですが、アニメ版ではあまりにもゴジラを他の種族の存在を許さないようなキャラにしてしまったので、無理なく話をまとめるのが難しいでしょう。それとも、ゴジラとキングギドラが戦って消耗したところにモスラが現れて、両方とも倒してしまう展開になるのか。そうすれば、話はまとまりますが、これではモスラをいわゆる「デウスエクスマキナ」(収拾がつかない物語を無理矢理終わらせるキャラのこと)として用いることになり、ストーリーとしては問題があります(第一モスラがかなり「卑怯」に見える)。

 その他の解禁情報では、死んだと思われたユウコはまだ生きています。ただし、脳死状態だそうなので、彼女を救えるのはモスラの超能力くらいでしょう。それから、ハルオの両親も一応登場するようです。前日譚小説『プロジェクト・メカゴジラ』の設定がやっとこさ活きてくるようですね(これもうまくいくか微妙だが)。
 
 映画公開前に必ず発売されていた前日譚小説ですが、今回はないみたいですよ。かわりに『怪獣惑星』の公式ノベライズ版が11月初めに出版されるそうです。てっきり、エクシフの母星がいかにしてキングギドラに滅ぼされたかを描く物語が出ると思っていただけに、意外ですね。
 正直、『怪獣惑星』の小説版を今出版されてもあまり意義を感じません。むしろ映画の不十分なところを「これを読んで補完してね」と言われているような気分がしてきます。他媒体での補完が必要な作品と言うのは、それ自体欠陥品であることを自認しているのと同じなのですが。

 

Re: これがキングギドラ・・・ - なんじぇい (?)

2018/09/29 (Sat) 11:18:25

私としては「まあギドラだし……『キング』ギドラではないし……」という思いです。
ただキングギドラの亜種にデスギドラやカイザーギドラがいましたが、それでも「三つ首」「でかい羽」というキングギドラ最大の要素は守られていたので(これによってギドラ族だと判別できる)、あまりギドラらしくはないかもしれませんね。
ちなみに個人的には、3匹の宇宙竜ナースにしか見えませんでした。

スピンオフに関しては難しいところですね。
あの世界に冠たるスターウォーズも山のような小説と設定資料集などによる大量の後付け設定(特にデス・スター関連)がありますため、メジャーなブランドになったら金儲けのために仕方ないのか……という諦感が先に立ちます。
ただ小説版と言っても、本編ではどうでもいい端役が人気が出た場合に作られたものなんかは良いな、とは思います(そのキャラのファンでなければ読まなくても全く問題ない上に、視聴者のニーズに応えているため)。
まあ、アニメゴジラにはそういうキャラクターは世間の風評を見ても聞いたことがないため、そういうものはないのでしょうね。



とにかく、あまりにも詰まらなかった第2作(個人的には断トツシリーズ最低作)から少しでもマシになってくれることを願うばかりです。
もっともマシになっても、既に悲惨な興収を叩き出しているため、客数はどうしようもないでしょうが……
それでも世間での売り上げや評価などに関してもアニメスタッフには猛省し、少しでも挽回してほしいですね。

Re: これがキングギドラ・・・ 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/30 (Sun) 16:35:11

んーー、キングギドラではなくてギドラということなんでしょう。

 三匹合体して最後にキングギドラになるとか?
(モンスターXが変形してカイザーギドラになったのと同じ発想かな?)

 もはや何の期待感もありませんが、一応見るでしょう。
そして何がダメかを書いておかなければ・・・。

 ほんとにお願いしますよ。怪獣映画がなぜジャンルとして人気を得たのか、過去の作品を分析考察して何が大衆の心を掴んだのかを見極めて下さい。その核を外さないような作品作りが求められるのです。
 従来には無かったことをやればそれでいいというものではありません。
 新規=正当ではありませんよ!

映画の絵面やインパクト優先の演出ってどうなんでしょう? - なんじぇい (?)

2018/09/24 (Mon) 21:56:45

エクセルシオールさんのお話に便乗しての話題です。
この場合の『インパクト優先』とは、映画の絵面の面白さやインパクトを、リアリティより優先する演出にしたものを指します。

例えを出すと『ゴジラ2000ミレニアム』で、ゴジラと自衛隊が戦う際に、自衛隊の戦闘機がゴジラにミサイルを命中させる時、明らかに現実では不可能な角度で全機急上昇する動きが出てきます。
ところがこれは、『ゴジラ2000ミレニアム大百科(だったと思いますがあまり確証がない……間違ってたらすみません)』のスタッフによれば、「リアルさよりも絵的な面白さを優先した」のだそうです。

このようなインパクト優先の演出は、他の怪獣映画にも散見されます。
・なぜか戦闘機やヘリが怪獣に不必要に接近する、ひどい場合は怪獣に突っ込んでいく(昔の怪獣映画では特によくありました)
・明らかに現実では成功不可能な作戦を出す(最近ではヤシオリ作戦あたり。あれも樋口氏や庵野氏によれば意図的らしいですが)
・運用方法が明らかに間違っている兵器を出す(イージス艦が接近戦をしたりする)
・見映え重視の超兵器を作成する(『ゴジラVSメカゴジラ』の批評において、意味もなくゴジラ型にするな、そもそもカドミウム弾で倒せるだろ、という批判を書いた本がありました)

並べてみるとこんな感じでしょうか。

このような演出は、特に軍事マニアや評論家などの間で「現実ではあり得ない」等と嘲笑されていました。
そしてこれが行きすぎて、怪獣映画が「幼稚」であり、「大人の鑑賞に堪えるものを出せ!」という批判もありました。この場合、エクセルシオールさんのおっしゃる通り、大人というより局地的なマニアの鑑賞という方が正しいでしょう。


そんな批判をしていた方々が、『シン・ゴジラ』の前半部分のタバ作戦を「大人の鑑賞に堪える」と絶賛していたことはよくある光景でした。理由としては、タバ作戦は自衛隊の兵器運用方法や自衛隊員の掛け声がこれまでの怪獣映画に比べれば大分正しかったからでしょう(逆に言えばそれしか見ておらず、ストーリーの骨子などはあまり気にしていない)。
ちなみに私の友人の軍事マニアは、ヤシオリ作戦自体はリアリティがないため大嫌いでしたが、タバ作戦はお釣りが来るくらい素晴らしかったそうです(ただ細かい間違いはあるんだとか)
それならまだ筋が通っているのですが、なかにはタバ作戦に影響されたか、ヤシオリ作戦でも監督が自ら演出重視でリアリティはないと認めているにも関わらず苦しい擁護をする方もいます。




話が少し脱線してしまいましたが、インパクト優先でリアリティを犠牲にした演出についての是非が私にはよくわかりません。

これは怪獣映画に限らず、戦隊もの(名乗りが長いとか)や仮面ライダーシリーズ(前述しました)や、他の映画全般にも関わってくることです。
私としては、これが気に入らない方たちが「大人の鑑賞に堪える」ものを要求しているのだと思えてならないのです。
彼らの意見にも一理はありますし、それを重視する方からすれば気にしてしまうのも分からなくはないのですが、それを完全に実現した場合見映えがなくなってしまいます。本来のターゲットである子供たちや一般客に対しては大抵マイナス印象となってしまうでしょう。また、そのシリーズのテーマ性に抵触してしまうこともあります。


リアリティと演出の案配はどうしたらよいのか。皆様の意見をお聞きしたいです。

Re: 映画の絵面やインパクト優先の演出ってどうなんでしょう? - 海軍大臣 (男性)

2018/09/26 (Wed) 00:34:48

 以前に「リアリティとリアリズム」に関連して取り上げた事柄とダブる話ですが、これまた匙加減の難しい問題ですね。私個人の意見としては、適正な枠内であるのならば、考証に縛られることなく或る程度までは自由に描いてしまっても良いとは思いますが、それを遣り過ぎてしまうと、ご都合主義や何でもアリといった事態に陥る恐れもある訳ですから、作り手側の節度が求められる部分もあります。
 この点について円谷英二監督は、生前よく「映画とは嘘つきなものだ」と仰っていたと聞きます。勿論、これは円谷さんばかりではなく、黄金期を知る映画関係者に共通する考えだと思うのですが、軍事考証や時代考証、或いは科学考証などといったものの重要さは尊重すべきではあるけれども、劇映画(特に娯楽作品)では、そうしたものを十分踏まえた上で、プラスαとしての脚色が絶対に必要になってくると云われています。これはリアルさに拘泥して作劇が考証内に留まる限り、作品は考証以上のドラマを描けないためだとされています。(これは例えば原作小説とその映画化された作品との関係にも当てはまるそうで、小説やマンガを何ら脚色せずに映画化を行う場合、まず原作以下のものにしかなり得ないことを、往時の映画人たちは骨身に沁みて知っているようです)

 では、円谷さんの云われる「嘘をつく」とは具体的にどんなものかと云うと、例えば劇中の或る場面で稲妻を光学合成で表現する場合、実際のものと同じコマ数や形状ではダメで、そのシークエンスに応じて誇張された表現が必要になってくるのだそうです。これはどういう意味かと申しますと、劇中に稲妻を取り入れる以上、それは観客へ向けて事件の予兆であるとか登場人物の心理状態だとかを印象付ける「手段」としてあるべきで、少なくとも劇映画やドラマにおいては、そうした意味合いを持たない(つまりデフォルメされていない)稲妻などは無用のものに当たるのだそうです。
 更に特撮映画での「考証と嘘」の関係を端的に表すものとしては、よく知られる「沖波と磯波」が上げられます。これは沿岸部分に見られる波(磯波)と太平洋のど真ん中に見られる波(沖波)とは全くは波形が異なるらしいのですが、特撮プールで海戦シーンなんかを撮影する際は、円谷さんは間違っていることなど百も承知で常に「磯波」の波形を波起こし機で表現していたと聞きます。これは観客の大半は外洋航路の船舶に乗ったことなど無いため、忠実に考証を守って「沖波」を用いた場合には、却って客たちに違和感を覚えさせてしまうため、馴染みのある「磯波」の波形を敢えて用い続けてきたのだそうです。以前に海音寺潮五郎の言葉として「歴史小説とは正しい時代考証を講義するためのものではない。寧ろ考証的な嘘を書いてでも、当時の雰囲気を読者に理解させるためのものだ」というのを紹介しましたが、「沖波と磯波」のエピソードにも正にこれと相通じる部分があるのだと思います。

 以上は映画の話術の極めてベーシックな部分に当たりますが、そうした映画作品のクライマックス部分でのなんじぇい様の云われる「インパクト優先の演出」について考えてみると、一部マニア絶賛のタバ作戦の対極にあるのが【ゴジラVSキングギドラ】で描かれた、札幌市街戦ではないかと思います。同シークエンスは既に公開当時から、某軍事マニア誌上で「無人の荒野を進んでくるゴジラをワザワザ人口密集地で迎え撃つのは作戦的に在り得ない」といった批判が出ていました。いわゆるミリ・オタの方々から見れば、あの展開は「☓」なのでしょうが、しかし前出した映画黄金期の人々が作った映画を見て育った私などからすれば、間違いなく「〇」ということになります。どんなに作戦的にはリアルじゃないと批判されようとも、この場合、何もない原野でゴジラと戦車が戦う画ヅラなどよりは遥に娯楽映画の本質(観客が欲する映像を見せるという意味で)を突いていると思われるからです。「売り物に花飾れ」という言葉がありますが、軍事マニアの人間が捉われがちな足枷など気にすることなく、都市部での一大攻防戦というインパクトのある見せ場を作品中に取り入れた大森監督は、やはり娯楽映画の本質を理解されているのだと思います。
 ですから同様に、なんじぇい様が一例とされている航空機やイージス艦が怪獣に接近戦を仕掛けることにつきましても、私などはリアルさよりも、やはり怪獣とメカが一つの画角に収まっているカッコ良さの方を選んでしまいますね。
 以上、思いつきのような纏まりの無い話になってしまいましたが、要するにその映画が娯楽作品である以上は、妙なリアリズムに束縛されるべきではなく、虚実綯い交ぜの節度のある描写が大事なのだと考える次第なのです。

Re: 映画の絵面やインパクト優先の演出ってどうなんでしょう? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/26 (Wed) 18:46:49

 海軍大臣さんの詳細な解説に異論はありません。

 映画におけるリアリズムがどこまで現実と同じであるべきか、に関しては、その作品が目指す方向で千変万化するものと思います。
 現実的な作品であっても、作者の心象風景を描くような作品であれば、現実性など無視しても構わないでしょうし、
非現実の出来事をもう一つの現実としてリアリティを感じさせたい空想作品の場合は作品の中核になる空想部分以外は現実をなぞる必要があると思われます。

 なので、リアリズムと演出上のウソをどうバランスさせるかはケースバイケース、作品毎に論じるしかないのではないかと思ったりします。

 ただ昨今の風潮は演出優先が行き過ぎではないかと感じています。
このあたりの話も昨年12月の「リアリティとリアリズムのこと」(海軍大臣さんのレスタイトル)の流れでも書いてますね。

『東京SOS』でゴジラの熱線が当たった東京タワーが大爆発するのは、私には受け入れられませんでした。
鉄骨が溶解して倒れるという描写であるべきと思うのです。

 2013年8月に日本映画専門チャンネルで放送された特集「特撮国宝」にて。
『連合艦隊』のクライマックスで大和が大爆発する演出について、某特撮監督が中野昭慶監督に対して、
「あれも演出ですよね。・・・・調べたとおりのことを再現するのとは違うじゃないですか」と確認すると
中野監督は「いやでもね、あれは【見たこともない大爆発であった】という当時のセリフ(とおっしゃっていましたが、証言記録の言葉か)一行があるわけ。
見たこともない大爆発っていうのをさ、どういう形にすればいいのかなという、それが根底にあるわけ」とおっしゃっていました。
 私が見たドキュメンタリー(大和だったか武蔵だったか定かでないのですが)でも、生存者の方が、大爆発のとき、空全体が真っ赤になったとおっしゃっていたので、
『連合艦隊』のクライマックスは、リアリズムであろうと受け止めています。

 正しく考証した結果、映画的に大きな見せ場になるのが理想的です。

 たぶん、「さもありなん」という感覚が大事で、しかし、難しいのはその「さもありなん」が人によって違っていることでしょう。
私としては、迷ったらリアルで行け!と考えています。

Re:映画の絵面やインパクト優先の演出ってどうなんでしょう? - なんじぇい (?)

2018/09/27 (Thu) 17:33:53

皆様ご意見ありがとうございます。
このような話題は、どうしても個々の感性に委ねるものが多くなってしまいますね。
ただギドラ様のおっしゃる通り、作品ごとによってリアリズムの案配は確かに変えた方がいいとは思います。

ゴジラ検定 - なんじぇい (?)

2018/09/26 (Wed) 18:29:28

またまたすみません。
東宝が『ゴジラ検定』なる新しい検定を開催するそうです。
https://books.rakuten.co.jp/rb/15629130/
http://godzilla.store/shop/g/gGSG0940001/

検定は多人数の答案を採点せざるを得ない以上、どうしても四択やら語句を回答する問題ばかりになってしまいがちですが、最上級試験にはなんとか論述式の問題を入れてほしいですね……
単なる知識自慢だけではマニアとは言えず、その知識を実際に自ら意見したりするには論述はどうしても必要に思えます。

とはいえ、さすがにキングギドラとカイザーギドラを並べて、どっちがキングギドラか分からないような人が1級を取られても困りますが。

私なら1級の問題は、
『ゴジラがプロレスラー豊登の芸のポーズをした行動の是非について、あなたの意見を200字以上で書け。ただしゴジラが件の行動をした映画の題名を明記すること。』
なんてものにするかもしれません。
知識と自分の意見の両方を訊けますし、純粋に実りになりそうなので(多分意見がまっぷたつに割れる)……

Re: ゴジラ検定 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/26 (Wed) 18:49:43

 ありゃ~、これも東宝によるゴジラ新展開のひとつなんでしょうね。

 んー、ゴジラを一層オタク趣味に持って行きそうな企画だなぁ。

『さらば愛しきゴジラよ』 - エクセルシオール (男性)

2018/09/12 (Wed) 22:21:52

 『さらば愛しきゴジラよ』(佐藤健志著、読売新聞社)。これは1993年に出版されたゴジラシリーズの批評本です。この本を以前読んだのはずいぶん前なのですが、最近久しぶりに読む機会がありました。

 この本の構成は、⓵分析、⓶提言、⓷小説に分かれています。まず、ゴジラシリーズは行き詰っており(当時はVSシリーズの半ばである)、なぜそのようになったのかを分析し、次にシリーズを完結(再生ではない)させるための方法論を提示し、最後に著者自らが
上記方法論に則って「ゴジラ完結編」という小説を書いています。なお、著者は小説について「近年のゴジラ映画より優れていると確信している」と述べています。

 けっこうな自信なのですが、正直、私は分析論に一理ある部分があることは認めつつも、賛同はできませんでした。著者はある種の「初代ゴジラ原理主義者」であり、その後のシリーズ、特に『怪獣大戦争』以降の作品をやれ「お子様ランチ」だとか、「怪獣プロレス」だとかと散々罵ります。驚くべきことに著者は「大人向け」でない作品には価値がないものとみなしているようでした。これはあまりにも偏狭でしょうし、怪獣映画の一番の支持者が子ども達であることも忘却しています。

 次に筆者が「最後のゴジラ映画」を作る方法論がまたすごい。⓵ゴジラを「内からの脅威」として描く(人間社会にゴジラ来襲の責任がある)。そして、ゴジラは人の手によって殺されねばならない。⓶「人間の正義」を否定する。⓷グランド・ホテル方式(特定の場所や事件を媒介として、それと関連した相互に無関係な人々の行動を交互に描いていく方式)を排除するため、主人公はゴジラ撃退に直接の責任を負う自衛官でなければならない。⓸ゴジラ来襲をめぐるドラマは、主要登場人物間における性の葛藤のドラマと重ねられねばならない。⓹主人公にとって、ゴジラ攻撃と自分の性的欲求の充足は、象徴的に同義でなければらなない。どっから突っ込んでいいのか分かりません(⓵前半と⓶については作品の性質によっては重要なこともあるだろうが、それ以外は・・・・)。
 特に⓸と⓹に関しては、著者の特異な初代ゴジラ解釈が影響しています。いくら読んでも理解できない部分なのですが、著者は『ゴジラ』(1954年)を芹沢博士を中心としてみれば「自分の性欲に罪悪感を覚えて欲求を抑え続けてきた性的不能者が、死と引き換えに性的充足を味わう物語」であると考えています。うーん・・・、もはや深読みのし過ぎどころか妄想ですね。

 では、著者が自信をもって執筆した「ゴジラ完結編」とはいかなるものか?これが日本が核武装した世界を舞台に(この時点でずいぶんすごいことになっている)、ゴジラはテレポーテーションで移動して世界各地を襲い、しかもゴジラが暴れた場所には巨大植物や巨大昆虫がはびこって人が住めなくなってしまいます。ゴジラとは地球自体が送り込んだ人類矯正の使者であり、それを倒すことは地球の意思に反するという設定です。しかし、主人公の自衛官はあくまで「人類のため」という大義名分のもと、衛星から放つレーザー砲によって地球環境の破滅と引き換えにゴジラを倒します。面白い部分もありますが、全体的に見れば「なんじゃこりゃ」という代物です。

 何とも素敵なことに、著者は「故・本多猪四郎監督に本書を捧げる」と書いています。ここが一番理解できません。何たってこの本では初代ゴジラ以外の作品の評価は低く、『怪獣大戦争』以降はほぼ全否定しています。本多監督が担当したゴジラ映画も大半が批判の対象であるのに、よくもまあこんなことが言えたものです。本多監督も苦笑いしているでしょうね。

 90年代と言うと特撮やアニメと言ったサブカルチャーのステイタスを上げるために、さまざまな大人向け解説本が出版されだした頃でした。この本もその一つですが、あまりにも珍妙な内容のため、今では「トンデモ批評本」という評価もあるようです。
 ただ、「お子様ランチ」だの「怪獣プロレス」だのといった決まりきったゴジラ映画(特にチャンピオン祭り時代)への悪口は、今でも極めて強力です。いいかげんそのような偏狭な見方こそ払拭されるべきでしょう。
 
 もはや「奇書」の類かもしれませんが、機会があれば目を通してみてください。もしかしたら、何かの役に立つかもしれません。



Re: 『さらば愛しきゴジラよ』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/14 (Fri) 18:30:12

 ありましたねぇ、「さらば愛しきゴジラよ」・・・。
発刊当時たしか新聞に広告が出ていて、早速本屋に走って確認の立ち読みをしました。
当時のゴジラVSシリーズには私もそこそこ不満を抱いておりましたので、ひょっとしたら仲間を見つけられるんじゃないかと期待したのです。

 ところが、ゴジラを殺してシリーズを終わらせるしかないという結論に、なんだコイツもゴジラ=敵論者か、とがっかり。
ほかにもいろいろおかしなことが書かれていて、怒り心頭に。
ガンバレルーヤよしこちゃんのように「クソが!」と叫んで本を書棚へ叩きつけると書店さんにご迷惑なので、
無言でそっと棚へ戻しました。

 その後、雑誌「宇宙船」にたしか当時の編集長が「さらば愛しきゴジラよ」への反論記事を書いていて、
ゴジラファンが頭に来るのは当然だよな、と思いました。

 ちとひっかかるのは、vsシリーズの幕引きがゴジラを死なせる形だったことです。
まさかあの本の影響を受けたわけじゃないでしょうね。

 というわけで、購入してはいないので詳しい内容主張は知らないままだったのでした。

 このたび、エクセルシオールさんの解説でどれほどトンデモな内容だったのかがわかって怒り再発ですよ。

 いるんですよ、フロイト学派か何か知りませんが、なんでもかんでも性衝動に結びつけたがる輩が。
そりゃ、人間が創作する表現には性衝動に結びついた暗喩が多くあるのは認めますよ。
けれども、あれもこれも性的表現なのだと読み解いてみせるのもおかしなことで、
そんな頭で映画を見るなら、作品本来の表現を見逃して自分勝手なエロ妄想を創作するのがオチ。
そう、鑑賞ではなく創作しちゃってるのですよ。

 映画の中にとにかくエロを見つけたい人というのは、どうやら性衝動の話に持って行けば小難しい作品でも簡単に解体して見せたことになると思っているようです。
そして、我こそが真実に気がついているインテリなのだよと言いたげなところが実に鼻につく!

 それより腹が立つのは、そんなエセインテリが書いた妄想をありがたく頂戴して、自分も頭が良くなったように勘違いしている輩。
えー、大丈夫なんでしょうか、アニメゴジラ。
地球環境が木ジラ(ゴジラの1ファンさんの案を使いました)のせいで変化しているわけですよね。なーんか、この佐藤某の「ゴジラ完結編」に影響されているような。

Re: 『さらば愛しきゴジラよ』 - 海軍大臣 (男性)

2018/09/14 (Fri) 19:05:27

「何でも性に結び付けたがるフロイト学派が天体望遠鏡で女湯を覘く」なんて戯れ歌がありましたが、私も当時この本に激怒したクチです。
 ゴジラやウルトラに「アダルトな作風」だとか「大人の鑑賞に堪えうる」といった評価で作品ごとの優劣が付けられるようになったのは、70年代末~80年代初頭に、洋画SFやアニメファンの下風に甘んじていた特撮ファンの状況を打破しようと、池田さんや竹内さんたち先達の一部が書籍やサントラの解説書あたりでやり始めたことだったと思います。
 活字の魔力ではありませんが、一時期、そうした先達たちの書いた意見をそっくりなぞったファン(つまり、自分の意見を待たない人たち)が多く発生していた時期もあって、私のようなヘソ曲がりな作品の嗜好(たとえば【オール怪獣大進撃】が好きだとか)を持つ人間は攻撃の槍玉に上げられたものです。
 何とか特撮ファンの地位を確立しようとした池田さんたちの気持ちは理解できるのですが、悔恨を後世に残してしまったことは残念です。


 それじゃあ、本当に大人向きのゴジラ作品にしか価値が無いかというと、決してそんなことは無くて、ふと以前、ライターの樋口尚文さんがトークショーで語っていられたエピソードを思い出してしまいました。
 樋口氏は幼児期に【ゴジラの息子】を劇場で見ているのだそうです。当然、あのシリーズ屈指の名ラストシーンを目の当たりにして大変な感動を覚えられたのだそうですが、まだ幼児だった同氏は、それを自分の感情として表現する術が判らず、それを抱えたまま家に帰り、夜になって寝てから(映画を観て半日が経っている訳です)突如として号泣し、両親を困惑させたと聞きました。ともかく樋口氏が「映画に感動した」のは初めての体験だったそうで、
子ど向けに「堕した」とレッテルの貼られがちな時期の作品にもこれだけの力があることを、昨今のシンゴジラブームでファンにばられた方々にも今少し理解していただきたいと考えます。
 

「大人の鑑賞に堪えうる」とは? - エクセルシオール (男性)

2018/09/22 (Sat) 22:54:36

 「大人の鑑賞に堪えうる」という言葉自体がそもそも厄介なものであり、その定義自体が実ははっきりしていません。

 一般論から言えば「大人向け」だからレベルが高いとは言えませんし(世の中には「大人向け」のくだらないものが溢れている)、倫理や道徳を重視する観点からは「子ども向け」の方が優れていることはめずらしくありません(例えば、深夜アニメの大半と『アンパンマン』とどちらが倫理的に上かと言えば、間違いなく後者だろう)。

 次に「大人の鑑賞に堪えうる」と言う場合の「大人」とはそもそも何なのかも定かではありません。本来ならば社会における平均的な大人を指すのが筋であるはずですが、特撮等においてそのような扱いになっているとは考えにくい。実際には、多くは特撮等の大ファンやマニアを以て「大人」としている例がほとんどです。しかし、これでは「大人の鑑賞に堪えうる」とは「マニア受けする」と同義になり、基準としてはあまりにも偏ったものになってしまいます。
 実際、「大人の鑑賞に堪えうる」ことを目的として創作が行われた場合、⓵表現が過激になりそれが自己目的化する(特にエロ・グロ・バイオレンス)、⓶設定が複雑怪奇に増殖し多くの人を置いてけぼりにする、⓷ストーリーが陰惨なものになりがち等々の弊害が発生することが少なくない。これはとても支持できる状態ではありません。

 殊に「子ども向け」とされている作品、少なくとも子どもを対象に含んでいる作品で、「大人の鑑賞に堪えうる」という方針で制作されるようになると、大抵は堕落の一途をたどります。平成仮面ライダーシリーズなどがいい例で、特に最初のころはスタッフの一部が暴走して、勧善懲悪を否定し、複雑怪奇・支離滅裂で消化不良の話を作って、ハイレベルな作品であると称していました。「それではもうヒーロー番組ではない」との声は、「批判者が幼稚だ」という一言で切り捨てられてしまったものです。

 「大人の鑑賞に堪えうる」という評価で作品の優劣をつけることは少なからぬ危険をはらんでいると言わざるを得ません。提唱者がサブカルチャーに何とか社会的地位を与えようとした意図は理解できなくもありませんが、かえってその分野を袋小路に追い込んでしまったのではないかと思います(マニアの方しか見なくなった分野は大抵衰退する)。
 「子ども向けで何が悪い」と声を大にして言うべき時かもしれませんね。


 なお、『シン・ゴジラ』に関しては、『さらば愛しきゴジラよ』の著者はあまり好意的ではないそうです。それでこの本の罪過が消えるわけではありませんが。

Re: 「大人の鑑賞に堪えうる」とは? - なんじぇい (?)

2018/09/23 (Sun) 16:26:47

一応私の考えですが、「大人の鑑賞に堪えうる」という言葉は、それまでの同じシリーズの作品に共通する突っ込みどころを何らかの形で説明した場合によく言われているのではないかと思います。

例えばエクセルシオールさんの言われている仮面ライダーシリーズのよく出される突っ込みどころ(特に昭和)ですと……
・悪の組織が戦力の逐次投入という愚策を犯し続ける
・「それで本気で世界征服する気なのか?」と言いたくなる回りくどい作戦を行う
・仮面ライダーや立花藤兵衛などの協力者を捕らえてばかりでいっこうに殺さないというミスを繰り返す
・主人公が悪の組織の計画を見つける方法が、適当でご都合主義的なものが多い

みたいなものでしょうか。

確かに作品やシリーズにこれらの突っ込みどころがあるのは問題であり、それは直すべきでしょう。矛盾や突っ込みどころはないに越したことはありません。
実際『仮面ライダークウガ』辺りでは、「グロンギが一斉に襲撃しないのは殺人ゲームのルールのせいだ」「殺人ゲームのルールによって、犯行の方法に規則性を見つける」などの突っ込みを解消しようとする要素を取り入れており、それらについては突っ込みどころを無くそうとしていると私は好感を持ちました。主人公が正義の味方だったことも大きいです。
しかし「グロンギの目的が世界征服ではない(殺人ゲームなのでスケールが小さくなってしまった。尤も昭和シリーズも突っ込みどころの多い作戦が結構あるので一長一短ですが……)」などの、マイナス面も出てきています。
そしてこの頃から、「大人の鑑賞に堪える」という言葉は使われています。

ところがその後『龍騎』などでは、「大人の鑑賞に堪える」を錦の御旗にして、仮面ライダーが正義の味方であるという作品そのものに繋がる大原則までもねじ曲げてしまっており(大半が悪人ばかり)しかもそれを「大人の鑑賞」云々で正当化してしまっています。
これはシリーズのテーマ性をないがしろにすることであり、明らかに問題です。
私は昭和ライダーの突っ込みどころの多さも誉められたものではないと思ってはいますが、その反動で平成初期のライダーは行きすぎてしまったという見方をしています(その後『仮面ライダーW』辺りで大分まともになったことも含めて)


その為私としては「大人の鑑賞に堪える」などというよく分からないいくらでも拡大解釈できてしまうような言葉を使わず、「突っ込みどころが少ない」という言葉を使った方がいいと考えています。
シリーズとしての大原則をねじ曲げず、なおかつ突っ込みどころの少ない作品を求めたいです。


矛盾や雑な展開がないのはもちろん大事ですが、その作品のテーマ性というものを一番大切にしてほしいですね。
なお、平成ライダーでは雑な展開がないと言っているわけではないです。『仮面ライダー響鬼』の後半などはてこ入れなどの影響によって特に酷かったです。

ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 - エクセルシオール (男性)

2018/08/30 (Thu) 21:18:34

 8月10日に俳優の菅井きんさんが亡くなられました。菅井さんと言えば必殺シリーズの中村せん役など、幾多の作品で活躍された方でしたが、ゴジラシリーズにもたった一回だけ出演されていましたね。

 菅井さんは第一作の『ゴジラ』において、国会の委員会に出席した野党の女性議員の役でした。メインキャラではないし、ストーリーに深く関わるわけでもない。なのにその印象は極めて強烈。ゴジラが水爆実験で目覚めたという事実を隠そうとする与党議員に真っ向から反論し、最後には「バカモノ、何を言うか」と面罵する。当時、20代後半だった菅井さんでしたが、迫力満点で「すごいなあ」と感心したものです。

 ただ、このあたりのシーンは当時の状況を考えると意味深なものがあります。映画公開のつい9年前まで日本は噓八百の大本営発表がまかり通り、真実を述べたりしたら社会的に破滅しかねない国でした。ゆえに「重大だからこそ公表すべきだ」「事実は堂々と公表しろ」という台詞は非常に重要な意味を持っていたと思います。また、隠蔽を図るのが旧世代を象徴する中年男性議員であるのに対し、新しい時代の旗手としてそれに立ち向かうのが若い女性議員であるというのも重要な構成であったと考えます。そう思うと僅かなシーンでしたが、重いものがあります。
 
 私は菅井さんが演じた女性議員はゴジラ映画史上最高の端役だったと思います。ほんの僅かなシーンで彼女以上に強烈なインパクトを残したキャラは他にいません。


 慎んでご冥福をお祈りいたします。 

Re: ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/31 (Fri) 18:26:08

 菅井きんさんは得がたい個性の女優さんでした。
理知的な役も野卑な役もこなせる方だったと思います。

『ゴジラ』でのあの一シーンは、エクセルシオールさんのおっしゃる通り、
映画『ゴジラ』が持ついくつかの重要なテーマのひとつを集約したシーンでしょう。
戦中の大本営発表はもちろん、戦後はGHQによる情報統制もあり、真実から目隠しされてきた日本人です。
 昨今の政治スキャンダルもお役所の隠蔽体質のために真実が見えてきません。
 本多監督の鋭い社会観が光るシーンでもあります。
(政治家が諍いを始めたことを科学者は沈鬱に見守り、新聞記者が薄笑いを浮かべて見ているのもあの映画の深みを示します)

 そんな思いも込めて、菅井きんさんのご冥福をお祈り致します。

Re: ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 - 海軍大臣 (男性)

2018/09/06 (Thu) 22:55:03

 遅まきながら、菅井きんさんのご冥福をお祈りいたします。
 お二人の仰られた通り、あの女性議員の役は戦再スタートした戦後日本の一側面をシンボライズしている気がします。考えてみれば、昭和29年って、講和条約のお陰で自由に映画が創れるようになってからやっと1年経ったばかりの時期なんですね。色んな意味で、正に映画とは時代を映し出すものなのだなと再確認してしまいました。

 ところで、このところ初代ゴジラ関連の噂が頻々と耳に入ってきていて、ちょっと不安です。

Re: ゴジラ映画史上「最高の端役」だったかもしれません。 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/09/10 (Mon) 18:18:49

 遅レスすいません。
親記事から離れてしまいますが、

>このところ初代ゴジラ関連の噂が頻々と耳に入ってきていて、ちょっと不安です。

 えっ、気になるお話。
書けること書けないことがおありかと思いますが、
機会がありましたら、差し支えない範囲で小出しにひとつよろしくお願いします・・。

2も快調! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/20 (Mon) 20:30:47

『銀魂2掟は破るためにこそある』、オッケーです。

 お下劣ギャグ満載の快作でした。
前作では原作やアニメから離れないようにとびくびくしているような雰囲気も感じましたが、
今回は、原作に準拠しているのは当然として、
実写劇場版オリジナルのストーリー構成や設定を持ち込んでいて、かなりのびのびとやっているように見えました。

 と言っても、実写映画は別物だといわんばかりのわがままをやっているわけではなくて、
あくまでも原作やアニメの味を壊さない範囲でのアレンジでした。
(だから納得)

 ただ、今回映画化したのは「真選組動乱編」と呼ばれているパートで、原作およびアニメで見たときから、どうもそのエンディングには納得できませんでした。
 真選組に入り込み、私物化(といっていいだろう)しようとした男が退治されるお話なんだけれど、
その悪役にも同情すべき生い立ちがあった、というのは銀魂によくある人間の悲哀設定でそこまではいいんです。、
しかし、最後に斬り殺して絆を確認、というような劇展開はいかがなものかと、今回も疑問に思ってしまいました。

 悪い奴だったが、一緒に過ごした年月にはそれなりに意味があり、仲間意識もあったじゃないか、というのはわかるのですが、「彼」の犯した罪は「死刑」という形で償わせたと言いたいのでしょうか。
 それでも、裏切り者としてではなく、仲間として斬ってやるのだというような理屈はどうもよくわかりませんでした。

『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 - エクセルシオール (男性)

2018/08/02 (Thu) 22:19:45

 レジェンダリー版ゴジラの第二作目『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』の予告編が公開されました。まだ分からないことの方が多いですが、ゴジラ、ラドン、モスラ、キングギドラの姿が確認でき、予告編から看取できる迫力は相当のものです。

 ただ、ストーリーがどんなものになるのか、予告編からだけでは想像がつかない感じです。「人類は地球の病原体であり、それを排除するために地球は『熱』を出している。地球と人類の滅亡を防ぐためにはかつて地球を支配していた巨大な神々を見つけ出さなければならない」という趣旨の台詞があるのですが(日本語字幕付き予告編から)、正直、「なんじゃそりゃ」という感想もないわけではありません。
 レジェンダリーのゴジラはイマイチその存在について分かりにくいところがあり、ゴジラと言うよりも「平成ガメラ」に近い印象すらあります(そこが前作について何とも煮え切らない印象を抱いた大きな理由)。さて、どうなるでしょうか?

 なお、製作筋によるとサプライズもあるそうです。おそらくキングコング関連のものになるのでしょうが(アンギラスということはないだろう。悲しいが)、興味深いですね。

 さて、もう一つ面白い話題が。ウルトラマンシリーズ以外では最後の巨大特撮ヒーロー番組であった『電光超人グリッドマン』ですが、その『グリッドマン』がテレビアニメになって帰ってくるそうです(今年10月から放送)。この作品は電脳世界を舞台にグリッドマンが魔王カーンデジファーの作り出す怪獣と戦うというコンセプトで、少々時代を先取りし過ぎていたともいわれている番組でした。まあ、初期設定の一部が途中からなくなってしまった等の問題点もあったのですが(例えば、ジャンクというコンピューターは初めは喋れたのに、その後台詞が無くなった)、総じて面白い作品だったと思います。
 特撮ではなくアニメと言う形式ですが、設定やキャラは大きく変えるそうであり、全く新しい物語として楽しめばよいと思っています(なお、グリッドマン役はオリジナル版と同じで緑川光さんが声を担当する。これはうれしい)。

  

Re: 『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/03 (Fri) 19:01:54

 いやー、いま予告編を見てみました。
とにかくレジェンダリー版は別物なので、それはそれとして楽しめればいいかと思っています。
(ゴジラか否かというのは別問題なので、やはりあれをゴジラとは認めませんけれど)

 前作でも匂わされていた、生態系における怪獣の役割みたいな設定を持ち込む感じですね。
 それをやると物語のまとまりは良くなるかも知れませんが、
怪獣から「自由さ」が失われるのであまり歓迎できませんなぁ。
(日本のアニメ版も同じような発想だ)

 ハリウッドの大予算で怪獣スペクタクルをやってくれれば満足しますよ。

 そんなことより、なにをーーー!
グリッドマンがアニメ化ですと!
 円谷プロもリメイクネタが尽きましたか。
「電光超人グリッドマン」は多大な期待を持って見始めたものの、
どうにも納得できなくて途中リタイアでした。
 ごめんなさい。
 今回のアニメ版、脚本があの人なので、うーーーん、不安なりぃ。

確かに不安かも・・・ - エクセルシオール (男性)

2018/08/04 (Sat) 23:02:11

 アニメ版『グリッドマン』のシリーズ構成が長谷川圭一氏というのは、確かに不安になる要素ではありますね。何せ『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』でゴジラの設定を「太平洋戦争で死んだ兵士たちの亡霊の集合体」に大改変して物議を醸し(この作品の脚本家は3人なので全責任を負うわけではないが)、『ウルトラマンネクサス』では「鬱トラマン」と揶揄される陰鬱極まりないストーリー展開で、あわやウルトラマンシリーズを破滅させかけた。二つも重大な前科があるわけですから、心配になってくるのも無理はありません。
 ただ、変な話ばかり書いている人でもないし、監督とかがうまくコントロールできれば、良い出来のアニメになる可能性もありますので、私はそこに望みをつないでいます。

 さて、『グリッドマン』のオリジナル実写版は今年で25周年となるわけですが、私にとって楽しみつつも疑問点も少なくない作品ではありました(リタイアした方がいるのも理解できる)。一番の問題は怪獣との戦いの大半がコンピューター世界で繰り広げられるため(現実世界でも恐ろしい事件が起きてはいるが)、話がこじんまりして見えていたことですね(現実世界に現れようとしたのは第2話のバモラと最終回のカーンデジファーくらい)。また、アシストウェポンと合体したグリッドマンはただの巨大ロボットにしか見えなかったことや、怪獣とのパワーバランスが崩れ気味(サンダーグリッドマンはほぼ無敵だった)であったことなども首をかしげてしまったことです。この作品は無条件で礼賛する人も多いのですが、私としては課題も多い作品だったなと思います。
 ただ、カーンデジファーと悪の少年・藤堂武史のほぼ毎回のやり取りは結構好きでした。武史が何かしら嫌な目にあう→カーンデジファーに愚痴をこぼす→カーンデジファーが「それはひどい。怪獣を使って仕返しをしてやるのだ」云々と言って彼をたきつけて怪獣が作られる。このあたりの構成は何というか「ドラえもんとのび太みたい」と思いました。
 
 再びアニメ版に話を戻しますが、最低限筋の通った面白い話をきちんと結末まで描いてほしい。最近の深夜アニメ事情はかなりひどいものでまともに落ちをつけられない作品が続発しています。それだけはやめてほしいですね。

Re: 『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/07 (Tue) 18:39:22

 そうだったそうだった、敵役の少年がカーンデジファーに恨み節を語るのであった!
すっかり忘れていました。

「グリッドマン」はもっと電脳空間とは何かとか、ネットワーク社会がどうなるかといった思索がこもっていればよかったのに、
と思います。子供向けでもやってやれないことはないと思うんですが・・。

 今度のアニメ版がどうなるのかはまったく未知数ですね。
オリジナル版の設定が使われるのかどうかもわかりませんし。画像を見る限り、電脳空間での戦いではなさそうだなぁ。
やはりまた、タイトルと主役のデザインだけを借用した別作品にするんでしょうか・・・。

 深夜アニメといえば、「深夜!天才バカボン」だけ見ています。
これが良い意味で予想を裏切る快作でした。
原作にはないオリジナル脚本ということでひじょーに心配したのですが、
監督・脚本が細川徹(シティボーイズライブの仕事で知ってました)ということで、なかなかツボを押さえた作風と思います。
赤塚ギャグの味も感じられて、某「◯◯◯さん」みたいに、人気声優を集めてただの打ち壊しをやればそれでよし、みたいになってないのがいい感じ。
(また余計なことを書いたか)

没企画は一部使用されるようです。 - エクセルシオール (男性)

2018/08/07 (Tue) 20:48:17

 アニメ版『グリッドマン』については、かつて日の目を見なかった「幻のグリッドマン第2作目」の設定の一部が用いられているようですよ。

 この没企画は『電光超人グリッドマンF』という作品になる予定だったもので、前作の主人公の一人・馬場一平も登場するはずでした。内容は暗黒宇宙から来た魔界の帝王の侵略から新たなグリッドマンが地球を守るというもです。
 新グリッドマンと合体する主人公の少年の名前が「響裕太」、魔界の帝王の名前が「アレクシス・ケリヴ」、そして魔王によって傀儡にされる少女の名前が「新条アカネ」であり、これらは今回のアニメのキャラクターの名前に用いられています。変則的ですが没企画のリベンジマッチと言った形になるでしょうか。
 なお、グリッドマン本編にも実現できなかった企画が結構あったようであり(例えば悪の超人カーンナイトや最強最後の怪獣ジエンドラなど)、それらもそのままというわけにはいかないでしょうが、アニメ版に何とか活かしてほしいですね。

 さて、アニメついでの話を二つ。まず、エヴァンゲリオン新劇場版完結編のタイトルが『シン・エヴァンゲリオン』だとか。一瞬、悪い冗談だと思ってしまいましたが、題名自体は『シン・ゴジラ』制作より先に決まっていたそうですので、便乗したというわけではありません。ただ、今度は『シン・ゴジラ』の方が何なのかという疑問がわいてきますが。

 次に、アニメ版ゴジラ完結編『星を喰う者』の公開日が決定。2018年11月9日だそうです。この映画は今のところキングギドラが出てくること以外は不明ですが、さて、どうなりますかね。こっちはそもそもきちんと落ちがつくか不安視してしまいます。

Re: 『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』予告編公開他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/08/08 (Wed) 18:36:26

 アニメ「グリッドマン」、没企画からとはいえ、オリジナル版からの連携を無視してはいないんですね。
 さて、どうなるか・・・。

・・・
 むかしむかし、「幻魔大戦」シリーズに「真幻魔大戦」なんてのがあったりして、
「シン」と付けたいんでしょうか・・・。
 よくわかりませんねぇ。

 アニメゴジラの顛末がどうなることやら、ギドラちゃんもいじりまくられるのかと思うと憂鬱ですよ。

「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 特撮好き (男性)

2018/07/28 (Sat) 05:42:28

 いきなりの訪問、申し訳なく思っています。
 ゴジラ論についてここまで(失礼な言い方になってしまわれますが)過激な方はお見受けしたことがなく、興味を引かれました。
 恐らくシン・ゴジラの怪獣はゴジラか否かについて言及したまとめ記事はタイトルの物だと仮定して話を進めますが、もし違っていたならご免なさい。
 上の記事に書かれていたことは幾つか疑問に思った箇所があり、その点に関して駄文ながら書かせてもらいます。


>人名だと同姓同名ということもありますが、同じ名前で違う人、というのは避けたい事態ですね。

 鈴木一朗と名の付いた人は日本中に大勢います。イチロー選手のみが鈴木一朗であり、他は鈴木一朗ではない、個体識別が面倒くさいから改名しろ!というのはとんでもない話です。
 また犬や猫などの別種の動物であっても、ペットとして太郎や花子など同じ名前を付けることはあります。

 名前を好きなものにすることはそれこそ自由であり、付けられた名前を変えろと強要することは間違っています。(付け加えるなら、どんな名前で言うかも個人の自由である以上シン・ゴジラの怪獣をちんごじらと呼ぶことも自由です)


>ちんごじら、見た目も出自も生態もゴジラとは違います。
これだけで十分ゴジラではない理由になり得ます。
 違う箇所もありますが、似ている箇所も数多くあります。
 この文は殿様ギドラさんがゴジラと呼ばない理由にはなり得ますが、ゴジラという名前で呼んではいけない理由にはなり得ません。
 また後述する文により、ゴジラと呼んでいい理由も存在します。
 
>それは、ゴジラを著作物と考え、現行の社会の中で法律的にゴジラであるという主張でしかなく、
ちんごじらがゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかという問題とは別です。
 確かにそうです。ですが、ゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかは各々の感情に委ねられる話です。見える、感じられるとなればなおさらです。
 「シン・ゴジラの怪獣は第4形態は初代ゴジラに似ているから、私はゴジラに見えますしゴジラと言います」という論法もこれでは通用してしまうのです。
 相違点をいくら挙げようとも、類似点も数多く挙げられるため、決着がつかなくなってしまいます。


>設定も形も違うのにゴジラと名付けてもいいのなら、その逆もアリではありませんか?
 論理学において、逆は必ず正しくはなりません。必ず正しいものは逆ではなく対偶です。

>ゴジラであるかないかはその内実を問題にするべきで、権威者による命名に頼ることには意味がないです。
 これだけではゴジラと名付けられた怪獣をゴジラと呼んではいけない理由にはなり得ません。
 また内実に関しても上を見る限りでは~に見える、~に感じるなどという個人の感覚に左右されてしまうものでしかありません。
 

 

 殿様ギドラさんが「シン・ゴジラの怪獣はゴジラではない」と言うことは自由です。
 しかし上の内容は「シン・ゴジラの怪獣は私はゴジラには見えない」という意見でしかなく、「私はゴジラに見えます」と言われたらそれまでではないでしょうか。
 殿様ギドラさんがゴジラと呼ばない理由にはなり得ますが、ゴジラファンがシン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼んではいけない理由にはならないのです。

 質問は以上です。急な訪問、急な質問、すみません。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/28 (Sat) 12:02:06

「特撮好き」さん、初めまして。
以前からギドラ氏が「もうシン・ゴジラについては語りたくない」と繰り返されておりますので、傍からしゃしゃり出る様で申し訳ありませんが、私なりの意見を述べさせていただきます。

 私も人名やペットの名前ならば「太郎」でも「花子」でも構わないと思いますが、しかし「ゴジラ」の場合は金銭の絡んだキャラクターネームなのです。しかも桁外れの「お金」が絡んでいるから厄介なのです。数年前に東宝とH監督の御遺族の間で起こった悲しい争い事も、すべて金銭問題から来ていることになります。
 そして、そもそもゴジラが著名なキャラクターであることが、今回の論争の原因なのだと思うのです。
本サイトで私たちが主張している「あの映画の怪獣をゴジラとは呼べない」との意見は、古いファンの感情論みたいに捉えられてしまう惧れがありますが、これを御理解いただくために、ゴジラを陶磁器のような焼き物に置き換えて考えてみたいと思います。
 仮に「A」という人間国宝的な大陶芸家が居て、その人物が創出した「〇〇焼き」と呼ばれる素晴らしい彩色磁器があったとしましょう。A先生は生涯を通じて〇〇焼きを作り続け、絶大な評価を得ましたが、やがて亡くなってしまいます。陶芸界では当然、その技術は弟子や子孫代々によって継承されては行きますが、それでもA先生のパーソナルな部分までは伝承される訳ではありません。その一派を取り巻く社会環境の変化次第では、代を重ねる内に衰退してしまうこともあるでしょう。
 そして、その流派が完全に途絶して十年ばかり経た後(それでも「〇〇焼き」自体は高い人気を保っていたとして)に、嘗てA先生を経済的に支援していた企業が全く無関係の若手陶芸家を押し立てて、似たような陶磁器(見た目は似ていても、釉には化学染料のみを用い、窯の焼成温度の管理はコンピューター任せだったりします)を売り出して、これに「新〇〇焼き」と名付けた場合に、法的な命名権は元のパトロン企業にあったとしても、これを買う側の人間までがオリジナルの「〇〇焼き」と「新〇〇焼き」を同列に論じることに、私は疑問を感じてしまうのです。私どもの云うところの「あの映画の怪獣をゴジラとは呼べない」とは、そうした理屈に依拠していることをお分かりいただきたいと存じます。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 特撮好き (男性)

2018/07/29 (Sun) 01:33:31

 海軍大臣さん、返信感謝します。
 海軍大臣さんの言わんとしていることは理解できます。私は「どんな名前で言うかも個人の自由である以上シン・ゴジラの怪獣をちんごじらと呼ぶことも自由です」と記述しています。シン・ゴジラの怪獣を私はゴジラとは思えないと主張するな、と言っている訳では決してないのです。
 シン・ゴジラの怪獣をゴジラとは呼ばない自由はもちろんあります。ゴジラと思わない自由もあります。私はゴジラとは思えない、と主張するのもむろん自由です。

 私が述べていることは、シン・ゴジラに登場する怪獣をゴジラだと感じたりゴジラと呼んだりする自由もあり、それを殿様ギドラさんが否定するのはおかしくありませんか? ということです。
 海軍大臣さんの例えで言うなら、「新○○焼き」が「○○焼き」と似ている部分が、その人にとっては○○焼きの肝と思える部分であれば、また○○焼きの好きな部分が受け継がれていたと感じるなら、その人は○○焼きと呼んでも問題はないのではないでしょうか? という形です。

 繰り返しになりますが、殿様ギドラさんは「ちんごじらがゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかという問題とは別です。」とおっしゃっています。
その通りです。感じられるか、見えるかは個人の感覚です。その感覚を否定することなどできません。何をゴジラらしいと思う感覚など千差万別です。

 しかし殿様ギドラさんは上の記事においても他の人がシン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼ぶことを否定し、「『シン・ゴジラ』という蒙昧を斬る(ゴジラファンとして)」においては、
>その魅力とは何ですか?
『シン・ゴジラ』にそれはありましたか?

あった、というなら、ずいぶん浅いゴジラ観をお持ちですね。

とおっしゃられています。個人の感覚が大きく関わってくる問題にここまで強い言葉で否定する理由は何故なのか、知りたかったのです。


 シン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼んではいけない理由も前にも述べた通り、いまいち筋が通りませんでした。

 以上です。感情的な物言いになっているかもしれず、その場合は申し訳ないです。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/29 (Sun) 22:14:44

「特撮好き」さんへ。
 私が申し上げたことへのご意見に関してなのですが、

>海軍大臣さんの例えで言うなら、「新○○焼き」が「○○焼き」と似ている部分が、その人にとっては○○焼きの肝と思える部分であれば、また○○焼きの好きな部分が受け継がれていたと感じるなら、その人は○○焼きと呼んでも問題はないのではないでしょうか? という形です。

 の部分につきましては、完全に「問題あり」と愚考いたします。
 この場合、「新○○焼き」であれ「復古○○焼き」であれ、オリジンの「○○焼き」とは厳密に区別されねばならないからです。何故なら「似ている部分が、その人にとっては○○焼きの肝と思える部分であれば、また○○焼きの好きな部分が受け継がれていたと感じるなら」といったことで、受け手がこれを勝手にオリジンといっしょくたにして呼び始めてしまえば、これまで先人たちが真摯に編んできた陶芸史というものが著しく貶められてしまうからです。これは我が国の特撮史を俯瞰する場合にも当てはめられることで、今では「昭和ゴジラ」と一括りにされている作品群についても、80年代初頭に「ネオフェラス」や「ゴジラ復活委員会」で活躍されていた先達たちは、「円谷ゴジラ」と「中野ゴジラ」を峻別していたことが思い出されます。
 前回、私はオリジナルとそれに寄せて作ったものは同列には論じてはいけないことをお分かりいただきたいと思い、敢えてゴジラを判り易く陶芸に置き換えた「譬え話」にした訳なのですが、そのついでに申し上げますと、昔、全国的に大変な注目を集めた「永仁の壷事件」と呼ばれる贋作騒動がありました。もしよく似ているから、或いは好きな部分が受け継がれているから「新○○焼き」を「○○焼き」と呼ぶ自由が認められてしまうのであれば、オリジナルそっくりに捏造された「永仁の壷」だって「本物」と呼んでも良いことになってしまします。でも、それは社会的規範であるとか公序良俗といった観点からは絶対に許されないことです。
「シン・ゴジラに登場する怪獣をゴジラだと感じたりゴジラと呼んだりするのは自由である」と仰る気持ちも分からないではありません。私も表現の自由、発言の自由は尊重すべきだと思います。しかし、社会的規範や公序良俗を捻じ曲げてまで主張される自由など在ってはならないものなのではないでしょうか? 以上の理由から、少なくとも私にはギドラ氏が、他の人がシン・ゴジラの怪獣をゴジラと呼ぶことを否定することに疑念を持たないでおります。

 ところで映画【シン・ゴジラ】が公開されて、本日で丸二年になるそうです。以前にも本サイトで似たようなことを書きましたが、二年経っても相変わらずこのような議論が交わされていること自体、まんまと作り側の掌上で踊らされているみたいで、たいへん忸怩たるものを感じてしまいます。

 以上、だいぶ舌足らずな論旨になってしまいましたが、お目通しいただければ幸いです。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 特撮好き (男性)

2018/07/29 (Sun) 23:42:20

 海軍大臣さんへの返信です。

>これまで先人たちが真摯に編んできた陶芸史というものが著しく貶められてしまうからです。
 なぜ貶められてしまうと断定しているのでしょう。人によっては、これまでのものをより発展させたと感じることもあるでしょう。先代より良くしたと感じることもあっていいはずです。むろん貶められたと感じることもあっていいですが、断定するのは何故でしょう?
 どんなアレンジをしてもそれは先代以下のものだと無条件で断定しているのでしょうか。理解できません。


 また社会的規範は「社会や集団のなかで,ある事項に関して成員たちに期待されている意見,態度,行動の型」です。これはブリタニカ国際大百科事典から抜き出しています。
 「みんな圧力に負けずに正直になろう!」とおっしゃっている殿様ギドラさんに賛同する方が、社会的規範というものをいきなり持ちだそうとすることはいけません。(他にも同調圧力に対する批判はこの掲示板に多く見られます。)
 普段は同調圧力に反対されている方に無批判にも関わらず、都合のいいときだけ多数決じみたものや同調圧力を持ち出しているのは不公平であり、筋が通りません。

 更に社会的規範や海軍大臣さんが前に少しおっしゃった金銭の問題を持ち出すなら、これを持ち込むのは気が引けますが、社会的に多数の賞を取り、ほとんどの評論家が絶賛し、興行的にも成功を収め、基本的に礼賛意見が多数を占め、この掲示板によれば同調圧力があるとされる『シン・ゴジラ』は社会的規範となる映画になってしまいます。
 だからと言って批判してはいけない等ということはないですよね。

 以上です。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/30 (Mon) 20:18:32

 丁寧な物言いを装ってはいるようですが、質問と称しながら自己の主張を述べているだけなのですから、なんともかんともです。
そして海軍大臣さんにご迷惑をかけてしまったことは誠に申し訳ないです。
二年も前の記事にいまさら噛みついてくるような人には、残念、タイムアウトです、と言いたいところなんですが、
読んでいる人のことを考えて何か書いておきますか・・・・。
 レスのほうでもいろいろ難癖をつけてきていますが、まー、その手触り、初めてではない感じだなぁ。
(文章の一部だけ抜き出して文脈から切り離し、表面的な反論を試みるやり口は懐かしい感じまでする)
親記事へのレスしか書きませんよ。


>物体でも事象でも、なんらかの存在を識別するためにあるのが名前。
>人名だと同姓同名ということもありますが、同じ名前で違う人、というのは避けたい事態ですね。

と私は書いています。

 現実に同姓同名があることは承知の上で、人名であっても可能なら同姓同名は避けた方が良いのじゃないか、と言っているわけです。
どんな名前を付けようが自由だとしても、周りの人間にとっては同姓同名はややこしいでしょう?
二年前の記事に足りない点があったとすれば、架空の生物であり創作物である怪獣なら別種の物には違う名前をつけるべきだと説明すべきだったということでしょうか。
それぐらいのリテラシーを読者に期待してはいけませんかね。
(とはいえ、これまた同名の別怪獣は存在する。それは作り手のチェック漏れでしょうね)


 見た目も出自も生態も違う動物に同じ名前を付けることは正当化できませんよ。
ひょっとしたら、まるで別種の生き物が同じ名前で呼ばれている例があるかもしれませんが、それは、上述の人名問題と同じく避けるべきことでしょう。
(ゴジラとちんごじら、鳥のキウイとキウイフルーツ並みに別種だ。混同しないように、果物のほうはキウイフルーツと呼ぶのである)

>しかしながら、ゴジラの権利を持つ東宝がゴジラ名で発表したんだからゴジラなのだ、という主張もあり得ます。
>それは、ゴジラを著作物と考え、現行の社会の中で法律的にゴジラであるという主張でしかなく、
>ちんごじらがゴジラとして感じられるか、ゴジラに見えるかという問題とは別です。

と私は書いています。
 ここで言う、感じられるか見えるか、というのは、内実や外見を合わせた総体としてゴジラであるか、ということを言っているのであって、
個人の感覚においてゴジラと感じられるかどうかと言いたいわけではありません。

 ゴジラに対して造詣が深い人であれば、たとえ設定や物語上の歴史が同じでも、円谷英二によるゴジラ、有川貞昌によるゴジラ、そして中野昭慶によるゴジラにも差異を感じるでしょう。
そんな個人の感覚レベルの違いまでを問題にするともはや新作ゴジラ映画など作れなくなりますから、
初代・二代目と同じ設定のもののみをゴジラと呼ぶべきだと申し上げているのであり、外見に対してどんな基準を適用すべきなのかは、難しい話だなぁといつも悩んでいます。
(モスラ対ゴジラでのゴジラあたりを基準にするのがいいんじゃないかなどと書いたこともありますね)


 私は
>それから、ちんごじらとは逆に、設定も形もゴジラと同じで別の名前をつけられた怪獣が発表されたなら、誰もがゴジラのパクリだと批判するのではないでしょうか?

>さあ、変ですね。
>設定も形も違うのにゴジラと名付けてもいいのなら、その逆もアリではありませんか?

と書いたのです。
 ここでいう「逆」とは論理学用語の逆ではありません。
特撮好きさんの主張によると、どんなものでも命名は自由だということらしいので、設定も形もゴジラと同じ物に別の名前がつけられていでも平気なのでしょうけれど、
では、

 Aという名前のものは、αという設定・デザインであるという命題を考えましょうか。
 この命題を真とするなら、
その論理学でいうところの対偶を取ると、
αではないならAではないということになり、それも真であることになります。
 当たり前だと思うでしょうか。しかし、それは、「名前」という言語の機能を定義通りに使っていた場合のこと。
 上記の命題に加える形で、
 Aという名前のものにβという設定デザインが与えられたとすると、
その対偶は、
 βではないならAではない、となります。

 これは正しいでしょうか。αであるAも存在するのですよ。となるとβではないならAではないとは言えないことになります。
二番目に書いた命題の対偶は真ではなかった。ということはAという名前のものにβという設定デザインを与えるという命題は偽です。
 整理するとこういうことです。
 Aという名前のものがαという設定・デザインを持つとき、
Aという名前でβという設定・デザインを用いるのは「偽」である。

 ゴジラの設定・デザイン改変問題はまさにこれである。
つまり同じ名前で違う物というのは論理的に問題ありということです。

 とかなんとか書きましたが、特撮好きさんは命名は自由であり、中身も見た目も違っている同じ名前のものがあっていいじゃないかとおっしゃっているので、
ある意味、何を言っても無駄でしょうね。

 お読みになった方々が何を考えるか、に期待します。

Re: 「シン・ゴジラ ゴジラはひとつ!」についての質問 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/30 (Mon) 22:50:47

「特撮好き」さんへ。まずは誤解されているポイントから申し上げます。

>なぜ貶められてしまうと断定しているのでしょう。人によっては、これまでのものをより発展させたと感じることもあるでしょう。先代より良くしたと感じることもあっていいはずです。むろん貶められたと感じることもあっていいですが、断定するのは何故でしょう?
 どんなアレンジをしてもそれは先代以下のものだと無条件で断定しているのでしょうか。理解できません。


 の部分です。これまで焼き物に譬えてお話してきましたので、それを踏んで続けさせて貰いますと、代々「徳田八十吉」を名乗る陶芸家がおります。彩釉磁器と呼ばれるすばらしい焼き物を作られており、代が変わっても常に釉薬や土、焼成温度などの研究を怠らず、この流派を発展させてきました。私は何もこの流れを否定しているのではありません。これを東宝特撮史の流れに当てはめるならば、戦前期に円谷監督がスーパーインポーズ機を改造して作った1ヘッド式の「エルネマン」と呼ばれるオプチカル・プリンターをスタートとして、戦後の35㎜ネガ横流し式のトーホー・バーサタイル機の開発、そして4ヘッド式のオックスベリー・シリーズの導入を経て、代替わりした川北監督時代でのデジタル合成の導入、といったことになるのだと思います。つまり、これが貴兄の云われる、

>先代より良くしたい

 といった進取気鋭の発露だと思いますし、私はそのことで「陶芸史が貶められる」などとは一切申したつもりはありません。
ここで私が申し上げたいのは、別の陶芸家(例えばコピーの名人である加藤陶九郎あたり)が作った似たような焼き物が、真物の「徳田八十吉の彩釉磁器」として世の中に罷り通ってしまうような事態が起きた場合に「陶芸史が貶められてしまう」ということなのです。永仁の壷のところでも書きましたが、幾らよく似ていてもコピーを真物と言いくるめてはいけないと云うことです。この辺りは今一度拙文を読み返していただければお分かりになられるのではないかと考えます。

 また「社会的規範」の言葉を用いたことにつきましてですが、そのブリタニカ国際大百科事典にある、「社会や集団のなかで,ある事項に関して成員たちに期待されている意見,態度,行動の型」との定義を眺めるかぎり、「特撮好き」さんの仰られる、

>多数決じみたものや同調圧力

 のニュアンスまでは読み取れないのではないように思えます。何だか拡大解釈されている気もしますが、もし私が「社会的規範」という言葉を用いたことが問題であるならば、これを「この世で私たちがまっとうに生活していく上で持たねばならぬ良識」と読み替えてください。(前にも書きましたが、舌足らずですみません)何も私は数の理論みたいなものを振りかざすためにこの言葉をチョイスしたつもりはないのです。例えば、スーパーで特売品の卵は「お一人様、2パックまでです」と決められていたら、真面目にそれを守るといった意味合いであり、これを「何パック買おうと、俺の自由だ」と主張することが宜しくないのは云うまでもないことでしょう。
 ですから、この「社会的規範」という言葉の解釈を巡っての行き違いがあったとしても、私には最初から数の理論など持ち出す気など無い訳ですから

>普段は同調圧力に反対されている方に無批判にも関わらず、都合のいいときだけ多数決じみたものや同調圧力を持ち出しているのは不公平であり、筋が通りません。

 と仰られても、残念ながら「そうですね」とも「違いますよ」とも申し上げようがありません。このあたり、お分かりいただきたいと存じます。

訂正 - 海軍大臣 (男性)

2018/07/30 (Mon) 22:53:46

☓読み取れないのではないよう→〇読み取れないように

朗報です! - 海軍大臣 (男性)

2018/07/26 (Thu) 22:02:48

 あれだけ重要な人物でありながら、単独の研究書が書かれていなかった「有川貞昌さん」の書籍が来月早々に発売だそうです。御自身の書かれた未発表の原稿も収録されるとかで大変楽しみです。

Re: 朗報です! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/27 (Fri) 18:37:43

 おお!やった!
買います読みます!!

Re: 虎の尾を踏み毒蛇の口を逃るる如く… - 海軍大臣 (男性)

2018/07/27 (Fri) 20:52:30

 人づてに聞いた話ですが、【蜘蛛巣城】の撮影時にスタッフ一同でオールラッシュを見る機会があったそうです。
この作品では円谷英二指揮の下、有川さんも「蜘蛛手の森」が動き出す場面をミニチュア・ワークで撮影していたので一緒に見ていたところ、くだんの特撮シーンが黒澤さんの気に入らなかったらしく、「このカットを撮ったカメラマンはどいつだ!」との怒鳴り声が上がったのだそうです。そこで有川さんは怒り心頭の黒澤さんに見つからぬように、試写室の闇に紛れてトンズラしたとのことでした。

特撮のDNA展と大森一樹監督 - なんじぇい (?)

2018/07/21 (Sat) 14:00:29

ゴジラからシン・ゴジラまで 「特撮のDNA」展【2018夏休み】
https://www.kobe-np.co.jp/news/odekake-plus/news/detail.shtml?news/odekake-plus/news/pickup/201807/11445202

神戸で9月2日までやっているみたいです。メカゴジラ2の着ぐるみとかがあるようです。


またDNA展にはこんな企画もあるようです。
https://www.sankei.com/smp/west/news/180721/wst1807210007-s2.html
大森一樹監督トークショー「1990年代のゴジラ」

8月12日(日)午後1時30分~午後3時。定員80人(事前申込制、申込者多数の場合は抽選。

希望者は往復はがきにイベント名、参加者全員の氏名、代表者の郵便番号、住所、電話番号、参加人数を記入し、〒673-0846兵庫県明石市上ノ丸2の13の1、明石市立文化博物館へ。7月31日(火)必着。

■ギャラリートーク

7月21日(土)、28日(土)、8月18日(土)、25日(土)午後2時~(各回30分程度)。当日自由参加。

気が向いたら行ってみてもいいかもしれませんね。
個人的には大森監督のトークショーが目当てだったりします。

ですが……

大森一樹さんについての私感 - なんじぇい (?)

2018/07/21 (Sat) 14:31:01

個人的には大森さんは「苦悩の人」だという印象があります。
「ゴジラを造るのは、世界のどの映画を造るよりも難しい」という言葉からも、ゴジラ映画を作るときの苦悩が表れていると思います。

確かに『VSキングギドラ』でゴジラを恐竜の変異体にしてしまうという、やらかしをしてしまったという事実はあります。
しかしその後の脚本の『VSモスラ』や『VSデストロイア』ではゴジラに関しては徐々にうまく軌道修正ができていたことからも、大森さんの成長(といいますか、ゴジラ観の成熟でしょうか)が見受けられます。



さて、大森さんに関して非常に興味深い資料があります。
http://ayamekareihikagami.hateblo.jp/entry/2015/10/30/213632

金子修介さんと富山省吾さんとのトークショーのものです。
このトークショーは各々の怪獣映画への向き合い方に関しては必見といっていい資料です。

「金子さんは、ぼくのガメラ、ゴジラみたいに言うけど、ゴジラはみんながつくっていて、権利は誰にあるかはよく判らない。田中友幸さん(プロデューサー)かな」
「ゴジラは1本目を除けばファミリーピクチャー。それが大事じゃないかな。だから(庵野秀明・樋口真嗣監督の)次のゴジラは期待できない。あのふたりがやって、ファミリーピクチャーになるわけない(一同笑)。お父さんと子どもが見て、あわよくばお母さんも見る。それを狙って、女性キャラが出てきたんじゃないかな。ファミリーだって意識は田中さんにあり、東宝にもあった」

私はこれを見て、大森さんはゴジラ映画に関してよく分かっているという印象を持ちました。少なくとも金子さんより確実に賛同できます。
また、大森さんが一番ゴジラに関して信念を持っているように感じられます。

私は次の日本のゴジラ映画を、大森さんに任せても良いのではないかと感じています。
大森さん本人もやりたがっておられるようなのでなおさらです。

Re: 特撮のDNA展と大森一樹監督 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/24 (Tue) 18:43:04

特撮のDNA、2年前からだったと思いますが、全国巡回しているんですよね。
 残念ながら、まだ見ていないんです。
 2年前に山形へ行ったとき、福島で「特撮のDNA」が開催されていることに気づいたというまぬけぶり。
 事前に知っていればスケジュールを調整して福島にも行けただろうに・・。く~。


 大森一樹監督はいいですよ~。ゴジラ時代はちょっとむむむと思っていたところもありましたが、
しっかりとした映画を作る人という印象です。
 またゴジラに関わって下さってもいいですね。
(どうか、元祖シリーズのつづきにしてちょーだい)

 富山・大森・金子トークショーの記事、別サイトのものは読んでいましたが、
今回ご紹介のページは初めてでした。
 文面が違うので、初めて読むくだりもあっておもしろかったです。

 金子さんは・・・・、あーあ、まだそんなこと言ってら、って感じでしょうか・・・。

悲しい気分で特撮ジョーク - 海軍大臣 (男性)

2018/07/21 (Sat) 01:03:32

 先日の怪獣プラネットの件で思い出したことですが、70年代末から80年代初頭の所謂「特撮冬の時代」を過ごしてきた世代にとって、当時TVで僅かながらも流れていた川北紘一監督や神沢信一監督などの手による職人技的なミニチュア特撮を「あの頃に劇場作品でも是非観てみたかった!」との思いは未だに強く残っています。
 それが十数年の後に、平成ゴジラが呼び水となって特撮映画が活況を呈するようになり、90年代末から2000年代初頭にかけては「特撮映画バブル」といった有様が現出することになりました。勿論、自分たちの願っていた方向性とは異なる作品が多かったのは事実ながら、それでもあの冬の時代を知る世代にとって、正に隔世の感があったことは確かでした。
 で、その当時、一部のファンの間でこんなジョークが流行っていました。

 タイムマシンを手に入れた或る特撮ファンが、70年代末~80年代初頭の「寂しい少年ファン」だった頃の自分に会いに行き、やがて夢の様な時代が来ることを伝えようとした。以下はその会話である。
「おい、若き日の俺よ、喜べ。あと20年もすればゴジラがシリーズものとして復活し、毎年新作が公開されるほどの大人気になるぞ!」
「うわー、凄い!でもゴジラだけなの? ガメラとか他の怪獣は?」
「そうそう、ガメラも復活してシリーズ化されて、一部のファンの間ではゴジラ以上の大人気になるぞ。それにガメラばかりかモスラを主役にしたシリーズまで作られるんだぞ!」
「楽しみだなあ!それでTVは?ウルトラマンはどうなの?」
「おお、ウルトラマンも復活するぞ。三色に色が変わったりして大人気になり、劇場用の新作まで作られるんだ。あとブースカまでリメークされるんだ。凄いだろ!」
「へえ!で東映は?仮面ライダーは復活しないの?」
「仮面ライダーも復活するんだ。子供たちばかりか主演のイケメン俳優を目当てにした母親世代まで巻き込んで、ウルトラシリーズ以上の大人気になるんだぜ」
「本当に凄いなあ!で、戦隊シリーズは?」
「えっ、戦隊もの?…う~ん、戦隊ものは今と全然変わってないな…」
 お後がよろしいようで。

 でも、全然変わらないのが戦隊シリーズの魅力なのかも知れませんね。

Re: 悲しい気分で特撮ジョーク 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/24 (Tue) 18:32:59

 戦隊シリーズの息の長さにはホントに恐れ入ります。
特撮冬の時代に「バトルフィーバーJ」で巨大ロボを登場させ、特撮ドラマなんだぞ、と主張したのにびっくりしたのを覚えています。
 それまでの仮面ライダーやゴレンジャー、ジャッカーなんかはあくまでもアクションドラマで、
特撮は補助的に使われるだけでしたから、少なくとも私の認識(当時のファンもそうだったんでは?)としては、
東映ヒーローものを特撮作品とは思っていませんでした。

 おそらくはスターウォーズの影響で特撮物を復活させようという業界全体の動きがあったのだと思いますが・・。
 同時期に東宝製作の「メガロマン」なんてーのもありますし、80年にはウルトラマン80登場ですから。

 しかし、よそで特撮物の盛衰があっても、ずーっと何十年もつづいている戦隊は、エラい。
 ちと近年は変わったことをやろうとしたりもしているみたいですが、
老舗の味を守っていって下さい。(さすがにもう戦隊物は見ていないざんす)

橋本忍先生! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/21 (Sat) 16:20:01

 いろいろと興味深いお話が出ていてレスしたいところなんですが、本日は橋本忍先生の追悼のみで失礼します。

 昨日の夕刊で知って愕然としましたが、御年100歳、最後まで現役を貫いたということで大往生と申し上げていいかと思います。
記事にはその作品歴が簡単に並べられていましたが、まさに名作揃い。
 私が刺激を受けた作品が多数あります。
 ここでは橋本脚本の名作リストには出てこない、しかし、先生入魂の『幻の湖』(1982)についてその思い出話を書いてみます。

 この映画、製作発表時から注目の話題作で、私も気にしていました。
公開当時、浅草東宝や池袋東宝の特撮オールナイトに通い詰めていた私は、『幻の湖』が封切られてもすぐ見に行く金銭的な余裕がなくて、保留状態でした。
『幻の湖』上映中の浅草東宝特撮オールナイトへ友人とともに出かけた私は、『幻の湖』に入場してそのままオールナイト上映になだれ込めないかなどと考えましたが、
昼のプログラムは特撮オールナイトより入場料が高く、友人をつきあわせるのもまずいしなぁと逡巡。
 チケット売り場の前で友人に
「『幻の湖』も見てみたいんだが、特撮オールナイトに来たんだ、と言ってオールナイト料金で入れてもらえないかな」なんて普通の音量で言ってしまい、
友人に、
「ばか、売り場のねえちゃんに聞こえるだろ」とたしなめられたりしました。

 浅草東宝は昼のプログラムがラスト1時間になると、オールナイト料金で途中入場させてくれたので、『幻の湖』ラスト1時間を映画館で見るという貴重な体験をしました。
前段を見ていないので、なにがどうしてこんなことになったのかさっぱりわからぬまま、あの壮絶(?)なラストに度肝を抜かれました。
上映はあっという間に打ち切られたので、全編を見ることなく月日が流れました。

 その後、『幻の湖』は怪作珍作の代表例のような扱いで雑誌などで紹介されるようになります。
ああ、橋本忍大先生の大暴投だったんだなーと、脳みその引き出しにそっとしまってさらに数年・・・。

 10年ほどまえでしょうか。CS放送で初めて全編通しで見ることが出来ました。
たしかに大暴投。けれども、茶化して笑っていい作品とは思えませんでした。
80年代当時の日本の空気に対する橋本忍の問題意識が詰め込まれた、見応えのある映画だったのです。
(たしかに変なんですが)
失敗作かも知れないけれど、ソープランド嬢(当時はまだトルコと言っていたか)を主役に据え、戦国時代の女と対比させ、アメリカに操られる日本、
若者のカリスマ(作曲家)を絡めて時代の空気と日本人の気質を描き出そうとした試みは無視できないものがありました。

 腐っても鯛、とはよく言ったものです。

 大脚本家、橋本忍先生の逝去を悼みます。
2月にはギドラ掲示板で橋本作品ネタで盛り上がったのになぁ。

Re: 橋本忍先生! - エクセルシオール (男性)

2018/07/21 (Sat) 23:11:42

 橋本忍さんが脚本家として関わった映画の歴史をたどると、次から次へと傑作、名作が登場してくるので、改めてこの方の偉大さが理解できます。日本の映画史に絶対欠かせない人であったと思います。

 さて、『幻の湖』ですが、この作品に関しては現在「日本三大カルト映画」の一つとしてしばしば物笑いの種になっています(後の二つは『シベリア超特急』と『北京原人 Who are you?』だそうである)。確かに訳の分からない映画として批判されるのもしかたない作品なのですが、個人的には「極端に真面目に取り組んだ結果、暴走してしまった映画」という感じがしますね。
 もう少し内容を整理して製作すればうまくいったかもしれないので残念です。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

Re: 橋本忍先生! - 海軍大臣 (男性)

2018/07/22 (Sun) 18:49:57

 2月のギドラ掲示板でのジョークはさておき、兎も角、実に偉大な方を亡くしたとの思いでいっぱいです。

 若いころ、キネ旬のバックナンバーに掲載されていた【太平洋の嵐】や【日本沈没】のシナリオを目にしたとき、そこに描かれていた圧倒的なビジュアルイメージに度肝を抜かれたことが思い出されます。(だって、文字で書かれているのに、映像が浮かんでくるんですよ!)
 更に、ストーリーそのものの骨太な構成力も又、他のどんな脚本家には観られないものでした。
 結局、自分の理想として求めていた映画とは、軽快な娯楽作としての関沢新一作品と、ただただ観る側を圧倒する橋本忍作品に集約されてしまうことになるのだと思います。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。

Re: 橋本忍先生! - なんじぇい (?)

2018/07/22 (Sun) 22:56:34

橋本先生は日本映画史において、とてつもなく偉大な功績を残した人であったことは間違いありません。

お恥ずかしながら私は彼の作品は少ししか観ていないのですが(『日本沈没』『蜘蛛巣城』『七人の侍』『生きる』くらい)、いずれも登場人物の気持ちの揺れ動きが細部まで伝わってくる作品でした。
気持ちを理解できるように丁寧に描いているなあ、と思っていました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

久々のメジャーサメ映画 - エクセルシオール (男性)

2018/07/15 (Sun) 22:19:22

 今年の9月に『MEG ザ・モンスター』という映画が公開されます。深海に生き残っていた古代の巨大鮫メガロドンが蘇り、大パニックを引き起こしていくというモンスターホラー映画で、すでに公開されている予告編ではものすごくでかい鮫が大暴れする姿が見られます。

 この映画、多分『ディープ・ブルー』(1999年)以来のまともに金をかけたメジャー作品としてのサメ映画となります。サメ映画というジャンルは近年、過剰なまでに粗製乱造され、多くの人の失笑を買ってきました。モックバスター(模倣映画)の製作会社として有名な(悪名高い)アサイラム社などが中心となり、適当なCGを使って大量生産。『シャークネード』、『シャークトパス』、『メガシャーク』、『アイス・ジョーズ』、『シン・ジョーズ』等々、もうやりたい放題でした。

 しかし、本作品は違います。何といっても主演がジェイソン・ステイサム、文句なしの大スターです。CGだって予告編で見る限りは、本物みたいな迫力のあるものです。どうか「質の悪いものが大量に作られる」というサメ映画の現状を変えてほしいですね。もっとも、いくら技術がすごくてもシナリオが駄目では意味がありませんが(きちんと筋の通った話を作ってほしい)。

 まあ、いくら強大でもサメはサメですし、相手がジェイソン・ステイサムでは倒されることは確実でしょうが、彼にやっつけられるまでにどれだけ観客を恐怖させるか、そこが見ものでしょう。

 余談。今ではアクションスターとして揺るがぬ地位を築いたステイサムですが、彼がまだスターになる前に出演したSFホラー映画がありました。『遊星からの物体X』の監督だったジョン・カーペンターが作った『ゴースト・オブ・マーズ』と言う作品で、火星人の亡霊が火星に植民していた地球人に次々と憑依して狂暴化させていくという映画です。アメリカでは2週間で打ち切りになったと聞いていますが、ステイサムが出演していたので、今では多少有名になっているそうです。機会があったら観てみてください(ちなみに憑依された人はなぜかロックバンドのKISSみたいな格好になります)。

Re: モンスターパニック私感 - なんじぇい (?)

2018/07/16 (Mon) 16:52:34

一応サメ映画の大作としては『ロスト・バケーション』などがありましたが、大作自体は確かに珍しいので私としても期待したいところですね。
まあZ級映画は大抵脚本以外も演技・演出・CG共に拙すぎるものが多いので、その点では安心して見れる大作が出ることは喜ばしいです。



さて、モンスターパニック映画はサメ以外にもワニ・熊・蛇・鳥・虫など手を変え品を変え大量のZ級映画が粗製乱造されていますが、個人的にはこの系統の最高傑作は『オルカ』だと思っています。

『オルカ』は巨大シャチが人間達を襲う作品なのですが、かなり変わっていまして、なんと作品がモンスターであるオルカ側に立っているのです。
ストーリーも妻と子供を漁師に殺されたオルカが漁師に復讐を遂げにやって来るというもので、基本的にただ倒される対象でしかないモンスターパニック物としては極めて異色の作品と言えます。
人間とオルカ双方をじっくりと見せ、どちらにも感情移入出来るような作風となっています。
モンスターパニック物としてのあり方や、人間の営みについて色々考えさせられる作品であります。
また工場を爆発させたりなどの特撮の見せ場もバッチリあります。
最後の結末もかなり衝撃的であり、モンスターパニックとしてここまで異端な作品はないでしょう。
(でもあまり話題にはならなかった……残念)
間違っても爽快感などはありませんが、お勧めしておきます。



モンスター側に立った映画と言えば、ネズミの『ウィラード』『ベン』辺りもそうでしょうか。昔の映画の方が多いのかもしれません。

Re: 久々のメジャーサメ映画 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/17 (Tue) 18:23:54

 いやー、こうしてお二人の記事を読んでみると、
わたしゃ、サメ映画を見てないなー。
『ジョーズ』ぐらいしか見ておりません。
『ジュラシック・ジョーズ』のダイジェストを見てひっくり返ったことはあります。

『MEGザ・モンスター』についてちょいと調べて見ましたら、原作はSF小説だそうなのでなかなか期待できるかも知れません。

『ゴースト・オブ・マーズ』、ストーリーはほとんど忘れていましたが、おもしろかったです。
 基本的にジョン・カーペンターは好きなんですが、どこまで行ってもB級の香りが抜けない人ですよね。

 なんじぇいさん、古い映画をよくご存じですね!
『オルカ』はまったくおっしゃるとおりの傑作です。
70年代の動物パニック映画ブームの中で公開されたので、その他の
『グリズリー』だの『テンタクルズ』だのと一緒くたにされている感じもありますが、
私は『ジョーズ』より好きです。

怪獣プラネットゴジラ! - なんじぇい (?)

2018/07/04 (Wed) 21:43:53

そういえば川北紘一さん監督の作品なのに観てなかったなあ……というわけで、今日これを鑑賞してみました。

ビックリしました。
「凄いじゃないですか!」と興奮ぎみです。

まず本作は1984年以降のゴジラ作品で、最も原点に近いゴジラではないでしょうか。というより私の見る限りでは初代や2代目そのまんまです。
核実験で変異した生物ではなく自然の生物で、放射能ではなく自然のものを食べ、放射熱線も青色です。
さらに設定によれば、身長も50mだそうです。

またゴジラたちも見境なく上陸して都市で暴れる存在ではなく、人間たちの汚染物質のせいで地球にワープしてしまい訳もわからず興奮して暴れているだけ、というのも素晴らしいです(故郷の緑の実を食べて穏やかさを思い出して大人しくなる、という結末も良い)。

それでいて、ちゃんと建物をバンバンぶっ壊して破壊のカタルシスを堪能させてくれます。
東京駅の破壊のシーンは個人的にはヤシオリ作戦の何十倍も面白いです。
欲を言えば、銀座ももう少し破壊してほしかったかな……くらいでしょうか。

「緑の実を食べたら何故かゴジラたちがフワフワ浮いて故郷に帰っていく」という突っ込みどころはありますが、これは上映時間が10分未満しかない以上(加えてテーマパークのアトラクションムービーなので、絶対にハッピーエンドにしなければならない)、致し方ない問題に見えます。
それでもゴジラたちが故郷へと帰っていく際には物悲しい音楽を流したりしているところは、ゴジラたちに寄り添っているような感じがして好感が持てました。

『怪獣プラネットゴジラ』、ゴジラへの愛情がつまった素晴らしい作品でした。
川北さん監督のゴジラ映画を観てみたかったなあ……と思わされました。

Re: 怪獣プラネットゴジラ! - エクセルシオール (男性)

2018/07/05 (Thu) 20:21:04

 この映画はサンリオピューロランドのアトラクションとして制作されたものですが、映像ソフトになったものは完全版ではないそうです。なにせサンリオなのでハローキティが登場しているシーンがあったらしいのですが、版権の関係でカットされちゃったそうです。そんなにキティの権利料が高額だったのか?少々疑問が残ります。
 
 ストーリーはものすごく強引な展開でしたが、元がアトラクションである以上、仕方ない面もあるでしょう。登場怪獣はゴジラとラドンとモスラという豪華な面々であり(アンギラスはどうにもならなかったのかなあ・・・)、宇宙船アース号もガルーダを改造したものでかっこよかったです。なお、ゴジラが東京駅を壊したのはこれが初めてだったとか(なかなか迫力がありました)。
 案内役はVSシリーズ唯一のレギュラーであった三枝未希役の小高恵美さん、ゴジラは薩摩剣八郎さんが演じていたので、よかったです。後、ノンクレジットですが、有名な声優さんが複数出ていたと聞いています(中村正さん、家弓家正さん、塩沢兼人さん、キティ役の林原めぐみさん)。

 いつか完全版を観てみたいですね。

Re: 怪獣プラネットゴジラ! - 海軍大臣 (男性)

2018/07/06 (Fri) 00:07:30

「怪獣プラネットゴジラ」は当時、多摩センターのサンリオピューロランドまで特撮好きの仲間10名ばかりで観に行きました。しかし、ㇺさい男ばかりの集団だったので、家族連れの多い中では明らかに浮きまくっており、正直、恥ずかしかった思い出があります。
 内容的には、なんじぇい様の云われたのと同様に、「何でこんな特撮場面を本筋の劇場作品でやらないんだ?」との意見が大勢を占めていました。

 しかし考えてみますと、川北紘一監督本来の持ち味が出たゴジラ映画は、結局のところ作られることなく終わってしまった気がします。
 ゴジラと対戦怪獣が、ただ光線を打ち合うだけに終始した平成シリーズしか馴染みの無い方には意外かもしれませんが、70年代末~80年代初頭に掛けての時代を過ごした我々世代のファンにとって、川北監督の存在は一縷の望みだったような気がします。【ウルトラマンタロウ】の「宝石は怪獣の餌だ!」の回で早くも才能の片鱗を見せ、TV版【日本沈没】では劇場作品と見間違うほどのミニチュア・ワークをおこない(特に札幌壊滅編は圧巻でした)、続く【東京大地震M8.7】と【ウルトラマン80】で頂点を極めた川北特撮でしたが、【さよならジュピター】で味噌が付いて以来、折角登板なった平成シリーズなどでも嘗てのブラウン管で見せた職人芸的なスゴ技特撮は影を潜めてしまったようで、残念でなりません。
 以前、ギドラ様が、円谷英二の力量が十二分に発揮されたと云えるだけの作品はゴジラ・シリーズには無いといったお話をされていましたが、川北監督も又、不幸にも師匠と同じ結果を見てしまったことになるのだと思います。
 しかし、これは以前にも触れましたが、【ガメラ 大怪獣空中決戦】でファンから絶賛を博した特撮場面の数々は、一部のデジタル使用のものを除けば、基本的には前述した絶頂期の川北特撮を拡大再生産したものとして受け止められますし、また同時にTV時代の川北監督が実践したミニチュア特撮の在り方は、極めて正しいものだったと云える気がしてなりません。

Re: 怪獣プラネットゴジラ! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/07 (Sat) 17:14:10

 おお、『怪獣プラネットゴジラ』ざんすね。

 ピューロランドへは行けなかったんですよ。それで、これ見たさにギャレスゴジラのブルーレイボックスを買ったのでした。
なんじぇいさんの感想と同じく、ゴジラをもともとは穏やかな性質であるとしたことに感激し驚きました。
 アトラクション用作品なので、コンパクトに怪獣映画の魅力をまとめているのもお見事。
自然環境の中の怪獣、文明都市の中の怪獣双方を見せていますし。

 予算の問題か、もっとこうだったらいいのになぁ、と思わせる面もありながら、十分楽しく見ることが出来ます。
ゴジラ初の3D作品だもんなぁー。

 作中で見たところ、身長は50メートルよりは大きい感じです。80~100メートルはありそう。
そのあたりはカットによって伸び縮みしているみたいですが。
 で、ソフトに収録されているのは短縮版なんですね。うーん、残念。キティちゃんがどんな風に絡んだのでしょうか・・。

 どうもゴジラシリーズだけでなく、元祖ガメラシリーズなんかもその変遷を観察すると、
怪獣ものは怪獣のスター性、その存在感で年少のお客さんを呼べてしまうので、出資側が予算を出し渋っていったように見えます。
映画の斜陽化も関係したのでしょうけれど・・。
 平成VSの時代はそんなことはなかったのだと思いますが、怪獣のスター性に頼っていった感はなきにしあらずです。

 川北監督は特撮新世代のホープだったんですよね。『さよならジュピター』だって特撮映像だけで考えれば当時の邦画としては画期的でした。
ゴジラシリーズにおいてはだんだんと怪獣映画のキモを掴んでいったように思うのですが、平成モスラの途中で映画から離れてしまったのが残念です。
(あ、セイザーXの劇場版もあったか)

 円谷作品でも川北作品でも、ゴジラ映画で完全燃焼を感じさせるものがないというのはまことに残念なことであり、だからこそ技術的にも演出的にも全編にわたって濃密なゴジラの新作を見たいと願うのでもあります。
たとえば『ゴジラ』(一作目)であっても、ゴジラが海中で溶けていくシーンなどは、円谷監督は納得していないだろうな、スケジュールの都合で妥協したんだろうな、と思ってしまいます。
円谷監督の持ち味の一つには、「現象を丁寧に見せる」ということもあると思っているので、あのゴジラ溶解シーンは本意じゃないだろうな、と。

あるゴジラマニアオフ会の話、少しの希望とやっぱりの分裂 - なんじぇい (?)

2018/07/02 (Mon) 03:47:14

この話は書こうかどうか、かなり悩みました。私の素性がバレるかもしれないからです。また皆様を不快にさせるかもしれません。
しかし今のゴジラファンたちを取り巻く状態と、今後のゴジラに希望的なものもあるということで、書くことにしました。

あるイベントの終了後に、特撮マニア(ゴジラシリーズはかなり知っている人が多かった)たちが集まるオフ会があり、そこに私は参加していました。
最初は「好きな特撮シリーズはなんですか?」みたいな無難な話題だったのですが、最近の特撮ものの話題になったとたん空気が変わったのです。
それは参加者ほぼ全員が見ていて、絶対に避けては通れないものでした。

そう、『シン・ゴジラ』です。

ある方がこれを誉めたとたん「確かにあれは初代ゴジラの魂を受け継いだ傑作だ」「いやゴジラ映画としても怪獣映画としても駄作だ」等と意見が飛び交い続け、空気は一変。『シン・ゴジラ』についてあれこれ語る会みたいになってしまったのです。

その会ではシン・ゴジラ賛成派と否定派が色々争っていたのですが(私は否定派よりでした)嬉しいことがありました。
議論が進んだ結果、いくつかの点において、皆様の意見がある程度一致し進展があったのです。
それは、シン・ゴジラ第5形態が今までのゴジラのアレンジから明らかに逸脱したやりすぎのものであるということでした。これは賛成派もその通りだと認めたものでした。
また、放射能の半減期が20日しかないこと、カヨコの演技が過剰なことなども賛成派は『シン・ゴジラ』の欠点であると認めていました。
賛成派の方も「第5形態に関しては直後の初代ゴジラのBGMで、これはゴジラ映画だとまんまと乗せられてしまったところがあったかもしれない」とおっしゃっていました。
異なる意見の者たちを無視せずに粘り強く語り合うことの大切さ、また話を聞いてくれるゴジラファンやゴジラオタクもまだ捨てたものではない、と少し明るい気持ちにさせられました。




しかし、『シン・ゴジラ』に関する初代ゴジラやゴジラ映画の精神性などについては否定できなかったのはまた事実でありました。
それは私含む否定派の力不足ゆえか、賛成派が正しかったのかは分かりません。(ただ正直すぐには思い浮かばなかったです)
それに関する賛成派の意見は次のようなものでした。ちなみにこれらは否定派が説明できなかったものです。

・『シン・ゴジラ』は初代ゴジラの魂を受け継いだ作品である。なぜならば、牧悟郎教授の残した極限環境微生物の分子構造解析図がなければ、シン・ゴジラを凍結させることは出来なかったからである。
牧悟郎教授は妻を殺した放射能と放射能を生み出した人類、そして妻を見殺しにした日本という国家を憎んでいたとされ、学会から半ば追放される形で日本を離れており、この点においても世捨て人同然となっていた芹沢博士と共通している。
そのような人物の手を借りなければシン・ゴジラは凍結できなかった、これは『シン・ゴジラ』が初代ゴジラの魂を受け継いだ作品だという何よりの証拠である。


・シン・ゴジラは今までのゴジラと同じく人類の科学力を超越した存在であり、決して現代の科学力で倒せる矮小な存在などではない。
実際「少なくとも生命活動の停止は可能」と巨災対が断言したヤシオリ作戦による血液凝固剤を受けても、ラストシーンでシン・ゴジラは凍結後に第4形態から第5形態へと進化を続けていることが劇中で明かされており、これからシン・ゴジラが巨災対(人類の叡知)の及ぶものではなく科学を超越した存在であることが示されている。
また状況に応じて背中や尻尾などからの放射線流発射能力を発現させるなど、適応進化能力もあることも見逃せない。
水爆が効くかどうかにしても、凝固剤に関する巨災対の推測が間違っていた以上、効かない前フリのようなものに見える。少なくとも巨災対の水爆で滅却出来るという発言は手放しに信用して良いものではない。
またその凝固剤にしても、芹沢博士と同じ扱いである牧悟郎教授の存在なくして出来るものではなかった。
更に死すらも超越しているかもしれないという台詞もあり、これでも既存の兵器でシン・ゴジラを倒せないことが分かる。


これらに関して、皆様はどう返答するでしょうか。




ちなみにその後はアニメゴジラの話題に少しなったのですが、見ている方自体が少ないという有り様で、しかも絶賛している方は1人もいませんでした。
ゴジラマニアにほぼ総すかんを食らうというのは相当にヤバいですね。


それにしても、『シン・ゴジラ』はなぜこれほどまでに意見がバッサリ割れるのでしょう?この凄まじい分裂は今までどのゴジラ映画にもなかったものです。
でも、その溝がほんの少し縮まった気がして嬉しい気分にさせられたオフ会でした。

どうせ此の世は癪のタネ… - 海軍大臣 (男性)

2018/07/03 (Tue) 00:35:54

 現行のアニメ作品ほどではないものの、【シン・ゴジラ】にも正直云って関心がないのですが、一番目の問い掛けについて個人的な意見を述べてみます。


 世捨て人同然とされる芹沢博士と牧博士にはキャラクター的に相通じる部分がある、などと無理矢理に共通項を見出そうとしている方々が居られるようですが、この二人のスタンスは決定的に異なっています。
 第一作【ゴジラ】に於いては、当然のことながら芹沢博士と大戸島近海に出現した怪獣とは何の因果関係もありません。両者を結び付けたのは、「水中酸素破壊剤」を開発してしまったことで芹沢自身がゴジラ以上の破壊者になってしまう危うさがあったが故に、それを回避するべく、彼はゴジラと一緒に心中した訳です。これは今更云うまでもないことで、改めて書いてみると何だか気恥ずかしささえ感じてしまいます。でも、前掲した意見を仰られる方というのは、それが見えていないか、敢えて見ようとしていないのではないでしょうか?

 ところが映画【シン・ゴジラ】での一連の出来事は、勿論、劇中で明確に述べられてはいませんが(でも、そういう部分を勝手に想像し妄想するのが昨今のファンの流行りなのでしょう?)、あれはどう見ても牧博士が所謂「マッチ・ポンプ」的な役回りを果たしていることになるのだと思います。
 そうした「人類だとか祖国だとかを呪っていた人物の手を借りねば巨大不明生物を凍結できない」とのストーリーラインが、どうして【ゴジラ】第一作と比肩されるのか、正直、理解しかねます。果たして芹沢博士が、自分に醜い傷を負わせることになった戦争を始めた祖国を呪っていたかまでは判りませんが、あの最期を見る限りでは、同じ世捨て人ではあっても、人類を呪って身を投げたゴロウ・マキと同列に論ずるべきではないでしょう。
 そもそも芹沢博士が生命と引き換えにオキシジェン・デストロイヤーを使うハメとなった切っ掛けは、山根恵美子と云う一人の女性に向けての、自身のちょっとした虚栄心を充たすためでした。魔が差したと云ってしまえばそれだけのことですが、最後に彼は科学者としての良識に殉じています。そこが最初から終いまで個人の恨みつらみに終始した老教授とは根本的に異なっているのだと思うのです。
 
 二番目の問題に関しては、例によって庵野監督が「大風呂敷」を広げたまでのことに過ぎないように感じられてしまい、果たして論争に値するものだろうかと、正直、首をひねっております。

Re: そんなに議論の余地が残っているとも思えませんが 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/03 (Tue) 19:05:08

 海軍大臣さんのお手を煩わせてしまって申し訳ないです。
『シン・ゴジラ』はもう相手にしない、と宣言しているので、この話題に口を挟むのは前言撤回みたいでかっこわるいんですが・・・。

『シン・ゴジラ』的に賛否が分かれて議論百出した作品と言えば『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』があります。
あの映画と『シン・ゴジラ』の共通点は、監督が過去にオタクさんたちに絶賛された作品を発表していることです。
その上で、どちらも映画としての出来は水準以下であったことが対立を呼んだのです。

(GMKは一般観客からは無視されたようなものだったけれど、『シン・ゴジラ』は昨今のソフト国家主義ブームに便乗する形でゴジラファン以外からの支持も集めたことが事態をややこしくした)

 芹沢博士と牧悟郎を似たもの同士と見る解釈が間違っているのは、まさに海軍大臣さんがおっしゃるとおりです。
さらに、芹沢はオキシジェンデストロイヤーの秘密を守るため自ら社会との繋がりを断ち切っているのに対し、マキは日本から出て行っただけで、アメリカの研究機関で研究者としてキャリアを積んでいます。
その研究成果を援用してちんごじらを作ったのですから、マキが孤独だったとしてもその意味は芹沢とは大きく違いますね。

『シン・ゴジラ』を見たときの感覚的な印象でも、牧悟郎に透かし見えたのはアニメ映画「パトレイバー」の帆場(名前はいまネットで調べました)でした。

 そしてちんごじらはゴジラと同質なのかという問題。
これはすでにさんざん書いてきたと思うんですが・・・。
牧悟郎がアメリカの研究機関を利用して作り出したのがちんごじらなのですから、ちんごじらは人類科学に従属するものです。

 水爆にも耐え、芹沢が偶然発見したオキシジェンデストロイヤーという現象を使うことでしか倒せなかった自然発生のゴジラとはまったく別物です。

 ちんごじらの第五形態をどう見せていたかの問題もあります。
第五形態は動いていましたか? あの見せ方は、作り手の意図はともかく、映画演出的には、
もうちょっとで第五形態になるところを止めたのだ、という表現です。もしあれがごそごそと蠢いていたなら作戦は失敗してちんごじらは制圧されていないという表現になります。

 ちんごじらの細胞膜機能を阻害するという微生物の話の時に申し上げましたが、その微生物に感染したちんごじらは死んだも同然なんです。
ちんごじらは活動エネルギーをどうやって作り出していたでしょうか? 血液凝固剤を分解されるかどうかなんて問題ではなく、その微生物さえあればちんごじらの核物質はストップするのです。
つまり、牧悟郎はちんごじらの倒し方を示していたわけです。それも、偶然発見したわけではありません。

 ちんごじらは我々の現実世界にある既存兵器では倒せないのかもしれませんが、劇中世界の人類の科学力で倒せる存在ということになります。
また核兵器で滅却できるかどうかは結果が出ていないので、殺せないかも知れないという意見にも一理はあるでしょう。
しかし、そんな物語だったでしょうか? ならば物語の組み立てとして、ちんごじら対策のエセ科学者たちが核兵器は無効だ、と主張しなければならないでしょう。

『シン・ゴジラ』擁護の方が言う、
>巨災対の水爆で滅却出来るという発言は手放しに信用して良いものではない。
>死すらも超越しているかもしれないという台詞もあり、これでも既存の兵器でシン・ゴジラを倒せないことが分かる。

 この二つの意見は激しく矛盾していますね。
一方では巨災対は信用できないと言い、もう一方では巨災対の発言を劇中世界の事実であるかのように受け止めている。
理性を失っている証左では?

(だいたいが、微生物の分子構造図なんて言い出す脚本がまともな映画になるはずがないんだけどなぁ) 

Re: そんなに議論の余地が残っているとも思えませんが - なんじぇい (?)

2018/07/03 (Tue) 19:29:19

お二方の返信に感謝します。

芹沢博士と牧悟郎教授の違いは、まさしく海軍大臣様のおっしゃるとおりでした。
また個人的にはオキシジェン・デストロイヤーという科学の究極系と言える兵器の恐ろしさを描いた『ゴジラ』と、そんなものを一切描かなかった『シン・ゴジラ』は、物語としての深みが段違いな気がしますね。
『VSビオランテ』などでも坑核バクテリアの恐ろしさはしっかりと描かれていたというのに、まるで退化しているように思えます。
2番目のゴジラの精神性についてもギドラ様に全く同意です。

今回の件で気付いたのは、会話による議論とBBSによる議論の違いでした。
会話による議論は、相手からの反論に対し即座に答えなければそこで終わって(負けて)しまいます。なのでどうしても、突っ込んだ話をしづらいのです。
BBSだと考える時間がありますので、そのようなことにはなりづらいです。
会話によるディベートの方が時間あたりの情報量が多くなるという長所もあることを忘れてはいけませんが、BBSならではの良さがあるということを改めて思い知らされました。

皆様のお手を煩わせてしまい、誠に申し訳ありませんでした。

あともう金輪際、『シン・ゴジラ』の話題はしません。私も今はあの映画は駄作だと思っていますので……。

Re: あるゴジラマニアオフ会の話、少しの希望とやっぱりの分裂 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/04 (Wed) 18:12:37

 面と向かっての会話による議論だと、押し出しの強い人や言い抜けのうまい人に丸め込まれることがあるんですよね。

 いまのネットコミュニケーションはツイッターが主流になっていますが、字数制限の問題がどうにも痛いです。
 というわけで流行遅れのBBSを細々とつづけているというわけです。
どこかの誰かが読んでいる、という思いを胸に・・。
 キビシーーー!!

 まあその、東宝さんも『シン・ゴジラ』のラインは続けないと言っているので、あの映画をどうこう言ってもゴジラの未来には関係ないことと思います。
それでもなにか胸に余ることがあればここでお書きになってもいいですよ。
相手にしないと言いつつ、場合によっては私も書くことがありますし。

ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - なんじぇい (?)

2018/06/27 (Wed) 00:34:35

素朴な疑問です。

基本的に、ゴジラの身長は巨大化の一途を辿っています。最初の50mから80m・100m・108m・118.5m・更には(アースですが)300m超です。
ミレニアムシリーズでは小さいものはありましたが、55mや60mなどとなんとも半端な数字が多いように思われます。
ゴジラの大きさがでかくなっていったのは、「超高層ビルが増えたから」等のような事情もあるのでしょうが、「歴代最大のゴジラ」という宣伝が出来ることも影響しているように思われます(ギャレスゴジラもシン・ゴジラもゴジラ・アースもみんなその宣伝をやってました)。


時代や都市の変化に応じてゴジラの大きさは変えた方がいいのでしょうか?
身長1kmとか10kmのゴジラを出しちゃってもいいのでしょうか?
ゴジラ巨大化の風潮はどう思いますか?


等々多くの疑問が渦巻いていますが、私はこれらの疑問に対して回答を持ち得ません。
ゴジラの大きさについて皆様の意見をお聞きしたいです。

追記 - なんじぇい (?)

2018/06/27 (Wed) 05:29:51

因みに一応私の見解を書いておくと、「まあ、感情的にはゴジラはでかい方が好きです」となります。
でかさは強さに直結するからという至極単純な理由です。
強さを出すなら、でかいのに越したことはありません。
また怪獣映画の面白味の1つは、でかい怪獣が都市で暴れることなのですから、都市に合わせてゴジラがでかくなることも必然的に思えます。

そんな特に深い考えもない個人的な意見なのですが、皆様はどうでしょう?

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/06/27 (Wed) 19:23:36

 そうですね・・。
 最初にゴジラの大きさを決めたときは、当時の東京都心で見栄えする身長を割り出したということらしいですね。

 結果身長50メートルということになったわけで、そんな演出上の要求から考えれば、ゴジラの身長を大きくしても良いじゃないか、と思えます。

 しかし、身長50メートルで創造されたのがゴジラなので、ゴジラなら50メートルを守るべきと思います。
 実際、元祖シリーズでは東京タワーが完成しようが霞ヶ関ビルが登場しようが、ゴジラの身長を変えたりしていません。

 ゴジラの身長は50メートルという縛りの中で、高層ビル街でのゴジラをどう描くかという工夫があっていいと思います。
 それから、やたらと大都会にゴジラが出てこなくてもいいでしょう、とも。

 とはいえ、昨今の超高層ビル群の前では身長50メートルでは物足りない感じがするのも事実でしょう。
 別個体とか近似の別種といった逃げを打って200メートルだの300メートルだののゴジラがあっても良いかもしれません。

 それでも気をつけなければならないのは、怪獣がどんな心理効果を目指しているか、というあたりで、
身長が1㎞などということになってくると、一暴れの破壊が大きくなりすぎて扱いづらいんじゃないでしょうか。
また、怪獣が人間をどのように認知するか(人間にとっての蟻ぐらいには見えるか・・)も考慮するとあまり大きくするのも問題かなと思います。

 ものすごく大きい怪獣の例としては「帰ってきたウルトラマン」のバキューモンなんてヤツがおりますが、
あれはもう、一般的な怪獣の枠を超えてますよね。

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - エクセルシオール (男性)

2018/06/27 (Wed) 20:47:29

 個人的にはゴジラを大きくすることはある程度までは許されると思っています。人間の作るビル等が大きくなっている以上、ゴジラが身長50メートルのままではいささか迫力を欠くことも否定できません。怪獣による大都会破壊シーンの怪獣映画における重要性を考えると、怪獣の方を大きくすることもやむを得ない面があります。それに、ゴジラも「生き物」ですから「成長して大きくなる」要素もありだと思います。

 とはいえ、いくらでも大きくしてよいとも言えません。あまりにも怪獣が巨大だと、破壊の規模がとんでもないものになってしまい、観客から見てかえって実感のわきにくいものになってしまうおそれがあります。怪獣は怪獣であり、巨大隕石と似たような感じになってしまうのも考えものです。そうなってくると、身長150メートルくらいが限度ではないかと思います。
 また、ゴジラを大きくすることは他の怪獣も大きくする必要があることも忘れてはなりません。ゴジラが身長150メートルになれば、ラドンも同じ身長にしないといけないし、アンギラスは両者より大きくすることになります(忘れられがちですが、アンギラスは設定ではゴジラより大きい)。

 バキューモンは確かに例外中の例外ですね。あまりにも大きすぎて「怪獣」と言う印象がイマイチ感じられませんが。

 

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - 海軍大臣 (男性)

2018/06/27 (Wed) 22:12:32

 話の主旨から外れるようで恐縮ですが、子供のころに目にした雑誌の挿絵に、エネルギーを吸収して限りなく巨大化したギララが、何と富士山を軽く踏みつぶしている場面が描かれていたのを思い出してしまいました。
 イデ隊員のセリフじゃありませんが、正に過ぎたるは及ばざるが如しだと思います。

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - なんじぇい (?)

2018/06/29 (Fri) 19:13:18

皆様ご意見ありがとうございます。
ゴジラの身長は時代にあった都市で暴れるに丁度良い大きさ、辺りがいいのかもしれませんね。

勉強になりました。

メカゴジラの元ネタかも・・・? - エクセルシオール (男性)

2018/06/21 (Thu) 22:09:03

 アニメ映画『ゴジラ 決戦機動増殖都市』において、登場しそうで出てこなかったことで少なからぬファンを失望させたメカゴジラ。
 そのメカゴジラですが、「怪獣と同じ力を持つものを機械で作る」と言う発想の起源を探ると面白いところにたどり着きます。日本の特撮の世界では『キングコングの逆襲』に登場したメカニコングが最初と思われますが、映画以外の作品に目を向けると意外な作品が浮かび上がってきました。それは妖怪漫画の金字塔『ゲゲゲの鬼太郎』(旧名『墓場鬼太郎』)。この作品の「大海獣」というエピソードで、ロボットの大海獣を生き物の大海獣にぶつけるという話が出てきます。この物語は何度も作者の水木しげるさんによって改定が繰り返されているのですが、最も古い貸本時代の『怪獣ラバン』(元は鬼太郎の話ではなかった)までさかのぼれば1958年であり、メカニコングより早いです。

 「大海獣」のお話を簡単に説明すると、不死身の生命力を持った大海獣の血を求めて探検隊が派遣されますが、大海獣の攻撃でほぼ全滅。生き残ったのは鬼太郎と天才少年科学者・山田秀一。ところが、この山田は大変に利己的な人間であり、功績を独り占めにするため、まず、鬼太郎に特殊な毒を吸わせてその妖力を封じ、その後、大海獣の血を注射して殺そうとするのでした。鬼太郎は命は取り留めますが、大海獣に変異してしまったばかりか、親や仲間にも鬼太郎だと気づいてもらえないという悲しいことになります(唯一気付いたのは山田の妹の啓子。兄とは大違いの美しい心の持ち主である)。
 一方、山田は己の悪事がばれるのを恐れて、日本政府を動かし、5億円の予算をもって鉄の大海獣(ロボット大海獣、ラジコン大海獣とも呼ばれる)を建造、鬼太郎大海獣との世紀の対決が始まるというわけです。もはや完全に怪獣映画の世界です(私も大変ワクワクして読みました)。

 水木さんは映画『ゴジラ』が好きで、この「大海獣」も原形の『怪獣ラバン』も『ゴジラ』に触発されて書いたと述べておられたそうです(何たって『怪獣ラバン』はゴジラの血を注射された男が怪獣になってしまうお話である。なお、東宝は事後承認だったみたい)。『ゴジラ』の影響を受けて「大海獣」が作られ、その中に登場したロボットがもしかしたらメカニコングやメカゴジラを生む遠因となったとしたら、非常に趣深いことだと思います。

 さて、『ゲゲゲの鬼太郎』は現在放送中のものを含めて6回アニメ化されていますが、「大海獣」のお話がアニメになったのは、第1期、3期、4期(劇場版)の三回です(2期は1期の続編だったため、5期は不本意な打ち切りを強いられたため無し)。しかし、ロボット大海獣が登場したのは1968年の第1期だけです。私は3期世代になるのですが、ロボット大海獣が出てこなかったのは残念に思った記憶があります。
 となると、今放送されている第6期に期待したいところです(なお、5期は3年目があれば「大海獣」のエピソードをアニメ化し、ロボット大海獣も登場させる予定があったのだとか)。この第6期は「第3期の天童夢子以来となる人間のメインキャラ(犬山まな)の登場」「過去作よりホラーテイストが強め」「猫娘がやたらと綺麗になっている」等々、話題の種は尽きないのですが、一方で仮面ライダーシリーズの裏番組になっているため(テレビ東京の系列局がある地方では『魔法✕戦士マジマジョピュアーズ』とも競合している)、あまり長く続かないのではないかと危惧されてもいます。だとすると、なるべく早く「大海獣」のエピソードをやってほしいですね。

 「大海獣」の結末ですが、紆余曲折はありますが、山田は改心して鬼太郎を元に戻します。そしてずいぶんひどい目に合わされた鬼太郎ですが、山田が心を入れ替えたのを見て、あっさり彼を許してあげます。この辺は、何と心の広い男だと感心しました。なお、「いくらなんでも鬼太郎は甘すぎないか」と思った方は(そのような感想にも一理ある)、第3期アニメをご覧ください(この作品では鬼太郎は山田をすぐには許さず、ボッコボコに鉄拳制裁を加えている。啓子が謝罪しながら止めてやっと彼を許した)。

 最後に。「大海獣」はバージョンにこだわらなければ割と簡単に読めますので、機会があれば読んでみてください。

Re: メカゴジラの元ネタかも・・・? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/06/22 (Fri) 19:47:51

 おおーっと、出た! 鬼太郎の大海獣!

 私は雑誌(少年マガジン)掲載時に断片的に読んでいて、
アニメ第一期での大海獣は、どんな事情だったのかもはや覚えていないけれど、見られなくてすごく悔しかったと覚えています。
 後年、友人から原作コミックを借りて読んだときに大海獣も含まれていたと思うのですが、その記憶はあまりありません。

 そして、5年前、WOWOWが東映まんが祭り再現放送という無茶な企画をやったときに、
1968年分に含まれていた劇場版「大海獣」(テレビでは前後編だったものを繋いだだけです)を入手することが出来たのです。
(しかもハイビジョン)
 で、今回、5年ぶりにもう一度見直してみました。

 大海獣の設定にはゴジラ的なものが確かにありますね。
1980年代のゴジラ論ブームの中で、ゴジラがどんどん禍々しいものとされていく(それはゴジラが核兵器の象徴であるという教条が定着したためである)わけですが、
それ以前の一般的な怪獣観は、どちらかというと怪獣というのは孤独なものであり、強大であったとしても哀愁漂うものと考えられていたはずです。
ゴジラも例外ではなく、人類に対する「試練」みたいな受け取られ方はしていませんでした。

 鬼太郎での大海獣は、まずその不死性においてゴジラ的であって、また、劇中メインとなる大海獣は鬼太郎が変異したものであることから、鬼太郎の寂しさが前面に出てきて、
怪異な外見とその大きさのせいで排撃される怪獣の孤独が表現されていると見ました。

 水木先生はちゃんと怪獣が分かっていたんだなぁと思う次第・・。

 で、ロボット怪獣(怪獣を機械で再現)のルーツが水木マンガにあったなんて知りませんでした。貸本時代にすでにそんな話を書いていたんですね。
鬼太郎のメジャー化が怪獣ブームと重なっていたことから、「怪獣ラバン」のストーリーをアレンジして「ゲゲゲの鬼太郎」に持ち込んだのでしょうか。
鬼太郎のロボット大海獣はメカニコングとほぼ同時期(メカニコングのほうが少し早いか?)で、当時の感覚では、怪獣ものに新たなトレンドがやってきたか?みたいな感じだったと思います。
いろんな怪獣がロボットバージョンで出てくるのか?と。まあ、結局そんなことにはなりませんでしたが。

 でも怪獣と戦う武器としてのロボット怪獣の先駆は水木しげる先生であることは確かなところでしょうね。
(メカニコングは土木工事用だったし、メカゴジラはゴジラのふりをするためのロボットだったし・・。メカゴジラが対ゴジラ兵器になるのはVSシリーズまで待たねばならない)
うーん、勉強になりました。

Re: 水木さんと東宝特撮のビミョーな関係 - 海軍大臣 (男性)

2018/06/23 (Sat) 00:12:09

 水木先生は貸本時代に、明らかに【マタンゴ】の原作小説であるH.W.ホジスンの【闇の声】を翻案した漫画を描かれていました。これは【マタンゴ】の映画化よりも早い時期でした。
 この小説は、知り合いのマタンゴ・マニアが調べたところによりますと、80年代に【夜の声】とタイトルを替えて文庫化される以前には、60年代にSFマガジンに掲載されただけとのことなので、妖怪がらみの怪談・奇談ばかりでなく水木先生が実に広く勉強されていたことが判ります。

 また、同じ貸本時代に、確か【花の流れ星】だったかと思いますが(こちらの題名は少し自身がありません)、【白夫人の妖恋】と同じ中国伝奇ものの【白蛇伝】の舞台を江戸時代の日本に移植した作品を書かれておりました。
クライマックスの舞台となるのが、浅草の浅草寺(同じ金龍山繋がり?)だったと記憶します。

 こうした例は調べればまだ出てくると思いますが、昭和三十年代の我が国では、漫画と映画というサブカルチャー同士が互いに刺激し刺激され合いながら発展していった様子が垣間見られるようで、非常に興味深く感じてしまいます。


 

Re: メカゴジラの元ネタかも・・・? - なんじぇい (?)

2018/06/27 (Wed) 19:42:49

横入り失礼します。
「怪獣と同じ力を持つものを機械で作る」という発想ですと、特撮関係では『月光仮面』のマンモス・コング編に登場した人工コングが最初ではないでしょうか?
作中では暗殺団に奪われたりとさんざんな扱いでしたが。

ただ人工コングの登場は1958年で、鬼太郎の大海獣とはどちらが早いかは分かりません。

おーばーどらいぶ(泣) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/06/07 (Thu) 18:26:07

 これほどつまらない映画は無視すればいい、と思って一旦は投稿リストから外したものの、
こんなものを看過しては日本映画のためにならないと思い直しました。

 私は基本的にレースファンではありますが、ラリーはほぼノータッチ。
モータースポーツ雑誌の記事をたまに斜め読みするぐらいです。
そんなラリーを扱った作品とはいえ、日本映画でモータースポーツを取り上げるのはきわめて珍しいことなので、一応見に行った、
『OVER DRIVEオーバードライブ』。

 ひどい。これはひどい。
Vシネによくある走り屋ものやアニメ「頭文字D」のほうがよほどおもしろい。

 まず、作り手がレースとラリーの区別を付けていないのが痛い。
子供の頃、レーサーになる、と宣言していた人間がなぜラリードライバーになったのか?
そこになにもドラマはないのか?
レースとは競走であり、複数の車が同時に走って着順を争うものですが、
ラリーは基準タイムを目指して走行タイムをコントロールする競技であり、どちらも運転技術が鍵になるのは間違いないけれど、
追い抜き(オーバーテイク)があるのかないのかは大きな違いであり、別の種目と言っていい。

 この映画ではラリーとはどんな競技であるかの説明すらない。
とにかく速く走ればそれでいいような見せ方をしている。それは、SS(スペシャルステージ)と呼ばれるラリーの中でも特殊な区間だけのこと。
現在の世界ラリー選手権や全日本ラリー選手権ではSSで勝負が決まるようですが、それでも走行距離でみるとSS区間など圧倒的に少ない。
それなのにSSしかないような見せ方をしているのはおかしい。
また、勝ち負けを決めるポイントシステムの説明もないので、途中経過の勝ち度、負け度がわからない。

 そして架空のラリー選手権シリーズを登場させ、現実のラリーとは一層かけ離れた描写をする。
ラリードライバーがアイドルみたいに若い娘たちからキャーキャーいわれてるし、
ラリードライバーが東京湾にクルーザーを浮かべて女をはべらしたりするとは、どこの世界の話なのだ?

 チームの運営形態もなぞ。
主役チームが開発したサスペンションがファミリーカーにも採用されている、などとうそぶいていたけれど、ラリー用に作ったサスがファミリーカーに付いている????
どれほど根本的なサスペンション革命を起こしたのだ?(だったらその機構を説明せよ)
 さらにはエンジンチューニングもやっているようだし、ターボチャージャーの開発もしているという。
 つまりはパーツメーカーが宣伝と技術開発目的でラリーチームを運営しているのか、と思ったけれど、ラリーチームの現場メカニックがサスの開発もターボの開発もやっているという。

 なんだそれ。
現場でセッティングや修理をやっている人間がパーツ開発? そんな規模で現代の自動車開発が出来るとでも思っているのか。

 そして、ラリーチームのタイヤ担当メカが「ほんとうは車のデザインをやりたかったのに、ラリーチームに配属された」とぼやくシーンあり。
え? じゃ、このチームは自動車メーカーのワークスチームだったのか?
 いやいや、そんな描写はありません。なにしろ、使っている車はトヨタのヤリス(日本名ヴィッツ)なのですから。
 チームトヨタではなく、スピカレーシングなのだそうで。
 あ、それからチーム監督はただ軽口を叩くのみで、なにを監督しているのかさっぱりです。

 狂言回しとして、スポンサーの宣伝部らしき(これもはっきりしない)おねーちゃんが出てきますが、彼女の会社が何を商っているのかもさっぱりわかりません。
ドライバーのマスコミ対応などをその女の子が仕切っているように見せていましたが、スポンサーは一社だけではないでしょう?
ほかのスポンサーは現場で何もしていないのでしょうか?
 そしてドライバーのマスコミ対応をコントロールするのは、チームの広報であるはずです。

(パンフレットを読んだら、上記の女の子はスポーツマネージメント会社の社員だそうで、これも伝わってねーなー、ま、だとするとスポーツ選手のマネージメントをやるのですね?
その立場の人間がマシーンに描かれたスポンサーロゴが隠れることに文句を言うのは変じゃない?)

 万事がこの調子で、描こうとしたストーリーの骨格しかない。それをリアルに感じさせるディティールを作っていない。

 お話はつまらないだろうと予想はしていたし、噴飯物の描写の連発は覚悟していましたが、せめてラリーカーの走りを大スクリーンで堪能できればいいや、と思っていたのも
見事に裏切られます。実際に車が走るのは、資料映像と一部のアップショットのみで、ロングショットはCGの合成。その挙動はさほどリアルでもない。
ドライビングテクニックを体感できるようなカット割りもなくて、臨場感なし。

 全体に、大昔の自動車競技をイメージして作っている感がありました。
主人公兄弟の兄がメカニックで弟がドライバーということで、この弟というのが無頼派を気取って怒鳴ったり暴れたりチームクルーに食ってかかったりスポンサーをないがしろにしたりと
やりたい放題。
(自分が壊した車を直せないからとチームクルーをなじるようなドライバーに誰が付いていく?)
 対するライバルドライバーはストイックな理論派みたいな触れ込みでありまして、あーあ、『RUSH/プライドと友情』を参考にしちゃった?
あれは何十年前の話だと思ってるんでしょうかね。それに、ジェームス・ハントは無頼派だったかもしれないけれど、ただのわがまま坊やではありませんよ。

 モータースポーツが市販車のための技術開発の場である、なんてのももう50年も昔にホンダがF1参戦したときに「走る実験室」なんてキャッチコピーを使ったことから広まった「常識」なんでしょうね。
それを間違いとはいわないけれど、現在では競技車両と市販車には大きな隔たりが出来ていて、競技の現場で有効な技術が市販車にも使える例は多くないです。
 映像面でもF1中継で見かけるようなファンの様子やマーシャルの様子なんかを見せていて、さまざまな時代・カテゴリーのモータースポーツから断片的にイメージを拾い集めて継ぎ接ぎしたようなもの。

 もはやファンタジー。

 それは人間ドラマ面も同じで、兄弟の幼なじみらしき(らしき、なんだな)女の子に兄弟二人が惚れちゃって、弟がフラれた腹いせについたウソが悲劇を呼んで、二人に溝が・・、
というのだけれど、その三角関係の実際をなにも見せてくれないので、三人の年齢差もわからないし関係も分からない。これでは感情移入のしようがない。
 私にも兄がおりますが、同じ女を取り合うなんてよほど特殊な事情がなければちょっと考えられません。その事情を見せてくれれば、それぞれの心理を推し量ることも出来て感情移入できたでしょう。

 弟は自分がついたウソで兄に取り返しのつかない喪失を与えているのだけれど、なぜかことある毎に兄に反抗します。
この心理が分からない。兄に負い目があるのではないのか? ならば償おうとするのではないか?
この弟は、悲劇に見舞われたのは自分だけであるかのような振る舞いをするし、兄の行動を責めたりもする。一番悪いのは自分なのに。自己中だね。

 なにが兄弟の絆か。

 また、兄弟が幼い頃自転車修理の道具を借りたのがラリーチームのファクトリーで(自転車のホイールを直すような工具は持ってないって)、長じて二人ともそのラリーチームにいるという設定も、
はなはだ視野狭窄。人生の10年20年をどう思っているんでしょうかね。せめて子供の頃出入りしていたラリーチームと、大人になって所属しているチームは別にして欲しかったですね。
 あり得ないとはいわないけれど、天才級のラリードライバーが偶然子供の頃にトップチームのファクトリーに出入りしていたというのはあまりにも出来すぎていておもしろくもなんともないです。

 この映画は架空の世界の架空の競技を扱っているわけではないのですよね。
ならばもっと現実味を大事にして欲しいものです。雰囲気だけでふわっとまとめても、心を打つことは出来ない。
(まあ、雰囲気だけで泣いたり笑ったりするお客さんもいないことはないけれど)
 物語に真実味を出すにはどうすればいいかというセンスがない。

 ラリー現場の視察なんかもやったらしいけれど、ラリーの現実を反映させる気はなかったようでF1の華やかさを真似したり、昔のスポ根みたいな人物設定だったりあほらしくて見ていられませんでした。
中盤以降、映画館の座席に座っている自分が恥ずかしくなってきました。一体、おれは何を見ているのか、こんなものにお金を払ってしまったのか、この時間の無駄を返せ!

 あ、女性にはおすすめポイントがあります。
新田真剣佑くんがやたらと脱ぎます。鍛え上げたいい体が見られますよ!


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