HOME

ギドラの巣「新」映像作品掲示板

339985
ただいまゴジラ祭り開催中!
ただいまゴジラ祭り開催中!
名前  性別:
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
アイコン
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

橋本忍先生! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/21 (Sat) 16:20:01

 いろいろと興味深いお話が出ていてレスしたいところなんですが、本日は橋本忍先生の追悼のみで失礼します。

 昨日の夕刊で知って愕然としましたが、御年100歳、最後まで現役を貫いたということで大往生と申し上げていいかと思います。
記事にはその作品歴が簡単に並べられていましたが、まさに名作揃い。
 私が刺激を受けた作品が多数あります。
 ここでは橋本脚本の名作リストには出てこない、しかし、先生入魂の『幻の湖』(1982)についてその思い出話を書いてみます。

 この映画、製作発表時から注目の話題作で、私も気にしていました。
公開当時、浅草東宝や池袋東宝の特撮オールナイトに通い詰めていた私は、『幻の湖』が封切られてもすぐ見に行く金銭的な余裕がなくて、保留状態でした。
『幻の湖』上映中の浅草東宝特撮オールナイトへ友人とともに出かけた私は、『幻の湖』に入場してそのままオールナイト上映になだれ込めないかなどと考えましたが、
昼のプログラムは特撮オールナイトより入場料が高く、友人をつきあわせるのもまずいしなぁと逡巡。
 チケット売り場の前で友人に
「『幻の湖』も見てみたいんだが、特撮オールナイトに来たんだ、と言ってオールナイト料金で入れてもらえないかな」なんて普通の音量で言ってしまい、
友人に、
「ばか、売り場のねえちゃんに聞こえるだろ」とたしなめられたりしました。

 浅草東宝は昼のプログラムがラスト1時間になると、オールナイト料金で途中入場させてくれたので、『幻の湖』ラスト1時間を映画館で見るという貴重な体験をしました。
前段を見ていないので、なにがどうしてこんなことになったのかさっぱりわからぬまま、あの壮絶(?)なラストに度肝を抜かれました。
上映はあっという間に打ち切られたので、全編を見ることなく月日が流れました。

 その後、『幻の湖』は怪作珍作の代表例のような扱いで雑誌などで紹介されるようになります。
ああ、橋本忍大先生の大暴投だったんだなーと、脳みその引き出しにそっとしまってさらに数年・・・。

 10年ほどまえでしょうか。CS放送で初めて全編通しで見ることが出来ました。
たしかに大暴投。けれども、茶化して笑っていい作品とは思えませんでした。
80年代当時の日本の空気に対する橋本忍の問題意識が詰め込まれた、見応えのある映画だったのです。
(たしかに変なんですが)
失敗作かも知れないけれど、ソープランド嬢(当時はまだトルコと言っていたか)を主役に据え、戦国時代の女と対比させ、アメリカに操られる日本、
若者のカリスマ(作曲家)を絡めて時代の空気と日本人の気質を描き出そうとした試みは無視できないものがありました。

 腐っても鯛、とはよく言ったものです。

 大脚本家、橋本忍先生の逝去を悼みます。
2月にはギドラ掲示板で橋本作品ネタで盛り上がったのになぁ。

Re: 橋本忍先生! - エクセルシオール (男性)

2018/07/21 (Sat) 23:11:42

 橋本忍さんが脚本家として関わった映画の歴史をたどると、次から次へと傑作、名作が登場してくるので、改めてこの方の偉大さが理解できます。日本の映画史に絶対欠かせない人であったと思います。

 さて、『幻の湖』ですが、この作品に関しては現在「日本三大カルト映画」の一つとしてしばしば物笑いの種になっています(後の二つは『シベリア超特急』と『北京原人 Who are you?』だそうである)。確かに訳の分からない映画として批判されるのもしかたない作品なのですが、個人的には「極端に真面目に取り組んだ結果、暴走してしまった映画」という感じがしますね。
 もう少し内容を整理して製作すればうまくいったかもしれないので残念です。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

特撮のDNA展と大森一樹監督 - なんじぇい (?)

2018/07/21 (Sat) 14:00:29

ゴジラからシン・ゴジラまで 「特撮のDNA」展【2018夏休み】
https://www.kobe-np.co.jp/news/odekake-plus/news/detail.shtml?news/odekake-plus/news/pickup/201807/11445202

神戸で9月2日までやっているみたいです。メカゴジラ2の着ぐるみとかがあるようです。


またDNA展にはこんな企画もあるようです。
https://www.sankei.com/smp/west/news/180721/wst1807210007-s2.html
大森一樹監督トークショー「1990年代のゴジラ」

8月12日(日)午後1時30分~午後3時。定員80人(事前申込制、申込者多数の場合は抽選。

希望者は往復はがきにイベント名、参加者全員の氏名、代表者の郵便番号、住所、電話番号、参加人数を記入し、〒673-0846兵庫県明石市上ノ丸2の13の1、明石市立文化博物館へ。7月31日(火)必着。

■ギャラリートーク

7月21日(土)、28日(土)、8月18日(土)、25日(土)午後2時~(各回30分程度)。当日自由参加。

気が向いたら行ってみてもいいかもしれませんね。
個人的には大森監督のトークショーが目当てだったりします。

ですが……

大森一樹さんについての私感 - なんじぇい (?)

2018/07/21 (Sat) 14:31:01

個人的には大森さんは「苦悩の人」だという印象があります。
「ゴジラを造るのは、世界のどの映画を造るよりも難しい」という言葉からも、ゴジラ映画を作るときの苦悩が表れていると思います。

確かに『VSキングギドラ』でゴジラを恐竜の変異体にしてしまうという、やらかしをしてしまったという事実はあります。
しかしその後の脚本の『VSモスラ』や『VSデストロイア』ではゴジラに関しては徐々にうまく軌道修正ができていたことからも、大森さんの成長(といいますか、ゴジラ観の成熟でしょうか)が見受けられます。



さて、大森さんに関して非常に興味深い資料があります。
http://ayamekareihikagami.hateblo.jp/entry/2015/10/30/213632

金子修介さんと富山省吾さんとのトークショーのものです。
このトークショーは各々の怪獣映画への向き合い方に関しては必見といっていい資料です。

「金子さんは、ぼくのガメラ、ゴジラみたいに言うけど、ゴジラはみんながつくっていて、権利は誰にあるかはよく判らない。田中友幸さん(プロデューサー)かな」
「ゴジラは1本目を除けばファミリーピクチャー。それが大事じゃないかな。だから(庵野秀明・樋口真嗣監督の)次のゴジラは期待できない。あのふたりがやって、ファミリーピクチャーになるわけない(一同笑)。お父さんと子どもが見て、あわよくばお母さんも見る。それを狙って、女性キャラが出てきたんじゃないかな。ファミリーだって意識は田中さんにあり、東宝にもあった」

私はこれを見て、大森さんはゴジラ映画に関してよく分かっているという印象を持ちました。少なくとも金子さんより確実に賛同できます。
また、大森さんが一番ゴジラに関して信念を持っているように感じられます。

私は次の日本のゴジラ映画を、大森さんに任せても良いのではないかと感じています。
大森さん本人もやりたがっておられるようなのでなおさらです。

悲しい気分で特撮ジョーク - 海軍大臣 (男性)

2018/07/21 (Sat) 01:03:32

 先日の怪獣プラネットの件で思い出したことですが、70年代末から80年代初頭の所謂「特撮冬の時代」を過ごしてきた世代にとって、当時TVで僅かながらも流れていた川北紘一監督や神沢信一監督などの手による職人技的なミニチュア特撮を「あの頃に劇場作品でも是非観てみたかった!」との思いは未だに強く残っています。
 それが十数年の後に、平成ゴジラが呼び水となって特撮映画が活況を呈するようになり、90年代末から2000年代初頭にかけては「特撮映画バブル」といった有様が現出することになりました。勿論、自分たちの願っていた方向性とは異なる作品が多かったのは事実ながら、それでもあの冬の時代を知る世代にとって、正に隔世の感があったことは確かでした。
 で、その当時、一部のファンの間でこんなジョークが流行っていました。

 タイムマシンを手に入れた或る特撮ファンが、70年代末~80年代初頭の「寂しい少年ファン」だった頃の自分に会いに行き、やがて夢の様な時代が来ることを伝えようとした。以下はその会話である。
「おい、若き日の俺よ、喜べ。あと20年もすればゴジラがシリーズものとして復活し、毎年新作が公開されるほどの大人気になるぞ!」
「うわー、凄い!でもゴジラだけなの? ガメラとか他の怪獣は?」
「そうそう、ガメラも復活してシリーズ化されて、一部のファンの間ではゴジラ以上の大人気になるぞ。それにガメラばかりかモスラを主役にしたシリーズまで作られるんだぞ!」
「楽しみだなあ!それでTVは?ウルトラマンはどうなの?」
「おお、ウルトラマンも復活するぞ。三色に色が変わったりして大人気になり、劇場用の新作まで作られるんだ。あとブースカまでリメークされるんだ。凄いだろ!」
「へえ!で東映は?仮面ライダーは復活しないの?」
「仮面ライダーも復活するんだ。子供たちばかりか主演のイケメン俳優を目当てにした母親世代まで巻き込んで、ウルトラシリーズ以上の大人気になるんだぜ」
「本当に凄いなあ!で、戦隊シリーズは?」
「えっ、戦隊もの?…う~ん、戦隊ものは今と全然変わってないな…」
 お後がよろしいようで。

 でも、全然変わらないのが戦隊シリーズの魅力なのかも知れませんね。

久々のメジャーサメ映画 - エクセルシオール (男性)

2018/07/15 (Sun) 22:19:22

 今年の9月に『MEG ザ・モンスター』という映画が公開されます。深海に生き残っていた古代の巨大鮫メガロドンが蘇り、大パニックを引き起こしていくというモンスターホラー映画で、すでに公開されている予告編ではものすごくでかい鮫が大暴れする姿が見られます。

 この映画、多分『ディープ・ブルー』(1999年)以来のまともに金をかけたメジャー作品としてのサメ映画となります。サメ映画というジャンルは近年、過剰なまでに粗製乱造され、多くの人の失笑を買ってきました。モックバスター(模倣映画)の製作会社として有名な(悪名高い)アサイラム社などが中心となり、適当なCGを使って大量生産。『シャークネード』、『シャークトパス』、『メガシャーク』、『アイス・ジョーズ』、『シン・ジョーズ』等々、もうやりたい放題でした。

 しかし、本作品は違います。何といっても主演がジェイソン・ステイサム、文句なしの大スターです。CGだって予告編で見る限りは、本物みたいな迫力のあるものです。どうか「質の悪いものが大量に作られる」というサメ映画の現状を変えてほしいですね。もっとも、いくら技術がすごくてもシナリオが駄目では意味がありませんが(きちんと筋の通った話を作ってほしい)。

 まあ、いくら強大でもサメはサメですし、相手がジェイソン・ステイサムでは倒されることは確実でしょうが、彼にやっつけられるまでにどれだけ観客を恐怖させるか、そこが見ものでしょう。

 余談。今ではアクションスターとして揺るがぬ地位を築いたステイサムですが、彼がまだスターになる前に出演したSFホラー映画がありました。『遊星からの物体X』の監督だったジョン・カーペンターが作った『ゴースト・オブ・マーズ』と言う作品で、火星人の亡霊が火星に植民していた地球人に次々と憑依して狂暴化させていくという映画です。アメリカでは2週間で打ち切りになったと聞いていますが、ステイサムが出演していたので、今では多少有名になっているそうです。機会があったら観てみてください(ちなみに憑依された人はなぜかロックバンドのKISSみたいな格好になります)。

Re: モンスターパニック私感 - なんじぇい (?)

2018/07/16 (Mon) 16:52:34

一応サメ映画の大作としては『ロスト・バケーション』などがありましたが、大作自体は確かに珍しいので私としても期待したいところですね。
まあZ級映画は大抵脚本以外も演技・演出・CG共に拙すぎるものが多いので、その点では安心して見れる大作が出ることは喜ばしいです。



さて、モンスターパニック映画はサメ以外にもワニ・熊・蛇・鳥・虫など手を変え品を変え大量のZ級映画が粗製乱造されていますが、個人的にはこの系統の最高傑作は『オルカ』だと思っています。

『オルカ』は巨大シャチが人間達を襲う作品なのですが、かなり変わっていまして、なんと作品がモンスターであるオルカ側に立っているのです。
ストーリーも妻と子供を漁師に殺されたオルカが漁師に復讐を遂げにやって来るというもので、基本的にただ倒される対象でしかないモンスターパニック物としては極めて異色の作品と言えます。
人間とオルカ双方をじっくりと見せ、どちらにも感情移入出来るような作風となっています。
モンスターパニック物としてのあり方や、人間の営みについて色々考えさせられる作品であります。
また工場を爆発させたりなどの特撮の見せ場もバッチリあります。
最後の結末もかなり衝撃的であり、モンスターパニックとしてここまで異端な作品はないでしょう。
(でもあまり話題にはならなかった……残念)
間違っても爽快感などはありませんが、お勧めしておきます。



モンスター側に立った映画と言えば、ネズミの『ウィラード』『ベン』辺りもそうでしょうか。昔の映画の方が多いのかもしれません。

Re: 久々のメジャーサメ映画 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/17 (Tue) 18:23:54

 いやー、こうしてお二人の記事を読んでみると、
わたしゃ、サメ映画を見てないなー。
『ジョーズ』ぐらいしか見ておりません。
『ジュラシック・ジョーズ』のダイジェストを見てひっくり返ったことはあります。

『MEGザ・モンスター』についてちょいと調べて見ましたら、原作はSF小説だそうなのでなかなか期待できるかも知れません。

『ゴースト・オブ・マーズ』、ストーリーはほとんど忘れていましたが、おもしろかったです。
 基本的にジョン・カーペンターは好きなんですが、どこまで行ってもB級の香りが抜けない人ですよね。

 なんじぇいさん、古い映画をよくご存じですね!
『オルカ』はまったくおっしゃるとおりの傑作です。
70年代の動物パニック映画ブームの中で公開されたので、その他の
『グリズリー』だの『テンタクルズ』だのと一緒くたにされている感じもありますが、
私は『ジョーズ』より好きです。

怪獣プラネットゴジラ! - なんじぇい (?)

2018/07/04 (Wed) 21:43:53

そういえば川北紘一さん監督の作品なのに観てなかったなあ……というわけで、今日これを鑑賞してみました。

ビックリしました。
「凄いじゃないですか!」と興奮ぎみです。

まず本作は1984年以降のゴジラ作品で、最も原点に近いゴジラではないでしょうか。というより私の見る限りでは初代や2代目そのまんまです。
核実験で変異した生物ではなく自然の生物で、放射能ではなく自然のものを食べ、放射熱線も青色です。
さらに設定によれば、身長も50mだそうです。

またゴジラたちも見境なく上陸して都市で暴れる存在ではなく、人間たちの汚染物質のせいで地球にワープしてしまい訳もわからず興奮して暴れているだけ、というのも素晴らしいです(故郷の緑の実を食べて穏やかさを思い出して大人しくなる、という結末も良い)。

それでいて、ちゃんと建物をバンバンぶっ壊して破壊のカタルシスを堪能させてくれます。
東京駅の破壊のシーンは個人的にはヤシオリ作戦の何十倍も面白いです。
欲を言えば、銀座ももう少し破壊してほしかったかな……くらいでしょうか。

「緑の実を食べたら何故かゴジラたちがフワフワ浮いて故郷に帰っていく」という突っ込みどころはありますが、これは上映時間が10分未満しかない以上(加えてテーマパークのアトラクションムービーなので、絶対にハッピーエンドにしなければならない)、致し方ない問題に見えます。
それでもゴジラたちが故郷へと帰っていく際には物悲しい音楽を流したりしているところは、ゴジラたちに寄り添っているような感じがして好感が持てました。

『怪獣プラネットゴジラ』、ゴジラへの愛情がつまった素晴らしい作品でした。
川北さん監督のゴジラ映画を観てみたかったなあ……と思わされました。

Re: 怪獣プラネットゴジラ! - エクセルシオール (男性)

2018/07/05 (Thu) 20:21:04

 この映画はサンリオピューロランドのアトラクションとして制作されたものですが、映像ソフトになったものは完全版ではないそうです。なにせサンリオなのでハローキティが登場しているシーンがあったらしいのですが、版権の関係でカットされちゃったそうです。そんなにキティの権利料が高額だったのか?少々疑問が残ります。
 
 ストーリーはものすごく強引な展開でしたが、元がアトラクションである以上、仕方ない面もあるでしょう。登場怪獣はゴジラとラドンとモスラという豪華な面々であり(アンギラスはどうにもならなかったのかなあ・・・)、宇宙船アース号もガルーダを改造したものでかっこよかったです。なお、ゴジラが東京駅を壊したのはこれが初めてだったとか(なかなか迫力がありました)。
 案内役はVSシリーズ唯一のレギュラーであった三枝未希役の小高恵美さん、ゴジラは薩摩剣八郎さんが演じていたので、よかったです。後、ノンクレジットですが、有名な声優さんが複数出ていたと聞いています(中村正さん、家弓家正さん、塩沢兼人さん、キティ役の林原めぐみさん)。

 いつか完全版を観てみたいですね。

Re: 怪獣プラネットゴジラ! - 海軍大臣 (男性)

2018/07/06 (Fri) 00:07:30

「怪獣プラネットゴジラ」は当時、多摩センターのサンリオピューロランドまで特撮好きの仲間10名ばかりで観に行きました。しかし、ㇺさい男ばかりの集団だったので、家族連れの多い中では明らかに浮きまくっており、正直、恥ずかしかった思い出があります。
 内容的には、なんじぇい様の云われたのと同様に、「何でこんな特撮場面を本筋の劇場作品でやらないんだ?」との意見が大勢を占めていました。

 しかし考えてみますと、川北紘一監督本来の持ち味が出たゴジラ映画は、結局のところ作られることなく終わってしまった気がします。
 ゴジラと対戦怪獣が、ただ光線を打ち合うだけに終始した平成シリーズしか馴染みの無い方には意外かもしれませんが、70年代末~80年代初頭に掛けての時代を過ごした我々世代のファンにとって、川北監督の存在は一縷の望みだったような気がします。【ウルトラマンタロウ】の「宝石は怪獣の餌だ!」の回で早くも才能の片鱗を見せ、TV版【日本沈没】では劇場作品と見間違うほどのミニチュア・ワークをおこない(特に札幌壊滅編は圧巻でした)、続く【東京大地震M8.7】と【ウルトラマン80】で頂点を極めた川北特撮でしたが、【さよならジュピター】で味噌が付いて以来、折角登板なった平成シリーズなどでも嘗てのブラウン管で見せた職人芸的なスゴ技特撮は影を潜めてしまったようで、残念でなりません。
 以前、ギドラ様が、円谷英二の力量が十二分に発揮されたと云えるだけの作品はゴジラ・シリーズには無いといったお話をされていましたが、川北監督も又、不幸にも師匠と同じ結果を見てしまったことになるのだと思います。
 しかし、これは以前にも触れましたが、【ガメラ 大怪獣空中決戦】でファンから絶賛を博した特撮場面の数々は、一部のデジタル使用のものを除けば、基本的には前述した絶頂期の川北特撮を拡大再生産したものとして受け止められますし、また同時にTV時代の川北監督が実践したミニチュア特撮の在り方は、極めて正しいものだったと云える気がしてなりません。

Re: 怪獣プラネットゴジラ! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/07 (Sat) 17:14:10

 おお、『怪獣プラネットゴジラ』ざんすね。

 ピューロランドへは行けなかったんですよ。それで、これ見たさにギャレスゴジラのブルーレイボックスを買ったのでした。
なんじぇいさんの感想と同じく、ゴジラをもともとは穏やかな性質であるとしたことに感激し驚きました。
 アトラクション用作品なので、コンパクトに怪獣映画の魅力をまとめているのもお見事。
自然環境の中の怪獣、文明都市の中の怪獣双方を見せていますし。

 予算の問題か、もっとこうだったらいいのになぁ、と思わせる面もありながら、十分楽しく見ることが出来ます。
ゴジラ初の3D作品だもんなぁー。

 作中で見たところ、身長は50メートルよりは大きい感じです。80~100メートルはありそう。
そのあたりはカットによって伸び縮みしているみたいですが。
 で、ソフトに収録されているのは短縮版なんですね。うーん、残念。キティちゃんがどんな風に絡んだのでしょうか・・。

 どうもゴジラシリーズだけでなく、元祖ガメラシリーズなんかもその変遷を観察すると、
怪獣ものは怪獣のスター性、その存在感で年少のお客さんを呼べてしまうので、出資側が予算を出し渋っていったように見えます。
映画の斜陽化も関係したのでしょうけれど・・。
 平成VSの時代はそんなことはなかったのだと思いますが、怪獣のスター性に頼っていった感はなきにしあらずです。

 川北監督は特撮新世代のホープだったんですよね。『さよならジュピター』だって特撮映像だけで考えれば当時の邦画としては画期的でした。
ゴジラシリーズにおいてはだんだんと怪獣映画のキモを掴んでいったように思うのですが、平成モスラの途中で映画から離れてしまったのが残念です。
(あ、セイザーXの劇場版もあったか)

 円谷作品でも川北作品でも、ゴジラ映画で完全燃焼を感じさせるものがないというのはまことに残念なことであり、だからこそ技術的にも演出的にも全編にわたって濃密なゴジラの新作を見たいと願うのでもあります。
たとえば『ゴジラ』(一作目)であっても、ゴジラが海中で溶けていくシーンなどは、円谷監督は納得していないだろうな、スケジュールの都合で妥協したんだろうな、と思ってしまいます。
円谷監督の持ち味の一つには、「現象を丁寧に見せる」ということもあると思っているので、あのゴジラ溶解シーンは本意じゃないだろうな、と。

あるゴジラマニアオフ会の話、少しの希望とやっぱりの分裂 - なんじぇい (?)

2018/07/02 (Mon) 03:47:14

この話は書こうかどうか、かなり悩みました。私の素性がバレるかもしれないからです。また皆様を不快にさせるかもしれません。
しかし今のゴジラファンたちを取り巻く状態と、今後のゴジラに希望的なものもあるということで、書くことにしました。

あるイベントの終了後に、特撮マニア(ゴジラシリーズはかなり知っている人が多かった)たちが集まるオフ会があり、そこに私は参加していました。
最初は「好きな特撮シリーズはなんですか?」みたいな無難な話題だったのですが、最近の特撮ものの話題になったとたん空気が変わったのです。
それは参加者ほぼ全員が見ていて、絶対に避けては通れないものでした。

そう、『シン・ゴジラ』です。

ある方がこれを誉めたとたん「確かにあれは初代ゴジラの魂を受け継いだ傑作だ」「いやゴジラ映画としても怪獣映画としても駄作だ」等と意見が飛び交い続け、空気は一変。『シン・ゴジラ』についてあれこれ語る会みたいになってしまったのです。

その会ではシン・ゴジラ賛成派と否定派が色々争っていたのですが(私は否定派よりでした)嬉しいことがありました。
議論が進んだ結果、いくつかの点において、皆様の意見がある程度一致し進展があったのです。
それは、シン・ゴジラ第5形態が今までのゴジラのアレンジから明らかに逸脱したやりすぎのものであるということでした。これは賛成派もその通りだと認めたものでした。
また、放射能の半減期が20日しかないこと、カヨコの演技が過剰なことなども賛成派は『シン・ゴジラ』の欠点であると認めていました。
賛成派の方も「第5形態に関しては直後の初代ゴジラのBGMで、これはゴジラ映画だとまんまと乗せられてしまったところがあったかもしれない」とおっしゃっていました。
異なる意見の者たちを無視せずに粘り強く語り合うことの大切さ、また話を聞いてくれるゴジラファンやゴジラオタクもまだ捨てたものではない、と少し明るい気持ちにさせられました。




しかし、『シン・ゴジラ』に関する初代ゴジラやゴジラ映画の精神性などについては否定できなかったのはまた事実でありました。
それは私含む否定派の力不足ゆえか、賛成派が正しかったのかは分かりません。(ただ正直すぐには思い浮かばなかったです)
それに関する賛成派の意見は次のようなものでした。ちなみにこれらは否定派が説明できなかったものです。

・『シン・ゴジラ』は初代ゴジラの魂を受け継いだ作品である。なぜならば、牧悟郎教授の残した極限環境微生物の分子構造解析図がなければ、シン・ゴジラを凍結させることは出来なかったからである。
牧悟郎教授は妻を殺した放射能と放射能を生み出した人類、そして妻を見殺しにした日本という国家を憎んでいたとされ、学会から半ば追放される形で日本を離れており、この点においても世捨て人同然となっていた芹沢博士と共通している。
そのような人物の手を借りなければシン・ゴジラは凍結できなかった、これは『シン・ゴジラ』が初代ゴジラの魂を受け継いだ作品だという何よりの証拠である。


・シン・ゴジラは今までのゴジラと同じく人類の科学力を超越した存在であり、決して現代の科学力で倒せる矮小な存在などではない。
実際「少なくとも生命活動の停止は可能」と巨災対が断言したヤシオリ作戦による血液凝固剤を受けても、ラストシーンでシン・ゴジラは凍結後に第4形態から第5形態へと進化を続けていることが劇中で明かされており、これからシン・ゴジラが巨災対(人類の叡知)の及ぶものではなく科学を超越した存在であることが示されている。
また状況に応じて背中や尻尾などからの放射線流発射能力を発現させるなど、適応進化能力もあることも見逃せない。
水爆が効くかどうかにしても、凝固剤に関する巨災対の推測が間違っていた以上、効かない前フリのようなものに見える。少なくとも巨災対の水爆で滅却出来るという発言は手放しに信用して良いものではない。
またその凝固剤にしても、芹沢博士と同じ扱いである牧悟郎教授の存在なくして出来るものではなかった。
更に死すらも超越しているかもしれないという台詞もあり、これでも既存の兵器でシン・ゴジラを倒せないことが分かる。


これらに関して、皆様はどう返答するでしょうか。




ちなみにその後はアニメゴジラの話題に少しなったのですが、見ている方自体が少ないという有り様で、しかも絶賛している方は1人もいませんでした。
ゴジラマニアにほぼ総すかんを食らうというのは相当にヤバいですね。


それにしても、『シン・ゴジラ』はなぜこれほどまでに意見がバッサリ割れるのでしょう?この凄まじい分裂は今までどのゴジラ映画にもなかったものです。
でも、その溝がほんの少し縮まった気がして嬉しい気分にさせられたオフ会でした。

どうせ此の世は癪のタネ… - 海軍大臣 (男性)

2018/07/03 (Tue) 00:35:54

 現行のアニメ作品ほどではないものの、【シン・ゴジラ】にも正直云って関心がないのですが、一番目の問い掛けについて個人的な意見を述べてみます。


 世捨て人同然とされる芹沢博士と牧博士にはキャラクター的に相通じる部分がある、などと無理矢理に共通項を見出そうとしている方々が居られるようですが、この二人のスタンスは決定的に異なっています。
 第一作【ゴジラ】に於いては、当然のことながら芹沢博士と大戸島近海に出現した怪獣とは何の因果関係もありません。両者を結び付けたのは、「水中酸素破壊剤」を開発してしまったことで芹沢自身がゴジラ以上の破壊者になってしまう危うさがあったが故に、それを回避するべく、彼はゴジラと一緒に心中した訳です。これは今更云うまでもないことで、改めて書いてみると何だか気恥ずかしささえ感じてしまいます。でも、前掲した意見を仰られる方というのは、それが見えていないか、敢えて見ようとしていないのではないでしょうか?

 ところが映画【シン・ゴジラ】での一連の出来事は、勿論、劇中で明確に述べられてはいませんが(でも、そういう部分を勝手に想像し妄想するのが昨今のファンの流行りなのでしょう?)、あれはどう見ても牧博士が所謂「マッチ・ポンプ」的な役回りを果たしていることになるのだと思います。
 そうした「人類だとか祖国だとかを呪っていた人物の手を借りねば巨大不明生物を凍結できない」とのストーリーラインが、どうして【ゴジラ】第一作と比肩されるのか、正直、理解しかねます。果たして芹沢博士が、自分に醜い傷を負わせることになった戦争を始めた祖国を呪っていたかまでは判りませんが、あの最期を見る限りでは、同じ世捨て人ではあっても、人類を呪って身を投げたゴロウ・マキと同列に論ずるべきではないでしょう。
 そもそも芹沢博士が生命と引き換えにオキシジェン・デストロイヤーを使うハメとなった切っ掛けは、山根恵美子と云う一人の女性に向けての、自身のちょっとした虚栄心を充たすためでした。魔が差したと云ってしまえばそれだけのことですが、最後に彼は科学者としての良識に殉じています。そこが最初から終いまで個人の恨みつらみに終始した老教授とは根本的に異なっているのだと思うのです。
 
 二番目の問題に関しては、例によって庵野監督が「大風呂敷」を広げたまでのことに過ぎないように感じられてしまい、果たして論争に値するものだろうかと、正直、首をひねっております。

Re: そんなに議論の余地が残っているとも思えませんが 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/03 (Tue) 19:05:08

 海軍大臣さんのお手を煩わせてしまって申し訳ないです。
『シン・ゴジラ』はもう相手にしない、と宣言しているので、この話題に口を挟むのは前言撤回みたいでかっこわるいんですが・・・。

『シン・ゴジラ』的に賛否が分かれて議論百出した作品と言えば『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』があります。
あの映画と『シン・ゴジラ』の共通点は、監督が過去にオタクさんたちに絶賛された作品を発表していることです。
その上で、どちらも映画としての出来は水準以下であったことが対立を呼んだのです。

(GMKは一般観客からは無視されたようなものだったけれど、『シン・ゴジラ』は昨今のソフト国家主義ブームに便乗する形でゴジラファン以外からの支持も集めたことが事態をややこしくした)

 芹沢博士と牧悟郎を似たもの同士と見る解釈が間違っているのは、まさに海軍大臣さんがおっしゃるとおりです。
さらに、芹沢はオキシジェンデストロイヤーの秘密を守るため自ら社会との繋がりを断ち切っているのに対し、マキは日本から出て行っただけで、アメリカの研究機関で研究者としてキャリアを積んでいます。
その研究成果を援用してちんごじらを作ったのですから、マキが孤独だったとしてもその意味は芹沢とは大きく違いますね。

『シン・ゴジラ』を見たときの感覚的な印象でも、牧悟郎に透かし見えたのはアニメ映画「パトレイバー」の帆場(名前はいまネットで調べました)でした。

 そしてちんごじらはゴジラと同質なのかという問題。
これはすでにさんざん書いてきたと思うんですが・・・。
牧悟郎がアメリカの研究機関を利用して作り出したのがちんごじらなのですから、ちんごじらは人類科学に従属するものです。

 水爆にも耐え、芹沢が偶然発見したオキシジェンデストロイヤーという現象を使うことでしか倒せなかった自然発生のゴジラとはまったく別物です。

 ちんごじらの第五形態をどう見せていたかの問題もあります。
第五形態は動いていましたか? あの見せ方は、作り手の意図はともかく、映画演出的には、
もうちょっとで第五形態になるところを止めたのだ、という表現です。もしあれがごそごそと蠢いていたなら作戦は失敗してちんごじらは制圧されていないという表現になります。

 ちんごじらの細胞膜機能を阻害するという微生物の話の時に申し上げましたが、その微生物に感染したちんごじらは死んだも同然なんです。
ちんごじらは活動エネルギーをどうやって作り出していたでしょうか? 血液凝固剤を分解されるかどうかなんて問題ではなく、その微生物さえあればちんごじらの核物質はストップするのです。
つまり、牧悟郎はちんごじらの倒し方を示していたわけです。それも、偶然発見したわけではありません。

 ちんごじらは我々の現実世界にある既存兵器では倒せないのかもしれませんが、劇中世界の人類の科学力で倒せる存在ということになります。
また核兵器で滅却できるかどうかは結果が出ていないので、殺せないかも知れないという意見にも一理はあるでしょう。
しかし、そんな物語だったでしょうか? ならば物語の組み立てとして、ちんごじら対策のエセ科学者たちが核兵器は無効だ、と主張しなければならないでしょう。

『シン・ゴジラ』擁護の方が言う、
>巨災対の水爆で滅却出来るという発言は手放しに信用して良いものではない。
>死すらも超越しているかもしれないという台詞もあり、これでも既存の兵器でシン・ゴジラを倒せないことが分かる。

 この二つの意見は激しく矛盾していますね。
一方では巨災対は信用できないと言い、もう一方では巨災対の発言を劇中世界の事実であるかのように受け止めている。
理性を失っている証左では?

(だいたいが、微生物の分子構造図なんて言い出す脚本がまともな映画になるはずがないんだけどなぁ) 

Re: そんなに議論の余地が残っているとも思えませんが - なんじぇい (?)

2018/07/03 (Tue) 19:29:19

お二方の返信に感謝します。

芹沢博士と牧悟郎教授の違いは、まさしく海軍大臣様のおっしゃるとおりでした。
また個人的にはオキシジェン・デストロイヤーという科学の究極系と言える兵器の恐ろしさを描いた『ゴジラ』と、そんなものを一切描かなかった『シン・ゴジラ』は、物語としての深みが段違いな気がしますね。
『VSビオランテ』などでも坑核バクテリアの恐ろしさはしっかりと描かれていたというのに、まるで退化しているように思えます。
2番目のゴジラの精神性についてもギドラ様に全く同意です。

今回の件で気付いたのは、会話による議論とBBSによる議論の違いでした。
会話による議論は、相手からの反論に対し即座に答えなければそこで終わって(負けて)しまいます。なのでどうしても、突っ込んだ話をしづらいのです。
BBSだと考える時間がありますので、そのようなことにはなりづらいです。
会話によるディベートの方が時間あたりの情報量が多くなるという長所もあることを忘れてはいけませんが、BBSならではの良さがあるということを改めて思い知らされました。

皆様のお手を煩わせてしまい、誠に申し訳ありませんでした。

あともう金輪際、『シン・ゴジラ』の話題はしません。私も今はあの映画は駄作だと思っていますので……。

Re: あるゴジラマニアオフ会の話、少しの希望とやっぱりの分裂 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/07/04 (Wed) 18:12:37

 面と向かっての会話による議論だと、押し出しの強い人や言い抜けのうまい人に丸め込まれることがあるんですよね。

 いまのネットコミュニケーションはツイッターが主流になっていますが、字数制限の問題がどうにも痛いです。
 というわけで流行遅れのBBSを細々とつづけているというわけです。
どこかの誰かが読んでいる、という思いを胸に・・。
 キビシーーー!!

 まあその、東宝さんも『シン・ゴジラ』のラインは続けないと言っているので、あの映画をどうこう言ってもゴジラの未来には関係ないことと思います。
それでもなにか胸に余ることがあればここでお書きになってもいいですよ。
相手にしないと言いつつ、場合によっては私も書くことがありますし。

ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - なんじぇい (?)

2018/06/27 (Wed) 00:34:35

素朴な疑問です。

基本的に、ゴジラの身長は巨大化の一途を辿っています。最初の50mから80m・100m・108m・118.5m・更には(アースですが)300m超です。
ミレニアムシリーズでは小さいものはありましたが、55mや60mなどとなんとも半端な数字が多いように思われます。
ゴジラの大きさがでかくなっていったのは、「超高層ビルが増えたから」等のような事情もあるのでしょうが、「歴代最大のゴジラ」という宣伝が出来ることも影響しているように思われます(ギャレスゴジラもシン・ゴジラもゴジラ・アースもみんなその宣伝をやってました)。


時代や都市の変化に応じてゴジラの大きさは変えた方がいいのでしょうか?
身長1kmとか10kmのゴジラを出しちゃってもいいのでしょうか?
ゴジラ巨大化の風潮はどう思いますか?


等々多くの疑問が渦巻いていますが、私はこれらの疑問に対して回答を持ち得ません。
ゴジラの大きさについて皆様の意見をお聞きしたいです。

追記 - なんじぇい (?)

2018/06/27 (Wed) 05:29:51

因みに一応私の見解を書いておくと、「まあ、感情的にはゴジラはでかい方が好きです」となります。
でかさは強さに直結するからという至極単純な理由です。
強さを出すなら、でかいのに越したことはありません。
また怪獣映画の面白味の1つは、でかい怪獣が都市で暴れることなのですから、都市に合わせてゴジラがでかくなることも必然的に思えます。

そんな特に深い考えもない個人的な意見なのですが、皆様はどうでしょう?

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/06/27 (Wed) 19:23:36

 そうですね・・。
 最初にゴジラの大きさを決めたときは、当時の東京都心で見栄えする身長を割り出したということらしいですね。

 結果身長50メートルということになったわけで、そんな演出上の要求から考えれば、ゴジラの身長を大きくしても良いじゃないか、と思えます。

 しかし、身長50メートルで創造されたのがゴジラなので、ゴジラなら50メートルを守るべきと思います。
 実際、元祖シリーズでは東京タワーが完成しようが霞ヶ関ビルが登場しようが、ゴジラの身長を変えたりしていません。

 ゴジラの身長は50メートルという縛りの中で、高層ビル街でのゴジラをどう描くかという工夫があっていいと思います。
 それから、やたらと大都会にゴジラが出てこなくてもいいでしょう、とも。

 とはいえ、昨今の超高層ビル群の前では身長50メートルでは物足りない感じがするのも事実でしょう。
 別個体とか近似の別種といった逃げを打って200メートルだの300メートルだののゴジラがあっても良いかもしれません。

 それでも気をつけなければならないのは、怪獣がどんな心理効果を目指しているか、というあたりで、
身長が1㎞などということになってくると、一暴れの破壊が大きくなりすぎて扱いづらいんじゃないでしょうか。
また、怪獣が人間をどのように認知するか(人間にとっての蟻ぐらいには見えるか・・)も考慮するとあまり大きくするのも問題かなと思います。

 ものすごく大きい怪獣の例としては「帰ってきたウルトラマン」のバキューモンなんてヤツがおりますが、
あれはもう、一般的な怪獣の枠を超えてますよね。

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - エクセルシオール (男性)

2018/06/27 (Wed) 20:47:29

 個人的にはゴジラを大きくすることはある程度までは許されると思っています。人間の作るビル等が大きくなっている以上、ゴジラが身長50メートルのままではいささか迫力を欠くことも否定できません。怪獣による大都会破壊シーンの怪獣映画における重要性を考えると、怪獣の方を大きくすることもやむを得ない面があります。それに、ゴジラも「生き物」ですから「成長して大きくなる」要素もありだと思います。

 とはいえ、いくらでも大きくしてよいとも言えません。あまりにも怪獣が巨大だと、破壊の規模がとんでもないものになってしまい、観客から見てかえって実感のわきにくいものになってしまうおそれがあります。怪獣は怪獣であり、巨大隕石と似たような感じになってしまうのも考えものです。そうなってくると、身長150メートルくらいが限度ではないかと思います。
 また、ゴジラを大きくすることは他の怪獣も大きくする必要があることも忘れてはなりません。ゴジラが身長150メートルになれば、ラドンも同じ身長にしないといけないし、アンギラスは両者より大きくすることになります(忘れられがちですが、アンギラスは設定ではゴジラより大きい)。

 バキューモンは確かに例外中の例外ですね。あまりにも大きすぎて「怪獣」と言う印象がイマイチ感じられませんが。

 

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - 海軍大臣 (男性)

2018/06/27 (Wed) 22:12:32

 話の主旨から外れるようで恐縮ですが、子供のころに目にした雑誌の挿絵に、エネルギーを吸収して限りなく巨大化したギララが、何と富士山を軽く踏みつぶしている場面が描かれていたのを思い出してしまいました。
 イデ隊員のセリフじゃありませんが、正に過ぎたるは及ばざるが如しだと思います。

Re: ゴジラの大きさってどれくらいがいいんでしょう? - なんじぇい (?)

2018/06/29 (Fri) 19:13:18

皆様ご意見ありがとうございます。
ゴジラの身長は時代にあった都市で暴れるに丁度良い大きさ、辺りがいいのかもしれませんね。

勉強になりました。

メカゴジラの元ネタかも・・・? - エクセルシオール (男性)

2018/06/21 (Thu) 22:09:03

 アニメ映画『ゴジラ 決戦機動増殖都市』において、登場しそうで出てこなかったことで少なからぬファンを失望させたメカゴジラ。
 そのメカゴジラですが、「怪獣と同じ力を持つものを機械で作る」と言う発想の起源を探ると面白いところにたどり着きます。日本の特撮の世界では『キングコングの逆襲』に登場したメカニコングが最初と思われますが、映画以外の作品に目を向けると意外な作品が浮かび上がってきました。それは妖怪漫画の金字塔『ゲゲゲの鬼太郎』(旧名『墓場鬼太郎』)。この作品の「大海獣」というエピソードで、ロボットの大海獣を生き物の大海獣にぶつけるという話が出てきます。この物語は何度も作者の水木しげるさんによって改定が繰り返されているのですが、最も古い貸本時代の『怪獣ラバン』(元は鬼太郎の話ではなかった)までさかのぼれば1958年であり、メカニコングより早いです。

 「大海獣」のお話を簡単に説明すると、不死身の生命力を持った大海獣の血を求めて探検隊が派遣されますが、大海獣の攻撃でほぼ全滅。生き残ったのは鬼太郎と天才少年科学者・山田秀一。ところが、この山田は大変に利己的な人間であり、功績を独り占めにするため、まず、鬼太郎に特殊な毒を吸わせてその妖力を封じ、その後、大海獣の血を注射して殺そうとするのでした。鬼太郎は命は取り留めますが、大海獣に変異してしまったばかりか、親や仲間にも鬼太郎だと気づいてもらえないという悲しいことになります(唯一気付いたのは山田の妹の啓子。兄とは大違いの美しい心の持ち主である)。
 一方、山田は己の悪事がばれるのを恐れて、日本政府を動かし、5億円の予算をもって鉄の大海獣(ロボット大海獣、ラジコン大海獣とも呼ばれる)を建造、鬼太郎大海獣との世紀の対決が始まるというわけです。もはや完全に怪獣映画の世界です(私も大変ワクワクして読みました)。

 水木さんは映画『ゴジラ』が好きで、この「大海獣」も原形の『怪獣ラバン』も『ゴジラ』に触発されて書いたと述べておられたそうです(何たって『怪獣ラバン』はゴジラの血を注射された男が怪獣になってしまうお話である。なお、東宝は事後承認だったみたい)。『ゴジラ』の影響を受けて「大海獣」が作られ、その中に登場したロボットがもしかしたらメカニコングやメカゴジラを生む遠因となったとしたら、非常に趣深いことだと思います。

 さて、『ゲゲゲの鬼太郎』は現在放送中のものを含めて6回アニメ化されていますが、「大海獣」のお話がアニメになったのは、第1期、3期、4期(劇場版)の三回です(2期は1期の続編だったため、5期は不本意な打ち切りを強いられたため無し)。しかし、ロボット大海獣が登場したのは1968年の第1期だけです。私は3期世代になるのですが、ロボット大海獣が出てこなかったのは残念に思った記憶があります。
 となると、今放送されている第6期に期待したいところです(なお、5期は3年目があれば「大海獣」のエピソードをアニメ化し、ロボット大海獣も登場させる予定があったのだとか)。この第6期は「第3期の天童夢子以来となる人間のメインキャラ(犬山まな)の登場」「過去作よりホラーテイストが強め」「猫娘がやたらと綺麗になっている」等々、話題の種は尽きないのですが、一方で仮面ライダーシリーズの裏番組になっているため(テレビ東京の系列局がある地方では『魔法✕戦士マジマジョピュアーズ』とも競合している)、あまり長く続かないのではないかと危惧されてもいます。だとすると、なるべく早く「大海獣」のエピソードをやってほしいですね。

 「大海獣」の結末ですが、紆余曲折はありますが、山田は改心して鬼太郎を元に戻します。そしてずいぶんひどい目に合わされた鬼太郎ですが、山田が心を入れ替えたのを見て、あっさり彼を許してあげます。この辺は、何と心の広い男だと感心しました。なお、「いくらなんでも鬼太郎は甘すぎないか」と思った方は(そのような感想にも一理ある)、第3期アニメをご覧ください(この作品では鬼太郎は山田をすぐには許さず、ボッコボコに鉄拳制裁を加えている。啓子が謝罪しながら止めてやっと彼を許した)。

 最後に。「大海獣」はバージョンにこだわらなければ割と簡単に読めますので、機会があれば読んでみてください。

Re: メカゴジラの元ネタかも・・・? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/06/22 (Fri) 19:47:51

 おおーっと、出た! 鬼太郎の大海獣!

 私は雑誌(少年マガジン)掲載時に断片的に読んでいて、
アニメ第一期での大海獣は、どんな事情だったのかもはや覚えていないけれど、見られなくてすごく悔しかったと覚えています。
 後年、友人から原作コミックを借りて読んだときに大海獣も含まれていたと思うのですが、その記憶はあまりありません。

 そして、5年前、WOWOWが東映まんが祭り再現放送という無茶な企画をやったときに、
1968年分に含まれていた劇場版「大海獣」(テレビでは前後編だったものを繋いだだけです)を入手することが出来たのです。
(しかもハイビジョン)
 で、今回、5年ぶりにもう一度見直してみました。

 大海獣の設定にはゴジラ的なものが確かにありますね。
1980年代のゴジラ論ブームの中で、ゴジラがどんどん禍々しいものとされていく(それはゴジラが核兵器の象徴であるという教条が定着したためである)わけですが、
それ以前の一般的な怪獣観は、どちらかというと怪獣というのは孤独なものであり、強大であったとしても哀愁漂うものと考えられていたはずです。
ゴジラも例外ではなく、人類に対する「試練」みたいな受け取られ方はしていませんでした。

 鬼太郎での大海獣は、まずその不死性においてゴジラ的であって、また、劇中メインとなる大海獣は鬼太郎が変異したものであることから、鬼太郎の寂しさが前面に出てきて、
怪異な外見とその大きさのせいで排撃される怪獣の孤独が表現されていると見ました。

 水木先生はちゃんと怪獣が分かっていたんだなぁと思う次第・・。

 で、ロボット怪獣(怪獣を機械で再現)のルーツが水木マンガにあったなんて知りませんでした。貸本時代にすでにそんな話を書いていたんですね。
鬼太郎のメジャー化が怪獣ブームと重なっていたことから、「怪獣ラバン」のストーリーをアレンジして「ゲゲゲの鬼太郎」に持ち込んだのでしょうか。
鬼太郎のロボット大海獣はメカニコングとほぼ同時期(メカニコングのほうが少し早いか?)で、当時の感覚では、怪獣ものに新たなトレンドがやってきたか?みたいな感じだったと思います。
いろんな怪獣がロボットバージョンで出てくるのか?と。まあ、結局そんなことにはなりませんでしたが。

 でも怪獣と戦う武器としてのロボット怪獣の先駆は水木しげる先生であることは確かなところでしょうね。
(メカニコングは土木工事用だったし、メカゴジラはゴジラのふりをするためのロボットだったし・・。メカゴジラが対ゴジラ兵器になるのはVSシリーズまで待たねばならない)
うーん、勉強になりました。

Re: 水木さんと東宝特撮のビミョーな関係 - 海軍大臣 (男性)

2018/06/23 (Sat) 00:12:09

 水木先生は貸本時代に、明らかに【マタンゴ】の原作小説であるH.W.ホジスンの【闇の声】を翻案した漫画を描かれていました。これは【マタンゴ】の映画化よりも早い時期でした。
 この小説は、知り合いのマタンゴ・マニアが調べたところによりますと、80年代に【夜の声】とタイトルを替えて文庫化される以前には、60年代にSFマガジンに掲載されただけとのことなので、妖怪がらみの怪談・奇談ばかりでなく水木先生が実に広く勉強されていたことが判ります。

 また、同じ貸本時代に、確か【花の流れ星】だったかと思いますが(こちらの題名は少し自身がありません)、【白夫人の妖恋】と同じ中国伝奇ものの【白蛇伝】の舞台を江戸時代の日本に移植した作品を書かれておりました。
クライマックスの舞台となるのが、浅草の浅草寺(同じ金龍山繋がり?)だったと記憶します。

 こうした例は調べればまだ出てくると思いますが、昭和三十年代の我が国では、漫画と映画というサブカルチャー同士が互いに刺激し刺激され合いながら発展していった様子が垣間見られるようで、非常に興味深く感じてしまいます。


 

Re: メカゴジラの元ネタかも・・・? - なんじぇい (?)

2018/06/27 (Wed) 19:42:49

横入り失礼します。
「怪獣と同じ力を持つものを機械で作る」という発想ですと、特撮関係では『月光仮面』のマンモス・コング編に登場した人工コングが最初ではないでしょうか?
作中では暗殺団に奪われたりとさんざんな扱いでしたが。

ただ人工コングの登場は1958年で、鬼太郎の大海獣とはどちらが早いかは分かりません。

おーばーどらいぶ(泣) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/06/07 (Thu) 18:26:07

 これほどつまらない映画は無視すればいい、と思って一旦は投稿リストから外したものの、
こんなものを看過しては日本映画のためにならないと思い直しました。

 私は基本的にレースファンではありますが、ラリーはほぼノータッチ。
モータースポーツ雑誌の記事をたまに斜め読みするぐらいです。
そんなラリーを扱った作品とはいえ、日本映画でモータースポーツを取り上げるのはきわめて珍しいことなので、一応見に行った、
『OVER DRIVEオーバードライブ』。

 ひどい。これはひどい。
Vシネによくある走り屋ものやアニメ「頭文字D」のほうがよほどおもしろい。

 まず、作り手がレースとラリーの区別を付けていないのが痛い。
子供の頃、レーサーになる、と宣言していた人間がなぜラリードライバーになったのか?
そこになにもドラマはないのか?
レースとは競走であり、複数の車が同時に走って着順を争うものですが、
ラリーは基準タイムを目指して走行タイムをコントロールする競技であり、どちらも運転技術が鍵になるのは間違いないけれど、
追い抜き(オーバーテイク)があるのかないのかは大きな違いであり、別の種目と言っていい。

 この映画ではラリーとはどんな競技であるかの説明すらない。
とにかく速く走ればそれでいいような見せ方をしている。それは、SS(スペシャルステージ)と呼ばれるラリーの中でも特殊な区間だけのこと。
現在の世界ラリー選手権や全日本ラリー選手権ではSSで勝負が決まるようですが、それでも走行距離でみるとSS区間など圧倒的に少ない。
それなのにSSしかないような見せ方をしているのはおかしい。
また、勝ち負けを決めるポイントシステムの説明もないので、途中経過の勝ち度、負け度がわからない。

 そして架空のラリー選手権シリーズを登場させ、現実のラリーとは一層かけ離れた描写をする。
ラリードライバーがアイドルみたいに若い娘たちからキャーキャーいわれてるし、
ラリードライバーが東京湾にクルーザーを浮かべて女をはべらしたりするとは、どこの世界の話なのだ?

 チームの運営形態もなぞ。
主役チームが開発したサスペンションがファミリーカーにも採用されている、などとうそぶいていたけれど、ラリー用に作ったサスがファミリーカーに付いている????
どれほど根本的なサスペンション革命を起こしたのだ?(だったらその機構を説明せよ)
 さらにはエンジンチューニングもやっているようだし、ターボチャージャーの開発もしているという。
 つまりはパーツメーカーが宣伝と技術開発目的でラリーチームを運営しているのか、と思ったけれど、ラリーチームの現場メカニックがサスの開発もターボの開発もやっているという。

 なんだそれ。
現場でセッティングや修理をやっている人間がパーツ開発? そんな規模で現代の自動車開発が出来るとでも思っているのか。

 そして、ラリーチームのタイヤ担当メカが「ほんとうは車のデザインをやりたかったのに、ラリーチームに配属された」とぼやくシーンあり。
え? じゃ、このチームは自動車メーカーのワークスチームだったのか?
 いやいや、そんな描写はありません。なにしろ、使っている車はトヨタのヤリス(日本名ヴィッツ)なのですから。
 チームトヨタではなく、スピカレーシングなのだそうで。
 あ、それからチーム監督はただ軽口を叩くのみで、なにを監督しているのかさっぱりです。

 狂言回しとして、スポンサーの宣伝部らしき(これもはっきりしない)おねーちゃんが出てきますが、彼女の会社が何を商っているのかもさっぱりわかりません。
ドライバーのマスコミ対応などをその女の子が仕切っているように見せていましたが、スポンサーは一社だけではないでしょう?
ほかのスポンサーは現場で何もしていないのでしょうか?
 そしてドライバーのマスコミ対応をコントロールするのは、チームの広報であるはずです。

(パンフレットを読んだら、上記の女の子はスポーツマネージメント会社の社員だそうで、これも伝わってねーなー、ま、だとするとスポーツ選手のマネージメントをやるのですね?
その立場の人間がマシーンに描かれたスポンサーロゴが隠れることに文句を言うのは変じゃない?)

 万事がこの調子で、描こうとしたストーリーの骨格しかない。それをリアルに感じさせるディティールを作っていない。

 お話はつまらないだろうと予想はしていたし、噴飯物の描写の連発は覚悟していましたが、せめてラリーカーの走りを大スクリーンで堪能できればいいや、と思っていたのも
見事に裏切られます。実際に車が走るのは、資料映像と一部のアップショットのみで、ロングショットはCGの合成。その挙動はさほどリアルでもない。
ドライビングテクニックを体感できるようなカット割りもなくて、臨場感なし。

 全体に、大昔の自動車競技をイメージして作っている感がありました。
主人公兄弟の兄がメカニックで弟がドライバーということで、この弟というのが無頼派を気取って怒鳴ったり暴れたりチームクルーに食ってかかったりスポンサーをないがしろにしたりと
やりたい放題。
(自分が壊した車を直せないからとチームクルーをなじるようなドライバーに誰が付いていく?)
 対するライバルドライバーはストイックな理論派みたいな触れ込みでありまして、あーあ、『RUSH/プライドと友情』を参考にしちゃった?
あれは何十年前の話だと思ってるんでしょうかね。それに、ジェームス・ハントは無頼派だったかもしれないけれど、ただのわがまま坊やではありませんよ。

 モータースポーツが市販車のための技術開発の場である、なんてのももう50年も昔にホンダがF1参戦したときに「走る実験室」なんてキャッチコピーを使ったことから広まった「常識」なんでしょうね。
それを間違いとはいわないけれど、現在では競技車両と市販車には大きな隔たりが出来ていて、競技の現場で有効な技術が市販車にも使える例は多くないです。
 映像面でもF1中継で見かけるようなファンの様子やマーシャルの様子なんかを見せていて、さまざまな時代・カテゴリーのモータースポーツから断片的にイメージを拾い集めて継ぎ接ぎしたようなもの。

 もはやファンタジー。

 それは人間ドラマ面も同じで、兄弟の幼なじみらしき(らしき、なんだな)女の子に兄弟二人が惚れちゃって、弟がフラれた腹いせについたウソが悲劇を呼んで、二人に溝が・・、
というのだけれど、その三角関係の実際をなにも見せてくれないので、三人の年齢差もわからないし関係も分からない。これでは感情移入のしようがない。
 私にも兄がおりますが、同じ女を取り合うなんてよほど特殊な事情がなければちょっと考えられません。その事情を見せてくれれば、それぞれの心理を推し量ることも出来て感情移入できたでしょう。

 弟は自分がついたウソで兄に取り返しのつかない喪失を与えているのだけれど、なぜかことある毎に兄に反抗します。
この心理が分からない。兄に負い目があるのではないのか? ならば償おうとするのではないか?
この弟は、悲劇に見舞われたのは自分だけであるかのような振る舞いをするし、兄の行動を責めたりもする。一番悪いのは自分なのに。自己中だね。

 なにが兄弟の絆か。

 また、兄弟が幼い頃自転車修理の道具を借りたのがラリーチームのファクトリーで(自転車のホイールを直すような工具は持ってないって)、長じて二人ともそのラリーチームにいるという設定も、
はなはだ視野狭窄。人生の10年20年をどう思っているんでしょうかね。せめて子供の頃出入りしていたラリーチームと、大人になって所属しているチームは別にして欲しかったですね。
 あり得ないとはいわないけれど、天才級のラリードライバーが偶然子供の頃にトップチームのファクトリーに出入りしていたというのはあまりにも出来すぎていておもしろくもなんともないです。

 この映画は架空の世界の架空の競技を扱っているわけではないのですよね。
ならばもっと現実味を大事にして欲しいものです。雰囲気だけでふわっとまとめても、心を打つことは出来ない。
(まあ、雰囲気だけで泣いたり笑ったりするお客さんもいないことはないけれど)
 物語に真実味を出すにはどうすればいいかというセンスがない。

 ラリー現場の視察なんかもやったらしいけれど、ラリーの現実を反映させる気はなかったようでF1の華やかさを真似したり、昔のスポ根みたいな人物設定だったりあほらしくて見ていられませんでした。
中盤以降、映画館の座席に座っている自分が恥ずかしくなってきました。一体、おれは何を見ているのか、こんなものにお金を払ってしまったのか、この時間の無駄を返せ!

 あ、女性にはおすすめポイントがあります。
新田真剣佑くんがやたらと脱ぎます。鍛え上げたいい体が見られますよ!

『ゴジラ 決戦機動増殖都市』について - エクセルシオール (男性)

2018/05/28 (Mon) 23:25:28

 先日、やっとこさこの映画を観ることができました。三部作の二部作目であり、事前情報では「ハルオの成長を描く」「メカゴジラが起動する」等々、それなりに期待できる作品であると思っていたのですが、率直に言って出来が良いとは言えない映画でした。

 まず、怪獣映画としてはメカゴジラが登場しなかったのは痛すぎます。なるほどタイトルは『決戦機動増殖都市』でしたが、予告編等では「人類最後の希望(メカゴジラ)が起動する」というテロップがあったのですから、ゴジラとメカゴジラの対決が見られるはずと思うのが当然です。ところが、実際にはかつて破壊されたメカゴジラのナノメタルが2万年の間に進化して都市になっていたというだけであり、思い描いていたメカゴジラは影も形もない有様。これはやはりペテンというほかないでしょう。せめて自己進化していたのだから勝手に動き出して人類側の脅威になってしまう展開くらいあると思っていましたが、それもなし(少なくともビルサルドのコントロール下にはありつづけた)。正直、がっかりです。
 ただし、パンフ等で示されていたメカゴジラのデザインはお世辞にもかっこいいものではありませんでした。スタッフによればわざと共感を描けないようにウニ等をイメージして作ったそうです。これでは出てこなくても惜しくない感じもしました。しかし、なぜ「怪獣はかっこよくあるべし」「ロボットはかっこよくあるべし」という二重の原則に反して変なデザインにしたのか理解に苦しみます。幻の生頼範義版メカゴジラを見習ってほしかったです(なお、この生頼版、プラモが発売されています。)

 モスラに関しても名前一つ出てこないのはいかがなものか。フツアの民とともに今後の物語を動かす重要キャラである以上、名前くらいは出すべきだったと思います。なんだか予備知識を十分蓄えて観ろと言われているみたいで、愉快ではありません。

 主人公のハルオですが、これは成長したと言えるのですかね。確かに最後の最後に彼はゴジラ打倒よりもユウコの生命を優先させましたから、少しは進歩したと言えます(助けられませんでしたが)。ですが、ストーリー展開の進度からすれば、遅すぎる。より広い視野を得るのは一度敗北して、ミアナに助けられた段階であるべきでしょう。しかし、彼は第一作と同じゴジラ打倒に突っ走ってしまい、しかも中途半端な変化が裏目に出ていた感じがします。なお、パンフレットによればハルオは第三作では英雄然として行動するそうですが、それは飛躍があると言わざるを得ません。

 そして、最大の問題はユウコ・タニ。ミアナに嫉妬して短絡的に行動する(それでピンチになる)、ビルサルドの「狂気」としか言えない態度にハルオすらドン引きしている中、フツア(というよりミアナとマイナ)への反感からビルサルド側に立つ、そうかと思えば最後はナノメタルに飲み込まれかけてパニックになる、あげくあっさり死んでしまう等々、可哀想と思う前に、「何やってんだ」と腹が立ってきました。昨今、こんな足を引っ張るばかりの女性キャラは珍しい(プリキュアの爪の垢でも煎じて飲めと言いたくなった)。ヒロインをずいぶんと粗雑に扱ったものです。
 思うに、ある意味平版でしょうが、ユウコを活かすならば、ミアナ達と仲良くなって、例えハルオと一時的に袂を分かってでも、将来のよりよい社会の形成のために行動するようにすべきだったのではないか。本作品の展開は「ヒロインを惨死させれば受ける」という近時のオタク的悪趣味に阿ったようなものでした。

 ビルサルドにしても合理思考というよりも、むしろ「意地悪集団」に見えていました。論理的な異星人というのならば、『スタートレック』のバルカン星人みたいなものであるべきでしょう。本作品では「観客の不快感をそそる」のが主目的みたいに見えます。

 その他ですが、私は本作品で小説『プロジェクト・メカゴジラ』で描かれていた要素、ハルオの両親は地球脱出時に死んでおらず、ハルオたちのためにメッセージを残していたというストーリーが、映画に関わってくると思っていたのですが、影も形もなし。アキラからのメッセージがハルオに届けば、ユウコの死などよりもよほど彼を成長させたでしょうに。なんで用いなかったのか疑問です。

 さて、予定通りならば、次回作『星を喰う者』でアニメ映画版ゴジラはおしまいです(予定を変更して4作目が制作されるかもしれない)。真打ち登場、ついにキングギドラのお出ましのようです。そうなると普通に考えれば、キングギドラを相手に人類とゴジラ、そしてモスラは共闘せざるを得ないという展開になるはずですが、どうなるでしょうか。
 まさかみんなキングギドラに殺されておしまいなどと言うひどい終わり方にはならないでしょうね。虚淵玄氏のあまり趣味のよくない制作志向を考えると、可能性ゼロではないのが不安ですが。

 

Re: 『ゴジラ 決戦機動増殖都市 ゴジラの1ファン (男性)

2018/05/29 (Tue) 04:17:26

全くおっしゃる通り
アニメカゴジラに関しては要のゴジラからして植物怪獣木ジラですのでデザイン上の期待感は無かったです(笑)
しかし、そのメカゴジラさえチラッとも登場せず陳腐な『人間ドラマ』とやらが延々続いてオマケ的ガンダム擬き戦闘シーンがあってエログロ漫画的シーンもあっておしまい
ギドラ?モスラ?
どーせまた名前だけ出演の三章にもう興味なしです
東宝さん、頼むからもっとゴジラを大切にしてくれ

Re: 『ゴジラ 決戦機動増殖都市』について 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/29 (Tue) 19:11:40

 お疲れ様です。
第二章でこんなにも展開がないとは恐れ入谷の岸田森でした。

 ハルオの両親が実は生き残っていた、というのは書籍版での後付けじゃないかと疑っています。
というのも、今回の第二章冒頭で、二万年の時を経て巨大化していたゴジラアースを見たアラトラム号内で、これほどの大きさだとその熱線がアラトラム号の軌道まで届くんじゃないか、
と衛星軌道に留まることを不安視するシーンがありました。
 しかし、書籍版による前日譚によれば、二万年前にすでにゴジラアースは宇宙にまで届く熱線を発しているわけで、彼らがその事実を知らないわけがありません。
何を今更、です。

 この映画、21世紀の様子を入念に作り込んでからシナリオを作ったわけではないんじゃないでしょうか。
書籍版は、映画のための設定をもとに著者が創作した別物なのかもしれません。

 ゴジラの1ファンさん、こんにちは。
ゴジラファンはもっと怒るべきだと思うのですが、どうしたことか、東宝さんがやることならなんでも受け入れてしまうタイプの方々もいらっしゃって、なんとも歯がゆいです。

小説と映画の関係について - エクセルシオール (男性)

2018/06/02 (Sat) 22:00:57

 確かに「映画の前日談」と称する小説と映画の物語は、あまりリンクしているとは言い難い感じがしました。例えば妖星ゴラスの事件に関しては「月に移住しなかった理由を説明してくれた」等の感想もありましたが、考えてみれば映画第一作『怪獣惑星』でリーランドが「月に住めばいい」とはっきり述べており、それに対するハルオの反論は単なる感情論でしかなかった(「ゴジラは月を砕ける」とは言っていない。はるかに説得力があったのに)。リーランドもハルオもものすごい健忘症なのか?これでは一つの穴を塞いでも、別の穴が現れた感があります。安易な後付けはやはり好ましくありませんね。
 それから、ビルサルドのドルド族長など、『怪獣黙示録』では彼らの種族が捨ててしまった感情や文化を取り戻したいと考えている節があったのに、映画ではまったくそのような印象がありません。

 そもそも映画の不完全性を他媒体で補完するということ自体がよろしくない。映画は映画だけできちっと問題点を解消しないといけないと思います。ただ、それができるのかかなり不安になってきました。

 さて、映画に比べると好評の小説版『プロジェクト・メカゴジラ』ですが、熟読するとおかしな点があったりします(なお、初版本について。二版以降は修正されている可能性あり)。戦術核と戦略核の混同以外に、『怪獣黙示録』ではゴジラ研究の第一人者の名前が「ウィルヘルム・マイスナー博士」だったのが、『プロジェクト・メカゴジラ』では「ヴィルヘルム・キルヒナー博士」になっていたし、轟天の艦長ジングウジと、ビオランテ退治の氏名不詳の中隊長がごっちゃになっていたりと(ここは読み方次第かもしれませんが)、最低限の校閲を行っていない感すらありました。
 
 なお、小説の監修を行っているのは映画の脚本家でもある虚淵玄氏なんですよね。大樹連司氏だけが書いていたのならともかく、虚淵氏が関与していた以上、映画と小説の不整合は言い逃れができないことだと思います。

Re: 監修とは? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/06/05 (Tue) 18:33:09

 今回のアニメゴジラの書籍版を、映画のノベライズではなく、その前日談にしようと考えたのはどういうわけなのか、にも疑問はあります。
 なにか裏事情がありそうでもあり・・。

 それはそれとして、映画と小説(私はあれを小説とは思えないけれど)に不整合があるのは問題だし、その小説にも齟齬があるとなると、真面目に作っているのかどうかを疑ってしまいます。

『プロジェクト・メカゴジラ』のほうも読んでは見ましたが、前作との比較とか、細かい内容のチェックまではしませんでしたので、ご指摘に感謝します。

 監修に脚本家の名前があり、帯にも「スタッフ全面監修」と謳って、映画との関連を強調したいのはわかります。しかし、この内容では、監修といいつつ何をやったのかはなはだ疑問ですね。

 ポンコツSF映画にも科学考証担当として大学のセンセイなんかが名前を連ねている場合がありますが、
それと似たような物かも知れません。
 一言二言なにかアドバイスを与えて、あとは名前を貸しただけ、と。

 監修を引き受けたなら、仕事を全うして欲しいものです。
もともとストーリーの整合性に興味がないのかも知れませんが。

『決戦起動増殖都市』、悲惨な興収とアンケート - なんじぇい (?)

2018/05/27 (Sun) 03:34:37

金~日の3日間で動員7万1千人、興収1億円計上
東宝映像事業部『GODZILLA』順調スタート
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2088732074487778&id=193285004032504

興収に関わる情報がなかなか見つからなかったので難儀しましたが、なんとか信頼できるソースを見つけました。
今のところ『決戦起動増殖都市』は前作の0.7倍弱(前作のソースはhttp://anime.eiga.com/news/105470/)という、やはりというか案の定というか更に悲惨な結果なようです(どこが順調なのでしょうか…)。



今回興味深いのは、本作を反省したのか、東宝がネットで本作のアンケートを実施していることです。
内容はかなり本格的で、質問は『映画「シン・ゴジラ」を観たことがありますか?』『本作の中で好きなキャラクターを教えてください』など多岐にわたっています。
ちなみに名前や住所を書かなければならないので、組織票みたいなものは不可能です。
https://ssl.toho-movie.com/enq/main.php?t=gt

皆様も良ければアンケートを出してみてはいかがでしょうか。

Re: 『決戦起動増殖都市』、悲惨な興収とアンケート 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/29 (Tue) 19:08:43

 こんなアンケートをやってるんですね。
ざっと一読。答えようのない設問があったりして、なんとも困ります。
(好きなキャラクターなんかいねーよ!)

 どうも、ゴジラファンが見に来ているのか、アニメファンが見に来ているのか知りたいご様子ですね。
あの出来じゃ、いずれにせよマニア以外は見に行かないでしょうねぇ。(世評を仕入れてから見に行く人は少ないでしょうね)

住所氏名を書かなくても回答できたので(グッズなんかいらないし)、自由記述のコーナーにこのBBSに書いた文章を転載してみました。
あ、無回答があっても受け付けてくれましたよ。

ランペイジ! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/24 (Thu) 18:34:16

 いやはや、すごかったです、『ランペイジ巨獣大乱闘』。

 怪獣が三匹出る映画だと思っていたら、四大怪獣の激闘でした。
もう、ドウェイン・ジョンソンは怪獣でした。

 設定上、遺伝子工学で生み出された怪獣たちだったので、私が提唱する正当派怪獣ではありませんし、
その能力も動物の枠を超えるものではありません。けれども、でかい生き物が大暴れ、組んずほぐれつという
怪獣映画で一番大事な肉体感覚にあふれる映像は文句なしに合格でした。

 惜しむらくは、各怪獣の見せ方が均等ではなく、白ゴリラが完全に主役であったことでしょうか。
ワニ怪獣が一番怪獣らしい姿だったのに、出番が少なかったかな・・。

 それでも、オオカミ怪獣は皮膜で滑空したり毛針を飛ばしたり、ただの巨大化ではないところが怪獣らしくてよろしい。
(バランもヒントになっているのか? ワニ怪獣なんてアンギラスだし)

 ストーリーもドウェインとゴリラの関係から入って、『フランケンシュタイン対地底怪獣』みたいな展開も含みつつ、
科学的な実現性は低くても、動物が巨大化することや形質に変化があることなどには一通り説明があることも好感が持てました。
 人間側の問題(怪獣を作り出してしまった者たちの処遇)にケリがついたあとで、怪獣によるクライマックスが始まる構成もお見事です。

 映像面では、破壊のディテールを見せることにも気を遣っているようではありましたが、もっと粘って怪獣による破壊のあれこれを見せて欲しかったように思います。
怪獣たちに熱系の武器がなかったので、少々地味になってしまったのかもしれません。

 とにかく、怪獣の存在意義だの生物学的な設定だのをくどくど説明するような頭でっかち映画ではないことが素晴らしいです。

細かい突っ込みはまだあるけれど 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/24 (Thu) 18:31:21

『GODZILLA決戦機動増殖都市』について、どうにか感想をまとめてみます。

 そのストーリー。

 三部作の二作目であるにも関わらず、一作目から話が進みません。
パンフレットをざっと読んだ限りでは、主人公の精神的な成長を描いているそうですが、
彼の認識に変化があったとすれば、機械と合体までしてゴジラアースと戦おうとするビルサルドに反対することで、
ゴジラアースを殺すことが第一なのかどうかに疑問を持ったかもしれない(かもしれない、でしかない)というあたりでしょうか。

 が、これはこの映画が扱っている事件の展開ではなく、あくまでも一人の人間の内面的な変化をほのめかしているにすぎません。
ストーリー上は、ゴジラアースに挑んで、負けた、という話です。
一作目はゴジラを倒したと思ったら雑魚でした、という話であり、ゴジラ(アース)討伐隊がゴジラ(アース)を倒せませんでした、という根幹は同一です。

 もちろん三部作ですから、二作目でゴジラアースを倒す必要はありません。
けれども、主人公ないし討伐隊とゴジラアースの関係性に変化がないのでは、話が進んだとは言えないでしょう。

 また、ビルサルドを論理一辺倒の種族として規定し、論理だけで良いのか?的なストーリーにしたつもりらしいですが、ビルサルドのやり方が論理的というわけではないのも痛い。
ゴジラアースを殺すため、という前提からは兵士がナノメタルと合体すべしという結論になるのかもしれませんが、では、なぜゴジラアースを殺さなければならないのかという枠に広げると、
怪しくなってきます。
 まず第一は地球人・ビルサルド・エクシフの三種族が生き延びることではないのでしょうか?
そうなると地球に固執する理由が消えます。そして、ゴジラアースを殺すことが絶対ではなくなります。
たとえゴジラアースを殺したとしても、すでに地球環境は彼らの生存に適さなくなっているのですから地球に固執するのはおかしいのです。
ゴジラアース退治に執着しているのはハルオの感情でしかなく、そこにビルサルドが同調するのはそもそもおかしな話です。
このあたりも含めると、ナノメタルが見つかったというだけでゴジラアース討伐隊全員が作戦続行に賛成するのもおかしな展開と言えます。
(前作からの疑問ですが、ビルサルド・エクシフは宇宙を流浪してきた種族なのですから、彼らの技術を使って作った地球脱出船の環境が劣悪であることも理解できない)

 今作ではフツア族とナノメタルという新規要素が出てきます。ところがこの二つともストーリーを牽引しないというのはどういうわけでしょう。
フツアはストーリー上重要な役割を果たしそうなのに、いかにももったいぶって、今作では顔見せ程度の扱いです。
テレビシリーズの第二話ではないのですよ。全部で三本しかないシリーズ映画でこんなもたついたことをやっている場合ですか。
しかも、東宝怪獣映画に詳しい人やノベライズ・各種資料などを読んでいる人ならモスラに関係する種族だろうと推測できるでしょうけれど、
この映画シリーズしか見ていない人には、モスラの存在を感じることも出来ない作りであり、何しに出てきたのかわからない一族でした。
(今作でモスラ幼虫の誕生も描き、クライマックスはモスラ幼虫と増殖都市の共闘にすればまだましだっただろう。そして、次作ではモスラ成虫を登場させる)

 ナノメタルはほんの少しだけストーリーを動かしました。
それはヒロインを殺したのはナノメタル、というところです。が、それ以外は、ビルサルドの便利な道具という扱いでしかなく、自律性などありません。
(ナノメタルが独自に動くのは、ビルサルド兵と合体したあとでしたよね?)
このヒロインの死というのも、彼女の存在感の薄さのためにまるで効果が上がっていません。
一作目で主人公の周りをちょろちょろしていましたが、これまた顔見せ程度の扱いで、今作で急に主人公との関係性に踏み込んで見せますが、ここまでの二人のエピソードが少なすぎるので、
その死に悲しさも何も生まれません。(記号的に鑑賞する人は、死亡フラグを立てたシーンでスイッチを押されて、ここは悲しむべきシーンだ、と解釈するのかも知れませんが)

 さて、ナノメタル。
ストーリー上の話と設定の話が混在しますが、このナノメタルってなんですかね?
説明によると「自律思考金属体」とのことで、さらには周囲の物質と分子レベルで融合するとか。
二万年の間に何かがエラーを起こしてうまく動いていないとかなんとか説明があったような気がしますが、そのあと、ビルサルドのコマンドによって再び動かすことが出来るようになったのですよね。
そこで、ナノメタルが自律思考して、ビルサルドと対話でも始めるのだろうかと思ったら、コントロール装置を生成させてただの機械と同じ扱いをしはじめます。

 こちらはきょとん、です。
それ以前に、飛来したセルヴァム(飛行怪獣)に対しては自律的に攻撃していたのに。

 ナノメタルが自律思考するロボット(人型である必要はない)として行動してくれれば、もっとストーリーが動いたでしょう。

 そして、映像で見る限り、ナノメタルは周囲の物質をナノメタル化しているように見えますが、あれが分子レベルで融合していることなのでしょうか。
分子レベルで融合するとは、ナノメタルと他の物質が化合して別の物質になるということなのでしょうか。
そうなると、ナノメタルに組み込まれている機能(情報を蓄え、演算し、さらには移動するなどなど)も失われそうなものですが??

 架空の科学技術をあまり細かく説明すると科学的な矛盾を生じる恐れがあるので避けるべきとは思います。
けれども、このナノメタルは今作に登場する重要なSFガジェットでしょう。技術的な飛躍を含むのは当然として、もっと納得できる形の説明は欲しいところでした。
ナノメタルには、何が出来て何が出来ないのか、少なくともその機能は正確に観客に伝えるべきです。
(ナノメタルと合体した人間の思考がナノメタルの思考になるのでしょうか?? では自律思考金属とはどういうことか? 起動に失敗したメカゴジラにも誰かが合体したのか??)

 ナノメタルは変形自在で設計図さえあればどんな機械にもなってみせる工場いらずの便利機械でしかなかった。
対ゴジラアース戦でも、少しだけ予定と違う行動をしただけで、自律性など感じられません。

 これが、クライマックスが前作の焼き直しになってしまった原因です。ナノメタルに自律性がなく、ゴジラアース退治は前作で行った作戦を繰り返しただけである。

 そして、メカゴジラが登場するというのが今作の売りだったはずなのに、メカゴジラが出てこない。
これはひどい。動かなかったメカゴジラと同じ材料を使っていることから、メカゴジラシティなどと呼んでいるけれど、誰がどう考えてもあれはメカゴジラではない。
まあしかし、それは前情報を仕入れている人間のぼやきであって、今作のタイトルにメカゴジラは謳われていませんから、詐欺ではないですね。
んが、「決戦機動増殖都市」なんですよね?

 確かに増殖はしていた。(あ、分子レベルの融合じゃなくて、増殖なのか)
が、あのシティは、いつ機動した???
 変形はしたが、機動していません。
 動けよ、そして町ぐるみでゴジラアースと取っ組み合えよ!

 そして、映像的な見せ場の話になっていきます。

 全体を通じて、どの映像を見せたかったのかわかりません。
 説明に終始していて、映像の快感を追求したと思われるシーンがない。

 ゴジラアースの見せ場はどこなんでしょう。
 のっそり歩いてきて、ときどきビームを吐き、足止め食らって熱振動起こしただけ。尻尾でちょっと周りを払ったようだけれど、見せ場扱いではない。

 メカゴジラシティは?
 前述の通り、映像的なおもしろみはなし。

 それから搭乗型のロボみたいなものが出てきましたね。ナノメタルで改造される前は地上を歩いていましたから、まあそれなりに機能的な形だったのでしょうけれど、
対ゴジラアース作戦では空を飛んでいるだけでした。ならば手足を付ける必要などありません。
人型ロボに乗るのが当たり前というのは、日本アニメの方言です。私はアニメにどっぷりではありませんから、あのメカデザインには違和感全開でした。

 映像面の問題としては、すでに指摘されていますが、ゴジラアースの大きさが体感的でないというのも重大な欠陥でした。
人間は対象物の大きさをどうやって感知しているのか。
 その問題に対する考察が甘い。
 もともと2万年後の地球が舞台ということで、見慣れた街に怪獣出現というシチュエーションは使えません。
 では、どうやって怪獣の大きさを体感させるのか? 人間がゴジラアースの直近で見上げるカットもないし、劇中で大きさがはっきり分かる物体とゴジラアースとの対比もない。

 怪獣映画というのは、でかい生き物が出てくることにおもしろさがあるのです。ゴジラをいじり回すことに気を取られて、基本を忘れている。

 スペクタクルもアクションもない、欠陥映画でした。

 一点だけ、音響に関しては音像定位に気を遣っていることと爆音など激しい音の立ち上がりがよかったことは感心しました。

『決戦起動増殖都市』の私的感想。荒れてます - なんじぇい (?)

2018/05/19 (Sat) 18:08:56

ギドラ様がまだ感想を挙げておられないので、どうしようか迷っていましたが、公開から2日目になりましたので挙げさせていただきます。


単刀直入に言います。
酷過ぎます。私にとってはゴジラ映画断トツのワーストでした。



ゴジラ・アース。
300mの巨大感は画面から全く感じられず、ただただ歩くだけ。怪獣として魅力が全く感じられません。

メカゴジラ。
ネタバレになるので自粛しますが、「どこに面白味があるの?」とだけ。
メカゴジラ特有の、そしてメカ特有の面白ギミックは一切ありません。

ストーリー。
開始1時間にわたり一本調子なおしゃべりばかりで、動きのあるシーンはほぼありません。ゴジラ・アースも出ません。
そしてやっと現れた終盤のアクションシーンが、作戦から何から前作の焼き直しという酷さ。もう何もかも同じです。
ここには開いた口がふさがりませんでした。
しかも、そのわずかなアクションシーンもバンクシーンを多用していました。

音楽。音響。
一切印象的なものはありません。

良かったことと言えば、ゴジラ・アースという怪獣を倒すためには自らも怪獣にならなければならないということだけ。


この映画は観客の予想を裏切ろうとして、期待を裏切ってないでしょうか。本気であのメカゴジラを面白いと思ったのか問いただしたいです。
ストーリーも、アクションシーンも耐えがたいレベルの出来でした。
ゴジラ映画としても、怪獣映画としても、娯楽映画としても私にとっては文句のつけようもない駄作、という評価です。
怪獣映画、ゴジラ映画で観客が求めているのは何か。製作陣はそこを見直すべきだと思いました。


この映画が好きだとおっしゃる方には申し訳ありません。ですが、正直に書けばどうしてもこうなってしまいます。

Re: 『決戦起動増殖都市』の私的感想。荒れてます 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/20 (Sun) 13:19:21

 口火を切っていただきまして、どうもありがとうございます。
 スケジュールを調整して無理矢理初日に見に行ったけれど、もう、何をどう突っ込んで良いやら迷っていました。

 なんじぇいさんのご意見には全く同感です。

 私のスタンスでは、このアニメゴジラシリーズは最初からゴジラ映画ではないので、別枠のゴジラアース映画として考えようとしましたが、
いやはや、そもそも劇映画とはなにか、という根本の話に持って行かないと感想なんか書けません。

 なにかしら意見を書くつもりですが、少々時間がかかりそうです。

 見ている間中、「いつおもしろくなるの?」とスクリーンに問いかけ通しでした。

Re: 『決戦起動増殖都市』の私的感想。荒れてます - なんじぇい (?)

2018/05/20 (Sun) 20:42:31

>もう、何をどう突っ込んで良いやら迷っていました。
>見ている間中、「いつおもしろくなるの?」とスクリーンに問いかけ通しでした。

私もその通りでした。この映画は余りに酷すぎることが多すぎて、見ている間は怒りを通り越して虚無感に襲われていました。
「超絶的につまらない(貧困な語彙力をお許しください)」と思ったのはゴジラ映画ではこれが初めてです。

私はゴジラ映画は怪獣映画の中に含まれ、怪獣映画は娯楽映画の中に含まれると思っていますが、この映画は娯楽映画としても欠陥ばかりです。(怪獣映画、ゴジラ映画としては言わずもがなです)

しかし、不幸中の幸いなことが2つあります。
まず1つ目はこの映画は巷での評価も酷評ばかりなことです。批判は主に「メカゴジラを出せ。こんなものはメカゴジラではない」というものが大半です。
2つ目は興行収入でも凄まじい大コケをしていることです。後にはっきりとしたデータが出てからスレッドを立てますが、前作を遥かに凌ぐほど悲惨な興行成績です。
制作陣はこの映画を作ったことを猛省すべきです。
3作目は見に行くべきかどうか、真剣に悩んでいます。

最後になりますが、怪獣映画を観たければギドラ様が書いておられた『ランペイジ 巨獣大乱闘』をお勧めします。あちらのほうが遥かに怪獣映画として面白みに溢れていました。

星由里子さん 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/18 (Fri) 18:29:42

 訃報を今朝のテレビで知りました。

 言葉もないです。ご冥福をお祈りすることしか出来ません。

Re: 星由里子さん - エクセルシオール (男性)

2018/05/18 (Fri) 21:21:16

 星由里子さんは若大将シリーズのマドンナや、『モスラ対ゴジラ』等のヒロインを演じておられましたね。突然の訃報に驚いております。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

Re: 星由里子さん - ルー等級つつ大臣 (男性)

2018/05/18 (Fri) 23:37:14

私もニュースで知りました。
星さんといえば若大将シリーズでのマドンナ役で有名ですが世界大戦争やモスラ対ゴジラ等でのヒロインでも印象的でした。
ゴジラ映画ではゴジラXメガギラスの科学者役が最後の出演になってしまって残念です・・・
ご冥福をお祈り致します・・・

Re: 星由里子さん - 海軍大臣 (男性)

2018/05/18 (Fri) 23:38:50

 星由里子さんは東宝黄金期での出演作の素晴らしさもさることながら、【ゴジラVSメガギラス】での女性科学者役の、あの毅然とした美しさが印象的でした。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。
 

Re: 星由里子さん - なんじぇい (?)

2018/05/19 (Sat) 17:48:06

星由美子さんは『ゴジラXメガギラス』の吉沢佳乃として、とても印象的な演技をしておられました。
本当に残念です。ご冥福をお祈りします。

レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/01 (Tue) 18:28:40

 迷った挙げ句、結局見てしまいました、『レディ・プレイヤー1』。
ネタバレなしで、簡単に感想を書いてみます。

 受け止め方は人それぞれという前提で、私には高揚感のない凡作と感じられました。
ポップカルチャーという言い方が適切なのかどうかわかりませんが、映画ネタ、アニメネタ、音楽ネタなどなど、
まあオタクネタが山盛りという映画だったわけですが、とにかく出せる物は全部出しました、という感じで、
よくぞやってくれました、という感激にはほど遠いです。

 作品全体の結論は、「ゲームばっかりやってちゃダメよ」というお説教で、新味はないです。
ならば、ゲーム世界に埋没してしまうことの何が危険なのか、なぜそれがいけないのかをもっと掘り下げて欲しかった。
(この映画では、そんなことでは彼女【彼氏】は出来ないよと言っているだけである)

 仮想現実が人間心理に及ぼす影響など、描くべきことはたくさんあっただろうにと残念です。

 それから、劇中の社会体制に関する説明が不足しているので、劇展開のいくつかが腑に落ちないままストーリーが進行していくのも乗れなかった原因です。

 現実世界での動きとゲーム世界での動きを並行して見せていくのは良かったですが、
派手な見せ場はゲーム内でのことなので、どうしても切迫感が薄く、これが高揚感を生まなかった理由ではないかと思いました。
(ゲーマーの方は別の感じ方をするのかもしれない)

 ひとつ非常におもしろいと思ったのは、この映画の主軸を成す仮想世界(オアシス)を作った男(ハリデー)がいわゆるオタクであることが、
オアシスをアニメや特撮、SFのキャラクターのオンパレードにさせていることに対を成すように、主人公がハリデーのオタクであること。
主人公はハリデーオタク度が抜きんでて高く、その能力で謎解きを進めることが出来たという見方も出来ます。オタクの二重構造ですね。
(しかし、最後の謎はハリデーに関する知識とはあまり関係ないけれど)

 考えすぎかも知れませんが、オタク道も中途半端はおよしなさいと言われたような気もします。

 そんなこんながありつつ、私が最も感心したのは、某映画(もういろんな人がネタをばらしているのでしょうけれど、ここではバラしませんぞ)の世界に
登場人物達が入り込むシーンです。ゲーム世界の描写は基本的にCGアニメであって、アニメ映画を見ている感覚になりますが、
この某映画に入るシーンはもっと高度なことをやっていました。
 もとの映画映像にCGを合成していますが、原版のカットとはカメラワークが違うカットになっても、映画内の事物が角度を変えて映ります。
映画フィルムの中に入って移動している感覚です。(うーん、どんな映像なのか、伝わっていますでしょうか)
 これにはびっくりました。現在のCGはここまで進んでいるんですね。

 さて、この映画を見て、四六時中スマホゲームをやっている人々は何を感じるのでしょうか。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) - エクセルシオール (男性)

2018/05/07 (Mon) 21:28:48

 残念ながら私はまだこの映画を観ていないのですが、もうご覧になった管理人さんに一つだけ質問です。

 この映画には様々なキャラが出ているはずですが、ガイガンの姿は確認できましたでしょうか?メカゴジラに関してはガンダムと戦う姿が公開されていたので出演は確実ですが、ガイガンに関してはそこまで目立った登場ではなかったようで、あまり話題になっていません。もしお気づきでしたらどの辺に出ていたか教えていただければ幸いです。

 それにしてもガイガンは名怪獣だったのにいろいろと不遇でした。サイボーグ怪獣と言う斬新な設定、未来的な素晴らしいデザインは大変魅力的であり、人気はあったのですが、予算不足の時代だったので、設定上の力を十分に発揮できなかったと言われています。個人的には額のレーザー砲が発射されるところは見てみたかったですね。ただ、ゴジラとアンギラスを血まみれにしたという別のインパクトはありましたが。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/08 (Tue) 18:40:33

 私もガイガンを使いこなした映画を見てみたいと願う一人でございます。
「ファイナル・ウォーズ」では結局別物にされてしまいましたし・・・。

 そこで、『レディ・プレイヤー1』でのガイガンなんですが・・・。
 見つかりませんでした。
 ただ、画面の隅々まで何らかのネタが隠されているような映画なので、ガイガンは出なかった、とも言えないのです。
 乱戦状態の中に混じっていたのか、いや、ガンダムやメカゴジラ(機龍ではありませんでした)が設定通りの大きさだったことを考えれば、もし、ガイガンがいたならば、やはり巨大だったはずで・・。
 うーん、わかりません。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) - なんじぇい (?)

2018/05/11 (Fri) 17:28:31

私もこの映画を鑑賞しました。結論から書くとまずまず面白かったです。
まあオタクネタが盛りだくさんだったことは素直に楽しめたのですが、私としてはよかったことは作品の小テーマでちょくちょくとインターネットの付き合い方の警笛を鳴らしていたことでした。
一応ネタバレしないように書くと、「パスワードを身の回りに張り付けちゃダメよ」「インターネットの中でうっかり個人情報を喋っちゃダメよ」「仮想世界では美女でも現実ではどうか知らないよ」辺りでしょうか。
この辺りのインターネットに関する付き合い方を、娯楽作品の体は壊さず自然に伝えているのが良かったと思ったところですね。
自然に伝える、というところがスピルバーグの娯楽作品の作り方の上手さのようにも感じられます。


ただ気になったところというと……最初のレースゲームの解決法は、ゲーマーなら誰かは既に試していると思うんですよね。
実際マリオカート等では散々ゲーマーたちによって裏ルートが見つけられているので。
まあそういう細かい突っ込みどころはありつつも、全体としてはよくまとまっていたと思います。

ちなみに、私もガイガンは見つけられませんでした。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/11 (Fri) 18:39:43

 そうそう、冒頭のレースゲームに仕掛けられた細工に関しては私も全く同感です。あれが何年も解けない謎だったなんて・・。
 原作にはないエピソードだそうで、やはりゲームにはあまり詳しくない人がシナリオ化しちゃったかな?
(ギドラの巣をご覧いただければわかることですが、私、グランツーリスモのヘヴィユーザーでした。裏技発見はほとんどやってませんが、◯走は基本です)

 それから、私もネットの作法を伝えるエピソードを入れ込んでいるのはよかったと思いました。「一人でしゃべっているように見えても複数で考えているのかもよ」というエピソードには、自分の体験にも思い当たることがあって、ニヤリ。実際、こいつ、一人じゃねーなと思ったことがありました。あ、私はまるっきり一人の孤独なおじさんです。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) - エクセルシオール (男性)

2018/05/14 (Mon) 21:06:25

 ようやくこの映画を観てみました。私もガイガンは全く見つけられませんでした。正直、本当に出ているのか疑わしくなってきます(最後の大決戦シーンのどこかにいたのだろうが)。少なくともメカゴジラ(デザインはオリジナル)と違ってえらく冷遇されていますね。
 ただ、メカゴジラとガンダムの対決はなかなか面白かったです。なお、原作ではガンダムではなくウルトラマンだったとか。また、同じく原作ではジェットジャガーもチョイ役で出ていたそうです。

 映画全体の感想としては面白くなかったわけではないが、とりたてて優れた作品ともいえないですね。劇中の現実世界は途轍もなく問題のある状況であり(貧困や環境破壊、さらには営利企業に一般市民を強制労働させることが許されている等々)、このままにしてはいけないはずだったのですが、そこの掘り下げは今一つでした。結局、オアシスが民衆の現実逃避を助長しているものであることは否定できず、破壊してしまって民衆を現実に向き合わせるという落ちにすべきだったのではないかとも思ってしまいました。

 続きが作られるかは不明ですが、もし制作するのであればもう少し真面目に作ってほしいですね。

Re: レディ・プレイヤー1(ううーん、スピちゃん、またやらかした?) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/17 (Thu) 19:05:28

 仮想現実と現実の何が同じで何が違っているのかというあたりの掘り下げが足りないことが私の不満の元だったように思います。
どうやらオアシス内で金を稼ぐことも出来るようだけれど、現実世界での経済活動がどうなっているのか?という疑問が残りました。
 簡単な話、食料の生産や流通は誰がやっているのでしょう。

 映画では誰も彼もオアシスに逃避しているような描き方をしていましたが、全世界の全人類がそんな生活をしているとは思えません。
映画の冒頭で、人類は未解決の問題を放り出してゲームに逃げ込んだ、というような説明が入りますが、民族紛争や宗教対立も放り出したのでしょうか。
どうも、このあたりの世界設定説明の甘さに、作り手の現実認識の甘さが見えるような気がしました。
(おそらく実際はゲームに没入している人々とそうではない人々がいるはずだ)

 悪役として登場する企業IOIは中盤で爆破テロを行いますが、そのくだりを見たときには、この世界のアメリカでは国家権力が弱体化していて、
警察力が失われているのだろうと解釈したのですが、最終的には警察のお出ましとなるストーリー展開にもいささか白けました。
(法治国家の下で大企業がやらかす悪事はもっと巧妙なものではなかろうか)

 と、いろいろ貶してしまいましたが、ハリデーの記録を探る行為を描くことで、
人間はその体験を通じて人格を形成しているのであり、記憶された体験には現実と虚構の区別はなく、実体験もテレビ・映画やゲームでの体験もその人を作っていることには変わりがない、
また記憶こそがその人であるという観念を伝えていたようにも感じました。
(映画のラスト近くで、死んだのか?と問われたハリデーが答えを濁すことにヒントがある)
 それは私が「物語」を大事に思う思想に通じるところでした。

『ゴジラ プロジェクト・メカゴジラ』 - エクセルシオール (男性)

2018/04/30 (Mon) 17:57:58

 アニメ映画『ゴジラ』の前日譚小説第二弾『プロジェクト・メカゴジラ』を読みました。もうすぐ公開の映画二作目と関連する物語が展開されています。
 小説の構造は前作『怪獣黙示録』と同じであり、映画版の主人公ハルオ・サカキの父親アキラ・サカキが怪獣災害に係る様々な人々の意見を録取していくという構成になっています。また、過去の東宝特撮映画を元ネタとする要素が散りばめられている点も前作と同じです。

 この小説はメカゴジラ完成までの人類の必死の時間稼ぎの物語です。しかし、そのために地球連合がやらかしたことはひたすらひどいものでした。異論を徹底的に弾圧し(すぐ反逆罪に問われかねない)、大人の熟練兵を温存するために子どもを兵隊にして捨て石にする、しまいにはゴジラを足止めするためにヒマラヤ山脈を崩壊させる(周囲に住んでいた人は犠牲にされる)。これでは救われる資格がないと言わざるを得ないでしょう。その意味では文明のあり方への批判は含まれていると思います。

 さて、この小説に出てくる怪獣ですが、新たにバトラ、キングシーサー、ガイガン、大コンドル、チタノザウルス、メガヌロン、そしてモスラが登場します。また、大ネズミ(『緯度ゼロ大作戦』)、デストロイア幼体もその存在が匂わされていました。なお、前作で倒されたと思われたマンダですが、「復活した」という一節があります。
 特筆すべきはガイガンであり、異星人に改造されて何度も何度もゴジラと戦わされ、最後には原形すら留めなくなるという哀れな怪獣になっています。「宇宙の殺し屋」的イメージのあったかつてのガイガンを思うと少々釈然としませんが、印象に残る存在にはなっています。

 また、怪獣ではないですが、「妖星ゴラス」も登場します。地球に接近したところをゴジラの最大パワーの熱線で破壊されるのですが、ここまでくるといささかやりすぎとの感も否めません。ただ、この展開は前作及び映画版の最大の疑問点の一つ「どうして外宇宙まで逃げ出す必要があったのか?」を解消するためのものでした。すなわち、ゴジラの熱線が月や火星に届くことを恐れての計画だったそうです。だからって外宇宙まで逃げる必要があるのか疑問がありますが。

 それから「オキシジェンデストロイヤー」が妙な形で出てきます。それは「メカゴジラが起動しなかったことにより人類が絶望するのを防ぐため、ある科学者が流した嘘」と言う形でした。まあ、ストーリーに過度な影響を与えない巧妙なやり方ではありますね。
 
 本作品ではオラティオ号、アラトラム号が旅立った後の物語も少し入っており、アキラはそれをデータとして残しています。そう、彼と妻のハルカ(ハルオの両親)は生きていたのです。ハルオはこの事実を知った時どう行動するのか?一つ映画の興味が増えました。
 その後の地球では「手段を問わずゴジラを倒せ」と叫ぶ「総攻撃派」という勢力がクーデターで実権を握り、ひたすらゴジラに核攻撃を加えて多数の死者を出していきました。総攻撃派は行方不明になっていた轟天号とそのクルーによって倒されますが、もう人類社会はズタズタです。残された都市もゴジラに次々と殲滅され、地球連合最後の拠点にもゴジラが迫ります。残された大人たちはせめて子ども達だけでも逃がそうとします。さんざん子どもを捨て石にしていたことを考えるとやっと社会が正気に戻ったことが示されます。
 人類絶体絶命の状況でようやくモスラが登場。モスラはゴジラを撃退しますが、息の根を止めることはできず、再度の勝利を得る余力もありません。そこでモスラと共に生きてきた怪獣共生派(コスモス)と地球連合の生き残りはモスラの卵を子ども達と共に地球の裏側の日本に送り、新たなモスラの誕生に未来をかけるという選択をします。そして、大人たちは時間を稼ぐためにモスラとともに出撃していくというところで本作はおしまいです。これでなんでモスラの卵が日本にあるのかという説明はつきました。映画への関心を高める効果はあったでしょう。

 本作品は一つのSF小説としてはなかなか面白いと思います(正直、映画より面白い)。いろいろと不満もありますが、一読する価値はありました(値段もそう高くないし)。

 今後の展開ですが、唯一登場していないメジャー怪獣がいます。そうキングギドラです。ここまで影も形もないと、映画版の完結編で出てくる可能性は極めて高いでしょう。というより、キングギドラを共通の敵にしないと話のまとめようがない気もします。

 なお、誤植が少々気になりました(2刷以降は訂正される可能性があるが)。前作ではアマゾン川とナイル川を間違えるという信じられないミスがありましたが、本作品でもグレートウォール作戦(ヒマラヤ山脈を2千発の核弾頭で崩壊させゴジラを足止めする作戦)の際に、使用される核弾頭を「戦術核」と表記している部分と、「戦略核」と表記している部分があり困惑しました(威力が100倍以上違ってくる)。もう少し慎重に校閲を行ってほしいですね。

Re: 『ゴジラ プロジェクト・メカゴジラ』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/05/01 (Tue) 18:24:36

 非常に丁寧な紹介、解説に大感謝です。
よーし、読んでみるか~。
(子供を大事にするのか否か、というあたり、ゴジラ映画の作り方と対比させていたり、は、しないか・・・)

G2戦略!? - なんじぇい (?)

2018/04/19 (Thu) 13:56:26

「ゴジラで稼ぐ」東宝のG2戦略
http://www.data-max.co.jp/300418_dm1857/

>確実に中期経営目標を達成するために、突破(ブレイクスルー)戦略の1つとして“G2”戦略を掲げる。
>G2戦略とは、“G”ODZILLA(ゴジラ)を軸としたキャラクタービジネスの強化、日本の企画商品の“G”lobal(海外)展開の本格化の頭文字をとったもの。


海軍大臣様がおっしゃった通り、東宝のゴジラ推しは本気であることが明らかになりました。
なんとゴジラを軸とした売り上げ戦略を立てるのだとか。
さらに記事を読むとゴジラのグローバル化を目論んでいるようです。
もしかしたらアニメゴジラの容姿がギャレスゴジラに似ていたのも、ゴジラのグローバル戦略の一環だったのかもしれません。(結果は全然でしたが)

ゴジラをグローバル化させるため、また新たな外国人のゴジラファンを獲得するために必要なものはなんなのでしょう?
私にはトンと見当がつきません。



ただ1つだけ申し上げておくと、『シン・ゴジラ』を世界的に推していくのはやめたほうが良いんじゃないか、と書いておきます。
これは映画の出来云々の話でなくグローバル化に向けた商売としての話で、前にここでも話題に上がった通り、『シン・ゴジラ』は国内ではヒットしたものの、海外では相当にコケてしまっています。
外国人にとって『シン・ゴジラ』は受けなかったというのはどうしても否定しがたい事実です。
『シン・ゴジラ』は売れた日本国内ではプッシュしたほうがいいのかもしれませんが、売れなかった国外で無理にプッシュをする必要は私には感じられません。
そのようなことをするよりは、世界に通用するようにした新作のゴジラ映画を作ったほうがよほど有意義でしょう。

『シン・ゴジラ』の続編を作るような場当たり的なことはしない、と大田圭二氏が語っていたので、この点はほぼ安心しているのですが、一応書かせて貰いました。


じゃあ海外ファンの獲得、ゴジラのグローバル化をするためにどうしたら良いのかに関しては……情けない話ですが私にはまったく思いつきませんでした。

最後になりましたが、ギドラ様の前スレッドの話には全面的に賛成です。
しかしゴジラのグローバル化に関してはまた別個にスレッドを立てたほうが良いのではないかと思い、立てさせていただきました。

Re: G2戦略!? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/20 (Fri) 18:27:32

 うーむ、商売の話は不得意分野なのであまり気の利いたことも思いつきませんが、
ゴジラというのが国際的に知られた怪獣であることは疑いようのない事実です。
(ハリウッドが映画化権を買ったことが十分な証拠でしょう)

 ということは、ゴジラはすでにグローバルなブランドであることを意味します。

 問題は、これから日本発信で世界にゴジラをどうやって売り込んでいくかということなのでしょう。
映画作品としてのゴジラをレジェンダリーに任せっきりにはしないで欲しいですね。
日本のゴジラ映画も世界に向けて作って欲しいところです。

 海外でのゴジラ認知に関するデータを持ち合わせていないので具体的にどうこうとは申せませんが、
映画を作るなら、基本的なところで客の期待を裏切ってはいけないはずです。

 ゴジラに格別に入れ込んでいるわけではないお客さんも納得できる作品作りを目指すのが肝要ではないでしょうか。

 こんなことを言うと、マニア向けでないのなら過去のゴジラを無視しても良いじゃないかと考える人が出てきそうですが、
いやいや、ちょっと待って。
 国際的に有名な怪獣ということは、世界の多くの人がゴジラを知っているということでありまして、
つまりは過去のゴジラを知っているということになるのです。

 それを裏切るべきではない。(エメリッヒ版が不評だったのはゴジラのイメージを壊したからでしょう?)
ギャレス版がまずまず好評だったのは、多くの人がイメージするゴジラ映画に近いものだったからでしょう。
(簡単に言えば、怪獣対決ものだった)

 では日本のゴジラとして何をやるべきか。

 レジェンダリーとは違う、真正ゴジラを世界に見せてやることでしょう。

 で、私としては世界向けとか日本向けとか関係なく、正しいゴジラ映画を作るべし、という結論になります。
しかし、注意しなければならないのは、ヲタクしか理解できないような過去の技術再現だの過去作からの引用だのを売り物にしないこと!
現代の技術を駆使し現代的なテーマを扱い、そこに大衆がよく知っているまさに日本のゴジラを登場させるべきでしょう。
 シリーズの組み立てに関しては先述の通りです。

(というのはあくまでも映画作品の作り方の話で、グッズ展開だの宣伝戦略だのはよくわかりません)

アニメゴジラ予告編 - なんじぇい (?)

2018/04/24 (Tue) 21:47:12

なるほどです。完璧に納得できました。
アニメゴジラが日本でも世界でも鳴かず飛ばずで受けなかったのも、ギドラ様がおっしゃる「日本のゴジラ」とはデザインも設定も違っていたからなのかもしれませんね。

そんなアニメゴジラの第2作目の予告編が公開されましたが……相変わらず主人公が復讐心に囚われた、全く共感できない思考をしているようで早くもげんなりしています。
https://youtu.be/_-SeQD22Csc

まあ、ゴジラ・アースの活躍とハルオの改心に期待といったところでしょうか。

Re: G2戦略!? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/26 (Thu) 19:29:41

 おっと、もう5月の足音が近づいて来ました。
アニメゴジラ第二弾の公開が迫っているってわけですね。

 一作目についてはあまり掘り下げた話もしなかったように思いますが、
まあ、ストーリーが完結していないので仕方ないところだったかも。
 二作目でもまだ終わりではないので、やっぱり結論は出せず、か・・。
予告編を見る限り、ひょっとするとメカゴジラなるものに文明批判を込めるのかも、と予測したりしてます。

 そんな中、アニメゴジラと同日公開の『ランペイジ巨獣大乱闘』のほうがよほど怪獣映画になっているんじゃないのか?
と気になります。(B級感がすごいけど)
http://wwws.warnerbros.co.jp/rampagemovie/

かぐや姫や~い 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/13 (Fri) 18:50:50

 いやー、違ってました。
「快獣ブースカ」第四話‘ブースカ月へ行く’に使われたかぐや姫の歌は映画『かぐや姫』とは関係なかったようです。

「快獣ブースカ」を見直したところ、オープニングに挿入曲のテータがありまして、
作詞 加藤省吾、作曲 海沼実の「かぐや姫」とのことでした。
 ブースカ以外で聞いたことが無かったもので、ひょっとして??と思ったのですが、ネットサーチしてみましたところ、
戦後の作品だったようです。
 それから昭和10年の『かぐや姫』は音楽担当が宮城道雄だったようなので、まあ、関係なかったということですね。

 それでも、映画『かぐや姫』の劇中曲はレコード化されていたようでyoutubeで聞くことが出来ました。
https://www.youtube.com/watch?v=8VYOsbpCBlo

 渋い!渋すぎる曲だぜっ!

Re: かぐや姫や~い - ルー等級つつ大臣 (男性)

2018/04/13 (Fri) 19:10:53

こっちも随分ご無沙汰になってしまったざます。
ミーも早速YouTubeで確認したざますけれど実に渋い曲ざますねぇ。
これがあの円谷英二のかぐや姫の曲だったとは感慨無量ざます。
本当に国内でフィルムが存在してないのでしょうか?
ちょっと気になるざますねぇ・・・

Re: かぐや姫や~い - 海軍大臣 (男性)

2018/04/13 (Fri) 23:15:59

 この映画は製作当初から海外へ売ることを狙っていたようですね。美術とメイクに日本画の大家を起用しているのも、そうした理由らしいのですが、公開当時の評論では、逆にその部分が出しゃばり過ぎていて宜しくない、とか書かれていました。
 映画の内容も全くの新解釈によるもので、普通の人間であるかぐや姫が、嫌な貴族たちの求婚から逃れるために月食に紛れて都を落ち延びるとかいう話だと聞いています。
 しかし前後して同じJOで作られた【百万人の合唱】がフィルムセンターに残っているのに【かぐや姫】のプリントが無いのは納得のいかない話だと思います。

Re: 追記 - 海軍大臣 (男性)

2018/04/13 (Fri) 23:40:52

 前回ちょっと触れましたが、浅野詠子さんの次回作は、美術ルポ『河内大東にモダニズムの異才がいた~彫刻家孟府』(仮題、本の帯=ゴジラ造形者も弟子だった…)だそうです。
早く読みたいなあ。

Re: かぐや姫や~い 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/16 (Mon) 18:45:16

『かぐや姫』、そんなストーリーだったのか!
 市川崑の『竹取物語』は変にSF側へ引っ張ってしまってどうにもモヤモヤした作品でしたが、
さて昭和10年『かぐや姫』は現実的な解釈を行ったということなんですね。

 うーん、ひょっとすると円谷英二はもっとファンタジックにしたくて、リメイクの野望を持っていたのかもしれないなんて、妄想してしまいます。
 ファンタジー映画での円谷特撮映像のキレっぷりはSFや戦争映画での物理法則重視のものとは別次元の美しさがありますから、やっぱり円谷英二のかぐや姫を見たかったですね。
と言いつつ、『かぐや姫』ではどんな映像を作ったのかにも興味津々。
本人が「破天荒なトリック」と言っているのはどんなものだったのか、ああ、ロンドンでもどこでも残っていないのかなぁ。

 利光貞三さんの師匠の本には『かぐや姫』の話は出てくるんでしょうか・・。

Re: かぐや姫や~い - 海軍大臣 (男性)

2018/04/16 (Mon) 23:33:58

>うーん、ひょっとすると円谷英二はもっとファンタジッ クにしたくて、リメイクの野望を持っていたのかもしれ ないなんて、妄想してしまいます。

 とのご意見には私も同感です。
 出典が曖昧なのですが、確か晩年の円谷さんが【かぐや姫】を再映画化する際には、生まれたばかりの小人サイズのかぐや姫が御爺さんの肩に乗って毬つきをする場面を特撮で描きたい、などと云っていた記事を読んだ記憶があります。加えて【地球防衛軍】と同じ時期の東宝のラインナップに八千草薫の主演で【なよたけ】(竹取物語をベースにした戯曲)の映画化が発表されていたことから思いついたのですが、この直前に円谷さんが手掛けた【白夫人の妖恋】って、実は【かぐや姫】を総天然色映画でリメイクするための、一種のテストを兼ねていたんじゃないのでしょうか?
【白夫人の妖恋】でも山口淑子が左卜全の神通力で小人サイズに縮められたりしていますし、仄聞したところ原典の白蛇伝では、クライマックスには大洪水は出てこず、また最後に白蛇の精が土中に封印されてめでたしめでたしとなるので、夫婦揃っての昇天シーンも無いとのことです。つまり、【白夫人の妖恋】の特撮場面のシークエンスはすべて「竹取物語」の見せ場に対応していることになるのです。
 ですから東宝創立25周年記念あたりでこの【かぐや姫】が作られていた可能性のあった訳で、流産に終わってしまったのが、まことに残念でなりません。(その後、30周年記念の時にも話が出たとか出なかったとか聞きますが…)また、

>利光貞三さんの師匠の本には『かぐや姫』の話は出てく るんでしょうか・・。

 とのご質問ですが、筆者の浅野詠子さんは相当細かく調査されているようなので期待大です。
 ただ、やはりお弟子に当たる利光貞三さんに関する情報が余りにも少なくて苦労されているとのお手紙を頂戴しました。偶々私の古い友人が一緒に仕事をされていた方が。むかし利光さんの下で働いていたことがあるとのことなので、何とかお話を伺えないかと苦心しているところでもあります。

Re: かぐや姫や~い 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/18 (Wed) 18:55:29

 ああ、そんなお話を聞くと、あり得たかも知れない作品に思いが至り、胸が苦しくなりますね。

 円谷監督は思い通りの作品を一本でも作ることが出来たのでしょうか・・。
 日本映画の製作体制の中で、才能を完全に出し切った作品はあったのでしょうか。

 円谷英二に十分な時間と予算を与えたら一体どんな映画を作っただろうと夢想します。
円谷監督が果たせなかった夢を引き継いでくれる才能は現れないのでしょうか。
 せめてゴジラぐらいはそれを意識した作品作りをして欲しいものです。
(ストーリー面は別にして映像クオリティを考えると、円谷監督がゴジラを完全にやりきったと言える作品はないと見ています)

 おっと話がそれてしまいました。
浅野詠子さんの著書で『かぐや姫』に関するなんらかの情報が明らかになるといいですね。
もういっそフィルムが出てくれば良いのに・・。『海軍爆撃隊』のように短縮版の発掘でも構いませんから。

『レディ・プレイヤー1』他 - エクセルシオール (男性)

2018/04/13 (Fri) 21:56:40

 もうすぐ公開されるスピルバーグ監督の映画『レディ・プレイヤー1』。仮想現実の世界で世界の命運と巨万の富をかけた冒険が繰り広げられるという映画ですが、様々な有名キャラがカメオ出演していることが話題になっています(例えば公式の予告編ではガンダム(初代)、キングコングなどの姿が確認できる)。
 そして、驚いたことに日本の怪獣からガイガンとメカゴジラ(ただし3式機龍)が出ているのだとか。どうしてゴジラやキングギドラではなかったのかとも思いますが、どこに登場しているのか少々興味深く思っています。
 ただし、これはウィキペディアに上がっている情報であり、出典がはっきりしないため正直どこまで信用できるかは不明です(現在日本で放送中のアニメのキャラクターなどが含まれていたこともあり、今では削除されている)。でも本当であればうれしいですね(特にガイガン。メカゴジラはオリジナルのものの方がよかったが)。

 なお、この映画の原作ではウルトラマンが出ていたそうですが、例のウルトラマン国際権利紛争の余波で映画での登場は断念せざるをえなかったそうです。さっさと和解しておけばこんな結果にはならなかったでしょう(この問題はどちらかが100%正しいことはない)。

 それから、もう一つ。アニメ版ゴジラに関してですが、また前日譚小説が4月末に出版されるそうです。タイトルは『プロジェクト・メカゴジラ』。メカゴジラの建造と起動失敗までが描かれるのだとか。一応読んでみようと思います。

 

 

Re: 『レディ・プレイヤー1』他 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/16 (Mon) 18:22:20

『レディ・プレイヤー1』、映画館まで足を運ぶかどうか、ひじょーに迷っています。
 奥深いものになっているのか、派手なだけの薄いものなのか・・・。なんとも判断できません。
 スピルバーグは優秀な演出家だと思っていますが、ときどき変な物を作っちゃいますから・・・。

 公開後の批評などを参考にして考えようかなぁ、と弱気。

 それは、アニメゴジラの書籍第二弾も同じ思いでありまして、エクセルシオールさんの感想待ちってことで保留しちゃおうかな。

(アベンジャーズの新作も方針保留状態。マーベル映画への期待感は下がる一方なもので)

ゴジラのユーモラスさの回復のために(エクセルシオールさん)を受けて 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/09 (Mon) 19:05:47

新スレッド立てます。

 私もチャンピオン祭り時代のゴジラシリーズを見直すことは大事だと思います。

 製作体制(予算の問題も含む)の変化で、決して出来が良いとは言えない作品群ではあったかもしれません。
けれども、ゴジラ(怪獣)が持っていた魅力の大事な部分を強調して子供達に夢を与えることに成功したシリーズではあったでしょう。

 子供が怪獣を好きだったのは、その大きさ、強さに憧れるからでしょう。怖いから好きなのではなくて、怖いけれど好き、というのが怪獣好きの子供たちだったのではないでしょうか。
そんな怪獣が攻撃の対象ではなく、益獣として働いてくれるなら、それはそれで歓迎できるストーリーだったでしょう。

(これを先に実現していたのはガメラだった。大人達に警戒されているガメラも子供には優しく、子供とは心が通じる・・)

 ただ、『対ヘドラ』以降のゴジラは、わかりやすい善玉として演出されすぎたのだろうと思っています。
『対ヘドラ』のときにはまだ人間を批判するような態度も見せたゴジラでしたが、その後どんどん人間にとって都合の良い怪獣になっていきます。
『対メガロ』になると、シートピアの立場のほうが地上人より正当かもしれないのに、ゴジラは地上人の味方をしてしまう・・・。
 子供受けを狙ったポップな演出にも行き過ぎがあったかもしれません。

 そんな行き過ぎに陥らないように注意すれば、悪玉怪獣を懲らしめるゴジラ、というのがあってもいいはずです。
(『三大怪獣地球最大の決戦』での怪獣バトルの構図を参考にすると良いでしょう。ゴジラは決して人間のためとか地球のために戦うことに同意はしていない)

 私自身、『ゴジラ対メガロ』の公開時、ゴジラのあからさまなヒーローっぷりにあきれ、映画全体のスケール感のなさにも幻滅、一度ゴジラ映画に愛想を尽かしました。
似たようながっかり感を味わった人は他にもいたのでしょう。
 その後、特撮誌などでヒーローゴジラを極端に否定する言論が出てきます。

 ひどかったのは、ゴジラは悪役だからいいのだ、という説がまかり通ってしまったこと。そして『三大怪獣~』はゴジラを正義の味方に転身させたダメ映画だという説まで。
そんな流れの中で、1990年代以降、ゴジラ退治ストーリーが蔓延していきました。

 もう一度基本に立ち返りましょう。

 ゴジラ映画はゴジラが倒されるのがおもしろいのですか?
 ゴジラ映画に見いだす楽しみはなんですか?

 そして、ゴジラ以外の怪獣たちもスターであったことを思いだそう!
ラドンやモスラは単独主演でデビューしているので、最初からスターだったということになりますが、
では、キングギドラ単体映画が必要かどうかは議論の余地ありだし、私としても是非ものとは思っていません。(作れと言われれば、ストーリーを案出できると思いますが・・)
 ゴジラと共演しつつ、かつスター怪獣であった者たちがいたことも大事です。

 スター性をどうやって作るかというのは難しい問題ではあります。いくら劇中で重要な役割を与えても観客にとって魅力が無ければスターにはならないでしょう。
それでも、元祖ゴジラシリーズで大事にされていた怪獣がどのように扱われていたかはわかります。
 ゴジラと戦っても殺されなかった怪獣は誰でしょう?(『怪獣総進撃』でのキングギドラはちょっと別枠になります)

 スターは死なせないのがセオリーでしょう。

 1989年以降のゴジラ映画ではどうですか? ゴジラ以外の怪獣達はとにかく殺されてしまいますよね。ゴジラ以外の怪獣にはスター性を見いだしていなかったことがうかがえます。
(キングギドラやラドンの哀れな変貌っぷり・・。メガギラスはちょっとおもしろい怪獣だったのに、やっぱり殺されてしまう。
また、ゴジラから派生した怪獣が多いのも、ゴジラのみをスター扱いしていた証拠であろう)

 そして、怪獣にも仲間意識があることを!
 ゴジラとモスラはそんなに仲良しではないけれど因縁浅からぬ旧知の仲、ラドンとは喧嘩もしたが互いにわかり合っている様子、アンギラスはゴジラの舎弟みたいな・・・。

『FINAL WARS』にはやたらにたくさん怪獣が出てきましたが、その扱いは、ゴジラ・ミニラとそれ以外。ゴジラは目の前に出てくるヤツをただ倒すだけ。
(アニメゴジラの性格はここから来ているのか?)
 結局ゴジラは孤独でした。

 ゴジラをひとりぼっちにしなくてもいいじゃないですか。

Re: VSシリーズの影響を受けたものとしては - なんじぇい (?)

2018/04/10 (Tue) 01:53:01

ギドラ様の意見はよく分かります。特に「スターは死なせないのがセオリーだ」ということには完全に同意します。
ただVSゴジラ以降の影響を大きく受けた私からすれば、スターにさせる気がない新怪獣、またはカマキラスのような既存の怪獣でも明らかに格下のものは爆殺してしまった方がいいのではないか、とも感じてしまうのです。

心情論かもしれませんが、私は怪獣対決に関してはどちらかの完全決着を望む考えです。というのも、引き分けという結末だといまいち消化不良感が残ってしまうというものがありますし、敵怪獣を完全に倒すことで、その怪獣のスター性・怪獣としての強さ・完全決着などがより引き立つということが挙げられます。
また悪者として作り出された怪獣ならば、完全に殺すことで単純明快ですが『悪を滅ぼす』というスカッとした印象を観客に与えます(ここは『必殺仕事人』などに通じる発想だと思います)。
さらに毎回スター怪獣に対する敵怪獣が引き分けや逃げてばかりにするのは、観客に「VSシリーズのような派手な完全決着を見たい」というフラストレーションを与えてしまうのではないでしょうか(実は、私がそうでした)。


断っておきますが、キングギドラやモスラと言った既存のスター怪獣、または新規怪獣でもスターにしようというものは殺すべきだなどとは微塵も思っていません。むしろその逆で、既存の怪獣の原点の発想を壊すことは最もやってはいけない事なのは言うまでもないですし、新規怪獣でもスターにさせるには殺すべきではないでしょう。
しかし、既存の怪獣でも格下のもの、またはスターにさせる気がない新規怪獣は上記の理由で殺してしまった方がよいのではないか、ということです。


最後になりますが、ゴジラをひとりぼっちにするべきではない、という意見には大きく頷かせてもらいました。
ゴジラのユーモラスさに関しても全く同意です。
私としては、二代目ゴジラとVSゴジラの良い部分をミックスしたゴジラ映画が見たいものです。

Re: ゴジラのユーモラスさの回復のために(エクセルシオールさん)を受けて 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/13 (Fri) 18:48:37

 なんじぇいさんのお考えもわかりますよ。
レッチ島の大コンドル、なんてのもおりますし。

 私としては、これから新たなゴジラシリーズを展開するなら、ゴジラの対戦相手を死なせない作劇もありだということを作り手およびファンに思い出して頂ければいいです。
(観客、とくに子供達に対する心理効果だのいろいろ思いつくことはありますが、いまは深入りしません)

 で、ゴジラ(や他の怪獣)のユーモラスな面をどうやって出すのか、ということを少々考えてみました。
そして、そんなに難しく考えなくても、自然な動物の様子を描けばユーモラスな感じ、愛嬌は出てくるのだなと気がつきました。

 広い意味での親しみを感じさせる行動が描けていれば、ユーモラスに感じられるだろうということです。
それは、我々も共感できる感情表現やちょっとした失敗を織り込むことです。

 ラドンがビルの屋上に着地しようとしてよろける瞬間やテレビ塔の鉄骨に自分の尻尾が絡んでいることに気がつかず、そのままひっぱって倒れてきたテレビ塔に驚くゴジラ、
といった怪獣の失敗行動の描写や
ゴジラの熱線に驚いて目をぱちくりさせるキングコング、モスラの糸を吹き付けられたゴジラを見て喜ぶラドン(その逆も)という感情表現にもおかしみを感じるでしょう。

 怪獣を動物としてただそのまま描けば、巧まざるユーモアが生まれてくるのではないかと思った次第です。
それは怪獣をあくまでも一動物として捉えるやり方です。劇中ないし作品コンセプトとして怪獣の存在意義に人間に対するなんらかの役割や意味があるとするとただの動物ではなくなってしまいます。
怪獣にはあまり強く意味を持たせないほうがいいのではないでしょうか。
(作品テーマをストレートに反映させた怪獣、たとえばヘドラ、は特殊な事例と考えたほうがよさそうです)

新たなゴジラシリーズのコンセプトが公開されました - なんじぇい (?)

2018/03/28 (Wed) 14:34:14

『日経エンタテインメント!』の4月号のインタビューで行われた、東宝の映像本部映像事業担当兼同映像事業部長取締役、ゴジラオフィサーの大田圭二氏の発言なので、信憑性は極めて高いです。

『長期で通用する世界観にする』『ゴジラを日本を代表するキャラクターにする』とのこと。

・ゴジラやモスラ、キングギドラなどが1つの世界観を共有する「シェアード・ユニバース」構想があり、場合によってはモスラやキングギドラが主役の映画もあり得る
・モスラがフィーチャーされた年にはモスラを中心に商品化が動いたりする。
・ゴジラのテーマパークをロサンゼルスに作ってもいいかもしれない
・ゴジラの魅力は強さや脅威だけでなく、ユーモラスなところもあるから、もっと多様な側面があってもいいのでは、という考え方になった。そのように商品化も動く
・2021年以降も最低でも2年に1本、できれば1年に1本ゴジラ映画を製作する
・子供たちに刺さるような絵本やアニメも作っていきたい

等々が書かれています。
なお、シン・ゴジラがヒットしたからといって続編を作るような場当たり的なことはせず、長期的なシリーズにすることを強調していました。

読んでて思ったのですが、これギドラ様の意見を参考にしてないでしょうか。(シリーズ物とか、別の怪獣をフィーチャーした年を作るとか)
そしてキングギドラが主役の映画! 私は絶対に見たいですね。

Re: よし! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/28 (Wed) 19:10:22

 素晴らしい情報に感謝します。

 さあ、これからです。
では東宝怪獣世界をどのように構築するのがよいのか、意見を出し合って行きましょう。

 どこかで誰かが読んでくれています。

 まず一案としては、ちょっと前に提案した元祖ゴジラシリーズとvsゴジラシリーズを統合した世界でスタートするのはどうか、というアイディアでございます。

(キングギドラ主役の映画ならストーリー案が十個ぐらい思いつくかも・・)

Re: まずは - なんじぇい (?)

2018/03/28 (Wed) 20:16:14

まずは『日経エンタテインメント!』の4月号を読んでみてからの方がよいと思います。
というのも、東宝のゴジコンの方々が何を第一に考えてマーケティングを展開しているのか等が結構書かれているからです。
また私はあくまで情報の一部を伝えているため、実文を読んでみたらまた印象が変わるところがあるやもしれません。


>元祖ゴジラシリーズとvsゴジラシリーズを統合した世界でスタート
というのは私も賛成ですが、ストーリーががんじならめにならないか、また新規のファンが入っていきづらい環境になってしまわないか、という所に細心の注意が必要だと思います。
旧作を見ているマニア以外お断り、となってしまうのはなんとしても避けなくてはなりません。

またどうも文章を読む限りだと、また1からシリーズを仕切り直すような感じがあったり……

Re: 一足早いエイプリルフール? - 海軍大臣 (男性)

2018/03/28 (Wed) 23:49:18

 前回は真偽の程が不明だったので書きませんでしたが、東宝社内の「ゴジラ押し」には最近、ヴァイアスが掛っているみたいで、それまではナンバーで呼ばれていた社内のミーティングルーム(結構な部屋数がある様です)に、「ラドン・ルーム」だとか「バラゴン・ルーム」といった具合に、自社製怪獣の名前を冠して呼ぶことが決まったみたいです。
 もしかしたら、これも今回雑誌発表された動きと連動しているものなのでしょうか? 果たして、それで良かったのか、悪かったのか、田所博士みたいなセリフが出てきてしまいます。
 それと2021年以降に新作と云うことは、ハリウッド版との絡みもあるでしょうが、東京五輪の翌年になりますから、大任を果たされた何丁目だかの監督が、やはり撮ることになるのでしょうかねえ? ちょっと不安です。

Re: 新たなゴジラシリーズのコンセプトが公開されました 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/02 (Mon) 18:26:50

「日経エンタテインメント!」4月号の当該記事だけ読んでみました。

 おおむね想像通りのお話でした。
いろいろ思うこと、言いたいことはあるけれど、全体としては歓迎できるお話だったと思います。

 とくに、ゴジラの魅力としてユーモラスな面もあることを認めたこととゴジラ以外の怪獣たちにもスター性(主役作品を作るとはそういうことと解釈)を作りだそうと考えているところは
従来とは違う大転換であり、かつての元祖ゴジラシリーズに通じる発想です。

 このところ、VSシリーズの呪縛なのか、ゴジラに対してのイメージは第一に怖いことであり、悪ではないとしても厳めしさが必須のような時代が長く続いていました。
ギャジラにしてもその範疇に納まっていたでしょう。

 ゴジラから愛嬌が失われて幾星霜です。(『~2000ミレニアム』と『×メガギラス』の鈴木健二演出ゴジラにはわずかに愛嬌はあったのだが、続かなかった)
しかし田中友幸氏の名言と伝え聞く「ゴジラは怖いけど可愛い」の思想が復活したのは大変喜ばしいことです。

 また、『ゴジラ2000ミレニアム』公開後にネットチャットを使って、ファンと東宝スタッフが意見交換する機会がありました。
そのとき私が「ゴジラ以外の怪獣、たとえばラドンやキングギドラをスターとして売り出す考えはないのか?」と訊ねたところ、
当時の宣伝部の方は「モスラならイケるだろうが、あとの怪獣では無理だろう」とのお答えでした。

 あれから18年。やっと本来の東宝怪獣シリーズの空気感を取り戻そうとする動きが出てきたことは本当に嬉しいです。

 しかし、もちろん心配はあります。
「シェアード・ユニバース」構想が、ハリウッドのアメコミ映画やレジェンダリー版にヒントを得て考えついているような口ぶりだったのはいただけません。
もともとのゴジラシリーズをじっくり研究すれば気がつくことなのですから。

 ここでもう一度書いておきますと、怪獣映画シリーズで人間側のドラマまでもがっちりと繋いでしまうと、ストーリーのバリエーションを狭めることになるので避けた方がいいです。
繋げておくのは、怪獣が何をしたかと怪獣同士の関係性だけにとどめておくのが得策です。
 いま詳しくは述べませんが、『ゴジラ』から『怪獣総進撃』までの作品(ゴジラが登場しないものも含む)がどのように繋がり、あるいはどのように繋いでいないのか、を分析しましょう。

 それから大田圭二氏は商売としてのゴジラ運用を延々と語っていた印象でした。
それ自体は悪いことではありません。金にならなければ映画なんか作れませんから。
 グッズ展開もいいでしょう、スピンオフのアニメもいいでしょう。

 しかし、根幹たる映画作品のクオリティを第一に考えて欲しい。いまのウルトラシリーズみたいになってはいけない。

 それからこれもいま書いておきましょう。

 幅広い世代をターゲットにしたシリーズを目指すというお話でした。
 ならば、オールドファンを無視してはいけない。ストーリーをすべてリセットして新規シリーズにするのは得策ではありません。
元祖ゴジラもVSゴジラもさらにはミレニアムシリーズも(?)巻き込むような、懐の深い自由度の高いシリーズにすべきです。

 そのための設定とドラマ作りには細心の注意が必要ですが、出来ないことはありません。
これも元祖ゴジラシリーズに学べば可能なことです。

 二代目ゴジラのファンはもう50代から60代でしょう。vsゴジラでも30代から40代ぐらいでしょうか。
新シリーズがまったくの心機一転のものだと、よほどのマニアか若者・子供しか見に行かないでしょう。
 それが、二代目ゴジラの世界もvsゴジラの世界も包み込んでいるような世界なら、まさに三世代を巻き込んだシリーズになるはずです。

 どうかそれを目指して欲しいものです。

 そして、監督にはしっかりした力量のある人材を!(過去にヒット作があるとかじゃなくて! 映画のヒットは監督の力とは限りませんから)
その判断をするためには人事権を持っている人間に高度な映画審美眼が必要なのですが。

 と、まずはざっくり。
新シリーズに望むこと、思うことは今後もっと書くでしょう。
みなさんのご意見も求む。

ゴジラのユーモラスさの回復のために - エクセルシオール (男性)

2018/04/05 (Thu) 23:56:21

 ゴジラのユーモラスな側面を回復させるためには、昭和後期のゴジラ映画の再評価が不可欠だと思います。特に「ヒーローゴジラ」と言われていた東宝チャンピオン祭り時代のゴジラ映画をもう一度積極的に見直す必要があるのではないでしょうか。

 思えば、子ども達のアイドル、ヒーローとしてのゴジラは、ずいぶん長期にわたって批判や冷笑ばかり浴びせられてきました。特にチャンピオン祭り時代のゴジラを罵倒し、嘲笑し、糾弾することが真のゴジラファンの証のようにされてきた感があります。
 しかし、その結果、ゴジラはとにかく凶暴で人類の脅威でなくてはならず、それ以外の要素はゴジラを汚す害悪でしかないという、別方向に極端な風潮を生み出してしまいました。それが、ゴジラ映画を窮屈にしてしまった一因だと思います。

 私自身は強大でかっこいいVSシリーズのゴジラも好きですが、かつての愛嬌のある昭和後期のゴジラも嫌いではありません。当時の作品を観てみるとこれはこれで味がある作品が多いです。

 なお、ゴジラ以外の怪獣を主役にできるかですが、モスラはともかく、キングギドラはちょっと苦しいかもしれません。キングギドラはあくまでゴジラ達地球怪獣の宿敵として設定された怪獣であり、「最強最高の敵役」としてはともかく、主人公と言うのは少し違う気がします(例えばガイガンやメガロ、ヘドラやメカゴジラも名怪獣だが、主役にはなれまい)。
 仮にキングギドラ主役でもその敵役としてゴジラとその仲間は必須だと思います。そうすればギリギリ行けるかもしれません。

 最後に、個人的願いとして東宝にはアンギラスのことも忘れないでほしいですね。いろいろと冷遇されがちなので。もう一度ゴジラとタッグを組んで強敵と戦う姿を見てみたいです。

かぐや姫、倫敦に現わる? - 海軍大臣 (男性)

2018/04/04 (Wed) 23:30:33

 例によって戦前の特撮映画を文献で調べていたところ、ちょっと興味ある話題を見つけました。

 京都のJO時代に円谷英二が撮影した映画【かぐや姫】(昭和10年公開)は、竹内博さんによりますと、国内にはプリントが存在しない幻の作品になるそうです。
ところが、この【かぐや姫】は公開されて1年後の昭和11年秋に英語スーパー付きの再編集版が作られて、イギリスに輸出されているとのことらしいのです。現地で一般公開されたかまでは不明ですが、何でもロンドンのジャパン・ソサエティからの要望があったと聞きます。
 我が国とは違って、映画作品を文化財として実に大切に扱うヨーロッパのことですから、もしかしたらロンドンの街の何処かに幻のフィルムが眠っているなんてことが在りうるかも知れません。誰か奇特な人が探し出してくれないものか、なんて他力本願ながら祈っています。

 また、大戦下のドイツでは【ハワイ・マレー沖海戦】が【ハワイへの道】なる題名で公開されているそうです。同盟国だから当たり前の気もしますが、驚いたのは公開時期で、何と戦局もドン詰りの1944年6月といいますから、連合軍がノルマンディーに上陸した時期に当たります。そんな敗色濃厚な中、プリントを日本から如何やって運び込んだのか不思議でなりません。コトによると、フランケンシュタインの心臓よろしく、Uボートを使って運搬したんじゃないか?などという妄想まで湧いてきてしまいました。
 

Re: かぐや姫、倫敦に現わる? 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/04/05 (Thu) 19:24:51

 嗚呼、ロンドンで見つかるといいですね!(誰か捜して!!)
『かぐや姫』は円谷監督にとってもこだわりがある作品だったはずで、「ウルトラQのおやじ」でも思い出話を語ってますし、
終生の企画として再映画化を望んでいたというのは有名な話ですが、相当本気だったのだと思います。

 うしおそうじさんの著書「夢は大空を駆けめぐる」に一枚だけメイキング写真が載っていますが、
なかなか精巧なミニチュアを使っていたように見えます。
 それから、「快獣ブースカ」でブースカがかぐや姫に憧れちゃうエピソードで使われるかぐや姫の歌って、もとは『かぐや姫』で使われたものじゃないの?なんて疑っているのですが・・。

 しかし、V2ロケットの空襲で失われていたら万事休す(泣)

 ドイツで上映された『ハワイ・マレー沖海戦』にも興味津々。

 あとは『燃ゆる大空』や『海軍爆撃隊』の全長版も誰か捜して!
(ロシアが怪しいと睨んでいる・・。満州から映画フィルムを持ち出してないか?『姿三四郎』のロングバージョンはロシアで見つかったらしいし。ん?前にも同じ事を書いた覚えあり)

Re: かぐや姫、倫敦に現わる? - 海軍大臣 (男性)

2018/04/05 (Thu) 23:34:46

>それから、「快獣ブースカ」でブースカがかぐや姫に憧れ ちゃうエピソードで使われるかぐや姫の歌って、もとは『かぐや姫』で使われたものじゃないの?なんて疑っている のですが・・。

 については盲点でした。確かに検証の必要があると思います。
【かぐや姫】はストーリーや撮影エピソードについても、竹内博さんが『宇宙船』の連載コラムの中で書き残されている程度のことしか判っておらず、私としても大変関心のある作品です。
 つい何年か前に、この作品の特撮パートを担当した政岡憲三の研究本が刊行されたので飛びついて買ったのですが、やはり初期のアニメーション作品の話が中心で、【かぐや姫】には殆ど触れておりませんでした。
 また関西在住の某女性ライターが、この作品のダイナメーション用モデルを製作した浅野孟府(あの利光貞三さんの師匠です)の研究書を執筆しているとの話を聞いたのですが、その後どうなったものか…。

 それと余談になりますが、【新しき土】を撮ったA.ファンク監督は来日直後、日本映画のレベルを確認するために当時の代表的な作品を何本か観ているのですが、そのとき試写された作品の中に、円谷英二の【小唄礫・鳥追お市】も選ばれています。この作品は撮影技術が優れているとされていますから、もしかしたらファンクもその点を評価して円谷を日本側スタッフに加えたのでしょうか? これも気になるところです。

ゴジラのイメージってなんだろう - なんじぇい (?)

2018/03/20 (Tue) 00:57:53

今から書くことは、とても衝撃的なことかもしれません。しかし、とても恐ろしいことでもあります。

私は良く匿名掲示板でゴジラの話をするのですが、どうやらゴジラは元から水爆の影響で変異した存在だという印象を殆どの人が思っているようなのです。
殆どというのは誇張でもなんでもありません。本当に殆どなのです。
その時は最初のものは違うんだよと言って訂正するのですが、あまりに多すぎて悲しくなってきます。

もっと恐ろしいものだと、ミレニアムシリーズや『シン・ゴジラ』の影響か『ゴジラはそれぞれの映画によって千変万化するもの』というイメージを多くの人が抱いているようなのです。(これは4割~5割くらいでしょうか)
そして、その自由度の高さとバリエーションの多さが魅力だと思っている人もまた多かったのです。
そのお陰か、最近はエメリッヒゴジラも再評価されつつあります。


エクセルシオール様の文章でも触れられていましたが、私は『ゴジラには確立されたイメージがある。それを崩してはならない』と考えていました。
しかし、ゴジラは水爆で変異した存在だということが既に今のゴジラでは確立したイメージになってしまっています。
そして、遂にゴジラは1作ごとに設定がころころ変わる存在、というイメージが付着しようとしています。

私はこれを書いている最中、日本語の「ら抜き言葉」を思い出してしまいました。
最初は専門家に日本語の乱れだ、ダメだ、と言われていたら抜き言葉が、皆が使ってしまったがためにいつの間にか黙認されてしまおうとしています。
実は日本語はこういうパターンがかなり多いのです(例えば「うがった見方」など)。

改めてゴジラの話に戻ると、まだ前者の場合は単なる勘違いなのでその都度訂正してしまえば済む話です。
しかし後者はどうでしょうか。
ゴジラが千変万化する自由度の高いもの、というイメージを皆に持たれてしまったら、それを訂正すること、指摘し理解させることは不可能になってしまうかもしれません。
今までにもいった通り、それが確立したイメージになってしまうからです。

何とかしてこの流れを止めるべきだと焦っているのですが、あいにく何も思い付きません。
ただ彼らを説得する方法を思い付かない限り、ゴジラとは作品ごとに設定をいじり倒してもいいというイメージが皆の間についてしまい(既に半数いるのです)、もう取り返しがつかないことになってしまうということは言えると思います。

追記。 - なんじぇい (?)

2018/03/20 (Tue) 10:00:43

特に説得が難しいと感じているのは、ミレニアムシリーズやギャレスゴジラ、シンゴジラ辺りから入った、ゴジラのバリエーションを楽しんでいる人たちのことです。
その人達からすればゴジラがころころ変わるのは当たり前で、また『今度はどんなゴジラなんだろう。わくわく』といった感じで楽しんでいる節があります。
また、ゴジラはその自由度の高さが最大の魅力だと力説している人たちも何人もいました。

これが多数派になりつつある今となっては、『ゴジラのイメージを壊してはいけない』という論法は全く通用しなくなっています。
またそれらの作品に愛着があるのでしょうが、元々のゴジラはこうなんだよ、と諭しても『言いたいことはわかるが、自分はミレニアムシリーズやシンゴジラなどのゴジラのバリエーションを楽しんできたからあまり受け入れられない』
『気持ちはわかるが30年遅すぎる。それならば放射能を食べたりゴジラザウルス云々の改変をしたVSシリーズの際にもっと強く言うべきだった(これは私も少し思ったりします。その時私は生まれてないのですが)』と言われてしまいます。

既にゴジラは放射能を食い、水爆で変異した生物というイメージになってしまっています。
ミレニアムシリーズやシン・ゴジラから入った人達をうまく説得する方法を見付けない限り、今までの日本語やゴジラの傾向などから考えても、ゴジラが作品によって千変万化するものというイメージが皆の間に根付いてしまうのはもう時間の問題だと考えています。

Re: ゴジラのイメージってなんだろう 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/21 (Wed) 17:56:13

 私はそんなに悲観していません。
ちょっと前までは、テレビ雑誌などのマスメディアがゴジラを紹介するとき、「核実験の放射線で恐竜(古生物)が変異したもの」と表現することがほとんどでした。(100%と言って良いぐらい)
 しかし近年は正しい設定を紹介することのほうが多くなってきました。なぜかはわかりませんが、ネット言論の影響は無視できないように思います。

 ゴジラをころころ変えてはいけない、という論を理解できない人がいるのは仕方ありません。彼らは物事の本質を考えるより、すでにある状況を肯定してそれを説明することしか考えていないのです。そんな人を責めるのも難しいことです。なにしろ話題は映画の話であり、お客さんでしかない人が作品の本質論まで考える義務はないのです。

 問題は作り手です。以前黒澤明の言葉として「観客を育てるのは作り手の役目だ」と書きました。創作する頭がない人が作品のあり方を考えるときには、すでにある物を材料にするしかありません。よりよいものを見れば、審美眼も向上します。

 ネット言論にも影響力はあるだろうと見ています。作り手の意識になにかの影響を与えられれば、事態は好転する可能性があるだろうと考えています。
(『ゴジラFINAL WARS』は惜しい作品でした。製作発表では、プロデューサーが「人間の限界を描く作品にする」というようなことをおっしゃっていて、怪獣が人間の上を行くストーリーになることを示唆していました。富山省吾さんはネット言論に目を光らせていた方でした。
しかし、実際は誰の差し金か怪獣を理解しない監督に担当させたために真逆のストーリーになってしまった)

 1984年やVSシリーズの頃、ファンが何もしていなかったわけではありません。
しかし、あの頃はインターネットが無かったのですよ。やれることにも限界がありました。
さらにはゴジラのあり方をころころ変えるなどという事態を予測できた人はいなかったでしょう。
 ゴジラの設定を変えることに異議を唱えた人はいましたし、私自身だって東宝に直接手紙で意見具申したり雑誌に投稿などしていました。意見を聞き入れてもらえたな、と思うこともありました。
 しかし、最終的には作り手が何をやるか、に帰結してしまうのです。

 私にも反省はあります。VSシリーズの頃、今と同様の認識を持ち得ていたかというと心許ないですし、さらにその頃はもっとソフトな態度で臨んでいましたから、思うことすべてを叩きつけることもしていませんでした。
 本格的に本心そのもので書き始めたのはGMK批評のときからです。
 怪獣ゴジラの設定を守ることの大事さを強く訴え始めたのもそのときからでしょう。
 それでもそんなに遅くはなかったと思っています。なぜなら、それ以前のゴジラは初代・二代目の設定か、84および『vsキングギドラ』での設定の二種類しかいなかったからです。

 アメリカのものまで含めるとゴジラの種類は増えてしまいますが、歴史的に考えてゴジラが作品毎にころころ変わったという事実はありませんでした。(ストーリーリセットはまた別の問題)
 問題は『シン・ゴジラ』以後なんです。製作サイドがゴジラについて真剣に考えているのなら、まだ間に合うと考えています。

 日本の理性は死んでいないと期待します。

Re: 1975年春の記憶 - 海軍大臣 (男性)

2018/03/21 (Wed) 18:44:37

 84年の復活以降、基本設定に於けるゴジラの迷走振りは全て作り手側に責任があると感じています。
 そこで思い起こされるのが、第二次怪獣ブームが終焉し、TVのウルトラシリーズが終わりを告げた1975年春のことです。
 【ウルトラマンレオ】が最終回を迎えた日の毎日新聞の夕刊に、このことを評して、
「子供に大人気のオモチャがあった。そのオモチャを大人たちがイジリ廻し、結果としてオモチャが壊れたのだ」
 との大意の文章が掲載されたのを子供心に覚えています。(確か、その記事は後年になって刊行されたムック本にも採録された筈です)
 ギドラ様の云われる通り、これから先が日本のゴジラにとっての踏ん張り時なのだと思います。一ファンとしては、大人たちが大事なオモチャを壊さないことを唯々願うばかりでいます。

すみませんでした - なんじぇい (?)

2018/03/21 (Wed) 22:50:16

>ちょっと前までは、テレビ雑誌などのマスメディアがゴジラを紹介するとき、「核実験の放射線で恐竜(古生物)が変異したもの」と表現することがほとんどでした。
これは全く知りませんでした。そう考えたら、ネットの言論も捨てたものではありませんね。
なんだか少し希望が出てきたような気がします。


私はお詫びをしなくてはなりません。ギドラ様が平成VSシリーズの頃から、そのような活動をしていたとは知りませんでした。
また私の考えが変わったのも、ギドラ様の親切で丁寧な説明があってこそでした。(それまでは『シン・ゴジラ』を大絶賛していました。意見が変わった切っ掛けはあの転載された『シン・ゴジラ絶賛という蒙昧を斬る』でした)
それなのにそれを棚に上げて
>VSシリーズの際にもっと強く言うべきだった(これは私も少し思ったりします
などと書いてしまい後悔してもしきれません。本当に申し訳ございませんでした。


Re: ゴジラのイメージってなんだろう 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/23 (Fri) 18:18:13

>海軍大臣さん

 私がそれほど悲観していないのは事実ですが、それほど楽観もしていなかったりします。
(「レオ」最終回時にそんな記事が出ていたことは知りませんでした。ウルトラに距離を置きすぎだったなぁ)

 商業映画は稼げなければおしまいではありますが、同時に表現作品でもあります。
ゴジラをコントロールしている人々に表現者としての自覚があることを祈ります。
そして、監督だったり脚本だったり、作品の中身を担当する人には、ゴジラ(だけでなくその他の既存創作物)は自分が作ったものではなく、
先人の遺産を借りているだけだという事実を重く受け止めて欲しいものです。

>なんじぇいさん

 私が何をしていたかはほんの一例でしかないです。
私以上に熱心にゴジラファン活動をしていた方々はたくさんいるはずです。
そんな何十年もの積み重ねの中にあるのがゴジラであることをわかっていただければ幸いです。

 ネットの言論もこのごろではすっかり殺伐としてしまった感がありますが、それでも何かを表明することでどこかの誰かに伝わる可能性はありますし、
ゴジラに関わっている人ならネットの意見も捜してみるぐらいのことはやっているでしょう。
 どの意見を拾うのかは作り手任せになってしまいますが、なんでもかんでも肯定するばかりのイエスマンだけを尊重する態度でないことを祈りましょう。

>ゴジコンの皆さんへ(誰なんでしょうね)

 次々と別のゴジラを送り出してもゴジラ人気は上がりませんよ。ファンが分裂するだけです。
いまみなさんがやっていることは、ゴジラに人気があるからと、『空の大怪獣ゴジラ』、宇宙人が持ってきたロボット怪獣ゴジラ、『東洋の神秘大怪獣ゴジラ』、インファント島の守り神ゴジラ、
という塩梅にゴジラのバリエーションを増やそうとしているように見えます。

 私が言いたいことが分かりますよね?

ゴジラのイメージがコロコロ変わる理由って…… - なんじぇい (?)

2018/03/23 (Fri) 22:13:02

そのような熱心な方々が多数おられたのですね……
インターネットがないぶん、昔の方が1人あたりのファンの熱量は大きかったのかもしれませんね。
私としてはまだまだ至らないところばかりです。


ちなみに個人的な考えですが、東宝やゴジコンの方々が様々なゴジラを作り世界観のリセットを繰り返しているのは、ゴジラが人気だからではないように思います。
むしろその逆で、何をどうしたらゴジラ人気を再燃できるか色々試しているからではないでしょうか。
人気が陰り始めたテーマパークが、元々のテーマをかなぐり捨ててあれこれ手を出すようなものです。経営が行き詰まりつつあったユニバーサル・スタジオ・ジャパンが元々のユニバーサル映画のテーマを無視して『エヴァ』や『進撃の巨人』のアトラクションを作っていた時と、今の東宝は酷似しています。(USJはそれが受けたため、その路線を今までずっと継続している)
そして遂に『シン・ゴジラ』がヒットを飛ばしたため、USJと同じくそれにすがっている……と思っているのですがどうでしょうか。

なので悲しいことですが、(きつい書き方になってしまいますが他に思い付かなかったので。私はこんなことを思ってないとはっきり申し上げておきます)ギドラ様のようなご意見は、ゴジコンの方々からすれば『シン・ゴジラがせっかく人気になったのだから水を差すんじゃない!』と思っているのかもしれません……
実際「出来はともかくとしてシン・ゴジラ人気は利用すべきだ」「再びゴジラ映画は皆が見てくれるコンテンツになったのだから、個人的に気に要らなくてもあまりそれに水を差したくない」などと言っているゴジラファンはこれまで何人も見てきました。

Re: ゴジラのイメージってなんだろう 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/27 (Tue) 19:00:42

 ゴジラに人気がないのなら、ゴジラの名称を使う理由もないでしょう。

 背景はどうあれ、私はゴジラのネームバリューだけ利用しようというやり方を批判し続けますし、
看板にゴジラと書いてあればそれでいいという考え方には理がないと言い続けますよ。

全くその通りだと思います - なんじぇい (?)

2018/03/27 (Tue) 19:47:16

題名と同じです。
もしかしたら東宝は機龍シリーズで初期の2代目ゴジラを、そしてFINAL WARSでチャンピョンまつりの2代目ゴジラを作ったつもりなのかもしれませんね。

恐竜・怪鳥の伝説 - エクセルシオール (男性)

2018/03/25 (Sun) 21:40:17

 最近、今では半ばカルト映画扱いのこの特撮映画を観る機会がありました。一体どんなものかと思っていましたが、確かにいろんな意味で「すごい」映画でしたね。正直、予算を7億5千万円もかけたとは思えない。

 内容をざっくり言ってしまうと、富士山近辺の地殻変動によって古代の恐竜プレシオサウルスと怪鳥ランホリンクスが復活し人々を襲うという物語なのですが、彼らを描く特撮がかなりショボい。巨大怪獣ものに関しては東映は東宝や円谷にかなり遅れをとっていたとは思いますが、それにしてももう少し何とかならなかったのかという感じです(人形同士をぶつけ合っているようにしか見えないところがある)。しかも、両者はなぜか森の中で対決します。プレシオサウルスはかつてある程度陸上で行動できるという説が有力だったので、この内容は当時の知見では完全に見当違いとまでは言えません。だが、やはり湖を泳ぎ潜ることもできる首長竜に対して、翼竜が空中から挑むという構図にすべきだったと思います。
 肝心の怪獣描写が首をかしげたくなるものである反面、人間や馬が残酷に殺される描写には妙に凄まじく、力の入れどころを間違っていると思ってしまいました。例えば、湖で女性がプレシオサウルスに襲われて死ぬのですが、その過程がはっきり言って「なぶり殺し」。そのうえ彼女は体を半分食いちぎられた後も、引き上げられる直前まで生きており(ゴムボートにしがみつく時に明らかに手が動いている)、切り口の生々しさも加えてトラウマものでした。

 ストーリー展開もかなり散漫であり、結末も富士山の噴火で主人公たちが周囲を火に囲まれた状況で唐突に終わってしまいます。この映画はいろいろと詰め込み過ぎてわけがわからなくなった感がしました。確かにカルト映画扱いされるのも無理はないです。特撮の問題はまだしも、もっと物語を練り込んで作ってほしかったですね(個人的に一番ひどいと思ったのは、西湖に爆雷攻撃を行う際に、たった20分前に通告する展開。いくら何でも無茶です)。

 なお、この映画の予告編がある意味本編より面白い。「近づく氷河期の恐怖」「君は生き残れるのか」「海外配給40か国決定」等々という大仰なキャッチコピーが連発(ちなみに氷河期云々はは映画の内容とほぼ無関係)。挙句の果てには「マグニチュード100の迫力」と言うのもありました。

 この映画に関しては悪い評判もやむなしと評せざるを得ません。まだ観ていない方は、かなり覚悟を決めて観た方が良いでしょう。ちなみに主演は名優・渡瀬恒彦さんでした。

Re: 常識を疑われるようで困るのですが - 海軍大臣 (男性)

2018/03/25 (Sun) 23:22:23

 実はこの映画、初めて見た時に余りのダメっぷりに呆れ返ったのですが、後年見直してみて、そのダメダメ振りが逆に気に入ってしまっています。
 兎も角、あのヘン過ぎる主題歌の歌詞「愛を込めて、殺し合った~」だとか、シャワーシーンを演じる女性がただのオバサンだとか、殆ど学生の8ミリ映画級の怪獣対決とか、今では愛おしくてなりません。取り分け、脇役で出てくるフォーク歌手の歌う「来たこともない湖に~」などは知らず知らずの内に鼻歌で口ずさんでいることさえあります。
 一体、あの作品の何処が良いのだ?と聞かれてしまうと、まったく返答に窮してしまうのですが、こればかりは業みたいなものと割り切っています。
 でも川谷拓三の義母にあたる女優さん演じる老婆が、湖に潜む「赤い鬼灯みたいな目をした龍」の伝説を語るシーンの雰囲気はなかなか良かったと思います。それとヒロイン役の沢野火子は、たいへん綺麗な女優さんだなと思っていたところ、別の芸名で深作欣二監督の大傑作【資金源強奪】で重要な役を演じていました。こちらの作品は冗談抜きにお勧めです。

Re: 追記 - 海軍大臣 (男性)

2018/03/25 (Sun) 23:38:40

 あと書き忘れましたが、東映の岡田前社長が亡くなった後に、生前の発言や数々のインタビューを纏めた書籍が出ていて、この作品についてとんでもない話が掲載されていました。
 元々、この作品の企画は【ジョーズ】を観た岡田社長の発案だったらしいのですが、1977年正月に行われた社長挨拶の中で、あろうことかこの社長さん、この年の目標の一つとして、「今年のゴールデンウイークの映画興行では、【恐竜怪鳥の伝説】と【ドカベン】の二本立てで、全国の小、中学生を東映の映画館に総動員させるつもりだ!」と仰っているのです。良くも悪くも、こんな感覚の映画経営者が居なくなったことが何だかさみしい気がします。
 ちなみに古生物マニアの方から聞いた話では、プレシオサウルスは恐竜ではなく、またランホリンクスも鳥類ではないそうです。看板に偽りだらけで、こんなところも真に東映らしいと思います。

Re: 恐竜・怪鳥の伝説 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/27 (Tue) 19:02:44

 劇場公開当時、そのあまりのゲテモノ感にまったく見る気にならなかったこの映画、初めて見たのは何年前だったか・・。
その後、あれれ、およそ一年前にHD版で見ているではありませんか。

 とにかく、見ているうちに頭がしびれてくるのが恐ろしいというか、ある種の快感を呼ぶと申しましょうか。
「一体、何を見せたいんだ???」とくらくらするうちに怒濤のエンディングを迎えるという印象です。
悪夢はよく覚えていないのパターンで、断片的な映像は記憶に残っていますが、じゃ、どんな話だったっけ、となるとたった一年前に見ているのにもはや曖昧です。

 間違いなく駄作です。お金払って映画館へ行っていたら、怒髪天を衝いたでしょう。
でも、この70年代邦画の悪あがき感がたまらない。(いや、決して褒めたりしませんよ)

『GODZILLA 決戦起動増殖都市』 - なんじぇい (?)

2018/03/08 (Thu) 02:07:56

続編のアニメゴジラのストーリーが更新されました。
http://godzilla-anime.com/intro/

ゴジラではなく『ゴジラ・アース』表記に統一しているところは好感が持てますが、どうやらエクセルシオール様がおっしゃっていた共存の鍵となるモスラはゴジラ・アースと戦って敗れ去ってしまったようです……

Re: 『GODZILLA 決戦起動増殖都市』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/08 (Thu) 18:00:52

 あ、でも、卵が残っていると書いてありますから、おそらくモスラ幼虫が出てくるんじゃないでしょうか。

 ん、それがニューメカゴジラと共闘ということになると、あれれ、『東京SOS』の焼き直し??
 まあ、そんな単純なことにはならないでしょうけれど、どうなんでしょう、今度のメカゴジラは自律型ロボットにしてくれないんでしょうか??
 だめかなぁ、いまの人は巨大ロボットは人が乗る物と決めてかかっているフシがあるもんなぁ。

Re: 『GODZILLA 決戦起動増殖都市』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/08 (Thu) 18:15:10

 メカゴジラに「自律思考金属体」なる怪しげなものが使われているようなので、結構イケてるロボット怪獣になるかも??

Re: そろそろ情報解禁? - 海軍大臣 (男性)

2018/03/09 (Fri) 20:07:20

>メカゴジラに「自律思考金属体」なる怪しげなものが使われているようなので、結構イケてるロボット怪獣になるかも??

 2月3日の本サイトに伏字で書きましたが、ポスターやチラシに描かれている残骸はブラフで、実は「都市」そのものが「本体」らしいですぞ。(で、でかい…)

どうなるのやら・・・・ - エクセルシオール (男性)

2018/03/09 (Fri) 21:50:55

 公開されたあらすじを検討すると、私の予想はかなり外れたようですね。私は「モスラの庇護のもと怪獣と共存して生きるミアナ達との交流が、ハルオの考え方を良い方向に変えていく」と思っていましたが、ゴジラがミアナ達にとっても敵でしかなければ、物語がそのような方向に動く可能性は低いということになります(全く絶望というわけではないが、あらすじを読む限りではハルオは無反省のように見える)。
 だとすると、スタッフはこの三部作にどのような落ちをつけようとしているのか?いささか見通しが立たなくなりました。こうなってくると地球そのものへの脅威が来襲し、人類とゴジラとモスラは共闘せざるをえなくなるという展開にするしかないかもしれません(一つ切り札となるキャラが残っている。キングギドラである)。

 メカゴジラに関しては身長300メートル、体重10万トンのゴジラに対抗するためには、それと同等以上の大きさが必要なのはわかります。それでも都市自体がメカゴジラという設定は「なんだそりゃ?」と思わずにはいられませんね。
 いっそのこと、アニメという媒体の特性を活かすならば、あの「生頼範義版メカゴジラ」を登場させた方が、かっこよくて良いのではないかと思えてきます。実写化は難しかった3体合体のロボットでしたが、アニメならば簡単でしょう。


Re: 『GODZILLA 決戦起動増殖都市』 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/12 (Mon) 18:32:50

 ふう。
>残骸はブラフで、実は「都市」そのものが「本体」らしいですぞ

 やっぱりあんまり怪獣がわかっていないんだなぁ。
そのひっくり返し方って、「怪獣惑星」のラストにも似てますね。
ずーっと主役怪獣だと思わせておいたヤツが雑魚でした、という・・。

 にしても、都市全体がメカゴジラですよ、というのは、怪獣メカゴジラの魅力をどう考えているのか疑問です。
子供が怪獣ごっこするときにどう演じればいいんですか?
 これ、くだらない揶揄じゃないです。怪獣の本質を考えれば、子供に受けるかどうかは大事です。

 要塞アスカにヒントを得たか、はたまた「キングゲイナー」の移動都市か??

Re: やっぱり…… - なんじぇい (?)

2018/03/19 (Mon) 19:52:03

http://godzilla-anime.com/news/
たった今、新ビジュアルが公開されました。
「巨大構造物の中で攻撃を受けている<ゴジラ・アース>」と書かれているため、都市そのものが攻撃してくるようです。
こうなると海軍大臣様がおっしゃっていた、都市そのものがメカゴジラという話の信頼性がますます高まってきました。

さて、背後にいるのはメカゴジラだそうですが……個人的にはもうちょっとメカゴジラ感を出してほしいものです。
メカゴジラなのに、デザインに『ゴジラ』らしさがまるで見えません。

日本的な怪獣映画へのよくある反論4つ - なんじぇい (?)

2018/03/16 (Fri) 20:05:48

私は匿名掲示板でゴジラの話をしていることが多いのですが、そのなかでは日本的な怪獣映画に関して様々な反論がされます。作品による個別的なものもあれば、日本的怪獣映画全般にわたるものも存在します。
主だった反論のなかで、私に答えることができなかったもの4つを載せておきます。

・ゴジラ(ここでは日本的怪獣とします)は科学で倒されないということが前提だそうだが、水爆で倒せない生物など理論上存在しない。どんな物質も数百万度の高熱で蒸発してしまう。
そのような怪獣は非科学的でリアリティがなく、リアリティを出すなら『シン・ゴジラ』のように核で倒せるようにしなければおかしい。(なんかずれてるなあ、と思いましたがそのときは思い付きませんでした)


・怪獣の改変や過度なアレンジはいけないというが、それは製作者が今現在に生きていたらということを考えていない。
円谷監督は新しい物好きだったと聞く。年月が過ぎれば新たなアレンジや改変を受け入れた可能性を考慮すべきだ。(大抵老害という言葉がセットでついてきます。私は学生なのですが……)

・『ゴジラ』は怪獣の倒し方という観点から見ればつまらない映画だ。都合よく海底でじっとしているゴジラをオキシジェンデストロイヤーで消滅させるだけで紆余曲折もない。オキシジェンデストロイヤーが出ているのに山根博士たちが乗っている船に効果がないのは特にご都合主義。
最近の怪獣映画の怪獣退治のご都合主義を批判するならこれも批判しなければおかしい。(この反論は最初されたとき驚きました)

・文明が野生の怪獣に負ける物語を称賛するなど悪趣味。その野生の怪獣に罪のない人々が大勢殺されていることを考慮しているのか。怪獣側の肩を持ちすぎている。(一理あると思ってしまいました)

大体この4つに絞られます。(最初と最後は特に多いです)
答えられるものだけで結構です。これらの反論に対して適切な回答があればお願いします。


最後ですが、私の質問や突っ込みに対し理路整然とお答えくださる皆様には本当に頭が下がります。
特にギドラ様はツイッターなどをやってご自身の主張を広めた方がいいのではと思ってしまいます。もしくは本をお書きになればと…
そうでもしないと、この流れは変わらないと思います。

ご迷惑だと思いますので…… - なんじぇい (?)

2018/03/16 (Fri) 20:39:40

あまりに質問ばかりするのもご迷惑だと思いますので、今回の質問を最後にしばらく質問はないとはっきり断言しておきます。
まあ、いろいろ聞きたいことを全て聞いてしまったというのもあるんですが。

しかし、どこもかしこも新旧ファンがゴジラでの殴り合いを続けている現状は、本当に嘆かわしくなります。
私にはそれほど頭が良くないので、その争いを止めることができないふがいなさを感じています。

Re: 日本的な怪獣映画へのよくある反論4つ - 海軍大臣 (男性)

2018/03/17 (Sat) 01:32:05

  なんじぇい様のご質問の順番とはちょうど逆並びの受け答えになってしまいますが、私の勝手な言い分を書かせていただきます。

>文明が野生の怪獣に負ける物語を称賛するなど悪趣味。

 に関しましては、もともとゴジラは「G作品」として企画された時点で、「核の力を弄んだ人類文明が自然界からの報復を受ける」という明確な主題の下に作られているのですから、人類社会に悪を為す異形の怪物どもを容赦なく駆除していく【エイリアン2】や【スターシップトゥルーパーズ】とは氏素性がまるっきり異なっています。作品内容の好き嫌いは個人の自由ですが、上記の意見は何だかテーマそのものを理解していない妄言ではないかと思われてなりません。

>『ゴジラ』は怪獣の倒し方という観点から見ればつまらない映画だ。

 につきましては以前少し書きましたが、あのシークエンスは呉爾羅という「荒ぶる神」を鎮めるための宗教的儀礼「神送り」の暗喩であって、そのための人柱として捧げられるのが芹沢大助という「片目の供犠」なのだと思います。(確かにこの辺りは、民俗的基盤の薄い昨今の方たちには今一つピンと来ないかも知れません)
 ちなみにキングコングは、フレーザーの纏めた『金枝編』に書かれている「王殺し」の儀礼が主題として見え隠れしているようです。これは次世代を担う若者が年老いた王を殺害することで世界を活性化させる、というヨーロッパに広く伝わる伝説をベースにしており、地球の新たな支配者たる人類に倒される前世紀の怪物の呼び名に「キング」が冠されているのは、ここから採られているのだと推察されます。

>怪獣の改変や過度なアレンジはいけないというが、それは製作者が今現在に生きていたらということを考えていない。

 ウルトラにしろゴジラにしろ、オリジンである「アーケスタイプ」を徹底的にイジりまわし、改変を繰り返すのは、そうした過去に大きな実績を持つの人気キャラクターに依拠せねば作品作りが出来ない現今のクリエーターたちの力量の無さを示すものです。新たな人気キャラクターの創造を諦めてしまった企業なり作り手なりに問題があるのであって、そこに円谷さんの名前を持ち出すこと自体が不遜な気がしてなりません。
 確かに「新しもの好き」の円谷さんは、ゴジラをもっと俊敏に動かしたい意向を持たれておりましたが、それとてシラスをカラスと言いくるめるような昨今の改変とは別物の筈です。円谷さんご自身、ゴジラは6作品撮った時点で飽きてしまい、後進の有川さんに譲られておりますが、マンネリを感じた時点で「核物質を吸収する」とか「怨霊の塊り」だとか「口が裂けて尻尾から光線を打つ」だとかいったキャラそのものの改変は一切試みていないことを考慮しべきです。

>水爆で倒せない生物など理論上存在しない。どんな物質も数百万度の高熱で蒸発してしまう。

 につきましては、確かにゴジラ対策を尋ねられた山根博士が「水爆の洗礼を受けながらも」といった台詞を吐いておりますが、博士がゴジラの生命原理に興味津々である点から見て、この洗礼という言葉は核爆発の直撃であるよりも、むしろ初期放射線やダウンフォールによる被曝を意味しているように受け取られます。
 後の【キングコング対ゴジラ】や【三大怪獣 地球最大の決戦】などでゴジラに対して核兵器の使用が示唆される場面があるのは、やはり作品世界の中でも原水爆の直撃であるならば「効果あり」と認識している顕われであり、それでも行政が核兵器使用を選択しない良識や道義が描かれているのが昨今の作品と大きく異なる点でしょう。
 
 以上、例によって取り留めのない話になってしまいましたが、私の見解は以上の通りです。
 

Re:訂正 - 海軍大臣 (男性)

2018/03/17 (Sat) 08:36:27

☓ダウンフォール→〇フォールアウト

私の意見 - エクセルシオール (男性)

2018/03/17 (Sat) 20:40:03

 以下に私の見解を述べさせていただきます。


>水爆で倒せない生物など理論上存在しない。どんな物質も数百万度の高熱で蒸発してしまう。
そのような怪獣は非科学的でリアリティがなく、リアリティを出すなら『シン・ゴジラ』のように核で倒せるようにしなければおかしい。

 怪獣とはもともと超常の存在である。ゆえに水爆で倒せないとしても、何の問題もない。それをリアリティがないと批判するのは筋違いである。第一、リアリティを追求するのならビームを出したりするシン・ゴジラだって立派にリアリティがないことになるはずである。
 それに創作物における「リアリティ」は、物語の作風や内容にもよるが、ストーリー上のもっともらしさがあれば充たされる。また、作品のテーマや理念、面白さ等との兼ね合いの上で追求されるものである。


>怪獣の改変や過度なアレンジはいけないというが、それは製作者が今現在に生きていたらということを考えていない。
円谷監督は新しい物好きだったと聞く。年月が過ぎれば新たなアレンジや改変を受け入れた可能性を考慮すべきだ。

 キャラクターも「生きもの」である以上、改変やアレンジが全く許されないとは言えない。しかし、ものには限度がある。何でもかんでも改変してよいというのであれば、もはやそのキャラクター(ゴジラやウルトラマン等)とは言えなくなるであろう。それならば新しい名前のキャラを創るべきである。
 なお、例外的に劇的大改変が許されるのは明白にパロディであると分かる場合等である(例えば『すすめ!ゴジランド』)。なぜなら元ネタとは異なる換骨奪胎されたものであることが誰の目にも分かるからである。


>『ゴジラ』は怪獣の倒し方という観点から見ればつまらない映画だ。都合よく海底でじっとしているゴジラをオキシジェンデストロイヤーで消滅させるだけで紆余曲折もない。オキシジェンデストロイヤーが出ているのに山根博士たちが乗っている船に効果がないのは特にご都合主義。
最近の怪獣映画の怪獣退治のご都合主義を批判するならこれも批判しなければおかしい。

 紆余曲折はオキシジェンデストロイヤーの使用までに十分示されている。重要なのはゴジラを倒せるか否かではなく、水爆以上の悪魔の技術を世に放ってしまうか否かである。そのために芹沢博士は悩んでいたのである。また、実際に使用する時も、芹沢は同行した尾形を送り返し、自分はオキシジェンデストロイヤーの秘密を葬り去るために自害してしまった。これのどこがつまらないのか。
 また、『ゴジラ』(1954)におけるオキシジェンデストロイヤーは水中酸素破壊剤である。将来はともかくあの時点では水中外にいる無生物にはさしたるダメージを与えるものではなかったと解釈できる。『ゴジラVSデストロイア』でデストロイアが出していたオキシジェンデストロイヤー・レイは、確かに場所を問わない威力があったが、それは怪獣の超能力となったためと解釈できるだろう。


>文明が野生の怪獣に負ける物語を称賛するなど悪趣味。その野生の怪獣に罪のない人々が大勢殺されていることを考慮しているのか。怪獣側の肩を持ちすぎている。

 一理はある。しかし、これは作品の内容やテーマによって左右されることであり、一般化はできない。特に野生の怪獣となると、人間社会によって住処を追われて現れることも少なくない。ならば、その怪獣をただ単純にやっつけて万歳万歳することには躊躇を覚えるであろう。
 また、怪獣は人間の愚かさを戒め反省を迫るためのキャラクターであることもある。その場合は人間が勝ってしまったら、その役割を果たせなくなる危険性がある。
 
 以上が私の考えた回答です。参考になれば幸いです。

たくさんのご投稿感謝します - なんじぇい (?)

2018/03/17 (Sat) 22:14:28

皆様の投稿を読ませていただきました。
海軍大臣様とエクセルシオール様の回答が、それぞれ結構違うのが興味深いですね。

一番頷かせてもらったのは、エクセルシオール様の
>紆余曲折はオキシジェンデストロイヤーの使用までに十分示されている。重要なのはゴジラを倒せるか否かではなく、水爆以上の悪魔の技術を世に放ってしまうか否かである。

でした。ドラマ面では全くその通りだと強く頷かせてもらいました。
しかし困ったことに大抵の人々は、怪獣を倒す奇策やアクションばかりを追求し、人間ドラマをあまり重視しない傾向があるようです(刺激重視の傾向がそこには見られます)。



さて、どうしても書きたいので『シン・ゴジラ』について少し書かせてもらいます。
最近は私は『シン・ゴジラ』についての議論はしないようになりました。
というのも、あの映画のファンは反論しても脳内補完か聞いたこともない裏設定(真実か嘘かの判別もできない)ですぐさま反論してくることが多く、もう延々と地獄絵図になることがわかりきっているからです。
最初は対抗するため裏設定の本を読んでいた私ですが、わざわざそこまで好きでもない作品の本を読むのもバカらしいと感じてやめてしまいました。(ちなみにビームを出す方法も『シンゴジラの科学』にちょこっとのっていたり)
今の私のスタンスとしては「シン・ゴジラが好きならそれでかまわない。裏設定での辻褄合わせで矛盾やリアリティのなさも補完できるのかもしれない。しかし私は、作品を理解するために多数の本を買うことを要求したり、脳内補完を多数要求したり、『グリッドロック状態』など意図的に難しい単語を使いまくったりする不親切極まりない作品は好きではない。これは好みの問題なので申し訳ないが、これ以上は『シン・ゴジラ』の話題はしない」です。
もう好き嫌いの話ですが、そう言ったらほとんどの人が納得してくださりました。



そして最後に、一番興味深かったことを。
海軍大臣様が『ゴジラに水爆は効果があるのではないか』という趣旨をおっしゃっているのに対し、エクセルシオール様は『水爆でも倒せないのではないか』という趣旨でおっしゃっていることです。
これ、どうなんでしょう。初代ゴジラや2代目ゴジラは水爆で効果はあるんでしょうか。(疑問になってしまい申し訳ない)
ちなみに私の見解を書いておくと、倒せるかどうかはわからないが効果はあるのでは? という感じです。
理由としては、『南海の大決闘』のラストで原子爆弾による島の爆発から明らかにゴジラが逃げているように感じることですね。
また、『ゴジラの逆襲』で空爆で少しゴジラが痛がっている様子があるため、じゃあ水爆はもっと効くんじゃないの? と。

とりとめのない投稿になってしまいましたが、今のところはこのような感想です。

Re: 改めての見解です - 海軍大臣 (男性)

2018/03/18 (Sun) 00:02:35

なんじぇい様の書かれた、

>海軍大臣様が『ゴジラに水爆は効果があるのではないか』という趣旨をおっしゃっている

 の部分ですが、正しくは「効果があると作品世界の中の人間(一部)が認識している」だけであって、私としては「効果がある」との断言はしておりませんので訂正させて頂きます。
 昭和シリーズ中にも「ゴジラに対して核兵器の使用も止む無し」ですとか「ゴジラやラドンに対して、核兵器を使用せよという勇気が御座いますか」とか「世界中の核兵器を動員して防衛する」といった台詞が散見されますが、それでも実際には使用を選択しないのが作り手側の良識でありますし、ゴジラの出自から来るテーマ性から考えてみれば「核兵器で倒されてはいけない存在」でもありましょう。
 ですからエクセルシオール様の云われる、

>怪獣とはもともと超常の存在である。ゆえに水爆で倒せないとしても、何の問題もない。

 とのご意見につきましては、私も全面的に賛成です。

 また、ご指摘にある、

>『南海の大決闘』のラストで原子爆弾による島の爆発から明らかにゴジラが逃げているように感じることですね。

 の部分ですが、御存じのように同作品は本来【キングコング・ロビンソンクルーソー作戦】として企画されたものなので、主役怪獣のコングがそっくりゴジラに書き換えられた経緯がありましたので、そのときのストーリー展開が訂正されないまま残されてしまったものではないか、と都合よく考えております。

Re: 書き忘れましたが… - 海軍大臣 (男性)

2018/03/18 (Sun) 00:12:42

 田中友幸さんが準備されていた数々の復活ゴジラのストーリーの一つに、ビキニ環礁に誘致したゴジラに戦術核弾頭付きの巡航ミサイルを撃ち込んで抹殺したつもりが、その爆発エネルギーを吸収して更に強大な姿で人類の前に現れるところでエンドとなる、というのがありました。
「核物質をエネルギー源とする」との設定改変が見られる点こそありますが、これが「ゴジラに核兵器は有効か?」との疑問に対しての作り手側の回答ではないか、とも考えられるのですが。

なるほど…… - なんじぇい (?)

2018/03/18 (Sun) 11:45:36

確かによくよく読んでみたら、核兵器云々の海軍大臣様の見解は私の勘違いでしたね。申し訳ありません。
また、そのような没シナリオがあることははじめて知りました。ご教授有り難うございます。

私としても、ゴジラを核兵器で倒してしまう、また倒せてしまうといったことは海軍大臣様のおっしゃる通り、テーマ性の否定に繋がってしまうためによろしくないと感じています。

なお私の挙げた最後の反論(文明が野生の怪獣に…)につきましては、エクセルシオール様の意見ももっともですが、私としては双方の意見を取り入れた怪獣映画を作ることがもっとも大事だと考えています。
その点『ゴジラ』では反論者の意見も尾形が代弁しており、改めて素晴らしい、良く考えられた映画だと感じる次第です。

没シナリオについて - エクセルシオール (男性)

2018/03/18 (Sun) 20:36:14

 海軍大臣さんが挙げられていた『ゴジラ』(1984年)の没シナリオですが、確か『ゴジラ 東宝特撮未発表資料アーカイヴ プロデューサー田中友幸とその時代』(角川書店)に収録されていたはずです。
 記憶をたどれば、三原山で終わりにならずビキニ環礁に戻っていたゴジラを倒すため、アメリカとソ連が手を組みそれぞれ大艦隊を派遣します。戦いの果てに、アメリカが新型の核爆弾を使用してゴジラは死んだかと思われたのですが、再び姿を現すという落ちでした。
 なお、シナリオでは戦術核弾頭とか3キロトンとか書いてあるのですが、それではビキニ環礁の水爆実験(10メガトン)よりはるかに弱いことになってしまいます。それなのに仮にこの核弾頭が東京で爆発すれば、東北まで吹っ飛ぶとも書いてあり、明らかに矛盾します(30メガトンは必要だろう)。これは誤植が訂正されないまま収録されてしまったと思われます。

 それから、『三大怪獣地球最大の決戦』も脚本段階では映画とはかなり異なるのですが、復刻版(『日本特撮技術大全』(学研)の付録)を読んだところ、日本列島に住む人を全員避難させた後に、核兵器でゴジラ、ラドン、キングギドラを攻撃するプランが述べられている場所がありました(日本単独でできることでは当然ない)。列島全部を焼き尽くすほどの核攻撃が提案されていましたが、人類の生存自体が危うくなるという理由でその不可能性が匂わされています。

勉強になります - なんじぇい (?)

2018/03/18 (Sun) 21:42:58

エクセルシオール様ありがとうございます。とても勉強になります。
お返しといってはなんですが、私も『シン・ゴジラ』について水爆の件で1つ……

実は『シン・ゴジラ』は、初期原案では「核兵器を使用した場合、更なる変態を促す可能性がある」といった言及があったのです(ジ・アート・オブ・シンゴジラから)。
つまりこの件に関しましては、シン・ゴジラは初期原案の時点ではこれまでのゴジラとそれほど変わってはいなかったのです。
しかし完成稿や劇中ではその下りはバッサリと削除されているため、本編を見る限りでは恐らく核兵器で倒せてしまうのではないかとしか読み取れなくなってしまっています。


なぜ削除されたのか? 物凄く好意的に解釈すれば、劇中の巨災対もゴジラを核兵器で倒せるという固定観念があるのかもしれません(そう擁護している人が過去にいました)。
ですが、私には庵野氏や製作スタッフがリアリティを重視するあまり、エクセルシオール様のおっしゃる「怪獣とはもともと超常の存在である」という大前提を忘れてしまったとしか考えられないのでした。
製作者側も、ゴジラというもの、もっと言えば怪獣というものに対してよくわかっていなかったのかもしれないですね。

Re: 蛇足になりますが… - 海軍大臣 (男性)

2018/03/19 (Mon) 00:05:00

【南海の大決闘】にしても、また核兵器使用を巡る台詞が見られる前述の3作品にしても、よくよく考えてみますと、これみんな関沢新一さんによるシナリオなんですね。
 勝手な想像になってしまいますが、事によると関沢先生のイメージする核兵器とは、作品世界内の一部の人間が「これならばゴジラを倒せるかもしれない」と判断してしまう程の(実際に倒せるという意味ではありませんよ)恐るべき威力を持つ存在だったのかもしれませんね。だからこそ、決して使ってはイケないものなのだ、という論調に繋がるのでしょう。(ただしレッチ島では実際に使われてしまいましたが…)
 また、小川英さん脚本の【決戦!南海の大怪獣】も海外資本との合作として企画されていた当初は、最後にセルジオ島を核攻撃して怪獣たちを(と云いますか、例の宇宙生命体を)殲滅するという、随分乱暴なラストが用意されていたと聞きますが、実際には完成作品に見られる形に落ち着きました。
 以上のことから考えてみても、当時の東宝作品には、やはり原水爆の使用に対して非常に神経質になっている部分が散見されるようです。前掲した復活ゴジラのストーリーがボツになったのも、そうした理由からなのかも知れません。
 そこでふと思ったのですが、このストーリーの作者は、「核爆発を吸収して更に強大な姿に変貌を遂げたゴジラが出現する」という大オチを遣りたいが為に、これまでのシリーズには見られなかった「核物質をエネルギー源とする」という設定改変を行ったのではないでしょうか? ところが流石に核攻撃の場面が問題視されてNGとなり、改変された属性のみが意味なく次のシナリオに残ってしまった、とも考えられるのですが…。まあ後日、この辺りはキチンと検証してみたいと思います。

 また、こうした問題に付随して思い出されるのが、田中友幸さんが映画化を望んでいた小松左京原作の【見知らぬ明日】というSF小説です。これは米ソ冷戦時代を背景にして、宇宙人の全世界規模での侵略を実にシリアスに描いた作品です。(ID4をイメージしたら大間違いで、【日本沈没】や【復活の日】にも通じるポリティカルフィクションの色合いが非常に強いと思います)
 この作品の凄いところは、まず侵略してくる宇宙人の情報が殆ど読者に与えられないことです。姿かたちは勿論、侵略の目的も何処の星から来たのかも分りません。でも、それが却って読み手に異様なリアリティを与えてくれます。
 それともう一つ特徴的なのは、人類の保有する通常兵器では全く歯が立たず、唯一打撃を与えられるのが核兵器であること。勿論、小松左京さんのことですから、これを安直に設定した訳ではなく、人類を破滅させるかもしれない最終戦争の道具に縋りつかねば生き残れない、アイロニーとしての意味合いが込められているのです。
 結局、最後は宇宙人が橋頭保として地歩を占めるヒマラヤやアンデス、チベットといった高山地帯(低気温を好むらしく、高い山々に侵略基地を設けている設定です)に向けての全面核攻撃が開始され、日本も富士山頂に存在する敵基地に対するメガトン核の使用が決定したため、首都圏から短時日の内にすべての住民を避難させることとなり(当然、事故などで何万という犠牲が出てしまいます)、まるでゴーストタウンのような無人の繁華街に立つ主人公が、水爆によって間もなく姿を変えてしまうであろう富士山を眺めながら、「見知らぬ明日」の到来を戦慄とともに待ち受ける場面で話は締めくくりとなるのです。
 もし、実際にこの作品が原作の通りに映画化されていたとしたら、東宝がこれまで特撮映画の中では避けてきた「人類の敵に対する原水爆の使用」が描かれていたことになります。果たして田中友幸さんがそうした辺りをどのように処理し得たものか、是非この眼で確かめてみたかった気がしてなりません。

Re: 感謝感謝 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/19 (Mon) 19:21:25

 週末オフラインの生活ですっかり乗り遅れてしまいました。

 なんじぇいさんが教えて下さった過去の怪獣映画への難癖その他については、海軍大臣さんとエクセルシオールさんの見解に私も全面的に同意です。
みなさんからの実のある質問、回答、情報の数々、本当にありがたいです。
 時代遅れと見なされがちなBBSですが、こういう深いやりとりは掲示板システムでないとちょっと出来ないですよね。
(そんなこんなで巨大掲示板も存続しているのでしょうけれど)

 もう私から付け加えることもないです、と言って締めちゃうのは気がとがめるので少しだけ私の考えを付け足します。

 ゴジラと核兵器。
 私も怪獣ゴジラが背負っているテーマ性から考えれば、水爆の直撃を食らっても死なないのだろうと考えております。
それでも劇中でゴジラに対して核攻撃を行い、ゴジラが死なないことをはっきり見せるのが得策かどうかちょっと迷います。
 海軍大臣さんがおっしゃるように、過去の作品でも核兵器使用の可能性を匂わすセリフはありつつ、劇中で使われることはありませんでした。
(レッチ島は赤い竹の自爆で、敵を倒すためではなかった)
これは、核兵器とは絶対に使ってはいけない兵器である、という認識が作り手にあったからではないかと思いました。
 いかなる理由があろうと核は使わない、という観念があれば、たとえ相手が怪獣であっても劇中で核を使うのは御法度となるでしょう。
(劇中で悪がなされた結果、核攻撃が行われてしまう、という展開はあるかもしれません。その場合は、核兵器の恐ろしさを完全に描く必要があります。
熱線や爆風だけでなく、放射線による被害の実態にまで踏み込まなければ無意味です。その点ギャレス版はまるでダメ夫だった)

 それから、ゴジラが水爆でも死なないとしても、彼の痛覚は別問題であろうと考えています。
機関銃や大砲で撃たれれば、それなりにかゆみや痛みは感じるのが当然と思います。とくに電気でしびれるのは結構苦しいのだろうな、と想像しています。
初代ゴジラの高圧電線への反応や二代目が電線を回避して東京を迂回したり、帯電ネットでのたうち回ったりするのを見れば電気が弱点とも言えそうです。
けれども、痛いからと言って死ぬとは限らないしケガの程度もわかりません。
 ですから、海底洞窟に居たかもしれないゴジラたちが水爆の直撃を受けたのだとしたら、相当に苦しい思いはしたのだろうと想像できます。
山根博士がゴジラに光を当ててはいけない、と言うのは、水爆の光を見たゴジラはそのときの苦痛を思い出し、光に対して怒るはずだという推論からでしょう。
でもダメージがあったのかどうかは不明です。放射線でものすごく頭が痛くなっただけかもしれないし。
 少なくとも円谷時代のゴジラは痛がりはしてもケガはしていないんですよね。キングギドラの光線を当てられてもケガはしていない・・・。


 怪獣映画で怪獣に同情する件
 岡目八目という言葉があります。当事者より部外者のほうが物事を正しく見られるという意味ですね。
映画の視点は、よほど特殊な場合を除いて客観視点です。主人公の視点だけに固定することはありません。
映画とは、岡目で物を見ている状態なんです。
 シーンによって立脚点が変わることはありますが、観客は岡目を持って鑑賞しているはずです。

 よく出来た怪獣映画なら、人間と怪獣双方の立場を伝えているはずです。
 人間は怪獣によって被害が出るから怪獣を排除しようとします。これはもちろん正しい行為です。
 では怪獣はどのように振る舞うのでしょうか? 彼らはただ生きているだけです。しかし、大きい。だから移動するだけで人間社会に被害を与えている。
そこに悪意がなくても人間を死なせている。さて、怪獣は罪悪感を感じれば良いのでしょうか? 人間のような小さい生き物をいちいち意識して歩いていられますか。
それなのに、人間達は攻撃してくる。応戦するのが当然ですね。

 人間と怪獣、両方に感情移入して見るのが、正しい怪獣映画鑑賞法です。
 そうなると怪獣が殺されるのが正しいとは思えなくなるはずです。
 これが、人間存在を相対化する視点です。
 そして、人間と怪獣双方を客観視することでより広い視野を獲得できます。

 人間と怪獣が対立する物語構図の中で、人間にしか共感できないとすれば、それは自己が所属する集団しか尊重しない態度と言えます。それがまずいのは言うまでもないでしょう。
(ガメラシリーズにおいて、人間に害を為す怪獣をガメラが殺してしまうのは、実はちょっと気に入らない・・)

 ですから、近年の作品にありがちな、人間を滅ぼすことが目的のような怪物は怪獣としては不純だと思っています。その発想は、まず人間ありきで人間の敵として怪物を想定しているからです。
これでは人間存在を相対化することは出来ない。

 というのが基本ですが、エクセルシオールさんが指摘しているように、作品毎に描く内容の比重は変わらなければなりません。怪獣が巻き起こす人間にとっての悲劇と人間に攻撃される怪獣の悲哀をどのような比率で描くかは千差万別ということが言えます。
 それはそれとして、断じて文明が野生に負ける物語を否定してはいけない。人間は文明を持ち得たことの意味を常に考察しなければならない。


 円谷英二はこうしたはず、とすぐ言いたがる輩
 私も頻繁に円谷英二の名前を出してしまうのですが、それは円谷英二が何をやったか、という文脈がほとんどのはずです。
ところが、イタコの能力があるのかどうか、円谷英二はいまならこうしたはずだと軽々しく言っちゃう人がいるのは困りものです。

 昔聞いたのは、円谷英二は若者のチャレンジには寛大だったから、キャラクター改変も許しただろう、てな意見でした。
(こっちのほうが「新しもの好きだったから云々」よりはまだ筋が通っている。既存のキャラクターを改変する問題と新奇な物が好きという気質はリンクしない)
 そういう人々は円谷英二の評伝やエピソード、本人の発言・文章をどれだけ読んでいるんでしょうね。
 勝手なことを言うな、というところです。

 そして海軍大臣さんがおっしゃるとおり、円谷英二がゴジラの面倒を見た約15年間(うーん、途中でゴジラに飽きたんでしょうか)に外見のわずかな変化(改変ではない)以外は、なにも変えていないという事実から、
円谷英二は一度作り上げたキャラクターをころころ変えることはしないだろうということが言えます。
『ゴジラの逆襲』から『キングコング対ゴジラ』の空白の7年を挟んでも改変していないのですよ。

 以上だぜぇ。(結局長いや)

私からも感謝を - なんじぇい (?)

2018/03/19 (Mon) 19:44:09

皆様の意見、本当にタメになりました。多くのモヤモヤが晴れ、今のところは完全にスッキリした気持ちです。
改めて親切な回答有り難うございました。

レスのつもりの長話(すんません) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/12 (Mon) 18:35:50

 毎度の遅レスで申し訳ないです。ご質問その他にお答えいたします。
すごく長くなってしまい、元記事の話題からも離れてしまったので、新規記事にしますが、本来はエクセルシオールさんの2018年3月3日「レジェンダリー版ゴジラ第2作目」記事へのレスのレスのレスのレスの・・・レスです。

『決戦!南海の大怪獣』については、これまで書いてきた「怪獣映画」としては境界作品だと思っています。
ストーリーの主眼は宇宙生物と地球人の戦いであり、怪獣たちは宇宙生物の道具にされていて、怪獣と人間の相克という話ではありません。
怪獣が呼び物ではあるけれど、ストーリーの鍵にはなっていない。
 つまり格下怪獣と言えるんです。それから、作品の成立背景を考えるとゴジラに代表されるそれまでの怪獣映画の系譜から離れた物を作ろうという意図から始まったのですから、
「怪獣映画」から離れようとするのは当然で、ゴジラやラドンとは違うんだよというあたりが怪獣の弱さに繋がったんじゃないでしょうか。
そういう意味で例外的怪獣映画の一つでしょう。

 芹沢博士が怪獣に近い存在感を放つのは、背負う物が深い・重いというだけではなくて、社会からはじき出された存在だからです。
怪獣がなぜ社会から攻撃されるのか? 簡単に言って、いるだけで迷惑だからです。人間社会には容れられない存在であることも正統な怪獣の条件でしょう。
(人間に愛される怪獣もいるけれど、そんな怪獣は正当派怪獣映画の主役にはならない)
 芹沢の苦悩すべてを『ゴジラ』では伝えていませんが、オキシジェンデストロイヤーの発見によって、その秘密を守るため自ら世捨て人になり、
さらには愛する恵美子を(どうやら)尾形に取られてしまった人物です。彼を受け入れてくれる場所はもうないのです。
ゴジラと比べたとき、この人間社会には居場所がない者、という共通項が大きいです。
 大自然の象徴かつ核兵器の象徴たるゴジラに一人の人間が対抗するには科学の終極を象徴するようなオキシジェンデストロイヤーだけでは足りなくて、絶望した世捨て人(芹沢)まで一緒にならないと戦えなかったとも言えます。

 怪獣対決の場合はすでに双方が怪獣(同じ土俵に立っている)なのですから、それぞれのバックボーンが似ている必要はないと考えています。

続いて
 私はモンスター映画と怪獣映画を区別しています。

 異形の者が登場すればモンスター映画にはなり得ます。
怪獣映画はもっと狭いジャンルです。日本の怪獣はTVシリーズにも展開したため非常にバリエーションが多く、怪物・モンスターとの区別が難しいものがたくさんありますが、
怪獣と聞いて一般的にまず想起するのは「大きい」ということでしょう。

以下  http://www.geocities.jp/k_ghidorah/gmk/gmk01preeigasai01.htm  2001年10月29日記事からの引用*********************
(前略)
巨大な怪物が現れて脅威となる、という物語の魅力となると、やはり人間誰しもが持つ、「大きさ」への憧れや「強さ」を求める心を満足させるからでしょう。
それから、破壊スペクタクルの快感もあるでしょう。
このあたりが年少者への「惹き」を強くする要素でもあると思います。
子供(といっても、その定義をはっきりしないと議論にはならないのですが)こそ、大きくなりたい、強くなりたいと思うものですから。

しかし、ただでっかい怪物が現れるだけでは現実離れしていて、世慣れた大人たちには受け入れがたい設定になってしまいます。
そこで、太古の恐竜が生き残っていたとか、放射線の影響で巨大化したなどという理屈付けが必要になってきます。
そして、物語の締めくくりとして怪物は倒されるのが通常でした。
(怪物を倒すために、その性質や生態、弱点などが劇中で分析される)

そんな怪物映画の系譜に超特大のブレークスルーをもたらしたのが、『モスラ』ではないかと考えています。

巨大怪物の物語が、常に最後には怪物が倒れることで決着をつけるなら、それは「大きさ」や「強さ」への憧れをきちんと満たすものにはならないわけで、
モスラにおいては怪獣は倒されることなく自分の世界に帰っていきます。
そんな物語を成立させるために、『モスラ』では人間側に明確な悪役がいて、モスラが倒されてはいけない、という構造を作り出すことに成功しています。
(あ、『怪獣ゴルゴ』のほうが『モスラ』より先だ!怪獣が死なない物語の先駆は洋画にありかぁ)

ただし、『モスラ』の物語にもいまいちな部分がありました。
それはモスラが小美人とテレパシーで繋がっていて、小美人の動向がモスラの意志を左右してしまうことです。
これでは、「人智の及ばぬ」という要素を完全に満たすことが出来ません。
たとえモスラ退治が不可能であったとしても、小美人を通じてひょっとするとモスラをおとなしくさせることも可能なのです。
人の言うことを聞いてしまっては、「強さ」の表現として弱いです。
(強いということは、屈しないということを含んでいて、誰の言うことも聞かない、というわがままさにも繋がるでしょう)

そんな風に展開していった怪獣映画がひとつの到達点を見いだすのが、『キングコング対ゴジラ』であったはずです。

怪獣は倒すことが出来ない。そんな怪獣の出現と退場を物語にまとめるには怪獣同士が闘って決着をつけることで、その対決の結末をストーリーの結末として組み立てる方法があったのです。
(まあ、キングコング対ゴジラでは勝ち負けははっきりしないのですけど)

この怪獣対決路線にはアクション映画としての要素も加わることになります。
巨大怪獣が闘争する映像には肉体の躍動感も取り入れる事が出来ました。

私としては『キングコング対ゴジラ』で出来上がったフォーマットはまだまだ通用すると考えています。

科学技術の進歩で生活が便利になり、自然界の謎もつぎつぎと解かれていますが、それでも人類の知識や技術は大自然を完全に理解したり制御する事は出来ません。
そんな現実を極めて象徴的に表現できる「怪獣映画」は21世紀に入っても十分通用するのではないでしょうか。

人類の科学が通用しない存在が怪獣である、という理念に基づけば科学理論で説明出来なくていいし、科学で説明出来る程度のものでは怪獣としては不十分となります。
しかし、ここで間違ってはいけないこととして、科学で説明できない=心霊現象ではないということ。
あくまでも解明し尽くされていない自然現象としての怪獣ですから、心霊という考え方を持ち込むことでその存在が大自然ではなく、人間の不思議という領域に押し込められてしまいます。

『ゴジラ』(84)以降の怪獣映画は、改革を謳いながら実は退化しているだけだと思っています。(惜しい作品もあると思うけど)
怪獣映画に変革を起こすなら、怪獣映画の特質を理解し、それを深化・展開させなければいけません。
(後略)
引用終わり(改行や読点など少し修正しました)*******************************************

 私が怪獣映画の基本として、怪獣が人間に殺されてはいけないと考える理由の一端です。(16年以上昔の原稿なので、いまなら別の言い回しをするなぁというところもありますが)
たとえ未来科学だとしても、オキシジェンデストロイヤー並みに不可解(クラーク流に言うと魔法と区別が付かない)かつストーリーのテーマを背負ったものでないと怪獣を倒すのはダメじゃない?と思います。
(これも格下怪獣ならそこまで厳しく考えませんが、スター怪獣にはダメよと)

 そこで、レジェンダリー版にオキシジェンデストロイヤーが登場するとなると、もう不安しかないですよ。
『ゴジラvsデストロイア』での扱いがギリギリセーフじゃないのかなぁ?? 
 どこかの孤独な人間がオキシジェンデストロイヤーを知っている、使う、だと『ゴジラ』と同じだし、
もし、怪獣対策として科学者グループなんかが発見・発明したなんてことになるなら、人類の英知が怪獣を倒しました、になっちゃうかもよ。

 オキシジェンデストロイヤーの構造が二種の原爆の構造を合わせたような形をしているみたいだ、なんて、まー普通じゃ気がつきませんよ~。
たしかに中央に球形のものがあり、そこにシリンダーのようなものがくっついているのですから、言われてみれば、それがイメージの源泉かぁぁぁと目から鱗なんですが・・。

 原爆の構造図はいままで何度か目にしてはいるはずだけど、さすがにオキシジェンデストロイヤーと結びつけて考えはしませんでした。
まだまだ気の張り方が足りないなぁ。

大体納得しました、最後の質問です - なんじぇい (?)

2018/03/12 (Mon) 19:26:42

ありがとうございました。芹沢博士の件、完全に納得しました。
>芹沢博士が怪獣に近い存在感を放つのは、背負う物が深い・重いというだけではなくて、社会からはじき出された存在だからです。
は目から鱗でした。

つきましては最後に、いくつか質問をさせてください。

①>人間に愛される怪獣もいるけれど、そんな怪獣は正当派怪獣映画の主役にはならない
とおっしゃっていますが、昭和ガメラや平成モスラはどう考えておられるのでしょうか。正統派ではないということなのでしょうか。

②怪獣映画の魅力として、「弱者である人間が、強者である怪獣を知恵と科学を振り絞って倒す」という弱者が工夫して強者を倒すという方面での楽しみ方をしている人は多いと思うのですが(私も若干その傾向はあります)、そういう見方はどう感じますか?
つまり『ゴジラの逆襲』の氷山生き埋めや、『シン・ゴジラ』のドローンで誘導させて建物を倒壊させてダメージを与える……などの倒すための工夫を楽しむことです。
簡単に言えば「こんなやつどうやって倒すんだろう」という楽しみ方です。
『シン・ゴジラ』ではそこを面白いと評価している人がかなり多かったため、怪獣の意外な倒し方を期待している人は少なからずいるように思えます。

最後の質問の補足 - なんじぇい (?)

2018/03/13 (Tue) 00:19:13

最後の質問の「弱者である人間が工夫して強者の怪獣を倒す」という楽しみ方は、古くにはヘラクレスのヒュドラ討伐、または日本神話スサノオのヤマタノオロチ討伐(ヤシオリ作戦の元ネタですね)のくだりなどからあるように思います。
怪獣映画もその延長線上にあるものもあってもいいんじゃないかと少しは思ってしまうのですが……その辺りはどうでしょう。


書き忘れましたが『決戦!南海の大怪獣』に関しても、これも納得しました。理路整然とお話ししていただきこちらとしてもすんなりと頭に入ってきます。

Re: レスのつもりの長話(すんません) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/14 (Wed) 19:16:03

 もろもろのこと、ご納得いただけて良かったです。ありがとうございます。

 で、ひとつ定義をはっきりさせていなかったことの補足です。
私が考える正統派怪獣映画とは、野生と文明の衝突を基本とし、文明が野生に敗れる物語(これはグレーゾーン)ということになります。

 初めのご質問について。

 文脈から伝わると思ったんですが、うまくいかなかったみたいで申し訳ないです。

「人間に愛される~」という表現はその上の文章「人間社会には容れられない存在であることも正統な怪獣の条件でしょう。」を受けてのもので、
誰か個人に愛されるという意味ではなくて、人間全般に愛される、つまり社会的に受け入れられるという意味でした。
 その意味では、ガメラも平成モスラも社会的に受け入れられている存在とは言えませんから「人間に愛される怪獣」とは思っていませんでした。
私がイメージしたのは、ブースカやダイゴロウでした。(あ、ブースカは快獣か。『怪獣大奮戦ダイゴロウ対ゴリアス』は怪獣が社会に受け入れられるか?というのもテーマの一つであった)

 ただし、正統な怪獣映画かどうかという話は別の要素も含まれてくるので、ガメラシリーズに関しては作品毎に真っ当な怪獣映画であったものからかなり異端なものまでさまざまだったと考えています。
 平成モスラシリーズは、すべて怪獣映画の変化球だったでしょう。

 二番目のご質問

 これまでの発言の端々に私の考えはちりばめられていたとは思うんですが、いちおうまとめてみますね。

 怪獣の倒し方を楽しむのは、ごくごくまともな見方だと思いますよ。
それが怪獣映画の発祥とも言えますから。
 ですから、昔ながらの怪物退治形式の怪獣映画が出てきてもいいと思います。

 ただ、現代において、怪物・化け物の類いではなく、いわゆる怪獣というアイテムを使って怪物退治をやってみせるのは、いささか古いな、と思います。
(怪獣の定義が難しいところなんですが、人間の変形ではなく、怖さがあっても不快でなく、さらにより正統な怪獣としては野生動物である、という基準も必要かと思います)
というのも、科学技術を獲得した人間は自然界に対してもはや弱者とは言い切れない存在になってしまっていて、人間の活動が環境破壊を引き起こすこともしばしばです。
怪獣出現に対して、個人は無力でも集団(社会)としての人間なら打ち勝てる、というのが初期の怪獣(怪物)映画の基本でした。
そこには大自然も征服可能という観念を読み取ることが出来ます。

 それに対して、確信犯か偶然か、人間に倒されない怪物(日本的怪獣)というものを打ち出したのが、日本映画の偉大な発明だったと思っています。
monsterと区別するためにkaijuが英単語化しつつあるのも日本の怪獣がそれまでにない概念を含んでいたからではないかと推察します。

 私が長年主張しているのは、せっかく日本映画界が発明した、怪獣は人間には倒されないという物語形式を捨てることはないだろう、ということで、
その効能はいろいろありますが、観客の感性に「人間を相対化」する感覚を植え付けることも大きいと考えています。
 怪獣が人間には負けないことで、劇中での存在の優先度と申しましょうか、怪獣が征服されるべき存在ではなく、人間と並び立つ者(ないし人間より優先される存在)
であるという感覚を作り出すことが出来ていたと考えています。(観客が怪獣にも感情移入できるようなストーリー、演出が施される)
 さらに、科学万能というおごりをたしなめる効果も出せます。

 この感覚は環境保護だったり動物愛護の感覚にも繋がっていくと思われます。(芸術表現としてけっこう高尚じゃないかと思う次第)

 他の方がどうなのか想像するしかないですが、私は怪獣映画でさまざまな対怪獣作戦が考案されるとき、この作戦を怪獣はどのように破るのだろうという楽しみ方をします。
バルゴンなんかは、そのあたりかなりのやり手でした・・・。

 ちょっと横道にそれましたが、倒されても仕方がないと思わせるような新怪獣を使って怪獣退治物語をやるのは構いませんが、かつてのスター怪獣(人間には負けない、が前提だった)を引っ張り出して
人間様がそれを退治してしまうような作品は、どうにもイヤですね。
『ゴジラの逆襲』でゴジラが氷詰めになっておとなしくなるのは、ぎりぎりの選択だったのだと思っています。初期作品であり、怪獣を鎮圧して終わることしか考えつかなかったのだろうと想像しますが、
その当時でも原作者たる香山滋さんは、「ぼく自身でさえ可愛くなりかけてきたものを、これでもか、これでもか、と奇妙な化学薬品で溶かしたり、なだれ責めにさせたり、今もって寝醒めはよろしくない」
と述懐しています。(「『ゴジラ』ざんげ」より)
 もうひとつ付け足すと、もう30年以上昔のことになりますが、学校の先輩が『ゴジラの逆襲』について、「ゴジラがガソリンの火ぐらいで誘導されて、その上氷詰めで倒されるなんて、ぜんぜんおもしろくない映画だ」
と言っていました。かつての怪獣ファンはそんな感覚だったのです。

 怪獣の倒され方を楽しむ人々の出現は、先祖返りのように思えます。

 あ、ちんごじらはぜんぜん構いません。ヤツは怪獣としては格下(人工生命体)で、しょせん人間が作ったものですから人間に倒されるのは当たり前です。
そんなものをゴジラとして発表したことは許せませんが。(しまった、『シン・ゴジラ』のことに触れてしまった)
(人間には倒されない怪獣、もアメリカに取られちゃった感あり)

怪獣退治物語とかいろいろ - なんじぇい (?)

2018/03/15 (Thu) 00:05:25

ありがとうございました。完全に納得しました。
私としても新規の怪獣を退治する物語ならあってもいいのではないかという気持ちですが、既存の(人間に負けなかった)怪獣を退治してしまう物語にはどうにもモヤモヤが残ります。


さて、
>怪獣の倒され方を楽しむ人々の出現
について。

これは、最近は怪獣とモンスターの違いがほぼなくなったせいだと思っています。
例えば国民的な人気がある『モンスターハンター』シリーズでは様々な巨大モンスターが敵として登場しますが、その中にはゴジラも真っ青なほど巨大なモンスターが度々出現します(ラヴィエンテやダラ・アマデュラなどは全長は400mを越える)
それらのモンスターはギドラ様のおっしゃった怪獣の定義にも完璧に当てはまってしまいますが、いずれもハンターの武器や大砲などに倒されてしまいます。
そのため最近の人達は、モンスターと怪獣の違いがわからず同列に見てしまうということが多いのではないでしょうか。
ギドラ様の言う日本的な怪獣映画を復興させるためには、怪獣はそのようなモンスターとは違うというところを見せなければならないと感じます。


ちなみに私は怪獣退治作戦では、素直に見てて面白いかを重視します。
何事もないまま人類の作戦が成功したりするのは、面白くもなんともありません(そういう意味でヤシオリ作戦はつまらなかった)。
人類側の作戦が成功するにしても紆余曲折があった形にしてほしいですね。

Re: レスのつもりの長話(すんません) 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/16 (Fri) 18:10:56

 ええ、そうなんです。近年の日本人は「怪獣」がわからなくなってしまったみたいです。

 ぎりぎり第二次怪獣ブームのころの人ならある程度は体に染みついているんじゃないかと期待したいのですが、
そんな人々ももうアラフィフでしょう。
 やはり作品として、ちゃんとした怪獣映画が公開されなければなりません。
 そうなると、大昔の怪獣映画に対する批判(なんで怪獣に同情するんだとか、科学的じゃないなどなど)と同様の雑音が発生するでしょうけれど、
そのときこそ、オールドファンが全力で弁護するべきだと思うんですよ。
 新作さえあればそれでいいなんて言ってちゃダメダメ。

大昔の怪獣映画への不満…… - なんじぇい (?)

2018/03/16 (Fri) 18:57:46

これ、ギドラ様がおっしゃっていることですが、私にとっては反論が難しいものが多いんですね。
私が特に思ってもないところから反論が繰り出されることが多いのです。

5ちゃんねるで議論した際には同意してくれる人も多かったのですが、同じくらい反論してくる人がいます。
その主だった反論に関しては、また別の項目を立ててみます。

『ゴジラ』のしょうもない疑問 - なんじぇい (?)

2018/03/12 (Mon) 19:49:35

本当にしょうもないのですが前々から疑問だったので……

『ゴジラ』で尾形たちが芹沢博士を説得するシーンがありますが、その後『平和への祈り』がテレビで流されます。
あのテレビ、いつの間にかついていますが誰がつけたんでしょう。

改めて書くとすごくしょうもないですね。ですがずっと前から気になっていたことです。

Re: 『ゴジラ』のしょうもない疑問 - 海軍大臣 (男性)

2018/03/12 (Mon) 23:14:38

 その疑問は恐らくなんじぇい様が生まれる遥か以前より、私たち「大きなお友達」の間で話題になっていて、84年ゴジラの公開当時に宝島社から刊行されたムック本にも取り上げられておりました。(ただし、誰が着けたのかは不明のままです)
 それと、またまた余談になりますが、もう20年ばかり前に【コンバット・コミック】という軍オタ向けの雑誌に私の知人が4コマ漫画の連載を持っていて、その作品のタイトルが何と【ユタカテレビ】でした。作者が「恐らく世界では32人くらいしか判ってもらえないネタだ」と云っていたことを思い出します。

うーむ…… - なんじぇい (?)

2018/03/13 (Tue) 00:21:17

やはり同じことを考える人はいるものですね。どうやら私だけの疑問ではなかったようです。
改めて、謎が深まります。

Re: 『ゴジラ』のしょうもない疑問 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/14 (Wed) 19:17:12

 昭和30年に『愛のお荷物』(川島雄三)という映画がありまして、この映画に登場する三橋達也は金持ちのボンボンで、
自立するためだかなんだか、個人でテレビ受像器の開発をやっているという設定でした。
 当時はさまざまな会社がテレビ事業に参入していたんだろうな、と思わせるくだりです。
(余談ですが、この映画には菅井きんちゃんが女代議士の役で出ていて、『ゴジラ』での役どころとそっくりのことをやっています。川島雄三はゴジラが好きだったのかも)

 ユタカテレビもそんなテレビの一つだったんでしょうね。(オンキヨーのテレビが出てくるのは、『ゴジラ』?『ゴジラの逆襲』?オンキヨーがテレビを作っていたなんて)

 んなこたどうでもよくて、そうそう、あの芹沢の実験室のテレビ、誰がつけたんでしょう。不思議だなと思いつつ、いままで深く考えてはいませんでした。
今回、そこに注目して問題のシーンを見直してみました。

 尾形がケガをしたくだりからテレビ中継が始まるところまで、時間の省略はないようです。そして、芹沢の背後には何も映っていないテレビが何カットも映り込んでいます。
ところが誰もスイッチを入れていないのに、「平和への祈り」が始まる!

 木目守といわれた本多猪四郎監督がこんな雑なことをやるか?? と不思議に思ううち、むむ!とひらめきました。
 芹沢はテレビをつけっぱなしにしていたのではなかろうか。恵美子と尾形が芹沢邸を訪ねたのは、応接室に差し込む外光から考えて夕方ほどではない午後の何時かと思われる。
昔のテレビ放送は午前の部と午後の部に分かれていて、午前の放送が終わると一旦無信号になったではないか。三人が実験室へ駆け込んだときは放送休止中で、
電源が入っていてもテレビには何も映っていなかった。しかし、尾形が芹沢を説得しているときに午後の放送が始まったというのはどうだろう!

 もう、無理がある脳内補完でございます。
『ゴジラ』の突然始まるテレビはおかしいと言われれば、はい、その通りでございますと言うしかありません。

Re: 『ゴジラ』のしょうもない疑問 - なんじぇい (?)

2018/03/15 (Thu) 00:11:51

なるほど、確かに解釈としては(少し強引に思えないこともないですが)成り立ちますね。
芹沢博士がつけていたという説が大きそうです。

Re: 初ゴジ雑感いろいろ - 海軍大臣 (男性)

2018/03/15 (Thu) 00:37:28

 TVの件に関しましては、真面目な話、当時は撮影現場に使用できるVTR機材も無かったでしょうから、作り物の番組映像を流したままにすることも叶わず、ああしたシークエンスになってしまったのかも知れませんね。

 それと尾形と芹沢が争う場面で、魚の泳ぐ水槽のアップに、ものの壊れる音や恵美子の悲鳴のみが被さるところがありますよね。これを見た友人が「何だか山中貞夫っぽい演出だ」と云っていましたが(確かに小道具のアップのインサートを多用するクセが山中監督にはあるようです)、考えてみたら本多監督は【人情紙風船】に応援の助監督を務められていたので、案外的外れな指摘ではないような気もします。

 また【ガス人間第一号】の佐野博士の地下実験室の入り口の雰囲気が、芹沢博士の研究室への地下階段と似ている感じがありますが、良く見ると佐野博士(村上冬樹)の顔面右下部にもケロイド状のメイクが確認出来ます。あれって本多監督のセルフパロディだったのでしょうか?

 以上、取り留めの無い話題でした。

Re: 訂正です - 海軍大臣 (男性)

2018/03/15 (Thu) 08:48:21

×山中貞夫→〇山中貞雄

Re: 『ゴジラ』のしょうもない疑問 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/16 (Fri) 18:14:24

 本多監督は『人情紙風船』の現場で木目を描いていたと読んだ覚えがあります・・。

 むむ、ガス人間の佐野博士も顔面に火傷跡のようなものがあったんですね。あんまり意識していなかったのは不覚。
それで、そのご指摘からつらつら考えまして、芹沢博士の再現みたいな要素があるのはもちろんだと思いましたが、
それ以上に、そもそも芹沢のあのケガ(?)はなんだろうと改めて考えました。

 戦争のせいだ、というところから、徴兵されて戦場でケガを負ったのだろうと単純に考えていましたが、
いや、待てよ、芹沢ほど優秀な科学者(戦争当時学生だったとしても)を戦場に送るようなことはしないだろう、
伊福部先生も戦場送りではなく木材強化の研究をさせられていたのだから、と気がつきました。

 芹沢も軍に協力させられて、新兵器の研究などをやらされていたのではないか?
その実験の結果、ケガをしたのではないか?
(そんなこと、とっくに気がついていた人ももちろんいるんだろうなー。もういま私は恥ずかしさの余り顔を真っ赤にして冷や汗かいてます)

 佐野博士も戦時中になにか非道な研究をしていた人物という背景があるのではないか。
二人の共通点が顔面のケガに象徴されているとか??(監督のみぞ知るモデルがいるのかも)

 芹沢は戦争を経て科学者の倫理に目覚めた人、佐野博士は倫理なき研究に邁進した人、と別作品ではあるものの、
似た外見で二種類の科学者を描き分けてみた、というのは考えすぎかなぁ。

朗報! - 海軍大臣 (男性)

2018/03/04 (Sun) 18:52:38

 新々ギドラ掲示板で橋本忍先生絡みでおバカな話を書いている内に、な、な、何と「1973『日本沈没』完全資料集成」が3月8日発売だそうです。
収蔵写真だけで数百点、関係者へのインタビューもかなり充実しているとか。

 前回の東宝フランケン本といい、このところ妙にマニアックなポイントを衝いてくる書籍の刊行が相次いでいて、俺のサイフは爆発寸前!などと謡い出してしまいそうです。

Re: 朗報! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/05 (Mon) 18:54:14

ぎゃっ、まだフランケン本にも手を出していないのに・・。

 ああ、しかし、『日本沈没』には思い入れが深いですね。
まずはみなさまのレビュー待ちで・・・。(ええい、根性なしめ)

Re: 朗報! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/12 (Mon) 18:29:59

 買っちゃった!
「日本沈没完全資料集成」!!
まだぱらぱらとめくったぐらいですが、あの熱い時代がよみがえるなぁ。

で、東宝版フランケン資料集成も発注しました。
こちらはあまり資料性は高くないみたいですが、毒を食らわば皿までも!(え?毒なの?)

(えー、本は地元の書店で買います。本屋文化を守ろう!)

映画『日本沈没』について - エクセルシオール (男性)

2018/03/14 (Wed) 23:03:01

 1973年の映画『日本沈没』はストーリーにおいても、特撮においても超大作といってよい作品だったと思います。子どものころには「怪獣が出ない」という理由だけでスルーしていましたが、後に視聴してみてこれはこれで素晴らしい特撮映画だと感心したものです。

 物語の内容においてもよく考えられていました。危機の中、主人公たちは必死に頑張るが、圧倒的な自然の力の前には成す術がないという悲劇は十二分に描かれていたと思います。個々のシーンでは東京が大地震に襲われて多くの人が死んでいく中、人命を救うためには自衛隊の戦闘用装備がまるで役に立たない事実を突きつけられて、丹波哲郎さん演じる山本首相が悩む姿が印象に残っています。
 特撮面においても土砂崩れや東京壊滅などのシーンは素晴らしい出来でした。観る者をあっと言わせる迫力だったと考えます。
 その他、科学監修を行った本物の科学者(竹内均博士)が本人役で出演し、首相を前に解説するシーンなどを入れて、物語の真実味を増す演出も面白かったです。実は最初に観た時「下手な演技だなあ」と思ったのですが、俳優ではなかったのだから仕方ないですね。
 後、声のみの出演で市川治さん、神谷明さん、辻村真人さんといった有名声優が出ていたことを知り、驚いたことがあります。みんなノンクレジットだったので映画だけを観ていたときには知る術がなかったのですが。思うにナレーションを担当していた市川さんくらいはオープニングで表示してほしかったですね。

 さて、『日本沈没』は2006年に再映画化されています。こちらも観賞しましたが、1973年版より内容面ではかなり落ちる。というか、「沈」はあっても「没」がないという結末には開いた口が塞がりませんでした。「N2爆薬」などという核兵器並みの威力の爆薬がご都合主義的に登場して(ただし、企画段階では核兵器だったらしい。それに比べれば多少ましだろう。)、日本列島を引っ張り込むプレートを破壊するという展開には頭を抱えてしまいます(しかも、主人公が「特攻」して死亡)。特撮技術が上がってもいい映画になるわけではない好例でした。

 そうそう『日本沈没』はテレビドラマ版もあるそうですが、残念ながらまだ観たことがありませんん。機会があれば観てみたいですね。

Re: 朗報! 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/03/16 (Fri) 18:08:48

 TVシリーズの「日本沈没」もなかなかおもしろい作品ですよ。
ストーリーは激しくアレンジされていて、もはや小松左京原作とは言えないほどですが、
映画や原作ではやっていなかったドラマ上の試みがあります。

 ただ、最初の何話かは方向性が定まっていないような締まりのなさに拍子抜けすることも確か・・。

 それから若き日の川北紘一監督がエキストラ出演している回もあります。
そして、川北監督が特撮を担当した回では、おそらく監督秘蔵の『キングコング対ゴジラ』か『妖星ゴラス』の未使用フィルム流用とおぼしきカットも!

(えー、2006年版は「日本沈没」の黒歴史ですね。私はあの映画を『日本不没』と呼んでいます)


Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.