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ギドラの巣「新」映像作品掲示板

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ただいまゴジラ祭り開催中!
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調べてみたら驚きました - なんじぇい (?)

2019/06/30 (Sun) 21:02:23

結果が全く想定外で、これはもうオタク云々の問題ではないのではないかと思えたためにここに書いておきます。


ギドラさんの意見に触発され、以下の質問を周囲のクラスメイトにいくつか聞いてみました。
「あなたが○○シリーズの監督ならどんな作品にしますか?」というものです。

聞いた人数は男性の方が多いですが、女性の方もいます。
当然オタクでない人の方が多いです。
シリーズを限定しなかったのは、ゴジラの名前しか聞いたことのない(姿形も一切知らない人もいた)人に聞いても流石にしょうがないと思えたからです。多少知っていて好きなジャンルの方がいいと考えました。

なんと答えは7割以上、既存のキャラクターを改変するものでした。男性の人からはゴジラを富士山よりでかくしたいとか、放射熱線で惑星ごと吹き飛ばしたいとか、純粋悪の仮面ライダーだけが出てきたら面白いのではないかとか、女性の方からはプリキュアのキュアブラックを黒人にしてキュアホワイトと愛し合ったりしたいというものがありました(1つ注釈しておきます。黒人をプリキュアにすることは全く問題ないし、むしろ出すべきとは思います。しかしそれは新しいプリキュアで出すべきであり、既存のキャラの顔や人種や恋愛対象を勝手に変えるべきではないでしょう)。
ちなみに、既存の設定を大切にしたいなどという意見は、たったの1つもありませんでした。

また主に改変は、有名な既存のキャラの特徴を自分好みに改変したものが多かったです(例えば富士山よりでかいゴジラや惑星ごと吹き飛ばす熱線の場合、ゴジラの「大きい」などの特徴を自分好みに強化したことになる)。

なんでそんなことをするのか、と聞くと「キャラってコロコロ変わるもんでしょ」「みんな好き勝手に作ってるんだから私にも好きにしたい」「同じのを見て喜ぶ人も分かるけど、私は違う。両方作ればいいのではないか」みたいな返答でした。
「次の作品はどんなキャラや設定になるのかが楽しい。無論嫌いな設定になることもあるが、それはその時批判したらいいじゃないか」みたいなものも多かったのです。


さすがに驚きました。私はキャラを改変するのは「赤信号みんなで渡れば怖くない」と考えていました。
しかし現実は、赤信号とすら思ってなかったようなのです。むしろ喜んでいる節があります。
そしてなんと、作家によってキャラは変わるということがどうやら創作全体のイメージになってるみたいなのです。作家性を見たい! って感じなのでしょうか。


おそらくこれは仮面ライダーもウルトラマンもゴジラもガンダムもコンテンツは作家が好き勝手にやってきていて、オタクやマニアであろうとなかろうとそういうコンテンツに多少なりとも触れている以上、千変万化するイメージになってしまっているのではないかと考えました。


もはや、末期的状況ではないかという思いがひしひしとします。
映画にしろアニメにしろ、大衆娯楽という要素が大きなウェイトを占めます。初代ゴジラにしたって、公開当時の映画パンフレットを見る限りでは大衆娯楽の要素を多分に含んでいます。
あくまで限定した世代の少人数のものなので、大衆全体がこんな認識ではないと思いたいのですが、大衆がもしそんな認識になってきているのなら、どうしたらいいのかは考えるべきだと感じました。

そして作家さんは、作品をめちゃくちゃにされないように何がなんでも遺言を残すべきだと思います(本当に好きにしていいなら、そういう遺言を残せばいい)。


ただし救いなのは、設定改変は既存のキャラのイメージを過剰に拡大させるものが多かったということで、設定が嫌いなら批判するということは共通だったことです(少なくとも無批判ではない)。
ただ裏を返せば、オタクでない人はある程度確立したイメージしか知らず、それすら自分好みに変えたがっている……ということなのかもしれません。
「変わって当然、むしろ色々変わったの見たい」が大衆の感覚になってしまったら、もうどうしたらいいのかはわかりません。既になりかけているのか、もうある程度そうなっているのかは分かりませんが……
ただ1つ言えることは、「それはやりすぎ」の感覚がどんどん緩くなっているということです。



あと「改変大好きなものと昔の設定を固持したいものの両方をつくって、両方本流扱いにしたらいいんじゃないの」という意見はどうなのかは気になりました(現代のゴジラはそれすらやっていないので、遥かにマシでしょう)。


最後になりますが、ゴジラやキングギドラをドラゴンボールばりに強化して「大きさ数百km、光線や肉弾戦で星ごと次々破壊しながら宇宙規模の怪獣バトル」みたいなものにするのはアリなのかは多少気になったりました。
まあ怪獣の強さはこれ以上ないものにはなりそうですし、映像的にはそれはそれで面白味はありそうですが……

Re: 調べてみたら驚きました - なんじぇい (?)

2019/06/30 (Sun) 23:30:40

反省をかねて、思ったことを追加して書いておきます。
私もかなり使っていたことなのですが、「大衆娯楽だから」や「一部のマニアオタクだけでなく人間全体で見たら……」や「社会的には」みたいなものを根拠にすることは不味いのではないか、ということです。

それはいわゆる少数派を数だけで押し潰すことになってしまうことになる上に、冷静に考えたら、多数派だから正しいとかあるいは少数派だから逆に正しいとかを言うのは、いずれも全く根拠にはなり得ません。
多数派だろうと少数派だろうと、根拠が間違っていることは間違っているということです。
それに、言っていることが本当に多数派なのかなども分かりません。

これは私も使っていたことで、本当に反省の限りです。
ただし商業主義的には娯楽映画というジャンルは多くの人に受けないと話になりませんので、「大衆」の価値観や考えをある程度考慮にいれなければならないこともあり、本当に悩ましいです(いかに出来が良くても、売り上げが鳴かず飛ばずなら打ち切り以外あり得ない)。

付け加えて言うと、どうも今は作家性を重視する気配があるように見えます(キャラを作家好みに改変した方が改変しないより作家性を出せることは間違いないのは事実であり、設定の問題もギドラさんがスタートレックで挙げておられたように、パラレルワールドなどにしてお茶を濁してしまうものが後をたたない)。
さらに、「変えちゃいけないなんてそんなの誰が決めたの、むしろ色々なもの見たいんだけど」みたいな意見も個々に聞いてもオタクじゃなくても平気で飛び出します。
これが複数人から出たとき目眩がしました。しかし反論はできませんでした。



とりとめのない文章になってしまいましたが、簡潔に纏めて書くと

大衆全体(若い世代しか聞いてませんが)の考えが変わってきているような気配がする。既存の作品の影響からか分からないが、キャラや設定の改変をむしろ喜んでおり、どんなキャラになるか楽しみにしている節がある。もしこの層が多数派になった場合、どうしたらいいか分からない。
またゴジラに限らず映画や創作は、どう大衆と付き合っていけばいいのか分からない。特に娯楽映画は大衆と密接な関係があり、全く分からない。
設定重視と改変上等の両方を作るという案はアリなのかナシなのか分からない。
どこまで作家自身のオリジナリティを認めていいのかが分からない。
とても過剰な特性の強化等がどうにも受けているようで、これも是非が分からない。
そして何よりも賛同する人の数や社会的なイメージ(何せキャラが作家性や作品によってある程度変わることが、結構な人のイメージになっていそうなのだから)等を一切根拠にせず、彼らを説得する方法はまったく思い浮かばない。



こんな感じでしょうか……。
あまり簡潔ではありませんが、もはや困惑と苦悶が合わさったような形です。

最初に聞いたとき、嘘だと思いました。ですが、これは私の周囲に限っては事実だったので、本当に不味いのではないかと思いました。

Re: 調べてみたら驚きました 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/01 (Mon) 19:42:43

 これは、本当に貴重で有益なアンケートをしていただいてどうもありがとうございます。

 こんなことになったらイヤだなとうすうす感じていたことが現実化しているみたいで、いよいよ「フィクション」の危機だなと思いました。

 GMKのころ、既存のキャラクターを改変しても構わないじゃないかと考える人々とのやりとりを通じて感じたことがありました。
ひょっとすると、フィクション(虚構)を鑑賞するとき、鑑賞中も「これは作り事だ」と意識しながら受け取る人が居るのではないか、ということです。

 小説でも映画でもストーリーに真実味を持たせるために「考証」ということをやります。
架空のお話でも現実化したらどうなるのか、というシミュレーションを行って、より本当らしい虚構を作るのがセオリーです。
 それは、お話が嘘くさくなると、読者・観客の心を動かすことが出来ないからです。

 蓋然性のないお話は、そこどんな感情や観念を込めようと「嘘くさい」で片付けられてしまうものでした。
(怪獣映画も怪獣なんかいるはずがないからウソだ、下らないと言われたものです。しかしそれは、既知の科学しか認めない狭量な宇宙観から来る間違った鑑賞と言える)

 従来型の物語鑑賞法は、鑑賞中には作中の事象を現実のことと考えて受け取るものだったはずです。
(ですから、強烈な個性を持つ役柄を演じた俳優は、プライベートでも役のイメージで見られてしまったりした)
シリーズ作品であれば、ストーリーが続き物でなくとも、同一キャラはその設定を守るのが当たり前でした。
それは、作中の人物はその世界に実在しているものですから、理由も無く性格や姿形が変わることに蓋然性がないからです。

 しかし、鑑賞中も常に作り手の存在を意識し、劇中存在を実在と思わず、作り手の意図を読み取ることが鑑賞だと思うようになると、
劇中の事象に対してその蓋然性を問う必要がなくなります。
 すべては作り手の内面ですから。

 こうなるとキャラ改変など当たり前ということになりますよね。

 ただし、作り手の内面だけ見るような鑑賞姿勢、そして作者の内面さえ表現出来ればいいのだという創作姿勢から生まれるのは、内向きで一般性・普遍性に欠ける特殊な作品です。
近年はそんな作品を作家性に富んでいるなどというようですが、個人の特殊性を出せばそれで良いというなら、誰でも大作家になれますよ。

 ごく一般の観客ですら、作り手の個人的こだわりが表現されていればそれでいいと考えるようになったとすれば、批評家の力不足が影響しているのかもしれません。
私はあまり映画の批評本を読みませんが、それは、多くの批評家が作品そのものを分析論評するより、作者の内面を類推してそれが作品にどのように表れているかを考えるみたいな手法をとっているからです。
それは作品の論評ではなく、当該監督の人間論評ですよ。
あるいは作品の周辺事情などを加味して、深読みのような妄想のような想像をしていたり・・・。
(ちゃんとした作品批評をしている批評家もいるんでしょうけれど・・・)

 鑑賞とは作者を読むことという姿勢が蔓延したら、良い作品があったとしても、そこから得られるのはせいぜい「共感」でしかありません。
作者の思いに共感できたらそれなりに気持ちいいでしょうけれど、作品を通じて新たな認識を得たり出来るものでしょうか。
あるいは、作者と似た性行(本来の意味ですよ)を持つ人にしか訴求しない作品ばかりになることでしょう。
 というのは極論としても、いわばもう一つの現実として作家が黒子に徹した物語に比べると、小粒になるのは確かだと思います。

 ここまでは鑑賞姿勢の話ですが、キャラ改変の問題は、創作とは何だという問題もはらんでいます。

 上で書いた虚構のリアリズムの話からは、原作者であっても一旦創造したキャラクターをころころ変えてはいけないということになりますが、
昨今の有名キャラ改変問題は、先達が作り上げた物を書き換えてしまうところにもあるわけです。

 この話になると、自身が創作している人でないと理解できないことかもしれません。
簡単な話、他人が心血注いで作った物を勝手に変えるな、ということです。

 創作物には一木一草に意味がある、などと言われます。
ある物語の世界設定や登場キャラクター設定は、作者にとって、こうでなければならないという確固たる物であるはずですし、そこまで突き詰めていないものは凡作・駄作になるのです。

 それを後輩が書き換えて良いはずがない。

 これは製作側の問題なんですよね。
創作の仁義がわからない人間が改変ものを量産してしまった結果、お客さんも改変が当たり前だと思うようになってしまった・・・。
(仮面ライダーは石ノ森氏自身が改変するものだとかなんとかおっしゃっていたらしいので、いいんでしょうけれど)

 ゴジラの話をすれば、元祖ゴジラ(初代と二代目)が持っていたキャラクター性(見た目はもちろん、その生物としての設定、気質などすべてをひっくるめます)を超えた改変ゴジラなんかいなかったと見ています。
VSゴジラは放射線で変異した動物で、放射性物質をエネルギーにするという設定からストーリーに縛りがありましたし、その性質は厳つさを全面に出し過ぎていたので、戦いは死闘ばかり。
元祖ゴジラのような自由度がありませんでした。

 以後の改変ゴジラたちとなるとほぼ毎回別物になってしまうのでそれぞれについてのコメントは割愛しますが、元祖ゴジラより魅力的なものは、私には見当たりません。
ゴジラは元祖ゴジラが極めて優れた映画キャラクターだったから歴史に残る怪獣になったのです。もし、完璧な物があったとして、それを改変するということは完璧を壊すことになるのですよ。

 この場を借りて作り手の方々にお願いします。
その改変は、原典より優れていますか?原作者が喜びますか?そこをよく考えて欲しい。

 などと書いてきましたが、商業映画は商売なので、金にさえなればなんでもやるのでしょう。
そして観客側がキャラ改変を当たり前と思わされているとなると、改変問題は止めようがない。

 いいえ、違います。
 作り手が創作上の倫理観を持てばいいのです。
 しかし、わがままな作り手は先人への尊敬もなく、自己表現でございと改悪キャラを作りたがります。
そこで出番は、評論家じゃないんですか? 新作映画は貶せない?貶すと取材させてくれなくなる?なにが取材だ。映画評論は作品そのものを見れば出来る。
監督だのキャストだのにインタビューなどする必要はない!

 映画評論家たちよ、しっかりしてくれよ。

 そして、
>設定重視と改変上等の両方を作るという案はアリなのかナシなのか

 これは百歩譲ったら、私はアリだと思います。
本流として原典を守った正調なものを作っていくのであれば、あくまでも傍流、パロディとして改変ものを公開してもいいの、かも、しれません。
それでも、名前は変えないといけませんね。ゴジラの改変であれば◯◯ゴジラみたいに区別できるようにすべきです。
いま東宝が展開しているちびゴジを悪いとは思いませんよ。

リメイクや続編の設定改変について - なんじぇい (?)

2019/07/04 (Thu) 10:45:46

>その改変は、原典より優れていますか?原作者が喜びますか?そこをよく考えて欲しい。

多分、作り手は原典より良くしたつもりなんだろうと思い込んでいるのではないでしょうか(少なくとも作り手にとっては)。
「ゴジラをもっと強く見せてやった」「仮面ライダーにバリエーションを増やしました」「既存のキャラを色々変えて、人種問題等に切り込んでみました」くらいに考えているのだと思います。
原作者に関しては分かりません。


またキングオブモンスターズは『三大怪獣地球最大の決戦』のリメイクとも言えなくもない内容なので、そちらも話題にして書いてみます。


リメイクとは作り直すことであり、コミカライズやアニメ化、映画化なども一種のリメイクと言えると思います。
しかしアニメ・特に低予算の一部深夜アニメには、恐ろしく不出来な作品がごり押しや一部の人気でアニメ化したり(こんなことが起きた場合、多数から「あまりにも不出来だからストーリーや設定を変えろ!」という陳情まで飛び出す)、原作が足りないうちからアニメ化したためにオリジナルエピソードを大量に放り込むということもとにかく横行しています。
そのため悲惨な出来の原作をコミカライズやアニメ化した際、作り手が辻褄合わせのオリジナル展開や新設定を入れてファンに歓迎された……なんていう例も少なからずあります。
このような事態になっているからこそ、設定改変も歓迎される風潮になったのかもしれません。


恐ろしく不出来な原作をリメイクする時は、どうしたらいいのかは考えなければいけないとは思います。
またリメイクする際は、どこまで修正がOKなのかも疑問です(売り上げが悲惨な以上絶対にないとは思いますが、仮にアニメゴジラを実写化リメイクすることになった場合、どこまでいじっていいのか……もし出来を良くしたいなら設定から何からいじらなければならないだろう)。
個人的にはもう明らかな欠陥は直していいとは思いますが……


そもそもの話「そんなものリメイクするな」と言いたくもなることはあります。
しかし今はファンが細分化している上に、その原作の一部だけが大好きだというファン(これは気持ちはわからなくもない)や、アニメ化したらそのファンが大量に購入して金になるという事情もありますので、なんでもかんでもアニメ化や実写化やリメイクすることが多い上の質問です。

Re: 調べてみたら驚きました 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/04 (Thu) 20:40:13

 私の
>その改変は、原典より優れていますか?原作者が喜びますか?そこをよく考えて欲しい。

 この問いかけは昨今の改変ものに、原典の不備を補おうとか、オリジナル作者の意思を大事にしようという志を感じないから出てきた物です。
アニメゴジラのスタッフコメントを見ると、ゴジラを知らないからこそ新しいアイディアが出た、みたいなものがありましたね。
これを見ても、オリジナルを研究することを放棄して、ただただ別物に同じ名前(ブランド)をつけようとしている姿勢が分かります。

 前回の投稿で評論家へのメッセージとして、映画批評に監督・キャストインタビューなど必要ないと書きましたが、
批評ではなく、製作する立場となると話は変わります。
 まったく自分独自の作品を作るならほかの作家の意思を確かめる必要などありませんが、シリーズ物を引き継ぐのであれば、原典を作った人々の意図も研究すべきでしょう。
作品の魂を引き継ぐことなく、同一シリーズとは言えません。

 もちろん、あくまでも参考にすべきなのは、完成し公開された作品そのものであることを忘れてはなりませんが。
(作者の意図がそこにあったかのように没になったアイディアを掘り出してくるのは正しいのか? 何故没になったのかの考察が必要であろう)

 これは私の推論でしかありませんが、VSゴジラが放射線で変異した生物とされ、放射線ないし放射性物質をエネルギーにするというアイディアは、
ゴジラを核兵器の象徴として描くことに特化させるための改変だったのではないかと考えています。
 しかし、それは第一作『ゴジラ』の内容に対して考察不足の失策だったというのが私の意見となります。
(もちろん同じ名前で別のもの、という問題もある)

 漫画や小説を映像化する際、どうしても改変が起こってしまうのは確かですね。
そんなこんなで改変に慣らされてしまったのでしょうか。
 でも近年多い漫画の実写映画化なんかだと改変に対してファンが怒りの声を挙げていますよね。
そんなに改変が歓迎されているわけでもないように思います。

(ん、有名キャラクターが新作で出てくるときに別物になっているのは当たり前と受け止めているのか・・・)

 しかし、おっしゃるように原作の出来が悪い場合、リメイクで名作になる場合もあり得ます。
大昔「海のトリトン」というTVアニメがありました。
 私は裏番組だった「ど根性ガエル」のほうを見ていたので、「トリトン」は劇場映画として再編集されたものをかなり近年になって初めて見ました。
ずいぶん人気のあるアニメだったが、こういう内容だったのか・・・、と感心すると同時にこれまたいつだったか忘れるほど昔にTVで見た、
「トリトン」の監督だった富野由悠季氏のコメントを思い出しました。
 「原作の出来があまりよくなかったから改変した」という趣旨の発言でした。基本的には原作を改変してはいけないという流れの中でおっしゃったような気がしますが、定かではありません。

 手塚治虫の漫画だったことで「トリトン」のアニメ化が企画されたのではないかと推察しますが、
なんらかの理由で原作が不出来でも映像化することはあり得ますね。
 その場合どうするかとなると、商売としては改変すべしということになるのでしょう。

 しかし表現者の倫理を守るなら、改変してはいけません。
いいところもダメなところも、原作の表現なのですから。
 抜け道としては、原作者が現役だった場合、改変案を原作者と協議して許可取りをすればいいんじゃないかと思います。
(凡作・駄作は映像化する必要なし、と言いたいですが)

 アニメゴジラみたいな特殊な場合はどうしたらいいんでしょうね。
そもそもゴジラを改変して作っているのですから、それを本来のゴジラに戻すなら改変とは言えないんじゃないかとも思いますし、
もし、リメイクするぞということになったら、アニメゴジラの作者たちがあの作品で描きたかった観念だけは引き継いで、もっと上手に作ればいいんじゃないでしょうか。

 結局、以前書いたことの繰り返しみたいになってしまいますが、テレビであれ映画であれ、製作現場のさまざまな事情で、原作なり原典なりに完全に忠実に描くことは困難であり、
製作するごとに「ズレ」「揺らぎ」は生じてしまいます。
 そんな中、改変して良し、と認めてしまうと歯止めが効かなくなります。
その結果、どんな人気小説も漫画も、そして映画・TVのシリーズものも、ひたすら改変され別物にされてもともとの魅力がすっ飛んでしまい、
何のためにそれを映像化するのかわからなくなってしまうでしょう。←現在のウルトラシリーズはその状況に近いけれど、なんのために作るかとなるとおもちゃを売るためでしょうね。

 ですから原作ものでも、シリーズものでも、本来の姿はどういうものであったか、何が人気のもとだったのか、まずは謙虚に研究考察することが必要と思います。

>今はファンが細分化している上に、その原作の一部だけが大好きだというファン(これは気持ちはわからなくもない)や、アニメ化したらそのファンが大量に購入して金になるという事情もありますので、なんでもかんでもアニメ化や実写化やリメイクすることが多い

 この問題は、それぞれの作品のファンたちがそれぞれの事情の中で議論を深めていくべきことと思います。
そんな作品があるのかどうかはわかりませんが、たとえ中身ゼロの願望充足作品でもグッズやソフトがよく売れて商売になり、売り手も買い手もハッピーならそれでいいでしょうし。

Re: 調べてみたら驚きました - なんじぇい (?)

2019/07/05 (Fri) 14:01:22

>この問いかけは昨今の改変ものに、原典の不備を補おうとか、オリジナル作者の意思を大事にしようという志を感じないから出てきた物です。

>ですから原作ものでも、シリーズものでも、本来の姿はどういうものであったか、何が人気のもとだったのか、まずは謙虚に研究考察することが必要と思います。

これは全くその通りだと思います。昨今はこの視点は著しく欠けていると本当に思います。

ただし
>しかし表現者の倫理を守るなら、改変してはいけません。
いいところもダメなところも、原作の表現なのですから。

ただしこれは倫理的にはそうですが、表現者の最大目的から考えたら少し悩んでしまいます。
表現者の最大の目的は「良い作品をつくること」だと思うのです。これは何よりも優先されることだと思っています。
原作の明確な欠陥だと一分の隙なく指摘できる点に関しては、商業主義的ではなく、作品の出来を良くするために、改変した方がいいのではないか……? とはどうしても思ってしまいます(単なる好みで作品を変える等はダメであると断っておきます)。


しかし昨今ではそんなものとは関係もない意味が分からない改変が横行しており、もっと原作を丁寧に扱うべきだ、という意見には全くの同意見です。

Re: 調べてみたら驚きました 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/08 (Mon) 19:43:14

 遅レスですいません。

>表現者の最大目的から考えたら少し悩んでしまいます。

 これはまったくおっしゃるとおりです。
そのあたりをクリアするとしたら、原作者との協議が必要ということになるのですが、
原作者がすでに他界している場合はどうするか・・。

 ただ私が、クオリティを上げればそれでいいというものでもないなと思った実例をひとつ。

 アニメ「銀魂」を見たとき、劇中の自動車があまりにもひどいフォルムをしていて、いまどきのアニメでこれはないな、と思いました。
ところがその後原作漫画を読んでみたら、ひどいフォルムの自動車は原作の絵を再現した物であることを知りました。
(「銀魂」作者の空知英秋氏はどうやら機械関係の絵が苦手のようです)
うーーん、原作の絵を大事にすれば作品全体の味が原作に忠実になるということもあるなぁ、と思う経験でした。

(科学考証など明らかな誤謬は修正して良いと思うのですが、ひょっとするとそんな間違いを許容しているユルさが原作の魅力だったりするので難しいです)

 原則としては原作改変はダメと結論づけておいたほうがいいな、と思っています。
(映画やテレビは学術的なものではないのでグレーゾーンが広いです。作り手の姿勢としては原作に忠実にすることを第一として、
その上でもしどうしても生理的にというまで受け入れられない部分は担当者の志向に合わせるというのがぎりぎりの妥協点でしょうか)

Re: 調べてみたら驚きました - なんじぇい (?)

2019/07/09 (Tue) 20:45:09

あえて原作そのままにすることにも利点があるということは驚きました。ありがとうございました。
とはいえ作品の過ちを糺すことに関しては、原作の味及び原作者を大事に思う心を大事にするか、良いものを見せたいという表現者の目的を大事にするかはもはや個々の主義の問題なので(どちらにも理があることになる)、そこはもう創作者の匙加減ではないかとは思います。
完璧主義者なら後者で、原作者の思いを大事にしたい方は前者をとることになるんでしょうか……

少なくともこれに関しては、どちらの考え方を取られても私は批判はしません。

とはいえ最近は吟味せずに、安易に「どっちの意見もアリ」等としてしまうことが横行しており、そうならないようには注意したいです。

Re: 調べてみたら驚きました - なんじぇい (?)

2019/07/10 (Wed) 13:21:22

付け加えておきますと、映画のリメイクでは「昔の技術で作ったから、今見たら辛い特撮やCGなどの特殊効果を、今の技術でより良くしよう」「音響を今の技術で精細に聞こえるようにしよう」「昔では予算や技術の問題で出来なかったと亡き監督がおっしゃっていたことを、今の技術で実現しよう」等も含まれます。
これらも立派な(今見たら)ダメな部分を改良したものです。
これすらダメということになると、もはやリメイクなど作る意味も理由も完全に消滅してしまいます(過去の作品を再放送するだけでいい)。

ダメだと明確に指摘できる部分を良くすることも無理ならリメイク自体の意味がなくなってしまうので、せっかくリメイクを作るならダメな部分だけは改良をした方がいいんじゃないかな、と考えてしまう理由です。
もしそれすら無理なら、リメイクを作る意味はありませんので、作らない方がいいでしょう。


また本当にダメな部分をより良くしただけのものなら、原作者さんも悪くはまず言わないと思います。ダメな部分のみ改良することすらダメだという理由は、わたしにはリメイク自体を作るなと言うもの以外にはもう偏狭な拘り以外には思い浮かびません。
仮にリメイクを作るなという可能性を考慮するなら、「リメイクは一切作ってはいけません」が一番正しいでしょう。
ただし、原作者が「リメイクを作るな」と言っていた場合は、それは従うべきでしょう。あくまで、意志がない場合の話です。

もしギドラさんが「リメイク自体作るな」というご意見なら、それは1つの意見として正しいと思います。
私を言いたいことを纏めると「リメイクを作るなら原作を尊重した上でより良くすべきで、それすらできないならもうリメイクを作る意味はないので一律禁止にすべき」ということです。



お気に障られたら申し訳ありません。どうしてももやもやした終わり方をしたくなかったので……
結局、原作者の意志の可能性か、良いものを作りたいという表現者としての目的のどちらを優先すべきかという話になるとは思います。

Re: 表現とはデリケートなものです 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/10 (Wed) 20:03:45

 整理しますね。

 原作(小説や漫画)を映像化(映画・テレビ)する場合も一種のリメイクではないか、とのご意見を受け入れての話として、
リメイクでも原作が持つ内容を改変してはいけないというのが私の意見です。

 その内容といっても劇構成のことなのか、描いている観念・感情のことなのか、ドラマのための設定(人物・世界設定などなど)のことなのかさまざまです。
その中で設定面での誤謬は修正してもいいのではないか、と思っています。
 それでも原作の魅力がどこにあるのかを十分考察した上でないと、一見間違いに見える部分でも修正することで魅力をそぐ結果になりかねないと考えています。
(前回書いた「銀魂」はマンガなのでその絵も表現の一部です。たとえ絵が下手でもそれが原作の表現なのだから修正しないのが正解だろうと思ったわけです。
同様にマンガ原作の場合、原作のキャラクターデザインが現代的ではないという理由でアニメ化の際に顔かたちを変えてしまうのにも反対。
実写化だとまた話はぜんぜん変わります。マンガと同じ顔をした人間なんていませんから)

 内容に関わる改変は原作者の許諾を得られない場合は認めないというのが私の意見です。
原作のどの部分が原作者も認める瑕疵なのか、余人には判断できません。

 それに対し今回のお話は、映画作品を映画でリメイクする話ですね。

 映画作品で原典が持つ技術的不具合を修正することを目的としたリメイクというのは極少ではないかと思いますが、スターウォーズ旧三部作の特別篇があてはまるかと思います。
私はその特別篇がオリジナル版より優れているとは思いません。合成がきれいになっても、過去には描けなかった場面をCGで見せることが出来るようになっても、全体のバランスが崩れていると見ました。
きれいでも味が変わってしまったのです。原作者自身がやったことなので、不当とは言いませんが、失敗であると考えています。

 小説・漫画が何度も映画化・テレビ化されることには反対しませんが、映画やテレビオリジナルの作品を同じ媒体でリメイクすることには反対です。
相当特殊な場合でしか成功することはないと見ています。
 小津安二郎監督の『浮草』は同監督のサイレント作品『浮草物語』をリメイクしたものと言えますが、原典に対して見劣りすることはありません。
モノクロサイレントをカラートーキーにするということは、別メディアでリメイクするのに近いのかなと思ったりします。
稲垣浩監督も『無法松の一生』を二度映画化していますが、これは原作小説があるとはいえ最初の映画化の不具合を直す意思があったと思われます。
というのも、最初のバージョンは戦中は軍によって、戦後はアメリカによる検閲で二度カットされ、不完全な形でしか残されていなかったのです。
 本来の表現を取り戻すためにリメイクしたのでしょう。
この二つの例は技術面の不具合を直したとは言えないものですが、リメイクの成功例として挙げておきました。

 話を戻して、技術のアップデートのこと。
 シリーズものの場合は状況が違ってきます。
すでに創作されている世界設定や登場キャラクターを使って新たな物語を作るのがシリーズの新作です。 
 この場合、旧作と同じ技術を使う必要はありません。
たとえ旧作の魅力に当時の技術限界が含まれていたとしても、新作がそれに準じる必要はありません。
なぜなら同一シリーズであっても新作はリメイクではなく、別作品なのですから。

 ゴジラであれば、その姿形・気質・生態を守っていれば、新作でどんな技術を使おうと効果的であれば構いません。

 私は、怪獣は着ぐるみでなければならないとか、飛行機はピアノ線で吊らなければならないなどとは思いません。
(着ぐるみ・操演の利点を考慮した上で新技術を使うべきとは思います)
中には特撮=ミニチュア・操演・着ぐるみと考える人もいるようですが、私は技術とはあくまでも手段だと考えております。
よりよい表現のために必要な技術を開発していくのが肝要です。
(大林宣彦監督は、キングコングはコマ撮り、ゴジラは着ぐるみでないとダメだとおっしゃっていましたが、そこまで固く考えてはいません。厳密には大林監督が正しいとも思いますが、
私は、キャラクターのアイデンティティを技術面にまで求めることはないだろうと考えています。)

 それでも、すでに作られてしまった作品の内容には、使われた技術の味も含まれると考えます。
ですから具体例を挙げれば、『ゴジラ』(1954)をどんな新技術でリメイクしても絶対に原典を超えることは出来ないでしょうし、良作になったとしてもそれは原典とは別物になるだけでしょう。
そういう意味で、映画のリメイクには反対の立場です。

 ダメな部分の改良とおっしゃっても、その定義が問題ですよ。
技術的な失敗を修正するだけならリメイクではなく、リテイクです。

ありがとうございました - なんじぇい (?)

2019/07/10 (Wed) 23:45:33

丁寧な説明ありがとうございました。ほぼ納得できました。
リメイクとリテイクの違いは目から鱗が落ちました。なかなか理解できず、すみませんでした。


最後に2つだけ質問をさせてください。
①内容に関しての改善はNGで、設定についての修正はいちおうOKな理由はなんでしょうか? 今の目から見たら科学技術が陳腐に見えてしまうなどの理由でしょうか?



②世の中には、商業主義的な理由で駄作のリメイクを強制的に担当させられるような例があります。
過去に『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』という駄作が出た際(エクセルシオールさんなら知っておられるかもしれません)、コミカライズを担当させられた人はあまりのひどさから「自分で書き直します」という羽目になってしまいました。

このような凄まじい作品をリメイクしろと言われた際、いったいどうしたらいいのでしょう。


分かりづらければ、自衛隊が弱すぎる敵を一方的に駆逐して、何もかもが自衛隊の都合のいいように動き(米軍にも勝ってしまいます)、日本と自衛隊をひたすら誉めそやすだけがテーマの小説(信じがたいと思いますがこれは『GATE』という作品で、作者が元自衛官で、こんなのがヒットしているのです)を映画化してくださいとギドラさんに押し付けられたとしてくださって構いません。

なぜこのようなことを聞いているのかというと、拒否権なしで駄作を下請けに押し付けられる事態が今の創作で蔓延しているからです(実は私の知り合いもそれをやらされました。嫌々やったそうですが、信条的に絶対に無理なものは変えたのです。「こんなものをそのまま描いたら作家の終わり」等と言っていました)。

Re: 突き詰めるとケースバイケースなんでしょうけれど 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/11 (Thu) 21:03:00

 まず、なんじぇいさんへエールを送らせて頂きます。
議論を面倒くさがる人が多い中、きちんと粘って疑問点をクリアにしようとする姿勢は貴重です。
これからもがんばってください。

 で、ご質問にお答えします。

1番について・・。

 内容面の改善はNGと言われるとちと心苦しいのですが、突き詰めれば私はそういうことを言ってることになりますよね。
でも、そこは、原作の表現を守ることとよりよい作品を作ることのバランスであって、原作の表現に大穴(矛盾とか)が開いていた場合は慎重に検討した上で改変が必要と認めれば改変することがあってもいいんじゃないかとは思っています。
(どうも奥歯に物が挟まったような言い方になってしまいます。そこが学問ではない、芸術表現のグレーゾーンということになります)
 もうひとつ、いままであまり触れなかったことを書いておきます。
小説やマンガを映像化する場合、別の表現形式に移し替えることになりますから、何もかも原作通りというわけにはいきません。
たとえば、長編小説一冊分のストーリーを忠実に映画化すると上映時間が長くなりすぎて公開できる代物ではなくなってしまいます。
そのほか1シーンの長さの問題などさまざまに齟齬が生じますから、なんらかの改変は必須になります。
 その上で、原作の内容をゆがめるような改変はNGであると言いたいのです。

 設定面の誤謬は修正してもいいんじゃないかというのは、歴史・地理・科学理論といったその作品そのものに依存しないデータが間違っていた場合、
観客の知識と矛盾が起こり鑑賞の妨げになるからです。
作品独自の空想ならば劇中で説明すればいいことですが、現実世界と同一の背景を使う部分に間違いがあるとストーリーの信頼性が下がってしまいます。
 アニメゴジラの設定で「20世紀最後の夏」と言いながら、それが1999年であるというのは、修正すべき間違いです。
 それとは別に原作が昔の作品であった場合、科学理論の刷新で現代には通用しない設定になっていることもありますね。
これはちょっと悩みます。作品の成立には時代背景も影響しているものですから、昔書かれたものはそのままでもいいのかもしれません。

 いずれにせよ、原作者との協議が可能ならとにかく相談です。
(平成ガメラの際、担当監督は湯浅憲明監督に何の挨拶もなかったという噂を聞きました。あくまでも噂ですよ。でも、それじゃイカンだろと思います)

2番について

 拒否権なしなんですね?
 これは7月8日に書いた記事から引用します。
>作り手の姿勢としては原作に忠実にすることを第一として、
>その上でもしどうしても生理的にというまで受け入れられない部分は担当者の志向に合わせるというのがぎりぎりの妥協点でしょうか

とは言うものの・・・・。
『GATE』ってアニメ化されていましたよね? 宣伝を見た覚えがあります。そこまですさまじい作品とは知りませんでした。
そんな作品をやれと言われたなら、上記の姿勢でも追いつきませんよ。
 家族を人質に取られて脅迫でもされない限り、断りますよ。
断れないとなると、うへー、どうしましょ。
 ファンの期待を裏切るような改変はすべきではないので、職人として仕事は受けても、自分が関わったことはひた隠しにします。
スタッフ名義には「アラン・スミシー」とでも書いてもらいましょう。
 しかし、心の傷は深いでしょうね。

Re: 突き詰めるとケースバイケースなんでしょうけれど - なんじぇい (?)

2019/07/13 (Sat) 13:03:11

やっと完全に納得できました。丁寧な回答、ありがとうございました。
駄作に関してはそのように筋を通したらいいのか……と思いました。


完全な余談ですので手短ですが、一応それなりの実績のある監督なら拒否権はあります(下請けのアニメーターは当然そんなものは一切ありません。脚本に口を出す権利もありません。与えられた仕事をこなすだけです)。
ただし新人の場合は一応拒否はできるそうですが、そんな選り好みをしていたら「生意気な奴」みたいな扱いで冷飯を食うことになることが多いそうです。
また「この駄作でどれだけ面白くできるかやってみろ」みたいな扱いでノルマとして渡されることがあります。こうなると拒否権などなく、拒否するには会社をやめる以外にないでしょう。
なので実質、拒否権はほぼありません。


ただしえてしてライトノベルのアニメ化は作者が連載中にアニメ化することが多いので、作者が連載に手一杯でアニメに関われないことが多いです。

また作者が「好きにしてください」とアニメ化の際に言うことが多いらしいのです。
忙しいからなのか、餅は餅屋といった考えなのか、めんどくさいのは嫌われると考えているからなのか、あるいはバリエーションを見ることを喜んでいるのかは分かりません。
同人上がりの作者が増えているので、個人的には改変されて当たり前といった考えの人が増えているのではないかとは思います。


その為「拒否権はないけど会社や作者からお墨付きが出て、けっこう好き勝手にできます。売れたら正義です」が実際としては一番近い感じがします。

沈丁花(じんちょうげ) 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/07/08 (Mon) 19:45:28

 ちょっと閑話休題的に・・・・。

 日本映画専門チャンネルで放送された『沈丁花』(1966東宝・千葉泰樹)を見ました。

 夫を亡くした母(杉村春子)と四姉妹(京マチ子、司葉子、団令子、星由里子)、末の長男(田辺靖雄)が織りなす家族劇です。
ここまでのキャストを見ても、往年の東宝映画ファンなら「うひゃーー」と喜ぶ豪華さなんですが、
母の兄に加東大介、四女の彼氏(冒頭で結婚する)に夏木陽介、その兄に藤木悠となるとかなり特撮の匂いも漂ってきます。

 ざっとストーリーを紹介すると、歯科医院を営んでいた上野家では長女が歯科医師となって父の後を継いでいる。
次女は長女をサポートして助手および医療事務を担当。
 三女ははやばやと結婚。四女も結婚してしまった。
 母は二人の姉たちの行く末を心配して、兄(おじさん)頼みで婿捜しをするのだが・・・・。

 という感じの、今で言えばラブコメです。

 アップテンポでコミカルな演出は、思わず吹き出すシーンもあるほどの楽しさを作り出しています。

 しかし、この映画、ものすごいのはキャストの豪華さです。

 内容に抵触しないように役どころは伏せて出演者を列挙しますよ。

 宝田明、佐藤允、三木のり平、中島春雄(ノンクレジット)、有島一郎、仲代達矢、小林桂樹、広瀬正一、沢村いき雄、小泉博、高島忠夫
と主役級のスターが大挙出演です。
 三船敏郎が出ていないのが不思議なぐらい。

 現代にも優れたスター俳優はたくさんいますが、やはりこの時代のスターは存在感が違うなと思うのは世代のせいか。
つぎつぎと登場するスターを見るだけでも楽しめる充実作でした。

 邦画マニアなら、京マチ子、司葉子がそれぞれ誰と結婚するか、大体見当がつきますよね?

 あ、原作が松山善三ということがあってか、衣装監修が高峰秀子というのも豪華さに箔を付けます。

個人的に一番解せない点 - なんじぇい (?)

2019/06/23 (Sun) 13:28:23

個人的に、キングオブモンスターズで一番解せなかった点をどうにか形にして書いておきます。


芹沢博士が核を使用してゴジラをパワーアップさせた箇所です。
芹沢博士が核を使用した理由は、ゴジラを助けたいというものもあったでしょうが、もっと大きな理由は今すぐキングギドラを倒さないと人類がヤバイからなどというものに見えました(数年たてばゴジラは復活するでしょうと言われていた、つまり放っておいても復活していた)。

しかもその際に、核でゴジラ自身の住み家を吹き飛ばすなどという恐ろしい暴挙を行っていました。
芹沢がやったことは『FINAL WARS』でゴードンがやったことと大して変わらないように見えます。むしろ元々の住み家を勝手に吹き飛ばした分、見方によってはもっと悪質でしょう。

しかし『FINAL WARS』でミニラの説得であっさり許したゴジラにも違和感を覚えましたが、今回のゴジラは延々と人間の都合で振り回され、更に自身の住み処まで破壊されても、なんとその爆発を起こした者たちにちょっと威嚇しただけで終わってしまいました。
これに関しては全く理解できませんでした。


あまりに人間に都合よく動きすぎではないでしょうか。
ギドラさんが益獣と言っていたのはまさにその通りに思えます。
もしかしたら70年代のヒーローゴジラとして描いたのかもしれませんが、こういうところがやはり『FINAL WARS』に似ているなあ、というのが正直なところでした。

Re: 個人的に一番解せない点 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/24 (Mon) 19:53:32

 ああ、わかります。

 芹沢自爆の動機付けは弱すぎますよね。
いますぐジェジラ(ゴジラ)を復活させなければならないというストーリー上の追い込みがないんです。

 モナークの面々は知らなかったことではありますが、海底遺跡に彼らが到達するより前に劇中で
エマが、オルカを使って怪獣たちの動きを止め、その間にギドラの弱点を見つけてギドラを倒す、というアイディアを語っています。
(怪獣を解き放つのがエマの目的ではあるが、ギドラのやっていることはエマの目的とは違う→ギドラは自分好みに地球環境を改造しようとしている)

(エマがジョナに止められたのを見て、マディソンは母親のアイディアを実行しようとするわけですが、描写を見る限り彼女は怪獣たちを止めることより、
ジェジラを呼ぶことが目的だったように感じられます。これも演出の乱れと思います)

 どうもナベケンさんが死に急ぐ必要はないと思われます。

 そして、そうですね、うかつでした。
私はあの核爆発がジェジラの住処を破壊したことをあまり意識していませんでした。
なんでジェジラは怒らなかったんでしょうね。
 放射線レベルさえ高ければそれでよかったのでしょうか・・・。

 映画の中でも言っていましたが「どの怪獣が敵で、どの怪獣が味方なのか・・」という発想から抜けていないのがどうにも気に入りません。
人間の味方なら良い怪獣で、人間に敵対するのが悪い怪獣ということなんでしょうね。

 そんな人間中心の発想を正すのが本来の怪獣映画ではなかったか?と思います。
『三大怪獣地球最大の決戦』でゴジラ・ラドンがキングギドラと戦ったのは、決して人間のためではありません。
結果として人間にとっても役に立ったというだけです。
(モスラだって、文明国のために戦ったわけではなくて、キングギドラはインファント島にとっても脅威だったからです)

 誠に残念ながらレジェンダリーピクチャーズのモンスターバースシリーズは、単なるヒーローものになってしまったようです。

芹沢猪四郎が死んだ理由についてのある見解 - エクセルシオール (男性)

2019/06/25 (Tue) 20:16:57

>芹沢自爆の動機付けは弱すぎますよね。

 確かにその通りだと思いました。もっとも、唐突にオキシジェンデストロイヤー使用、よくわからない海底遺跡の出現、核爆弾でゴジラに活を入れるという展開が、そもそも無茶苦茶なので、芹沢の自爆の理由など「些細な事」に見えてしまうのが悲惨ですけど。

 ただ、芹沢猪四郎博士がゴジラを助けて死ぬというストーリーには、ドハティ監督のよく言えばゴジラへの愛、悪く言えば狂信が関わっていたとの意見を目にしたことがあります。
 ドハティ監督はゴジラをまさに「神」として「信仰」しており、『ゴジラ(1954年)』で芹沢大助博士がオキシジェンデストロイヤーでゴジラを倒したことを、「許すべからざる大罪」と考えていたというのです。そこで、本作においてオキシジェンデストロイヤーで倒れたゴジラを、同じ姓を持った男が命を捨てて助けるシーンを入れることで初代ゴジラへの贖罪を果たさせる意図があったというのだとか。
 
 真実だとすれば頭が痛くなる話です。ドハティ監督は『ゴジラ(1954年)』における芹沢大助の苦悩など一顧だにしていないことになります。アニメマニアなどの中にはキャラクターに入れ込むあまり、すさまじい視野狭窄に陥っている者がいますが、彼もその同類ということになるでしょう。ゴジラというキャラへの愛からそれ以外はどうでもいいと思っていることになるからです。

 なお、確かに上記見解を裏付けるようなインタビューがありました。
https://theriver.jp/godzilla2-interview-spoiler/2/

該当箇所を抜粋すると「本作の、新たな芹沢博士は、かつての芹沢の失敗を正すために行動しているのだと考えたかった。今回の芹沢博士も、オリジナルの芹沢博士と同じような道のりを歩んでいます。しかし1954年版の芹沢はゴジラを殺した。我々自身の神を殺したわけです。本作の芹沢は前回とは違って、自分の神を救おうとしています。
ですから今回は、芹沢という人物を、初めてゴジラの身体に触れる人間として描きました。これは大きな意味のあることで、芹沢は愛情をもってゴジラに触れることになる。ゴジラにほとんど謝罪をするような行為でもあるわけです。」とあります。もはや理解不能な話となっています。

 ただ、日本においてもとんでもないゴジラ映画の解釈をするファンやクリエイターは後を絶ちませんから、ドハティ監督のような考えを他人事として批判するばかりではいけませんが(以前紹介した『さらば愛しきゴジラよ』なんか好例である)。

追記 - エクセルシオール (男性)

2019/06/25 (Tue) 20:48:34

 過去のスレッドを読んだら既に弘前の甥さんが、6月6日付の投稿で同趣旨の発言をされていました(読み逃していました。すいません)。「新興宗教の映画」、確かにそんな感じもします。

Re: ゴジラに飽きないで欲しいものです 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/27 (Thu) 19:15:04

 親記事の主題からはちょっと外れてしまいますが・・・。

>エクセルシオールさん

>キャラクターに入れ込むあまり、すさまじい視野狭窄に陥っている者がいます

 それそれ、それです。
 この問題は深刻です。

 まずはゴジラの問題として書いてみますが、その他の歴史的に名を残す有名シリーズ作品がいま抱える大問題と思います。

 そもそも怪獣ゴジラは、「もし、水爆にも耐えられる不死身の怪獣が現れたらどうするか?」という空想から生まれています。
その背景には核実験による環境汚染や核実験を行ったわけでもない国の国民が被害を受けたことなどがあって、そんな科学の誤用を批判するストーリーに適合するように
ゴジラの姿形・能力などその個性が決められたはずです。

 現実にはゴジラはいないが、空想として怪獣ゴジラが創造されたわけです。
観客は既知の現実(これは未来社会を舞台にした場合でも、科学の進歩から予測される範囲なら既知と言って良い)の上に付け加えられたゴジラという空想を享受するわけです。

 第一作『ゴジラ』での役割を超えて怪獣ゴジラがシリーズ化された理由はひとまず置いておきます。

 ゴジラの存在が空想であり、怪獣ゴジラはすでに創作されたものであるというのが重要です。

 フィクションとは、現実的な物語であれSF・ファンタジーであれ、空想です。
もしも、◯◯だったら、というのがフィクションの基本です。
 ゴジラ映画なら、もしも、ゴジラがいたら、というお話です。

 ですから、ゴジラ映画を作るときは、なんらかのシチュエーションにゴジラを投入する、というのが正しい考え方です。
ゴジラを投入するシチュエーションに作品毎のオリジナリティを作り出すべきなのです。

 ところが、シリーズが長く続き、ゴジラがいることが当たり前のように感じてしまうファン?マニア?オタク?が登場してしまったようです。
彼らはゴジラの存在がベースになっているので、もしもゴジラがいたら、という発想が出来ません。

 もしもゴジラが◯◯だったら、という発想になってしまうようです。
ゴジラ自体が、「もしも」の存在なのに、さらに「もしも」を付け足してしまう。
それが二次創作。

 又聞きで申し訳ないのですが、とある落語の名人が「同じ話を何度繰りかえそうと、演じる側が常に新鮮な気持ちで演じていれば客が飽きることはない」と言ったとか。
ゴジラにも同じ事が言えます。

 同じゴジラを何度登場させようと、作中の人間・社会を描くに当たって常にゴジラに対する驚きと畏怖の念を込めていればマンネリにはならないはずです。
ところが、登場シーンで盛り上げるのはもう飽きたでしょうとばかりに何のタメもなくあっさりゴジラを出してくるなんて愚の骨頂。

 そして作り手が飽きているのかどうか、作る毎にゴジラを改変するという仕業に至るわけです。

 こういう話をすると改変を意識するのはマニアだけだから一般の観客には関係ないという意見も目にします。
NO!NO!

 ゴジラクラスの有名怪獣になると、マニア・オタクの類いでなくともそれぞれのゴジラ体験に基づいたゴジラ観をちゃんと持っているはずです。
ネットであーだこーだ言うのはマニア・オタクだけかもしれませんが、無言で作品を選んでいるゴジラファンがいるだろうということを想像しなければなりません。

 二代目ゴジラかVSゴジラか、人によってイメージは違うでしょうけれど、ゴジラ改変は一般観客のイメージを裏切ることになります。
(ミレニアムシリーズには一貫性が無かったのでゴジラ観を作るところまで行けたのかどうかわかりません)

 むしろ、ゴジラにまみれ、ゴジラが当たり前になってしまったオタクのほうが改変を歓迎するのでは??

 ライトファンのほうが改変を気にするのではないかという書き方をしましたが、そんなライトファンはゴジラの行く末をそれほど気にしているわけでもありませんから、
気に入らないからと言って文句を付けたりもしないはずです。
 ただし、イメージと違うゴジラ映画を好んで見に行くこともないでしょう。
(これ、以前も書きましたが、『シン・ゴジラ』公開後、数人の友人に感想を聞いてみたら、誰も見ていなかったという事実があります)

 改変してはいけないというのは、もちろん同じ名前で別のものという事態を避けよという意味合いもありますが、
なぜゴジラの改変が起こるのか、という問題を考えると上記のような構図もあるように思います。

 改変上等!というやり方は日本のキャラクタービジネスが先鞭をつけたように思います。
ウルトラシリーズはかろうじて別名キャラの量産をしていますが、中身を考えると結局ウルトラマンにバリエーションを作ることに邁進しています。
 あ、無残な改変ということではガメラがいましたね。

 スタートレックシリーズや007シリーズは長らくストーリーリセットなどはやらず、たとえ別シリーズになっても同一の世界を舞台にしていたり、
主役キャラの個性を守ったりしていましたが、
スタトレはJJなんとかというヤツがパラレルワールドだとかいってカークやスポックなど有名キャラの別物を作ってしまいましたし、
ジェームズ・ボンドもその生い立ちに踏み込まれたりMI6内部の抗争みたいな内向き(ウルトラマン同士が争うのにさも似たり)ストーリーになったり、
極めてオタク的な作風のものが出ています。

 そんな二次創作は同人誌でやってて下さい。

 そうだ、私は007シリーズが好きですが、入れ込むほどのマニアではないので、現シリーズは1作目だけ劇場で見て、あとはBS待ちです。
私が好きな007とは違うので。

 キャラ改変の話とは別に、ストーリーやキャラクター設定にやたらとひねくれた解釈をしたがるのも、オタクの悪い癖。
作り手の経歴だったり別作品との関連だったりを総動員して、奇妙奇天烈な暗喩を読み取る人もいますね。
 そんな意見をよく読むと、曲解がほとんどだったりする。
(ゴジラが皇居を踏まないからって幽霊扱いするのはどうかしてるぜ)

キング オブ モンスターズ 映画として基本が出来ているのか 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/18 (Tue) 19:51:29

『~キング オブ モンスターズ』のシナリオ構成について考えてみます。
 ストーリー面を外した、エピソード構成とお考え下さい。
映像演出の話も入ってくるかもしれません。

 最初の感想で、「時間・空間的経過を体感させてくれない」と書きました。
これはシーンチェンジが雑であることに起因します。

 同一シーン内でのカットつなぎはそれほどおかしくはなかったと思います。
(ただし怪獣のシーンには問題ありと思う)
ところがシーンの変わり目は無神経。

 シーンチェンジなのに、まるで同じシーンの別カットのように映像を切り替えています。
もちろんコンテが悪いと言えますが、そもそもシナリオ段階でシーン切り替えのためのつなぎを考えていないからでしょう。

 これは最近の若い監督にありがちな不作法と言えます。
(ハリウッド映画の場合、編集マンが目を光らせていると思われ、これまでそんなに変なシーンチェンジは見当たらなかったのですが・・・)

 生まれたときから映像にまみれて育ってしまった世代は、唐突に場面転換しても混乱はしないのでしょう。
もちろん私だって、映画というものが編集という作業で空間や時間を自由に行き来できることは知っていますから、
唐突なシーンチェンジをやられても理解不能ということはありません。
 写っている人物や背景の違い、光の違いなどで場所や時間が切り替わったことは理解できます。

 しかし、理解とは、判断することであり、取り入れた情報を総合して正しい答えを見つけることです。
場面が変わる毎にそんな判断をさせられたら、ストーリーに入り込めません。(体験的でなくなる)
 シーンチェンジでは、感覚的に別の場所や時間に移動したことを伝える必要があります。
シーンが変わってから1~2秒経って、あ、変わったのかと気がつくようでは不手際と言うべきです。
それはコンテの工夫だけでは不十分で、シナリオ上でも考えるべきことです。

 誰が言ったか忘れましたが、「余計な説明カットを入れなくても観客は理解してくれるから大丈夫」という発言を聞いたことがあります。
この方は、ストーリーの繋がりさえ伝わればそれでいいと考えているフシがありました。
 その考えで、見せたい物だけバンバン繋いでいっても、おそらく現代の観客は理解するでしょう。

 理解と体感は違うのに。

 この映画における、理解は可能でも体感は出来ないという象徴的なシーンを挙げます。
シーンチェンジの問題ではないですが、伝えるべきことが伝わらないという点で根は同じです。

 それはチャン・ツィイーの見せ方にあります。

 彼女はチェン博士という役で登場します。
この名前が観客にどれだけ染みこんでいるかが問題。

 チェン博士はナベケンさんとずーっと行動を共にしています。
ジェジラ・ギドラ二回戦が終わり、あちこちで怪獣が目覚め始めたあと、場面は雲南で滝行している脚モスラに移ります。
そこにチャン・ツィイーがいる!!

 初めて見たときの感覚をお話しすると、雲南でその場にいる人物が「リン博士」と呼びかけるのを聞いて、
はてそんな人物出てきてたっけ、と思ったものの、顔を見たらチャン・ツィイーだったので、
リンという名前だったっけ、と思いました。
 しかし、いつ雲南に来たんだろうな、と。
ま、移動シーンを省略しただけなんだろう、と。

 別のシーンがはさまって、モナークのアルゴ号内に切り替わると、
マークとチャン・ツィイーがいる!!!!!!!

 またしてもあっという間の移動か、アルゴが雲南に行ったのか????
と、さすがにこれはおかしいだろうと思いました。

 しかし映画全体が次から次へとドッカンバリバリ、ひたすらうるさいので気にもしていられず、そこは一旦忘れて最後まで見ました。

 あとでパンフレットを読んでびっくり仰天。
チャン・ツィイーは双子の役だったと書いてあります。

 わかるか、そんなもん。
しかし、マークとチェン博士の対話シーンにチェンの昔の家族写真が写っていたな、あの写真、なんか変な印象だったなと気になりました。

 そして、二回目に気をつけて見てみると、祖母の代から代々怪獣を研究していたというチェンが見せる昔の写真に写っているのは、同じ顔をした女達がふたりずつ。
代々双子の家系ということらしい。

 わかるか、そんなもん!
せめて、マークにみんな双子だねと指摘させればよかった。そうすれば雲南にいたのが双子の片割れだとわかるだろう。
それも雲南の脚モスラ羽化シーンの前に、チェンには双子の姉妹がいることを明示する必要がある。

 正しい段取りは、マークをモナークが拾い、海洋基地キャッスルブラボーで、雲南がテロリストに襲われた話をするとき、
チェンが雲南の生き残りと通信すればいいのです。そこでチェンとリンが会話すれば一目瞭然、双子と分かるでしょう。

 ネットにあった監督インタビューでは、双子の話をインタビュアーが持ち出すと、「よくわかったね。気がつかない人が多いんだよ」なんて脳天気に答えている。
監督的には、ちゃんと違う名前で呼びかけさせているし、あとで双子写真も見せているんだから双子だと思うのが当然と考えているんでしょうか。

 杜撰にもほどがある。

 まさか、気がつかれなくても構わない小ネタと思っていたのか?
瞬間移動したチャン・ツィイーに気がつかないわけがないでしょう。

 これが最も酷い構成上の欠陥ですが、似たようなわかりにくさはほかにもちょくちょくあります。
ゴジラだ怪獣だという話とは別のレベルで不出来と思います。

(インファント島も小美人も無関係なモスラなのに、申し訳程度に双子を持ち出してくるやり方が、GMKで蜂モスラが飛んでいくのを前田姉妹に見送らせた手法にさも似たり)

無意義な「双子トリック」 - エクセルシオール (男性)

2019/06/18 (Tue) 22:46:07

 私もチャン・ツィイー氏の一人二役には困惑させられました。何で双子であることを明示してくれなかったのか、甚だ不親切でしたね。
 確かに気付かなくても物語の本筋にはあまり関係がなかったので、大した問題ではないとも言えます。しかし、それなら「そもそも双子の科学者にする必要性がなかった」と言えるのではないでしょうか。

 考えてみるとそうなのです。雲南にいる科学者がチェン博士の双子の妹でなければならない理由は全くありません。リン博士を全く別の女優が演じていても、否、男優であっても取り立てて問題はなかったでしょう。
 そうなるとこの「双子トリック」には、小美人へのオマージュ(と言えるか疑問だが)以外の意味はありません。まさに「申し訳程度に双子を持ち出してくるやり方」と評すべきですね。しかも、相当多数の人がすぐにはわからなかったでしょうから、オマージュとしても意義が乏しいと言えます。

 余談ですが、現代のCG技術ならば現実の俳優に頼らず小美人を作ることはさほど難しくないでしょう(必要なのは声優だけ)。今後見てみたい気持ちもあります。

Re: 死んだはずだよ、お富さん - 海軍大臣 (男性)

2019/06/18 (Tue) 23:36:40

 現在、討論されておりますシナリオ構成の巧拙の問題からは離れてしまいますが、あのオツムのオカシイ女科学者って本当にあれで死んだのでしょうか?
 勿論、常識的に考えれば、ギドラを黒焦げにするくらいの大爆発(核爆発なのでしょうか?)が起こっているのだから、人間ならば骨どころか灰も残りそうにありませんが、そこは昨今のハリウッドのこと、次回作で「実は生き残ってたよ~ん!」といった感じで再登場してきそうな気がしてなりません。何しろ共謀していたテロリストの連中はそっくり健在で、何やら悪だくみをしている様子でしたから。
 本来ならば、ハッキリと登場人物の死を描かずとも観客にそれを予感させるのが演出の妙味の筈ですが、映画の中でご都合主義がこうまで横行する世の中ですから、どうしても疑ってしまいがちになっております。

 あと話題の双子の件ですが、私も初見時は気が付きませんでした。今時の映画ってものは、観客に対するフォローも無いのかと正直呆れております。
 でもまあ私的には、一人二役はCMの広瀬すずちゃんを観ていれば十分だったりします。

Re: キング オブ モンスターズ 映画として基本が出来ているのか 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/20 (Thu) 19:54:45

>エクセルシオールさん

 まったくおっしゃるとおりで、あの双子の設定なんかそもそもいらないんです。
元祖モスラが小美人とセットだったことを「知ってるよ」と言いたかっただけに見えます。
 実に表面的な引用と言えます。
 本物のモスラとは別の怪獣を出しているのですから、そこに筋を通すべきと思います。
中途半端なごまかしばかりするな、と言いたいところです。
(モスラを出すなら完璧なモスラを出すべきだし、別物にするならモスラに触発された新怪獣として創作すべし。
ほかの怪獣も同じことです)

 フルCGの小美人というのもおもしろそうですね。
実在しない美女をモデリングするのも新たな試みになるでしょう。
いや、いっそザ・ピーナッツをCGで再現するというのも選択肢に入ってきます。音声も合成できるはずだし。
 ついでに、私が小美人のあり方で思うのは、彼女たちはいわば妖精であって、通常の生き物とは違うだろうということです。
テレパシーで人間と意思を通じることも出来ますが、どちらかというと怪獣寄りの存在だろう、と。
そして二人は意識が繋がっていますから、二人で一人と考えるのが妥当でしょう。
 そのあたり、オリジナルシリーズの演出を見ても感じられます。
一続きのセリフを二人で割ってしゃべったりしますから。
某映画で二人に別々の名前をつけるという大暴投をやってますが、あれは間違いでしょう。テレパシーで繋がっている二人が互いを名前で識別する必要なんかないです。

>海軍大臣さん

 そうです、怪しいです。
 一回見ただけのときは、エマが最後にどうなったかの記憶が曖昧でした。
それは、エマは死ぬんだという演出上の追い込みをやっていないからじゃないかと思いました。うーん、ファイナルウォーズの船木みたいだった。
 それこそ、状況判断すれば死んだだろうということになりますが、その死を観客に感じさせない演出になっているのは・・・。

 単に演出がへたくそなだけかもしれませんけれど、あの作りではエマ再登場も可能な曖昧さを持っていると言えます。
(次回作に環境テロリストの秘密を握っているなんて触れ込みで出てきたりして)

 広瀬すずちゃん、いいですねぇ。
もう父親目線ですが・・。
 すずちゃんを合成で二人にして小美人をやるなら今しかねぇ!
(平成モスラみたいなのはやめてよ)

えっ? なに? おとーさんは、アリスも可愛いと思っているぞよ。

Re: 気付かなかった…… - なんじぇい (?)

2019/06/22 (Sat) 16:07:08

遅れましたが、私は双子であることに全く気付きませんでした。
それどころか、パンフレットを買ってすらいませんでしたので、この記事を読んで初めて知りました。

自分の読解力を恥じるべきなのか、それとも映画が不親切なのかは分かりませんが、『シン・ゴジラ』の1万年後と似たような思いをさせられました。
『シン・ゴジラ』と同じように意図的に分かりづらくしたのか、それとも時間短縮の影響でこうなってしまったのかは気になります。

Re: キング オブ モンスターズ 映画として基本が出来ているのか 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/24 (Mon) 19:51:30

 なんじぇいさん

 双子の件は間違いなく、映画が不親切ですよ。
意図的に分かりづらくしたのではないんじゃないかな、と思います。

 映画全体、状況を伝えるのが下手でした。

 モナークの行動がアルゴと潜水艦に分かれるところも、それまで出ていなかった潜水艦を印象づけるのが下手で、
いつモナーク幹部連が潜水艦に乗ったのか判然としませんし、
潜水艦が揺れたことで水流に巻き込まれたと言ってましたが、
潜水艦外観を見せないので、海底に激突すると思いきや未知の洞窟に吸い込まれたという事態がまるで伝わりません。
 どこをどう通ったらあの海底遺跡に到達したのか、ぜんぜんわかりませんよね。

 時間短縮(シナリオをカットしたか?)の影響もあるのだろうと思いますが、
なにかのシーンをカットしたなら、カットした上でシーン同士がうまく繋がるような改変をしなければなりません。
この映画は、いらないと思ったシーンをただ削除したように見えます。
だから長大な物語のダイジェストを見せられている気分になるのだと思うのです。

『ゴジラ:アフターショック』 - エクセルシオール (男性)

2019/06/21 (Fri) 20:36:25

 『ゴジラ:アフターショック』とはレジェンダリー版ゴジラ第一作と『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』の間にあった物語を描いたアメリカンコミックであり、既に邦訳されています。
 内容はゴジラとムートーの首領であるムートープライムとの対決を描いたものであり、『キング・オブ・モンスターズ』のメインキャラたちも登場しているそうです。映画だけでは分かりにくい人間関係などについても、この漫画を読めばわかるらしいですよ(例えば、エマ・ラッセルとアラン・ジョナはこの作品で既に出会っているそうだ)。
 そしてムートープライムは第一作の雌雄のムートーよりもはるかに強く、ゴジラの同族をあまた葬り去り、地震を引き起こすほどの力を持っているのだそうです。また、『キング・オブ・モンスターズ』でゴジラの背びれの形が変わった理由は、このムートープライムとの戦いで一度破壊されたことに起因しているのだとか。そして、映画の最後にゴジラの天敵であったはずのムートー(ニュームートー)があっさりゴジラにひれ伏した理由は、同族の王であったムートープライムがゴジラに倒されていたためという理由が裏にあったためらしいです。

 率直に言って「そんなの知るか!」です。重要な設定を同じ映画ではなく、読者が限られるコミックで描いたところで、ほとんどの観客のあずかり知らぬことでしょう。最低限、劇中冒頭で「そんなことがありました」とダイジェスト的に示しておくべきだったと考えます。
 おそらく、映画の欠点や不備を批判する意見に対して、「前日譚漫画を読んでいないからだ」という反論がわいてくるでしょうが、それは不誠実な反論です。映画は映画、漫画は漫画で独立していなければなりません。この辺、性質の悪い深夜アニメのような感じがしますね。

 ただ、『ゴジラ:アフターショック』自体はなかなか面白いみたいですよ。もっとも、値段は2300円(税抜き)と少々割高ですが。

Re: 『ゴジラ:アフターショック』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/24 (Mon) 19:49:56

 ははぁ、そういう裏ストーリーがあったのですね。

 しかし、この件はエクセルシオールさんに同感です。
『~キング オブ モンスター』にムートーを出さないなら、
映画に関係ないサイドストーリーとしてコミック版は独立しますが、
関連させてしまうなら映画のほうでもジェジラ(ゴジラ)とムートーの関係が変わったことを示すべきですよ。

 ゴジラとアンギラスとの関係とは違いますからね。
初代アンギラスはゴジラに挑んで殺されていますから、二代目アンギラスとゴジラの関係はまた別のこととして納得できます。
しかし、ムートーはゴジラ(ギャジラないしジェジラ)族に幼体を寄生させるわけですから、生態上で対立する存在だと示していました。
その関係は個体が変わっても変化しないのが当然で、今作で突然ジェジラにムートーが頭を下げているのを納得できるものではありません。

 ファンならコミックも読んでいて当たり前と思っているのだとしたら、ちょっと態度が大きすぎますね。
ただこのあたり、それこそ『レディ・プレイヤー1』なんかを見ますと、「知っていれば偉い」という感覚があるのかもしれません。
 映画とコミック両方を知っているのが偉い、とは思えませんが・・・。

 それから、ムートーにしても、今作でのアメリカギドラやジェジラの振る舞いにしても、なんで怪獣に主従関係を持ち込もうとするんでしょうかね。
支配者と被支配者という区分けが好きなのでしょうか。

コンセプトアートについて - エクセルシオール (男性)

2019/06/15 (Sat) 22:47:36

 『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』について議論は尽きませんが、今回はこの作品のコンセプトアートについて書いてみます。宗教画みたいな感じがする絵なのですが、中身についても面白い点がありました。なお、コンセプトアートは特別版パンフレットには掲載されているそうです(通常版でも一部確認できるし、ネットでも見ることができる)。

 まず、ゴジラ、ラドン、モスラが同一陣営にいる絵がありました(同じ構図で2種類ある。ラドンの姿が異なる)。どうやら初期企画では王道の三怪獣対キングギドラという予定だったようです(監督インタビューにも同趣旨の発言がある)。私は映画鑑賞後にこの絵を知り、「これが観たかったのに」と思いました。
 それが何であんなことになってしまったのか?マイケル・ドハティ監督は「思い込みを覆したい」とか言っていましたが、「覆さなくて結構だった」と反論したいです(特に本作品におけるラドンの性格や役割については、貶めているとしか言えないだろう)。

 次にゴジラがキングギドラに勝った後、周囲に他の怪獣が集まっている絵があります。こちらも完成した映画とはだいぶ違います。第一にモスラがいますので、最初はモスラを殺す予定がなかったことが分かります。何でこのままいかなかったのでしょうかね(モスラが死んでも誰も喜ばないだろうに)。
 第二に他の怪獣の顔ぶれが違います。はっきりとは分かりませんが、アンギラス、クモンガ、カマキラス、バラゴンのような姿が確認できます。そして、どう見てもガメラに見える怪獣までいました(カメーバには見えん)。これは画家の願望だったのか?それともある程度の実現可能性があったのか?興味深いですね。

 その他、ガイガンのような姿の怪獣のコンセプトアートもあったそうです。キングギドラに与するのがラドンではなくガイガンだったなら大きな問題はなかったでしょう。もしかしたらラドンはガイガンの役割を押し付けられた側面があったのかもしれません(ひどい話である)。

 どうもドハティ監督は「予想を裏切ろうとして期待を裏切る」傾向がありますね(彼には限らないだろうが)。「焼き直し」と言われるのが嫌だったのかもしれませんが、お約束を守りながら新しい色を出す方針で行くべきだったと思います。

Re: コンセプトアートについて 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/17 (Mon) 19:17:08

 なにーーー、と特別版パンフレットをめくってみましたが、
ギドラを倒した後を描いたものはネットに上がっているものとは別の画柄で、ガメラもモスラもクモンガもいません。
(小サイズでしか掲載されていなくて、ラドンらしきヤツが頭を下げているのはわかるんのですが、その他の怪獣は確認できません)

 どうも完成作とは食い違ってしまったコンセプトアートは載せていないみたいです。

 通常版にも載っていると思われる、ゴジララドンモスラの三匹がそろってこちらに向かっているイラストぐらいがぎりぎり映画とは違うイメージかも。

 コンセプトアートを捜してネットを探ってみましたら、「コンセプトアートかっけーー」、みたいな感想が一杯ありますね。
そうかなぁ。結局別物にされちゃってるんだけどなぁ。
 あ、完成作では鳥っぽくされてしまったラドンがちゃんと翼竜っぽく描かれたものもあったんですね。(地球三怪獣が同じ方向を向いている絵の別バージョン)
そのあたりも監督の意図で改変されちゃった部分なんでしょうか。

 ゴジラに関しては前作から引き継いでいるわけで、猪首で両腕をだらりと下げただらしない姿勢はコンセプトアートで見てもかっこわるいと感じます。
それは、どうしてもゴジラとは違うと感じてしまうからなんですが、なじみの怪獣が改変されても気にしない人々の感覚はちょっとわかりません。

 それはドハティ氏だけでなく、ファンだと言いながら別物を送り出すファン上がりのクリエーターがいることに通じるのでしょうけれど、
そんなやり方は既存のキャラクターを流用する方法として間違っているのじゃないかというのが永年の私の主張です。
 確立したイメージがあるからファンがつくのであって、それを覆したら一から出直しでしょう。
人気が無くなったキャラクターを再生させようとするなら話は別ですが、創作の仁義から考えれば人気が無くなったキャラクターはそっとしておくのが正しいでしょう。

 ストーリー作りも似たところがあって、予想と期待は似て非なる物と考えなければなりません。
予想は先を読むことであり、なにもかも予想通りに進むストーリーがつまらないのは言うまでもありません。
観客の予想を超えていくのがおもしろい物語ですが、そこに合理性がなければただの思いつきになってしまいます。
期待とはこうなって欲しいという思いであり、期待通りになることでおもしろさを感じると言ってもいいのです。
期待を裏切るなら、期待以上のおもしろさを作り出せていなければなりません。

 簡単な例を挙げます。
 恋愛映画において、観客の目から見て結ばれるといいなと思うカップルが最後に相思相愛になれば、期待通りの展開です。
それを、最後に二人が憎しみ合うという展開にすると期待を裏切るストーリーというわけですが、
どうでもいい理由で憎しみ合うなら、期待を裏切っただけのダメストーリー。
もし、そこに恋愛に絡む人間心理の深い洞察が込められていれば、期待は外されても観客は心を揺さぶられるはずです。

 なにはともあれ、まずは王道・定石を大事にせよと言いたいですね。
思いつきで(本格に対する)変格を見せられるのには飽きました。

Re: 改変について参考になるかもしれないので書いておきます - なんじぇい (?)

2019/06/17 (Mon) 23:36:15

ファン上がりとは限りませんが、別の人が演出したり製作に携わってできたキャラクターや作品が、改変のせいで別物になってしまう理由については、少し前に同人誌(ゴジラとは全く関係ないです)の作り手と話をしたときにそれらしきものを聞くことができました。

端的に言えば理由は2つで、『完璧な自分の好みのキャラなど既製のものには存在しないから』『社会的・商業主義的・個人的な欲が混じりあったもの』だそうです。

まず前者ですが、人は何から何まで全く同じ人間というものなど存在しないものですから、細部に至るまで完璧に好みや考えが一致することなどあり得ないものです。
その為に例え自分が一番好きな他の人が製作したものでも、キャラクター全体やシナリオ全体という大きな部分で見れば、なんがしか「こうだったらいいのになあ」という部分はあることになります。

それに影響して作品を作ろうとします。しかし仮に自分に一番好きなキャラや作品を創作してみた場合、細部の演出や設定などは完璧にこれまでに一番好きなものの寄せ集め、いわば「パクり」となってしまうことが往々にしてあるのだそうです。
細部に関しては完璧に好みが一致することは珍しくなく、どうあがこうがパクり呼ばわりは避けられないこともあるんだそうです。

そうした場合、このキャラや作品を出すには2つしかありません。
まずは好きなものからインスパイアを受けた、またはオマージュということを明記するというものです。
しかしこれを出した場合、2つの大きな問題点があるらしいのです。1つは採算がとれないという問題。売り上げが大幅に落ちます。
そしてもう1つは、「自分だったらもっとこうしたのに! これなら完璧なのに!」ということを発表したい点を出せないということです。
そういう欲が出てしまうことは、恥ずかしながらもどうしても避けられないと言っていました。
そこでもう1つの、既存のキャラを改変して「自分だったらこうした」と言いたい欲と採算を取れることを両立させて出すという方法になってしまうんだとされていました。

なぜその選択をとってしまうのかに関しては、「キャラクターはとても好きでも作品全体や作者のことはそれほど好きでもない(好きなものは作品だったり色々変わります)」などということが往々にしてあり得るからだろうと言っていました。
個人的には「赤信号みんなで渡れば怖くない」もあるように見えます。
またこれ以外にも、単なる作者の読解力の低さによる解釈ミスや、曖昧な箇所の個々の解釈違いも多くあるだろう、とのことです。


ではそれを防ぐことは可能なのか? 聞いてみたところ、極めて難しいのではないか、ということでした。彼の意見を要約して出してみます。


同人なら公式ではないために、それほど問題も起きないかもしれません。
ただし公式ではそうはいきません。商業的な理由でシリーズの続編とされることが往々にしてあります。
そこで仮に法律を設けても、既に亡くなった原作者が完全に文句のない作品を作ることなど絶対に不可能であり、どれほど吟味して考察していても別のファンから「こんなものは原作者は望んでいない」「その解釈は間違っている」などと意見を言ってくることはよくあることです。
また同人や個人創作でさえも、製作者はあまりいい気分はしない可能性も否定できません。


その為に仮に完璧なルールや法律を作るとしたら「著作権を持つ原作者が遺言もなく亡くなった場合、作品やキャラクターにおける原作者の思いやイメージを守るため、一切の続編や創作を禁止する」というものになってしまうこととなり、そんな法律は商業主義的観点や思想表現の自由から見ても不可能でしょう。
当然ゴジラシリーズも続編は一切作られず完全に終了してしまうことになります。
結果どこかで落としどころを取ることになりますが、その落としどころというものはやはり厳しいでしょう、ということでした。


私は彼の話を聞いたときは納得はしませんでしたが、理解はしました。
果たしてどう解決するかに関しては、あまり思い浮かびませんでした。



ちなみに彼は、「死ぬ前にキャラや作品を作者達の財産とし、どこまでOKなのか製作側が遺言を残すことが一番いいだろう」ということでした。
ただしこの場合、ゴジラのように特に何も言わずに既に作者が亡くなったものはどうすればいいのか、という問題は解決しませんが……

Re: 追記 - なんじぇい (?)

2019/06/18 (Tue) 01:02:58

ちなみに……
仕事で興味のないキャラや作品でないものを書く方が、よりアレンジや改変が酷くなる傾向が多いのだそうです。

理由としては非常に乱暴に言うと「ほぼ拒否権なしの安い報酬で興味ない(下手したら嫌いになります)のばかりずっと描くとかやってらんないわ、そのくせあれこれ指定つけて面倒くさい、何がいいのかわからんし奴隷じゃないんだからせめてある程度好きに書かせてくれ」という意思が働くんだとか。
そして、そのあとファンだとか好きだとかの嘘をついて免罪符を出すことになってしまうんだそうです。


まあ、気持ちは多少分かる気がします。案外こういうパターンは多いと思います(明らかなにわかファンが書いたとされる同人誌は結構見かけます)。
私も低賃金で好きでない作品の長い創作をしろと強制されたら、似たようなことになってしまうかもしれません。


ただ、どっちかというと業界や賃金の問題な気がします。

Re: コンセプトアートについて 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/18 (Tue) 19:42:47

 複数の問題が絡んでいるので、単純化は危険というところですね。

 現実はそんなにうまくいかないのだ、と言われるのを覚悟で私の考えを・・・。

 何かの作品から影響を受けてオリジナルとして創作したときに、パクリに見えてしまうとしたらそれは原典の咀嚼が足りないからでしょうね。
作品から伝わる観念だったり感情などを自分独自の世界設定と人物配置で再現したなら決してパクリには見えないはずです。
まあ芸術は模倣から始まるともいいますから、誰かの作品で使われた設定を流用することはそれほど責めるほどのことはないとも思います。
(タイムマシーンはウェルズ発案ですが、別作品にタイムマシーンを出したからといってパクリとは言われないでしょう)

 上記の考え方からすれば、水爆実験で住処から出てきた怪獣がいたとしても、それをゴジラのパクリとまではいわなくていいんじゃないかということになります。
『水爆と深海の怪物』に出てくる大ダコなんてまさにそういう設定ですが、ゴジラのパクリだと責めるような映画ではありません。

 好きな物を投入したら他作品からの寄せ集めになっちゃった、というなら、創作するとき、おのれの生活や体験、他人の生活や体験、社会問題・科学知識といった現実に根ざした材料を使わないことに原因があります。
創作する上で他人の創作物のみを材料にすると、二次創作になるというわけです。
パロディ作品としての価値を生み出すことは出来ると思いますが、商業作品として発表するには権利関係の処理が大変ということになりますね。

 ゴジラの話に戻しますと、既存のキャラクターを使う話になります。
担当者が変われば思いも変わりますから、「自分ならこうする!」という考えが出てくるのは仕方ないでしょう。
けれども、ゴジラに携わる人に考えて欲しいのは、「あなたがゴジラを創案したのですか?」ということです。
たとえ一人の人間の意思だけで作り上げられたものではないとしても、ゴジラというのは先人によって考え抜かれ磨き上げられた存在です。
その先人の意思を無視する権利はありません。
ゴジラを担当するなら、ゴジラがどんな存在であるかを徹底的に学ぶ必要があります。
答えは映画の中にありますから、元祖シリーズを繰り返し鑑賞してゴジラ観を作るべきなのです。
『ゴジラ』から『オール怪獣大進撃』までならたった10本しかありません。

 ゴジラはすでに創作されているもの。そこに昨日今日担当者になったばかりの人間の創作は要りません。

 とはいうものの、オリジナルシリーズの時代にもなんらかの変遷はあります。
そこに許容すべき変化の基準もあります。ですから、まずは作品を見て研究することが大事になります。

確かに、私も
>そこで仮に法律を設けても、既に亡くなった原作者が完全に文句のない作品を作ることなど絶対に不可能であり、どれほど吟味して考察していても別のファンから「こんなものは原作者は望んでいない」「その解釈は間違っている」などと意見を言ってくることはよくあることです。

と思います。
それでも、改変上等、積極的に変えてやれ、誰も見たことのないゴジラでござい、とやらかすよりは、原典を再現しようと努力したほうがよほどブレは少ないでしょうし、
もしうるさがたのファンから文句が出たなら、その意見も考慮(その正当性を審議する)してより正しい方向へ修正していけば、作品毎の変動はありつつも常に原典へ帰ろうとすることで、
元祖の魅力は保たれるでしょう。

 私がしつこく「改変するな」、と言い続けるのもそのためです。

 商業映画成立のためには儲けが必要になりますから、資金供給サイド(あえてこういう言い方をします)が考える集客のための方策を取り入れろと現場に求めてくることもあるでしょう。
しかし、資金供給側(いま、本当の意味での映画プロデューサーっているのでしょうか?)に映画の善し悪し、創作の作法が分かる人がどれほどいるのでしょう。

 公開された作品に対してファンが厳しい目で批評することで資金供給担当の暴走に少しはブレーキをかけられるんじゃないかと思うけれど・・・、現実は「批判=悪」みたいに思っている人が多いみたいで。

 また、興味のない題材を金のためにいやいや担当するのだとしても、既存のキャラクターを使う企画ならプロとしてキャラクターの保全は意識するべきだと思いますね。
キャラ改変をやらなくても、ストーリーの中に自分の主張を込められるでしょうに。現在ではストーリーにもあれこれ物言いを付けられるのでしょうけれど、そこもやはり観客による批評が必要な部分です。

怪獣を元々の設定を超える強さにしていいのか? - なんじぇい (?)

2019/06/13 (Thu) 18:02:29

ラドンについてのギドラ様の説明に引っ掛かったために、アレンジの問題と絡めて出させてもらいました。

例えばキングコングは、元々は身長10m前後で、当時の機銃で死んでしまうような存在でした。
しかし、『キングコング対ゴジラ』では身長が大幅に巨大化し、ゴジラと殴り合えるくらい頑丈になりました。帯電体質と言う、接点をほとんど感じないような能力もつけられました。
『髑髏島の巨神』でも、身長も元々よりやはり遥かに大きくなり、機銃程度では多少痛がるくらいに強化されています。

また初代ラドンは最期は溶岩で死んでしまいました。しかし『キングオブモンスターズ』では逆に溶岩から出てきています。

しかしラドンに関しては軍事マニアの友人いわく、「溶岩程度で死んでしまうなら、それ以上の高温が出せてしまう燃料気化爆弾やサーモリック爆薬(公開当時はまだ開発されていないそうです)で簡単に殺せてしまう。その為に設定の変更はむしろ良いだろう」と言っていました。
キングコングにしても、当時のままではあっさりと歩兵に鎮圧されてしまうことも否定できないのだそうです。

現代兵器が当時の想定を上回ってしまった……ということなのかもしれません。あまり喜ばしくありませんが、確かに兵器の進歩に合わせて怪獣を強化することは一理はあると思います。
公開当時の強さを出すには設定変更もやむを得まい、という感じでしょうか。


そのように時代に合わせて怪獣をパワーアップさせることは、皆様はどうお考えですか?
考えたくもないことですが、遠い未来、もしオキシジェンデストロイヤーが開発されたら、ラドンと同じようにゴジラも強化されるべきなのでしょうか。


ちなみに、「ゴジラを飛ばそう」「特訓などでパワーアップして帯電体質や赤い色の熱線を出せるようにしよう」みたいな、単に怪獣を強く見せたいから設定を無視しない範囲で後付けで能力を着けました、のようなものも悩みます。

私にはわかりません。どうなのでしょう?

Re: 怪獣を元々の設定を超える強さにしていいのか? - なんじぇい (?)

2019/06/13 (Thu) 18:42:10

追伸です。

>火山から出てくるというところにオリジナルとの共通点を作ったのでしょうけれど、厳密にはラドンは火山で生まれたのではなく、火山で死んだのですけどね。

引っ掛かったのはこの部分で、私は最初見たときラドンが強化されたことを端的に示したかったのではないかと思ったのです。
このラドンは溶岩では死にません、以前のラドンより強いんです、と。
友人の話を聞いて、もしかしたら以前のラドンなら現代兵器で殺せるいう突っ込みを潰すためなんじゃないかとも感じたりしましたが。

あと……火山から出てきて灼熱しているのは『ゴジラVSメカゴジラ』のファイヤーラドンのオマージュもあると思います。

とりとめのない書き方になってしまいましたが、そんなところです。

一定範囲内ならば許容できると考えます。 - エクセルシオール (男性)

2019/06/13 (Thu) 20:24:38

 時代に合わせて怪獣の設定を強化することに関しては、私はある程度までは許容できると考えています。怪獣には原則として「人間を圧する強さ」が必要であり、そのためには人間側の強さに比例して強化することは必要なことであると考えます。また、怪獣同士のパワーバランスを保つという観点からも強化が必要な場合もあります。
 次に、怪獣は怪獣映画の主役である以上、「かっこよさ」も大切ですから、その観点から技等を追加することも一定の範囲内では許されると思います。

 ただ、元々の設定による変更の限界というものはあるわけで、例えば、キングギドラを宇宙怪獣ではなくしたり、ゴジラより弱くしたり、ゴジラを霊魂の集合体や、小型化して分裂するようにしたりするのはアウトですね。そう考えると最近は変更限界を超えているどころか、その自覚すらない作品が増えている観は否めません。

 なお、ラドンに関しては『三大怪獣地球最大の決戦』において、ゴジラの放射火炎の直撃に耐えています。放射火炎は当時の設定では確か10万度だったので、溶岩よりはるかに熱いはずです。また、放射火炎より強力なキングギドラの引力光線を受けても致命傷にはなっていません。ラドンは2代目段階で十分に初代より強くなっていたと言えるでしょう(この変更は上記した怪獣同士のパワーバランスという観点から許容されよう)。
 そうなると、『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』のラドンは果たして強化されたと言えるのか?疑問です。「ぶりぶりざえもん」的描き方も含めて鑑みると、むしろ劣化させられたと私は考えています。

Re: 怪獣を元々の設定を超える強さにしていいのか? 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/13 (Thu) 20:31:57

 最初に、そのー、「ギドラ様」というのはもうよしましょうよ。
「さん」とか「ちゃん」で、ひとつ。「ちゃん」はダメか。かわいくないもんなぁ。

 ラドン、だけじゃないですが、怪獣の能力変更の件ですが、これはずいぶん前にゴジラファンサイトで話し合われた結果を支持しています。

 ストーリー上で変化を描いていれば問題ないのではないか、という考え方です。
(キングコングの帯電体質はこれに当てはまる)
もちろん、その変更内容の善し悪しは問題にされますけれど。

 ラドンに関すれば、初代ラドンも機銃や大砲・ミサイルでは死んでいませんから、
溶岩の温度で死んだとは考えにくいです。
 私は、噴火に巻き込まれたことで、まず酸欠状態になったこと、そして、噴火が発生する熱線は継続的に大量の熱を送ってくるので、
その合わせ技で死んでしまったのだろうと考えています。
 だから溶岩から出てきたことでラドンじゃないと言いたかったわけではなく、イメージとして火山発、というのは違うんじゃないかと思ったのでした。
(いや、その後思い返したら『三大怪獣地球最大の決戦』では阿蘇火口から出現するんですよね。これは『空の大怪獣ラドン』ラストが阿蘇火口だったので、それに繋いだ処理であろうけれど、『キング オブ モンスターズ』はそれを意識した?じゃ、噴火はいらないんだけど)

 ラドンが噴火で死んでしまったことはずーっと引っかかっています。いわゆる日本的怪獣観にはそぐわないんです。
『空の大怪獣ラドン』を作った頃は、まだ怪獣観が固まっていなかったとも考えられます。
原案が香山滋さんではなく、黒沼健さんだったことも影響しているでしょう。
同じ黒沼さんのバランも爆弾を飲み込ませるだけで殺されていますしね・・・。

 怪獣の設定変更をするな、という主張から考えると、二代目ラドンも『キングコング対ゴジラ』のキングコングもなかなかまずいことになります。
初代ラドンは噴火に巻き込まれて絶命しているのに、二代目はゴジラの熱線を吹きかけられても平気だったりする。

 ただどちらも、『空の大怪獣ラドン』『キング・コング』のストーリーをなかったことにしているわけではなく、
(『キングコング対ゴジラ』では、コングを目撃した桜井が「キングコングだ」と言っているので、世界的に知られた存在であったことがわかります)
双方、劇中でも初代とは別個体であると認識されますから、違いがあっても決定的な改変とも言えないだろうと考えています。

 昨今の改変ゴジラもゴジラ正史を引き受けた上で、元祖ゴジラとは別のヤツが出た、という話ならまだわかるということになります。
 んー、しかし、大きさや能力の違いだけでなく、その生理や姿が大幅に違うのではダメかな。

『キング オブ モンスターズ』でのラドンがラドンらしくないのは、その姿形と性質の問題が大きいです。
(ファイヤーラドンを意識しているだろうことはわかります。が、平成VSからの引用は、ね、私の観点からだと、・・わかりますよね)

 もう一点、『キングコング対ゴジラ』のとき、アメリカサイドからコングをオリジナル版とは違ったものにしてくれ、という要請があったようです。
(『キングコング対ゴジラ』映像ソフトのオーディオコメンタリー参照)
それはきっと円谷英二監督としては忸怩たる思いがあったことでしょう。
『キングコングの逆襲』ではオリジナルに近いキングコングに戻しています。

 と、いろいろ難しい面のある議題なんですが、
映画は一作毎にさまざまな事情で中身が決まっていくものですから、
変えたくなくても変わらざるを得ないことがあったり、変えたつもりがなくても変化が起こってしまったり、ということがあります。
 そんな中、積極的に変えてしまえという態度を取れば、架空の生き物たる怪獣は、
あっという間にアイデンティティなどすっ飛んでしまうぞ、と強く訴えたいところです。

 あれ? そういう話じゃなかった?

Re: 怪獣を元々の設定を超える強さにしていいのか? 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/13 (Thu) 20:35:50

上のレス、エクセルシオールさんのレスを読まずに書いていました・・。念のため。

Re: 怪獣を元々の設定を超える強さにしていいのか? - 海軍大臣 (男性)

2019/06/14 (Fri) 01:43:02

 私もエクセルシオール様の言われる、

>時代に合わせて怪獣の設定を強化することに関しは、 私はある程度までは許容できると考えています。

 とのご意見に同意します。勿論、一定の範囲内であるなら、とする条件付きであることは言うまでもありません。

 次になんじぇい様が提議なさっている、

>遠い未来、もしオキシジェンデストロイヤーが開発されたら、ラドンと同じようにゴジラも強化されるべきなのでしょうか。

 の問題ですが、【ゴジラ】第一作という完結した物語の中では、原水爆の暗喩であるゴジラを抹殺してしまう最終兵器という性格を付与されているのがオキシジェンデストロイヤーですので、ゴジラがこれを超える存在になってしまっては、甚だ問題であると思われるのです。
 また仮に将来、そうした内容の作品が作られるとしても、劇中でゴジラがオキシジェンデストロイヤーを超越する存在となったことの十分な説明なり、ストーリー作りが為されなければならないと考えます。少なくとも今回みたいに、オキシジェンデストロイヤーの名前を冠した兵器が唐突に出てきて、しかもダメージは与えても、ゴジラを溶解出来ない中途半端な存在として描くのは論外でしょう。
 いわばオキシジェンデストロイヤーはゴジラの物語に終わりを告げる存在でありますので、決して安易に劇中に用いるべきではないと考えます。
 先にギドラ様が、オキシジェンデストロイヤーによって誕生したデストロイアは、初代ゴジラの見事な本歌返しであると仰られていました。私も大森監督によるこのアイデアに対しては賛同しますが、ただ、同作品でも後半でデストロイアの吐き出すオキシジェンデストロイヤーの描写だとか扱い方が酷くぞんざいな感じがして、肩透かしを喰った気分だったことが思い出されます。
 話がそれてしまいますが、折角あの作品に山根恵美子役で河内桃子さんが出演されているのだから、その辺りでもっと突っ込んだものにしてもらいたかったと今でも痛感されてなりません。
 例えば彼女の役回りからすれば、【世界大戦争】に出てくた「焼きイモ屋のおじさん」の様な使い方が出来たのではないでしょうか? 件の焼きイモ屋というのは長崎の原爆で家族を失し、細々とした暮らしの中で核兵器反対の募金活動をしているという設定でした。そうした重すぎる過去を背負った人間が、ついに核戦争が始まり、人々が逃げ惑う様を絶望した表情で眺めるシーンが劇中にありました。あれこそがゴジラのメルトダウンを防ぐためにデストロイヤ(つまりオキシジェンデストロイヤー)を利用することを選んだ人類を見つめる山根恵美子の視線でなければならなかったのではないでしょうか。勿論、ファミリー向けのお正月映画にはそぐわないテーマとなってしまいますが、オキシジェンデストロイヤーをテーマに据えるのであるなら、そこまで思い切った作劇が必要ではないかと愚考します。


 あと蛇足ながら、キングコングですがオリジナルと東宝版(キンゴジ版)では、どうやら出自が違うのではないでしょうか?
 翻訳された第一作のノベライズ版によると、髑髏島は「ボルネオやスマトラよりももっと南西」に位置しているとしてありましたから、当時まだ蘭領インドネシアと呼ばれていた大スンダ列島辺りの想定の様です。ただ、原住民の言葉は中部太平洋のパラオ諸島の現地民の発音を意識して創作していて、何故か酋長の言葉だけはオーストラリアの土語を基本に作り上げているようです。
 ところが東宝版のファロ島(島の名前も違いますね)は高島忠夫のセリフにある通り、南洋はるかソロモン群島という設定で、これまたピジニングリッシュ風のナンチャッテ土語が使われています(ただし、何故か御主人様を意味する「トアン」というマレー語もでてきます)。
 生まれも育ちも違えば、体格や体質(耐電といった部分も含めて)も違って当然ですから、劇中の人々が巨猿という理由でこれをキングコングと呼んでいるだけで、ゴジラタイマンが張れる大怪獣としてのエクスキューズにはギリギリでなっているのではないかと思っております。

Re: 怪獣を元々の設定を超える強さにしていいのか? - 海軍大臣 (男性)

2019/06/14 (Fri) 07:19:19

訂正です。

 ☓ ゴジラタイマンが張れる大怪獣

 〇 ゴジラとタイマンが張れる大怪獣


Re: 怪獣を元々の設定を超える強さにしていいのか? - なんじぇい (?)

2019/06/14 (Fri) 12:35:52

これからは「ギドラさん」でよいのでしょうか?
「殿様様」とか「殿様さん」だとものすごく変な感じになってしまうので。

私もエクセルシオールさんの意見に賛成します。
今日改めて軍事マニアの人に尋ねてみたところ、溶岩や噴火で死ぬ生物を当時からずっと進んでいる現代の兵器で殺せないようにする理屈を作る事はすごく難しいと言っていました(燃料気化爆弾には窒息させてしまう効果もあるんだそうです。その他遥かに高い温度を出す核兵器などもある)。
核をはじめとする現代兵器で殺せない理由を後付けなくどうにか理屈でこねくりまわすよりは、もう別個体のラドンには溶岩は効きませんとした方が良いように見えます。
無論、強化にもエクセルシオールさんのおっしゃる通りある程度の制約があるべきなのも同意です。

余談ですが、2代目のラドンは宇宙にも行っていました。酸欠や窒息にもならないため、初代ラドンと比べたらそこも上回っているんですね。
名実と共にゴジラと同格にされていたことがうかがえます。




エクセルシオールさんがおっしゃっていた『キングオブモンスターズ』のラドンの話です。
ファンが監督に「日本でラドンが『ゴマすりクソバード』と呼ばれていることをどう思いますか?」と尋ねていました。

監督の返答はなんと「Rodan the Company Man. 」でした
https://twitter.com/Mike_Dougherty/status/1137771620099956736

監督公認でラドンはゴマすりになってしまいました。
監督自らラドンを「Company man(会社ベッタリ、上司の顔色を伺う人)」扱いしたため、これからもずっとラドンはバカにされ続ける羽目になってしまうのではないかととても不安です。

Re: 怪獣を元々の設定を超える強さにしていいのか? 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/14 (Fri) 17:15:49

>なんじぇいさん
 はい、「ギドラさん」でオッケーですよ。

 空き時間でこそこそっと書きますので、なんとか短めに・・。

 前回の私の記事は議題から逸れ気味だったので、
もう一度まとめておくと、
必要に応じての怪獣強化は認めます。
ただし、劇中でその変化を描くか、別個体だから能力も違う、という線引きありで、ということで。
(ストーリーリセットで同じ名前の別怪獣を出してくるのはナシね、と)

>海軍大臣さん
『キング・コング』のノベライズまで研究なさっているとはさすがです。
私はそのあたりの情報収集が実におろそかで反省します。
『vsデストロイア』で、デストロイアがオキシジェンデストロイヤーを放射するくだりは問題ありですよね。
最初に見たときは、死に瀕したゴジラはオキシジェンデストロイヤーを克服したのか、と驚き半分うれしさ半分でしたが、
当時はまだまだ考えが浅かったのだのだなと痛感します。
(大森監督は『vsキングギドラ』で初代ゴジラすらいない世界を作ってしまったのに、その延長線上に『vsデストロイア』を考案したのは、さてどうなんだろうとも・・)

 で、オキシジェンデストロイヤーが実現した世界があったとしてのお話ですが、
なんじぇいさんがおっしゃるのは、現実世界にオキシジェンデストロイヤーが存在する世の中になったら、ということと思います。
 そうですね、そこまでの超絶科学が実現した社会において、
怪獣映画という物語形式が価値を保ち得るのかどうかに自信がありません。
 ですので、私の意見としては怪獣映画がなくなっちゃうかも、と思います。

 あ、二代目ラドンの宇宙行きですが、X星人の牽引バブルに包まれていましたし、X星には呼吸可能な大気があると考えられるので、窒息はしない状況だったと思いますよ。

 ドハティ氏がラドンをCompany Manと言っているのは、前回twitterを紹介していただいたときに目にしました。
なんてこと言うんだと思いましたが、今回のリンク先に日本のファンの方が異議申し立てされているのがくっついていて、
溜飲を下げました。

Re: 怪獣を元々の設定を超える強さにしていいのか? 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/14 (Fri) 17:22:32

>呼吸可能な大気

 怪獣なら呼吸可能な大気
とさせて下さい。P1号が着陸したとき大気組成を観測していたと思うんですが、その内容までは覚えていなくて・・。

キング オブ モンスターズ 核兵器 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/13 (Thu) 20:41:09

 どうも気になるので、もう一度はっきり書いておきます。

『キング オブ モンスターズ』での核兵器の扱いです。
6月6日の記事で、

>ジェジラが核兵器で元気になるというのは設定上仕方ないことでも、核兵器を使うことを善として描いているのはひどい。
>だからゴジラが放射線だの放射性物質だのをエネルギーにしているという設定はまずいんですよ。

>ゴジラは核実験の被害者でなければならない。

と書きました。

 これにもっと付け足します。

「憎んでいたジェジラを助ける羽目になるとはな」と嘆息するマークに、
ナベケンさんは、「心の傷を癒やすには、その傷を付けたものを受け入れ、許すことだ」(てな感じだったと思う)と言います。
そのとき彼は8時15分で止まった懐中時計を握っています。
 映像は意味ありげにそこをクローズアップ。

 これは2014年の前作で説明された、ナベケンさんの父の形見。
年齢設定に無理はあるけれど、どうやら父親は広島の原爆で死んでいるという設定らしい。

 ジェジラ(ゴジラ)出現で息子が死んだマークに、原爆で父を殺されたナベケンさんが説教するシーンです。

 総合すると、ナベケンさんは原爆を受け入れ、許した、ということになるのでしょうか?
だから核弾頭を使ってジェジラに闘魂注入したという風に受け取れます。

 では、日本人にも原爆を受け入れろと?
まあ、現政権はアメリカの核の傘に入ることに積極的ですから、日本国は原爆を受け入れているわけですが。
(核兵器禁止条約に日本は反対している)

『ゴジラ』(1954)はどんな映画だったでしょうか。
大テーマは科学の誤用を批判することですが、わかりやすいレベルでは核実験批判であり、核兵器批判でした。
決して核兵器を受け入れろという作品ではない。

 このあたり他の方々がどう見ているのかと少しだけネットを漁ってみましたら、
この映画での核兵器の扱いに問題はあるけれど、アメリカの核兵器観が反映しているのだから仕方ない、というご意見の方がいらっしゃるご様子。
(少数派ならいいけれど)

 そりゃないぜセニョール。現状追認は日本人の悪い癖。
人類の一員としてそんなアメリカの態度・政策にノーと言いましょうよ。
そして、核兵器で元気になるような奴はゴジラじゃないと言うべきだ!

キング オブ モンスターズ オルカって何だ? 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/11 (Tue) 19:35:32

 いまいちよくわからないオルカについて考えてみました。
その後吹き替え版も見て、再学習しました。

 もともとオルカはマークが試作品まで作って破棄したものをエマが作り直し、改良したものとされています。
字幕版ではマークが試作したとしか言っていなかったように思いますが、もともとは鯨を沿岸に近づけないようにするために作ったということでした。

 そして、怪獣の生体音を使って・・・、というのですが、この生体音とはなんでしょうか。
心臓の鼓動や呼吸音、血流の音などすべてひっくるめて生き物が出す音ということでしょうか。

 それを使って怪獣に何らかの影響を与えるというのは、前作でムートーが振動を使ってコミュニケーションしていたことに源流がありそうです。
しかし、それぞれ別種の生き物である怪獣たちがみんな「生体音」に影響されるというのはどうも無理がある・・。

 オルカの信号に怪獣たちはさまざまな反応を示すとも言っています。
なんらかの怪獣の生体音がほかの怪獣に影響を与えるということらしいのですが、一律に「寄ってくる」とか「忌避」するということではないので、
生体音を使って情報伝達しているのでしょうか。
 となるとコミュニケーション出来るということでしょうし、生体音をさまざまに変調して情報を伝えるということなんでしょうか。

 いまいち説明不足のまま話が進んでいくと、どうもジェジラ(ゴジラ)の生体音と人間の音(字幕版では声と言っていたと思う)を混ぜたものを使っていると判明。

 それでも、オルカがコミュニケーションを取る道具なのか、感情に影響を与える道具なのかはよくわかりません。

 孵化したばかりの脚モスラが武器を構えた人間に対して怒ったとき、オルカを使ってなだめていたのは、話をしたのか、怒りを静めただけなのか。
そのとき、格別に音が聞こえた風もなかったので、人間の可聴範囲から外れた周波数の音波を出していたと考えられるのですが、人間の声を混ぜていたならそれも変。

 地球の雑魚怪獣がジェジラと人間の音を混ぜたものでおとなしくなったのはまあ認めるとしましょう。

 なぜアメリカギドラまでがオルカの信号で起き上がり、足下の人間への攻撃を躊躇する?
(マークがギドラに襲われそうになったとき、マディソンがオルカでギドラを止める)
ギドラは地球怪獣を操ろうとしているのであり、ジェジラと同じくボス怪獣なのですからオルカの言うことを聞く筋合いはないはず。

 ロダンを叩き起こしたときも、ボストンから怪獣沈静信号を出したときも、音響システム経由でスピーカーを使って発信していました。
可聴範囲を超える音波を正確に再生する高性能アンプにスピーカーだったのか??
重箱の隅をつついているわけじゃありません。想像力の欠如が情けないのです。

 いっそ平成VSばりにテレパシーと言っちゃったほうがまだ納得できます。

 ギドラも怪獣たちを操っていたわけで、ならばギドラも自分の生体音をさまざまに変調して情報伝達していたのでしょうか。

 自分の指令を上書きしてしまったオルカを止めにボストンへやってきたギドラは、ちゃんとスタジアムの放送室を襲いますから、ものすごく賢いと言えます。
普通に考えればスピーカーを破壊しますわな。

 そしてジェジラと組んずほぐれつ。まあ、それはいい。
さて、昏倒したジェジラが回復するまでの時間稼ぎだと言って、エマおばさんがオルカを持って「ほーらこっちだこっちだ」とジェジラから離れるのですが・・・。
アメリカギドラよ、なぜオルカを追いかける?

 もうアンプ経由ではないのだからほかの怪獣たちには聞こえていない。
ジェジラのほうがよほど地球侵略計画には邪魔なはずだ。
あるいは、信号を止めたいなら電撃一発で止められたはずだ。無様に這いずりながらなんで追いかける???
追いかけたくなる信号を出したのか?
 だとすれば、特定の信号には特定の反応しか示さない下等動物なのか。

 どうも、オルカというのは、さほど考え抜かれたものではなく、ストーリーを転がすためだけの便利アイテムだったように思います。
そこにちゃんと筋を通した理論があればSFガジェットになり得たかもしれません。

 そして、怪獣を操る技術に科学の誤用を感じさせることも出来たかも知れません。(少しはその発想があったのに、ストーリーとして展開させていない)
ただ、テロリスト・ジョナが「自然を制御することは出来ない」と言っていたので、次回作で展開させるのかも。


 と、いろいろ考えてみましたが、結局オルカはよくわかりません。
劇中でその原理や使い方をもっとちゃんと示す必要があったんじゃないでしょうか。
オキシジェンデストロイヤーとは違い、偶然発見された未知の技術じゃないんですから。

ドハティ監督のツイッターを見て…… - なんじぇい (?)

2019/06/09 (Sun) 01:19:37

今作の監督のドハティさんのツイッターを見て仰天しました。

私は今まで、今作のゴジラとモスラの関係は原作の『三大怪獣』のように一時的な同盟みたいなものだと考えていたのです。
本編中にカップルを思わせる発言はあったけど、本当に相思相愛・カップルみたいな感じではないのだと。


ところが監督のツイッターを見る限り、本当にゴジラはモスラのことを好きだったらしいのです。
https://twitter.com/Mike_Dougherty/status/1137073624509165568
その他にもゴジラとモスラのカップルのファンアートをドハティ監督がリツイートするものが出るわ出るわ。
間違いなく本作のゴジラはモスラにメロメロで、モスラもゴジラにぞっこんなのです。
私はゴジラとモスラが相思相愛などというイメージは欠片も抱いたことがありませんが、ドハティ監督はそう感じて映画にしたのでしょう。


この映画、ドハティ監督が怪獣に抱いた自分の勝手な妄想をひたすら垂れ流しただけなのではないか……と思ってしまいました……。

それでも私としてはアクションは良かったと思いたいのですが、なんとも言えない感情に覆われています。

Re: ドハティ監督のツイッターを見て…… - なんじぇい (?)

2019/06/09 (Sun) 09:22:56

一応書いておきますが、私はファンアートを書いた方を非難しているわけではありません。

映画を見たとき、「台詞からして、本作のゴジラとモスラはカップルのような描き方を少し入れているんじゃないだろうか」と私も感じていましたし、観た人からそういうイラストが出てくるのは自然なことだと思います。
二次創作において、特定のものだけを強調して描くこと(やってることは似顔絵や風刺画に近いでしょう)は珍しくもないし、それも表現としてはありでしょう。

ただ、まさか公式の映画内でもゴジラとモスラが相思相愛カップルのつもりで描いていたとは夢にも思わなかっただけです。


しかしどこからその発想が出てきたんでしょうか。ゴジラとモスラは、二代目もVSもミレニアムも、GMKでさえも戦ってばかりのイメージなんですが……
元ネタはファイナルウォーズや怪獣総進撃なのでしょうか? よくわかりません。

何度もすみません - なんじぇい (?)

2019/06/09 (Sun) 18:09:34

https://jp.ign.com/m/godzilla-2/36048/interview/

こっちのインタビューでは共生と書かれていました。
監督の発言が二転三転しているようで、ラブラブなのか、共生なのか、あるいは両方なのかわかりません。
共生関係を続けるうちに相思相愛になったみたいな感じなのでしょうか……?

それはともかく、オキシジェンデストロイヤーは54年と基本的には同じ効果のつもりで、あれを使わなければゴジラはキングギドラに勝っていたそうです。

Re: ドハティ監督のツイッターを見て…… - 海軍大臣 (男性)

2019/06/10 (Mon) 01:34:56

なんじぇい様

>この映画、ドハティ監督が怪獣に抱いた自分の勝手な妄想をひたすら垂れ流しただけなのではないか……と思ってしまいました……。

 とのご意見ですが、よくよく考えてみますとこの様なことは84年の設定改変以来、シリーズ中に見られてきていて、取り分け「白目を剥いたヤツ」ですとか近年の「植物由来」だとか「オタマジャクシ由来」のヤツなんかは、まさに作家性が強いと云われている作り手たちの妄想の産物意外の何者でも無いと考えます。
 以前、当サイトに第二期ウルトラシリーズ終了時の新聞記事にあった「大人たちが勝手にオモチャをイジリ廻した挙句、毀してしまった」との話を書きましたが、全く似たことが行われてしまっていることになりましょう。

また、

>オキシジェンデストロイヤーは54年と基本的には同じ効果

 だと云われても、そんな裏設定みたいな性能までは映画の画面を通して伝わってこないし、だったら禁じ手を使ってまでしてエネルギーをチャージする以前に、ゴジラは骨になって溶けていなければ辻褄が合わないと思います。

 モスラとの関係性ですが、【ファイナルウォーズ】の後半部分で、期せずして両者の共闘が描かれていますから、単純にその辺りから連想して作ってしまったのでしょうか? エンドタイトルの後に漁師が引き揚げたギドラの首が出てくる件りなんかも、画面構成が【VSメカゴジラ】のアバンタイトル部分そっくりにしてあって、「どうだい、色んな作品を良く知ってるだろう?」とでも言いたげな監督の得意顔が浮かんできてしまいます。
 怪獣のお陰で自然が再生したといった辺りも、宮崎駿監督が【もののけ姫】で草案したシシガミ様のイメージを、日本の神様とは「ああしたものだ」と勝手に解釈して使用してしまっているじゃないでしょうか。

 なお東映ヤクザ映画の好きな友人なんかは今回の終わり方について、

 ケンさんかブンタ兄貴がカチコミをかけて相手の親玉を仕留めたら、それまで手下だった三下のチンピラどもがズラリと並んで腰を折り、「親分、ご苦労さんでした」と頭を下げているようにしか見えない、

 などと云っていました。

Re: ドハティ監督のツイッターを見て…… 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/10 (Mon) 18:59:26

 なんと申しましょうか、『キング オブ モンスターズ』における脚モスラの動きは、とにかくジェジラにべったりという描き方でしたから、
男女カップル的なファンアートが出てくるのも仕方ないんでしょう。(劇中のセリフでも「惚れてんのか」みたいなものもありましたしね)
 世界設定としては、ジェジラと脚モスラは共生関係ということなんでしょうけれど、見せ方にはもっと感情的なものを入れていたようですから、
やりすぎ感はありますね。
 結局、二次創作なんですよ。(以前も書きましたが、オリジナルシリーズにインスパイアされて二次創作した1984年以降のゴジラ映画をも下敷きにしてあるのですから、三次創作です)

 一時期、ダダ星人がテレビで女子キャラ扱いされていたことを思い出す・・・。

 オキシジェンデストロイヤーを自然に介入する人間のメタファーと考えるのは正しいと思いますが、
では、オキシジェンデストロイヤーは怪獣に対峙する人間の科学力であると考えるのが正しいのか。

『ゴジラ』(1954)では極めて慎重に「偶然発見した」と芹沢に言わせていることを見逃してはいけないのです。
つまり、芹沢でさえ、その原理を理解していないわけです。
 水中酸素破壊とはいかなる現象なのか。
 それを説明していないところも『ゴジラ』(1954)の優れたところです。
 既知の科学で説明すればするほど、謎ではなくなります。
(科学の解説が何が驚異だ)

 某生命工学の博士は、酸素分子(酸素原子二つがくっついたもの)を一個ずつばらばらにするんじゃないかと言ってましたが、
それでは酸素という元素を破壊することにはならないので、私は酸素原子そのものをプラズマ化(原子から電子雲をはぎ取る)させることではないかと想像しています。
ならば、酸素原子を含む分子も破壊されることになり、地球の生物なら肉体がばらばらになって消滅することもありうるんじゃないか、と。
 しかし、それはあくまでも想像であって、実際のオキシジェンデストロイヤーが何をするのかわかりません。

 セリフでは水中酸素破壊剤と言っているものの、恵美子に見せる実験ではなにか電気回路を作動させていますし、ゴジラに使うカプセルにも電流計がついています。
このあたりは本多猪四郎監督の優れた科学センスが発揮されたものだと思います。
 オキシジェンデストロイヤーとは、なんらかの「場」を発生させる装置であろうと思います。

 そんな不可解な薬剤?装置?をアメリカ軍の装備として持ち出してくるのは『ゴジラ』(1954)を理解していない証拠です。
オキシジェンデストロイヤーとは、いつか科学が到達するかも知れない魔法のような技術なのです。
(十分発達した科学は、魔法と区別できないだろう。アーサー・C・クラーク)

 ですから、元祖ゴジラシリーズでは、二度とオキシジェンデストロイヤーに触れませんでした。(『ゴジラの逆襲』で言及はする)

 あ、ご紹介頂いたインタビュー記事で、インタビュアーが、「地上の火が消える表現から無酸素状態になったことはわかった」と言っていて、
えっ、火が消えることには気がつかなかったな、と思ったものの、本来のオキシジェンデストロイヤーは水中でしか作動しないのですから、やっぱりおかしいのです。

 ドハティ氏は思った通り、怪獣対決の構図に関しては定石を破れば表現になるとお考えのようで、その結果、ラドンを貶めてしまったんですね。
それから音楽に関すれば、伊福部先生が怪獣には人間を感じさせない音楽をつけるべきと考えて、怪獣のテーマは無調で作曲したと述懐されていたことを知らなかったのでしょうね。
(すいません、音楽は門外漢なので、調性のありなしでどのような違いが生まれるのかはよくわかりません。無調だと落ち着かない感じになるのでしょうか)
怪獣のテーマ曲に人声を入れちゃってるんだもんな。
 それと、インタビューの人、モスラの歌は古関裕而作曲だ!さらに言えば、伊福部先生はもちろん、古関裕而氏だって怪獣モスラを象徴させる音楽には「モスラの歌」を使っていない。
「モスラの歌」は小美人の祈りの歌である。

 てなこといろいろで、マイケル・ドハティ氏もマニア度は大したことないですね。
ヲタデータをたくさん持っているだけだな。

えっと…… - なんじぇい (?)

2019/06/11 (Tue) 15:46:43

話がずれてしまうようですみません。
前から気になっていましたが、ギドラ様はマニアとオタクで言葉を使い分けているように思えます。
マニアが良い意味で、オタク(特にヲタク)が悪い意味で使われてるようです。

どういう原理で使い分けをしているんですか?

Re: 気になりますよね 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/11 (Tue) 19:28:54

 そうですよね、いまとなってはオタクとマニアはほぼ同義として使われる言葉ですから。
そして、オタクの定義もだんだんまとめられているようですが、私自身が実感として持っている「オタク族」の様子とはちょっと違うように感じています。
(1982年に「お宅さぁ」と呼びかけてくる人に遭遇している・・・)

 まず、大昔からマニアという言葉はありました。
そこに1980年代になってオタクという言葉が、マニアとは区別するように登場してきたのはなぜか。
まあ、最初はアニメマニアの一部に他者とのコミュニケーションがちょっと特殊な人々がいたために、彼らをオタク族と呼んだのでしょう。

 初期にオタクと呼ばれた人にもマニアと呼ぶだけでいい人もいたのでしょうけれど、
私は体験の中で従来のマニアとは違うタイプがいることに気がつきました。

 私は、マニアとはなんらかの道を究めようとしている人のことと解釈しています。それはプロアマ問わずです。
マニア道とは、情報収集とその考察、そして実践です。

 ところが、収集には熱心ですが、考察や実践にはあまり興味を示さないか、そこに価値を見いださない人々がいることに気がつきました。
彼らは「知ってる・持ってる」を自慢するのみです。
 マニアとは違う。ではなんと呼ぶか。そこにオタクという言葉がぴったりはまりました。

 私が思うオタクの特性には、自分自身が相対化されることを嫌い、すぐ多様性に逃げることもあります。
作品の善し悪しを考えるとき、「自分が良いと感じたならそれでいい」という考え方です。
人それぞれなんだからなんでもありだ、と言っちゃうタイプです。

 実際は人間の情動や判断にそれほどの個体差があるわけではないのですが、ちょっとしたところに個人個人の経験の差で感じ方の差は生まれます。
あるいは大きな部分でも性癖や経験値の違いで受け止め方に差が出てくるのでしょう。
それを他者と比べて、自分の感じ方が普遍的なものではなく特殊なもの(ないし未熟なもの)であるかもしれないという可能性を突きつけられるのが怖いんでしょう。

 私がオタクという言葉を使うとき、そんな人々をイメージしています。
ヲタクとなると、それほどはっきりした区別はないのですが、上記のオタク特性が一層強い人を指す感じです。

 もうひとつ、私が思うオタクには、誰もが知るメジャーな分野には手を出さず、ニッチなところに目を付けることによって、楽に専門家ヅラしたいだけじゃないのかと思わせる人もいます。
(そのジャンルを好きなわけでもなかったりする)

というわけでちょっと特殊なマニア・オタクの使い分けかも知れません。
 まあ、私のこだわりです。

キング オブ モンスターズ 怪獣たち 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/06 (Thu) 18:51:27

以下、少しずつ書きためていた文章なので、既出の意見と被るところもあります。

 各怪獣の印象をまとめておきます。

 ゴジラ(従来ギャジラと呼んでいましたが、ギャレスくんはもう関与していないようなので、レジェンダリーのゴジラということで、命名・ジェジラ。なぜジェを取る!?)
2014年の前作とそんなに印象は変わりません。当時の感想は2014年7月28日の記事に書いてあります。
 ワード検索で「ギャジラ」と入れればすぐヒットしますよ。

 そのうえで、今作で描かれた内容に関して書きましょう。
 映像ではあまりよくわかりませんでしたが、背びれの形をよりゴジラに近づけたそうで、それはよかったと思います。
(いや、ちゃんとゴジラを作れば良いのに)
それから足の形も爪が前方へ飛び出していて、よりゴジラっぽくなったと思います。
(だからゴジラっぽいんじゃなくて、ゴジラを出せよ)
 鳴き声も前作より本家に近かった?

 劇中のジェジラの動きがとにかくアメリカギドラを追いかけている感じで、それはちょっと違うんじゃないかと思いました。
やたらに好戦的なのは小物感に繋がってしまいます。それも地球の覇権を賭けて挑んでいるというのが情けない。
ゴジラが権力志向ですか???
ゴジラというのは、独立独歩、その場その場の自分の欲求に正直に気ままに暮らすものでしょう。
誰か・何かを支配するというのは、自分の意思を他の者に代行させるという面もありますが、他者を支配するためには他者を気にしなければなりません。
それはゴジラに似合わない。ゴジラが気を配るのはミニラだけでいい。
『ゴジラ対ガイガン』でのゴジラとアンギラスの関係は、王様と家来ではなく、兄貴と舎弟という程度でしょう。
今作のラストで地球怪獣たちがジェジラに頭を下げている様子には、何とも言えない不快感がありました。
ゴジラと呼ばれる者が支配者のごとく振る舞う気持ち悪さもさることながら、他の怪獣が膝を屈しているのも気持ち悪いです。
 エンドロールとともに表示される新聞やネットに記事にも「ゴジラ、他の怪獣を監視」とかいうものがあって、支配者ゴジラを強調。

 ゴジラの「怪獣王」というのはキャッチフレーズであって、実際に王様になってどうするんですか。

 また、海底洞窟を使って地球上を自在に移動できるという設定もいかがなものか。
地球のサイズ、地殻の厚さなんかを考えると、たとえ知られざる洞窟があったとしても海中を泳ぐのと比べてそんなに早く移動できるとも思えないです。
モナークの潜水艦が水流に巻き込まれて海底洞窟に吸い込まれたシーンで、「1000キロも移動した」とかなんとか言ってました。
どんだけ早い水流なんだ?
 それよりゴジラが地殻に穴を空け、マントルを抜けて地球の反対側に出られるとまで言っちゃったほうがまだ説得力があったんじゃないでしょうか。
(『vsモスラ』でマグマの中を泳いだんじゃないか、という説が出てきますよね)

 そんな見せ方をしているので、ジェジラが神出鬼没、出たり入ったりします。
ゴジラ映画全部とは言いませんが、充実期のゴジラ映画では、ゴジラの出現を十分じらしながら、一度出たゴジラはずーっと姿を見せています。
それによってたとえゴジラとは関係ないシーンに切り替わっても、映画の中にゴジラが遍在することになります。これで登場シーンの尺の多寡に関わらずゴジラが主役となるのです。

 核爆弾でエネルギー充填された結果、体内で熱核反応が起こるというのもどうにも解せません。
ジェジラは放射線をエネルギー源にしているのですよね? それがいつの間にか、体内に放射性物質を持っていることになったんでしょうか。
バーニングゴジラをやりたかっただけか。そういうところがヲタクなんだな。

 それから、前作では原子力潜水艦の就航がきっかけで出現したと言っていて、ギャジラを殺すために核爆弾を使ったことを核実験と偽ったという背景を作っていたはずです。
それが、今作では水爆実験でジェジラが目覚めたという話になっています。まあ、そこは原典に準拠しているのでいいんですが、
では核兵器批判の内容があったのかと言えば、むしろ逆で、地球の危機を救うために核兵器が役立ったという展開になっている。
ジェジラが核兵器で元気になるというのは設定上仕方ないことでも、核兵器を使うことを善として描いているのはひどい。
だからゴジラが放射線だの放射性物質だのをエネルギーにしているという設定はまずいんですよ。

 ゴジラは核実験の被害者でなければならない。


 キングギドラ(とは呼びたくないので以下、アメリカギドラと呼びます)

 なんで南極の氷ごときに閉じ込められているんですか。氷が爆破されて出てくるんですから、氷で動けなくなっていたわけですよね。
情けない。
 氷を爆破したあとでオルカの信号を与えている。
初めはオルカで刺激を与えられたギドラが自力で氷から出てくるのかと思ったのですが、きっかけは氷の爆破だもんなぁ。

 そして、アメリカギドラも地球怪獣を手下にするのが目的ということで、どうにも小物感がぬぐえません。
波動だかなんだかで脇役怪獣たちを操る様子は、『モスラ3』で子供をいじめていた別ギドラにも似ています。
これも、『三大怪獣地球最大の決戦』で見られた本来のキングギドラとはずいぶんイメージが違います。
(キングギドラはまったく不運な怪獣で、完全に自分の意思だけで行動するキングギドラが出てくる映画は、えー、2本しかないのか)
やたらと操られまくったキングギドラを今度は操る側に仕立てたんでしょうね。
これまたヲタクっぽい。
従来のイメージをひっくり返してみせれば、それが独自表現だと思っているヲタ系クリエーターって多くないですか?

 アメリカギドラのデザインが本物のキングギドラとは違っているのは、(決して受け入れないけれど)現代のキャラ復活の常道みたいなものなので、いちいち突っ込みませんが、
ではその芝居がどうだったかと考えると、違うんだよなぁ。
 三本の首それぞれに別人格を与えたとか言う割には統一の取れた動きをしていて、キングギドラの首の乱舞を見せてくれないのはおもしろくありません。
光線の発射も狙い定めて撃っている感じがして、あの乱れ撃ちをやらないのは期待はずれもいいところです。

 変電所かなにかに噛みついて充電し全身から放電みたいなことをやってましたが、そんなことしなくてもキングギドラ本来のじたばた飛びで乱射する様子を細かくカットを割って
スピーディーに見せればよりハイテンションなシーンになったでしょう。

 鳴き声、飛行音が違うのも興ざめ。
翼が腕扱いで、コウモリのように翼の関節を突いて歩く姿は無様。

 それからオルカの信号が効くのも変ではあります。宇宙怪獣であって、地球怪獣とは別の生態を持っているんじゃないでしょうかね。
そしていくら何かの信号が出ているからと言って、目視すれば人間のおばさんがうろうろしているだけなのに、追いかけ回すのも頭悪すぎ。
 怪獣を神だ何だといいながら、この映画は怪獣たちをかなり下等な動物と捉えているフシがある。

 母と環境テロリストの間違いに気がついた娘(マディソン)がオルカを持ち出してスタジアムから信号を発信したとき、
ギドラに操られていた怪獣たちはおとなしくなった(らしい)けれど、ギドラとジェジラは信号源にやってくる。
それは人間の声を混ぜ込んだ仮想ボスキャラの信号だったから闘争のために駆けつけたという解釈は出来ますが、南極で父マークの危機を見た娘がオルカを使って、
ギドラの攻撃を止めるくだりもあるので、ギドラだってオルカで操れるんじゃないでしょうか??
 ならば、ナベケンさんがジェジラの目の前で自殺する必要もないでしょう。


 ラドン(ここではロダンと呼びます)

 火山から出てくるというところにオリジナルとの共通点を作ったのでしょうけれど、厳密にはラドンは火山で生まれたのではなく、火山で死んだのですけどね。
 ロダンにもアレンジがあって、あまり描写に生かされていないものの、ロダンは熱の怪獣ということらしく、体の中が赤熱しているのです。
これ、ラドンなの?? ラドンは風の怪獣であって、初代ラドンは口から烈風を吹き出す技を持っていました。
 結局別の怪獣を創作したのでしょう?
 鳥形というところがラドンに似ているという程度で、まるで別物でしょう。

 ロダンの飛行で町が吹き飛ばされるというラドン的な描写もあるにはありましたが、全体としてラドンには見えませんでした。
(あの構図はむしろギャオスだな)
体をぐるぐる回転させて飛行機をたたき落としたのがハイライトなのかもしれませんが、翼がしなりすぎでしょう?
骨格が入っているんじゃないですか?

 戦闘機隊との攻防も距離が近すぎてスピード感なし。超音速の追撃戦を見たかったです。

 そして、ギドラの設定とも絡む話ですが、一度ギドラに負けたロダンはギドラの手下になってしまいます。
なんかイヤですね。本来のラドンはゴジラと同等の怪獣であって、ゴジラがギドラの手下にならないなら、ラドンだって同じ事です。
それに繋がって、ロダンがモスラに襲いかかるという展開も、定石をひっくり返せばそれでいいと思うダメヲタセンスです。


 モスラ(さてどう命名しましょうか。やたらと脚が大きかったので、五郎モスラ・・・。ダメですな。「ど根性ガエル」をみんなが知ってるわけじゃなし。脚モスラでいいや)

 インファント島や小美人をナシにしたらもうモスラじゃないんですが、一旦そこは無視しましょう。

 まず、孵化から羽化までが早すぎですよ。今回のストーリーで成虫を出さなくてもよかったんじゃないですか?
今回は幼虫だけにしておいて、次回作『vsコング』に成虫登場でも良かったように思います。
『モスラ』でも一作の中で孵化から羽化まで描いていますが、幼虫期を丁寧に見せているから納得できるのです。
幼虫が顔見せ程度であっという間に羽化するのは・・、GMKだな。

 成虫になっても粘着糸を吐くのは変だし、ギドラに焼かれた後、ふりかけになってジェジラに活を入れたのでしょうか?
監督さんは『怪獣総進撃』からの影響が大きいと言ってましたが、諸々の設定演出は84以降からの影響のほうが多いと感じます。
 それぞれの怪獣になんらかの生物的?生態的?な繋がりを作る手法は平成VS以降、ミレニアムシリーズにも受け継がれた発想です。

 脚モスラに関してはジェジラに対する支援的な役割しかなかったので、あまり言うべきこともありません。
これがもし、ちゃんとインファント島を出してきて、核実験の罪を裁くような役割があればぜんぜん別のストーリーになり得たのですが・・。

 あ、デザインも良くないですよ。脚がでかいのもさることながら、妙に猛々しい顔はアウトです。
(日本のモスラにもそんなヤツが出てきたことがありますが)
そして、わかりにくかったですが、なんで尻から針を出す???そりゃ蜂だよ。


 怪獣バトルで噛みつきや尻尾打ちを取り入れたのはよかったですし、熱線や光線が致命傷にならないのもよかったです。
(よかったのはそれぐらいか・・)

 怪獣の話ではっきり書いておかなければならないのは、怪獣を殺すな、ということ。
脚モスラにぶっすり刺されたロダンは最後にまた出ていたので死んでいなかったのでしょうが、脚モスラとアメリカギドラは死んでしまったのですよね?
 この映画に本多・円谷思想はない。

 本多・円谷コンビのゴジラ映画で、闘争の結果怪獣が死んでしまうのは、特技監督を有川貞昌さんが担当した『怪獣総進撃』しかありません。
(念のため書いておきます。『モスラ対ゴジラ』で成虫モスラが死ぬのは、寿命だったから。ゴジラに殺されたわけではない)
円谷英二没後でも、ガイガンやメガロを殺してはいませんよ。

 対決の結果、対戦相手が死んでしまうゴジラ映画は平成以降に頻出します。頻出どころか、相手を殺すのが対戦であるかのような描き方に変わってしまいます。
そういう怪獣映画があってもいいのかもしれません。ガメラ映画は完全にそれですから。

 しかし、元祖ゴジラは殺し合いをしない怪獣だったと覚えておいて欲しい。
初代アンギラスを噛み殺したのがせいぜい。(アンギラスがしつこかったんでしょうな)
相手が逃げれば深追いしないのがゴジラです。(逃げていくエビラを追いかけはしなかった)

(揚げ足取りもあるでしょうから指摘しておきます。『怪獣島の決戦ゴジラの息子』は監修に円谷英二はついていますが、福田純・有川貞昌作品です)


 怪獣全体のことを書きましょう。
字幕ではただ「怪獣」と訳されていましたが、冒頭の会議でのセリフを聞くと「radiation monster」と言っています。
ジェジラやムートーは放射線怪物と分類されているようです。
(ムートーはもともとモナーク用語で陸上怪獣を指す言葉だったはずですが、今作で正式に2014年登場の怪獣をムートーを呼ぶことにしたようです)
たぶん、キングコングはradiation monsterではないんでしょうね。

 が、モスラが孵化の兆候を見せたとき、放射線レベルが上がった、と言っているのです。
日本産の怪獣は全部放射能を持っていると考えているのか??

 そして、エンドロールで炸裂する怪獣礼賛!
怪獣たちが目覚めた結果、地球の環境問題はなにもかも解決したようですね。
もういいじゃん、モンスターバースシリーズこれにて終了!

 私は従来、怪獣を敵視するだけの映画はダメだと言い続けて来ました。
同時に、怪獣とは益獣にも害獣にもなり得る存在であって、善でも悪でもないのだ、と。
この映画では完全なる益獣に仕立て上げてしまった。

 正気ですか?

オマケ
 海底の古代遺跡にカタカナで「ゴジラ」と書いてあるのは白けます。

 パンフレットにはメインの4怪獣以外も載せて欲しかった・・・。

Re: キング オブ モンスターズ 怪獣たち - なんじぇい (?)

2019/06/06 (Thu) 21:14:02

>それからオルカの信号が効くのも変ではあります。宇宙怪獣であって、地球怪獣とは別の生態を持っているんじゃないでしょうかね。

おおむね同意しますが、この部分は、操っていたほかの怪獣がオルカのせいで妨害されてしまったので、ギドラは発信源を断ちに来たのではないでしょうか。
ゴジラはそのギドラを倒すために現れた……と私は解釈していました。


ちなみにモスラが尻尾から針を出す元ネタはGMKのモスラでしょう(GMKモスラの武器は毒針でした)。
GMKと同じく顔もいかつく、小美人も出ないあたり、私にはGMKモスラの影響をとても強く受けていたように見えます。

とても強いギドラが氷で眠っていたりするあたり、同じくとても強いゴジラが南極で何十年も寝ていた『FINAL WARS』を彷彿とさせます。
まだファイナルウォーズのほうが、ゴジラが低い温度に弱いという弱点があったために受け入れられましたが。

Re: キング オブ モンスターズ 怪獣たち - エクセルシオール (男性)

2019/06/07 (Fri) 23:08:43

>本来のラドンはゴジラと同等の怪獣であって、ゴジラがギドラの手下にならないなら、ラドンだって同じ事です。

 同感です。ラドンの地位はゴジラ、モスラと同等のはずであって、あんな情けないものではありません。本作のラドンがどう評されているか少し調べたら、「ぶりぶりざえもん」「スネ夫」「ゴマすりクソバード」「スタースクリーム(一部作品を除く)」等々と散々なたとえをされていました。「ぶりぶりざえもん」って『クレヨンしんちゃん』に登場するいつも強いものの味方をする自惚れ屋のブタのことですよ(人気はありますが)。そんなものに例えられるなんてラドンがかわいそうです。
 
>地球の危機を救うために核兵器が役立ったという展開になっている。

 これも変な内容でしたね。本作のオキシジェンデストロイヤーはこのために使われた感すらあります(二重にまずい)。普通にゴジラがキングギドラに敗れて重傷を負って海に沈んだことにして、ゴジラを蘇らせるのはモスラの超能力ということにすればよかったと考えます。ラドンも同じようにして、その後は飛べる両怪獣がゴジラをボストンまで運んで決戦にする手もあったでしょう。

>そして、アメリカギドラも地球怪獣を手下にするのが目的ということで、どうにも小物感がぬぐえません。

 キングギドラの力や脅威に関してはもっと分かりやすく示すべきだったでしょう。端的にアメリカ軍の総攻撃をそれこそ核攻撃も含めて軽くはね返してみせて、あっさり全滅させたり、大都市をあっという間に壊滅させたりするシーンを入れるべきだったと思います。その目的も「地球の支配」ではなく「地球の滅亡」ということにすれば、ゴジラ達の戦う理由も人類の利害抜きに明確になったことでしょう。

>脚がでかいのもさることながら、妙に猛々しい顔はアウトです。

 確かにかわいらしさや美しさが欠けていましたね。平成モスラ三部作のモスラは勇ましい姿にフォームチェンジすることもありましたが、あくまで一時的な姿ということになっていました(最後は元の姿に戻る)。本作ではあれが常態ですからね。釈然としません。

>海底の古代遺跡にカタカナで「ゴジラ」と書いてあるのは白けます。

 あの遺跡何だったんでしょうね。必要だったのか疑問です。

>パンフレットにはメインの4怪獣以外も載せて欲しかった・・・。

 全くです。姿を見せなかったものも含めて、名前くらいは示してほしかったですね。ただ、パンフレットには通常版の他に特別版というものがあったそうで(すぐ売り切れたらしい)、そちらには載っていたかもしれません。

 そういえばムートーは前作ではゴジラの天敵みたいな設定だった記憶がありますが(ゴジラに卵を産み付けて繁殖していた形跡があったはず)、本作に出たニュームートーではその設定はふっとんでいましたね。

Re: キング オブ モンスターズ 怪獣たち 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/08 (Sat) 21:50:29

>なんじぇいさん

 オルカのことをつらつら考えると、あれが何だったのか、いまいち釈然としません。つまり、動作原理や機能面がよくわからないのです。
考えたことをまとめてみたいと思いますが、もちょっと時間がかかりそうです。
みなさまのお考えも聞いてみたい・・・。

 あ、そうか、GMKモスラが尻から針を出してましたか。
どこかで見たような気がするなと思いつつ、いつか見た悪夢じゃなかろうか、モスラの尻から針を出すなんてトンデモなこと、まさか日本のモスラがやるはずはないし、
と記憶を消していたみたいです。(ホントにGMKが嫌いなんだな)
 GMKの影響ということで言うと、チャン・ツィイー演じるチェン博士の設定にもちと、むむむ?が・・。

 そう、ゴジラが氷に閉じ込められていたほうがまだ納得できます。
ギドラを氷に閉じ込めたいなら、隕石状で氷の中にいて、一見怪獣には見えないのだけれど、その隕石が何かの刺激(んー、オルカ??)で成長巨大化、氷を割る、
そして大爆発、その炎がだんだんギドラの形になる、てな具合にしてくれれば登場シーンには納得しますよ。


>エクセルシオールさん

 ああ、本作のラドン(ロダン)、そんな言われようをしているのですね。
そりゃ、あの描き方ではバカにもされます。

(ぶりぶりざえもん、『電撃!ブタのヒヅメ大作戦』だったと思いますが、レースクイーンからF1日本GPのプラチナチケットを貰って、無感動に「わーい」というシーンが最高!
え?そんなシーンない? あったと思うんだが)

 ゴジラ・モスラ・ラドン・キングギドラを使うなら、素直にストレートに三大怪獣連合対キングギドラの構図でいいんですよ。
そしてキングギドラは他の怪獣を操るだの地球環境を改造するだのといった侵略者扱いではなく、ただぶっ壊しの好きなクレイジー野郎でいいんです。
怪獣に理屈は要らないんです。意識や感情は必要ですが、怪獣に長期展望に立った計画性なんか持たせてどうするんだと思います。
悪として描こうとするから、理屈を付けたくなるんですよ。
ゴジラが悪でないの同じく、キングギドラも悪というより、迷惑な奴というのが本質でしょう。まあ、ぶっ壊す奴なので悪と言えば悪なんですが。

 あの海底遺跡は、そりゃもう、ムー帝国なんでしょう。そのうちマンダも出るかも。(ならいいんですが)
 ムートーの設定がたった一作で書き換わってしまうのも、設定改変が当たり前になってしまった世代の無神経さと思います。

 えーと、特別版パンフレットにも雑魚怪獣の紹介はありませんでした。
売店のおねいさんに、特別版は増刷しませんよ、売り切れたらそれっきりよとささやかれて、騙されました。
通常版より12ページ増量という触れ込みでしたが、おそらくイラストページが増やされているだけじゃないかと・・・。

三ツ首龍・怪鳥の伝説 - 海軍大臣 (男性)

2019/06/06 (Thu) 19:30:15

 遅まきながら、仕事帰りに観てきました。
クライマックスシーンの背景の暗さは予告を見たときから大変気になっていましたが、弘前の甥様のご指摘で、結局、この監督は黙示録的な世界観を出したかったのだなと合点がいきました。しかし私などはギドラ様と同じで、青空の下にすっくと立った怪獣の一大バトルが見たい口ですので、ハナから趣味が合わないことになります。また、先に「すっくと立った」と書きましたが、ギドラがまるで映画【サラマンダー】に出て来たドラゴンみたいに前屈姿勢で歩行するのも頂けません。あれも欧米人のドラゴン観の所以なのでしょうかねえ?
 欧米人の感性と云えば、オキシジェンデストロイヤーの安易すぎる名称の流用はもちろん論外ですが、瀕死のゴジラに核兵器を使って元気玉(?)を注入するという発想もどうかと思ってしまいます。【ゴジラVSキングギドラ】でも同じようなシチュエーションはありましたが、あちらは核兵器で世界が救えると本気で思っている人間の業を示すものであって、しかも、その行為すら必要ではなかった(事故原潜が存在していた為に)というアイロニカルなオチに繋がっていた訳です。ところが今回は何の躊躇も無く、しかも人柱まで立てて核使用に踏み切ってしまう辺りは、やっぱりコイツら判ってねーな、と思ってしまいました。
 一番気にしていた劇中で語られる「怪獣が存在する意義」についてですが、例の「人類は病原体、云々」とのセリフは、子供に死なれてオツムがオカシクなった女科学者の戯言程度の扱いで、劇中の世界観を表すまでの縛りになってはいないので、少し安心しました。それよりも寧ろ、一家族のゴタゴタした問題が地球規模の大騒動に直結してしまうストーリーの在り方って、果たしてどうなのでしょうか? まあ、かの【スターウォーズ】も銀河レベルで描かれる親子喧嘩に過ぎなかったのですから、この手のパターンは案外ハリウッドの伝統なのかも知れませんね。また、世界各地に残る伝説やら壁画やらと怪獣の存在を結び付けるのは良いとしても、余りに薄っぺらな描かれ方だったのには驚かされてしまいました。まあ、柳星張などを持ち出して、ペダンティズムを賢しらに見せつけるような作品も困りものではありましたが、もっと良い見せ方はあった筈です。
 加えて怪獣を音波で操るくだりはM宇宙ハンター星人っぽいチープさが漂っていますし、話題(?)のマンモス風怪獣にしても東映【北京原人 Who are you?】に出て来たゾウマンモス(だったっけ?)の引用みたいに思われてなりません。
 兎も角、作品全体の印象としては、お座敷遊びで云う「旦那芸」といった言葉がピッタリくる感じです。確かに好事家(オタク)だけに知識は豊富で、マニア受けする小ネタは無数に散りばめられておりますが、肝心要の芸の筋(つまりシナリオだとか演出だとか)は危なっかしくてなりません。ただ、流石に「旦那」だけに金に糸目を付けずに作っている辺りは羨ましい限りです。
 とまあ、色々と悪口を書いてしまいましたが、その実、見ていて前作ほど上映時間の長さが苦にならなかったのも本当のところで、案外、面白がって観ていたことになるのかもしれませんね。良く【ファイナルウォーズ】に似ているとされる本作ですが、縷々書いてきたダメダメさが強いクセとなって、もう一回観てみたいなと思ってしまう辺りは、寧ろ【恐竜・怪鳥の伝説】の印象に近いかなとも思っています(悪口ではないですよ)。

Re: 三ツ首龍・怪鳥の伝説 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/08 (Sat) 21:47:57

 ご投稿に感謝です。

『ゴジラ』におけるオキシジェンデストロイヤーの意味というものがわかっていないし、
核兵器を否定する姿勢もないのでは、ゴジラを扱う資格なしと言いたくなります。

 一家族のいさかいが世界規模の危機と連動するあたりは、ハリウッド流セカイ系(語句の解釈は正しいかな??)なのかもしれませんね。
ストーリー展開に各国政府の反応や大衆のリアクションがほとんどないので、社会不在の大騒動に見えます。このあたりが『ファイナル・ウォーズ』に似ている所以か。
全体のこけおどし優先の感じは『恐竜・怪鳥の伝説』にさも似たりとはいえ、あちらはまだ社会を描く姿勢がありました。そのうえお色気もありましたから、
『恐竜・怪鳥の伝説』のほうがシナリオは上出来かも。

 怪獣の設定については、人類駆除のために叩き起こすという狂信者の妄念だけでなく、
怪獣が地球生態系のバランスを取っているのではないかという説が語られ、エンディングで表示されるさまざまな記事において、
ゴジラが通った後に草木が生えた(でしたっけ?)とか怪獣出現後、アマゾンの密林が再生しただの、南極の氷が安定化しただのと、
まるで怪獣が地球の青汁ドリンクか水素水であるかのようなイタイ説明が入ります。
 これは相当まずい怪獣教ですよ。

 うーん、旦那芸とは言い得て妙です。
でも、この映画を作ったのは、角川春樹みたいな「お旦」じゃないんですよね。
ハリウッドってもっと管理がちゃんとしているものだと思っていましたが、最近はそうでもないようで。

キングオブモンスターズ感想 - なんじぇい (?)

2019/06/02 (Sun) 00:47:19

ストーリーよりアクションを重視しがちな私ですが、感想を書いてみます。

良かったところはなんといっても、怪獣たちがちゃんとバトルしていることです。
前作(2014年の方です)は一部「映像が暗すぎて何やってるのか全然わからん」ということになっていましたが、今回も暗いシーンは多いものの、その辺のことを考えてくれたようでほっとしています。
また戦闘シーンも大幅に増えており、怪獣バトルを私は楽しむことができました。
特にキングギドラは竜巻になり首が再生(首の再生はモスラ3のオマージュでしょうか)、エネルギーを吸収し全方位ビーム(吸収はカイザーギドラ?)など、とにかく派手派手な形でしたが、その多彩な能力でゴジラやラドンを圧倒する姿は強敵らしさは十分にアピールできていたと思います。
私は既存の設定を覆さなければ、派手になったりパワーアップしたりすることは歓迎という思いになってしまうので……すみません。 

そしてゴジラが明確に核兵器を受けて死ななかったことも良いのではないでしょうか。
あと前作ではゴジラのテーマがほぼ流れなかったのが不満でしたので、その辺も改善されていたのは良かったです。


一方、明確にダメだと思ったことがあります。
まずダメなのは、オキシジェンデストロイヤーが伏線もへったくれもなく(一応魚が死んでたニュースが伏線かもしれないが、ほとんど見逃しそうなくらい扱いは極小な上に巨大生物のせいにされていたし、仮に伏線としてもマニアでない限りまず分からないでしょう)、溜めが一切ないポッと出の軍の超兵器として出てきたこと。
しかもそれにゴジラが結構効いていたこと。回復に数年かかるかもしれない、という台詞もありました。
キングギドラに効かなかったのは宇宙生物だからにすぎなかったため、あれを多数撃ちまくればゴジラもラドンもムートーも卵のモスラも大きくなったコングも、地球にいる怪獣はなんでも倒せてしまうことになります。
この問題はあまりに甚大なので、次回作で解決されることを望みます。


そして怪獣のバトルシーンに、いちいち人間側の描写がちょくちょく挟まってしまうことがストレスでもありました。ぶつ切りにせず一気に怪獣バトルを見たかったという思いがあります。

あと個人的かもしれませんが、モスラがあまり可愛くない……GMKでも思いましたが成虫のもふもふ感や可愛らしい目がないのは好きではありませんでした。




総じてアニメゴジラよりは何百倍も、『シン・ゴジラ』より何倍もいい作品で、とても楽しめましたが、色々雑なところや個人的には気に入らないところが見受けられてしまいました。
とはいえゴジラマニアでない方が細かい設定を考えずにド派手怪獣バトルを楽しみたければ(いわゆる大衆娯楽的な見方ですが)、展開の早さや迫力の映像や多目のバトルシーンもあり、とても楽しい作品だと思います。
私はゴジラ映画がはじめての友人と見に行きましたが、友人はアクションにはしゃいでいました。
なにも知らないアクション好きに見せるには、一番お勧めしたいゴジラ映画ではあります。
少なくとも私には『FINAL WARS』の完全上位互換です。ストーリーは分かりませんが(まあ負けてはいないでしょう)、映像やアクションに関しては圧倒的に勝っています。


そんなところでしょうか。
色々な稚拙なところもあるとは思いますが、感想を書かせてもらいました。

Re: キングオブモンスターズ感想 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/03 (Mon) 19:15:59

 貴重なご意見の投稿に感謝します。

『ゴジラ キング オブ モンスターズ』もゴジラ史の一部として今後何十年も参照され続ける作品になるのだと思います。
そして、後年になれば「過去」のゴジラ映画として、それこそエメリッヒ版はもちろん、アニメ版などとも並列に語られてしまう時代が来るかも知れません。

 そのとき、公開当時の証言・感想が残っていることが大事です。
私の目の黒いうちはこの掲示板の記事は残しますし、もしBBSが無くなってしまうならwebページの形でもなんでも誰でも読めるようにしたいと思っています。
世代交代が起こってしまうと過去のことがねじ曲がって伝わることもありますから、同時代の証言を残すことには大きな価値があります。
(まあ、しかし、100年後まで残すためには私一人の力では無理だなぁ。やれてもせいぜい30年後までだな)

 この映画、アクションの連発で観客を弛緩させないようにしていたのは確かですね。
そこをどう評価するのかに個人差が現れてくるのだと思います。
そして『final wars』に通じるというのは、おっしゃるとおりだと思います。
 私の全体感想でも『ファイナル・ウォーズ』に似ていると書きましたが、それは時間・空間の整理が悪いところが似ているという意味でした。
その後、その他の要件も考慮していくうちに、映画の全体像がなんとも『ゴジラFINAL WARS』に似ているなと思うようになりました。
 もちろん、私も今作のほうがはるかに出来がいいと思いますよ。

 そして、そーなんです。
詳細はまた後日としますが、オキシジェン・デストロイヤーを持ち出したことは大きな欠点です。
作り手のオタク趣味が悪い方向に働いてしまったようです。
半径3キロの生命体を死滅させるとか言ってましたが劇中の描写では死んだ魚が浮き上がっていますから、『ゴジラ』(1954)に登場したオキシジェン・デストロイヤーとは別物のようです。
名前だけ持ってきた安易な引用ですよ。
(浅薄なヲタクさんは、キャラクターであれ小道具であれ、そこに込められた思想や意味までは受け止めないんですよ。放射能さえ持っていればゴジラだと考えるような浅さですね)

『ゴジラ キング オブ モンスターズ』についてはまだまだ書かなければならないと思っていますが、どのように整理するか思案中です。

 ほかのみなさまからの感想・ご意見もお待ちしております。

Re: キングオブモンスターズ感想 - なんじぇい (?)

2019/06/06 (Thu) 12:05:43

書き忘れていました。

ギドラ様もおっしゃってはいますが、都市破壊、特にビルの破壊描写がどうにも少ないのは欠点だと思いました(メキシコと、糸で貼り付いたギドラをビルごと倒すくらいか?)。
都市やビルの破壊という一点に関しては『シン・ゴジラ』の方が良かったかもしれません。

一方、キングギドラの首が左右で喧嘩してたりするのは私としては自然なユーモラスさを感じさせて好きではありました。
確かに脳が違うなら喧嘩もするよなあ、という感じでしょうか。
キングギドラに敗北して下僕になった後(これは操られていたのかもしれないが)、ゴジラに平身低頭するラドンはエクセルシオール様のおっしゃる通りやりすぎな感じがしないでもありませんが。

Re: キングオブモンスターズ感想 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/06 (Thu) 18:46:53

 都市破壊シーンがあっても、そこに力が入っていないんですよね。
状況説明レベルでしかなく、細かくカット割りしたり、怪獣による都市破壊にドラマを作ったりはしていない。

 ぎりぎり、ロダン出現シーンで風に巻き込まれた親子を兵士が救うくだりぐらいでしょうか。

 ギドラの破壊力を徹底的に見せるシーンは必須のはずなのに、奴の力は対怪獣でしか見せていない。
まあ戦えば強いしほかの怪獣を操るんですから、ヤバイ奴であるのは確かですが、元祖キングギドラが横浜や東京を蹂躙したようなシーンはありませんでしたね。

 三本の首が別人格で小競り合いするという演出自体は嫌いではないです。
でもねぇ、元祖キングギドラにそんな設定はないというところはやっぱりひっかかっちゃいます。

キングオブモンスターズは新興宗教の映画 - 弘前の甥 (男性)

2019/06/06 (Thu) 00:13:11

お久しぶりです。弘前の甥です。
さて今回のキングオブモンスターズですが、私は「脚本がつまらなくてもいいからCGが派手ならそれでいい」という頭の悪い見方をしようと思っていました。
そして実際に脚本がつまらなくてCGが派手な映画が上映されたわけですが、どうしても楽しめない。
ノリきれなくて、どこか気持ち悪さすら感じました。
で、ドハティ監督のインタビューを読んでその理由が分かりました。

https://theriver.jp/godzilla2-interview-spoiler/

この人どうもゴジラを映画のキャラクターではなく実在の神だと考えて人生を送ってるとしか思えないこと言ってるんですよね。
ドハティ監督にとっての神は円谷英二や本多猪四郎ではなくゴジラそのもの。
だから初代ゴジラの映画すら原典ではない。
ゴジラは映画ではなく神だから。
それで自分が崇拝している神であるゴジラを殺した罪人である芹沢博士と同名のキャラクターを生贄に捧げることでゴジラに贖罪しようなんて発想が出てきてしまう。

「ゴジラ様。あなたを題材にした映画であなたを殺してしまって申し訳ありませんでした。あなたを殺したオキシジェンデストロイヤーを雑に扱い、新しい芹沢博士を生贄にするのでどうか許してください。人類を代表して謝ります。どうか人類をペットにしてください」
ドハティ監督が今回の映画で言いたかったのはこういうことではないでしょうか。

普通に考えたら初代の芹沢博士とキングオブモンスターズの芹沢博士は何の繋がりもないので生贄にしたところで物語的に意味はないのですが、なにせドハティ監督にとってゴジラは実在の神なので同名のキャラクターを殺すのは宗教的に重大な意味を持ってしまうのでしょう。

インタビューで
>この結末はハッピーエンド。とてもポジティブな終わり方だと考えています
>僕にとっては、これこそが“世界はこうあるべき”と思える姿
>もし怪獣を現実化させるボタンがあれば押しまくりたい
と彼は答えています。

つまりドハティ監督はあのラストシーンのように怪獣に地球を支配してもらいたい人間な訳です。
映画の中のスターではなく、現実世界に出てきてその辺の街とか破壊して欲しいと本気で思ってる。
共存ではなく服従したい。
もう変態ですよ。
キングオブモンスターズはドハティ監督にとって「俺の考えた最強の怪獣ポルノであり、新興宗教の宣伝映画」だった。
映画を見ているときに感じた微妙な気持ち悪さはそれだったのかなぁ、と。

Re: キングオブモンスターズは新興宗教の映画 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/06 (Thu) 18:44:37

 おお、これは興味深い情報をどうもありがとう。

 怪獣と人類の共生が出来るなら、それは確かに理想的な怪獣物語のエンディングなんでしょうが、
劇中でそれを実現させてしまったら怪獣映画は終わる、ということがわかっていないんでしょう。
(『怪獣総進撃』はシリーズ最終作という位置づけだから成り立っている。しかし、あれが怪獣にとっても幸せなのかはボカされているからまだ怪獣物語は終わっていない)

 それにしても、自分で勝手に作った怪獣設定を振り回して、芹沢大助の行為を失敗と断じる神経は理性を失っているとしか言えませんな。

ラドンがヘタレすぎ等 - エクセルシオール (男性)

2019/06/05 (Wed) 22:49:29

 私も『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』を観てまいりました。最高レベルのCGを多用して描かれた怪獣たちには確かに迫力があり、一つの娯楽作品としてはなかなか面白かったです。少なくとも昨年11月に上映された「観念的怪獣映画」よりははるかに楽しめた作品でした。
 しかし、一方で何とも納得できない、釈然としない点も多々ありました。以下ざっとですが触れてみます。

 本作品最大の問題。それはラドンに関するものです。率直に言ってヘタレすぎです。キングギドラにやられてその後はその子分になるなんて、私は予想もしていませんでした。しかも、ゴジラがキングギドラを倒したら今度は、他の怪獣(新しいムートー、クモンガの親戚、マンモスみたいな奴)と一緒にゴジラに平伏・・・・。何でこんな情けない描き方をしたのでしょうか?メインの4怪獣の中で一番扱いが悪かった。これではただの雑魚です。なお、私はアンギラスが登場しなかったことを残念に思っていましたが、ラドンの扱いを見ると出なくて幸運だったかもとも思いました。
 変に気をてらわず、三怪獣対キングギドラにすべきだったと思います。ゴジラは地上戦、モスラは空中戦、ラドンは状況に応じて両方という役割分担をして(『怪獣大戦争』で見せたようなゴジラとの合体攻撃だってできたはず)、ほぼ万能のキングギドラに挑むという構図にすればうまくまとまったのではないでしょうか。
 
 モスラにしても、何だか小さいうえに恰好も美しさに欠けていました(小美人も出てこない)。作中の扱いもラドンよりましという程度でしかありません。モスラはある意味オールマイティなキャラなのですから(人間と意思疎通しようが、怪獣たちを説得しようが、それこそ最後の切り札的存在にしようが、何でもOKだ)、もっと大切にしてほしかったです。

 どうもこの作品のスタッフは怪獣間の力関係を勘違いしていたきらいがあります。ゴジラは確かに怪獣王ですが、他の怪獣より群を抜いて強いわけではないし、本来キングギドラの方が単独では遥かに強いはずです。本作品は様々な作品へオマージュがありましたが、肝心の『三大怪獣地球最大の決戦』の設定を失念していたのではないか。

 そもそも、前作にも言えることですが、ゴジラを何だと思っているのか分からない。平成ガメラみたいという意見があるのもうなずけます。他の怪獣たちにしても変に小理屈を振り回してかえって魅力を損なっているように思えました。

 突然オキシジェンデストロイヤーが出てきたことにも面喰いました。これって「本物」だったらゴジラを消滅させないといけない代物で、核兵器以上の脅威になってしまうべきものです(使うか使わないかで真剣に悩まねばならないはず)。しかし、実際はゴジラをご都合主義的にパワーダウンさせるだけのものでした。まさに作劇上の便利アイテムでしかない。この辺は真摯に考えた形跡がなく(その後核兵器でゴジラを復活させる部分も問題)、完全にアウトでしょう。
 
 モナークという組織についても説明不足。ここってアメリカ政府の特務機関ですよね。なのに何で全世界で巨大秘密基地を持っているのか。これなら国際特務組織とでも設定した方が無理がなかったと思います。
 また、装備にしてもアメリカ軍のものが大半で実に中途半端。現実にはないややSF的な装備にした方がよかったと考えます。なお、あの欠陥だらけのオスプレイがやたらと活躍していましたが、リアリティゼロでしたね(普通に飛んでもトラブルだらけなのに、あんな嵐の中で使えるとは思えない)。

 本作においても本編パートでは家族ドラマが重視されていましたが、怪獣たちを復活させ甚大な被害を発生させた母親(エマ・ラッセル)の存在が大きな桎梏となってしまいました。正直、最初から家族の再生はありえないという構造で、感動のドラマなど作りようがない。どうしてこんなとんでもないキャラ描写にしてしまったのでしょうか。
 しかも、エマは死亡したが彼女を利用していたアラン・ジョナ達が無傷で逃げ延び、またまた陰謀をめぐらすようです。正直、怪獣を蘇らせて人類を粛清しようとする集団など必要だったのでしょうかね。

 以上、一部ですが問題点を述べさせていただきました。この映画は面白くなかったわけではないが、もっとやりようがあったと思います。なお、モスラやキングギドラが死亡したのも何となく嫌でした(モスラを死なせたのは理解に苦しむし、キングギドラだって宇宙へ追い払えばよかったのではないか)。

 後、エンドロール最後に坂野義光監督と中島春雄さんを追悼する一文があったことはよかったです。

Re: ラドンがヘタレすぎ等 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/06 (Thu) 18:42:54

 公開前の情報(特撮秘宝だったか)では監督は、ラドンを大事にすると言っていたので少々期待していましたが、
まったくもって、おっしゃるとおり、やっぱり雑魚扱いでしたね。
 長く出てきただけのことでした。

 その他、私も同じ思いのことがいろいろあります。
別記事で怪獣のことをまとめますので、そちらにて・・・。

 あ、そうそう、モナーク。
前作では国際機関だと言っていたような気がします。(ちょっと見直す根性が足りない)
しかし、今作ではアメリカに属するような扱いだったのは解せない・・・。

オスプレイ大活躍! 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/05/31 (Fri) 15:01:10

『ゴジラ キング オブ モンスターズ』を見てきました。

 ストーリーには触れないようにその印象を書いてみます。

 シナリオの構成が視野狭窄で、広がりに乏しいです。せっかくの怪獣映画なのに、スペクタクル感を損なっています。
それは怪獣研究対策組織モナークの動向のみを見せていく手法をとったことに起因します。
また、ストーリー上の悪役も怪獣を志向しているので、映画に登場する何もかもが怪獣に関係することになり、
怪獣事件が社会に及ぼす影響を描けない形になっているのです。

 怪獣が世界に及ぼす影響についてはセリフで説明されるだけであり、そこにドラマは作られていません。

 またモナークは劇中、世界のあちこちに飛び回りますが、その時間・空間的経過を体感させてくれないので、
事態の推移を追っている感じがせず、長大な物語のダイジェストを見せられているような気分になります。←ふぁいなるうぉーずにクリソツ

 怪獣の描き方はバトル中心であり、怪獣単体による破壊はほんの少ししか描きません。
そして恐れていたとおり、怪獣の存在意義に過剰な説明をつけてしまっていて、人間が怪獣と戦う理由を消しています。
これではモンスターバースで人間と怪獣の闘争を描き続けることは出来ません。
また怪獣同士にも関係性を設定、それぞれの独立性を阻害し、
ギャジラ(ゴジラ)がアメリカギドラと戦うことにも理由付けしてしまっています。
(そして、ラストには私にとっては非常に気持ち悪いシーンが出てくる)

 これでは、怪獣の自由さ気ままさが失われ、怪獣すら社会的動物のようになってしまいます。
怪獣をあくまでも自然の動物として扱ったのは大正解なのですが、怪獣は究極のアウトローであるという要点に気がついていないのは痛いです。

 映像面では、アップショットが多すぎて、これまたスペクタクル感が少ない。
大大大ロングショットが怪獣の巨大感を強調することに気がついていないのでしょう。また怪獣バトルの全体像を見せるためにも大ロングは必要です。
さらにちょっと昔の怪獣映画論に毒されたのか、怪獣登場シーンはすべからく夜だったり空が雲に覆われて暗いのです。
恐怖感を高めるためなんでしょうか?
しかし、今作での怪獣バトルは怖がるためのものではないでしょう?

 ピーカンで怪獣をはっきり見せやがれ。

 日本のゴジラ映画をリスペクトしているのはわかりますが、まずは原点をトレースすればいいのに、平成VSやミレニアムシリーズへのオマージュが見え隠れ・・・。
二次創作を参考にすると三次創作になっちゃいますぜ。
(まあ、『怪獣大戦争』や『怪獣総進撃』へのオマージュもありますが。が、オマージュという枠で絶対にやってはいけないこともやっちまってる)

 今日はこれぐらいにします。まだ細かいことは書きません。
ただ、私が一番心を打たれたのは、エンドロールの最後です。(エンドロール後のオマケシーンではないです)
ゴジラファンであるなら最後まで見ましょう。

 あ、アメリカギドラも宇宙怪獣だったので一安心。
とはいえ、どの怪獣も私が好きなゴジラ・ラドン・モスラ・キングギドラとは別物。

 総評。あんまりおもしろくなかったです。

ラジオドラマ版『ゴジラ』等 - エクセルシオール (男性)

2019/05/18 (Sat) 22:22:28

 最近、『ゴジラ』のラジオドラマがあったことを知りました。1954年7月から9月までニッポン放送で放送されていた作品で、映画公開(同年11月3日)よりも前になります。ということは少なからぬ人が映画よりも先に「ゴジラ」を知っていたことになります。これは面白い事実です。
 このラジオドラマですが、現存しているのは全11話のうち最終回だけだそうです。昔は録音テープも貴重だったのでやむを得ない側面もありますが、残念なことです。幸いにも最終回を聴く機会がありましたが、音楽やゴジラの鳴き声、キャラ描写等が映画とはかなり異なっていました(ゴジラの咆哮は一説にはラジオ局社員の声を加工したものとも言われる)。なお、キャストは映画版と大きく異なりますが、映画で田辺博士を演じた村上冬樹さんがこちらでは山根博士役だったそうです。

 物語全体に関してはラジオドラマの脚本を統合したものが小説として出版されており、それで何とか把握できます。香山滋著『怪獣ゴジラ』(岩谷書店、1954年)がそれで、その後復刻もされています(『香山滋全集』第7巻他)。
 この物語では尾形の役割が多く、まさに主人公と言えます。山根博士はG作品検討用台本と比べるとずっとまともな人間になっていますが、最後までゴジラ抹殺に反対しています。芹沢博士についても映画よりさらに狷介な感じがする人物になっています。それから驚いたのは新吉が死んでしまうことです(かわいそうすぎる)。

 興味深いのは山根博士が考えた対策方法です。それは「ゴジラに餌をやって懐柔し、次の住処を見つけるまで待つ」というものでした。対策本部には取り合ってもらえないのですが、もしかしたら有効な策だったかもしれませんね。
 それから、映画と大きく違う点は、尾形が極秘裏にオキシジェンデストロイヤーを使用してゴジラを倒そうとする展開があったことでした。彼はこの方法でゴジラ退治とオキシジェンデストロイヤーの秘密を守ることを両立させようとします。そして、自らの生命を投げうつ覚悟を示す尾形と、彼とともに死のうとする恵美子の決意を見た芹沢博士は、何とか安全にゴジラを倒す方法を考え出すのですが、不運が重なり秘密がばれてしまったことから、映画と同じような展開になっていきます。
 なお、この物語ではラストの台詞は映画にやや近いものになっていましたが、台詞を述べるのは尾形であり、内容も「第二のゴジラが現れたならば、我々は命をかけて戦う」というちょっと勇ましいものになっていました。
 ラジオドラマ及び『怪獣ゴジラ』は全体としてはG作品検討用台本と映画との中間的なものであったと思います。アナザーストーリーとしてはなかなか面白いものでした。

 後、『ゴジラの逆襲』もラジオドラマ版があったそうですが、こちらは現存しているか不明です。

Re: ラジオドラマ版『ゴジラ』等 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/05/20 (Mon) 18:53:39

 むむ、ラジオドラマ版「ゴジラ」の現存する最終話、なにかの資料集に収録されていたはずと思いつつ、
聴いたことはなかったはずだなー、なんて思いましたが、
このごろはすっかり記憶が怪しくて(「ラドンの誕生」は読んでいなかったと思いましたが、そのエンディングには覚えがあって、
書棚を漁ってみたら情けないことに「ラドンの誕生」が収録された本をちゃんと持っていたりする)
まさか聴いたことがあったりしないよなー、なんて某所をごそごそしてみたら、あ、聴けるじゃないのと今聴きながら書いてます。
(やっぱり聴いたことはなかったです)

 さてと、きっかけをいただいたので、私も岩谷書店版「怪獣ゴジラ」(1983年10月30日大和書房)を読み直してみました。
私からもいくつか気がついた点を・・・。

 全体に、ゴジラの存在を原水爆の象徴としてより、大自然の驚異(脅威)として強調しています。
 それから山根博士がゴジラへの攻撃に反対する理由として、攻撃することでゴジラの怒りを呼び一層被害を増やすことを挙げています。
映画では光を当ててはいけませんと言っている部分が、「攻撃してはいけません」となっています。
(怪獣映画構成で大事な発想なのですが、ずーっと後年の作品になると映画的賑やかしのためだけに無益な攻撃シーンが頻発することになる)

 ラジオドラマ用台本が基になっているためだと思いますが、尾形・恵美子・芹沢の三角関係が非常にわかりやすくセリフで説明されています。
人間心理のリアリズムを考えれば、映画での抑制されたほのめかしのほうがリアルです。とくに芹沢の態度・言葉は映画のほうがずっといい。

 私が持っていた「怪獣ゴジラ」には村田武雄さんによる後書きがついていました。
ああ、なんと感慨深いことか。当時、『ゴジラ』公開から29年‘しか’経っていなかったのでした。
村田武雄さんも本多猪四郎監督もご存命だったんでありますね。(裏表紙には本多監督からのメッセージ入り)

 村田さんによる後書きで、山根博士の人物造形について香山案に異議申し立てしたのは自分であると書いてありました。
本多監督も同意見だったということかもしれませんが、まずは村田さんが変更を提案したということらしいです。
それから村田武雄監督で製作された立体映画『飛び出した日曜日』についても言及されていて、これも興味深かったです。
(いや、もう、36年前に読んでいるんですが)
割と近年、なにかの資料で東宝の立体映画(トービジョン)は赤青フィルタ式ではなく、偏光グラスを使うものだったと読んで、
昭和20年代にそこまでやったのかと感心しておりました。
 村田武雄さんの述懐でもポロライザーという偏光メガネをかけると書いてあって、たしかに偏光式だったのだと確認できました。
赤青フィルタ式だとカラー映画の立体化は出来ませんが、偏光ならカラーでも可能です。

 東宝がトービジョンをたった一回の実験(日本初の立体映画という記録が欲しかっただけとな)で捨ててしまったのは実に惜しいことです。
(あれ? ゴジラの話じゃなくなっちゃった)

元々の姿いろいろ - エクセルシオール (男性)

2019/05/08 (Wed) 21:08:41

 ゴジラの姿も歳月によって変化してきましたが、昔から気になっていることが一つあります。それは最初に企画された時の姿です。
 以前、『怪獣のいる精神史 フランケンシュタインからゴジラまで』(原田実著、風塵社、1995年)という本を読んだときに、香山滋氏による『G作品検討用台本』を引用したとされる部分がありました。そこでゴジラがアフリカゾウのような耳をバタバタさせるというシーンがあり、当初のゴジラが今知られている姿と大きく異なることがわかると述べられていました。
 果たして企画初期のゴジラはどんな姿だったのか?今のゴジラにアフリカゾウのような耳をつけたら、何とも珍妙な姿になってしまいますし、香山さんの最初のゴジラの姿は謎に包まれています(イラスト化を試みた方もいないようである)。
 なお、山根博士も最初はマッドサイエンティスト的な存在にすることを予定していたそうで、ゴジラの感電死を阻止するために係員を殴って気絶させるシーンがあったのだとか。これは実現しなくてよかったですね。
 この件についてはできるだけ早く引用元を読んでみようと思います。

 ラドンについても原作小説『ラドンの誕生』では、だいぶ姿が違います。表紙絵によれば角が一本でプテラノドン的な要素が強かったです(色も青っぽい)。ちなみにこの小説も映画とは大きく異なる作風で、映画のような「ラドンがかわいそうになる」要素はありません。あくまで「原始の暴力に対する人類の叡智の勝利」という当時のSFの王道を行くものでした。
 正直、「怪獣をやっつけてめでたしめでたし」という作品にせず、ラドンを哀れに思えるような結末にした映画版のスタッフは偉大だったと言わねばなりません。

 三つめはメガロです。実はメガロは『ゴジラ対ガイガン』の初期企画脚本『ゴジラ対宇宙怪獣 地球防衛命令』に既に登場していますが、その姿がよく知られているメガロとは大違いだったそうです。何でも「触角の先に目がついており、体からスモッグをまき散らして高速で移動する怪獣」だったとか。これまたどんな姿か想像しにくいですね。
 さて、『ゴジラ対ガイガン』の初期企画では、宇宙怪獣と地球怪獣の3対3の対決になる予定であり、初めは宇宙怪獣側がキングギドラ、ガイガン、メガロ、地球怪獣側がゴジラ、アンギラス、魔神ツールというメンバーでした。魔神ツールというのは中南米の魔神像が巨大化するという怪獣だったそうで、もしかしたらジェットジャガーの元ネタだったのかもしれません。

 最後にキングギドラ。この怪獣と言えば金色というのが定着していますが、最初は青色をベースに翼は青、白、赤のグラデーションという(なお、白色部分は写真によっては黄色にも見えるため、説が分かれている)、なかなかハイカラな色合いでした。確かに昔の怪獣大百科の中では青色ベースのキングギドラの写真が用いられているものもあったので、あれは間違いではなかったのだと納得しました。
 色合いの変更は、スタッフの一人が青いキングギドラを見て「金星から来たのだから金色だと思っていた」と言ったのを、円谷英二監督が耳にして急遽行われたそうです。思えばゴジラは黒色、ラドンは灰色、モスラは茶色でしたから、キングギドラが青色では映像が地味になってしまいます。そのことを考えると全身金色のキングギドラは大正解だったと思います。
 とはいえ、青のボディと三色の翼のキングギドラもこれはこれでかっこいいので、今後の作品に活かす方策はあるかもしれません(体の色を変えると技が変わるとか。宇宙怪獣なのでそういう設定もあまり無理はないだろう)。
 なお、青いキングギドラの人気は結構あったらしく近時フィギュアが発売されています。値段は税込み44820円というかなりの高額でした。さすがに私はちょっと手が出ません。

Re: 元々の姿いろいろ 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/05/09 (Thu) 20:45:20

 ハリウッド版新作の公開が迫る中、おもしろい話題をありがとうございます。
 あまり資料的なものを漁ることをしないもので、各作品の成立過程までは詳しくありませんでした。

 ずいぶん前ですが竹内博さんによる「ゴジラ1954」という資料集が発売されて、第一作『ゴジラ』のもろもろが収録されていたはずですが、
ひじょーに高価だったので諦めたのを覚えています。

 山根博士がゴジラの感電死を邪魔するくだりは読んだ覚えがありますが、うーむ、どの本で読んだものか。
小説版「ゴジラ」は岩谷書店版と島村出版版を持っています(どちらも別の出版社から再発されたものです)が、そのどちらかで読んだものか・・。
 いま双方をめくってみましたが、そんなシーンはなさそうで・・。記憶が怪しくて困りものです。

 山根博士を市井に生きる普通の人にしたのは、本多猪四郎監督のセンスだと何かの本で読みました。
(どうも、出典を覚えていないのでは説得力がないのですが)

 それから先日教えて頂いて入手した「漫画コレクション1954-58ゴジラ」を読んだところ、どの作品でも、ゴジラが最初に人々の目の前に姿を現したとき(映画で言えば大戸島の八幡山から顔を出すシーン)に、
熱線を吐いて一暴れしていました。
 怪獣の猛威を表すには当然の処置と思いますが、
映画とは違います。

 映画では八幡山から顔を出したゴジラが熱線を吐くことも暴れることもありません。
 ここにも本多・円谷コンビの優れたセンスを感じます。
 ゴジラの身になって演出しているのだと考えています。怒ってはいないから熱線は吐かないし、攻撃されていないから暴れないだろうという配慮と思います。
 ほかのシーンでもそのような例はあります。
(出現したとたん狂ったように暴れるある種の怪獣とは違う)

 怪獣演出にも怪獣の立場に立って考える姿勢があるからこそ、
ラドンの悲哀が出せたのだろうとも思います。

 メガロの初期案には仰天ですね。全く知りませんでした。おそらく名前だけが残って別怪獣に転用されたというところでしょうか。
『ゴジラ対メガロ』公開当時のスタッフコメント(田中Pだったか)では、
子供達は昆虫が好きだからカブトムシをモチーフにしたと語られていたと覚えています。
(なんかメガギラスの時も同じような発言があったような)

 青ギドラの翼って、フランス国旗みたいなんですよね。全身金色に慣れているので、なんとも違和感あります。
 そうそう、今度のアメリカギドラは翼の形までドラゴン風で、三つ首の龍ではなくて三つ首ドラゴンです。なんだかなぁ。
 いろいろ不安なレジェンダリー版であった、と締める。

Re: 元々の姿いろいろ - エクセルシオール (男性)

2019/05/10 (Fri) 22:32:00

 G作品検討用台本を読んでみたところ、確かにゴジラにアフリカゾウのような耳ががついているという設定がありました。驚くべきことですが、元々のゴジラが現在知られている姿とかなり異なっていたことは事実でした。
 その描写があったのは人類がゴジラの感電死を図ったときでした。電流攻撃をはね返した後、以下のくだりがあります。「機関銃掃射を浴びながら、ゴジラ、アフリカ象さながらの耳をパタパタあおって威嚇の叫びを残し」と。相変わらずどんな姿かよくわかりません。

 なお、「貴重な研究資料であるゴジラを殺したくない」という思いから狂気に駆られた山根博士が係員を隠していた鉄棒で殴ってしまうシーンはその少し前でした。しかし、装置の破壊は追いかけてきた恵美子に阻止され、彼女の手でスイッチが入れられるという展開となります。
 この脚本では山根博士はここで事実上退場となります。彼はおそらく静養のために信州へ運ばれ、ゴジラが倒された後のシーンでやつれて東京に戻ってくる姿が描かれるだけです。そう、映画ラストのあの有名なセリフはありません。撮影までにキャラ設定を含めて大改変が行われたことがわかります。

>どの作品でも、ゴジラが最初に人々の目の前に姿を現したときに、熱線を吐いて一暴れしていました。

 G作品検討用台本でもそうです。恵美子を襲って白熱光を放って山火事を起こしています。

 G作品検討用台本は今ではいくつかの本に収録されていますが、私は『香山滋全集』第11巻(三一書房、1997年)を参考にしました。この全集にはG作品検討用台本以外にも様々な作品が収録されています。
 そうそう『ゴジラの逆襲』の原案脚本は現存していないそうですが、作者自身が小説化したものはあります。以前読んだときに面白かったのは、アンギラスも放射火炎(白熱光)をはけるということでした。映画化の際にスケジュールや予算の都合で実現できなかったそうですが、かなり残念ですね。今後の作品で用いても良いと思います。

 『ラドンの誕生』についてラストの感じが映画とはまるで違うことは既に述べましたが、実は倒し方も違います。原作ではラドンが海に潜っているときに「凍結爆弾」という兵器で周りの海水ごと凍らせて氷詰めにしたうえで、その大氷塊を爆破して木っ端みじんにします。海を凍らせるときのくだりは以下の通り、「ああ、科学の力の何という偉大さ!大自然にいどむ、人間のちえの何というすばらしさ!」と。現代ではどこか無邪気な傲慢さを感じる部分ですが、当時のSFでは珍しくもない作風でした。
 『ラドンの誕生』(黒沼健著、『中学生の友』1956年10月号別冊付録)はオリジナルを手に入れるのは甚だ難しいですが、『怪獣小説全集Ⅱ 怪獣大戦争』(出版芸術社、1993年)に収録されています。ただ、挿絵が全てなくなっているのが残念です。

 それから、『モスラ』(1961年)の原作もあります。『発光妖精とモスラ』というタイトルで、別冊『週刊朝日』に掲載されていました。おそらくもっとも豪華な執筆陣による怪獣小説でしょうが(いずれも純文学の大作家、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の共著である)、なるほどインテリな感じがする作品でした。面白いのは小美人が2人ではなく4人であることです。また、最後にモスラは宇宙へ飛び出し、反世界に行ってしまうという落ちには驚きました。
 『発光妖精とモスラ』は筑摩書房から1994年に復刻版が出版されていますので、機会があればご覧ください。

 全然違うメガロが登場する『ゴジラ対宇宙怪獣 地球防衛命令』のシナリオは、『ゴジラ 東宝チャンピオンまつりパーフェクション』(KADOKAWA)という本に収録されているそうです。この本は読んでみたいのですがなかなか見つかりません。他にも没シナリオがいろいろ載っているそうで大変興味深いですね。
 とかく全否定されがちだったチャンピオンまつりに光を当てる意味でも貴重な本だと思います。

Re: 元々の姿いろいろ 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/05/12 (Sun) 18:01:05

 どうもです。

「G作品」検討用台本は1985年に出版された東宝SF特撮映画シリーズvol.3「ゴジラ/ゴジラの逆襲/大怪獣バラン」に収録されているものを持っていました。
 それを思い出せないとは、情けない・・・。

 検討用台本の時点ではまだゴジラのデザインは決まっていなかったはずですよね。
 それでも香山滋氏の頭の中にはその姿がある程度はイメージされていたのでしょうね。
 パタパタさせるほどの耳を持っているとなると、なんとなくイギリスのゴルゴっぽい感じでしょうか。
『怪獣ゴルゴ』での描写には『ゴジラ』からの影響を感じる場面もありますが。

「G作品」検討用台本にさっと目を通してみると、忘れていた一文が飛び込んできました。
 それは大戸島で一暴れするゴジラのくだり。
 餌になりそうな牛や羊などをねらいまわる、と書いた後で
(感心に人間はくわない)
と付け足してあります。

 かなり意図的にゴジラは人間を食べたりはしないとされているようです。
 そうなると、完成作品で語られる伝説の呉爾羅が場合によっては人間も食べるとされていることと矛盾しますから、ゴジラと呉爾羅は別の生き物ではないか、という発想も出てきますね。
(私としては大戸島伝説の呉爾羅がゴジラであると考えておいたほうが混乱がなくていいと思っていますが、かといって、同一か異なるのかを劇中ではっきりさせるべきではないと考えます。
別物かも知れないという余地を残すほうが深みが出るでしょう)

 ちょっと脱線しましたが、これだけ改変ゴジラが頻出してしまった現代においては、
今後出てくるであろう「俺様ゴジラ」(ゴジラを扱う機会を与えられた人間が手前勝手にアレンジしたゴジラ)に、食人するゴジラが出てこないとも限りません。
 そのときには、「香山滋はゴジラは人間を喰わないものと考えていたのだ。人間を喰うゴジラは邪道だ!」と言ってやりましょう。

「怪獣小説全集」は逃していました。昭和30年代だとまだまだ自然保護という考えはなくて、科学で征服してやるという風潮が強かったんですよね。
 昭和30年代前半のダム建設を描いたドキュメンタリー映画(うーーん、これもタイトルが思い出せない)で、山を崩し森林を伐採するシーンに、「見よ、科学の勝利だ」みたいなナレーションがついていたことを思い出します。

 そんな時代にゴジラやラドンを通じて大自然というものを(婉曲であるにせよ)考えさせる作品を作った本多猪四郎という才能はもっと評価されていいはずです。

 そういえば、ゴジラの漫画の中で藤田茂さんのものでは、ゴジラが溶かされてしまったコマの端に作者の独白のような形で
「神よ! この罪をゆるしたまえ・・・・・」と添えられていました。
 当時の受け止め方はそのようなものだったという証拠といってもいいでしょう。

 いつからゴジラ映画がゴジラ退治映画になってしまったのか・・・。

 また脱線してしまいました。
 1998年河出文庫の「怪獣文学大全」は読んでいましたので、「発光妖精とモスラ」はチェック済みでした。
そのときの印象では、「映画のほうがずっとおもしろいじゃないか。本多・関沢コンビはやっぱりすごいや」てな感じでした。

 私も「ゴジラ 東宝チャンピオンまつりパーフェクション」は未読で、うーん、要チェックか・・。
中古なら手に入るみたいです。
 チャンピオン祭り時代の新作にはまだ関沢新一さんが関わっていたりしますから、出来不出来はともかく、ゴジラが改変されることはなかったのですから。

Re: 元々の姿いろいろ - 海軍大臣 (男性)

2019/05/14 (Tue) 07:37:24

 お久しぶりです。
さて、なかなか興味深いお話が続いているようですので、お邪魔させていただきます。

 検討稿時点でのゴジラのキャラクターには、どこかキングコングの残滓が感じられる気がしてなりません。参考にできる先行キャラとしては打ってつけだった為なのでしょうが、「文字の上でのキャラクター」が粘土で造形された「形あるキャラクター」に移行する段階で、そうした余分なものが削除されて、能の所作を思わせる無表情なものへと固まっていったのだと考えられます。当時の新聞評に、観客が感情移入できるような「愛嬌が無い」といった意見がありましたが、大型爬虫類に準じた怪獣に擬人化を感じさせる動きを求めるのは、聊か的外れの意見のようです。

 また、ギドラ様の言われる、

>かなり意図的にゴジラは人間を食べたりはしないとされているようです。

 に関してですが、70年代末に奇想天外社からでていた原作小説(ジュブナイル版で「逆襲」と合本になったもの)の中に、九死に一生を得て救助された政次が、ゴジラが咀嚼して吐き出した仲間たちの骨を目撃したことを語る件があって、凄くショックを覚えたことが思い出されます。(オリジナルの【キングコング】でも、怒り狂ったコングが原住民を手掴みにして食いちぎる描写がありましたね)
これは恐らく生贄のエピソードとの整合性を持たせるためのものだったのでしょうが、原案⇒検討稿と移っていく段階でオミットされ、牛馬を捕食する属性(大戸島村長のセリで暗示される)のみが残されました。御存じかと思いますが、牛を銜えたゴジラのスチールが現存していますが、こちらも本編では未使用となっています。この他、白熱線で破壊された戦車から黒焦げになった死体が零れ落ちる、といった描写も映像化の段階で無くなっているなど、残酷描写を排除する製作者たちの姿勢は正しかったと思います。
 あと『発光妖精とモスラ』ですが、当時の安保問題を絡めて、米軍の出動を巡る民衆のデモ(当初は60年闘争の舞台となった国会議事堂に繭を張る設定だった)など、エクセルシオール様の言われる通り、「かなりインテリな感じ」を覚えますが、もともと田中友幸さんがそうした政治色を娯楽作品に持ち込むことを嫌っていたため、プロットを読んで「これは独立プロで撮ってください」と苦言を呈されたとも聞いています。
 一本の映画作品が成立するまでの紆余曲折を調べていくのも、たいへん有意義なことと思います。それではまた。

Re: 元々の姿いろいろ - 海軍大臣 (男性)

2019/05/14 (Tue) 07:40:37

訂正です。

「大戸島村長のセリ」⇒「大戸島村長のセリフ」

Re: 脱線しすぎてすいません 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/05/15 (Wed) 19:19:30

 おおーっと、ゴジラの食人を明示したバージョンもあったんですね。
となると、ゴジラは人間を食べないものだ、という(裏)設定は映画スタッフとの合議で決まっていったものと考えるべきですね。

『ゴジラ』公開当時にゴジラに愛嬌を求める声があったというのも驚きです。
やはり当時の観客は、ゴジラをただ恐ろしいだけのものとして受け止めていたわけではないということになります。
ゴジラ演出が、ゴジラにストーリー上の役割を全うさせるだけでなく、劇中の実在としての動物的リアリティを持たせることを目指していたからだろうと思われます。
(ストーリー上の役割だけに終始させるために意思も感情もないような設定を持ち込まれたどこかの怪物とは違ったのですよ)

 熊でも虎でも実際に遭遇すれば怖いものですが、観察するぶんには愛嬌を感じることもあるでしょう。
爬虫類となるとちょっと難しいところではありますが、そこに意思が見えれば共感もあり得るかと思います。
あまり感情が見えない初代ゴジラではありますが、恵美子をのぞき込んだり時計台の音に驚いたりと意思や感情のある存在として描かれていますから、
当時のお客さんには、もっとゴジラが身近に感じられれば良いのに、と思った人もいたのでしょうね。
初代ゴジラが無表情に感じられるのは、技術的な限界も影響していたと思います。
着ぐるみが固くてあまり自由に動けなかったり、目玉を動かすことも出来なかったりとやりたいことが出来なかったという側面がありそうです。

 円谷英二監督としてはゴジラにはもっと感情表現させたかったのだと考えています。
『ゴジラ』製作時に有川貞昌さんに『キング・コング』でのコングが毛を逆立たせるカットを見せて、「こういうのをやらなきゃいけない」と語っていたそうですし、
のちのゴジラ映画でゴジラを軽快に動かし、擬人化のそしりも恐れず感情的な芝居をさせたのは、ゴジラに感情移入して欲しいという意思の表れではないかと考えています。

 もちろん、ゴジラが爬虫類と哺乳類の中間型の生物であるという設定を守ろうとした結果であるとも言えそうです。
(ドゴラに感情移入させようとした形跡はない・・・・)

 ゴジラがただただ恐ろしくあればいい、という考え方はやはり1980年代のゴジラ論が影響しているのでは、と愚考します。
あのころは、ゴジラ=原水爆という教条が支配的でしたから・・・。

 ひどく脱線してしまいました。しかし、レジェンダリーのモンスターバースが日本怪獣のお株を奪いそうなのは、喜ぶべきか悲しむべきか・・。

ゴジラ須賀川に現る 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/05/01 (Wed) 16:54:54

 今年1月にオープンした円谷英二ミュージアム(須賀川市市民交流センターtetteテッテ内)へ行ってきました。

 円谷英二の生涯を紹介し、東宝特撮キャラクター(怪獣・メカ)の解説などが展示されています。

 展示物の隙間(?)にさまざまな媒体で発表された円谷英二の発言が仕込まれているのがいいです。
 これを細かく読めば、円谷英二がどんな発想をしていたかがおぼろげに見えてきます。
 個人的には『日本海大海戦』撮影時の特撮大プールを再現したミニチュアにぐっときました。

 しかし、最大の見せ場は映像展示「~夢の挑戦 ゴジラ須賀川に現る~」です。
 昨年11月にゴジラフェスで特報が上映されたようですが、私は見ていません。

 再現された初代ゴジラスーツを使った特撮短編で、
須賀川の町を蹂躙した後、どこかの都会で初代ゴジラが平成メーサー車軍団と一戦交えるという内容でした。

 本物のゴジラが新作として見られるのは一体何十年ぶりか。
(設定上は『メカゴジラの逆襲』でのゴジラも二代目ゴジラであり、本物のゴジラなんですがいかんせん、見た目が違いすぎた)

 見るまでは、お遊び程度の仕上がりじゃないだろうかと思っていたものの、実に本格的なものでした。
劇場公開するほどのクオリティとは言い難いですが、平成vs期のレベルは軽々とクリアしています。

 というのは技術的なレベルの話で、演出面ではかなりいいです。
 ゴジラの動きやカット割りなど、実に良い感じ。
 おっ、と思ったところを書きたい気持ちもありますが、いやいや、ネタバレを避けましょう。

 演出は鈴木健二監督。やはり鈴木健二監督のゴジラ観は正しいんじゃないかと思いました。

 この円谷英二ミュージアム、市が運営しているので入場無料!!

tette情報はこちら。
https://s-tette.jp/index.html
一階にはバルタン星人・キングジョー・レッドキングの大彫像もあるよ。

 ひとつ注釈。
展示の解説文で『新しき土』において日本初のスクリーンプロセスを使用とあるのは誤り。
スクリーンプロセス技術はそれ以前からありましたが、日本製のものは写りが悪く調整が難しすぎたので、
円谷英二が独自開発した高性能なスクリーンプロセスを使用したというのが正しいです。

登場怪獣17体? - エクセルシオール (男性)

2019/04/27 (Sat) 17:38:32

 もうすぐ公開のレジェンダリー版第2作ですが、新たな予告編や情報も公開されており、徐々に盛り上がりを見せています。第3弾の予告編を見ましたが、なるほどものすごい迫力であり、少なくともアニメ映画版よりはよほどすごい映画になりそうですし、なってほしいですね。

 さて、この映画『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』には、ゴジラ、ラドン、モスラ、キングギドラ以外にも怪獣が出てくることが噂されていましたが、何と合計で17体にのぼるという情報が入ってきました。数でなら『ゴジラ・ファイナルウォーズ』を上回ることになります。ただし、大半は名前だけということになりそうで、本格的な登場は上記4怪獣にとどまることになるでしょう。
 他の13体ですが、残念ながら多くの人が期待していたアンギラスはいません。多くはオリジナル怪獣で、レビアタン、ベヒモス、ニュームートー等といった名称です(ムートーは前作に引き続くことになる)。
 興味深いのは「コング」「ネッシー」といった名前があることです。確かレジェンダリー版の次回作がキングコングとゴジラが戦う映画になるので、前者はその布石でしょう。後者は実に面白い。もしかしたら、昔、日英合作で企画されながら実現されなかった特撮映画『ネッシー』が元ネタなのかもしれません。

 公開まで後一か月程度になりましたが、これぞ怪獣映画という作品をみせてほしいですね。正直、2014年の前作はいろんな意味で煮え切らない作品で(ゴジラよりムートーの方が目立つ、最後の「なんちゃって核爆発」は論外等々)、あまり高い評価はできませんでした。
 
 今回の映画ではキングギドラが出てきます。キングギドラ戦の王道は「キングギドラ対それ以外」なので、その点をわきまえて作っていてほしいです。個人的には昔と同じくゴジラ、ラドン、モスラの3体が力を合わせてキングギドラと戦う姿を見てみたいですね。

 なお、予告編第3弾の日本語版では「キングギドラを倒せば他の怪獣は止まる」というセリフがありました。キングギドラには謎がありそうです。

Re: 登場怪獣17体? 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/04/29 (Mon) 12:01:10

 どうもどうも、カレンダー通りに休みが取れているギドラです。

 そう、もう公開まで一ヶ月そこそこですね。
どうなることやらと気がもめて、逆に情報をあまり仕入れていませんでした。
 慌てて公式サイトを覗いて予告編を確認。

 う~ん、確かにど派手な感じ。
前作『GODZILLAゴジラ』では(オリジナルのゴジラとは別物にされていたとはいえ)怪獣観に見るべき点はあったものの、全体にわざと怪獣の派手さを抑えていたように思うので、そのあたりが改善されていることを願います。

 すごく心配なのは、前作でもあった、怪獣同士の生態的なつながり(ムートーはギャジラ[ゴジラ]に産卵して子供を作る)を強調するかもしれないことです。
 さらには地球の生態系になんらかの役割があるとか言い出しそう。
 取り越し苦労ならいいんですが・・。

 アメリカギドラも黄色い光線を吐くようなので、そこは安心しますが、ひょっとすると宇宙怪獣ではないかもしれなくて、ああっ、不安だ。

 それからPCモニターサイズで見るからかも知れませんが、どうも、CGによる描写が実写よりアニメに近い質感・動きに感じられました。

 それぞれの怪獣がオリジナルとは別物にされてしまうのは覚悟(批判はしますよ)しています。
その上でも、本来の怪獣映画らしい破壊・アクション・人間の負けっぷりが描かれていればオッケーです。

ゴジラの漫画 - エクセルシオール (男性)

2019/04/13 (Sat) 23:21:07

 この前、アメコミにおけるゴジラについて少し触れましたが、ひるがえって日本におけるゴジラ漫画について述べてみます。

 映画作品については少なくともVSシリーズまではほぼ全て漫画化されています(『ゴジラ対ヘドラ』すらある)。それも複数の出版社から並行して出ていることも珍しくなく、非常に興味深いです。多くは児童向け雑誌に掲載されたものでしたが、それぞれ独特の味わいがありました(有名な漫画家が担当していて驚かされることもある)。例えば『怪獣総進撃』では、ゴロザウルスではなくちゃんとバラゴンが凱旋門を破壊してましたよ。
 なお、1954年~1995年までのゴジラ映画でコミカライズされていないのは、どうやら『キングコング対ゴジラ』だけのようです。かなり残念ですね。

 現在、ゴジラの漫画で最も有名なのは坂井孝行さんのものでしょう。この方はVSシリーズの大半をコミカライズし(『ゴジラVSビオランテ』以外)、どれも映画とは大きく異なる物語で独自の作品世界を構築しています(キャラクター設定も大違いで、例えばVSシリーズ唯一のレギュラーだった三枝未希は全く出てこない)。私は映画とのあまりの違いに驚きつつも「これはこれで面白い」と思って読んでいました。
 ただし、坂井版は別冊コロコロコミックに連載されていたものと、その後に加筆修正のうえ単行本となったたものの間で物語が異なることがあるので注意が必要です。結末まで変わっていることもあるので、どっちかしか読んでいない人同士では話がかみ合わないこともあるそうです。

 なお、唯一坂井氏が担当しなかった『ゴジラVSビオランテ』に関しては、ほぼ映画を忠実に漫画化したものと、大きく物語が変わったものがあります(後者のタイトルは『ゴジラ1990』)。読み比べてみるのも一興です。
 
 異色の作品としては、ナンセンスギャグマンガの開祖、杉浦茂さんが『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』を漫画化したものがあります。この方のシュールでゆるふわな作風は甚だ個性的であり、それをゴジラに持ち込んでいるので、「受け入れ難い」と思う人も少なくないでしょう。でも、これがなかなか面白かったです(あまりにも原作のイメージと離れているのでかえって問題がなくなる)。
 この杉浦版では何とゴジラが吹き出しでしゃべります。『ゴジラ対ガイガン』の17~18年前の作品ですが、もしかしたら元ネタだったのかもしれません。
 また、『ゴジラの逆襲』を漫画化した『大あばれゴジラ』ではもはやオリジナルストーリーとなっています。こちらで特筆すべきなのは、ゴジラ、アンギラス以外にも怪獣が出てくること。ギョットス、オソロス、ゾットス、スゴンといった面々で、何とこれらの名前はアンギラスの没ネームから来ているのだとか。非常に興味深いですね(ギョットスなど元々は土屋嘉男さんが考案したものだそうだ)。
 ちなみに結末は主人公の少年「痛快シゲちゃん」が芹沢博士(杉浦版では彼は死んでいないのだ)の開発した新しい薬をゴジラ達に飲ませておとなしくさせてしまいます。しかも、おとなしくなったゴジラ達をそのまま東京に住まわせて、いわば「怪獣ランド」をつくってしまうのでした(なお、大人たちは大喜びだが、子どもたちは薬の効き目が切れることを心配している)。
 この杉浦版、異端中の異端の作品ですが、肩ひじ張らずに一読してみるのもよいでしょう。

 ゴジラの漫画に関しては映画のコミカライズ以外にもオリジナル作品もいくつか存在します(『さいごのゴジラ』『’79ゴジラ東京大襲来』『ゴジラ、エネルギー大作戦』等々)。アメコミに負けないくらいの一大作品群となっていると言えます。
 これだけ漫画版が出たのもゴジラが非常に人気があったからでしょう。映画とも小説とも異なる楽しみがあるので、私は好きですね。

Re: ゴジラの漫画 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/04/15 (Mon) 19:42:39

 ゴジラのコミカライズは『2000ミレニアム』のものしか読んだことがなくてまるで不案内だったので、勉強になりました。

『キングコング対ゴジラ』がないのは、やはり権利問題でしょうか。
 杉浦茂作品には興味あります。以前、なにかのテレビで杉浦マンガを紹介しているのを見かけて、そのぶっとび具合に脳天を割られました。
本屋を回っても見つけられず・・。
あ、いまならネット通販があるか。ゴジラのマンガも売ってますね!(く~、どうする??)

Re: ゴジラの漫画 - エクセルシオール (男性)

2019/04/16 (Tue) 21:30:25

 杉浦茂版ゴジラについてはオリジナル版を入手することはなかなか難しいですが、比較的最近に出版された本に収録されていますので、参考にしてみてください。
 『ゴジラ』及び『大あばれゴジラ』ともに、『杉浦茂マンガ館⓷少年SF・異次元ツアー』(筑摩書房、1994年)、『ゴジラ漫画コレクション 1954-58』(小学館、2014年)に収録されています。また、『ゴジラ』だけならば『原水爆漫画コレクション⓸残光』(平凡社、2015年)にも掲載されています。

 『ゴジラ漫画コレクション 1954-58』には杉浦版だけでなく他の初期ゴジラ映画のコミカライズや絵物語なども載っているので、ゴジラファンとしては買うとすればそっちの方がお得かもしれません。
 ただ、場合によっては図書館にある可能性もあります(地方によっては漫画専門の図書館もある)。買うとなると出費もあるので、並行して図書館を探してみてはいかかでしょう(最近は家からでもコンピューターで検索できる図書館が増えています)。

 なお、杉浦版ではどちらも少年が主人公です。『ゴジラ』では新吉が何でもできるスーパーボーイとなっていましたし、『大あばれゴジラ』では既述のように「痛快シゲちゃん」(立場は山根博士のアルバイト少年助手)が主人公です。この改変点は子どもを主たる読者としていることから理解できます。

 後、ゴジラではありませんが、VSシリーズのコミカライズで欠かすことのできない漫画家である坂井孝行さんは90年代のモスラ三部作も漫画化していました。こちらもオリジナリティにあふれた作品となっていたそうですが(特に2作目が映画より深い話になっているらしい)、残念なことに単行本化はされていないと聞いています。何とか読めるようにしてほしいですね。

>『キングコング対ゴジラ』がないのは、やはり権利問題でしょうか。
 おそらくそうだと思います(コミカライズしようとすれば東宝以外にアメリカの権利者との交渉も必要になったはずである)。もしあったら読んでみたかったです。

Re: 買いました! 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/04/18 (Thu) 19:39:28

 早速、「ゴジラ漫画コレクション1954-58」を入手しました。
 まだぱらぱらとめくってみただけですが、
杉浦茂さんの良い意味で牧歌的な画柄には、思わず笑みがこぼれます。
(で、山根エミ子さんのキャラクターデザインにぶっ飛ぶ!)

 阿部和助さんによる絵物語から順番にちゃんと読むのが編集者への礼儀かな、と杉浦作品を先行させない律儀なギドラであった・・。

ゴジラジャパンについて他 - エクセルシオール (男性)

2019/03/26 (Tue) 20:35:52

 「ゴジラ」の迷走ぶりを象徴するような出来事がまたありました。東宝の公式協力のもと柔道日本代表(男女共通)の愛称が「ゴジラジャパン」となったそうです。

 いったいどういう発想でこんな決定がなされたのか理解に苦しみます(語感もダサい)。何でもかんでも「○○ジャパン」とする傾向にも食傷気味ですが、「ゴジラジャパン」の問題はそれだけにとどまりません。
 特定のキャラクターを愛称にすることが許されるのならば、今後、「ウルトラマンジャパン」、「仮面ライダージャパン」などが現れても問題なしということになります。はたしてそれでいいのか?このような愛称が連発したらもはや悪夢でしょう。
 それに、何で柔道でゴジラなのか?この二つを結び付けるのはかなり無理があります。また、柔道をネタにした物語なら、『姿三四郎』も『柔道一直線』も『YAWARA』もあるのです。これらを差し置いてゴジラというのがもう間違っています。
 おそらくこれはレジェンダリー版2作目の公開を前にしたプロモーションの一環というほかないでしょう。あまり筋のいい話とは言えませんね。

 当然というべきか、現状、このネーミングの評判はあまりよくありません。しかし、いまさら撤回もできないでしょうから、このダサい名前が当分の間突っ走ることになります。心が寒くなってきます。

 もっとも、世の批判論もその中身を精査すると首をかしげるようなものも少なくありません。「破壊の化身であるゴジラは、礼節を重んじる柔道にふさわしくない」というのもいささか問題がありますが(ゴジラを一面的にとらえすぎなうえ、柔道界の実態はそんなご立派なものなのか?)、それはまだましな方です。驚くべきことに「ゴジラなんて倒される存在ではないか」とか、「ゴジラは最後は負ける存在であり、金メダルを取らねばならない柔道日本代表を負けさせたいのか」などというものが相当数を占めています。「怪獣王」たるゴジラのイメージがそんなものとは、ファンとしては悲しい限りですが、これはおそらく『ファイナルウォーズ』以外のミレニアムシリーズや、エメリッヒ版や『シン・ゴジラ』の影響でしょう。これらしか観ていないとすれば、ゴジラは弱いという発想を抱いてもしかたありません。
 なお、ゴジラは女子柔道の愛称に限ってふさわしくないという意見もありますが、これは賛同できない。そもそも、現代においてもスポーツ等において男子には勇ましく強そうな愛称、女子には可愛い弱そうな愛称が付されることが少なくありませんが、このような発想自体が時代遅れの産物でしょう(古臭い性役割意識を助長するものであり好ましくない)。その意味ではゴジラを男女共通の愛称にしたことだけは一定の積極的評価ができます。ただ、愛称は別のものにしてほしかったですね。


 話は変わりますが、ゴジラのアメコミというのはかなりの数にのぼるみたいですよ。先日紹介した『ルーラーズ・オブ・アース』以外にも、『キングダム・オブ・モンスターズ』、『カタクリズム』、『レジェンズ』といった作品が存在するそうです。古くはゴジラとレッドローニンというロボットが対決するものもあり(アベンジャーズシリーズの一つ。タイトルは偶然にもレジェンダリー版2作目と同じ『キング・オブ・モンスターズ』)、アメコミだけで一大作品群を形成していると言えるでしょう。
 残念ながら未翻訳のものが大半で日本ではなかなか読めませんが、いつか読んでみたいですね。
  

Re: ゴジラジャパンについて他 - なんじぇい (?)

2019/03/26 (Tue) 22:03:20

そうですね……
私は別に愛称自体はどんな名前でもいいとは思います。愛称は似ているから付けるものです。似てる似てないは感性の問題も含まれます(特に外見に関しては)。
「形がまるで○○みたいだから、○○岩とか○○山にしよう」なんて地名は世界中にいくらでもあります(ちなみに同じ理由でゴジラ岩もあったりする)。


昔では、野球選手の松井秀喜のニックネームが『ゴジラ』だったりしました。
松井選手の場合は「下半身が太く、犬歯が特徴的だから」という理由でスポーツ紙の記者がつけたそうです。
また周囲のチームメイトからは力強いという理由からか、このあだ名が付く以前にも怪獣と言われていたという話もありました。


ですが、『ゴジラジャパン』に関しては理解に苦しみます。

松井選手の場合はゴジラと名付けられた理由はわからなくはありません。馬鹿力があって姿形がゴジラに似ている箇所があるからでしょう(実際そうである)。自然発生的に付いたものです。
この愛称がマスメディアで使われた以前からチームメイトに「怪獣」と呼ばれていたというのも、それを後押ししています。
ところが柔道の場合は、まあよくわからない。というより、共通点があるんでしょうか?
自然発生的に付いた松井選手と違い、広告の匂いがしますね。



余談ですが、松井選手にゴジラというニックネームを名付けたのはスポーツ新聞の女性記者だそうです。
その記者に「ゴジラなんて勘弁して下さいよ。もっと可愛いニックネームはないんですか?」と言った松井選手に対し、名付け親の記者は「あら、ゴジラだってカワイイじゃない?私は似合ってると思うのよ」と返したとか(ちなみに松井選手はゴジラのニックネームを受け入れ、今はむしろ気に入っているらしい)。

当時は1992年ですが、その時にはゴジラはかわいいという認識があったというのが驚きです。
今は破壊の化身だとか言われているのが嘘のように感じます。

Re: ゴジラジャパンについて他 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/03/27 (Wed) 19:36:35

 新聞で知って「?????」でした。

 報道によると

https://www.nikkansports.com/sports/news/201903190000627.html
など

愛称としてゴジラの名を使うことは東宝サイドが提案したと読めます。

 ゴジラ松井のほかにもギャオスだの大魔神だのと映画がらみのニックネームはありました。
が、それらはなんじぇいさんがおっしゃる通り自然発生的なものだったと思えます。

 今回のゴジラジャパンは商売の匂いがプンプンですね。
もちろん、宣伝のためにあの手この手というのもわかりますが、映画キャラクターであるゴジラを浸透させたいのなら、
まずは映画を作りなさいと言いたいです。その内容がどんな物かというのも問題にはなりますが、そこは置いておきましょう。

 先般のクリエーターオーディションはゴジラその他の東宝特撮キャラクターを使って二次創作させるのが主眼でした。
既存のキャラクターでどんな新たな物語を作り出すのかではなく、キャラクター改変のコンテストとも受け取られる募集要項だったわけです。

 もうゴジラ(だけでなくその他の怪獣・メカ)はストーリーから切り離され、名前さえ残ればそれでいいと考えられているように見えます。
柔道日本代表が世界へ出て行くとき、そこにゴジラの名前がぶら下がって全世界的に名前を広めようという魂胆なのでしょう。

 そうすれば、VSもミレニアムもちんごじ・アニゴジ、みんなゴジラなのですからグッズ展開に弾みがつくというものですね。
(ああ、下らねぇ!!!)

 ゴジラのネームバリューが大きくなったのはなぜか?
ハリウッドに映画化権が売れたのはなぜか?

 そこのところをちゃーんと考えるべきでしょうね。

 さて、それで、ゴジラジャパンという愛称への反対論に怪獣ゴジラへのネガティブなイメージがあることも大問題ですね。
こんなところにも1984年以降、ストーリーの骨子がゴジラ退治である作品が頻出してきたことの弊害が出ていますね。
本来のゴジラはやられ役ではないし、悪鬼のようなものでもありません。

 ゴジラは悪役、ゴジラは倒されてしかるべきと考える人たちは『ゴジラ』第一作を読み違えているし、その後のシリーズ展開を無視しているだけなのだが・・・。


 ゴジラのアメコミってそんなにたくさんあるんですか。
東宝さん、うまいことやってますね。(頼むから日本国内でゴジラのマンガなんか出さないで! 映画のコミカライズがぎりぎりセーフよん)

『ゴジラ:ルーラーズ・オブ・アース』 - エクセルシオール (男性)

2019/03/18 (Mon) 22:00:47

 最終作の公開からまだ半年も経っていないのに、既にほとんど忘れられた存在となっているアニメ版ゴジラ。1年以上の歳月をかけ、劇場用アニメを中心に小説、漫画などの積極的なメディアミックスがなされた一大プロジェクトであったのに、もはや触れることすらタブーという感じすら漂っています。
 だが、お世辞にも成功したとは言えないこの作品に関しては、何がいけなかったのかきちんと総括しなければなりません。何もしないまま「なかったこと」にするのはアンフェアというべきです。

 さて、アニメ版の体たらくを横目に、「こっちをアニメ化した方がよかったのでは」という漫画が存在しました。それが表題にあげた作品『ゴジラ:ルーラーズ・オブ・アース』です。これはアメリカンコミックなのですが、日本語にも翻訳されています。
 残念ながら実物を読んだことはありませんが、情報によればその内容は「大怪獣バトルロイヤル」であり、歴代東宝怪獣映画のほぼあらゆる怪獣が登場するそうです。正直、設定はよく言えばおおらか、悪く言えばいいかげんであり、昭和シリーズ、VSシリーズ、ミレニアムシリーズがごちゃ混ぜになっていると言えます。
 この漫画の物語は、様々な怪獣が壮絶なバトルを繰り広げますが、最後にはゴジラを中心とする地球怪獣と異星人の手先の怪獣たちが対決するという、とても懐かしい構成になっています(しばしば有識者の多くに罵倒される構成だが、私は好きである。少なくとも全否定されるべきものではない)。ファンを喜ばせる展開も多くて、例えばメカゴジラ軍団に窮地に追い込まれたゴジラを助けるため、アンギラスが駆け付けるというシーンがあるそうですよ。

 この漫画はあくまでお祭り的クロスオーバー作品ですが、仮にアニメ化されていたら少なくともあのアニメ版よりははるかに面白かったと思います。
 なお、日本ではキワモノ扱いされたり、今一つマイナーな怪獣が海外では妙に人気があるそうで、例えばジェットジャガー、ゲゾラなどが好きという方が少なくないそうです。なかなか興味深いことですね。

Re: 『ゴジラ:ルーラーズ・オブ・アース』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/03/19 (Tue) 19:28:02

 アニメ版の総括は必要なことと思います。
ブルーレイをレンタルしたりネット配信を見れば再鑑賞も出来るとは思いますが・・・。
(うーん、もうあれにお金を払いたくはない)
BS・CSでの放送がないというのもなんとも寒々しい状況ですね。
語り直すなら見直さないといけません。

 いや、映画作品としての出来不出来の問題はひとまず置いておいて、
なぜそのようなものが出来上がったのかという観点に立つと、東宝サイドのゴジラ観に問題があったのではないか、と思えます。
しかし実製作に関わった人々のコメントはスタッフインタビューなどでフォローすることも可能ですが、
ではなぜ彼らが作り手として選ばれたのか、どんな条件でゴジラを任されたのかという話になると一観客の立場からはなかなか見えづらいのも確か。

 そう、私はスタッフ布陣とそのコントロールに問題があったのだと思っています。
そのあたりの話は内部事情を知らないと議論も出来ません。(『シン・ゴジラ』も含めて考えると、いまゴジラをコントロールしている人々は総意としてアニメにご執心なのかなと推察されます)

 この場にゴジコンの人が出てくればいいんですがねぇ。(ま、無理な話ですな)

「ゴジラ:ルーラーズ・オブ・ジ・アース」についてはまるで知りませんでした。
さすがアメリカ、いろいろやってくれますね。
レジェンダリー版を下敷きにしていないところがいいですね。
 あくまでも傍流として、コミックスだったりアニメだったりならあれもこれもみんな出てくるお祭り作品は楽しくて良いです。
 その出し方はちゃんとマニアックに設定や来歴を守らないといけませんが。
(アニメゴジラの小説版は各怪獣の扱いがマニアックじゃないので「ファイナルウォーズ」的なんじゃーーー)

どこまで折り合いをつけるべきなのか…… - なんじぇい (?)

2019/03/13 (Wed) 20:55:42

難しく、ややこしい話ですが……

基本、VSゴジラ以降のゴジラは元祖ゴジラから何らかの設定改変要素が入っています。
例えばVSゴジラですと
・身長が2倍くらいでかい
・恐竜ゴジラザウルスが水爆で変異した生物である
・パワーアップしたり暴走したら熱線が赤くなる
・放射能を主食とし、体内に原子炉がある

次のミレゴジなら
・背鰭がトゲトゲして紫色になってる
・かなり猫背で、身長が5m増えた
・熱線が常に赤い

みたいな形でしょうか。
VSゴジラは体内に第二の脳があるとか、体内放射(ミレゴジもできますが)ができるとか、カドミウム弾が効くなど細かな違いはもう少し挙げられます。
もしかしたら外見や設定上、VS以降で初代もしくは2代目ゴジラに最も近いのは機龍ゴジラかもしれません。初代ゴジラの骨が残ったりと歴史は改変していますが……
また、恐らく一番遠いのはエメリッヒゴジラかシン・ゴジラでしょう。両方ともいくらでも挙げられます。
ただし、2代目ゴジラ以降をなかったことにしているのは全作共通です。


もし基準を機械的に、厳格そして厳密に適応すれば、VSゴジラ以降は全て一律に「違う点が多かろうと少なかろうと偽ゴジラなので、ゴジラ映画ではありません。よってゴジラ映画としては論ずるに値しません」と纏められることになり(歴史改変を無視すればかろうじて機龍ゴジラがセーフか? 少なくともVSゴジラよりは元祖ゴジラに近い)、それはちょっと……みたいな形になるための質問です。

皆様はどういう形の折り合いをつけているのでしょう?

Re: どこまで折り合いをつけるべきなのか…… 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/03/15 (Fri) 18:31:30

 この問題、細かく書くとものすごく長くなるので、簡潔に核心部分だけ書きます。

 私のスタンスは、折り合いを付けない、です。
過去にはもっと緩く考えていたこともありますが、改変してもオーケーとなるとゴジラの基本設定を大事にしない輩が、
自分の都合で止めどなく改悪していきますから、一切の改変を許さないという姿勢を取ることにしました。
(外観デザインの問題は難しいとは再三申し上げている通りです)

 ですので、1984年以降の擬似ゴジラに対しては、ゴジラじゃないから無視をするのではなく、
ゴジラではないものをゴジラ名義で発表するのは詐欺だ、欺瞞だと糾弾することにしています。

 初代ゴジラさえいなかった世界が舞台でも、元祖ゴジラと同じ生物を登場させた作品が出てきたなら、ゴジラ映画としては認めます。
しかしゴジラシリーズとしてはいかがなものかという評価になるでしょう。

Re: どこまで折り合いをつけるべきなのか…… - なんじぇい (?)

2019/03/15 (Fri) 23:15:35

なるほど……

では少し前に話題になった『ゴジラVSデストロイア』も、ゴジラ映画としてではなく、怪獣映画として評価したものなのでしょうか?
つまり「バーニングゴジラは断じてゴジラではないし、本作をゴジラ映画とは認めないけれど、1匹の怪獣の死というテーマとしては評価が高い」という形です。

Re: どこまで折り合いをつけるべきなのか…… 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/03/16 (Sat) 17:25:56

>なんじぇいさん
 おおむねおっしゃるとおりです。

 公開当時に書いた感想からその部分を抜き出し、かつ補足します。

>私はゴジラフリークというよりは、円谷特撮のファンで、ゴジラも本多・円谷・伊福部トリオの作品以外はゴジラであってゴジラにあらず、
>全くの別物だと思うようにしてきました。それでも目の前でゴジラに死なれると、なんともいえぬ悲しい気分にさせられてしまいました。

と、書いていますが、このころはVSゴジラをまったくゴジラとして認めていないというよりは、
本来のゴジラとは違うという受け止め方でした。

 現在の考えを補うと、『ゴジラ』(1954)から『メカゴジラの逆襲』までのゴジラ映画は同一の世界を舞台にしており、劇中での扱いも初代ゴジラが死亡したあとは二代目ゴジラが最後まで代替わりすることなく登場している形なので、姿形に変更があろうともゴジラである、という認識です。
ただし、デザインの変更や演出には作品によって異議はあるよ、と。本多・円谷・伊福部トリオによるゴジラが最高のゴジラであって、ほかの布陣によるものはちょっと落ちるな、という感じです。

 対して『ゴジラ』(1984)を引き継ぐ形でスタートしたvsシリーズはゴジラという生物を最初のシリーズとは別のものにしてしまったので、
ゴジラとは認められないということになります。

 ただし、さらにのちのミレニアムシリーズに比べるとvsゴジラのほうが見た目のゴジラ感は強いのです。
『vsデストロイア』でのゴジラはゴジラとは認められないけれど、
映像音響を通じた体験としてのゴジラの死からは、その背負うストーリーや設定を抜きにして、ゴジラが死んでしまうという感覚を受け取ります。
ですから、ゴジラではない怪獣の死を見ているということでもないんですよ。

 見た目も大事ということでしょう。

『2000ミレニアム』や『×メガギラス』に登場したゴジラは、その性格付けにおいて、もっとも二代目ゴジラに近い物だったと感じていますが、
ビジュアルが違いすぎて絶賛というわけにはいきませんでした。

 うーん、何を以てゴジラとするかの話はやっぱり長くなるので、いまはこれぐらいで。

『女であること』『暖簾』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/03/11 (Mon) 19:22:37

 衛星劇場で実施中の川島雄三現存全作品放送企画で見逃していた作品を補っている今日この頃・・。

川島雄三といえば『グラマ島の誘惑』や『特急にっぽん』で円谷英二との接点があったのではないかと睨んでいました。

 今回は『女であること』(1958東京映画)と『暖簾』(1958宝塚映画)に円谷英二の影を見た!
(竹内博さんのリストには出てきません)
『女であること』のほうでは、タイトル後、民家の上空を低空飛行するセイバー戦闘機編隊がミニチュアでした。
どうも『空の大怪獣ラドン』用の素材を合成しているようでした。
『女であること』はモノクロスタンダードであり、『ラドン』の素材は使いやすいでしょう。
画面右に家屋の軒と壁、左のほとんどは空で下の方に庭の垣根の上端や遠くの木々がわずかに見えています。
その画面左から右へ降下するようにセイバーが飛んできます。そのサイズや角度はやや不自然。
子細に確認したところ、庭木・垣根・遠くの木はミニチュア、その背景にスクリーンプロセスで戦闘機隊を合成。
その手前に実景の家屋をはめ込み合成したものと思われます。

『暖簾』はモノクロワイド。物語前半で大阪が大型台風に蹂躙されるシーンに2カット、ミニチュアによる特撮カットあり。
川の増水で橋が流され風圧で櫓(らしきもの)が倒壊するカットと、主人公森繁久彌が商売物の昆布を倉庫から船に運びだそうとしているシーンのロングショットがミニチュアでした。
後者では電柱が倒れて火花を散らす演出もあり。
 また後半では森繁さんが一人二役をやっており、合成カットが頻出。
カラーフィルムで撮影してブルーバック合成したような画質の部分もありました。

 1950年代の東京映画、宝塚映画の特撮に円谷英二が関わっていないとは思えません。
特に『暖簾』のミニチュア特撮は密度も高く、間違いなく円谷英二によるものでしょう。
両作品ともクレジットに特技の表示はありません。

 まったくどこから出てくるかわからない円谷英二の仕事たち。

『女であること』はとある弁護士夫婦(森雅之・原節子)の家に同居することになった裁判中の男の娘(香川京子)と関西のお嬢様(久我美子)。
若い二人の生き様を対比させ、
娘たちが引き起こす波紋そして原節子の過去と現在を通じて男女の絆とは不安定なものであると主張するストーリー。←別の解釈もあり得るかな。

『暖簾』は大阪昆布商店の親子二代にわたる商魂記。コミカルでおもしろいですよ。森繁久彌の作品歴にはよく出てくる作品だったかと思います。

『シン・ウルトラマン』 - なんじぇい (?)

2019/03/06 (Wed) 14:23:46

庵野秀明まさかの『シン・ウルトラマン』始動!『エヴァンゲリオン』最終作は先送り?
https://taishu.jp/articles/-/63863?page=1

所詮週刊誌飛ばし記事なので話半分ですが、驚きました。
不安の方が大きいですが、どうなんでしょう?

Re: 『シン・ウルトラマン』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/03/06 (Wed) 19:04:28

ええっ?
ええーーーー!

えー( ̄0 ̄)
うううう。

記事によるとハヤタ役がどうしたこうしたと書いてありますが、
「ウルトラマン」をリメイクするという企画なんでしょうか。
似たような発想で「ULTRAMAN」という勘違い映画もありましたね。

 どうかしてるぜ、としか・・・。(公開されても私は見に行きませんよ。TV放送待ちですね)

Re: 『シン・ウルトラマン』 - エクセルシオール (男性)

2019/03/07 (Thu) 21:03:24

 『シン・ウルトラマン』・・・。何でも「シン」をつければいいというものではないし、ネーミングセンスの枯渇も心配したくなりますが、それよりも内容の方が不安ですね(ゴジラに続いてウルトラマンまで無茶苦茶にされるおそれがある)。『シン・ゴジラ』が興行的には大ヒットしたので、今度はウルトラマンも庵野監督に任せりゃうまくいくだろうという発想が見え隠れします(しかし、彼はまずエヴァンゲリヲンを完結させる方が急務なのでは・・・)。

>似たような発想で「ULTRAMAN」という勘違い映画もありましたね。

 確かこの映画はかの『ウルトラマンネクサス』の前日譚として製作され、「ULTRAMAN PROJECT」というかなり巨大な計画の一環でした。ところが、メイン作品の『ウルトラマンネクサス』が大コケ(「鬱トラマン」では当然だろう)、企画が進行していた映画第二作目の製作は頓挫という顛末を辿りました。内容を鑑みると確かに「何か勘違いをしている」と言わざるを得ないものでした。 
 『シン・ウルトラマン』はもしかしたら、映画『ULTRAMAN』、ドラマ『ウルトラマンネクサス』以上の訳の分からない話になり果てるかもしれません。そうなればもはや悪夢ですね。

 そうそう『ULTRAMAN』というアニメ番組がネットフリックスで4月から放送されるそうです。これは『月刊ヒーローズ』という雑誌に連載されている漫画をアニメ化したもので、上記映画とは無関係です。ハヤタの息子がウルトラマンとして活躍する話だそうで、その姿は通常知られるウルトラマンとは大きく異なった機械的なものです(グリッドマンに近いか)。こちらはどうなるでしょうか。

 余談ですが、ウルトラマンと言えば中国でフルCGアニメ映画が製作されていましたね(『ドラゴンフォース さようならウルトラマン』という題名)。これはいまだ解決を見ぬウルトラマン国際権利紛争の産物であり、円谷は認めていませんが、実際に観賞した人の感想によれば「なかなかよくできている」そうです。個人的には観てみたいですね(当事者にはお互いに歩み寄って適当なところで和解してほしいものである)。 
 なお、日本ではなかなか観られませんが、近年の中国の特撮・アニメ等の進歩はかなりすごいようです。戦隊ものや仮面ライダーみたいな作品の他、プリキュアみたいな変身ヒロインアニメなども独自の作品が作られるようになっているそうですよ(それぞれ『巨神戦撃隊』、『鎧甲勇士』、『巴拉拉小魔仙(バララシャオモーシェン)』など)。これらも機会があれば視聴してみたいです。 
 

Re: 『シン・ウルトラマン』 - なんじぇい (?)

2019/03/08 (Fri) 16:30:48

>ウルトラマンまで無茶苦茶にされるおそれがある

怒られるかもしれませんが、個人的にはウルトラマンは、ゴジラほどは気にしてはいません。

理由としては「ウルトラマンには個体差があり名前が違う(ゴジラとスペースゴジラとメカゴジラを同一に語るのが間違いなのと同じ)」「大昔からとんでもないウルトラマンが乱発している」みたいなものでしょうか。
特に後者が本当に大きいです。

私が生まれるよりも前の遥か45年前のエースやタロウあたりから、旧作のウルトラマンを相当な回数かませ犬にしていたり(エースキラー、ヒッポリト星人、タイラント等々)、ゼットンやメフィラス星人が以前のものの見る影もないような容姿や生態をしていたり等が平然と繰り返されていました。
ウルトラの父・母・キングやウルトラの国の成り立ちなど、後付け設定も枚挙に暇がありません。
慣れと言えばそれまでですが、遥か昔からそのような傾向が繰り返されており子供の頃からそれを観ている以上、もうウルトラシリーズはしょうがないもの・そういうものと、どうしても思ってしまっています。


しかしそんな私でも『ネクサス』は好きではありませんでした。
理由は単純で「明らかに子供向けではない」というものです。案の定売り上げは落ちていました。
ストーリーも良くなかったような……(というより、物凄くつまらなかったので覚えていない)


そんなわけで、私としてはウルトラマンは「子供も楽しめて正義の味方でストーリーの出来が良ければいい」という感じの実に緩い考えになってしまっています。
尤も庵野監督なので、『ネクサス』よりさらに酷いウルトラマンが出てくるかもしれませんが……

Re: 『シン・ウルトラマン』 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/03/11 (Mon) 19:18:31

 庵野氏によるウルトラマン、というのはどうやらガセネタだったみたいですね。
(まあ、火の無いところに煙は立たないということわざもありますが・・)

映画『ULTRAMAN』のコンセプトはハリウッドのアメコミ映画みたいにデートムービーとしても見られるもので、
かつTVシリーズ「ウルトラマン」第一話をリアル路線でリメイクするてな触れ込みだったと記憶しています。
だとすると、まあ、なんて出来の悪いポンコツ映画だったことか。
しかも「ネクサス」と連携させてリアル=重苦しいと勘違いしている風情が痛かったです。
「ネクサス」の細かいことはもう覚えていませんが、暗いストーリーというだけでなく、シナリオがずるかった覚えがあります。
後出しじゃんけんみたいな劇展開だったり人物の行動が強引だったり・・。つまらなかったですね。

 たしかにウルトラシリーズは相当昔からなんでもありになってしまっていますから、
いまさら何が出てきても驚いちゃいけないんでしょうけれど、
基本(怪獣・宇宙人にストーリー上のテーマがあり、ウルトラマンはケリをつける役)を忘れて、ウルトラマン同志の諍いなどに走るようなものはダメですよ。

 中国のウルトラマンには興味があります。
法的な権利者が誰かなんてことは利権を心配する人に任せます。
本家円谷プロがおかしなウルトラマンばかり作っているなら、誰が作ろうがウルトラマンとして全うであれば評価したいですね。

マンガ「ULTRAMAN」は雑誌に載っているのをぺらぺらっとめくった覚えがありますが・・・。
ハヤタの息子がウルトラマンになるなんて知りませんでした。
違うんだよなぁ。ウルトラマンと分離したハヤタは役目を終えたんですよ。
そこはもう触らなくていいのに。

再録しました 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/02/28 (Thu) 19:39:04

 調べて見たら、webゴジラマガジンは2017年には無くなっていたみたいです。

 というわけで、ghidorah(殿様ギドラ)のエッセイをギドラの巣に移しました。
 それにしても、長いよ!

 移動のための編集作業で読み返してみたら、今はそう思わないというところもわずかにありますが、
全体として状況に変化なしだなぁ、と思います。

 ゴジマガ用に書いたエッセイはここ
http://k-ghidorah.sadist.jp/essay_gd_1.htm

Re: 再録しました - なんじぇい (?)

2019/03/04 (Mon) 22:26:38

読ませていただきました。



円谷英二さんの話題なのでしょうがないところでありますし、話もずれてしまいますが、個人的には軽く流されてしまったVSゴジラの話を聞きたくなりました。
というより、VSゴジラについての細かな評価感想を探しても出てこないと言った方が正しいでしょうか……


特に聞きたいのは『ゴジラvsデストロイア』。
本作は田中友幸さん、伊福部昭さん、川北紘一さん、大森一樹さんが最後に関わったゴジラ作品で、製作陣はまさしくゴジラシリーズの1つの集大成といってもいいくらいの豪華さでした。
またゴジラの死をテーマに描いた、ゴジラ史的には絶対に避けては通れないものでもあります。

巷で評価の高いバーニングゴジラとかも気になります(ちなみに私は子供の時、超つよい、かっこいい、みたいな感じで単純に喜んでました)

別のスレッドを立てたほうが良かったかもしれませんが……

Re: 長いので別スレにしたほうがよかったかも、でも話の流れもありますしって件名が長いよ! 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/03/05 (Tue) 19:17:11

 恐縮です。サイトコンテンツに感想、コメントをいただけるなんて滅多にないことで大変ありがたいです。

 あのエッセイでは意図的に84以降を切り捨てました。
円谷英二お誕生日企画だったこともありますが、エッセイ内でも書いたように『ゴジラ』(1984)がやってしまったことへの意思表示という意味合いです。

 さて、『ゴジラvsデストロイア』への評価・感想も過去には書いています。
最新の感想を書けるといいんですが、ちょっと昔のものを引っ張り出しましょう。
これは1999年に書いた物です。
時期から考えて、当時存在したゴジラファンサイト用に書いた物と思われます。
『シン・ゴジラ』公開時にも寄稿して下さったLansさんが、BBS参加者へ呼びかけて一作目から順番にそれぞれの感想を投稿しようという企画の一環です。
 映画を見直して書いています。
以下、1999年10月に書いた原稿です。

************************
今回も、まずは公開当時に書いた感想文を引用します。
「宇宙船」向けに書いたのですが、掲載はされませんでした。

#####################################
『ゴジラvsデストロイア』、楽しめたかといえば断じてNOです。
これは、作品がつまらなかったという事ではありません。そもそもゴジラが死ぬという物語で楽しめるわけがないじゃありませんか。
私はゴジラフリークというよりは、円谷特撮のファンで、ゴジラも本多・円谷・伊福部トリオの作品以外はゴジラであってゴジラにあらず、
全くの別物だと思うようにしてきました。それでも目の前でゴジラに死なれると、なんともいえぬ悲しい気分にさせられてしまいました。
そういった意味で楽しくなかったのです。

実は観始めてからまさにゴジラが死んで行くときまで、ずーっと頭(原文ママ)をひねっていました。
大森脚本を大河原監督が演出しているのに、なぜか映画に乗れない。決して冗漫ではないのにどこか淡々としている。
館内では子供たちがすっかり飽きてしまってざわついている。なぜだろう。ひょっとすると平成Gは最後にとんでもないクソボールを投げて終わるのか。
考えるうちにいくつか原因に思い当たりました。まず、登場人物をあまり深く描こうとはしていない。物語が他人事に見える。
これは、ストーリーにからむ人物が多いためにそれぞれの描き込みが出来なかったのかと思われました。
そして、次々に起こるエピソードに対する演出のテンポが一定であまり緩急がないことが、単調に感じられる理由ではないか、と。
さらに冒頭から登場している肝心のゴジラは体の変調でよろよろするばかりでデストロイアとの対決へ向けて闘志が燃えるわけでもない。

しかし、死にゆくゴジラに冷凍兵器の一斉掃射が始まり効果音がフェードアウトして台詞と音楽のみになったとき疑問が氷解しました。
凍りかけ、体内から溶けかけているゴジラが光に包まれて苦悶する姿を見たとき、改めて、しかしはっきりと、この映画はゴジラの死を描く映画なのだと認識しました。
この映画には従来の怪獣映画にあった格闘の迫力や破壊スペクタクル、極端に言えば人類の危機に対する緊張感などというものすら必要ないのではないか。
私はその瞬間まで、ずーっとゴジラとデストロイアの激闘を期待していたのです。ゴジラが死ぬのもその結果なのだろう、と。しかし、それは全くの見当違いだったわけです。
(当たり前だ、と笑って下さい)

「死」を描くとき、演出で死を盛り上げるような愚を犯すべきではありません。例えがちょっと違うかもしれませんが、何年かまえに演出過剰の葬式を見たことがあります。
故人の経歴をナレーターが読み上げ、スモークの向こうに遺影がせりだして青い照明で照らされるというもので、ひどい茶番に見えたものです。
それを踏まえて考えると、ゴジラの死を描くにあたってスタッフが選んだ手法はまったく正しい選択だったと言えるのではないでしょうか。

その認識に立ってもう一度見直してみました。
すると一回目に気になった点がまったく意識されませんでした。これからゴジラが死ぬのだという思いは、単調に見えたテンポを読経のリズムにも似た抑制感
(ちょっと違うのですがうまい言葉が見つかりません)に変え、苦しみ続けるゴジラに意識が向かったとき、登場人物たちの人間性などどうでもよい物になってしまいました。
多分、人物が描き込まれていると人間のドラマになってしまい(vsビオランテのように)ゴジラの物語ではなくなってしまったのでは…。
デストロイアの出現すら安らかな死を乱す夾雑物(ただし、死ぬ前に決着をつけなければならない過去の亡霊ですが)です。
平成ゴジラの壮絶な闘いを過剰なほどに描き続けた川北監督が今回は驚くほどあっさりとバトルシーンを片づけた意図は明白だと思います。
私の考えはファンにありがちな、深読みのしすぎでしょうか。しかし、確実に私は感動しました。いや、悲しみました。
凶暴性を強調され、闘うことばかり強いられてきた平成Gの最後はやはり死ぬことしかできないのでしょう。
円谷ゴジラのように軽妙な味ももっていれば、怪獣島でのんびりしつつシリーズを終える(『怪獣総進撃』)ことも出来るのでしょうが…。

個人的には、まあ納得できる作品でしたが問題点はあります。シリーズの整合性などは設定マニアの人に譲るとしても、ゴジラファンではない観客にとって娯楽作品で有り得たのか、
ゴジラの死を悼む心のない人にとっておもしろい映画であったのか、という点です。
私が初め感じた問題点がそのまま問題として残るのではないでしょうか。実際子供たちは前作『vsSG』よりノリが悪いようでしたし。

その辺は次号「宇宙船」でみなさんの意見を拝読することにして、最後にファンとして今後の東宝特撮に期待することを述べます。

次回はモスラの新作に決定したようですが、新怪獣単体の作品をぜひ見せて下さい。
たぶんデストロイアなどはその資格十分だったのではありませんか。まず、デストロイアの映画があって次に『GvsD』でも良かったと思います。
それから、SF映画を作って下さい。現在ハリウッドに溢れている雰囲気だけSF、設定だけSFというようなものではなく、
科学と人類、宇宙と人類の関係に迫るような、そして最新の科学知識から想像された驚異の映像を見せる作品をなんとしても見たいのです。
『さよならジュピター』の失敗で慎重にならざるを得ないのはわかりますが、もっと昔にはガス人間やゴラスなど、世界に誇れるSF映画を作り上げていたではありませんか。
いいものは必ず受け入れられるはずです。日本でだめでも、海外で評価されます。
長い目でみれば絶対利益をあげます。いや、そんなこと私が心配することじゃありませんね。とにかく、どうかお願いします。

では、これで本当に終わりにします。平成ゴジラの最期、衝撃波のような光を発しつつ体が融けて強烈な白色光のなかで骨格を曝していく一連の映像は本当に美しくかつ哀しいものでした。
肉が落ちて骨が見えたとき不覚にも涙をこぼしそうになってしまいました。初めは嫌いだった平成ゴジラですが、今は哀惜の念を込めて「お疲れさま。安らかに眠ってくれ」と言わせてもらいます。
そしてゴジラが死ぬのはこれっきりにしてください。
#######################################
以上、引用終わり

最後のほうは、『vsデストロイア』とは関係ないのですが、今も変わらぬ希望なのでそのまま残しました。

やっぱり、最後のゴジラの死では今回も泣けてしまいました。
様々な要素が整理されることなく提示されて、その「混乱」をゴジラの死がすべて押し流してしまう映画だと思うのですが、どうでしょう。

ずーっと気に入らなかった、中盤のデストロイア人間大とのエイリアン2もどきの銃撃戦や石野陽子さんを襲うシーンも、
今回見直してみると、実はわざと観客をいらつかせるために作った場面ではないかと思えました。

もし、あのシーンで、観客にサスペンスや危機感の興奮を味わって欲しいと思っていたなら、
しっかりとBGMで感情を補強するべきところだと思うのですが、音楽がほとんど鳴らないのです。
それが、白けた雰囲気を醸して出しているようです。
そして、観客は、「ゴジラはどうした。ゴジラを見せろ」といらつくのです。
ゴジラを求める心をぎりぎりと引き絞ったあげくに、ゴジラ最大の見せ場が、その死であるというショックを
うまく作り上げていたと思うのです。

それから、最後の最後にジュニアらしき個体が東京の放射能を吸収してしまう展開に、お怒りの方が多いことと思います。
確かに、ゴジラの死と同時に東京が死の街と化す、というエンディングは劇中でも語られているように人類の贖罪という
イメージを強く訴えるものだと思います。

しかし、それでは、最後までゴジラと人類は対立関係(最後までゴジラは人間とって迷惑な存在である)のままに終わることになります。

ゴジラ族の一匹が、ゴジラによってもたらされた人間にとっての悲劇を抑止するということは、
ゴジラは人類を抹殺することも、また、その災厄から救うこともできるのだということを示し、
完全に人類より上に立つ存在であることを感じさせる展開だと思いました。
対立ではなく、人類はゴジラの掌中にあるという感じです。

そんな分析を抜きにしても、私は暗い話は好みでないので、ゴジラも人類もまだ未来があるよ、というエンディングでオッケーです。

この作品は、きわめて異色の怪獣映画として完成度が高いと思います。
通常の怪獣対決物のフォーマットを崩して、「ゴジラの死」を荘厳に描くことに成功していると思うのです。
しかし、私はゴジラが好きなので、ゴジラが死ぬということがまず気に入りません。
ですからこの映画は、あまり繰り返し見てはいないのです。(それでも、劇場で3回は見たかな?)

それと、やっぱりゴジラファンじゃない人にとっては退屈さだけが残る映画だったんじゃないかなあ。

************************************
ここから2019年現在に戻ります。
引用の中に引用があってややこしいですね。
99年にはまだ期待していた東宝への思いは、20年経って雲散霧消です。
『vsデストロイア』、最後に見たのは2014年だったはずですが、んー、少しは別の感想もあったかなぁ。

Re: 再録しました - エクセルシオール (男性)

2019/03/05 (Tue) 22:28:59

>私はその瞬間まで、ずーっとゴジラとデストロイアの激闘を期待していたのです。

 私も最初に観た時に、デストロイアの最期があっさりしすぎかなあと思いました。ただ、まだ未視聴なのですが、墜落したデストロイアがもう一度ゴジラに襲い掛かり、今度こそ確実にとどめを刺されるというシーンがあって、特典映像として一部の映像ソフトで観られるそうです。そっちの方がよかったかもしれませんね。

>最後の最後にジュニアらしき個体が東京の放射能を吸収してしまう展開に、お怒りの方が多いことと思います。

 私は逆でした。あのシーンで「ゴジラが死ぬ。ゴジラ映画が終わってしまう」というナーバスな気分がやわらげられました。「ゴジラは死んだ。しかし、新しいゴジラが廃墟から立ち上がる」という結末は、決して悪いものではないと思っています。


 『ゴジラVSデストロイア』は確かに突っ込みどころもありましたが、VSシリーズの最終回としてまずまずの良作であったと考えます。
 とはいえ、当時の世間の評価を思い返せば、「平成ガメラと比べてダメな作品」という有識者の意見が少なくなかった。私は、平成ガメラにどうにも好きになれない部分があるため、かなり憤慨した記憶があります。



Re: 再録しました - なんじぇい (?)

2019/03/06 (Wed) 14:16:42

皆様感想ありがとうございます。

私としては、デストロイアが最期で人間に止めを刺された点に関しましては、あれはあれでいいのではないか、と考えてはいます。
伊福部さんは本作について『ヒューマニズムの勝利』であると「ゴジラVSデストロイア 東宝SF特撮映画シリーズVol.10」で語っており、私もそれに共感するからです。


あの映画はVSシリーズ完結作としてゴジラだけでなく人間の成長も描いています。
分かりやすい例として黒木や三枝美希がいて、『vsビオランテ』の頃から考えると劇的に良くなっています。

また、人間がデストロイアを倒し得たのはゴジラがギリギリまで追い詰めたからであることも忘れてはいけません。あくまで最後の一手でした。
このあたりは『ゴジラ対ヘドラ』のオマージュにも見えます(ヘドラもデストロイアも人類の罪そのものであり、やたらとしぶといところも共通している)。

しかしこの映画は、一方的なヒューマニズムの勝利では終わってはいません。
本作ではデストロイアよりも強大な存在としてゴジラが描かれています。「今のゴジラにはオキシジェン・ デストロイヤーさえも無力なのか!」という台詞がそれを象徴しています。
また人類はオキシジェンデストロイヤーという罪は清算できましたが、核という罪はどうすることもできないという結末でした。
ギドラ様の仰る通り、成長した人間たちでさえもなおゴジラが完全に人類より上に立つ存在であると描き、何でも解決できる訳ではない、驕るんじゃないぞ、と釘を刺しているわけです。

本作はまさにVSシリーズの完結作として、そのバランスが良く出来ていると感じています。

Re: 再録しました 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/03/06 (Wed) 18:55:05

 そうそう、2014年時に鑑賞したとき強く思ったのは、
オキシジェンデストロイヤーが怪獣を生んだという発想は、第一作『ゴジラ』への返歌として、実に見事なアイディアだったな、ということと、
山根恵美子が尾形秀人とは結婚しないという選択をしていたという心理のリアリズムは正しいということでした。

 20年前の記憶だと、当時ネットで読んだファンの意見では『vsデストロイア』はあまり人気がなかったように覚えています。
その多くが「ラストが甘い」というものだったようです。
破滅的なストーリーを良しとする風潮が強かったんですよね。

 エクセルシオールさんやなんじぇいさんの高評価は嬉しいです。

引っ越ししました 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/02/20 (Wed) 19:58:20

 なんとか期日に間に合わせて、「ギドラの巣」を移転出来ました。

新URLは
http://k-ghidorah.sadist.jp/index.html
です。
動画コンテンツの高画質化と増量を行いました。

特撮ファンの方には、
http://k-ghidorah.sadist.jp/gojiratokusatsu.htm
このページにある
ゴジラパフォーマンスショー高画質版や円谷英二生誕100年前年祭ダイジェスト高画質版をお勧めします。

またビデオコントや8ミリ映画作品も高画質化したり新規公開する作品があります。
(どれも何十年も前の作品で、お恥ずかしい限りなんですが)
http://k-ghidorah.sadist.jp/videoindex.htm

ギドラの巣も19周年。
もう個人のwebサイトなんて流行らない時代になっちゃいましたね・・。

Re: 引っ越ししました - なんじぇい (?)

2019/02/24 (Sun) 20:55:28

お疲れ様です。

ですが、webゴジラマガジン8.5号のコーナーが全く読めなくなってしまっています。

Re: 引っ越ししました 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/02/25 (Mon) 18:45:39

あ、どうも、お知らせ下さりありがとうございます。

webゴジラマガジン、ずーっとサイトが残っていたので消えることはないんだろうとをたかをくくっていました。リンク先はギドラの巣とは別サイトなんですよ。
(たしか、去年にはまだ残っていた・・)
 2002年に出版(?)されたものですので、管理人さんの都合で削除されちゃったんでしょうね・・。

 私のエッセイは保存してありますので、元通りというわけには行きませんが、
ギドラの巣で読める形にしたいと思います。
 いましばらくお待ちを。17年も前の思いですが、その後のゴジラの変遷を踏まえてもさほど意見は変わっていませんし。

戦隊シリーズ時期変更等 - エクセルシオール (男性)

2019/02/10 (Sun) 22:04:04

 日本の特撮テレビ番組を代表する作品の一つ、スーパー戦隊シリーズですが、どうやら時期が変更されるみたいです。ここ最近は2月から翌年2月まで1年間というのが戦隊もののスケジュールでしたが(本日『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』が終わった)、今年度の最新シリーズである『リュウソウジャー』の開始は3月17日になっています。

 この時期変更の意図がどこにあるのか。10年位前に仮面ライダーシリーズの開始時期が1月から秋口に移されたことがありましたが、それは戦隊シリーズとほぼ同時期に始まるのでは人気を食いあっておもちゃが売れないという身もふたもない理由だったと聞いています(一言でいえばスポンサーのバンダイの都合)。
 しかし、今回の時期変更は1か月という小幅なものであり、そもそも開始時期が競合する作品が存在しません(強いて挙げればプリキュアがあるが、戦隊シリーズの人気を食うことはあるまい)。にもかかわらず、2月から3月に変更していったい何の意味があるのでしょうか。むしろ、3~4月というのは子どもに卒業や進級とかがあるので、かえって印象が薄くなってしまう気がします。

 なお、来週から4週間放送される作品は複数の戦隊がシャッフルされたチームでお互いしのぎを削るという内容のクロスオーバー作品になります。クロスオーバーも近年は無節操に行われるようになっており、正直食傷気味です。そんなものをやるくらいなら『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』を後4回やった方がましだったのではないか?最終回を観ましたが、敵の首領が「老衰」で弱体化してやっつけられたというのは最終決戦としてはどうかと思いましたし。


 話は変わりますが、NHKで金曜夜10時に放送されている『トクサツガガガ』というドラマがなかなか面白いです。特撮ファンであることを隠している主人公(女性)が様々な困難に直面しながらそれを切り抜けたり、仲間を見つけ出して連帯を深めたり、コメディですが波乱万丈な感じの話でした。
 もとは漫画ですが、作中に様々な劇中劇が登場してそれが現実にある有名作品を微妙にずらした感じのもので興味深かったです(戦隊やプリキュア、メタルヒーローに相当する作品はドラマにも登場している。原作にはその他に多数の劇中劇が設定されている)。
 お時間があれば一度ご覧ください。

Re: 戦隊シリーズ時期変更等 殿様ギドラ (男性)

2019/02/12 (Tue) 20:31:42

 さすがに戦隊シリーズは見なくなってしまいましたが、
やっぱり他シリーズとのクロスオーバー企画が増えているんですね。
 ウルトラでも同様の傾向があるなと思っていますが、これも玩具メーカーの差し金なんでしょうね。
(終わったシリーズのキャラクターを再登場させれば、
旧シリーズのアイテムも売り出せますし、ウルトラだと他のウルトラマンとの合体みたいなことをやってデザインバリエーションを増やそうとしているように見えます。そして全部そろえたいという収集癖をくすぐるんでしょうね)

 で、「トクサツガガガ」、番組表で見つけてNHKの紹介サイトを覗くところまではやったのですが、
うーん、あくまでもトクサツなんだな、と・・。
 ヒーローものも特撮ドラマの一ジャンルであるのは間違いないわけですが、
私の志向は特殊技術を使った映像の快感に向かっているので、
特撮を使わなければ描けないウルトラマンには食いつきましたが、
ほとんど特撮の必要のない仮面ライダーにはそれほどでもなかったりしました。
とかなんとか思ってしまって、「トクサツガガガ」はスルーしてしまったんです。
やっぱり見ておいたほうがよかったのかなぁ。

(ギドラの巣引っ越し作業、動画配信を拡充することにしたら、思いの外仕事が多くてまいっちんぐ。
期日には間に合わせるつもりですが、さてどうなることやら)

Re: 戦隊シリーズ時期変更等 - エクセルシオール (男性)

2019/02/12 (Tue) 23:32:02

>これも玩具メーカーの差し金なんでしょうね。

 おもちゃメーカーが番組のスポンサーであることの弊害は昔から言われてはいましたが、近年激化しているように思えます。クロスオーバーは各作品の世界設定をめちゃくちゃにしかねないので、できるだけ限定すべきなのですが、歯止めが効かなくなっている感じがしますね。

 それとおもちゃメーカーについては、最近「バンダイが強大になりすぎて、特撮にもアニメにも様々な問題を引き起こしている」という意見をよく耳にします。
 確かにバンダイがスポンサーになっている作品をざっと挙げると、ウルトラマン、スーパー戦隊、仮面ライダー、プリキュア、アイカツ、ガンダム、ドラゴンボール、ゲゲゲの鬼太郎、ここたま等々、メジャーな作品がずらりと並んでいます。ファンの間で懸念されているのは、これらの作品があまりにも有名で強力であるため、同一ジャンルの他作品が生まれにくくなり、結果としてジャンルの衰退をまねいているのではないかということです。正直、杞憂とはとても言えないと思います(実際、上記作品の中で強力なライバルがいるのは、プリティーシリーズと対峙しているアイカツくらいである)。何たってバンダイの意向でどれほど作品がゆがめられようと、それにとって代わる作品が出てきにくいということですから。


 

『ゴジラVSメカゴジラ』を観直して - なんじぇい (?)

2019/02/09 (Sat) 10:21:02

つい昨日『ゴジラVSメカゴジラ』を観直して見て気付いたことです。

よく本作に挙げられる名台詞である「勝敗を分けたのは、結局命だったな」「命あるものと命ないものの差よ」ですが、これはゴジラの勝因である以外にも意味がかかっているのではないかと考えてしまいました。


というのも、直前にメカゴジラのコンピュータが「搭乗員全員死亡」の診断を下して、隊長の佐々木が「おあいにく様、誰も死んじゃいないよ」と返しています。
もしかしたら「命あるもの~」の台詞は、メカゴジラのコンピュータ(命ないもの)は人間(命あるもの)の力も読み切れなかったということも少し掛けているのではないかな……と感じてしまいました。
メカゴジラのコンピュータは、ゴジラだけでなく人間の命にも勝てなかった……という解釈です。

単に深読みのしすぎ、あるいはそんなのは当たり前の解釈かもしれませんが、どうなのでしょう?

Re: 『ゴジラVSメカゴジラ』を観直して 殿様ギドラ (男性)

2019/02/09 (Sat) 21:25:32

 ええ、そういう解釈もありだと思いますよ。

 私の感じ方は、機械(科学)の不完全性というか、
欠陥を象徴的に示しているのではないか、というものです。

 Gフォースメカゴジラがどんなセンサーで搭乗員の命を測っていたのかはわかりませんが、
誰も死んでいないのに全員死亡と判断してしまった。
 人間のように目で見て耳で聞いていれば簡単に分かることがわからない。
精緻に作っているように見える機械にもそんな間抜けさがあったりします。

 そのあたりを押さえているのが『ゴジラvsメカゴジラ』のいいところなんですよね。

(ああ、自動車メーカーが自動運転技術をウリにしはじめているけれど、あたしゃ不安でたまりません)


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