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ギドラの巣「新」映像作品掲示板

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個人的に一番解せない点 - なんじぇい (?)

2019/06/23 (Sun) 13:28:23

個人的に、キングオブモンスターズで一番解せなかった点をどうにか形にして書いておきます。


芹沢博士が核を使用してゴジラをパワーアップさせた箇所です。
芹沢博士が核を使用した理由は、ゴジラを助けたいというものもあったでしょうが、もっと大きな理由は今すぐキングギドラを倒さないと人類がヤバイからなどというものに見えました(数年たてばゴジラは復活するでしょうと言われていた、つまり放っておいても復活していた)。

しかもその際に、核でゴジラ自身の住み家を吹き飛ばすなどという恐ろしい暴挙を行っていました。
芹沢がやったことは『FINAL WARS』でゴードンがやったことと大して変わらないように見えます。むしろ元々の住み家を勝手に吹き飛ばした分、見方によってはもっと悪質でしょう。

しかし『FINAL WARS』でミニラの説得であっさり許したゴジラにも違和感を覚えましたが、今回のゴジラは延々と人間の都合で振り回され、更に自身の住み処まで破壊されても、なんとその爆発を起こした者たちにちょっと威嚇しただけで終わってしまいました。
これに関しては全く理解できませんでした。


あまりに人間に都合よく動きすぎではないでしょうか。
ギドラさんが益獣と言っていたのはまさにその通りに思えます。
もしかしたら70年代のヒーローゴジラとして描いたのかもしれませんが、こういうところがやはり『FINAL WARS』に似ているなあ、というのが正直なところでした。

Re: 個人的に一番解せない点 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/24 (Mon) 19:53:32

 ああ、わかります。

 芹沢自爆の動機付けは弱すぎますよね。
いますぐジェジラ(ゴジラ)を復活させなければならないというストーリー上の追い込みがないんです。

 モナークの面々は知らなかったことではありますが、海底遺跡に彼らが到達するより前に劇中で
エマが、オルカを使って怪獣たちの動きを止め、その間にギドラの弱点を見つけてギドラを倒す、というアイディアを語っています。
(怪獣を解き放つのがエマの目的ではあるが、ギドラのやっていることはエマの目的とは違う→ギドラは自分好みに地球環境を改造しようとしている)

(エマがジョナに止められたのを見て、マディソンは母親のアイディアを実行しようとするわけですが、描写を見る限り彼女は怪獣たちを止めることより、
ジェジラを呼ぶことが目的だったように感じられます。これも演出の乱れと思います)

 どうもナベケンさんが死に急ぐ必要はないと思われます。

 そして、そうですね、うかつでした。
私はあの核爆発がジェジラの住処を破壊したことをあまり意識していませんでした。
なんでジェジラは怒らなかったんでしょうね。
 放射線レベルさえ高ければそれでよかったのでしょうか・・・。

 映画の中でも言っていましたが「どの怪獣が敵で、どの怪獣が味方なのか・・」という発想から抜けていないのがどうにも気に入りません。
人間の味方なら良い怪獣で、人間に敵対するのが悪い怪獣ということなんでしょうね。

 そんな人間中心の発想を正すのが本来の怪獣映画ではなかったか?と思います。
『三大怪獣地球最大の決戦』でゴジラ・ラドンがキングギドラと戦ったのは、決して人間のためではありません。
結果として人間にとっても役に立ったというだけです。
(モスラだって、文明国のために戦ったわけではなくて、キングギドラはインファント島にとっても脅威だったからです)

 誠に残念ながらレジェンダリーピクチャーズのモンスターバースシリーズは、単なるヒーローものになってしまったようです。

芹沢猪四郎が死んだ理由についてのある見解 - エクセルシオール (男性)

2019/06/25 (Tue) 20:16:57

>芹沢自爆の動機付けは弱すぎますよね。

 確かにその通りだと思いました。もっとも、唐突にオキシジェンデストロイヤー使用、よくわからない海底遺跡の出現、核爆弾でゴジラに活を入れるという展開が、そもそも無茶苦茶なので、芹沢の自爆の理由など「些細な事」に見えてしまうのが悲惨ですけど。

 ただ、芹沢猪四郎博士がゴジラを助けて死ぬというストーリーには、ドハティ監督のよく言えばゴジラへの愛、悪く言えば狂信が関わっていたとの意見を目にしたことがあります。
 ドハティ監督はゴジラをまさに「神」として「信仰」しており、『ゴジラ(1954年)』で芹沢大助博士がオキシジェンデストロイヤーでゴジラを倒したことを、「許すべからざる大罪」と考えていたというのです。そこで、本作においてオキシジェンデストロイヤーで倒れたゴジラを、同じ姓を持った男が命を捨てて助けるシーンを入れることで初代ゴジラへの贖罪を果たさせる意図があったというのだとか。
 
 真実だとすれば頭が痛くなる話です。ドハティ監督は『ゴジラ(1954年)』における芹沢大助の苦悩など一顧だにしていないことになります。アニメマニアなどの中にはキャラクターに入れ込むあまり、すさまじい視野狭窄に陥っている者がいますが、彼もその同類ということになるでしょう。ゴジラというキャラへの愛からそれ以外はどうでもいいと思っていることになるからです。

 なお、確かに上記見解を裏付けるようなインタビューがありました。
https://theriver.jp/godzilla2-interview-spoiler/2/

該当箇所を抜粋すると「本作の、新たな芹沢博士は、かつての芹沢の失敗を正すために行動しているのだと考えたかった。今回の芹沢博士も、オリジナルの芹沢博士と同じような道のりを歩んでいます。しかし1954年版の芹沢はゴジラを殺した。我々自身の神を殺したわけです。本作の芹沢は前回とは違って、自分の神を救おうとしています。
ですから今回は、芹沢という人物を、初めてゴジラの身体に触れる人間として描きました。これは大きな意味のあることで、芹沢は愛情をもってゴジラに触れることになる。ゴジラにほとんど謝罪をするような行為でもあるわけです。」とあります。もはや理解不能な話となっています。

 ただ、日本においてもとんでもないゴジラ映画の解釈をするファンやクリエイターは後を絶ちませんから、ドハティ監督のような考えを他人事として批判するばかりではいけませんが(以前紹介した『さらば愛しきゴジラよ』なんか好例である)。

追記 - エクセルシオール (男性)

2019/06/25 (Tue) 20:48:34

 過去のスレッドを読んだら既に弘前の甥さんが、6月6日付の投稿で同趣旨の発言をされていました(読み逃していました。すいません)。「新興宗教の映画」、確かにそんな感じもします。

Re: ゴジラに飽きないで欲しいものです 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/06/27 (Thu) 19:15:04

 親記事の主題からはちょっと外れてしまいますが・・・。

>エクセルシオールさん

>キャラクターに入れ込むあまり、すさまじい視野狭窄に陥っている者がいます

 それそれ、それです。
 この問題は深刻です。

 まずはゴジラの問題として書いてみますが、その他の歴史的に名を残す有名シリーズ作品がいま抱える大問題と思います。

 そもそも怪獣ゴジラは、「もし、水爆にも耐えられる不死身の怪獣が現れたらどうするか?」という空想から生まれています。
その背景には核実験による環境汚染や核実験を行ったわけでもない国の国民が被害を受けたことなどがあって、そんな科学の誤用を批判するストーリーに適合するように
ゴジラの姿形・能力などその個性が決められたはずです。

 現実にはゴジラはいないが、空想として怪獣ゴジラが創造されたわけです。
観客は既知の現実(これは未来社会を舞台にした場合でも、科学の進歩から予測される範囲なら既知と言って良い)の上に付け加えられたゴジラという空想を享受するわけです。

 第一作『ゴジラ』での役割を超えて怪獣ゴジラがシリーズ化された理由はひとまず置いておきます。

 ゴジラの存在が空想であり、怪獣ゴジラはすでに創作されたものであるというのが重要です。

 フィクションとは、現実的な物語であれSF・ファンタジーであれ、空想です。
もしも、◯◯だったら、というのがフィクションの基本です。
 ゴジラ映画なら、もしも、ゴジラがいたら、というお話です。

 ですから、ゴジラ映画を作るときは、なんらかのシチュエーションにゴジラを投入する、というのが正しい考え方です。
ゴジラを投入するシチュエーションに作品毎のオリジナリティを作り出すべきなのです。

 ところが、シリーズが長く続き、ゴジラがいることが当たり前のように感じてしまうファン?マニア?オタク?が登場してしまったようです。
彼らはゴジラの存在がベースになっているので、もしもゴジラがいたら、という発想が出来ません。

 もしもゴジラが◯◯だったら、という発想になってしまうようです。
ゴジラ自体が、「もしも」の存在なのに、さらに「もしも」を付け足してしまう。
それが二次創作。

 又聞きで申し訳ないのですが、とある落語の名人が「同じ話を何度繰りかえそうと、演じる側が常に新鮮な気持ちで演じていれば客が飽きることはない」と言ったとか。
ゴジラにも同じ事が言えます。

 同じゴジラを何度登場させようと、作中の人間・社会を描くに当たって常にゴジラに対する驚きと畏怖の念を込めていればマンネリにはならないはずです。
ところが、登場シーンで盛り上げるのはもう飽きたでしょうとばかりに何のタメもなくあっさりゴジラを出してくるなんて愚の骨頂。

 そして作り手が飽きているのかどうか、作る毎にゴジラを改変するという仕業に至るわけです。

 こういう話をすると改変を意識するのはマニアだけだから一般の観客には関係ないという意見も目にします。
NO!NO!

 ゴジラクラスの有名怪獣になると、マニア・オタクの類いでなくともそれぞれのゴジラ体験に基づいたゴジラ観をちゃんと持っているはずです。
ネットであーだこーだ言うのはマニア・オタクだけかもしれませんが、無言で作品を選んでいるゴジラファンがいるだろうということを想像しなければなりません。

 二代目ゴジラかVSゴジラか、人によってイメージは違うでしょうけれど、ゴジラ改変は一般観客のイメージを裏切ることになります。
(ミレニアムシリーズには一貫性が無かったのでゴジラ観を作るところまで行けたのかどうかわかりません)

 むしろ、ゴジラにまみれ、ゴジラが当たり前になってしまったオタクのほうが改変を歓迎するのでは??

 ライトファンのほうが改変を気にするのではないかという書き方をしましたが、そんなライトファンはゴジラの行く末をそれほど気にしているわけでもありませんから、
気に入らないからと言って文句を付けたりもしないはずです。
 ただし、イメージと違うゴジラ映画を好んで見に行くこともないでしょう。
(これ、以前も書きましたが、『シン・ゴジラ』公開後、数人の友人に感想を聞いてみたら、誰も見ていなかったという事実があります)

 改変してはいけないというのは、もちろん同じ名前で別のものという事態を避けよという意味合いもありますが、
なぜゴジラの改変が起こるのか、という問題を考えると上記のような構図もあるように思います。

 改変上等!というやり方は日本のキャラクタービジネスが先鞭をつけたように思います。
ウルトラシリーズはかろうじて別名キャラの量産をしていますが、中身を考えると結局ウルトラマンにバリエーションを作ることに邁進しています。
 あ、無残な改変ということではガメラがいましたね。

 スタートレックシリーズや007シリーズは長らくストーリーリセットなどはやらず、たとえ別シリーズになっても同一の世界を舞台にしていたり、
主役キャラの個性を守ったりしていましたが、
スタトレはJJなんとかというヤツがパラレルワールドだとかいってカークやスポックなど有名キャラの別物を作ってしまいましたし、
ジェームズ・ボンドもその生い立ちに踏み込まれたりMI6内部の抗争みたいな内向き(ウルトラマン同士が争うのにさも似たり)ストーリーになったり、
極めてオタク的な作風のものが出ています。

 そんな二次創作は同人誌でやってて下さい。

 そうだ、私は007シリーズが好きですが、入れ込むほどのマニアではないので、現シリーズは1作目だけ劇場で見て、あとはBS待ちです。
私が好きな007とは違うので。

 キャラ改変の話とは別に、ストーリーやキャラクター設定にやたらとひねくれた解釈をしたがるのも、オタクの悪い癖。
作り手の経歴だったり別作品との関連だったりを総動員して、奇妙奇天烈な暗喩を読み取る人もいますね。
 そんな意見をよく読むと、曲解がほとんどだったりする。
(ゴジラが皇居を踏まないからって幽霊扱いするのはどうかしてるぜ)

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