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ギドラの巣「新」映像作品掲示板

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元々の姿いろいろ - エクセルシオール (男性)

2019/05/08 (Wed) 21:08:41

 ゴジラの姿も歳月によって変化してきましたが、昔から気になっていることが一つあります。それは最初に企画された時の姿です。
 以前、『怪獣のいる精神史 フランケンシュタインからゴジラまで』(原田実著、風塵社、1995年)という本を読んだときに、香山滋氏による『G作品検討用台本』を引用したとされる部分がありました。そこでゴジラがアフリカゾウのような耳をバタバタさせるというシーンがあり、当初のゴジラが今知られている姿と大きく異なることがわかると述べられていました。
 果たして企画初期のゴジラはどんな姿だったのか?今のゴジラにアフリカゾウのような耳をつけたら、何とも珍妙な姿になってしまいますし、香山さんの最初のゴジラの姿は謎に包まれています(イラスト化を試みた方もいないようである)。
 なお、山根博士も最初はマッドサイエンティスト的な存在にすることを予定していたそうで、ゴジラの感電死を阻止するために係員を殴って気絶させるシーンがあったのだとか。これは実現しなくてよかったですね。
 この件についてはできるだけ早く引用元を読んでみようと思います。

 ラドンについても原作小説『ラドンの誕生』では、だいぶ姿が違います。表紙絵によれば角が一本でプテラノドン的な要素が強かったです(色も青っぽい)。ちなみにこの小説も映画とは大きく異なる作風で、映画のような「ラドンがかわいそうになる」要素はありません。あくまで「原始の暴力に対する人類の叡智の勝利」という当時のSFの王道を行くものでした。
 正直、「怪獣をやっつけてめでたしめでたし」という作品にせず、ラドンを哀れに思えるような結末にした映画版のスタッフは偉大だったと言わねばなりません。

 三つめはメガロです。実はメガロは『ゴジラ対ガイガン』の初期企画脚本『ゴジラ対宇宙怪獣 地球防衛命令』に既に登場していますが、その姿がよく知られているメガロとは大違いだったそうです。何でも「触角の先に目がついており、体からスモッグをまき散らして高速で移動する怪獣」だったとか。これまたどんな姿か想像しにくいですね。
 さて、『ゴジラ対ガイガン』の初期企画では、宇宙怪獣と地球怪獣の3対3の対決になる予定であり、初めは宇宙怪獣側がキングギドラ、ガイガン、メガロ、地球怪獣側がゴジラ、アンギラス、魔神ツールというメンバーでした。魔神ツールというのは中南米の魔神像が巨大化するという怪獣だったそうで、もしかしたらジェットジャガーの元ネタだったのかもしれません。

 最後にキングギドラ。この怪獣と言えば金色というのが定着していますが、最初は青色をベースに翼は青、白、赤のグラデーションという(なお、白色部分は写真によっては黄色にも見えるため、説が分かれている)、なかなかハイカラな色合いでした。確かに昔の怪獣大百科の中では青色ベースのキングギドラの写真が用いられているものもあったので、あれは間違いではなかったのだと納得しました。
 色合いの変更は、スタッフの一人が青いキングギドラを見て「金星から来たのだから金色だと思っていた」と言ったのを、円谷英二監督が耳にして急遽行われたそうです。思えばゴジラは黒色、ラドンは灰色、モスラは茶色でしたから、キングギドラが青色では映像が地味になってしまいます。そのことを考えると全身金色のキングギドラは大正解だったと思います。
 とはいえ、青のボディと三色の翼のキングギドラもこれはこれでかっこいいので、今後の作品に活かす方策はあるかもしれません(体の色を変えると技が変わるとか。宇宙怪獣なのでそういう設定もあまり無理はないだろう)。
 なお、青いキングギドラの人気は結構あったらしく近時フィギュアが発売されています。値段は税込み44820円というかなりの高額でした。さすがに私はちょっと手が出ません。

Re: 元々の姿いろいろ 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/05/09 (Thu) 20:45:20

 ハリウッド版新作の公開が迫る中、おもしろい話題をありがとうございます。
 あまり資料的なものを漁ることをしないもので、各作品の成立過程までは詳しくありませんでした。

 ずいぶん前ですが竹内博さんによる「ゴジラ1954」という資料集が発売されて、第一作『ゴジラ』のもろもろが収録されていたはずですが、
ひじょーに高価だったので諦めたのを覚えています。

 山根博士がゴジラの感電死を邪魔するくだりは読んだ覚えがありますが、うーむ、どの本で読んだものか。
小説版「ゴジラ」は岩谷書店版と島村出版版を持っています(どちらも別の出版社から再発されたものです)が、そのどちらかで読んだものか・・。
 いま双方をめくってみましたが、そんなシーンはなさそうで・・。記憶が怪しくて困りものです。

 山根博士を市井に生きる普通の人にしたのは、本多猪四郎監督のセンスだと何かの本で読みました。
(どうも、出典を覚えていないのでは説得力がないのですが)

 それから先日教えて頂いて入手した「漫画コレクション1954-58ゴジラ」を読んだところ、どの作品でも、ゴジラが最初に人々の目の前に姿を現したとき(映画で言えば大戸島の八幡山から顔を出すシーン)に、
熱線を吐いて一暴れしていました。
 怪獣の猛威を表すには当然の処置と思いますが、
映画とは違います。

 映画では八幡山から顔を出したゴジラが熱線を吐くことも暴れることもありません。
 ここにも本多・円谷コンビの優れたセンスを感じます。
 ゴジラの身になって演出しているのだと考えています。怒ってはいないから熱線は吐かないし、攻撃されていないから暴れないだろうという配慮と思います。
 ほかのシーンでもそのような例はあります。
(出現したとたん狂ったように暴れるある種の怪獣とは違う)

 怪獣演出にも怪獣の立場に立って考える姿勢があるからこそ、
ラドンの悲哀が出せたのだろうとも思います。

 メガロの初期案には仰天ですね。全く知りませんでした。おそらく名前だけが残って別怪獣に転用されたというところでしょうか。
『ゴジラ対メガロ』公開当時のスタッフコメント(田中Pだったか)では、
子供達は昆虫が好きだからカブトムシをモチーフにしたと語られていたと覚えています。
(なんかメガギラスの時も同じような発言があったような)

 青ギドラの翼って、フランス国旗みたいなんですよね。全身金色に慣れているので、なんとも違和感あります。
 そうそう、今度のアメリカギドラは翼の形までドラゴン風で、三つ首の龍ではなくて三つ首ドラゴンです。なんだかなぁ。
 いろいろ不安なレジェンダリー版であった、と締める。

Re: 元々の姿いろいろ - エクセルシオール (男性)

2019/05/10 (Fri) 22:32:00

 G作品検討用台本を読んでみたところ、確かにゴジラにアフリカゾウのような耳ががついているという設定がありました。驚くべきことですが、元々のゴジラが現在知られている姿とかなり異なっていたことは事実でした。
 その描写があったのは人類がゴジラの感電死を図ったときでした。電流攻撃をはね返した後、以下のくだりがあります。「機関銃掃射を浴びながら、ゴジラ、アフリカ象さながらの耳をパタパタあおって威嚇の叫びを残し」と。相変わらずどんな姿かよくわかりません。

 なお、「貴重な研究資料であるゴジラを殺したくない」という思いから狂気に駆られた山根博士が係員を隠していた鉄棒で殴ってしまうシーンはその少し前でした。しかし、装置の破壊は追いかけてきた恵美子に阻止され、彼女の手でスイッチが入れられるという展開となります。
 この脚本では山根博士はここで事実上退場となります。彼はおそらく静養のために信州へ運ばれ、ゴジラが倒された後のシーンでやつれて東京に戻ってくる姿が描かれるだけです。そう、映画ラストのあの有名なセリフはありません。撮影までにキャラ設定を含めて大改変が行われたことがわかります。

>どの作品でも、ゴジラが最初に人々の目の前に姿を現したときに、熱線を吐いて一暴れしていました。

 G作品検討用台本でもそうです。恵美子を襲って白熱光を放って山火事を起こしています。

 G作品検討用台本は今ではいくつかの本に収録されていますが、私は『香山滋全集』第11巻(三一書房、1997年)を参考にしました。この全集にはG作品検討用台本以外にも様々な作品が収録されています。
 そうそう『ゴジラの逆襲』の原案脚本は現存していないそうですが、作者自身が小説化したものはあります。以前読んだときに面白かったのは、アンギラスも放射火炎(白熱光)をはけるということでした。映画化の際にスケジュールや予算の都合で実現できなかったそうですが、かなり残念ですね。今後の作品で用いても良いと思います。

 『ラドンの誕生』についてラストの感じが映画とはまるで違うことは既に述べましたが、実は倒し方も違います。原作ではラドンが海に潜っているときに「凍結爆弾」という兵器で周りの海水ごと凍らせて氷詰めにしたうえで、その大氷塊を爆破して木っ端みじんにします。海を凍らせるときのくだりは以下の通り、「ああ、科学の力の何という偉大さ!大自然にいどむ、人間のちえの何というすばらしさ!」と。現代ではどこか無邪気な傲慢さを感じる部分ですが、当時のSFでは珍しくもない作風でした。
 『ラドンの誕生』(黒沼健著、『中学生の友』1956年10月号別冊付録)はオリジナルを手に入れるのは甚だ難しいですが、『怪獣小説全集Ⅱ 怪獣大戦争』(出版芸術社、1993年)に収録されています。ただ、挿絵が全てなくなっているのが残念です。

 それから、『モスラ』(1961年)の原作もあります。『発光妖精とモスラ』というタイトルで、別冊『週刊朝日』に掲載されていました。おそらくもっとも豪華な執筆陣による怪獣小説でしょうが(いずれも純文学の大作家、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の共著である)、なるほどインテリな感じがする作品でした。面白いのは小美人が2人ではなく4人であることです。また、最後にモスラは宇宙へ飛び出し、反世界に行ってしまうという落ちには驚きました。
 『発光妖精とモスラ』は筑摩書房から1994年に復刻版が出版されていますので、機会があればご覧ください。

 全然違うメガロが登場する『ゴジラ対宇宙怪獣 地球防衛命令』のシナリオは、『ゴジラ 東宝チャンピオンまつりパーフェクション』(KADOKAWA)という本に収録されているそうです。この本は読んでみたいのですがなかなか見つかりません。他にも没シナリオがいろいろ載っているそうで大変興味深いですね。
 とかく全否定されがちだったチャンピオンまつりに光を当てる意味でも貴重な本だと思います。

Re: 元々の姿いろいろ 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/05/12 (Sun) 18:01:05

 どうもです。

「G作品」検討用台本は1985年に出版された東宝SF特撮映画シリーズvol.3「ゴジラ/ゴジラの逆襲/大怪獣バラン」に収録されているものを持っていました。
 それを思い出せないとは、情けない・・・。

 検討用台本の時点ではまだゴジラのデザインは決まっていなかったはずですよね。
 それでも香山滋氏の頭の中にはその姿がある程度はイメージされていたのでしょうね。
 パタパタさせるほどの耳を持っているとなると、なんとなくイギリスのゴルゴっぽい感じでしょうか。
『怪獣ゴルゴ』での描写には『ゴジラ』からの影響を感じる場面もありますが。

「G作品」検討用台本にさっと目を通してみると、忘れていた一文が飛び込んできました。
 それは大戸島で一暴れするゴジラのくだり。
 餌になりそうな牛や羊などをねらいまわる、と書いた後で
(感心に人間はくわない)
と付け足してあります。

 かなり意図的にゴジラは人間を食べたりはしないとされているようです。
 そうなると、完成作品で語られる伝説の呉爾羅が場合によっては人間も食べるとされていることと矛盾しますから、ゴジラと呉爾羅は別の生き物ではないか、という発想も出てきますね。
(私としては大戸島伝説の呉爾羅がゴジラであると考えておいたほうが混乱がなくていいと思っていますが、かといって、同一か異なるのかを劇中ではっきりさせるべきではないと考えます。
別物かも知れないという余地を残すほうが深みが出るでしょう)

 ちょっと脱線しましたが、これだけ改変ゴジラが頻出してしまった現代においては、
今後出てくるであろう「俺様ゴジラ」(ゴジラを扱う機会を与えられた人間が手前勝手にアレンジしたゴジラ)に、食人するゴジラが出てこないとも限りません。
 そのときには、「香山滋はゴジラは人間を喰わないものと考えていたのだ。人間を喰うゴジラは邪道だ!」と言ってやりましょう。

「怪獣小説全集」は逃していました。昭和30年代だとまだまだ自然保護という考えはなくて、科学で征服してやるという風潮が強かったんですよね。
 昭和30年代前半のダム建設を描いたドキュメンタリー映画(うーーん、これもタイトルが思い出せない)で、山を崩し森林を伐採するシーンに、「見よ、科学の勝利だ」みたいなナレーションがついていたことを思い出します。

 そんな時代にゴジラやラドンを通じて大自然というものを(婉曲であるにせよ)考えさせる作品を作った本多猪四郎という才能はもっと評価されていいはずです。

 そういえば、ゴジラの漫画の中で藤田茂さんのものでは、ゴジラが溶かされてしまったコマの端に作者の独白のような形で
「神よ! この罪をゆるしたまえ・・・・・」と添えられていました。
 当時の受け止め方はそのようなものだったという証拠といってもいいでしょう。

 いつからゴジラ映画がゴジラ退治映画になってしまったのか・・・。

 また脱線してしまいました。
 1998年河出文庫の「怪獣文学大全」は読んでいましたので、「発光妖精とモスラ」はチェック済みでした。
そのときの印象では、「映画のほうがずっとおもしろいじゃないか。本多・関沢コンビはやっぱりすごいや」てな感じでした。

 私も「ゴジラ 東宝チャンピオンまつりパーフェクション」は未読で、うーん、要チェックか・・。
中古なら手に入るみたいです。
 チャンピオン祭り時代の新作にはまだ関沢新一さんが関わっていたりしますから、出来不出来はともかく、ゴジラが改変されることはなかったのですから。

Re: 元々の姿いろいろ - 海軍大臣 (男性)

2019/05/14 (Tue) 07:37:24

 お久しぶりです。
さて、なかなか興味深いお話が続いているようですので、お邪魔させていただきます。

 検討稿時点でのゴジラのキャラクターには、どこかキングコングの残滓が感じられる気がしてなりません。参考にできる先行キャラとしては打ってつけだった為なのでしょうが、「文字の上でのキャラクター」が粘土で造形された「形あるキャラクター」に移行する段階で、そうした余分なものが削除されて、能の所作を思わせる無表情なものへと固まっていったのだと考えられます。当時の新聞評に、観客が感情移入できるような「愛嬌が無い」といった意見がありましたが、大型爬虫類に準じた怪獣に擬人化を感じさせる動きを求めるのは、聊か的外れの意見のようです。

 また、ギドラ様の言われる、

>かなり意図的にゴジラは人間を食べたりはしないとされているようです。

 に関してですが、70年代末に奇想天外社からでていた原作小説(ジュブナイル版で「逆襲」と合本になったもの)の中に、九死に一生を得て救助された政次が、ゴジラが咀嚼して吐き出した仲間たちの骨を目撃したことを語る件があって、凄くショックを覚えたことが思い出されます。(オリジナルの【キングコング】でも、怒り狂ったコングが原住民を手掴みにして食いちぎる描写がありましたね)
これは恐らく生贄のエピソードとの整合性を持たせるためのものだったのでしょうが、原案⇒検討稿と移っていく段階でオミットされ、牛馬を捕食する属性(大戸島村長のセリで暗示される)のみが残されました。御存じかと思いますが、牛を銜えたゴジラのスチールが現存していますが、こちらも本編では未使用となっています。この他、白熱線で破壊された戦車から黒焦げになった死体が零れ落ちる、といった描写も映像化の段階で無くなっているなど、残酷描写を排除する製作者たちの姿勢は正しかったと思います。
 あと『発光妖精とモスラ』ですが、当時の安保問題を絡めて、米軍の出動を巡る民衆のデモ(当初は60年闘争の舞台となった国会議事堂に繭を張る設定だった)など、エクセルシオール様の言われる通り、「かなりインテリな感じ」を覚えますが、もともと田中友幸さんがそうした政治色を娯楽作品に持ち込むことを嫌っていたため、プロットを読んで「これは独立プロで撮ってください」と苦言を呈されたとも聞いています。
 一本の映画作品が成立するまでの紆余曲折を調べていくのも、たいへん有意義なことと思います。それではまた。

Re: 元々の姿いろいろ - 海軍大臣 (男性)

2019/05/14 (Tue) 07:40:37

訂正です。

「大戸島村長のセリ」⇒「大戸島村長のセリフ」

Re: 脱線しすぎてすいません 殿様ギドラ (男性)  URL

2019/05/15 (Wed) 19:19:30

 おおーっと、ゴジラの食人を明示したバージョンもあったんですね。
となると、ゴジラは人間を食べないものだ、という(裏)設定は映画スタッフとの合議で決まっていったものと考えるべきですね。

『ゴジラ』公開当時にゴジラに愛嬌を求める声があったというのも驚きです。
やはり当時の観客は、ゴジラをただ恐ろしいだけのものとして受け止めていたわけではないということになります。
ゴジラ演出が、ゴジラにストーリー上の役割を全うさせるだけでなく、劇中の実在としての動物的リアリティを持たせることを目指していたからだろうと思われます。
(ストーリー上の役割だけに終始させるために意思も感情もないような設定を持ち込まれたどこかの怪物とは違ったのですよ)

 熊でも虎でも実際に遭遇すれば怖いものですが、観察するぶんには愛嬌を感じることもあるでしょう。
爬虫類となるとちょっと難しいところではありますが、そこに意思が見えれば共感もあり得るかと思います。
あまり感情が見えない初代ゴジラではありますが、恵美子をのぞき込んだり時計台の音に驚いたりと意思や感情のある存在として描かれていますから、
当時のお客さんには、もっとゴジラが身近に感じられれば良いのに、と思った人もいたのでしょうね。
初代ゴジラが無表情に感じられるのは、技術的な限界も影響していたと思います。
着ぐるみが固くてあまり自由に動けなかったり、目玉を動かすことも出来なかったりとやりたいことが出来なかったという側面がありそうです。

 円谷英二監督としてはゴジラにはもっと感情表現させたかったのだと考えています。
『ゴジラ』製作時に有川貞昌さんに『キング・コング』でのコングが毛を逆立たせるカットを見せて、「こういうのをやらなきゃいけない」と語っていたそうですし、
のちのゴジラ映画でゴジラを軽快に動かし、擬人化のそしりも恐れず感情的な芝居をさせたのは、ゴジラに感情移入して欲しいという意思の表れではないかと考えています。

 もちろん、ゴジラが爬虫類と哺乳類の中間型の生物であるという設定を守ろうとした結果であるとも言えそうです。
(ドゴラに感情移入させようとした形跡はない・・・・)

 ゴジラがただただ恐ろしくあればいい、という考え方はやはり1980年代のゴジラ論が影響しているのでは、と愚考します。
あのころは、ゴジラ=原水爆という教条が支配的でしたから・・・。

 ひどく脱線してしまいました。しかし、レジェンダリーのモンスターバースが日本怪獣のお株を奪いそうなのは、喜ぶべきか悲しむべきか・・。

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