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ギドラの巣「新」映像作品掲示板

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ただいまゴジラ祭り開催中!
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1984年の疵痕 - 海軍大臣 (男性)

2018/02/25 (Sun) 00:26:39

 先日発売された『東宝版フランケンシュタインの怪獣 完全資料集』はスチール満載でビジュアル面では見応え十分なのですが、如何せん活字資料が少ない点が玉に瑕でした。それでもその少ない活字ページに、これまで余り注目されてこなかったベネディクト・プロを始めとする海外資本との提携作品(勿論、東宝フランケン2部作もこれに当たります)についての詳細な論考が掲載されているのは注目です。
 ご覧になっていないの方のために詳細は避けますが、中でも興味深かったのはハリウッドでの76年版【キングコング】の後を受けて、田中友幸さんが進められていた日米合作【ゴジラVSデビル】の企画です。内容は70年代末に刊行された『大特撮』という書籍中でも触れられていたのでご記憶のある方も居られるでしょうが、人類の悪の思念(つまり、デビル)によって生まれた大怪鳥や大怪鳥とゴジラが戦う「VSもの」です。復活が模索されていた時点では、決して第1作の流れを受けた「ゴジラ単体」が出現するリアル路線のストーリーではなかったことになります。
 こうした周辺を振り返って見ますと、昭和50年春にいったん終了したゴジラシリーズを再度スタートさせるための製作者サイドの動きや思考は、このところ当サイトで議論されている「次のゴジラ映画の在り方」を探る上での何らかの指針になるような気がするのです。

 何年か前に刊行された『東宝特撮未発表資料アーカイブ』でもゴジラ復活の紆余曲折に関して、光瀬龍さんや眉村卓さんといったSF作家(いずれも田中友幸さんがご自分のポケットマネーで開催していたとされているSF小説公募企画の出身者。小松左京さんもその一人)たちによるプロットが掲載されていましたが、その何れもが宇宙人や古代文明を絡めた内容で、明らかに本家ゴジラの出自とは異なるものが模索されていました。まだこの時点では、後に【ゴジラ(84)】として実現する「災害パニックもの+ポリティカルフィクション」の色合いは希薄です。
 先の合作企画といい、SF作家によるプロットの模索といい、チャンピオンまつりが終了して間もないこの時点では、未だ田中友幸さんが新たなゴジラ映画の方向性を求めて五里霧中の状態に陥っていた観が感じられます。
 原発襲撃やショッキラス出現が描かれるなど、内容的に後の【84】の原型となる中西隆三さん他の『KING OF MONSTARS ゴジラの復活』にしても、改稿を経る内に対戦怪獣バガンを登場させるなど変遷し、VSものの色合いを濃くしていったようです。ですから実際の【84】の脚本を、本来はアクションものやサスペンス系を得意とされる永原秀一さんが担当されたのも、こうした当初のプロットの名残によるものなのかも知れませんね。
 で、紆余曲折の末に実際に出来上がった作品を観る限りでは、「リアル怪獣災害シミュレーション」路線への変更は流石に永原さんには荷が勝ちすぎたようで(勿論、シナリオの責任ばかりではないでしょうけれど)、私たち当時のファンにとっては何ともフラストレーションの残るものとなってしまいました。
 適切な表現かは判りませんが、「リアル怪獣災害シミュレーション」だとか「災害パニックもの+ポリティカルフィクション」としてゴジラを作るのなら、森谷司郎監督の【日本沈没】ぐらい肚を据えて撮ってもらいたいものだと、あのころ友人たちと話し合ったことが思い起こされますし、今思っても田中友幸さんと繋がりの深い橋本忍さんに脚本をお願いした方がよかったんじゃないか? との後知恵も湧いてきます。
 更に思考を広げてみると、【84】に対して当時の私たちと同じフラストレーションを抱いたままの人たちの一部が現在に至ってプロとなり、「あのときの敵討ち」とばかりに作ってしまったのが【平成ガメラ】や【シン・ゴジラ】なのじゃないか、なんて想像も膨らんできてしまいます。
 ですからそうした意味で【ゴジラ(84)】が当時の特撮ファンに残した爪痕というのが、物心両面とも実に大きかったのだなあと、今更ながらに痛感しております。

Re: 訂正です - 海軍大臣 (男性)

2018/02/25 (Sun) 00:35:28

☓大怪鳥や大怪鳥→〇大怪鳥や大怪鳥

Re: またまた訂正 - 海軍大臣 (男性)

2018/02/25 (Sun) 00:38:01

☓大怪鳥や大怪鳥→〇大怪鳥や大怪魚

 ごめんなさい。完全に睡眠不足です。

Re: 1984年の疵痕 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/26 (Mon) 18:56:00

 申し訳ありません。レスが遅れるうちにいろいろとお話が進んでしまったご様子。

 なんじぇいさんと海軍大臣さんのお話からいろいろと考えたことを書くつもりですが、独立した内容になるかもしれず、
しかし、話の流れもあるので、海軍大臣さんの記事にぶら下がります・・・。

『ゴジラfinal wars』が「緩い繋がり」を持っていたか、という案件に関してはすでに海軍大臣さんの見解があって、
私もそれに賛成です。
 ひょっとすると東宝サイドは過去作との断絶のない作品を作ろうとしたのかもしれませんが、実際に出来上がったものは、
東宝特撮のキャラクターたちを改変・再編したもので、結局は過去作と断絶したものになってしまいました。
 X星人という宇宙人は登場しますが、それは『怪獣大戦争』に登場したX星人とは別物であり、この一点だけ見ても、
過去作とは断絶した世界を舞台にしているのだ、と表明しているのだと感じられます。

 しかし、二作前の『ゴジラ×メカゴジラ』劇場パンフレットのPRODUCTION NOTES内東宝特撮映画の世界観という記事には、
「他の東宝特撮作品とゆるやかに世界観がつながっている新設定」という文言が出てきます。
そして手前味噌になりますが、『ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃』を語る掲示板
http://www.geocities.jp/k_ghidorah/gmk/gmk10owari01.htm
この413番投稿、2002年2月9日)
にて私が書いた言葉に
「ゆるやかな連続性」とあり、私が提唱するゴジラシリーズのつなぎ方を参考にしてもらったのかな?と喜んでいました。
(とはいえ、『×メカゴジラ』が私が思うような過去作との連携を実現していたわけでもないのだけれど)

しかし、次作『東京SOS』では中條博士を再登場させて『モスラ』とがっちがちに繋いでしまいます。
 この件について当時私は
http://www.geocities.jp/k_ghidorah/GMM/GMM04.html
184番投稿 2004年1月5日にて

「機龍シリーズが本家シリーズと接点を持たないことに利点はありません。
(オキシジェンデストロイヤーには触れるが、「水中の酸素を破壊し、生物を窒息させ、そのあと骨さえ残さず溶解する」という重要な設定を
無視しているのでは、オキシジェンデストロイヤーはなかったことと言っているのに等しい。
『ゴジラ』におけるオキシジェンデストロイヤーが恐ろしいのは、生き物をまったく痕跡も残さず消し去ってしまうことにあるのではないか?)
「×メカゴジラ」において1954年以来現れていなかったゴジラを見て、「ゴジラはほかの怪獣とは違う」という理屈で機龍を作り始めるわけですが、根拠が弱すぎます。
本家シリーズの歴史を踏まえた世界であれば、ゴジラが「怪獣王」であるという捉え方をされていても不自然ではありません。
「東京SOS」も同様。
『モスラ』のストーリーを踏まえながら、『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣地球最大の決戦』を無かったこととしているために不自然さが増しているのです。」
と憤っております。

 このとき、私は(当時の)製作陣にストーリーテリングの機微が分かる人間がいないのだな、と感じました。
どうやら現在も状況は変わっていない模様です・・・。

『シン・ゴジラ』を統一ゴジラシリーズに組み込めるか?(なんだかどこかの北と南みたいな話ですね)

 私は組み込む必要は無いと考えます。

 ストーリー作りの面から。
『シン・ゴジラ』は昭和29年事件すらなかった世界を舞台にしているので、元祖ゴジラシリーズとはまったく接点がない物語です。
『ゴジラ』(1954)に対する『シン・ゴジラ』は『キング・コング』(1933)に対する『キングコング』(1976)みたいなものですから、シリーズとして繋ぐ必要がありません。
『シン・ゴジラ』以前にも素っ頓狂なゴジラ映画はありましたが、東宝製作の物に限れば最低ラインとして昭和29年にゴジラが初出現という一点を守っていました。
二代目ゴジラを無視していたとしても初代ゴジラとの接点は大事にしていたと言えるので、枝分かれしたシリーズを一本化という考え方でいけるんじゃないかと思います。
(『×メガギラス』のゴジラはちとまずいんですが)
『シン・ゴジラ』はまったく別物ということでいいでしょう。

 プロモーション面から。
 どうなんでしょう、そもそも『シン・ゴジラ』をゴジラシリーズだと思って見た人はどれぐらいいるんでしょう?
東宝がゴジラと名付けて公開したからゴジラシリーズなんだろうな、という程度では?
『シン・ゴジラ』人気はゴジラ人気とは関係ないでしょう。ですから、ゴジラシリーズをつなぐときに『シン・ゴジラ』を除外しても文句は出ないと思います。
あの映画に登場する怪獣はポピュラーなゴジラとはまったく別物なのですから、ゴジラだと思って見た人も少ないでしょう。
マニアではない人には、あの怪獣をシンゴジラと呼ぶ人もいました。
『シン・ゴジラ』の続編が見たい人は『キングコング2』(1986)のような『シン・ゴジラ2』に期待するのだと思います。

と、いろいろ書きましたが、もう一度ダメ押しのように強調します。
 たとえゴジラシリーズを統一化するとしても、いちいち劇中で過去作のエピソードを持ち出したり、同じ人物を再登場させたりする必要はないのです。
むしろそんなことはしないほうがいい。
 第一に劇中のゴジラ史を細かく説明しないこと。そして、過去作と矛盾するような描写、設定は持ち込まないこと。
それでも今後シリーズを再開するにあたっては、どのゴジラの続きなの?という問いに答えられるものでなければならないので、再開第一作にはそれなりの説明は必要でしょう。
(『ゴジラ2000ミレニアム』はストーリー展開だけみれば決して過去作と断絶してはおらず、平成vsでも二代目ゴジラでも成立した話だったかもしれません。
しかし、ゴジラのデザインを大きく変えてしまったために、印象としてはそれまでのゴジラとは別物に見えてしまった・・)

 少なくとも二代目ゴジラとVSゴジラを両立させるような大設定は作らなければならないでしょう。(パラレルワールドはナシだし、ストーリー上矛盾する部分に無理矢理説明を付けることはない。
VSゴジラが描いた物語のうち二代目の物語と矛盾しない部分だけ生かした別のゴジラ史を考えるしかないでしょう。ただし、それはあくまでも裏設定に止めること。それから二代目の物語をベースにするのは、
VSより先行して作られているのですから、基盤として優先されるべきなので)
やり方としてはなんのことはない、登場人物が二代目もVSも両方知っていればいいんです。
 たとえば、二代目ゴジラの続きとして作るなら、ゴジラの姿形・性格はちゃんと二代目に準拠(定着しているのは『モスラ対ゴジラ』バージョンか『怪獣総進撃』バージョンでしょう)、
その上で出現したゴジラを見た人物(マスコミによる分析でも良い)が、「京都で生まれたヤツじゃない」と言うだけでマニアは納得では?
 これは出てこないVSゴジラを否定しない、というやり方です。

 ミレニアムシリーズのゴジラ達をどう繋ぐかは、そもそもが別々バラバラのゴジラ達なので、格別な処置はしなくても2000年代にもゴジラはちょくちょく現れていたという前提さえあれば、
否定も肯定もしないことで混乱を避けられると思っています。(それがどのゴジラなのかに言及する必要はない)


 それにしても、やはり1984年の大転換が今に至るまで禍根を残しているんですよね。
あのとき、ゴジラ史を書き換えても構わないという認識を作ってしまったことで、その後どんどん拡大解釈されていき、ゴジラを書き換えても構わないという風潮にまで発展してしまったわけです。
元祖ゴジラシリーズでは、作品の質がどんなに変わろうと、先行作の内容を無かったことにするようなストーリーにしたりゴジラを書き換えるようなことは絶対にしなかったのに。

*****************
付記すると、『シン・ゴジラ』を楽しんだ人々の楽しんだことそのものを否定する気はありません。
 私は自分の感想として『シン・ゴジラ』はダメ映画であると述べました。根拠を示さずに否定するのは理性的ではありませんから、あれこれと分析めいたことを書きました。
映画賞の受賞という話になると映画のプロが関わることなので、内容面やテクニカルな面を鑑みて「そりゃないよ」という感想を書きました。
 しかし、ゴジラ映画なのか、という話になればそこには基準がありますから、あれをゴジラ映画だと主張する人がいるなら「ちょっと待て!」となりますし東宝のやり方にも納得できないという話になります。

 いずれにせよ、自分としてはもう『シン・ゴジラ』についてあれこれ書く気はありません。何を書いても同じ事を繰り返すことになるでしょう。
(人類紀元を使っている世界である、という情報は今回初めて知りましたので、なんじぇいさんには大感謝です。けれども、それによって作品の評価が変わることもありません。
ただ作り手の弱腰が見えただけですねぇ。観客にはっきりと提示するものに自信が持てないからそんなことをするのでしょう。まさに衒学的)

********************

ああ、本物のゴジラを見たい。

Re: その手があったか! - 海軍大臣 (男性)

2018/02/26 (Mon) 23:45:37

>「京都で生まれたヤツじゃない」と言うだけでマニアは  納得では?
 これは出てこないVSゴジラを否定しない、というやり 方です。


 とは正にナイスアイデアだと思います。全てを語らずとも、受け手側に納得がいくように想像させるのは、確かに作劇の妙味ですよね。実はすっかり忘失しておりましたが、平山亨さんからその昔にお聞きしたエピソードに、この手法を上手く使ったものがあったことを思い出し、先人の知恵というものの偉大さを今更ながらに痛感した次第です。

 懐かしの東映TV時代劇で【素浪人月影兵庫】だったか【素浪人花山大吉】だったか忘れましただ、兎も角、近衛十四郎と品川隆二の名コンビが活躍するシリーズでのこと。企画スタート時より、製作サイドでは近衛が演じる主人公の素浪人にキャラクターとしての「自由さ」を与えるため、敢えてキッチリとした出自であるとか、素浪人になって旅をしているの理由や目的などといった設定を与えなかったのだそうです。
 そして実際に放送がスタートすると、両名優の絶妙なコンビネーションが受けて番組は大人気となったのですが、すると今度は視聴者側から、
「あの素浪人はいったい何者なのだ?」
 といった、バックボーンに関する質問が多数寄せられるようになり、社内でも対応が問題になったと云います。
 このため一時は脚本家たちと相談して詳細な設定を考えようか、との意見もあったらしいのですが、そんなことをすると番組に内容が窮屈になる、との反対意見も多く、熟慮の末にスタッフたちが捻り出したアイデアが次のようなものでした。

 旅の道すがら、近衛演じる素浪人に対して品川演じる旅ガラス・焼津の半次が、
「ねえ旦那。あっしは以前から気になっていたんですが、いったい旦那はどういう御人なんですか?」
 と尋ねると、素浪人が、
「そうだな。お前とは長い付き合いだ。もう話しても良いだろう。ちょっと耳を貸せ」
 とか云って、相手の耳元で何事かをゴニョゴニョと呟くのだそうです。すると話を聞いた半次が、
「は~ん、なるほど。そういう訳でござんしたか!」
 とか云いながらポンと手を打って納得する。そんなシーンを放送した結果、翌週から視聴者からの質問は激減したと聞きます。作品の自由度を狭めることなく多くの視聴者を納得させたのだから凄いことですよね、これは。

 ミロのビーナスに両手が残っていたら誰も見向きもしないだろう、なんて名言がある通り、隠されたり省略された部分を最大限美化して補完してしまう人間心理の常を考えるなら、ある程度、作品世界の設定を受け手の想像に委ねてしまうのもありなのかも知れませんね。
 ただ、昨今では「答え」を全てハッキリした映像なり言葉なりにして提供しない限り、理解も納得も及ばないタイプの観客も少なくないようなので、少し心配な部分もありますけれど。

Re:素晴らしいと思います。 - なんじぇい (?)

2018/02/27 (Tue) 01:31:17

これまでの件に関してはギドラ様の意見に完全に賛成です。

さらによく考えてみたら、マニアであればあるほど『シン・ゴジラ』を既存のゴジラシリーズに組み込むことは嫌がると思うんですよね。
恐らく本作のファンでも嫌がるのではないでしょうか。
その理由はギドラ様のおっしゃる通り、「『シン・ゴジラ』の世界は昭和29年にゴジラが登場した世界ではないから」ということに他なりません。
『シン・ゴジラ』は同じく初めての上陸とされる、エメリッヒ版やギャレス版と同じような扱いがよろしいかと思います。

緩やかな繋がりに関しても、見事な解釈という他ありません。

Re: ありがとうございます 殿様ギドラ (男性)  URL

2018/02/27 (Tue) 18:44:20

 ご賛同に感謝します。

 曖昧ながらも必要なバックボーンを想像させる作りが大事になるのですが、
そのための規則を明文化しようとすると、膨大な場合分けが必要になってしまいますし、
そんな規則が作品の自由度を下げてしまうことにも繋がりますので頭が痛い問題ではあります。

 そのあたり、作り手の物語センスが試されるところなのですが、幸いゴジラシリーズには前例として優れた作例がありますから、
そこに学べばストーリーをリセットしたりゴジラを改変することなく、描きたい物語をゴジラ映画として作ることは可能だと考えています。

>ただ、昨今では「答え」を全てハッキリした映像なり言葉なりにして提供しない限り、
>理解も納得も及ばないタイプの観客も少なくないようなので、少し心配な部分もありますけれど。

 これはまったくおっしゃるとおりで、何もかも説明のつく設定がないと受け入れられないという人々がいるのは確かです。
そんな人が怪獣に手を出すと、表であれ裏であれ怪獣を説明する設定をてんこ盛りにしてしまうんですよね。
 そんな風潮には正面から挑むしかないかもしれません。世の中には説明のつかないこともあるんじゃーーーっ、と。

(それにしても、ストーリー上重要な事象を描きも説明もせずにただ想像に任せ、周辺事情にはこまごまと設定を作っちゃうような映画が出てくるのはなんでだ?)

(月影兵庫は見ていなかったけれど、花山大吉はよく見ていたっけなぁ。そんな裏話があったとは)

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